「ドラム缶女性焼殺事件」の版間の差分
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{{暴力的}} |
{{暴力的}} |
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{{Infobox 事件・事故 |
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'''ドラム缶女性焼殺事件'''(ドラムかんじょせいしょうさつじけん)とは、[[2000年]]4月([[平成]]12年)に[[愛知県]]で[[発生]]した[[殺人事件]]。 |
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| 名称 = ドラム缶女性焼殺事件 |
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| 画像 = |
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| 脚注 = |
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| 場所 = {{JPN}}・[[愛知県]][[名古屋市]][[千種区]][[振甫町]]2丁目(拉致現場)<br>愛知県[[瀬戸市]]の山中(殺害現場) |
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| 緯度度 = |緯度分 = |緯度秒 = |
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| 経度度 = |経度分 = |経度秒 = |
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| 日付 = [[2000年]]([[平成]]12年)[[4月4日]] |
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| 時間 = |
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| 開始時刻 = |
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| 終了時刻 = |
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| 時間帯 = |
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| 概要 = 債権の取り立てに失敗した男ら6人が、債務者の妻とその妹を拉致し、山中で[[ガソリン]]をかけて焼き殺した。 |
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| 武器 = |
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| 攻撃人数 = 6人 |
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| 標的 = 債務者の男性A |
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| 死亡 = 2人(男性の妻B子・妻の妹C子) |
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| 負傷 = 1人(男性A) |
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| 犯人 = |
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| 動機 = |
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| 謝罪 = |
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| 対処 = 主犯格2人は[[日本における死刑|死刑]]([[日本における被死刑執行者の一覧|執行済み]])<br>その他共犯者らは最大で[[無期刑|無期]][[懲役]] |
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'''ドラム缶女性焼殺事件'''(ドラムかんじょせいしょうさつじけん)とは、[[2000年]]([[平成]]12年)4月4日未明、[[愛知県]][[名古屋市]][[千種区]][[振甫町]]2丁目で女性2人が拉致され<ref name="中日20000404">『[[中日新聞]]』2000年4月4日夕刊社会面13面「妻と従業員監禁か 夫を殴り車ごと奪う 未明の千種 男2人逮捕」<br>『[[東京新聞]]』2000年4月4日夕刊第二社会面10面「車奪われ妻ら不明 名古屋 2容疑者逮捕、行方追及」</ref><ref name="中日20000405">『中日新聞』2000年4月5日朝刊第二社会面30面「千種区の連れ去り 2女性、依然不明 新たに1人を逮捕」</ref>、同県[[瀬戸市]]内の山中で焼き殺された[[強盗致死傷罪|強盗殺人]][[事件]]である<ref name="中日20000408"/><ref>『中日新聞』2000年4月11日朝刊社会面33面「千種・連れ去り 主犯格の男2人逮捕 2女性の殺害を指示」</ref><ref>『中日新聞』2000年5月3日朝刊社会面31面「強盗殺人で6人再逮捕 千種の2人連れ去り 焼殺し遺体を切断」</ref>。 |
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== 加害者 == |
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;元死刑囚N(Sに改姓) |
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: 犯行当時30歳、愛知県[[春日井市]](Kと同所)在住<ref name="中日20000718"/>、[[中古車]][[自動車販売店|販売]]手伝い<ref name="中日20090129"/>。 |
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: 刑事裁判でKとともに主犯格と認定されて死刑を求刑され<ref name="中日20011121"/>、第一審([[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]]、2002年2月21日)<ref name="中日20020221"/>・控訴審([[名古屋高等裁判所|名古屋高裁]]、2003年3月12日)ともに、求刑通り死刑判決を受けた<ref name="中日20030312"/>。2006年6月9日に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]で上告が棄却され<ref name="中日20060609"/>、死刑が確定した。 |
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: [[2009年]](平成21年)1月29日、[[死刑囚]]として[[収監]]されていた[[名古屋拘置所]]で、Kとともに死刑が執行された(39歳没)<ref name="中日20090129"/>。 |
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;元死刑囚K |
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: 犯行当時36歳、愛知県春日井市(Nと同所)在住<ref name="中日20000718"/>、中古車販売業<ref name="中日20090129"/>。 |
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: 刑事裁判でNとともに主犯格と認定されて死刑を求刑され<ref name="中日20011121"/>、第一審([[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]]、2002年2月21日)<ref name="中日20020221"/>・控訴審([[名古屋高等裁判所|名古屋高裁]]、2003年3月12日)ともに、求刑通り死刑判決を受けた<ref name="中日20030312"/>。2006年6月9日に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]で上告が棄却され<ref name="中日20060609"/>、死刑が確定した。 |
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: 2009年1月29日、名古屋拘置所でNとともに死刑が執行された(44歳没)<ref name="中日20090129"/>。 |
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;受刑者W |
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: 犯行当時40歳、愛知県春日井市(X・Yと同所)在住、自動車部品販売会社社長<ref name="中日20000405"/><ref name="中日20000408"/><ref name="中日20000718"/>。Xの実兄(M姓)<ref name="中日20000408"/>。 |
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: N・K・Xとともに殺害現場に居合わせ、被害者2人の殺害・死体損壊を実行した。 |
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: 死刑求刑に対し<ref name="中日20011018"/>、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)<ref name="中日20020219"/>・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに無期懲役判決を受け<ref name="中日20030619"/>、2004年2月に最高裁で上告棄却決定がなされたことにより、判決が確定した<ref name="朝日20040206"/>。 |
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;受刑者X |
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: 犯行当時37歳、愛知県春日井市(W・Yと同所)在住、自動車部品販売会社従業員<ref name="中日20000405"/><ref name="中日20000408"/><ref name="中日20000718"/>。Wの実弟で<ref name="中日20000408"/>、逮捕直後は兄Wと同じくM姓と報道されたが<ref name="中日20000405"/>、その後の報道ではS姓と報道された<ref name="中日20000408"/>。 |
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: N・K・Wとともに殺害現場に居合わせ、被害者2人の殺害には関与しなかったが、Wとともに死体損壊を実行した。 |
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: 死刑求刑に対し<ref name="中日20011018"/>、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)<ref name="中日20020219"/>・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに無期懲役判決を受け<ref name="中日20030619"/>、2004年2月に最高裁で上告棄却決定がなされたことにより、判決が確定した<ref name="朝日20040206"/>。 |
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;受刑者Y(出所済み?) |
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: 犯行当時45歳、愛知県春日井市(W・Xと同所)在住、会社役員<ref name="中日20000404"/><ref name="中日20000718"/>。 |
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: 事件前の殺害謀議<ref name="中日20000427"/>、被害者らの襲撃・拉致に関与したが、殺害現場に向かう途中でZとともに逮捕された<ref name="中日20011002"/><ref name="中日20011018"/>。 |
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: 懲役15年の求刑に対し<ref name="中日20011018"/>、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)<ref name="中日20020219"/>・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに懲役12年判決を受け<ref name="中日20030619"/>、2004年2月に最高裁で上告棄却決定がなされたことにより判決が確定した<ref name="朝日20040206"/>。 |
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;受刑者Z(出所済み?) |
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: 犯行当時28歳、愛知県[[岡崎市]]出身<ref name="中日20000404"/><ref name="中日20000718"/>。 |
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: 事件前の殺害謀議<ref name="中日20000427"/>、被害者らの襲撃・拉致に関与したが、殺害現場に向かう途中でYとともに逮捕された<ref name="中日20011002"/><ref name="中日20011018"/>。 |
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: 懲役15年の求刑に対し<ref name="中日20011018"/>、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)<ref name="中日20020219"/>・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに懲役12年判決を受け<ref name="中日20030619"/>、上告期限の7月3日までに上告しなかったために判決が確定した<ref name="朝日20040206"/>。 |
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== 事件の概要 == |
== 事件の概要 == |
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逮捕された6人はもともと1つのグループで、N・K両名が対等な関係でリーダーとして君臨し、W・X・Y・Zの4人が、2人の命令に絶対服従する手下という関係だった<ref name="中日20000411"/>。N・Kら6人は同じ運送会社に勤務して知り合い、それぞれ退社後<ref name="中日20000718"/>、N・K両名が商品の[[取り込み詐欺]]をするため<ref name="中日20000718"/>、前年[[1999年]](平成11年)12月に休眠会社を買収し<ref name="中日20000411"/>、自動車部品会社を設立し<ref name="中日20000411"/>、名目上Wを社長に<ref name="中日20000411"/>、Vら他の3人を取締役に就任させ<ref name="中日20000718"/>、従業員として働かせていた<ref name="中日20000411"/>。詐欺が計画通りにいかず、会社が資金難に陥ると、N・K両名は会社を受取人として、Wら4人をそれぞれ5000万円の[[生命保険]]に加入させ「逆らえば殺される」という意識を植え付けさせていた<ref name="中日20000718"/>。WらはN・K両名に服従していた理由について、取り調べに対し「Nはバックに暴力団関係者がいたため、逆らったら何をされるか怖かった」と供述した<ref name="中日20000411"/>。 |
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{{出典の明記|date=2015年9月|section=1}} |
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Nは、[[金融]]業を営む父親から愛知県[[名古屋市]][[千種区]]の[[喫茶店]]経営のAが振り出した[[約束手形]](額面240万円)の回収を頼まれたが、Aは資力がないためか一向に手形金の支払いに応じなかった。そこで中古車販売業のKに[[債権]]回収の相談をした。KはさらにT・U・V・Wの4人に債権取り立てをさせたが、Aは返済に応じなかった。 |
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Nは会社の資金稼ぎのため、[[金融]]業を営む[[暴力団]]関係者の父親から<ref name="中日20000718"/><ref name="中日20000409"/>、名古屋市千種区振甫町在住の[[喫茶店]]経営者男性A(当時56歳)が<ref name="中日20000404"/>、前年冬に振り出した<ref name="中日20000718"/><ref name="中日20000409"/>、額面240万円の[[約束手形]]の取り立てを頼まれた<ref name="中日20000718"/><ref name="中日20000409"/>。しかし、Aは資力がないためか一向に手形金の支払いに応じなかった一方、Nは父親から「どうなっているんだ」と催促された<ref name="中日20000718"/>。父親を恐れていたNは、Kに[[債権]]回収の相談をし「帰宅するA夫婦を拉致・殺害し、乗用車を奪おう」と決意し<ref name="中日20000718"/>、N・K両名は、Wら4人に対し「A夫婦をさらって殺せ。死体は燃やせ」などと指示し<ref name="中日20000718"/>、事件前日の3日に、殺害に使った[[ドラム缶]]・[[ガソリン]]・[[チェーンソー]]などを購入させ<ref name="中日20000718"/><ref name="中日20000411"/>、Kの会社でドラム缶の蓋を開け空気口を空けるなどの細工をした<ref name="中日20000411"/>。Kが「死体をチェーンソーで切断すると、血が飛び散って嫌だ」と話すと、Nは「生きたまま焼き殺せば、血はつかない」と、身勝手な理由で残虐な犯行に至った<ref name="中日20000718"/>。N・K両名は、Wら4人を「逃げてもいいぞ。その代わり、殺し屋を差し向けて3日で殺すぞ」と脅して犯行に加担させ、殺害実行前日も「行きたくない」と抵抗したWに対し「お前が行かないなら、(殺害に使う)ドラム缶をもう1つ増やさないといけなくなる」と脅迫した<ref name="中日20000718"/>。 |
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そこでNとKはAを[[拉致]]殺害することを計画、躊躇する4人に対して応じなければ[[生命保険]]金目当てに殺害すると脅迫した。そして2000年[[4月4日]]にAの自宅前で待ち伏せしていた。帰宅して来たAに角材で襲い掛かったが、負傷させたものの逃げられてしまい拉致に失敗した。しかし一緒にいたAの妻と妻の妹を乗用車ごと拉致した。[[現金]]2万4000円などを奪ったうえに、[[瀬戸市]]の山林に連れ込んで粘着テープで拘束した2人を生きたままドラム缶に押し込んだ上で、[[ガソリン]]をかけて焼死させた。さらに犯行の痕跡を消そうと[[遺体]]をチェーンソーなどで切断、山中に放棄した。しかしAの通報により[[愛知県警察]]はNら犯行グループ6人を[[指名手配]]した。そしてTら4人は逮捕され、その自供から[[4月10日]]にNとKは[[逮捕]]された。その後の捜索で炭化した遺体の一部が山林から発見された。 |
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そしてこの日の夕方、N・Kら3人は、Aが経営する名古屋市[[中村区]][[名駅]]付近の喫茶店付近で、Aが店を閉店し、サウナに行くところを監視した<ref name="中日20000411"/>。その後、Aが帰宅するところを車で追い<ref name="中日20000411"/>、翌4月4日午前零時半頃<ref name="中日20000404"/>、サウナから乗用車で帰宅したAが<ref name="中日20000405夕刊"/>、駐車場前に停車していたライトバンの運転手に移動を頼もうと下車したところを<ref name="中日20000404"/>、Aの自宅前で待ち伏せしていたWら3人とともに<ref name="中日20000411"/>、背後から角材で襲い掛かり<ref name="中日20000404"/>、頭・右手を殴って全治2週間の怪我を負わせた<ref name="中日20000404"/>。しかし、Aが近所に助けを求めに行ったことで拉致に失敗したが<ref name="中日20000404"/>、その間に車に同乗していたAの妻B子(当時65歳)と、妻の妹C子(当時59歳)を乗用車ごと拉致した<ref name="中日20000404"/>。 |
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== 裁判と刑の執行 == |
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[[裁判]]で[[検察]]側は実行グループ6人のうち女性の焼殺に関与したN・K・T・Uの4人に[[死刑]]を[[求刑]]した。これは[[加害者]]グループと[[債務者]]Aとは直接関係のない居合わせただけの落ち度のない女性2人を助命嘆願を無視し生きたまま焼き殺したことが極めて犯行態度が悪質であるというものであった。[[主犯]]Nは死刑を受け入れると表明したが、Kら3人はNの犯行計画に従っただけであるとして死刑回避を求めた。一審の[[名古屋地方裁判所]]は[[2002年]][[2月21日]]にTとUには[[無期懲役]]<ref name="kyodo20030619-1">{{Cite news|title=姉妹焼殺で控訴棄却 2人の無期懲役を支持|newspaper=共同通信|date=2003-06-19|url=http://www.47news.jp/CN/200306/CN2003061901000150.html|accessdate=2009-03-22}}{{リンク切れ|date=2015年9月}}</ref><ref name="kyodo20030619-2">{{Cite news|title=姉妹焼殺で2審判決 主犯の指示受けた4被告|newspaper=共同通信|date=2003-06-19|url=http://www.47news.jp/CN/200306/CN2003061901000015.html|accessdate=2009-03-22}}{{リンク切れ|date=2015年9月}}</ref>、拉致には関与したが殺害行為には参加しなかったVとWには[[懲役]]12年を言い渡したが<ref name="kyodo20030619-1"/><ref name="kyodo20030619-2"/>、NとKは死刑判決であった。[[判決]]はNを主犯と認定した上で、Kの存在がなければ一連の犯行計画遂行は為しえなかったものであり、Nと同様にKも犯行態度は悪質であるから同等の刑事責任を受けるべきであるとの主旨の判決であった<ref name="kyodo20030312-1"/>。 |
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N・Kは、自分たちは手を下すことなく、W・Xに命じ<ref name="中日20000411"/>、被害者2人を愛知県[[西加茂郡]][[藤岡町 (愛知県)|藤岡町]](現・[[豊田市]])藤岡町と[[瀬戸市]]北白坂町の境(藤岡町北部のキャンプ場「郡民の森」から南西約1.6km)の山中に拉致し<ref name="中日20000408"/>、[[現金]]2万4000円などを奪った上、粘着テープで拘束した2人を生きたままドラム缶に押し込んだ上で、ガソリンをかけて火を点け、焼死させた<ref name="中日20000718"/>。さらに犯行の痕跡を消そうと[[遺体]]をチェーンソーなどで切断、山中に遺棄した<ref name="中日20000718"/>。Nは2人をドラム缶に押し込む際「風呂にでも入ってもらえ」と言っており、またB子に「恨むなら、旦那を恨め」、C子には「一緒にいただけなのに、かわいそうに」と言葉をかけていた<ref name="中日20000718"/>。 |
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2人は[[控訴]]したが、[[2003年]][[3月12日]]に控訴[[棄却]]し<ref name="kyodo20030312-1">{{Cite news|title=姉妹焼殺2被告2審も死刑 残虐さに戦慄と名古屋高裁|newspaper=共同通信|date=2003-03-12|url=http://www.47news.jp/CN/200303/CN2003031201000174.html|accessdate=2009-03-22}}{{リンク切れ|date=2015年9月}}</ref><ref>{{Cite news|title=姉妹焼殺で2審も死刑 主犯格2人に名古屋高裁|newspaper=共同通信|date=2003-03-12|url=http://www.47news.jp/CN/200303/CN2003031201000115.html|accessdate=2009-03-22}}{{リンク切れ|date=2015年9月}}</ref>、最高裁も[[2006年]][[6月9日]]に[[上告]]を棄却し、両者の死刑が確定した<ref>{{Cite news|title=2被告の死刑確定へ 愛知・姉妹焼殺、上告棄却|newspaper=共同通信|date=2006-06-09|url=http://www.47news.jp/CN/200606/CN2006060901000888.html|accessdate=2009-03-22}}{{リンク切れ|date=2015年9月}}</ref>。両者は[[死刑囚]]として[[名古屋拘置所]]に[[収監]]されたが、{{要出典範囲|[[法務省]]から送られてきた死刑執行に関する説明書の一部を[[拘置所]]が内容の一部を抹消したうえで手渡されたことに対し、Aは拘置所側を[[裁量権]]の逸脱であると[[慰謝料]]を求める訴訟を提起した。この訴訟ではAが勝訴している。|date=2015年9月}} |
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== 捜査 == |
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{{要出典範囲|なお、Nは死刑囚になった後、そもそもの事件の原因をつくった父親の姓からSに改名している。またKは事件はSから指示されてやっただけなどとして、[[2008年]]7月に[[再審]]請求をしたが12月には再審開始の理由にあたらない棄却された。|date=2015年9月}}そして[[共犯]]2人が死刑囚の場合には原則として同じ日に死刑を執行するという慣習のために、死刑判決確定から2年半後の[[2009年]][[1月29日]]に両者の死刑が執行された。同日には[[長野・愛知4連続強盗殺人事件]]の死刑囚他1名の死刑も執行されている。 |
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Aの通報を受け、[[愛知県警察]][[千種警察署]]は緊急配備し、午前1時20分頃、現場から北東約6km離れた千種区[[香流橋]]2丁目の県道で、信号待ちをしていたAの車を発見し、乗車していたY・Z両名を強盗致傷容疑で[[逮捕]]した<ref name="中日20000404"/>。犯行に関わったとみられる別の男からも事情聴取したところ、この男は「2人の女性は無事だ」などと供述したが、車にB子・C子は乗っておらず、千種署は2人が監禁されている可能性もあるとみて、取り調べに対し「金銭関係のもつれからAを襲い、車を奪った。2人の女性のことは知らない」と供述するY・Z両名を追及した<ref name="中日20000404"/>。 |
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愛知県警捜査一課・千種署は同日、捜査本部を設置し、新たに強盗致傷容疑でXを逮捕した<ref name="中日20000405"/>。取り調べに対し、3人は「Aが金を返さないので、痛めつけて金を取り戻そうと思った」と供述し、さらにXは「Wと2人で、名古屋市東区内の路上まで女性2人を連れ去ったが、そこで自分だけ車を降りた」と述べた<ref name="中日20000405"/>。捜査本部は金銭トラブルによる犯行とみて、X・Y・Zの3人が勤務する、春日井市内の自動車部品販売会社の社長だったWを強盗致傷容疑で[[指名手配]]し、B子・C子の2人を連れ去ったとみて行方を追った<ref name="中日20000405"/>。 |
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== 出典 == |
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{{reflist}} |
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翌5日、捜査本部は女性2人の実名・当時の服装を公開し、一般からの情報提供を呼び掛ける公開捜査を開始した<ref name="中日20000405夕刊">『中日新聞』2000年4月5日夕刊第二社会面10面「不明の2女性 氏名など公表 千種の連れ去り」</ref>。同日、捜査本部から指名手配されていたWが、逃走・潜伏先の[[東京都]][[千代田区]]内([[JRグループ|JR]][[東京駅]]付近)のホテルで[[警視庁]][[中央警察署 (東京都)|中央警察署]]に逮捕され<ref name="中日20000406">『中日新聞』2000年4月6日朝刊社会面35面「手配の社長逮捕 千種の2女性連れ去り事件」</ref><ref name="朝日20000406">『[[朝日新聞]]』2000年4月6日第一社会面29面「容疑者4人目逮捕 名古屋の連れ去り、2女性は依然不明【名古屋】」</ref>、その後身柄を千種署に移送された<ref name="朝日20000406"/>。Wらは取り調べに対し、「Aが借金を返さないので、肩代わりに車を奪おうと思った。女性を連れ去るつもりはなかった」と供述した<ref name="中日20000406"/><ref name="朝日20000406"/>。また同日昼、犯行グループが犯行で使ったとみられる乗用車が、[[岐阜県]][[中津川市]]内の[[東海旅客鉄道|JR]][[中央本線]][[中津川駅]]付近で発見された<ref name="中日20000407"/>。 |
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翌6日、捜査本部はN・K両名が女性2人の行方を知っているものとみて、強盗致傷容疑で両名を指名手配した<ref name="中日20000407">『中日新聞』2000年4月7日朝刊第二社会面38面「中古車販売業者ら2人を指名手配 千種の連れ去り事件」</ref><ref name="朝日20000407">『朝日新聞』2000年4月7日朝刊第一社会面35面「2容疑者、新たに手配 名古屋の2女性拉致事件【名古屋】」</ref>。Wは女性2人について「車に乗せた直後の4日午前1時頃、東区内の[[ナゴヤドーム]]周辺で車から降ろし解放した。その後どこに行ったかはわからない」などと供述したが<ref name="中日20000406"/><ref name="朝日20000406"/>、事件発生以来2人の消息が途絶え、目撃情報も一切ないこと<ref name="中日20000407"/><ref name="朝日20000407"/>、現場の状況から<ref name="中日20000407"/>、捜査本部は最悪の事態も想定し<ref name="朝日20000407"/>、また他にも共犯者がいるとみて追及したところ、Wの知人であるN・K両名を突き止め<ref name="中日20000407"/>、緊迫した捜査を続けた<ref name="朝日20000407"/>。 |
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W・X兄弟は捜査本部による7日までの取り調べに対し、それぞれ女性2人の行方不明への関与を否定していたが、両名の供述に矛盾点が多いことや、ドーム周辺でも目撃情報が一切ないことから、さらに追及したところ「女性2人を拉致した後、すぐに藤岡町の山中に向かい、ガムテープで縛りつけ、ビニール袋を頭からかぶせて抵抗できないようにした女性2人をそれぞれ、あらかじめ車に用意していた空きドラム缶2缶に入れ、N・K両名の命令で、自分たちとY・Zの4人で、生きたままガソリンをかけて火を点け、数時間かけて焼き殺した。その後遺体を切断し、すぐ横の崖から数十m下の沢に蹴り落とし、遺棄した」「N・K両名からは『2人を殺さなければ、お前らを殺す』などと命令されていた」などと供述を始めた<ref name="中日20000408">『中日新聞』2000年4月8日朝刊1面「逮捕の兄弟『2人殺した』 千種の連れ去り 遺体?一部を発見」<br>『中日新聞』2000年4月8日夕刊1面「連れ去り女性殺害 焼殺遺体の一部確認 瀬戸・藤岡境の山中 使用ドラム缶も 『生きたままガソリンかけた』容疑者供述」<br>『東京新聞』2000年4月8日夕刊社会面11面「女性2人を拉致 焼殺 『生きたまま』供述 強盗傷害で逮捕の兄弟 山中から遺体の一部 名古屋」</ref>。供述に基づき、捜査本部が愛知県の西三河北部で遺体を捜索したところ、殺害を裏付ける証拠は発見できなかったが、7日になって切断された遺体の一部らしいものが見つかった<ref name="中日20000408"/>。8日午前、捜査本部は藤岡町・瀬戸市境の山中で本格的な捜索を開始し、焼いて炭化した遺体の一部と、遺体を焼いた痕跡のあるドラム缶2缶を発見した<ref name="中日20000408"/>。これを受け、県警は殺害容疑が強まったとして、捜査本部を特別捜査本部に切り替え、引き続き遺体の発見に全力を挙げつつ、身元の確認を急いだ<ref name="中日20000408"/>。Wは取り調べに対し「ドラム缶は上部の蓋を切り、側面の下部に空気穴をあけるなどの工作をした」と供述したことから、特捜本部は計画的犯行とみて追及した<ref name="中日20000408"/>。Wらは、Aから手形絡みの二百数十万円の債権を回収しようとしてトラブルになっていたが、これが女性2人の殺害につながるほど強い動機とはいえず、背後関係を解明するため、特捜本部は4人を厳しく取り調べた<ref name="中日20000408"/>。 |
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4月8日、指名手配中の2人(N・K)のうち1人が、B子をドラム缶に入れて焼き殺す直前、B子に対し「お前のお父ちゃん(A)が悪いんや」と言っていたことが、それまでに逮捕された共犯者らの供述から判明した<ref name="中日20000409">『中日新聞』2000年4月9日朝刊社会面39面「千種の連れ去り 手形トラブル動機? 主犯格2人 埼玉県へ逃走」<br>『東京新聞』2000年4月9日朝刊社会面27面「拉致2女性焼殺事件 焼却ドラム缶『事前に用意』 容疑者自供、計画性追及」</ref>。特捜本部は、この言葉が主犯格とAの間の、手形回収絡みのトラブルが動機であることを裏付ける事実とみて、さらに詳しく調べつつ、事件後に主犯格2人が[[埼玉県]]内の銀行で、現金百数十万円を引き出したことを把握し、同県に捜査員を派遣して行方を追った<ref name="中日20000409"/>。また、この日の現場山中の捜索で、被害者女性2人とみられる顎・脚の骨、2人の所有物とみられる[[ネックレス]]が、林道脇の空き地と道路を挟んだ向かい側の山側に女性用とみられる[[腕時計]]2個が転がっており、空き地から数十m下の崖にドラム缶2缶、そのそばにチェーンソーが転がっているのを発見した<ref name="中日20000409"/>。Wが取り調べに対し「2人をドラム缶の中に入れ、ガソリンをかけて焼き殺した後、チェーンソーで切断した」と供述していたことから、特捜本部はチェーンソーの鑑定を行いつつ、翌9日も朝から捜索・現場検証を行うこととした<ref name="中日20000409"/>。 |
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4月10日、これまでに逮捕されていた共犯の被疑者4人のうちの1人が、特捜本部の取り調べに対し「ドラム缶はA・B子夫婦を殺すためにあらかじめ2つ用意していた。A夫婦が載った車を襲ったが、Aが逃げ、社内にB子・C子が残ったため、この2人を焼き殺した」などと供述していたことが判明した<ref name="中日20000410">『中日新聞』2000年4月10日夕刊社会面13面「千種の連れ去り 従業員は巻き添え焼殺 『夫妻狙い計画』 容疑者供述」<br>『東京新聞』2000年4月10日第二夕刊社会面10面「『夫婦殺すはずだった』 2女性焼殺で容疑者供述」</ref>。このことから特捜本部は、本来の殺害目的はA・B子夫婦で、C子は巻き添えに拉致され、B子とともに殺害されたと断定し、4人を追及した<ref name="中日20000410"/>。また、特捜本部はこの日までの捜索・現場検証で、2女性の遺体とみられる多数の骨肉片や2本の歯、イヤリングや化粧用具、鍵などを新たに発見した<ref name="中日20000410"/>。このうち、多数の骨肉片などは、林道脇の空き地から数十m下の崖までの斜面や、ドラム缶・チェーンソーの落ちていた付近一帯に散乱していたことから、捜査本部は「空き地で、ガソリンを入れたドラム缶で2人を生きたまま焼き殺した。空き地から崖に向け、切断した遺体とドラム缶を捨てた」という、Wらの供述を裏付ける物的証拠とみて、さらに分析を進めた<ref name="中日20000410"/>。 |
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同日午後6時頃、それまで強盗致傷容疑で指名手配されていたN・K両名が千種署に出頭してきたことから、特捜本部は両名を同容疑で逮捕した<ref name="中日20000411">『中日新聞』2000年4月11日朝刊社会面33面「千種・連れ去り 主犯格の男2人逮捕 2女性の焼殺を指示」<br>『東京新聞』2000年4月11日朝刊社会面31面「2女性焼殺 手配の2人を逮捕 主犯格か、強盗傷害容疑」</ref><ref name="朝日20000411">『朝日新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面31面「手配の2容疑者逮捕 県警、動機追及へ 千種の女性拉致【名古屋】」<br>『朝日新聞』2000年4月11日朝刊第一社会面39面「手配の2人出頭、逮捕 名古屋の2女性拉致、焼殺 愛知県警千種署」</ref>。2人とも、埼玉県内の銀行で現金を引き下ろしたことから、ともに潜伏していたものとみられ、取り調べに対してはNは強盗致傷容疑を認めたが、Kは「千種区内の現場にはいたが、他の5人と共謀はしておらず、何もしていない」と、容疑を否認した<ref name="中日20000411"/><ref name="朝日20000411"/>。殺害実行犯のW・X両名は、取り調べに対し「ライターで火を点けるとき、手が震えた。被害者がギャーと叫んだ」「毎晩、(殺害した際の)あの情景が出てきて眠れない」などと供述していた<ref name="中日20000411"/>。 |
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14日までの取り調べで、N・K両名はWら4人に指示し、犯行前日にすり鉢を購入させていたことが判明した<ref name="中日20000414">『中日新聞』2000年4月14日夕刊社会面15面「2女性殺害 遺体粉砕にすり鉢準備 N容疑者ら 完全な証拠隠滅計画」</ref>。すり鉢はワゴン車に積んで現場まで持ち込まれたものの、チェーンソーで遺体が灰のように粉々になったため、Nらは結局すり鉢を使用せず、灰を周囲に捨てたが、計画段階では焼殺した遺体をチェーンソーで切断後、すり鉢ですりつぶし、完全な証拠隠滅を狙っていたとみて、特捜本部はNらを追及した<ref name="中日20000414"/>。また、N・Kらはこの日までの取り調べに対し、B子・C子両名の殺害を認める供述をした<ref name="中日20000415"/>。それによれば、Nは一連の襲撃・殺害計画を立案し、Kとともに2人で、共犯者4人のうち2人に殺害実行役を指示していたことをほのめかす供述をした<ref name="中日20000415"/>。この供述は、先に逮捕された被疑者4人のうち1人が供述した「N・K両名が、瀬戸市内の現場まで誘導し、拉致したB子・C子を殺害するよう命令した。2人は手を下さなかった」という内容とほぼ合致することから、特捜本部はこの2人を主犯格とみて、裏付けを急ぐべく引き続き追及した<ref name="中日20000415">『中日新聞』2000年4月15日朝刊社会面31面「2女性殺害ほのめかす 千種連れ去り N容疑者 襲撃立案し指示」</ref>。一方、KはAを襲撃したこと、2人を殺害したことを共に否定した<ref name="中日20000415"/>。それまでの捜査では、Aが振り出した手形がNの親族の経営する金融会社に渡り、同社がN・K両名に債権の回収を指示したことから、2人がAに支払いを催促したものの、Aが応じなかったことが殺害動機につながったと推測された<ref name="中日20000415"/>。また、特捜本部による同日までの現場周辺の捜索により、新たに金槌が発見された<ref name="中日20000415"/>。金槌は焼殺遺体をチェーンソーで切断後、骨などを細かく粉砕するのに用いたとみられ、特捜本部は、砕いた骨をすりつぶすために用意されたすり鉢などとともに、完全な証拠隠滅目的で用意された道具の一つとみて捜査した<ref name="中日20000415"/>。 |
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4月24日、[[名古屋地方検察庁]]はW・X・Y・Zの4人を、Aを襲撃して車を奪った強盗致傷容疑で[[名古屋地方裁判所]]に[[起訴]]した<ref>『中日新聞』2000年4月25日朝刊社会面29面「名古屋の2女性焼殺 強盗傷害で4人起訴」</ref><ref>『朝日新聞』2000年4月25日朝刊第一社会面29面「容疑者4人を起訴 名古屋・千種区の拉致事件【名古屋】」</ref>。 |
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千種署特捜本部は26日、それまでの[[鑑識]]・[[DNA鑑定]]の結果、瀬戸市の現場にあった、女性用の腕時計・イヤリング・車の鍵などの遺留品はB子・C子の物で、炭化した遺体のDNA型も被害者2人の物と一致することが判明した<ref name="朝日20000501">『朝日新聞』2000年5月1日朝刊第一社会面23面「炭化2遺体、DNA一致 千種の女性拉致、6人再逮捕へ【名古屋】」<br>『朝日新聞』2000年5月1日朝刊第二社会面26面「6容疑者再逮捕へ 遺体DNA、2女性と一致 名古屋の焼殺事件」</ref>。これを受け、千種署特捜本部は同日、N・Kを含め、既に強盗致傷容疑で逮捕されていた6人全員を、B子の財布などがなくなっていることから、強盗殺人容疑での逮捕も視野に入れつつ、殺人容疑で再逮捕する方針を固めた<ref name="朝日20000501"/><ref name="中日20000427">『中日新聞』2000年4月27日朝刊社会面29面「千種・連れ去り 6容疑者 殺人で再逮捕へ 遺留品 2被害者と特定」<br>『東京新聞』2000年4月27日朝刊社会面27面「2女性焼殺で6人再逮捕へ 名古屋の連れ去り」</ref>。このうち、Y・Z両名は殺害現場にはいなかったが、犯行前日の3日に、N・K・W・Xとともに殺害の事前謀議に加わっていたことから、特捜本部は6人全員を殺人の共謀共同正犯として立件することが可能と判断した<ref name="中日20000427"/>。また、当初は「自分は現場にいたが、何もしていない」と容疑を否認していたKも、その後容疑を認める姿勢に転じたという<ref name="朝日20000501"/>。特捜本部の取り調べに対し、Kは強盗致傷容疑も含めてすべて否認したが、Nら5人は瀬戸市の現場での殺害についてもほぼ認めた<ref name="中日20000427"/>。 |
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5月1日、名古屋地検はAを襲撃して車を奪った強盗致傷容疑で、主犯格のN・K両名を名古屋地裁に起訴した<ref>『中日新聞』2000年5月2日朝刊社会面27面「強盗傷害罪で2人を起訴 千種の2女性焼殺」</ref><ref>『朝日新聞』2000年5月2日朝刊第一社会面27面「主犯格2人も強盗傷害罪 名古屋・千種区の女性拉致事件【名古屋】」</ref>。 |
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千種署特捜本部は5月2日、B子・C子を車で拉致し、現金約2万円入りのかばんを奪った後、2人をドラム缶に入れ、ガソリンをかけて焼き殺し、遺体を切断したとする強盗殺人、死体損壊などの容疑で、6人全員を再逮捕した<ref>『中日新聞』2000年5月3日朝刊社会面31面「強盗殺人で6人再逮捕 千種の2人連れ去り 焼殺し遺体を切断」</ref><ref name="朝日20000503">『朝日新聞』2000年5月3日朝刊第一社会面29面「強殺容疑で6人再逮捕 名古屋の2女性拉致事件【名古屋】」<br>『朝日新聞』2000年5月3日朝刊第二社会面30面「女性焼殺容疑で6人を再逮捕 愛知県警・千種署」</ref>。6人とも容疑を認めた上で、動機について「Aから手形の支払いを何度も断られ、対応の悪さに面子を潰されて頭に来ていた。借金の方に自動車を奪って殺そうと思った」などと供述した<ref name="朝日20000503"/>。 |
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5月8日までの調べで、W・X・Y・Zの4人は、主犯格のN・K両名から指示を受け、2月20日夜にもAを襲撃しようと、A宅付近で待ち伏せていたことが、特捜本部の取り調べで判明した<ref name="中日20000508">『中日新聞』2000年5月8日夕刊社会面11面「襲撃計画 一度は未遂 千種の2女性焼殺 ガソリンは既に準備」</ref>。Wら4人は、この時点では待ち伏せること以外に具体的な指示は受けていなかったが、後に焼殺に使ったガソリンや金槌を用意しており、既に殺人を実行しようとしていたと思われるが、4人は待ち伏せ中に車内で寝込んでしまい、Aの襲撃は失敗に終わった<ref name="中日20000508"/>。 |
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名古屋地検は5月22日、強盗致傷容疑で起訴済みのN・Kら計6人を、1日の逮捕容疑である強盗殺人、死体損壊などの罪で名古屋地裁に追起訴した<ref>『中日新聞』2000年5月23日朝刊社会面27面「強殺で6人追起訴 千種の2女性焼殺」</ref><ref name="朝日20000523">『朝日新聞』2000年5月23日朝刊第一社会面27面「6容疑者を追起訴 新たに詐欺容疑も 名古屋の2人殺害【名古屋】」</ref>。6人は本件とは別に、パソコンを仕入れて転売し、代金をだまし取った詐欺容疑(被害総額数千万円)も浮上しており、愛知県警が継続捜査することとなった<ref name="朝日20000523"/>。 |
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== 刑事裁判 == |
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=== 第一審(名古屋地裁) === |
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N・Kら[[被告人]]6人の、[[刑事裁判]]の初[[公判]]は2000年7月18日、名古屋地裁で開かれた<ref name="中日20000718">『中日新聞』2000年7月18日夕刊社会面13面「6被告 起訴事実認める ドラム缶殺人 名地裁初公判 主犯格、共犯脅す 『5000万円保険掛けた』」<br>『東京新聞』2000年7月18日夕刊第二社会面10面「ドラム缶焼殺 起訴内容認める 名古屋地裁で4被告」</ref><ref name="朝日20000718">『朝日新聞』2000年7月18日夕刊第一社会面9面「2主犯格、起訴事実認める ドラム缶焼殺事件初公判【名古屋】」</ref>。この事件は主犯格のN・K両名が名古屋地裁刑事第3部([[片山俊雄]]裁判長)で、共犯者4人が名古屋地裁刑事第5部([[三宅俊一郎 (裁判官)|三宅俊一郎]]裁判長)で、それぞれ分離公判として審理されることとなった<ref name="朝日20000718"/>。冒頭陳述で検察側は、N・Kらが共犯者4人に対し、自分たちが経営する会社が受取人の[[生命保険]]に加入させた上、[[保険金殺人|命令に従わない場合は殺害する]]ことをほのめかし、計画に引き込んでいた事実を明らかにするとともに、Aに手形の支払いを断られたことを犯行動機として、極めて残忍な手口を詳述し、計画的犯行であると断罪した<ref name="中日20000718"/><ref name="朝日20000718"/>。罪状認否でN・K両名は「間違いありません」と起訴事実を全面的に認め、W・X・Y・Zの4人もそれぞれ起訴事実を認めたが<ref name="中日20000718"/><ref name="朝日20000718"/>、殺害実行犯のW・X両名は「5000万円の保険金をかけられ、Nらの命令に従わなければ殺されると思った」と、刑事責任はN・K両名に比べて軽いと主張し、殺害現場にいなかったY・Z両名は「殺害の謀議があったことは認めるが、実際にどういうことがあったのかはわからない」と述べた<ref name="中日20000718"/><ref name="朝日20000718"/>。 |
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N・K両名の第2回公判は9月7日に名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で開かれた<ref name="中日20000908">『中日新聞』2000年9月8日朝刊第二社会面38面「ドラム缶など証拠に採用 2女性焼殺事件公判」</ref>。この日は、焼殺に使われた2つのドラム缶、遺体切断に使われたチェーンソーなどが、検察側の物的証拠として法廷に提出され、証拠採用された<ref name="中日20000908"/>。ドラム缶の煤は洗い流され、上部は缶切りで開けたように、一部分を除いて切断されており、下部には空気穴も空けられていた<ref name="中日20000908"/>。また、Aら被害者遺族の「人間にできることではない。犯人にも同じことをしないと気が済まない。極刑を願っている」「炎でもがきながら死んだ姿を想像してしまう。犯人に生きる権利はない」と、怒りの声がつづられた供述調書3通も検察側から法廷に提出され、証拠採用された<ref name="中日20000908"/>。 |
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[[2001年]](平成13年)10月2日、W・X・Y・Zの共犯者4人についての[[論告]][[求刑]]公判を予定し、検察側は殺害の実行犯であるW・殺害行為には関与しなかったが、殺害現場に居合わせ、遺体の切断を行ったXに対してはそれぞれ死刑を、Aから奪った車を運転し、殺害現場に向かう途中で逮捕されたY・Z両名については「関与の程度はW・Xに比べて低い」と判断し、長期の懲役刑を求刑する方針だった<ref name="中日20011002">『中日新聞』2001年10月2日夕刊社会面15面「瀬戸のドラム缶焼殺2被告 死刑求刑の公算 名古屋地裁」</ref>。しかしこの日の公判では、検察側が新たに捜査段階での警察官調書などを証拠提出した一方、[[弁護人|弁護]]側が認否を留保したため、予定されていた論告求刑は次回公判(10月18日)に持ち越された<ref>『中日新聞』2001年10月3日朝刊社会面31面「ドラム缶焼殺 求刑持ち越す 名地裁公判」</ref>。 |
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その後、名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)で10月18日、改めて共犯4人についての論告求刑公判が開かれた<ref name="中日20011018">『中日新聞』2001年10月18日夕刊第二社会面12面「ドラム缶焼殺 共犯2被告に死刑求刑 名地裁公判 検察『残虐非道の極み』」</ref><ref name="朝日20011018">『朝日新聞』2001年10月18日夕刊第一社会面21面「共犯2被告に死刑を求刑 愛知の焼殺事件」</ref>。検察側は「240万円の手形債権の取り立てに絡み、何の落ち度もない女性2人を焼き殺した。殺害方法は類を見ないほど冷酷、無慈悲で残虐非道の極み」と断罪し、「完全犯罪を狙い、阿鼻叫喚の地獄さながら生きたまま2人を焼き殺し、死体を徹底的に粉砕し投げ捨てるという、犯罪史上まれにみる凶悪さだ。被告人らには人間の生命を尊ぶ気持ちが全くなく、鬼畜の如き所業だ」として、殺害・死体損壊の実行犯だったW・X両名に死刑を、殺害現場に向かう途中で逮捕されたY・Z両名にも「凶器を準備するなど、積極的に犯行に関与した」などとして、ともに懲役15年を求刑した<ref name="中日20011018"/><ref name="朝日20011018"/>。 |
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W・X・Y・Zの4人の弁護側は、11月5日の最終弁論公判でそれぞれ情状酌量を求め、結審した<ref name="中日20011106">『中日新聞』2001年11月6日朝刊社会面31面「『主犯に脅され従う』 ドラム缶殺人 4被告公判 弁護側が最終弁論」</ref>。死刑を求刑されたW・X両名の弁護人は「主犯格のN・K両名から脅され、指示に従わざるを得なかった」として、ともに死刑回避を求め、懲役15年を求刑されたY・Z両名の弁護人も情状酌量を求めた<ref name="中日20011106"/>。 |
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11月21日、主犯格のN・K両名に対しての論告求刑公判が開かれ、検察側は両名に死刑を求刑した<ref name="中日20011121">『中日新聞』2001年11月21日朝刊第二社会面34面「2被告に死刑求刑 名古屋のドラム缶殺人 『上下関係なく対等』」</ref><ref name="朝日20011121">『朝日新聞』2001年11月21日朝刊第一社会面「2主犯格、死刑求刑 ドラム缶2人焼殺事件【名古屋】」<br>『朝日新聞』2001年11月21日朝刊第一社会面「女性2人を焼殺、2被告に死刑求刑 名古屋のドラム缶事件」</ref>。検察側は論告で、「N・K両名は、取り込み詐欺に失敗し、手形回収の仕事を請け負ったが、240万円の手形取り立てをAが拒否したため、無理矢理回収しようとした私利私欲に基づく犯行で、2人を殺害する必要はなかった」として、動機に酌量の余地はないと訴え、その上で「阿鼻叫喚のうちに、無関係な女性2人を生きたまま焼き殺した、犯罪史上類のない残酷な犯行だ。チェーンソーで遺体を切断し、骨片を山中に捨てるなど、死者に対する畏敬の念は微塵もない。被害者遺族の処罰感情は峻烈だ」<ref name="中日20011121"/>、「事件発覚後、家族の身の安全と引き換えに、共犯者らに責任を負わせて警察に出頭させたことなどから、悪質で矯正可能性はなく、極刑をもって臨むしかない」などと<ref name="朝日20011121"/>、犯行を糾弾した<ref name="中日20011121"/><ref name="朝日20011121"/>。また、両名が互いに「相手の指示に逆らえなかった」と主張していることに対しては「上下関係はなく、対等な立場だった」と反論した<ref name="中日20011121"/>。 |
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12月20日に弁護側の最終弁論公判が開かれた<ref name="中日20011221"/><ref name="朝日20011221">『朝日新聞』2001年12月21日朝刊第一社会面31面「主犯格『生きたい』 名古屋・ドラム缶焼殺の公判が結審【名古屋】」</ref>。Kの弁護人は最終弁論で「事件の発端は、Nと関係が深い暴力団組織の債権取り立てが原因だった」と指摘し、Nの弁護人は「Nは2人を焼き殺した残酷な状況が今も忘れられずに苦しんでいる。生きて償わせることこそ、Nにとっては極刑より過酷な刑だ」と述べ、それぞれ「更生の可能性が強く、生きて償わせるべきだ」と述べ、死刑回避を求めた<ref name="朝日20011221"/>。両被告人は最終陳述で、Kは「死刑でも仕方ないが、家族のことを考えると少しでも長生きしたい」と、Nは「命で償うしかない。どんな判決でも控訴しない。極刑でも受け入れる」と、それぞれ意見陳述して結審した<ref name="中日20011221">『中日新聞』2001年12月21日朝刊社会面35面「『極刑受け入れる』 ドラム缶殺人公判 2被告が最終弁論」</ref>。 |
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翌[[2002年]](平成14年)2月19日、W・X・Y・Zの4人に対する[[判決 (日本法)|判決]]公判が名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)で開かれ、名古屋地裁は殺害実行役のW・X両名に[[無期刑|無期]][[懲役]]判決(求刑死刑)、Y・Z両名に懲役12年判決(求刑懲役15年)をそれぞれ言い渡した<ref name="中日20020219">『中日新聞』2002年2月19日夕刊1面「ドラム缶焼殺 実行役2人に無期 名地裁判決 他の2被告は懲役12年」<br>『中日新聞』2002年2月20日朝刊1面「ドラム缶焼殺 実行役2人に無期懲役 名地裁判決 他の2人は懲役12年」<br>『中日新聞』2002年2月20日朝刊第三社会面29面「ドラム缶焼殺判決要旨」</ref><ref name="朝日20020220">『朝日新聞』2002年2月20日朝刊第一社会面31面「共犯2被告、無期判決 2女性焼殺事件で名古屋地裁【名古屋】」</ref>。名古屋地裁は、[[判決理由]]で「短絡的で無謀な犯行であり、態様は残虐非道で、4被告人もそれぞれ重要な役割を果たした」と、厳しく犯行を指弾した上で、「犯行は主犯格のN・K両名が、躊躇うWら4人を脅して加担させ、実行させた」と[[事実認定|認定]]し、「4被告人は目先の保身を優先させたとの非難は免れられないが、こうした事情は量刑上考慮されるべきだ」と指摘した<ref name="中日20020219"/><ref name="朝日20020220"/>。その上で、殺害・死体損壊の実行役として関与したW・X両名に対しては「ドラム缶に引火させるなど、重要な実行行為を担当し、死刑選択も考えられるが、主犯2人の強い指示命令の下に行われた犯行であり、極刑がやむを得ないとは認められない」と結論付け、W・X両名は無期懲役刑、Y・Z両名はいずれも無期懲役刑を選択の上で酌量減軽し、懲役12年とするのが相当とした<ref name="中日20020219"/>。検察側・被告人側の双方が量刑不当を訴え、被告人側は更に、共犯関係の存在、[[自首]]の成立について事実誤認を主張し、それぞれ[[名古屋高等裁判所]]に[[控訴]]した<ref name="朝日20030619"/>。 |
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2月21日、名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で主犯格のN・K両名についての判決公判が開かれ、名古屋地裁はN・K両名に対し、いずれも求刑通り死刑判決を言い渡した<ref name="中日20020221">『中日新聞』2002年2月21日夕刊1面「ドラム缶焼殺 主犯格2被告に死刑判決 『残虐で冷酷非道』 名地裁 犯行、厳しく批判」「適正で妥当な判決」(名古屋地検次席検事の話)<br>『中日新聞』2002年2月21日夕刊社会面13面「『でも母は帰らない』 ドラム缶焼殺で死刑判決 長女傍聴席で涙 『執行までわび続けて』」「うなずき頭下げる 判決聞き2被告」「『両被告とも覚悟していた』弁護人が会見」「K被告 めい福祈り日々写経 N被告『自分は死ぬべきだ』」<br>『東京新聞』2002年2月21日夕刊社会面11面「ドラム缶で姉妹焼殺『冷酷』 2被告に死刑判決 名古屋地裁」<br>『中日新聞』2002年2月22日朝刊第三社会面33面「ドラム缶殺人判決要旨」「落ち度ない2人を殺害」</ref><ref name="朝日20020221">『朝日新聞』2002年2月21日夕刊第一総合面1面「主犯格2被告に死刑 ドラム缶2女性焼殺で名古屋地裁【名古屋】」<br>『朝日新聞』2002年2月21日夕刊第一社会面11面「2被告、極刑に『はい』 焼殺事件で名古屋地裁判決【名古屋】」<br>『朝日新聞』2002年2月21日夕刊第二社会面14面「2女性焼殺の被告ら死刑判決 『金奪う目的で計画』 名古屋地裁」</ref>。名古屋地裁は「犯行の発覚を防ぐためという理由で被害者2人の命を奪い、動機も極めて自己中心的だ。社会に与えた影響も大きい」と厳しく犯行を非難した上で、「Nが犯行計画を立て、共犯者に具体的な指示を出して犯行を遂行しており、責任は犯行集団の中で最も重い」として、Nを事件の主犯と認定し、Kについても「Nと並んで最も強い立場にあり、Wら共犯4人を強引に犯行に引き込んだ。果たした役割はNに準ずるほど重大だ」と述べ、「Nが怖くて従った」とするKの弁護人主張を退けた<ref name="中日20020221"/><ref name="朝日20020221"/>。その上で、「2人の存在がなかったら犯行は遂行されなかった。その責任は、Wら共犯者4人とは格段の違いがある」と断じ、「極刑はやむを得ない」とした<ref name="中日20020221"/><ref name="朝日20020221"/>。 |
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Nは公判当初「Kに逆らえなかった」と主張していたが、その後は被告人質問などで「自分が死刑になる姿を見せ、少しでも被害者遺族の心が安らかになればいい」「自分が一番悪い。命で償うしかない」などと話すようになり、自ら死刑判決を希望する旨を語っていた<ref name="朝日20020221"/>。Nは判決直前に面会した弁護人に対し、「死刑執行が早まるようにしてほしい」と、死刑判決を覚悟した様子で「極刑でも絶対に[[控訴]]しないでほしい」と希望していたが<ref name="中日20020221"/>、弁護人がその後、名古屋高裁に控訴した。 |
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Kは弁護人曰く、毎日被害者の冥福を祈って写経をする一方、[[キリスト教]]関係者とも交流を持つようになり、判決前には[[洗礼]]を受けることを決めていた<ref name="朝日20020221"/>。公判でKは死刑を受け入れる」と話しつつも、2人の子供の将来を心配し、「少しでも長く生きていたい」と揺れ動く心境をのぞかせていた<ref name="中日20020221"/><ref name="朝日20020221"/>。Kの弁護人も「自分たちのメンツを保つためという動機だけではこのような犯行はしない。動機の事実認定はしっかりされておらず、不満が残る」と述べ<ref name="中日20020221"/><ref name="朝日20020221"/>、その後名古屋高裁に控訴した。 |
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=== 控訴審(名古屋高裁) === |
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[[名古屋高等裁判所]]での控訴審初公判は2002年9月11日に開かれた<ref name="中日20020911">『中日新聞』2002年9月11日夕刊社会面11面「一審死刑2被告 控訴審始まる ドラム缶焼殺事件で名高裁」</ref><ref name="朝日20020911">『朝日新聞』2002年9月11日夕刊第二社会面8面「2被告が『刑軽減を』 ドラム缶焼殺、控訴審【名古屋】」</ref>。控訴趣意書朗読で、Nの弁護人は「欧米など、世界各国では[[死刑存廃問題|死刑廃止運動]]が進んでいる。Nには矯正の可能性があり、死刑は回避されるべきだ。一部被害弁償もしており、被害者遺族のAも今は極刑を望んでいない」と述べ、Kの弁護人は「Kが主犯格とされているのは事実誤認で、主導権を握っていたNらの指示に従っただけだ。KはWら他の共犯者と同じく、単なる実行部隊の一員に過ぎない」として、いずれも死刑判決の[[取消し|破棄]]を訴えた<ref name="中日20020911"/><ref name="朝日20020911"/>。一方、検察側は被告人側の控訴を[[棄却]]するよう訴えた<ref name="朝日20020911"/>。第一審判決前から「控訴したくない」と述べていたNは<ref name="中日20020911"/>、弁護人に対し「控訴を取り下げてほしい。今後も出廷しない」と語り、説得にも応じず<ref name="朝日20020911"/>、この日の控訴審には出廷しなかった<ref name="中日20020911"/><ref name="朝日20020911"/>。 |
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同年10月29日、Wら共犯者4人の控訴審初公判が開かれた<ref name="中日20021029">『中日新聞』2002年10月29日夕刊第二社会面「被害者の娘が『全員死刑に』 千種のドラム缶焼殺事件控訴審」</ref>。検察側証人として出廷したB子の娘は「(主犯N・K両名を含めた)6人全員を死刑にしてほしい気持ちは変わらない」と述べた<ref name="中日20021029"/>。 |
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[[2003年]](平成15年)3月12日にN・K両名についての判決公判が開かれ、名古屋高裁([[川原誠 (裁判官)|川原誠]]裁判長)は第一審の死刑判決を支持し、N・K両名の控訴を棄却する判決を言い渡した<ref name="中日20030312">『中日新聞』2003年3月12日夕刊第二社会面14面「姉妹焼殺 二審も死刑 主犯格2人 名高裁判決 『残虐な方法に戦慄』」「判決言い渡し後 裁判長に意見 K被告」<br>『東京新聞』2003年3月12日夕刊社会面11面「二審も主犯格2人に死刑判決 姉妹焼殺で名古屋高裁」</ref><ref name="朝日20030312">『朝日新聞』2003年3月12日夕刊第一社会面9面「2被告、二審も死刑 ドラム缶で2女性焼殺 名古屋高裁【名古屋】」<br>『朝日新聞』2003年3月13日朝刊第三社会面37面「2被告、二審も死刑 名古屋・千種区のドラム缶2女性殺害」</ref>。判決理由で名古屋高裁は「ドラム缶の蓋が開かないように細工した上で火をつけるなど、殺害方法の残虐さには戦慄を禁じえない。犯行を認め反省していることを考慮しても、第一審の死刑判決はやむを得ない」とした<ref name="中日20030312"/><ref name="朝日20030312"/>。判決言い渡し後、Kが「聞きたいことがあります」と川原裁判長に切り出し、1999年に[[岐阜市]]内で資産回収のトラブルから、債務者に発砲された事件について触れ「事件をもみ消した[[岐阜県警察]]はどうなるのか。この事件がなければ僕たちは殺人事件を起こさなかった。やったことは極刑に値するとは思うが、隠された部分を知りたい」などと述べた<ref name="中日20030312"/>。閉廷後、Kの弁護人はこの突然の意見について「真相はわからないが、Kは[[日本の警察|警察]]と暴力団が裏取引したと考えている。警察がこの時にKらからしっかり聴取していれば、後にAに対して無理な取り立てをすることもなかった、という意味だ」と話し、その上で判決について「犯行動機について事実誤認がある」として上告する方針を示した<ref name="中日20030312"/>。Nは『極刑を受け入れる』と、この日の判決を含め控訴審には一度も出廷せず、判決前の3月9日に弁護人と面会した際にも「極刑を覚悟している」と話していたが、弁護人は上告する方針を示した<ref name="中日20030312"/>。その後、Kは3月18日付、Nは翌19日付で、いずれも[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]に[[上告]]した<ref>『朝日新聞』2003年3月20日夕刊第二社会面14面「死刑判決の2被告上告 名古屋・千種区の女性焼殺事件【名古屋】」</ref>。 |
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2003年6月19日、Wら共犯4人の控訴審判決公判が名古屋高裁([[小出錞一]]裁判長)で開かれ、名古屋高裁は第一審の判決(W・Xは無期懲役、Y・Zは懲役12年)をいずれも支持し、検察・弁護側双方の控訴を棄却する判決を言い渡した<ref name="中日20030619">『中日新聞』2003年6月19日夕刊社会面11面「千種のドラム缶殺人 双方の控訴棄却 名高裁判決 実行役に無期―12年」</ref><ref name="朝日20030619">『朝日新聞』2003年6月19日夕刊第一社会面9面「共犯4被告の控訴棄却 ドラム缶焼殺事件で名古屋高裁【名古屋】」<br>『朝日新聞』2003年6月19日夕刊第一社会面19面「共犯4人の控訴を棄却 名古屋のドラム缶焼殺事件」</ref>。判決理由で名古屋高裁は、犯行態様を「まさに地獄絵図の如き犯行で戦慄を禁じ得ない」とした一方で<ref name="朝日20030619"/>、「極めて残虐非道な悪行だが、4人は主犯2人に従属的な立場で犯行に加担した」「弁護側の主張通り、N・K両名から意に従わないと[[保険金殺人|保険金目的での殺害]]をほのめかされるなど脅され、指示命令を拒否しがたい面はあったが、物理的に拘束されるなど、グループから離脱できない状況ではなかった」と指摘した<ref name="中日20030619"/><ref name="朝日20030619"/>。その上で検察側のW・X両名に対する死刑主張について「死刑求刑にも相当な理由はあるが、主犯2人と刑事責任は同一ではない」と述べた<ref name="中日20030619"/>。Y・Z両名については、強盗殺人などの犯行に加わらなかったものの、犯行全体についての共謀関係からの離脱は認められないと結論付け、指名手配後に自分の居場所を警察に電話した行為を「[[自首]]に当たる」と主張したWについても「原判決に誤りはない」として、主張を退けた<ref name="朝日20030619"/>。W・X・Yは判決を不服として、それぞれ最高裁に上告した一方、検察側・Zはともに上告せず、Zは懲役12年の判決が確定した<ref name="朝日20040206"/>。 |
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=== 上告審(最高裁) === |
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[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第三小法廷([[藤田宙靖]]裁判長)は[[2004年]](平成16年)2月3日付で、判決を不服として上告していたW・X・Yの3人について、いずれも上告を棄却する決定をした<ref name="朝日20040206">『朝日新聞』2004年2月6日夕刊第二社会面14面「共犯3被告の上告を棄却 名古屋・ドラム缶焼殺事件」<br>『朝日新聞』2004年2月6日朝刊第一社会面29面「共犯3被告の上告を棄却 名古屋市・2女性ドラム缶焼殺【名古屋】」</ref>。これにより、W・Xの無期懲役と、Yの懲役12年の判決が確定した<ref name="朝日20040206"/>。 |
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最高裁第二小法廷([[今井功 (裁判官)|今井功]]裁判長)は、N・K両名について、上告審[[口頭弁論]]公判を経て、[[2006年]](平成18年)5月19日までに、上告審判決公判期日を6月9日に指定し、関係者に通知した<ref>『中日新聞』2006年5月20日朝刊第三社会面33面「来月9日に最高裁判決」</ref>。 |
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最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は2006年6月9日の上告審判決公判で、「Aから手形の取り立てができなかったため、面子が潰れたとしてAに報復するのが動機だった。その発覚を防ぐため、恨みのない2人を殺害した動機に酌量の余地はない」「被害者をドラム缶に押し込んで焼き殺す殺害の様態は冷酷、非情かつ残虐というほかなく、悪質極まりない」として、N・K両名の[[上告]]を棄却する判決を言い渡し、N・K両名の死刑判決が確定することとなった<ref name="中日20060609">『中日新聞』2006年6月9日夕刊1面「主犯格2人死刑確定へ 千種の姉妹焼殺 最高裁が上告棄却」<br>『東京新聞』2006年6月9日夕刊第二社会面10面「2被告の上告棄却 名古屋ドラム缶殺人」</ref><ref>『朝日新聞』2006年6月9日夕刊第一総合面1面「2被告、死刑確定へ ドラム缶で姉妹焼殺【名古屋】」<br>『朝日新聞』2006年6月9日夕刊第二社会面14面「最高裁上告棄却、死刑判決確定へ 名古屋2女性焼殺事件」</ref>。 |
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== 死刑執行 == |
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<!--両者は[[死刑囚]]として[[名古屋拘置所]]に[[収監]]されたが、{{要出典範囲|[[法務省]]から送られてきた死刑執行に関する説明書の一部を[[拘置所]]が内容の一部を抹消したうえで手渡されたことに対し、Aは拘置所側を[[裁量権]]の逸脱であると[[慰謝料]]を求める訴訟を提起した。この訴訟ではAが勝訴している。|date=2015年9月}} |
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{{要出典範囲|なお、Nは死刑囚になった後、そもそもの事件の原因をつくった父親の姓からSに改名している。またKは事件はSから指示されてやっただけなどとして、[[2008年]]7月に[[再審]]請求をしたが12月には再審開始の理由にあたらないとして棄却された。|date=2015年9月}} |
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-->死刑判決確定から2年半後の[[2009年]](平成21年)[[1月29日]]、[[法務省]]([[法務大臣]]:[[森英介]])の死刑執行命令により、[[名古屋拘置所]]でN・K両名の死刑が執行された<ref name="中日20090129">『中日新聞』2009年1月29日夕刊1面「4人の死刑執行 長野、愛知4人殺害 〇〇死刑囚ら」(※[[長野・愛知4連続強盗殺人事件]]の死刑囚の実名が記事見出し中に使われているため、この部分を伏字にした)<br>『中日新聞』2009年1月29日夕刊社会面11面「死刑執行 ドラム缶焼殺2人にも N、K両死刑囚 最高裁、主犯格認定」<br>『東京新聞』2009年1月29日夕刊社会面9面「4人の死刑執行 3年 確定から3年内 森法相2回目 前回から3カ月」「再審請求 半数超える」</ref>。同日には[[長野・愛知4連続強盗殺人事件]]の死刑囚らも含め、計4人の死刑が執行された<ref name="中日20090129"/>。 |
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== 参考文献 == |
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=== 刑事裁判の判決文 === |
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;N・K両元死刑囚に対する判決文 |
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* '''{{Cite 判例検索システム |裁判所=[[名古屋地方裁判所]]刑事第3部 |事件番号=平成12年(う)第886号/平成12年(う)第1039号 |事件名=[[強盗致死傷罪|強盗傷人]],[[逮捕・監禁罪|監禁]],強盗殺人,[[死体損壊]]・[[死体遺棄]]被告事件 |裁判年月日=2002年(平成14年)2月21日 |判例集=[[判例タイムズ]]第1101号292頁、[[TKC]]ローライブラリーLEX/DBインターネット ID:28075693 |判示事項=共犯者6名が女性2名をドラム缶を用いて焼殺したという強盗殺人等の事案において、各被告人の果たした役割の違いなどに応じて、それぞれ死刑、無期懲役、懲役12年の刑が言い渡された事例 |裁判要旨=共犯者6名が、被害者G(本文中A)に暴行を加えてその所有の乗用車などを強取した上、同人には逃げられたものの、同人と一緒に帰宅したその妻である被害者H(本文中B子)および同女の妹である被害者I(本文中C子)を自動車に監禁して山林に連行し、被害者Iから金品を強取した上、同女らを生きたままドラム缶に入れ、これに点火して焼死させて殺害し、同女らの死体を切断して付近に投棄した強盗傷人、監禁、強盗殺人、死体損壊遺棄の事案につき、本件犯行計画を企て、他の4名の共犯者を犯行に引き込み、強く指示を与えて犯行を遂行させるなど主導的立場にあり、極めて重大な役割を果たした被告人F(本文中N)及びE(本文中K)に対し死刑を言い渡した事例。 |url= }}''' |
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** 判決内容:N・K両名を死刑(求刑同。被告人側はともに控訴) |
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** 裁判官:[[片山俊雄]](裁判長)・橋本一・高橋正幸 |
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* '''{{Cite 判例検索システム |裁判所=[[名古屋高等裁判所]]刑事第2部 |事件番号=平成14年(う)第158号 |事件名=[[強盗致死傷罪|強盗傷人]],[[逮捕・監禁罪|監禁]],強盗殺人,[[死体損壊]]・[[死体遺棄]]被告事件 |裁判年月日=2003年(平成15年)3月12日 |判例集=裁判所ウェブサイト掲載判例 |判示事項= |裁判要旨= |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=003203 }}''' |
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** 判決内容:N・K両被告人側控訴棄却(死刑判決支持。被告人側はともに上告) |
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** 裁判官:[[川原誠 (裁判官)|川原誠]](裁判長)・村田健二・堀内満 |
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* '''{{Cite 判例検索システム |法廷名=[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]第二小法廷 |事件番号=平成15年(あ)第600号 |事件名=強盗傷人,監禁,強盗殺人,死体損壊,死体遺棄被告事件 |裁判年月日=2006年(平成18年)6月9日 |判例集=最高裁判所裁判集刑事編(集刑)第289号293頁、裁判所ウェブサイト掲載判例 |判示事項=死刑の量刑が維持された事例(名古屋の2女性強盗殺人等事件) |裁判要旨= |url=http://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=080375 }}''' |
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** 判決内容:N・K両被告人側上告棄却 |
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** 裁判官:[[今井功 (裁判官)|今井功]](裁判長)・[[滝井繁男]]・[[津野修]]・・[[中川了滋]]・[[古田佑紀]] |
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;W・X・Y・Z各受刑者に対する判決文 |
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== 脚注 == |
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=== 注釈 === |
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{{Reflist|group="注釈"}} |
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=== 出典 === |
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;※以下出典で、見出し中に事件当時者らの実名が使われている場合、その個所を本記事文中で使われている仮名に置き換える。 |
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{{Reflist}} |
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== 関連項目 == |
== 関連項目 == |
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* [[闇サイト殺人事件]] - 同じ |
* [[闇サイト殺人事件]] - 同じ名古屋市で発生した、複数人の共犯者に死刑が求刑された拉致・強盗殺人事件。 |
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* [[三島女子短大生焼殺事件]] - この事件においても被害者の殺害方法に焼殺が用いられている |
* [[三島女子短大生焼殺事件]] - この事件においても被害者の殺害方法に焼殺が用いられている。 |
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{{DEFAULTSORT:とらむかんしよせいしようさつしけん}} |
{{DEFAULTSORT:とらむかんしよせいしようさつしけん}} |
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[[Category:平成時代の殺人事件]] |
[[Category:平成時代の殺人事件]] |
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[[Category:2000年の日本の事件]] |
[[Category:2000年の日本の事件]] |
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[[Category:バラバラ殺人]] |
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[[Category:日本の誘拐事件]] |
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[[Category:千種区の歴史]] |
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[[Category:瀬戸市の歴史]] |
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[[Category:2000年4月]] |
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[[Category:バラバラ殺人]] |
2017年10月8日 (日) 02:44時点における版
この項目には暴力的または猟奇的な記述・表現が含まれています。 |
ドラム缶女性焼殺事件 | |
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場所 |
日本・愛知県名古屋市千種区振甫町2丁目(拉致現場) 愛知県瀬戸市の山中(殺害現場) |
標的 | 債務者の男性A |
日付 | 2000年(平成12年)4月4日 |
概要 | 債権の取り立てに失敗した男ら6人が、債務者の妻とその妹を拉致し、山中でガソリンをかけて焼き殺した。 |
攻撃側人数 | 6人 |
死亡者 | 2人(男性の妻B子・妻の妹C子) |
負傷者 | 1人(男性A) |
対処 |
主犯格2人は死刑(執行済み) その他共犯者らは最大で無期懲役 |
ドラム缶女性焼殺事件(ドラムかんじょせいしょうさつじけん)とは、2000年(平成12年)4月4日未明、愛知県名古屋市千種区振甫町2丁目で女性2人が拉致され[1][2]、同県瀬戸市内の山中で焼き殺された強盗殺人事件である[3][4][5]。
加害者
- 元死刑囚N(Sに改姓)
- 犯行当時30歳、愛知県春日井市(Kと同所)在住[6]、中古車販売手伝い[7]。
- 刑事裁判でKとともに主犯格と認定されて死刑を求刑され[8]、第一審(名古屋地裁、2002年2月21日)[9]・控訴審(名古屋高裁、2003年3月12日)ともに、求刑通り死刑判決を受けた[10]。2006年6月9日に最高裁判所で上告が棄却され[11]、死刑が確定した。
- 2009年(平成21年)1月29日、死刑囚として収監されていた名古屋拘置所で、Kとともに死刑が執行された(39歳没)[7]。
- 元死刑囚K
- 犯行当時36歳、愛知県春日井市(Nと同所)在住[6]、中古車販売業[7]。
- 刑事裁判でNとともに主犯格と認定されて死刑を求刑され[8]、第一審(名古屋地裁、2002年2月21日)[9]・控訴審(名古屋高裁、2003年3月12日)ともに、求刑通り死刑判決を受けた[10]。2006年6月9日に最高裁判所で上告が棄却され[11]、死刑が確定した。
- 2009年1月29日、名古屋拘置所でNとともに死刑が執行された(44歳没)[7]。
- 受刑者W
- 犯行当時40歳、愛知県春日井市(X・Yと同所)在住、自動車部品販売会社社長[2][3][6]。Xの実兄(M姓)[3]。
- N・K・Xとともに殺害現場に居合わせ、被害者2人の殺害・死体損壊を実行した。
- 死刑求刑に対し[12]、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)[13]・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに無期懲役判決を受け[14]、2004年2月に最高裁で上告棄却決定がなされたことにより、判決が確定した[15]。
- 受刑者X
- 犯行当時37歳、愛知県春日井市(W・Yと同所)在住、自動車部品販売会社従業員[2][3][6]。Wの実弟で[3]、逮捕直後は兄Wと同じくM姓と報道されたが[2]、その後の報道ではS姓と報道された[3]。
- N・K・Wとともに殺害現場に居合わせ、被害者2人の殺害には関与しなかったが、Wとともに死体損壊を実行した。
- 死刑求刑に対し[12]、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)[13]・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに無期懲役判決を受け[14]、2004年2月に最高裁で上告棄却決定がなされたことにより、判決が確定した[15]。
- 受刑者Y(出所済み?)
- 犯行当時45歳、愛知県春日井市(W・Xと同所)在住、会社役員[1][6]。
- 事件前の殺害謀議[16]、被害者らの襲撃・拉致に関与したが、殺害現場に向かう途中でZとともに逮捕された[17][12]。
- 懲役15年の求刑に対し[12]、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)[13]・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに懲役12年判決を受け[14]、2004年2月に最高裁で上告棄却決定がなされたことにより判決が確定した[15]。
- 受刑者Z(出所済み?)
- 犯行当時28歳、愛知県岡崎市出身[1][6]。
- 事件前の殺害謀議[16]、被害者らの襲撃・拉致に関与したが、殺害現場に向かう途中でYとともに逮捕された[17][12]。
- 懲役15年の求刑に対し[12]、第一審(名古屋地裁、2002年2月19日)[13]・控訴審(名古屋高裁、2003年6月19日)ともに懲役12年判決を受け[14]、上告期限の7月3日までに上告しなかったために判決が確定した[15]。
事件の概要
逮捕された6人はもともと1つのグループで、N・K両名が対等な関係でリーダーとして君臨し、W・X・Y・Zの4人が、2人の命令に絶対服従する手下という関係だった[18]。N・Kら6人は同じ運送会社に勤務して知り合い、それぞれ退社後[6]、N・K両名が商品の取り込み詐欺をするため[6]、前年1999年(平成11年)12月に休眠会社を買収し[18]、自動車部品会社を設立し[18]、名目上Wを社長に[18]、Vら他の3人を取締役に就任させ[6]、従業員として働かせていた[18]。詐欺が計画通りにいかず、会社が資金難に陥ると、N・K両名は会社を受取人として、Wら4人をそれぞれ5000万円の生命保険に加入させ「逆らえば殺される」という意識を植え付けさせていた[6]。WらはN・K両名に服従していた理由について、取り調べに対し「Nはバックに暴力団関係者がいたため、逆らったら何をされるか怖かった」と供述した[18]。
Nは会社の資金稼ぎのため、金融業を営む暴力団関係者の父親から[6][19]、名古屋市千種区振甫町在住の喫茶店経営者男性A(当時56歳)が[1]、前年冬に振り出した[6][19]、額面240万円の約束手形の取り立てを頼まれた[6][19]。しかし、Aは資力がないためか一向に手形金の支払いに応じなかった一方、Nは父親から「どうなっているんだ」と催促された[6]。父親を恐れていたNは、Kに債権回収の相談をし「帰宅するA夫婦を拉致・殺害し、乗用車を奪おう」と決意し[6]、N・K両名は、Wら4人に対し「A夫婦をさらって殺せ。死体は燃やせ」などと指示し[6]、事件前日の3日に、殺害に使ったドラム缶・ガソリン・チェーンソーなどを購入させ[6][18]、Kの会社でドラム缶の蓋を開け空気口を空けるなどの細工をした[18]。Kが「死体をチェーンソーで切断すると、血が飛び散って嫌だ」と話すと、Nは「生きたまま焼き殺せば、血はつかない」と、身勝手な理由で残虐な犯行に至った[6]。N・K両名は、Wら4人を「逃げてもいいぞ。その代わり、殺し屋を差し向けて3日で殺すぞ」と脅して犯行に加担させ、殺害実行前日も「行きたくない」と抵抗したWに対し「お前が行かないなら、(殺害に使う)ドラム缶をもう1つ増やさないといけなくなる」と脅迫した[6]。
そしてこの日の夕方、N・Kら3人は、Aが経営する名古屋市中村区名駅付近の喫茶店付近で、Aが店を閉店し、サウナに行くところを監視した[18]。その後、Aが帰宅するところを車で追い[18]、翌4月4日午前零時半頃[1]、サウナから乗用車で帰宅したAが[20]、駐車場前に停車していたライトバンの運転手に移動を頼もうと下車したところを[1]、Aの自宅前で待ち伏せしていたWら3人とともに[18]、背後から角材で襲い掛かり[1]、頭・右手を殴って全治2週間の怪我を負わせた[1]。しかし、Aが近所に助けを求めに行ったことで拉致に失敗したが[1]、その間に車に同乗していたAの妻B子(当時65歳)と、妻の妹C子(当時59歳)を乗用車ごと拉致した[1]。
N・Kは、自分たちは手を下すことなく、W・Xに命じ[18]、被害者2人を愛知県西加茂郡藤岡町(現・豊田市)藤岡町と瀬戸市北白坂町の境(藤岡町北部のキャンプ場「郡民の森」から南西約1.6km)の山中に拉致し[3]、現金2万4000円などを奪った上、粘着テープで拘束した2人を生きたままドラム缶に押し込んだ上で、ガソリンをかけて火を点け、焼死させた[6]。さらに犯行の痕跡を消そうと遺体をチェーンソーなどで切断、山中に遺棄した[6]。Nは2人をドラム缶に押し込む際「風呂にでも入ってもらえ」と言っており、またB子に「恨むなら、旦那を恨め」、C子には「一緒にいただけなのに、かわいそうに」と言葉をかけていた[6]。
捜査
Aの通報を受け、愛知県警察千種警察署は緊急配備し、午前1時20分頃、現場から北東約6km離れた千種区香流橋2丁目の県道で、信号待ちをしていたAの車を発見し、乗車していたY・Z両名を強盗致傷容疑で逮捕した[1]。犯行に関わったとみられる別の男からも事情聴取したところ、この男は「2人の女性は無事だ」などと供述したが、車にB子・C子は乗っておらず、千種署は2人が監禁されている可能性もあるとみて、取り調べに対し「金銭関係のもつれからAを襲い、車を奪った。2人の女性のことは知らない」と供述するY・Z両名を追及した[1]。
愛知県警捜査一課・千種署は同日、捜査本部を設置し、新たに強盗致傷容疑でXを逮捕した[2]。取り調べに対し、3人は「Aが金を返さないので、痛めつけて金を取り戻そうと思った」と供述し、さらにXは「Wと2人で、名古屋市東区内の路上まで女性2人を連れ去ったが、そこで自分だけ車を降りた」と述べた[2]。捜査本部は金銭トラブルによる犯行とみて、X・Y・Zの3人が勤務する、春日井市内の自動車部品販売会社の社長だったWを強盗致傷容疑で指名手配し、B子・C子の2人を連れ去ったとみて行方を追った[2]。
翌5日、捜査本部は女性2人の実名・当時の服装を公開し、一般からの情報提供を呼び掛ける公開捜査を開始した[20]。同日、捜査本部から指名手配されていたWが、逃走・潜伏先の東京都千代田区内(JR東京駅付近)のホテルで警視庁中央警察署に逮捕され[21][22]、その後身柄を千種署に移送された[22]。Wらは取り調べに対し、「Aが借金を返さないので、肩代わりに車を奪おうと思った。女性を連れ去るつもりはなかった」と供述した[21][22]。また同日昼、犯行グループが犯行で使ったとみられる乗用車が、岐阜県中津川市内のJR中央本線中津川駅付近で発見された[23]。
翌6日、捜査本部はN・K両名が女性2人の行方を知っているものとみて、強盗致傷容疑で両名を指名手配した[23][24]。Wは女性2人について「車に乗せた直後の4日午前1時頃、東区内のナゴヤドーム周辺で車から降ろし解放した。その後どこに行ったかはわからない」などと供述したが[21][22]、事件発生以来2人の消息が途絶え、目撃情報も一切ないこと[23][24]、現場の状況から[23]、捜査本部は最悪の事態も想定し[24]、また他にも共犯者がいるとみて追及したところ、Wの知人であるN・K両名を突き止め[23]、緊迫した捜査を続けた[24]。
W・X兄弟は捜査本部による7日までの取り調べに対し、それぞれ女性2人の行方不明への関与を否定していたが、両名の供述に矛盾点が多いことや、ドーム周辺でも目撃情報が一切ないことから、さらに追及したところ「女性2人を拉致した後、すぐに藤岡町の山中に向かい、ガムテープで縛りつけ、ビニール袋を頭からかぶせて抵抗できないようにした女性2人をそれぞれ、あらかじめ車に用意していた空きドラム缶2缶に入れ、N・K両名の命令で、自分たちとY・Zの4人で、生きたままガソリンをかけて火を点け、数時間かけて焼き殺した。その後遺体を切断し、すぐ横の崖から数十m下の沢に蹴り落とし、遺棄した」「N・K両名からは『2人を殺さなければ、お前らを殺す』などと命令されていた」などと供述を始めた[3]。供述に基づき、捜査本部が愛知県の西三河北部で遺体を捜索したところ、殺害を裏付ける証拠は発見できなかったが、7日になって切断された遺体の一部らしいものが見つかった[3]。8日午前、捜査本部は藤岡町・瀬戸市境の山中で本格的な捜索を開始し、焼いて炭化した遺体の一部と、遺体を焼いた痕跡のあるドラム缶2缶を発見した[3]。これを受け、県警は殺害容疑が強まったとして、捜査本部を特別捜査本部に切り替え、引き続き遺体の発見に全力を挙げつつ、身元の確認を急いだ[3]。Wは取り調べに対し「ドラム缶は上部の蓋を切り、側面の下部に空気穴をあけるなどの工作をした」と供述したことから、特捜本部は計画的犯行とみて追及した[3]。Wらは、Aから手形絡みの二百数十万円の債権を回収しようとしてトラブルになっていたが、これが女性2人の殺害につながるほど強い動機とはいえず、背後関係を解明するため、特捜本部は4人を厳しく取り調べた[3]。
4月8日、指名手配中の2人(N・K)のうち1人が、B子をドラム缶に入れて焼き殺す直前、B子に対し「お前のお父ちゃん(A)が悪いんや」と言っていたことが、それまでに逮捕された共犯者らの供述から判明した[19]。特捜本部は、この言葉が主犯格とAの間の、手形回収絡みのトラブルが動機であることを裏付ける事実とみて、さらに詳しく調べつつ、事件後に主犯格2人が埼玉県内の銀行で、現金百数十万円を引き出したことを把握し、同県に捜査員を派遣して行方を追った[19]。また、この日の現場山中の捜索で、被害者女性2人とみられる顎・脚の骨、2人の所有物とみられるネックレスが、林道脇の空き地と道路を挟んだ向かい側の山側に女性用とみられる腕時計2個が転がっており、空き地から数十m下の崖にドラム缶2缶、そのそばにチェーンソーが転がっているのを発見した[19]。Wが取り調べに対し「2人をドラム缶の中に入れ、ガソリンをかけて焼き殺した後、チェーンソーで切断した」と供述していたことから、特捜本部はチェーンソーの鑑定を行いつつ、翌9日も朝から捜索・現場検証を行うこととした[19]。
4月10日、これまでに逮捕されていた共犯の被疑者4人のうちの1人が、特捜本部の取り調べに対し「ドラム缶はA・B子夫婦を殺すためにあらかじめ2つ用意していた。A夫婦が載った車を襲ったが、Aが逃げ、社内にB子・C子が残ったため、この2人を焼き殺した」などと供述していたことが判明した[25]。このことから特捜本部は、本来の殺害目的はA・B子夫婦で、C子は巻き添えに拉致され、B子とともに殺害されたと断定し、4人を追及した[25]。また、特捜本部はこの日までの捜索・現場検証で、2女性の遺体とみられる多数の骨肉片や2本の歯、イヤリングや化粧用具、鍵などを新たに発見した[25]。このうち、多数の骨肉片などは、林道脇の空き地から数十m下の崖までの斜面や、ドラム缶・チェーンソーの落ちていた付近一帯に散乱していたことから、捜査本部は「空き地で、ガソリンを入れたドラム缶で2人を生きたまま焼き殺した。空き地から崖に向け、切断した遺体とドラム缶を捨てた」という、Wらの供述を裏付ける物的証拠とみて、さらに分析を進めた[25]。
同日午後6時頃、それまで強盗致傷容疑で指名手配されていたN・K両名が千種署に出頭してきたことから、特捜本部は両名を同容疑で逮捕した[18][26]。2人とも、埼玉県内の銀行で現金を引き下ろしたことから、ともに潜伏していたものとみられ、取り調べに対してはNは強盗致傷容疑を認めたが、Kは「千種区内の現場にはいたが、他の5人と共謀はしておらず、何もしていない」と、容疑を否認した[18][26]。殺害実行犯のW・X両名は、取り調べに対し「ライターで火を点けるとき、手が震えた。被害者がギャーと叫んだ」「毎晩、(殺害した際の)あの情景が出てきて眠れない」などと供述していた[18]。
14日までの取り調べで、N・K両名はWら4人に指示し、犯行前日にすり鉢を購入させていたことが判明した[27]。すり鉢はワゴン車に積んで現場まで持ち込まれたものの、チェーンソーで遺体が灰のように粉々になったため、Nらは結局すり鉢を使用せず、灰を周囲に捨てたが、計画段階では焼殺した遺体をチェーンソーで切断後、すり鉢ですりつぶし、完全な証拠隠滅を狙っていたとみて、特捜本部はNらを追及した[27]。また、N・Kらはこの日までの取り調べに対し、B子・C子両名の殺害を認める供述をした[28]。それによれば、Nは一連の襲撃・殺害計画を立案し、Kとともに2人で、共犯者4人のうち2人に殺害実行役を指示していたことをほのめかす供述をした[28]。この供述は、先に逮捕された被疑者4人のうち1人が供述した「N・K両名が、瀬戸市内の現場まで誘導し、拉致したB子・C子を殺害するよう命令した。2人は手を下さなかった」という内容とほぼ合致することから、特捜本部はこの2人を主犯格とみて、裏付けを急ぐべく引き続き追及した[28]。一方、KはAを襲撃したこと、2人を殺害したことを共に否定した[28]。それまでの捜査では、Aが振り出した手形がNの親族の経営する金融会社に渡り、同社がN・K両名に債権の回収を指示したことから、2人がAに支払いを催促したものの、Aが応じなかったことが殺害動機につながったと推測された[28]。また、特捜本部による同日までの現場周辺の捜索により、新たに金槌が発見された[28]。金槌は焼殺遺体をチェーンソーで切断後、骨などを細かく粉砕するのに用いたとみられ、特捜本部は、砕いた骨をすりつぶすために用意されたすり鉢などとともに、完全な証拠隠滅目的で用意された道具の一つとみて捜査した[28]。
4月24日、名古屋地方検察庁はW・X・Y・Zの4人を、Aを襲撃して車を奪った強盗致傷容疑で名古屋地方裁判所に起訴した[29][30]。
千種署特捜本部は26日、それまでの鑑識・DNA鑑定の結果、瀬戸市の現場にあった、女性用の腕時計・イヤリング・車の鍵などの遺留品はB子・C子の物で、炭化した遺体のDNA型も被害者2人の物と一致することが判明した[31]。これを受け、千種署特捜本部は同日、N・Kを含め、既に強盗致傷容疑で逮捕されていた6人全員を、B子の財布などがなくなっていることから、強盗殺人容疑での逮捕も視野に入れつつ、殺人容疑で再逮捕する方針を固めた[31][16]。このうち、Y・Z両名は殺害現場にはいなかったが、犯行前日の3日に、N・K・W・Xとともに殺害の事前謀議に加わっていたことから、特捜本部は6人全員を殺人の共謀共同正犯として立件することが可能と判断した[16]。また、当初は「自分は現場にいたが、何もしていない」と容疑を否認していたKも、その後容疑を認める姿勢に転じたという[31]。特捜本部の取り調べに対し、Kは強盗致傷容疑も含めてすべて否認したが、Nら5人は瀬戸市の現場での殺害についてもほぼ認めた[16]。
5月1日、名古屋地検はAを襲撃して車を奪った強盗致傷容疑で、主犯格のN・K両名を名古屋地裁に起訴した[32][33]。
千種署特捜本部は5月2日、B子・C子を車で拉致し、現金約2万円入りのかばんを奪った後、2人をドラム缶に入れ、ガソリンをかけて焼き殺し、遺体を切断したとする強盗殺人、死体損壊などの容疑で、6人全員を再逮捕した[34][35]。6人とも容疑を認めた上で、動機について「Aから手形の支払いを何度も断られ、対応の悪さに面子を潰されて頭に来ていた。借金の方に自動車を奪って殺そうと思った」などと供述した[35]。
5月8日までの調べで、W・X・Y・Zの4人は、主犯格のN・K両名から指示を受け、2月20日夜にもAを襲撃しようと、A宅付近で待ち伏せていたことが、特捜本部の取り調べで判明した[36]。Wら4人は、この時点では待ち伏せること以外に具体的な指示は受けていなかったが、後に焼殺に使ったガソリンや金槌を用意しており、既に殺人を実行しようとしていたと思われるが、4人は待ち伏せ中に車内で寝込んでしまい、Aの襲撃は失敗に終わった[36]。
名古屋地検は5月22日、強盗致傷容疑で起訴済みのN・Kら計6人を、1日の逮捕容疑である強盗殺人、死体損壊などの罪で名古屋地裁に追起訴した[37][38]。6人は本件とは別に、パソコンを仕入れて転売し、代金をだまし取った詐欺容疑(被害総額数千万円)も浮上しており、愛知県警が継続捜査することとなった[38]。
刑事裁判
第一審(名古屋地裁)
N・Kら被告人6人の、刑事裁判の初公判は2000年7月18日、名古屋地裁で開かれた[6][39]。この事件は主犯格のN・K両名が名古屋地裁刑事第3部(片山俊雄裁判長)で、共犯者4人が名古屋地裁刑事第5部(三宅俊一郎裁判長)で、それぞれ分離公判として審理されることとなった[39]。冒頭陳述で検察側は、N・Kらが共犯者4人に対し、自分たちが経営する会社が受取人の生命保険に加入させた上、命令に従わない場合は殺害することをほのめかし、計画に引き込んでいた事実を明らかにするとともに、Aに手形の支払いを断られたことを犯行動機として、極めて残忍な手口を詳述し、計画的犯行であると断罪した[6][39]。罪状認否でN・K両名は「間違いありません」と起訴事実を全面的に認め、W・X・Y・Zの4人もそれぞれ起訴事実を認めたが[6][39]、殺害実行犯のW・X両名は「5000万円の保険金をかけられ、Nらの命令に従わなければ殺されると思った」と、刑事責任はN・K両名に比べて軽いと主張し、殺害現場にいなかったY・Z両名は「殺害の謀議があったことは認めるが、実際にどういうことがあったのかはわからない」と述べた[6][39]。
N・K両名の第2回公判は9月7日に名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で開かれた[40]。この日は、焼殺に使われた2つのドラム缶、遺体切断に使われたチェーンソーなどが、検察側の物的証拠として法廷に提出され、証拠採用された[40]。ドラム缶の煤は洗い流され、上部は缶切りで開けたように、一部分を除いて切断されており、下部には空気穴も空けられていた[40]。また、Aら被害者遺族の「人間にできることではない。犯人にも同じことをしないと気が済まない。極刑を願っている」「炎でもがきながら死んだ姿を想像してしまう。犯人に生きる権利はない」と、怒りの声がつづられた供述調書3通も検察側から法廷に提出され、証拠採用された[40]。
2001年(平成13年)10月2日、W・X・Y・Zの共犯者4人についての論告求刑公判を予定し、検察側は殺害の実行犯であるW・殺害行為には関与しなかったが、殺害現場に居合わせ、遺体の切断を行ったXに対してはそれぞれ死刑を、Aから奪った車を運転し、殺害現場に向かう途中で逮捕されたY・Z両名については「関与の程度はW・Xに比べて低い」と判断し、長期の懲役刑を求刑する方針だった[17]。しかしこの日の公判では、検察側が新たに捜査段階での警察官調書などを証拠提出した一方、弁護側が認否を留保したため、予定されていた論告求刑は次回公判(10月18日)に持ち越された[41]。
その後、名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)で10月18日、改めて共犯4人についての論告求刑公判が開かれた[12][42]。検察側は「240万円の手形債権の取り立てに絡み、何の落ち度もない女性2人を焼き殺した。殺害方法は類を見ないほど冷酷、無慈悲で残虐非道の極み」と断罪し、「完全犯罪を狙い、阿鼻叫喚の地獄さながら生きたまま2人を焼き殺し、死体を徹底的に粉砕し投げ捨てるという、犯罪史上まれにみる凶悪さだ。被告人らには人間の生命を尊ぶ気持ちが全くなく、鬼畜の如き所業だ」として、殺害・死体損壊の実行犯だったW・X両名に死刑を、殺害現場に向かう途中で逮捕されたY・Z両名にも「凶器を準備するなど、積極的に犯行に関与した」などとして、ともに懲役15年を求刑した[12][42]。
W・X・Y・Zの4人の弁護側は、11月5日の最終弁論公判でそれぞれ情状酌量を求め、結審した[43]。死刑を求刑されたW・X両名の弁護人は「主犯格のN・K両名から脅され、指示に従わざるを得なかった」として、ともに死刑回避を求め、懲役15年を求刑されたY・Z両名の弁護人も情状酌量を求めた[43]。
11月21日、主犯格のN・K両名に対しての論告求刑公判が開かれ、検察側は両名に死刑を求刑した[8][44]。検察側は論告で、「N・K両名は、取り込み詐欺に失敗し、手形回収の仕事を請け負ったが、240万円の手形取り立てをAが拒否したため、無理矢理回収しようとした私利私欲に基づく犯行で、2人を殺害する必要はなかった」として、動機に酌量の余地はないと訴え、その上で「阿鼻叫喚のうちに、無関係な女性2人を生きたまま焼き殺した、犯罪史上類のない残酷な犯行だ。チェーンソーで遺体を切断し、骨片を山中に捨てるなど、死者に対する畏敬の念は微塵もない。被害者遺族の処罰感情は峻烈だ」[8]、「事件発覚後、家族の身の安全と引き換えに、共犯者らに責任を負わせて警察に出頭させたことなどから、悪質で矯正可能性はなく、極刑をもって臨むしかない」などと[44]、犯行を糾弾した[8][44]。また、両名が互いに「相手の指示に逆らえなかった」と主張していることに対しては「上下関係はなく、対等な立場だった」と反論した[8]。
12月20日に弁護側の最終弁論公判が開かれた[45][46]。Kの弁護人は最終弁論で「事件の発端は、Nと関係が深い暴力団組織の債権取り立てが原因だった」と指摘し、Nの弁護人は「Nは2人を焼き殺した残酷な状況が今も忘れられずに苦しんでいる。生きて償わせることこそ、Nにとっては極刑より過酷な刑だ」と述べ、それぞれ「更生の可能性が強く、生きて償わせるべきだ」と述べ、死刑回避を求めた[46]。両被告人は最終陳述で、Kは「死刑でも仕方ないが、家族のことを考えると少しでも長生きしたい」と、Nは「命で償うしかない。どんな判決でも控訴しない。極刑でも受け入れる」と、それぞれ意見陳述して結審した[45]。
翌2002年(平成14年)2月19日、W・X・Y・Zの4人に対する判決公判が名古屋地裁(三宅俊一郎裁判長)で開かれ、名古屋地裁は殺害実行役のW・X両名に無期懲役判決(求刑死刑)、Y・Z両名に懲役12年判決(求刑懲役15年)をそれぞれ言い渡した[13][47]。名古屋地裁は、判決理由で「短絡的で無謀な犯行であり、態様は残虐非道で、4被告人もそれぞれ重要な役割を果たした」と、厳しく犯行を指弾した上で、「犯行は主犯格のN・K両名が、躊躇うWら4人を脅して加担させ、実行させた」と認定し、「4被告人は目先の保身を優先させたとの非難は免れられないが、こうした事情は量刑上考慮されるべきだ」と指摘した[13][47]。その上で、殺害・死体損壊の実行役として関与したW・X両名に対しては「ドラム缶に引火させるなど、重要な実行行為を担当し、死刑選択も考えられるが、主犯2人の強い指示命令の下に行われた犯行であり、極刑がやむを得ないとは認められない」と結論付け、W・X両名は無期懲役刑、Y・Z両名はいずれも無期懲役刑を選択の上で酌量減軽し、懲役12年とするのが相当とした[13]。検察側・被告人側の双方が量刑不当を訴え、被告人側は更に、共犯関係の存在、自首の成立について事実誤認を主張し、それぞれ名古屋高等裁判所に控訴した[48]。
2月21日、名古屋地裁(片山俊雄裁判長)で主犯格のN・K両名についての判決公判が開かれ、名古屋地裁はN・K両名に対し、いずれも求刑通り死刑判決を言い渡した[9][49]。名古屋地裁は「犯行の発覚を防ぐためという理由で被害者2人の命を奪い、動機も極めて自己中心的だ。社会に与えた影響も大きい」と厳しく犯行を非難した上で、「Nが犯行計画を立て、共犯者に具体的な指示を出して犯行を遂行しており、責任は犯行集団の中で最も重い」として、Nを事件の主犯と認定し、Kについても「Nと並んで最も強い立場にあり、Wら共犯4人を強引に犯行に引き込んだ。果たした役割はNに準ずるほど重大だ」と述べ、「Nが怖くて従った」とするKの弁護人主張を退けた[9][49]。その上で、「2人の存在がなかったら犯行は遂行されなかった。その責任は、Wら共犯者4人とは格段の違いがある」と断じ、「極刑はやむを得ない」とした[9][49]。
Nは公判当初「Kに逆らえなかった」と主張していたが、その後は被告人質問などで「自分が死刑になる姿を見せ、少しでも被害者遺族の心が安らかになればいい」「自分が一番悪い。命で償うしかない」などと話すようになり、自ら死刑判決を希望する旨を語っていた[49]。Nは判決直前に面会した弁護人に対し、「死刑執行が早まるようにしてほしい」と、死刑判決を覚悟した様子で「極刑でも絶対に控訴しないでほしい」と希望していたが[9]、弁護人がその後、名古屋高裁に控訴した。
Kは弁護人曰く、毎日被害者の冥福を祈って写経をする一方、キリスト教関係者とも交流を持つようになり、判決前には洗礼を受けることを決めていた[49]。公判でKは死刑を受け入れる」と話しつつも、2人の子供の将来を心配し、「少しでも長く生きていたい」と揺れ動く心境をのぞかせていた[9][49]。Kの弁護人も「自分たちのメンツを保つためという動機だけではこのような犯行はしない。動機の事実認定はしっかりされておらず、不満が残る」と述べ[9][49]、その後名古屋高裁に控訴した。
控訴審(名古屋高裁)
名古屋高等裁判所での控訴審初公判は2002年9月11日に開かれた[50][51]。控訴趣意書朗読で、Nの弁護人は「欧米など、世界各国では死刑廃止運動が進んでいる。Nには矯正の可能性があり、死刑は回避されるべきだ。一部被害弁償もしており、被害者遺族のAも今は極刑を望んでいない」と述べ、Kの弁護人は「Kが主犯格とされているのは事実誤認で、主導権を握っていたNらの指示に従っただけだ。KはWら他の共犯者と同じく、単なる実行部隊の一員に過ぎない」として、いずれも死刑判決の破棄を訴えた[50][51]。一方、検察側は被告人側の控訴を棄却するよう訴えた[51]。第一審判決前から「控訴したくない」と述べていたNは[50]、弁護人に対し「控訴を取り下げてほしい。今後も出廷しない」と語り、説得にも応じず[51]、この日の控訴審には出廷しなかった[50][51]。
同年10月29日、Wら共犯者4人の控訴審初公判が開かれた[52]。検察側証人として出廷したB子の娘は「(主犯N・K両名を含めた)6人全員を死刑にしてほしい気持ちは変わらない」と述べた[52]。
2003年(平成15年)3月12日にN・K両名についての判決公判が開かれ、名古屋高裁(川原誠裁判長)は第一審の死刑判決を支持し、N・K両名の控訴を棄却する判決を言い渡した[10][53]。判決理由で名古屋高裁は「ドラム缶の蓋が開かないように細工した上で火をつけるなど、殺害方法の残虐さには戦慄を禁じえない。犯行を認め反省していることを考慮しても、第一審の死刑判決はやむを得ない」とした[10][53]。判決言い渡し後、Kが「聞きたいことがあります」と川原裁判長に切り出し、1999年に岐阜市内で資産回収のトラブルから、債務者に発砲された事件について触れ「事件をもみ消した岐阜県警察はどうなるのか。この事件がなければ僕たちは殺人事件を起こさなかった。やったことは極刑に値するとは思うが、隠された部分を知りたい」などと述べた[10]。閉廷後、Kの弁護人はこの突然の意見について「真相はわからないが、Kは警察と暴力団が裏取引したと考えている。警察がこの時にKらからしっかり聴取していれば、後にAに対して無理な取り立てをすることもなかった、という意味だ」と話し、その上で判決について「犯行動機について事実誤認がある」として上告する方針を示した[10]。Nは『極刑を受け入れる』と、この日の判決を含め控訴審には一度も出廷せず、判決前の3月9日に弁護人と面会した際にも「極刑を覚悟している」と話していたが、弁護人は上告する方針を示した[10]。その後、Kは3月18日付、Nは翌19日付で、いずれも最高裁判所に上告した[54]。
2003年6月19日、Wら共犯4人の控訴審判決公判が名古屋高裁(小出錞一裁判長)で開かれ、名古屋高裁は第一審の判決(W・Xは無期懲役、Y・Zは懲役12年)をいずれも支持し、検察・弁護側双方の控訴を棄却する判決を言い渡した[14][48]。判決理由で名古屋高裁は、犯行態様を「まさに地獄絵図の如き犯行で戦慄を禁じ得ない」とした一方で[48]、「極めて残虐非道な悪行だが、4人は主犯2人に従属的な立場で犯行に加担した」「弁護側の主張通り、N・K両名から意に従わないと保険金目的での殺害をほのめかされるなど脅され、指示命令を拒否しがたい面はあったが、物理的に拘束されるなど、グループから離脱できない状況ではなかった」と指摘した[14][48]。その上で検察側のW・X両名に対する死刑主張について「死刑求刑にも相当な理由はあるが、主犯2人と刑事責任は同一ではない」と述べた[14]。Y・Z両名については、強盗殺人などの犯行に加わらなかったものの、犯行全体についての共謀関係からの離脱は認められないと結論付け、指名手配後に自分の居場所を警察に電話した行為を「自首に当たる」と主張したWについても「原判決に誤りはない」として、主張を退けた[48]。W・X・Yは判決を不服として、それぞれ最高裁に上告した一方、検察側・Zはともに上告せず、Zは懲役12年の判決が確定した[15]。
上告審(最高裁)
最高裁判所第三小法廷(藤田宙靖裁判長)は2004年(平成16年)2月3日付で、判決を不服として上告していたW・X・Yの3人について、いずれも上告を棄却する決定をした[15]。これにより、W・Xの無期懲役と、Yの懲役12年の判決が確定した[15]。
最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は、N・K両名について、上告審口頭弁論公判を経て、2006年(平成18年)5月19日までに、上告審判決公判期日を6月9日に指定し、関係者に通知した[55]。
最高裁第二小法廷(今井功裁判長)は2006年6月9日の上告審判決公判で、「Aから手形の取り立てができなかったため、面子が潰れたとしてAに報復するのが動機だった。その発覚を防ぐため、恨みのない2人を殺害した動機に酌量の余地はない」「被害者をドラム缶に押し込んで焼き殺す殺害の様態は冷酷、非情かつ残虐というほかなく、悪質極まりない」として、N・K両名の上告を棄却する判決を言い渡し、N・K両名の死刑判決が確定することとなった[11][56]。
死刑執行
死刑判決確定から2年半後の2009年(平成21年)1月29日、法務省(法務大臣:森英介)の死刑執行命令により、名古屋拘置所でN・K両名の死刑が執行された[7]。同日には長野・愛知4連続強盗殺人事件の死刑囚らも含め、計4人の死刑が執行された[7]。
参考文献
刑事裁判の判決文
- N・K両元死刑囚に対する判決文
- 名古屋地方裁判所刑事第3部判決 2002年(平成14年)2月21日 判例タイムズ第1101号292頁、TKCローライブラリーLEX/DBインターネット ID:28075693、平成12年(う)第886号/平成12年(う)第1039号、『強盗傷人,監禁,強盗殺人,死体損壊・死体遺棄被告事件』「共犯者6名が女性2名をドラム缶を用いて焼殺したという強盗殺人等の事案において、各被告人の果たした役割の違いなどに応じて、それぞれ死刑、無期懲役、懲役12年の刑が言い渡された事例」、“共犯者6名が、被害者G(本文中A)に暴行を加えてその所有の乗用車などを強取した上、同人には逃げられたものの、同人と一緒に帰宅したその妻である被害者H(本文中B子)および同女の妹である被害者I(本文中C子)を自動車に監禁して山林に連行し、被害者Iから金品を強取した上、同女らを生きたままドラム缶に入れ、これに点火して焼死させて殺害し、同女らの死体を切断して付近に投棄した強盗傷人、監禁、強盗殺人、死体損壊遺棄の事案につき、本件犯行計画を企て、他の4名の共犯者を犯行に引き込み、強く指示を与えて犯行を遂行させるなど主導的立場にあり、極めて重大な役割を果たした被告人F(本文中N)及びE(本文中K)に対し死刑を言い渡した事例。”。
- 判決内容:N・K両名を死刑(求刑同。被告人側はともに控訴)
- 裁判官:片山俊雄(裁判長)・橋本一・高橋正幸
- 名古屋高等裁判所刑事第2部判決 2003年(平成15年)3月12日 裁判所ウェブサイト掲載判例、平成14年(う)第158号、『強盗傷人,監禁,強盗殺人,死体損壊・死体遺棄被告事件』。
- 判決内容:N・K両被告人側控訴棄却(死刑判決支持。被告人側はともに上告)
- 裁判官:川原誠(裁判長)・村田健二・堀内満
- 最高裁判所第二小法廷判決 2006年(平成18年)6月9日 最高裁判所裁判集刑事編(集刑)第289号293頁、裁判所ウェブサイト掲載判例、平成15年(あ)第600号、『強盗傷人,監禁,強盗殺人,死体損壊,死体遺棄被告事件』「死刑の量刑が維持された事例(名古屋の2女性強盗殺人等事件)」。
- W・X・Y・Z各受刑者に対する判決文
脚注
注釈
出典
- ※以下出典で、見出し中に事件当時者らの実名が使われている場合、その個所を本記事文中で使われている仮名に置き換える。
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『東京新聞』2000年4月8日夕刊社会面11面「女性2人を拉致 焼殺 『生きたまま』供述 強盗傷害で逮捕の兄弟 山中から遺体の一部 名古屋」 - ^ 『中日新聞』2000年4月11日朝刊社会面33面「千種・連れ去り 主犯格の男2人逮捕 2女性の殺害を指示」
- ^ 『中日新聞』2000年5月3日朝刊社会面31面「強盗殺人で6人再逮捕 千種の2人連れ去り 焼殺し遺体を切断」
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 『中日新聞』2000年7月18日夕刊社会面13面「6被告 起訴事実認める ドラム缶殺人 名地裁初公判 主犯格、共犯脅す 『5000万円保険掛けた』」
『東京新聞』2000年7月18日夕刊第二社会面10面「ドラム缶焼殺 起訴内容認める 名古屋地裁で4被告」 - ^ a b c d e f 『中日新聞』2009年1月29日夕刊1面「4人の死刑執行 長野、愛知4人殺害 〇〇死刑囚ら」(※長野・愛知4連続強盗殺人事件の死刑囚の実名が記事見出し中に使われているため、この部分を伏字にした)
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『中日新聞』2002年2月21日夕刊社会面13面「『でも母は帰らない』 ドラム缶焼殺で死刑判決 長女傍聴席で涙 『執行までわび続けて』」「うなずき頭下げる 判決聞き2被告」「『両被告とも覚悟していた』弁護人が会見」「K被告 めい福祈り日々写経 N被告『自分は死ぬべきだ』」
『東京新聞』2002年2月21日夕刊社会面11面「ドラム缶で姉妹焼殺『冷酷』 2被告に死刑判決 名古屋地裁」
『中日新聞』2002年2月22日朝刊第三社会面33面「ドラム缶殺人判決要旨」「落ち度ない2人を殺害」 - ^ a b c d e f g 『中日新聞』2003年3月12日夕刊第二社会面14面「姉妹焼殺 二審も死刑 主犯格2人 名高裁判決 『残虐な方法に戦慄』」「判決言い渡し後 裁判長に意見 K被告」
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- ^ 『朝日新聞』2006年6月9日夕刊第一総合面1面「2被告、死刑確定へ ドラム缶で姉妹焼殺【名古屋】」
『朝日新聞』2006年6月9日夕刊第二社会面14面「最高裁上告棄却、死刑判決確定へ 名古屋2女性焼殺事件」
関連項目
- 闇サイト殺人事件 - 同じ名古屋市で発生した、複数人の共犯者に死刑が求刑された拉致・強盗殺人事件。
- 三島女子短大生焼殺事件 - この事件においても被害者の殺害方法に焼殺が用いられている。