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2016年11月11日 (金) 03:06時点における版
芦野 宏(あしの ひろし、1924年6月18日 - 2012年2月4日)は、日本のシャンソン歌手、声楽家。本名:羽鳥廣。
人物
1924年6月18日、山形県村山市出身。東京音楽学校(現・東京芸術大学)声楽科卒業後、高等学校の音楽教師を経てシャンソン歌手に転向。1953年に『虹のしらべ』(NHKラジオ第一放送)に出演してデビューを果たす。
1956年に渡欧し、フランス・パリのオランピア劇場にアジア人として初出演を果たし、1960年にはフランス国営放送(RTF)のテレビ番組にてワンマンライブショーを行った。
日本に於ける1950年代後半から1960年代前半にかけてのシャンソン・ブームの立役者のひとりでもあり、『NHK紅白歌合戦』には1955年から10年連続出場を果たしている(詳細は下記参照)。
また、俳優としてもテレビドラマ『コメットさん』(1967年、TBS・国際放映)や映画『天使の誘惑』(1968年、松竹)に出演している。
1995年に私財を投じて日本シャンソン館を群馬県渋川市に開設し、自ら館長としてシャンソンに関する資料収集や展示、又はミニライブなどのイベントを積極的に進め、また、2010年7月には石井好子の後を受けて第2代日本シャンソン協会会長に就任し、後進の育成と指導、そして現役歌手としての音楽活動も行っていた。
2012年1月15日、日本シャンソン館で「愛は燃えている」「パリに抱かれて」の2曲を披露。同1月18日に体調を崩して入院。そして、同2月4日、間質性肺炎のため、東京都中央区の聖路加国際病院にて死去[1]。87歳没。没後の2012年3月に東京(帝国ホテル)と群馬(日本シャンソン館)の2箇所にて芦野宏お別れ会がそれぞれ開催された[2]。
NHK紅白歌合戦出場歴
- 第6回 (1955年12月31日、産経ホール) 『タブー』
- 第7回 (1956年12月31日、東京宝塚劇場) 『ドミノ』
- 第8回 (1957年12月31日、東京宝塚劇場) 『メケ・メケ』
- 第9回 (1958年12月31日、新宿コマ劇場) 『風船売り』
- 第10回 (1959年12月31日、東京宝塚劇場) 『チャオチャオ・バンビーナ』
- 第11回 (1960年12月31日、日本劇場(日劇)) 『幸福を売る男』
- 第12回 (1961年12月31日、東京宝塚劇場) 『カナダ旅行』
- 第13回 (1962年12月31日、東京宝塚劇場) 『カミニート』
- 第14回 (1963年12月31日、東京宝塚劇場) 『パパと踊ろう』
- 第15回 (1964年12月31日、東京宝塚劇場) 『ほほにかかる涙』
主な出演
ラジオ
- 『虹のしらべ』(1953年、日本放送協会)
テレビドラマ
映画
賞詞
- パリ市ヴェルメイユ勲章(1990年)
- 紫綬褒章(1990年)
- 勲四等旭日小綬章(1996年)
- フランス共和国芸術文化勲章オフィシエ(2004年)
- 第48回日本レコード大賞功労賞(2006年)
脚注
- ^ シャンソン歌手の芦野宏さん死去 日刊スポーツ 2012年2月7日閲覧
- ^ 芦野宏お別れの会のご案内 日本シャンソン協会オフィシャルブログ 2012年2月21日付