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2016年6月28日 (火) 13:29時点における版
クロフォード・F・サムス(Crawford F. Sams、1902年4月1日 - 1994年12月2日[1])は、米国陸軍軍医准将・元GHQ公衆衛生福祉局長。
略歴
- 1902年、イリノイ州セントルイス生まれ[2]
- 15歳の時、弁護士だった父が逝去。
- 16歳の時、少年兵として第一次世界大戦に参加。
- 1925年カリフォルニア大学理学部卒業[2]。1929年医学博士号取得[2]。
- 第二次世界大戦終戦の1945年から朝鮮戦争中の1951年まで、日本に赴任、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)公衆衛生福祉局長を務めた[2]。マッカーサーの解任ととも日本でのポストを下りた。
- 1952年 ダグラス・マッカーサーが、シカゴ共和党大会で、大統領候補の成否につながる演説をする。この演説の成功しだいでは、サムスも連邦政府内での地位に昇進する可能性が高かったが、演説の失敗により、その道は閉ざされた。
- 1955年 退役
- 1994年 骨折で入院。肺炎を併発し、12月に死亡。
(以上、参考文献の二至村の著作を参照)
日本での活動
占領化の日本で、医療政策に多大な影響を及ぼした。医薬分業を実現しようとしたが、上官のダグラス・マッカーサー解任に殉じて辞職することになった。彼の辞職後、日本医師会による巧妙な反対工作により、彼が提案した強制医薬分業法案は骨抜きにされた[3]。
武見太郎との関係
日本医師会元会長の武見太郎によると、1949年サムスが大佐の時に、武見に学生や囚人への人体実験を命令したことになっている[4]が、サムス側によると、武見に会ったのは日本医師会副会長としての彼と会見した1950年が初めてであり、この武見発言は虚言であるという。この件について、訴訟や謝罪請求などの動きもあったが、駐日大使などの助言により最終的には不問に付すことになったという[5]。
サムスは、医薬分業に関しての武見の意見書を見て、その文面(“搾取”“資本家”“社会化”などの左翼用語を多用していた)から彼を共産主義者だと断定したという[3]。その後、日本医師会の副会長の座を会長の田宮猛雄の座とともに、不信任とする意向を厚生省に伝え、武見らもこれを受けて辞任したが、サムス帰国後に両者は元の役職に返り咲いた。
著作
- 竹前栄治・編訳『DDT革命 占領期の医療福祉政策を回想する』岩波書店、1986年8月
- Medic : the mission of an American military doctor in occupied Japan and wartorn Korea , edited with an introduction and notes by Zabelle Zakarian, M.E. Sharpe , c1998 , An East gate book
- 竹前栄治・編訳『GHQサムス准将の改革 : 戦後日本の医療福祉政策の原点』桐書房、2007年11月
参考文献
- 二至村菁『日本人の生命を救った男 GHQサムス准将の闘い』(講談社 2002年)。
関連項目
- 日本医師会
- 武見太郎
- 田宮猛雄
- ダグラス・マッカーサー - サムスの上官であり、サムスに絶大なる信頼を寄せていた。(二至村著参照)
- 人体実験 - 竹前栄治の調査によって、1946年に、田宮猛雄、北岡正見、浜野規矩雄らがサムスに呼ばれ、医学生を実験台とした発疹チフス関連の人体実験を打診された、という北岡の記憶に基づく証言が出てきた。このとき、田宮による拒否を受けたサムスは、日本の法務省に「囚人たちの自由意志による承諾書があれば可能」との確認を取った上で、府中刑務所の軽犯罪受刑者のボランティアを被験者とした人体実験を行ったという[6]。
出典
- ^ FIND A GRAVE
- ^ a b c d 『GHQサムス准将の改革―戦後日本の医療福祉政策の原点』著者紹介 紀伊國屋書店
- ^ a b 二至村菁『日本人の生命を救った男 GHQサムス准将の闘い』(講談社 2002年)第九章
- ^ 武見太郎『21世紀は慢性肝炎が国民病になる』(サイマル出版会 1979年)、婦人公論1965年6月号「医療の恐怖」など
- ^ 二至村菁『日本人の生命を救った男 GHQサムス准将の闘い』(講談社 2002年)第十章
- ^ 『DDT革命』岩波書店 149-150頁
外部リンク
- 1979年5月3日のインタビュー - セントルイス・ワシントン大学医学部オーラルヒストリープロジェクト