「戸川純」の版間の差分
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2016年11月6日 (日) 08:20時点における版
関連項目が多すぎます。 |
戸川 純 | |
---|---|
生誕 | 1961年3月31日(63歳) |
出身地 | 日本 東京都新宿区 |
ジャンル |
J-POP アバンギャルド ニュー・ウェーヴ |
職業 |
女優 歌手 |
活動期間 | 1979年 - |
レーベル |
アルファレコード (所属はしていないが、アルファレコードから原版使用権が委託されたため) |
共同作業者 |
ゲルニカ ヤプーズ 東口トルエンズ |
公式サイト |
ソニー・ミュージック テイチクレコード |
戸川 純(とがわ じゅん、1961年3月31日 - )は、日本の歌手・女優である。本名は戸川 順子(とがわ じゅんこ)。歌手としてはゲルニカ、ヤプーズなど、またはソロのヴォーカリストとして活動している。
関東学院大学文学部英米文学科中退。女優の戸川京子(故人)は妹。
経歴
高校卒業まで
日本テレビのバラエティ『巨泉×前武ゲバゲバ90分!』をみて芸能界を志望。妹の戸川京子とともに小学校在学中に劇団ひまわりに入る。エキストラ役が当初多かったが、小学五年生のとき、新国劇『王将』に子役として舞台に上がり、辰巳柳太郎の娘役を演じる。この経験から、本格的に芝居をやりたいとの気持ちを抱く。しかし、妹の京子に比べ地味だと判断されたことや、学校が休みがちになるのを家族が懸念したことにより、劇団を辞める。家族からは大学生になったらまた芝居をやって良いと言われる。[1]
高校時代では演劇部に所属。部ではシェークスピアの作品等を扱う。
1980年代 - 1990年代
1982年に『刑事ヨロシク』で初めてレギュラーで警察署のお茶汲み役「西ツヤ」を演じる。
戸川純の存在を全国的に知らしめたのはCM出演であった。ヤマハエレクトーンのCM出演を経て、1982年9月に衛生設備メーカーTOTOの発売した画期的な新製品ウォシュレットのCMキャラクターに起用される。このCMは「おしりだって洗ってほしい」「あなたのおしりを洗いたい」のキャッチコピーとともに話題を呼び注目を集めた。本人曰く「子供のときから、ずっと、メジャー志向」であり、このCMでポピュラリティを得たと実感する。[1]
女優業と並行して音楽活動も展開。ボーカリストとして、1982年6月に、細野晴臣プロデュースで「ゲルニカ」の『改造への躍動』でアルバム・デビュー。1983年5月にはバンド「戸川純とヤプーズ」名義でライブ・デビュー。ボーカルを担当し、そのサイケな世界観と圧倒的なライブパフォーマンスで話題になる。1984年にアルバム『玉姫様』でソロ・デビュー。独特な感性を活かし、以降は作詞も行う。その後も、長きに渡り様々なバンドでボーカルを務める。
以上の活動からメディアの関心も高まる。1984年には『森田一義アワー 笑っていいとも!』や「徹子の部屋』などの人気番組に相次いで出演。雑誌『宝島』でも特集が組まれるなど人気を博す。この年以降も上記2つの番組に加え、『11PM』『さんまのまんま』『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』[2]『パラダイスGoGo!!』等々、数々の番組に出演した。
1990年代から女優としての活動が比重を増す。すでにその個性を活かしたテレビドラマでの特異な役柄や、『パラダイス・ビュー』『ウンタマギルー』のような先鋭的なインディーズ作品への出演を果たしていたが、松竹映画のメジャー作『男はつらいよ』『釣りバカ日誌』の両作にも出演する[3]など、活躍した。
1995年11月、当時の所属事務所への方向性や金銭を巡る不信、バンドメンバーの脱退、ライブビデオの編集(無断発売)などの度重なる人間関係のトラブルを苦に、自宅マンションにて首を剃刀で切り自殺を図る。幸い頸動脈に達していなかったことから一命を取り留めた。狂言自殺疑惑、自傷時に流れ出た血液で部屋の壁に「皆憎」という文字を書いたなどの話題でマスコミを騒がす。その7年後に実妹の京子が自殺。
2000年以降
2006年2月22日に完全限定生産でゲルニカのデビューアルバム『改造への躍動』、ソロ作品『玉姫様』から『好き好き大好き』、妹の京子のアルバム『B.G』などアルファレコード時代のアルバムがソニー・ミュージックダイレクトより紙ジャケットとして、ライブビデオ『玉姫伝』がDVDで復刻版として再発売された。
2006年、足と腰を負傷して入院。10月に予定されていたライブが延期になる。
2007年12月23日よりウェブラジオサイト『オールニートニッポン』より、パフォーマンス集団「こわれ者の祭典」の代表人月乃光司と共にウェブラジオ『ハート温泉』のパーソナリティを務めていた(2008年12月末をもって放送終了)。
2008年7月9日『TOGAWA LEGEND SELF SELECT BEST & RARE 1980-2007』(GT MUSIC)発売。当初は2月20日にリリースする予定だったが延期、戸川によると版権問題が大変なことになり延期したと語る。
2009年6月現在、初の長編小説を執筆中。また、詩集の刊行が予定されている。
2009年7月22日テイチク時代の作品をあつめた9枚組BOX SET『TEICHIKU WORKS』(テイチクエンタテインメイテント)発売。*限定盤のため生産終了。
2010年に公開の映画『名前のない女たち』では主題歌として「バージンブルース」が使用された。
2010年12月1日『ロマンチスト〜THE STALIN・遠藤ミチロウTribute Album〜』(アリオラ・ジャパン)に参加。遠藤ミチロウの「カノン」をカヴァー。
2011年5月11日に完全限定生産のBlu-spec CDでゲルニカのデビューアルバム『改造への躍動』、ソロ作品『玉姫様』から『好き好き大好き』、などアルファレコード時代のアルバムがソニー・ミュージックダイレクトより紙ジャケットとして再発売された。
2012年7月14日公開の映画『ヘルタースケルター』では挿入歌として「蛹化の女」が使用された。同年7月25日には、同映画の監督選曲のベストアルバム『蛹化の女〜蜷川実花セレクション』(SONY MUSIC DIRECT)を発売。
2012年10月22日に完全限定生産のSHM-CDでヤプーズ『ヤプーズ計画』、ソロ作品『昭和享年』、DVDでヤプーズ『ヤプーズ計画 LIVE&CLIP+2』、東口トルエンズ『東口DVD』と、テイチク時代のアルバムと映像作品が紙ジャケットとして再発売された。
2014年4月9日、VampilliaのCD『the divine move』にゲスト参加。(2曲)
人物・エピソード
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- 『笑っていいとも!』の1コーナー「オレンジスキャンダル」で話題を呼ぶ。このコーナーは視聴者から寄せられた男女関係の相談に対し答えるというもの。タモリと兵藤ゆきの丁々発止の論議の合間に戸川が独特のリズムで意見を入れるやり取りがコーナーのひとつの魅力であった。
- 『笑っていいとも!』「テレフォンショッキング」のコーナーにゲスト出演した際、芸能界入りの動機として「小さい頃いじめられっ子だったので、(出世して)見返してやろうと思った」と語った。「宝島」誌におけるいしかわじゅんとの対談によると、戸川は子供のころ大変醜く、「太った山下達郎」と呼ばれていたという。いじめの理由を問うと、加害者たちは「ブスだからだよ」と笑いながら答えたとのこと。
- 中高生の頃は女優志望であこがれは李香蘭とクレオパトラだったともいうが、吉永小百合のような女優を目指し、高校時代、毎日屋上で発声練習や腹筋運動などをかかさず行うなど地道な努力を重ねた。
- 高校時代の門限は17時。思うように外出できず、また憧れの芝居にも十分に取り組めない中、唯一の楽しみは食べることであった。そのため、62キロまで太った。[4]
- 高校時代に父親が経営する喫茶店でアルバイトをした際、コーヒーのミルクを2つ要望する客がいた。戸川はその客の顔を覚え、再び来店した際に言われないでもミルクを2つ出した。客は特に反応しなかったが、仕事をした達成感を密かに味わった。[1]
- 妹の戸川京子とは対照的な姉妹と見られることが多く、本人たちも自分とは異なる性格の相手を疎ましく思う時期もあった。しかし、高校のとき、京子と徹夜で議論を交わしたことをきっかけに、お互いに結構似た者同士であることが判り、それ以降はあたかも親友同士であるかのような親密な姉妹になった。[5]
- 厳格な家庭で高校生までは「日曜日は外出禁止」であった。大学に入学した1979年から「日曜日も外出可能」となり、映画を見るため出かけていた日比谷公園で、たまたま、後にゲルニカでコンビを組む上野耕路が所属していたパンク・バンド「8 1/2」のライブを見てファンとなり、二回目に観に行ったライブでメンバーに声を掛けられ知人となり、彼らが出入りしていた渋谷の伝説的ロック・カフェ「NYLON100%」に入り浸るようになる。戸川は女優志望でミュージシャンになるつもりはなかったが、「NYLON100%」で彼女がよく歌っていた李香蘭の「蘇州夜曲」を上野が気に入り、ゲルニカが結成されることになった[6]。
- 芸能界で活動するようになったとき、「芸能人はこうでなければ」等々、勝手に様々な制約を背負い込み、それが大きなプレッシャーになった。戸川にとって音楽活動はそうしたストレスを発散させるものとして当初は位置付けてられており、本人はあくまでも本格派女優を目指していた。[5]
- 1980年代初頭は、山崎春美率いるバンド「TACO」のボーカリストであったロリータ順子(1987年死去)とキャラがかぶっており、また個人的にも親交が深かった。
- 1982年に『刑事ヨロシク』で初めてレギュラーの役を演じる。 警察署少年特捜班のお茶汲み員の(西ツヤ)を本人はこの役は「性格のよい子」であるとし、とても気に入っていた。
- 話のリズムや作品世界から、「変わっている」「個性的だ」との評価を受けることが多い。しかし、なかには「わざと個性的であるかのように見せている」「ネクラや病気を売りにしている」との誤解もあり、戸川本人はそうした誤解に苦しんだ。[4]
- 自分とは違う人物になりきることが出来る点に芝居の魅力を見いだしている。また、ライブでの一見奇抜な衣装も、作品世界の様々な状況における人物になりきりたいという変身願望に基づいている。[1]
- 自分の中に複数の人格が存在しているのではと感じており、どれもが自分の姿ではあるが、状況によってどの人格が出てくるかが異なると考えている。そのためか、撮影現場での自分の様子等を後日他人から話されると驚くことがある。様々な衣装で扮装するのが好きなのも、特定の何者かになりきることが出来るからである。[7]
- 話し方に独特の間があるため、歌番組などのトークではその場が水を打ったような静けさになることがある。その間に聴き手が予想する答えと実際の答えが異なることが多く、これが聴き手を驚かせたり笑わせたりする要因であるといわれる。しかし、1人でしゃべるときはこの間があまり出ない。
- 視力は0.01で乱視。このためか、人と話すとき相手の顔ではなく壁や机を見る癖がある。
- 1990年に椎間板ヘルニアのため2か月ほど入院する。その間、髪を三つ編みにするなど、薄幸の少女になりきろうとしたが、治療のため病室用浴衣を後ろ前に着ざるを得ず、薄幸の少女にはなりきれなかった。[8]
- 戸川本人の寝煙草が原因でボヤを起こしてしまいマスコミの標的になる。
- 「不思議少女」キャラであるため、周囲にその種の女性が寄って来ることが多かったが、本人はその種の人物が近寄ってくることを嫌悪していた。また、『笑っていいとも!』のコーナー「私、新聞・雑誌に出たことあります」に出演時には司会のタモリに「ちょっと近寄りがたいものありますが」と言われていた。
- 香山リカの1980年代回顧本『ポケットは80年代がいっぱい』に、デビュー前の戸川は「クリスタル族の女子大生」として登場している。しかし、イケイケギャル風に描かれているので戸川本人はちょっと違うのではないかと思っている。
主な出演作品
映画
- 家族ゲーム(1983年)
- メイン・テーマ(1984年)
- CHECKERS IN TAN TAN たぬき(1985年)
- パラダイス・ビュー(1985年)
- 星くず兄弟の伝説(1985年)
- 野蛮人のように(1985年)
- 噛む女(1988年)
- ダウンタウンヒーローズ(1988年)
- 釣りバカ日誌(1988年)
- ウンタマギルー(1989年)
- Peach - どんなことしてほしいのぼくに(1989年)
- 男はつらいよ ぼくの伯父さん(1989年)どぜう鍋店員
- 釣りバカ日誌2(1989年)
- 釣りバカ日誌3(1990年)
- スパイ・ゲーム(中日南北和)(1990年)※香港と日本の合作映画
- ワンルーム・ストーリー「いかしたベイビー」(1991年)監督・脚本・主演
- 釣りバカ日誌4(1991年)
- あふれる熱い涙(1992年)
- 爆!(BAKU)(1992年)
- きらい・じゃないよ2(1992年)
- 釣りバカ日誌5(1992年)
- 愛について、東京(1993年)
- 乳房(1993年)
- 釣りバカ日誌6(1993年)
- 釣りバカ日誌スペシャル(1994年)
- ルビーフルーツ(1995年)
- 釣りバカ日誌7(1994年)
舞台
- ゆ・め・み・た・い(東京乾電池/作・演出:岩松了/渋谷ジャン・ジャン/1983年7月)
- クラウド9(作:キャリル・チャーチル/演出:木野花/渋谷PARCO劇場/1988年2月)
- 真夏の夜の夢(サードステージ/作:ウィリアム・シェイクスピア/演出:木野花/東京グローブ座/1989年7月)
- お月さまへようこそ(ドラマティク・カンパニー/作:ジョン・パトリック・シャンリィ /演出:宮島秀司/渋谷シード・ホール/1990年6月)
- 三人姉妹(作・アントン・チェーホフ/演出:蜷川幸雄/銀座セゾン劇場/1992年11月)
- 祈る女(サードステージ/作:鈴木勝秀/演出:木野花/青山円形劇場/1995年1月)
- 戸川純一人芝居『マリィヴォロン』(トムプロジェクト/作・演出:北村想/新宿シアタートップス・他/1997年6月)
- 雨かしら(R・U・Pプロデュース/作:内藤裕敬/演出:木野花/新宿全労済ホール スペース・ゼロ/1998年4月)
- 羅生門(作:芥川龍之介/演出:渡辺和子/初台新国立劇場/1999年6月)
- わらの心臓(第三エロチカ/作・演出:川村毅/三軒茶屋シアタートラム/2000年5月)
- 戸川純二人芝居『ラスト・デイト』(淡路島・淡路夢舞台創造祭/作・演出:岩崎正裕/新宿スペース107・他/2000年12月)
- ナイロン100℃ 21st session『すべての犬は天国へ行く』(ナイロン100°C/作・演出:ケラリーノ・サンドロヴィッチ/下北沢本多劇場/2001年4月)
テレビドラマ
- 水曜劇場『しあわせ戦争』全17話(TBS 1980年)
- 金曜ドラマ『想い出づくり。』2話(TBS 1981年9月25日)
- 『刑事ヨロシク』全10話(TBS 1982年5月 - 9月)日曜8時枠
- 金曜ミステリー劇場『過去のない女たち』(1982年7月 - 8月、TBS、全5話)
- 金曜劇場『君は海を見たか』全11話(CX 1982年10月15日 - 12月24日)
- ポーラテレビ小説『おゆう』全130話(ANB 1983年4月4日 - 9月30日)
- 『あとは寝るだけ』全13話(ANB 1983年4月14日 - 7月7日)木曜9時枠
- 『AカップCカップ』全20話(TX 1983年4月20日 - 8月31日)
- 金曜ドラマ『無邪気な関係』全13話(TBS 1984年1月6日 - 3月30日)
- 金曜女のドラマスペシャル『不信のとき』(CX 1984年12月28日)単発
- 木曜ドラマストリート『払い戻した恋人』(CX 1985年10月24日)単発
- 『花田春吉なんでもやります』全13話(TBS 1985年)金曜8時枠
- 金曜ドラマ『華やかな誤算』全11話(TBS 1985年12月13日 - 1986年2月28日)
- 『松本清張サスペンス・隠花の飾り〜箱根初詣で』(CX 1986年6月2日)単発
- 『太陽にほえろ!』第701話「ヒロイン」(1986年、NTV) - 清水多美子※メインゲストとして出演
- 水曜ドラマスペシャル『亜樹子・哀しみ色の罠』(TBS 1986年9月3日)単発
- 火曜サスペンス劇場『死角関係』(NTV 1987年4月28日)単発
- 『ジャングル』 第33話「ブラインドの向う側」(NTV 1987年12月4日)
- 『独身送別会』(NHK 1988年)
- 『ハロー!グッバイ』 第7話 刑事の初恋物語(NTV 1989年)
- 火曜スーパーワイド『24歳おんなだけの露天風呂』(ANB 1990年3月6日)単発
- 火曜サスペンス劇場『殺意の団欒』(NTV 1990年10月23日)単発
- 『妖蝶キリコ』(WOWOW 1995年)
テレビバラエティ
- 笑っていいとも! ※「テレフォンショッキング」「オレンジ・スキャンダル(1984年4月 - 9月 火曜の準レギュラー)」「日曜お気楽組」「私、新聞・雑誌に出たことあります。」のコーナーほか。(フジテレビ)
- HELLO! MOVIES ※初のメインMC。(ANB 1990年 - 1991年)
- ヒットスタジオR&N ※メインMC。(CX 1990年)
- ビアリズム ※メインMC。(WOWOW 1991年 - 1992年)
- BSマンガ夜話 ※準レギュラー (NHK)
ラジオ
- スネークマンショー
- 克也と純のラジオが何だ!
- ラジオ・パラノイア(FM東京、1981年12月28日)
- サウンド・ストリート(NHK-FM、1984年1月24日)
- ハート温泉(オールニートニッポン、2007年12月23日)
テレビCM
- ヤマハエレクトーン(1982 年)伊武雅刀と共演。
- TOTO「ウォシュレット」(1982 - 1995年)
- 「おしりだって洗ってほしい」というセリフで有名。
- セブンアップ飲料スウィートキッス(清涼飲料水)ゲルニカとして出演。
- サントリーシュプレ
- マクセルカセットテープ
音楽作品
書籍
- 樹液すする、私は虫の女 (1984年、勁文社 ISBN 9784766901122/1987年ケイブンシャ文庫 ISBN 9784766905434/2001年ABC出版より復刻 ISBN 9784900387836)
- 戸川純の気持ち(宝島編集部編、1984年、JICC出版局 ISBN 9784880633930)
- 戸川純のユートピア(1987年、廣済堂出版 ISBN 9784331502372)
- ハート温泉 (月乃光司共著、2009年、新紀元社 ISBN 9784775306796)
写真集
- JUN TOGAWA AS A PIECE OF FRESH(1988年、勁文社 ISBN 9784766908213/2005年ブッキングより「Jun Togawa as only a lump of meat」と改題し再刊 ISBN 4835441982)
脚注
- ^ a b c d 『徹子の部屋』1984年8月9日放送分より[信頼性要検証]
- ^ 番組内のコーナー「THE DETECTIVE STORY」で大金持ちのマイペースな令嬢役を演じた。
- ^ この両方の作品に出演することは、松竹内で暗黙のうちに「禁止」されていたが、戸川がはじめてその禁を破った。
- ^ a b 『徹子の部屋』1991年頃の出演より[信頼性要検証]
- ^ a b 『さんまのまんま』 1986年出演時より[信頼性要検証]
- ^ ばるぼら著『NYLON100% 80年代渋谷発ポップ・カルチャーの源流』(アスペクト)収録の戸川へのインタビューより。
- ^ 『森田一義アワー 笑っていいとも!』テレフォンショッキング 1989年9月12日出演時より[信頼性要検証]
- ^ 『森田一義アワー 笑っていいとも!』テレフォンショッキング1990年10月15日出演時より[信頼性要検証]
参考文献
- 樹液すする、私は虫の女 (1984年、勁文社)
- 戸川純の気持ち(宝島編集部編、1984年、JICC出版局)
- JUN TOGAWA GOES ON 〜ROOFTOP SPECIAL ISSUE〜 (2013年、Loft Project)
関連項目
- 遠藤ミチロウ アルバム「I.MY.ME:AMAMI」で「蛹化の女〜パンク蛹化の女」をカヴァー。LIVE DVD「Just Like a Boy」には、戸川純と共演した「21世紀のニューじじい」が収録された。
- 後藤まりこ - 「平成の戸川純」と評され、新宿ロフトで「激突!戸川純VS後藤まりこ After the Drive to 2010」なるタイマン勝負イベントが行われた。後藤は公演後に『戸川さん、凄かった。直視できんかった。ほんま、凄かった。僕、彼女に、影響、受けてしまいそうやから、見たり、聴いたり、せんようにします。ほんま、凄かった。戸川純、とゆう人を、今まで、見ていなくて、よかった、と思いました。もし、見てたら、僕、影響、受けまくってた、と思います。かっこよかった。』などの感想を涙を流し語っていた。
- 神聖かまってちゃん -G.Voの子がファンであり、影響を受けていることを公言している。また戸川純もバンドを評価している。
- 月乃光司 - 月乃の対談集に登場。また、ネットラジオ「オールニートニッポン」で、二人で、お悩み相談番組「ハート温泉」を放送。
- 寺田創一 - 廃盤アルバム「KIMIGAYO」収録曲を昭和享年ライブオープニングで使用。「いかしたベイビー」でも使用。
- 8 1/2 (バンド)(ハッカニブンノイチ) - 「少年たち」、「踊れない」、「戒厳令」は8 1/2由来。所属の泉水敏郎「LIFE STYLE」のアルバムに参加。
- パール兄弟 - ハルメンズ時代から交流が深い
- ハルメンズ - 2ndアルバム「20世紀」にボーカルとして参加。また「レーダーマン」、「電車でGO」、「母子受精」、「昆虫群」(カバー曲名は「昆虫軍」)等の楽曲を多数カバーする。戸川がハルメンズのファンであったため。
- BiS階段 -非常階段とBiSの合体ユニット。avex traxから「好き好き大好き」のカヴァーをリリースしている。
- 平沢進 - 戸川は平沢の数々の楽曲に参加、逆に平沢もヤプーズに楽曲提供を行なう
- 泯比沙子 - 「戸川純の再来」「博多の戸川純」など話題となる。デビューアルバム「LOVE&WAR」のレコーディングにはその当時ヤプーズに在籍していた吉川洋一郎と比賀江隆男、後に戸川純バンドやトリコミに在籍するホアチョなども参加。
- ロリータ18号 - アルバム「NUTS THE ANIMAL」で「パンク蛹化の女」をカヴァー。