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2016年11月10日 (木) 14:37時点における版

さかい のりこ
酒井 法子
酒井 法子
酒井法子(1998年9月香港にて)
本名 酒井法子
別名義 さかいのりこ
生年月日 (1971-02-14) 1971年2月14日(53歳)
出生地 日本の旗 日本福岡県福岡市
身長 157cm[1]
血液型 B型
職業 女優歌手
活動期間 1986年 - 2009年2012年 -
配偶者 独身(離婚歴あり)
主な作品
ひとつ屋根の下
星の金貨
受賞
日本歌謡大賞最優秀放送音楽新人賞
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酒井 法子(さかい のりこ、1971年2月14日 - )は、日本女優歌手である。サンミュージックプロダクション(1986年 - 2009年夏)を経て、オフィスニグンニイバ(2012年 - )所属。愛称はのりピー堀越高等学校卒業、創造学園大学ソーシャルワーク学部ソーシャルワーク学科介護福祉コースに在学(2010年 - 2013年)。

経歴

1986年昭和61年)にアイドルとしてデビュー後、自らを「のりピー」と名乗っていた。同時に「ヤッピー」「いただきマンモス」「うれピー」といった独特の言葉の「のりピー語」も流行させた。デビュー当時のキャッチフレーズは、「おキャンなレディ」。

生い立ち

1971年昭和46年)、福岡県福岡市生まれ。その後、埼玉県狭山市の叔母の家で小学校低学年まで育てられ[2]、実父の再婚に伴い福岡へ戻り、福岡市立大名小学校を卒業。父はその後再々婚[2]福岡市立舞鶴中学校時代にはソフトボール部に所属し、中学校3年生時の1985年夏には、9番右翼手福岡県大会に出場し、準優勝している。

オーディション

1985年(昭和60年)10月、全国応募総数54,129名のオーディション企画「'86 ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」(主催・資生堂)に出場、グランプリは水谷麻里が受賞したが、酒井には「BOMB!賞」が授与された[注 1]。本来このコンテストには、このような賞はなく、芸能事務所 サンミュージックの専務が酒井を見初め、「『彼女の』才能を試してみたい」との希望で急遽用意されたものだった[注 2]。こうして、酒井の芸能界デビューは決定した[3]

同年12月、福岡市から上京した酒井は、サンミュージック社長(当時)・相澤秀禎の自宅での下宿生活を始め、学校も東京都内の中学校に転校。

酒井にとって初めての仕事として、テレビドラマ 『春風一番!』(1986年1月- )への出演が決定、1985年年末からその収録に参加する。同時期に雑誌 『Momoco』に登場し、モモコクラブのNo.1482となる。

アイドルとしてデビュー

1986年(昭和61年)4月29日、同誌が開催したイベント「'86 モモコ・パーティー」におけるオーディション、『第2回 ミスモモコクラブ』で「ミスVHD賞」を受賞した酒井は、同年11月21日に VHDソフト[注 3] 『YUPPIE』を発売し、本格的にデビューを飾った。VHDソフトを用いたアイドルのデビューは世界初であった。またこの作品では、彼女が初めてレコーディングをした『お願いダーリン』が挿入歌として使用されている。

テレビでは、TBS系『モモコクラブ』にレギュラー出演し、番組の中心メンバーとして人気を博す。この時期から酒井は自身を「のりピー」と自称、同時に「のりピー語」を用いるようになった。

1987年(昭和62年)2月、『男のコになりたい』でアイドル歌手デビューし、オリコン最高6位と幸先のいいスタートを切る。同年の新人賞レースには数多く参戦し、畠田理恵立花理佐BaBe坂本冬美などと激戦をくり広げた。また、『第18回 日本歌謡大賞』では最優秀放送音楽新人賞を受賞した。

アイドル時代、酒井の活動は多岐に渡り、芸能活動のほかにイラストレーター漫画家ペンネームは平仮名の“さかい のりこ”)としても活動し、少女漫画雑誌『週刊少女コミック』に漫画の連載を持ったこともある。中学生の頃に自ら生み出したというキャラクター『のりピーちゃん』は、日本自動車工業会の交通安全ポスターにも使われた。また、そのキャラクターグッズも自身のショップ 「NORI-P HOUSE」で販売されて人気を博し、当時のタレントショップブームの一翼を担った。1988年7月、富士山の8合目(標高3300m)の山小屋にグッズ店「のりピーちゃんハウス」を開店。「日本一標高の高いタレントショップ」として話題となった。1991年には5合目の山小屋に富士山2号店がオープンしている。同年「のりピーハウスレーシングチーム」というチーム名でN1耐久レース(現在のスーパー耐久)にも参加し、チーム監督として酒井が着任していた。

平成期の活動:アジア各地での人気、女優・歌手

タレントとして伸び悩んでいた酒井は、1990年当時、日本の芸能界が目を向けていなかった中華民国台湾での活動を始め、香港中華人民共和国など、中国語圏各地においても、日本での評価以上の人気と知名度を獲得。中国語歌唱による楽曲も発表した。1992年(平成4年)5月には、初めての海外公演として、中華民国台北市でのコンサートを成功させた[注 4]1998年には、中国の中国唱片社が発行する音楽情報誌『音像世界』5月号に掲載された同年3月分のランキングで1位に登場し、同誌6月号では表紙を飾った[4]

1993年脚本家野島伸司に引き立てられ、主演したドラマ 『ひとつ屋根の下』(フジテレビ)、続いて1995年に『星の金貨』(日本テレビ)が立て続けにヒットする。同ドラマの主題歌となったシングルCD碧いうさぎ』は自身初のミリオンセラーとなり、デビュー9年目にして初めて 『第46回NHK紅白歌合戦』(1995年)に出場した。ドラマでの役柄に合わせて、酒井はこの楽曲を、NHK紅白歌合戦史上初めて、日本手話を交えて歌った。

1996年(平成8年)3月には、個人事務所 「エヌ・コーポレーション」(東京・南青山)設立、継母と共に取締役に就任した。

その後、結婚・出産を経た酒井は、子育てと女優活動を両立、2003年(平成15年)には、伊藤忠商事とサンミュージックが設立した洋服ブランド、『ピーピーリコリノ (PP rikorino)』のプロデュースを始めている[5]。さらに、日中文化スポーツ交流年(2007年)・文化親善大使となって、様々なイベントに参加し、当時の内閣総理大臣安倍晋三とも面会[6]、また、最高裁判所制作による、裁判員制度のPR映画審理』(2009年)に主演するなど、芸能人としてのステータスを高めていた。

「のりピー」

デビュー当時、酒井のニックネームは、中学校時代からの渾名と同じ、「のりっぺ」だったが、程なくして「のりピー」と自称、同時に「のりピー語」なる独特の言葉遣いを用いるようになった。

のりピー語については後年、「20歳を越えた頃から似つかわしくないと思うようになった」と本人がテレビ番組で語っている。また、当時の事務所社長・相澤秀禎は、「のりピー語」が、酒井を売り出すための戦略であったことを明かしている[3]

私生活

1998年(平成10年)12月、当時プロサーファーであった高相祐一結婚した[7]。同時に妊娠3ヶ月であることも公表され[7]、酒井は翌年7月11日に長男を出産した。

産前産後休業をとっていた酒井は2000年(平成12年)に芸能活動を再開したが、同年7月には、デビュー当時からの担当マネージャー[注 5]が芸能事務所社内で自殺する事件が起きている。

酒井は、子育てと女優活動を両立、酒井を前面に出したファッションブランドをプロデュースし、公的イベントにも参加していたが、2009年(平成21年)には夫とともに覚せい剤取締法違反事件を起こし、二人とも有罪判決を受けるに至った( → 「覚醒剤の所持及び使用事件」を参照)。

事件翌年の2010年(平成22年)1月[注 6][8]、酒井は介護士音楽療法士を目指し、群馬県高崎市にある創造学園大学ソーシャルワーク学部ソーシャルワーク学科介護福祉コースに入学。eラーニングを主とした勉強を始めたが、2013年3月に大学は閉校している[9]2010年6月には離婚調停を経て夫との離婚が成立[10]慰謝料はなく、長男(当時11歳)の親権は酒井が得た[11]

覚醒剤の所持及び使用事件

2009年平成21年)、覚醒剤を所持・使用したとして、夫(当時)と共に、覚せい剤取締法違反で東京地方裁判所から有罪判決を受けた。

この事件では、テレビ局が報道特別番組を放送[注 7]警察庁長官が事件に言及するなど[12]、世間の注目を大いに集めた。また、酒井は事件前、同年に始まった「裁判員制度」紹介のための広報映画『審理』(最高裁判所制作)に主演(#映画)するなど[13] していた。

事件の経過

酒井の逮捕

8月3日、夫が東京都渋谷区の路上に駐車中の車内で覚醒剤を隠し持っていたところを逮捕される[14]。酒井も警視庁渋谷警察署から任意同行を求められたが拒否。自宅マンションから大量の荷物を持ち出し、コンビニエンスストア量販店で食料品や飲料水、衣服・下着などを購入。行方をくらました[15]。 8月7日、夫が酒井の覚せい剤使用を供述。警察は酒井の自宅から微量の覚醒剤(8マイクログラム)と酒井の唾液が付着した吸引具を発見、酒井への逮捕令状を取った[注 8]。その翌日の8月8日、酒井は警視庁に出頭、逮捕された[注 9]

8月28日、検察は覚せい剤取締法違反(所持)で酒井を起訴、それを受けてサンミュージックは酒井とのマネジメント契約を解除[16]、所属レコード会社のビクターエンタテインメント(現:JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント)も酒井との契約を解除した。その後、酒井は事件前、滞在先の奄美大島のホテルで覚醒剤を吸引していたことも判明[注 10]覚せい剤取締法違反(使用)で追起訴されている[17]

同年9月17日、保釈保証金 500万円を納付し、それまで勾留されていた東京湾岸警察署から保釈された酒井は、警察署の玄関前で謝罪、さらに同日、東京都内の如水会館において記者会見を行った。

裁判と事件の影響

酒井は同年10月26日に東京地方裁判所で始まった刑事裁判で起訴事実を認め、「夫と離婚して覚醒剤を断ち切りたい」、「芸能界を引退し、介護の仕事をやりたい」などと述べた。ぎんなどのこの公判は世間の関心を集め、裁判傍聴の抽選には、20席の傍聴席に対して6,615人が参加、330倍の倍率は日本の刑事裁判史上、過去最高となった[18]。その後、酒井被告は懲役1年6か月、執行猶予3年の有罪判決を受け[19]、検察側・弁護側とも控訴せず刑が確定した。

なお、この事件では興味本位での報道が過熱、放送倫理・番組向上機構が警告を行った[20]

事件後

2010年(平成22年)12月18日及び25日放送のTBS系『情報7days ニュースキャスター』にVTR出演。12月3日に発売した自叙伝『贖罪』(朝日新聞出版、2010年)のPRで、本と同様、事件当時の胸中を振り返る内容になった。18日放送分は酒井にとって逮捕後初のテレビ出演となった。

2011年、中国禁毒大使のキャンペーンとして、中国に招聘され、色々なイベントに出席した。

2012年11月の復帰時に、事件の際に前所属事務所サンミュージックが、約5億円の損害賠償を肩代わりしたことが明らかになった[21]

2012年9月27日に、12月から上演される舞台に主演することが発表[22]。役柄は信長の妹お市を演じることとなった[23]。同年11月23日に執行猶予期間終了。翌24日に復帰会見を行った[24]

2013年1月、中華人民共和国最大ネットサイトの年度文化、ファンション賞「アジア最注目女優大賞」を受賞[25]。5月29日には23日に病没した先代社長・相沢秀禎の告別式にも参列。「出来の悪い不良娘で申し訳ありません」と霊前に詫びたという。

2014年今井雅之の舞台『手をつないでかえろうよ〜シャングリラの向こうで〜』に出演予定だったが、所属事務所オフィスニグンニイバが直前の1月16日になって辞退を申し入れる。代役は高橋明日香[26]

音楽作品

シングル

  1. 男のコになりたい(1987年2月5日)
  2. 渚のファンタシィ(1987年5月21日)
  3. ノ・レ・な・いTeen-age(1987年8月25日)
  4. 夢冒険(1987年11月25日)
  5. GUANBARE(1988年2月24日)
  6. 1億のスマイル 〜PLEASE YOUR SMILE〜(1988年5月18日)
  7. HAPPY AGAIN(1988年9月21日)
  8. ホンキをだして(1989年1月1日)
    • 作詞: 森浩美、作曲: 筒美京平、編曲: 船山基紀
  9. おとぎの国のBirthday(1989年2月14日)
  10. Love Letter(1989年4月26日)
    • 作詞・作曲: 尾崎亜美、編曲: 佐藤準
    • ライオンBan16シリーズ 1989年度イメージソング
  11. さよならを過ぎて(1989年8月2日)
  12. ALL RIGHT(1989年11月21日)
  13. 幸福なんてほしくないわ(1990年2月21日)
  14. ダイヤモンド☆ブルー(1990年5月21日)
    • 作詞・作曲: 遠藤京子、編曲: 井上日徳
    • ライオンBan16シリーズ 1990年度イメージソング
    • ドラマ『京都東山殺人事件』でも挿入歌として使用されている
  15. 微笑みを見つけた(1990年8月21日)
  16. イヴの卵(1990年11月21日)
  17. あなたに天使が見える時(1991年3月21日)
  18. モンタージュ(1991年6月21日)
    • 作詞: 森雪之丞、作曲・編曲: 土橋安騎夫
  19. 涙がとまらない 〜HOW! AW! YA!〜(1991年11月7日)
  20. 軽い気持ちのジュリア(1992年3月4日)
  21. 渚のピテカントロプス(1992年6月21日)
    • 作詞: 康珍化、作曲・編曲: 羽田一郎
  22. たぶんタブー(1992年11月6日)
  23. あなたが満ちてゆく(1993年5月21日)
  24. 笑顔が忘れられない(1993年11月21日)
  25. 誘われて…(1994年6月22日)
    • 作詞・作曲・編曲: MOONLIGHT CAFÉ
  26. OH OH OH 〜We are the Winners〜(1995年2月22日)
    • 作詞・作曲: Maurice White、Bill Meyers、KUNI MISAWA、日本語詞: 秋元康、編曲: 西脇辰弥
    • L・リーグ公式テーマソング。現役女子サッカー選手10人がコーラス参加し“酒井法子 with L・リーガーズ”としてリリース
  27. 碧いうさぎ(1995年5月10日)
  28. Here I am 〜泣きたい時は泣けばいい〜(1996年4月24日)
  29. 鏡のドレス(1996年10月9日)
  30. 涙色(1997年7月24日)
    • 作詞・作曲: 河村隆一、編曲: 土方隆行
    • 河村隆一が同年発売のアルバム『Love』でカップリング曲の「蝶々」と共にセルフカバーしている
    • 日本テレビ系列『NNNきょうの出来事』エンディング曲
  31. 横顔(1998年5月13日)
  32. PURE(1999年4月1日)
  33. WORDS OF LOVE(2000年4月5日)
  34. miracle(2000年11月1日)
  35. 天下無敵の愛(2004年6月23日)
  36. 世界中の誰よりきっと(2007年8月22日)

企画シングル

オリジナル・アルバム

  1. ファンタジア (Fantasia) / NORIKO Part I(1987年7月1日)
  2. 夢冒険 / NORIKO SPECIAL(1988年1月1日)
  3. GUANBARE / NORIKO Part II(1988年3月16日)
  4. LOVELY TIMES / NORIKO Part III(1988年8月21日)
  5. Blue Wind 〜NORIKO Part IV〜(1989年6月21日)
  6. My Dear / NORIKO Part V(1989年12月16日)
  7. White Girl 〜NORIKO Part VI〜(1990年7月4日)
  8. Sweet'n' Bitter 〜NORIKO Part VII〜(1991年1月21日)
  9. マジカル・モンタージュ・カムパニー / Noriko Part VIII(1991年7月21日)
  10. マンモス / Noriko Part IX(1992年7月22日)
  11. あなたが満ちてゆく / Noriko Part X(1993年7月21日)
  12. 10 SONGS / Noriko Part XI(1994年7月21日)
  13. 素顔(ノーメイク)(1996年5月22日)
  14. スノーフレイクス(1996年12月18日)
  15. work out fine(1998年7月1日)

ベスト・アルバム

  1. Singles 〜NORIKO BEST〜(1990年3月21日)
  2. CDファイル Noriko Sakai Vol.1(1991年2月21日)
  3. CDファイル Noriko Sakai Vol.2(1991年2月21日)
  4. CDファイル Noriko Sakai Vol.3(1991年2月21日)
  5. Sentimental Best(1991年12月5日)
  6. Singles 〜NORIKO BEST〜 II(1992年12月2日)
  7. natural best(1994年2月2日)
  8. Watercolour(1995年6月21日)
  9. Twin Best(1995年7月12日)
  10. PURE COLLECTION (1999年6月23日)
  11. Singles 〜NORIKO BEST〜 III(2000年4月5日)
  12. 〈COLEZO!〉Noriko Sakai Best Selection(2005年3月24日)
  13. 〈COLEZO! TWIN〉酒井法子(2005年12月16日)
  14. 大好き 〜My Moments Best〜(2007年9月19日)
  15. The Best Exhibition 酒井法子30thアニバーサリーベストアルバム(2016年9月21日)

企画アルバム

  1. 微笑(1994年11月1日)
  2. 我愛美人魚(1996年2月1日)
  3. 有縁千里(1996年5月22日) - エリック・ソン(孫耀威)とデュエット曲「有縁千里」収録
  4. ASIAN COLLECTION 97(1997年11月28日)
  5. ASIAN TOUR SPECIAL〜ASIAN COLLECTION 98〜(1998年10月1日)
  6. Asia 2000〜Words Of Love〜(2000年10月1日)
  7. Moments(2003年9月6日) - カバーアルバム
  8. 涙ひとつぶ(2014年1月22日)- ミニアルバム
  9. Truth〜飛べない鳥よ〜(2015年11月11日) - ミニアルバム(「碧いうさぎ - 2015 Ver.-」、「グッド・バイ・マイ・ラブ」のカバーを収録)[27]

『トップをねらえ!』(Aim for the Top GunBuster)(1988年に制作されたOVA)

  • 主題歌「アクティブ・ハート」歌:酒井法子 作詞:森浩美 作曲:西木栄二 編曲:船山基紀
  • エンディングテーマ「トライ Again...!」歌:酒井法子 作詞:小倉めぐみ 作曲:西木栄二 編曲:船山基紀

楽曲出版権利

  • ビクター音楽産業、ビクターエンタテインメント時代の『碧いうさぎ』『世界中の誰よりきっと』以外全ての音楽版権は前事務所のサンミュージック出版にある。但し『碧いうさぎ』『世界中の誰よりきっと』に関してはバーニングプロダクション系列バーニングパブリッシャーズが持っている。[28]

出演

ドラマ

連続ドラマ
単発ドラマ

映画

  • 必殺!5 黄金の血(1991年11月23日) - お浅役
  • 花のお江戸の釣りバカ日誌(1998年12月23日) - 浜崎美津役
  • 呪怨2(2003年8月23日) - 原瀬京子役
  • ムーンライト・ジェリーフィッシュ(2004年8月7日) - 寺沢由紀子役
  • 予言(2004年10月2日) - 里見綾香役
  • SS エスエス(2008年1月12日) - 大佛久美子役
  • 審理(裁判員制度広報用映画、2008年3月25日試写会開催) - 木村奈緒子役

劇場アニメ

テレビアニメ

バラエティー

NHK紅白歌合戦出場歴

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手
1995年(平成7年)/第46回 碧いうさぎ 01/25 シャ乱Q
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

CM

ラジオ

  • ときめきパジャマ MARI NORI AKIのドッキンタイム(1986年4月13日開始、ニッポン放送
    ※歌手デビュー前に同じ事務所の水谷麻里岡谷章子と共に出演。
  • きらきらサンデーアイドルおちゃめランド(文化放送
    ※当時事務所の後輩だった田村英里子と共に出演。
  • のりピー 不思議な夢冒険
  • のりピー 気ままにセンセーション
  • 酒井法子 すてきにロマンス
  • 酒井法子 ドライブパートナー
    ※以上4番組は放送された局によって番組名が違うが、内容は同じものである。
  • 酒井法子のストレートライフ・夢色プリズム(アール・エフ・ラジオ日本
  • Radio THISMBSラジオ
  • ヤンタン茶屋町学園 (MBSラジオ

舞台

その他

論文

写真集

  • 夢冒険(1988年1月1日、学習研究社) 撮影: 荒木英仁
  • LET'S NORI-P(1988年5月23日、音楽専科社) 撮影: 荒木英仁
  • LOVELY TIMES(1988年9月5日、近代映画社) 撮影: KUNIHIKO SESHIMOTO
  • Blue Peare(1989年2月25日、ワニブックス) 撮影: 井ノ元浩二
  • Shuffle Heart(1989年11月12日、音楽専科社) 撮影: 石川正勝
  • AQUARIUS(1990年3月31日、近代映画社) 撮影: 武藤義
  • White girl(1990年8月10日、ワニブックス) 撮影: 井ノ元浩二
  • Comme le Cinema(1991年4月20日、学習研究社) 撮影: 山口順仁(撮り下ろし)、荒木英仁(15 - 18歳のカット)
  • ZEPHYROS(1991年10月10日、ワニブックス) 撮影: 山口順仁
  • sentire,(1992年9月10日、ワニブックス) 撮影: 山口順仁
  • Shinin' Run(1993年3月10日、ワニブックス) 撮影: 井ノ元浩二
  • ORANGE HOTEL(1994年11月25日、ワニブックス) 撮影: 石田東
  • Naturelle(1996年3月1日、ワニブックス) 撮影: 石田東
  • 緑色の扉(1996年12月25日、ワニブックス) 撮影: 石田東
  • fizz(1997年12月10日、ワニブックス) 撮影: 井ノ元浩二

書籍

受賞歴

  • 第1回COTTON USAアワード『Mrs. COTTON USA』(2004年)
  • 中国最大ネットサイドの年度文化、ファンション賞「アジア最注目女優大賞」を受賞(2012年)[2]

関連項目

脚注

注釈

  1. ^ 昭和60年10月26日開催 この際、準グランプリを岡谷章子、Momoco賞を畠田理恵が、それぞれ受賞している
  2. ^ この賞はコンテストの後日、昭和60年11月22日に授与された
  3. ^ 当時、日本の電気メーカー、日本ビクターが開発したVHDは、LDなどとの規格争いの最中だった
  4. ^ 1992年5月10日と11日 台北市立総合体育場で開催
  5. ^ 1986年(昭和61年)に自殺した岡田有希子のマネージャーだった。
  6. ^ 創造学園大学の受験、合格については、2009年(平成21年)11月10日、大学側が明らかにした
  7. ^ TBSテレビは、酒井の逮捕状が取られた時点で特別番組を放送した
  8. ^ 覚せい剤取締法違反(所持)容疑 2009年8月7日
  9. ^ 酒井は警視庁富坂分庁舎(東京・文京区)の組織犯罪対策5課に出頭し、逮捕された
  10. ^ 2009年7月下旬の使用歴により、同年9月11日に追起訴された

出典

  1. ^ オフィスニグンニイバ プロフィール
  2. ^ a b サンケイスポーツ、2009年8月27日
  3. ^ a b 相澤秀禎 『人気づくりの法則』(東洋経済新報社 1988年4月23日) ISBN 978-4492553091
  4. ^ のりピーが中国でNo1アイドル、ZAKZAK、1998年5月15日。(インターネット・アーカイブのキャッシュ)
  5. ^ 伊藤忠商事のプレスリリース 2007年9月26日他
  6. ^ 日中文化・スポーツ交流年を振り返って
  7. ^ a b “【98年12月28日】酒井法子電撃入籍 プロサーファーと”. スポーツニッポン. (1998年12月29日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/special/sakai_archive/KFullNormal20091001197.html 2009年11月3日閲覧。 
  8. ^ “酒井法子被告: 創造学園大に合格 音楽療法など勉強か”. 毎日新聞. (2009-11.09). http://mainichi.jp/select/jiken/news/20091111k0000m040137000c.html 2009年11月11日閲覧。 
  9. ^ 朝日新聞 最後の卒業式、54人巣立つ 閉校の群馬・創造学園大
  10. ^ のりピー6月末やっと離婚成立 親権も、asahi.com、日刊スポーツ、2010年7月30日
  11. ^ 酒井法子さん、高相祐一さんと、慰謝料無しで離婚 『Internatonal Business Times』 2009年7月30日
  12. ^ “「芸能界は薬物一掃を」警察トップ異例の要請”. 読売新聞. (2009年8月21日). http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20090821-OYT1T00106.htm 2009年11月3日閲覧。 
  13. ^ 酒井法子容疑者主演、裁判員PR映画自粛 『産経新聞』 2009年8月7日
  14. ^ 酒井法子の元夫・高相氏、歌舞伎町の路上で倒れ込む 新宿署が保護 2011/01/26 【MSN産経ニュース】
  15. ^ 酒井法子容疑者、逃走の足取りメモ 2009/08/11 【日刊スポーツ】
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  31. ^ “のりピー「ふんだんに楽しめる」芸能活動30周年記念BOX販売”. スポニチアネックス. (2016年11月1日). http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2016/11/01/kiji/K20161101013640340.html 2016年11月1日閲覧。 

外部リンク