「ジミー・ウェッブ」の版間の差分
→経歴: added photograph |
|||
187行目: | 187行目: | ||
[[Category:存命人物]] |
[[Category:存命人物]] |
||
[[Category:オクラホマ州の人物]] |
[[Category:オクラホマ州の人物]] |
||
[[Category:アメリカ合衆国のシンガーソングライター]] |
[[Category:アメリカ合衆国の男性シンガーソングライター]] |
||
[[Category:グラミー賞受賞者]] |
[[Category:グラミー賞受賞者]] |
||
[[Category:アメリカ合衆国の作曲家]] |
[[Category:アメリカ合衆国の作曲家]] |
2016年11月12日 (土) 02:15時点における版
ジミー・ウェッブ(本名ジェームズ・レイン・ウェッブ[1]、James Layne "Jimmy" Webb 1946年8月15日 - )は、アメリカ合衆国のソングライター、歌手。
1986年にソングライターの殿堂入り。放送音楽協会(BMI)によると彼の「恋はフェニックス(By the Time I Get to Phoenix)」は1940年から1990年までの放送頻度が世界3位。[2] 作曲・作詞・オーケストレーションの三つの部門でグラミー賞を受賞した唯一の人物。[2]
経歴
1946年オクラホマ州のエルク市生まれ。[1]父はバプテスト派の牧師だった。母親の励ましでピアノとオルガンを習い、12歳の頃には父親の教会でオルガンを演奏。父がギター、母がアコーデオンで伴奏した。[3]保守的で宗教的な家庭だったのでカントリー音楽・白人ゴスペル音楽をラジオで聴くことを禁じられていた。
1950年代後半、音楽にめざめ、しばしば即興演奏し、讃美歌の変奏曲を演奏した。[3]この時期 宗教歌を書くが、[3]ラジオできいたエルヴィス・プレスリーなどに影響された。1961年,14歳で初めてのレコード「Turn Around, Look at Me」(グレン・キャンベル)を買い、独特な声に引き込まれた。 [4]1964年、家族で南カリフォルニアに引っ越し。大学で音楽を専攻。
1965年に母が亡くなり、父はオクラホマに帰ることにする。ウェッブはカリフォルニアに残り、音楽の勉強を続け、ロサンゼルスでソングライターのキャリアを模索した。
父はウェッブの野望をとがめ、「歌を書くなんてお前、心がこわれてしまうぞ」と警告したが、ウェッブの決心が固いのを見、40ドルをわたし、「多くないが、これだけしかないんだ」と言ったと、ウェッブは後年回想している。[4]
小さな音楽出版社でひとの音楽をアレンジする仕事をしたあと、モータウン・レコードの出版社ジョベッタ・ミュージックと作曲契約。
ウェッブ作品初の商業レコーディングはシュープリームスの「My Christmas Tree」だった。彼女たちの1965年アルバム『Merry Christmas』におさめられた。
翌1966年、歌手・プロデューサーのジョニー・リヴァースと出会う。リヴァースはウェッブと出版契約を結び、「By the Time I Get to Phoenix」を1966年のアルバム『Changes』で録音。[5]
ブレイク
1967年、リヴァースは新グループ・フィフス・ディメンションのための曲をウェッブに依頼。彼らのデビュー作『Up, Up and Away』に5曲提供。タイトル曲「ビートでジャンプ(Up, Up and Away)」はトップ10になった。セカンド・アルバム『The Magic Garden』も1967年に発売。ウェッブ作品は「The Worst That Could Happen」を含む11曲だった。[5]
1967年11月、グレン・キャンベルは「恋はフェニックス」をカバー、26位になり、すぐにポップ・スタンダードになった。[6] 1967年のグラミー賞で「Up, Up and Away」は主要二部門(「レコード・オブ・ザ・イヤー」と「ソング・オブ・ザ・イヤー」)を受賞。「Up, Up and Away」と「By the Time I Get to Phoenix」あわせて8つのグラミー受賞となった。
成功はジレンマとなった。洗練されたメロディーと編曲は大衆に愛されたが、彼はカウンター・カルチャーのサウンドに惹かれており、急速に時代との同調性をなくしていく。[6]
1968年タイム誌はウェッブ特集を組み「多様なリズム・構造の工夫・豊かなハーモニー」と書いた。[2]
同年もフィフス・ディメンションの成功は続き、「ペイパー・カップ」と「カーペット・マン」がトップ40入り。
グレン・キャンベルは「ウィチタ・ラインマン」をミリオンにし、en:Johnny Maestro & The Brooklyn Bridgeは「The Worst That Could Happen」をゴールド(50万枚)にした。後者は元はフィフス・ディメンションが録音していた。[6]
独立
ウェッブは自身の事務所と出版社Canopyを設立。
最初の作品はアイルランド系俳優リチャード・ハリスがウェッブ作品だけを歌ったアルバムで、ヒットした。収録曲の「マッカーサー・パーク」は長く複雑な作品で、複数の楽章からなっており、アソシエイションが演奏するのを拒否した。同曲の7分21秒のハリスのバージョンは1968年6月22日に二位になる。
ハリスのアルバム『A Tramp Shining』は一年間ほどチャート上にあった。二人の次のアルバム『The Yard Went On Forever』も成功した。1968年のグラミー賞で「By the Time I Get to Phoenix」「Wichita Lineman」「MacArthur Park」で受賞。[6]1969年グレン・キャンベルはゴールド・アルバム『Galveston』と『Where's the Playground Susie』でウェッブ作品を歌った。
キャンベルとはGMのCM曲制作中に初対面。その際、ビートルズのような長髪のウェッブから挨拶を受けたキャンベルは、ギターから顔を上げ、ウェッブに向かって「髪を切れ」と言った。[4]
1969年、アイザック・ヘイズが「恋はフェニックス」を、ウェイロン・ジェニングスが「MacArthur Park」をカバーし、後者はグラミー奪取。年の暮れにテルマ・ヒューストンのデビュー作『Sunshower』の作曲・編曲・録音をした。[5]
1960年代が去り、ウェッブのヒット曲の波もやんだ。かつての方程式に沿ったやり方から離れ実験を始めた。ブロードウェイで半自伝的ミュージカル『His Own Dark City』を興行。この作品は彼が当時感じていた疎外感を表現している。映画『水色のビキニのマドモアゼル』や映画『夕陽に向って走れ』に曲を書いた。[6]
代表作
- 「ビートでジャンプ」 Up, Up and Away - フィフス・ディメンションの1967年5月のシングル。全米7位。
- 「恋はフェニックス」 By the Time I Get to Phoenix - グレン・キャンベルが1967年10月にカバー。全米26位。ビルボード・カントリー・チャート2位。
- 「ウィチタ・ラインマン」 Wichita Lineman - グレン・キャンベルの1968年10月のシングル。全米3位。ビルボード・カントリー・チャート1位。
- 「ガルベストン」 Galveston - グレン・キャンベルの1969年2月のシングル。全米4位。ビルボード・カントリー・チャート1位。
- 「マッカーサー・パーク」 MacArthur Park - リチャード・ハリスの1968年4月のシングル。全米2位。全英シングルチャート4位。
- 「The Worst That Could Happen」 - ブルックリン・ブリッジの1968年のシングル。全米3位。
- 「友に捧げる讃歌」 All I Know - アート・ガーファンクルの1973年のシングル。全米9位。ビルボード・イージーリスニング・チャート1位。
その他、スプリームス、フランク・シナトラ、テルマ・ヒューストン、テンプテーションズ、バーブラ・ストライサンド、ジョー・コッカー、ジュディ・コリンズ、ドナ・サマー、リンダ・ロンシュタット、アメリカ、エイミー・グラント、ジョン・デンバー、マイケル・ファインスタイン、ローズマリー・クルーニー、R.E.M.、カーリー・サイモンらがウェッブの作品を歌った[3][7]。
シンガーソングライターとして
アルバム『Jim Webb Sings Jim Webb』でエピック・レコードから1968年にデビュー。ウェッブいわく、「あれは古いデモ音源からかけらをかき集めて『マッカーサー・パーク』みたいに飾り立てただけのもの」。[8]
1970年以降,ウェッブは『Words and Music』(1970)『And So: On』 (1971)『Letters』 (1972)『Land's End』 (1974)『El Mirage』(1977)『Angel Heart』(1982)の6枚のアルバムをリリースした。批評家は称賛したが、あまり売れなかった。が、工夫ある曲と覚えられる詞を持っていた。[4]
- 『Words and Music』はReprise Recordsで1970年発表。Rolling Stone誌のジョン・ランドーはシングル・カット"P.F. Sloan"を「傑作。改良の余地なし」と書いた。歌の三部作『作られなかった映画のための音楽』を収録。
- 1971年の『And So: On』は前作同様批評家に受けた。
- ローリング・ストーン評:「アメリカの専業主婦の心を歌ったもの。彼が同時代の作曲家のうち最前線に立っていることがわかる」。
- 民衆のうわさに上った/ている収録曲は"Met Her on a Plane", "All My Love's Laughter","Marionette"など。[9]
- 1972年作『Letters』で"Galveston"をセルフ・カバー。称賛された。
- 1974年作『Land's End』はアサイラム・レコード発売。イギリス録音でジョニ・ミッチェル,リンゴ・スター,Nigel Olssonなどが参加。[11]アルバムを通して「愛の混乱というテーマの持続がある」。[11]本人いわく「まだ歌手としての本分が分からなかった」。[11]花形収録曲は"Ocean in His Eyes", "Just This One Time","Crying in My Sleep"など。
- 1977年『El Mirage』をアトランティック・レコードで発表。
- ジョージ・マーティンが制作。[12]
- 収録曲『The Highwayman』は後にウェイロン・ジェニングス, ウィリー・ネルソン, ジョニー・キャッシュ,クリス・クリストファーソンの四人組でカントリー一位になりグラミー受賞。[12]
- "If You See Me Getting Smaller I'm Leaving"は"P.F. Sloan"のセルフカバーで、"The Moon Is a Harsh Mistress"はジョー・コッカー, グレン・キャンベル,ジュディ・コリンズが歌っていたもののカバー。[12]
- このアルバムですらあまり売れなかった。[12]
1980年代以降
- 1982年作『エンジェル・ハート』はLorimarレコード発売。一流セッションマンが参加。ジェリー・ベックリー、マイケル・マクドナルド、グラハム・ナッシュ、ケニー・ロギンス、ダリル・ホール、スティーブン・ビショップがゲストボーカルでハーモニーに参加。[13]収録曲『Scissors Cut』と『In Cars』は以前にアート・ガーファンクルに提供していたもので、アルバムの批評家受けは悪かった。[13]
- 1992年にミュージカルInstant Intimacyを完成。収録曲"What Does a Woman See in a Man", "I Don't Know How to Love You Anymore","Is There Love After You"は後にカバーされた。ライブで古い民謡讃美歌"I Will Arise"を歌った。
- 1994年ナンシー・グリフィスと組んで『If These Old Walls Could Speak』をエイズ・チャリティーCD『Red Hot + Country』に提供。
- 1997年カーリー・サイモンのアルバム『フィルム・ノワール』を共同制作。サイモンの2008年作『This Kind of Love』にも参加。
ソロ活動
1993年以降に出したアルバムは『Suspending Disbelief』 (1993), 『Ten Easy Pieces』 (1996), 『Twilight of the Renegades』(2005), 『Just Across the River』(2010),『Still Within the Sound of My Voice』(2013)の5枚である。
ミュージカル・CM・ジングル・映画のスコアも担当している。
1998年、最初の著作『Tunesmith: Inside the Art of Songwriting』を出版。ベストセラーとなり[14]、「真剣なソングライターの友。何度も読むべし」と評価された[15]。
2000年代、ウェッブはキリスト教の信仰に戻ったことを明かし、「神なしでは一曲も書けなかったろう。少しでも意味のあるものを書こうと思ったら、神とともに曲に入り込まなくてはいけない」と話している[16]。
受賞
- 1967 グラミー賞「ソング・オブ・ザ・イヤー」受賞(ビートでジャンプ)
- 1969 オクラホマ・バプティスト大学 の友愛会en:Phi Mu Alpha Sinfoniaの Pi Tau Chapterの名誉会員に選ばれる。
- 1986 グラミー賞「ベスト・カントリー・ソング」受賞("Highwayman")
- 1986 National Academy of Popular Music Songwriter's Hall of Fame inductee
- 1990 Nashville Songwriters Hall of Fame inductee
- 1993 National Academy of Songwriters Lifetime Achievement Award
- 1999 オクラホマ名誉の殿堂入り。
- 1999 ASCAP Board of Directors member (2009年6月 現在[update])
- 2000 Songwriters Hall of Fame Board of Directors member
- 2003 ソングライターの殿堂の最高栄誉賞「ジョニー・マーサー賞」受賞
- 2006 ASCAP "Voice of Music" Award
- 2012 Ivor Novello Special International Award
盤歴
自作アルバム
- Jim Webb Sings Jim Webb(1968)
- Words and Music (1970)
- en:And So: On (1971)
- Letters (1972)
- Land's End (1974)
- El Mirage (1977)
- Angel Heart (1982)
- en:Suspending Disbelief (1993)
- en:Ten Easy Pieces (1996)
- en:Twilight of the Renegades (2005)
- en:Live and at Large (2007)
- en:Just Across the River (2010)
- Still Within the Sound of My Voice (2013)
参加アルバム
- ビートでジャンプ Up, Up, and Away (1966) - フィフス・ディメンション
- マジック・ガーデン The Magic Garden (1967) - フィフス・ディメンション
- Rewind (1967) - ジョニー・リバース
- A Tramp Shining (1968) - リチャード・ハリス
- The Yard Went On Forever (1968) - リチャード・ハリス
- Sunshower (1969) - テルマ・ヒューストン
- The Supremes Produced and Arranged by Jimmy Webb (1972) - スプリームス
- Reunion: The Songs of Jimmy Webb (1974) - グレン・キャンベル
- アースバウンド Earthbound (1975) - フィフス・ディメンション
- Live at the Royal Festival Hall (1977) - グレン・キャンベル
- ウォーターマーク (1977) - アート・ガーファンクル
- Breakwater Cat (1980) - テルマ・ヒューストン
- The Last Unicorn (1982) - アメリカ
- アニマルズ・クリスマス (1986) - アート・ガーファンクル、エイミー・グラント
- Light Years (1988) - グレン・キャンベル
- Cry Like a Rainstorm (1989) - リンダ・ロンシュタット
- Film Noir (1997) - カーリー・サイモン
- Only One Life: The Songs of Jimmy Webb (2003) - マイケル・ファインスタイン
- This Kind of Love (2008) - カーリー・サイモン
- Cottonwood Farm (2009) - ジミー・ウェッブ & The Webb Brothers
- Glen Campbell and Jimmy Webb: In Session (2012) - グレン・キャンベル、ジミー・ウェッブ
編集盤
- Tribute to Burt Bacharach and Jim Webb (1972)
- Archive (1994)
- And Someone Left the Cake Out in the Rain... (1998)
- Reunited with Jimmy Webb 1974–1988 (1999)
- Tunesmith: The Songs of Jimmy Webb (2003)
- The Moon's a Harsh Mistress: Jimmy Webb in the Seventies (2004) (limited edition box set, including Live at the Royal Albert Hall from 1972)
- Archive & Live (2005) (including Live at the Royal Albert Hall from 1972)
参照
- ^ a b Heisch, Melvena Thurman. “James Layne Webb”. Oklahoma Historical Society. December 1, 2013閲覧。
- ^ a b c “Jimmy Webb Biography”. Songwriters Hall of Fame. December 1, 2013閲覧。
- ^ a b c d Eder, Bruce. “Jimmy Webb Biography”. AllMusic. December 1, 2013閲覧。
- ^ a b c d e Shane, Ken (April 2006). “Words and Music: Jimmy Webb”. Thrive (Community Media) 1 (12) May 18, 2012閲覧。
- ^ a b c “Jimmy Webb Discography”. An Unofficial Jimmy Webb Homepage. October 12, 2011閲覧。
- ^ a b c d e “Jimmy Webb Biography”. musiciansguide.com. May 17, 2010閲覧。
- ^ “Jimmy Webb Writing & Arrangement Credits”. Discogs. December 1, 2013閲覧。
- ^ Torn, Luke (2004年). “Interview: Jimmy Webb”. Uncut. November 22, 2009閲覧。
- ^ Ruhlmann, William. “And So: On”. AllMusic. October 25, 2012閲覧。
- ^ a b Eder, Bruce. “Letters”. AllMusic. December 1, 2013閲覧。
- ^ a b c Eder, Bruce. “Land's End”. AllMusic. December 1, 2013閲覧。
- ^ a b c d Ruhlmann, William. “El Mirage”. AllMusic. December 1, 2013閲覧。
- ^ a b Ruhlmann, William. “Angel Heart”. AllMusic. December 1, 2013閲覧。
- ^ Webb, Jimmy. Tunesmith: Inside the Art of Songwriting October 29, 2011閲覧。
- ^ Carlton, Jace. “Book Review”. The Songwriter's Connection, July 2000. October 29, 2011閲覧。
- ^ Bovey, Nigel (October 7, 2007). “I'm a bit like the Prodigal Son” (PDF). The War Cry (The Salvation Army): p. 5 May 18, 20067閲覧。