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「林家正蔵 (9代目)」の版間の差分

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2016年6月8日 (水) 04:07時点における版

9代目 林家 正蔵はやしや しょうぞう
本名 海老名 泰孝(えびな やすたか)
生年月日 (1962-12-01) 1962年12月1日(62歳)
出生地 日本の旗 日本東京都台東区
師匠 初代林家三平
林家こん平
名跡 1. 林家こぶ平(1978年 - 2005年)
2. 9代目林家正蔵(2005年 - )
出囃子 あやめ浴衣
活動期間 1978年 -
活動内容 落語家
配偶者 既婚・3児
家族 7代目林家正蔵(祖父)
初代林家三平(父)
海老名香葉子(母)
海老名美どり(長姉)
泰葉(次姉)
2代目林家三平(弟)
林家たま平(長男)
所属 落語協会
公式サイト 蔵の塩梅
受賞歴
文化庁芸術祭賞・大衆芸能部門関東参加公演の部 優秀賞(2015年)
備考
落語協会副会長(2014年 - )
花菱は林家三平一門の定紋で九代目正蔵の定紋でもある。

9代目林家 正蔵(はやしや しょうぞう、本名:海老名 泰孝〈えびな やすたか〉、1962年12月1日 - )は、東京都台東区根岸出身の落語家落語協会副会長)、タレント声優司会者、大学教員。

血液型A型。東京都立竹台高等学校卒業[1]出囃子は『あやめ浴衣』。前名は林家こぶ平

家族

初代林家三平海老名香葉子の長男。実姉は、タレントの海老名美どりシンガーソングライター泰葉で、実弟は落語家2代目林家三平。祖父は7代目林家正蔵[1]。伯父は釣竿職人の中根喜三郎(母・香葉子の兄)。下嶋兄は甥。正蔵の実の子も噺家として正蔵に弟子入りし、自身の協会副会長就任後の2014年8月林家たま平として落語協会前座となる。

来歴・人物

1978年、三平に弟子入りした[1]。周囲は小三平で入門させる予定だったが、三平の考慮かこぶ平になる(子供時代に小三平の名で高座に上がったことがある[2])。「こぶ平」となったのは次男の泰助(現在の2代目三平。当時はまだ入門前)が「お兄ちゃんは小太りだから、こぶ平がいいんじゃないか」と言ったのがきっかけであった[2]。本人は「こぶ平」という芸名に不満があったらしく、後にこのエピソードなどを挙げて「うちの親父は弟子の名前を付けるのが下手だった」と回顧している。1980年の三平の死後は三平の惣領弟子である林家こん平の門下になる[1](弟の泰助は、落語家入門時が既に初代三平の死後であったことから、正蔵とは異なりこん平の直弟子である)。1988年古今亭志ん朝以来の最年少で真打に昇進。親子3代にわたっての真打昇進は史上初。第5回浅草芸能大賞新人賞受賞。2003年3月、落語界の活性化のために春風亭小朝、笑福亭鶴瓶ら東西の落語家6人で「六人の会」を結成し、多くのイベントを開催した[3]

2005年3月21日九代目・林家正蔵を襲名。その前後にこん平が多発性硬化症で落語家としての活動が難しくなったこともあり、以後は当初の見通しよりも早く、林家一門の“総帥”としてふるまう機会が増えている。襲名にあたっては、「正蔵」という名跡にまつわる歴史もあり、先代の弟子である林家木久扇がこん平の代わりとなって奮闘した。第22回浅草芸能大賞奨励賞受賞。

噺家としての高座以外にバラエティ番組への出演も多く、日本テレビで10年半にわたって放送された子供向け料理番組『モグモグGOMBO』(1993年4月〜2003年9月)では、ヒロミとのやりとりが人気を集めた。

1970年に子役としてテレビドラマに出演したのを皮切りに役者としても活動。当時の芸名は「林家小三平」。1980年代に入ると数々のドラマに出演し、その延長でアニメでも声優として活動した。テレビアニメ『タッチ』では、上杉達也上杉和也兄弟とバッテリーを組むキャッチャー松平孝太郎役を務め、当時同じく新米でありヒロインの浅倉南を演じた日高のり子と共に、上杉達也役の三ツ矢雄二藤山房伸音響監督らに徹底的な演技指導を受けた。その経験から、後述する様にナレーターとしての活動も行っている。

2005年より、城西国際大学人文学部(その後、国際人文学部国際文化学科に改組)の客員教授を務めている[1]

幼少の頃、祖母と『連続テレビ小説』の作品をよく視聴していた[4]

エピソード

  • 劇団『WAHAHA本舗』の創立メンバーで、短期間ながら在籍していたが、三平一門が下ネタご法度だったために強制的に退団させられた[5]
  • 笑点』の真打披露口上の中では、20年前「ホステスさんと(不倫関係にあった事実を)フライデーされて(雑誌で報道されて)、おかみさんに土下座した」と小朝に思い出話として語られている(このおかみさんとは、正蔵のおかみさん(妻)なのか小朝からみたおかみさん(口上の当時小朝は泰葉と結婚しているときだったので、すなわち海老名香葉子。正蔵から見ると母)なのかは不明)。
  • 過去にテレビドラマ『軽井沢シンドローム』撮影中に事故が起こり、スタッフが死亡、堤大二郎とこぶ平が負傷し、ドラマは制作中止となった。
  • 中学生のころからジャズレコードCDを集め、コレクションの数は10,000枚を超える。ラジオ番組にジャズ評論家として出演することもある。モダンジャズの本流に当たるハード・バップ系のジャズメッセンジャーズから入門した割にはより前衛的なフリー系まで守備範囲とし、『スイングジャーナル』誌に於いて本名で寄稿。若年ながらも同誌の選評者として二十代から三十代前半にかけて活躍していた。この時期、チェット・ベイカーが死の前年の1987年にが来日した際の公演を辛らつに批判し物議を醸した事がある。特にマイルス・デイヴィスのファンで悩んだ時や落ち込んだ時はよく聴く。2008年には著書『知識ゼロからのジャズ入門』(ISBN 978-4344901216)が出版された。
  • いかりや長介から、こぶ平が若い頃に「本業の落語をもっと勉強しなさい」と、アドバイス(と言うより、三平の弟子・跡継ぎとして、もっと落語に精進しなさい、という「辛辣なお叱り」であった様子)されたと、いかりやの没後に語った。
  • 正蔵の名跡を継承後、永六輔に『こぶ平は好きだが正蔵は嫌いだ』と辛辣な評価を受けたことがある。
  • 近年一門の弟子にすらあまり一対一で稽古を付けない3代目桂米朝に稽古を付けてもらっている。本人は緊張のあまり何もアドバイスを貰えなかった。稽古を付けてもらったのは米朝の新作として知られる「一文笛」と「除夜の雪」。なお米朝と三平は同い年で、自身と5代目桂米團治は同期入門にあたる。
  • 姉の泰葉が一緒に番組をしていた関係で、やしきたかじんのもとに住み込み、かばん持ちをしばらくしていたことがあり、実質師弟関係にあったため、生前のたかじんのことを「師匠」と呼んでいた。
  • 父・三平の弟子である林家ペーからは、「ボクちゃん」と呼ばれている。正蔵はペーのことを「ペー兄(あに)さん」と呼んでいる。
  • 弟・いっ平と番組で共演すると厳しく接することがある。一方で2代目林家三平をいっ平に継いでもらいたいと早くから公言し、「お袋の生きているうちに、正蔵と三平の揃い踏みを見せたい」と、自身の9代目襲名をきっかけに弟への期待を寄せた。2009年3月に、いっ平の2代目林家三平襲名が実現した。
  • 2007年4月に税務申告漏れ総額約1億2000万円を東京国税局から指摘され、悪質な所得の隠匿をしたとして重加算税など約4200万円を追徴課税されたが、この事件を逆手に取り自虐的なブラックジョークとして寄席でのネタとすることも多い。三遊亭小遊三6代目三遊亭圓楽からは、『笑点』の大喜利地下室とネタにされることがある。これは、襲名の際の祝儀袋を地下室に置いていたからといわれているが、詳細は不明。
  • 襲名時に坂東三津五郎より紋付を贈られた。この紋付、裏地にはちばてつや直筆の「ハリスの旋風」が描かれていた。正蔵は「落語界で大暴れしろ」と云う意味に取った[6]
  • 14歳年下の風俗ギャルと密会している浮気現場を写真週刊誌で報じられたことがある[7]
  • 5代目 鈴々舎馬風は「日本の話芸」で放送された紙入れのマクラにおいて、5歳か6歳に時によく自宅アパートに遊びに来て泊って行くことやカミさん(馬風の妻)になついていたことやこぶ平の名前で前座で出て来た時、三平のせがれと言うことで観客が御馳走になろうとやたらとよいしょするのが面白くないのでからかったら頭が悪いから(あくまで馬風解釈)からイジメと勘違いしてお父さん(初代三平)に言いつけるなど正蔵とのエピソードを語っている。
  • 鉄道に造詣が深く、実際に新幹線500系電車登場の特別番組ではリポーターを務めた。
  • 大先達の5代目 林家正蔵の眠る静岡県沼津市の真楽寺を毎年訪れている。なお、沼津市は母が戦時中に疎開したところでもある[8]
  • 子供のころ三平の息子であることを理由に弄られるのに嫌気がさし「人に笑われる仕事なんか止めればいい。」と発言したところ母の香葉子から「人様に笑って貰ってるおかげであたしらの今があるんだろうが。」と激怒されたという。それ以後は父の職業に対する不平を言わなくなったと言う。

「こぶ平」から「9代目正蔵」へ

襲名のきっかけは、自身がバラエティ番組などのメディア活動ではある程度の評価を得ているのに対し、寄席や落語会等に出て本業の落語を披露してもウケないことに悩んでいたころ、鈴本演芸場の席亭から「新しい名前を襲名したらどう?」と言われ、本人はてっきり父の使用していた名跡「林家三平」を継ぐものだと思っていたが、後々、祖父が7代目として使用した名跡「林家正蔵」の9代目だという事を聞かされる。これは8代目と海老名家の約束であるためだが、本人は正蔵襲名を目標としていなかった[9]。本人は断るつもりだったが周囲の薦めで襲名することになったという。また、襲名の際は上方では真っ先に3代目桂南光に相談をしている。

小朝によると、正蔵は襲名に備えて3年間で50席の古典落語を覚えたといい、正蔵の襲名に関して「彼の落語を聴いてから文句を言って欲しい」ともコメントしている(以上『笑点』正蔵襲名披露口上での小朝の発言)。

先述の通り、若くしてタレント活動に重点を置きながら、半ば「七光り」のような形でビッグネームを襲名したものの、テレビでの「だめなボンボン」のイメージは払拭したとは言い切れず、また女性、金銭などで「チョンボ」も多いことから、同業者からは才能の欠片もない「できない落語家」の代名詞としてネタにされることが多い。ただし、襲名決定後、高座に積極的に取り組んでいる。

ちなみに、「こぶ平」の名前は、自身の子息が弟子入りを希望した際に名乗らせたいとしている。2013年に弟子入りした長男は現在のところ別の名を名乗る。

受賞歴

  • 2015年 - 平成27年度(第70回)文化庁芸術祭賞・大衆芸能部門関東参加公演の部 優秀賞(第588回三越落語会における「しじみ売り」の話芸に対して[10]

出演番組

現在

ラジオ

テレビアニメ

過去

テレビ

初の生放送総合司会を担当していた。
病気で出演できなかった所ジョージに代わって司会を勤めた。

テレビドラマ

映画

テレビアニメ

1983年

1985年

1987年

1990年

1998年

1999年

2001年

  • タッチ CROSS ROAD〜風のゆくえ〜(日本テレビ) - ニック

2003年

劇場アニメ

ラジオ

人形劇

テレビCM

DVD・ビデオ

  • 地震はなぜ起こる?-地震の謎を探ってみよう(日本地震学会)- 本人役[11](林家こぶ平 名義)
  • ぼくたちの探検(1990年国税庁大蔵財務協会企画の租税教育用ビデオ) - 村野先生 役

音楽

  • 海老名の穴 所ジョージ(アルバム「僕の犬」収録)(ゲストボーカルとセリフ)

弟子

関連項目

脚注・出典

  1. ^ a b c d e 「時代を駆ける:林家正蔵:SHOZO HAYASHIYA(1)」 『毎日新聞』 2009年10月19日、13版、5面。
  2. ^ a b 「時代を駆ける:林家正蔵:SHOZO HAYASHIYA(2)」 『毎日新聞』 2009年10月20日、12版、10面。
  3. ^ 「時代を駆ける:林家正蔵:SHOZO HAYASHIYA(5)」 『毎日新聞』 2009年10月27日、13版、9面。
  4. ^ NHK出版『朝ドラの55年』でのインタビュー
  5. ^ 「時代を駆ける:林家正蔵:SHOZO HAYASHIYA(4)」 『毎日新聞』 2009年10月26日、13版、5面。
  6. ^ 「ウチくる!?」 2009年8月23日(日)放送内容”. 価格.com (2009年8月23日). 2013年12月7日閲覧。
  7. ^ 林家正蔵、風俗ギャルとの“深夜の一席”撮られる スポニチ閲覧
  8. ^ 五代目「正蔵」眠る沼津・真楽寺 2月に当代招き落語会 静岡新聞2014年1月30日。2014年3月27日閲覧
  9. ^ 新春対談 広報たいとう 平成18年(2006年)1月1日(No.908)号
  10. ^ 平成27年度(第70回)文化庁芸術祭賞受賞一覧(参加公演)”. 文化庁. 2015年12月25日閲覧。
  11. ^ 社団法人日本地震学会:なゐふる:vol.0(4/7) (PDF)

外部リンク