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2016年6月8日 (水) 00:05時点における版
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名前 | ||||||
愛称 | オマ | |||||
カタカナ | オマタ ヒロユキ | |||||
ラテン文字 | OMATA Hiroyuki | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年9月1日(41歳) | |||||
出身地 | 東京都杉並区 | |||||
身長 | 181cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | 南葛SC | |||||
ポジション | DF[1] | |||||
背番号 | 4 | |||||
利き足 | 左[1] | |||||
ユース | ||||||
1996-1998 1999-2001 |
東京ガスFCジュニアユース FC東京U-18 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002-2005 | FC東京 | 1 | (0) | |||
2004 | 大宮アルディージャ | 0 | (0) | |||
2006-2007 | 湘南ベルマーレ | 78 | (0) | |||
2008-2011 | セレッソ大阪 | 34 | (0) | |||
2012-2013 | アビスパ福岡 | 38 | (0) | |||
2015 | コラソンマタドール | |||||
2016- | 南葛SC | |||||
代表歴 | ||||||
2002-2003 | 日本 U-19/20 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2013年11月30日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
尾亦 弘友希(おまた ひろゆき、1983年9月1日 - )は、東京都杉並区出身[2]の元プロサッカー選手。ポジションはディフェンダー(主に左サイドバック)。
来歴
小学校2年生の時にサッカーを始める[3]。FC東京の下部組織に加入し、同期の馬場憂太、石川高大、来栖由基、高橋延仁らと共に2001年のクラブユース選手権で優勝した。2002年、馬場と共にFC東京のトップチームへ昇格[2]。クラブ創設以来初の下部組織からのトップ昇格だった。同年4月の市原戦で左サイドハーフとして途中投入され[4]、この試合がJリーグデビューとなった。U-19日本代表としても活動し、左足のキックに高評価を受けていたが[3]、馬場が主力格となる一方で、尾亦は金沢浄らからポジションを奪えずにいた。2003年には2ヶ月間、FCポルトへ短期留学[5]。2004年には大宮アルディージャへ期限付き移籍[6][7]。大宮ではセンターバックとしても練習を積み、守備面を強化させた[3]。2005年にFC東京へ復帰。左足からのクロスに力強さを増したものの、サイドバックのバックアッパー[8]を務めるに終わった。
2006年よりJ2を戦う湘南ベルマーレに完全移籍[9]。同年のリーグ戦では出場停止を除く全試合に出場し、チーム最多・最長出場を記録[10]。左サイドバックのレギュラーポジションをほぼ手中に収めた。これまで尾亦を見守ってきたFC東京の長澤徹ヘッドコーチによると、2005年当時、プレーからやる気が感じられなくなっていた尾亦に対し「お前は(このままだと今季限りで)クビだから。自分の子供が生まれても、サッカー選手だったことを隠すだろ」と突き放したところ、尾亦はこの言葉に奮起して、これ以後ダッシュやフィジカルの練習をトップでこなすようになったという。結果的には長澤の予告通り契約非更新となってしまったが、Jサテライトリーグなどでの懸命なプレーが伝わって、湘南でチャンスを掴むことができたとのこと[11]。
2008年からJ2セレッソ大阪へ完全移籍[12][13]。湘南在籍時には果たせなかったJ1昇格を目指していたが、3月の第4節仙台戦で右大臀部筋損傷を負い2ヶ月の離脱[14]。戦線復帰後の8月、第30節古巣・湘南戦では右アキレス腱断裂の大怪我を負い、全治6ヵ月と診断された[15]。2009年シーズン終盤に復帰。2010年は負傷離脱中に台頭した石神直哉からポジションを奪い返し、序盤はレギュラーとして出場していたが、W杯中断期間に負傷して以降は丸橋祐介にポジションを奪われ、リーグ戦の出場は無かった。2011年は自ら希望して背番号をプロ入り時と同じ32に変更[16]。巻き返しを図り、自身初のACL出場も果たしたが、レギュラーを奪回するまでには至らず、同年限りでC大阪を退団した。
2012年よりJ2アビスパ福岡へ完全移籍[17][18]。サイドからのクロスによるチャンスメイクは健在で攻守に貢献していたが[19]、契約満了により2013年シーズン終了後に退団[20]。その後現役続行を模索していたが、2014年3月に自身のブログで現役引退を表明した[21]。
2014年4月より古巣FC東京の普及部コーチを務める[22]。
2015年、AC長野パルセイロのキャンプに練習生として参加したが[23]契約には至らず、7月に東京都リーグ3部のCORAZONマタドールで選手復帰。
2016年、東京都リーグ2部の南葛SCにコーチ兼任で加入する[24]。
所属クラブ
- ユース経歴
- 1990年 - 1995年 高三サッカークラブ (杉並区立高井戸第三小学校[3])
- 1996年 - 1998年 東京ガスFCジュニアユース (杉並区立向陽中学校[3])
- 1999年 - 2001年 FC東京U-18 (日本学園高校[2])
- プロ経歴
- 2002年 - 2005年 FC東京
- 2006年 - 2007年 湘南ベルマーレ
- 2008年 - 2011年 セレッソ大阪
- 2012年 - 2013年 アビスパ福岡
- 2015年7月 - CORAZONマタドール
- 2016年 - 南葛SC (コーチ兼任)
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2002 | FC東京 | 32 | J1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
2003 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2004 | 大宮 | 19 | J2 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2005 | FC東京 | 30 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 |
2006 | 湘南 | 21 | J2 | 47 | 0 | - | 2 | 0 | 49 | 0 | |
2007 | 31 | 0 | - | 2 | 0 | 33 | 0 | ||||
2008 | C大阪 | 16 | 17 | 0 | - | 0 | 0 | 17 | 0 | ||
2009 | 2 | 0 | - | 1 | 0 | 3 | 0 | ||||
2010 | J1 | 11 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 13 | 0 | ||
2011 | 32 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | ||
2012 | 福岡 | 21 | J2 | 19 | 0 | - | 1 | 0 | 20 | 0 | |
2013 | 19 | 0 | - | 0 | 0 | 19 | 0 | ||||
2016 | 南葛 | 4 | 東京都2部 | - | - | ||||||
通算 | 日本 | J1 | 16 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 18 | 0 | |
日本 | J2 | 135 | 0 | - | 6 | 0 | 141 | 0 | |||
日本 | - | 0 | 0 | ||||||||
総通算 | 151 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 | 159 | 0 |
国際大会個人成績 | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | クラブ | 背番号 | 出場 | 得点 |
AFC | ACL | |||
2011 | C大阪 | 32 | 2 | 0 |
通算 | AFC | 2 | 0 |
代表歴
- 2001年 U-18日本代表候補
- 2002年 U-19日本代表[1] - Nokia debitel Cup、SBSカップ、AFCユース選手権カタール大会
- 2003年 U-20日本代表[1]
指導歴
脚注
- ^ a b c d 2010年 J1選手名鑑 セレッソ大阪 尾亦 弘友希 - ウェイバックマシン(2010年7月25日アーカイブ分) スポーツニッポン
- ^ a b c 尾亦弘友希選手(FC東京U-18)来季新加入内定のお知らせ - ウェイバックマシン(2004年5月13日アーカイブ分) FC東京 (2001年12月11日)
- ^ a b c d e 『FC東京ファンブック2005』毎日新聞社、2005年、56頁。
- ^ 試合記録 Jリーグ ディビジョン1 ファーストステージ第5節 FC東京 (2002年4月6日)
- ^ 尾亦弘友希選手『FCポルト』短期留学のお知らせ - ウェイバックマシン(2004年5月6日アーカイブ分) FC東京 (2003年8月12日)
- ^ 尾亦弘友希選手 大宮アルディージャへ期限付移籍決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2004年5月6日アーカイブ分) FC東京 (2003年12月22日)
- ^ 尾亦 弘友希選手、期限付き移籍獲得のお知らせ - ウェイバックマシン(2004年2月15日アーカイブ分) 大宮アルディージャ (2003年12月22日)
- ^ FC東京の実体 (1/3) 05シーズン版FC東京 スポーツナビ (2005年6月2日)
- ^ 尾亦弘友希選手 湘南ベルマーレへ完全移籍決定のお知らせ - ウェイバックマシン(2006年2月22日アーカイブ分) FC東京 (2005年12月9日)
- ^ 選手出場記録 (2006年12月2日)
- ^ 『GIANT KILLING extra Vol.03 「才能と努力の係数 - 長澤徹(FC東京コーチ)」』 講談社、32-33頁、2010年10月 (ISBN 4063895114/ISBN-13 978-4063895117)
- ^ 尾亦弘友希選手 セレッソ大阪に移籍のお知らせ - ウェイバックマシン(2007年12月16日アーカイブ分) 湘南ベルマーレ (2007年12月12日)
- ^ 湘南ベルマーレより尾亦弘友希選手移籍加入のお知らせ セレッソ大阪 (2007年12月12日)
- ^ 尾亦弘友希選手の負傷について セレッソ大阪 (2008年3月25日)
- ^ 尾亦弘友希選手の負傷について セレッソ大阪 (2008年8月12日)
- ^ 『Jリーグカラー名鑑 2011年 3/4号』 ベースボール・マガジン社、2011年2月 ASIN B004MSWVZS
- ^ 尾亦弘友希選手 アビスパ福岡へ完全移籍のお知らせ セレッソ大阪 (2012年1月6日)
- ^ 尾亦 弘友希 選手 セレッソ大阪より完全移籍加入のお知らせ アビスパ福岡 (2012年1月6日)
- ^ 福岡は尾亦がクロスで2点演出、愛媛の猛攻を耐えて4試合ぶり勝利 ゲキサカ (2013年6月23日)
- ^ “アビスパ福岡 契約満了選手のお知らせ”. アビスパ福岡 (2013年11月30日). 2013年11月30日閲覧。
- ^ “報告”. おま家通信。. 2014年3月18日閲覧。
- ^ 尾亦弘友希選手 現役引退 および FC東京普及部コーチ就任のお知らせ アビスパ福岡 (2014年4月3日)
- ^ “元大宮・橋本ら練習生で参加 AC長野キャンプ2日目”. 信濃毎日新聞. 2016年3月5日閲覧。
- ^ a b c 南葛SC TOPチームでは2016年度より尾亦弘友希氏とヘッドコーチ兼選手として契約を行いました事をお知らせします。 南葛SC (2015年12月21日)
関連項目
外部リンク
- おま家通信。
- PLAYER'S DATABASE - ウェイバックマシン(2007年10月24日アーカイブ分) - WEBサッカーマガジン (2007年2月13日)
- プロフィール (2004年版) - 大宮アルディージャ
- プロフィール (2005年版) - ウェイバックマシン(2005年12月24日アーカイブ分) - FC東京
- プロフィール (2007年版) - ウェイバックマシン(2007年11月11日アーカイブ分) - 湘南ベルマーレ
- プロフィール (2011年版) - ウェイバックマシン(2011年11月22日アーカイブ分) - セレッソ大阪
- プロフィール (2013年版) - ウェイバックマシン(2013年8月22日アーカイブ分) - アビスパ福岡