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「伊藤剛 (評論家)」の版間の差分

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* 1993~1994年 - [[漫画家]]への志止み難く退社し[[浦沢直樹]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]。
* 1993~1994年 - [[漫画家]]への志止み難く退社し[[浦沢直樹]]の[[アシスタント (漫画)|アシスタント]]。
* 1995年 - 同年から97年まで[[唐沢なをき]]のアシスタント<ref>[http://twitter.com/GoITO/status/144451143689437184]</ref>。
* 1995年 - 同年から97年まで[[唐沢なをき]]のアシスタント<ref>[http://twitter.com/GoITO/status/144451143689437184]</ref>。
* 1997年 - [[永山薫]]に請われ<b>[[泊倫人]]</b>(とまり りんと)名義で[[エロマンガ]]の紹介・評論を始める。<ref>[http://homepage3.nifty.com/Noah/h_kiso.htm]</ref>
* 1997年 - [[永山薫]]に請われ'''[[泊倫人]]'''(とまり りんと)名義で[[エロマンガ]]の紹介・評論を始める。<ref>[http://homepage3.nifty.com/Noah/h_kiso.htm]</ref>
* 2001年 - [[日本マンガ学会]]発足。会員となる。
* 2001年 - [[日本マンガ学会]]発足。会員となる。
* 2002年 - [[アミューズメントメディア総合学院]]マンガ学科非常勤講師
* 2002年 - [[アミューズメントメディア総合学院]]マンガ学科非常勤講師
* 2006年 - [[武蔵野美術大学]]芸術文化学科非常勤講師
* 2006年 - [[武蔵野美術大学]]芸術文化学科非常勤講師
* 2009年 - [[東京工芸大学]]芸術学部マンガ学科<b>[[准教授]]</b>、[[早稲田大学]]文化構想学部非常勤講師<ref>早稲田の非常勤は2013年度限りで雇い止め</ref>。
* 2009年 - [[東京工芸大学]]芸術学部マンガ学科'''[[准教授]]'''、[[早稲田大学]]文化構想学部非常勤講師<ref>早稲田の非常勤は2013年度限りで雇い止め</ref>。
* 2010年 - 当年度後期に限り[[首都大学東京]]非常勤講師
* 2010年 - 当年度後期に限り[[首都大学東京]]非常勤講師
* 2012年 - 当年度後期に[[武蔵大学]]メディア社会学科非常勤講師<ref>[http://twitter.com/GoITO/status/190956483565985792]</ref>
* 2012年 - 当年度後期に[[武蔵大学]]メディア社会学科非常勤講師<ref>[http://twitter.com/GoITO/status/190956483565985792]</ref>
* 2016年 - 4月1日付で[[東京工芸大学]]芸術学部マンガ学科<b>[[教授]]</b><ref>https://www.facebook.com/go.ito.923/posts/1068278006558359?pnref=story</ref>。
* 2016年 - 4月1日付で[[東京工芸大学]]芸術学部マンガ学科'''[[教授]]'''<ref>https://www.facebook.com/go.ito.923/posts/1068278006558359?pnref=story</ref>。


== 人物 ==
== 人物 ==
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* 東海鉱物採集ガイドブック(名古屋鉱物同好会編、[[七賢出版]]、[[1996年]]7月)
* 東海鉱物採集ガイドブック(名古屋鉱物同好会編、[[七賢出版]]、[[1996年]]7月)
* 網状言論F改([[東浩紀]]編、[[青土社]]、[[2003年]]1月、[[小谷真理]]、[[斎藤環]]、[[竹熊健太郎]]、[[永山薫]]との共著)
* 網状言論F改([[東浩紀]]編、[[青土社]]、[[2003年]]1月、[[小谷真理]]、[[斎藤環]]、[[竹熊健太郎]]、[[永山薫]]との共著)
* <b>テヅカ・イズ・デッド</b>([[NTT出版]]、[[2005年]]9月)
* '''テヅカ・イズ・デッド'''([[NTT出版]]、[[2005年]]9月)
* マンガは変わる(青土社、[[2007年]]12月)
* マンガは変わる(青土社、[[2007年]]12月)
* マンガを読む。The Manga Reviews(青土社、[[2008年]]3月)
* マンガを読む。The Manga Reviews(青土社、[[2008年]]3月)

2016年11月15日 (火) 15:15時点における版

伊藤 剛(いとう ごう、1967年2月 - )は、愛知県名古屋市出身の日本の漫画評論家鉱物愛好家。主著に『テヅカ・イズ・デッド』。

学歴・職歴

人物

  • 初の単著『テヅカ・イズ・デッド』で、「キャラクター」と「キャラ」とを分けて論じる、従来の漫画論にない視点を提示した評論であると、高い評価を得た[7]

岡田斗司夫・唐沢俊一との紛争

  • 1990年代半ば、伊藤剛はなおきの実兄俊一に請われ彼の仕事を請負い初めると共に、ニフティサーブのコメディフォーラム内の岡田斗司夫唐沢俊一眠田直の三人が議長を務めるオタクアミーゴス会議室、及びと学会に入会した。伊藤によると周囲からは唐沢とは師弟関係として認識されていたが、1997年7月、唐沢から関係を絶縁するという告知がされて以降、唐沢は伊藤に対する誹謗中傷を繰り返してきたという[8]。伊藤は1998年7月に出版された、岡田斗司夫編『国際おたく大学』(光文社)掲載の記事「サブカルのパンドラの箱〜伊藤(バカ)くん問題」が名誉毀損等であるとして、11月、岡田斗司夫と光文社、及び当該記事の執筆者である唐沢俊一とその妻ソルボンヌK子を、東京地裁に提訴。1999年7月23日、上述の民事訴訟で和解し、岡田及び唐澤夫妻の謝罪文がウェブ上に(削除済み)、光文社による謝罪文が『小説宝石』1999年9月号に掲載される運びとなった[9]

著書

参考文献

  • 『ユリイカ』2006年1月号「特集・マンガ批評の最前線」(青土社)

出典

外部リンク