利用者‐会話:Ted&M
ウィキペディア日本語版へようこそ! | |||
---|---|---|---|
こんにちは、Ted&Mさん。はじめまして! ウィキペディア日本語版へようこそ!
|
問題を解決させずにテンプレートを剥がす行為について
[編集]こんにちは、Ted&Mさん。ウィキペディアに参加して頂きまして、どうもありがとうございます。
牧歌舎から{{複数の問題}}などを除去編集されておられましたが、Wikipedia:ウィキペディアでやってはいけないこと#独断でメンテナンス用テンプレートを剥がそうとすることにありますとおり、そのような行為は推奨されておりません。理由あってテンプレートが貼付されているのですから、テンプレートが貼られたことに対して意見があるのでしたら、その記事のノートページでの議論で問題を解決してから剥がしてください。
テンプレートの貼付は記事に疑問を持った人であれば誰がやってもよく、貼付に資格や制限はありません。議論に参加している必要もありません。Ted&Mさんがある記事に疑問を持ったのであれば、議論をせずにその記事にテンプレートを貼ってもかまいません。
今回、剥がしたテンプレートはご自分で復帰しておいて下さい。よろしくお願いします。
では、これにて失礼いたします。--58.98.148.88 2015年1月17日 (土) 23:01 (UTC)
ご案内
[編集]Ted&Mさん、こんにちは。ウィキペディアのガイドラインには「Wikipedia:自分自身の記事をつくらない」というものがあります。相手の背景を疑うことはいけないことなのですが(「Wikipedia:論争の解決」の「議論の仕方」)、Ted&Mさんの投稿履歴(記事)を拝見しますと牧歌舎と何らかの関係を有する方かとも思われます。Ted&Mさんがご自身について明らかにしなくても結構ですが、念のためご案内申しあげます。なお、過去に活動されていたBokkashaさんの会話ページ(利用者‐会話:Bokkasha)も参考になさってください。以上失礼を承知で申し上げます。どうかご容赦ください。--Yamanosora(会話) 2015年2月14日 (土) 00:49 (UTC)
- ご案内ありがとうございました。全然「失礼」などではございません。参考資料のご呈示に感謝いたします。--Ted&M(会話) 2015年2月14日 (土) 03:41 (UTC)
削除依頼でいちいち全てのコメントに反論するのはやめてください
[編集]既にご存じかとは思いますが、管理者伝言板に通報させていただきました。次に同じことをされた場合は全てのやりとりをノートページに移動もしくは審議妨害として除去することも考えます。--高橋レナ(会話) 2015年2月15日 (日) 10:10 (UTC)
- ハイ。よくわかりました。--Ted&M(会話) 2015年2月15日 (日) 11:45 (UTC)
荒らし行為はやめてください。これ以上続ければ、ウィキペディアの編集ができなくなる投稿ブロックの対象となります。ご注意ください。 Wikipedia:削除依頼/宗本智之を拝見する限り全く理解されていないことはわかりました。--高橋レナ(会話) 2015年2月15日 (日) 15:14 (UTC)
- えっ? 先ほど注意されたのとは別個の記事で、削除依頼ページで存続票を投じて理由を述べたわけなのですが、これもいけませんでしたか? 「あらし行為」というのともちょっと違うと思うのですが…。ご注意には従いますので、私のいけないところを教えていただければ助かります。--Ted&M(会話) 2015年2月15日 (日) 15:29 (UTC)
- 別件なら同様の行為が良いというわけではありません。アイザールさんの忠告をよくお読みください。牧歌舎に関連した依頼について、倫理的な観点から削除依頼そのものの非難や取り下げ要求をおこなうのは適切とはいえません。同類の妨害に当たると私は考えます。まず考えてほしいのは、Ted&Mさんがたびたび反論コメントを投稿することが、審議の場においてよい結果を産むのか?ということです。私には直接的な権限はありませんので、あまり続くと短期ブロックの憂き目にあう可能性があるため警告させていただいています。--高橋レナ(会話) 2015年2月15日 (日) 15:44 (UTC)
- ありがとうございました。--Ted&M(会話) 2015年2月15日 (日) 16:25 (UTC)
こんにちは
[編集]- こんにちは、初めまして。Wikipediaの隅っこで活動しているHideokunともうします。牧歌舎の削除依頼においてのコメントでふと思ったことがありますのでこちらを訪問させていただきました。使命感を持っていただくのは素晴らしいことなのですが、Ted&Mさんはまだまだ様々な精力的活動が行える方だと思います。もっとリラックスしてのんびり構えていただければ私としては幸いです。--Hideokun(会話) 2015年2月20日 (金) 02:27 (UTC)
- ご親切なご忠告ありがとうございます。そのように努めます。--Ted&M(会話) 2015年2月22日 (日) 17:24 (UTC)
- Ted&Mさん、こんにちは。Ted&Mさんが議論でなく記事そのものに目を向けていただいたら、ウィキペディアにすばらしい貢献が出来ると確信しています。--Yamanosora(会話) 2015年2月20日 (金) 02:35 (UTC)
- 過分なお言葉、恐縮です。Wikipediaを豊かな知の宝庫にするために貢献できるなら望外の喜びです。そのような力は無いながらも、方向性はそちらに向けていきたいと思います。--Ted&M(会話) 2015年2月22日 (日) 17:24 (UTC)
「こんにちは」節を作りました。--Yamanosora(会話) 2015年2月20日 (金) 02:35 (UTC)
- ご存じとは思いますが「Wikipedia:削除依頼#注意事項」をご参照ください。--Yamanosora(会話) 2015年2月20日 (金) 03:42 (UTC)
- 「こんにちは」を作ってくださってありがとうございます。「Wikipedia:削除依頼#注意事項」は初めて見ましたが、大変参考になります。--Ted&M(会話) 2015年2月22日 (日) 17:24 (UTC)
コメント依頼が提出されています
[編集]ぱたごんと言います。Ted&Mさんに関するコメント依頼が提出されています。jawpでは慣例として被依頼者コメントは認められています。通常は第三者コメント欄の上に被依頼者コメント欄を設けます。ただし、被依頼者コメントは自由だとは言え、Wikipedia:削除依頼/牧歌舎 20150210でのように逐一反論することはjawpではマイナスの結果になることが多いです。被依頼者コメントは総括なさった上で行われるほうがよろしいかと思います。--ぱたごん(会話) 2015年3月5日 (木) 14:35 (UTC)
ブロック依頼が提出されています
[編集]ぱたごんです。Ted&Mさんに対するWikipedia:投稿ブロック依頼/Ted&Mが提出されています。通常はコメント依頼で1週間はかけるものですが、意見が一致しているので早期にブロック依頼に移行したようです。ブロック依頼では被依頼者(Ted&Mさん)には投票権はありませんが、コメントすることは認められています。ブロック依頼はある程度審議期間を設けるものですが、どれほどの期間をみれば審議は十分に尽くされたと見るかは状況次第です。審議がいつ終了するかは状況次第ですので、コメントなさるならばそれを踏まえてください。--ぱたごん(会話) 2015年3月7日 (土) 13:43 (UTC)
お知らせ
[編集]あなたは投稿ブロック依頼に基づいて無期限ブロックされました。ウィキペディアの編集を行うことはできません。 ブロックが自動的に解除されることはありませんのでご留意ください。今後の対話ならびに異議申し立て、解除依頼はあなたの会話ページで受け付けます(投稿ブロック解除依頼作成の手引き・投稿ブロックへの異議申し立て参照)。 会話ページも編集できないブロックの場合は、IRCの#wikipedia-ja-unblock、もしくはメーリングリストで、会話ページの編集許可を求めてください(ヘルプ)。--MaximusM4(会話) 2015年3月16日 (月) 13:52 (UTC)
投稿ブロックへの異議申し立て
[編集]方針によりブロックされたこの利用者 (ブロック記録 | 現在有効なブロック | 自動ブロック | ブロック解除 | 投稿記録 | 削除された投稿 | 不正利用記録) はブロックの解除を依頼しましたが、管理者がブロックを再検討し、依頼を却下しました。他の管理者がこのブロックを更に再検討することは可能ですが、充分な理由がない限り、この決定を覆すべきではありません(投稿ブロックの方針参照のこと)。ブロックが継続している間は、このブロック解除依頼を除去しないでください。
ブロック解除依頼の理由: 「ブロック解除理由は簡潔にということですので、Wikipedia:投稿ブロック依頼/Ted&Mへの被依頼者としての私のまとめのコメントをぜひ一度ご覧いただければと存じます。また、それ以前の私の投稿も逐一チェックいただければ誠にありがたく存じます。私へのブロック依頼理由は「いつまでも納得せず自分に都合のよい理屈ばかり述べ立ててコミュニティを消耗させる」「Wikipediaの方針に逆らうものである」ということなのですが、私にはそのような意図はまったくありません。あくまでもWikipediaの目的が正しく果たされることを願い、ルールの深い理解に努め、厳密な論理に則り、可能な限り柔軟に思考して、非常に大事な課題の克服のために意見を述べ、実りある対話をいたしたく念願しております。しかしこの姿勢自体が一群の方々から「いつまでも納得しない」「Wikipediaを壊そうとしている」と誤解され糾弾されてブロックに至り、困り果てています。私としましては現状のWikipediaで検討が不可欠の重大なテーマを提言しているつもりですので、対話を深めるために発言していかないわけにはいかないのですが、その事自体が「生意気だ」とか「気に入らない」ということになるのでしょうか。「コミュニティを消耗させる」と言われますが、複数の方々が意見を述べて来られますがどなたともさしたる議論にも発展せず、単純な反問をしても返事も下さらない方々がブロック賛成票を投じておられるという実情です。消耗を強いられているのはむしろ私の方なのです。時々タメ口のご意見もありますが、私は常にマナーを守って敬語と丁寧語でお応えしております。「荒らし」的な反則行為を行ったわけでもないのに「無期限ブロック」とは、感情的な対応ではないでしょうか。くり返しますが現在非常に大事なテーマについて、時間をかけて参加者の方々と対話しており、現在も新たな意見が呈示されて、これに返事もしなければならないところですので、誤解と反感から実行された投稿ブロックをぜひとも解除くださいますようお願い申し上げます。--Ted&M(会話) 2015年3月21日 (土) 04:29 (UTC)」
- 却下の理由: 依頼のあったブロック解除は、あなたがブロックされた理由を明示していない、あるいはその他の不適切な点があるため、却下いたします。ブロックが解除となるためには、以下の点について管理者を納得させる必要があります。
- ウィキペディアに対する妨害・損害を避けるためにあなたをブロックする必要はないこと または
- あなたが
- なぜブロックされたのか理解し、
- ウィキペディアに対する妨害や破壊をやめ、
- 今後は有用な貢献を行うため、
ブロックがもはや必要でなくなったこと
投稿ブロック解除依頼作成の手引きもぜひお読みください。 MaximusM4(会話) 2015年3月22日 (日) 01:59 (UTC)
ブロック解除の依頼を再度行いたい場合には、投稿ブロック解除依頼作成の手引きをまずお読みになり、もう一度 {{unblock}} テンプレートを使用してください。なお、これらのテンプレートの乱用があった場合は、あなたの会話ページの保護や、会話ページへのブロックを実施する場合もありますのでご注意ください。- (↑却下をされたMaximusM4さんへ)却下の理由を「あなたがブロックされた理由を明示していない、あるいはその他の不適切な点があるため」とされていますが、「あなたがブロックされた理由を明示していない」と「その他の不適切な点があるため」のどちらなのでしょうか。また、問題はブロック解除依頼文にあるのでしょうか、それとも解除依頼後の私のトークの中にあるのでしょうか。自分としては常に最善を期して書いているため、どこが悪いのかが判別できませんので、いくらか具体的にお示しいただければ助かります。--Ted&M(会話) 2015年3月22日 (日) 06:30 (UTC)
- ブロックされた理由にあなたが納得していないことはブロック解除の理由にはなりません。むしろ、いつまでも「俺一人だけがいつも正しくて、俺以外の全員の方が間違っているんだ!」という考え方では解除から遠ざかるばかりです。あなたが「どう考えても自分が正しい」ように感じるのはあなた流の方針解釈の上に立っているからです。コミュニティはあなた流の方針解釈は受け入れられないのです。コミュニティが受け入れている方針解釈をあなたが受け入れる(≒納得する)ことが唯一ブロック解除につながります。貴方が貴方流の方針解釈にこだわる限り解除は無理だと思います。--ぱたごん(会話) 2015年3月21日 (土) 06:47 (UTC)
- 具体性のあることは何も言わず、そのように抽象的な言葉で覆いかぶせて議論をしているようなつもりになっていただいては困るのです。「主題の特筆性」についてのトークであなたは新聞などからの「有意な言及」について「対象がその情報源において記事の主題になっていなければ『有意な言及』ではない。勘違いをしている」という意味のことを言われましたので、私はWikipedia:独立記事作成の目安において<「有意な言及」とは、対象の話題について、直接的かつ詳細に述べていることを意味します。元となる情報源において、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくても、少なくとも「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及が必要です>とあることを示して、「ぱたごんさんの方が勘違いをされていませんかと」丁寧に質問したのに対して、ぱたごんさんからは何の回答もありませんでした。にもかかわらずコメント依頼やブロック依頼が出ていることだけはごていねいにもものこの会話ページに知らせに来て、そして結局は上記の私の質問には答えないまま、ブロック賛成票を投じた、というのがあなたがとられた行動です。そして今、「ブロックされた理由にあなたが納得していないことはブロック解除の理由にはなりません」などと言っておられるわけです。私は一度も「俺一人だけがいつも正しくて、俺以外の全員の方が間違っているんだ!」とも「どう考えても自分が正しい」とも言っておりませんし、そもそも上記のぱたごんさんとのやりとりのように次々と「言い逃げ」される人ばかりが出て来て、議論の形に進まないことが多いのに驚いているのです。また、「コミュニティが受け入れている方針解釈をあなたが受け入れる(≒納得する)ことが唯一ブロック解除につながります」というのも妙な言われ方です。「ブロック解除してほしければ俺たちに従え」と言っておられるわけですが、上記の「対象がその新聞記事の主題になった記事でなければ『有意な言及』ではない」というのも「コミュニティが受け入れている」考え方なのですか。<「有意な言及」とは、対象の話題について、直接的かつ詳細に述べていることを意味します。元となる情報源において、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくても、少なくとも「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及が必要です>というWikipedia:独立記事作成の目安は「コミュニティが受け入れて」いないものなのですか。私にはそうは思えません。あなたは「コミュニティ」と称して実は「俺に無条件で従え」と言っているだけではありませんか。誠に承服しかねるお言葉です。--Ted&M(会話) 2015年3月21日 (土) 17:11 (UTC)
- 簡単に言えば、現在のところあなたの存在自体がウィキペディアにとって困りものであり、迷惑であり有害ということです。あなたの主張は基本的に間違いです。そこのところを理解しない限り話は進みませんし、このままでは近いうちにこの会話ページでの発言すら禁止されるでしょう。承服せずとも結構ですが、そうであればウィキペディアに再度参加していただくことはできません。ただただ迷惑で有害な存在として排除されるだけです。--氷鷺(会話) 2015年3月21日 (土) 22:31 (UTC)
- 制度としては「異議申し立て」というものがありますが、あなたについて言えば、「異議」が認められるなどと勘違いしないようにしてください。全部撤回して謝罪して更生を誓いひたすら許しを請うか、このまま文句を言い続けて会話ページも編集禁止にされるか、いずれかです。--氷鷺(会話) 2015年3月21日 (土) 22:38 (UTC)
- 具体性のあることは何も言わず、そのように抽象的な言葉で覆いかぶせて議論をしているようなつもりになっていただいては困るのです。「主題の特筆性」についてのトークであなたは新聞などからの「有意な言及」について「対象がその情報源において記事の主題になっていなければ『有意な言及』ではない。勘違いをしている」という意味のことを言われましたので、私はWikipedia:独立記事作成の目安において<「有意な言及」とは、対象の話題について、直接的かつ詳細に述べていることを意味します。元となる情報源において、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくても、少なくとも「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及が必要です>とあることを示して、「ぱたごんさんの方が勘違いをされていませんかと」丁寧に質問したのに対して、ぱたごんさんからは何の回答もありませんでした。にもかかわらずコメント依頼やブロック依頼が出ていることだけはごていねいにもものこの会話ページに知らせに来て、そして結局は上記の私の質問には答えないまま、ブロック賛成票を投じた、というのがあなたがとられた行動です。そして今、「ブロックされた理由にあなたが納得していないことはブロック解除の理由にはなりません」などと言っておられるわけです。私は一度も「俺一人だけがいつも正しくて、俺以外の全員の方が間違っているんだ!」とも「どう考えても自分が正しい」とも言っておりませんし、そもそも上記のぱたごんさんとのやりとりのように次々と「言い逃げ」される人ばかりが出て来て、議論の形に進まないことが多いのに驚いているのです。また、「コミュニティが受け入れている方針解釈をあなたが受け入れる(≒納得する)ことが唯一ブロック解除につながります」というのも妙な言われ方です。「ブロック解除してほしければ俺たちに従え」と言っておられるわけですが、上記の「対象がその新聞記事の主題になった記事でなければ『有意な言及』ではない」というのも「コミュニティが受け入れている」考え方なのですか。<「有意な言及」とは、対象の話題について、直接的かつ詳細に述べていることを意味します。元となる情報源において、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくても、少なくとも「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及が必要です>というWikipedia:独立記事作成の目安は「コミュニティが受け入れて」いないものなのですか。私にはそうは思えません。あなたは「コミュニティ」と称して実は「俺に無条件で従え」と言っているだけではありませんか。誠に承服しかねるお言葉です。--Ted&M(会話) 2015年3月21日 (土) 17:11 (UTC)
- 「困りものであり、迷惑であり有害」だから「全部撤回して謝罪して更生を誓いひたすら許しを請う」ようにとは、少し粗雑すぎる、居丈高で威嚇的なおっしゃり方で、Wikipediaの常識からして問題があると思います。苛立っておられることは分かりますが、何の説明にもなっていません。そのような感情レベルの動機でブロック依頼を出されたのでは当惑します。--Ted&M(会話) 2015年3月22日 (日) 05:37 (UTC)
- 長島愛生園入所者さんのなかで牧歌舎の名が出ていたのは有意な言及ではありません。長島愛生園入所者さんの説明に必要な部分でのみ名前が出てきただけであって、直接的かつ詳細に述べている訳ではなく有意な言及ではありません。これが有意な言及だと考えるのがあなたのmy解釈です。あなたのmy解釈はjawpにおいては間違っているので記事は削除されたのです。貴方のmy解釈を全員が受け入れろというなら無理。--ぱたごん(会話) 2015年3月22日 (日) 02:16 (UTC)
- 「対象がその情報源において記事の主題になっていなければ『有意な言及』ではない。勘違いをしている」とあなたが言われたことに対し、私はWikipedia:独立記事作成の目安において<「有意な言及」とは、対象の話題について、直接的かつ詳細に述べていることを意味します。元となる情報源において、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくても、少なくとも「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及が必要です>とされていることを示して、ぱたごんさんこそ勘違い(my解釈)をされていませんかと、もう何度お尋ねしたことでしょう。しきりに論点をすりかえようとされていますが、それに同調はいたしません。この、太字の問題にまずお答えください。ルールの文言に直接関わることですから、これになんとか答えずにすませようとしている態度は受け入れられません。あなたのそうした行為は今もWikipediaの記録に残っていっています。あなたの名誉を守ってください。--Ted&M(会話) 2015年3月22日 (日) 05:37 (UTC)
- 堂々巡りですね。長島愛生園入所者さんの記事において直接的かつ詳細に述べていないと申しあげています(この返事で三回目)これ以上my解釈を振りかざすならこの会話ページもふさがれることでしょう。MaximusM4さんや他の方も言われているように、削除依頼やコメント依頼、ブロック依頼での多くの人の貴方への言及を虚心坦懐に読み直してください。堂々巡りは無意味ですので長島愛生園入所者さんの記事に関する件は今後はお答えしません。なぜ満場一致でブロックされたのかを考えて下さい。--ぱたごん(会話) 2015年3月22日 (日) 07:23 (UTC)
- 決して「堂々巡り」ではありません。単純で肝心な質問にあなたがいつまでも答えずに別の方向に持って行こうとされるので、やむを得ず同じ質問をあなたに対してくり返しているだけです。決して私のmy解釈を述べているのではなく、あなたのおっしゃることがWikipedia:独立記事作成の目安と食い違っているから、説明してくださいと言っているだけです。「直接かつ詳細」の話にすり替えられては困ります。「対象がその情報源において記事の主題になっていなければ『有意な言及』ではない」とのあなたの発言と「もっぱらその話題について述べている特集記事とまではいかなくても、取るに足らないようなもの以上の言及であること」とのWikipedia:独立記事作成の目安は明らかに食い違っていますから、そこの入口のところをまずあなたは説明する責任があります。自己の責任を放棄する言い逃げや言いっ放しは許されません。「対象がその情報源において記事の主題になっていなければ『有意な言及』ではない」と今もあなたは思っているのか「間違ったことを言ってしまったな」と思っているのか、男(だと思いますが)らしくはっきりしろと言っているのです。特筆性のための有意な言及とは「主題が話題になっている記事でなければならない」(ぱたごん説)か「取るに足らない蛇足的な言及以上のものであればもっぱらそれが話題の記事ではなくともよい」(Wikipedia:独立記事作成の目安説)か、どちらなのですか。どのようなものにしろ、お答えが永く記録に残ることを心して、逃げずにお答えください。--Ted&M(会話) 2015年3月22日 (日) 12:10 (UTC)
- ブロック実施に至った経緯や理由をご理解いただけているとは到底思い難い状況であることは明らかですので、異議申し立てを却下します。まずは全ての先入観を廃した上で各種方針・ガイドラインを熟読していただき、誤解を解いていただきますよう。--MaximusM4(会話) 2015年3月22日 (日) 01:59 (UTC)
- 「ブロック実施に至った経緯」はつぶさに見させていただきましたから、承知しております。しかし、私の投稿への感情的な反発があるらしいことは推察できるものの、合理的な「理由」がどこにあるのかはわかりません。各種方針やガイドラインを熟読のうえ肝心な質問をしても、上記のぱたごんさんの一例のように正面からきちんと答えてもらえないことばかりであり、にも関わらず記事の削除依頼、コメント依頼、ブロック依頼が出されて実行されました。少なくともこちらが提出した肝心な質問へのお答えがあっての事の運びならば理解も可能になるかと思いますが、それもなしで「理解できていないから申立却下」と言われるのは少し無理があります。私としては、真剣勝負を避け続けた相手たちから「お前の反則負け」と言い渡されているような不条理さを感じるばかりです。ただ、ここまでのやりとりは長くWikipediaに保存されるでしょうし、私も個人的に保存しますので、各自の発言を含めた全ての経緯が残り、後々にも公正性の検証が可能であることには安心しております。--Ted&M(会話) 2015年3月22日 (日) 05:37 (UTC)
- 『真剣勝負を避け続けた相手たちから「お前の反則負け」と言い渡されているような不条理さを感じるばかりです』とのことですが、ルールに則って競歩してる中にマラソンと勘違いした選手が紛れ込んでいただけだと思いますが。削除依頼でも記事主題に対する「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及を担保する出典があると主張した方は貴方以外にはいなかったものと記憶しております。--210.141.54.193 2015年3月22日 (日) 06:34 (UTC)
相手をすると、自分にまだ正当性を主張できる余地があると(というかこの期に及んでまだ自分が正しいと)勘違いしてしまうようですので、発言する機会をこれ以上与えないほうが良さそうです。ブロック依頼の前から、そしてブロック依頼の最中でも、今でも、何の反省も改善も、変化すら無いのですから、相手をするだけ無駄です。逃げずに云々言って挑発したりもしていますが、それに付き合うだけウィキペディアにとって損失ですから、放置しましょう。多分それが「分からせる」には一番効果的です。期待できませんが。--氷鷺(会話) 2015年3月22日 (日) 14:35 (UTC)
- 一所懸命にコメント依頼やブロック依頼を出され、「謝罪して更生を誓いひたすら許しを請う」ように私に求めてこられた氷鷺さんですね。あなたも含め、放置しておけばよいのに私にいろいろ言ってこられる方々の多くは、内心ではどこかで私のコメントを求めておられるからではないかと考えたりしております。傲慢に聞こえたら謝らなければなりませんが、私なら価値のないことを言っている人は無視して黙殺します。私のような者の言説にかかずらっていただいて、感謝するとともに、もう少し腹を割ったところで本音の言葉をいただければ、お互いに実りのある会話ができると思います。今日はそれだけ申し上げておきます。--Ted&M(会話) 2015年3月22日 (日) 17:28 (UTC)
方針によりブロックされたこの利用者 (ブロック記録 | 現在有効なブロック | 自動ブロック | ブロック解除 | 投稿記録 | 削除された投稿 | 不正利用記録) はブロックの解除を依頼しましたが、管理者がブロックを再検討し、依頼を却下しました。他の管理者がこのブロックを更に再検討することは可能ですが、充分な理由がない限り、この決定を覆すべきではありません(投稿ブロックの方針参照のこと)。ブロックが継続している間は、このブロック解除依頼を除去しないでください。
ブロック解除依頼の理由: 「私がブロックされた理由は「いつまでも納得しない」からです。その事情は、それ以前に私から管理者様あるいは特定のベテランユーザーの方に尋ねているいくつかのルール上のシンプルな質問に答えていただければ納得もできるかと思うのですが、お答えがないのでくり返しお尋ねしていると「いつまでも納得しない」とされたものです。そのシンプルな質問に答えていただければ納得できるかと思いますので、ブロック解除をお願いいたします。ちなみに、シンプルな質問とは、下記のようなものです。 :*私がある記事中の書籍に脚注(その書籍に対する新聞書評の情報)を付けたところ、管理者であるVZP10224さんによりそれが削除され、ほとんど意味のない単なる図書館書誌情報に付け替えられました。そんな編集をされてはいけないのではないですか、とお尋ねしていますが、「その記事の主題の特筆性証明に役立たないから」と見当違いの説明があっただけで、肝心の質問への答えは何度尋ねてもいまだに頂いていません。この問題のいきさつはノート:牧歌舎#ミスと思われるテンプレート貼付2件についてをご参照ください。 :*同じく管理者のぱたごんさんには、記事の主題の特筆性を示す「有意な言及」とは「主題が話題になっている記事でなければならない」とぱたごんさんが言われるので、Wikipedia:独立記事作成の目安には「取るに足らない蛇足的な言及以上のものであればもっぱらそれが話題の記事ではなくともよい」という意味のことが書かれてありますが、どちらが正しいのですかと何度も尋ねていますがずっとお答えがなく、ブロック後になってWikipedia:独立記事作成の目安のそことは別の部分の「直接的で詳細な」記述に当たらないからと話をすりかえて幕引きを図っておられます。長くなるので引用は控えておりますが、この問題が起こったのはWikipedia:削除依頼/牧歌舎 20150210ページの下から3分の1辺りにある太字で示した出典引用部分の直下へのぱたごんさんからの投稿からです。なお、ぱたごんさんは管理者かと思っていましたがそうではないとのご指摘をいただきましたので本「異議申し立て」稿の一部を訂正しました。 以上、シンプルな質問にお答えいただけていない具体例(ほかにもありますが代表例)をお示ししました。心ある管理者様にすでに削除された記事をご参照の上、ご確認いただければ幸いです。」
- 却下の理由: 被申告者を含めて2ヶ月以上意見がないため一度終了 アルトクール(話/歴) 2015年8月14日 (金) 15:40 (UTC)
- ノート:牧歌舎#ミスと思われるテンプレート貼付2件についてのリンク先ぐらいは提示しましょう、自分が知っている経緯を他人が把握しているとはかぎりません、ありていに言うと説明が不足すればするほどただの愚痴にみえてしまいます。また、答えは正確であるが自分が規則を理解していないため見当違いに思えるということもよくあることです。
- 私の知る限り過去現在ぱたごんさんは管理者ではありません。またページ右上の検索で「主題が話題になっている記事でなければならない」を検索しても直上の解除依頼のテキストしかヒットしません、曲解と取られることもありますので他人の発言の引用は正確に行なうべきです。--202.224.70.239 2015年4月5日 (日) 02:34 (UTC)
- ご指摘ありがとうございました。ご指示に従い「異議申し立て」文の一部を改変しましたのでご参照ください。またVZP10224さんのされたことにつきましてはお示しのとおりノート:牧歌舎#ミスと思われるテンプレート貼付2件についてにありますので、吟味ください。--Ted&M(会話) 2015年4月5日 (日) 08:58 (UTC)
- コメント これでは解除を検討する入り口にも立っていません。「まずは全ての先入観を廃した上で各種方針・ガイドラインを熟読していただき、誤解を解いていただきますよう。」とMaximusM4さんにも言われていますが、Ted&Mさんはいまだに先入観にとらわれています。これまで多くの人がTed&Mさん関連に関わっていますが、Ted&Mさんが正しいという意見は皆無である事実を受け入れてください。--目黒の隠居(会話) 2015年4月5日 (日) 04:27 (UTC)
- 私は仕事を持っているのでなかなかWikipediaを見る時間がとれないのですが、それでも各種方針・ガイドラインはくり返し読み、遵守しているつもりです。「先入観にとらわれている」とのご指摘は一部の方々から頂いていますが、私のコメントのどの部分がどのように先入観にとらわれているかの具体的なご説明はほとんど頂いておらず、ただ「方針やガイドラインを熟読せよ。まだ先入観にとらわれている」との文言だけがくり返されています。私は本当に各種方針やガイドラインは仕事の合間を縫って何度も何度も読み返し、それに添ったことしか言っていないつもりですので、どうか、どこがどのように先入観とか方針違反なのかを漠然とした印象でなく、具体的に教えてください。こういう場合、「それは他の人がいろいろ言っているとおりだ」というようなお返事がよくあるのですが、私が見る限り「他の人」も皆さん漠然とした印象しか実際には語っておられないので、正直、どうしても具体的なことが分からないのです。--Ted&M(会話) 2015年4月5日 (日) 08:58 (UTC)
- それでは解除は無理です。wikipediaは理解力の乏しい人でもわかるまで手とり足とり教える学校ではありません。--目黒の隠居(会話) 2015年4月5日 (日) 09:34 (UTC)
- それでは残念ながら私もあなた方が私に求める「納得する」ということをすることができません。私は理解力の乏しい方にも分かるように「手取り足取り」問題点をお示ししてご説明を求めているのですが、それでもご説明がないということは、私が想定している以上に理解力が乏しいか、あるいは説明して論破されることを恐れておられるかのどちらかであると判断させていただきます。私はご説明いただける方にご説明を求めているのであって、ご説明ができない方からいくら否定的コメントを頂いても意味がないと思います。--Ted&M(会話) 2015年4月5日 (日) 18:16 (UTC)
- もはやブロックとなっている以上、あなたが納得されなくても誰も困りません。貴方との議論を深めても百科事典の充実に資するものはないと判断されているのですから、この段階で「俺は納得出来ないからブロックを解除しろ」などという一方的な要求が通る可能性は、欠片もないでしょう。Ted&Mさんには、FC2 WIKIあたりに活動の場を求めることを提案したいと思います。こちらであれば検証可能性がどうのこうのとややこしいことも言われず、中小企業の支援でも言論の自由のための戦いでも、思うがままにできると思いますね。--Kojidoi(会話) 2015年4月5日 (日) 21:09 (UTC)
- それでは解除は無理です。wikipediaは理解力の乏しい人でもわかるまで手とり足とり教える学校ではありません。--目黒の隠居(会話) 2015年4月5日 (日) 09:34 (UTC)
論理性が未熟なため相手の主張を誤解している場合は誤謬であるが、意図的に歪曲している場合は詭弁となる。議論が過熱し論点が見えにくくなると起きやすい。社会生活上よく見られる。 — 詭弁#ストローマン (Straw man)
--市井の人(会話) 2015年4月5日 (日) 10:05 (UTC)
- どういう意図でこの言葉を掲げられたのか分かりません。私はいつもお互いに言ったことの説明責任を果たしながら実りのある対話ができることを願っております。--Ted&M(会話) 2015年4月5日 (日) 18:16 (UTC)
- 無駄に相手を挑発するような行為は慎みましょう。--223.132.75.127 2015年4月5日 (日) 15:11 (UTC)
- 誰に向かって言っておられるのか分からない書き込みですが、私は誰に対しても挑発などはしていませんし、またどなたも私に対して挑発などされていないと思います。--Ted&M(会話) 2015年4月5日 (日) 18:16 (UTC)
- 実に簡単な話ですのでシンプルに答えます。そもそも出版社の記事に多少書評がある程度の書籍の情報を載せる必要は無いです(Wikipedia:ウィキペディアは何ではないか)、むしろ除去が適切であったと判じます(無論商品と会社の関係を詳しく書いた文献があれば話は別です)。次、Wikipedia:独立記事作成の目安には『ビル・クリントンが高校時代に作っていたバンド「Three Blind Mice」についてウォーカーが述べたたった1行の文は「取るに足らないようなもの」でしょう』とあります、これと同様です、説明は不要でしょう。あとどこでぱたごんさんが「主題が話題になっている記事でなければならない」と言ったのか必ずリンク先を提示してください。--202.224.70.239 2015年4月6日 (月) 05:24 (UTC)
- 前段はVZP10224さんへの質問をIPさんが代わりにお答えになったもののようですが、お答えになっていません。元の脚注はその本の内容について朝日新聞がどのように紹介しているかを知ることができる情報源を示していたものですが、VZP10224さんはこれを除去して単に発行日やページ数がわかるだけの書誌情報に付け替えされたのです。この脚注はIPさんが言われるような「商品と会社の関係」を示すことなど目的としておらず、より詳しい内容理解を求める閲覧者のために情報源を示しているものです(脚注とは本来そういうものであると思います)。それを単なる書誌情報に付け替えていいのか、と私は聞いているのです。「そもそも出版社の記事に多少書評がある程度の書籍の情報を載せる必要は無いです」というような個人的感想をお聞きしていません。朝日新聞ほかの新聞などの記事にもなっている特筆性のある本ですから「情報を無差別に収集」とのご判断は失当です。次にぱたごんさんのご発言についてのリンク先を示せとのことですが、上記の削除依頼文の中にも書いたとおり「Wikipedia:削除依頼/牧歌舎 20150210ページの下から3分の1辺りにある太字で示した出典引用部分の直下へのぱたごんさんからの投稿」です。分かりにくいかもしれませんので以下に再掲します。
(以下Wikipedia:削除依頼/牧歌舎 20150210より再掲)
- 出典を自分の目で見ずに削除票だけを投ずる行為はやめてください。すべてこの出版社について記述されているものです。例えば7はこういうニュースです。(以下引用)
- <本日、長島愛生園入所者の金泰九さんの自叙伝『在日朝鮮人ハンセン病回復者として生きた わが八十歳に乾杯』の出版をお祝いする会が、岡山市内のホテルで、100名余りの知人、友人等が出席し、なごやかな雰囲気のなかで行われました。
- 「ゆいの会」からも、当会の会員で、コーラスグループ「コスモス」のメンバーの文さんが出席し、「イムジン川」とオリジナル曲(「ゆいの会のテーマソング」となっている歌)、2曲を披露し、会の雰囲気を一気に盛り上げました。
- 自叙伝を書くきっかけについては、平成19年度ハンセン病問題対策協議会が開催された8月22日に、東京にご一緒した際に、たまたまお聞きしました。
- 「今年の3月ころのある晩、80歳になってなにも残さず、人生を終えるのは寂しいと寝付かれないままに想いにふけっていたときに、ふと、これまでの自分の経験したことを書き残したいという思いに駆られた。そのときに「わが80歳に乾杯」という題名までが頭に浮かんだ。そして、一気に原稿用紙に数十枚を書いた。その後、出版に至るまでには紆余曲折があったが、最終的には、「牧歌舎」の社長さんが原稿を読んで出版を引き受けてくれることになった。本当に有り難かった。」
- 今日の挨拶のなかでも、この話を紹介されていました>(引用終わり)
- 出典が出版社を取り上げていない、とするSdzwさんの感覚を疑ってしまいます。こういうものも出版社に対する「有意の言及」でないとされるのであれば、いったい「有意の言及」とは何なんでしょうか。--Ted&M(会話) 2015年2月14日 (土) 12:22 (UTC)
- 削除 Ted&Mさんがどのように勘違いされているのがわかりました。「本日、長島愛生園入所者の(中略)この話を紹介されていました」と言う話は長島愛生園に入所されて自伝を書いた方に関する有意な言及になるわけです。その記事が何を解説しようとしているのかを考えて下さい。あなたが引用した記事は牧歌舎について説明する目的の文章ではないのです。Ted&Mさんが引用されたような形でしか取り上げられていないならこの主題には特筆性はありません。--ぱたごん(会話) 2015年2月15日 (日) 05:38 (UTC)
- 私もぱたごんさんをはじめ削除を指示する人がどういう思い違いをされているのかがやっとわかりました。つまりは「主題について説明する目的の文章」でなければ「有意な言及」ではないとのご認識なのですね。しかし「有意な言及」は「有意な言及」であれば良いわけで、全体としては「主題について説明する目的」の記事でなくても、その「部分」において主題についての「有意な言及」はいくらでもあり得ると思います。エピソード的なものはその代表かもしれません。Wikipedia:独立記事作成の目安にも「元となる情報源において、「特集記事」(もっぱらその話題について述べている記述)とまではいかなくても、少なくとも「取るに足らないようなもの」(他の話題に関する記述において蛇足的に触れられているもの)以上の言及が必要です」と説明されています。「主題について説明する目的」の記事でなくても「有意な言及」があるとされているわけなので、「主題について説明する目的の記事がなければならない」というのは「独自研究」になってしまうと思うのです。何かぱたごんさんのご主張を誤解しておりましたらご指摘ください。--Ted&M(会話) 2015年2月15日 (日) 07:26 (UTC)
(再掲終わり) 以上です。--Ted&M(会話) 2015年4月6日 (月) 18:33 (UTC)
上記は202.224.70.239さんからの「どこでぱたごんさんが「主題が話題になっている記事でなければならない」と言ったのか必ずリンク先を提示してください」とのお求めに応じて再掲したものです。最近やっと示されたぱたごんさんのお返事やご説明(「直接的で詳細でなければ」云々)が論点を変えたものになっていることは一目瞭然です(さらに詳しく説明が必要ならいたしますが、通常の読解力のある方には説明は不要と考えます)。また管理者VZP10224さんの行為についても「商品と会社の関係」などとは関係のない尋常な「脚注」の編集に関わる問題としてご認識ください。--Ted&M(会話) 2015年4月7日 (火) 22:10 (UTC)
- ようやく何がどうなっているのかが判りました。ぱたごんさんのこれこれというコメントをTed&Mさんがほにゃららと解釈し、いつのまにかTed&Mさんはその解釈されたほにゃららをぱたごんさんの言ったこととしていると。これこれとほにゃららの間に言葉としては小さく見えても解釈としては大きい溝があること、加えて似たような大きい溝が今までの議論で他にも何箇所もあることを理解できなければブロック理由もわからないと思います。なんというか私のはもぬブロック理由(コメント依頼やブロック依頼を見ればだいたいわかるものと思うのですが・・・)を説明してもTed&Mさんに正確に理解していただけると思えません。溝を自覚していただき自分で埋める努力をしていただくしかないです。--202.224.70.239 2015年4月8日 (水) 11:58 (UTC)
- そこです!もう少しです。全般にTed&Mが悪いという前提で攻めることになっているから「これこれ」と「ほにゃらら」の間に「Ted&Mの誤解が作った溝」があるとされているのですが、上掲の再掲文で明らかなように、私は常に隙間がないように密着して「溝」のない緻密な対話で問題点の究明を続けています。正しい解を得ることが全ての対話の目的でなければ意味がないのです。上掲の再掲文において、私の「ほにゃらら」には「これこれ」に対して少しでも私の誤解による「溝」が加わっていますか。そうでないことは、実際に読めば誰の目にも、202.224.70.239さんの目にももうすでに明らかでしょう。そこに「架空の溝」を加えたのは私ではないのです。202.224.70.239さんのように、少なくともこれまでの皆さんよりは客観性と合理性を重んじる姿勢で事態を見ていただければ、もう少しで、この問題に限らに全般的なやりとりの局面局面で「歪曲」「曲解」で溝をこしらえたまま質問にも答えず説明もせず「思考停止」しているのが誰なのかが明らかになってきます。そこに至らせないために私が執筆した記事の削除や私の投稿ブロックや、最近では会話ページでの私の発言さえ封じようという動きがここまで続いてきているとも考えられるのです。誰がつくったものにせよ「溝は埋められなければならない」という認識がコミュニティ全体で共有されなければならないということは基本だと思うのです。しかし、上掲の再掲文のように私がいくら溝を埋めようとしても新たな歪曲や偏見による溝が意図的に持ち出され、202.224.70.239さんのようにアプリオリに「Ted&Mが悪い」とする立場から「Ted&Mがその溝を埋めなければ軛は解かれない」とするシジフォスの神話のような不条理が現出し維持され続けているのです。私はいつも本当に不思議なのですが、コミュニティの中の一群の方たちはどうして「自分たちが絶対に正しく、Ted&Mが絶対に悪い」というところで思考停止が可能なのでしょうか。私は上掲の再掲文のように常にWikipediaの「目的」や「方針」や「ガイドライン」などのルールに実際に文字で書かれていることのみを根拠として意見を言っているのですが、私への反対意見は上掲の例のようにルールを勘違いしたものや「ルールにはそう書かれていても当てはまらない(と思う)」「ルールにはそう書かれていなくても、それはルールに反する(と思う)」というようなものが大半です(そういう意見はそれなりにOKと思いますが、私がそういうことを言えば「独自研究」とされ議論にならず否定されますから極めてアンフェアなロケーションです。また、意見は自由でも、その時点においてはその時点において明文化されているルールが優先され適用されるのが当然と思いますし、一方で、不十分なルールは補完され、ルールのない事案には新しいルールが整備されなければならないと思います)。ですからルールの文言によらない対応には「説明してください」とお願いするのですが、それに対してはもうその人からのお返事はなく、いつも別の人から別の角度であくまでも曖昧漠然とした「お前がはじめから間違っている」論で対応されるばかりで、私は相手の方から説明責任を果たしていただけないまま「いつまでも納得しない」として記事は削除、投稿はブロックということをされているわけです。本当におかしくないですか? 今回は少し客観的、合理的に考えてやろうという対応をいただいたので喜んで書きすぎてしまいましたが、とにかくお互い頭をはっきりさせ、目をしっかり見開き、何のごまかしや意図的な韜晦なく、「真理の学徒」として真摯に「自分のよく見極め、考えた言葉」で語り合おうではありませんか。有無を言わせずTed&Mを潰して抹殺してしまおうという意図があるものは論外ですが、そんな悪い意図でなくても、今後は努めて「漠然印象論」を排し「個別具体論」で前向きな対話となることを切に念願します。--Ted&M(会話) 2015年4月8日 (水) 16:25 (UTC)
- それを示したところでブロック解除につながるわけではないので、そのような要求はなさらない方がいいでしょう。ブロック解除につながる話以外は被ブロック者も我々も今後はやめようではありませんか。--目黒の隠居(会話) 2015年4月6日 (月) 09:21 (UTC)
- 202.224.70.239さんはブロック解除に全然つながらないこととして言っておられるのではないと思います。ですから示せと言われるものを示しました。正常な対話であると思っております。--Ted&M(会話) 2015年4月7日 (火) 22:10 (UTC)
- それを示したところでブロック解除につながるわけではないので、そのような要求はなさらない方がいいでしょう。ブロック解除につながる話以外は被ブロック者も我々も今後はやめようではありませんか。--目黒の隠居(会話) 2015年4月6日 (月) 09:21 (UTC)
方針によりブロックされたこの利用者 (ブロック記録 | 現在有効なブロック | 自動ブロック | ブロック解除 | 投稿記録 | 削除された投稿 | 不正利用記録) はブロックの解除を依頼しましたが、管理者がブロックを再検討し、依頼を却下しました。他の管理者がこのブロックを更に再検討することは可能ですが、充分な理由がない限り、この決定を覆すべきではありません(投稿ブロックの方針参照のこと)。ブロックが継続している間は、このブロック解除依頼を除去しないでください。
ブロック解除依頼の理由: 「上記の対話、特に202.224.70.239さんとの対話でも明らかになっているように、私への「いつまでも納得しない」というブロック理由は不合理であることが、将棋で言えば「アタマ金」のように否定の余地なく論証されております。問題は、そうした明白な論証(「納得できないのが当たり前で、これで納得しなければならないとする方が不合理である」ことの論証)を、Wikipediaコミュニティの合理性を軽視する一群の人々が「いつまでも認めない」ことであります。Wikipediaで全ての基本とされるべきことは「検証可能性」ですから、私は「納得できないのが正当」ということを個々の具体的な各人のコメント事例を示して検証しました。上記の節では2例を示しただけですが、こういう事例はまだまだ多数ありますので、必要ならばさらに一つ一つ示して検証してまいります。要は、ブロックをかけるという行為において、かけられた方に非がある場合もあれば、かけた方に非がある場合も当然にあるのであって、その当否を判断できるのは感情的な多数決などでは決してなく、「検証可能性」を担保できる、証拠事実(具体的な発言記録)と科学的論理による論証のみであるということです。上記に確かな論証結果があるのですから、もはやブロックは解除される以外の方向性はあり得ません。さらなるブロックがあり得るとしたら、上記「アタマ金」を破る論理を示していただく必要があります。それなくしてブロックが続けられるとしたら、Wikipediaは「検証可能性」を否定して存在していることになります。「まだ理解できていない」というような論点回避の権威主義で抑え込むことなく、「検証」の結果としてのブロック解除を求めます。--Ted&M(会話) 2015年4月18日 (土) 04:23 (UTC)」
- 却下の理由: 2ヶ月以上議論進展なしのため。 アルトクール(話/歴) 2015年8月14日 (金) 15:40 (UTC)
- ノート:牧歌舎にてWikipedia:検証可能性を熟読したと発言されておりましたが、その対象が記事であるということ程度は理解していただきたいものです。「頭金」はわかりやすい詰めの一つですが相手の持ち駒から金を拝借して「頭金」を打つことは明確なルール違反です。ルールブックを読んでも違反を繰り返す人とは話も通じませんしルール違反を繰り返せば出禁扱いになることはごく自然なことです。--210.141.54.58 2015年4月19日 (日) 02:34 (UTC)
- 相手の持ち駒を使うのは将棋ではありませんからルール違反になる資格さえありません。そんな方角から「ルール違反」というレッテルを貼って泥仕合に持ち込んで抑え込もうとされても、すで成り立った「頭金」は外せません。あなたのは論理ではないのです。私が「相手の持ち駒から金を拝借」したとは、どの部分のどの発言がどういう理由でそれに当たるのか、一度説明してみていただけますか。できずに黙殺されるなら、私が納得できない当然の理由がまた一つWikipediaの記録として明らかに残ります。--Ted&M(会話) 2015年4月23日 (木) 20:51 (UTC)
- 終了 一度議論は終了とします。ブロック解除申請中に出されたWikipedia:投稿ブロック依頼/Ted&M ブロックレベル変更でも結果は会話ページロックはされていませんが、あくまで「会話ページはまだロックするべきではない」とみなされただけで、ロックするべきと言う意見もありましたから、それを真摯に受け止められたほうが良いでしょう。ブロックされている根本的な原因があなたにはまだ見えていないのではないかと思われます。もう一度よくお考えになって解除依頼申請を行ってください。
- 新たに解除依頼を出される場合は別セクションで提出されることをオススメします。--アルトクール(話/歴) 2015年8月14日 (金) 15:40 (UTC)
ご案内とお願い。
[編集]- こんにちは、以前、おじゃまさせていただいたHideokunともうします。Ted&Mさんについて新たにブロックレベル変更依頼が提出されておりますのでご案内もうしあげます。今回の依頼はTed&Mさんの会話ページにおいて被依頼者であるTed&Mさんによる編集禁止について審議するものです。
- 合わせて、Ted&Mさんが今後もWikipedia内において活動できることを願っておりますが、現状では難しいようです。Ted&MさんはWikipediaにおける方針に関するページを熟読されたということですが、現状では様々な方々から疑問が呈されております。Ted&Mさんの考え方は私は嫌いではないのです。しかし、やはり各種方針については現状、大勢の方々が話していることが正しいと言わざるを得ません。一度、方針ページを額面のまま、受け取っていただければと思います。その上で活動していただいて、Wikpediaにおける様々な出来事を経験していただいた上でTed&Mさんの考え方をまとめていただいていただきたいと思うのです。Wikipediaには様々な人物がいますし、様々な人物がいる以上、様々な考え方があります。しかし、それぞれの人々が独自の考え方で活動した場合、どのような状況に陥るかはTed&Mさんなら容易に想像ができると思います。今回、牧歌舎は削除となりました。これは今回作成した際の土台となった情報ではまだまだWikipediaにおいて記事としては未熟であるという考え方も一理あります。もちろんTed&Mさんのように残すべきであるという考え方も一理あります。私的には牧歌舎は記事として存在してもいいのではないかと思いますが、しかし、審議において削除の方々が各種方針を理解した上で提言されていることから、今回の削除はやむを得ないと思います。ただし、この削除は牧歌舎の記事が未来永劫、作成できないということとイコールではありません。今後、牧歌舎がなんらかの活動を行うことで記事を作成するべき情報が生まれる可能性もあります。今後、これこれこういう情報があり、このような出典として充分、活用できるものがある、だから作成したと堂々と言える時期が来るかもしれません。その時にTed&Mさんが立ち会えない状況であるならば私は非常に残念だと思います。そのためにも、一度、Wikipediaの各種方針を額面通り受け取っていただいて、現在の認識を一度、リセットしていただきますよう、重ね重ねお願い申し上げます。--Hideokun(会話) 2015年4月28日 (火) 08:22 (UTC)
- Hideokunさん、いつもご親切なアドバイスありがとうございます。なるほど、新たにブロックレベル変更で私の永久追放が相談されているのですね。こういう依頼をされるのはいつもだいたい決まった人で、それに賛成されるのもだいたいいつも決まった一群の人々なのでもう慣れっこになってしまいました。
- 私がいつも考えているのは、私がどこかで勘違いしていて、「アッ、そうか。俺、ここがいけなかったんだ」と納得できるようなことが見つかるならば、おっしゃるような「認識を一度リセット」できるのになあ、ということです。私はいつも自分が間違っている可能性を念頭に置きながら、どこがどういう風に方針違反で、ブロックに値しているのかを皆さんにお尋ねしているのですが、「説明するまでもない」「自分で考えろ」みたいな超抽象的な言葉で返されるばかりなので、私の方はいつも具体例を示して確認しようとするのですがいつも空回りでどうにも収拾がつかない事態に立ち至っているというのが私の認識なのです。
- 私の言動でまず問題にされているのは「牧歌舎」の記事執筆ですが、何年も存続していて問題にされることもなかったのに、突然「宣伝的」「特筆性不足」ということで削除されていました。それに気付いて「復帰依頼」を行い、求められるままに宣伝とみなされそうなところを全削除し、特筆性を示すと思われる「出典」を探しては追加していきました。何と言っても、特筆性のある出版物を出していることが出版社の特筆性であろうと考えましたから、「新聞等の書評で取り上げられたりニュースになった出版物は特筆性があると推定される」というルールが明示されているので(Wikipedia:独立記事作成の目安)、牧歌舎の出版物でこれに該当する事例が100ほどある中のいくつかを紹介しました。ところが何と、特筆性のある書籍をいくら紹介してもそれは出版社の特筆性を示さない、ただその書籍の特筆性を示すだけだと言う人が現れてその賛同者が出て来たのには驚きました(「出版物の特筆性は出版社の特筆性を示さない」というルールはどこにも明示されていないのですから)。ちなみに、「オーバーサイト管理者」という上級管理者の方から「書評に載るような本をたくさん出している出版社なら記事があってしかるべし」という趣旨の存続意見があり、私はこれが常識だと思いこれで終息するかと思いましたが、それでもなおなぜか「出版物の特筆性は出版社の特筆性を担保しない」とする人が多かったので、ここでは常識が通用しないならそれもやむなしと考えました(ここで「出版社の特筆性を証明しないのだから書評の出典を示してもムダ」という理由で出版物の有意な書評の出典を勝手に外され単なる図書館の書誌情報に付け替えるという管理者さんの不当な行為があり、その是非を問うたのが上記のシンプルな質問の一つですが、こういうのにはどなたも反応されません。不思議です)。出版物の特筆性が出版社の特筆性を示さないのなら、それでは出版社の特筆性を示すとされものはルールでは何かというと「出版物でなくその出版社自体についてふれた新聞などの有意な言及」だというので、福祉活動を行っているNPOの記事から牧歌舎自体についてふれているものを探し出して示したところ(上の節で太字で引用した記事)、出て来たのが、上記の「それは著者をメインにした記事の中のものだからダメ。牧歌舎がメインの話題になった記事でなければならないのにお前は勘違いしている」という意見でした。ところがWikipedia:独立記事作成の目安には「それが専ら話題になっている記事でなくとも、単なる蛇足のようなもの以上の意味を持ってふれられていればいい」との趣旨が明示されていますから、「その意見こそ勘違いでは」と応じたのですが、これに対してはいまだに正面からの回答もなければ、「これは『その出版社がメインの話題でなければダメ』と言った方がまちがい」とするコメントもなく、これも誠に不思議に思うところです。これも、上の節で示したシンプルな質問の一つです。そして、ただ、「お前はWikipediaの方針が分かっていない」という超抽象的な批判が出て来て議論が空回りするばかりだけの中で、ブロック依頼がどんどん出されるという現象が起こっているわけです。現実に書かれたルールを明示するのが私で、抽象的な言説でそれを否定するのが相手方なのですから、私がルールを無視しているかのように言われるのは心外なのです。Hideokunさんは、それでも私の方が間違っていて抽象的な言い方で批判している人たちの方が正しいと言われましたので、どうか、そこのところを抽象的でなく具体的に説明していただけないでしょうか。私は、そこのところが、本当分かりたいのです。Hideokunさんならば、「自分で考えろ」などと言わずに(「自分で考えろ」は「初心者には親切にしましょう」というルールに真っ向から違反していると思います)、私に分かるような具体的な説明をしていただけるのではないかと衷心から期待します。私は、分かりさえすれば、「いつまでも納得しない」態度を改めることができるのです。「認識をリセット」できるのです。私は「分からないから納得できないでいる」だけですから。
- 私の言動でもう一つ問題にされているのは「Wikipediは何でないか」について語るページで「Wikipediaは何であってもいい―ただし検証可能性が満たされるならば-にしましょう」と提言したことのようです。これがWikipediaの根本理念を踏みにじったかのように不快感をもってみなされたようですが、私は暴言を吐いたわけでもなければその意図もなく、きちんと理由を述べて考えを述べています。つまり、「Wikipediaは何でないか」という帰納法的なルールで議論する前に、検証可能性を厳しく問うルールをきちんと整備することで、単に多数であるというだけで削除やブロックが行われたり解除されたりという誤謬の可能性を残す恣意的な判断を防げるのではないかという、「牧歌舎」での体験を踏まえた提言を行ったわけです。これと前後して「特筆性」を考えるページでは「出版社の特筆性」について議論していただく節を設けましたが、これも「牧歌舎」のページで、いくらルールの文言を示しても感覚的な意見でこれを批判してくる人が多かったことの体験から提議したことです。このように、問題は「牧歌舎」の議論から始まってここまできているわけですが、私のこだわっているのは「牧歌舎」という一つの記事の存続ではありません。現にこの記事は削除されているのですが、その事自体は今や私の中では優先的な関心事ではありません。それよりも、「きちんとルールをつくって、守ろう」ということです。ルールの曖昧なところであれこれ言い合って「百科事典らしい」ものにするための裁定権のようなものを楽しみたいのかどうか分かりませんが、編集に参加する人々のほとんどは「百科事典づくり」の素人さんばかりです。私の主観を言って申し訳ないですが、思考力や言語能力をもっともっと鍛えなければ百科事典作りに参加してはいけない人が少なからず見受けられます。「特筆性」といえば「有名さ」としか考えられない非論理で幼稚な次元の人もたくさん混じっています。ボランティアですから仕方がないと言えばそれまでですが、それならばなおのこと、編集者が恣意的に判断できる部分を少なくして厳しい編集ルールを検討し整備し常にブラッシュアップしていく必要があります。基本的にそういう考えがあって意見を述べているのですが、そうした種類の考えは持つだけで罪とする人がいるのですね。しかし私はもちろん、今あるルールはその文言に厳しく従って全ての発言をしているつもりです。ですから私のルールに厳重に従っているつもりの発言にはやはりルールに従った意見を言っていただきたいのですが、「自分で考えろ」「手取り足取り教える必要はない」で通されるから、「納得できない」わけです。そして今は「納得できないなら永久追放」まで審議されているとのこと。
- 「牧歌舎」で言えば、あれが足りないこれが足りないと言われるままに「出典」を示し、Wikipedia:独立記事作成の目安の要件を苦労して時間をかけて満たしたのですが、そうしたものをきちんと検討もしない抽象的かつ感情的な削除票が多いというだけで削除になりました。上記のように上級の管理者さんや常識ある人たちからの有効な存続票が少なからずあるにも関わらず、でした。悪貨が良貨を駆逐する光景でした。翻って他の多くの出版社や企業の記事を見ますと、「信頼すべき情報源からの有意な言及」のかけらもないものが大多数という現実があります。このことに疑問を呈すと「信号無視の論理」ということで否定され、ブロックされ、ついには永久追放というわけです。私個人にとっては「牧歌舎」の記事などあってもなくてもよく、私はただ「道理」の実現を求めつづけていただけなのですが、まあ、はっきり言って無茶苦茶が行われたわけです。しかし、この事実をここに書き残し、後世の人に検証してもらえることで、Wikipediaコミュニティの体質が徐々に改善はされていく一助にはなるでしょう。
- それにしても、私のこうした考えがまさに「大錯覚」で、私が自分の「過ち」に気づいて大悟し、根本認識の大リセットを宣言することにより、ブロックが解除される可能性も論理的にはありうるわけです。Hideokunさんは常に善意でコメントを寄せてくださることが明らかな方ですので、私が間違っており、私を抽象的に批判する方々が正しいという説明を具体的に頂けて、大逆転できることにも最後の期待をしております。それが実現しない限りは、ゲバラではありませんが、私の永久追放を画策しておられる方々に対して次のようにお願いします。「よく狙って撃て」--Ted&M(会話) 2015年4月28日 (火) 14:36 (UTC)
- Ted&Mさんが真剣にWikipediaと向き合っており、様々な思いをお持ちなことがよく伝わりました。ただ、私は今、ほぼ隠居状態であり、現状のWikipediaとは多少なりともかけ離れたところにいるかもしれません。ですので私個人の意見でよければお話できます。あくまでも私個人の意見である、という点にご留意いただければ幸いです。それでよければまた改めてお話させていただきます。--Hideokun(会話) 2015年4月29日 (水) 14:11 (UTC)
- Ccgxkさんがコメントを残されておりますが、別件ということであえてこちらでお返事させていただき、Ccgxkさんのコメントについては節を設けさせていただきいました、不適切なら戻していただいてかまいません。まず、私は議論ベタですし、要点を抑えきれていないかもしれません。その場合、そのことについて疑問があればお話していただければと思います。また、直上で長文で様々なことを書かれておりますが、今回はこれについてはあまり考慮せずに答えます。あくまでも私が今までWikipediaにおいて様々な経験や見てきたことを中心にした上で感じたことを述べさせていただきます。
- Wikipediaには様々な方針や草案があり、これが運営の根拠となっているわけですが、これはあくまでも根拠であり、それを運営するためには様々なルールがあります。これはいうなれば慣習法と言ってもいいものだと思いますが、様々な分野や記事においてそれぞれの「やり方」があります。係る人が多いページにはそれなりのルールが存在しており、それに従って皆が活動していると言っても過言ではないでしょう。そのルールを守っているからこそ係る人が多いページにもかかわらず、秩序が保たれ、記事が育って行くわけです。それを独自の手法、独自の解釈、独自のセンスで活動しようとする人がいた場合、多くの人々はその分野からの撤退、もしくはブロックされてしまうケースはよくあることで、その中でも固執している人々はブロック破りを行ってまで編集を行おうとすることからいわゆるLTA、長期あらしとして常に監視の対象となっています。さて、こう書くとTed&Mさんのこととはあまり関係無いようにみえるかもしれませんが、これは大いに関係しています。今回、Ted&Mさんが提案した「Wikipediaは何でないか」における議論ですが、これはWikipediaにおける方針、いわゆる根拠となるものを改正しようということになるのです。さて、この「Wikipediaは何でないか」ですが、最初は英語版より導入されたものですが、日本語版Wikipediaが生まれた時よりその根幹をなすものとしてずっと守られてきたものです。これを改正することはWikipediaの根幹が改正されることになり、そう簡単に改正できるものではありません。もし改正することがあるとするならば、長い議論も必要ですし、導入元である英語版のことや他言語版のことも考慮しなければなりません。そういう意味でTed&Mさんが提唱したことはTed&Mさん的には素晴らしい意見かもしれませんが、それこそ満場一致で決ってこそ改正できるものであり、安易にできるものではないのです。そしてTed&Mさんの履歴を見た上でのあの場所での議論というのは、自分の書いた記事を残したいがために改正を叫んでいるのではないかという印象を持ってしまうのも自然だと思います。Ted&Mさん的には素晴らしい意見なのですが、他の方々はそれほど素晴らしいと思っていないということもポイントです。その上で固執して意見を述べているという印象を抱かせたことも今回のブロックのひとつの要因だと思います。また、Ted&Mさんの総編集数や参加した分野を見てもまだまだ経験不足です。Wikipediaに限る話ではありませんが、Wikipediaでは皆平等であると言いながらも、やはり経験不足な方の方針や運営方法への議論への参加というのはあまり歓迎されません。これはWikipediaを知るにはある程度の月日が必要であり、Wikipediaがどういうものであるか、ということを理解できていない可能性が高いからです。また、LTAな方々が自らが活動できるようにするためにいきなり方針や運営方法への議論を提起して、力づくで改正しようとしてきたのを守ってきたという過去もWikipediaには存在します。もしTed&Mさんが上記のことを知らないのでしたらやはり経験不足だと私は思います。
- Wikipediaを知るには方針、草案などの文書を読むことも大事ですが、それだけでは足りません。削除依頼や保護依頼、その他、様々な作業がWikipedia内にはあるのです、それをある程度経験していかなければ本当にWikipediaを知ったことにはならないでしょう。現状のTed&Mさんは文書を読んで理解したということですが、私から見ると頭でっかちになっているというのが正直な感想です。
- そして私としてはTed&Mさんにもっと活動分野を広げていただけたらと思います。Wikipediaには様々な分野があります。Ted&Mさんが活動する分野は現在の分野だけではないはずです。Wikipediaの様々な分野で活動して記事の書き方を覚え、そして様々な議論を見て経験を貯めていただき、その上でWikipediaの現状を知っていただいてその上で自分の意見と他の方の意見の相違を確認していただけたらと思うのです。
- Ted&Mさんの履歴を確認して議論もある程度読んだ上での私なりの意見ですので、Ted&Mさん的には納得いかないこともあると思います。ただ、ブロック解除という目標を持っているということでしたら、耳の痛い意見をある程度甘受してほしいと思います。別に媚びへつらい謝れというわけではありません。まずWikipediaに慣れることこれがTed&Mさんに必要なことだと私は考えています。--Hideokun(会話) 2015年5月2日 (土) 10:47 (UTC)
こんにちは
[編集]こんにちは。突然の書き込みで申し訳ございません。以前少々コメントさせていただいたことはありますが、こういった形でTed&Mさんとお話しさせて頂くのは初めてでしょうか。Ccgxkと申します。さて、以前からTed&Mさんのお名前は(色々な意味で)度々拝見していたのですが、Ted&Mさんのブロックレベル変更依頼が提出されているとのこと、野次馬根性に見えるかもしれませんが、もしかしたらお話しできる最後の機会なのかもしれないと思い、コメントさせて頂く次第です。
さて、Ted&Mさんが追放に準ずるような処分を受ける事態に陥ってしまった経緯について、事細かに拝見していた訳ではありませんし、憶測や風評等に基づく意見となってしまうとは思いますが、主な理由としては1回目のブロック依頼にも多々挙げられていた「コミュニティを疲弊させる利用者」という事で間違いないと感じています。Ted&Mさんには悪気がなく、ただ純粋に理屈を説明して欲しいという気持ちであったと思うのですが、(対応する側≒ブロック依頼を提出する側にとっては)その態度が「いつまでも納得しない、教えてくれくれ君」と映ったのでしょう。「初心者には親切に」を錦の御旗に掲げ、コミュニティの決定に納得しない姿勢を見せ続ける利用者としての印象が残ってしまったのだと思います。
その後、Ted&Mさんは現状のWikipediaに疑問を感じられたのでしょう、ルールの改訂を提起しておられますが、上記の件でいわば「ヘイトを集めた」、面倒な人だという印象を持たれていた為に受け入れられることがなかったのだと思います。Wikipediaには様々なルールがありますが、やはり最後は人の手で運営されるプロジェクトです。一度強く根付いてしまった印象を覆す事はやはり難しく、トントン拍子にコメント依頼、ブロック依頼へと事が進んでしまったのではないでしょうか。
加えて、Ted&Mさんは、問題の当初、宣伝が疑われていた牧歌舎の削除依頼において明確に削除に反対し、ルールの曲解であると主張されておられます。その印象が強かったのでしょう。その後の全ての行動が、牧歌舎のためだけに行われていると判断されてしまったようです。Ted&Mさんの何が間違っていたのか、明確に判断することは私にはできませんが、ウィキペディアは規則主義ではありません。Ted&Mさんが納得されていない問題の数々は、こちらから見ると規則にこだわり過ぎているように見えます。最終的にはコミュニティの議論の結果が優先されるべきであり、規則は「よくある議論の明文化」であるとお考えください。これが私の答えの1つです。
最後に免責めいた文言で申し訳ないのですが、これはコミュニティを代表したものではありません。私がある程度距離を置いて拝見してきた感想のようなものだとお考えください。また、随所にTed&Mさんの意向の曲解であったり、勘違い、それに基づく批判等あるかと思いますが、どうかお気を悪くなさらずにお読みいただければと思います(普通は最初に持ってくるべきものですね…)。乱文失礼いたしました。--【会話】Ccgxk【投稿記録】 2015年4月30日 (木) 12:54 (UTC)