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「国鉄103系電車」の版間の差分

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;サハ102
;サハ102
:*サハ103を改造車のみ。片町線(現・学研都市線)[[松井山手駅]]での分割・併合を行う為に電気連結器を取り付ける際、床下機器が干渉する関係で車両の向きが前後逆になった。その為、通常は車両の東、北端に取り付けられている方向幕が西、南端に付く。当初番号は5000番台であったが、編成パターンの変更に伴い電気連結器が撤去され、0番台に改番されている。現在、機能面でサハ103と差は無い。
:*サハ103を改造車のみ。片町線(現・学研都市線)[[松井山手駅]]での分割・併合を行う為に電気連結器を取り付ける際、床下機器が干渉する関係で車両の向きが前後逆になった。その為、通常は車両の東、北端に取り付けられている方向幕が西、南端に付く。当初番号は5000番台であったが、編成パターンの変更に伴い電気連結器が撤去され、0番台に改番されている。現在、機能面でサハ103と差は無い。

==成立までに至る誤解==
*103系に携わった国鉄OBが長年、再三メディアで否定しているにも拘らず、「'''103系はまず、山手線用に開発された'''」とする記述、表現が完全に定着してしまっている。国鉄は当時、101系の導入路線は中央快速線と大阪環状線に限られてしまい、その他の路線では[[国鉄72系電車|72系]]を軸に戦前型国電で不足分を埋めて需要を賄っている状態であり、一刻も早く新性能電車を大量に導入する必要があった。そのために開発されたのが103系であり、最初から他の通勤路線にも投入する予定であった。山手線が最初に投入路線に選ばれたのは、既に101系が走行していて電力供給が間に合い(103系も101系程ではないが起動時の電流量は旧形の倍近かった。但し加速に掛かる時間が短いため総電力量では有利である。)、評価用の路線として最適だったためである。この誤解が完全に定着してしまった原因としては、[[常磐快速線]]や[[阪和線]](快速)など、明らかに101系を導入するべき路線に投入してしまった事や、[[京阪神緩行線]]の様に国鉄本社も地元の大阪鉄道管理局も新系列の高速通勤電車投入までの「つなぎ」として103系を導入した路線で長く使用せざるを得なかった事、などが現場や乗客の不評を買った事が上げられる。
*「'''イニシャルコストで101系より安い'''」というのは、完全な誤解ではないが、一面で誤解されている場合が多い。同車種(例えばモハ101形と103形、クハ103形と101形といった様に)を比較すると、103系の方が10~20%高額である。103系のイニシャルコスト面での優位点は、当時ほとんどが8連だったいわゆる「[[通勤五方面作戦|国鉄東京5方面]]」に於いて、電動車Mと非電動車Tが1:1の4M4Tで導入できるという点である(101系は6M2Tになってしまう)。しかし、後にこれらの路線は揃って10連以上に拡張されたため、このメリットは薄れてしまった。


===問題点===
===問題点===

2006年5月2日 (火) 06:10時点における版

国鉄103系電車(こくてつ103けいでんしゃ)は、101系の後を受けて1963年(昭和38年)から1984年(昭和59年)までに実に21年に渡り3,447両製造された電車である。


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クハ103形(高運転台・関西本線(大和路線)用)

概要

1958年から中央線に量産車が導入された101系は、当初は全電動車方式とし、定格速度を通勤形電車としては高めに設定してあり、そのため電動車1両当たりの牽引力が低かった。そのため乗車率100%超が常態の通勤路線ではMT比1:1での使用ができなかった。また、高速主電動機を採用しているために加速時の消費電流が多く、当時ほとんどの国鉄重通勤路線では電力供給設備の大規模な増強を行わなければならなかった。しかし、日本国有鉄道(国鉄)の財政状況からすると、これは不可能である上に、時間的な余裕もなかった。そのため、よりランニングコストの低い「標準型通勤車両」の必要に迫られ、103系が開発されたのである。

1963年、既にカナリアイエローの101系が投入されていた山手線に試作車を投入、営業電車での評価試験となった。その性能と経済性が証明され、1964年以降国鉄に於ける通勤用の標準車両として大量に製造され、直流通勤形電車は基より、国鉄の所有車両としても最大の車両数を誇り、昭和40~50年代(1970~1980年代)の東京や大阪など日本の大都市圏の通勤輸送を支えて来た。全車が普通鋼で製造された。

103系の関連系列としては、地下鉄東西線乗り入れ用のアルミ車両である301系や、地方電化路線用の105系飯田線用の119系、国鉄末期に四国地方に投入された121系が挙げられる。

一部の車両は72系や101系といった他系列からの編入も行われた他、奈良線和歌山線の電化開業用などとして105系に改造して転出された車両もある。

基本性能

基本的に、全車電動車編成での使用を前提に設計された101系に対し、MT比(電動車と付随車の比率)1:1で運用される事を前提に、主電動機をMT55形(出力110kW)の高トルク型とし、定格速度を下げて加速度を向上した経済車である。

車体は基本的に101系を基にしている。101系からの変更点は下記の通り。

  • 車輪径の拡大(860mm→910mm)に伴って床面の高さをやや上昇
  • 運転台窓を天地方向にやや縮小
  • 運転台下部正面中央にも外気導入口を追加
    冷房車として製造された高運転台車では廃止(下記参照)、既存車も冷房改造と同時に閉塞し、風道が撤去された。
  • 正面方向幕の拡大
    101系は基本的に行き先のみの表示だったが、103系では種別も同時に表示できる様になった。
  • ドアーエンジンを変更すると共に、ドア上部にベルト連動装置を装着
    101系では基本的に片開き用×2の構成であったため、両開き扉の2枚の扉の動きが対称にならなかったり、また搭載位置が不適切であったため動作不能になる場合があった。
  • ドア閉め不完全時に、不完全なドアのみを再開放するスイッチを追加
    ラッシュ時の駆け込み乗車対策として採用された。これは101系にも改造で取り付けられた。

駅間の短い山手線大阪環状線阪和線(各駅停車)などに最適な車両である反面、高速運転対応として弱め界磁35%として設計したものの実効が40%程度に留まったため、中央快速線常磐快速線京阪神緩行線阪和線(快速)など駅間の長い路線には極めて不向きな車両であった。だが、量産効果と仕様統一を優先して投入され、快速電車などとしても使用された。


形式

クハ103
  • 103系の制御車。基本的に車番が偶数の車両は偶数(東、北)向き、奇数の車両が奇数(西、南)向きの先頭に連結される。
モハ103
モハ102
  • モハ103又はクモハ103とユニットを組む電動車で、MGCPを搭載する。
サハ103
  • クハ103から運転台を廃した構造を持つ付随車。長編成やクモハを連結する編成に組み込まれる。
クモハ103
  • モハ103に運転台を取り付けた構造を持つ制御電動車。奇数向き用。新造は製造初期のみだったが、3両、5両を組成する場合には必ずこの車両が必要となる関係で、今も多数が残る。
クモハ102
  • モハ102に運転台を取り付けた構造を持つ制御電動車。偶数向き用。国鉄が車種が増える事を嫌った為に1200番台の5両(理由は1200番台の項目を参照)以外に新造車は無い。しかし、短編成化時の必要性から多数のモハ102がこれに改造されている。
サハ102
  • サハ103を改造車のみ。片町線(現・学研都市線)松井山手駅での分割・併合を行う為に電気連結器を取り付ける際、床下機器が干渉する関係で車両の向きが前後逆になった。その為、通常は車両の東、北端に取り付けられている方向幕が西、南端に付く。当初番号は5000番台であったが、編成パターンの変更に伴い電気連結器が撤去され、0番台に改番されている。現在、機能面でサハ103と差は無い。

問題点

  • 性能が低速用のセッティングのため、快速電車など駅間距離の長い路線で90km/h以上を出すと、主電動機冷却ファンから「ガーッ」と大きな騒音を発する。MT55形は1975年に一部仕様変更したMT55A形に移行した。そのMT55A形で1978年以降の冷却ファン構造を変更したタイプを搭載した車両はさらに高い「キーン」という高音も発し、最高速度の100km/h(物理的な限界 これは一般にブレーキ性能で求められる)ではそれこそ悲鳴にも近い音となる。
  • 101系に使用されたMT46もかなりの量産数があったため、駅間の長い路線には101系を投入するという選択肢も充分に考えられるものであったが、国鉄本社の103系統一への執着が強く、実現しなかった。実際、101系を高速向け大出力のMT54形とし、103系の経済性と101系の高速特性を両立させ(かつ在来の101系と混用可能)た仮称105系(実際の105系とは全くの別物)の計画も存在し、大阪鉄道管理局では大阪環状線用に具体的な導入計画まで立てられたが、国鉄本社の横槍で103系を導入する事になった経緯もある。ちなみに同じMT46を搭載する近郊型の111系では途中からMT54形とした113系へと発展している。
  • しかし、安直な突き出し転配の結果、中央・総武緩行線や南武線、鶴見線など運転速度の低い区間に旧型だからと言う理由で101系を投入の上で余剰になった車両を廃車し、常磐快速線や中央快速線に新製の103系を投入していたのは明らかに失敗であった。特に、前者は中距離電車の大増発(重量級の交直流電車で大電流のMT54を採用)のため変電所の容量を大幅に増強せざるを得なかった上、その両者の高速特性が合わなかった。
  • 埼京線京葉線など、新しく高架線で開業した駅間距離が長く高速運転を行う路線では、線路沿いでの103系の発する騒音が問題になった事がある。また、京都府京都市伏見区の向島ニュータウンの東部地区では、夜間になると宇治川を挟んで直線距離で2km近く離れて走っている奈良線の103系の走行音がよく聞こえるが、並走して宇治川沿いを走る京阪宇治線どころか、ニュータウンの西縁を走り当該地区から数百mしか離れていない近鉄京都線の各列車の走行音はほとんど聞こえない、といった103系の騒音の激しさを表す逸話がある。
  • また、国鉄がそれ程にまで執着した経済性についても、関東の国電のほとんどが10連以上になり、6M4T編成となると、メリットは薄れてしまった。101系6M4Tと103系4M4Tではそれ程性能差が出ないためである(もちろん103系6M4Tはそれを上回る)。同じ様な問題に直面した大手私鉄では、編成中に1C4Mの電動車を挿入したり、単独で動ける釣り駆け式の旧型電車の車体及びブレーキ装置を更新して増結車とするなどして対処した。そもそもこうした私鉄であれば、101系の1C4M車を製造して5M3Tで凌ぐ様な手法を採っていた。しかし、あくまで形式上の統一にこだわる国鉄ではこうした処置は取られなかった。

車種分類

103系の場合、通勤形車両として大量に生産された事から、新造車両として製造された時期などにより様々な設計変更や後述する番号との重複を避けるために行われる。そのため、製造番号の車両番号を変更する事により分類分けを行う事ができる。

900番台

1963年に山手線に先行試作車として新製された車両である。当初、量産車とは引き通し線が異なり且つ混結ができない事から、番号を901~に変更した。引き通しや台車など量産車と異なる仕様については後に量産車に合わせる改造が施されている。先行試作車は当初0番台車と同じく1~を名乗っていた。また当時の車両番号はウグイス色の地に白字で書かれていた。クハ103-901~904とモハ103-901・902・102-901・902の8両が存在し、晩年は他の103系量産車と共に活躍していたが、全車が老朽化によって1992年までに廃車されている。こちらは最後まで冷房取り付けが行われる事はなかった。

0番台

1964年から1984年まで長期に渡って製造された103系の基本形式である。この様に長期に渡り大量に製造された事から、投入時期などにより様々な改良が加えられている。

1963年~1970年製造

  • 103系の量産車として初めて登場したグループであり、山手線に最初に投入され、また同線に先行して投入されていた編成は後にこの量産車に合わせた仕様に改造された。また試作編成にはなかったサハ103形がこの時に初めて登場した。また1965年から京浜東北線に投入された編成には、当時の車両基地の構内有効長などの関係で3+7(当初2+6)の分割可能な編成で投入され、この時にクモハ103形及びMc編成の偶数向き制御車としてクハ103-500番台が登場している(但し新製されたのはこの時のみ)。
  • クハ103-1~177・501~638、モハ103-1~278・102-1~433、サハ103-1~305、クモハ103-1~155がこれにあたる。
  • またクハ103形のうち1967年に常磐快速線に初めて投入された617~、及び続いて阪和線用に製造された115~、から付随台車がそれまでの踏面ブレーキのTR201から、ディスクブレーキのTR212に変更されている。

試作冷房車(1970年製造)

  • 当時、京王帝都電鉄(現・京王電鉄)の5000系など一部の私鉄に於いて通勤型電車も冷房を取り付けた車両も登場し、国鉄もその研究のために1編成10両を山手線に試験投入した。比較検討のため車両毎に異なる冷房装置が取り付けられ、また冷房電源用のMGが後の量産冷房車とは異なり、クハ103形に取り付けられているなどの特徴があったが、1978年に量産冷房車と同じ形態に改造された。このグループから客室窓が製造工数低減のためにユニットサッシに変更されており、国鉄の通勤・近郊形電車で初の自動行先表示器を設置した。またクハの前照灯は白熱灯1灯で当初より運転席下の通風口がない独自のスタイルであった。
  • クハ103-178・179、モハ103-279~281・102-434~436、サハ103-306・307がこれにあたり、全車がJR東日本に継承されたが、2005年10月まで京葉線に残留していたサハ103-307の廃車を以て消滅した。

1971年~1972年製造

  • 前述の試作冷房車と同じく客室窓がユニットサッシに変更されているのが大きな特徴であり、また制御車の前照灯がそれまでの白熱灯1灯からシールドビーム2灯(いわゆるブタ鼻)に変更されている事から俗に「1次改良車」とも言われる。このグループは試作冷房車が試験中であった事から冷房準備車として製造されているため、クハは運転席下の通風口が復活している。
  • クハ103-180~212(188が当初松戸区に配属されて常磐快速線に、後に習志野→京葉と転属して中央・総武緩行線→京葉線に在籍していた他は全車明石区に新製投入)、モハ103-282~330・102-437~486、サハ103-308~323がこれにあたるが、京阪神緩行線の旧型車取り替え時期と重なったため、大部分の車両が明石電車区に、前述のクハ103-188を含む残りの車両が常磐快速線の編成再延長(10両→8両としていたものを再度10両化)のため松戸電車区に新製投入された。

1973年製造

  • 前述の試作冷房車の試験結果を踏まえ、1次改良車に新製時から冷房装置を搭載して製造したグループである。但し予算不足などのため京浜東北線に配置された一部の車両(モハ103-373~382・102-529~538)は、冷房準備車で製造され、非冷房のクハ103とクモハ103を先頭とする編成に組み込まれた。また、自動行先表示器の取り付けや座面拡張も同時に行われている。なお、後に冷房車となったため、クハの前面ステップ上の通風口は省略された。
  • クハ103-213~268、モハ103-331~413・102-487~569、サハ103-324~359(但しモハ103-373~382と102-529~538を除く)がこれにあたり、クハ103形の大半は当初山手線中央快速線及び大阪環状線に新製投入されたが、後述のATC化と関連して、関東配属車は1年足らずの間に1974年以降新製の中間車と組んで京阪神緩行線(配属は高槻電車区)に転属している。この事が後のJR西日本に中期先頭車が多く引き継がれる原因となった。
  • 残った先頭車は中央快速線に集結したが、後に中央・総武緩行線に転用され、津田沼(→習志野)電車区に転属し、さらに一部の車両は仙石線(陸前原ノ町(→宮城野)電車区)に転属し、RT235編成(クハ103-235以下4両)は205系への置き換え後も現在まで予備車として残っている。

1974年~1982年製造

  • 踏切事故対策や視認性向上のため、先頭車が高運転台構造に変更され、運転室窓下にはステンレスの飾り帯が設けられるなど、スタイルが一新されている。また山手線京浜東北線ATC化のため、運転台後部にATC装置の設置スペースが設けられ、運転台後部の戸袋窓が廃止された。但し、後に中央快速線福知山線などATCが採用されていない線区に投入された一部の車両(797・799~808・810~815・817~844・846・848・850)は、合理化のためATCの設置スペースは設けられず、戸袋窓が復活している。このうち811と818は1984年2月改正に伴う山手線増発用としてATC装置を取り付けて戸袋窓を埋めた上で転属している。
  • このグループから北陸トンネル列車火災事故の教訓を受けて火災対策が強化され、後述の1000番台など地下鉄乗り入れ車と同じA-A基準に対応している。但し前面貫通扉は設置されていない。
  • クハ103-269~499・701~844・846・848・850、モハ103-414~786・102-570~899・2001~2043、サハ103-360~503がこれにあたる。クハ103形とモハ102形の車番がそれぞれ701~、2001~、と途中から飛び番号になっているが、それまでに製造されていた500・900・1000番台などとの干渉を防ぐための措置であり、他車の様に仕様が変更された事で番台が区分された訳ではない。

1983年~1984年製造

  • 103系としての最終新製車であり、モハ103-787~793及びそれとユニットを組むモハ102-2044~2050がこれにあたる。
  • この車両が増備された時には既に201系の製造が開始されていたため、以下の変更点が見受けられる。
  • 屋根のゴム布張りから塗り屋根への変更
  • クーラー横ランボードの形状が201系と同一
  • 戸袋窓支持ゴムは新製時から黒Hゴム(これ以前は白Hゴム)
  • これらの車両は、「205系投入直前の赤羽(→埼京)、山手線」という非常に間の悪い場所に配属された(前5ユニットが赤羽線用としてカナリヤ色で、後2ユニットが山手線用としてウグイス色でそれぞれ池袋区に配属)ため、新製投入から数年で周辺の川越(但し赤羽線の延長による持ち替え)・浦和・豊田・京葉の各電車区へ配置換えとなり、さらにはJR東日本の103系全廃計画により2005年を以て全車引退し、特に最終ユニットは新製投入から20年を待たずに廃車されている。なお、川越電車区に投入された分のモハ103-790と102-2047は後述の3500番台に改造されたが、この2両も2005年に廃車となっている。

910番台

列車性能向上や当時山手線などに導入が計画されていたATCに対応させる目的で、1967年に制御段数を大幅に増やした超多段式制御の試作車として製造された車両である。試作された超多段式制御器であるCS30を搭載するモハ103-911~913とユニットを組むため、引き通し線の一部を変更したモハ102-911~913が製造された。この車両を用いた試験の成果で量産型であるCS40が後述の地下鉄乗り入れ用1000番台などに取り付けられたりもしたが、制御段数が大幅に増えた事で保守に手間が掛かる事から、結局上記の地下鉄乗り入れ車に採用されただけで、山手・京浜東北線のATC対応車も従来型のCS20のままで投入される事となった。

長らく山手線で活躍していたが、同線の205系投入に伴い、1988年にモハ103の全車とモハ102-912が電装解除されて後述のサハ103-800番台に改造され、冷房改造済みだったモハ102形の残りの車両は改番されずにユニットの相手を0番台車に変更された。

地下鉄対応車両

また、地下鉄対応車両として以下の車両が以下の路線向けに新規製造された(カッコ内は対応する地下鉄路線)。

1000番台

常磐緩行線営団地下鉄千代田線

  • 全車が10両編成として新製されたものであり、ATC機器を搭載したため乗務員室後ろの戸袋窓がない。地下鉄線内での加速を稼ぐためにMT比8:2(8M2T)としている。16編成160両が製造された。前面の運行表示板上方と車両上方側面には国鉄マーク(JNRマーク)が掲げられた。(快速線転用の際に消された。)また地下鉄乗り入れ対応車(A-A基準車)であるため前面に貫通路が設けられ、車両部品には不燃・難燃材料が使われている。登場当時は常磐快速線成田線(我孫子~成田間)でも活躍していた(但し運用時には先頭車の前面に「常磐線(快速)」のステッカーを貼付した)。
  • しかし、共通使用される営団6000系より電力消費量が格段に多い事や、千代田線に於いては抵抗器からの発熱によってトンネル温度が上昇するという問題も起こった(→常磐緩行線#複々線化の沿革と問題も参照)。
  • 常磐緩行線と千代田線からは203系への置き換えで1986年3月までに運用を終了し、一部は奈良線和歌山線電化開業用などの105系500番台に改造された(和歌山列車区新和歌山車両センター広島運転所)。一方で105系に改造されなかった車両はATC機器など千代田線内乗り入れ機器を撤去させた上で常磐快速線と成田線(我孫子~成田間)に転属して使用されていたが、同線へのE231系への置き換えによって2004年3月を最後にすべての1000番台の使用が終了した(松戸車両センター)。また1編成のみ中央・総武緩行線から東西線への乗り入れ用に転属した編成も存在したが、こちらもE231系800番台への置き換えによって1200番台と共に使用を終了した(三鷹電車区)。直接転属の原因は1200番台と301系の冷房改造工事に伴う車両不足であり、1988年の転属直後は「灰色9号+黄色5号」の301系などと同じカラーリングを纏っていたが、中央・総武緩行線の205系導入による誤乗防止から1989年末までに帯色をスカイブルーに変更させた。その後も三鷹電車区に残留し、最終時まで使用された。

1200番台

中央・総武緩行線営団地下鉄東西線

  • 東西線乗り入れ用のアルミ車両である301系の後継として製造された。
  • 全車が7両編成(MT比6:1(6M1T)5編成35両)として新製されたものであるが、こちらは1000番台とは異なる小型のATC機器を搭載したため、乗務員室の後ろに戸袋窓があった。また、1000番台と同様に地下鉄乗り入れ対応車(A-A基準車)であるため前面に貫通路が設けられ、車両部品には不燃・難燃材料が使われている。また乗り入れ先であった営団地下鉄東西線の5000系と編成を合わせるため、制御電動車はクモハ103形ではなく新形式のクモハ102形とされた。また第1編成以外は全車ユニット窓であった。この車両にも1000番台と同様に前面の運行表示板上方と車両上方側面には国鉄マーク(JNRマーク)が掲げられた。(1200番台のJNRマークも国鉄分割民営化の際に消された。)
  • 1989年頃から集約分散式AU712形を2基搭載した形で冷房化改造が行われた。この際にモハ102には冷房用電源として大容量のMG(160kVA 一部は190kVAでそれまでは10kVAであった)に交換した他、クモハ102形を除く全形式に対して側面の行先表示器が取り付けられ、併せて制御車の前面方向幕を電動式に入れ替えている(「快速 中野」などの快速幕はこの時に導入された)。また同年末からは1000番台や301系と共に帯色を黄色からスカイブルーに変更された。
  • 1992年に全車が10連化された際に0番台サハを編成内に編入していた(サハ103-429・430)。また編成組み替えにより5両編成1本が出現し、予備車として301系との混結運用も見られた。一方で余剰車の一部は常磐快速線(松戸電車区)に転出したが、1993年までに廃車となった。
  • E231系800番台への置き換えによって1000番台や301系と共に2003年に使用を終了し、2004年に全廃、区分消滅した(三鷹電車区)。
  • 1993年からクモハ102-1201が鎌倉総合車両センターで入れ替え用としてクモハ103-11と共に使用されていた(但し車籍はなく機械扱い)。しかし車体としては残存していたが、同センターの閉鎖に伴い解体されている。使用当時は黄に赤と緑のストライプというオリジナルの塗装、ライトと小窓が増設された前面、建築限界の関係で移設されたパンタグラフ、など独特な姿で異彩を放っていた。

1500番台

筑肥線福岡市地下鉄空港線

  • 全車が6両編成として新製されたが、編成番号は3両ずつに分かれている(小倉工場に回送する際も3両ずつとなっている)。国鉄の財政事情と筑肥線の列車密度の低さから既に実用化されていた電機子チョッパ制御ではなく、抵抗制御の103系とされた。9編成54両が製造されたが、後に先頭車化改造された編成が出て来たため、現在は13編成54両となっている。
  • 設計費の削減のため、車体や内装は201系、先頭部は105系とそれぞれ同様のスタイルを採用しており、103系で唯一新製時から戸袋窓がない。現在も唐津鉄道事業部唐津運輸センターに配置され、一部は3+3の編成で運用されている。3両編成は限定運用、6両編成は303系の代走としての運用も持つ。
  • 機器配置は1000番台など他の地下鉄乗り入れ車に準じているが、保守低減のため、制御器は超多段式のCS40ではなく0番台と同じCS20になっている。
  • 乗り入れ先の地下鉄空港線内でのワンマン運転には対応していないが、筑前前原~西唐津間で3両編成として運転される場合はワンマン運転となる。
  • 2003年に全編成へのトイレの設置が行われ、103系では初のトイレ付きの車両となった。同時に303系に類似した塗装変更車も登場している。さらに2005年からは延命工事が始まっている。
  • 後期に製造されたため、主電動機はMT55A形のみ使用される。

改造・改修番台

103系の場合、前述した様に基本的には閑散路線での使用を前提としていないが、JR移管後にその様な用途に使用するために改造を受けた車両もある。

800番台(付随車)

910番台を電装解除した後の姿で、一部に種車の面影が残っていた。但し最終2両は前述の通りモハ102-911・913によって玉突きで捻出された一般車である。912番のユニットを改造した801と804のみが更新工事を行い、常磐快速線に長らく残存していたが、現在は廃車・消滅している。

2500番台(制御車・制御電動車・附随車)

制御車はモハ102形からの改造車で偶数向き、新設された運転台は高運転台登場後なのにも関わらず、JR西日本の方針で低運転台・シールドビームの「1次改良型」にされた。後にWAU102形で冷房改造されたが、全車が3500番台に運転台を供出した上で1997年までに廃車されている。

制御電動車は片町線(学研都市線)関連の運用の関係で電気連結器を装備し、5000番台を名乗っていたモハ103形の改造車を電気連結器や電気空気開閉器を撤去した事により改番したものだった。現在は数両が3500番台に改造された他、奈良や広島といった比較的初期車が多い地区に配置されている。このグループは比較的状態の良い車両が多いため、0番台クモハの引退後も残存する予定である。但し2501と2502はWAU102形のクーラーが搭載されているため近いうちに廃車になる可能性が高い。

クモハ103-2504は体質改善40N工事を施行しており、先頭電動車では地方路線用の3500・3550番台を除いて唯一の存在である。これについては「3500番台の試作車」という説と「東羽衣支線用車両の老朽取り替え用」という説があるが、現在まで東羽衣支線に入線していないために前者の説が有力と見られている。

附随車は片町線の基本編成4連化に伴い不足する車両をモハ103形の改造により補ったものだったが、わずか2年で廃車になってしまった。

2550番台(制御車)

モハ103形からの改造車で奇数向き。当然の事ながらパンタグラフが撤去されたが、その他は2500番台とほぼ同じ仕様になっている。2500番台の制御車と違い、近年まで3両全車が現役であったが、全車が集約分散式WAU102での冷房改造車であり、321系の投入によって捻出された201系の大阪環状線・桜島線(JRゆめ咲線)入線により転属した状態の良い103系によって淘汰され、2006年2月までに3両とも退役した。そのうち2551は姫路駅で脱線救出訓練に使用され、各部を大幅に損傷した状態で網干所に回送された。

3500番台(JR東日本)

八高線八王子~高麗川間の電化開業に伴う必要編成数の確保のため、余剰となっていた京浜東北線と京葉線から転入した0番台(クハ103形は高運転台車)に半自動ドアを増設して改造した車両だった。半自動ドアは3000番台と違ってボタン式スイッチであった。八高・川越線にて使用されたが、老朽化に伴い2003年11月から廃車が始まり、205系3000番台209系3100番台に置き換えられて2005年3月を以て引退し、4月に廃車された。廃車後も先頭車が解体されずに残存している。

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103系3500番台先頭車化改造車 2005年7月31日撮影(JR播但線姫路駅にて)

3500番台(JR西日本)

播但線姫路~寺前間の電化開業に伴いJR西日本が改造した車両である。塗色はワインレッド(えんじ色)で、全9編成が網干総合車両所に所属している。種車は改造費を抑制するために先頭車を含むMc+M'のユニットが選ばれ、当時の他の103系に倣い体質改善工事と称されるリニューアル改造も施行されている。新設された運転台はMcの形状や提供品の関係で低運転台とされた。またワンマン運転に対応させるために一部窓の形状が異なり、側面にワンマン特有の出入口を表示するLED表示器が取り付けられている。全車ではないがパンタグラフの増設準備がなされているMcも存在している。

なお、JR西日本に於いての3500番台はクモハのみなので、JR東日本の3500番台と番号の重複は発生していなかったが、JR東日本車が2005年4月に廃車となったため、番台の重複は解消されている。2006年4月現在、全9編成のうち3507~3509の編成にはトイレ新設工事が施行されており、その他の一部編成にはトイレのスペースのみ確保された編成(3502)も存在する。また、ラッシュ時などには基本編成の2両編成にさらにもう2両を増結して4両編成で運転している。

播但線で使用されている車両は、試験走行を除けば103系で初の基本編成が2両編成という車両でもある。

3550番台

加古川線の全線電化開業に伴い電動車ユニットに運転席を取り付けた車両である。先頭部に貫通扉を取り付けた点、既に体質改善工事が終了していたため、工事済の中間車ユニットを種車に選んだ点が異なる。またJR西日本では103系で初のトイレが設置されている。窓下2灯のヘッドライトも事業用車を除くと1500番台以来である。

比較的増・解結が多い路線に配置されるが、3500番台と共に電気連結器は未装備である。

サハ102

形式の項目を参照。

他形式からの改造番台

また、他形式からの改造により103系に編入された以下の車両がある。103系の場合、基本的な設計が共通する101系ないしはそれに準じた車体を流用する形での改修・改造である。

750番台

サハ101形からの改造車である。改造にあたり、ジャンパ栓受・ほろなどが変更されている。種車の関係からやや車高が低く、当初から103系として作られた車両と見分けるポイントになっていた。 751~767は101系からの改造時に冷房化改造もあわせて行われた他、101系時代に冷房改造されていた車両(768~772・777~780)もある一方、最後まで非冷房の車両(773~776)もあった。なお、771・772は種車がサハ101形200番台だったため、電動発電機・コンプレッサーを撤去している。また車両により冷房装置の位置(種車の重心位置の都合による)や行先表示器の有無などの差異が見られた。JR化後も延命工事や、非冷房だった車両の一部冷房化改造も施されたが、2002年にサハ103-765の廃車をもって全廃されている。ちなみに、特に干渉する番号がなかったにも関わらず750番台というやや半端な番台区分となっているのは、サハ100形も改造し、それを700番台とする計画があったためである。しかしこちらは実現することはなかった。

3000番台

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拝島駅の3000番台
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川越線の全線電化開業の際、主に川越駅高麗川駅間の区間運転用として経費節減のために仙石線の103系投入で余剰になった旧性能車である72系アコモ改造車の車体と工場の予備品見直しにより捻出した103系の部品(付随台車101系の廃車発生品、またMGは冷房改造の発生品が用いられていた。)を組み合わせて登場した系列だった。改造の理由の一つとして、当時埼京線が開通する際に投入予定だった山手線の103系と同じ路線を走行する関係で足回りが旧性能のままでは性能差となったので、それをなくすために施工したとされる。仙石線時代はクハ-モハ-モハ-クハの4両編成で活躍していたが、改造当初に川越線では3連で使用される事となったため、クモハ102-モハ103-クハ103の編成に変更された。なお、通常103系の3両編成では制御電動車がクモハ103形となるところだが、3000番台では改造工数の低減のためパンタグラフのないクモハ102形とされた。

上記の改造に漏れた車両(モハ72形)はそのままの姿でしばらく保留車となっていたが、1986年11月のダイヤ改正で青梅線の3両編成を4両化するため、電装解除の上103系化され(台車は当時廃車の進んでいた101系に用いられていたDT21Tが活用された)、サハ103-3000番台に編入された。そのため屋根上にパンタグラフを取り外した跡が残るなどの特徴がある。

3000番台の特徴としては、高運転台+先頭電動車+AU712クーラーの組み合わせや、クハとサハの台車が101系などの発生品であるDT21Tを装備していた事や、種車の機器配置を極力活かしたためにパンタグラフがユニットの外側に来るなど、独自の装備をしていた。

当初、サハのみが豊田電車区に配属され、主に青梅線五日市線にて0番台車と共に活躍した。しかし、1996年3月16日のダイヤ改正に於ける八高線の八王子~高麗川間の電化開業により川越線区間列車と八高線電化区間の列車が共通運用化されて両区間の運用列車が4両編成になるのに伴い、サハの全車も川越電車区(現・川越車両センター)に転配された。その結果、4両編成の5本(20両)が川越電車区に配置され、八高・川越線では209系と共通運用がされる事となった。しかしながら、これらの103系は老朽化が進んだ事により2003年11月より廃車が開始され、205系3000番台と209系3100番台に置き換えられて2005年までに全車が廃車された。廃車後も3編成が解体されずに残っている。

なお、最前部の戸袋窓は完全に塞がれた車両と板で塞がれた車両が存在した。これは当時の仙石線がタブレットを使用していた関係で、破損防止のために採られた対策であり、さながらATC車の様であった。

2000番台(制御車)

クハ100からの改造車で、主に関西本線(大和路線)で使用された。機器類のみ103系と同じものに改造されただけで、前面は101系時代と変わらず、また台車も種車のDT21T又はTR64を流用していた。1992年に全廃されている。

2050番台(制御車)

クハ101からの改造車で、主に阪和線で使用された。クーラーが設置されなかった事もあり、2000番台と同様に1992年に全廃されている。

なお、103系の中には改造によって105系となったものがある。それについては105系を参照の事。

車両塗装

103系大阪環状線(原形、退色が激しい)
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103系大阪環状線(リニューアル)
USJ仕様の103系 西九条駅にて
103系カナリア(鶴見線)
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103系瀬戸内色(山陽本線・呉線)
ファイル:103-1500.jpg
筑肥線仕様の103系(1500番台・新塗装) 2004年2月撮影
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101系と同様に、103系では車両塗色にラインカラーが制定されて用いられ、JR発足後の現在でも使用されている。各路線の塗装などについては国鉄時代に決められた以下の5色がある。なお塗色の号数呼称は1983年に定められた「国鉄車両関係色見本帳」に準拠している。

この書体は既に定期運用から撤退、もしくは既に当該路線用の車両配置のなくなった事により当該塗色の車両が見られなくなった路線・所属区。既に撤退した所属区に関しては撤退時の名称にて示す。

また、民営化前後に各地域カラーが登場している。

  • 新製時はスカイブルーにアイボリーの帯を巻いたカラーリングであったが、後にシルバーと濃いグレーのツートーンにドア部分のみレッド(乗務員扉はイエロー)というカラーリングに変更された。また2004年以降は塗装簡略化のためシルバーにドア部分のみレッドという303系に準じたカラーリングの車両も登場している。
  • 仙石線…スカイブルー(青22号)→「仙石3色」(上からアイボリー、青[太線]、スカイブルー)→「SENSEKI LINE色」(青と白、線名の英字ロゴ)(陸前原ノ町電車区→宮城野電車区
  • 俗に「仙石更新」と呼ばれる特別のリニューアル改造(窓の上段下降式サッシ化、前面窓の2枚窓化、ベンチレーター撤去、ドア内側の化粧版設置などの室内各部の更新)がなされていたが、現在はほとんどが205系3100番台に置き換えられたため消滅しているが、予備車としてRT-235編成が郡山駅構内に残存している。
  • 中部地区(中央西線)…スカイブルー(青22号)→「中京(JR東海)色」(白色にオレンジと緑色の帯が入っていた。)
  • 京浜東北線のATC化で余剰になった車両が活用されたため、当初はスカイブルーに塗られていた。末期は塗色を中京色に変更された他、座席のバケットシート化やユニットクーラーによる冷房化などのリニューアルも行われたが、後述の通り313系などに置き換えられて消滅している。(最終配置:神領電車区
  • 岡山地区…「岡山マスカット色」(薄緑に白帯3本(うち上の1本は太い))
  • 非冷房の初期型車が多かった115系を置き換えるため、関西地区での207系の投入により余剰になった車両のうち5編成4両(計20両)が転属された。2004年10月16日のダイヤ改正で全車が213系に置き換えられ、定期運用からは離脱した。廃車は先頭車2両のみで、現在3編成は塗装をそのままにして広島運転所に転属させた上で運用されている。残る1編成も引き続き岡山地区で予備車として運用されていたが、2006年3月に正式に営業運転から離脱して広島運転所に転属した。また余剰となったモハユニットは関西地区に戻っている(最終配置:岡山電車区電車センター)。
  • 5本共1次改良型クハ(戸袋窓埋め込み済み)+更新N40モハユニットで編成を組んでいた。
  • 広島地区…「瀬戸内色」(クリーム地に青帯)
  • 山陽本線呉線可部線で活躍している。岡山地区と同じく(但し導入は岡山地区より早い)同地区に多数残存する115系非冷房車を置き換えるために入線した。塗装は115系に準じている(広島運転所)。
  • 最近では関西地区からの転属により少しだけだが車両数が増加している。しかし大阪環状線などから体質改善車の転入が予想されるため、将来は決して安泰とはいえない。
  • 播但線姫路~寺前間の電化開業に伴い運用を開始した。側面に〔JR BANTAN103〕と書かれている(網干総合車両所)。
  • 105系風(但し低運転台)の前面に黒色のアクセントが入り、側面には〔JR KAKOGAWA103〕と書かれている。加古川線の全線電化開業(2004年12月19日のダイヤ改正)に伴い運用を開始した(加古川鉄道部)。但し3551編成のみ運用開始時からチェックに目玉という特別な塗装になっている。また2005年末からは3552編成も宇宙を描いたラッピングを施された。
  • 正確には車体に印刷されたフィルムを貼り付けたラッピング車両であり、ユニバーサル・スタジオ・ジャパンのアトラクションなどに関するものが印刷されている(森ノ宮電車区)。
  • ラッピングの張り替え時は、一時的に白1色になる。

JR分社後の状況

103系は元々、通勤形電車という大量輸送に特化した形態や国鉄の「標準型」とされていたため、性能・設備面では陳腐化が目立ったが、1983年7月に201系に置き換えた中央快速線1986年3月に203系に置き換えた常磐緩行線以外、置き換えが進まなかった。

しかし、JR化前後より、JR東日本では205系209系E231系などの後継車両への置き換えが進み急速に廃車が進んでおり、2006年3月18日のダイヤ改正までに全車が運用を離脱し、4月の常磐快速線でのさよなら運転と車両展示会を最後に引退した。

JR東海では313系などに置き換えられて2001年に全廃されている。

逆にJR西日本ではリニューアル化や短編成化などが推進されて比較的初期車を中心に残存しているが、JR京都・神戸線への321系新製車投入による201系と205系の転配で、大阪環状線と阪和線に残存していたクハ103-7・17・18・501といった最老朽車を皮切りに、播但線と加古川線を除いた線区で使用されている車両の淘汰が全面的に始まっている。

また、JR九州で使用されている1500番台についてはしばらくの間使用される予定であるが、福岡市営地下鉄空港線への乗り入れ本数の削減により現在は余剰気味であり、今後どの様な形で使用されるのかは今のところ未定である。

JR東日本

東日本旅客鉄道(JR東日本)管内では、民営化当初一大勢力を誇っていたものの、老朽化による廃車は避けられず、205系(1988年7月に山手線、1990年3月に横浜線、同年12月に埼京線川越線(大宮~川越間))と209系(1998年3月に京浜東北線根岸線)にそれぞれ置き換えられた。また2001年3月には209系500番台やE231系の投入により中央・総武緩行線からも撤退し、ほぼ同時期に同線から撤退した201系を青梅線五日市線京葉線へ転用したことでこの3路線からも撤退することになった。

さらに2003年7月から2005年11月に掛けて山手線へのE231系500番台の投入による205系の玉突き転配が実施され、南武線川越線の川越~高麗川間・京葉線武蔵野線仙石線鶴見線から続々と撤退する事になる。なお常磐快速線成田線の我孫子~成田間は当初は全てがE231系に置き換えられる予定だったが、E531系の投入とつくばエクスプレスの開通により計画が一部変更となり、基本編成の10両編成1本(高運転台のH7編成)と付属編成の5両編成2本(低運転台のH22・H31編成)が2006年3月17日まで残存し、18日のダイヤ改正時に常磐快速線の減便に伴い定期運用から引退、その後も残留して4月8日のさよなら運転を経て9日の車両展示会をもって引退した。鶴見線では205系1100番台への置き換え終了後も3両1本が残っていたが、2006年4月26日、113系との混結で北長野へ廃車回送された。


ファイル:鶴見線103系.jpg
鶴見線103系・鶴見駅

  

JR東日本は国鉄から103系を2,418両も継承した。当然その中には数多くの非冷房車があった。当初は新製車と同じAU75形集中冷房機を使って冷房改造したが、非冷房車は冷房搭載を前提とした設計ではなかったため構体の補強が伴い、多額の費用と時間がかかった。そこで1988年度からはAU712型という分散冷房機を使用して冷房改造を行った。但し最初に先行改造されたサハ103-128はJR東海の分散型冷房装置に類似したものが取り付けられた(FTUR-300-102形)。さらに1988年後期からはより一層工期・費用削減のために、小型のSC24形補助電源装置(SIV)も同時に取り付けたタイプも登場した。しかし、これらの車両は先述の様に若番車が多く、老朽化が進んでいたため7年ほど経って205系と209系の量産が軌道に乗ると早くも廃車されて姿を消していき、2005年に全廃された。最後に廃車となったのは武蔵野線で運用されていたモハ103-185・モハ102-340のユニットであった。また、最後まで常磐快速線と鶴見線に残存していた若番車はすべて集中式であった。ちなみにAU712型での冷房改造は113系・115系・403系などでも行われたが、こちらも103系と同様の理由で廃車が進んでいる。                                                                                                   なお、2004年に武蔵野線で使用されていた下記の16両がインドネシアPT KAIに譲渡された。

  • 元E20編成…クハ103-815、モハ103-752、モハ102-2009、クハ103-822
  • 元E21編成…クモハ103-105、モハ102-231、サハ103-246、クハ103-597
  • 元E22編成…クハ103-359、モハ103-654、モハ102-810、クハ103-384
  • 元E27編成…クモハ103-153、モハ102-321、サハ103-210、クハ103-632

その他の編成も譲渡する計画であったが、これは東京急行電鉄8000系に変更されたため、103系の譲渡は16両で打ち切りとなった。現地では、前面下部にオレンジ色の大型スカートが設置され、元東急8000系、都営地下鉄6000系と共に、日本のODA・政府開発援助で建設された首都ジャカルタ近郊の電化路線で、有料急行用として使用されている。

当初、塗装は原形を保っていたが、2006年3月現在、オレンジと黄色のツートン(かつて新潟地区の国電が塗られていた赤+黄のツートンに近い)に塗色変更された車両も出ている。 尚、現地でも103系と呼ばれている模様。

JR東海

東海旅客鉄道(JR東海)管内では、旧国鉄時代の1977年(昭和52年)より中央本線名古屋地区で70両が使用されていた。すべてが初期に製造された車両(1965~1967年製)で、一部は冷房改造された(国鉄時代の分はAU75を搭載、JR移行後の分は分散型冷房方式)。民営化直後に211系の導入で冷房改造されなかった車両を中心に20両が廃車され、残った冷房改造済みの車両は延命工事も実施されたが、313系の導入に伴い1999年に定期運用から離脱し、2001年に全車が廃車された。現在はクモハ103-18の1両のみが美濃太田車両区で静態保存されている。

JR西日本

西日本旅客鉄道(JR西日本)管内には初期~中期型の車両が多く在籍していた事から、以下の工事を行い、積極的に延命を図っている。

冷房改造

当初は国鉄時代を踏襲したAU75を使用したが、途中から集約分散式WAU102を3機搭載する方法に改められた。WAU102には製造する工場により3タイプがあり、複数の形状を混載している車両も多く見られた。なお、WAU102形を採用した車両は現在廃車が進行しており、数年後には見られなくなる予定である。

窓封鎖

戸袋窓と妻面窓を封鎖し、雨の浸入を防ぐ事で腐食を遅らせた。2006年4月現在、戸袋窓が残存しているのは12両のみである。JR東日本から購入した8両も封鎖している。

扉交換

腐食防止のために側扉及び貫通扉をステンレス製に交換した。現存するほぼ全車が施行済みであり、化粧板付きのものを装備する車両も存在するが、ごく少数に限られている。

スカート設置

201系などと同タイプのものが取り付けられ、衝撃への耐久性を高めた。

座席モケット交換

イメージアップのため、座席モケットを茶系統で3-1-3の区分が入ったものに交換した。近年ではシーマンブルー1色に再交換されつつある。また優先席も青地にピクトグラムの入った物に交換されている。現存する全車が施行済みである。

延命工事

延命N40

新製から40年の使用を目指し、外板整備・機器の一部更新・配管の交換・内壁の張り替えおよび窓サッシの交換(上段下降・下段固定の黒色サッシ)等を行った工事である。主に1973~1976年製の車両に施行された。

延命N

外板整備・機器の一部更新・配管の交換および内壁の張り替えを行った工事である。1972年までに製造された車両に多く施行された。現在は大半の車両が該当している。

延命NA

国鉄時代の特別保全工事施行車に内壁の張り替え等前述の延命Nと同等の工事を追加した。但し重複する部分は省略している。

延命NB

初期車が冷房改造と同時に延命N工事を受ける際、窓サッシの交換(上段下降・下段固定の黒色サッシ)を追加した。この工事を受けた車両は少数に留まり、2006年4月までに全車が運用を離脱している。

体質改善工事

体質改善40N

後継車両の207系と遜色ない車両に仕上げるため、屋根の張上げ化・一部外板のステンレス化・通風機の撤去・側面ルーパー形状の変更・運転台の整備・窓支持の変更(私鉄の様な銀色枠)・窓サッシの交換(下段固定・上段上昇のバス風逆T字サッシ、車端部は固定)・運行表示、方向幕、前灯部分の内支持化・内壁、床の張り替え・座席クッションの更新・荷棚のパイプ化・照明へのカバー取り付け・風洞の変更を実施した。但し次第に簡略化される様になり、2002年からは後述の30N工事に移行した。

体質改善30N

2002年からは更新コストを下げるため、外板の整備・通風機の撤去・運転台の整備・扇風機の交換のみを行う方法に変更されたが、それも321系の投入が始まる関係で2005年を以て終了している。こちらは後期車を中心に施行されたが、クハ103-261・244(共に低運転台車)の様な例外もある。

前面金属支持化

Hゴムの保護と運転台への風雨浸入防止のため、前面ガラス・運行表示・方向幕部分を金属板で覆った。なおこの工事は体質改善工事対象外の先頭車のみに行われる。

ワンマン改造

過疎路線での使用を考え、日根野車のごく一部(阪和線東羽衣支線)と3500(播但線)・3550(加古川線)番台の全車に対して行われた。


以上のような改造を受けつつ、大半の車両が今も活躍を続けているが、状態の悪いWAU102クーラー搭載車(冷風車とも呼ばれる)や若番車をはじめ廃車も着実に進んでいる。なお、廃車になった車両のクーラーは105系のリニューアル工事(N30改造)の際に再利用されている。

また片町線(学研都市線)東海道・山陽本線(JR京都・神戸線)福知山線(宝塚線)は高速化のために207系に置き換えられて既に消滅している。山陽本線岡山地区もロングシートである点やトイレがない点が不評だったために213系などに置き換えられて一旦は消滅したが、最近になり日根野区の余剰車がスカイブルーのまま転属し、ラッシュ時を中心に運行を再開している。

現在はJR京都・神戸・宝塚線に新型通勤形電車の321系を投入する関係で、大阪環状線桜島線(JRゆめ咲線)201系阪和線の一部を205系の捻出車にそれぞれ置き換えており、西日本全域で大規模な103系の転属と廃車が行われている。ただ、JR西日本では今後も暫く103系を使用する方針のため、JR東日本車の場合と異なり、置き換えと同時に編成替えや塗色変更、103系同士の置き換えも行われている。なお、廃車はWAU102搭載車と0番台クモハを含むユニットを中心に始められている。

なお、1964年製で103系の量産第1号車両であるクハ103-1、1が3つ並ぶクハ103-111が森ノ宮電車区に、下り向き専用車第2号のクハ103-502が奈良電車区に、量産第2号車両であるクハ103-2が日根野電車区にそれぞれ配置されているなど、最初期の車両も多く保有しているが、これらは老朽化が進んでいることから近い将来廃車になる可能性が高い。実際、過去にサハ103-1が2004年12月15日付けで、クハ103-501が2006年2月4日付けでそれぞれ廃車となっている。ちなみに日根野区に配置されているサハ102-1は改造車で、元はサハ103-385であった。

また、今後大阪環状線以外でサハを必要とするのは2500番台のクモハを連結する編成と日根野区の8連のみであり、後者は1編成を除いて205系に置き換えられたため、サハに関しては延命N40改造車、さらには体質改善工事車にまで廃車の手が及んでいる。逆に短編成化で不足するクハに関しては、初期型(AU75搭載車のみ)でも多少は残りそうである。現に大阪環状線に在籍していたクハ103-9・41・68・502の4両は初期型であるにも関わらず、廃車にならずに大和路線に転用されている。なお、一時期体質改善済みのサハは先頭車に改造されて地方で使用されるという噂が存在したが、サハ103-486(体質改善40N車)が廃車となった事で、デマであると証明された。

一方で2005年4月25日の福知山線脱線事故により被災した207系の一部廃車及び既存車両の帯色の変更、117系ATS-P非装備による同線からの撤退などの事象が重なり、一時的に車両が不足する様になった。既に網干総合車両所113系宮原総合運転所の103系の余剰車が処分又は他路線へ転出してしまった後だったため、必要車両をJR東日本から購入する事になった。JR東日本からの購入車両は京葉車両センター所属の元武蔵野線車両8両(E38編成:Tc821-M684-M'840-M685-M'841-M686-M'842-Tc828)で、7月27日に回送し、8月29日に試運転を行った。現在、編成は分割されて先頭車は広島地区の山陽本線・呉線・可部線(瀬戸内色)で、中間車のうちM684-M'840、M685-M'841は関西地区の東海道本線・山陽本線(スカイブルー・現在は阪和線で使用)で、M686-M'842は大阪環状線(オレンジバーミリオン)で、それぞれ既存車に連結され使用されていた(カッコ内は組み替え後の塗色)。当初戸袋窓はそのままにされていたが、321系の増備によって現在は車両数に余裕ができたため、閉塞工事とドア部分の黒ゴム化(E38編成時代、一部白ゴムのまま残っていたドアが存在した)を施行した上で他線区に転属している。また、E38編成の到着まで普段大阪環状線で使用されていた旧モリ17編成からサハ1両を抜いた7両編成がJR京都・神戸・宝塚線でオレンジ色のままで運用されていた。

元編成
  • 旧広E04編成…Tc128-M479-M'635-Tc118
  • 旧モリ17暫定代走編成…Tc205-M284-M'439-T350-M129-M'238-Tc206 
  • 購入編成…Tc821-684-M'840-M685-M'841-M686-M'842-Tc828

    ↓

転属後(太字が元E38編成)
  • 新広E04編成…Tc821-M479-M'635-Tc828
  • 新モリ17編成…Tc205-M284-M'439-M686-M'842-M129-M'238-Tc206
  • JR京都線代走編成…Tc128-M684-M'840-T487-M685-M'841-Tc118

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転用改造
  • 新広E04編成(戸袋窓閉鎖)…Tc821-M479-M'635-Tc828
  • 新ヒネK802編成…Tc128-M684-M'840-T370-T415-M685-M'841-Tc118
  • 新ナラ?編成 …Tc205-M686-M'842-Tc206

他の編成(E14編成が最有力だったと言われる)や国府津車両センター113系も購入の候補に挙がっていたが、321系の製造ピッチを上げることが可能だったため、購入することはなかった。

なお、体質改善工事を受けた車両は国鉄時代の丸ゴシック体からゴナに変更されている。また、リニューアル車についてはドアエンジンが戸袋下部に設置された差動式(旧形国電以来のTK4型)からドア上部設置の直動式に交換され、開閉動作がスムーズになったものもある(但し開閉に要する時間は前より遅くなった)。またリニューアルの有無を問わず前面窓下又はスカートに車番を書き込むようになったが、日根野区など実施していない所もある。

JR九州

九州旅客鉄道(JR九州)管内については、地下鉄乗り入れのために唯一の直流電化区間である筑肥線向けの車両が一部中間車を先頭車に改造した上で使用されている。現在も老朽化は進んでおらず、車齢こそ若いものの、ATOに対応しない点などから地下鉄区間への乗り入れは大幅に減少している。但し、分割運用には3両固定編成の103系が必ず使用される関係で、置き換えとはならない模様である。

特殊用途・試験改造車両

北海道旅客鉄道(JR北海道)では、元々電化区間札幌近郊の交流電化区間のみで、且つ札幌都市圏に於ける国鉄の輸送シェアも本州に比べ著しく低かった事や、車両自体も耐寒・耐雪構造ではないため、国鉄時代から1両も103系が配置されていなかったが、1998年8月にJR東日本の廃車体が8両程入線している。電動車はなく、クハとサハのみの編成を機関車に牽引して北海道まで運び入れている。但し、この譲渡に関する情報は公開されておらず(一般には全く知らされたことがなく、この北海道への移動自体、偶然列車を目撃した複数の者がネット上の掲示板及び一部の鉄道雑誌に投稿したため明らかになった)、これらの車両が何の目的で北海道に集められたのかも分からないが、8両すべてが鉄道総研の所有物であったらしい。

目撃情報によると、「大半の車両が窓、扉等の大幅な埋め込み、車体の延長又は各部の欠き取り、クーラーの撤去、車番のRTRI-**への変更などがなされており、異様だった」との事である。

その後は苗穂工場内に留置されていた。工場内を移動する事はあったが、関係者以外には一切非公開で、使用目的も明かされず、年末までに全て姿がなくなった。その後、運転席などの窓が鉄板で塞がれた状態に改造された711系3両×2本(同時期に廃車になったもの)と実験で衝突させたとの話だが、これらの車両から集められたデータが何の役に立ったのかも不明のままである。

参考 北海道へ渡った車両
クハ103形:396号・454号・481号・482号・719号・724号 
サハ103形:230号・417号

これ以外にも103系を使っての試験がいくつかあった。

  • DDM試験(モハ103-502号):JR東日本が開発中だったダイレクトドライブ・モーターの試験搭載車。ACトレイン(E993系)との比較実験に用いられたが、実験の終了に伴い廃車されている。
  • AU720搭載:松戸電車区(現・松戸車両センター)所属車を中心にクーラーを209系と同タイプのものに交換した。効果の程は不明だが、結局は一般車と区別なく廃車されている。またJR西日本日根野電車区でも同様の工事を施工された車両が登場したが、短期間で通常型に復元されている。

「私鉄の103系」

同時期に首都圏や関西圏の私鉄でも大量の通勤形電車が必要となったため、103系と同様の一形式大量増備が行われた例がある。

東武鉄道に於いて1963年から1983年までに700両以上製造された4扉通勤電車である。所属する車両の総数に占める割合は103系よりもさらに高く、1990年代まで東武電車の代名詞であった。103系と比較した場合、重量・主電動機出力・製造コスト・乗り心地で勝るが、発電ブレーキを持たないという短所もある。性能は全車ほぼ同一で、車体も普通鋼製と、極限の性能を求める私鉄電車の中にあってコストダウンを意識した設計が103系と大きく共通し、「私鉄の103系」と言えば一般に8000系の事を指す。大規模リニューアルで延命した車両が存在する所も似ている。

東急8000系列

東京急行電鉄に於いて1969年に登場した8000系から1975年1991年に製造された8500系までの4扉通勤電車グループである。すべて最大限簡略されたオールステンレス構造の車体を持ち、走行関係の機器もほぼ統一されている。車両総数は最大時で677両で、奇しくもナンバーは東武と同じ8000系である。但し103系より登場年次が6~7年遅いため、界磁チョッパ制御を採用し、電動車比率も高く、103系や東武8000系に比してかなり高性能である。

山陽電鉄3000系列

山陽電気鉄道に於いて1964年に登場した3000系とその冷房車として1972年1985年に製造された3050系の3扉通勤電車グループである。両形式共ほぼ同じデザインだが、普通鋼製とアルミ合金製が存在する。主電動機に既存品を用いる、増結車に旧型車改造車を交える、など製造コストダウンを重視している。山陽電鉄自体の規模がそれ程大きくないため総数は100両程度だが、国鉄も交えて過当競争を続ける関西の私鉄にあって20年以上統一された形式を製造した珍しい例である。

参考文献

  • 大熊孝夫「103系通勤形電車 誕生までのはなし」(交友社『鉄道ファン』2006年4月号 No.540 p83~105) 
  • 交友社『鉄道ファン』2006年5月号 No.541 特集・究極の標準形通勤電車103系

外部リンク