「ロッド・エヴァンス」の版間の差分
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2016年10月18日 (火) 08:42時点における版
ロッド・エヴァンス Rod Evans | |
---|---|
出生名 | Roderick Evans |
生誕 | 1947年1月19日(77歳) |
出身地 | イングランド、スラウ |
ジャンル |
ハードロック プログレッシブ・ロック |
職業 | 歌手 |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 |
1959年 - 1973年 1980年 |
共同作業者 |
ディープ・パープル キャプテン・ビヨンド |
ロッド・エヴァンス(Rod Evans , 1947年1月19日 - )は、イギリス出身のヴォーカリスト。ディープ・パープルのオリジナル・メンバーであったことで知られる。
来歴
生い立ち
イングランドのスラウで生まれる。少年時代にロックンロールに興味を持ち、中学を卒業後ロンドンに移る。1965年頃に所属していたメイズというバンドでドラマーのイアン・ペイスと出会う。メイズは何枚かのレコードを発売するがいずれも成功を収めることはなかった。1968年、エヴァンスとペイスはディープ・パープルの前身であるラウンドアバウトのオーディションを受け、同グループへ加入した。
ディープ・パープル
エヴァンスの在籍期間中、ディープ・パープルは『ハッシュ』『ケンタッキー・ウーマン』などのヒット曲と3枚のアルバムをリリースしたが、やがてハードロックを指向するバンドメンバーとすれ違うようになり、わずか1年で解雇される。彼の後任にはイアン・ギランが迎えられた。
脱退後
1971年、エヴァンスはアイアン・バタフライの元メンバーらと共にキャプテン・ビヨンドを結成。アルバムを2枚発表して高い評価を得たが、アメリカでのセールスが振るわず、商業的には苦戦を強いられた。メンバーの入れ替わりも激しく、ついにはエヴァンス自身も脱退し、バンドは軌道に乗らないまま1973年に活動を休止した。
1977年、再びキャプテン・ビヨンドのメンバーが集まってアルバムを1枚出したが、エヴァンスが参加することはなかった。
「再結成」騒動
1980年、エヴァンスはロック史に残る事件を起してしまう。いわゆる「偽ディープ・パープル事件」である。エヴァンスはこの当時解散状態にあったディープ・パープルの名前を使用し、無断で活動を行ったのである。
エヴァンスはメンバーによく似た見た目のマイナーミュージシャンを集め、新聞に広告を載せ、アメリカでコンサートを開いた。コンサートでは自身が在籍した時期のものでない人気曲(『スモーク・オン・ザ・ウォーター』『ハイウェイ・スター』)などを数多く採り上げたこともあり、実体としては単なる偽者に過ぎなかった。公演中にそう気付いた観客は激怒し、ビンをステージに投げつけるなどをしたという[1]。こうしたコンサートは数回行われたが、ディープ・パープル側のスタッフが広告などで虚偽を知らせる表明をした結果、騒動は終局した。
エヴァンスはディープ・パープルのマネジメント会社に訴えられ、672,000ドルの損害賠償を命じられたうえ、自身が関わったディープ・パープル時代のアルバムの印税所得権利を放棄させられた[1]。
この一件の後、エヴァンスは表舞台に姿を表していない。
脚注
- ^ a b “Captain Beyond: Band Member Info on ROD EVANS”. Web.archive.org. 2014年7月17日閲覧。