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== 交通 == |
== 交通 == |
2016年11月15日 (火) 15:48時点における版
西風新都 | |
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北緯34度26分29.26秒 東経132度24分9.72秒 / 北緯34.4414611度 東経132.4027000度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 広島県 |
市町村 | 広島市 |
区 | 安佐南区・佐伯区 |
人口 2016年3月末現在 | |
• 合計 | 53,455人 |
等時帯 | UTC+9 (JST) |
市外局番 | 082 |
ナンバープレート | 広島 |
ウェブサイト | 広島市:西風新都 |
※座標は大塚駅付近 |
西風新都(せいふうしんと)は、広島県広島市佐伯区および安佐南区にまたがる同市の都市拠点のこと。正式名称は、1993年度までは「広島西部丘陵都市」、1994年度は「西風新都」、1995年度以降は「ひろしま西風新都」であるが、一般には「西風新都」と呼ばれる。当地域の人口は53,455人(男26,533人、女26,922人)[1]。当初は計画人口として「21世紀初頭に10万人」を掲げたが、計画通りの人口の増加が見込めず、2008年の計画見直しにより「2020年度に6万人、21世紀中頃に8万人」に変更となった[2]。
西風新都内にある広島ビッグアーチにおいて、1994年には広島アジア大会、1996年にはひろしま国体秋季大会およびおりづる大会ひろしまが開催された。
地理
同市の都心である紙屋町・八丁堀(または太田川デルタ)と西風新都との間には、太田川放水路、および、茶臼山を主峰とする丘陵地が横たわり、市街地の連続性がない。両地区の短絡路は峠越えの数本の道と草津沼田道路(1985年供用開始)だったが、丘陵地を迂回するルートのアストラムラインが1994年に開業し、丘陵地をトンネルで貫通する広島高速4号線が2001年に開通して利便性が向上した。西風新都からの主要各地への距離を以下に示す。
西風新都には、A.CITY、花の季台、セントラルシティこころ、若葉台 (広島市)若葉台、伴ハイツ、五月が丘、ライセンスパーク杜の街などの住宅地がある。学術面では、広島市立大学や広島修道大学がある。
住所の区分
石内地区は佐伯区、伴地区・大塚地区は安佐南区にある。
石内地区
- 五日市町大字石内
- 石内上一丁目(石内北流通地区)― インター流通パーク
- 石内南一丁目~五丁目(石内学研地区)― 広島ライセンスパーク「杜の街」
- 石内北一丁目(梶毛東住宅地区) - セントラルシティこころ
- 五月が丘一丁目~五丁目
- 藤の木一丁目~四丁目
伴地区
- 沼田町大字伴
- 伴東一丁目(下地、瀬戸内ハイツ)
- 伴東六丁目(伴東学研地区)― テクノヒルズ(広島市立沼田高等学校、中電工技術短期大学校など)
- 伴東七丁目(グリーンヒル大原他)
- 伴東八丁目(大原台)
- 伴南一丁目・四丁目・五丁目(梶毛東住宅地区)―セントラルシティこころ
- 伴南二丁目・三丁目(伴南工業地区)―セントラルシティ
- 伴北七丁目(高附住宅地区)― ネオ・ハーモニータウン「若葉台」
大塚地区
- 沼田町大字大塚
- 大塚東一丁目(広島修道大学)
- 大塚東三丁目(大塚学研地区「アカデミック・リサーチパーク」)―広島市立大学など
- 大塚西二丁目(下城ハイツ他)
- 大塚西三丁目(藤興園、タワーズ)
- 大塚西四丁目(中講)
- 大塚西五丁目(広島広域公園)
- 大塚西六丁目(ヒルズ、大塚業務地区)―A.CITY
- 大塚西七丁目(伴南住宅地区)―A.CITYアベニュー「花の季台」
歴史
市制施行100周年の1989年(平成元年)に事業着手された。市が取り組む多心型都市づくりにおける都市拠点の一つ。職・住・学術・レクリエーションなどの機能を持つニュータウン事業であるが、広島市の「副都心」と呼ばれることもある。
- 1971年~1975年 開発事業者による用地買収
- 1973年4月、広陵高等学校が現在の沼田新校舎に移転
- 1974年4月、広島修道大学が西区観音から現在の沼田キャンパスに移転
- 1975年5月、関連公共施設の未整備を理由として開発凍結
- 1983年4月、広島市立伴小学校より広島市立伴東小学校が分離開校
- 1985年3月、広島自動車道・広島北IC~五日市IC間開通
- 1985年3月、広島市立沼田高等学校が開校
- 1986年5月、「広島西部丘陵都市建設基本計画」を策定(開発凍結の解除)
- 1988年12月、山陽自動車道・五日市IC~広島IC間開通
- 1989年11月、「広島西部丘陵都市建設実施計画」を策定(事業着手)
- 1990年10月、都市内で最初の計画開発地区(大塚業務地区・伴南住宅地区)の開発着工。
- 1991年10月、大塚学研地区の開発着工
- 1992年6月、石内北流通地区の開発着工(当初許可)
- 1993年4月 広島広域公園の開園
- 1993年8月、石内学研地区の開発着工(当初許可)
- 1994年1月、都市愛称「西風新都」に決定。
- 1994年1月、アカデミックリサーチパークの分譲開始。
- 1994年4月、広島市立大学開学
- 1994年3月、A.CITYヒルズ、ネオスの分譲開始
- 1994年8月、新交通システム「アストラムライン」開業
- 1994年5月、伴東学研地区の開発着工
- 1994年10月、「第12回アジア競技大会広島1994」開催
- 1995年4月、都市名称を「ひろしま西風新都」に変更、広島市立伴小学校より広島市立大塚小学校が分離開校
- 1995年6月、伴南鋼業・梶毛東住宅地区の開発着工
- 1996年1月、A.CITYアベニュー(花の季台)、および、テクノヒルズの分譲開始
- 1996年4月、高附住宅地区の開発着工
- 1996年8月、インター流通パークの分譲開始
- 1996年11月、善當寺住宅地区・工業地区の開発許可
- 1996年10月、ひろしま国体(第51回国民体育大会)秋季大会の開催
- 1996年10月、おりづる大会ひろしま(第32回全国身体障害者スポーツ大会)の開催
- 1998年3月、伴北工業地区の開発許可
- 1998年10月、ニューエイジタウンこころ(産業ゾーン)、および、ライセンスパーク杜の街の分譲開始
- 1998年10月、広島県運転免許センター開設
- 1999年3月、ニューエイジタウンこころ(住宅ゾーン)の分譲開始
- 2001年7月、広島自動車道・広島西風新都ICの供用開始
- 2001年10月、広島西風新都線(広島高速4号線)の供用開始
- 2003年4月、広島市立大塚小学校より広島市立伴南小学校が分離開校
- 2008年4月、広島市立伴中学校より広島市立大塚中学校が分離開校
- 2015年2月2日 住居表示が沼田町の一部で変更になる予定[3]
交通
新交通システム
西風新都の中心A.CITYにはアストラムラインでは大塚駅で下車して徒歩で15分程度。将来広域公園前駅から西広島駅、本通駅を経由して広島駅へ、本通駅から宇品港へ延長計画もある[要出典]。
バス
バスは、広電バスで広島バスセンターから広島高速4号線を経由して直行便ならばA.CITY中央までわずか16分で行ける。2007年4月1日のダイヤ改正でさらに増発して直行便、横川駅経由を会わせて、大塚駅~広島バスセンター間で平日往復約200本以上のバス便があり、さらに便利になった。
さらに、大塚駅バス停では、三次、庄原、松江、出雲、浜田、益田、岩国、周防大島、徳山方面の高速バスも利用可能であるが、広島バスセンター方面への乗車はできない。
道路
車では、広島市内からは有料の広島高速4号線(中広出入口-沼田出入口間)の利用が一番早いが、通行料金がかかる。距離にして約8kmはあるがそのほとんどがトンネルであることから都心(紙屋町)まで車でわずか15分である。
その他の都心からのルートとして西広島方面からは己斐団地から入りトンネルの上にある広島県道266号は昔からの峠道で無料での通行が可能だが、随分と改良されたとはいえ一部区間はいまだに狭く横に溝があるため通行には気を遣う、にもかかわらずトラックやバスも走行していて交通量が多い。しかし、こちらは広島高速4号線経由と比べても実際には10分~15分しか違わない。
さらに国道2号線西広島バイパス経由で田方ICより出て広島県道71号広島湯来線を通るコースもある。西広島バイパスが混雑していなければ都心から約25分~35分で到着するルートでもある。
廿日市市や五日市からは五日市から石内バイパスを北に進むと行ける。
また、山陽自動車道の五日市ICおよび広島自動車道の西風新都ICいずれからも西風新都の中心であるA.CITYには車でおよそ5分~10分と高速道路網は恵まれている。
計画の見直し
バブル期に計画された新都市づくりであったが、景気低迷や市人口の伸びの想定が当初より鈍化した(140万人から118万人)ことを受け[4]、 広島市は2006年に「ひろしま西風新都建設実施計画見直し検討委員会」を設置し、計画の見直しを行った[5]。その結果、2008年2月に「ひろしま西風新都都市づくり推進プラン」が策定され、主に下記の計画変更が行われた[2]。
- 都市づくりのスケジュール(概成時期)を「21世紀初頭」から「21世紀中頃」に変更
- 人口を当初計画の「21世紀初頭に10万人」から「2020年度に6万人、21世紀中頃に8万人」に変更
- 土地利用目的の緩和および変更を実施
- 都市機能を集積する方針を見直し、分散配置
- 整備・誘致する施設等についてバブル期の発想を転換し選択と集中を実施
また、2011年度時点で累積赤字が119億円あまりであり単年度収支も7年連続赤字となっている[6]アストラムラインについても、2012年、伸張計画がなされている西風新都線(広域公園前-JR西広島、6.2km)の予定ルートを、乗客増につながる複合団地(開発計画中)を取り込むルートへと見直す検討を行うこととなった[7]。
脚注
- ^ 2016年3月末現在、住民基本台帳調査による。“西風新都のデータ”. 2016年5月28日閲覧。
- ^ a b “「ひろしま西風新都都市づくり推進プラン」の策定について“. 広島市. 2008年. 2012年9月28日閲覧。
- ^ 町の区域の設定・変更について
- ^ “西風新都の計画見直し インフラ生かし一体感も“. 中国新聞社説. 2011年10月10日. 2012年9月28日閲覧。
- ^ “参考資料4 ひろしま西風新都建設実施計画見直し検討委員会“. 広島市. 2008年. 2012年9月28日閲覧。
- ^ “アストラムライン乗客数増 2年連続 広島“. MSN産経ニュース. 2012年6月28日. 2012年9月28日閲覧。
- ^ 中国新聞、2012年6月22日
外部リンク
関連項目
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