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開拓時代にはこの地区に官営の[[製材所]]があったが、[[明治]]20年代に入ると、水車川([[豊平川]]の支流、現在は消滅)を利用した[[水車小屋]]が作られるようになり、[[精米]]、[[製粉]]などのための動力源として活用されていた<ref name="chimei"/><ref name="michi"/><ref name="chiku1"/><ref name="naze31">『なぜなに 札幌の不思議100』p.31</ref>。また、同じ頃から、近隣の[[平岸]]・[[中の島 (札幌市)|中の島]]・[[旭町 (札幌市)|旭町]]とともに、[[リンゴ]]の栽培が本格的に行われ、多くの[[果樹園]]が作られた<ref name="chiku2">『郷土史豊平地区の140年』、52頁。</ref>。水車川は現在の水車町5丁目の難得神社の下手辺りで豊平川から分かれ、水車町公園の横を通り、南7条橋と[[豊平橋]]の中間辺りで再び豊平川に合流した<ref name="michi"/><ref name="chiku2"/>。 |
開拓時代にはこの地区に官営の[[製材所]]があったが、[[明治]]20年代に入ると、水車川([[豊平川]]の支流、現在は消滅)を利用した[[水車小屋]]が作られるようになり、[[精米]]、[[製粉]]などのための動力源として活用されていた<ref name="chimei"/><ref name="michi"/><ref name="chiku1"/><ref name="naze31">『なぜなに 札幌の不思議100』p.31</ref>。また、同じ頃から、近隣の[[平岸]]・[[中の島 (札幌市)|中の島]]・[[旭町 (札幌市)|旭町]]とともに、[[リンゴ]]の栽培が本格的に行われ、多くの[[果樹園]]が作られた<ref name="chiku2">『郷土史豊平地区の140年』、52頁。</ref>。水車川は現在の水車町5丁目の難得神社の下手辺りで豊平川から分かれ、水車町公園の横を通り、南7条橋と[[豊平橋]]の中間辺りで再び豊平川に合流した<ref name="michi"/><ref name="chiku2"/>。 |
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最盛期の[[大正]]初期には7、8軒の水車小屋があり、当時札幌市内に供給される米や粉の加工は、全てこの地域で行われていた<ref name="michi"/><ref name="chiku2"/>。だが、大正中期に[[電気]]の普及が始まると、水車の需要は激減し、[[1924年]]([[大正]]13年)までには、水車小屋は完全に姿を消した<ref name="michi"/><ref name="chiku2"/>。[[1962年]]([[昭和]]37年)に、[[南大橋]]が架設されて札幌市街との連絡が至便になると、住宅地化が進み、果樹園の数も減少していった<ref name="chimei/><ref name="chiku2"/>。水車川も家庭排水による汚染が進み、[[1973年]](昭和48年)に埋め立てられた<ref name="michi"/><ref name="chiku2"/>。かつての河道は[[遊歩道]]や[[サイクリングロード]]として残っている<ref name="michi"/><ref name="naze31" /><ref name="chiku2"/>。 |
最盛期の[[大正]]初期には7、8軒の水車小屋があり、当時札幌市内に供給される米や粉の加工は、全てこの地域で行われていた<ref name="michi"/><ref name="chiku2"/>。だが、大正中期に[[電気]]の普及が始まると、水車の需要は激減し、[[1924年]]([[大正]]13年)までには、水車小屋は完全に姿を消した<ref name="michi"/><ref name="chiku2"/>。[[1962年]]([[昭和]]37年)に、[[南大橋]]が架設されて札幌市街との連絡が至便になると、住宅地化が進み、果樹園の数も減少していった<ref name="chimei" /><ref name="chiku2"/>。水車川も家庭排水による汚染が進み、[[1973年]](昭和48年)に埋め立てられた<ref name="michi"/><ref name="chiku2"/>。かつての河道は[[遊歩道]]や[[サイクリングロード]]として残っている<ref name="michi"/><ref name="naze31" /><ref name="chiku2"/>。 |
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=== 行政区分 === |
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大正時代まで'''豊平'''○番地の名称であったが、昭和に入ると'''豊平'''8条~10条の各一部、'''豊平川岸'''1~9丁目となる<ref name="chimei/>。また、地域の住民には'''水車通り'''の通称でも呼ばれるようになった<ref name="chimei/>。 [[1950年]](昭和25年)に'''水車町'''1~13丁目となる<ref name="chimei/>。[[1979年]](昭和54年)[[1月29日]]の町名整理により9~13丁目が廃止され、改めて1~8丁目に再編されて現在に至る<ref name="chimei/>。 |
大正時代まで'''豊平'''○番地の名称であったが、昭和に入ると'''豊平'''8条~10条の各一部、'''豊平川岸'''1~9丁目となる<ref name="chimei" />。また、地域の住民には'''水車通り'''の通称でも呼ばれるようになった<ref name="chimei" />。 [[1950年]](昭和25年)に'''水車町'''1~13丁目となる<ref name="chimei" />。[[1979年]](昭和54年)[[1月29日]]の町名整理により9~13丁目が廃止され、改めて1~8丁目に再編されて現在に至る<ref name="chimei" />。 |
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== 主要道路 == |
== 主要道路 == |
2016年11月15日 (火) 14:33時点における版
水車町(すいしゃちょう/Suishacho)は、北海道札幌市豊平区にある地名。水車町1丁目から8丁目まであり[1]、郵便番号は062-0912。かつては水車通りと呼ばれた[1][2][3]。
地理
南北800m×東西200mで、ほぼ長方形の町域になっており、おもに住宅地である。
札幌市が定める読み方は「すいしゃちょう」であるが、地元住民の間では「すいしゃまち」と呼ばれることが一般的である[4]。日本国内には同じ地名は存在せず、類似の例も京都市左京区の「上高野水車町」のみである[4](ただし地名に「水車」が含まれるケースは、北海道留萌市の「水車の沢」、兵庫県神戸市の「水車新田」など、全国各地に数多く存在する[5])。
歴史
「豊平の歴史」も参照。
開拓時代にはこの地区に官営の製材所があったが、明治20年代に入ると、水車川(豊平川の支流、現在は消滅)を利用した水車小屋が作られるようになり、精米、製粉などのための動力源として活用されていた[1][2][3][6]。また、同じ頃から、近隣の平岸・中の島・旭町とともに、リンゴの栽培が本格的に行われ、多くの果樹園が作られた[7]。水車川は現在の水車町5丁目の難得神社の下手辺りで豊平川から分かれ、水車町公園の横を通り、南7条橋と豊平橋の中間辺りで再び豊平川に合流した[2][7]。
最盛期の大正初期には7、8軒の水車小屋があり、当時札幌市内に供給される米や粉の加工は、全てこの地域で行われていた[2][7]。だが、大正中期に電気の普及が始まると、水車の需要は激減し、1924年(大正13年)までには、水車小屋は完全に姿を消した[2][7]。1962年(昭和37年)に、南大橋が架設されて札幌市街との連絡が至便になると、住宅地化が進み、果樹園の数も減少していった[1][7]。水車川も家庭排水による汚染が進み、1973年(昭和48年)に埋め立てられた[2][7]。かつての河道は遊歩道やサイクリングロードとして残っている[2][6][7]。
行政区分
大正時代まで豊平○番地の名称であったが、昭和に入ると豊平8条~10条の各一部、豊平川岸1~9丁目となる[1]。また、地域の住民には水車通りの通称でも呼ばれるようになった[1]。 1950年(昭和25年)に水車町1~13丁目となる[1]。1979年(昭和54年)1月29日の町名整理により9~13丁目が廃止され、改めて1~8丁目に再編されて現在に至る[1]。
主要道路
施設
- 札幌市立旭小学校(水車町3丁目)
- 札幌市旭小ミニ児童会館(水車町3丁目、旭小学校内)
- 水車町公園(水車町1丁目)
- 旭水会館(水車町6丁目)
- 豊平川神社(水車町6丁目、旭水会館内)
- 難得神社(水車町5丁目)
- イワクラホーム
周辺
交通機関
脚注
- ^ a b c d e f g h 『角川日本地名大辞典 北海道編・上巻』、764頁。
- ^ a b c d e f g 『読売新聞北海道版』 1978年10月22日付
- ^ a b 『郷土史豊平地区の140年』、51頁。
- ^ a b 『なぜなに 札幌の不思議100』p.30
- ^ 『新日本地名索引』、960頁。
- ^ a b 『なぜなに 札幌の不思議100』p.31
- ^ a b c d e f g 『郷土史豊平地区の140年』、52頁。
参考文献
- 『角川日本地名大辞典 1 北海道』
- 『読売新聞北海道版』 1978年10月22日付「北海道の道 - 札幌・水車通り」
- 枝元政雄編『郷土史豊平地区の140年 1857-1997』豊平地区郷土史発行委員会
- 金井弘夫編『新日本地名索引』アボック社出版局
- 荒井宏明「路地裏のなぜなに (12) くねくね遊歩道の謎」、『なぜなに 札幌の不思議100』北海道新聞社、2012年2月28日、pp.30 - 31。ISBN 978-4-89453-583-1
外部リンク
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水車町 | ||||
平岸 |