「小熊慎司」の版間の差分
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2016年11月13日 (日) 03:34時点における版
小熊 慎司 おぐま しんじ | |
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生年月日 | 1968年6月16日(56歳) |
出生地 | 福島県 |
出身校 | 専修大学法学部 |
前職 |
新井将敬衆議院議員秘書 斎藤文昭衆議院議員秘書 |
所属政党 |
(自由民主党→) (みんなの党→) (日本維新の会→) (維新の党→) (無所属→) (改革結集の会→) 民進党(野田グループ) |
称号 | 法学士 |
公式サイト | おぐましんじ 公式サイト |
選挙区 |
(比例東北ブロック→) 福島4区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2012年12月21日[1] - 現職 |
選挙区 | 比例区 |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 2010年7月26日 - 2012年12月4日 |
選挙区 | 会津若松市選挙区 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 2003年 - 2009年 |
会津若松市議会議員 | |
当選回数 | 1回 |
在任期間 | 1999年 - 2003年 |
小熊 慎司(おぐま しんじ、1968年6月16日 - )は、日本の政治家。民進党所属の衆議院議員(2期)。元改革結集の会幹事長。
参議院議員(1期)、福島県議会議員(2期)、会津若松市議会議員(1期)を務めた。
来歴
福島県出身。福島県立会津高等学校卒業後、専修大学法学部に入学。大学在学中より新井将敬衆議院議員事務所の学生スタッフを務める。1992年3月、専修大学法学部卒業。同年4月より新井将敬衆議院議員秘書、1993年に斎藤文昭衆議院議員の秘書に転じる[2]。
1999年、会津若松市議会議員選挙に出馬し、初当選した。2003年、福島県議会議員選挙に自由民主党公認で会津若松市選挙区から出馬し、当選。2007年、福島県議会議員に再選[2]。2009年、福島県議会議員を辞職し、みんなの党に入党するため自由民主党を離党した[3]。2009年、第45回衆議院議員総選挙にみんなの党公認で福島4区から出馬したが、民主党前職の渡部恒三、自民党前職の渡部篤の後塵を拝し、得票数3位で比例復活もならず、落選。2010年、第22回参議院議員通常選挙にみんなの党公認で比例区から出馬し、当選した。
2012年9月、日本維新の会に参加するため、みんなの党に離党届を提出[4][5]。9月28日の日本維新の会結党に参加したが、みんなの党に提出した離党届は受理されず、11月に除籍処分が下った[6]。同年12月の第46回衆議院議員総選挙に日本維新の会公認で福島4区から出馬し、自民党新人の菅家一郎に2万票超の差で敗れたが[7]、重複立候補していた比例東北ブロックで復活し、当選した。
2014年7月、日本維新の会の分党に際しては橋下徹大阪市長による新党結成を目指すグループに参加[8]。分党後の日本維新の会では、国会議員団国会対策委員長代理に起用される。同年9月、結いの党・日本維新の会の合流により維新の党の結党に参加。同年12月の第47回衆議院議員総選挙では、維新の党公認で福島4区から出馬。選挙協力により民主党の玄葉光一郎衆議院議員や、かつて福島4区選出の代議士であった渡部恒三の支援も受け[9]、前回敗れた自民党前職の菅家一郎を416票差で破り[10]再選。
2015年10月22日、維新の党に離党届を提出し、27日に離党が了承された[11][12]。11月18日、離党した村岡敏英、重徳和彦、小沢鋭仁ら3名と日本を元気にする会の山田太郎と共に、政治団体「草莽の会」の結成を総務省に届け出た[13]。12月9日、村岡、小熊、重徳、小沢の4名で衆議院内に会派「改革結集の会」を結成した[14]。12月21日、同じく離党組の鈴木義弘とともに政党「改革結集の会」の結党に参加し[15]、党幹事長に就任した[16]。
2016年3月22日、民主党の枝野幸男幹事長と改革結集の会の村岡敏英代表が会談。同党の所属議員5名のうち村岡、小熊、重徳、鈴木の4名は民進党に合流する方針が決まった[17]。3月27日、民進党の結成大会が都内で開かれ、民進党に入党[18][19]。
政策・主張
- 2011年、東日本大震災の復興補正予算が議論される中、復興予算捻出のためのODA削減に反対する超党派の議員連盟に参加した[20][21]。
- 日本国憲法の改正、集団的自衛権の行使を禁じた内閣法制局の憲法解釈の見直しに賛成[22]。
- 女性宮家の創設に反対[22]。
- 日本の環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)参加に賛成[22]。
- 選択的夫婦別姓制度の導入にどちらかというと反対[23]。
発言
- 2012年6月24日、福島県会津若松市で開いた国政報告会において、福島県産の物品の風評被害対策の必要性について言及した際、「『水俣湾の刺し身です』と言われたら、『相模湾』と言われるよりドキッとするのが人間の心情」と発言した。その後「水俣病患者らとの間で苦しみを共有することで福島県への偏見や誤解を解きたいとの思いからだったが、水俣の人達に対し失礼な表現だった」として謝罪した[24]。
所属団体・議員連盟
- イクメン議員連盟(事務局長代理)
論文
脚注
- ^ 平成24年(2012年)12月21日中央選挙管理会告示第37号(平成二十四年十二月十六日執行の衆議院比例代表選出議員の選挙における衆議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件)
- ^ a b プロフィール|衆議院議員 小熊慎司
- ^ “小熊県議が19日に議員辞職願を提出”. 福島民友新聞. (2009年6月17日) 2009年6月17日閲覧。
- ^ “小熊氏、維新合流へ きょう除名願い提出し、みんなの党離党へ”. 福島民報. (2012年9月11日) 2012年10月24日閲覧。
- ^ “維新合流へ離党届 「みんな」小熊氏ら7議員”. 福島民友新聞. (2012年9月12日) 2012年10月24日閲覧。
- ^ みんな、小熊氏を除籍【12衆院選】 - ウォール・ストリート・ジャーナル 2012年11月24日
- ^ “福島 小選挙区:開票結果:総選挙2012:衆院選:選挙”. 読売新聞 2016年1月23日閲覧。
- ^ “日本維新の会分党 「石原新党」に23人”. ハフィントンポスト. (2014年6月6日) 2015年4月26日閲覧。
- ^ “<衆院選>「黄門様」維新候補を支援 福島4区”. 河北新報. (2014年12月6日) 2015年4月26日閲覧。
- ^ “福島 - 開票速報 - 2014衆院選”. 朝日新聞 2016年1月23日閲覧。
- ^ “小熊慎司氏ら維新離党届「原点に返り政治を」”. 福島民友新聞. (2015年10月23日) 2015年12月27日閲覧。
- ^ “維新、中間派4人が離党届 下地氏らは橋下新党参加へ”. 東京新聞. (2015年10月22日) 2015年11月5日閲覧。
- ^ “維新離党組が政治団体”. 朝日新聞. (2015年11月19日) 2016年3月29日閲覧。
- ^ “衆院会派「おおさか維新の会」など結成”. 日本経済新聞. (2015年12月9日) 2016年3月30日閲覧。
- ^ “小沢元環境相ら新党結成 5人で「改革結集の会」”. 東京新聞. (2015年12月21日) 2015年12月27日閲覧。
- ^ “元維新の5人が新党「改革結集の会」結成”. 産経新聞. (2015年12月21日) 2015年12月27日閲覧。
- ^ “改革結集の4氏、民進党に参加へ 村岡代表ら”. 日本経済新聞. (2016年3月22日) 2016年3月29日閲覧。
- ^ “民進党が結成大会 衆参156人、代表に岡田克也氏選出”. 朝日新聞. (2016年3月27日) 2016年3月29日閲覧。
- ^ 小熊慎司 - 民進党
- ^ 超党派議員がODA削減反対で一致 政府に申し入れへ
- ^ 平成23年4月14日第一次補正予算におけるODA削減に関する勉強会
- ^ a b c “2012衆院選 福島4区 小熊慎司”. 毎日jp (毎日新聞社) 2014年12月19日閲覧。
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査、2014年。
- ^ 「水俣の刺し身、どきっとするのが心情」 小熊参院議員 朝日新聞 2012年6月24日
外部リンク
- おぐましんじ 公式サイト
- 小熊慎司 (@oguma_shinji) - X(旧Twitter)
党職 | ||
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先代 (創設) |
改革結集の会幹事長 初代:2015年 - 2016年 |
次代 (廃止) |