「鎌倉宮」の版間の差分
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=== 土牢 === |
=== 土牢 === |
2016年11月15日 (火) 16:00時点における版
鎌倉宮 | |
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所在地 | 神奈川県鎌倉市二階堂154 |
位置 |
北緯35度19分34.57秒 東経139度34分0.65秒 / 北緯35.3262694度 東経139.5668472度 座標: 座標オプションが認識できません 座標: 北緯35度19分34.57秒 東経139度34分0.65秒 / 北緯35.3262694度 東経139.5668472度 座標: 座標オプションが認識できません |
主祭神 | 護良親王 |
社格等 | 官幣中社 |
創建 | 明治2年(1869年) |
例祭 | 8月20日 |
鎌倉宮(かまくらぐう)は、神奈川県鎌倉市二階堂にある神社である。護良親王(もりながしんのう)を祭神とする。建武中興十五社の一社で、旧社格は官幣中社。 神社本庁の包括下には当初より入っていない単立神社。別名 大塔宮(おおとうのみや)。
護良親王
祭神である護良親王は後醍醐天皇の皇子で、父とともに鎌倉幕府を倒し建武中興を実現したが、その後、足利尊氏との対立により足利方に捕えられて東光寺に幽閉され、建武2年(1335年)の中先代の乱の混乱の中で尊氏の弟の直義の命で、家来である淵辺義博(ふちべのよしひろ)によって殺められた。
武家から天皇中心の社会へ復帰させることを目的とした建武中興に尽力した親王の功を賛え、明治2年(1869年)2月、明治天皇は護良親王を祀る神社の造営を命じた。7月15日に鎌倉宮の社号が下賜され、7月に東光寺跡の現在地に社殿が造営された。
明治6年4月16日に明治天皇は鎌倉宮を行幸、同年6月9日に鎌倉宮は官幣中社に列格した。
1939年(昭和14年)1月18日、日本郵船の客船「秩父丸」は「真田丸」と改名する[1]。客船「氷川丸」の船橋に氷川神社の祭神を祀っているように、「秩父丸」にも秩父神社を勧請していた[1]。改名に際し、「鎌倉丸」は新たに鎌倉宮から御祭神を奉安した[1]。
土牢
本殿の後方にある土手の穴が、親王がおよそ9か月間幽閉されていた土牢であるという古伝承がある。土窟で2段になっている。「鎌倉覧勝考」によれば、上段は入り口から0.1寸ばかりの深さで2間四方余あり、下段はさらに7、8尺下って9尺四方あり、周囲は赤い土であるといい、さらに、「太平記」に「建武元年五月二日大塔宮を足利直義うけ取鎌倉へ下し奉つて、二階堂谷に土籠を塗てぞ置参らせける」とあり、土の牢とは記されておらず、薬師堂谷の御所または牢の御所と書いているものもあり、土籠は塗りごめた土蔵であり、四面を禁錮して入れ置いたのであるから、牢の御所と称したにすぎないという。あsdm@いgもs
脚注
参考文献
- 安津素彦・梅田義彦編集兼監修者『神道辞典』神社新報社、1968年、21頁
- 白井永二・土岐昌訓編集『神社辞典』東京堂出版、1979年、101頁
- 三菱重工業株式会社横浜製作所「第2話 客船「秩父丸」」『20話でつづる名船の生涯』三菱重工業株式会社横浜製作所総務勤労課、2013年8月。