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* 池田房雄『白い血液―エイズ感染と日本の血液産業』([[潮出版社]]、[[1992年]]9月)ISBN |
* 池田房雄『白い血液―エイズ感染と日本の血液産業』([[潮出版社]]、[[1992年]]9月)ISBN 4267010560 ISBN-13:978-4267010569 |
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* 三菱ウェルファーマ株式会社HIV事件社内調査委員会『HIV事件に関する最終報告書』[[2007年]](平成19年)[[7月9日]] |
* 三菱ウェルファーマ株式会社HIV事件社内調査委員会『HIV事件に関する最終報告書』[[2007年]](平成19年)[[7月9日]] |
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* ミドリ十字『株式会社ミドリ十字30年史』[[1980年]](昭和55年)[[11月]] |
* ミドリ十字『株式会社ミドリ十字30年史』[[1980年]](昭和55年)[[11月]] |
2016年11月15日 (火) 17:11時点における版
株式会社ミドリ十字(ミドリじゅうじ、英文:Green Cross Corporation)は、かつて存在した日本の医薬品メーカー。医師(元軍医・陸軍中佐)の内藤良一らが創業したベンチャー企業であった。1950年(昭和25年)11月20日に日本最初の民間血液銀行「日本ブラッドバンク」として会社設立され、1964年(昭和39年)8月28日に血液売買部門を廃止して血液を原料とした医薬品専業メーカーに転換、『株式会社ミドリ十字』に商号を変更された。本店・工場は大阪府大阪市城東区に所在した。なお、現在の大阪証券取引所及び東京証券取引所に上場していた。
会社概要
- 1950年(昭和25年)11月20日、岡野清豪を取締役会長、内藤良一を代表取締役専務取締役、小山栄一を常務取締役として、日本最初の血液銀行『株式会社日本ブラッドバンク・血液銀行』が創業された。創業当時の本社及び本社工場は大阪府大阪市城東区蒲生町3番地に置かれた。創業時の従業員数は、男子69名、女子80名の計149名。
- 当初輸血用血液の売買を主としており、まず大阪と神戸に採血プラントが設置された。
- 創業当時の製品は乾燥人血漿、血液型判定用血清、クエン酸塩加人全血液の3品目であり、本社工場では乾燥人血漿、血液型判定用血清が、大阪と神戸の採血プラントではクエン酸塩加人全血液が製造された。
- 1954年(昭和29年)2月28日、愛知県名古屋市中村区内に採血プラントを設置。
- 各地に中小の血液銀行が乱立し、競争が激化するに連れ人工血液製剤への移行を模索した。
- 1957年(昭和32年)7月17日に大阪証券取引所に初上場した。株主優待として株主様ご優待券を発行しており、優待券の枚数に応じて「プラスマ-BBank」等の製品を割引価格で販売していたが1974年厚生省の行政指導により取りやめとなった。
- ライシャワー事件から売血批判が巻き起こり、1964年(昭和39年)8月28日の閣議決定により、血液銀行の業務が日本赤十字社に一本化された。路線転換を迫られ、血液製剤や人工血液、医薬品への移行を模索する。1964年(昭和39年)8月28日に社名を創業以来の社章だった「緑十字形」から『株式会社ミドリ十字』に改称変更した。
- 1982年(昭和57年)、創業者・内藤良一の急死後、厚生省薬務局長を務めた松下廉蔵(社長に就任)など多数の厚生省出身の天下り官僚らにより経営の実権は握られることとなった。当時の薬事行政では、すべての製薬会社は官僚の天下り先にされていたので、多数の厚生官僚出身者が業界首位の同社経営に携わることとなった。具体的には、当時の副社長には厚生省薬務局細菌製剤課長補佐経験者、取締役には同薬務局企画課長補佐経験者、薬事部長には同薬務局経済課長補佐経験者などが就いた[1][信頼性要検証]。
- 1989年(平成元年)、放射線検査薬「キセノン133ガス」を無許可で輸入販売したことが発覚する。既に器具の承認は受け価格は安いが、安全性に問題があると厚労省が難色を示したため申請を取り下げ、「エルマティック3」など他の未承認薬27種とともに研究用として目的を偽って輸入していた。[2]
- ミドリ十字は、血液製剤の企業として安定した収益があり、合併先には大手製薬会社の名前も取りざたされたが、1998年(平成10年)4月1日に「吉富製薬株式会社」と合併して法人格は消滅した。その後、医薬品業界の大規模な再編が進む中で「三菱ウェルファーマ株式会社」となり、医薬品業界の合併を経て現在は「田辺三菱製薬株式会社」となっている。
- 韓国にあるGREEN CROSS(公式サイト)はミドリ十字と同様の「緑十字に白抜き文字」の社章を使用(ミドリ十字は「APAM」韓国のものはハングルで「緑十字」)し、業務内容も似ているが全く別の企業である。なお、韓国GREEN CROSSは台湾緑十字(こちらはミドリ十字の合弁)とパートナーシップを結んでいる。
製造・販売していた血液製剤による問題
- 薬害エイズ(非加熱血液凝固因子製剤によるHIV感染)
- 1986年(昭和61年)4月、大阪医科大学付属病院における肝臓病治療の際に、止血を目的とした非加熱血液製剤(クリスマシン)の投与によって患者がHIVに感染、死亡した事について、ミドリ十字の代表取締役だった松下廉蔵・須山忠和・川野武彦が業務上過失致死容疑で逮捕・起訴された(薬害エイズ事件におけるいわゆるミドリ十字ルート)。1986年(昭和61年)1月に加熱製剤の日本における販売が開始され、「十分な供給量を確保することが可能となったにもかかわらず、非加熱製剤の回収などの措置を講じなかった」としてミドリ十字の3被告人に2000年(平成12年)2月それぞれ禁固刑に処す旨の実刑判決が下った。これに対し3被告人は控訴したが、川野武彦が公判中に死亡し公訴棄却、残る2名には2005年(平成17年)6月に上告棄却となり、有罪判決が確定している。
- 薬害エイズ事件での和解に基づく金員支払という損害を会社に与えたとして株主代表訴訟が1996年(平成8年)7月及び8月に起こされていた。2002年(平成14年)3月13日にミドリ十字の旧役員9名は連帯して和解金1億円を支払うこと、ミドリ十字を吸収合併した三菱ウェルファーマが薬害エイズ事件の調査検討し、薬害事件の再発防止策の提言を取りまとめることなどを骨子とし和解が成立した。
- 薬害肝炎(フィブリノゲン製剤等による肝炎感染)
- フィブリノゲン製剤(販売名:フィブリノーゲン-BBank、フィブリノーゲン-ミドリ、フィブリノゲン-ミドリ、フィブリノゲンHT-ミドリ)や、非加熱血液凝固第Ⅸ因子製剤(販売名:クリスマシン)の投与により、多くの人々がC型肝炎に感染した。
主な製品
- プラスマネート
- クリスマシン
- セファロチンナトリウム注
- ヴェノグロブリン
- ヒストブリン
- トリコシード錠
- コーナイン
- AHF
- サヴィオゾール
- ウロキナーゼ
- NAPP錠
- COPP
- コンコエイト
- ヤギフラキシン錠
- カシワドール
- フィブリノーゲン-ミドリ
- フルオゾール(パーフルオロケミカルを使用した代替血液)
- HIPROKIE36(ハイプロッキースリム、健康食品のラーメン)[3]
事業所一覧
- 本社
- 東京本部事務所
- RI商事部
支店
- 札幌支店
- 青森支店
- 仙台支店
- 新潟支店
- 宇都宮支店
- 千葉支店
- 東京東部支店
- 東京西部支店
- 埼玉支店
- 横浜支店
- 静岡支店
- 名古屋支店
- 金沢支店
- 京都支店
- 大阪支店
- 神戸支店
- 高松支店
- 広島支店
- 福岡支店
- 熊本支店
生産拠点
- 都島工場(現在は解体)
- 淀川工場(現在は解体)
- オサダノ工場
- 千歳工場
関連会社
- 福島ミドリ十字(1970年鈴彦商店に譲渡、現:バイタルネット)
- 愛知ミドリ十字(1969年スズケンに買収される。現:エス・ディ・ロジ)
- 山陰ブラット商会(1978年成和産業と合併。現:ティーエスアルフレッサ)
- 岡山ミドリ(1969年成和産業に譲渡、現:ティーエスアルフレッサ)
- 伊庭屋薬品(1966年合併し出羽薬品、現:東邦薬品)
- シーアイエスダイアグノスティック(フランス系の合弁、2001年日本シエーリングに吸収合併。現:バイエル薬品)
- 大阪ミドリ十字(1970年日本商事に営業権譲渡、現:アルフレッサ ホールディングス)
- アルファ・テラピューティック・コーポレーション(1978年8月15日設立。米子会社、2002年血漿分画製剤事業はスペインのグリフォルス、血液銀行部門はバクスターに売却し、休眠会社化。)
- エイパム(1995年に設立されたジェネリック医薬品販売子会社、吉富薬品に吸収)[6]
- 国際試薬[7] (1969年12月16日設立。アメリカンホスピタルサプライ社との合弁会社。臨床用及び診断用試薬等の製造販売を行う。ウェルファイド時代にシスメックスに売却。現:シスメックス国際試薬)
- バイファ
- 台湾緑十字公司(1969年9月設立。パイナップルの根茎からブロメラインペートスを製造、供給する目的で設立。後にウロキナーゼの中間原料の製造、パパイン中間製品の製造などを行う。社章は今なおAPAMの白抜き文字がTGCCに変わっている以外同一のものを使用している。)
- 廣州緑十字薬業有限公司[8](1991年12月23日に中国と香港の現地企業と合弁で設立、2006年三菱製薬(広州)有限公司に社名変更)
- カレックス[9]
- ミドリ・ファーメリカ・コーポレーション[10]
- ウェルファイド コリア(ミドリ十字末期1989年にミドリ十字50%GREEN CROSS50%出資で設立、操業前(ミドリ十字合併前)の名称は不明(公式サイトに記載無し)、後にGREEN CROSSは撤退し社名も2010年1月1日にミツビシ タナベ ファーマ コリア社に改称)
関連項目
脚注
- ^ 『いまから20年前、ミドリ十字に「厚生省事務次官を、社長ないし社長待遇副社長で天下りさせろ」と厚生省が持ちかけました。ところが、ミドリ十字は大坂の会社で、東京の会社と違って政治意識が乏しいですから、けんもほろろに断った。すると、厚生省から徹底的にいじめられた。これにミドリ十字は音を上げて、厚生官僚の天下りを半ダースいっぺんに受け入れた。その連中の中に今度辞めた社長もいます。官のやり方は、まず、いじめるんです。いじめていじめて音を上げさせて、次に利を持って天下る。』 谷沢永一・渡部昇一「誰が国賊か」[要ページ番号] 1996年 クレスト社 ISBN 978-4877125103
- ^ http://medicalfinder.jp/doi/abs/10.11477/mf.1611207572
- ^ http://www.tokyo-sports.co.jp/nonsec/health/175319/
- ^ http://www.n-heisei.org/c-board444HontKyre1957/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=16;id=heisei
- ^ http://www.n-heisei.org/c-board444HontKyre1957/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=16;id=heisei
- ^ http://www.yoshitomi.jp/company/history.html
- ^ http://www.mt-pharma.co.jp/ir/portfolio/mpc/yuho0403/010_0814300101606.htm
- ^ http://betech-group.com/dalian/result.html
- ^ http://www.life-bio.or.jp/about/pdf/shitte_tenkabutsu_1203.pdf#search='%E3%83%9F%E3%83%89%E3%83%AA%E5%8D%81%E5%AD%97+%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9'
- ^ http://www.n-heisei.org/c-board444HontKyre1957/c-board.cgi?cmd=ntr;tree=16;id=heisei
参考文献
- 池田房雄『白い血液―エイズ感染と日本の血液産業』(潮出版社、1992年9月)ISBN 4267010560 ISBN-13:978-4267010569
- 三菱ウェルファーマ株式会社HIV事件社内調査委員会『HIV事件に関する最終報告書』2007年(平成19年)7月9日
- ミドリ十字『株式会社ミドリ十字30年史』1980年(昭和55年)11月