「ミック・テイラー」の版間の差分
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2016年10月17日 (月) 13:08時点における版
ミック・テイラー | |
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ファイル:Mick Taylor 2009.jpg | |
基本情報 | |
出生名 | マイケル・ケヴィン・テイラー |
別名 | Little Mick |
生誕 |
1949年1月17日(75歳) イングランド, ウェリン・ガーデン・シティ |
ジャンル |
ブルースロック ロック |
職業 |
ミュージシャン ソングライター |
担当楽器 |
ギター ヴォーカル |
活動期間 | 1965年 - 現在 |
レーベル |
コロムビア・レコード デッカ・レコード ローリング・ストーンズ・レコード アトランティック・レコード EMI ヴァージン・レコード CBS |
共同作業者 |
ジョン・メイオール&ザ・ブルースブレイカーズ ローリング・ストーンズ |
著名使用楽器 | |
Gibson Les Paul Gibson SG |
マイケル・ケヴィン "ミック"・テイラー(Michael Kevin "Mick" Taylor, 1949年1月17日 - )は、イギリスのミュージシャン。ローリング・ストーンズの元ギタリストとして最も有名である。
『ローリング・ストーン』誌の2007年11月号の企画、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も過小評価されている25人のギタリスト」において第8位。2011年、「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」において第37位。
生い立ち
ハートフォードシャーのウェルウィン・ガーデン・シティで生まれ、同州のハットフィールドで成長した。9歳でギターを演奏し始め、その才能は非凡なものがあると認められた。素人時代にエリック・クラプトンが欠場したブルースブレイカーズのライブに客席から飛び入りし、クラプトンのギターを完全にコピーしてみせたという伝説を持つ。わずか17歳でジョン・メイオールのブルースブレイカーズに加入し、ツアーやレコーディングを行った。1966年から69年にかけてテイラーはブルースとロックンロールを元にしたその演奏スタイルを確立していった。
ストーンズ加入
ローリング・ストーンズは1969年に3年ぶりの北米ツアーを行うことを熱望していたが、問題があった。バンド創立以来のギタリストであったブライアン・ジョーンズは薬物依存を脱しようと努力していたが、警察に執拗に家宅捜索等をおこなわれた結果、2度逮捕されてしまい、海外ツアー実施の障害となっていた。ステージから遠ざかっていたストーンズは過去のバンドと見なされ、その価値をステージ上で証明する必要があったため、1966年以来3年間遠ざかっているワールドツアーを絶対におこなわないといけない状況にあった。逮捕前から他のメンバーから疎外されつつあったブライアンは結局バンドを解雇されることになり、解雇後間もなく自宅のプールで溺死した。この場所は「クマのプーさん」の著者で知られるA・A・ミルンがかつて所有していた農場で、現在もハートフィールド村にある。
ストーンズ参加は、5年後にメンバーとなるロン・ウッドの場合と異なり、オーディションは行われなかった。ブライアンの脱退後、ミック・ジャガーはジョン・メイオールからテイラーの紹介を受け、当時録音中の『レット・イット・ブリード』のセッションに参加させた。テイラーは「カントリー・ホンク」「リヴ・ウィズ・ミー」の2曲に参加したが、単なるセッションの仕事と考えていた。数日後、ジャガーはテイラーにストーンズの正式ギタリストに選ばれたことを伝えた。「ホンキー・トンク・ウィメン」のギター・トラックは「カントリー・ホンク」でのテイラーのリフにインスパイアされ、再録音されることになった。そのため「ホンキー・トンク・ウィメン」には解雇前のブライアンの演奏を含め、ギターが3トラック収録された。
テイラーが参加したライブは1970年の『ゲット・ヤー・ヤ・ヤズ・アウト』に収録されている。同作はオルタモントの悲劇の1週間前、マディソン・スクエア・ガーデンでの2夜連続ライブの模様が収録された。彼の参加したスタジオ・アルバムは『スティッキー・フィンガーズ』『メイン・ストリートのならず者』『山羊の頭のスープ』『イッツ・オンリー・ロックン・ロール』の4作品である。
ストーンズ加入後は主にリード・ギターを担当していたが、一部の曲(「ビッチ」「シェイク・ユア・ヒップス」など)ではリズム・ギターに廻り、非常に的確なリズム・ギターを披露していた。また「フィンガープリント・ファイル」ではベースも担当した。
ストーンズ脱退とその後の関係
テイラーはストーンズを1974年12月に脱退する。次作『ブラック・アンド・ブルー』のセッションが西ドイツのミュンヘンで始まる頃であった。脱退についてテイラー自身は「メンバー間の個人的感情の問題ではなく、純粋に音楽的理由で脱退した。」と語った。ミック・ジャガーはテイラーの脱退を冷静に受け止めており、1995年に『ローリング・ストーン』誌のジャン・ウェナーとのインタビューで、テイラーがメンバーだった時期がバンドの最も音楽的に充実した時期であったと認めた上で、「彼はソロ経歴を積みたかったんだよ。僕が思うに彼はキースとうまくやっていくのが難しいと悟ったのさ。」と語った。キース・リチャーズは彼の脱退に対して不満を漏らしたが、ギターワークについては後に加入するロン・ウッドの方が「ブライアンとやってた時のような感覚に戻った。」とも語っている。この頃リチャーズと不仲だったというビル・ワイマンは、この脱退に乗じて自身のプロジェクトでバンドを組まないかと誘ったという。チャーリー・ワッツも後年「あの時期での脱退は不適切だったと思う。」とそれぞれ語っていて、脱退についてメンバーそれぞれに全く異なる印象を与えていたことが窺える。
しかしながら1981年12月14日にテイラーは、ストーンズのカンザスシティ、アローヘッド・スタジアム公演に参加した。また1986年12月28日のテイラーのニューヨーク・クラブでのコンサートにはキースが参加している。彼らは「キー・トゥ・ザ・ハイウェイ」「キャント・ユー・ヒア・ミー・ノッキング」を演奏した。1987年にはキースの初ソロ・アルバム『トーク・イズ・チープ』(1988年)の「ストゥッド・ユー・アップ」のレコーディングに参加しており、キースから「なんでお前のことが嫌いなのか良くわかったよ。」とジョークを飛ばされたといい、1980年代に入って以降は互いの持っていた複雑な感情を時が解消しており、現在メンバー達との関係は良好である。こういったことがきっかけとなって、ストーンズの1989年にロックの殿堂入りの際に、メンバーとして共に舞台にあがっている。2012年11月にイギリスで、12月にアメリカで開催されたストーンズ50周年記念liveに参加して「ミッドナイト・ランブラー」で見事なギタープレイを披露してファンを感涙させ、その後、2013年から2014年の現在も行われているワールド・ツアーにはゲストミュージシャンとしての扱いながら毎回参加しており、公演後のスタンディングオベーションにメンバー達とともに応えている。
ソロ・キャリア
1973年にヴァージン・レコードのリチャード・ブランソンの誘いを受けてマイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」のプロモーション・ライヴに参加している。ザ・ローリング・ストーンズ脱退後、ジャック・ブルースのバンドにカーラ・ブレイとともに参加してUK国内のツアーを行いスタジオ・レコーディング迄には至らなかったが、マンチェスター公演のライヴ録音「Live at the Manchester Free Trade Hall"」(CD, 2003年)をリリースしている。1977年にはマイク・オールドフィールドで共演した、ピエール・ムーランズ・ゴングのレコーディングに参加した後、CBSレコードとレコーディング契約を結ぶ。1978年ごろからソロ・アルバムの制作にかかる。1979年にクマ原田、ピエール・ムーランらの協力のソロ・アルバム『ミック・テイラー』をリリースした。
1982年にはジョン・メイオール・アンド・ブルース・ブレイカーズの再結成ツアーに参加後活動拠点をニューヨークに移す。翌1983年のボブ・ディランのアルバム『インフィデル』の録音参加をきっかけにボブ・ディランの依頼を受け1984年の夏の欧州公演のオープニング・アクトとバック・アップ・メンバーとして活動し、ライヴ作品『リアル・ライヴ(1984年)』を残している。また翌1985年のスタジオ録音作品『エンパイヤ・バーレスク』にも参加して録音している。ロサンジェルスでのスタジオ録音のセッション・ミュージシャンの活動と並行してキーボード奏者のマックス・ミドルトンとともに自身のバンドのライヴ活動も続け、1987年には初来日公演を行った。1990年には前年のライヴ公演を収録した「Live - Stranger In This Town」をリリースしている。またロサンジェルスのザ・テクストーンズのギタリストでありボブ・ディランとの活動を通じて友人関係にあるカーラ・オルソンとのライヴ活動を行っており共同名義の数枚のライヴ作品をリリースしている。
1999年には2作目のオリジナル・アルバム『ア・ストーンズ・スロー』を発表している。
外部リンク
- Mick Taylor Fan Club web site
- Time waits for No One. Another good fan site.