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「Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは辞書ではありません」の版間の差分

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削除された内容 追加された内容
方針・ガイドラインとして提案中の復活: 「具体的~議論」は別スレ的に節を立項し、分業的「継続」とす。OKならば、「私の本来の議題脱線」の旨入れたうえで「取り下げ」も可。
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::分業的にガイドライン化を視野に据えた草案の改稿作業がおこなわれている、というかたちで「継続」ということを納得して頂けませんでしょうか?タバコはマーダーさんのご都合に合わせて、再提案を待つということで。でしたら、私のほうからは、「方針・ガイドライン提案」については、私が意図した議題内容とは異なる性質の論議にすり替わって協議が長引いた結果、云々、という断り書きの上で、取り下げを行います。--[[利用者:Kiyoweap|Kiyoweap]]([[利用者‐会話:Kiyoweap|会話]]) 2015年5月17日 (日) 21:48 (UTC)
::分業的にガイドライン化を視野に据えた草案の改稿作業がおこなわれている、というかたちで「継続」ということを納得して頂けませんでしょうか?タバコはマーダーさんのご都合に合わせて、再提案を待つということで。でしたら、私のほうからは、「方針・ガイドライン提案」については、私が意図した議題内容とは異なる性質の論議にすり替わって協議が長引いた結果、云々、という断り書きの上で、取り下げを行います。--[[利用者:Kiyoweap|Kiyoweap]]([[利用者‐会話:Kiyoweap|会話]]) 2015年5月17日 (日) 21:48 (UTC)

:Cray-Gです。返信を何処に書けばいいのか良くわからないので此処に書きますね。
:◆[[利用者:タバコはマーダー|タバコはマーダー]]氏へ
:>''辞書機能とか紙製という主張が異質な観点であると自覚しながら~~''
:違います。それはタバコはマーダー氏が私(の主張ではなく個人)に対する印象操作をする為に'''用いたい'''論点に過ぎず、タバコはマーダー氏の都合です。私は、私が本段落第一文のように主張する根拠と、私がその主張を取り下げ誤解であったと訂正する為にタバコはマーダー氏に出来ることを提示出来ます。が、長くなるので、「長いのは読まない」とか言われて発言を無かったこと扱いされて対話拒否する(←そうしないと印象操作に失敗するので)と「'''思い込んで'''」いるので、とりあえず今はまだ提示しないでおきます。だから読んでね?
:>''~~投票を結論として''
:していません。議論が進展しなくなったので結論は出ません。纏めを試みただけです。纏めることに反対なのでしょうか? それとも纏めの内容に異議があるということとなのでしょうか?
:>''論点に集中していただいても''
:こちらからもお願いしたいところです。言ってもいない内容に反論し、そうではないと説明されたら無視するのではなく。
:[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]]([[利用者‐会話:Maddestmagician|会話]]) 2015年5月18日 (月) 02:16 (UTC)
:◆[[利用者:Kiyoweap|Kiyoweap]]氏へ
:>''<つっこみたくなるところだらけ>''
:是非ともつっこんで下さい。大歓迎です。それが議論です。纏めも作成出来ないぐらい紛糾していたとか、再提案のハードルがさらに上がります。
:>''「方針・ガイドライン提案」については、私が意図した議題内容とは異なる性質の論議にすり替わって協議が長引いた結果、云々、という断り書きの上で''
:それが「何」にすり替わったのか聞きたいところですが、取り下げを止めることも出来ませんしね。
:>''「方針を盾に事実上の対話拒否」なども既におおよそ回答済みですし''
:それに対して「関係無い回答」は戴きました。寧ろ私は、内容が「方針とするに相応しいもの」であれば「方針を盾に事実上の対話拒否」を{{Small2|(しぶしぶではありますが)}}許容するつもりです。しかし現在の内容は「方針とするに相応しいもの」ではないと考えています。そしてこの前提として「方針とする以上誰かが「方針を盾に事実上の対話拒否」を行なう」という現実があります。
:>''他の利用者から出た、いったん議論を離れている点を''
:いいえ、賛成者各位から無視されているだけで「議論を離れて」はいません。未だに俎上に載っています。無かったことにしようとしないで下さい。
:>''今の状態であれば、提案テンプレートを''
:その発言当時の状態であれば私も同意見でした。その後事態が動いて、発言当時の状態とは変わってしまっています。これについては[[利用者:Gwano|Gwano]]氏も同意見のようですね。Gwano氏と私の意見の相違は「何とか議論を継続する(乃至速やかに再提案する)ことにより私論タグに戻さないようにする」と「私論タグに戻すしかない」の相違ですね。
:>''私からは、それを逐一節を立てて公式ガイドラインの「改稿提案」の方式でやろうと思います''
:今はそれ以前の段階です。先に「草案」として認められる程度にまで内容を改善する必要があるでしょう。『ウィキペディアは辞書ではありません』というタイトルの方針があるべきであることはウィキペディアンの全員が同意するところだと私は考えます。問題は内容です。
:>''分業的にガイドライン化を視野に据えた草案の改稿作業がおこなわれている、というかたちで「継続」ということを納得して頂けませんでしょうか?''
:せめて、例えば「解説にするのはどうかという案」などに関して議論が進んでいるなら、議論中ということで「提案中」タグが貼られている状態も許容範囲内かなと思うのですが、Kiyoweap氏が「そういう話は別の提案をしてやれ」と主張するので、その方向ですら議論は停止していますからね。
:内容に関する説明に返答ぐらいはしていただかないことには無理があると思います。引き延ばしたいなら、本件議論の纏め作成の議論を(ぐだぐだと)続けるとか、「方針とするのに内容をどのように改善すれば良いのか」などの議論にこのまま有耶無耶に雪崩れ込むとかなら、「提案中」タグのままでも許容範囲内なんじゃないかな、と私は思います。
:[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]]([[利用者‐会話:Maddestmagician|会話]]) 2015年5月18日 (月) 02:16 (UTC)

2015年5月18日 (月) 02:16時点における版

2003-12-30T06:27:49; 0null0さんの投稿時の版

genealogical or biographical dictionaries

というのは日本では何と呼ばれているんでしょうか? 人物事典という言葉がありますが、大抵はその人物の業績のことが書いてあるような気がします。(僕の誤解かも知れませんが。)

あと、最後の段落でexternal sourcesは、その人の活躍した業界、分野の外のメディア、というぐらいの意味だと思うのですが、少し自信がないです。

Tomos 23:19 2003年6月5日 (UTC)

genealogical or biographical dictionaries

家系事典、人名事典でしょうか。前者は、その一族の家紋、由来、縁戚などを調査するためのもので、国内ではあまり見かけないですね。

利用者:Mishika

とりあえずそのように変更してみました。どうもありがとうございます。Tomos 06:36 2003年6月6日 (UTC)

百科事典としての価値が無い思われる(辞典的な)記事を発見したのですが、何処へ報告すれば良いでしょうか?

a perfect fool 17:23 2003年12月22日 (UTC)

サッカーのポジションの解説をする記事にするとかでどうでしょうか?Tomos 14:10 2003年12月27日 (UTC)

これも現在は辞書的な記述に思えます。こういう記事を見つけたら、報告する場所があっても良い気がしますが、どう思われますか?Tsk 22:09 2003年12月29日 (PST)

加筆すべきだ、というのであればWikipedia:書きかけの記事の探し方、直し方を使えば良いのではないでしょうか?tanuki_Z 22:25 2003年12月29日 (PST)
Tskさんへ、書かれたものの一部は「曖昧さ回避」に近いものが含まれています。ですから、現状ではそれらは残した方がよいと思います。0null0 22:27 2003年12月29日 (PST)

tanuki_Zさん、0null0さん、ありがとうございます。単に削除するわけではなく、Tomosさんのように発展させる方向を提案したり、曖昧さ回避にしたり、最悪削除をする(日本語版ではないかもしれませんが)という検討をする場所があると良いと思ったのですが……。
とりあえず、ここに報告して様子をみることにします。加筆するべきならWikipedia:書きかけの記事の探し方、直し方へ移動しましょうか。Tsk 10:08 2003年12月31日 (UTC)

確かに個人的にどうしようかと思って抱えているより、多くの人の意見を募る方がいいでしょうし、そういう場はあってもいい気がしますね。tanuki_Z 10:18 2003年12月31日 (UTC)

字引的な記事

category:字引記事が作成されましたので、今後、字引的な記事を見つけられた場合は、主にそちらで対処して下さい。また、記事の内容に応じて加筆依頼統合依頼整理依頼修正依頼プロジェクト間の移動などへも振り分けて下さい。


上記のリストは長期間放置されている模様ですが、字引的状態を脱しているものもあり、各種の依頼系ページ等への移行などメンテ等されるべきと思われます。--Willpo 2005年7月8日 (金) 16:52 (UTC)[返信]

そうですね。このリスト自体はそもそも字引テンプレートができる前に創られたのじゃないでしょうか。そして、書き加えられたものはおっしゃるとおりですし、いまだに字引なものはTranswikiして辞典として磨きをかければいいのじゃないかと思います。--Aphaia 2005年8月12日 (金) 22:31 (UTC)[返信]
統合依頼category:字引記事への移項等、整理しました。--Kstigarbha 2005年8月12日 (金) 22:59 (UTC)[返信]

曖昧さ回避が字引的である場合は

曖昧さ回避が字引的である場合の説明が不足していると思うのですがどうですか?その場合下手に字引的でなくすのも誤解を招くとおもうのですが。--Onyx 2008年11月21日 (金) 17:17 (UTC)[返信]

いつまでも草案にしておかずに公式な方針にするなりやめにするなりしてはいかがですか

長く放置されている草案を見つけたように思います。タイトルでいいたいことはほぼ終わっています。この表現では提案にならないので、提案としては「公式な方針」にすることを提案します。Suzukitaro 2009年11月18日 (水) 15:41 (UTC)[返信]

ほとんど関心をもたれていないここの現状を見ると「公式な方針」にするよりも,template:私論を添付してCategory:ウィキペディアの私論に分類するほうがよいと思います。提案を変更します。Suzukitaro 2009年11月28日 (土) 13:08 (UTC)[返信]
提案を実行しました。中途半端な状態で忘れられてしまっているのだと思います。「公式な方針」にすることに反対しているわけではないので,そのほうがよいと思われる方はどうぞご提案ください。Suzukitaro 2010年1月3日 (日) 01:53 (UTC)[返信]
提案に気がつくのが遅れました。この文書は事実上ルールとして運用されている上、公式な方針であるWP:NOTの補完的文書であって同様に公式な方針として運用してよいでしょうし、英語版でも公式な方針とされていますので、「公式な方針」でいいのではないでしょうか。--Kurz 2010年2月6日 (土) 10:17 (UTC)[返信]
私は私論のままでもよいと思います。ですがガイドラインとするならば、「考慮すべきガイドライン」で良いのではないかと。
また、ガイドラインもしくは公式な方針にするにしろ、このページでだけ議論するというのは、不適切なので議論告知+お知らせにも載せるべきかと。--春日椿 2010年2月6日 (土) 14:56 (UTC)[返信]
ご意見はわかりましたが、理由が書かれておらず判断の材料にしにくいので、理由も書いていただけると助かります。あと、議論告知が必要なのは確かですが、それは私論への移行の際も同様だったでしょう。とりあえず草案に戻したほうがよさそうですね。--Kurz 2010年2月8日 (月) 10:33 (UTC)[返信]
いいえ、それは必要ないと思います。私が別の場所への告知が必要だと申し上げたのは、利用者への影響があるからです。通常、草案と私論の間の位置づけに大きな差はありません(草案の場合は、ガイドライン化の前に試験運用が行われるれる場合もありますが)。どちらもルールとしての拘束力はありません。一方、ガイドライン化は、「守ることを利用者が合意した指針」と扱うことになり、拘束力が発生しますます。草案段階では興味のない人も、ガイドライン化するなら意見があるといわれるかもしれません。
私には、この文章は作成途中もしくは方針化する気のない案件のように見えます。それは作られてから長い間、ほとんど放置されているに等しい状態であったからです。「ウィキペディアは辞書ではありません」の一部を補う文章としての位置づけがあるとは言え、この文章自体に意味がなければ公式な方針とするのには相応しくありません。私は、今の内容だけなら、WP:NOTに記述を移動して内容を少し厚くするだけの方が良いと思います。--春日椿 2010年2月8日 (月) 15:27 (UTC)[返信]

曖昧さ回避が字引的である場合は(2)

曖昧さ回避が字引的である場合は、例外とすべきであると考えますが如何ですか?問題が内容であれば、本文を書き換えたいのですが?--Onyx 2010年2月25日 (木) 23:13 (UTC)[返信]

Wikipedia:曖昧さ回避#曖昧さ回避ページを辞書にしないで言うような誤解がつきものなので、提案のような内容を書くとかえって誤解されやすくなってまずいんじゃないでしょうか。--Kurz 2010年2月26日 (金) 03:32 (UTC)[返信]
恣意的なリダイレクトを相対化して、特定の語の健全性を確保しようとする試みは、ウィキペディアの充実にとって重要だと思われますが、参考文献を尊重した曖昧さ回避が字引的として問題視される場合があり、困っています。--Onyx 2010年3月17日 (水) 22:47 (UTC)[返信]

Template:字引

本文書は私論にとどめる旨の合意がなされているため、Template:字引のリンク先を本文書からWP:NOTDICDEFに修正しました。今後は「ウィキペディアは辞書ではありません」を参照していただきましょう。--伏儀会話2012年11月6日 (火) 12:08 (UTC)[返信]

先方への配慮

どうも内容がWikipedia日本語版の都合ばかりが強調されていると思ったので、Wiktionary日本語版からの視点も取り入れてみました。--Charidri会話2013年5月22日 (水) 10:09 (UTC)[返信]

改名提案2014年7月

現在の、Wikipedia:ウィキペディアは字引ではないから、

英語版では、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは辞書ではありませんの主たる本記事名なので、英語の表題はWikipedia is not a dictionaryでかぶっています。

Wikipedia:記事名の付け方#正式名称としても字引よりは辞書かと思われますので。異論がなければ1週間後に改名します。--タバコはマーダー会話2014年7月24日 (木) 12:42 (UTC)[返信]

改名しました。--タバコはマーダー会話2014年7月31日 (木) 22:14 (UTC)[返信]

方針・ガイドラインとして提案中の復活

方針かガイドラインか取り決めるため{{proposed}} を貼りなおします。ご意見をどうぞ。
意見がまとまらないようなら、長引かせず、とりあえず「ガイドライン」に引き上げましょう。

(概要)五本の柱のうちの基本方針「ウィキペディアは百科事典です(ウィキペディアは何ではないか)」の「内容」に「ウィキペディアは辞書ではありません」に直結する。そちらの文書ではという項がもうけられており「方針」であるのが明らかなのに、子記事である「Wikipedia:ウィキペディアは辞書ではありません」が2ランクも下げられて「私論」に落とされているのは不自然。

(背景) もともと「方針・ガイドラインとして提案中」を示す {{proposed}} タグが張られていたが、あるユーザが、合意形成できたとして「私論」タグに置き換えた(版番27509075と版番29810311の差分)。--Kiyoweap会話) 2015年4月21日 (火) 20:18 (UTC) ユーザ名差し控えのための改稿 Kiyoweap会話) 2015年4月24日 (金) 00:53 (UTC)「直結」の語弊を削除--Kiyoweap会話) 2015年4月24日 (金) 05:02 (UTC)差分の誤リンク訂正--Kiyoweap会話2015年4月28日 (火) 03:19 (UTC)[返信]

賛成 (方針) 善意で辞書的な記事(2義以上を1ページ)を作成してしまうことは、新規ユーザでなくとも犯すことがあり、私もあります。
単発ミスで犯したユーザを断罪するわけではありません。
ですが、忠告を再三受けても辞書的スタブ記事の作成する人に対しては、効力・警告力をもたせたいと思います。
また、辞書的⇒百科事典記事への移行(「記事分割の提案」などの手法で有効性の議論をつくした後)にも、「私論」では応じないと言い張るユーザもいるでしょう。--Kiyoweap会話2015年4月21日 (火) 20:40 (UTC)ユーザ名秘匿のための改稿 --Kiyoweap 2015年4月23日 (木) 23:20 (UTC)[返信]
反対 条件付反対 Wikipediaが辞書ではないことはWikipedia:ウィキペディアは何ではないかにおいて既に方針化されています。本件はWikipedia‐ノート:編集合戦#これはガイドライン?公的な方針?と同じようなケースではないでしょうか? 本文書はWikipedia:方針とガイドライン#位置づけの説明で言うところの、「利用の手引きやヘルプ」のようなものであり、本来は方針/ガイドライン/私論という格付けの範囲に無い文書だったように思われます。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの詳細な補助説明が目的の文書として(同方針では{{Main}}ではなく{{See also}}で本文書が参照されている点にも注意)、同方針に誘導することが本題だと思います。要するに本文書は、方針に肉付けされた諸々の部分に「私論」のレッテルが貼られていることが混乱の元なのであって、いっそガイドラインや方針に格上げする必要が無いものと考えます。この手の補助文書すべてに対して方針・ガイドライン化を考えていてはきりがないですし、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかから独立させるだけの特段の理由が無ければ、上位の方針に集約させれば良いだけではないでしょうか? とにかく私論のレッテルだけは速やかに解消すべきです。--Gwano会話) 2015年4月22日 (水) 00:37 (UTC) 票を変更。--Gwano会話2015年5月2日 (土) 14:54 (UTC)[返信]
返答 幾つか傍題を会話にて反論させていただきました。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 10:07 (UTC)[返信]
コメント 返答の前にちょっと本題から逸れますけど、もしかして削除依頼のような投票主体のページと混同されていませんか? それらは込み入った議論に発展すると票が分かりにくくなりますので、投票済みの者による記述量の多いコメントがノートに隔離される場合があります。しかし本件のような個別のページでのノートでの提案では議論こそ重要で、込み入った議論になっても別ページに分散させないのが普通です。議論が追いにくくなって一括した議論ができませんし、私としてもどちらに返答して良いものか分かりません。今回のご返答は内容的に進行中の本議論に対する普通の返答と思われ、わざわざ案内を入れたうえで個人のページで展開を続けるような内容では無いように見えます。私としてはこちらに転記したうえで返答したいと思っておりますが、念のため、利用者会話ページに隔離すべき特段の理由があるのであればご説明いただけますでしょうか? --Gwano会話2015年4月24日 (金) 12:28 (UTC)[返信]
コメント私は削除依頼はあまり関わりませんので、そちらが投票主体だという話にはうといのですが、投票は議論の代用とはならないのつもりでいます。まあ、説明いたしますと、本来は賛成(方針)・賛成(ガイドライン)・反対の3パターンでの議論というかたちを予期していました。ところが私の想定外で2パターン加わったので、まずA, B, C, D, E 案解決策をだそうと思い、逐一の議論はそこにあまり交錯させたくなくなったので、一時保留にしました。結局、考えが変節し、A, B, C, D, E 案ではなく、下方のコメント投稿のようになりました。
まあ、あまりきれいごとばかりはいえませんで、一部はGwanoさんに言われっぱなしにできないで反論したくもあり、そちらのトークに流している面もあり、いささか弁明しますと、参加者としての私は、さっさと「方針」から落として「ガイドライン」でも妥協して楽になりたいところですが、提案者としましては、いまだみえない新たな参加者が現れた時にすでに「方針」のチョイスを捨ててしまっているのもなんですから建前において討論はしている面がある。ですが現在の流れであくまで「方針」にこだわるのが焦点と思わないので「傍題」と称して流しています。といったところですかね。
しかし、解決策につながりそうな、特定のポイントがあれば、こちらのスレに差し戻して頂いてもちろん構いませんが。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 14:18 (UTC)[返信]
会話ページでご自身のお考えをあれだけ述べておいて、それが解決策に繋がらないとお考えなのであれば、とりあえずこちらで返答することにします。とは言え、何が解決に繋がるかは分かりませんので、今後引用の数が増えそうならば転記したいと思います。--Gwano会話2015年4月25日 (土) 14:59 (UTC)[返信]
会話ページのほうはあとでゆっくりお返事しようと思っていたのですが、よく見ますと元の議論が直接参照できない場所で意見が述べられていることにより、ぱっと見の第三者視点において誤解を招く懸念が生じています。やはりどう考えても個人の会話として行う内容としては無理がありますし、仕方ないので以下に全文転記させていただくことにしました。私としてはできる限り善意に解釈したいと思っているのですが、結局的に関連議論を分散させただけに過ぎず、審議妨害(遅延行為)と受け取られかねない心配も感じます。--Gwano会話2015年4月27日 (月) 12:01 (UTC)[返信]

Wikipedia‐ノート:ウィキペディアは辞書ではありません#方針・ガイドラインとして提案中の復活で挙げられた幾つかのポイントに、こちらで反論させていただきます。

Gwanoさんのいわんとしていることは、大体わかると思いますが。たぶん、ひとつには「方針の実践編」は「方針」と呼びたくない、あたりでしょう。語感的には、そうかもしれませんが、これは既成事実に逆らいすぎでは。じっさいは「方針の実践編」も「方針」になっていますよね、日本語版をふくめて。そんなわけですから、私がストレートにいうところの「方針の実践編」を、わざわざ「方針に肉付けされた諸々の部分」と言い回しされるのや、「骨子の」部分は「上位の方針に集約させれば」などのご提案するのも、その語感を大事にしたいがために、相当無理しておられるとしか思えません。

本文書「Wikipedia:ウィキペディアは辞書ではありません」は、Akatsuki444さんが仰いますように英語版ではポリシーとして確立しておりますが、日本語版でも「方針・ガイドの草案」としての長い経歴があります。たしかに、記事ノートには過去スレがないのが実情ですが、記事の履歴をご覧になればおわかりのように、2005年あたりの段階以降「方針かガイドラインの草案」タグが記事トップにつけられていました。そのまま膠着状態だったことが長期にわたっています。ですから、「方針・ガイド」の「格付けの範囲に無い」とおっしゃっているのは不当であると反論します。

「{{See also}}(「~も参照」)で紹介されている」ということに、さしたる意味はないでしょう。たまたまですが、下の「#独自研究」は方針になっても「~も参照」のままですし。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 09:58 (UTC)[返信]


ええと、ウィキペディア文書の位置付け(格付けとは限らない)は変わることがあります。「格付けの範囲に無い」発言について、過去に格付けが無かったという事実に対し、その後しばらくは草案の位置付けだったからといって、過去にさかのぼって当時の位置付けが変わるわけではありませんよね。私は「本来は~」と前置きしたうえで、"過去形で"述べていますので嘘は言っていないはずです。しかし会話ページではそのことを説明していないので、まるで私が草案だった時期がないという虚偽を言ったかのような語弊が生じているのですよ。実際のところ(1)もともと「方針/ガイドライン/私論という表明の無かった文書」、恐らく補助説明のたぐいが、(2)2005年に「方針がガイドラインの草案」として"提案"され、その後否決されて(3)「私論」に分類されたという話ですよね。今回の議論内容は、言ってみれば現在(3)に位置付けられている文書を過去の位置付けに戻すという提案でしょうから、(1)に戻すか(2)に戻すかの違いでしかありません。片方だけが不当というのは個人のご意見なわけですから、議論の場(こちら)にこそ向いた内容かと思うのです。
なお「記事ノートには過去スレがない」というのは、ノートに本文書誕生時の経緯が書かれていないことを言っておられるのでしょうか? 本文の履歴を見る限りはもともと英語版から導入した文書(無言コピペだったようですがGFDL的に大丈夫なんでしょうか?)を訳していったものがベースのようですが、当時は英語版にも格付けテンプレートは無かったようですので、日本語版作成時の位置付けの意向についてはっきりしたことは読み取れませんでした。--Gwano会話2015年4月27日 (月) 12:01 (UTC)[返信]
コメント「白紙に戻す」案の反論です。タグされていた以前の「本来」に戻せというのは、一種の正論でしょう。ですがそれは草案に担当者がいて引き継がれて等理想的に管理においてしょう。
現実は、Category:草案からも抹消されるなど、棚上げ・倉入りの閲覧状態に変える、という弊害があります。なので雑でも「草案中」のタグ据え置くのに意味があります。
「方針・ガイドライン提案中」が長期間に据え置かれてもよいというのは許容事実でしょう。実際にそのままのものがいくつもあります。外せとクレームが多々ありますでしょうか。(ブロックさんのノートに1, 2名からも、「草案中」ものを安易に「看板を掛けかえ」るなというクレームが意見されていますし、WT:3RRも参照)。つまり私「個人」以外にも「まま」の方でよいとい意見が介在するのです。
白紙に据え置かれた「編集合戦」の対抗例がありますが、あなたが直接関わって結果を左右したものですよね。
「過去スレがない」というのは、タグが貼られて公式化の提案がされた、という宣言をした節が本ノートに見当たらないことです。
GFDL云々は別経路攻撃に思えますが、利用者:Iwai.masaharu さんにでも伺ってみますかね。--Kiyoweap会話2015年4月29日 (水) 06:49 (UTC)[返信]
すみません。ウィキペディアは戦いの場ではありませんので「攻撃」などという意図は全くございません。もし私の発言のどこかにそのように感じられるほどの表現があったのだとしたら、失礼いたしました。このような誤解を避けるために、おっしゃられたようなWikipedia:善意に取るというものがあると思うのですが、いかがでしょうか。GFDLについてはウィキペディアで最も重要な部分であるので言及せざるをえなかったのです。ただしその後、タバコはマーダー氏のご指摘により、2014年8月1日に全面的に翻訳しなおされていることが示されましたので、少なくとも現在の版には影響しないと思われますから、ひとまずお気になさる必要はないと思います。
また、テンプレート関連についてはいくつか言葉が足りなかったようで、誤解を与えてしまいましたことをお詫びします。
まず、私の立場がテンプレートを剥がすものと解釈なされているようですが、解説テンプレートについては存在を把握していなかっただけであり、無いよりはあったほうが良いと思っています。また、こちらの記述を借りれば、Wikipediaで言う「白紙化」とは基本的に「全テキストの除去」を指します。ここで意図されているような「以前の状態に戻すような編集」は(Wikipediaでは)白紙化とは表現いたしません。ましてや、今回の場合はテンプレートの有無もしくは変更が主題であり、必ずしも内容を巻き戻す話でもありません。Wikipedia用語ではない通常の日本語表現として見ても、大袈裟かと思います。
Wikipedia‐ノート:編集合戦#これはガイドライン?公的な方針?についての経緯も、誤解の可能性がある表現が見られます。私はWikipedia:編集合戦の文書については、草案テンプレートの付け外しはおろか、一切の編集を行っていません(更新履歴を見れば明らかですが)。件の議論は本件のような話ではなく、最初から解説テンプレートや草案テンプレートが付いておりません。私が関わった部分は、この文書を{{Wikipediaの方針とガイドライン}}に載せるかどうかの話でしかありません。さらに言えば、私が行わなくても他の方がそうしています[1]。このテンプレートはそもそも日本語版での議論なしに勝手に方針・ガイドラインとして英語版の基準を持ち込んだという問題のあるテンプレートだったと考えております。
また、下の重陽様に対する発言の中で「本文書が「合意形成」にかなう「ルール」に関する文書だと認めてらっしゃるのに、それでもなかなか「ガイドライン」だと認定したがらない。その理由が私には不透明です。」というご発言もあり、これらを考えると、どうもKiyoweap様との見解の相違が見えてきた気がします。
もしかしたらですが、Kiyoweap様は英語版の方針・ガイドラインであれば、もしくは方針から呼び出される下位文書であれば、日本語版での方針化は容易か、敷居が低いものとお考えなのではないでしょうか? もちろん英語版で方針であれば有望とは言えるかもしれませんが、私はそれでも、かなり敷居の高いものと認識しているのです。Wikipediaの方針は各国語版で異なるものです。さらに、方針とは頻繁に変更するものではなく、変更するには慎重で込み入った議論を経る必要があるのです。ガイドラインであれば現実的な敷居ではありますが、それでも他の日本語版方針と比べて矛盾は無いか考える必要はありますし、それなりに慎重な議論が必要なものです。そのため、提案自体がかなりの覚悟を持って、具体的な論点を用意して(「例えばWP:NOTに無い記述のどれがどのような理由で方針に欲しい点なのか」)から行う必要があると考えているのです。今回の提案では、それが見えてこなくてただ提案しただけのように感じられましたので、本能的に反対票を入れたものです。なお「「草案中」ものを安易に「看板を掛けかえ」るなというクレーム」については「勝手に」の部分が問題で、除去のための充分な議論が無かったためと思います。
しかしその後、タバコはマーダー氏の参加によって本格的な議論が展開されつつあるように思います。今の状態であれば、提案テンプレートを付けること自体には反対しません。この意味では、123.220.9.32様のおっしゃるように、提案と解説の両方のテンプレートをとりあえず付けてよいと思います。先にも言いましたように、文書の扱いは流動的ですから、解説と位置付けることが将来のガイドライン化を否定するものではないと考えるからです。解説をベースにした提案があっても良いでしょう。
提案中という状態の効力につきましては、人それぞれで認識の異なる部分かと思います。提案中を格分けの一種として考えるべきかどうかは、本議論に限るものではありませんから、井戸端などで意見を求めるほうが良いかもしれません。探して見ると、Wikipedia‐ノート:方針とガイドライン#草案段階のガイドラインの位置づけの明確化あたりでで関連議論があったようですね。--Gwano会話2015年4月30日 (木) 14:59 (UTC)[返信]
茶々入れ失礼。{{反対|r}}ではなく{{反対r}}ではないかと………--世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月1日 (金) 13:24 (UTC)[返信]
ご指摘ありがとうございます。返答の本文から離れたところだったためにプレビューで見落としていたもので、他意はありません。ただ、よく見ると反対票を取り下げるには気になる部分がありますので条件付反対に変えさせていただきました。
WP:NOTから独立させるだけ特段の理由」については議論の推移を見守りたいので{{proposed}}を張りたいという点には(議論が続いているうちは)反対しません。ただ重箱かもしれませんが、意見がまとならなければとりあえずガイドラインにする、という部分も提案の一部だとすれば、さすがに無理があります。充分な議論が尽くされるならガイドライン化に反対するつもりは無くても、ガイドライン化ほどの重要な提案が、意見がまとまらない場合に「とりあえず」で採択してよいものなのでしょうか? それほどの差し迫った(かつWP:NOTでは足りない)問題があれば別ですが、そのような文言があっては反対票を取り下げようと思ってもなかなか取り下げることができません。 --Gwano会話2015年5月2日 (土) 14:54 (UTC)[返信]
反対 井戸端から来たのですが、これは良く言ってもガイドラインであり明らかに方針ではないと考えます。それに対して「~~は「方針」であってしかるべきなのものです。」と公言するような人が提案していることに強い危惧を覚えます。
Wikipediaは「百科事典という概念を再定義」しかねない気狂い染みたプロジェクトだと私は思っているので、本文書はその未来を「既存の百科事典の概念から逸脱しない」ように制限するものだと考えます。当然、方針などではあり得ず、現代という、未だ「辞書と百科事典(と、その他の紙製の何か)とを区別しなければならない事情を作り出している紙」の影響が色濃い時代にのみ有意な一時的なガイドラインでしかないはずです。これを方針とすることは即ちWikipedia自身により「百科事典の定義」することであり即ちWikipedia自身に定義という束縛を与えることです。そしてそれはイコール「新たなる百科事典の概念」が生まれる可能性を阻害する試みです。
井戸端に於ける発案者の発言内容は私の見る限り噴飯ものであり、これ以上書くとまた言葉遣いがどうの礼節をもってこうの長いからそうのと言われることが目に見えているので詳しくは書きません。ので憤懣遣る方無い思いです。
本文書は良く言ってもガイドラインであり、多分に私論であるべき文書です。私論にしておくには惜しい程に良く書かれていることは認めます。初心者にとって理解の助けとなる良い手引きであることを鑑みれば、十五歩ぐらい譲ってガイドラインとして認めた方が良いかも知れないとは思います。ですが方針としては認められません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月22日 (水) 11:57 (UTC)[返信]
GwanoさんとMaddestmagicianさんのご意見を考慮すれば、{{Infopage}}を貼ってCategory:ウィキペディアの解説に分類するのが一番いいように思いました。本文書は方針であるWikipedia:ウィキペディアは何ではないかを補足する文書であり、内容自体はウィキペディアにおいて広く共有されている合意事項であるという点は全員が認めるところでしょう。私論のままでは問題だけどガイドラインや方針にしてしまうのも問題があるような、この文書のような立ち位置の文書に最適な分類かと思います。--重陽会話2015年4月22日 (水) 22:33 (UTC)[返信]
コメント個人的には、コンセンサスが得られるのならどのような形になってもよいのですが、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの意見に1つだけ。現在のこの文書は英語版の方針であるen:Wikipedia:Wikipedia is not a dictionaryの翻訳を元にしてますよね。「方針とは認められません」と言うほどでしょうか。--Akatsuki444会話2015年4月23日 (木) 14:04 (UTC)[返信]
◆「言うほど」だと私は考えています。
十五歩(現実問題として十五歩も下がったら5~10メートル離れることになり、対話は容易ではなくなります)ぐらい譲ってもガイドラインまでです。ですがそれとて「初心者にとって理解の助けとなる良い手引きである」からに過ぎません。日本語版以外の全ての言語の版で方針になっていたとしても、ジミー・ウェールズが「方針である方が適切だ」と主張(「方針とせよ」と言ったのではなく)していたとしても、それ等は私の考えの根拠を否定するものではありません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月24日 (金) 11:28 (UTC)[返信]

反対 私も井戸端から来ました。Wikipedia:五本の柱に直接リンクされていることが方針・ガイドライン化の根拠になるのなら、Wikipedia:議論が白熱しても冷静にWikipedia:論争のある記事も方針・ガイドライン化が必要という結論になってしまいます。「噴飯もの」とまでは言いませんが、根拠になっていないと思います。Wikipedia:議論が白熱しても冷静にはエチケット的な内容という理由で私論となりましたが、Wikipedia:論争のある記事は既存の文書をまとめただけという理由で私論になっています。この文書も「既存の文書をまとめただけ」「WP:NOTで十分」と私は考えており、私論で良いと思っています。ただ、{{Infopage}}とするのなら反対しません。--伏儀会話) 2015年4月23日 (木) 10:46 (UTC)訂正--伏儀会話2015年4月23日 (木) 10:51 (UTC)[返信]

コメント 一部の方はなにか大きく勘違いされているようですが、何も私が当記事を「私論」ステータスから引き揚げようができまいが、効力は生きていますよ。なんならお試しになってもよろしいが、おおよそここの記述してあることに何度も抵触し何度も勧告無視するなら、管理者から永久ブロック等を食らいかねませんから。じっさい、当記事を「私論」にダウングレードさせたユーザが食らっています(確実な理由は明かされませんけどね)。そのことを踏まえて、ブロックされた方がつけた「私論」というラベルに惑わされて、「やってもいいんだ」と思わないように、きちんとしたタグ貼り換えを私は提唱しているのです。
user:Gwanoさんもある時点では「同方針に誘導することが本題だと思います」とおっしゃるのですから、何かそういうニーズは認めてらっしゃるように思えますが。私は「方針」にはこだわりませんが、せめて「ガイドライン」でないと、元々提案した「警告性」の意味が無いと思いますし、誘導性もありませんよね。 Gwano さんが挙げたWikipedia‐ノート:編集合戦#これはガイドライン?公的な方針?のように何もタグのない状態に引っぺがすのも、警告性もなく、誘導性もありません。また、重陽さんの{{Infopage}}案も然りで、「私論」と書かれるのとほぼ横ばいであり、「従わなくともいいんじゃないか」感は払しょくされないと思います。ですから、「私論」ははずしておき、当面としては次案として「方針かガイドラインの草案」タグを貼ったまま据えおくことが望ましいと思います。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 08:39 (UTC)[返信]
◆提案者は何か大きく勘違いをなされているようですが、私を含め反対者の中には誰一人として「本文書が効力を持つこと」に反対している者は居ません。反対者全員が「本文書が効力を持っている事実」を認めており、またそれが適切で且つ有用であると考えています。繰り返します。唯の一人も居ないのですよ。
なので「効力は生きていますよ」であるとか、況してや「なんならお試しになってもよろしいが」などと主張することは全くの無意味です。
僭越なる私見ではありますが、wikipediaを守る勇猛果敢なる衛士達には、その戦いを今後も長く続ける為に適度な休息が必要なのではないでしょうか。敵の戦術は単純です。衛士達を疲弊させ、脱落し数が減るのを待っているのです。どんなに強い戦士でも疲労には勝てません。どんなに凄い武器を持っていてもです。
例えば、英語版wikipediaでは本文書は方針とされていると聞きました。では英語版wikipediaには「本文書に抵触する者」が居ないのでしょうか? 彼等は駆逐されたのでしょうか? いいえ、そんなことは無いはずです。
方針であろうが私論であろうが、やる輩はやるのです。何故ならばやりたいからであり、そしてそれが実行可能だからです。彼等を完全に駆逐出来る武器は唯一つ、「以上の記述を完全に理解し同意した上で投稿する」ボタンを押しても記事の内容が変更されないようにすることです。なのにその武器は五本の柱に反しているのです。
wikipediaを守る為には戦い続けるしかありません。そして脱落せずに戦い続けるには、適度な休息が必要です。脱落せずに復帰し、再び戦い続ける為の休息が。
疲労が勘違いを誘発させたのであれば、それを敵の前で晒し討死する前に休息をとり、万全の状態で戦線に復帰してもらった方がwikipediaの発展の為になるのではないかと愚考します。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月24日 (金) 12:44 (UTC)[返信]
何だか場を和ませようと気を使わせてしまってすみませんが、それほどテンパってるわけではないです。これでも何度も修正して投稿してるんで、疲れはしますけど。
「お試しになってもよろしいが」と言ったのは挑発的ですが、真に受けてする人はいないでしょうから、当然レトリックです。無意味だとおっしゃるが、そうだとは思わない。世界最狂の魔法使いCray-Gさんなどの最初の投稿を見ても、はっきり言って、<効力はもたないものを、私が理不尽に持たせようとしている>、と言う風にとれました。ですから、内容をなめてかかればヤバい結果という怖い話筋で情報を伝えたつもりです。
しかし読まれているかもしれない新規ユーザを変にビビらせて編集意欲を委縮させるのももいけませんね。そういう方にはページの編集は大胆にがガイドラインです。さらに違反が故意でないこともあるので周りは善意に取る義務があり、礼儀を忘れないによれば他人のミスをなじってはならず、そのうえ新規参加者を苛めないでくださいとなっています。--Kiyoweap会話2015年4月24日 (金) 15:35 (UTC)[返信]
◆やはりご理解を戴けていないようです。
~~、と言う風にとれました。
そういう風に「とれてしまう」ような状態で提案していることを問題視しているのです。そのようなレトリックを「使ってしまう」ような状態であることが問題だと言っているのです。それは井戸端に記載されていた(そして私ことCray-Gの観点では今や隠蔽されてしまった)文言に既に顕われていたので私は強い危惧を覚えたのです。そしてそれが「(私ことCray-Gの観点では)隠蔽された」ことで危惧は確信に変わりました。
wikimediaプロジェクトはその全てに於いて共通して「中立的な観点に基づいた内容」を目指しています。その為には「誰でもが匿名で編集可能である」ことが必要であること、そしてその「偏った観点を持った誰でも」が全員で合意を形成すること、そしてその合意形成を妨げる二つの問題行動を禁止することで、実在し得ない「中立的な観点」などという戯けた妄想を実現すると規定しています。
即ち各員の観点が偏っていることは当然であり、それだけならば何等の非難を受けるべきものではありません。例えそれによって誰かが飯を噴こうが午後ティー噴こうがです。寧ろ逆に「我こそは斯様にも偏った観点を持つ者也。我とも合意を形成すべし」と名乗りを上げるべきところでしょう。私は井戸端でその名乗りを上げているのを見たからこそ此処へ来たのです。でなければ来なかったでしょうし、よしんば来たとしても「馬鹿言ってんじゃねーよバーカバーカ」を慇懃にした内容を書き捨ててそのまま興味を失い、当分見もしなかったことでしょう。
非難を受けるべきなのは観点が偏っていることではなく、合意を形成しようとしないことです。もっと厳密に言うと、合意を形成する為に必要(だと私ことCray-Gは思い込んでいる)な相互理解を行なおうとしないことであり、それを阻害する為の様々な行為を試みることです。それには「目的」の為に自らの観点を偽装することも含まれます。観点を偽装することは(他の観点の持ち主による)相互理解の為の努力を誤った方向へと導き、無駄な労力を費やさせ、「問題行為者が駄々をこねている」だけにしか見えないようにします。それは結果としてコミュニティーを消耗させることになります。そしてその時にはその問題行為者にとっても、他の多くの利用者が理不尽で不当な隠された目的の為に自分の意見を封殺しようとしているだけにしか見えないようになるのです。それは両者とwikipediaにとって不幸なことです。
もしも前段落最後の「他の多くの利用者が~~封殺しようとしている」のリンク先の文書を読んで(或いは読まずに)該文書がwikipediaで「効力を持っていない」と思うようであれば(思うはずだと私は既に確信しています)、Kiyoweap氏の言う「効力」と私ことCray-Gの言う「効力」との間には差異があることになります。私ことCray-Gは、wikipediaに於いて「Kiyoweap氏の言う効力」がある文書は五本の柱以外には無いという観点に立脚しています。つまり検証可能性でさえ、私ことCray-Gが立脚する観点に於いては「Kiyoweap氏の言う効力」を持っていないのです。それは通称「アップルパイ案件」と呼ばれていて、確か解説ページがあったはずなのですが記憶違いなのか探したけれど見付かりませんでした。
場を和ませようと気を使わせてしまって
真に受けて良いのでしょうかね?
したり顔で「モルダー、あなた疲れてるのよ(  ゚,_ゝ゚)ププッ」とか言われて言われた当人が和むはずがないので、かなりの重症と御見受け致します。
内容をなめてかかれば~~
先の投稿に於ける「警告性」だの「誘導性」だのとおっしゃっていた内容のことと考えます。既に述べた通り、方針であろうが私論であろうが「警告性だの誘導性だの」には大した影響を与えません。無論、不適切な編集をする者を「(Kiyoweap氏の言う)効力」によって「萎縮させる」為には、私論であるより方針である方が役立ちそうに思えます。ですがそれで実際に「萎縮する」者は、私論であっても萎縮するものです。
新規参加者を苛めないでくださいにある通り「根気を持って」接するべきでしょう。短気を起こして「こういう方針と決まってるんだ」と居丈高に言って萎縮させるのではなく。
効力はもたないものを、私が理不尽に持たせようと
前述の通り、方針にすることによって「(私ことCray-Gの言う)効力」は変化しませんし、また「(Kiyoweap氏の言う)効力」を持つことも無い(と少なくとも私は思っている)ので、私視点からはやはり無意味であることに変化はありません。
ですが、そうやって書いて戴いたことで理解出来たことがあります。即ちKiyoweap氏は現在、「本文書を方針にすること」と「なんならお試しに~~食らいかねません、と伝えること」とが同様の効果を生むように見える観点に立脚している、ということです。
相互理解が進みました。これにより論点が「本文書は方針であるのが適切か否か」ではなく、「『その効果』を生むことでwikipediaにどのような利益が齎されるのか」であることがわかります。私の立脚する観点に於いては、それによってもたらされる利益は「根気を持つ」必要が無くなる(=楽になる/その分の時間を他の有意義なことに使える/ディスクスペースの節約になる等)以外に思い付きません。なのでこのままでは私の反対の立場が変わることはありません。
ですがKiyoweap氏の考える「~~どのような利益が齎されるのか」を私が理解出来れば、そしてその利益が「この多分に私論であるべき文書を不適切にも方針とする」だけの価値が確かにあると私が認めるものであったならば、私は本文書を方針にすることに賛成の立場となることでしょう。現に私は「この多分に私論であるべき文書を不適切にもガイドラインとする」ことに対して、既に不本意であり抵抗はしますが賛意を示す用意があることを表明しています。それは「本文書がガイドラインであるべき」だからではなく、「その利益が『この多分に私論であるべき文書を不適切にもガイドラインとする』だけの価値が確かにある存在し得ると認める」からです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月25日 (土) 08:19 (UTC)[返信]
Kiyoweap氏が私の会話ページへと議論を分散させようとしているのでちょっと応答が変になりますが。
それは私が抗議するに値します
であるならば、それは議論の場で宜しくお願い致します。私の会話ページでこっそりこそこそ脅迫するのではなく。
ウィキペディアンが行なわなければならないのは秘匿された外交ではなく、公開された議論です。
ウィキブレイクが必要な人間? 私は「貴殿にウィキブレイクが必要だ」などとは思っていませんよ。あれは表面上を取り繕ったものです。
ルールの悪用(これはガイドラインです)にある「悪用は、自分の主張を何とか通そうとするあまり行われることが多く、本人が意識せずに行っていることもあります」のだと考えます。が、(私の立脚する観点では)貴殿はさらに上を行っていて、私論(乃至は方針/ガイドラインへの格上げ(?)が試みられたが為されずコミュニティーから私論であるとして消極的追認を受けている文書)を「自分の主張を何とか通そうとするあまり」に方針/ガイドラインへの格上げ(?)を行なおうとしています。
それだけなら形式上は合法であり、私がとやかく言うことでもないのかも知れません。ですが「この何とか通そうとされている自分の主張」が、「合意形成の為の対話無しに(単に方針/ガイドラインを示すことで)相手を従わせる」こと以外に私には想像もつかないのです。そして、そうではないことを説明しようともしないどころか、質問を無視して自説を繰り返す、相手の会話ページに乗り込んで議論を分散させる、挙句の果ては私論タグを貼ったユーザーはブロックされるようなユーザーだった(←何処に書いてあったのか見付けられませんでした)だとか、何ならWP:NADに抵触する行動をしてみろだとか、対話により合意を形成しようとしているようには全く見えません。私にとっては、最初の井戸端の文面から予想出来たことがまさに予想通りだっただけのことです。
私は、この貴殿の態度を問題にしているのであり、態度を改めることを要求しています。善意に取れば、こういった態度は「度重なる荒らしとの戦いに疲れたウィキペディアン」が陥りがちな態度であることを知っているので、無いだろうとは思いましたが「度重なる荒らしとの戦いに疲れたウィキペディアン」向けに書きました。そうですかウィキブレイクが必要なほどには疲れていないんですか。疲れてもないのに「合意形成の為の対話無しに(単に方針/ガイドラインを示すことで)相手を従わせる」ことを望むのですか。
wikipediaを始めとするwikimediaプロジェクトでは、一貫して合意形成に基づく編集を行なうことになっています。合意形成には対話が必要です。そして観点の異なる者同士の対話には根気が必要です。それを最小限にするノウハウが議論です。相手の話を聞かずに自己の主張を繰り返すのは議論ではありません。自己の主張と相手の主張との差異を見付け、論点を整理する共同作業が議論です。
私は聞く耳を持っていますよ、貴殿の目的が「合意形成の為の対話無しに(単に方針/ガイドラインを示すことで)相手を従わせること以外の何なのか」を説明して下さい。或いは貴殿の目的が「合意形成の為の対話無しに(単に方針/ガイドラインを示すことで)相手を従わせること」であるのならば、それを行なわないことにより発生するはずの損害が「こういう方針と決まってるんだ」と言うことでどれだけ減ると見込まれるのかでも構いません、英語版wikipediaもそういう事情があったのだろうと思いますしね。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月27日 (月) 12:45 (UTC)[返信]
草案、私論、解説のそれぞれの立ち位置についてですが、私論から解説に変更しても「従わなくともいいんじゃないか」感が横ばいであり草案の方がいいというのは、それぞれの枠組みに対する認識にズレがあるように思います。各枠組みの立ち位置を踏まえて考えれば、草案のままで据え置くというのは私論のままと大差なく、むしろ解説にするほうが文書に対する拘束性は高くなりますよ。#いつまでも草案にしておかずに公式な方針にするなりやめにするなりしてはいかがですかでも、春日椿さんが「通常、草案と私論の間の位置づけに大きな差はありません」とおっしゃっていますね。
まず私論ですが、{{私論}}にありますように「一部のウィキペディアンが助言や意見を記したもの」にすぎません。考え方が広く共有されている物から少数意見まで含む玉石混交な枠組みであり、「従わなくともいいんじゃないか」感が強い枠組みである事は確かかと思います。一方で解説は、{{Infopage}}にあります通り「一般的な事実や共有されている合意事項」ですから、基本的には従うべきものであり「従わなくともいいんじゃないか」感はありません。ウィキペディアでは合意形成による意思決定が非常に重要視されますから、「共有されている合意事項」に従わないのであれば相当に合理的な理由を提示したり、その合意を変更するための新たな合意を形成するようなことが求められるのが通常で、一般的には従うことを求められる枠組みです。コミュニティ間で共有されている合意事項に対して、合理的な理由の提示なしに単に方針やガイドラインではないのだから従わないというようなことを主張しても、コミュニティに受け入れられることは通常ありません。さらに、草案はCategory:草案に「現時点ではまだ拘束力はありません。」とあります通り、実際の運用として慣例的に草案のまま一定の拘束力のある文書として参照されているものもありますが、基本的には拘束力を持たない「従わなくともいいんじゃないか」感の非常に強い枠組みであり、その点ではむしろ私論と同等です。草案はあくまでも「案」でしかないというのが基本的な草案の立ち位置であり、方針・ガイドライン化もしくは試験段階の草案に入らなければ拘束力は発生しないというのが原則です。草案のままで拘束力を持たせるような運用は本来の形ではなく、単に整備が行き届いてないが故の暫定的な運用でしかありません。草案はガイドラインと私論の中間に位置するような枠組みではないのです。そのような草案の立ち位置を考えれば、「草案のままで拘束力を持たせるような運用」をさせるために草案のまま据え置くことを前提に草案にカテゴライズするというのはあまりすべきではないのではないかと思います。--重陽会話2015年4月25日 (土) 02:35 (UTC)[返信]
コメント「解説書」案の擁立の、よりつっこんだ根拠はわかりました。ですが説得性はありません。私だって、それなりの考えの上で結論を出しており、うかがった理論は懸念をはらう主張には至っていません。
重陽さんの試案は、なるほど草案よりも拘束性があるような感じを受けますし、その主張はお見事で巧みではあると評価させていただきます。しかし検証すれば、要である点は、いわば<記述上の不備>的なものであることが露わになってまいります。
解説書のタグ{{Infopage}}に「ルールや運営上の手続きについて」という文句が*残っている*のは訳出の不備、というと訳した方に酷ですが、早い時期で英語版でルールにタグするのも用例として許していた頃の名残です。その後は、ルールであれば「ガイドライン」以上に仕分けするように徹底していますから、それを反映してメッセージ訳出を更新したほうよいのです。その*不備*を直さず、逆にそれをついて本試案のような、いわば「規格外利用」しましょう、というのは邪道でしょう。
このタグは「( i )」マーク(commons:Ambox_notice.png)もついているわけですし、英語版も含めた現状通り、パッと見の通り、「情報」類の文書に使うのに徹底するべきですよ。不規則的に情報以外の文書にも使った場合、遭遇した利用者に「パッと見情報だけど下みると内容は規則みたいだし...方針か?...いや、でも方針やガイドラインでないって断ってあるぞ。そうか、ルールで... えーと合意とも書いてある、やっぱり拘束力あるのかなあ?」みたいな、思考経路をさせて、それで「拘束力」が明確じゃないですかなんて、言われてもね。ただただ混乱するだけでしょうに。
他にも「私論・ガイドライン・方針」なら階層が、せめてものはっきりしているメリットがあるのを、「解説」だとそのなかの位置関係が不明になるという、憂慮すべきデメリットがあります。比喩的に言うと「ガイドライン・方針」へ昇格の道を閉ざした永久左遷じゃないですか。
かように常識以外の使い方をおこなうとすると、ほかにも無理が出るはずです。--Kiyoweap会話2015年4月26日 (日) 12:56 (UTC)[返信]
私は各ページの説明文や他の方の発言などを引用した上でお話をさせていただいていますが、Kiyoweapさんのご意見はKiyoweapさんがそう考えているという以上の論拠が何一つ示されていないため、申し訳ないですけれどもそのご意見に賛同することが出来ません。少なくとも、現状、現実として各ページの説明文でそのような記載がされているのですから、それを記載されている通りに受け入れずに、ただの昔の名残だ、不備を利用した規格外利用だ、情報類の文書に使うのに徹底すべきだ、常識以外の使い方だ、無理が出るはずだ等と主張されても、それは単なる個人の感想でしかないのですよ。論拠も無く単なる思う思わないという次元で話を進めてしまえば、意見のすり合わせや合意のやりようがありませんから結論は決裂しかありません。Kiyoweapさんの主張は全て「私はそうは思いません」の一言で終わってしまうような話なのです。Kiyoweapさんは「うかがった理論は懸念をはらう主張には至っていません。」とおっしゃっていますが、根拠なく自分はそうは思わないということを一方的に述べられている現状を見れば、ご自身の意見と方向性を同じくする意見以外にはそもそも耳を傾けるおつもりが無いのではないかとすら感じてしまいます。実際はそのようなことは無いのだと思いますが、Kiyoweapさんのご発言からはそのように受け取られても仕方が無いのだとご理解いただければと思います。「私だって、それなりの考えの上で結論を出しており」とおっしゃられていますが、その「それなりの考え」を上手く伝えることが出来ていないのが、Kiyoweapさんのご意見に誰も賛同しないという現状に表れているのではないでしょうか。--重陽会話2015年4月26日 (日) 14:46 (UTC)[返信]
コメント 「方針やガイドライン」候補な文書を、「方針やガイドラインではありません」と謳っている「解説書」として扱いたいというやり方を「規格外利用」と私が評したからって、いかほどのことでしょうか。
たしかに論調はいささか攻撃的に過ぎました。みなまで丁寧に説明していない部分もあります。
しかし、そもそも本議題は「方針かガイドライン」か決める、という動議なのを、まるでお忘れになっているかのようであり、「方針もガイドラインも」除外した案で、お二人が同調したからそれを延々やりましょうと言われても、私が納得いくはずもありません。
私からすれば、もうこれは動議からはずれた想定外の「お持込プラン」であり、お二人が改めて別題で立ててどこかで提議していただきたい話です。最低でも、RFC等告知場所に、<(報告)当初の議題は休止状態、「方針やガイドライン」でもない「解説書」として扱う案に脱線、新たに参加者求ム>とでも書き加えるべきです。
そちらプランに対して、私は不賛成という結論を出し、ひととおり私の根拠を述べた点で、こちらの意見を尊重して頂き、脱線議題は閉じるか、他のインプット待ちにして頂きたいと思います。
「不備」の根拠ですが、{{Infopage}}の元の英語版の文言は "norms and practices" とあり、これは通常は「ルール」とは訳せません。その不一致のことを指します。「訳ミス」かもしれませんが、可能性として「ルール」という詞が「名残」っていると(Deletion guidelineが有効例とされた版の削除からヒントを得)社交辞令しました。ほんとうに誤訳かどうかの究明は、この際別問題であり、訳者に非があろうがなかろうが不一致は不備です。
それから、どういう齟齬・混乱が生じるかです。「合意形成」がある「ルール」なればWP:POLICIESの定義上「ガイドライン」と推量できそうなもの(英語版だと断言できます)。ですから、{{infopage}}タグで「ルール」に関する「合意形成」文書だが「ガイドラインではない」と謳うのは、混乱をきたします。それを生じさせているのは誤訳である「ルール」のひとことで、その未訂正(未対処)は、不備と考えます。
それとも、合意形成が存在するルールであるが、多くの利用者に支持されている最善の方法ではないものとは、いかなるものか、明快に説明していただけるのでしょうか?
さらにいえば、お二方は、本文書が「合意形成」にかなう「ルール」に関する文書だと認めてらっしゃるのに、それでもなかなか「ガイドライン」だと認定したがらない。その理由が私には不透明です。
いや、何となくは伺いましたが、「方針」とかの文書は、ピュアな原則だけのものに徹し、「方針の実践文書」部分は原則を排して、「方針」ではない「解説書」を作り上げる、など、そんなのは本議題の範疇を越えた大改革であり、検証や編集作業もかなり予想され、「独自研究」等の前例に張りあう対立前例を作ろうという試みであり、それこそ「別議題」ではじめてもらいたい問題と考えます。
私だってお手本のように順序を追って説明はしてませんが、そちらにだって説明不足はあります。決裂なら決裂でしょうがない、見解の相違ではないですか。その責めを私が一手に責めを負うべきものでしょうか。私には「常識的」に解釈してほしい甘えや、シナリオの部分が少なからずありますが、お二人は逆に、明文化していればどんな端っきれでも額面通りに受ければよく、矛盾や無理があってもかまわないという、融通がきいてない部分が十二分にあるのです。(「端っきれ」というのは、他にも「カテゴリ」ごときの附記を金科玉条読みすることを言っています。)
「他の方の発言などを引用した」のに対し私がなんら示さないなどとおっしゃいますけれど、春日椿さんの「草案と私論に大差はない」という同調意見には言及するが、その前の「とりあえず草案に戻したほうがよさそうですね」という私寄りの Kurz さんの意見は黙殺しておりますのを、あえて指摘しなかったまでのことです。そんなところで甲乙つけようとするのも、おたがい単なる討論のポイントゲームになってませんかね。--Kiyoweap会話2015年4月27日 (月) 10:48 (UTC)[返信]
とりあえず1点、お二人ってどなたのことでしょう?一人は私のことでしょうが、もう一方がどなたのことをおっしゃっているのか良く分かりませんでした。私は別にどなたかと打ち合わせをしているわけでもなく単独で意見を述べさせていただいていますので、十把一絡げにご返答を頂きましても困ります。
私がこの節を見た際に既に反対意見が並んでいてこのままでは合意は到底無理そうだと感じたので、双方が妥協できそうな落としどころとして「解説」に分類することを提案させていただきました。「そもそも本議題は「方針かガイドライン」か決める、という動議」であることは忘れてはいませんし、もっと言えば「方針かガイドラインかを決めたい」理由は「この文書に効力・警告力を持たせたい」からであって、「「私論」では応じないと言い張るユーザもいる」からですよね。私は、方針・ガイドライン化という手段をとらなくてもその目的は達成できると言っているのです。ですから、解説化という第三の案は本筋から外れた脱線ではなく、本議題の根本的な目的を達成するための方法の一つであり本論としてお話させていただいています。別にKiyoweapさんの動議をないがしろにしているわけではなく、むしろその動議の目的を尊重するからこそこのような意見を提示しているのです。動議提案者としての立場をなおざりにされたように感じられてしまったのかもしれませんが、そのようなわけではないことをまずはご理解いただきたく思います。それをお持込プランだから別題でやってくれとおっしゃるのは構いませんが、方針もしくはガイドライン化に対しては相当な反対意見がありKiyoweapさんが反対意見の方々を納得させることができそうな様子はありませんし、妥協できる範囲で落とし所を考えないと、賛成派と反対派のどちらかが根負けするまで延々とやりあう羽目になりそうだと懸念していますので、妥協案で納得していただくべく説明をさせていただいているわけです。ひとまず、話の根本の部分の相互理解をいたしたく、論点を絞ってご返答させていただきました。--重陽会話2015年4月27日 (月) 12:59 (UTC)[返信]
重陽さんが、これを「妥協案・落としどころ」として出していることは、はなっから了解しています。それを「警告性」も含めソリューションとして検討はしました、結論としてはうまい解決法ではない、と再三申し上げています。
「お持込プラン」とは言え、すでに前例あり問題なしなら、前例と同じく本例に適用する是非を問うに移れます。しかし前例がないこと(「規格外利用」)ですと、諸問題をまずツブすことから、しなくてはならないので、そこが過剰なこと。また、初例をよりによって基本方針の子供でおこなうのは妥当でない。ですから、ツブしきれていない点を叩き直すのは別スレを立てるのが筋、と言っています。
早すぎる段階で、「妥協案」云々に移行したとも思っています。反対意見が並んでいるとおっしゃいますが、「私論」と一、二名は、それこそ「思う」と述べただけの意見の域を出た議論はなにも出ていません。
また、これはふつうの記事で私が執筆や翻訳に関わった編集合戦に関してコメント依頼した性質のものでは、まったくないのです。ですから、私が一「賛成派」として発言した「警告性」を根本問題とし、そのソリューションを模索しようというのは、通常記事ならそうですが、ここではズレていると思います。
そもそも「方針・ガイドライン」のいずれかに賛成かと調査票をとったのは、私はコミュニティーのなかでどのあたりで合意形成されているあなた方は思っていらっしゃるか、を問うているのであって、各個が<コミュニティーの意向はどうあれ自分の意向が当らなければ賛成はできない>というスタンスをとるためのものではありません。--Kiyoweap会話2015年5月2日 (土) 21:38 (UTC)[返信]

コメント 私は必ずしも本文書を方針と呼びたくないとまで意思決定しているわけではありません(←多少会話ページの内容にも触れています)。英語版では既に方針とのことですが、無条件で日本語版の方針に導入できるわけではありませんよね。各国版で事情は異なるのですから、日本語版でも独自に議論する必要があります。これまで長い間「膠着状態」だった経緯もあって合意が得られる実現性に疑問があることだけは分かるので、私としては現実的な解決策を主張したまでです。もし方針化の合意が得られるのであれば特に反対するものではありません。草案のテンプレートを付けたいと言われれば、方針化の議論を開始したいのかと思われるのが普通です。だとすればそれを開始する提案者はKiyoweap様であるわけです。私としてはWP:NOT#ウィキペディアは辞書ではありませんには無くて本文書にある内容のうち、具体的にどの内容が方針として不足しているかを説明していただけるものと予想していたのですが、今回はそこまでするわけではないということでよろしいでしょうか。

Kiyoweap様は方針・ガイドラインとしての警告性の必要性ばかりをずいぶん強調しておられるようですが、その目的であれば最初から方針であるWP:NOT#ウィキペディアは辞書ではありませんを示し、必要に応じて本文書と併用すれば済む話ではないかと思います。WP:NOTから本文書がsee alsoされているのですから、補助文書として捉えても、充分な警告性は感じられると思います。おっしゃるような草案状態でも、方針から参照される形であれば多少の警告性は感じられるかもしれませんが、それでも草案に従う気になるかは人にもよるでしょう。「誘導が本題」というのはWP:NOTの存在を知らずに本文書に先にたどり着いたような場合の話です。そのようなときは草案のままだと説得力に欠けますし、疑念が先行して参照元を確認する気が起きないかもしれません。補助説明であれば「方針やガイドラインそのものではありません」とは言え、疑念は少ないと思います。--Gwano会話2015年4月25日 (土) 14:59 (UTC)[返信]

コメント このページの立ち位置は、取りあえずは(つまり暫定的に)「解説」でいいと思います。実際、現状は「方針」から振られて、その内容をより細かく解説しているわけで、現状と齟齬が有りません。また、このページの効力についてですが、「方針」から大々的に「参照」と振られているわけで、このページの内容を「無視」することは、(すべての議論において)できません。その上で、引き続き「方針・ガイドラインへ提案中」にしておき、議論を継続させることにも反対しません(個人的には、このページの内容はガイドラインだと思います)。とにかく、現状で肩書のないこのページに「解説」という肩書をあたえ、「方針」とガッチリ紐づけるのに反対する理由はないと思われます。--123.220.9.32 2015年4月27日 (月) 03:51 (UTC)[返信]

◆このままだと雪玉になりかねないと思い、論点の整理を試みます。異論があれば遠慮なく訂正を願います。投票ではないのでIPユーザーも入れてあります。

賛成 Kiyoweap(提案者票)
方針であるWP:!に「ウィキペディアは辞書ではありません」とあるので、その内容であるWP:NADも方針であってしかるべき。
私論タグを貼ったユーザーは既にブロックされている。(←何処に書いてあったのか見付けられませんでした)
方針ではなくともせめて「ガイドライン」とタグしないと警告用として機能しない。
解説やタグ無しでは警告性や誘導性が無い。
拘束性が必要である。
本件提案は方針にするかガイドラインにするかの二択であり、意見がまとまらなかったらガイドラインにすることになっている(と最初に宣言してある)ので、それ以外の解説にする等の案は不要。解説にしたいのなら別途議題(提案)を立ち上げてそっちで話をするべき。
コメント重陽
私論であるのは問題であるが、反対者の意見を鑑みるにガイドラインや方針にしてしまうのも問題があるのかも知れない。
解説に分類するのが無難ではないか。
コメントAkatsuki444
英語版では方針であることから、方針であるのが不適切だとは思わない。
コンセンサスが得られるのならどのような形になってもよい。
コメント123.220.9.32
ガイドラインが適切。
暫定的に解説とするのはどうか。
反対 Gwano
「利用の手引きやヘルプ」のようなものであり、本来は方針/ガイドライン/私論という格付けの範囲に無い文書である。
私論であるのは問題であり剥がすべきである。
賛成者に対しては、本文書の中にありWP:!に無いどの内容が問題となっているのかを説明して欲しい。
反対 世界最狂の魔法使いCray-G
多分に私論であり、良く言ってもガイドラインであり明らかに方針ではない。
初心者にとって理解の助けとなる良い手引きであるので、十五歩ぐらい譲ってガイドラインなら認め得る。
賛成者に対しては、本文書を方針とすることに「方針を盾に事実上の対話拒否」を可能とする以外のどんな利益があるのか、乃至は方針としないことで「方針を盾に事実上の対話拒否」を認められる程の損害が出ているのかを説明して欲しい。
反対 伏儀
WP:5に直接リンクされているだけでは方針・ガイドライン化の根拠として薄い。
私論であると考えるが、解説にするのであれば反対しない。

主な論点としては、

本文書は方針/ガイドライン/解説/私論のいづれであるのが適切か
(方針)WP:NOTの「内容」であることから明らかに方針であるから
(方針)(消極的)英語版では方針となっているから
(ガイドライン)私見による
(ガイドライン)(消極的)初心者にとって理解の助けとなる良い手引きであるから
(解説)それが無難そうだから
(解説)(消極的)反対しない
(私論)私見による
(私論)既存の文書をまとめただけだから
(私論)WP:NOTで充分だから
本文書にあり現状の方針に無い内容は何か
(意見無し)
本文書を方針とすることに「方針を盾に事実上の対話拒否」以外のどんな理由があるのか、乃至は「~~対話拒否」を正当化出来るだけの根拠があるのか
(意見無し)

他、説得が試みられています。

方針やガイドラインでは問題が多そうなので解説にするというのではどうか
(拒否)方針/ガイドラインにあるメリットが無い上に、方針/ガイドラインへの昇格の道を閉ざした永久左遷であるから。
(拒否)本件提案の議論は本文書を「方針にするかガイドラインにするか」の議論であり、解説にするのは本件提案の議論から外れた議論であるから。

以上、現時点での論点の整理を試みました。不充分な点や異論があれば遠慮なく訂正を願います。 --世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月27日 (月) 12:45 (UTC)[返信]


コメント 「解説」に(積極的に)反対されているのは1名(提案者氏)のみで、また「方針・ガイドライン化への提案」は中止すべきとする意見も無いので、ワタシIPの提案した「(暫定的に)解説へ。方針・ガイドライン化は引き続き提案継続」が最大公約数的な意見と思われます。--123.220.9.32 2015年4月28日 (火) 02:52 (UTC)[返信]
賛成 タバコはマーダー
私が当記事の翻訳を試みた2014年7月24日直前の、当記事の2014年2月26日05:39版‎までは、おおよそ内容が私論でありましたから、私論だと解釈しておりました。{{proposed}}が剥がされて私論に格下げされていたという経緯は、調査不足で知りませんでした。この背景を見ますと、2014年半ばまでは私論の範疇を超えないものであったため、私論だと認識されていたのではないでしょうか。
しかしながら、英語版で方針となっている根拠を考えますと分かりやすいです。Wikipedia:方針とガイドライン#採用手順には、方針やガイドラインの多くは、基本原理Founding principlesに密接に関連するか、もしくは、編集上の混乱を解決するために発展したものとあります。原理の根拠の1つであるジンボによる原理の声明(en:User:Jimbo Wales/Statement of principles)の6番目において「ウィキペディアは百科事典である(Wikipedia is an encyclopedia.)」がありますから。まず、内容が百科事典ではなく辞書になってしまっているという編集上の混乱を解決するというだけでなく、創設者のジンボにより原理として声明されていますから、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかの一部分ではなく、独立した項目として英語版で方針となっているのも相応であると思われました。英語版では、Wikipedia:What Wikipedia is not#Wikipedia is not a dictionaryのMainとして存在しています。日本語版では、これまでが内容として私論であっためにSee alsoだったと考えるのが妥当でしょう。そのあたりを鑑み、重要な文書であるとして、英語版の水準に近づけるために翻訳を試みました。
Wikipediaは百科事典であるというプロジェクトの原理と目的と、辞書のようになってしまった場合にそれを解決するための文書の2つの目的を果たしますから、Wikipedia:方針とガイドライン#採用手順に合致しているかと思われます。--タバコはマーダー会話2015年4月28日 (火) 06:04 (UTC)[返信]
タバコはマーダー氏が提示した過去の版を見て愕然としました。それは確かに私が過去に見たものであり、その頃の印象が現在の私の評価(=多分に私論であり十五歩譲ってもガイドライン)に影響を与えているのではないかと危惧して改めて見直した程に品質に差があります。結果としては、十五歩がもう少し近くなったかも知れないけれど基本的には変化はありませんでしたが。
ただ現に向上のための執筆を行なった人物と議論を行なうことは只の議論とは異なり、(私のような無能さによりそれが出来ない)反対論者の意見を加味した加筆が為されることで合意が形成される可能性を(タバコはマーダー氏に負担を強いることになりますが)ついつい期待してしまいます。
さて、タバコはマーダー氏が既に英語版で方針となっている本文書の水準に近づける為に尽力した成果は大いにあったと思います。少なくとも私見に於いて「私論としか思えない」文書から「ガイドラインと認め得る」文書にまで品質が向上しています。ですが私としてはまだこれはWP:GUIDESにある「最善の方法(ベストプラクティス)」が限度でありWP:POLICIESにある「すべての利用者が従うべきものと考えられている基準」には満たないと考えます。つまり目安ではあっても基準ではない、という意味です。
私が本件提案に対し危惧することは二つあり、一つは本文書が方針となることにより「気に入らないスタブ」を差し戻す為の「方針を盾に事実上の対話拒否」が為されることです。もう一つは、まぁ、さほど重要ではないのかも知れませんが、wikipediaには紙製の百科事典と異なり「辞書としても機能する百科事典」となる可能性があるのではないかと考えていることです。
私自身には文案が全く思い付かないので全くの他力本願 (誤用)なのですが、もう少し「辞書的内容である、と断じるべき条件」を明確に出来ないものかと考えます。何と言いますか、ルールを悪用して「方針を盾に事実上の対話拒否」を試みる輩を防げそうな内容になれば、方針でも反対意見は少なくなると言いますか、歩み寄りの方向性が出ると思うのです。何か案や意見があればお聞かせ戴ければと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月28日 (火) 11:15 (UTC)[返信]
コメントタバコはマーダー
  • スタブを差し戻すための盾とならないかという危惧。スタブは許容されていますし、当記事の内容と矛盾しません。
  • 辞書としても機能する百科事典の可能性を潰してしまうという危惧。ウィクショナリーとの根幹的なプロジェクトの分離に反しています。
  • もう少し辞書的な項目がなにかについて明確に出来ないかという危惧。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは辞書ではありませんが十分ではないという懸念にもつながるかと思われます。逆に本記事の必要性を支持しているとも解釈できます。私の編集以前からそのことは試みられウィクショナリーへの移動も運用されています。私が編集したことによって説明はさらに多くなっており不十分であるとも思われません。
  • ウィキペディアが紙製ではないという危惧。当記事にて既に、紙の制約を考えないように、紙製の百科事典と混同されてはよくないことへの説明がなされ、その危惧は払しょくされるものかかと思われます。当初からHTMLタグの編集を簡易化するウィキを冠しているので、ではなくハイパーテキストです。当記事はそれに矛盾しているのではなく、より分かりやすいように説明されています。
ここでの2009年11月~翌年2月の、#いつまでも草案にしておかずに公式な方針にするなりやめにするなりしてはいかがですかからも、おかしな流れではないと思われます。
  • Suzukitaro氏 方針への提案を実行:いつまでも草案にしておかず、方針にするかやめるかを決めよう。方針にすることへの反対ということではない。
  • Kurz氏 賛同:事実上ルールとして運用され、WP:NOTと同様に運用してよく、英語版でも方針であるため。
  • 春日椿氏 限定的反対:私論のままでよいが、ガイドラインとするのも可。WP:NOTを補完するが、当時の内容では作成途中のようであって方針とするのにはふさわしくない。
5年前ほど前に記事の内容の薄い状態で、このようにして方針への提案が行われています。プロジェクトの根幹の分離が認識されているからだと存じます。
Wikipedia:方針とガイドラインにもあるように、ウィキペディアの目的として百科事典を作り上げることが示されています。別に、ウィクショナリーが用意されて運用されており、辞書としてふさわしい項目が作成された場合には、そちらへ移動もされています。辞書のようなものはウィクショナリーへと移動するか百科事典となるように修正するという、プロジェクトの目的の違いや強固な合意、実際の効力を示していることを示す文書です。より分かりやすいようなガイダンスとしての方針やガイドラインへの提案を、再度行おうということだと思います。
懸念の大半は解消されるものだと思いますし、また、ウィキペディアに辞書機能を持たせたいので反対するという立場については、ウィキペディアの目的に反するので受け入れられにくいのではないでしょうか。--タバコはマーダー会話2015年4月28日 (火) 13:09 (UTC)[返信]
◆残念ながら払拭するには至りませんでした。
ここでの2009年11月~翌年2月の~~
私は別に「ウィキペディアは辞書ではありません」というタイトルを持つ文書は方針足り得ないと主張しているわけではありません。内容に問題があるから方針として認められない、と主張しているのです。タイトル自体に問題は全く無く、なのでプロジェクトの根幹の分離の認識やタイトル自体に関しては私を含めた全員が同意するだろうと予測します。問題は内容です。私の見解は春日椿氏の発言の強化版なのです。
可能性を潰して~~
辞書にせよ百科事典にせよ、厳密な客観的外延的定義は存在していません。辞書には「排他的に辞書」である構成要素と「百科事典的であるが辞書」である構成要素で出来ているのではないでしょうか。同様に百科事典も「排他的に百科事典」である構成要素と「辞書的であるが百科事典」である構成要素で出来ていると考えます。
現在我々人類は「排他的に辞書」と「排他的に百科事典」しか見たことが無いわけです。Wikipediaがいづれ「辞書としても機能する百科事典」となり、同時にWiktionaryも「百科事典としても機能する辞書」となる可能性があります。なので「根幹的なプロジェクトの分離に反して」いるのではないと考えています。ただ同時に、これが異質な観点であることも認識しているので、十五歩ぐらいは譲る用意があります。
紙製ではないという~~
此処だけ切り出されても困るのですが、紙製でなければ良い、と主張しているわけではありません。辞書も百科事典も「紙製のものが長い年月支配的に存在し、それに基づいて形成された概念」です。紙製ではない、と言うだけでは、紙製のものをウェブ上に複製してハイパーテキストにしただけのものを含みます。なので「それに矛盾していない」と言うだけ良いのであれば「ウィキペディアは『紙製のものをウェブ上に複製してハイパーテキストにした』百科事典です」と言うのも「それに矛盾していない」ことになります。
問題は「紙の制約を考えない」ことが「大量の情報がある方が良いよ/ハイパーテキストで便利だよ」程度のことから、「辞書と百科事典とを異なる概念とすることを強制してきた紙から解き放たれ、辞書の索引性と百科事典の情報量とを兼ね備えた新世代百科事典となる」までの何処に位置するのか、そして本文書は後者に近い位置を否定する内容なのではないか、という話です。残念ながらこの危惧に関しては一滴も払拭されていません。まぁ、異質な観点であり以って受け入れられ難いであろうことは認めます。
~~ウィキペディアは何ではないか~~が十分ではないという懸念にも
はい、その通りです。WP:NOTでは概要だけ観念だけの曖昧なものであり「辞書的な項目がなにかについて明確に」するには不充分だと私は考えています。だからこそ本文書が有用性を持つのであり、即ち必要性を支持しています。私は十五歩も譲ればガイドラインとしてなら認め得ると表明までしています。なおこの点に関しては、本件議論の中で寧ろWP:NOTで充分という意見もありました。その意見も、本文書の内容に依存しているものと推測します。
ですが残念ながら目安でしかなく、基準としては薄いと考えています。特にピーが如き「辞書的スタブ記事の作成する人に対しては、効力・警告力をもたせたい」であるとか「内容をなめてかかればヤバい結果という怖い話筋で情報を伝えた」であるとか言い出すような、本文書を対話して相互理解を行ない合意を形成すべき相手を脅迫する道具として使いたがっている人達にとって、使いものになる程度に具体的(←これがWP:NOTでは不満)であり且つ使い勝手の良い程度に曖昧(←私が危惧しているのはこれ)であると考えます。
スタブは許容されています
はい、その通りです。では辞書的内容とスタブの違いは何なのでしょうか。それが不明瞭であることで任意の(=気に入らない内容の)スタブを「辞書的である」と言えるなら(そしてそれに対して「方針とされている文書に基づいた反論」を行なえないのなら)、それは「スタブが許容されなくなる」ことを意味します。何しろ辞書的と言われるようなスタブ記事を作る善意の執筆者であるということは、スタブ記事にしなくて済むノウハウを知らないような不慣れな者であるので、イコール辞書的ではないと方針文書以外の何かに基づいて有意な反論を行なえるノウハウなどもっと持ち合わせているはずが無いわけですから。
なので「本文書が方針になっていない現時点」でスタブが許容されている事実は、「本文書が方針になったらスタブは許容されなくなる」という私の危惧を払拭しません。
私のこの危惧を払拭するには、「本文書を~~として使いたがっている人達」に対して初心者がそれに基づいて反論可能な(そしてそれが正当ならば件の人達も黙らざるを得なくなる)だけの内容が本文書に盛り込まれていることが要求されます。
私見になりますが、ガイドラインは「不慣れな初心者が自信を持って大胆な編集を行なえるようにする指針」として機能しなければなりません。それに対して方針は「熟練者(を含めた全員)の暴走を喰い止めるルール」として機能しなければなりません。それは具体的になればなるほど、その機能が重視されます。例えば、wikipedia至高にして絶対のルールである五本の柱の一つ「ウィキペディアは中立的な観点に基づきます」のみに基づいて熟練者の暴走を止めることがどれだけ難しいことかは誰もが認めるところであり、その為にWP:VやWP:CITEといったより具体的な方針が設けられているようにです。具体的になればなるほど、具体的な指摘が出来るようになります。その意味で本文書は、WP:NOTと比較して可能になる「具体的な指摘」が少ないと思います。本件提案の中で本文書は「既存の文書をまとめただけ」という意見もありましたが、これはそのことを指しているのだろうと思います。
これは本文書に存在価値が無いとかではなく、具体的で初心者が自分の書こうとしている記事が辞書的であるか否かを自己判断するには手頃な足掛かりとなる良い文書だと思っています。ガイドラインにする為に十五歩譲る気になるぐらいです。ただ方針としてはまだ不適切だと思います。そして本文書が係かる点を満足出来る内容になったなら、私も十五歩ぐらい譲れば方針と認められると考えるようになると思います。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月28日 (火) 17:58 (UTC)[返信]
コメントタバコはマーダー
当初から、辞書としても機能する百科事典の可能性を潰してしまうので反対しているということは了解しました。ウィキペディアは百科事典であり、ウィクショナリーは辞書であるというプロジェクトの目的を持っている点が解せないということですね。
ねこネコへと重複した項目を統合するのではなく、辞書の索引性兼ね備えた百科事典を目指し、ウィクショナリーのようにねこを分離したいというようなお立場から反対されているということですね。紙製ではないということについては、また記事の量については、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは紙製の百科事典ではありませんがありますが、論点はそこではないようですね。
WP:NOTでは不足している部分である使いものになる程度の具体性と、使い勝手の良い程度の曖昧さが必要と考えてるということですね。以降に続きます。
スタブと辞書の違い、スタブが許容されなくなるのではという意見ですね。記事本文を把握せずにご意見されているように思えます。当初、記事本文をお読みにならずに半年以上前の版の印象に基づいて意見していらっしゃったようですが、辞書とスタブの違いに関する説明についてはそうした以前の版から試みられており、猿も木から落ちるのような慣用句は辞書にふさわしいとか、単に短い記事を辞書にふさわしいとしないとか諸注意が説明されていました。私はこれだけではまだ曖昧であるように思いましたので、ねこと猫のような具体例に加え、筆順が説明されているかといった評価可能な基準を追加しました。漠然性や曖昧さを減じて議論や反論を行うためには、このように評価可能な基準が必要なため、辞書の項目にはどういうものがあり、辞書の項目が何から構成されているかといった具体例を示しました。対して、辞書と短い記事を区別するためには、WP:NOTと比較して具体的な指摘が少ないとのご意見をお持ちです。
また逆に、Wikipedia:方針とガイドライン#格下げなどは考慮されていらっしゃいますでしょうか。何が足りていないのかといった具体的には指摘がないのでわかりませんが、おそらく完全な説明がなされた理想状態の説明は、ウィキペディアでは格下げされるおそれも出てきます。
記事内容を詳しく読まれていらっしゃらない印象を受けますので、お読みになった上で、どの点をどのように改善すればどういう方向へ変化するのかという、評価可能な意見交換へと進展させていただければと思います。--タバコはマーダー会話2015年4月29日 (水) 00:08 (UTC)[返信]
~~というプロジェクトの目的を持っている点が解せないということですね
いいえ、違います。
~~というようなお立場から反対されているということですね
いいえ、違います。
WP:NOTでは不足して~~が必要と考えてるということですね
いいえ、違います。
現在の内容は「~~が必要」な輩にとって魅力的な状態であるので、現在の内容のままでは方針とは認められない、と主張しています。
スタブが許容されなくなるのではという意見ですね
はい、そうです。
私はこれだけではまだ曖昧であるように思いましたので~~
「私論以外の何物でもない」内容だったものが、タバコはマーダー氏の追記により具体性を持ったことで「(十五歩ぐらい譲れば)ガイドラインとして認めても良い」内容となりました。
ですが方針と認められる程では無い、と主張しています。
具体的な指摘が少ないとのご意見を~~
具体的な指摘が「増えています」が、それでもまだ「方針にするにしては不足している」と主張しています。
格下げされるおそれも~~
私自身はそもそもが「多分に私論である」と主張してるので、格下げどころか最初から方針にもガイドラインにもする必要は無いと考えています。これは合意形成の為の議論なので「多分に私論である」とか繰り返し続ける意味はありません。前向きに議論を進めようとしているだけです。
ですので、格下げされることを考慮する必要があるのは私ではありません。
どの点をどのように改善すればどういう方向へ~~
んー、それが明確にわかっているならば私自身が加筆すれば済む話なので「具体的」な話になってしまうのですが………
以下に、wikipediaに現存する五項目ほどの初版を例に挙げます。下記五項目の中には一項目だけ、現在では字引テンプレートが無い項目が含まれています。本文書の現在の内容では、下記五項目の初版だけを見て「その一項目」がどれかを判断することが出来ないと私は主張しています。
  1. 「意地悪」の初版
  2. 「敵」の初版
  3. 「左右」の初版
  4. 「落盤」の初版
  5. 「お転婆」の初版
で、これ等の項目に対して「効力・警告力をもたせた」「「拘束力」が明確」な文書(即ち方針)を求めている輩がもしも居たとして、件の輩が上記の全ての項目に対して「辞書的である」と主張した場合に、タバコはマーダー氏は本文書の内容からどう抗弁したら上記五項目の中にある現在では百科事典に相応しい内容となっている当時はまだ「スタブ」だった記事を「辞書的ではないスタブである」と件の輩に理解させることが出来るとお考えなのでしょうか。
それが不可能な程に具体性が不足しているので、私は方針とすることに反対しています。そして同時に、ガイドラインに出来る程度には具体性を(タバコはマーダー氏の加筆によって現在では)具備していると考えています。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年4月30日 (木) 12:57 (UTC)[返信]
コメントタバコはマーダー
ええ、つまり、少なくとも方針ではないがガイドラインにしても良いというお考えであれば、方針あるいはガイドラインの草案であることを示す{{proposed}}のテンプレートを使うという提案には、賛成という方向へ変わったことを表明していただけると幸いです。とりあえずはその部分ですね。
これまでもほとんど意見の表明が多いです。賛成にしろ反対にしろ、その根拠が、ウィキペディアに辞書の機能をもたせたいがためにということであれば、既に公式な方針であるWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは辞書ではありませんに反しますね。
あるいは、ウィキペディアに辞書の索引性をもたせたいという、それがどういうことであるかは「いいえ」との返答しかないので明らかではありません。もし、「ねこ」と猫を分離したいとお考えであれば、上記の方針に加えて、Wikipedia:記事名の付け方のガイドラインでは、略称、別名、別表記は正式な名称にリダイレクトするとありますから、いろいろと反してきます。合意されていない方向への意見となってくるわけです。その場合に、修正が必要なのは、記事ではなく、反対論の理由ではないでしょうか。
当初は辞書的だった記事が、百科事典のように修正されたのであれば、それは途中から百科事典のような書き方へと修正されたわけですから、辞書的ではないスタブであるとは当初から判別できませんし、する必要はありません。当初の状態では、ただ辞書のようになっているので、修正や移動を検討するということです。スタブテンプレートや、書きかけテンプレートのように、はっきりと境界線が引けないようなものがありますが、そういうものだと思います。もしそれを、はっきりと明確に選り分けるような指標がなければいけないとお考えであれば、不可能な理想から不十分と述べており、またWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは規則主義ではありませんの方針に反してきますので、不十分であると掲げる根拠としての理想を修正する必要がありかもしれません。
意見の表面だけでなく、意見交換が可能な形へと、理由を評価可能な方向へ噛み砕いて説明いただきたいという点はお願いしたいです。また{{proposed}}を用いることには賛成できると変化したのであれば、それを表明してくださればこの節での意見交換が進展してくるのではないかと思われます。--タバコはマーダー会話2015年4月30日 (木) 14:46 (UTC)[返信]
反対論の理由ではないでしょうか。
其処に問題があることは認めています。それが如何なる問題かと言うと、「辞書の具備する検索性を併せ持った百科事典」が如何なるものかを客観的に定義することが私に出来ておらず、以ってそれの存在可能性すら想像出来ない観点を持つ人に理解してもらうことが出来ていないという問題です。故にガイドラインであれば十五歩ほど譲り得ると表明しています。
もしも(あまり無さそうだとは思っていますが)それを理解したいと希望しているのであれば
例えば、消失訂正という概念があります。これは誤り検出訂正にリダイレクトされています。実体(モノ)としては、消失訂正は誤り検出であり、誤り検出の特殊な利用法の一つに過ぎません。なので、それが誤り検出訂正に統合されていることはさほど誤った措置ではありません。ですがこれは(イエス・キリストナザレのイエスのような、或いはヒト人間のような)異なる概念です。私のような専門家で、それを知っている人間にとってはどうということのないことですが、誤り訂正を既に知っていた人が消失訂正というものを知って調べに来たら「いや誤り訂正ではなく消失訂正を調べたいんだけどな」と困惑することでしょう。実例としては古い話になりますが、LHA圧縮ファイルでは改竄防止にCRCが使われていたのですが、このCRCは誤り検出符号であり誤り訂正には使えません。つまり電話代と長い時間を掛けてダウンロードした圧縮ファイルに誤りが検出されたら、もう一度電話代と長い時間を掛けてダウンロードし直さなければならなかったのです。そんな中で「CRCでも消失訂正とかいう誤り訂正をする方法があるそうだ。LHA圧縮ファイルに感染するウィルスはそれを利用しているらしい」と噂が流れます。これだ! とばかりに調べ始めた人にとって、wikipediaはかなり役に立たないことでしょう。載ってもいないwiktionaryはもっと役に立ちません。では、百科事典はこういった人達の役に立ってはならないのでしょうか?
私はそうは思いません。そりゃもちろん、紙製の百科事典であれば限られた紙面にもっと優先して載せるべきことが沢山あるでしょうから、「こういった人達の役に立つ」べきではありません。ですがwikipediaは紙製の百科事典ではないので、ほんの一行「消失訂正は誤り検出の利用法の一つ、詳しくは誤り検出訂正を参照」という頁があったところで百科事典としての価値を貶めることはありません。なのに利便性が大幅に向上します。また消失訂正は誤り訂正が及ばない分野(例えばハードディスクの信頼性向上技術)で応用されていますので、スタブとして加筆されることも期待出来ます。さらに言うなら、リダイレクトのオプションか何かで、リダイレクトした時にこういった一行を表示する機能(リダイレクト元によって適切な表示が出来るので、現状の曖昧さ回避的なものとは異なる)があれば(スタブとして成長する可能性は低減するでしょうが)もっと利便性が上がることでしょう。これも紙製の百科事典には不可能なことですが、紙製ではないwikipediaには可能なことです。百科事典にそのような利便性があると不適切である理由が私には(そんな百科事典なんて見たことも聞いたことも無い、という以外には)想像も出来ません。
不十分であると掲げる根拠としての理想を修正する必要がありかもしれません。
理想では無く、単に不充分であり以って無意味なだけです。ぶっちゃけ無意味なので、それだけなら「どうでもいいこと」であり方針だろうが何だろうが私には何の影響もありません。ですが、まさにタバコはマーダー氏が挙げた方針に関して未だ無理解な初心者に対し該方針に反した利用をしようと画策している者が居るので、不充分であることは問題だと考えています。
辞書的ではないスタブであるとは当初から判別できませんし、する必要はありません。
私は「(方針にするのであれば)する必要がある」と主張しています。理由は既に述べました。理由自体への反論は全く無いと言いますか、現在のところ単に無視されています。
それを判別しないのであれば既に方針(WP:NOT)になっていますので、本文書を方針にすることは無意味です。無意味でないとお考えのようであれば、本文書を方針としない場合に出来ない「」が本文書を方針とすることで出来るようになるのでしょうか。
私の考えでは、本文書を方針としない場合には出来ない「辞書的項目とスタブ項目との区別」が、本文書を方針とすることで出来るようになること、そしてそれにより「速やかなる辞書的項目の抹消」と「性急なスタブ項目の抹消の阻止」が出来るようになることを期待します。ですが本文書の内容ではそれが出来ません。そして出来ないにも関わらず、「この方針のこれこれに記載されている条件に反している」と不慣れな初心者を威嚇する為に用いる文言を増やします。
ガイドラインの草案である~~ことを表明していただけると幸いです。
表明しません。何故ならば全く変わっておらずガイドラインとしてすら反対の方向であるからです。
不可能な理想から不十分と述べており
此処が重要なところだと思うので明確にしますが、タバコはマーダー氏がこれを「不可能な理想」と表現したことを以って「不可能である」と主張しているものと判断します。間違いがあるようであればその旨ご指摘を願います。
さて、もしも「本文書が草案である」のならば、即ち本文書は「草案」であり、草案とは以下の三つの内のいづれかの状態です。
  1. 充分な完成度があり、後は合意を確認するだけの状態
  2. 加筆修正を必要としており、それが為されれば合意を取り付けられる未完成の状態
  3. 根本的な瑕疵があり、書き直しレベルの加筆修正を行なわなければ合意を取り付ける見込みがない状態
現状で本文書は(少なくとも私が方針として認めるには)2.の状態であると認めます。故に私は加筆修正案が得られないものかとこうして前向きに対話を行なっています。
然るに対話相手であるタバコはマーダー氏は、これに適切な加筆修正を行なうことは不可能であると主張しています。即ちこの対話に於いては、タバコはマーダー氏の主張は「私ことCray-Gが方針として認め得る余地は無い」と私に対して説き伏せていることになります。言い換えると『本文書は1.の状態に至ることが決して有り得ないことが確定している』とタバコはマーダー氏は主張していることになります。常識的に考えて、それはもはや「草案」ではありません。どう見ても「棄却された草案」です。
にも関わらず「方針にしましょう、駄目ならガイドラインにしましょう、それでも駄目ならせめて草案にしましょう、そうすれば「効力・警告力をもたせた」「「拘束力」が明確」な文書になります」という者が居るので強硬に反対しています。
翻って、ではガイドラインとしてはどうかと考えると、私の主張は「初心者にとって良い手引きとなることから、本文書は十五歩ぐらい譲ればガイドラインとしてなら認め得る内容である」と主張しています。即ち初心者にとって良い手引きであることを認め、内容としては少々過激ではあるが必要性があるならばガイドラインとして認めても良い、と譲歩の姿勢を執っています。しかしながら、その「必要性」に関する話題は現在のところ賛成者各位から無視されているので、何も変化を起こしていません。なので譲歩する理由は無く、以って相変わらず反対のままです。
さらに視野を広げて、提案者の意に反して解説とする案が出ています。私は現在まで該案に対しては特に何も表明していませんでした。が、此処に「解説とする」のであれば特に反対意見が無いことを表明します。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月1日 (金) 13:24 (UTC)[返信]
コメントタバコはマーダー
そろそろ辞書機能を持つ百科事典など、諸々の独自演説は、Help:ノートページを参考に井戸端や自己のページにて行うようにお考えくださればとは思います。
1. 自身にて客観的に定義できない「あなたの空想する辞書の具備する検索性を併せ持った百科事典」、それがなんであるか説明できないものに本記事の内容が反していると思うということですね。
したがって、どのように本記事の内容を修正したらいいのか、といったことも説明できず、「辞書機能を持った百科事典」という説明以上の説明ができないので、本記事の内容のどの部分を修正する必要がないのかといったことも分からないというこではないでしょうか。またしかし、既にウィキペディアはプロジェクトとして百科事典です。つまり、議論不可能ですし、大きな合意に反するので却下する必要があるのではないでしょうか。「辞書機能を持った百科事典」というような方向へ修正する必要がないということです。
2. 速やかに辞書的項目の抹消とスタブ項目の保存が行える文書、という「あなたの理想的な水準にない」ので、不慣れな初心者を攻撃ないし威嚇するのではないか。
2A.速やかに辞書的項目の抹消とスタブ項目の保存が行える水準にする必要があるのではないか。
できないですし、そうする必要はないですね。後に百科事典的に修正された5記事を例示していることから、後にどのように修正されるかを立項時点で判断できるにならないのかという、無理難題を理由として反対しているということですよね。辞書のようになっているので百科事典のようにする必要があるという案内は、参考文献がないので独自研究とならないように内容を修正してくださいという案内と同じようなものですよね。案内は現時点での案内を行うだけです。もし速やかさを改善したいという提案でしたら、Wikipedia:プロジェクト間の移動などへと議論を移動してください。
2B.速やかに辞書とスタブを分類できれば、初心者が攻撃ないし威嚇されないのではないか。あるいは、不慣れな初心者を攻撃ないし威嚇するための材料が増える。
速やかに分類されることは、威嚇行動が起きないようにするための解決策ではないですね。Wikipedia:礼儀を忘れないWikipedia:新規参加者を苛めないでくださいのある通り、道具とその利用者の姿勢は異なります。攻撃ないし威嚇を抑制しているのはこちらの2つのようなものでして、本記事のノートページにて懸念することではないかと思われます。--タバコはマーダー会話2015年5月1日 (金) 15:08 (UTC)[返信]
そろそろ~~諸々の独自演説は
まんまと議論誘導に引っ掛かってしまいましたよ。私にとっても主要な論点ではないので横に置いておきましょうか。
本記事の内容が反していると思うということですね
違います。「反している」とか何とか云える水準にありません。
2.
その受け取り方が異なります。前半と後半とはそれぞれ互いに別の主張です。それは言うなればWP:SYNに相当します。
2A.
「そうする必要はない」との意見に関して、それが「ウィキペディアは辞書ではないという([[WP:NOT]に記載されている)文言によって示される方針」に対してであれば同意します。そしてそれは、本文書を方針にしていない現状で既に満たされていますので、本文書は方針として無意味であるという私の主張の根拠の一つです。
それが「ウィキペディアは辞書ではないという(WP:NOTに記載されている)文言に対応して設定される方針」に対してであれば反対します。「そう」である場合に限る必要はありませんが、既に方針として合意を得ている「ウィキペディアは辞書ではない」から直接に導き出される以外の「指示」や「制約」が存在しないのであれば、それは方針として無意味であり、無駄にWP:CREEP(←これは私論であり方針ではありません、そして本件提案と似たような提案がされていて似たような事態になっています)に反した行動になります。
なお無いとは思いますが、タバコはマーダー氏がこれに対してWP:CREEPが私論であることを根拠にした反論を行なった場合には、その行動こそが提案者ことKiyoweap氏の提案の根拠の一例となり、私に必要性が存在することを示す事例を少なくとも一件認識させることとなります。
辞書のようになっているので~~参考文献がないので~~と同じようなものですよね。
まるで違います。「参考文献がない」という指摘は検証可能性を根拠にしています。さらに「独自研究とならないように」という指示は独自研究は載せないを根拠にしています。いづれもより上位(?)の方針からは指摘出来ません。即ちWP:VやWP:NORが介在しなければ指摘も指示も出来ません。なのでWP:VやWP:NORが方針である必要性の例示です。
対して「辞書のようになっている」という指摘はWP:NOTを根拠にしています。さらに「百科事典のように」という指示はWP:5を根拠にしています。本文書は介在していません。いづれもより上位(?)の方針のみで指摘出来ます。即ち本文書が無くても指摘や指示が出来ます。なので本文書が方針である必要性の例示になっていません。
理解の為に例示すると、五本の柱に於ける中立的な観点(←これがウィキペディアは何ではないかに対応します)に対する検証可能性独自研究は載せない(←この二つが本文書に対応します)です。方針である中立的な観点を満たす為には、検証可能性も独自研究の排除も必須ではありませんが、wikipediaの目的(や恐らくは各種問題に対応する必要性)から、直接には導き出されることの無い記述を持つ「方針」となっています。そしてその「直接には~~無い記述」は主に二種類あり、一方は「べからず集」であり、他方は「何故そのべからず集が必要か」の説明です。
WP:NORに関しては、前者は「信頼できる資料に無い内容を載せるな/情報の合成をするな」であり、後者は「何故信頼できる資料に無い内容を載せる/情報の合成をするべきではないか」です。
WP:Vに関しては、前者は「検証不能な内容を載せるな」であり、後者は「何故検証不能な内容を載せるべきではないか」です。さらに「検証可能であれば何でも良い」を予防する為に様々な附則やガイドライン(例えば出典を明記する)へのリンクがあります。
そして方針ではないガイドラインであるところの出典を明記するを見てもやはり、WP:Vだけでは指摘出来ない情報を載せており、そして方針とは異なりべからず集は主体ではなく「どうするのが良いか」という指針を主体にしています。
私が主張しているのは、方針であれガイドラインであれ下記を満たしていないなら、無駄にWP:BUROに反することを助長することになる、ということです。
  1. 方針であれガイドラインであれ、より上位(?)の項目に載せるには不適切な程に詳細な存在理由。(これを満たさないなら、それはより上位(?)の項目に記載するべきである)
  2. 方針であるならば(恣意的な反駁が難しい)べからず集。
  3. ガイドラインであるならば(それに沿っているか否かを判断し易い)指針。
本文書は1.が無く(それはタイトルで既に言い終わっています)、そして2.が無いので方針として認められないと主張しています。
本文書は1.が無く、でも3.が(充分とは思えないが)あるのでその必要性があるのであればガイドラインとして認めることは出来るが、必要性が無いならば無駄にWP:BUROに反することを助長することになるので認められません。
なので充分な1.2.が加筆されたならば、方針として認めるようになるでしょう。その例示を試みたら、それは不可能であるとタバコはマーダー氏に反駁されました。なので他の加筆案が無いようであればそれは「(私ことCray-Gの観点からは)タバコはマーダー氏によって棄却された草案」であるので「草案」としては認められません。
同様に必要性があるのであれば、ガイドラインとして認めるようになるでしょう。ですが誰もその必要性に関して説明してくれませんので私は必要性が無いと考えています。なのでガイドラインとしては認められません。これは加筆によって解決する問題では無いので、やはり「草案」としては認められません。
2B.
その前後は繋がりません。なのでその後の(反論のつもりである)発言は無意味です。
私は「分類が出来るならば威嚇を許容出来る」と主張しています。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月2日 (土) 04:39 (UTC)[返信]

こちらでの世界最狂の魔法使いCray-Gさんの言動について様々な問題があると考えました。この場で指摘しても泥沼化するだけのように思えますし、Wikipedia:コメント依頼/Maddestmagicianを提出させていただきましたのでお知らせします。--61.86.107.28 2015年5月2日 (土) 16:35 (UTC)[返信]

コメント 反論 世界最狂の魔法使いCray-Gさんに置きましては、事実と異なることを前提での議論もほどほどにしていただきたい。
私が「辞書的スタブ記事」と言ったのは別名「サブスタブ」のことであり、その作成は原則許されてないことは、Wikipedia:スタブガイドラインに明文化されています。そちらを読んでみてください:
>「辞書的な定義程度しかないスタブを英語版の名称からサブスタブ (substub) と呼んでいる人もいます。」
>「サブスタブは新規作成しないようにしてください。」と書かれているでしょう。
公式文書にあるだけでなく、これは名実ともにルールでしょう。<本文書に「私論」タグを貼った利用者>は、「辞書的スタブ記事」をたびたび作成し5,6のユーザから警告を受けています。このことから多くのユーザ間で合意があることが実例でわかると思います。
また「コミュニティの既存の合意事項」であれば、それはたとえ「方針やガイドラインの文言」とされていなくてもウィキペディアがとるべき「行動規範」とされます、つまり拘束力はあります。WP:BURO方針に記述されていますのでご確認ください。
つまり、たとえ本記事WP:NADでは曖昧でも、合意事項と認識されていれば、注意も受けますし、リピーターでしたらブロックも受けかねませんよ、ということで「なめてかかればヤバい結果という怖い話」と言ったのであって、私がこれから「脅迫する道具」としての使用を強化したいからなどという邪推は余計ですし、中立性の方針の徹底を要求する「熟練者の暴走」がここでも再現されようとしている、などというのも過剰でしょう。--Kiyoweap会話2015年5月3日 (日) 07:23 (UTC)[返信]
言いたい内容はわかりますし、その内容そのものに文句を付けているわけではありません。邪推云々にせよ拘束力にせよ、私は否定したことはありませんよ。ただ、そのおっしゃるWP:STUBに十年以上前から「注意:このガイドラインは努力目標として提案中のものです。このガイドラインに沿っていないからといって、初心者をひどく扱わないでください。」と書かれている現実を認識していただきたい、という話です。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月4日 (月) 14:48 (UTC)[返信]
Cray-Gマジシャンさんが仰る「注意:このガイドラインは努力目標です..沿っていないからといって、初心者をひどく扱わない..」は、すでに「役立つスタブ」を作る努力に転向している利用者に対して、スタイルマニュアル(WP:MOS)的にボロが多少出ても噛みつく(WP:BITE)な、と言っているのです。サブスタブ作成するばかりから微塵とも向上する姿勢をみせない利用者を、いつまでも甘やかしておくための但し書きではないでしょう。
とかく初心者を案じ、サブスタブが育つまで見守ることにすべての正義があるかのごとくおっしゃいますが、そうではないでしょう。サブスタブには弊害がともない、それが認められるからこそWP:STUBが制定されているのでしょうに。例えば、まとまった完成度の新規記事を書きたい利用者がいても、次々とサブスタブや品質の悪いスタブに先取られたら、やる気がそがれる人もおるでしょう。そこいらも考慮すべきです。
初心者だろうと、WP:STUBを示して読んでいただけば、凡例もあるだけに、「役立つスタブ」vs.「辞書的スタブ(サブスタブ)」の違いはすぐに把握可能なはずです。ですから本草案の文言を<「役立つスタブ」と「辞書的スタブ(サブスタブ)」云々>と書き改め、詳しい定義についてはSTUB文章に誘導すれば事足りるはずです。
本文書に、<一発でサブスタブのすべてがわかる唱え呪文>のようなものを作ってやらなければ初心者に過酷すぎてすまない、などと、そこまで迎合しなければならない必要が理解不能です。
そういう一発定義があれば、初心者に楽ではある。確かにそうかもしれませんが、絵空事でしょう。user:タバコはマーダーさんからツッコミを受けておられますように、マジシャンさんじたい、その一発定義がどのようなものであるべきか具体的に説明できないとおっしゃるのですから。
1.「意地悪」の初版、2.、3.、4.、5. などは、サブスタブが立項されても、そのうち他人の親切によってより百科事典らしいスタブに加筆されていった例ですよね。そういう過程を否定はしません。しかしながら、誰かが最初にサブスタブを作った労が不可欠、だとか、サブスタブあったからこそ、うまいぐあいに成長しているという感は薄いですね。寄せ書き式に発生したものよりも、むしろ、最初から整っている程、よりうまく成長するとも考えられます。
「性急なスタブ項目の抹消の阻止」などは憂慮すべきでしょうか?現状ではスタブであるだけで「削除の方針」の俎上には載らないはずです。載るのは実質サブスタブな場合(中立性・特筆性などの問題でキープできない加筆しかない)などでは?--Kiyoweap会話2015年5月7日 (木) 12:11 (UTC)[返信]
◆Cray-Gです。はい、Kiyoweap氏の言いたいことは粗方伝わっているんですよ。でもね、論点が違うわけです。
サブスタブ作成するばかり~~甘やかしておくための但し書きではないでしょう
その通りです。ですがね、方針にしなかったからって「甘やかしておく」ってわけでもないんですよ。
私が本文書を方針にすることに反対している最大の理由は、
ということです。例えば初心者にとって厳しい壁の一つである特筆性ですが、これも「基準」が載っていないので方針ではなくガイドラインです。でも特筆性を理由にジャンジャン除去がされていて、ときおり巻き込まれた初心者が井戸端に泣きついてきます。
Kiyoweap氏は後の段落で必要が理解不能と言っていますが、方針に基準ですと書かれていてもなお、基準の必要性が理解不能なわけではないでしょう。私は初心者を甘やかせる為に基準が必要と言っているわけではないんですよ。基準が無いなら方針として認められないから基準が必要だと言っているのです。
とかく初心者を案じ~~
この文(段落ではなく)は認識が違いますね。ですがまぁ、単なる「~ような人」呼ばわりですから、別に構いません。
サブスタブには弊害が~~
この文に関しては強く同意しますよ。だからこそ雪玉になりそうだと思えばまとめを作ってみたり、今こうして前向き且つ熱心に議論に参加しているのですから。私自身はこの問題に悩まされていませんが、現に多くのウィキペディアンが日夜「戦って」いるわけですからね。
そこいらも考慮すべき
これは意見が違いますが、主要な論点ではないと考えます。一番乗りでなきゃ厭だと我儘言うのはどうか、とか、初心者ならともかくそんなこと言う香具師はおらんだろ、とか、初心者が「まとまった完成度の」とか言ってるとか危険な兆候だろ、とか思いますがね。いづれにせよそうでないにせよ、主要な論点ではないと考えます。
初心者だろうと~~の違いはすぐに把握可能なはずです
はい、良い「目安」だと思います。ですがそれは「目安」であって「基準」ではありません。だからこそ「もちろん、この役に立つスタブとサブスタブ以外にもスタブの分類があるでしょう。スタブについての議論は時々起こりますが、中身についての考察をきちんと行うようにしてください。スタブ善悪二元論では、議論がまとまることはありません。」と書かれているわけです。そして今この議論で私は「スタブ善悪二元論」を主張していません。そのことはご理解いただけていますでしょうか?(←この問いかけは悪意に解釈した方が伝わり易いんじゃないかと思います)
さて、此処でKiyoweap氏に訊いてみたいことがあります。氏の主張する「微塵とも向上する姿勢をみせない利用者」に対してこのWP:STUBを見せて説明したことがあるのでしょうか。ある場合には相手の反応は三通りが考えられ、それ等は「見せてもスタブであってサブスタブではないと主張した」、「そのことについては無視した」、「見せてサブスタブであることを認めた」です。この最後の「認めた」相手が居たとして、その相手はその後も「微塵とも向上する姿勢をみせない利用者」であり続けたでしょうか。
「あるのでしょうか」に対して「無い」と返答するならば、
私は「なら本文書を云々言う前にそれをするべきだと思います」と答えます。
あって且つ「認めた相手」が居なかった、乃至は「認めた相手」が居てもその相手が「~~利用者であり続けた」ならば、
私は「なら本文書にWP:STUBより優れた記述が無い限り、本文書を方針にしても何か変化があるとは思えません」と答えます。
あって且つ「認めた相手」が居て且つその相手が「~~利用者ではなくなった」ならば、
私は「ならWP:STUBで充分ですよね」と答えます。
で、私が問題にしているのは、この中の「なら本文書にWP:STUBより優れた記述が無い限り」です。あれば話が変わってくるのです。当然、あれば考えが変わり賛成する可能性があるわけであり、そのことは既に表明しています。
そういう一発定義があれば
あれば、ではありません。無いなら方針として認められません。せめて部分的な否定的定義の集合といった形で大多数を篩い落とせるようにでもなっていなければ譲歩のしようもありません。
むしろ、最初から整っている程
その通りなので、ガイドラインとしてなら譲歩の余地があると表明しています。
~~は憂慮すべきでしょうか?現状では~~
はい、「現状」では。
ですが本文書が(現在の中途半端な状態で)方針となれば、「載りもしないはずの俎上に載せる馬鹿」が涌いてきて、真面目なウィキペディアンの仕事を今以上にしかも無駄に増やすことを私は危惧しています。そしてこの「馬鹿」は大抵の場合、削除依頼を出す前に執筆者に対して「こういう方針と決まってるんだ」と本文書を根拠に「スタブ善悪二元論」を始めます。そしてそれでは、議論がまとまることはありませんので、最終的にブロック依頼だとか削除依頼だとかに発展することになるわけです。
載るのは実質サブスタブ~~
そうです。それ以外を載せようとされても、使いもしない無駄な俎板が増えるだけで意味が無いわけです。なのに数多くのウィキペディアンがそれの相手をする為に手を割かなきゃならないのです。その上本文書には「基準」が無いので、バッサリ切り捨てることも出来ず「長々と」手を割いて議論を行ない合意を形成する努力をしなければならないのです。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月7日 (木) 14:53 (UTC)[返信]
構成部分であるWP:STUBWP:MMガイドラインどまりなのだから、本文書を「方針」としてしまうと強化につながってしまうというのは道理でしょう。これは認めます。ですから本文書が方針でなくガイドラインでよいではないですか。それなら現在のWP:STUB違反がガイドライン違反であることは不変ですよね。そうではない、「載りもしないはずの俎上に載せる馬鹿が涌いて」くる状態が発生する、とおっしゃるシナリオは、いわゆる「話がみえません」というやつです。--Kiyoweap会話2015年5月8日 (金) 02:19 (UTC)[返信]
「WP:STUBで充分ですよね」→ではありません。辞書的なスタブが、さらに一義性に反するなどの辞書的なルールにもかぶさって抵触しているのならば、当ページで抵触しているほうが妥当な場合があります。本文書WP:NADが使える方が便利であり有効です。無効とするのはWP:BUROだと既に指摘させていただきました。
たしかに「スタブ善悪二元論」とかは不毛でしょう。その記事のコンテンツの議論を離れて一般論をたたかわせることですよね。しかし、その解決法は、その記事を立項した人なり、ウィキペディア記事として維持したい人なりが、批判をかわせる水準にまで加筆を進めていくのが、あるべきかたちであり、ベストな回避法ではないでしょうか?指摘された側が、説明責任や対処責任を、あくまで相手や他人に押し付けようとするから、そういうシチュエーションにつながるのでは?--Kiyoweap会話2015年5月8日 (金) 02:22 (UTC)[返信]
世界最狂の魔法使いCray-Gさんの文章が整理されていないため、理解しにくく長すぎます。既に8000バイト以上の書き込みが数回にわたっています。Wikipedia:ノートページのガイドラインには簡潔に書こうとあり、Wikipedia:論争の解決には議論が目的ではないとあり、以上2つには、意見には理由と証拠を示せとあります。イエス・ノーの投票を行っているのではないですし、理由と証拠をあまり示さず、また話の焦点を絞らず雑談したいのなら井戸端があります。
たとえば「基準が無い」という言葉を繰り返しているだけで、どう解釈したために基準がないと思ったのかとか、他の方針などと整合してこのように解釈したとか、そしてそのように解釈した証拠の提示が少なく、イエス・ノーに続いて感想や持論が多いのだと思います。理由や証拠を示して協力的に相手に理解しやすい分量に整理して合意の確認を行っているというよりは、雑談が大量に書き込まれている印象を持ちます。--タバコはマーダー会話2015年5月8日 (金) 12:12 (UTC)[返信]
◆Cray-Gです。以下の文はKiyoweap氏への返信です。タバコはマーダー氏に対しては、発言内容を既に上で私と対話している場所の私の投稿の後に移動して戴けると、前後の混乱なく返信がし易くて大変助かる旨をお伝え致します。なおこれまでの経験から、タバコはマーダー氏は発言を移動しないだろうと考えていることも申し添えておきます。そして私とKiyoweap氏との対話に割り込んで私とKiyoweap氏との対話に関係無い私への苦言を繰り返すのではないかと危惧していることも付記しておきます。
ですから~~でよいではないですか
その前段階が誤っているから、結論が御菓子くなるんです。「ガイドライン止まり」なのではなく「ガイドライン」なのです。方針とガイドラインは異なります。方針未満がガイドラインなのではありません。
いわゆる「話がみえません」というやつです
だと思います。私見ですが、本件提案の反対者全員はKiyoweap氏の主張に関して同じ思いを抱いています。つまりKiyoweap氏が主張する警告性だとか拘束力だとかに至る「話が見えない」のです。反対票を取り下げようとしたGwano氏でさえ「話が見えない」所為で「反対票を取り下げようと思ってもなかなか取り下げることができません」と言っています。
「話が見えない」のはお互い様なのです。だからこそ、こうして相互理解の為の議論を行なっているのです。
→ではありません
中途半端に抜き出されても対応に困るのですが……私の見解では、本文書と同じタイトルを持つ方針は存在するべきであり、それはスタブ、特筆性と共に方針(現在どれ一つとして方針になっていませんが)として三本の柱を(中立的な観点、検証可能性、独自研究を載せない、がそうであるように)形成し、wikipediaが目指す百科事典なるものを定義すべき存在だと考えています。
なのでWP:STUBと本文書とで分業することは当然だと考えています。互いに互いをリンクし合っているべきです。
サブスタブと辞書的スタブは異なります。サブスタブは字義の通り「スタブ以下」を意味していて、辞書的スタブは満足なスタブです。WP:STUBではスタブとサブスタブと全うな項目に関して基準を示し、本文書は辞書的に全うな項目と百科事典的に全うな項目に関して基準を示し、特筆性が雑多で全うな項目と有益で全うな項目とに関する基準を示すべきでしょう。
現在のところ、いづれに関しても基準が示されそうな気配すら窺えない状況ではありますが。
コンテンツの議論を離れて一般論を
然り。
しかし、その解決法は
如何にも。
あくまで相手や他人に押し付けようとするから
あー、残念ながら意見が一致したのも此処までのようです。
では問います。
指摘する側が「説明責任(方針/ガイドラインで決まってるんだよ違反なんだよ)や対処責任(立項すんな/てめーで責任取って削除依頼出しとけ)を、あくまで相手(=立項者)や他人(=方針/ガイドライン)に押し付け」ようとした場合には、そういうシチュエーションにつながることは無いとお考えなのでしょうか?
で、そうなった場合には指摘した側に大義名分(=方針に従っている+具体的な指摘をしている)があるので、指摘した側は反論に対して具体的な指摘と共に「方針に従わない気か!」と言うことで退けようとします。そりゃ反論側だってWP:BUROを指摘するでしょうが、大抵の場合は具体的な指摘なんぞ出来ませんから説得力を持ちません。彼等とて「wikipediaの為を思って」やっているのですから、荒らしのように「飽きたら辞める」ようなこともないし、何らかの目的を持っている人のように「目的が達成されそうもないから投げ出す」こともありません。wikipediaの為に引かずに戦うウィキペディアン同士の苛烈な同士討ちが始まることになるのです、右も左もわからないけど自分が仕出かしたことの所為で大変なことになってしまったことだけは理解出来ている初心者を間に挟んで。その初心者が荒らし予備軍なのか良質なウィキペディアンに育つ人材なのかとは関係無く。そんな目にあったら、まぁ、普通は来なくなりますよね、荒らし予備軍以外は。間に挟まれているのが荒らしや荒らし予備軍だとしても、同士討ちはwikipediaにとって損失です。
逆の場合はどうでしょうか。私論とは言え方針からリンクされている本文書を示されても無視して荒らし行動を繰り返し続けるなど良く言っても荒らし予備軍であり、つまりwikipediaの敵でしょう。ウィキペディアンがwikipediaの敵を相手取って戦うのは至極真っ当な行動です。間に挟まれる無垢な初心者も居ないわけですしね、遠慮は要らんと思いますよ。どうせ飽きるまでは来るんだし、飽きたら来なくなるんですから。そんな「良く言っても荒らし予備軍」に方針を突き付けたところで何かが変わるとは思えません。まぁ、「根拠に使われた長らく議論されていない草案タグを私論タグに貼り変えてからかう」などの新しい遊びを発明するかも知れませんが、精々その程度だと思います。
如何でしょう、これで私の方の「シナリオ」は見えてきましたでしょうか。恐らくお互いに最も重要な論点はこの「シナリオ」にあると思います。それが反対票を取り下げさせない恐怖であり、十五歩を譲らせない絶壁であり、飯を噴かせた愚言であり、「~ような人」呼ばわりさせた邪推です。互いに「シナリオ」を理解出来ればそれらは雲散霧消し、議論は次のステージに移るものと考えます。どんなステージかはまだわかりませんが。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月8日 (金) 13:18 (UTC)[返信]
前後の混乱が起こるような指摘ではなく、再び「方針とガイドラインは異なり、方針未満がガイドラインではない」のように主張のみの場合が多く、他者と相互理解を可能とするような理由や証拠の提示がなく、脱線した話題がこちらでも非常に長いということです。Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありませんにあるように、利用者ページ上で述べてそこへ内部リンクをしたり、方針等に反している者についてのとりとめのない空想を書き込むのであれば、せめて井戸端などで意見交換をしてはいかがでしょうかということです。--タバコはマーダー会話2015年5月10日 (日) 07:50 (UTC)[返信]
予想を書かれてなお予想通りの行動を取りますね。相互理解の為の議論や対話に直接関係無い私個人の一般的な行動に対する指摘ならば、私の会話ページや、この分節のトップに親切にも私の態度に関するコメント依頼をしてくれている方がいらっしゃいますので、そちらの方で指摘していただく方が適切なのではないかと思います。せめて移動をお願いした場所の方でしていただければと思います。或いは、タバコはマーダー氏がそれらの場所では指摘を行なおうとはせず「私と他者との対話の間に割り込む形」でしかその指摘を行なおうとしない理由(=私と他者との対話の間に割り込まなければならない理由)を説明していただければ、相互理解が進み私も変な邪推をしなくて済みますので、もう少し指摘に耳を傾けられるようになるでしょう。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月10日 (日) 11:41 (UTC)[返信]

◆またしても雪玉になりかねない状態になりましたので、論点の整理を試みます。異論があれば遠慮なく訂正を願います。

一度雪玉になると(同じ議論の繰り返しにしかならないだろうという偏見が形成されるので)再提案のハードルが上がりますし、雪玉になることは即ち「提案中」のタグが剥がされ再び提案前の状態に戻される=「私論」タグが貼られることになりますので、本件提案賛成者や明確な賛成ではないにせよ私論は不適切と考える立場からは不適切な状態になることになります。「私論は不適切」との意見をお持ちの方は積極的に論点整理の為の対話に参加して戴きたいと思います。そして新たに(乃至は単に仕切り直して)私論タグを剥がしてどうするのか(提案にするのかタグ無しにするのか等)の合意を形成するべきです。
また本件提案議論の継続や再提案のハードルを下げる為に、議論参加者が合意する纏めが作成出来たら(もしも出来たならその場合に限り)「小細工」を行なうことを提案します。この「小細工提案」に於ける小細工とは、本件提案文及び該纏めを除いた間にある議論(この小細工提案に関する議論を含む)部分を全部折り畳んでしまうことです。これは「(長く未整理な)議論の全部を読んでいないのに参加しても良いのだろうか」という心理障壁の除去を目的としています。これにより新たな議論参加者やそれによる新たな論点の出現、及びそれに伴い「それが同じ議論の繰り返しではない」ことが明らかである再提案が期待出来るものと考えます。
なお私こと小細工提案者は「私論」支持者なので、このまま雪玉になり「提案中」のタグが剥がされて「私論」タグに戻され、そして再提案が難しくなることは見解に沿った結果をもたらしますから、小細工提案に関する議論を紛糾させたり、纏めの生成を妨害したりする参加者を拒絶する気は全くありません。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月16日 (土) 06:25 (UTC)[返信]
纏め内容の意見異論訂正案や、小細工提案に対する意見異論はこの場所で対話を行ない、それに沿って纏めを直接更新し合意が形成されたら折り畳みの開始位置を前に移動するのが良いかなと思っています。ですがそうしろと命令しているわけではありませんし、発言場所は自由だと考えます。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月16日 (土) 06:25 (UTC)[返信]
◆えー、Kiyoweap氏から早速変更がありました。「私ことCray-G一人だけが反対しているのにマーカーの内容を勝手に決定するとは横暴だ」と言いたいようですが、本当にそう言いたいのかどうかは言葉が足りなくてわかりません。--世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月16日 (土) 07:25 (UTC)[返信]
◆とりあえず見ていることはわかったのでKiyoweap氏に二点お聞きします。
  1. 言いたい内容が「勝手に纏めを作るな(作る前に許可を取れ)」なのか「纏めを作るな(纏めを消せ)」なのか「マーカーに勝手に合意形成とか書くな(マーカーの内容を訂正しろ)」なのか、それ以外なのかがわかりません。
  2. 要約に「Maddestmagicianさん1に対し反論者が私とタバコはマーダーさんの2対1で進んでいる状態において、勝手にまとめたり合意形成の文句をつけないでください。」とありますが、私見では現状、賛成2反対1ではないと考えます。本当に賛成2反対1の状態であると考えているのでしょうか。
まぁ、答えは返ってこないだろうと思っていますが、とりあえず「マーカーの内容を訂正しろ」ということであれば訂正は受け入れるつもりでいる(自分でも今からこれを書いておくのはどうかと思っていた)ので。ただそれはイコールKiyoweap氏の(それも署名付きの)書き込みを単純抹消することになるので明確な同意を戴かないと出来ないわけで。あと、訂正内容は「ここまでの本件提案議論を以下のように纏めてみました。参加者の合意はまだ得られていません。」とし、(もしも合意が形成されたら)合意が得られた後で元に戻す方向で考えています。
返答が無ければ特に何もしませんので、お返事は不要です。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月16日 (土) 08:34 (UTC)[返信]


× 却下勝手に合意形成の文句をつけないでください。横暴にすぎます。--Kiyoweap会話2015年5月16日 (土) 06:51 (UTC)[返信]

纏められる前の議論
  • 「小細工提案」は、現在のこの隠されている部分(この文を含む)を抹消し、この上の三行をKiyoweap氏による{{賛成}}投票の直前に移動する提案です。なお、以下の纏めは議論により改変していくことを前提としていますので、この後に発言が続くことは想定していません。が、もし続く発言があった場合には、その発言を(紛糾したまま)遺しておいて再提案を困難にする方が「私論」支持者としては都合が良いので放置しておこうかと考えています。
賛成 Kiyoweap(提案者票)
方針であるWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに「ウィキペディアは辞書ではありません」とあるので、その内容である本文書も方針であってしかるべき。
元々「提案中」タグが貼られていたのを、あるユーザが合意形成できたとして「私論」タグに置き換えた(版番27509075と版番29810311の差分)から。私論タグを貼ったユーザーは既にブロックされているから。(←発言者により除去
忠告を再三受けても辞書的スタブ記事の作成する人に対し効力・警告力をもたせたいから。方針ではなくともせめて「ガイドライン」とタグしないと警告用として機能しない。
解説やタグ無しでは警告性や誘導性が無い。況してや「私論」では、「私論」では応じないと言い張るユーザもいると考えられる為、拘束性が必要である。
本件提案は方針にするか否かであり、意見がまとまらなかったらガイドラインにすることになっている(と最初に宣言してある)ので、それ以外の解説にする等の案は不要。解説にしたいのなら別途議題(提案)を立ち上げてそっちで話をするべき。
賛成 タバコはマーダー
かつては「私論」タグが貼られたが、当時とは内容が異なっており現在では「よくある疑問や編集時の混乱」を解決する内容でありWikipedia:方針とガイドライン#採用手順を満たすから。
コメント重陽
私論であるのは問題であるが、反対者の意見を鑑みるにガイドラインや方針にしてしまうのも問題があるのかも知れない。
解説にするのが無難ではないか。
コメントAkatsuki444
英語版では方針であることから、方針であるのが不適切だとは思わない。
コンセンサスが得られるのならどのような形になってもよい。
コメント123.220.9.32
ガイドラインが適切。
暫定的に解説とするのはどうか。
反対 条件付反対Gwano
「利用の手引きやヘルプ」のようなものであり、本来は方針/ガイドライン/私論という格付けの範囲に無い文書である。
私論であるのは問題であり剥がすべきである。
充分に議論が尽くされたならば方針でも構わないが、「とりあえず」でガイドラインにするのであれば反対。
賛成者に対しては、本文書の中にありWikipedia:ウィキペディアは何ではないかに無いどの内容が問題となっているのかを説明して欲しい。
反対 世界最狂の魔法使いCray-G
多分に私論であり、良く言ってもガイドラインであり明らかに方針ではない。
初心者にとって理解の助けとなる良い手引きであるので、必要性があるならば十五歩ぐらい譲ってガイドラインなら認め得る。が、Wikipedia:方針とガイドライン#方針 (policy)に記載の「~~と考えられている基準です」の基準が記載されていないので、方針とは認められない。
忠告を再三受けても繰り返す輩は、本文書に警告性や誘導性、拘束性を付与したところでほとんどは繰り返すことを辞めないだろうから良い影響は限定的でありながら、初心者が「仕出かした」場合に方針の解釈をめぐって論争が起こると巻き込まれた初心者が参加を控えるなどの悪い影響が懸念される。
私論であると考えるが、解説にするのであれば反対しない。
賛成者に対しては、本文書を方針とすることに「方針を盾に事実上の対話拒否」を可能とする以外のどんな利益があるのか、乃至は方針としないことで「方針を盾に事実上の対話拒否」を認められる程のどんな損害が出ているのかを説明して欲しい。
反対 伏儀
Wikipedia:五本の柱に直接リンクされているだけでは方針・ガイドライン化の根拠として薄い。
私論であると考えるが、解説にするのであれば反対しない。

主な論点としては、

本文書は方針/ガイドライン/解説/私論のいづれであるのが適切か
(方針)WP:NOTの「内容」であることから明らかに方針であるから
(方針)「よくある疑問や編集時の混乱」を解決する内容であり、Wikipedia:方針とガイドライン#採用手順を満たすから
(方針)(消極的)英語版では方針となっているから
(ガイドライン)本来は方針であると思うが、せめて「ガイドライン」とタグしないと警告用として機能しないから
(ガイドライン)私見による
(ガイドライン)(消極的)初心者にとって理解の助けとなる良い手引きであるので、必要性があるならば
(解説)それが無難そうだから
(解説)(消極的)反対しない
(私論)私見による
(私論)既存の文書をまとめただけだから
(私論)Wikipedia:ウィキペディアは何ではないかで充分だから
本文書にあり現状の方針に無い内容は何か
(意見無し)
本文書を方針とすることに「方針を盾に事実上の対話拒否」以外のどんな理由があるのか、乃至は「~~対話拒否」を正当化出来るだけの根拠があるのか
(意見無し)

他、説得が試みられています。

方針やガイドラインでは問題が多そうなので解説にするというのではどうか
(拒否)方針/ガイドラインにあるメリットが無い上に、方針/ガイドラインへの昇格の道を閉ざした永久左遷であるから。
(拒否)本件提案の議論は本文書を「方針にするかガイドラインにするか」の議論であり、解説にするのは本件提案の議論から外れた議論であるから。
Wikipedia:ノートページのガイドラインでは、「方針に合致しないことがらを延々と議論し続けるのは推奨されない」ことや、「脱線しない」ことが説明され、「簡潔に書くのは、長いぐだぐだ発言は理解が難しくなり、無視されたり、分かってもらえなかったりする」からですね。ですから、「ごちゃまぜに書いたり、雑談に脱線したりしないように」書かれています。Help:ノートページには、分量が膨大になったら、議論の収束後に要点をまとめておくとあります。
辞書機能とか紙製という主張が異質な観点であると自覚しながら、長々議論し続けたために分量が膨大になるという事態を引き起こして、まとめなければならなくなったのでしょうか。そうするのではなく、Wikipedia:独自研究は載せないには「個人的な理論について議論することは、あまり歓迎されない」とあり、Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは演説台ではありませんには、利用者ページにてやりましょうとあります。
そして、まとめにおいても、本人以外によるWikipedia:署名を用いて、そしてWikipedia:合意形成#合意は多数決ではありませんとあるのに、投票を結論としてしまっているのでしょうか。
世界最狂の魔法使いCray-G氏には、誤って他者の署名を用いた纏めなるものを一度除去していただきたいところです。その上で、2015年4月22日より続けている方針に合致しない事柄を取り下げたり、Wikipedia:ノートページのガイドラインWikipedia:論争の解決には主張だけでなく理由と証拠を示すように書かれていますし、自己の空想話や雑談に脱線しないように証拠などを示し、簡潔に議論を行っていただきたいところです。発言の位置とか、纏めをどうするかという脱線した話題ではなく、論点に集中していただいてもよろしいでしょうか。--タバコはマーダー会話2015年5月16日 (土) 15:44 (UTC)[返信]

──────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────────── 2度に渡って纏められてますが、マジシャンさん、ご都合よく情報操作なさっているご自覚がなさすぎませんか?異を唱えるなら訂正しろと仰いますが、<つっこみたくなるところだらけ>です。議論進行になりません。「方針を盾に事実上の対話拒否」なども既におおよそ回答済みですし、他の利用者から出た、いったん議論を離れている点を蒸し返すのも進行の妨げになります。タバコはマーダーさん同様、「纏めなるものを一度除去」ないし{{collapse}}して頂きたい意見です。

この期に及んで「私論」云々の継続は、ないでしょう
「条件付反対」なGwano さんも私論は剥がすべきとし「本格的な議論が展開されつつあるように思います.. 今の状態であれば、提案テンプレートを付けること自体には反対しません」と言及されています。

一方、「私論」の支持の方を挙げますと、1) スタブ未満のガイドライン違反・忠告を再三受けるも、乱立を改めず、本案を「私論」に降格させた S氏(§いつまでも草案に~節の提案者 )をはじめ、マジシャンさん。そして昨今ガイドライン(WP:MM - 統合)違反を私から指摘された(ノート:ヨーロッパの竜参照)上で来られたのが、伏儀さんです。三者三様でありますが、いずれも「ガイドライン」化されている内容すら、認めない・尊重しない行動内容が共通していると言っても、過言ではないでしょう。クレディビリティーは失われています。本草案についても、あくまで 反対 「私論」票を曲げないことで貫くことが予想される、なだけでしょう。ですから私論云々はさておくことが先に進む道です。方針・ガイドライン草案としての議論に移るべきと思います。

にあたりましては、本スレは、<「方針・ガイドライン」草案タグを貼った状態で継続>を結論としていったん締結し、本草案文章の功労者であるタバコはマーダーさん主導(タイミングも含め)で、公式化のスレッドを立てる方向で、いかがでしょうか?--Kiyoweap会話2015年5月17日 (日) 09:00 (UTC)[返信]

コメント さすがに今の状態で一旦議論を仕切りなおしたいとおっしゃるのであれば、無理に結論を出すよりもご自身による「提案の(一旦)取り下げ」(もしくは「却下」)が妥当に思います。仕切り直しをするのに無理矢理合意を取り付ける必要はなく、古い提案は取り下げれば済む話です。ここで「結論として締結」と言われましてもKiyoweap様の議論提起に対する合意と取られかねないのですが、(少なくとも私は)恒久的もしくは長期の草案状態に賛同しているわけではないのに、そうであるかのような誤解を招くおそれがあります。Kiyoweap様に対して私はこれまで同じように「誤解を招く」と何度か指摘してきたわけですが、要するに私から見ればKiyoweap様の言動も「印象操作」に見えてしまうのですよ(考えの違う者同士が議論すれば意図的でなくてもそう感じることはありますので、特に表明するようなことではないとは思いますが、念のため)。元々の提案自体にも問題があり、どちらにしても今の提案では合意は難しそうに思われます。前述のように、結論が出ない場合にガイドライン化という物言いにも問題があるほか、草案状態が格の一種かどうかはここではなくWikipedia‐ノート:方針とガイドラインあたりで先にはっきりさせておく問題です。それまではあくまで公式化を目指す有意な議論を行う必要があります。しかしKiyoweap様は(例えばWP:NOTには無くて本文にあるどの内容が必要か、などの)具体的な内容に踏み込んだ議論をするおつもりがないということでしたので、おっしゃるようにタバコはマーダー様によってあらためて提案されなおされるほうが、解決への早道になるのではないかと思います。おっしゃるような「結論として締結」には同意できませんが、提案からやり直す必要性だけ同意させていただきます。もちろん、その場合はタバコはマーダー様にご負担を掛けることになりかねませんので、もしご本人のご都合に沿うのであれば、の話ですが。--Gwano会話2015年5月17日 (日) 12:32 (UTC)[返信]
先の私の投稿は、読み易いバイト数を配慮し要点に絞ってます。先を説明させてください。
...ですから、「具体的な内容に踏み込んだ議論」に移行するのであれば、Gwanoさんも、「草案」タグをつけることには同意されたということでしょう?
「具体的な内容に踏み込んだ議論」というのは、要するに草案の文章の詰めであり、WP:NOT 方針や WP:STUB、WP:MERGE ガイドライン(あるいは<合意事項>と認められるもの)とのスリ逢わせでしょう。
私からは、それを逐一を立てて公式ガイドラインの「改稿提案」の方式でやろうと思います。とりあえず「使用言語」の改稿、スタブ節「ウィキペディアの利用者の多くは、まだ内容がほとんどないスタブ記事の投稿が奨励されているということには合意しています。」の改稿などを立てます。
私見では、「方針」まで強めてしまうとあるいは支障がでそうなのは、「1義性」の部分ですが(「異なる物事が同じ表題となっている場合 (同綴異義語)」)と思いますが、重複の場合と異なり「べきです」対応となっていないことに注視すれば、よいでしょう。もう少し整理の上、これもスレを立てます。
分業的にガイドライン化を視野に据えた草案の改稿作業がおこなわれている、というかたちで「継続」ということを納得して頂けませんでしょうか?タバコはマーダーさんのご都合に合わせて、再提案を待つということで。でしたら、私のほうからは、「方針・ガイドライン提案」については、私が意図した議題内容とは異なる性質の論議にすり替わって協議が長引いた結果、云々、という断り書きの上で、取り下げを行います。--Kiyoweap会話2015年5月17日 (日) 21:48 (UTC)[返信]
Cray-Gです。返信を何処に書けばいいのか良くわからないので此処に書きますね。
タバコはマーダー氏へ
辞書機能とか紙製という主張が異質な観点であると自覚しながら~~
違います。それはタバコはマーダー氏が私(の主張ではなく個人)に対する印象操作をする為に用いたい論点に過ぎず、タバコはマーダー氏の都合です。私は、私が本段落第一文のように主張する根拠と、私がその主張を取り下げ誤解であったと訂正する為にタバコはマーダー氏に出来ることを提示出来ます。が、長くなるので、「長いのは読まない」とか言われて発言を無かったこと扱いされて対話拒否する(←そうしないと印象操作に失敗するので)と「思い込んで」いるので、とりあえず今はまだ提示しないでおきます。だから読んでね?
~~投票を結論として
していません。議論が進展しなくなったので結論は出ません。纏めを試みただけです。纏めることに反対なのでしょうか? それとも纏めの内容に異議があるということとなのでしょうか?
論点に集中していただいても
こちらからもお願いしたいところです。言ってもいない内容に反論し、そうではないと説明されたら無視するのではなく。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月18日 (月) 02:16 (UTC)[返信]
Kiyoweap氏へ
<つっこみたくなるところだらけ>
是非ともつっこんで下さい。大歓迎です。それが議論です。纏めも作成出来ないぐらい紛糾していたとか、再提案のハードルがさらに上がります。
「方針・ガイドライン提案」については、私が意図した議題内容とは異なる性質の論議にすり替わって協議が長引いた結果、云々、という断り書きの上で
それが「何」にすり替わったのか聞きたいところですが、取り下げを止めることも出来ませんしね。
「方針を盾に事実上の対話拒否」なども既におおよそ回答済みですし
それに対して「関係無い回答」は戴きました。寧ろ私は、内容が「方針とするに相応しいもの」であれば「方針を盾に事実上の対話拒否」を(しぶしぶではありますが)許容するつもりです。しかし現在の内容は「方針とするに相応しいもの」ではないと考えています。そしてこの前提として「方針とする以上誰かが「方針を盾に事実上の対話拒否」を行なう」という現実があります。
他の利用者から出た、いったん議論を離れている点を
いいえ、賛成者各位から無視されているだけで「議論を離れて」はいません。未だに俎上に載っています。無かったことにしようとしないで下さい。
今の状態であれば、提案テンプレートを
その発言当時の状態であれば私も同意見でした。その後事態が動いて、発言当時の状態とは変わってしまっています。これについてはGwano氏も同意見のようですね。Gwano氏と私の意見の相違は「何とか議論を継続する(乃至速やかに再提案する)ことにより私論タグに戻さないようにする」と「私論タグに戻すしかない」の相違ですね。
私からは、それを逐一節を立てて公式ガイドラインの「改稿提案」の方式でやろうと思います
今はそれ以前の段階です。先に「草案」として認められる程度にまで内容を改善する必要があるでしょう。『ウィキペディアは辞書ではありません』というタイトルの方針があるべきであることはウィキペディアンの全員が同意するところだと私は考えます。問題は内容です。
分業的にガイドライン化を視野に据えた草案の改稿作業がおこなわれている、というかたちで「継続」ということを納得して頂けませんでしょうか?
せめて、例えば「解説にするのはどうかという案」などに関して議論が進んでいるなら、議論中ということで「提案中」タグが貼られている状態も許容範囲内かなと思うのですが、Kiyoweap氏が「そういう話は別の提案をしてやれ」と主張するので、その方向ですら議論は停止していますからね。
内容に関する説明に返答ぐらいはしていただかないことには無理があると思います。引き延ばしたいなら、本件議論の纏め作成の議論を(ぐだぐだと)続けるとか、「方針とするのに内容をどのように改善すれば良いのか」などの議論にこのまま有耶無耶に雪崩れ込むとかなら、「提案中」タグのままでも許容範囲内なんじゃないかな、と私は思います。
世界最狂の魔法使いCray-G会話2015年5月18日 (月) 02:16 (UTC)[返信]