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2016年6月8日 (水) 04:08時点における版
カズ・ハヤシ | |
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プロフィール | |
リングネーム |
カズ・ハヤシ 獅龍 エル・ボスケ 884%マシーン ミゲル・ハヤシJr 東京GIN |
本名 | 林 和広 |
ニックネーム |
ジュニアの象徴 男の中の色男 |
身長 | 173cm |
体重 | 83kg |
誕生日 | 1973年5月18日(51歳) |
出身地 | 東京都世田谷区 |
所属 | WRESTLE-1 |
スポーツ歴 | サッカー |
トレーナー |
グラン浜田 ケンドー |
デビュー | 1992年 |
カズ・ハヤシ(1973年5月18日 - )は、ジュニアヘビー級の男性プロレスラー。本名は林 和広(はやし かずひろ)。東京都世田谷区出身。WRESTLE-1所属。血液型はA型。
来歴
獅龍時代
1991年12月、ユニバーサル・プロレスリングに入門。1992年11月19日、後楽園ホール大会でテリー・ボーイ(現:MEN'Sテイオー)と組み、モンゴリアン勇牙(現:新崎人生)&バッファロー張飛(引退)組を相手に覆面レスラー獅龍としてデビューを飾る。1993年、みちのくプロレス入団。みちプロ時代から並外れた身体能力は注目され、新日本プロレスのリング参戦時も「欽ちゃんジャンプ」で人気を博す。
1994年8月、SATO(現:ディック東郷)とテリーボーイとで平成海援隊を結成。1996年、船木勝一とTAKAみちのくが合流し、グループ名を海援隊★DXに改名。1998年海援隊★DXでWCWに参戦。一時帰国した海援隊から離れ単身メキシコへ。週刊誌の記事にて「元みちプロ、獅龍はメキシコにいた!」と2ページを飾ってしまった。2月23日のサクラメソト大会で1度敗れたウルティモ・ドラゴンと再戦するため覆面を脱ぎ、カズ・ハヤシに改名した。6月新日本プロレスのベスト・オブ・ザ・スーパージュニアには獅龍の名前でエントリーされていたが、改めてマスクを脱ぎカズ・ハヤシとして参加した。
WCW〜WWF
1998年7月にWCWと3年契約を結ぶ。2000年にはジミー・ヤン、ジェイミー・サンと共にヤング・ドラゴンズを結成しレギュラーポジションを獲得した。同年4月、第3回スーパーJカップトーナメントに出場する為一時帰国。1回戦でザ・グレート・サスケと恩讐を越えて戦うも、敗退。8日後の両国国技館大会にもトーナメント敗者によるタッグ戦に出場予定であったが「トーナメントに勝つために戻ってきたので、負けた以上日本に残る意味は無い」とこれを拒否。そのままWCWに戻る。2001年にはWCW最後のマンデー・ナイトロ生中継に唯一の日本人として出場した。
WCW崩壊後、WWFが選んだ24人の契約選手に残り、WWFと契約。しばらく下部組織のHAWでトレーニングをしていたが、2002年に全日本プロレスへ移籍したばかりの武藤敬司からのラブコールにより、WWFを退団し全日本プロレスに入団した。
全日本プロレス
2003年12月、小島聡と組んで世界最強タッグ決定リーグ戦を制覇。ジュニア選手として、同リーグ戦を初めて制覇した。この時の公式戦で武藤敬司&嵐組に苦戦しながら、カズが嵐からフォールを奪った際の小島の発言「カズ、ありがとう。お前は男だ、男の中の色男だ。」から、「男の中の色男」がキャッチフレーズとなった。
2004年2月22日、BLUE-K(TAKAみちのく)との王座決定戦に勝利し世界ジュニアヘビー級王座を獲得。その時、次期挑戦者としてアピールしにリングに上がったNOSAWA(現NOSAWA論外)に対し「お前は(挑戦者としては)論外だ」と言い放った。これを機にNOSAWAは“NOSAWA論外”というリングネームに改名した。ハッスルにも、レオナルド・スパンキー、ジミー・ヤンらとタッグを組み参戦。
2005年1月5日、TAKAに世界ジュニア王座を奪われてからは、NOSAWA論外に強引に組まされる形でユニット「論カズ」を結成、コミカル路線に走りかけるも、結局は全日本ジュニアを熱く盛り上げる道を選択。この頃から練習生にトレーニングの指導を始める。
2006年、全日本プロレスの第1回ジュニア・ヘビー級リーグ戦で優勝し、8月27日近藤修司の持つ世界ジュニア王座に挑戦したが、奪還出来なかった。
2007年2月20日、全日本プロレスを無期限で欠場すると宣言。メキシコに渡った。その直後、全日本プロレスに「メキシコ・アミーゴス」なる謎のメキシカン・レスラー3人組が参戦。その中にはミゲル・ハヤシJrという、カズ・ハヤシに似たレスラーも含まれていた(他の2人は「ペペみちのく」と「エル・ノサワ・メンドーサ」)。 「メキシコ・アミーゴス」は「メキシコ・アミーゴスDX」と改名後、2007年12月16日に「全日本プロレス 2007ファン感謝デー」にて解散した。この時には「正体を知らないふりをしてくれてありがとうございました」のコメントを残した。
2008年からは、ジュニア最前線復帰を宣言。2年ぶりのジュニア・タッグリーグ戦はエル・サムライとのタッグで出場するが、決勝戦で土方隆司、中嶋勝彦組に敗れ準優勝。世界最強タッグ決定リーグ戦では西村修と、第81代アジアタッグ王者決定トーナメントでは武藤敬司とのタッグで出場した。
2009年2月6日、プロレスリング・ノアの丸藤正道に流出していた世界ジュニア王座を奪取し、第28代王者となる。
4月、5年ぶりにチャンピオン・カーニバルに出場。決勝では鈴木みのるに敗れたものの、ジュニア選手ながら準優勝を成し遂げた。直後のジュニア・タッグリーグ戦でも近藤修司とのタッグ「チーム246」で出場し、優勝決定戦で稔&歳三組に敗れ準優勝。
2010年9月20日に菊地毅とのジュニアヘビー級王座防衛戦に勝利し、世界ジュニアヘビー級王座最多連続防衛記録を更新した。2011年1月2日の後楽園ホール大会にて稔に敗れるまで17回の防衛に成功した。
2013年6月30日の両国国技館大会を最後に、全日本プロレスを退団した。
WRESTLE-1旗揚げ会見にて入団を発表。
獲得タイトル歴
- WRESTLE-1
- 初代WRESTLE-1タッグチャンピオンシップ(パートナーは近藤修司)
- 第50代UWA世界6人タッグ王座(パートナーは田中稔、TAJIRI)
- 全日本プロレス
- 第21代・第28代世界ジュニアヘビー級王座
- 第49代世界タッグ王座(パートナーは小島聡)
- 第75代アジアタッグ王座(獅龍として戴冠。パートナーはグレート・コスケ(小島聡))
- チャンピオン・カーニバル準優勝 : 1回(2009年)
- ジュニア・ヘビー級リーグ戦優勝 : 1回(2006年)
- ジュニア・タッグリーグ戦優勝 : 2回(2011年、2012年)
- パートナーはKAI(2011年)→近藤修司(2012年)
- KAIENTAI-DOJO
- 年間最高試合賞(シングルマッチ部門) : 1回(2004年)
- 技能賞(2010年)
- その他
- 中央アメリカミドル級王座
- NWA インターナショナルライトヘビー級タッグ王座(パートナー はスパンキー)
得意技
軽量級らしい華麗な飛び技と、それに相反する軽量級らしからぬ力強い技を併せ持つ。近年では巧みな切り返しのテクニックと、技の仕掛け方に一工夫を凝らしたファイトを見せている。
- パワープラント
- 相手の腕をクラッチし、垂直落下式に相手を落とすWA4。2009年2月6日の丸藤との世界ジュニア戦にて初披露。この技によって世界ジュニアヘビー級王座を奪還し、第28代王者となった。
- ファイナルカット
- 相手の首の前に左腕を巻き(ドラゴン・スリーパーのような形)、そこから右腕で相手の喉元にエルボーを打ち込む技。雪崩式で仕掛けることもある。カズにとっての決め技である。地味に見える技だが、相手はエルボーとネックブリーカー・ドロップの両方のダメージを受けるため、非常に有効なフィニッシュ・ホールドである。
- リバースファイナルカット
- WA4
- 相手を水車落としの原理で担ぎ上げ、担ぎ上げたほうと逆の方で頭を抱え込み、背中から落とす技。エアレイドクラッシュと同系。大一番では雪崩式も行う。最近では相手の腕を股に挟んで受身を取れなくして、首から垂直に落とす垂直落下式も見せる。諏訪魔に垂直落下式を見舞い観客を驚かせた。パワープラントを初披露した丸藤との世界ジュニア戦後に、封印を表明。
- リバース垂直落下ブレーンバスター
- 自らもジャンピングして豪快に頭から叩き付ける危険技。故橋本真也の垂直落下式DDTのリバース版のような形。ここぞという時、フィニッシュへ繋げる場面で使用。
- ドラゴン・スープレックス・ホールド
- リバースゴリースペシャルボム
- アサイDDT
- 近藤修司が保持していた世界ジュニア挑戦に備えて用意したウルティモ・ドラゴンの技。近藤の師の技を使うことで、精神的な揺さぶりをかける狙いがあった。
- メキリカ
- ロープリバウンドしてきた相手をケブラドーラ・トド・アルトのように旋回させながら肩に担ぎあげ、ハイジャックブリーカーの体勢に持ち替え、前方に相手を背中から叩きつける技。技名はカズのプロレスのルーツであるメキシコとアメリカの合成語で、それぞれの国で発祥した技を組み合わせていることに由来する。
- ライオンサルト
- ロープへ向かって走りこんでセカンドロープに両足で飛び乗り、反動を利用して倒れている相手へムーンサルトプレスを見舞う。主に試合の中盤に使用する。クリス・ジェリコの得意技で、彼の別リングネーム「ライオン・ハート」から名付けられている。
- ハイフライ・スプラッシュ
- 高さを追求したトップロープからのボディ・プレス。ジュニアリーグ戦のために習得した技。
- サザンクロス・スプラッシュ
- 近年ではあまり使用していない。
- ハンドスプリングエルボー(リバウンドエルボー)
- ロープに向かいダッシュし前方にハンドスプリング、そこからロープの反動を利用し後ろ向きに踏み切り相手にエルボーを放つ技。現在では使う選手が増えたが、この技のパイオニアはTAJIRIである。カズの場合は応用編としてエルボー以外にもレッグラリアット、ソバットもある。
- ブエロ・デ・アギラ
- トペ・スイシーダ
- トペ・コンヒーロ
- 対角線上に走り込み、トップロープとセカンドロープの間をくぐり抜ける離れ技も見せる。
- トルニージョ
- クランチ・ループ
- 変形のインディアン・デスロック。決まった形は吉江豊の裏足4の字固めに酷似。足の裏で相手の足の甲をグイグイ押して痛めつける。
- ナガタロックII
- WCW時代、同時期に活動していた永田裕志によって伝授された技。カズがスーパージュニアに参戦した時に初公開し、ナガタロックIIという技名もカズが命名した。
入場テーマ曲
- WCWでの使用曲
- Jung Dragons Theme /2001年テーマ曲
- TEMPLE OF THE DRAGON / WCW Theme Library( 1998年-1999年までのテーマ曲)
- TOKYO TAKEAWAY / Osborne&Engstrom(1998年初期のテーマ曲[1])
リングネーム
- カズ・ハヤシ
- 獅龍
- エル・ボスケ(プロモ・アステカで使用)
- 2億%マシーン(コスチュームに884(ハヤシ)と書かれている)
- ミゲル・ハヤシJr.(メキシコ・アミーゴス時代に使用。)
- バワプロ仮面(対アントニオ・トーマス , TAKAみちのく組に使用。)
エピソード
- カズ・ハヤシと獅龍が同一人物であることは明白だが、本人は「獅龍なんて知らない」と言い張っている。またそれと歩調を合わせるように第3回スーパーJカップで対戦したザ・グレート・サスケも「カズ・ハヤシ?誰だソレ?久々の対戦?知らねぇナァー」と答えている。かつて獅龍でアジアタッグ、カズで世界タッグを保持(パートナーはグレート・コスケ=小島聡)していたときに、同日に両王座の防衛戦が行われ、このときもそれぞれ別人を強調していたが、2度目?の登場の際にはなぜか汗びっしょりでかなり疲労困憊した様子で登場していた。
- 獅龍はメキシコ在住である。
- 獅龍時代のマスクはほとんど自作である(当初はケンドー製を使用)[2]。
- 獅龍時代、1996年3月に平成海援隊から海援隊★DXに改名する際、SATOはディック東郷に、テリー・ボーイはMEN'Sテイオーにそれぞれ改名することになり、自身も東京GIN(当時流行っていた森高千里の曲「GIN GIN ジングルベル」に便乗して、また自身が東京出身であることから)に改名するはずだったが、ファンからの反対意見が殺到したため、会社側から止められ断念した。(東京GINと紹介された興行ポスターは告示されるも、東京GINでリングに上がることはなかった。)。
- また改名できなかったため、この頃からマスクをイメチェン、丸みのある王道マスクとなった。
- カズはWCW崩壊後、WWFと契約したものの結局一度も出場できなかった。この理由としては、WWF幹部がカズの起用法に困っており、当時WWFで活躍中だったTAJIRIとキャラが被ることが原因だと言われている。なお、カズもTAJIRIもファイトスタイルのモチーフはグレート・ムタである。
- WWFの下部団体だったHWAにいた頃、飲酒運転でクビになる直前のエディ・ゲレロやジャマール、ロージー、ディーロ・ブラウン、チャーリー・ハースなどと一緒だったという。
- ヴィジュアル系バンド、Laputaのファンで入場曲や技名にも取り入れられている。
- 2006年にブログにて結婚を発表した。
- 2007年7月3日から、テレビ東京系で放送されている『キティズパラダイス』に、体操のお兄さん「マッスルフェアリーカズくん」としてレギュラー出演していた。
- マイクアピールが下手である(解説者席の武藤敬司から「止めとけ」と言われた)。
- 道場で若手選手に練習を教えており、近年の全日本プロレスにおける若手選手の充実ぶりに大いに貢献。しかし、あまりにも厳しい練習を課すことがあるようで、一部選手からはサド・ハヤシと呼ばれている。
脚注
- ^ 1998年2月23日のWCWマンデー・ナイトロのウルティモ・ドラゴン戦で初使用。
- ^ マスク作りはケンドーから伝授された。
外部リンク
- WRESTLE-1 カズ・ハヤシ
- I'm here! カズ・ハヤシのブログ
- カズ・ハヤシ (@kaz_hayashi) - X(旧Twitter)