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2016年10月18日 (火) 08:50時点における版

ジョー・リン・ターナー
Joe Lynn Turner
2010年、スウェーデン公演
基本情報
出生名 Joseph Arthur Mark Linquito
別名 JLT
生誕 (1951-08-02) 1951年8月2日(72歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニュージャージー州ハッケンサック
ジャンル ハードロック
職業 シンガーソングライター
担当楽器
活動期間 1976年 - 現在
共同作業者 FANDANGO
レインボー
イングヴェイ・マルムスティーンズ・ライジング・フォース
ディープ・パープル ほか
公式サイト ..:: Official Joe Lynn Turner Site ::..

ジョー・リン・ターナー(Joe Lynn Turner1951年8月2日 - )はアメリカ人の歌手、アメリカ合衆国ニュージャージー州ハッケンサック出身。本名・ジョゼフ・アーサー・マーク・リンキート(Joseph Arthur Mark Linquito)。ハード・ロック・バンドであるレインボー在籍時の作品で知られる[1]。ターナーは、かつてジャズ・ロック・バンドであるファンダンゴのフロントマンを務め、またイングヴェイ・マルムスティーンが率いるライジング・フォース及びディープ・パープルと、ごく短期間だが共同作業を行っている。1990年代半ばから、ターナーは自分のソロ活動を追究する一方で、同時に様々な音楽グループにも加わり、作品を残してきた(プログレッシヴ・ロック・バンドのマザーズ・アーミー、ファンク・ロックのデュオであるヒューズ・ターナー・プロジェクト、アダルト・オリエンティド・ロックのサンストームなど)。ターナーは2014年9月現在、マザーズ・アーミーから発展したレイテッド・エックスのヴォーカリストである。彼らのアルバムは2014年11月に発売される予定である[2]

経歴

ジョー・リン・ターナーことジョセフ・アーサー・マーク・リンキートは、イタリア系アメリカ人の家に生まれる。高校生の時、ターナーはエズラというバンドを組み、自分達のオリジナル曲やカヴァー曲を演奏していた。子供の時はアコーディオンを弾いていたが、その後典型的なリズム&ブルースに興味を持つようになる。そして、10代前半でギターを弾きこなすようになった。ターナーに影響を与えたのは、レッド・ツェッペリンジミ・ヘンドリックスフリーといったアーティスト達だった[3]1976年、ターナーはファンダンゴに参加し、初めてバンドの持つ全国的な影響力というものを経験する。このバンドは、リズム&ブルース、ポップス、カントリー、ジャズ、そしてメロディアスなロックをミックスしたバンドだと形容されていた。ターナーはファンダンゴの4枚のアルバム全てで歌とギターを担当している。ファンダンゴは非常に多くのバンドと一緒にツアーをしたが、そうしたバンドの中にはオールマン・ブラザーズ・バンド、マーシャル・タッカー・バンド、ビーチ・ボーイズなどがいた。ビリー・ジョエルとも一緒にツアーで回っている。

ファンダンゴが解散した後、ターナーにイギリス人ギタリスト、リッチー・ブラックモアから電話がかかってきた。これはオーディションへの誘いの連絡で、結果としてターナーはすぐにレインボウのメンバーに加入することになった。レインボウは、ターナーが加入する以前はヨーロッパと日本では人気があったものの、アメリカでは同様に人気を獲得しているとは言えない状態だった。ターナーの加入によってよりポップス志向が強まり、その結果アメリカで一気に成功を勝ち取ることになった。ターナーが参加したアルバムの中からの何曲かは、80年代初期から中期にかけて、ロック専用のラジオ局のチャートでトップ20に入っている。「ストーン・コールド」は、トップ40入りしたレインボウの最初の曲で、この曲のヴィデオはMTVでヘヴィー・ローテーションとして放送された。ターナーは、レインボウ名義でのスタジオ録音のアルバム3枚に参加している。「アイ・サレンダー」、「闇からの一撃」、「ストリート・オヴ・ドリームズ」である。アルバム「ストリート・オヴ・ドリームズ」からは同名のシングルが発売された。レインボウは1984年に解散する。

1985年、レインボウの解散後、ターナーはソロ・アルバムを発売する。「レスキュー・ユー」は、クイーンやザ・カーズとの仕事で知られていたロイ・トーマス・ベイカーのプロデュースで制作された。ターナーはほとんどの曲をフォリナーのキーボーディスト、アル・グリーンウッドと共作している。一枚目のシングル曲「エンドレスリー」はラジオとMTVで繰り返し放送された。その後ナイト・レンジャーパット・ベネターとのツアーを行い、またテレビ映画「ブルー・デ・ヴィユ」に出演したりしている[4]

1987年には、ターナーはマイケル・ボルトンのアルバム「いざないの夜(The Hunger)」でバックコーラスに参加している。ターナーの声が聞ける曲は、「ホット・ラヴ」と「ジーナ」の2曲である。

1988年には、イングヴェイ・マルムスティーンのライジング・フォースに参加し、アルバム「オデッセイ」を録音している。このアルバムの発売後、短期間のツアーに出ているが、その際にレニングラードでコンサートを行い、これが録音されて「トライアル・バイ・ファイア」(1989)として発売された。しかし1989年中に彼はライジング・フォースを離れ、ディープ・パープルに参加する。アルバムは1枚だけ、「スレイヴズ&マスターズ」(1990)を録音している。このアルバムはビルボードで第87位まで上がり、発売後1991年に行われたツアーは比較的成功したものになった。しかしターナーはディープ・パープルも1992年後半に脱退してしまう[5]。その後、プログレッシヴ・ロック・バンドであるマザーズ・アーミー(ジェフ・ワトソンボブ・デイズリーカーマイン・アピス)と3枚のアルバムを制作している[6]

ターナーは、主に1990年代半ばからソロ活動を行い、多くの成果を挙げている。ブルガリア人のギタリストであるニコロ・コッツェフ率いるフィンランドのロックバンド、ブレイズン・アボットとの共演、ヒューズ・ターナー・プロジェクト名義でのグレン・ヒューズとの共演などである。ターナーは、ニコロ・コッツェフのロック・オペラ、「ニコロ・コッツェフのノストラダムス」にも参加している。2005年にはターナーはロシアのスタジオ・プロジェクト、マイケル・メン・プロジェクトのアルバム「メイド・イン・モスコウ」にも、グレン・ヒューズとともに参加している。2006年には非常に音楽的に成功したスタジオ・プロジェクト「サンストーム」に参加し、ドイツのロックバンド「ピンク・クリーム69」のベーシスト、デニス・ウォードと共演している。ターナーは「ヴォイスイズ・オヴ・クラシック・ロック」のゲストを務めている。ターナーは、オーストラリアのバンドAC/DCのヴォーカリスト、ブライアン・ジョンソンと共に、クラシック・ロック・ケアズ・チャリティ・ツアー(長きにわたる友人である、ジョン・エントウィッスル・バンドのドラマーでプロデューサーでもあったスティーヴ・ルオンゴの呼びかけで行われた)で主演を務めている。

2006年8月4日には、日本の東京芸術劇場新日本フィルハーモニー交響楽団と共にレインボウの楽曲を歌うという特別公演を行っている。

2008年、ターナーは「オーヴァー・ザ・レインボウ」を結成した。このバンドは元レインボウのメンバーであるキーボーディスト、ポール・モリスと、ブラックモアの息子ユルゲンがギターを担当するトリビュート・バンドである。

ターナーはツアー・バンドである「ビッグ・ノイズ」のメンバーの一人だった。このバンドは、ギタリストのカルロス・カヴァーゾ、ベーシストのフィル・スーザン、そしてドラマーのヴィニー・アピスというメンバーで構成されていた。

ターナーはノルウェイのグループ「ヤン・ホルバーグ・プロジェクト」に加入している。このバンドは2011年にスタジオ・アルバムである「センス・オヴ・タイム」を発売している。

2012年夏、スウェーデンで行われたゴールデン・タイムズ・フェスティヴァルで、ターナーとレジェンズ・ヴォイス・オヴ・ロックが共演している。

2013年、ドイツのヘヴィ・メタル・バンド、「アヴァンタシア」のアルバム「ミステリー・オヴ・タイム」の数曲にゲスト参加している。このアルバムは同年3月に発売された。

2013年の3月と4月には、ラスベガスのLVHホテルとカジノで行われたショー、「レイディング・ザ・ロック・ヴォルト」に特別ゲストとして出演している。

来日公演

  • 1981年8月、レインボーのヴォーカルとして来日。この時、ポリドールから「アイ・サレンダー」のゴールドディスクが授与された。
  • 1982年10月、レインボーのヴォーカルとして来日。
  • 1984年3月、レインボーのヴォーカルとして来日。
  • 1988年8月、Yngwie J.Malmsteen's RISING FORCEのヴォーカルとして来日。
  • 1991年6月、ディープ・パープルのヴォーカルとして来日。
  • 2000年10月、ソロとして来日。ゲストは後に正式にプロジェクトを組むことになるグレン・ヒューズ。
  • 2002年5月、「ヒューズ・ターナー・プロジェクト」としてグレン・ヒューズと共に来日。
  • 2004年2月、「ヒューズ・ターナー・プロジェクト」として2度目の来日。
  • 2006年8月4日 新日本フィルハーモニー交響楽団とトリビュート・トゥ・レインボーで一夜限りの共演を果たす。
  • 2007年5月、グラハム・ボネット率いるアルカトラスと、ダブル・ヘッドライナーとして競演。各地でライブを行った。
  • 2009年4月、レインボーのトリビュート・バンド、OVER THE RAINBOWで来日。大阪、東京でライブを行った。
  • 2014年9月、進撃の阪神巨人 ロックコンサート!! 日本武道館で、深見東州ミッキー・トーマスボビー・キンボールスティーヴ・オージェリーと東州ロック5人組を結成し、一夜限りのチャリティーライブを行った[7][8]

ディスコグラフィー

ソロ・アルバム / プロジェクト

  • 1985年 Rescue You (1stアルバム)
  • 1995年 Nothing's Changed (2ndアルバム)
  • 1997年 Under Cover (カヴァー・アルバム)
  • 1998年 Hurry up and Wait (3rdアルバム)
  • 1999年 Under Cover 2 (カヴァー・アルバム)
  • 2000年 Holy Man (4thアルバム)
  • 2001年 Slam (5thアルバム)
  • 2003年 JLT (6thアルバム)
  • 2005年 The Usual Suspects (7thアルバム)
  • 2007年 Second Hand Life (8thアルバム)
  • 2008年 Live in Germany (ライブ・アルバム)
  • 2016年 Street of Dreams - Boston 1985 (ライブ・アルバム)
Hughes Turner Project
  • 2001年 HTP
  • 2002年 Live in Tokyo
  • 2003年 HTP2
Akira Kajiyama(梶山章)+Joe Lynn Turner
  • 2006年 Fire Without Flame

主な参加アルバム

Fandango
  • 1977年 Fandango
  • 1978年 One Night Stand
  • 1979年 Last Kiss
  • 1980年 Cadillac
Rainbow
Yngwie J. Malmsteen
  • 1988年 Odyssey
  • 1989年 Trial by Fire - Live in Leningrad 1989
  • 1996年 Inspiration
Mothers Army
  • 1993年 Mothers Army
  • 1997年 Planet Earth
  • 1998年 Fire On The Moon
Brazen Abbot
  • 1996年 Eye of the Storm
  • 1997年 Bad Religion
  • 2003年 Guilty as Sin
  • 2004年 A Decade of Brazen Abbot (ライブ・アルバム)
  • 2005年 My Resurrection
Sunstorm
  • 2006年 Sunstorm
  • 2009年 House of Dreams
  • 2012年 Emotional Fire
  • 2016年 Edge of Tomorrow
The Jan Holberg Project
  • 2011年 Sense of Time
  • 2013年 At Your Service
その他

脚注

  1. ^ Thompson, Dave (2004). Smoke on the Water: The Deep Purple Story. ECW Press. pp. 260–. ISBN 978-1-55022-618-8. http://books.google.com/books?id=LzzCw6xs9roC&pg=PA260 2011年9月24日閲覧。 
  2. ^ Larry Petro (2014年8月12日). “Supergroup RATED X To Release Debut Album In November”. KNAC.com. http://www.knac.com/article.asp?ArticleID=12589 
  3. ^ Jeb Wright (2012年11月12日). “Discover the 10 albums that changed Joe Lynn Turner’s life”. Goldmine (magazine). http://www.goldminemag.com/article/discover-the-10-albums-that-changed-joe-lynn-turners-life 
  4. ^ Blue de Ville (TV Movie 1986)”. IMDb. 2013年10月12日閲覧。
  5. ^ Marybeth Mitchell. “Can Happen Here – Joe Lynn Turner”. Higher Rock Music. http://www.higherrockmusic.com/index.php?option=com_content&view=article&id=1826:can-happen-here-joe-lynn-turner-&catid=63:other-genre-news&Itemid=94 2013年10月14日閲覧。 
  6. ^ Biography”. Joe Lynn Turner official website. 2014年2月23日閲覧。
  7. ^ “Legendary artists rock Tokyo, raise money for charity”. ジャパンタイムズ (ジヤパンタイムズ). (2014年10月4日). オリジナルの2014年10月19日時点におけるアーカイブ。. http://archive.is/Qpzsd 
  8. ^ “ロックスターらがチャリティーコンサート エイズ撲滅へ”. 毎日新聞 (毎日新聞社). (2014年9月28日) 

外部リンク