「ノート:牧歌舎」の版間の差分
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:::::::また『「こんな本が新聞の書評で紹介されているからこんな本に力を入れている出版社なんだな」とか「こんな本に取り上げられているからそれなりのものがある会社なんだな」として「違い」が誰かの意図的な説明を超えて認識される』という表現は、個々の出版物の書評をかき集めれば出版社の性格が透けて見える、とおっしゃりたいのかな、と受け取ったのですが、そうした、個々の事象から演繹的に傾向を推測させるよりも、出版社の方針に対して直接言及した記事を下敷きにして文章にしたほうがわかりやすいのではないでしょうか。また、個々の事例を並べ立てて何かの方向性を推測させる記述は、編集者の個人的な主張に対して都合の悪いものをあらかじめ排除して特定の方向性を誘導したいときに使われる記述方法として記述されていたのを目にしており、個人的には好ましいとは思えません。とりあえずこの辺で。--[[利用者:VZP10224|VZP10224]]([[利用者‐会話:VZP10224|会話]]) 2015年1月19日 (月) 16:30 (UTC) |
:::::::また『「こんな本が新聞の書評で紹介されているからこんな本に力を入れている出版社なんだな」とか「こんな本に取り上げられているからそれなりのものがある会社なんだな」として「違い」が誰かの意図的な説明を超えて認識される』という表現は、個々の出版物の書評をかき集めれば出版社の性格が透けて見える、とおっしゃりたいのかな、と受け取ったのですが、そうした、個々の事象から演繹的に傾向を推測させるよりも、出版社の方針に対して直接言及した記事を下敷きにして文章にしたほうがわかりやすいのではないでしょうか。また、個々の事例を並べ立てて何かの方向性を推測させる記述は、編集者の個人的な主張に対して都合の悪いものをあらかじめ排除して特定の方向性を誘導したいときに使われる記述方法として記述されていたのを目にしており、個人的には好ましいとは思えません。とりあえずこの辺で。--[[利用者:VZP10224|VZP10224]]([[利用者‐会話:VZP10224|会話]]) 2015年1月19日 (月) 16:30 (UTC) |
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:::::::(追記)結局のところ、私の中では、書籍の書評、ひいては出版物そのものを列挙することが、出版社の方向性なり方針を説明することとどうしてもイコールで結びつかないのです。出版業界に詳しい方であれば各社の方向性は説明されずともわかるような業界内の常識なのかもしれませんが、業界に精通していなければ、そうした特徴が直接記述された文献がないか提示を求めるのは、ある意味で自然だと思うのです。そうした説明なり、文献の提示がなされることをTed&Mさんには期待します。--[[利用者:VZP10224|VZP10224]]([[利用者‐会話:VZP10224|会話]]) 2015年1月19日 (月) 16:50 (UTC) |
:::::::(追記)結局のところ、私の中では、書籍の書評、ひいては出版物そのものを列挙することが、出版社の方向性なり方針を説明することとどうしてもイコールで結びつかないのです。出版業界に詳しい方であれば各社の方向性は説明されずともわかるような業界内の常識なのかもしれませんが、業界に精通していなければ、そうした特徴が直接記述された文献がないか提示を求めるのは、ある意味で自然だと思うのです。そうした説明なり、文献の提示がなされることをTed&Mさんには期待します。--[[利用者:VZP10224|VZP10224]]([[利用者‐会話:VZP10224|会話]]) 2015年1月19日 (月) 16:50 (UTC) |
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::::::::貴重なお時間を割いてコメントしていただいてありがとうございます。いろいろとVZP10224さんの個人的な推測や印象や感想や考え方が書かれていて、私から言えばそれは誤解や誤謬であるとして異論や反論したいところもあるのですが、もう深夜で私も明日早いので、とりあえず今日は(追記)で「結局のところ」と書かれてありますので、そこのところに絞って異論を申します。VZP10224さんは「出版社の方向性なり方針」とか「特徴が直接記述された文献」とか言われるのですが、出版社の「方向性」「方針」「特徴」はWikipediaで言う「特筆性」とは少し違うと思うのです。ご承知のようにnotabilityが日本のWikipediaで最初「著名性」と訳され、しかしこれでは「有名であること」と混同されるから「特筆性」と訳し直されたものですが(その議論のページをさっき読みました)、その訳し直しは一応妥当なものだと思いますが、「特」という字があるためか、多くの人が「特徴」とか「特長」とか「特別」とイコールのように錯覚してしまっているのです。VZP10224さんが「方向性」とか「方針」だとかを挙げられるのもそうしたとらえ方から来ているものと思えるのですが、特筆性(notability)はそういうものも含めた包括的な概念で「書きとめておける(notable)」という意味です。もっとわかりやすく言うと「書いておいてよい」ということで、さらに噛み砕いてWikipediaに即して言えば「ここに書いても'''場違いではない'''」ということです。そして場違いか場違いでないかは本来主観的な判断なのですが、客観的基準をつくるために「新聞などに取り上げられているものならとりあえず'''場違いではない'''」とされたのです。しかし新聞に取り上げられていなくても「場違い」とするのが「不合理」な場合はありますから、合理的基準と判断されるものがほかにあればそれは場違いではないとみなされています。だからほとんどの記事は「主題の出典」がなくてもWikipediaに載っているのです。notabilityの語義からはそうなるのであって、またそうしかなりません。ほとんど全ての出版社の記事が「主題の出典」なく載っているのは、VZP10224さんが言われたように「編集者のチェックが追いついていない」のではなく、VZP10224さん以外の多くの管理者や編集者が見て「'''この記事で場違いではない(notable=特筆性がある)'''」と判断されたからです。ほとんど全ての出版社の記事を管理者や編集者が誰も見ていないということは考えられないし、またそのように考えるのは誤りなのです。ということでもう朝が来てしまうので今日はこの辺でやめておきます。いつも丁寧にご対応くださってありがとうございます。--[[利用者:Ted&M|Ted&M]]([[利用者‐会話:Ted&M|会話]]) 2015年1月19日 (月) 19:00 (UTC) |
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== 議論不参加の方のテンプレート添付はご遠慮ください。 == |
== 議論不参加の方のテンプレート添付はご遠慮ください。 == |
2015年1月19日 (月) 19:04時点における版
このページは一度削除されています。削除に関する議論は「Wikipedia:削除依頼/牧歌舎」をご覧ください。
宣伝とみなされそうな部分を大幅に削除しました。
事実であっても宣伝活動と判断されそうな部分を大幅に削除しました。これ以上削除すると「Wikipediaは電話帳ではありません」の原則に反することになるかもしれませんので、この出版社の大きな特徴だけはわかる事実は残しております。これらについて「出典」を付けることは可能ですが、同社のホームページの中のページがそれになるためさらに「宣伝活動」とみなされるおそれがありますので控えました。またこの出版社の出版物が三大紙などの新聞で書評に取り上げられたりニュースになっている事例は「脚注」に出ているもの以外にも多数あることがわかりましたが、同様の理由で現状にとどめます。--Ted&M(会話) 2015年1月17日 (土) 03:02 (UTC)
- 積極的な執筆お疲れ様です。が、先ほど遺憾ながら「出典の明記」を貼付させていただきました。先ほど眺めたところ、組織(会社)としての特筆性はいかがか、というテンプレートも追加されているようです。
- そもそも、「出典」というものは、
- 記事対象(今回は牧歌舎という企業)がどのような特筆性を持っているのか
- を読者が知り、確認するためのものであり、これだけの出版物があるから特筆性がある、とは直結しないのではないでしょうか。三大紙に書評が取り上げられたのであれば、その取り上げられた書物に特筆性がある(のかもしれない)ことは確認できますが。
- この出版社が同業他社とどう異なり、良くも悪くも特色があるのか。それを読者が知るのが「出典」です。記事内に、そういった記述が一切見つからない現状では、「宣伝活動」あるいは「会社の紹介告知」と判断されても致し方ないのでは、と感じます。--maryaa(会話) 2015年1月17日 (土) 04:41 (UTC)
- Maryaa様ご意見ありがとうございます。Wikipediaの編纂方針についてこの機会にいろいろ勉強させていただいております。そして「出典」が必要な最大の理由は「検証可能」な記事が書かれなければならないためであると理解しました。「百科事典」としてはもっともなことです。「出典」は、つまりは記事の内容が虚偽や誤りでないことを示すものとして求められているのだと思います。「特筆性」を示すためにも必要とは思いますが、まずは「検証可能性」を示す必要があるということでしょう。ですので、Maryaaさんから「出典の明記」ということで注意を受けましたので、この出版社の特徴として書いた部分が検証可能であることを示すために同社のホームページの一部を出典として出させていただきました。Maryaaさんは出典明示の目的が「そもそも特筆性」という立場に立っておられるようですが、私は「そもそも検証可能性」と考えます。「特筆性」については大事なことと考えますが、Wikipediaの「日本の出版社一覧」に800社以上が掲出されていてそのほとんどがWikipediaのページになっていますが、このたび勉強のため調べましたが、その出版社について取り上げた「出典」が示されているものはほとんどありません。出典を要求する貼り付けもないようです。言論機関を重視する姿勢がWikipediaにあるからかとも思われますが、そういうことは置いておいても、「牧歌舎」も他の出版社ページ同様に特筆性に問題はないと思います。--Ted&M(会話) 2015年1月17日 (土) 06:45 (UTC)
- ひとまず、
- をご一読いただき、内容を把握してください。それから、他記事の有り様を参考にしないでください。他の記事は、必ずしもウィキペディアの方針に沿っているとは限りません。ここでは、この記事のことだけが議題です。他が疎かだからここもそれに準ずる、は通りません。
- 上記リンク先に書いてあることですが、記事対象の「特筆性」を裏付ける「出典」は必須です。それがあることで「検証可能性」を満たすからです。その出典には「信頼できる情報源」であることが求められます。これは、原則としてどの記事にも共通です。足りない記事があれば、それはその記事の不備です。誰もが知るような超大手ならばともかく、あまり知名度のない組織であればなおさらです。これでもかというくらいの出典があれば、ああなるほど、こんなにあちこちで紹介されている組織なのだ、と推定することができます。出典は、そういう意味で必要なのです。
- 数多くの参考文献(出典)を手元に揃え、それを参考に記事を起こすのが筋であり、指摘があってから出典を探すのは、実は本末転倒なのです。信頼できる情報源による出典があるから検証可能性を満たせ、その内容によって特筆性を主張できる。これらの要素は密接に関連しています。繰り返しますが、現在の記事は、記事対象に対する「特筆性に問題はないと思」わせる出典が何ひとつないため、記事対象をよく知らない読者は特筆性があるのか判断できない、というのが現状です。復帰依頼でコメントされていた利用者各位も、「この組織の特筆性を物語る出典はどこにあるの?」と問われているようですが、いかがでしょうか。--maryaa(会話) 2015年1月17日 (土) 07:35 (UTC)
- Maryaa様ご意見ありがとうございます。Wikipediaの編纂方針についてこの機会にいろいろ勉強させていただいております。そして「出典」が必要な最大の理由は「検証可能」な記事が書かれなければならないためであると理解しました。「百科事典」としてはもっともなことです。「出典」は、つまりは記事の内容が虚偽や誤りでないことを示すものとして求められているのだと思います。「特筆性」を示すためにも必要とは思いますが、まずは「検証可能性」を示す必要があるということでしょう。ですので、Maryaaさんから「出典の明記」ということで注意を受けましたので、この出版社の特徴として書いた部分が検証可能であることを示すために同社のホームページの一部を出典として出させていただきました。Maryaaさんは出典明示の目的が「そもそも特筆性」という立場に立っておられるようですが、私は「そもそも検証可能性」と考えます。「特筆性」については大事なことと考えますが、Wikipediaの「日本の出版社一覧」に800社以上が掲出されていてそのほとんどがWikipediaのページになっていますが、このたび勉強のため調べましたが、その出版社について取り上げた「出典」が示されているものはほとんどありません。出典を要求する貼り付けもないようです。言論機関を重視する姿勢がWikipediaにあるからかとも思われますが、そういうことは置いておいても、「牧歌舎」も他の出版社ページ同様に特筆性に問題はないと思います。--Ted&M(会話) 2015年1月17日 (土) 06:45 (UTC)
- まことに申し訳ないことを申すようですが、Maryaa様には日本の出版社一覧をちゃんとご覧になっていただいたのでしょうか。一つや二つでなく何百もの、ほとんど100パーセントに近いと思われる数の出版社の記事に、出版社そのものについての「出典」はありませんし求められてもいません。つまり「他記事の有り様を参考にしないでください。他の記事は、必ずしもウィキペディアの方針に沿っているとは限りません。ここでは、この記事のことだけが議題です。他が疎かだからここもそれに準ずる、は通りません」と言われることのほうが問題であって、「他が疎か」ではなくこれが健常、即ち「これで特筆性が満たされている」と判断されている事例と考えなければならないレベルの圧倒的なページ数だということです。また、出版物は出版社の活動結果ですから「大新聞の書評で紹介されてもそれは出版物の特筆性であって出版社の特筆性とは関係ない」というようなことが100パーセント言えるものではありません。出版物に問題があれば、著者はもちろんですが出版社もその内容について責任を負うのです。その分だけ、出版物が評価されれば出版社も出版社として評価されたと考えて然るべきです。Wikipediaの特筆性ルールは意味のあることと考えますが、その適用はこと出版社については日本の出版社一覧のように特筆性基準が置かれ運用されていると考えるべきでしょう。「参考にすべきではない、必ずしもWikipediaの方針に添っているとはかぎらない」他の例というには、日本の出版社一覧のほぼ全部なのですからあまりにも無理があります。これらをすべて「参考にすべきでない例外」として「この記事だけが問題」とされるのは方向性の時点で何か大きな錯覚を生じられているような気がしてなりません。ついつい失礼な言い方になってしまっておりましたらお許しください。--Ted&M(会話) 2015年1月17日 (土) 08:56 (UTC)
- ええと、私が書いた文の全体を読んでいただきたいのですが、「この記事だけが問題」等という表現、受け取れる表現はどこにもしたつもりはありませんが、どこをどう読んだらそうなるのでしょう。今は、この記事について話しているのであり、他の記事の不備をどうこう言ったところで始まらない、ということに過ぎません。ウィキペディアでは、スピード違反の論理と呼ばれる状況です。ご自身の言葉である、
- 「「牧歌舎」も他の出版社ページ同様に特筆性に問題はないと思います。」
- とは、
- 「他の記事だってろくに出典ないんだから、この記事だっていいだろ」
- ということでよろしいでしょうか。
- 繰り返しますが、Wikipedia:検証可能性を把握理解した上、復帰依頼で集まったコメントに対する返答も上記で代える、ということでよろしいでしょうか。--maryaa(会話) 2015年1月17日 (土) 10:20 (UTC)
- ええと、私が書いた文の全体を読んでいただきたいのですが、「この記事だけが問題」等という表現、受け取れる表現はどこにもしたつもりはありませんが、どこをどう読んだらそうなるのでしょう。今は、この記事について話しているのであり、他の記事の不備をどうこう言ったところで始まらない、ということに過ぎません。ウィキペディアでは、スピード違反の論理と呼ばれる状況です。ご自身の言葉である、
- 「この記事だけが問題」は「この記事のことだけが議題」でした。老眼で少し見誤りました。すみません。ですが、私の言っていることの文脈内では同じことになります。「他の記事だってろくに出典ないんだから、この記事だっていいだろ」というのでは全然ありません。「他の記事に出版社そのものの出典がなくて掲載OKになっているのは、それらが出版物などによって特筆性があるとみなされたからなのだから、この記事だって同様に特筆性があるとみなされてよいのでは」ということです。まさか特筆性がないとみなされた出版社の記事が800(出版社の記事のほとんど)もあるわけないでしょう。これらは全部、出版社そのものについて「出典」がなくてもその他の基準で特筆性があるとみなされているんでしょうということです。いかがでしょうか。--Ted&M(会話) 2015年1月17日 (土) 10:53 (UTC)
- 「その他の基準で特筆性があるとみなされているんでしょうということです。」
- 再三ご案内しておりますWikipedia:検証可能性をご理解なさった上でこのように判断されたのならば、これ以上申し上げることはございません。--maryaa(会話) 2015年1月17日 (土) 11:05 (UTC)
- 議論に貴重な時間を割いてご参加くださり、ありがとうございました。感謝申し上げます。Wikipedia:検証可能性については熟読させていただきました。「(Wikipediaの800もの出版社の記事(日本の出版社一覧に出ている出版社の記事のほとんど)についてその出版社そのものについての「出典」がなく、しかも出典明記の要求がされていないのは)<i>出版社そのものについて「出典」がなくてもその他の基準で特筆性があるとみなされているんでしょうということです。」という私の判断に変化はございません。--Ted&M(会話) 2015年1月17日 (土) 11:40 (UTC)
- ウィキペディアの記事は膨大な数があり、一つ一つチェックしていくのは膨大な作業となります。出版社の記事とてそれは例外ではありません。確かにCategory:日本の出版社にカテゴライズされている記事を見ると、その大半が企業プロフィール程度の記述か、出典に裏付けられていない記述しかないように見えますが、それはその状態で良しとされているものではありません。ただ単にほかの編集者によるチェックが追い付いていないだけです。別の分野では、さまざまな理由によって特筆性など関係なしに粗製乱造されたある特定の分野の記事が、一挙に削除依頼にかけられたり、定期的に数個ずつ削除依頼にかけられるなどして削除されているということも起きております。いくらTed&Mさんが否定されたとしても、実際に他の方法で特筆性を示す努力がなされていない以上、「他の記事だってろくに出典ないんだから、この記事だっていいだろ」とおっしゃっておられるのと同等であると受け止められても仕方ありません。
- 別の観点から言いますと、社史などの政策にかかわる機会が多いということで、どこかの媒体に取り上げられたりした実績があれば、それをもとに特筆性を満たすことを証明する出典があると判断できるかもしれません。そうしたものがなければ、出版社自身がそのような主張をしているだけ、というとらえ方をされ、この記事の存続にとって良い方向にはならないでしょう。--VZP10224(会話) 2015年1月18日 (日) 03:28 (UTC)
- VZP10224様、私の最も疑問に思っていた2つのことについて管理者の資格を持つ方にお答えいただきありがとうございます。1つは出版社を記事対象としたほとんど全てのページが「企業プロフィール程度の記述か、出典に裏付けられていない記述」でOKになっているのになぜこのページだけが、という素朴な疑問でした。私は読者としてWikipediaの各ページは大半が管理者様やその他の方の査読を通った信頼に足るものと思ってWikipediaを利用していましたので、いろいろ考えた結果「出版社そのものについて「出典」がなくてもその他の基準で特筆性があるとみなされているんでしょう」と結論したわけです。まさかCategory:日本の出版社の記事のほとんど全てがVZP10224様のおっしゃるように「編集者によるチェックが追い付いていない」状態とは考えられなかったのです。今でも信じられない思いです。VZP10224様のおっしゃるとおりであればWikipediaの記事というのは非常に信頼性が低いものということになってしまいますが、VZP10224様のおっしゃることは事実と考えてよいのでしょうか。それともそれはVZP10224様の「見解」であって、私の「出版社そのものについて「出典」がなくてもその他の基準で特筆性があるとみなされているんでしょう」ということもあり得ると考えてよいのでしょうか。この疑問が新たに湧きました。
- 「私の最も疑問に思っていた2つのこと」の2つ目についてですが、その前に「出版社自身がそのような主張をしているだけ、というとらえ方をされ」というお言葉がありますが、私を「出版社自身」と思われては困りますので一応お断りしておきます。さて2つめの疑問ですが、それは「記事内容の検証可能性のために出典が求められるのは当然だが、記事対象の特筆性のために出典が必要とはどういうことだろう」ということでした。もちろん一見してわかるような些末で一般性がない記事が排除されることは一応理解できますが(それでも記述内容が検証可能なら載せておいても、誰にもほとんど見られないというだけで何も害はないし却って面白いのではと思いますがこれは別の話)、出版社の出版物に特筆性の出典があっても出版社それ自体がメディア等に取り上げられているという「出典」がなければ特筆性がない、というのは変ではないかという疑問でした。出版社がメディアに出るのは出版物の発行者として出るのが普通で、出版物を離れて出版社自体が話題になった「出典」がなければダメということになればCategory:日本の出版社の出版社の記事はほとんど全部消滅してしまい、何か悪いことをして新聞ダネになったような出版社だけが「出典」を得て残ることになります。そのような「出典」が必ずしもなくても特筆性はWikipediaでは認められているはずです。特筆性を有する出版物を一定程度発行していればWikipediaでの特筆性は担保されるはずと考えます。そう思っていたところでVZP10224様の、「牧歌舎」の記事については、「社史などの制作に関わる機会が多い」ということについての「出典」があれば特筆性になると示唆を頂き、なるほどこれなら特筆性と呼ぶにふさわしいなと思いました(全ての出版社にそういうものが必要と考えるわけではありませんが)。ただし、「社史をたくさん制作している」という特筆性はメディアでの露出を待つまでもなく「検証可能」と思われるので、それも含めて今後探していくことにいたします。なお、これまで次々にいろいろなコメントやテンプレート貼りを頂いたので、それに対応するべく、現在までに多くの改善を行っております。宣伝的ととられそうな記述は大幅に削除しましたし、出版物の特筆性の出典を相当数「脚注」として加えました。また出版物だけでなく出版社そのもののメディアへの露出も必要と言われたので一応「出典」として加えました。これですでに再作成としてはOKではないかと考えていますのでVZP10224様の個人的なご見解ででもチェックいただければ幸いです。--Ted&M(会話) 2015年1月18日 (日) 05:52 (UTC)
- 現状として編集者のチェックが追い付いていない以上、出典がついていない記事に関して「非常に信頼性が低い」という指摘を受ければ、「それはその通りである」と認めざるを得ません。その信頼性を担保するために、素人である編集者が頼りにできるのが記述の裏付けとなる出典になるのです。まあごく一部の編集者については出典を捏造したり、出典として提示した文献に書いてないことを無理やりな解釈で読み取って出典とする人がいますが、それはまた別の問題ということで。で、さらに誠に残念なことに、「ご近所の八百屋さん」レベルで存在する小規模な企業の記事に対して特筆性がないという指摘をされ、その記事の執筆者が「この記事には特筆性がある!!」と、出典の提示をされることなどもなく強弁されることも、これまでには多々あったのです。そうした経緯もあり、特筆性がないとの主張に対する反論に対しては微に入り細を穿つようにその主張が問いただされてしまうことが多いように思います。で、さらに言うと、ウィキペディアの記事として掲載された以上はその記事は査読中でも審議中でもなく、公開されたものとして同一の扱いを受けます。現状でのこの記事は多くの人にその存在を疑問視されながらも存続し続けている、という状況でしょうか。
- 2つ目のお話ですが、出版社である以上、出版物を発行することそれ自体は当たり前の話であり、八百屋で野菜を販売したり、魚屋で魚を販売したりすることと同じくらい当たり前の話です。その中で、たまたま市場で仕入れただけの「全国的に名の知れた農場で作られた野菜」「テレビで取り上げられた漁師が釣った魚」を扱っただけでは、その八百屋なり魚屋なりに特筆性が生まれるとはいいがたく、「こういったコンセプトで野菜を販売している」「とれたての魚を店舗に素早く届ける工夫をしている」などといったことが評判となり、ご近所レベルでとどまらない評判になれば、テレビ番組や新聞・雑誌などで取り上げられる、そう言った積み重ねが特筆性を生む要素になるのではないかと思います。いままでのTed&Mさんの主張では、失礼な物言いを承知で申しあげますが「○○農場のトマトを売ってるうちってすごいでしょ」とあちこちで宣伝しながら野菜を販売している八百屋さんとやってる内容に大差はないのではないかと考えます。もちろん「八百屋なのにいきなり野菜を売るのをやめて今日から魚を売り出した」という話になればそれも特筆性の要素の一つとなるかもしれませんし、販売した製品でトラブルが発生すればそれでも特筆性を満たすこともあるでしょう。要は、「その出版社がほかの出版社と違う何かがあるか否か」がないとその対象と無関係な信頼できる情報源において有意に言及されている状態にはならないだろう、と思われるのです。現在の基準(Wikipedia:独立記事作成の目安)に明記されてはいませんが、そういうものがないと百科事典の一記事として多くの人が認める状態にはならないのかな、と思います。--VZP10224(会話) 2015年1月18日 (日) 08:33 (UTC)
- Wikipediaの出版社のページのほとんど全てが査読を受けておらず「非常に信頼性が低い」のは「それはその通りである」と事実であるとして管理者の方から示されたことに驚いております。それはそれとして、「○○農場のトマトを売ってるうちってすごいでしょ」とあちこちで宣伝しながら野菜を販売している八百屋さんとやってる内容に大差はない」と言われているのは記事のどこのことを言っておられるのでしょうか。少なくとも私は牧歌舎を「うち」とする立場にはありませんし、宣伝の意図も全くありません。なにも「すごいでしょ」とかなんとかでなく、求められる条件に合うものを書こうとしているだけです。「出典らしきものがない」とのことでしたのでまずは発行書籍が大新聞の書評で紹介されている事例を書き、「出版物でなく出版社自身が紹介された出典を」と求められたのでそんな無茶なと思いながら一応探してきて「出典」として付けました。そんなことをすればするほど記事が宣伝くさくなるのにと思いながら、それがないとダメだとのことなのでやむなく書いたのです。VZP10224様は、さらに「他の出版社と違う何かがあって、そのことがメディア等で紹介されていなければダメ」と言っておられるようですが、そもそもその対象と無関係な信頼できる情報源において有意に言及されている状態は求められていますがそこに「他の同業者と違う何かがあるか否か」についてというような前提はなくVZP10224様が付け加えられたものかと思います。「違い」と「出典」の関係はVZP10224様のお考え方とはむしろ逆で、「こんな本が新聞の書評で紹介されているからこんな本に力を入れている出版社なんだな」とか「こんな本に取り上げられているからそれなりのものがある会社なんだな」として「違い」が誰かの意図的な説明を超えて認識される、しかも固定的なものでなく時々刻々その認識も変わっていき得るというのがあるべき姿でしょう。そういうことを思いながらその時点で求められていた「出典」を付けておきました。--Ted&M(会話) 2015年1月18日 (日) 10:26 (UTC)
- 「少なくとも私は牧歌舎を「うち」とする立場にはありませんし、宣伝の意図も全くありません。」と言われましても、現実問題として、Ted&Mさんの投稿履歴を見る限り、牧歌舎の記事とそのノート、また牧歌舎の記事に関する復帰依頼しか確認できない以上、Ted&Mさんは牧歌舎の関係者にしか見えないのです。また、たとえ話を用いて説明したのでわかりにくかったようで再度お話しさせていただきますが、出版社が出版物を発行するのはその事業の目的からして明らかであることから、出版物を発行することそのものは特筆性の根拠とはなりません。また、発行した出版物の一つ一つがどのように評されているかはその書籍自体や著者がどのような評価を受けたかを判断する材料とはなっても、その評の中で出版社に対して直接の言及がない限り、その本の出版社がどのような出版社であるかの裏付けにはならないと考えます。逆の立場から言えば、書籍の書評であったとしても、評者が出版社の事業や活動に対して言及していれば、出版社の記事の出典とできると考えています。もう一度Wikipedia:独立記事作成の目安#一般的な目安をよく読んでいただければと思います。なおWikipedia:独立記事作成の目安はガイドライン化されて間もない文書であり、まだまだ改善の余地があると思われますが、この文書に限らずウィキペディアの方針文書は必要に応じて随時改訂されているもので、永続的なものではないことに留意ください。
- また『「こんな本が新聞の書評で紹介されているからこんな本に力を入れている出版社なんだな」とか「こんな本に取り上げられているからそれなりのものがある会社なんだな」として「違い」が誰かの意図的な説明を超えて認識される』という表現は、個々の出版物の書評をかき集めれば出版社の性格が透けて見える、とおっしゃりたいのかな、と受け取ったのですが、そうした、個々の事象から演繹的に傾向を推測させるよりも、出版社の方針に対して直接言及した記事を下敷きにして文章にしたほうがわかりやすいのではないでしょうか。また、個々の事例を並べ立てて何かの方向性を推測させる記述は、編集者の個人的な主張に対して都合の悪いものをあらかじめ排除して特定の方向性を誘導したいときに使われる記述方法として記述されていたのを目にしており、個人的には好ましいとは思えません。とりあえずこの辺で。--VZP10224(会話) 2015年1月19日 (月) 16:30 (UTC)
- (追記)結局のところ、私の中では、書籍の書評、ひいては出版物そのものを列挙することが、出版社の方向性なり方針を説明することとどうしてもイコールで結びつかないのです。出版業界に詳しい方であれば各社の方向性は説明されずともわかるような業界内の常識なのかもしれませんが、業界に精通していなければ、そうした特徴が直接記述された文献がないか提示を求めるのは、ある意味で自然だと思うのです。そうした説明なり、文献の提示がなされることをTed&Mさんには期待します。--VZP10224(会話) 2015年1月19日 (月) 16:50 (UTC)
- 貴重なお時間を割いてコメントしていただいてありがとうございます。いろいろとVZP10224さんの個人的な推測や印象や感想や考え方が書かれていて、私から言えばそれは誤解や誤謬であるとして異論や反論したいところもあるのですが、もう深夜で私も明日早いので、とりあえず今日は(追記)で「結局のところ」と書かれてありますので、そこのところに絞って異論を申します。VZP10224さんは「出版社の方向性なり方針」とか「特徴が直接記述された文献」とか言われるのですが、出版社の「方向性」「方針」「特徴」はWikipediaで言う「特筆性」とは少し違うと思うのです。ご承知のようにnotabilityが日本のWikipediaで最初「著名性」と訳され、しかしこれでは「有名であること」と混同されるから「特筆性」と訳し直されたものですが(その議論のページをさっき読みました)、その訳し直しは一応妥当なものだと思いますが、「特」という字があるためか、多くの人が「特徴」とか「特長」とか「特別」とイコールのように錯覚してしまっているのです。VZP10224さんが「方向性」とか「方針」だとかを挙げられるのもそうしたとらえ方から来ているものと思えるのですが、特筆性(notability)はそういうものも含めた包括的な概念で「書きとめておける(notable)」という意味です。もっとわかりやすく言うと「書いておいてよい」ということで、さらに噛み砕いてWikipediaに即して言えば「ここに書いても場違いではない」ということです。そして場違いか場違いでないかは本来主観的な判断なのですが、客観的基準をつくるために「新聞などに取り上げられているものならとりあえず場違いではない」とされたのです。しかし新聞に取り上げられていなくても「場違い」とするのが「不合理」な場合はありますから、合理的基準と判断されるものがほかにあればそれは場違いではないとみなされています。だからほとんどの記事は「主題の出典」がなくてもWikipediaに載っているのです。notabilityの語義からはそうなるのであって、またそうしかなりません。ほとんど全ての出版社の記事が「主題の出典」なく載っているのは、VZP10224さんが言われたように「編集者のチェックが追いついていない」のではなく、VZP10224さん以外の多くの管理者や編集者が見て「この記事で場違いではない(notable=特筆性がある)」と判断されたからです。ほとんど全ての出版社の記事を管理者や編集者が誰も見ていないということは考えられないし、またそのように考えるのは誤りなのです。ということでもう朝が来てしまうので今日はこの辺でやめておきます。いつも丁寧にご対応くださってありがとうございます。--Ted&M(会話) 2015年1月19日 (月) 19:00 (UTC)
- Wikipediaの出版社のページのほとんど全てが査読を受けておらず「非常に信頼性が低い」のは「それはその通りである」と事実であるとして管理者の方から示されたことに驚いております。それはそれとして、「○○農場のトマトを売ってるうちってすごいでしょ」とあちこちで宣伝しながら野菜を販売している八百屋さんとやってる内容に大差はない」と言われているのは記事のどこのことを言っておられるのでしょうか。少なくとも私は牧歌舎を「うち」とする立場にはありませんし、宣伝の意図も全くありません。なにも「すごいでしょ」とかなんとかでなく、求められる条件に合うものを書こうとしているだけです。「出典らしきものがない」とのことでしたのでまずは発行書籍が大新聞の書評で紹介されている事例を書き、「出版物でなく出版社自身が紹介された出典を」と求められたのでそんな無茶なと思いながら一応探してきて「出典」として付けました。そんなことをすればするほど記事が宣伝くさくなるのにと思いながら、それがないとダメだとのことなのでやむなく書いたのです。VZP10224様は、さらに「他の出版社と違う何かがあって、そのことがメディア等で紹介されていなければダメ」と言っておられるようですが、そもそもその対象と無関係な信頼できる情報源において有意に言及されている状態は求められていますがそこに「他の同業者と違う何かがあるか否か」についてというような前提はなくVZP10224様が付け加えられたものかと思います。「違い」と「出典」の関係はVZP10224様のお考え方とはむしろ逆で、「こんな本が新聞の書評で紹介されているからこんな本に力を入れている出版社なんだな」とか「こんな本に取り上げられているからそれなりのものがある会社なんだな」として「違い」が誰かの意図的な説明を超えて認識される、しかも固定的なものでなく時々刻々その認識も変わっていき得るというのがあるべき姿でしょう。そういうことを思いながらその時点で求められていた「出典」を付けておきました。--Ted&M(会話) 2015年1月18日 (日) 10:26 (UTC)
- まことに申し訳ないことを申すようですが、Maryaa様には日本の出版社一覧をちゃんとご覧になっていただいたのでしょうか。一つや二つでなく何百もの、ほとんど100パーセントに近いと思われる数の出版社の記事に、出版社そのものについての「出典」はありませんし求められてもいません。つまり「他記事の有り様を参考にしないでください。他の記事は、必ずしもウィキペディアの方針に沿っているとは限りません。ここでは、この記事のことだけが議題です。他が疎かだからここもそれに準ずる、は通りません」と言われることのほうが問題であって、「他が疎か」ではなくこれが健常、即ち「これで特筆性が満たされている」と判断されている事例と考えなければならないレベルの圧倒的なページ数だということです。また、出版物は出版社の活動結果ですから「大新聞の書評で紹介されてもそれは出版物の特筆性であって出版社の特筆性とは関係ない」というようなことが100パーセント言えるものではありません。出版物に問題があれば、著者はもちろんですが出版社もその内容について責任を負うのです。その分だけ、出版物が評価されれば出版社も出版社として評価されたと考えて然るべきです。Wikipediaの特筆性ルールは意味のあることと考えますが、その適用はこと出版社については日本の出版社一覧のように特筆性基準が置かれ運用されていると考えるべきでしょう。「参考にすべきではない、必ずしもWikipediaの方針に添っているとはかぎらない」他の例というには、日本の出版社一覧のほぼ全部なのですからあまりにも無理があります。これらをすべて「参考にすべきでない例外」として「この記事だけが問題」とされるのは方向性の時点で何か大きな錯覚を生じられているような気がしてなりません。ついつい失礼な言い方になってしまっておりましたらお許しください。--Ted&M(会話) 2015年1月17日 (土) 08:56 (UTC)
議論不参加の方のテンプレート添付はご遠慮ください。
ノートで議論中の記事への「出典の明記」などのテンプレート添付の際には議論に参加することが望まれています。テンプレートそのものが議論への参加を呼びかけるものなのですから、議論中、また改善中の記事について議論に加わらずにただベタベタと貼り付けていかれる行為には納得できません。申し訳ありませんが取り消させていただきました。--Ted&M(会話) 2015年1月17日 (土) 22:43 (UTC)
問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為について
こんにちは、牧歌舎さん。ウィキペディアに参加して頂きまして、どうもありがとうございます。
牧歌舎から{{複数の問題}}などを除去編集されておられましたが、Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすることにありますとおり、そのような行為は推奨されておりません。理由あってテンプレートが貼付されているのですから、テンプレートが貼られたことに対して意見があるのでしたら、その記事のノートページでの議論で問題を解決してから剥がしてください。
テンプレートの貼付は記事に疑問を持った人であれば誰がやってもよく、貼付に資格や制限はありません。議論に参加している必要もありません。牧歌舎さんがある記事に疑問を持ったのであれば、議論をせずにその記事にテンプレートを貼ってもかまいません。
今回、剥がしたテンプレートはご自分で復帰しておいて下さい。よろしくお願いします。
では、これにて失礼いたします。--58.98.148.88 2015年1月17日 (土) 23:02 (UTC)
- ご教示ありがとうございます。かなり改善したところで見るとまた貼られていたので、ちょっと「取り消し」の所をクリックしてみたら次の画面で「取り消すことができます」と出たのでやっただけなのですが、そういうことが推奨されていないのであれば復帰させましょう。しかし、Template:出典の明記には「出典の明記」テンプレートの使い方として「本テンプレートはノート等で別途説明することなしに使用することができます。ただし出典不十分の場合に利用者間で「不十分」かどうか見解が分かれた場合には、ノートで不十分だと思う理由を説明した上で貼り付けてください」との説明があります。他のテンプレートにもあるようです。テンプレートは復帰させますから添付された方々もここでの議論に参加してくださるようお願いします。--Ted&M(会話) 2015年1月17日 (土) 23:29 (UTC)