「オズの魔法使い」の版間の差分
J Country Woman (会話 | 投稿記録) オズの本一覧、オズの魔法使いの派生作品への分割提案 |
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<!--この記事は小説について述べており、映画とは違います。映画で観たことから編集を行なわず、小説を読んでから編集を行なって下さい。--> |
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『'''オズの魔法使い'''』(オズのまほうつかい、''The Wonderful Wizard of Oz'' )は[[ライマン・フランク・ボーム]]が著した[[児童文学]]作品。 この後、ボームが14冊、ボームの死後に他の作者等が[[#オズ・シリーズ|オズ・シリーズ]]([[:en:Oz books|Oz books]])を出版している。 |
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『'''オズの魔法使い'''』(オズのまほうつかい、''The Wonderful Wizard of Oz'' )は、[[ライマン・フランク・ボーム]]が著し、[[ウィリアム・ウォレス・デンスロウ|W. W.デンスロウ]]が挿絵を担当した[[児童文学]]作品。1900年5月17日、[[アメリカ合衆国]][[イリノイ州]][[シカゴ]]の[[ジョージ・M・ヒル・カンパニー]]から初版が出版された。以降何度も再版されたが、1902年のミュージカル『[[オズの魔法使い (1902年のミュージカル)|オズの魔法使い]]』(''[[::en:The Wizard of Oz (1902 musical)|The Wizard of Oz]]'' )、オズ作品で最も有名な1939年の映画『[[オズの魔法使]]』(''[[::en:The Wizard of Oz (1939 film)|The Wizard of Oz]]'' )から『''The Wizard of Oz'' 』という題名が定着した。 |
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[[アメリカ合衆国]][[カンザス州]]の農場に暮らす少女ドロシー(Dorothy)が[[竜巻]]に家ごと巻き込まれて、飼い犬のトト(Toto) と共に不思議な「オズの国」(Land of Oz)へと飛ばされてしまう話である{{refn|group=nb|ボームは「[[竜巻]](''[[::en:tornado|tornado]]'' )」を示す説明と共に「[[サイクロン]](''[[::en:cyclone|cyclone]]'' )」という単語を使用している}}。この本はアメリカ文学で最もよく知られた本の1つであり、世界中で翻訳されている。[[アメリカ議会図書館]]は「アメリカで最も優れ、最も愛されているおとぎ話」と語っている。初版および[[ブロードウェイ・シアター|ブロードウェイ]]・ミュージカルの成功後、ボームが13冊、ボームの死後に他の作者等が[[#続編|オズ・シリーズ]]([[:en:Oz books|Oz books]])を出版している。 |
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ボームは「親愛なる友人で同志である我が妻([[モード・ゲージ・ボーム]])に捧ぐ」と記した。1901年1月、ジョージ・M・ヒル・カンパニーは初版の1万部を売り切った。その後300万部を売り上げ、1956年に[[パブリックドメイン]]となった。 |
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[[File:Wizard oz 1900 cover.jpg|thumb|1900年、シカゴのジョージ・M・ヒルによる初版表紙]] |
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[[File:The Wonderful Wizard of Oz - W.W. Denslow cover (back).jpg|thumb|裏表紙]] |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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「マザー・グースの物語」のヒットで[[童話]]作家として成功していた[[ライマン・フランク・ボーム]]が、自らが子供たちに語ってきかせた物語を元に書き、[[1900年]]5月に出版 |
「マザー・グースの物語」のヒットで[[童話]]作家として成功していた[[ライマン・フランク・ボーム]]が、自らが子供たちに語ってきかせた物語を元に書き、[[1900年]]5月に出版した。凝った構成によるカラー図版の児童書は当時としては革新的であり、本はたちまち子供たちの心をとらえ、増刷の追いつかない空前の人気作品となった。 |
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== 出版 == |
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「オズ」(Oz)の名の由来は、原作者ボームが近くのファイリング・キャビネットにO-Zと記されているのを見て名づけたなど、色々な説がある<ref>[[:en:Land_of_Oz#Origin_of_the_name_Oz|英語版Wikipedia 「Origin of the name Oz」]] 参照</ref>。 |
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1900年5月17日、ボーム自身が手作りした1番最初の本は姉妹のメアリー・ルイズ・ボーム・ブリュスターに贈られた。7月5日から20日にシカゴのパーマー・ハウスで行われたブック・フェアで一般に初公開された。8月1日に著作権を申請し、9月に確立した<ref>Katharine M. Rogers, ''L. Frank Baum,'' pp. 73–94.</ref>。ジョージ・M・ヒル・カンパニーから出版され、1900年9月1日には初版1万部が売り切れた。1900年10月までに1万5千部の第二版がほぼ売り切れた<ref name="NotesSeptember1900">{{cite news |title=Notes and News |newspaper=[[The New York Times]] |date=October 27, 1900 |url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9B03E2DF143FE433A25754C2A9669D946197D6CF |accessdate=December 3, 2010 |archiveurl=http://www.webcitation.org/5ui5qtmRE |archivedate=December 3, 2010 }}</ref>。 |
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ボームから兄弟のハリーへの手紙によると、出版者のジョージ・M・ヒルは25万部の売り上げを見込んでいた。当初ヒルはこの本が売れるとは思ったが、これほどの大ヒットになるとは予測していなかった。シカゴ・グランド・オペラ・ハウスのマネージャーのフレッド・R・ハムリンは本のさらなる宣伝を兼ねてミュージカル化を打診し、ボームは脚本の執筆に同意した。1902年6月16日、ミュージカル『オズの魔法使い』が初演された。この作品は大人向けの「ミュージカル大作」として製作され、衣裳はデンスロウの挿絵を基にデザインされた。1901年、ヒルの出版社は破産し、ボームとデンスロウは[[インディアナポリス]]のボブス・メリル・カンパニーが出版を引き継ぐことに同意した<ref name="MacFall">{{cite news |title=He created 'The Wizard': L. Frank Baum, Whose Oz Books Have Gladdened Millions, Was Born 100 Years Ago Tuesday |author=MacFall, Russell |newspaper=[[Chicago Tribune]] |date=May 13, 1956 |url=http://image2.newsbank.com/img-ctha/clip/1956/05/13/19560513C007270011100013.pdf |accessdate=November 28, 2010 |archiveurl=http://www.webcitation.org/5uZYJbv6d |archivedate=November 28, 2010 |format=PDF}}</ref>。 |
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1944年、ボームの息子[[ハリー・ニール・ボーム]]は『[[シカゴ・トリビューン]]』紙に父親は本を書く前に子供たちに話をして聞かせていたと語った。ハリーは父親を、『[[6ペンスの唄]]』の[[クロウタドリ|黒ツグミ]]がパイの中で焼き込められた理由を的確に述べることができる、これまで出会った人々の中で最も素晴らしい人物だと語った<ref name="Sweet">{{cite news |title=Tells How Dad Wrote 'Wizard of Oz' Stories |author=Sweet, Oney Fred |newspaper=[[Chicago Tribune]] |date=February 20, 1944 |url=http://image2.newsbank.com/img-ctha/clip/1944/02/20/19440220C007270011300008.pdf |accessdate=November 28, 2010 |archiveurl=http://www.webcitation.org/5uZbon29E |archivedate=November 28, 2010 |format=PDF}}</ref>。 |
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1938年まで100万部以上が増刷された<ref name="Verdon">{{cite journal |last=Verdon |first=Michael |year=1991 |title=The Wonderful Wizard of Oz |publisher=[[::en:Salem Press|Salem Press]] }}</ref>。それから20年弱後の1956年には300万部を売り上げた<ref name="MacFall"/>。 |
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== あらすじ == |
== あらすじ == |
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[[アメリカ合衆国]][[カンザス州]]でエム叔母、ヘンリー叔父、小さな飼い犬のトトと共に少女ドロシーは暮らしている。ある日、ドロシーとトトは[[竜巻]]に家ごと巻き込まれて、不思議なオズ王国の中のマンチキンの国へと飛ばされてしまう。落ちた家は、マンチキンたちを独裁していた東の悪い魔女を圧死させる。北の良い魔女がやってきてマンチキンたちと喜びを分かち合い、悪い魔女が履いていた不思議な力を持つ銀の靴をドロシーに授ける。良い魔女はドロシーに家に帰れる唯一の方法はエメラルドの都に行って壮大な魔力を持つオズの魔法使いに頼むことだと語る。ドロシーは旅に出ることにし、北の良い魔女はドロシーを大事故から守るため、おでこにキスして魔法をかける。 |
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{{不十分なあらすじ|date=2015年10月12日 (月) 01:43 (UTC)}} |
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黄色いレンガ道を進み、ドロシーはボクという名のマンチキンによるパーティに出席する。翌日ドロシーは棒に引っ掛かったカカシを助け、ブリキの木こりに油をさし、臆病なライオンと出会う。カカシは脳を、ブリキの木こりは心を、ライオンは勇気を手に入れる願いを叶えてもらうため、ドロシーとトトと共に魔法使いに助けを求めにエメラルドの都に向かう。いくつかの冒険を乗り越え、一行はエメラルドの都の門で門番に会うと、街の輝きで目が眩まないように緑の眼鏡をかけるように言われる。1人1人呼ばれ、ドロシーは大理石の王座の上の巨大な頭、カカシは絹の紗に包まれた愛らしい女性、ブリキの木こりは恐ろしい野獣、臆病なライオンは火の玉の形をした魔法使いに会う。魔法使いはもしオズ王国のウィンキーの国を独裁する西の悪い魔女を殺せば全員の願いを叶えると語る。警備員はこれまで誰も西の悪い魔女を倒したことがないと警告する。 |
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西の悪い魔女は望遠鏡になる一つ目で一行が近づくのを見つける。魔女は一行をズタズタに切り裂くため狼たちを送るが、ブリキの木こりが斧で殺す。魔女は一行の目を潰すため野生のカラスを送るが、カカシが彼らの首を折って殺す。魔女は一行を刺すため黒い蜂の群れを集めるが、カカシのわらがドロシー、ライオン、トトを隠し、ブリキには刺さらずに蜂は死ぬ。魔女はウィンキーの兵士たちを送るが、ライオンが直立すると恐れて引き返す。ついに魔女は黄金の冠の力を使い飛ぶ猿を呼び集め、ドロシー、トト、ライオン、カカシを捕まえ、ブリキの木こりをへこませる。魔女はドロシーの銀の靴を手に入れることを企て、ドロシーを自分の専属奴隷にしようとする。 |
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[[File:Wicked Witch2.jpg|right|thumb|250px|1900年の初版の、WWデンスロウによる悪い魔女が溶けるシーンの挿絵]] |
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悪い魔女はドロシーを騙して銀の靴の片方を脱がせることに成功する。怒ったドロシーは魔女にバケツの水を思い切りかけると、魔女が溶けてドロシーは驚く。ウィンキーたちは魔女の独裁から逃れることができて喜び、カカシにわらを詰め、ブリキの木こりを修理する。彼らはブリキの木こりに国王となることを頼み、彼はドロシーを無事にカンザスに帰すことができたら引き受けると語る。ドロシーは黄金の冠を見つけ、一行をエメラルドの都に連れていかせるために飛ぶ猿を集める。飛ぶ猿の王は北の魔女ギャヴレットの冠でどうやって自分たちが魔法にかけられるのか説明し、ドロシーはのちに他に2回冠の力を使用することになる。 |
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一行がオズの魔法使いに再会した時、トトが王座の隅のスクリーンを倒してしまうと魔法使いが現れる。彼は平凡な老人の詐欺師で、だいぶ前に[[ネブラスカ州]][[オマハ]]から気球でオズにやってきたと申し訳なさそうに語る。魔法使いはカカシに糠、ピン、針を詰めた頭("a lot of bran-new brains")を、ブリキの木こりにはおがくずを詰めたハート型の絹の袋を、臆病なライオンには勇気が出る薬を与える。彼らは魔法使いの力を信じているため、これらをもらって喜ぶ。魔法使いはドロシーとトトをエメラルドの都から家に気球で連れていくと語る。離陸時、魔法使いはカカシに自分の代わりにオズ王国の統治を任せると語る。トトが子猫を追い掛け、ドロシーがそれを追うと気球は魔法使いのみを乗せて飛び立つ。 |
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ドロシーは再び飛ぶ猿を集めてトトと共に家に飛ぼうとするが、彼らはオズ王国を囲む砂漠を飛び越えることはできないと語る。緑の髭の兵士がドロシーに南の良い魔女グリンダが家に帰らせてくれるかもしれないと助言し、一行はオズのカードリングの国に住むグリンダに会う旅を開始する。道中、臆病なライオンは森の動物たちを脅かす巨大な蜘蛛を殺す。動物たちは臆病なライオンに王になってくれるよう頼み、ドロシーを無事にカンザスに帰したら引き受けると語る。ドロシーはみたび飛ぶ猿を集め、山を越えてグリンダの国へ行く。グリンダは一行に挨拶し、ドロシーが履いている銀の靴こそが望む場所へ連れていってくれると明かす。ドロシーは友人たちと抱き合い、友人たちは黄金の冠を使ってカカシはエメラルドの都へ、ブリキの木こりはウィンキーの国へ、ライオンは森へ、それぞれが新しい国へ行くことになり、黄金の冠は飛ぶ猿の王に与えられる。ドロシーはトトを腕に抱き、かかとを3回合わせ家へ帰ることを唱える。ドロシーは旋回して空中に浮かび、カンザスの平原の芝に転がり、自宅にたどり着く。ドロシーはエム叔母に駆け寄り「また家に帰ることができて良かった」と語る。 |
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== 挿絵およびデザイン == |
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ボームの友人でコラボレーターである[[ウィリアム・ウォレス・デンスロウ]]が挿絵を担当し、著作権も共同で所有していた。多くのページに挿絵が施され、色彩豊かで当時にしてはデザインが豪華であった。1900年9月、『グランド・ラピッヅ・ヘラルド』はデンスロウの挿絵は文章ととてもよく合っていると記した。社説ではもしデンスロウの挿絵がなければ読者はドロシー、トト、他の登場人物を容易に想像することができなかっただろうと述べた<ref name="1900New">{{cite news |title=New Fairy Stories: "The Wonderful Wizard of Oz" by Authors of "Father Goose." |url=http://imgcache.newsbank.com/cache/ean/fullsize/pl_002022011_2025_31199_120.pdf |newspaper=Grand Rapids Herald |date=September 16, 1900 |accessdate=February 2, 2011 |archiveurl=http://www.webcitation.org/5wD5RJlqr |archivedate=February 2, 2011 |format=PDF}}</ref>。 |
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この個性的な挿絵は当時模倣する者も多く、最も有名なものは『オズ』のデザインや挿絵を模倣したエヴァ・キャサリン・ギブソンの『''Zauberlinda, the Wise Witch'' 』(賢い魔女ゾバリンダ)であった<ref name="Bloom9">{{Harvnb|Bloom|1994|p=9}}</ref>。書体は当時新しかったモノタイプ・オールド・スタイルであった。デンスロウの挿絵は許可を得て製作された多くのグッズで多くみられた。カカシ、ブリキの木こり、臆病なライオン、魔法使い、ドロシーはゴムや金属の人形が作られた。衣類、装飾品、ロボット、石鹸なども作られた<ref name="Starrett1">{{cite news |title=The Best Loved Books |author=Starrett, Vincent |newspaper=[[Chicago Tribune]] |date=May 2, 1954 |url=http://image2.newsbank.com/img-ctha/clip/1954/05/02/19540502C007270011100006.pdf |accessdate=November 28, 2010 |archiveurl=http://www.webcitation.org/5uZdEcbos |archivedate=November 28, 2010 |format=PDF}}</ref>。 |
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1944年、イヴリン・コプルマンの挿絵による新版が登場した<ref>{{cite book|url=http://books.google.com/books?id=bpkVEAaUuMkC&pg=PR63&lpg=PR63&dq=evelyn+copelman+illustrator+wonderful+wizard+of+oz&source=bl&ots=Hy4-zRTzqZ&sig=wSMVoTMg-8GO4gQijXwRmGYWucg&hl=en&sa=X&ei=MhwkUsCtNZCvigKwsIHwCA&ved=0CEcQ6AEwAw#v=onepage&q=evelyn%20copelman%20illustrator%20wonderful%20wizard%20of%20oz&f=false|title=The Annotated Wizard of Oz: The Wonderful Wizard of Oz – Lyman Frank Baum|website=Google Books}}</ref>。デンスロウの挿絵を基にしたこの挿絵は称賛されたが、著名な1939年の映画『オズの魔法使』により似ていた<ref>[http://special.lib.umn.edu/clrc/oz/images/ozbook3.gif Children's Literature Research Collection | University of Minnesota Libraries]</ref>。 |
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== イメージおよびアイデアの元 == |
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[[File:Cowardly lion2.jpg|right|thumb|250px|初版の、ドロシーが臆病なライオンに出会ったシーン]] |
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ボームは[[グリム兄弟]]、[[ハンス・クリスチャン・アンデルセン|アンデルセン]]から影響を受けていることで知られ、ボームが編集した『[[アメリカン・フェアリー・テイルズ]]』にも彼らの作品からホラー要素を外したものがおさめられている<ref name="annotated">{{Cite book| first=L. Frank |last=Baum |author2=Hearn, Michael Patrick |authorlink2=Michael Patrick Hearn |title=The Annotated Wizard of Oz |page=38 |isbn=0-517-50086-8 |oclc=800451 |authorlink=L. Frank Baum |year=1973 |publisher=C.N. Potter |location=New York}}</ref>。 |
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=== オズ王国などの地 === |
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伝説の田舎町であるエメラルドの都として知られるオズはボームが夏季に滞在していた[[ミシガン州]]ホランド近くのキャッスル・パークの城のような建物を基にしている。黄色いレンガ道は当時舗装で使用された黄色いレンガに因んでいる。これらのレンガ道はボームが通学していたピークスキル陸軍士官学校のある[[ニューヨーク州]]ピークスキルにみられた。ボーム研究者は1893年に開催された[[シカゴ万国博覧会 (1893年)|シカゴ万国博覧会]]のホワイト・シティからエメラルド・シティの着想を得たと言及している。他に[[カリフォルニア州]][[サンディエゴ]]近くのホテル・デル・コロラドからも着想を得ているとされている。ボームはこのホテルにしばしば宿泊し、オズ関連書籍をここで執筆していた<ref>[http://www.sandiegoreader.com/news/2006/nov/02/coronado-and-oz The Writer's Muse: L. Frank Baum and the Hotel del Coronado]</ref>。1903年、『パブリッシャーズ・ウィークリー』のインタビューにて<ref name="Mendelsohn">{{cite news |title=As a piece of fantasy, Baum's life was a working model |author=Mendelsohn, Ink |url=http://news.google.com/newspapers?id=QtwRAAAAIBAJ&sjid=Tu8DAAAAIBAJ&pg=3435,6178650&dq=as-a-piece-of-fantasy-baum's-life-was-a-working-model |newspaper=[[::en:The Spokesman-Review|The Spokesman-Review]] |date=May 24, 1986 |accessdate=February 13, 2011 }}</ref>、「オズ」(Oz)の名の由来は、原作者ボームが近くのファイリング・キャビネットにO-Zと記されているのを見て名づけたと語った<ref name="Schwartz273">{{Harvnb|Schwartz|2009|p=273}}</ref>。 |
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何人かの批評家はボームは[[オーストラリア]]からも影響を受けていると語っている。オーストラリアは口語的に「Oz」に近い発音の略語で呼ばれることがある。さらに1907年の『オズのオズマ姫(''Ozma of Oz'' )』でドロシーはヘンリー叔父とオーストラリアへ航海中嵐に巻き込まれてオズに戻る。そのためオーストラリアのようにオズはカリフォルニア州より西にあるとされている。オーストラリアのようにオズは島国である。オーストラリアのようにオズは広大な砂漠のそばにある。これらによりボームはオズはオーストラリアまたはオーストラリアの広大な砂漠の中央の魔法の国を想定しているとされる<ref>Algeo, J., "Australia as the Land of Oz", ''American Speech'', Vol. 65, No. 1, 1990, pp. 86–89.</ref>。 |
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=== 『不思議の国のアリス』 === |
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他に[[ルイス・キャロル]]の1865年の『[[不思議の国のアリス]]』から影響を受けているとされる。1900年9月、『グランド・ラピッズ・ヘラルド』のレビューにおいて、「まさに現代の『不思議の国のアリス』」と評された<ref name="1900New"/>。ボームはキャロルの物語の不整合を見つけたが、子供の読者が共感する子供の登場人物である少女アリス自身の人気を認めており、少女ドロシーが主役となる一因となった<ref name="annotated"/>。またボームはキャロルの、子供の本は多くの挿絵があれば子供も喜んで読むという信念に影響されている。キャロルは子供の本は子供が子供らしくあることではなくモラルを教えるものというヴィクトリア時代のイデオロギーを拒否していた。文章の他に多くの挿絵のあるキャロルのスタイルと共に、バームは魔女や魔法使いのようなおとぎ話の登場人物の典型と、カカシやトウモロコシ畑など彼の読者である子供たちの身近な事象を組み合わせた<ref name="Delaney">{{cite journal |last=Delaney |first=Bill |date=March 2002 |title=The Wonderful Wizard of Oz |publisher=[[::en:Salem Press|Salem Press]] |url=http://salempress.com/store/samples/classics_of_science_fiction_and_fantasy_literature/classics_of_science_fiction_and_fantasy_literature_the_wonderful_wizard_of_oz.htm |accessdate=November 25, 2010 |archiveurl=http://www.webcitation.org/5uWBcUewP |archivedate=November 25, 2010 }}</ref>。 |
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=== アメリカン・ファンタジー・ストーリー === |
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カンザス州やオマハなど具体的なアメリカの地名が出てくることから、『オズの魔法使い』はアメリカ初のおとぎ話とされている。ボームは、多くの挿絵のある児童文学が子供には重要であると考えるキャロルのような作家に賛同するが、農業や産業などアメリカを想起させるものを織り込むことを望んでいた<ref>Riley, Michael. "Oz and Beyond, The Fantasy World of L. Frank Baum". Lawrence, University of Kansas Press, 1997, p. 51.</ref>。 |
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=== ボームの人生 === |
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この作品の登場人物、ディテール、アイデアの多くはボームの経験に基づいている。子供の頃ボームはしばしば農場でカカシに追い回される悪夢を見ていた。「ボロボロの干し草でできた指」が彼の首を掴もうとしたその瞬間に崩れていくのだ。数十年後、大人になったボームは彼の苦悩を登場人物のカカシとして物語に入れ込んだ<ref name="Gourley7">{{Harvnb|Gourley|1999|p=7}}</ref>。息子のハリーによると、ブリキの木こりは窓の飾りから生まれた。彼は窓に何か魅力的なものを飾りたく、スクラップから電子部品を組み合わせて風変わりな形を作った。湯沸かし器で体を、排気管で腕や足を、フライパンで顔を作った。ボームはその後煙突の上部につけるファンネル・ハットを上部にかぶせると最終的にブリキの木こりの形になった<ref name="Carpenter43">{{Harvnb|Carpenter|Shirley|1992|p=43}}</ref>。石油王であった[[ジョン・ロックフェラー]]は自身の製油所の石油を売るため[[スタンダード・オイル]]の自身の持ち株を減らし、同じ石油業界にいたボームの父のある意味「敵」であった。ボーム研究者のエヴァン・I・シュワルツはロックフェラーを魔法使いの一面に描かれていると語った。物語の1シーンで魔法使いが「横暴なハゲ」であるという記述がある。ロックフェラーが54歳の頃、脱毛症にかかり頭の毛が全てなくなり、人々は彼に話しかけるのを怖がっていた<ref name="Schwartz87–89">{{Harvnb|Schwartz|2009|pp=87–89}}</ref>。 |
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1880年代初頭、ボームが所有していたオペラ・ハウスが「オイル・ランプが垂木に引火して炎がゆらめき」火事で焼失したことから劇作品『''Matches'' 』が執筆された。研究者のエヴァン・I・シュワルツはカカシの深刻な恐怖を表現する「世界で一番恐ろしいものは火のついたマッチ」という台詞に表れていると語った<ref name="Schwartz75">{{Harvnb|Schwartz|2009|p=75}}</ref>。 |
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1890年、ボームは[[ダコタ準州]](現[[サウスダコタ州]])の[[アバディーン (サウスダコタ州)|アバディーン]]に住んで干ばつを経験し、アバディーンの『サタデー・パイオニア』に、馬が食べている木片が芝生でできていると信じている農民が馬に緑のゴーグルをかけさせていることに関する機知にとんだコラム『''Our Landlady'' 』を執筆した<ref name="Culver1988-page102">{{Harvnb|Culver|1988|p=102}}</ref>。これと同様に魔法使いはエメラルドの都の住民たちに緑のゴーグルをかけさせ街がエメラルドでできていると信じさせている<ref name="Hansen261">{{Harvnb|Hansen|2002|p=261}}</ref>。 |
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陶器のセールスマンでもあったボームは第20章に陶器について記載している<ref name="Hansen261"/>。 |
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アバディーンでの短期滞在の間、多くの[[アメリカ合衆国西部]]についての噂の広がりが続いた。しかし西部は魔法の国となる代わりに干ばつと不況で荒地となった。1891年、ボーム一家はサウスダコタから[[シカゴ]]に転居した。当時シカゴは1893年に開催される万国博覧会に向けて準備中であった。研究者のローラ・バレットはシカゴはカンザスよりもオズに似ていると語った。西部の莫大な金脈についての噂が事実無根だと判明した後、ボームはオズの中にアメリカのフロンティアを作り出した。多くの敬意を表して執筆されたボームの創作は、西部が当時まだ未開拓であったことも含めて実際のフロンティアに似ていた。農民のマンチキンとドロシーは物語の始めの方で出会い、ウィンキーとは後半で出会う<ref name="Barrett154–155">{{Harvnb|Barrett|2006|pp=154–155}}</ref>。 |
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ボームの妻モードは姉ヘレンの娘である姪のドロシー・ルイズ・ゲイジにしばしば会いに行っていた。この幼子は難病を患い、1898年11月11日、月齢5ヶ月で脳充血により亡くなった。ボームとモードには娘がおらず、モードはドロシーを娘のように可愛がっていたためドロシーが亡くなるとモードは酷く落胆し、薬を必要とするほどであった<ref name="Taylor208">{{Harvnb|Taylor|Moran|Sceurman|2005|p=208}}</ref>。妻の悲嘆を和らげるため、ボームは『オズの魔法使い』主人公の少女にドロシーと名付けた<ref name="Wagman-Geller39–40">{{Harvnb|Wagman-Geller|2008|pp=39–40}}</ref>。ヘンリー叔父はモードの父であるヘンリー・ゲージをモデルにした。花屋を操業していたヘンリーは、モードの母でヘンリーにとっての恐妻[[マチルダ・ジョスリン・ゲージ]]に頭が上がらなかったが、近所の住民たちからは尊敬されていた。父ヘンリーと同様にヘンリー叔父は「厳格で真面目で無口」であり「従順でよく働く男」として描かれている<ref name="Schwartz95">{{Harvnb|Schwartz|2009|p=95}}</ref>。物語中の魔女たちはマチルダが行っていた魔女狩り研究の影響を受けている。魔女を追い込む残酷な仕打ちはボームを恐怖に陥れた。東西の魔女2人の死はこれを隠喩している<ref name="Schwartz97–98">{{Harvnb|Schwartz|2009|pp=97–98}}</ref>。 |
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ボームは転職、転居を繰り返したため多くの人々と出会い、彼の人生で経験した多くの出来事から物語の着想を得た<ref>Schwartz, 2009, p.xiv.</ref>。物語の導入部でボームは「ハラハラ、ドキドキの物語で、胸の痛みや悪夢は消え去り、現代のおとぎ話となることを望む」と記されている<ref>Baum,Lyman Frank. "The Wonderful Wizard of Oz". Harpers Collins, 2000, p. 5.</ref>。これらはボームが『オズの魔法使い』の着想を得たもののほんの一部である。 |
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=== デンスロウからの影響 === |
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オリジナルの挿絵を描いたW.W.デンスロウも物語に影響を与え、物語をよりわかりやすくしている。ボームとデンスロウは良い仕事仲間で、文章と挿絵で物語を共に作り上げた。物語の中でも色彩は重要であり、章ごとにテーマカラーが違っていた。ボームが文章で表現していない部分でもデンスロウはその特徴を表現した。例えばエメラルドの都の門や住宅を描く際、文章には登場しない国民の姿も描いた。デンスロウ降板後のオズ続編作品では[[ジョン・R・ニール]]が挿絵を描いたが、デンスロウと同様に一般市民も描いた<ref>Riley 1997, p.42.</ref>。 |
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=== 19世紀のアメリカ === |
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{{See also|オズの魔法使いの政治的解釈}} |
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この物語が政治的[[アレゴリー]]を意図するという決定的証拠は見つかっていない。1960年頃、歴史家ランジット・S・ディゲは事実上誰もそんな解釈はしていないと記した<ref name="Dighex">{{Harvnb|Dighe|2002|p=x}}</ref>。1964年、高校教師のヘンリー・リトルフィールドが学術誌『アメリカン・クォータリー』に『オズの魔法使い: 大衆主義の寓喩』を執筆し<ref name="Dighe2">{{Harvnb|Dighe|2002|p=2}}</ref>、19世紀後期の金融政策に関する[[金銀複本位制]]論争のアレゴリーを含んでいると断言した<ref name="Littlefield50">{{Harvnb|Littlefield|1964|p=50}}</ref>。 |
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ボームは周囲から物語の着想を得ただけでなく、当時問題が解決していたアメリカのユートピアをオズに表現していた。ユートピアとおとぎ話の国はそれほど違いがない<ref>{{cite book|last1=Hearn|first1=Michael Patrick|title=The Wizard of Oz|date=1983|publisher=Schocken Books|location=New York|isbn=0805238123|pages=146–147|edition=1st}}</ref>。ボームはより良い社会を作るには想像力が不可欠と信じていた。オズ・シリーズの後期の本でボームは「想像と夢は世界を改善に導く。想像力豊かな子供は創造や発明の得意な想像力豊かな大人になり市民を導いていくだろう」と記した<ref>{{cite book|last1=Baum|first1=L. Frank|title=The Lost Princess of Oz|date=1917|publisher=Reilly & Britton|location=Chicago|page=13}}</ref>。またこの過程でボームは現代のおとぎ話としての『オズの魔法使い』はオズを19世紀後期から20世紀初頭の言及や問題解決を表現するアメリカのユートピアとしてオズを描いている。 |
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オズ王国はアメリカに類似している。東西南北の4つの国があり、首都はエメラルドの都である。アメリカおよび国民は[[アメリカ合衆国中西部|中西部]]、[[アメリカ合衆国南部|南部]]などに分割される。19世紀、これらの地域によって表現する色が違っていた<ref>{{cite book|last1=Dighe|first1=Ranjit S.|title=The Historian's Wizard of Oz|date=2002|publisher=Praeger|location=London|isbn=0275974189|page=126}}</ref>。[[アメリカ合衆国東部|東部]]は工業地帯の[[ブルーカラー]]から青、南部は[[赤土]]や[[レッドネック]]から赤、[[アメリカ合衆国西部|西部]]は[[カリフォルニア州]]の[[ゴールドラッシュ]]から黄色で表現されていた。そしてエメラルドの都となる[[ワシントンD.C.]]は紙幣の色から緑で表現される。 |
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物語の悪役は東西の悪い魔女である。悪い魔女たちは市民を魔法にかけ奴隷のように扱う。良い魔女と悪い魔女の力関係はほぼ同等で、このバランスがオズが変化なく続くか発展するかに関わってくる。この関係はアメリカの支持政党に関連付けられる。西の悪い魔女は発達した鉄道、石油王、そして自然豊かな西部に表現される。19世紀、西部は軍事色が強かったが自然が豊かでそして干ばつ被害も甚大であった。これは火事や竜巻よりも被害が大きく、その年の収穫に大きな影響が出る。そのため西の悪い魔女を殺す武器として水が引用されている。魔女の遺体の茶色の塊は大きな嵐の後の泥に類似している。ドロシーは水たまりの上を歩くが、溶けた魔女の跡のある床を掃除する。 |
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東の悪い魔女は農業従事者を圧迫する[[ウォール街]]など東部の経済、工業を表現しているとされている<ref name="Littlefield full">{{Harvnb|Littlefield|1964}}</ref>。19世紀、東部の工業労働者が重労働を課せられていたように、東の悪い魔女は国民を奴隷のように扱う。ドロシーが東の悪い魔女を殺すと、力のバランスが変わってくる。貨幣価値および投資が下がって以降、[[人民党 (アメリカ)|人民党]]は国を金銀複本位制に向かわせた。労働者階級および貧困農民は債務負担を減らすため[[金本位制]]から遠ざかった。人民党は南部や中西部の小作人と北部の労働者階級の賛同を目指した。 |
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物語冒頭でドロシーは農場からオズへ竜巻で飛ばされるが、しばしばこの時代の銀の自由鋳造と比較される<ref name="Dighe2"/>。黄色のレンガ道は金銀複本位制を、ドロシーを居心地の良い場所へ連れていってくれる銀の靴は人民党の金銀複本位制への方針を表現している。オズは金を量るのに使用される[[オンス]]の略字である<ref name="Littlefield55">{{Harvnb|Littlefield|1964|p=55}}</ref>。ドロシーとカカシが森を歩き始めると、道がデコボコであるためにカカシが何度もつまづいて転ぶ。黄色のレンガ道でカカシが転ぶのは、デフレにより農民が損害を被ることに類似している。ドロシーが簡単に歩き回るのは、いかに金銀複本位制を進めるかを披露している。たとえ金が少なくとも、[[バイメタル]]の他の金属の方が安く手に入り、デフレを回避することができる<ref>{{cite book|last1=Dighe|first1=Ranjit S.|title=The Historian's Wizard of Oz|date=2002|publisher=Praeger|location=London|isbn=0275974189|page=57|edition=1st}}</ref>。全体を通して登場人物の多くが銀の靴の魔力を知らない。ドロシーが南の良い魔女グリンダに会うまで、銀の靴がカンザスに帰らせてくれる力を持っていることを全く知らないのである。ボームは金銀複本位制が経済危機を解決することなど誰も知らないということを暗示していた可能性がある。ドロシーがかかとを3回鳴らすとカンザスへ帰れるのだが、「空中を飛んでいる最中、銀の靴が砂漠に脱げ落ち二度と見つからなかった」。銀の靴がなくなったことは、1900年に金銀複本位制が次第に衰えていく様子に類似している。 |
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魔法使いはオズ王国の国王で、19世紀の[[アメリカ合衆国大統領]]と類似している<ref name="Littlefield full"/>。「全ては皆のために」が原則でありながら、政治家は多面的であると考えられている。偉大なるオズの魔法使いは謁見者と個々に、それぞれに合った容貌に変身して会う。魔法使いに願いを叶えてもらうために一行が再度戻ってくると、魔法使いというのはまやかしで、民衆が偉大だと信じていたのは単なる「普通の男」であることが判明する。カカシは彼を詐欺師と呼ぶと、魔法使いは悪びれもせずその通りだと語る。19世紀の政治家たちと同じように魔法使いは約束を守ることができない。のちに魔法使いは「どうして詐欺師になったかというと、皆ができないことを私がやることができたから」とし、皆が騙されることを望んだから騙したのだと語った。 |
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エメラルドの都に向かう途中、ドロシーは農民の象徴であるカカシと出会う。カカシは頭にわらが詰まっていて脳がないことから自分をばかだと思い込んでいる。出版の4年前の1896年、シカゴ出身ジャーナリストのウィリアム・アレン・ホワイトは『カンザスの何が問題か』という記事を書いた。この中でホワイトは西部の農民は無知で怠惰で経営能力がないことを暗示し、アメリカには[[ホワイトカラー]]や頭脳はあまり必要ないとなぜカンザスの人々は不満と皮肉を込めて応えるのかと疑問を呈した<ref>{{cite news|last1=White|first1=William Allen|title=What's the Matter With Kansas|url=http://projects.vassar.edu/1896/whatsthematter.html|accessdate=April 14, 2015|work=Emporia Gazette|year=1896}}</ref>。カカシは自分は脳がなく劣っていると打ち明ける。同年ホワイトは[[1896年民主党全国大会|民主党全国大会]]での[[ウィリアム・ジェニングス・ブライアン]]の有名な''[[::en:Cross of Gold speech|Cross of Gold speech]]'' の記事を執筆した。ブライアンは農民のために戦い、ホワイトの記事の「農民は夜明け前に始まり1日中疲弊し、春に始まり夏中疲弊しているが、国が富を作り出す天然資源として脳と筋肉を備えることにより、穀物の値段を決める商務省の労働者と同等となる」という内容と同じように主張した<ref>{{cite journal|last1=Bryan|first1=William Jennings|title=Cross of Gold Speech: Mesmerizing the Masses|journal=Official Proceedings of the Democratic National Convention Held in Chicago, Illinois July 7, 8, 9, 10, 11 1896}}</ref>。ブライアンがアメリカの農民を評価しているように、ボームは物語全体を通してのカカシの行動により、彼は本当は賢く能力があると表現している。この物語の最後にある通り、「農業は国にとって重要」であり農民の政治的可能性が明らかになり、無知であるという前提を覆させた。 |
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次にドロシーが黄色のレンガ道で会うのは亡き東の悪い魔女からいたぶられてきたブリキの木こりである。彼は生身の人間であった時にマンチキンの少女と家庭を作るための資金を得ようと重労働していた。魔女が斧に魔法をかけ、手足が切断され最終的には体もなくなる。切断されるたびにブリキ職人がブリキで補修しており体全体がブリキとなった時には心を入れ忘れたためもう人を愛せなくなってしまう。ブリキの木こりは東部の労働者階級を表現している。19世紀、労働者は機械を動かし続けなければいけなかった。東の悪い魔女は「人間でなく単なる労働者となったのだから機械のようにより速くよりいい仕事をやるがいい」と罵る<ref name="Littlefield full"/>。ブリキの木こりは雨に打たれて錆びつき、約1年そのままの形で固まってしまい、ドロシーが関節に油をさして彼はようやく動けるようになる。ブリキの木こりが固まっていた1年間は、1893年から1897年の[[1893年恐慌|恐慌]]の東部の労働者階級の失業期間を表現している。経済復興期の[[グロバー・クリーブランド]]大統領の冷酷な拒否同様、ブリキの木こりが助けを求めても誰の耳にも届かない<ref name="Littlefield full"/>。ブリキの木こりは1年間固まっていたが、その間人生を考えるいい機会となった。この頃、彼は「これまでなくした最大のものは、心」であり、それなくして人を愛することができないことがわかる。ボームは東部の労働者階級が家族をかえりみず働き続けたことをブリキの木こりで表現している。19世紀の[[進歩主義 (政治)|進歩主義]]の一部は、アメリカの生活の中心である家族の再構築であった。東の悪い魔女の暴言は19世紀後期から20世紀初頭にかけてのウォール街や東部の大企業での実態を描写している。 |
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最後に一行に参加したのは臆病なライオンである。人民党の著名な政治家[[ウィリアム・ジェニングス・ブライアン]]をモデルにしたとされている。6フィート(183cm)でガッチリしていた彼は心優しいことで知られていたが、熱弁家でライオンの吠え方に例えられた<ref>{{cite book|last1=Dighe|first1=Ranjit S.|title=The Historian's Wizard of Oz|date=2002|publisher=Praeger|location=London|isbn=0275974197|page=61}}</ref>。物語を通してボームはカカシなど共感しやすい大衆向けキャラクターが多い中、ブライアンを臆病に描いたことは奇妙であるとされる<ref>{{cite book|last1=Dighe|first1=Ranjit S.|title=The Historian's Wizard of Oz|date=2002|publisher=Prager|location=London|isbn=0275974197|page=67}}</ref>。しかし19世紀後期、[[アメリカ帝国]]時代が始まり、スペインからグアム、プエルトリコ、フィリピンのような国々の支配を奪うのに苦慮していた。1898年の[[米西戦争]]におけるブライアンの非暴力、反帝国主義はしばしば非国民または臆病と批判された。ボームは批判を一旦受け入れ、ブライアンに向けた。ライオンは百獣の王だが、人の目を気にせずに無駄な争いに参入せず静観する勇気がある。臆病なライオンとブリキの木こりの関係性はブライアンと東部の労働者階級の関係性に類似している。彼らが出会った時、臆病なライオンはブリキの木こりに鋭い爪で引っ掻こうとするが、木こりが道に倒れている間、臆病なライオンはそのブリキ自体に驚く。これは1896年の[[1896年アメリカ合衆国大統領選挙|大統領選挙]]において、東部の労働者階級が雇用主による[[ウィリアム・マッキンリー]]へ投票するようにとのプレッシャーからブライアンが得票できなかったことに言及している<ref name="Littlefield full"/>。ブライアン自身も「選挙キャンペーン中、直接的あるいは間接的に、マッキンリーへの投票の強制を感じていた」と語った<ref>{{cite book|last1=Bryan|first1=William Jennings|title=The First Battle|date=1897|publisher=Thomson Publishing|location=Lincoln|pages=617–618}}</ref>。ただし単に労働者階級に印象を残せなかっただけという意見もある。ブライアンの吠え方が東部の労働者階級に印象を残せなかったのと同様に、臆病なライオンの爪はブリキの木こりに傷をつけることもなかった。 |
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ボームのおとぎ話は19世紀後期から20世紀初頭にかけてのアメリカにおける多くの解釈がなされている。ドロシーの忠実な仲間であるトトはお酒を飲んだことのない「''Teetotaler'' 」に例えられる<ref>{{cite book|last1=Dighe|first1=Ranjit S.|title=The Historian's Wizard of Oz|date=2002|publisher=Praeger|location=London|isbn=0275974197|page=45}}</ref>。禁酒法支持者はアルコールの摂取は違法であるべきだとみなし、19世紀後期、人民党と長年関連していた。この旅においてトトはドロシーの後ろを「真面目に」(「''Soberly'' 」は「しらふ」の意味も持つ)駆けていた。プレーンズ・インディアンと類似している飛ぶ猿はかつて自由民であったが、西の悪い魔女に奴隷のように扱われている。彼らを統治する者によって悪者になったり良い者になったりするが、彼らは単に国に所属しているためその地を離れることはできず、そのためアメリカン・インディアンに例えられる<ref name="Littlefield full"/>。西の国に住むイエロー・ウィンキーはゴールドラッシュの時代にカリフォルニア州で劣悪な環境で奴隷のように働かされていたアジア人労働者を表現したとされる<ref name="Littlefield full"/>。オズの国に入る前にエメラルドの輝きで目が眩むのを防ぐためにサングラスをかけさせるのは魔法使いと同様にまやかしである。エメラルドの都は実際はエメラルドでできたわけではなく単なる白い街で、緑色のグラスを通して見るため全てがエメラルド色になるのである。これは色眼鏡で見ると、見たままを信じてしまうことを表現している。ボームは全米を旅し、19世紀の様々な事件事故を知り、彼の周りから着想を得て物語が完成した。 |
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ボームの現代的おとぎ話である『オズの魔法使い』は東西の悪い魔女が死に、ドロシー、トト、魔法使いがアメリカに戻るところで終わる。カカシはエメラルドの都の当主を引き受け、農民が国にとって重要であることを示した。ブリキの木こりは西の国に産業をもたらした。臆病なライオンはブライアンが少数の政治家を率いていたように森の守り神となった<ref name="Littlefield full"/>。 |
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リトルフィールドの主張は同意する者もあるが、激しい反対にも遭っている<ref>David B. Parker, "The Rise and Fall of The Wonderful Wizard of Oz as a Parable on Populism," Journal of the Georgia Association of Historians, 15 (1994), pp. 49–63.</ref><ref>[http://www.scribd.com/doc/29011747/Setting-the-Standards-on-the-Road-to-Oz Setting the Standards on the Road to Oz, Mitch Sanders, The Numismatist, July 1991, pp 1042–1050]</ref><ref>{{cite web | url=http://turnmeondeadman.org/OZ/Responses.php | archiveurl= http://archive.is/P3AUA | deadurl= yes | archivedate= April 16, 2013 | title=Responses to Littlefield – The Wizard of Oz | accessdate= October 29, 2013 }}</ref>。 |
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==== 他の政治的解釈 ==== |
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この作品は児童文学であると同時に、19世紀末のアメリカ経済に関する[[寓話]]とも解釈されることがあり、歴史学者、経済学者や文学者等が政治的解釈を述べているが、読者および批評家の多くは物語をそのまま楽しんできている。ボームは1890年代に政治的に活動はしたが、本作品の政治的解釈については、否定も肯定もしていない。 |
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経済学者の[[グレゴリー・マンキュー]]は、[[マクロ経済学]]の教科書で『オズの魔法使い』は銀貨鋳造論争を背景にして書かれた童話だと記している<ref>岩田規久男 『日本経済にいま何が起きているのか』 東洋経済新報社、2005年、17頁。</ref>。 |
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1880年から1886年にかけて、アメリカ経済は23%もの[[デフレーション]]を経験した。 当時の[[アメリカ合衆国西部|西部]]の農民達のほとんどが、[[アメリカ合衆国東部|東部]]の銀行からの借金で開拓を行っていたが、デフレーションの発生は借金の実質的価値を増大させ、西部の農民は苦しみ、東部の銀行が何もせずに潤うという事態が発生した。 当時の人民主義派はこの問題について、不足する貨幣供給量を銀貨の自由鋳造で賄うことで解決するべきだと主張した([[リフレーション]]政策)<ref>[http://blogs.jp.reuters.com/blog/2011/04/19/%e3%82%aa%e3%82%ba%e3%81%ae%e9%ad%94%e6%b3%95%e4%bd%bf%e3%81%84%e3%81%a8%e9%87%91%e8%9e%8d%e6%94%bf%e7%ad%96/ オズの魔法使いとリフレ政策]Reuters 2011年4月19日</ref>。 |
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銀と金、金本位体制を巡っての論争は1896年の[[アメリカ合衆国大統領選挙|大統領選挙]]において最も重要な論点となったが、[[民主党 (アメリカ)|民主党]]は銀貨の採用を主張し、[[共和党 (アメリカ)|共和党]]はあくまでも金本位制にとどまることを主張した。 |
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経済史家[[ヒュー・ロッコフ]](Hugh Rockoff)の記述<ref>ROCKOFF, H., 1990, The Wizard of Oz as a Monetary Allegory, in Journal of Political Economy 98 (August 1990) pp 793-60</ref>では、 |
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* ドロシー:アメリカの伝統的価値観 |
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* トト:禁酒党(Teetotalers) |
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* かかし:農民 |
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* ブリキの木こり:工場労働者 |
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* マンチキン:東部市民 |
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* 臆病なライオン:1896年民主党大統領候補[[ウィリアム・ジェニングス・ブライアン]] |
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* 東の悪い魔女:第24代大統領[[グロバー・クリーブランド|グローヴァー・クリーヴランド]] |
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* 西の悪い魔女:第25代大統領[[ウィリアム・マッキンリー]] |
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* 魔法使い:共和党議長[[マーク・ハナ]] |
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* オズ:金の単位[[オンス]]の略号(OZ) |
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* 黄色いレンガ道:金本位体制 |
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: ドロシーは最後に、家に帰る道を見つけるが、黄色いレンガ道をたどるだけでは見つからなかった。ドロシーは魔法使いオズが役に立たない代わりに、自分の『銀の靴』{{refn|group=nb|ちなみに靴は原作は銀であるが、映画版では視覚的効果を狙って'''[[ルビー]]の靴'''に置き換えられている。}}に魔力があることを知る。 |
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: 結局、民主党は大統領選挙に敗れ、金本位制は維持されることになったが、1898年に[[アラスカ州|アラスカ]]の[[クロンダイク川]]で金が発見され、また、[[カナダ]]や[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]の金の採掘量も増え、結果的に貨幣供給量は増大し、デフレは解消されて[[インフレーション|インフレ]]傾向となり、農民は借金を容易に返せるようになった。 |
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としている。 |
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もっとも、ボームに関する伝記作家や研究者は、そうした政治的解釈には否定的である。この作品の出来た背景についての詳細がボーム自身の日記に残されている上、ボームは時に政治的ではあっても、そうした比喩による現代風刺には無関心だったからである(もっとも高い知名度ゆえに、ドロシーたちは新聞の風刺漫画のネタに度々使われてはいたが)。時に皮肉と解釈されることもあるが、本作の序文でも「ただ今日の子供を喜ばせる為に書いた」と明言している。 |
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先のヒュー・ロッコフの説については、ボームがその政治活動においてシルバリズム(silverism)に反対するメンバーの一員であり、アメリカ経済に関して共和党の考えに賛同していたという反論が、歴史家デビッド・B・パーカーになされている。<ref>The Rise and Fall of The Wonderful Wizard of Oz as a Parable on Populism (1994) </ref>ちなみに黄色いレンガの道に関しては、由来となった建物がボームの別荘がある[[ミシガン州]]内の公園に実在する。 |
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== 版 == |
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1902年のジョージ・M・ヒルの破産後、この物語の版権はボブス・メリル・カンパニーに移った。版権移行後の版は色付き文字や挿絵の色彩に欠けるものとなった。1956年にパブリックドメインとなるまで、オリジナルの色彩の再現、新たな挿絵、追加など新版が出ることはなかった。それ以降では1896年、ベアリー・モザーの挿絵によるペニーロイヤル版が有名で、その後カリフォルニア大学出版により増刷された。2000年、オリジナルの色彩の挿絵やデンスロウによる追加の画像などが含まれW.W.ノートンから出版されたマイケル・ペイトリック・ハーン編集の『''Annotated Wizard of Oz'' 』なども有名である。他に100周年を記念したマイケル・マカーディの白黒の挿絵によるカンザス出版大学の『カンザス100周年版』やロバート・サブダの[[飛び出す絵本]]などがある。 |
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== 続編 == |
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[[アメリカ合衆国|アメリカ]]・[[カンザス州]]に暮らす少女ドロシー(Dorothy)は[[竜巻]]に家ごと巻き込まれて、飼い犬のトト(Toto)と共に不思議な「オズの国」(Land of Oz)へと飛ばされてしまう。途中で脳の無いカカシ・心の無いブリキの木こり・臆病なライオンと出会い、それぞれの願いを叶えてもらうため「エメラルドの都」(Emerald City)にいるという大魔法使いの「オズ」([[:en:Wizard of Oz (character)|Wizard of Oz]])に会いに行く。 |
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{{See also|オズの本一覧}} |
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ボームは『オズの魔法使い』を書いた時点では続編のことを全く考えていなかった。この物語を読んだ何千もの子供たちが彼にオズについての別の話を作るようリクエストする手紙を送った。1904年、彼は渋々ながらも期待に応えて初の続編『オズの虹の国(''[[::en:The Marvelous Land of Oz|The Marvelous Land of Oz]]'' )』を執筆して出版した<ref name="Littlefield47–48">{{Harvnb|Littlefield|1964|pp=47–48}}</ref>。1907年、1908年、1909年にもさらなる続編を執筆した。1911年の『オズのエメラルドの都(''[[::en:The Emerald City of Oz|The Emerald City of Oz]]'' )』では、オズの国が他の国との接触をなくしたため彼はそれ以降の続編を執筆することができなくなった。子供たちはこの物語を受け入れることができず、そのため1913年以降ボームが亡くなる1919年5月までボームは毎年続編を執筆し続け、最終的にその続編は13冊になった。『シカゴ・トリビューン』のラッセル・マクフォールによると、ボームは1897年に姉妹のメアリー・ルイズ・ブリュウスターのためにノートに[[マザー・グース]]の傑作選を書いたのが始まりであった。「子供を喜ばせることは心が温かくなり、自分のためにもなる」<ref name="MacFall"/>。1919年に彼が亡くなってから、ボームの出版社は[[ルース・プラムリー・トンプソン]]に以降の続編を委託し、彼女は21冊を執筆した<ref name="Delaney"/>。1913年から1942年の間、毎年クリスマスに『オズの魔法使い』が出版されていた<ref name="WatsonBruce">{{cite journal |author=Watson, Bruce |year=2000 |title= The Amazing Author of Oz |journal=[[::en:Smithsonian (magazine)|Smithsonian]] |volume=31 |issue=3 |page=112 |issn=00377333 |publisher=[[Smithsonian Institution]] }}</ref>。1956年まで、オズ・シリーズは英語圏だけでも500万部を売り上げ、8カ国語圏内で何十万部も売り上げた<ref name="MacFall"/>。 |
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== オズ・シリーズ == |
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=== ライマン・フランク・ボームの作品 === |
=== ライマン・フランク・ボームの作品 === |
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* 1. 「オズの魔法使い」 (The Wonderful Wizard of Oz)[[1900年]] |
* 1. 「オズの魔法使い」 (The Wonderful Wizard of Oz)[[1900年]] |
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** 40. Merry-Go-Round in Oz [[1963年]] |
** 40. Merry-Go-Round in Oz [[1963年]] |
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== |
== 文化的影響 == |
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『オズの魔法使い』は<!--『[[ナルニア国物語]]』、『[[ホビットの冒険]]』、『[[指輪物語]]』、『[[ハリー・ポッター・シリーズ]]』など{{citation needed|date=August 2011}}-->多くのファンタジー小説や映画に影響を与えた。50カ国語以上に翻訳され、その土地に合った改訂が加えられることもある。インドでは短縮版になり、ブリキの木こりは蛇に置き換えられた<ref>{{cite speech |title=Follow the yellow brick road to... |last=Rutter | first=Richard |date=July 2000 | location=Indiana Memorial Union, Indiana University, Bloomington, Indiana <!-- see [[User talk:Karenjc/Archive 1#Wizard of Oz]]--> |url=http://web.archive.org/web/20000610131638/www.geocities.com/~ozfan/ozcenten.htm}}</ref>。ロシアではアレキサンダー・ヴォルコフが翻訳して『エメラルドの都の魔法使い』シリーズ5冊を出版し、魔法の国をエリーと犬とトトシュカが旅するなどボーム版とはかけ離れたものとなった。 |
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1939年の映画『[[オズの魔法使]]』はポピュラー・カルチャーのクラシックとして、1959年から1991年の間、アメリカのテレビで毎年放映され、1999年からは毎年何度か放映されている<ref>[http://www.loc.gov/exhibits/oz/ozsect2.html ''To See The Wizard: Oz on Stage and Film'']. [[Library of Congress]], 2003.</ref>。 |
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1967年、[[ザ・シーカーズ]]は[[ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン]]の『[[歓喜の歌]]』のメロディを使用し、エメラルドの都を訪れる歌詞の『''[[::en:Emerald City (song)|Emerald City]]'' 』をレコーディングした。 |
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1982年、[[フィリップ・ホセ・ファーマー]]は主人公ハンク・ストヴァーがドロシー・ゲイルの息子という設定の『''[[::en:A Barnstormer in Oz|A Barnstormer in Oz]]'' 』を出版した。ストヴァーが自身の飛行機を操行中、巨大な緑の雲に入ってしまい、オズの国に紛れ込んで内戦に巻き込まれる。 |
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1992年、イギリスで[[ジェフ・ライマン]]の小説『''[[::en:Was (novel)|Was]]'' 』が出版された。あまり良いとは言い難いドロシー・ゲールの実生活、[[ジュディ・ガーランド]]の子供時代、映画『オズの魔法使』ファンのゲイの男性、3つの物語を織り交ぜている。2014年、スモール・ビア・プレスから再度出版された。 |
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1995年、グレゴリー・マグワイアは修正主義者がオズの国や登場人物を見つける『''[[::en:Wicked (Maguire novel)|Wicked: The Life and Times of the Wicked Witch of the West]]'' 』を出版した。ドロシーではなく未来の西の悪い魔女となるエルファバに焦点を当てている。『[[インデペンデント]]』紙は「社会に入り込めない、適応できない、圧迫を受けている大人が自分と向き合うことができる」小説と評した<ref name="Christie">{{cite news |title=Wicked: tales of the witches of Oz |author=Christie, Nicola |url=http://www.independent.co.uk/arts-entertainment/theatre-dance/features/wicked--tales-of-the-witches-of-oz-412263.html |newspaper=[[The Independent]] |date=August 17, 2006 |accessdate=February 26, 2011 |archiveurl=http://www.webcitation.org/5wmaaAAsD |archivedate=February 26, 2011 }}</ref>。[[ユニバーサル・スタジオ|ユニバーサル・ピクチャーズ]]はこの小説の映画化権を購入して映画化される予定であった。作詞作曲家スティーブン・シュワルツはその代わりにミュージカル化するようユニバーサルを説得した。シュワルツはミュージカル『[[ウィケッド]]』の作詞作曲をし、2003年10月、ブロードウェイで初演された<ref name="Christie"/>。 |
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2014年、テレビ・ドラマ『[[スーパーナチュラル]]』第9シーズンのエピソード『''Slumber Party'' 』にドロシー・ゲールと西の悪い魔女が登場した。また『[[ワンス・アポン・ア・タイム (テレビドラマ)|ワンス・アポン・ア・タイム]]』にドロシーとグリンダが脇役として登場した。 |
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== 派生作品 == |
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{{Main|オズの魔法使いの派生作品}} |
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[[File:Judy Garland in The Wizard of Oz trailer 2.jpg|thumb|right|ドロシー(ジュディ・ガーランド)とトトが、ここがカンザスではないことに気付く]] |
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『オズの魔法使い』は何度も派生作品が製作されているが、最も著名なものは1939年、[[ジュディ・ガーランド]]、[[レイ・ボルジャー]]、[[ジャック・ヘイリー]]、[[バート・ラー]]が主演する映画『[[オズの魔法使]]』である。それまでも映画『オズの魔法使』ほど有名ではないが、1902年のミュージカル『[[オズの魔法使い (1902年のミュージカル)|オズの魔法使い]]』やサイレント映画3本を含み多くの舞台作品や映画が製作されてきた。1939年の映画はその音楽、特殊効果、新たな[[テクニカラー]]の使用により当時革新的と言われていた<ref name="Twiddy">{{cite news |title='Wizard of Oz' goes hi-def for 70th anniversary |author=Twiddy, David |url=http://jacksonville.com/entertainment/movies/2009-09-23/story/wizard_of_oz_goes_hi_def_for_70th_birthday |newspaper=[[::en:The Florida Times-Union|The Florida Times-Union]] |agency=Associated Press |date=September 23, 2009 |accessdate=February 13, 2011 |archiveurl=http://www.webcitation.org/5wSqKNxSj |archivedate=February 13, 2011 }}</ref>。 |
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様々な国の言語に翻訳され、何度かコミック化もされている。パブリックドメインとなると、登場人物のスピンオフ、非公式続編、再解釈などが製作され、議論の的となることもある。 |
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=== 映画 === |
=== 映画 === |
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; ''[[::en:The Wonderful Wizard of Oz (1910 film)|The Wonderful Wizard of Oz]]'' |
; ''[[::en:The Wonderful Wizard of Oz (1910 film)|The Wonderful Wizard of Oz]]'' |
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* [[オズ・キッズ]] ([[::en:The Oz Kids|The Oz Kids]]) (1995) |
* [[オズ・キッズ]] ([[::en:The Oz Kids|The Oz Kids]]) (1995) |
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== 舞台化 == |
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=== ミュージカル === |
=== ミュージカル === |
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;ザ・ウィズ(''[[::en:The Wiz|The Wiz: The Super Soul Musical "Wonderful Wizard of Oz" ]]'') |
;[[ザ・ウィズ (ミュージカル)|ザ・ウィズ]](''[[::en:The Wiz|The Wiz: The Super Soul Musical "Wonderful Wizard of Oz" ]]'') |
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:[[チャーリー・スモールス]]の作詞・作曲、[[ウィリアム・F・ブラウン]]の脚本によるミュージカル。1974年10月に[[ボルチモア]]にて初演、1975年1月にマジェスティック劇場にて[[ブロードウェイ]]初演<ref name="amon">{{Cite web|url=http://www.theaterguide.co.jp/theater_news/2012/05/24_03.php|title=宮本亜門演出のミュージカル『ウィズ-オズの魔法使い-』が今秋上演 ドロシー役はAKBプロジェクト全メンバーからオーディションで選出|publisher=シアターガイド|date=2012-05-24|accessdate=2015-01-13}}</ref>。『オズの魔法使い』を原作として、アフリカ系のキャストのみにて上演。1975年の[[トニー賞 ミュージカル作品賞|ミュージカル作品賞]]含む[[トニー賞]]7部門を受賞した。1978年に映画化。 |
:[[チャーリー・スモールス]]の作詞・作曲、[[ウィリアム・F・ブラウン]]の脚本によるミュージカル。1974年10月に[[ボルチモア]]にて初演、1975年1月にマジェスティック劇場にて[[ブロードウェイ]]初演<ref name="amon">{{Cite web|url=http://www.theaterguide.co.jp/theater_news/2012/05/24_03.php|title=宮本亜門演出のミュージカル『ウィズ-オズの魔法使い-』が今秋上演 ドロシー役はAKBプロジェクト全メンバーからオーディションで選出|publisher=シアターガイド|date=2012-05-24|accessdate=2015-01-13}}</ref>。『オズの魔法使い』を原作として、アフリカ系のキャストのみにて上演。1975年の[[トニー賞 ミュージカル作品賞|ミュージカル作品賞]]含む[[トニー賞]]7部門を受賞した。1978年に映画化。 |
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:日本では『'''ウィズ〜オズの魔法使い〜'''』と題して、[[宮本亜門]]が翻訳演出、[[増田セバスチャン]]が美術監修、[[仲宗根梨乃]]が振付を担当し、2012年と2015年に公演<ref name="amon"/>。 |
:日本では『'''ウィズ〜オズの魔法使い〜'''』と題して、[[宮本亜門]]が翻訳演出、[[増田セバスチャン]]が美術監修、[[仲宗根梨乃]]が振付を担当し、2012年と2015年に公演<ref name="amon"/>。 |
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|} |
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== ゲーム == |
=== ゲーム === |
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; [[ルングルング オズの魔法使い〜Another World〜]] |
; [[ルングルング オズの魔法使い〜Another World〜]] |
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: [[アフェクト]]開発・販売の[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]用[[アドベンチャーゲーム]]。原作シリーズ14作の要素を、物語随所に散りばめている。 |
: [[アフェクト]]開発・販売の[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]用[[アドベンチャーゲーム]]。原作シリーズ14作の要素を、物語随所に散りばめている。 |
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:[[EX-ONE]]発売の18禁恋愛[[アドベンチャーゲーム]]。登場キャラクターなどの設定が本作をモチーフにしたものである。 |
:[[EX-ONE]]発売の18禁恋愛[[アドベンチャーゲーム]]。登場キャラクターなどの設定が本作をモチーフにしたものである。 |
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== 評価 == |
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== 作品の政治的解釈 == |
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{{Quote box |quoted=true |bgcolor=#FFFFF0 |salign=center | align = right| width = 33% | quote =『オズの魔法使い』の物語の最後は平凡な題材を使用して巧妙に作り上げられている。もちろんこれは素晴らしい物語であるが、子供の読者や、母親から読み聞かせされる幼い子供、あるいは子供を相手にする仕事をしている方に強いアピールがあることを確信する。子供が先天的に持つ、物語を愛する心が育つように思える。また最も親しみやすい本の1つであり、子供はいつも続きを聞きたがる。<br /><br />挿絵の色彩の豊かさも文章に負けず劣らず、その結果現代の平均的な児童書よりもはるかに高い水準となっている。<br /><br />...<br /><br />この物語は明るく楽しい雰囲気を持ち、暴力的な行動は描かれていない。充分な冒険はあるが、趣もあり、普通の子供だったら誰でも物語を楽しめる。|source = 1900年9月8日、『[[ニューヨーク・タイムズ]]』<ref name="1900NYTreview">{{cite news |title=Books and Authors |url=http://query.nytimes.com/mem/archive-free/pdf?res=9D00E2D9153FE433A2575BC0A96F9C946197D6CF |format=PDF |work=[[The New York Times]] |pages=BR12–13 |date=September 8, 1900 |accessdate=November 26, 2010 |archiveurl=http://www.webcitation.org/5uWPkwlMh |archivedate=November 26, 2010 }}</ref>}} |
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この作品は児童文学であると同時に、19世紀末のアメリカ経済に関する[[寓話]]とも解釈されることがあり、歴史学者、経済学者や文学者等が政治的解釈を述べているが、読者および批評家の多くは物語をそのまま楽しんできている。ボームは1890年代に政治的に活動はしたが、本作品の政治的解釈については、否定も肯定もしていない。 |
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『オズの魔法使い』はその出版時から好評を受けている。1900年9月、『[[ニューヨーク・タイムズ]]』紙は子供の読者およびこれまで文字の読めなかった子供にもアピールできるとして称賛した。また挿絵に関しても文章を楽し気に補足しているとして称賛した<ref name="1900NYTreview"/>。 |
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1900年に『オズの魔法使い』が出版されてからの50年間、児童文学の研究者らから批判的な分析をされたことがあった。学術誌『サイエンス・フィクション・スタディーズ』のルース・バーマンによると、子供の読者向けおすすめリストにボームの作品が加わったことはない。研究者にはファンタジーについての懸念があり、また長いシリーズものは文学的メリットが少ないとしてリストから外されている<ref name="Berman504">{{Harvnb|Berman|2003|p=504}}</ref>。 |
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経済学者の[[グレゴリー・マンキュー]]は、[[マクロ経済学]]の教科書で『オズの魔法使い』は銀貨鋳造論争を背景にして書かれた童話だと記している<ref>岩田規久男 『日本経済にいま何が起きているのか』 東洋経済新報社、2005年、17頁。</ref>。 |
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何年もしばしば非難の的になってきた。1957年、[[ミシガン州]][[デトロイト]]の図書館長は在任中、子供に無利益であるとし、また子供を臆病にさせるとして『オズの魔法使い』を禁じ、この作品を批判する者を支援していた。[[ミシガン州立大学]]のラッセル・B・ナイ教授は「オズの本のメッセージが愛、優しさ、思いやりが世界をより良い場所にするということであれば現代ではもう価値がないというのか。デトロイトの図書館の児童文学リストを除いて、多くの良書を見直す時が来たのではないか」と反論した<ref name="Starrett2">{{cite news |title=L. Frank Baum's Books Alive |author=Vincent, Starrett |newspaper=[[Chicago Tribune]] |date=May 12, 1957 |url=http://image2.newsbank.com/img-ctha/clip/1957/05/12/19570512C007270011100005.pdf |accessdate=November 28, 2010 |archiveurl=http://www.webcitation.org/5uZe6bJb8 |archivedate=November 28, 2010 |format=PDF}}</ref>。 |
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1880年から1886年にかけて、アメリカ経済は23%もの[[デフレーション]]を経験した。 当時の[[アメリカ合衆国西部|西部]]の農民達のほとんどが、[[アメリカ合衆国東部|東部]]の銀行からの借金で開拓を行っていたが、デフレーションの発生は借金の実質的価値を増大させ、西部の農民は苦しみ、東部の銀行が何もせずに潤うという事態が発生した。 当時の人民主義派はこの問題について、不足する貨幣供給量を銀貨の自由鋳造で賄うことで解決するべきだと主張した([[リフレーション]]政策)<ref>[http://blogs.jp.reuters.com/blog/2011/04/19/%e3%82%aa%e3%82%ba%e3%81%ae%e9%ad%94%e6%b3%95%e4%bd%bf%e3%81%84%e3%81%a8%e9%87%91%e8%9e%8d%e6%94%bf%e7%ad%96/ オズの魔法使いとリフレ政策]Reuters 2011年4月19日</ref>。 |
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1986年、[[テネシー州]]の[[キリスト教根本主義]]の7家族が『オズの魔法使い』が公立学校の教育要領に含まれているとして訴えた<ref name="Abrams105">{{Harvnb|Abrams|Zimmer|2010|p=105}}</ref><ref name="Culver1988-page97">{{Harvnb|Culver|1988|p=97}}</ref>。彼らは親切な魔女の描写と人間の不可欠な性格を信じることを促すのは神の教えに反すると語った<ref name="Culver1988-page97"/>。ある両親は「我が子を神に反する超自然現象に誘惑されたくない」と語った<ref name="Nathanson301">{{Harvnb|Nathanson|1991|p=301}}</ref>。他に女性が男性と平等で、動物が人間のように話せることなどを問題としていた。裁判官は、もし教室でこの物語の話題が出たら、両親は教室から子供を退室させてもよいと判決を出した<ref name="Abrams105"/>。 |
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銀と金、金本位体制を巡っての論争は1896年の[[アメリカ合衆国大統領選挙|大統領選挙]]において最も重要な論点となったが、[[民主党 (アメリカ)|民主党]]は銀貨の採用を主張し、[[共和党 (アメリカ)|共和党]]はあくまでも金本位制にとどまることを主張した。 |
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フェミニスト作家マージリー・アリアンは「平凡な文体の陳腐で非人間的な駄作」と語った<ref>{{Cite book|first=Margery |last=Hourihan |title=Deconstructing the Hero |page=209 |isbn=0-415-14186-9| oclc=36582073}}</ref>。 |
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経済史家[[ヒュー・ロッコフ]](Hugh Rockoff)の記述<ref>ROCKOFF, H., 1990, The Wizard of Oz as a Monetary Allegory, in Journal of Political Economy 98 (August 1990) pp 793-60</ref>では、 |
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* ドロシー:アメリカの伝統的価値観 |
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* トト:禁酒党(Teetotalers) |
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* かかし:農民 |
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* ブリキの木こり:工場労働者 |
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* マンチキン:東部市民 |
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* 臆病なライオン:1896年民主党大統領候補[[ウィリアム・ジェニングス・ブライアン]] |
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* 東の悪い魔女:第24代大統領[[グロバー・クリーブランド|グローヴァー・クリーヴランド]] |
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* 西の悪い魔女:第25代大統領[[ウィリアム・マッキンリー]] |
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* 魔法使い:共和党議長[[マーク・ハナ]] |
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* オズ:金の単位[[オンス]]の略号(OZ) |
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* 黄色いレンガ道:金本位体制 |
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: ドロシーは最後に、家に帰る道を見つけるが、黄色いレンガ道をたどるだけでは見つからなかった。ドロシーは魔法使いオズが役に立たない代わりに、自分の『銀の靴』<ref>ちなみに靴は映画版では視覚的効果を狙って'''[[ルビー]]の靴'''に置き換えられている。そのため銀製でも間違いではない。</ref>に魔力があることを知る。 |
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: 結局、民主党は大統領選挙に敗れ、金本位制は維持されることになったが、1898年に[[アラスカ州|アラスカ]]の[[クロンダイク川]]で金が発見され、また、[[カナダ]]や[[南アフリカ共和国|南アフリカ]]の金の採掘量も増え、結果的に貨幣供給量は増大し、デフレは解消されて[[インフレーション|インフレ]]傾向となり、農民は借金を容易に返せるようになった。 |
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としている。 |
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2000年、『ホーン・ブック・マガジン』誌のレナード・イヴレット・フィッシャーは「現代よりも固定観念のない時代から不変のメッセージを伝え、心に響き続ける」と記した。また出版されてからの100年で自分を試される差し迫る困難は少なくなってきているとも記した<ref name="FisherLeonard">{{cite journal |author=Fisher, Leonard Everett |year=2000 |title=Future Classics: The Wonderful Wizard of Oz |journal=[[::en:The Horn Book Magazine|The Horn Book Magazine]] |volume=76 |issue=6 |page=739 |publisher=Library Journals |issn=00185078 }}</ref>。 |
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もっとも、ボームに関する伝記作家や研究者は、そうした政治的解釈には否定的である。この作品の出来た背景についての詳細がボーム自身の日記に残されている上、ボームは時に政治的ではあっても、そうした比喩による現代風刺には無関心だったからである(もっとも高い知名度ゆえに、ドロシーたちは新聞の風刺漫画のネタに度々使われてはいたが)。時に皮肉と解釈されることもあるが、本作の序文でも「ただ今日の子供を喜ばせる為に書いた」と明言している。 |
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2002年、『セーラム・プレス』誌のビル・デラニーは、子供たちに日常の平凡なことから不思議な事柄を発見する機会を与えたと評価した。また何百万人もの子供たちに成長期に読書好きにさせてくれたとしてボームを称賛した<ref name="Delaney"/>。 |
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先のヒュー・ロッコフの説については、ボームがその政治活動においてシルバリズム(silverism)に反対するメンバーの一員であり、アメリカ経済に関して共和党の考えに賛同していたという反論が、歴史家デビッド・B・パーカーになされている。<ref>The Rise and Fall of The Wonderful Wizard of Oz as a Parable on Populism (1994) </ref>ちなみに黄色いレンガの道に関しては、由来となった建物がボームの別荘がある[[ミシガン州]]内の公園に実在する。 |
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[[アメリカ議会図書館]]は「『オズの魔法使い』は国内最高で最も愛される国産のおとぎ話となるだろう」と発表し、最初のアメリカのおとぎ話、最も読まれた児童書の1つに認定した<ref>{{cite web |url=http://www.loc.gov/exhibits/oz/ |title=WThe Wizard of Oz: An American Fairy Tale |publisher=[[Library of Congress]]|accessdate=28 November 2015}}</ref>。 |
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== 脚注 == |
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== 関連項目 == |
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2015年11月29日 (日) 16:32時点における版
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オズの魔法使い The Wonderful Wizard of Oz | ||
---|---|---|
初版の表紙 | ||
著者 | ライマン・フランク・ボーム | |
イラスト | W. W.デンスロウ | |
発行日 |
1900年5月17日 | |
発行元 | ジョージ・M・ヒル・カンパニー | |
ジャンル | ファンタジー、児童文学 | |
国 | アメリカ合衆国 | |
シリーズ | オズの本一覧 | |
言語 | 英語 | |
次作 | オズの虹の国 | |
コード | ISBN | |
|
『オズの魔法使い』(オズのまほうつかい、The Wonderful Wizard of Oz )は、ライマン・フランク・ボームが著し、W. W.デンスロウが挿絵を担当した児童文学作品。1900年5月17日、アメリカ合衆国イリノイ州シカゴのジョージ・M・ヒル・カンパニーから初版が出版された。以降何度も再版されたが、1902年のミュージカル『オズの魔法使い』([[::en:The Wizard of Oz (1902 musical)|The Wizard of Oz]] )、オズ作品で最も有名な1939年の映画『オズの魔法使』([[::en:The Wizard of Oz (1939 film)|The Wizard of Oz]] )から『The Wizard of Oz 』という題名が定着した。
アメリカ合衆国カンザス州の農場に暮らす少女ドロシー(Dorothy)が竜巻に家ごと巻き込まれて、飼い犬のトト(Toto) と共に不思議な「オズの国」(Land of Oz)へと飛ばされてしまう話である[nb 1]。この本はアメリカ文学で最もよく知られた本の1つであり、世界中で翻訳されている。アメリカ議会図書館は「アメリカで最も優れ、最も愛されているおとぎ話」と語っている。初版およびブロードウェイ・ミュージカルの成功後、ボームが13冊、ボームの死後に他の作者等がオズ・シリーズ(Oz books)を出版している。
ボームは「親愛なる友人で同志である我が妻(モード・ゲージ・ボーム)に捧ぐ」と記した。1901年1月、ジョージ・M・ヒル・カンパニーは初版の1万部を売り切った。その後300万部を売り上げ、1956年にパブリックドメインとなった。
概要
「マザー・グースの物語」のヒットで童話作家として成功していたライマン・フランク・ボームが、自らが子供たちに語ってきかせた物語を元に書き、1900年5月に出版した。凝った構成によるカラー図版の児童書は当時としては革新的であり、本はたちまち子供たちの心をとらえ、増刷の追いつかない空前の人気作品となった。
出版
1900年5月17日、ボーム自身が手作りした1番最初の本は姉妹のメアリー・ルイズ・ボーム・ブリュスターに贈られた。7月5日から20日にシカゴのパーマー・ハウスで行われたブック・フェアで一般に初公開された。8月1日に著作権を申請し、9月に確立した[1]。ジョージ・M・ヒル・カンパニーから出版され、1900年9月1日には初版1万部が売り切れた。1900年10月までに1万5千部の第二版がほぼ売り切れた[2]。
ボームから兄弟のハリーへの手紙によると、出版者のジョージ・M・ヒルは25万部の売り上げを見込んでいた。当初ヒルはこの本が売れるとは思ったが、これほどの大ヒットになるとは予測していなかった。シカゴ・グランド・オペラ・ハウスのマネージャーのフレッド・R・ハムリンは本のさらなる宣伝を兼ねてミュージカル化を打診し、ボームは脚本の執筆に同意した。1902年6月16日、ミュージカル『オズの魔法使い』が初演された。この作品は大人向けの「ミュージカル大作」として製作され、衣裳はデンスロウの挿絵を基にデザインされた。1901年、ヒルの出版社は破産し、ボームとデンスロウはインディアナポリスのボブス・メリル・カンパニーが出版を引き継ぐことに同意した[3]。
1944年、ボームの息子ハリー・ニール・ボームは『シカゴ・トリビューン』紙に父親は本を書く前に子供たちに話をして聞かせていたと語った。ハリーは父親を、『6ペンスの唄』の黒ツグミがパイの中で焼き込められた理由を的確に述べることができる、これまで出会った人々の中で最も素晴らしい人物だと語った[4]。
1938年まで100万部以上が増刷された[5]。それから20年弱後の1956年には300万部を売り上げた[3]。
あらすじ
アメリカ合衆国カンザス州でエム叔母、ヘンリー叔父、小さな飼い犬のトトと共に少女ドロシーは暮らしている。ある日、ドロシーとトトは竜巻に家ごと巻き込まれて、不思議なオズ王国の中のマンチキンの国へと飛ばされてしまう。落ちた家は、マンチキンたちを独裁していた東の悪い魔女を圧死させる。北の良い魔女がやってきてマンチキンたちと喜びを分かち合い、悪い魔女が履いていた不思議な力を持つ銀の靴をドロシーに授ける。良い魔女はドロシーに家に帰れる唯一の方法はエメラルドの都に行って壮大な魔力を持つオズの魔法使いに頼むことだと語る。ドロシーは旅に出ることにし、北の良い魔女はドロシーを大事故から守るため、おでこにキスして魔法をかける。
黄色いレンガ道を進み、ドロシーはボクという名のマンチキンによるパーティに出席する。翌日ドロシーは棒に引っ掛かったカカシを助け、ブリキの木こりに油をさし、臆病なライオンと出会う。カカシは脳を、ブリキの木こりは心を、ライオンは勇気を手に入れる願いを叶えてもらうため、ドロシーとトトと共に魔法使いに助けを求めにエメラルドの都に向かう。いくつかの冒険を乗り越え、一行はエメラルドの都の門で門番に会うと、街の輝きで目が眩まないように緑の眼鏡をかけるように言われる。1人1人呼ばれ、ドロシーは大理石の王座の上の巨大な頭、カカシは絹の紗に包まれた愛らしい女性、ブリキの木こりは恐ろしい野獣、臆病なライオンは火の玉の形をした魔法使いに会う。魔法使いはもしオズ王国のウィンキーの国を独裁する西の悪い魔女を殺せば全員の願いを叶えると語る。警備員はこれまで誰も西の悪い魔女を倒したことがないと警告する。
西の悪い魔女は望遠鏡になる一つ目で一行が近づくのを見つける。魔女は一行をズタズタに切り裂くため狼たちを送るが、ブリキの木こりが斧で殺す。魔女は一行の目を潰すため野生のカラスを送るが、カカシが彼らの首を折って殺す。魔女は一行を刺すため黒い蜂の群れを集めるが、カカシのわらがドロシー、ライオン、トトを隠し、ブリキには刺さらずに蜂は死ぬ。魔女はウィンキーの兵士たちを送るが、ライオンが直立すると恐れて引き返す。ついに魔女は黄金の冠の力を使い飛ぶ猿を呼び集め、ドロシー、トト、ライオン、カカシを捕まえ、ブリキの木こりをへこませる。魔女はドロシーの銀の靴を手に入れることを企て、ドロシーを自分の専属奴隷にしようとする。
悪い魔女はドロシーを騙して銀の靴の片方を脱がせることに成功する。怒ったドロシーは魔女にバケツの水を思い切りかけると、魔女が溶けてドロシーは驚く。ウィンキーたちは魔女の独裁から逃れることができて喜び、カカシにわらを詰め、ブリキの木こりを修理する。彼らはブリキの木こりに国王となることを頼み、彼はドロシーを無事にカンザスに帰すことができたら引き受けると語る。ドロシーは黄金の冠を見つけ、一行をエメラルドの都に連れていかせるために飛ぶ猿を集める。飛ぶ猿の王は北の魔女ギャヴレットの冠でどうやって自分たちが魔法にかけられるのか説明し、ドロシーはのちに他に2回冠の力を使用することになる。
一行がオズの魔法使いに再会した時、トトが王座の隅のスクリーンを倒してしまうと魔法使いが現れる。彼は平凡な老人の詐欺師で、だいぶ前にネブラスカ州オマハから気球でオズにやってきたと申し訳なさそうに語る。魔法使いはカカシに糠、ピン、針を詰めた頭("a lot of bran-new brains")を、ブリキの木こりにはおがくずを詰めたハート型の絹の袋を、臆病なライオンには勇気が出る薬を与える。彼らは魔法使いの力を信じているため、これらをもらって喜ぶ。魔法使いはドロシーとトトをエメラルドの都から家に気球で連れていくと語る。離陸時、魔法使いはカカシに自分の代わりにオズ王国の統治を任せると語る。トトが子猫を追い掛け、ドロシーがそれを追うと気球は魔法使いのみを乗せて飛び立つ。
ドロシーは再び飛ぶ猿を集めてトトと共に家に飛ぼうとするが、彼らはオズ王国を囲む砂漠を飛び越えることはできないと語る。緑の髭の兵士がドロシーに南の良い魔女グリンダが家に帰らせてくれるかもしれないと助言し、一行はオズのカードリングの国に住むグリンダに会う旅を開始する。道中、臆病なライオンは森の動物たちを脅かす巨大な蜘蛛を殺す。動物たちは臆病なライオンに王になってくれるよう頼み、ドロシーを無事にカンザスに帰したら引き受けると語る。ドロシーはみたび飛ぶ猿を集め、山を越えてグリンダの国へ行く。グリンダは一行に挨拶し、ドロシーが履いている銀の靴こそが望む場所へ連れていってくれると明かす。ドロシーは友人たちと抱き合い、友人たちは黄金の冠を使ってカカシはエメラルドの都へ、ブリキの木こりはウィンキーの国へ、ライオンは森へ、それぞれが新しい国へ行くことになり、黄金の冠は飛ぶ猿の王に与えられる。ドロシーはトトを腕に抱き、かかとを3回合わせ家へ帰ることを唱える。ドロシーは旋回して空中に浮かび、カンザスの平原の芝に転がり、自宅にたどり着く。ドロシーはエム叔母に駆け寄り「また家に帰ることができて良かった」と語る。
挿絵およびデザイン
ボームの友人でコラボレーターであるウィリアム・ウォレス・デンスロウが挿絵を担当し、著作権も共同で所有していた。多くのページに挿絵が施され、色彩豊かで当時にしてはデザインが豪華であった。1900年9月、『グランド・ラピッヅ・ヘラルド』はデンスロウの挿絵は文章ととてもよく合っていると記した。社説ではもしデンスロウの挿絵がなければ読者はドロシー、トト、他の登場人物を容易に想像することができなかっただろうと述べた[6]。
この個性的な挿絵は当時模倣する者も多く、最も有名なものは『オズ』のデザインや挿絵を模倣したエヴァ・キャサリン・ギブソンの『Zauberlinda, the Wise Witch 』(賢い魔女ゾバリンダ)であった[7]。書体は当時新しかったモノタイプ・オールド・スタイルであった。デンスロウの挿絵は許可を得て製作された多くのグッズで多くみられた。カカシ、ブリキの木こり、臆病なライオン、魔法使い、ドロシーはゴムや金属の人形が作られた。衣類、装飾品、ロボット、石鹸なども作られた[8]。
1944年、イヴリン・コプルマンの挿絵による新版が登場した[9]。デンスロウの挿絵を基にしたこの挿絵は称賛されたが、著名な1939年の映画『オズの魔法使』により似ていた[10]。
イメージおよびアイデアの元
ボームはグリム兄弟、アンデルセンから影響を受けていることで知られ、ボームが編集した『アメリカン・フェアリー・テイルズ』にも彼らの作品からホラー要素を外したものがおさめられている[11]。
オズ王国などの地
伝説の田舎町であるエメラルドの都として知られるオズはボームが夏季に滞在していたミシガン州ホランド近くのキャッスル・パークの城のような建物を基にしている。黄色いレンガ道は当時舗装で使用された黄色いレンガに因んでいる。これらのレンガ道はボームが通学していたピークスキル陸軍士官学校のあるニューヨーク州ピークスキルにみられた。ボーム研究者は1893年に開催されたシカゴ万国博覧会のホワイト・シティからエメラルド・シティの着想を得たと言及している。他にカリフォルニア州サンディエゴ近くのホテル・デル・コロラドからも着想を得ているとされている。ボームはこのホテルにしばしば宿泊し、オズ関連書籍をここで執筆していた[12]。1903年、『パブリッシャーズ・ウィークリー』のインタビューにて[13]、「オズ」(Oz)の名の由来は、原作者ボームが近くのファイリング・キャビネットにO-Zと記されているのを見て名づけたと語った[14]。
何人かの批評家はボームはオーストラリアからも影響を受けていると語っている。オーストラリアは口語的に「Oz」に近い発音の略語で呼ばれることがある。さらに1907年の『オズのオズマ姫(Ozma of Oz )』でドロシーはヘンリー叔父とオーストラリアへ航海中嵐に巻き込まれてオズに戻る。そのためオーストラリアのようにオズはカリフォルニア州より西にあるとされている。オーストラリアのようにオズは島国である。オーストラリアのようにオズは広大な砂漠のそばにある。これらによりボームはオズはオーストラリアまたはオーストラリアの広大な砂漠の中央の魔法の国を想定しているとされる[15]。
『不思議の国のアリス』
他にルイス・キャロルの1865年の『不思議の国のアリス』から影響を受けているとされる。1900年9月、『グランド・ラピッズ・ヘラルド』のレビューにおいて、「まさに現代の『不思議の国のアリス』」と評された[6]。ボームはキャロルの物語の不整合を見つけたが、子供の読者が共感する子供の登場人物である少女アリス自身の人気を認めており、少女ドロシーが主役となる一因となった[11]。またボームはキャロルの、子供の本は多くの挿絵があれば子供も喜んで読むという信念に影響されている。キャロルは子供の本は子供が子供らしくあることではなくモラルを教えるものというヴィクトリア時代のイデオロギーを拒否していた。文章の他に多くの挿絵のあるキャロルのスタイルと共に、バームは魔女や魔法使いのようなおとぎ話の登場人物の典型と、カカシやトウモロコシ畑など彼の読者である子供たちの身近な事象を組み合わせた[16]。
アメリカン・ファンタジー・ストーリー
カンザス州やオマハなど具体的なアメリカの地名が出てくることから、『オズの魔法使い』はアメリカ初のおとぎ話とされている。ボームは、多くの挿絵のある児童文学が子供には重要であると考えるキャロルのような作家に賛同するが、農業や産業などアメリカを想起させるものを織り込むことを望んでいた[17]。
ボームの人生
この作品の登場人物、ディテール、アイデアの多くはボームの経験に基づいている。子供の頃ボームはしばしば農場でカカシに追い回される悪夢を見ていた。「ボロボロの干し草でできた指」が彼の首を掴もうとしたその瞬間に崩れていくのだ。数十年後、大人になったボームは彼の苦悩を登場人物のカカシとして物語に入れ込んだ[18]。息子のハリーによると、ブリキの木こりは窓の飾りから生まれた。彼は窓に何か魅力的なものを飾りたく、スクラップから電子部品を組み合わせて風変わりな形を作った。湯沸かし器で体を、排気管で腕や足を、フライパンで顔を作った。ボームはその後煙突の上部につけるファンネル・ハットを上部にかぶせると最終的にブリキの木こりの形になった[19]。石油王であったジョン・ロックフェラーは自身の製油所の石油を売るためスタンダード・オイルの自身の持ち株を減らし、同じ石油業界にいたボームの父のある意味「敵」であった。ボーム研究者のエヴァン・I・シュワルツはロックフェラーを魔法使いの一面に描かれていると語った。物語の1シーンで魔法使いが「横暴なハゲ」であるという記述がある。ロックフェラーが54歳の頃、脱毛症にかかり頭の毛が全てなくなり、人々は彼に話しかけるのを怖がっていた[20]。
1880年代初頭、ボームが所有していたオペラ・ハウスが「オイル・ランプが垂木に引火して炎がゆらめき」火事で焼失したことから劇作品『Matches 』が執筆された。研究者のエヴァン・I・シュワルツはカカシの深刻な恐怖を表現する「世界で一番恐ろしいものは火のついたマッチ」という台詞に表れていると語った[21]。
1890年、ボームはダコタ準州(現サウスダコタ州)のアバディーンに住んで干ばつを経験し、アバディーンの『サタデー・パイオニア』に、馬が食べている木片が芝生でできていると信じている農民が馬に緑のゴーグルをかけさせていることに関する機知にとんだコラム『Our Landlady 』を執筆した[22]。これと同様に魔法使いはエメラルドの都の住民たちに緑のゴーグルをかけさせ街がエメラルドでできていると信じさせている[23]。
陶器のセールスマンでもあったボームは第20章に陶器について記載している[23]。
アバディーンでの短期滞在の間、多くのアメリカ合衆国西部についての噂の広がりが続いた。しかし西部は魔法の国となる代わりに干ばつと不況で荒地となった。1891年、ボーム一家はサウスダコタからシカゴに転居した。当時シカゴは1893年に開催される万国博覧会に向けて準備中であった。研究者のローラ・バレットはシカゴはカンザスよりもオズに似ていると語った。西部の莫大な金脈についての噂が事実無根だと判明した後、ボームはオズの中にアメリカのフロンティアを作り出した。多くの敬意を表して執筆されたボームの創作は、西部が当時まだ未開拓であったことも含めて実際のフロンティアに似ていた。農民のマンチキンとドロシーは物語の始めの方で出会い、ウィンキーとは後半で出会う[24]。
ボームの妻モードは姉ヘレンの娘である姪のドロシー・ルイズ・ゲイジにしばしば会いに行っていた。この幼子は難病を患い、1898年11月11日、月齢5ヶ月で脳充血により亡くなった。ボームとモードには娘がおらず、モードはドロシーを娘のように可愛がっていたためドロシーが亡くなるとモードは酷く落胆し、薬を必要とするほどであった[25]。妻の悲嘆を和らげるため、ボームは『オズの魔法使い』主人公の少女にドロシーと名付けた[26]。ヘンリー叔父はモードの父であるヘンリー・ゲージをモデルにした。花屋を操業していたヘンリーは、モードの母でヘンリーにとっての恐妻マチルダ・ジョスリン・ゲージに頭が上がらなかったが、近所の住民たちからは尊敬されていた。父ヘンリーと同様にヘンリー叔父は「厳格で真面目で無口」であり「従順でよく働く男」として描かれている[27]。物語中の魔女たちはマチルダが行っていた魔女狩り研究の影響を受けている。魔女を追い込む残酷な仕打ちはボームを恐怖に陥れた。東西の魔女2人の死はこれを隠喩している[28]。
ボームは転職、転居を繰り返したため多くの人々と出会い、彼の人生で経験した多くの出来事から物語の着想を得た[29]。物語の導入部でボームは「ハラハラ、ドキドキの物語で、胸の痛みや悪夢は消え去り、現代のおとぎ話となることを望む」と記されている[30]。これらはボームが『オズの魔法使い』の着想を得たもののほんの一部である。
デンスロウからの影響
オリジナルの挿絵を描いたW.W.デンスロウも物語に影響を与え、物語をよりわかりやすくしている。ボームとデンスロウは良い仕事仲間で、文章と挿絵で物語を共に作り上げた。物語の中でも色彩は重要であり、章ごとにテーマカラーが違っていた。ボームが文章で表現していない部分でもデンスロウはその特徴を表現した。例えばエメラルドの都の門や住宅を描く際、文章には登場しない国民の姿も描いた。デンスロウ降板後のオズ続編作品ではジョン・R・ニールが挿絵を描いたが、デンスロウと同様に一般市民も描いた[31]。
19世紀のアメリカ
この物語が政治的アレゴリーを意図するという決定的証拠は見つかっていない。1960年頃、歴史家ランジット・S・ディゲは事実上誰もそんな解釈はしていないと記した[32]。1964年、高校教師のヘンリー・リトルフィールドが学術誌『アメリカン・クォータリー』に『オズの魔法使い: 大衆主義の寓喩』を執筆し[33]、19世紀後期の金融政策に関する金銀複本位制論争のアレゴリーを含んでいると断言した[34]。
ボームは周囲から物語の着想を得ただけでなく、当時問題が解決していたアメリカのユートピアをオズに表現していた。ユートピアとおとぎ話の国はそれほど違いがない[35]。ボームはより良い社会を作るには想像力が不可欠と信じていた。オズ・シリーズの後期の本でボームは「想像と夢は世界を改善に導く。想像力豊かな子供は創造や発明の得意な想像力豊かな大人になり市民を導いていくだろう」と記した[36]。またこの過程でボームは現代のおとぎ話としての『オズの魔法使い』はオズを19世紀後期から20世紀初頭の言及や問題解決を表現するアメリカのユートピアとしてオズを描いている。
オズ王国はアメリカに類似している。東西南北の4つの国があり、首都はエメラルドの都である。アメリカおよび国民は中西部、南部などに分割される。19世紀、これらの地域によって表現する色が違っていた[37]。東部は工業地帯のブルーカラーから青、南部は赤土やレッドネックから赤、西部はカリフォルニア州のゴールドラッシュから黄色で表現されていた。そしてエメラルドの都となるワシントンD.C.は紙幣の色から緑で表現される。
物語の悪役は東西の悪い魔女である。悪い魔女たちは市民を魔法にかけ奴隷のように扱う。良い魔女と悪い魔女の力関係はほぼ同等で、このバランスがオズが変化なく続くか発展するかに関わってくる。この関係はアメリカの支持政党に関連付けられる。西の悪い魔女は発達した鉄道、石油王、そして自然豊かな西部に表現される。19世紀、西部は軍事色が強かったが自然が豊かでそして干ばつ被害も甚大であった。これは火事や竜巻よりも被害が大きく、その年の収穫に大きな影響が出る。そのため西の悪い魔女を殺す武器として水が引用されている。魔女の遺体の茶色の塊は大きな嵐の後の泥に類似している。ドロシーは水たまりの上を歩くが、溶けた魔女の跡のある床を掃除する。
東の悪い魔女は農業従事者を圧迫するウォール街など東部の経済、工業を表現しているとされている[38]。19世紀、東部の工業労働者が重労働を課せられていたように、東の悪い魔女は国民を奴隷のように扱う。ドロシーが東の悪い魔女を殺すと、力のバランスが変わってくる。貨幣価値および投資が下がって以降、人民党は国を金銀複本位制に向かわせた。労働者階級および貧困農民は債務負担を減らすため金本位制から遠ざかった。人民党は南部や中西部の小作人と北部の労働者階級の賛同を目指した。
物語冒頭でドロシーは農場からオズへ竜巻で飛ばされるが、しばしばこの時代の銀の自由鋳造と比較される[33]。黄色のレンガ道は金銀複本位制を、ドロシーを居心地の良い場所へ連れていってくれる銀の靴は人民党の金銀複本位制への方針を表現している。オズは金を量るのに使用されるオンスの略字である[39]。ドロシーとカカシが森を歩き始めると、道がデコボコであるためにカカシが何度もつまづいて転ぶ。黄色のレンガ道でカカシが転ぶのは、デフレにより農民が損害を被ることに類似している。ドロシーが簡単に歩き回るのは、いかに金銀複本位制を進めるかを披露している。たとえ金が少なくとも、バイメタルの他の金属の方が安く手に入り、デフレを回避することができる[40]。全体を通して登場人物の多くが銀の靴の魔力を知らない。ドロシーが南の良い魔女グリンダに会うまで、銀の靴がカンザスに帰らせてくれる力を持っていることを全く知らないのである。ボームは金銀複本位制が経済危機を解決することなど誰も知らないということを暗示していた可能性がある。ドロシーがかかとを3回鳴らすとカンザスへ帰れるのだが、「空中を飛んでいる最中、銀の靴が砂漠に脱げ落ち二度と見つからなかった」。銀の靴がなくなったことは、1900年に金銀複本位制が次第に衰えていく様子に類似している。
魔法使いはオズ王国の国王で、19世紀のアメリカ合衆国大統領と類似している[38]。「全ては皆のために」が原則でありながら、政治家は多面的であると考えられている。偉大なるオズの魔法使いは謁見者と個々に、それぞれに合った容貌に変身して会う。魔法使いに願いを叶えてもらうために一行が再度戻ってくると、魔法使いというのはまやかしで、民衆が偉大だと信じていたのは単なる「普通の男」であることが判明する。カカシは彼を詐欺師と呼ぶと、魔法使いは悪びれもせずその通りだと語る。19世紀の政治家たちと同じように魔法使いは約束を守ることができない。のちに魔法使いは「どうして詐欺師になったかというと、皆ができないことを私がやることができたから」とし、皆が騙されることを望んだから騙したのだと語った。
エメラルドの都に向かう途中、ドロシーは農民の象徴であるカカシと出会う。カカシは頭にわらが詰まっていて脳がないことから自分をばかだと思い込んでいる。出版の4年前の1896年、シカゴ出身ジャーナリストのウィリアム・アレン・ホワイトは『カンザスの何が問題か』という記事を書いた。この中でホワイトは西部の農民は無知で怠惰で経営能力がないことを暗示し、アメリカにはホワイトカラーや頭脳はあまり必要ないとなぜカンザスの人々は不満と皮肉を込めて応えるのかと疑問を呈した[41]。カカシは自分は脳がなく劣っていると打ち明ける。同年ホワイトは民主党全国大会でのウィリアム・ジェニングス・ブライアンの有名な[[::en:Cross of Gold speech|Cross of Gold speech]] の記事を執筆した。ブライアンは農民のために戦い、ホワイトの記事の「農民は夜明け前に始まり1日中疲弊し、春に始まり夏中疲弊しているが、国が富を作り出す天然資源として脳と筋肉を備えることにより、穀物の値段を決める商務省の労働者と同等となる」という内容と同じように主張した[42]。ブライアンがアメリカの農民を評価しているように、ボームは物語全体を通してのカカシの行動により、彼は本当は賢く能力があると表現している。この物語の最後にある通り、「農業は国にとって重要」であり農民の政治的可能性が明らかになり、無知であるという前提を覆させた。
次にドロシーが黄色のレンガ道で会うのは亡き東の悪い魔女からいたぶられてきたブリキの木こりである。彼は生身の人間であった時にマンチキンの少女と家庭を作るための資金を得ようと重労働していた。魔女が斧に魔法をかけ、手足が切断され最終的には体もなくなる。切断されるたびにブリキ職人がブリキで補修しており体全体がブリキとなった時には心を入れ忘れたためもう人を愛せなくなってしまう。ブリキの木こりは東部の労働者階級を表現している。19世紀、労働者は機械を動かし続けなければいけなかった。東の悪い魔女は「人間でなく単なる労働者となったのだから機械のようにより速くよりいい仕事をやるがいい」と罵る[38]。ブリキの木こりは雨に打たれて錆びつき、約1年そのままの形で固まってしまい、ドロシーが関節に油をさして彼はようやく動けるようになる。ブリキの木こりが固まっていた1年間は、1893年から1897年の恐慌の東部の労働者階級の失業期間を表現している。経済復興期のグロバー・クリーブランド大統領の冷酷な拒否同様、ブリキの木こりが助けを求めても誰の耳にも届かない[38]。ブリキの木こりは1年間固まっていたが、その間人生を考えるいい機会となった。この頃、彼は「これまでなくした最大のものは、心」であり、それなくして人を愛することができないことがわかる。ボームは東部の労働者階級が家族をかえりみず働き続けたことをブリキの木こりで表現している。19世紀の進歩主義の一部は、アメリカの生活の中心である家族の再構築であった。東の悪い魔女の暴言は19世紀後期から20世紀初頭にかけてのウォール街や東部の大企業での実態を描写している。
最後に一行に参加したのは臆病なライオンである。人民党の著名な政治家ウィリアム・ジェニングス・ブライアンをモデルにしたとされている。6フィート(183cm)でガッチリしていた彼は心優しいことで知られていたが、熱弁家でライオンの吠え方に例えられた[43]。物語を通してボームはカカシなど共感しやすい大衆向けキャラクターが多い中、ブライアンを臆病に描いたことは奇妙であるとされる[44]。しかし19世紀後期、アメリカ帝国時代が始まり、スペインからグアム、プエルトリコ、フィリピンのような国々の支配を奪うのに苦慮していた。1898年の米西戦争におけるブライアンの非暴力、反帝国主義はしばしば非国民または臆病と批判された。ボームは批判を一旦受け入れ、ブライアンに向けた。ライオンは百獣の王だが、人の目を気にせずに無駄な争いに参入せず静観する勇気がある。臆病なライオンとブリキの木こりの関係性はブライアンと東部の労働者階級の関係性に類似している。彼らが出会った時、臆病なライオンはブリキの木こりに鋭い爪で引っ掻こうとするが、木こりが道に倒れている間、臆病なライオンはそのブリキ自体に驚く。これは1896年の大統領選挙において、東部の労働者階級が雇用主によるウィリアム・マッキンリーへ投票するようにとのプレッシャーからブライアンが得票できなかったことに言及している[38]。ブライアン自身も「選挙キャンペーン中、直接的あるいは間接的に、マッキンリーへの投票の強制を感じていた」と語った[45]。ただし単に労働者階級に印象を残せなかっただけという意見もある。ブライアンの吠え方が東部の労働者階級に印象を残せなかったのと同様に、臆病なライオンの爪はブリキの木こりに傷をつけることもなかった。
ボームのおとぎ話は19世紀後期から20世紀初頭にかけてのアメリカにおける多くの解釈がなされている。ドロシーの忠実な仲間であるトトはお酒を飲んだことのない「Teetotaler 」に例えられる[46]。禁酒法支持者はアルコールの摂取は違法であるべきだとみなし、19世紀後期、人民党と長年関連していた。この旅においてトトはドロシーの後ろを「真面目に」(「Soberly 」は「しらふ」の意味も持つ)駆けていた。プレーンズ・インディアンと類似している飛ぶ猿はかつて自由民であったが、西の悪い魔女に奴隷のように扱われている。彼らを統治する者によって悪者になったり良い者になったりするが、彼らは単に国に所属しているためその地を離れることはできず、そのためアメリカン・インディアンに例えられる[38]。西の国に住むイエロー・ウィンキーはゴールドラッシュの時代にカリフォルニア州で劣悪な環境で奴隷のように働かされていたアジア人労働者を表現したとされる[38]。オズの国に入る前にエメラルドの輝きで目が眩むのを防ぐためにサングラスをかけさせるのは魔法使いと同様にまやかしである。エメラルドの都は実際はエメラルドでできたわけではなく単なる白い街で、緑色のグラスを通して見るため全てがエメラルド色になるのである。これは色眼鏡で見ると、見たままを信じてしまうことを表現している。ボームは全米を旅し、19世紀の様々な事件事故を知り、彼の周りから着想を得て物語が完成した。
ボームの現代的おとぎ話である『オズの魔法使い』は東西の悪い魔女が死に、ドロシー、トト、魔法使いがアメリカに戻るところで終わる。カカシはエメラルドの都の当主を引き受け、農民が国にとって重要であることを示した。ブリキの木こりは西の国に産業をもたらした。臆病なライオンはブライアンが少数の政治家を率いていたように森の守り神となった[38]。
リトルフィールドの主張は同意する者もあるが、激しい反対にも遭っている[47][48][49]。
他の政治的解釈
この作品は児童文学であると同時に、19世紀末のアメリカ経済に関する寓話とも解釈されることがあり、歴史学者、経済学者や文学者等が政治的解釈を述べているが、読者および批評家の多くは物語をそのまま楽しんできている。ボームは1890年代に政治的に活動はしたが、本作品の政治的解釈については、否定も肯定もしていない。
経済学者のグレゴリー・マンキューは、マクロ経済学の教科書で『オズの魔法使い』は銀貨鋳造論争を背景にして書かれた童話だと記している[50]。
1880年から1886年にかけて、アメリカ経済は23%ものデフレーションを経験した。 当時の西部の農民達のほとんどが、東部の銀行からの借金で開拓を行っていたが、デフレーションの発生は借金の実質的価値を増大させ、西部の農民は苦しみ、東部の銀行が何もせずに潤うという事態が発生した。 当時の人民主義派はこの問題について、不足する貨幣供給量を銀貨の自由鋳造で賄うことで解決するべきだと主張した(リフレーション政策)[51]。
銀と金、金本位体制を巡っての論争は1896年の大統領選挙において最も重要な論点となったが、民主党は銀貨の採用を主張し、共和党はあくまでも金本位制にとどまることを主張した。
経済史家ヒュー・ロッコフ(Hugh Rockoff)の記述[52]では、
- ドロシー:アメリカの伝統的価値観
- トト:禁酒党(Teetotalers)
- かかし:農民
- ブリキの木こり:工場労働者
- マンチキン:東部市民
- 臆病なライオン:1896年民主党大統領候補ウィリアム・ジェニングス・ブライアン
- 東の悪い魔女:第24代大統領グローヴァー・クリーヴランド
- 西の悪い魔女:第25代大統領ウィリアム・マッキンリー
- 魔法使い:共和党議長マーク・ハナ
- オズ:金の単位オンスの略号(OZ)
- 黄色いレンガ道:金本位体制
- ドロシーは最後に、家に帰る道を見つけるが、黄色いレンガ道をたどるだけでは見つからなかった。ドロシーは魔法使いオズが役に立たない代わりに、自分の『銀の靴』[nb 2]に魔力があることを知る。
- 結局、民主党は大統領選挙に敗れ、金本位制は維持されることになったが、1898年にアラスカのクロンダイク川で金が発見され、また、カナダや南アフリカの金の採掘量も増え、結果的に貨幣供給量は増大し、デフレは解消されてインフレ傾向となり、農民は借金を容易に返せるようになった。
としている。
もっとも、ボームに関する伝記作家や研究者は、そうした政治的解釈には否定的である。この作品の出来た背景についての詳細がボーム自身の日記に残されている上、ボームは時に政治的ではあっても、そうした比喩による現代風刺には無関心だったからである(もっとも高い知名度ゆえに、ドロシーたちは新聞の風刺漫画のネタに度々使われてはいたが)。時に皮肉と解釈されることもあるが、本作の序文でも「ただ今日の子供を喜ばせる為に書いた」と明言している。
先のヒュー・ロッコフの説については、ボームがその政治活動においてシルバリズム(silverism)に反対するメンバーの一員であり、アメリカ経済に関して共和党の考えに賛同していたという反論が、歴史家デビッド・B・パーカーになされている。[53]ちなみに黄色いレンガの道に関しては、由来となった建物がボームの別荘があるミシガン州内の公園に実在する。
版
1902年のジョージ・M・ヒルの破産後、この物語の版権はボブス・メリル・カンパニーに移った。版権移行後の版は色付き文字や挿絵の色彩に欠けるものとなった。1956年にパブリックドメインとなるまで、オリジナルの色彩の再現、新たな挿絵、追加など新版が出ることはなかった。それ以降では1896年、ベアリー・モザーの挿絵によるペニーロイヤル版が有名で、その後カリフォルニア大学出版により増刷された。2000年、オリジナルの色彩の挿絵やデンスロウによる追加の画像などが含まれW.W.ノートンから出版されたマイケル・ペイトリック・ハーン編集の『Annotated Wizard of Oz 』なども有名である。他に100周年を記念したマイケル・マカーディの白黒の挿絵によるカンザス出版大学の『カンザス100周年版』やロバート・サブダの飛び出す絵本などがある。
続編
ボームは『オズの魔法使い』を書いた時点では続編のことを全く考えていなかった。この物語を読んだ何千もの子供たちが彼にオズについての別の話を作るようリクエストする手紙を送った。1904年、彼は渋々ながらも期待に応えて初の続編『オズの虹の国([[::en:The Marvelous Land of Oz|The Marvelous Land of Oz]] )』を執筆して出版した[54]。1907年、1908年、1909年にもさらなる続編を執筆した。1911年の『オズのエメラルドの都([[::en:The Emerald City of Oz|The Emerald City of Oz]] )』では、オズの国が他の国との接触をなくしたため彼はそれ以降の続編を執筆することができなくなった。子供たちはこの物語を受け入れることができず、そのため1913年以降ボームが亡くなる1919年5月までボームは毎年続編を執筆し続け、最終的にその続編は13冊になった。『シカゴ・トリビューン』のラッセル・マクフォールによると、ボームは1897年に姉妹のメアリー・ルイズ・ブリュウスターのためにノートにマザー・グースの傑作選を書いたのが始まりであった。「子供を喜ばせることは心が温かくなり、自分のためにもなる」[3]。1919年に彼が亡くなってから、ボームの出版社はルース・プラムリー・トンプソンに以降の続編を委託し、彼女は21冊を執筆した[16]。1913年から1942年の間、毎年クリスマスに『オズの魔法使い』が出版されていた[55]。1956年まで、オズ・シリーズは英語圏だけでも500万部を売り上げ、8カ国語圏内で何十万部も売り上げた[3]。
ライマン・フランク・ボームの作品
- 1. 「オズの魔法使い」 (The Wonderful Wizard of Oz)1900年
- 2. 「オズの虹の国」 (The Marvelous Land of Oz) 1904年
- 3. 「オズのオズマ姫」 (Ozma of Oz) 1907年
- 4. 「オズと不思議な地下の国」 (Dorothy and the Wizard in Oz) 1908年
- 5. 「オズへつづく道」 (The Road to Oz)1909年
- 6. 「オズのエメラルドの都」 (The Emerald City of Oz)1910年
- 7. 「オズのつぎはぎ娘」 (The Patchwork Girl of Oz)1913年
- 8. 「オズのチクタク」 (Tik-Tok of Oz) 1914年
- 9. 「オズのかかし」 (The Scarecrow of Oz)1915年
- 10. 「オズのリンキティンク」 (Rinkitink in Oz)1916年
- 11. 「オズの消えたプリンセス」 (The Lost Princess of Oz) 1917年
- 12. 「オズのブリキの木樵り」 (The Tin Woodman of Oz)1918年
- 13. 「オズの魔法くらべ」 (The Magic of Oz)1919年
- 14. 「オズのグリンダ」 (Glinda of Oz)1920年
※以上14冊の和書版タイトルは佐藤高子訳によるハヤカワ文庫版のもの
ルース・プラムリー・トンプソン(Ruth Plumly Thompson)による続編
- 15. The Royal Book of Oz 1921年
- 16. Kabumpo in Oz 1922年
- 17. The Cowardly Lion of Oz 1923年
- 18. Grampa in Oz 1924年
- 19. The Lost King of Oz 1925年
- 20. The Hungry Tiger of Oz 1926年
- 21. The Gnome King of Oz 1927年
- 22. The Giant Horse of Oz 1928年
- 23. Jack Pumpkinhead of Oz 1929年
- 24. The Yellow Knight of Oz 1930年
- 25. Pirates in Oz 1931年
- 26. The Purple Prince of Oz 1932年
- 27. Ojo in Oz 1933年
- 28. Speedy in Oz 1934年
- 29. The Wishing Horse of Oz 1935年
- 30. Captain Salt in Oz 1936年
- 31. Handy Mandy in Oz 1937年
- 32. The Silver Princess in Oz 1938年
- 33. Ozoplaning with the Wizard of Oz 1939年
他の作家による続編
- ジョン・R・ニール(John R. Neill)作
- ジャック・スノウ(Jack Snow)作
- レイチェル・R・コスグロース(Rachel R. Cosgrove)作
- 39. The Hidden Valley of Oz 1951年
- エロイーズ・ジャーヴィス・マグロー、ローレン・マグロー・ワーグナー(Eloise Jarvis McGraw and Lauren McGraw Wagner)作
- 40. Merry-Go-Round in Oz 1963年
文化的影響
『オズの魔法使い』は多くのファンタジー小説や映画に影響を与えた。50カ国語以上に翻訳され、その土地に合った改訂が加えられることもある。インドでは短縮版になり、ブリキの木こりは蛇に置き換えられた[56]。ロシアではアレキサンダー・ヴォルコフが翻訳して『エメラルドの都の魔法使い』シリーズ5冊を出版し、魔法の国をエリーと犬とトトシュカが旅するなどボーム版とはかけ離れたものとなった。
1939年の映画『オズの魔法使』はポピュラー・カルチャーのクラシックとして、1959年から1991年の間、アメリカのテレビで毎年放映され、1999年からは毎年何度か放映されている[57]。
1967年、ザ・シーカーズはルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの『歓喜の歌』のメロディを使用し、エメラルドの都を訪れる歌詞の『[[::en:Emerald City (song)|Emerald City]] 』をレコーディングした。
1982年、フィリップ・ホセ・ファーマーは主人公ハンク・ストヴァーがドロシー・ゲイルの息子という設定の『[[::en:A Barnstormer in Oz|A Barnstormer in Oz]] 』を出版した。ストヴァーが自身の飛行機を操行中、巨大な緑の雲に入ってしまい、オズの国に紛れ込んで内戦に巻き込まれる。
1992年、イギリスでジェフ・ライマンの小説『[[::en:Was (novel)|Was]] 』が出版された。あまり良いとは言い難いドロシー・ゲールの実生活、ジュディ・ガーランドの子供時代、映画『オズの魔法使』ファンのゲイの男性、3つの物語を織り交ぜている。2014年、スモール・ビア・プレスから再度出版された。
1995年、グレゴリー・マグワイアは修正主義者がオズの国や登場人物を見つける『[[::en:Wicked (Maguire novel)|Wicked: The Life and Times of the Wicked Witch of the West]] 』を出版した。ドロシーではなく未来の西の悪い魔女となるエルファバに焦点を当てている。『インデペンデント』紙は「社会に入り込めない、適応できない、圧迫を受けている大人が自分と向き合うことができる」小説と評した[58]。ユニバーサル・ピクチャーズはこの小説の映画化権を購入して映画化される予定であった。作詞作曲家スティーブン・シュワルツはその代わりにミュージカル化するようユニバーサルを説得した。シュワルツはミュージカル『ウィケッド』の作詞作曲をし、2003年10月、ブロードウェイで初演された[58]。
2014年、テレビ・ドラマ『スーパーナチュラル』第9シーズンのエピソード『Slumber Party 』にドロシー・ゲールと西の悪い魔女が登場した。また『ワンス・アポン・ア・タイム』にドロシーとグリンダが脇役として登場した。
派生作品
『オズの魔法使い』は何度も派生作品が製作されているが、最も著名なものは1939年、ジュディ・ガーランド、レイ・ボルジャー、ジャック・ヘイリー、バート・ラーが主演する映画『オズの魔法使』である。それまでも映画『オズの魔法使』ほど有名ではないが、1902年のミュージカル『オズの魔法使い』やサイレント映画3本を含み多くの舞台作品や映画が製作されてきた。1939年の映画はその音楽、特殊効果、新たなテクニカラーの使用により当時革新的と言われていた[59]。
様々な国の言語に翻訳され、何度かコミック化もされている。パブリックドメインとなると、登場人物のスピンオフ、非公式続編、再解釈などが製作され、議論の的となることもある。
映画
- [[::en:The Wonderful Wizard of Oz (1910 film)|The Wonderful Wizard of Oz]]
- 原作者のボーム自身が製作に携わった1910年製作のサイレント映画。劇と映画が一体化したフィルムショーとして企画されたが、予想以上に莫大な財産を注ぎ込むことになったボームは翌年破産し、しばらくは「オズ」の続編に専念する事を余儀なくされる。またドロシーを演じたビーブ・ダニエルズは、後にサイレント映画の人気スターとなった。
- [[::en:The Magic Cloak of Oz|The Magic Cloak of Oz]]
- 1904から1905年にかけて雑誌に連載されたボーム作のイックスのジクシー女王(Queen Zixi of Ix)を原作とする映画。この時点で「オズ」とは無関係の内容だった。1914年にボーム自身が製作、監督はFarrell MacDonald。
- [[::en:The Scarecrow of Oz|The Scarecrow of Oz]]
- 1914年、ボームは自前の映画会社オズ・フイルム・カンパニーを設立し、「オズ・シリーズ」を数作映画化した。しかしまだ子供向け映画というジャンルが確立していなかった時代でもあり、1年足らずで頓挫している。
- 笑国万歳([[::en:Wizard of Oz (1925 film)|Wizard of Oz]] )
- 1925年のサイレント映画。内容は監督のラリー・シモンの脚色によるところも大きく、シモンらが演じる2人の農夫が、成り行きからかかしとブリキ男に変装し、ドロシーをオズの国の女王に仕立てていくという、原作離れしたものになっている。
- [[::en:The Wizard of Oz (1933 film)|The Wizard of Oz]]
- 1933年、テッド・エシュボーの作による短編アニメーション(当時のアニメーション作品はほとんどが短編である)。法的な問題がクリアにならず未公開作品となったが、白黒映画がカラーに転じるという1939年版オズの演出を先駆けて行ったことで、映画史に名を残している。オズの国に飛ばされたドロシーが住民の歓迎を受け、かかしとブリキ男と一緒にオズの大魔王の魔法ショウを楽しむという内容。
※ 以上の5作品は、DVD『オズの魔法使』3枚組エディションの特典映像としてDVD化されている。
- オズの魔法使([[::en:The Wizard of Oz (1939 film)|The Wizard of Oz]] )
- ディズニーの『白雪姫』の大ヒットに触発され、1939年にメトロ・ゴールドウィン・メイヤー社が製作したファンタジー・ミュージカル。カンザスの物語をモノクロで描き、オズの国の物語をテクニカラーで描く演出が話題を呼んだ。エドガー・イップ・ハーバーグ(作詞)とハロルド・アーレン(作曲)による挿入歌『虹の彼方に』がスタンダードナンバーとなるなど、現在も色あせない輝きを放っている。ヴィクター・フレミング監督。
- 主役は本命のシャーリー・テンプルが映画会社間の調整がつかずに見送られ、MGMの若手スターのジュディ・ガーランドが起用された。ガーランドは実年齢より下の少女を、得意の歌唱力を武器に魅力的に演じきった。ブリキ男役だったバディ・イブセンがアルミのメイクの為に体調を崩して降板したのをはじめ、監督の交代が度重なるなど、製作は困難をきわめた。撮影の長引きで製作費は膨れ上がり、最終的に277万ドルに及んだ。
- その割に興行成績は芳しくなかったが、これは大人料金の半額で観られる子供が観客層であったためであり、その後の再上映やテレビ放映を通じて、ファミリー映画の定番として大いにもてはやされることになった。
- AFI's 100 Years... 100 Moviesに6位、10周年記念版に10位、AFI's 100 Years of Musicalsの3位を獲得している。更にOver the RainbowがAFI's 100 Years... 100 Songsの1位を獲得した。
- ウィズ([[::en:The Wiz (film)|The Wiz]] )
- 1974年にブロードウェイで上演され、トニー賞7部門を受賞したミュージカルの1978年の映画化。舞台は現実、オズともニューヨーク市のイメージで構成され、マイケル・ジャクソンやレナ・ホーンをはじめオール黒人キャストで構成されるなど、内容は他の映画とは一線を画する。ドロシーの設定は11歳の女の子から24歳の女性教師となったが、演じたダイアナ・ロスはさらに年長で当時34歳であった。サウンドトラックは評価されたものの、映画は批評、興行の両面で惨敗に終わった。ちなみに、マイケル・ジャクソンは音楽を担当していたクインシー・ジョーンズとこの時に出会い、マイケルのプロデューサーとして「スリラー」などの世界的な大ヒット作を共に製作していくこととなった。
- オズ([[::en:Return to Oz|Return to Oz]] )
- 1986年のディズニー製作映画。上記『オズの魔法使』の制作関係者の了解を取っていない非公式な続編(unofficial sequel)。「オズの虹の国」と「オズのオズマ姫」を原作にしている。ゲイリー・カーツ製作総指揮、ウォルター・マーチ監督、フェアルザ・バルク主演。 アニマトロニクスやモーション・コントロール・カメラ、ストップモーション・アニメーションなど当時最新鋭のSFX技術を駆使してオズの国の住人たちをリアルに再現したファンタジー大作。
- オズ はじまりの戦い([[::en:Oz the Great and Powerful|Oz the Great and Powerful]] )
- 2013年公開のサム・ライミ監督による映像化作品。配給はウォルト・ディズニー・ピクチャーズ。
- オズ めざせ! エメラルドの国へ([[::en:Legends of Oz: Dorothy's Return|Legends of Oz: Dorothy's Return]])
- 2014年公開の映像化作品。監督はダニエル・サンピエールとウィル・フィン。配給はファインフィルムズ。ボームの曾孫であるロジャー・スタントン・ボームによる「ドロシー・オブ・オズ」を原作にしている。
TVドラマ
- オズの虹の国(The Land of Oz)
- 1960年にアメリカのテレビで放映された「シャーリー・テンプル・シアター」シリーズの1回目のエピソードとして放映。アメリカで放映された最初期のカラー放送の一つである。日本でも1961年(昭和36年)にNHKで放映された。日本では黒白の画面で放映された。シャーリー・テンプルがオズマ姫と少年チップを演じていた。
- オズの魔法使い
- 1974年10月5日から1975年3月29日(午後7時30分 - 8時)にかけて日本テレビ系で放映していたテレビドラマ。全26話。HONDA一社提供。
- 第5話より番組中数分間、赤と緑の色眼鏡を使う立体映像を取り入れていた[60]。トトは原作の犬からネズミに変更されて山崎唯が声を担当していることから、山崎が主演していた人形劇『トッポ・ジージョ』を意識していたものではないかと指摘されている[60]。
- エンディング曲は『虹の彼方に』を採用。主演のシェリーが歌っていたが、オリジナルとは違い、アップテンポで現代風な歌詞と編曲(山本直純による)になっていた。
- スタッフ[60]
- キャスト
- オズの魔法使い (The Witches of Oz)
- 2012年にアメリカで製作されたテレビ映画。クリストファー・ロイドがオズ役で出演している。
TV人形劇
- マペットのオズの魔法使い(The Muppets' Wizard of Oz)
TVアニメ
- まんが世界昔ばなし(TBS系 - 1978年5月3日-5月17日 全3回)に登場。
- オズの魔法使い - 本作を原作としたテレビアニメ作品が1986年10月6日から1987年9月28日にかけて、テレビ東京系で放映された。全52話。
- スペースオズの冒険 (1992)
- オズ・キッズ ([[::en:The Oz Kids|The Oz Kids]]) (1995)
ミュージカル
- ザ・ウィズ([[::en:The Wiz|The Wiz: The Super Soul Musical "Wonderful Wizard of Oz" ]])
- チャーリー・スモールスの作詞・作曲、ウィリアム・F・ブラウンの脚本によるミュージカル。1974年10月にボルチモアにて初演、1975年1月にマジェスティック劇場にてブロードウェイ初演[61]。『オズの魔法使い』を原作として、アフリカ系のキャストのみにて上演。1975年のミュージカル作品賞含むトニー賞7部門を受賞した。1978年に映画化。
- 日本では『ウィズ〜オズの魔法使い〜』と題して、宮本亜門が翻訳演出、増田セバスチャンが美術監修、仲宗根梨乃が振付を担当し、2012年と2015年に公演[61]。
2012年 | 2015年 | |
---|---|---|
ドロシー | 増田有華 | 梅田彩佳 田野優花 |
カカシ | ISSA | 佐賀龍彦 |
ブリキ男 | 良知真次 | 施鐘泰(JONTE) |
弱虫ライオン | エハラマサヒロ | |
西の悪い魔女 イヴーリン |
森公美子 | 岡本知高 阿知波悟美 |
南の善い魔女 グリンダ |
小柳ゆき | |
北の善い魔女 アダパール |
瀬戸カトリーヌ | |
黄色い道の案内人 | ジョンテ・モーニング | 仲宗根梨乃 |
エメラルドシティの門番 | 吉田メタル | |
ウィズ | 陣内孝則 |
- ウィケッド (Wicked)
- 本作の前日談として作られたミュージカル。2003年10月30日にニューヨークのガーシュイン劇場で初演。西の悪い魔女・エルファバと南の良い魔女・グリンダの知られざる友情を描いている。
- 日本では劇団四季によって『ウィキッド』と題して2006年より上演されている。
- 新宿コマ劇場 ファミリーミュージカル
- 新宿コマ劇場ではファミリーミュージカルとして、たびたび公演された。
- 1989年は『SFX-OZ』、2000年は『新 オズの魔法使い』として公演されており、『新 オズの魔法使い』は「再春館製薬ファミリーミュージカル」だった。
- 1939年の映画『オズの魔法使』同様の二役設定で「西の国の悪い魔女」とカンザスの隣人の意地悪なガルチ、他のオズの国の住人とガンザスの人々を同じ役者が演じる。
公演期間 | 演出 | 翻訳・訳詞 | ドロシー | カカシ ハンク |
ライオン ジーク |
ブリキマン ヒッコリー |
門番 ヘンリーおじさん |
グリンダ エムおばさん |
西の国の悪い魔女 ガルチさん |
オズの大魔王 マーベル教授 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989年4月2日〜同年5月5日 | 鵜山仁 | 早川保清 | 早見優 | 尾藤イサオ | 渋谷哲平 | 中丸新将 | ? | 衣通真由美 | 今陽子 | 熊倉一雄 |
1990年8月2日〜同年8月29日 | ? | ? | ||||||||
1991年8月2日〜同年8月29日 | ? | ? | ||||||||
1992年8月2日〜同年8月30日 | 黒田アーサー | ? | ? | |||||||
1993年8月2日〜同年8月29日 | 尾藤イサオ | ? | ? | |||||||
1994年8月2日〜同年8月29日 | ? | ? | ||||||||
1998年8月2日〜同年8月29日 | 鵜山仁 | 安達祐実 | 沖田浩之 | 花王おさむ | 犬塚弘 | 寿ひずる | 渡辺文雄 | |||
1999年8月1日〜同年8月29日 | 黒田アーサー | 大森うたえもん | 高品剛 | |||||||
2000年8月4日〜同年8月30日 | 井上純一 | 石川禅 | 清水明彦 | 佐山陽規 | 田中利花 | 松本梨香 | 小野ヤスシ |
ゲーム
- ルングルング オズの魔法使い〜Another World〜
- アフェクト開発・販売のPlayStation用アドベンチャーゲーム。原作シリーズ14作の要素を、物語随所に散りばめている。
- OZ -オズ-
- コナミ開発・販売のPlayStation 2用アクションゲーム。基本的な世界観やキャラクターなどの設定が本作をモチーフにした物である。
- RIZ-ZOAWD(リゾード)
- メディア・ビジョンエンタテインメント開発、ディースリー・パブリッシャー販売のニンテンドーDS用ロールプレイングゲーム。オズの魔法使いを原作としており、物語の大筋は原作同様であるが、オズと敵対する魔女の数が4人になったり、「方角」ではなく「季節」で魔女を分類したりと、一部に独自の解釈が加えられている。
- 月あかりランチ OZ sings, The last fairy tale.
- EX-ONE発売の18禁恋愛アドベンチャーゲーム。登場キャラクターなどの設定が本作をモチーフにしたものである。
評価
挿絵の色彩の豊かさも文章に負けず劣らず、その結果現代の平均的な児童書よりもはるかに高い水準となっている。
...
この物語は明るく楽しい雰囲気を持ち、暴力的な行動は描かれていない。充分な冒険はあるが、趣もあり、普通の子供だったら誰でも物語を楽しめる。
『オズの魔法使い』はその出版時から好評を受けている。1900年9月、『ニューヨーク・タイムズ』紙は子供の読者およびこれまで文字の読めなかった子供にもアピールできるとして称賛した。また挿絵に関しても文章を楽し気に補足しているとして称賛した[62]。
1900年に『オズの魔法使い』が出版されてからの50年間、児童文学の研究者らから批判的な分析をされたことがあった。学術誌『サイエンス・フィクション・スタディーズ』のルース・バーマンによると、子供の読者向けおすすめリストにボームの作品が加わったことはない。研究者にはファンタジーについての懸念があり、また長いシリーズものは文学的メリットが少ないとしてリストから外されている[63]。
何年もしばしば非難の的になってきた。1957年、ミシガン州デトロイトの図書館長は在任中、子供に無利益であるとし、また子供を臆病にさせるとして『オズの魔法使い』を禁じ、この作品を批判する者を支援していた。ミシガン州立大学のラッセル・B・ナイ教授は「オズの本のメッセージが愛、優しさ、思いやりが世界をより良い場所にするということであれば現代ではもう価値がないというのか。デトロイトの図書館の児童文学リストを除いて、多くの良書を見直す時が来たのではないか」と反論した[64]。
1986年、テネシー州のキリスト教根本主義の7家族が『オズの魔法使い』が公立学校の教育要領に含まれているとして訴えた[65][66]。彼らは親切な魔女の描写と人間の不可欠な性格を信じることを促すのは神の教えに反すると語った[66]。ある両親は「我が子を神に反する超自然現象に誘惑されたくない」と語った[67]。他に女性が男性と平等で、動物が人間のように話せることなどを問題としていた。裁判官は、もし教室でこの物語の話題が出たら、両親は教室から子供を退室させてもよいと判決を出した[65]。
フェミニスト作家マージリー・アリアンは「平凡な文体の陳腐で非人間的な駄作」と語った[68]。
2000年、『ホーン・ブック・マガジン』誌のレナード・イヴレット・フィッシャーは「現代よりも固定観念のない時代から不変のメッセージを伝え、心に響き続ける」と記した。また出版されてからの100年で自分を試される差し迫る困難は少なくなってきているとも記した[69]。
2002年、『セーラム・プレス』誌のビル・デラニーは、子供たちに日常の平凡なことから不思議な事柄を発見する機会を与えたと評価した。また何百万人もの子供たちに成長期に読書好きにさせてくれたとしてボームを称賛した[16]。
アメリカ議会図書館は「『オズの魔法使い』は国内最高で最も愛される国産のおとぎ話となるだろう」と発表し、最初のアメリカのおとぎ話、最も読まれた児童書の1つに認定した[70]。
脚注
- 注釈
- 脚注
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関連項目
- ウィケッド
- レインボー_(バンド) -ライヴのオープニングでは映画『オズの魔法使』のセリフ(「We must be over the rainbow」)のリフレインと共に「虹の彼方に」のフレーズを弾いて始まるのが定番となっていた。
- オジー・スミス -守備がうまいオジーは、捕れないと言われた球も捕ることにちなんで「オズの魔法使い」と言われた
- 子供向けテレビ番組 ミッキーマウス クラブハウス「ディズのまほうつかい」-クラブハウスに居たミニーマウスは愛犬プルートと共に竜巻で、不思議なディズの国に飛ばされてしまう。善い魔女のクララベルから光る魔法の靴をもらい、脳のないグーフィーのかかし、心臓のないブリキのミッキー、ドナルドライオンと出会い、クラブハウスに戻るため、悪い魔法使いピートに邪魔されながら、大魔法使いであるディズの魔法使いに会いにいく。
外部リンク
- 『オズの魔法使い』(1910)(日本語字幕つきパブリックドメイン動画)(ニコニコ動画)
- オズの魔法使い(プロジェクト杉田玄白)
- ボーム著 オズの不思議な魔法使い - 物語倶楽部のインターネット・アーカイブ。
日本テレビ系 土曜19:30枠 | ||
---|---|---|
前番組 | 番組名 | 次番組 |
オズの魔法使い
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