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2016年6月8日 (水) 05:01時点における版
基本情報 | |
---|---|
国籍 | 日本 |
出身地 | 東京都墨田区 |
生年月日 | 1952年9月29日(72歳) |
身長 体重 |
175 cm 68 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1978年 ドラフト外 |
初出場 | 1979年4月12日 |
最終出場 | 1990年10月13日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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監督・コーチ歴 | |
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この表について
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松沼 博久(まつぬま ひろひさ、1952年9月29日 - )は、東京都墨田区出身の元プロ野球選手(投手)。現役時代は西武ライオンズに在籍。
弟も元西武投手の松沼雅之で、西武在籍当時は「松沼兄(=博久)」「松沼弟(=雅之)」と呼ばれていた。通称「アニヤン」。
来歴
プロ入りまで
東京都墨田区から千葉県流山市に転居。当時の茨城県の公立高校は越境入学が可能であったため、取手二高に進学。卒業後は東洋大学に入学。後に西武でチームメイトになる同期の市村則紀と、投手の二本柱として活躍した。しかし東都大学リーグでは優勝に届かず、1973年秋季リーグから3季連続で2位に甘んじる。4年生の1974年秋季リーグは全試合に登板し、8勝5敗の成績を残した。リーグ通算60試合登板し、22勝13敗、防御率2.40、203奪三振。
卒業後は東京ガスに入社。1978年の都市対抗では、1回戦で丸善石油から毎回の17三振を奪い、平松政次の持つ大会記録(16奪三振)を塗り替える。また7連続奪三振の大会記録も樹立した。同年の日本選手権では4勝をあげ決勝に進出するが、北海道拓殖銀行に0-1で惜敗した。この大会では敢闘賞を獲得し、同年の社会人ベストナインにも選出されている。
現役時代
1978年のドラフト外で西武ライオンズに、東洋大に在籍していた弟の雅之と同時に入団。1979年は、小柄ながらアンダースローから繰り出される独特のボールを武器に、チーム最多の16勝を挙げ、新人王に輝いた。同年はライオンズが福岡から所沢に移転した最初の年であったが、チームは最下位に沈み、開幕から2つの引き分けを挟む12連敗を記録する。この連敗を止め、所沢での初勝利を挙げたのはこの松沼であった。
翌年以降も先発投手として活躍し、1982年のリーグ優勝に貢献。同年の中日との日本シリーズでも2試合に先発[1]し、1958年以来の日本一に力を添えた。その後も東尾修、森繁和らとともに、チームの主力投手として西武黄金時代を築く。1985年頃から、後にトレードマークとなっている口ひげを蓄えるようになった。1990年限りで引退。川崎球場でのロッテオリオンズとのレギュラーシーズン最終戦が引退試合となったが、相手チーム先発の村田兆治もこの試合限りでの引退を表明している。
解説者、指導者として
引退後は1991年から1994年までフジテレビ・ニッポン放送の野球解説者、1993年には「プロ野球ニュース」の週末のキャスターを務める。1995年に西武時代の監督広岡達朗がGMを務める千葉ロッテマリーンズの一軍ブルペンコーチに就任。1996年から1997年は二軍投手コーチ、1998年は再び一軍ブルペンコーチを務めていたが12連敗(最終的には18連敗)の責任を取らされる形で一軍投手コーチの中村稔がシーズン途中に解任となりシーズン終了後まで一軍投手コーチ、1999年は二軍投手コーチを務め、同年退団。
2000年から2001年にテレビ朝日・文化放送野球解説者。2002年から西武一軍投手コーチを務めるが、前半戦が終了した2003年7月17日に投手陣不振の責任(チーム防御率4.28)を取らされる形で弟・雅之と一・二軍を入れ替えられ、球団代表の小野賢二は「前半戦の投手陣のふがいなさ含めて松沼博久コーチに一切の責任を取ってもらった。現場ではなく、フロントが決断した」と話した[2]。 事実上の更迭となり同年限りで兄弟共に退団した。
その後、2006年より茨城ゴールデンゴールズ投手コーチ、2009年より同チームのヘッドコーチを務め、全日本クラブ野球選手権初出場、初優勝する。2010年も優勝し2連覇を達成したが、監督の萩本欽一と同時に退団。また、プロ野球マスターズリーグの札幌アンビシャスに加入していた。
人物
この節に雑多な内容が羅列されています。 |
- バッティングは左打であるが、転向したのは高校生の時。大学時には打席で敬遠されるほどのセンスがあった(当時、東都大学リーグでは指名打者制がなかったため、投手も打席に立っていた)[3]。
- 弟の雅之とは非常に仲がよく、お互いが先発する時には、大声を張り上げてベンチで応援していたという。現役当時は自宅が隣同士であった。現役引退後も同じ試合の解説を担当した際に、雅之を自身の車で家まで送るほどである[4]。
- プロ入り時、雅之とあわせて契約金1億5千万円という、ドラフト外としては破格の契約金でプロ入りした。交渉にあたり、雅之と「どうせなら吹っかけてみようか」と話していたら、西武球団が本当に出してきたので驚いたと、雅之は著書にて語っている。
- 新人時代、野村克也とよく先発バッテリーを組むことが多く、時折、カウント3ボール2ストライクからボール球を要求され、フルカウントからボール球で三振をとるのが本当のプロのピッチャーであると学んだという。
- 西武コーチ時代、松坂大輔との確執(松坂本人が雑誌Sports Graphic Number 誌上で語った)もあったとされている。
- 現役時代、口髭を貯えていたことで有名であるが、この口髭を貯えはじめたのはプロ入り8年目あたりの現役終盤に差し掛かった頃である。きっかけは、当時の西武黄金時代のスター選手が揃った投手陣の中で、注目を集めるにはどうしたらよいかと考えた末、口髭を生やすことにしたとのこと。結果、注目を集めることに成功し、今でもファンから「髭のアニヤン」と呼ばれ親しまれていることに、本人も髭を生やして良かったと語っている[6]。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1979 | 西武 | 34 | 29 | 10 | 0 | 0 | 16 | 10 | 0 | -- | .615 | 885 | 212.1 | 189 | 25 | 80 | 2 | 11 | 134 | 2 | 0 | 101 | 95 | 4.03 | 1.27 |
1980 | 33 | 29 | 13 | 0 | 2 | 9 | 14 | 1 | -- | .391 | 852 | 202.2 | 188 | 36 | 58 | 3 | 11 | 139 | 1 | 0 | 97 | 89 | 3.95 | 1.21 | |
1981 | 23 | 20 | 7 | 0 | 2 | 5 | 13 | 0 | -- | .278 | 523 | 120.1 | 127 | 19 | 36 | 0 | 8 | 69 | 0 | 0 | 66 | 59 | 4.41 | 1.35 | |
1982 | 34 | 25 | 10 | 2 | 0 | 10 | 9 | 0 | -- | .526 | 705 | 180.2 | 130 | 20 | 36 | 3 | 9 | 152 | 0 | 0 | 61 | 57 | 2.84 | 0.92 | |
1983 | 23 | 22 | 3 | 0 | 0 | 12 | 6 | 0 | -- | .667 | 551 | 132.0 | 111 | 23 | 47 | 1 | 6 | 87 | 3 | 0 | 59 | 56 | 3.82 | 1.20 | |
1984 | 26 | 26 | 8 | 1 | 1 | 12 | 7 | 0 | -- | .632 | 644 | 154.0 | 138 | 13 | 47 | 1 | 10 | 90 | 0 | 0 | 78 | 71 | 4.15 | 1.20 | |
1985 | 27 | 26 | 8 | 1 | 0 | 14 | 6 | 0 | -- | .700 | 715 | 171.0 | 154 | 32 | 60 | 4 | 7 | 88 | 1 | 0 | 87 | 79 | 4.16 | 1.25 | |
1986 | 20 | 20 | 3 | 2 | 0 | 5 | 6 | 0 | -- | .455 | 414 | 94.1 | 94 | 13 | 36 | 4 | 9 | 40 | 0 | 0 | 63 | 56 | 5.34 | 1.38 | |
1987 | 15 | 14 | 2 | 0 | 0 | 8 | 5 | 0 | -- | .615 | 332 | 77.2 | 69 | 8 | 30 | 4 | 6 | 39 | 0 | 1 | 34 | 33 | 3.82 | 1.27 | |
1988 | 23 | 19 | 4 | 2 | 0 | 6 | 6 | 0 | -- | .500 | 481 | 113.2 | 107 | 16 | 34 | 9 | 8 | 48 | 2 | 0 | 61 | 54 | 4.28 | 1.24 | |
1989 | 24 | 23 | 8 | 1 | 0 | 11 | 5 | 0 | -- | .688 | 619 | 146.0 | 124 | 20 | 66 | 5 | 5 | 58 | 2 | 0 | 70 | 60 | 3.70 | 1.30 | |
1990 | 15 | 13 | 0 | 0 | 0 | 4 | 7 | 0 | -- | .364 | 266 | 57.1 | 65 | 7 | 26 | 1 | 4 | 31 | 1 | 0 | 40 | 35 | 5.49 | 1.59 | |
通算:12年 | 297 | 266 | 76 | 9 | 5 | 112 | 94 | 1 | -- | .544 | 6987 | 1662.0 | 1496 | 232 | 556 | 37 | 94 | 975 | 12 | 1 | 817 | 744 | 4.03 | 1.23 |
タイトル
- 最多奪三振(当時連盟表彰なし):1回 (1982年) ※パシフィック・リーグでは、1989年より表彰
表彰
記録
- 初登板・初先発:1979年4月12日、対阪急ブレーブス前期3回戦(平和台球場)、5回4失点で敗戦投手
- 初勝利・初先発勝利:1979年4月24日、対南海ホークス前期1回戦(西武ライオンズ球場)、8回2失点 ※球団移転後初勝利
- 初完投勝利:1979年4月29日、対日本ハムファイターズ前期6回戦(後楽園球場)、9回2失点
- 初セーブ:1980年6月19日、対近鉄バファローズ前期13回戦(西武ライオンズ球場)、8回表から2番手で救援登板・完了、2回無失点
- 初完封:1982年7月10日、対南海ホークス後期2回戦(西武ライオンズ球場)
- オールスターゲーム出場:5回 (1979年、1980年、1983年、1985年、1989年)
背番号
- 15 (1979年 - 1990年)
- 85 (1995年 - 1999年)
- 77 (2002年 - 2003年)
関連情報
主な出演
テレビ番組
- 現在の出演番組
- 過去の出演番組
- enjoy! Baseball - かつてフジテレビ解説者として出演していた中継の現行統一タイトル
- プロ野球ニュース
- ニッポン放送ショウアップナイター
- ゴールデンナイター・パワーアップナイター・プロ野球中継
- 文化放送ホームランナイター
- J SPORTS STADIUM
- シルシルミシルサンデー - VTR出演
- 水曜日のダウンタウン - VTR出演
MV
- がんばれ!Victory「ラリラリラ」(2015年9月2日)[7]
脚注
- ^ 広岡達朗監督時代に出場した3度の日本シリーズでは、東尾修をロングリリーフに回すという戦術の都合もあり、3度とも松沼が第1戦の先発投手を務めた。
- ^ 松沼博コーチが2軍降格 投手陣不振の責任とる共同通信社、2003年7月17日
- ^ 「野球小僧 アンダースロー論」
- ^ [ブログ]かたり職人 小笠原 聖のホームページ
- ^ 坂井保之・永谷脩『西武と巨人のドラフト10年戦争』宝島社刊、ISBN 978-4800207609 2013年6月7日発行(88-92ページ)
- ^ 2014年3月19日CSテレ朝チャンネル2で中継された「オープン戦西武対広島」において、西武のランディ・ウィリアムスが顎髭を貯えていることが話題となり、その流れでこの中継の解説を務めていた松沼の口髭について、本人が語ったエピソード。
- ^ “がんばれ!Victory、新曲MVで元プロ野球選手と乱闘”. 音楽ナタリー (2015年8月4日). 2015年8月4日閲覧。
関連項目
外部リンク
- 選手の各国通算成績 Baseball-Reference (Japan)