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「標準状態」の版間の差分

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一般的には[[気体]]の標準状態のことを指すことが多く、[[圧力]]と[[温度]]を指定することで示される。科学の分野により、また学会、国際規格団体によって、その定義は様々であり混乱が見られる。このため、日本熱測定学会は統一した値として、地球の大気の標準的な圧力である[[標準大気圧]]({{math|1 atm {{=}} 101.325 kPa}})を用いるべきであると主張し啓蒙活動を展開している<ref name="jscta">[[#jscta|日本熱測定学会 ICCT2008で発表したポスター]]</ref>。
一般的には[[気体]]の標準状態のことを指すことが多く、[[圧力]]と[[温度]]を指定することで示される。科学の分野により、また学会、国際規格団体によって、その定義は様々であり混乱が見られる。このため、日本熱測定学会は統一した値として、地球の大気の標準的な圧力である[[標準大気圧]]({{math|1 atm {{=}} 101.325 kPa}})を用いるべきであると主張し啓蒙活動を展開している<ref name="jscta">[[#jscta|日本熱測定学会 ICCT2008で発表したポスター]]</ref>。


== 圧力 ==
== 標準圧力 ==
指定される圧力は、'''標準状態圧力'''({{lang-en-short|standard-state pressure}}, SSP)と呼ばれる。しばしばSSPにおける量であることをに {{math|&deg;}} を付けて表され<ref name="barrow">[[#barrow|バーロー『物理化学』]]</ref>、SSPそのものは {{math|''p''&deg;}} となり、[[生成熱|標準生成エンタルピー]]であれば {{math|&Delta;{{sub|f}}''H''&deg;}} と書かれる({{math|&Delta;{{sub|f}}}} は生成反応({{en|formation}})を示す)
指定される圧力は、'''標準圧力'''({{lang-en-short|standard pressure}}と呼ばれる。しばしば標準圧力であることをため記号 {{math|&deg;}} を付けて {{math|''p''&deg;}} と書かれる。どのよう圧力を {{math|''p''&deg;}} に指定してもよいので、どのような圧力を {{math|''p''&deg;}} に指定したのか明示されなければならない<ref name=gb74>『[[#グリーンブック|グリーンブック]]』 p. 74.</ref>


SSPの設定として主なものが二種類あり、一つは、歴史的に用いられてきた、標準大気圧をSSPとする
標準圧力の設定として主なものが二種類ある。一つは、歴史的に用いられてきた、'''[[標準大気圧]]'''({{lang-en-short|standard atmosphere}})
{{Indent|<math>p^\circ\equiv 1\ \text{atm}=101\ 325\ \text{Pa}</math>}}
{{Indent|<math>p^\circ\equiv 1\ \text{atm}=101\ 325\ \text{Pa}</math>}}
であり、もう一つは1981年に[[国際純正・応用化学連合|IUPAC]]が推奨した
であり、もう一つは1982年に[[国際純正・応用化学連合|IUPAC]]が推奨した
{{Indent|<math>p^\circ\equiv 1\ \text{bar}=100\ 000\ \text{Pa}</math>}}
{{Indent|<math>p^\circ\equiv 1\ \text{bar}=100\ 000\ \text{Pa}</math>}}
である。10{{sup|5}}パスカル(1[[バール (単位)|バール]]、1 bar)は、'''標準状態圧力'''({{lang-en-short|standard-state pressure}}, SSP)と呼ばれる<ref name=codata>[[#stdspr|CODATA Value]]</ref><ref name=gb74 />。ただし、1982年以前は標準大気圧 101.325 kPa がSSPであった。SSPとは、後述する「物質の標準状態」を規定する際に用いられる圧力であって、他の標準圧力の使用を妨げるものではない{{sfn|Cox|1982|p=1247}}。例えばデータベースに収録されている物質の[[沸点]]は大抵の場合、標準大気圧下の沸点({{en|normal boiling point}})である。
である。


1960年の[[国際単位系]](SI)の採択を経て、IUPACでも1969年にGreen bookを出版してSIへの転換とした<ref name="netsu"/>。その後1970年代のGreen book改訂の際に[[標準気圧]]が非SIになるとして、SSPの慣習的な1気圧(1 atm)から10{{sup|5}}パスカル(1[[バール (単位)|バール]]、1 bar)への変更が主張され、IUPACの推奨はこの主張に沿って行われた。20年以上(2004年当時)を経過してもIUPACの推奨はしばしば無視されており、化学熱力学のデータベースに二種類の設定があることで混乱が見られる<ref name="netsu">[[#netsu|長野 (2004)]]</ref><ref name="nagano">[[#nagano|長野 “標準状態圧力の成立過程”]]</ref>。種々の[[物理定数]]の推奨値を発表している[[科学技術データ委員会|CODATA]]はIUPACの推奨に沿って後者をSSPとしているが<ref>[[#stdspr|CODATA Value]]</ref>、標準状態の設定に依存する[[モル体積]]や[[ザックール・テトローデ方程式|サッカー・テトロード定数]]などは両方のSSPに基づく値で発表している。
1960年の[[国際単位系]](SI)の採択を経て、IUPACでも1969年にGreen bookを出版してSIへの転換とした<ref name="netsu"/>。その後1970年代のGreen book改訂の際に[[標準気圧]]が非SIになるとして、SSPの慣習的な1気圧(1 atm)から10{{sup|5}}パスカル(1[[バール (単位)|バール]]、1 bar)への変更が主張され、IUPACの推奨はこの主張に沿って行われた。20年以上(2004年当時)を経過してもIUPACの推奨はしばしば無視されており、化学熱力学のデータベースに二種類の設定があることで混乱が見られる<ref name="netsu">[[#netsu|長野 (2004)]]</ref><ref name="nagano">[[#nagano|長野 “標準状態圧力の成立過程”]]</ref>。種々の[[物理定数]]の推奨値を発表している[[科学技術データ委員会|CODATA]]はIUPACの推奨に沿って後者をSSPとしているが<ref name=codata />、標準圧力の設定に依存する[[理想気体]]の[[モル体積]]や[[ザックール・テトローデ方程式|サッカー・テトロード定数]]などは、100 kPa および 101.325 kPa の両方の標準圧力に基づく値で発表している。


IUPACによるSSPの変更の推奨は単位の変更に伴うものとして行われたが、標準状態とは(仮想的な)測定条件であり、基準とする量の選び方であって、単位の選び方ではない。物理学の理論は単位の選び方には依らないが、例えば標準生成エンタルピーは標準状態の設定に依存してその'''量が変化する'''(単位の変更による数値の変化ではない)。そもそも、10{{sup|5}}パスカル、あるいはバールは、SIに沿った'''[[一貫性 (単位系)|一貫性]]のある単位ではない'''ことに注意。
IUPACによるSSPの変更の推奨は単位の変更に伴うものとして行われたが、標準状態とは(仮想的な)測定条件であり、基準とする量の選び方であって、単位の選び方ではない。物理学の理論は単位の選び方には依らないが、例えば[[生成熱|標準生成エンタルピー]]は標準状態の設定に依存してその'''量が変化する'''(単位の変更による数値の変化ではない)。そもそも、10{{sup|5}}パスカル、あるいはバールは、SIに沿った'''[[一貫性 (単位系)|一貫性]]のある単位ではない'''ことに注意。


== 温度 ==
== 温度と圧力の標準条件 ==
基準とする温度には、'''SATP'''と'''STP'''がある。温度は右下の添え字で示される<ref name="barrow"/>
基準とする温度には 25 ℃ か 0 ℃ が選ばれることが多い。呼び名のある温度と圧力の標準条件としては、'''SATP'''と'''STP'''と'''NTP'''が挙げられる。
; SATP
; SATP
: 基準の温度を25[[セルシウス度]](298.15[[ケルビン]])とするものがSATP(標準環境温度と圧力、{{lang-en-short|standard ambient temperature and pressure}})と定義される。
: 基準の温度を25[[セルシウス度]](298.15[[ケルビン]])、標準圧力を 100 kPa とするものがSATP(標準環境温度と圧力、{{lang-en-short|standard ambient temperature and pressure}})と定義される<ref name=atkins21>『[[#アトキンス物理化学要論|アトキンス物理化学要論]]』 p. 21.</ref>
; STP(1990年頃以降)
: 気体の標準状態としては、現在は主にSATPが使われる。
: 基準の温度を0セルシウス度(273.15ケルビン)、標準圧力を 100 kPa とするものがSTP(標準温度と圧力、{{lang-en-short|standard temperature and pressure}})と定義される{{sfn|Calvert|1990|pp=2216, 2217}}。1990年頃<ref name=stp group=注>SSPと同時にSTPが変更されたと考えるなら1982年頃であり、{{仮リンク|Gold book|en|Compendium of Chemical Terminology}}の第2版が出版された時点で初めて推奨されたと考えるなら1997年である。</ref>より前のSTPはNTPと同じである。
; STP
; NTP
: 基準の温度を0セルシウス度(273.15ケルビン)とするものがSTP(標準温度と圧力、{{lang-en-short|standard temperature and pressure}})と定義される。
: 基準の温度を0セルシウス度(273.15ケルビン)、標準圧力を 101.325 kPa とするものがNTP(標準温度と圧力、{{lang-en-short|normal temperature and pressure}})と定義される<ref>[[#JISK0211|JIS K 0211:2013]] p. 5.</ref><ref group=注>STPと同様に、時代や地域や分野が違えば、別の条件がNTPと呼ばれうる。</ref>。NTPは1990年頃より前のSTPと同じである。
気体の標準状態としてどの条件が使われるかは、地域や分野により異なる。『[[#アトキンス物理化学要論|アトキンス物理化学要論]]』によれば2016年現在、主に 25 ℃、1 bar のSATPが使われるが、0 ℃、1 atm のSTP<ref group=注>これは1990年頃より前のSTPであり、NTPと同じである。</ref>は、今でも使われている<ref name=atkins21 />。一方『[[#ボール物理化学|ボール物理化学]]』によれば、0 ℃、1 bar のSTPが最もふつうの一組である<ref name=ball8>『[[#ボール物理化学|ボール物理化学]]』 p. 8.</ref>。日本では、単に標準状態といえば 0 ℃、1 atm のNTPを指すことが多い<ref>[[#kotobank|コトバンク『標準状態』]]</ref>。


== 体積 ==
== 気体の体積 ==
1[[モル]]の[[理想気体]]の[[体積]]は、SATPでは24.8[[リットル]]、STPでは22.7リットル(1997年より前は22.4リットル)である。
1[[モル]]の[[理想気体]]の[[体積]]は、SATPでは24.8[[リットル]]、STPでは22.7リットル(1990頃{{sfn|Calvert|1990|pp=2216, 2217}}<ref name=stp group=注 />より前は22.4リットル)、NTPでは22.4リットルである。


<!-- 標準状態がSATP, STP, NTP のいずれであるのか不明なので コメントアウト(2017年3月)
体積を標準状態において測った場合、そのことを明示するために単位を m{{sup|3}}{{sub|N}} ('''ノルマル立米''')とすることがある<ref>[[#jemai|『大気汚染対策の基礎知識』]]</ref>。
体積を標準状態において測った場合、そのことを明示するために単位を m{{sup|3}}{{sub|N}} ('''ノルマル立米''')とすることがある<ref>[[#jemai|『大気汚染対策の基礎知識』]]</ref>。
-->
== 物質の標準状態 ==
温度 {{mvar|T}} における物質の標準状態とは、温度 {{mvar|T}}、標準状態圧力(SSP) {{math|''p''&deg;}} におけるその物質の純粋な状態または仮想的な状態である<ref name=gb73-74>『[[#グリーンブック|グリーンブック]]』 pp. 73-74.</ref>。標準状態にある物質の[[熱力学量]]は、標準状態における量であることを表すために {{math|&deg;}} を付けて表される{{refnest|group=注|SSPの下で気体を理想気体とみなすことができて、溶液を[[理想溶液]]とみなすことができるなら、「SSPにおける量であることを表すために {{math|&deg;}} を付けて表される」<ref name="barrow">[[#barrow|バーロー『物理化学』]] p. 128.</ref>と考えてもよい。}}。例えば[[生成熱|標準生成エンタルピー]]であれば {{math|&Delta;{{sub|f}}''H''&deg;}} と書かれる({{math|&Delta;{{sub|f}}}} は生成反応({{en|formation}})を示す)。温度は引数として {{math|&Delta;{{sub|f}}''H''&deg;(298 K)}} のように示すか、右下の添え字で {{math|&Delta;{{sub|f}}''H''&deg;<sub>298</sub>}} のように示す<ref name="barrow"/>。

=== 液体と固体の標準状態 ===
液体と固体の標準状態は、[[純物質]]がSSPの下にある状態である。例として標準状態における[[グラファイト]]の熱力学量<ref>[[#barrow|バーロー『物理化学』]] 表B・3.</ref>を表に示す。
{| class="wikitable" style="text-align:right"
|+グラファイトの標準熱力学量({{math|1=''p''&deg; = 1 bar}})
|-
! {{math|''T'' / K}} !! {{math|{{sfrac|''S&deg;<sub>T</sub>''|J K<sup>&minus;1</sup>mol<sup>&minus;1</sup>}}}} !! {{math|{{sfrac|''H&deg;<sub>T</sub>'' &minus; ''H''&deg;<sub>298</sub>|kJ mol<sup>&minus;1</sup>}}}} !! {{math|{{sfrac|&Delta;{{sub|f}}''H&deg;<sub>T</sub>''|kJ mol<sup>&minus;1</sup>}}}}
|-
| 0 || 0.00 || -1.05 || 0.00
|-
| 298 || 5.69 || 0.00 || 0.00
|-
| 500 || 11.65 || 2.38 || 0.00
|-
| 1000 || 24.45 || 11.82 || 0.00
|-
| 2000 || 40.63 || 35.32 || 0.00
|-
| 3000 || 50.75 || 60.30 || 0.00
|}
グラファイトの標準生成エンタルピー {{math|&Delta;{{sub|f}}''H''&deg;<sub>''T''</sub>}} は表の温度範囲では定義によりゼロである。温度 {{mvar|T}} における[[標準モルエントロピー|標準エントロピー]] {{math|''S&deg;<sub>T</sub>''}} および標準[[エンタルピー]] {{math|''H&deg;<sub>T</sub>''}} は、[[定圧モル熱容量]]の実測値 {{math|''C<sub>p</sub>''(''T'', ''p''&deg;)}} からそれぞれ
{{Indent|
<math>S^\circ_T = \int_{0}^{T} \frac{C_p (T', p^\circ)}{T'} \mathrm dT'</math>
}}
および
{{Indent|
<math>H^\circ_T = H^\circ_{298} + \int_\text{298 K}^{T} C_p (T', p^\circ)\, \mathrm dT'</math>
}}
と求められる。液体や固体の標準定圧モル熱容量 {{math|''C<sub>p</sub>''&deg;(''T'')}} は、SSPにおける定圧モル熱容量 {{math|''C<sub>p</sub>''(''T'', ''p''&deg;)}} と同じである。

=== 気体の標準状態 ===
[[実在気体]]の標準状態は、SSPの下にある純物質の理想気体である。この状態は仮想的な状態である。例えば 298 K における H<sub>2</sub>O(gas) の標準状態は、1 bar(または 1 atm)でも[[凝縮]]しない水蒸気であって、これは完全に仮想的な状態である。それに対して、SSPの下で現実に気体として存在する物質は、理想気体とみなせる場合が多い。
{| class="wikitable" style="text-align:right"
|+25 ℃ における気体の熱力学量({{math|1=''p''&deg; = 1 bar}})<ref name=FluidProp>[[#FluidProp|NIST Chemistry WebBook]]</ref>
|-
! 気体 !! {{math|{{sfrac|''H&deg;'' &minus; ''H''(''p''&deg;)|kJ mol<sup>&minus;1</sup>}}}} !! {{math|{{sfrac|''C<sub>p</sub>''&deg;|J K<sup>&minus;1</sup>mol<sup>&minus;1</sup>}}}} !! {{math|{{sfrac|''C<sub>p</sub>''(''p''&deg;)|J K<sup>&minus;1</sup>mol<sup>&minus;1</sup>}}}}
|-
| [[水素]] H<sub>2</sub> || 0.00 || 28.8 || 28.8
|-
| [[窒素]] N<sub>2</sub> || 0.01 || 29.1 || 29.2
|-
| [[二酸化炭素]] CO<sub>2</sub> || 0.04 || 37.1 || 37.4
|-
| [[アンモニア]] NH<sub>3</sub> || 0.10 || 35.6 || 36.8
|-
| [[ブタン]] C<sub>4</sub>H<sub>10</sub> || 0.25 || 98.5 || 100.6
|}
表から 25 ℃、1 bar におけるアンモニアの生成エンタルピー {{math|&Delta;{{sub|f}}''H''<sub>298</sub>(''p''&deg;)}} が 25 ℃、1 bar における標準生成エンタルピー {{math|&Delta;{{sub|f}}''H''&deg;<sub>298</sub>}} に 0.1 kJ/mol の精度で一致することが分かる。一般に、実在気体は圧力ゼロの極限で理想気体となるので、実在気体の {{math|''C<sub>p</sub>''&deg;(''T'')}} は {{math|''C<sub>p</sub>''(''T'', ''p'' → 0)}} に等しく、{{math|''H''&deg;(''T'')}} は {{math|''H''(''T'', ''p'' → 0)}} に等しい。[[四酸化二窒素]] N<sub>2</sub>O<sub>4</sub> のように、低圧で分解する分子からなる気体の標準熱力学量は、[[分光学]]データと[[統計力学]]により計算される。

SSPの下で液体として存在する物質の標準蒸発エンタルピー {{math|&Delta;{{sub|vap}}''H''&deg;(''T'')}} は、温度 {{mvar|T}} における[[蒸気圧]] {{math|''p''{{sub|sat}}(''T'')}} の下での[[蒸発エンタルピー]] {{math|&Delta;{{sub|vap}}''H''(''T'', ''p''{{sub|sat}})}} にほぼ等しい。ただし、蒸気が理想気体とみなせる場合に限る。気相中で[[二量体]]を作る[[ギ酸]]や[[酢酸]]などでは、{{math|&Delta;{{sub|vap}}''H''&deg;(''T'')}} と {{math|&Delta;{{sub|vap}}''H''(''T'', ''p''{{sub|sat}})}} は大きく異なる。また、下の表から、[[気液平衡]]にあるメタノール蒸気の {{math|''C<sub>p</sub>''(''p''{{sub|sat}})}} が異常に大きいことが分かる。これはメタノール蒸気には CH<sub>3</sub>OH 分子の他に四量体 (CH<sub>3</sub>OH)<sub>4</sub> が含まれているためである<ref>『[[#ルイスランドル|ルイス=ランドル熱力学]]』 p. 554.</ref>。
{| class="wikitable" style="text-align:right"
|+25 ℃ における蒸発エンタルピーと蒸気の定圧熱容量({{math|1=''p''&deg; = 1 bar}})<ref name=FluidProp />
|-
! 物質 !! {{math|''p''{{sub|sat}} / bar}} !! {{math|{{sfrac|&Delta;{{sub|vap}}''H''&deg;|kJ mol<sup>&minus;1</sup>}}}} !! {{math|{{sfrac|&Delta;{{sub|vap}}''H''(''p''{{sub|sat}})|kJ mol<sup>&minus;1</sup>}}}} !! {{math|{{sfrac|''C<sub>p</sub>''&deg;(gas)|J K<sup>&minus;1</sup>mol<sup>&minus;1</sup>}}}} !! {{math|{{sfrac|''C<sub>p</sub>''(gas; ''p''{{sub|sat}})|J K<sup>&minus;1</sup>mol<sup>&minus;1</sup>}}}}
|-
|-
| [[水]] H<sub>2</sub>O || 0.032 || 44.0 || 44.0 || 33.6 || 34.4
|-
| [[メタノール]] CH<sub>3</sub>OH || 0.170 || 38.1 || 37.5 || 44.0 || 116.0
|-
| [[ペンタン]] C<sub>5</sub>H<sub>12</sub> || 0.683 || 26.7 || 26.4 || 120.0 || 123.0
|}
一般に、気体および蒸気の {{math|''C<sub>p</sub>''&deg;(''T'')}} と {{math|''H''&deg;(''T'')}} は、実在気体の圧力ゼロの極限値に等しい。それに対して、気体のエントロピー {{math|''S''(''T'', ''p'')}} は圧力ゼロの極限で無限大に発散する。そのため、気体の標準エントロピーは、SSPの下にある仮想的な理想気体のエントロピーとして定義される。理想気体の熱容量とエンタルピーは圧力に依存しないので、実在気体の圧力ゼロの極限値から求めた {{math|''C<sub>p</sub>''&deg;(''T'')}} と {{math|''H''&deg;(''T'')}} は、SSPの下にある仮想的な理想気体のそれに等しい。
{{main|標準モルエントロピー}}

=== 溶液の標準状態 ===
[[溶媒]]の標準状態は、純溶媒の標準状態に等しい。

[[溶質]]の標準状態は、[[質量モル濃度]] 1 mol/kg の仮想的な[[理想希薄溶液]]である。 この仮想溶液は、溶質と溶媒の相互作用が現実の溶液と全く同じで、溶質同士の相互作用が全く存在しない溶液である。現実の溶液では、濃度ゼロの極限で溶質同士の相互作用がゼロになる。よって、溶液反応の標準反応エンタルピー {{math|&Delta;{{sub|r}}''H''&deg;}} と標準反応エントロピー {{math|&Delta;{{sub|r}}''S''&deg;}}、および標準溶解エンタルピー {{math|&Delta;{{sub|sol}}''H''&deg;}} は、いずれも無限希釈状態への外挿値として得られる。例えば標準中和エンタルピー {{math|1=&Delta;{{sub|n}}''H''&deg;(25 &deg;C) = &minus;55.8 kJ/mol}} は、強酸と強塩基の中和エンタルピーを濃度を変えていくつか測定し、測定結果を濃度ゼロの極限に外挿することにより得られた値である<ref>『[[#化学便覧|化学便覧]]』 表10.118.</ref>。

溶質成分 B の部分モル体積 {{math|''V''<sub>B</sub>}} や部分モル熱容量 {{math|''C<sub>p'', B</sub>}} のような{{仮リンク|部分モル量|en|Partial molar property}}もまた、無限希釈の極限で {{math|''V''<sub>B</sub>&deg;}} や {{math|''C<sub>p'', B</sub>&deg;}} に収束する。それに対して、部分モル[[ギブズエネルギー]]すなわち[[化学ポテンシャル]]は無限希釈の極限で負の無限大に発散する。そのため、温度 {{mvar|T}} の溶質成分 B の標準化学ポテンシャル {{math|&mu;{{sub|B}}&deg;(''T'')}} は、SSPの下にある質量モル濃度 1 mol/kg の仮想的な理想希薄溶液における化学ポテンシャルとして次式で定義する。
{{Indent|
<math>\mu_\text{B}^\circ(T) = \lim_{\text{all}\, m_i \rightarrow 0} [\mu_\text{B}(T,p^\circ,m_1,m_2,...) - RT\ln (m_\text{B}/m^\circ)]</math>
}}
ここで {{math|''p''&deg;}} はSSP、{{mvar|m{{sub|i}}}} は {{mvar|i}} 番目の溶質成分の質量モル濃度、{{mvar|R}} は[[気体定数]]、{{math|''m''&deg;}} は 1 mol/kg であり、{{math|&mu;{{sub|B}}(''T'', ''p''&deg;, ''m''{{sub|1}}, ''m''{{sub|2}}, ...)}} は実在溶液における成分 B の化学ポテンシャルである。この定義により、溶質成分 B の標準化学ポテンシャル {{math|&mu;{{sub|B}}&deg;(''T'')}} は {{math|''V''<sub>B</sub>&deg;}} や {{math|''C<sub>p'', B</sub>&deg;}} と同様に、溶液の濃度 {{math|1='''''m''''' = (''m''{{sub|1}}, ''m''{{sub|2}}, ...)}} には依らない値となる。SSPの下での実在溶液の成分 B の化学ポテンシャルは {{math|&mu;{{sub|B}}&deg;(''T'')}} を使うと
{{Indent|
<math>\mu_\text{B}(T,p^\circ,\boldsymbol m) = \mu_\text{B}^\circ(T) + RT\ln (m_\text{B}/m^\circ) + RT\ln \gamma_\text{B}(T,p^\circ,\boldsymbol m)</math>
}}
と表される。ここで {{math|&gamma;{{sub|B}}(''T'', ''p''&deg;, '''''m''''')}} は成分 B の[[活量係数]]であり、温度、圧力、濃度の関数である。

溶質の標準状態の定義は、溶媒の標準状態の定義と比べて複雑である。しかし、標準状態をこのように定義すると、溶質成分間の相互作用による理想溶液からのずれをすべて活量係数 {{math|&gamma;{{sub|B}}}} に押し込めることができる。溶液の非理想性が標準状態に取り込まれずに済む、というのがこの定義のポイントである<ref>『[[#物理化学小辞典|アトキンス物理化学小辞典]]』 pp. 269-270.</ref>。


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
;出典
{{Reflist|group="注"}}
{{reflist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|30em}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
=== 書籍 ===
=== 書籍 ===
* {{Cite book|和書|author=G. M. Barrow|title=物理化学|volume=上巻|translator=大門寛・[[堂免一成]]|publisher=[[東京化学同人]]|page=128|date=1999-03|edition=第6版|id={{全国書誌番号|99087263}}|isbn=4-8079-0502-3|ncid=BA41014520|oclc=676361134|asin=4807905023|ref=barrow}}
* {{Cite book|和書|author=G. M. Barrow|title=物理化学|volume=上巻|translator=大門寛・[[堂免一成]]|publisher=[[東京化学同人]]|date=1999-03|edition=第6版|id={{全国書誌番号|99087263}}|isbn=4-8079-0502-3|ncid=BA41014520|oclc=676361134|asin=4807905023|ref=barrow}}
*{{Cite book|和書
* {{Cite book|和書|author=田中一義|author2=田中庸裕|title=物理化学|series=化学マスター講座|publisher=[[丸善]]|page=98|date=2010-12-25|id={{全国書誌番号|21876451}}|isbn=978-4-621-08302-4|ncid=BB04408193|asin=4621083023|oclc=744241296|ref=tanaka}}
|author1= J.G. Frey
* {{Cite book|和書|editor=環境保全対策研究会 編|title=二訂・大気汚染対策の基礎知識|publisher=[[社団法人#一般社団法人|一般社団法人]][[産業環境管理協会]]|edition=第3版|page=49|date=2005-02|origdate=2001-10|id={{全国書誌番号|20226028}}|isbn=4-914953-69-2|ncid=BA5412140X|asin=4914953692|oclc=123028817|ref=jemai}}
|author2= H.L. Strauss
|year=2009
|title=物理化学で用いられる量・単位・記号
|edition= 第3版
|others=産業技術総合研究所計量標準総合センター訳
|publisher=講談社
|url=https://www.nmij.jp/public/report/translation/IUPAC/iupac/iupac_green_book_jp.pdf
|isbn=978-406154359-1
|ref=グリーンブック
}}
*{{Cite book|和書
|author=Peter Atkins
|author2=Julio de Paula
|title=アトキンス物理化学要論
|publisher=[[東京化学同人]]
|edition=第6版
|others=千原秀昭、稲葉章 訳
|year=2016
|isbn=9784807908912
|ref=アトキンス物理化学要論
}}
*{{Cite book|和書
|author=David W. Ball
|title=ボール物理化学
|volume=上
|publisher=[[化学同人]]
|edition=第2版
|others=田中一義、阿竹徹 監訳
|year=2015
|isbn=9784759817898
|ref=ボール物理化学
}}
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*{{Cite book|和書
|author1= [[ギルバート・ルイス|G.N. ルイス]]
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|year=1971
|title=熱力学
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|author=加藤直
|title=化学便覧 基礎編
|publisher=[[丸善出版]]
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|ref=化学便覧
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*{{Cite book|和書
|author=Peter Atkins
|title=アトキンス物理化学小辞典
|publisher=東京化学同人
|others=千原秀昭 訳
|year=1998
|isbn=4-8079-0479-5
|ref=物理化学小辞典
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=== 雑誌 ===
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* {{Cite journal|和書|author=長野八久|title=標準状態圧力の成立過程|journal=Netsu Sokutei|volume=31|issue=3|pages=146-150|date=2004-05-16|publisher=日本熱測定学会|url=http://www.netsu.org/j+/Jour_J/pdf/31/31-3-151.pdf|format=PDF|ref=netsu}}
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*{{Cite journal
|author=J. D. Cox
|title=Notation for states and processes, significance of the word standard in chemical thermodynamics, and remarks on commonly tabulated forms of thermodynamic functions
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|volume=54
|issue=6
|date=1982
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*{{Cite journal
|author=J. G. Calvert
|title=Glossary of atmospheric chemistry terms (Recommendations 1990)
|journal=Pure and Applied Chemistry
|volume=62
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== 関連文献 ==
* {{Cite book|和書|author=田中一義|author2=田中庸裕|title=物理化学|series=化学マスター講座|publisher=[[丸善]]|page=98|date=2010-12-25|id={{全国書誌番号|21876451}}|isbn=978-4-621-08302-4|ncid=BB04408193|asin=4621083023|oclc=744241296|ref=tanaka}}
* {{Cite book|和書|editor=環境保全対策研究会 編|title=二訂・大気汚染対策の基礎知識|publisher=[[社団法人#一般社団法人|一般社団法人]][[産業環境管理協会]]|edition=第3版|page=49|date=2005-02|origdate=2001-10|id={{全国書誌番号|20226028}}|isbn=4-914953-69-2|ncid=BA5412140X|asin=4914953692|oclc=123028817|ref=jemai}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
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* {{Cite web|url=http://physics.nist.gov/cgi-bin/cuu/Value?stdspr|title=CODATA Value: standard-state pressure|accessdate=2014-01-31|publisher=[[アメリカ国立標準技術研究所|NIST]]|ref=stdspr}}
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* {{Cite web|url=http://www.netsu.org/JSCTANew/wp-content/uploads/2014/06/posterWGonSSP.pdf|title=Borderless Science Seeks for Seamless Standards: Standard State Pressure Should Be 101.325 kPa|accessdate=2015-08-02|date=2008|work=ICCT2008で発表したポスター|publisher=日本熱測定学会|format=PDF|ref=jscta}}
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* {{Cite web|url=http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/~nagano/ssp2.htm|title=標準状態圧力の成立過程|accessdate=2015-08-02|author=長野八久|date=2004|publisher=[[大阪大学]]|ref=nagano |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151005180750/http://www.chem.sci.osaka-u.ac.jp/~nagano/ssp2.htm |archivedate=2015-10-05}}
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2017年3月29日 (水) 16:21時点における版

標準状態(ひょうじゅんじょうたい)とは、物理学化学工学などの分野で、測定する平衡状態に依存する熱力学的な状態量を比較するときに基準とする状態である。標準状態をどのように設定するかは完全に人為的なものであり、理論的な裏付けはないが、歴史的には人間の自然認識に立脚する。

一般的には気体の標準状態のことを指すことが多く、圧力温度を指定することで示される。科学の分野により、また学会、国際規格団体によって、その定義は様々であり混乱が見られる。このため、日本熱測定学会は統一した値として、地球の大気の標準的な圧力である標準大気圧1 atm = 101.325 kPa)を用いるべきであると主張し啓蒙活動を展開している[1]

標準圧力

指定される圧力は、標準圧力: standard pressure)と呼ばれる。しばしば標準圧力であることを示すために記号 ° を付けて p° と書かれる。どのような圧力を p° に指定してもよいので、どのような圧力を p° に指定したのかは明示されなければならない[2]

標準圧力の設定として主なものが二種類ある。一つは、歴史的に用いられてきた、標準大気圧: standard atmosphere

であり、もう一つは1982年にIUPACが推奨した

である。105パスカル(1バール、1 bar)は、標準状態圧力: standard-state pressure, SSP)と呼ばれる[3][2]。ただし、1982年以前は標準大気圧 101.325 kPa がSSPであった。SSPとは、後述する「物質の標準状態」を規定する際に用いられる圧力であって、他の標準圧力の使用を妨げるものではない[4]。例えばデータベースに収録されている物質の沸点は大抵の場合、標準大気圧下の沸点(normal boiling point)である。

1960年の国際単位系(SI)の採択を経て、IUPACでも1969年にGreen bookを出版してSIへの転換とした[5]。その後1970年代のGreen book改訂の際に標準気圧が非SIになるとして、SSPの慣習的な1気圧(1 atm)から105パスカル(1バール、1 bar)への変更が主張され、IUPACの推奨はこの主張に沿って行われた。20年以上(2004年当時)を経過してもIUPACの推奨はしばしば無視されており、化学熱力学のデータベースに二種類の設定があることで混乱が見られる[5][6]。種々の物理定数の推奨値を発表しているCODATAはIUPACの推奨に沿って後者をSSPとしているが[3]、標準圧力の設定に依存する理想気体モル体積サッカー・テトロード定数などは、100 kPa および 101.325 kPa の両方の標準圧力に基づく値で発表している。

IUPACによるSSPの変更の推奨は単位の変更に伴うものとして行われたが、標準状態とは(仮想的な)測定条件であり、基準とする量の選び方であって、単位の選び方ではない。物理学の理論は単位の選び方には依らないが、例えば標準生成エンタルピーは標準状態の設定に依存してその量が変化する(単位の変更による数値の変化ではない)。そもそも、105パスカル、あるいはバールは、SIに沿った一貫性のある単位ではないことに注意。

温度と圧力の標準条件

基準とする温度には 25 ℃ か 0 ℃ が選ばれることが多い。呼び名のある温度と圧力の標準条件としては、SATPSTPNTPが挙げられる。

SATP
基準の温度を25セルシウス度(298.15ケルビン)、標準圧力を 100 kPa とするものがSATP(標準環境温度と圧力、: standard ambient temperature and pressure)と定義される[7]
STP(1990年頃以降)
基準の温度を0セルシウス度(273.15ケルビン)、標準圧力を 100 kPa とするものがSTP(標準温度と圧力、: standard temperature and pressure)と定義される[8]。1990年頃[注 1]より前のSTPはNTPと同じである。
NTP
基準の温度を0セルシウス度(273.15ケルビン)、標準圧力を 101.325 kPa とするものがNTP(標準温度と圧力、: normal temperature and pressure)と定義される[9][注 2]。NTPは1990年頃より前のSTPと同じである。

気体の標準状態としてどの条件が使われるかは、地域や分野により異なる。『アトキンス物理化学要論』によれば2016年現在、主に 25 ℃、1 bar のSATPが使われるが、0 ℃、1 atm のSTP[注 3]は、今でも使われている[7]。一方『ボール物理化学』によれば、0 ℃、1 bar のSTPが最もふつうの一組である[10]。日本では、単に標準状態といえば 0 ℃、1 atm のNTPを指すことが多い[11]

気体の体積

1モル理想気体体積は、SATPでは24.8リットル、STPでは22.7リットル(1990年頃[8][注 1]より前は22.4リットル)、NTPでは22.4リットルである。

物質の標準状態

温度 T における物質の標準状態とは、温度 T、標準状態圧力(SSP) p° におけるその物質の純粋な状態または仮想的な状態である[12]。標準状態にある物質の熱力学量は、標準状態における量であることを表すために ° を付けて表される[注 4]。例えば標準生成エンタルピーであれば ΔfH° と書かれる(Δf は生成反応(formation)を示す)。温度は引数として ΔfH°(298 K) のように示すか、右下の添え字で ΔfH°298 のように示す[13]

液体と固体の標準状態

液体と固体の標準状態は、純物質がSSPの下にある状態である。例として標準状態におけるグラファイトの熱力学量[14]を表に示す。

グラファイトの標準熱力学量(p° = 1 bar
T / K T/J K−1mol−1 TH°298/kJ mol−1 ΔfT/kJ mol−1
0 0.00 -1.05 0.00
298 5.69 0.00 0.00
500 11.65 2.38 0.00
1000 24.45 11.82 0.00
2000 40.63 35.32 0.00
3000 50.75 60.30 0.00

グラファイトの標準生成エンタルピー ΔfH°T は表の温度範囲では定義によりゼロである。温度 T における標準エントロピー T および標準エンタルピー T は、定圧モル熱容量の実測値 Cp(T, p°) からそれぞれ

および

と求められる。液体や固体の標準定圧モル熱容量 Cp°(T) は、SSPにおける定圧モル熱容量 Cp(T, p°) と同じである。

気体の標準状態

実在気体の標準状態は、SSPの下にある純物質の理想気体である。この状態は仮想的な状態である。例えば 298 K における H2O(gas) の標準状態は、1 bar(または 1 atm)でも凝縮しない水蒸気であって、これは完全に仮想的な状態である。それに対して、SSPの下で現実に気体として存在する物質は、理想気体とみなせる場合が多い。

25 ℃ における気体の熱力学量(p° = 1 bar[15]
気体 H(p°)/kJ mol−1 Cp°/J K−1mol−1 Cp(p°)/J K−1mol−1
水素 H2 0.00 28.8 28.8
窒素 N2 0.01 29.1 29.2
二酸化炭素 CO2 0.04 37.1 37.4
アンモニア NH3 0.10 35.6 36.8
ブタン C4H10 0.25 98.5 100.6

表から 25 ℃、1 bar におけるアンモニアの生成エンタルピー ΔfH298(p°) が 25 ℃、1 bar における標準生成エンタルピー ΔfH°298 に 0.1 kJ/mol の精度で一致することが分かる。一般に、実在気体は圧力ゼロの極限で理想気体となるので、実在気体の Cp°(T)Cp(T, p → 0) に等しく、H°(T)H(T, p → 0) に等しい。四酸化二窒素 N2O4 のように、低圧で分解する分子からなる気体の標準熱力学量は、分光学データと統計力学により計算される。

SSPの下で液体として存在する物質の標準蒸発エンタルピー ΔvapH°(T) は、温度 T における蒸気圧 psat(T) の下での蒸発エンタルピー ΔvapH(T, psat) にほぼ等しい。ただし、蒸気が理想気体とみなせる場合に限る。気相中で二量体を作るギ酸酢酸などでは、ΔvapH°(T)ΔvapH(T, psat) は大きく異なる。また、下の表から、気液平衡にあるメタノール蒸気の Cp(psat) が異常に大きいことが分かる。これはメタノール蒸気には CH3OH 分子の他に四量体 (CH3OH)4 が含まれているためである[16]

25 ℃ における蒸発エンタルピーと蒸気の定圧熱容量(p° = 1 bar[15]
物質 psat / bar ΔvapH°/kJ mol−1 ΔvapH(psat)/kJ mol−1 Cp°(gas)/J K−1mol−1 Cp(gas; psat)/J K−1mol−1
H2O 0.032 44.0 44.0 33.6 34.4
メタノール CH3OH 0.170 38.1 37.5 44.0 116.0
ペンタン C5H12 0.683 26.7 26.4 120.0 123.0

一般に、気体および蒸気の Cp°(T)H°(T) は、実在気体の圧力ゼロの極限値に等しい。それに対して、気体のエントロピー S(T, p) は圧力ゼロの極限で無限大に発散する。そのため、気体の標準エントロピーは、SSPの下にある仮想的な理想気体のエントロピーとして定義される。理想気体の熱容量とエンタルピーは圧力に依存しないので、実在気体の圧力ゼロの極限値から求めた Cp°(T)H°(T) は、SSPの下にある仮想的な理想気体のそれに等しい。

溶液の標準状態

溶媒の標準状態は、純溶媒の標準状態に等しい。

溶質の標準状態は、質量モル濃度 1 mol/kg の仮想的な理想希薄溶液である。 この仮想溶液は、溶質と溶媒の相互作用が現実の溶液と全く同じで、溶質同士の相互作用が全く存在しない溶液である。現実の溶液では、濃度ゼロの極限で溶質同士の相互作用がゼロになる。よって、溶液反応の標準反応エンタルピー ΔrH° と標準反応エントロピー ΔrS°、および標準溶解エンタルピー ΔsolH° は、いずれも無限希釈状態への外挿値として得られる。例えば標準中和エンタルピー ΔnH°(25 °C) = −55.8 kJ/mol は、強酸と強塩基の中和エンタルピーを濃度を変えていくつか測定し、測定結果を濃度ゼロの極限に外挿することにより得られた値である[17]

溶質成分 B の部分モル体積 VB や部分モル熱容量 Cp, B のような部分モル量英語版もまた、無限希釈の極限で VB°Cp, B° に収束する。それに対して、部分モルギブズエネルギーすなわち化学ポテンシャルは無限希釈の極限で負の無限大に発散する。そのため、温度 T の溶質成分 B の標準化学ポテンシャル μB°(T) は、SSPの下にある質量モル濃度 1 mol/kg の仮想的な理想希薄溶液における化学ポテンシャルとして次式で定義する。

ここで p° はSSP、mii 番目の溶質成分の質量モル濃度、R気体定数m° は 1 mol/kg であり、μB(T, p°, m1, m2, ...) は実在溶液における成分 B の化学ポテンシャルである。この定義により、溶質成分 B の標準化学ポテンシャル μB°(T)VB°Cp, B° と同様に、溶液の濃度 m = (m1, m2, ...) には依らない値となる。SSPの下での実在溶液の成分 B の化学ポテンシャルは μB°(T) を使うと

と表される。ここで γB(T, p°, m) は成分 B の活量係数であり、温度、圧力、濃度の関数である。

溶質の標準状態の定義は、溶媒の標準状態の定義と比べて複雑である。しかし、標準状態をこのように定義すると、溶質成分間の相互作用による理想溶液からのずれをすべて活量係数 γB に押し込めることができる。溶液の非理想性が標準状態に取り込まれずに済む、というのがこの定義のポイントである[18]

脚注

注釈

  1. ^ a b SSPと同時にSTPが変更されたと考えるなら1982年頃であり、Gold book英語版の第2版が出版された時点で初めて推奨されたと考えるなら1997年である。
  2. ^ STPと同様に、時代や地域や分野が違えば、別の条件がNTPと呼ばれうる。
  3. ^ これは1990年頃より前のSTPであり、NTPと同じである。
  4. ^ SSPの下で気体を理想気体とみなすことができて、溶液を理想溶液とみなすことができるなら、「SSPにおける量であることを表すために ° を付けて表される」[13]と考えてもよい。

出典

参考文献

書籍

  • G. M. Barrow 著、大門寛・堂免一成 訳『物理化学』 上巻(第6版)、東京化学同人、1999年3月。ASIN 4807905023ISBN 4-8079-0502-3NCID BA41014520OCLC 676361134全国書誌番号:99087263 
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  • Peter Atkins、Julio de Paula『アトキンス物理化学要論』千原秀昭、稲葉章 訳(第6版)、東京化学同人、2016年。ISBN 9784807908912 
  • David W. Ball『ボール物理化学』 上、田中一義、阿竹徹 監訳(第2版)、化学同人、2015年。ISBN 9784759817898 
  • 『JIS K 0211:2013 分析化学用語(基礎部門)』日本規格協会、2013年。 
  • G.N. ルイス、M. ランドル『熱力学』ピッツアー、ブルワー改訂 三宅彰、田所佑士訳(第2版)、岩波書店、1971年。 NCID BN00733007OCLC 47497925 
  • 加藤直「10.9. 中和エンタルピー」『化学便覧 基礎編』 II、日本化学会 編(改訂5版)、丸善出版、2014年。ISBN 978-4621073414 
  • Peter Atkins『アトキンス物理化学小辞典』千原秀昭 訳、東京化学同人、1998年。ISBN 4-8079-0479-5 

雑誌

関連文献

関連項目

外部リンク