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2016年6月8日 (水) 01:57時点における版

霜田 正浩
名前
愛称 シモさん[1][2]
カタカナ シモダ マサヒロ
ラテン文字 SHIMODA Masahiro
基本情報
国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1967-02-10) 1967年2月10日(57歳)
出身地 東京都豊島区[3]
身長 170cm[3]
体重 63kg[3]
選手情報
ポジション MF[4]
ユース
1982-1984 東京都立高島高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1988-1989 フジタ工業
1990-1992 京都紫光クラブ
1993 横河電機
監督歴
1997 京都パープルサンガユース
1998 京都パープルサンガJY
2006 Y.S.C.C.横浜
2013  日本 U-20
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

霜田 正浩(しもだ まさひろ、1967年2月10日 - )は、東京都豊島区出身の元サッカー選手、サッカー指導者。

来歴

東京都立高島高等学校を卒業した後、ブラジルへ留学[5]サントスFCなどクラブを渡り歩き経験を積む。サントスでは三浦知良セザール・サンパイオと親交を築いた[6]。帰国後は日本サッカーリーグフジタ工業(現:湘南ベルマーレ)や京都紫光クラブ(現:京都サンガF.C. ) に所属し[5]横河電機を最後に現役引退[5]

引退後は、大塚FCヴォルティス徳島でコーチを、古巣となる京都では下部組織の監督や強化担当を務めた。1999年にはクロアチア・ザグレブからJリーグに戻る三浦を京都に引き入れている[7]

2001年からはFC東京で強化部として主に外国籍選手獲得に尽力[8][5][9]2004年にはマウロ・シウバを通じてスペイン遠征(ファン・アクーニャ杯参加)を主導した[6]。また、同年にJFA 公認S級コーチのライセンスを取得した[10]2006年にはヘッドコーチに就任するも[3]、監督のアレッシャンドレ・ガーロと共にシーズン途中に退任した。

2006年11月より横浜スポーツ&カルチャークラブ (Y.S.C.C.横浜) の監督に就任(同年末退任)、2007年よりジェフユナイテッド市原・千葉でヘッドコーチなどを務めた[10]

2009年、FC東京在籍時から懇意である原博実から日本サッカー協会(JFA)入りを請われる。千葉との契約は残っており「(現場で)指導をやりたい気持ちは強かった」が、「原さんの期待に応えたい」と受任[11]2010年より技術委員となり[12]、原の右腕として[8]日本代表監督選定及び交渉に奔走し、アルベルト・ザッケローニとの契約にこぎつけた[5]。ザッケローニ体制下では主に対戦国のスカウティングを担い[13][14][15]、相手選手や[16]アウェーの環境[17]の情報収集のため、各国を遍歴した。2013年には2016年オリンピックを目指す日本代表[14]の監督を務めた。2014年より手倉森誠が監督に就いたため、霜田は同代表のコーチを務めている。また、ザッケローニの後任であるハビエル・アギーレについても招聘の中心となった[18][15]。同年9月、継続的強化を進めるべく[15][5]原の後任としてJFA技術委員長(強化担当)に就任[19]。世代別各代表の一貫的指導体制構築・整備に尽力した[20]

2015年2月、アギーレの解任に伴い、自身の更迭を含めた処分を提議するも[21]、留任に全会一致での支持を得たことから[22]、給与を自主返納し[23]自身3度目となる新代表監督の招聘に当たった。

2016年3月からの技術委員会の再編により委員長を降り[24]、技術委員として代表チーム強化に特化した役割を担う[25]ナショナルチームダイレクターに就いた[26]

所属クラブ

指導歴

脚注

  1. ^ 『徳島ヴォルティス 栄光への軌跡』アニバ出版、2014年、73頁。 
  2. ^ 日本代表メンバー発表 アギーレ監督会見要旨 ゲキサカ (2014年8月28日)
  3. ^ a b c d e f g h i j k トップチームスタッフ 新任のお知らせ - ウェイバックマシン(2006年6月27日アーカイブ分) FC東京 (2006年1月16日)
  4. ^ 『Japan Soccer League yearbook 1991-1992』南雲堂、1991年、82頁。 
  5. ^ a b c d e f 次期技術委員長に霜田氏最有力 - ウェイバックマシン(2014年7月17日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2014年7月3日)
  6. ^ a b 365日FC東京 第20回 霜田正浩 強化部長代理 - ウェイバックマシン(2004年8月3日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2004年)
  7. ^ カズへの手紙〔第31回〕from Masahiro Shimoda - ウェイバックマシン(2007年1月27日アーカイブ分) Number Web
  8. ^ a b 『「ザックを探し当てた男たち…原博実と霜田正浩の565日」Number 772号』文藝春秋、2011年2月、78-83頁。ASIN B004KSRCZY 
  9. ^ 365日FC東京 第8回 霜田正浩 - ウェイバックマシン(2005年11月10日アーカイブ分) 東京中日スポーツ (2005年7月21日)
  10. ^ a b c d e f g h i j 技術委員長(強化担当)プロフィール (PDF) 日本サッカー協会 (2014年9月11日)、2014年9月12日閲覧
  11. ^ 小宮良之『おれは最後に笑う サッカーが息づく12の物語』東邦出版、2015年、154-155頁。 
  12. ^ 平成22年度 第6回理事会 協議事項 (PDF) 日本サッカー協会 (2010年10月7日)
  13. ^ 原委員長「北朝鮮vsタジクは映像で解析」 日刊スポーツ (2011年9月8日)
  14. ^ a b c U20監督にザック日本スタッフ・霜田技術委員 - ウェイバックマシン(2013年7月14日アーカイブ分) スポーツ報知
  15. ^ a b c 原専務理事“右腕”の霜田氏、新技術委員長就任へ決定的! スポーツニッポン (2014年7月7日)
  16. ^ ウズベキスタン 若き司令塔MFは要注意「得点は全て彼の足から始まる」 スポーツニッポン (2011年9月5日)
  17. ^ 侮れないヨルダン デコボコピッチと異常気象も敵 東京中日スポーツ (2013年3月23日)
  18. ^ ザック監督後任、売り込み殺到!世界的地位向上で大人気!! (3/4) サンケイスポーツ (2014年6月25日)
  19. ^ a b 2014年度 第9回理事会 協議事項 (PDF) 日本サッカー協会 (2014年9月11日)
  20. ^ サッカーダイジェスト No.1321』日本スポーツ企画出版社、2015年、61頁。 
  21. ^ 霜田委員長の続投決定 任命責任不問、引き続き後任選定へ スポーツニッポン (2015年2月7日)
  22. ^ 霜田技術委員長は続投! J1、J2全40クラブが現体制支持 (1/3),(2/3) サンケイスポーツ (2015年2月7日)
  23. ^ アギーレ監督の件に関する会長及び関係する役員の責任の有無及び処分について 日本サッカー協会 (2015年2月13日)
  24. ^ 協議資料 日本サッカー協会 (2016年4月14日)
  25. ^ 西野技術委員長 ハリル采配評価 選手交代後「良くなった」 スポーツニッポン (2016年3月30日)
  26. ^ 委員会提出フォーマット 日本サッカー協会 (2016年5月19日)
  27. ^ a b 東アジア競技大会 日本代表選手団名簿 (PDF) 日本オリンピック委員会
  28. ^ 理事選任の件 Jリーグ (2015年3月11日)

外部リンク

先代
原博実
日本サッカー協会 技術委員長
2014年 - 2016年
次代
西野朗