「高野哲」の版間の差分
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2016年10月17日 (月) 14:25時点における版
高野 哲 | |
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別名 | TETSU |
生誕 | 1972年12月12日(51歳) |
出身地 | 日本 北海道帯広市 |
ジャンル | ロック |
職業 |
ヴォーカリスト ギタリスト 作詞家 作曲家 |
担当楽器 |
ヴォーカル ギター |
レーベル | afro skull records |
共同作業者 |
nil ZIGZO MALICE MIZER THE JUNEJULYAUGUST インディーズ電力 THE BLACK COMET CLUB BAND |
公式サイト | afro skull records |
高野 哲(たかの てつ、1972年12月12日 - )は、日本のヴォーカリスト、ギタリスト。nil、THE JUNEJULUAUGUST、インディーズ電力、ZIGZO、THE BLACK COMET CLUB BANDでヴォーカル&ギターとして活動。北海道帯広市出身。
来歴
北海道帯広市で生まれ、すぐに札幌市に移り住んだ。その後茨城県に転居し、国立の幼稚園に入園したものの1年で東京都へ転居し、巣鴨の幼稚園に転入した[1]。その後は東京で育ったが、生まれ故郷である北海道への思い入れが強く、プロフィールの出身地欄に「東京都帯広市」という架空の地名を書いていたこともある[2]。
高校卒業後、アルバイトしていた新宿のカラオケ店でMana(G)、Közi(G)と出会い、人間性に惹かれて1992年にヴィジュアル系ロックバンドMALICE MIZERを結成[1]。初代ヴォーカルとなる。名前はtetsuと表記していた。tetsu在籍時の公式音源は1994年7月にリリースされたアルバム“memoire”(12月にボーナストラック「バロック」を収録し“memoire DX”として再リリース)のみであるが、2代目ヴォーカルGacktの歌でリリースされた“ma chérie~愛しい君へ~”と“死の舞踏”はtetsu在籍時からライブで演奏されており、元となる詞はtetsuによるものである(リリース時には一部が変更され、作詞のクレジットはMALICE MIZER名義となっている)。音楽的方向性・活動方針の違いから、1994年12月27日に脱退。脱退後もメンバーとは交流があり[3]、Közi は2013年2月、哲が出演するライブを観に行ったことをTwitterで報告していた[4]。
1995年にMega 8 Ballの結成に参加。名前の表記はTETSU。アルバム“Hybrid”をリリースしたが、中心人物であったベースのRIKIJIがOBLIVION DUSTへ加入するため、1998年、活動休止となる。
1998年、哲はヴォーカル&ギターを行うソロワークとしてnilの活動を開始した。旧友の樫本博之(B)、茂呂亨志(Ds)を迎え、3ピースバンドとなったが、11月、樫本の脱退をきっかけに活動を休止した。
1998年夏、当時バンド活動を行っていなかった元BY-SEXUALのRYO(G)、DEN(B)、元L'Arc〜en〜CielのSAKURA(Ds)がセッションを行い始め、TETSUが加わった(ZIGZO在籍時の表記はTETSU)。TETSUとSAKURAは、1993年1月以前に共通の知り合いを介して知り合っていた[5]。1999年2月、渋谷ラ・ママで「マリス・アン・セックス」というバンド名でシークレットライブを行った後、バンド名をZIGZOと発表し、4月13日より本格始動した。7月1日、1stシングル「血と汗と涙の裏側のハッピー」で日本コロムビア傘下のTRIADレーベルよりメジャーデビュー。8枚のシングル、2枚のオリジナルアルバム、1枚のベストアルバム、2本のVHSと1枚のDVDをリリースし、2002年3月16日、ツアー“THE LAST SCENE ZIGZO”赤坂BLITZ公演を最後に解散した。
ZIGZO解散ツアー前の2002年1月、オリジナルメンバーでnilの活動を再開した(これ以降、名前は本名である高野哲を用いている)。自主レーベル“afro skull records”を立ち上げ、9月に1stアルバム“nil from hell”をリリース。2005年3月樫本、茂呂が脱退し、4月に小林勝(B、元SOY SAUCE SONIX、元Sads、クロマニヨンズ)、大古殿"FURUTON"宗大(Ds、元THE SPACE COWBOYS、元OBLIVION DUST、元MEGA 8 BALLサポート、元HYDE BAND、現在音楽活動から引退)が加入。大古殿は同年10月に脱退し、12月に風間弘行(Ds、元the fantastic designs、BRANCO)が加入した。
2006年より「単独行動」と称してソロ活動を開始。8月、アルバム“The Ball&Wall”をリリースし、以後、nilの活動と並行してライブ活動を行っている。
2010年、ピアノの佐藤統(opening)とドラムの梶原幸嗣(元REDЯUM、HUMAN TAIL)と、ベースレスの3ピースバンドTHE JUNEJULYAUGUSTを結成。8月、1stシングルをリリースした。
2011年、3月11日に起きた東日本大震災をきっかけに、うつみようこ(元メスカリン・ドライヴ、元ソウル・フラワー・ユニオン、うつみようこ&YOKOLOCO BAND)を「代表取締役社長」、佐藤タイジ(THEATRE BROOK、TAIJI at THE BONNET、The SunPaulo)を「専務取締役」、高野哲を「常務取締役」と称する3ピースアコースティックバンド、インディーズ電力を結成。2014年9月、初のオリジナルアルバム「はじめての感電」をリリース。うつみようこは2015年4月、リリースツアー「感電のススメ」最終日、いわきburrows公演をもって会長職へと勇退した。
2011年11月、Shibuya O-WESTで開催されたSAKURA主催ライブ「暗黒秋櫻」に元ZIGZOの4人が出演。サプライズでZIGZOとして演奏し、2012年3月17日に赤坂BLITZでライブを行うことを発表した[6]。ライブ、ツアーを行った後、2012年10月、アルバム“THE BATTLE OF LOVE”で日本クラウンより再メジャーデビュー。同月、自身のキャリアで初となる渋谷公会堂ワンマンライブを行った。
2015年、nilの小林勝(B)、風間弘行(Ds)、THE JUNEJULYAUGUSTの佐藤統(Pf)、梶原幸嗣(Ds)と5ピースロックバンドTHE BLACK COMET CLUB BANDを結成。8月にRISING SUN ROCK FESTIVALで初公式ライブを行った。10月、1stアルバム“THE BLACK COMET CLUB BAND”をリリース。
脚注
外部リンク
- ^ a b 音楽と人Presents SPECIAL TALK SESSION『高野 哲の 愛し愛され40年!人生は121212パンチ!』(2012年12月12日)より
- ^ WESS会報誌「WE!」 ZIGZO TETSU What did you lose? No.001 2001年10月号
- ^ Rooftop Közi(ZIZ)×高野哲(THE JUNEJULYAUGUST) 2013年5月8日
- ^ KöziオフィシャルTwitter @Kzi_official 2013年2月25日
- ^ ARENA37℃ 1999年6月号
- ^ ZIGZO、再始動を発表BARKSニュース 2011年11月21日