コンテンツにスキップ

「中村一生」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
Cewbot (会話 | 投稿記録)
m WP:BOTREQ: Category:東京都区部出身の人物新設に伴う貼り変え作業
150行目: 150行目:
[[Category:中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:オリックス・バファローズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:東京都出身の人物]]
[[Category:東京都区部出身の人物]]
[[Category:1982年生]]
[[Category:1982年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:存命人物]]

2016年6月8日 (水) 03:31時点における版

中村 一生
オリックス・バファローズ #63
2016年3月20日 阪神鳴尾浜球場にて
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 東京都江戸川区
生年月日 (1982-04-02) 1982年4月2日(42歳)
身長
体重
186 cm
85 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 外野手
プロ入り 2004年 ドラフト7巡目
初出場 2008年8月3日
年俸 1,500万円(2016年)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

中村 一生(なかむら いっせい、1982年4月2日 - )は、オリックス・バファローズに所属するプロ野球選手外野手)。

来歴・人物

プロ入り前

東海大浦安高時代は、2000年第82回全国高等学校野球選手権大会に出場。5番・中堅手として準優勝に貢献。

高校卒業後は、国際武道大学に進学。千葉県大学リーグでは、広い守備範囲と俊足の外野手として評価された。

2004年のドラフト中日ドラゴンズから7位指名され入団。国際武道大からは高橋光信に続き、2人目のプロ野球選手となった。

中日時代

中日時代(2009年7月16日、ナゴヤ球場)

2005年から2007年までの3シーズン、一軍昇格はなかった。2006年フレッシュオールスターゲームではホームランを含む2安打を放ち優秀選手に選ばれた。

2008年、初めて一軍に昇格し、9試合に出場。8月4日に山本昌が通算200勝を達成した試合では6番・右翼手でフル出場し、ウィニングボールを掴んでいる。クライマックスシリーズでは、守備要員として一軍に帯同した。同年9月、5歳年上の女性と結婚。

2009年、春季キャンプは一軍スタートだったが、開幕を二軍で迎える。7月に一軍昇格。7月17日の横浜戦でプロ入り初本塁打を放った。

2010年はわずか7試合の出場に終わった。

2011年は一度も一軍に昇格することがなく、11月11日戦力外通告を受けたが[1]12月19日オリックス・バファローズが獲得を発表した。

オリックス時代

2012年は開幕二軍スタートとなったが、5月17日の対巨人戦で坂口智隆が試合中に負傷したのを受け、5月19日に一軍登録。一軍昇格後は代走・守備要員、相手投手が左投手時のスタメンとして出場機会を得た。外野手のバックアップとしてシーズン終盤まで帯同し、中日時代の通算26試合を上回る62試合に出場した。打撃では60打席中4割に相当する24三振を喫して打率.204に留まったが、中日時代を上回る11安打6打点を記録し、5月23日の対阪神戦では岩田稔から3年ぶりの本塁打、5月31日の古巣・中日戦では3番でスタメン出場を果たして同点の犠飛を放つ活躍もあった。

2013年は34試合と出場機会を減らした。

2014年は対左投手のスタメンを任せられながら、対左打率.146と期待に応えられなかった。しかし、安定した守備力でシーズン終盤故障を抱えながら出場をしていた糸井嘉男の守備固めなど控え選手として重宝され移籍初年度に並ぶ出場試合数をえた

2015年は代走や守備固めの起用が増え打席数を減らしたが、出場試合数は自己最高の67試合となった。

2016年5月14日の対ソフトバンク戦でスアレスからサヨナラ二塁打を放った。(ヒーローインタビューで人生初めてのサヨナラヒットだと語っていた。)

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
2008 中日 9 11 9 0 3 2 0 0 5 2 0 0 0 0 2 0 0 1 0 .333 .455 .556 1.010
2009 10 18 16 4 5 0 0 1 8 2 0 0 0 1 1 0 0 5 0 .313 .333 .500 .833
2010 7 4 4 2 0 0 0 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 3 0 .000 .000 .000 .000
2012 オリックス 62 60 54 8 11 4 0 1 18 6 0 1 2 1 2 0 1 24 0 .204 .241 .333 .575
2013 34 37 34 3 9 3 0 0 12 1 2 1 0 0 3 0 0 14 1 .265 .324 .353 .677
2014 62 64 57 13 14 5 0 0 19 4 5 2 2 1 4 0 0 11 0 .246 .290 .333 .624
2015 67 38 35 6 7 3 0 0 10 5 2 6 3 0 0 0 0 8 0 .200 .286 .200 .486
NPB:7年 251 232 209 36 49 17 0 2 72 20 10 10 7 3 12 0 1 64 1 .234 .276 .344 .624
  • 2015年度シーズン終了時

年度別守備成績

年度 外野 一塁
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
2008 8 8 0 0 0 1.000 -
2009 9 15 2 0 0 1.000 -
2010 7 2 0 0 0 1.000 -
2012 58 46 1 0 0 1.000 -
2013 33 20 0 0 0 1.000 -
2014 54 91 3 0 0 .974 1 1 0 0 1 1.000
2015 54 44 1 1 0 .978 -
通算 223 226 7 1 0 .992 1 1 0 0 1 .992
  • 2015年度シーズン終了時

記録

背番号

  • 51 (2005年 - 2011年)
  • 63 (2012年 - )

脚注

  1. ^ 来季の選手契約について中日ドラゴンズ公式サイト 2011年11月11日閲覧

関連項目

外部リンク