コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

マッカーサー・パーク (曲)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
「マッカーサー・パーク」
リチャード・ハリスシングル
初出アルバム『ア・トランプ・シャイニング
リリース
ジャンル ポピュラー音楽オーケストラ・ポップ
時間
レーベル ダンヒル・レコード
作詞・作曲 ジミー・ウェッブ
プロデュース ジミー・ウェッブ
チャート最高順位
  • 2位(アメリカ)
  • 4位(イギリス)
リチャード・ハリス シングル 年表
Here in My Heart
(1963年)
MacArthur Park
(1968年)
The Yard Went on Forever
(1968年)
テンプレートを表示

マッカーサー・パーク」(MacArthur Park)は、アメリカのシンガーソングライターであるジミー・ウェッブによって書かれた曲で、1968年アイルランド出身の俳優・歌手、リチャード・ハリスが歌った最初のバージョンが全米2位・全英4位を記録。1978年ドナ・サマーが全米1位を記録したディスコバージョンなど、数多くのアーティストによってカバーされている。

概要

[編集]

「マッカーサー・パーク」は、1967年の夏から秋にかけて当時21歳のジミー・ウェッブによって作詞・作曲された。

この曲は、1965年にウェッブが交際していたガールフレンドのスーザン・ホートンとの関係そして離別が題材になっている。ロサンゼルスのマッカーサー公園は、彼女が勤めていた会社の事務所の向かいにあり、二人がときどき昼食のために会い、ともに楽しい時間を過ごした場所だった[1]2014年10月のNewsdayのインタビューにおいて、ウェッブは次のように説明している。

歌詞に出てくるものはすべて目にしたものであり、創作ではない。木のそばでチェッカーをしている老人たち、雨の中に放置されていたケーキ、曲の中で語られているあらゆるものは実際に私が見たものばかりだ。だからこれは、マッカーサー公園で起きていた恋愛を総括したある種の音楽的なコラージュといえる。(中略)曲を書いているとき、私は感情的な機械のようになって、自分の中に湧き上がってきたものがピアノを介して譜面に飛び込んできた。[2]

1967年の秋、フィフス・ディメンションのセカンドアルバム『マジック・ガーデン』の制作に携わっていたウェッブは、当初「カンタータ(Cantata)」と呼んでいた本曲をアソシエイションに歌ってもらおうと、フィフス・ディメンションとアソシエイションのプロデューサーだったボーンズ・ハウに話を持ち掛けた。ハウはこの曲を気に入り、ウェッブはアソシエイションのメンバーの前でこの曲を披露したが、自分たちの書いた曲以外はレコーディングしたくないと考えていたメンバーたちによってこの提案は却下された[1][3]

その後、ロサンゼルスで開催されていたイベントでピアノを演奏していたウェッブは、映画『キャメロット』で主役のアーサー王を演じていたアイルランド出身の俳優リチャード・ハリスと出会う。二人は意気投合し、その際にハリスがウェッブに対してレコード制作の協力を依頼した。ウェッブはそのことを真剣に受け止めていなかったが、その数週間後、イギリスに帰国していたハリスから「ロンドンへ来てくれ。一緒にレコードを作ろう」という電報を受け取り、ウェッブはロンドンに向かうことになった。ロンドンでは、ハリスがどのような曲を歌いたいのか、ウェッブはハリスの前で自作の楽曲を次々とピアノで演奏してみせたものの、ハリスが気に入るものはなかった。困り果てたウェッブが最終的にハリスに提示した曲が「カンタータ」だった。この曲を聞いたハリスはピアノを叩き、「気に入った。この曲をヒットさせてみせる」と叫んだ[1][3][4]

帰国したウェッブは、ハリウッドのサウンド・レコーダーズ・スタジオにハル・ブレイン(ドラムス)をはじめとするレッキング・クルーのメンバーを集めてベーシックトラックのレコーディングを行った。ハープシコードの演奏はウェッブ自身によるものである。ハリスのボーカルはロンドンのスタジオで録音された[3][4]

「マッカーサー・パーク」というタイトルが付いたこの曲は、ポップスの楽曲といえば2~3分が標準だった時代に7分21秒という長さ、難解な歌詞、音楽的に複雑な構成、そしてハリスのボーカリストとしての実績がなかったため、レコード会社に売り込みにくい曲だった。実際、いくつかのレーベルに断わられている。最終的には、ダンヒル・レコードルー・アドラーがシングルとアルバムの制作に同意し、「マッカーサー・パーク」はアルバムに先駆けて1968年4月にリリースされた[5]

全米チャートにおいて1968年5月11日付で79位に初登場し、6月22日付で最高2位を記録した(この週の1位は、ハーブ・アルパートの「ディス・ガイ」)[6][7]。全英チャートでは最高4位(2週)を記録[8]。翌1969年には第11回グラミー賞最優秀アレンジメント・インストゥルメンタル・アンド・ボーカル賞を受賞した。

ジョージ・マーティンは、「マッカーサー・パーク」の影響でビートルズの「ヘイ・ジュード」は7分を超える作品になった、とウェッブに語っている[4]

カバー・バージョン

[編集]

ドナ・サマーによるカバー

[編集]
「マッカーサー・パーク」
ドナ・サマーシングル
初出アルバム『ベスト・オブ・ドナ・サマー~ライブ・アンド・モア
リリース
ジャンル ディスコ
時間
レーベル カサブランカ・レコード
作詞・作曲 ジミー・ウェッブ
プロデュース ジョルジオ・モロダー、ピート・ベロッテ
チャート最高順位
ドナ・サマー シングル 年表
Je t'aime... moi non plus
(1978年)
MacArthur Park
(1978年)
Heaven Knows
(1978年)
テンプレートを表示

1978年9月、アメリカの歌手ドナ・サマーは、ジョルジオ・モロダーピート・ベロッテ英語版のプロデュースによる「マッカーサー・パーク」のディスコバージョンをシングルでリリースし、全米チャートにおいて同年11月11日から3週間にわたって1位を記録した[9]。彼女は、この曲で第21回グラミー賞の最優秀女性ポップボーカルパフォーマンス賞にノミネートされた。また、この曲が収録されたアルバム『Live and More(邦題:ベスト・オブ・ドナ・サマー~ライヴ・アンド・モア)』はアメリカン・ミュージック・アワードの最優秀ディスコアルバム賞を受賞した。

その他のアーティストによるカバー

[編集]

出典

[編集]
  1. ^ a b c Jimmy Webb (2017). The Cake and The Rain. St. Martin’s Press. ISBN 978-1-250-05841-6 
  2. ^ Fallick, Alan H. (2014年10月8日). “Jimmy Webb discusses famous lyrics in 'MacArthur Park'” (英語). Newsday. 2024年11月29日閲覧。
  3. ^ a b c ケント・ハートマン『レッキング・クルーのいい仕事―ロック・アンド・ロール黄金時代を支えた職人たち』Pヴァイン・ブックス、2012年。ISBN 978-4-906700-59-2 
  4. ^ a b c Simpson, Dave (2013年11月11日). “How we made MacArthur Park” (英語). 2024年11月29日閲覧。
  5. ^ Doyle, Jack (2020年6月7日). “MacArthur Park…And Jimmy Webb” (英語). 2024年11月29日閲覧。
  6. ^ Billboard Hot 100 - Week of May 11, 1968
  7. ^ Billboard Hot 100 - Week of June 22, 1968
  8. ^ officialcharts.com - MacArthur Park by Richard Harris
  9. ^ Billboard Hot 100 - Donna Summer
先代
アン・マレー
「辛い別れ」
Billboard Hot 100 ナンバーワン・シングル
(ドナ・サマー・バージョン)

1978年11月11日 - 11月25日(3週)
次代
バーブラ・ストライサンド & ニール・ダイアモンド
「愛のたそがれ」