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2016年11月11日 (金) 02:38時点における版

清水 国明(しみず くにあき、1950年10月15日 - )は、福井県出身の日本タレント歌手作家冒険家実業家である。アウトドア愛好者として有名。 元国際A級ロードレースライダーでもある。所属事務所はあのねのね事務所→アワーライフ。 芸名は、現在デビュー時と同じ清水国明。一時期本名の清水國明に変えていた。

姉の橋本真由美は、ブックオフコーポレーション取締役相談役である。

経歴・人物

福井県大野郡和泉村(現大野市)出身。福井県立大野高等学校京都産業大学法学部卒。

1973年に、原田伸郎とのコンビで「あのねのね」として、「赤とんぼの唄」でデビュー。大ヒットを記録した。「あのねのね」結成当初は複数人の編成で、笑福亭鶴瓶とその妻もメンバーだった。

「あのねのね」時代は台本を書き、芸でも原田をリードする立場だった。あのねのね時代はラジオで下ネタを連発したり放送コードを超えた卑猥な歌を歌っていたが、後述のように1990年代にアウトドアの旗手としてファミリー層から持ち上げられるようになってからは、ものまね王座決定戦清水アキラが下ネタを連発した際にとがめる場面を見せるなど芸風が様変わりしていた (ただし、アキラを一時期自らの事務所に所属させ3度目の結婚の際にはアキラが司会をするなど両者の親交は深い)。

1982年に担当していたラジオ番組真夜中ギンギラ大放送でリスナーからの一枚のハガキを発端に話が膨らみ、鈴鹿8時間耐久ロードレース(8耐)への出場を宣言。当時、レースはおろかバイクの免許さえ持っていなかったが、一念発起して二輪免許を取得。自身のサポートクラブ的団体である國武舞レーシングチームを主宰し、バイク業界で精力的に活動を始める。1983年には8耐の登竜門的レースである鈴鹿4時間耐久レースに出場、決勝20位で完走を果たす。1985年まで4耐に出場。その後、8耐出場に必要な国際A級ライセンスを取得し、1990年、元世界GPライダー福田照男とペアを組み8耐に初参戦。予選で鎖骨を骨折するトラブルに見舞われながらも見事完走を果たした。そして、これをもってレース界からの引退を宣言する。

90年代からはアウトドア志向の活動を多く行うようになった。自らチェンソーを握り、木を伐採し、ログハウスを建築する様子がテレビなどを通じて流され、以降、アウトドア派、DIY派のイメージが定着した。

私生活では歌手レポーターとして活動していた清水クーコと結婚、カカア天下&おしどり夫婦として知られたが1982年に離婚(子なし)。国明・クーコとも離婚の理由を一切沈黙したが、当時芸能人は離婚を公表する際、虚実はともあれ離婚の理由・経緯を一通りマスコミに説明するのが普通だったので、元夫婦がとった行動は当時としては異例だった。クーコはしばらくあのねのね事務所に所属・芸能活動、そして国明とはよき友人関係を続けたが、自身の海外留学・国明の再婚(1984年に再婚したが離婚)が決まったことなどを機に事実上引退。クーコは1991年3月子宮頸癌により他界したが、葬儀の喪主を国明が務め、最後まで「良きパートナー」を貫いた。

2005年、ライフワークとしての「森と湖の楽園」をオープン。NPO活動として子どもキャンプなどを開催する傍ら、河口湖を拠点として、ツリーハウス作りや農業体験など、団塊世代を主にターゲットとした自然のチカラを人の暮らしに生かすビジネスを創出。

2007年1月、敬子夫人と3度目の結婚(23歳差)。同年11月4日には初めての男子をもうけた。

2008年末、都内の病院の人間ドックで十二指腸に約2センチの腫瘍(ポリープ)を発見。良性との判断で翌2009年2月、内視鏡で摘出したが、念のため摘出部の細胞を調べたところ、十二指腸乳頭部に腫瘍が見つかったため、十二指腸の全摘出となった。4月に都内慈恵医大病院に入院し手術。早期発見で約3週間の入院で済み、5月の連休明けには復帰した。

2011年3月東日本大震災直後、自身が楽校長を務めるNPO法人河口湖自然楽校にて、被災した子どもやその家族を受け入れた。その際、バスで被災地と河口湖を送迎した。

2011年財団法人日本レクリエーション協会主催で審査された【もっともレクリエーショナルなイメージを持つ著名人「ベストリクルー」】一般審査部門にて1位に選出される。

2012年4月、山梨学院大学現代ビジネス学科客員教授に就任。5月、ハワイ・ホノルルトライアスロンに挑戦。完走する。

2013年6月4日あのねのね結成40周年記念コンサートを東京・渋谷のマウントレーニアホールで行った。

清水は小学校時代から大学2年生まで剣道をやっており、剣道二段の腕前である。東北地方太平洋沖地震の際には、被災者救援活動を自らが主宰するNPO法人「河口湖自然楽校」で行うにあたって剣道経験者としてその活動を紹介した『剣道日本』6月号(スキージャーナル社)のインタビューに登場した[1]

主な出演

テレビ番組

◇過去

ラジオ番組

CM

主な著書

脚注

  1. ^ [1] Kenbudo.Biz参照

外部リンク