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{{Pathnav|frame=1|競馬|日本の競馬}} |
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{{独自研究|date=2014年2月}} |
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{{読み仮名|'''地方競馬'''|ちほうけいば}}とは、日本で[[勝馬投票券]]の発売を伴う[[競馬]]における法令上の興行形式のひとつである。本記事では日本の[[地方公共団体]](都道府県、市区町村)が主催する公営競馬(平地競走)について詳述しているが、外国における比較的小規模の競馬についても触れる。 |
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{{出典の明記|date=2014年2月}} |
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[[ファイル:Tokyo Grand Prix 2005.jpg|thumb|right|平地競走のレース風景(第51回[[東京大賞典]]、[[2005年]])]] |
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'''地方競馬'''(ちほうけいば)とは日本における競馬の興行形式のひとつである。 |
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* [[地方競馬規則]]([[1927年]][[8月27日]] [[農林省|農林]]・[[内務省 (日本)|内務]][[省令]])が制定されたことにより始められた競馬。主催者は畜産組合、畜産組合連合会、または(投票権付入場券を発行しない場合は)馬匹改良を目的とする団体。[[1939年]][[4月7日]]に[[軍馬資源保護法]]が公布されたことにより「軍用保護馬鍛錬競走」へと移行した。 |
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* 現行の[[競馬法]]に基づき[[都道府県]]・競馬場が所在する[[市町村]]あるいは左記の[[地方公共団体]]で構成される[[一部事務組合]]が施行する[[競馬]]である。地方公共団体等が施行することから「{{ルビ|'''公営競馬'''|こうえいけいば}}」という呼称で呼ばれることもあるが正式な呼称は「'''地方競馬'''」であり、[[日本中央競馬会]](JRA)の施行する「'''[[中央競馬]]'''」と対をなす法令用語となっている(競馬法第1条第5項)。[[地方共同法人]]の[[地方競馬全国協会]](NAR)が地方競馬全体を統括している。 |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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1948年7月に制定された[[競馬法]]の下で地方公共団体によって主催される[[公営競技]]<ref name="NAR_about" />であり、[[日本中央競馬会]](JRA)の主催する「'''[[中央競馬]]'''」と対をなす法令用語となっている<ref name="keibaho0105"/>。2013年4月現在は14の主催者により全国17か所の競馬場(開催が行われていないものも含む)<ref name="NAR_about" />で[[平地競走]]と[[ばんえい競走]]が施行され<ref name="NAR_race" />、競馬法に基づく[[地方共同法人]]の[[地方競馬全国協会]](NAR)がこれを統括する。 |
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現在の日本における地方競馬は、都道府県または総務大臣により指定を受けた市町村により施行される競馬であると競馬法に定義されている。過去には競馬場が所在しない市町村も競馬を開催していたが[[昭和]]40年代の法改正により著しく災害を受けた市町村と競馬場が所在する市町村に限定されている。 |
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戦前の[[公認競馬]]から[[国営競馬]]を経て、政府によって出資される[[特殊法人]]である日本中央競馬会によって施行されている現在も国庫への納付金を課せられている中央競馬に対して、現在の地方競馬は[[都道府県]]ないしは競馬場が所在する[[総務大臣]]が指定した市町村、または左記の[[地方公共団体]]で構成される[[一部事務組合]]が施行する[[競馬]]である<ref group="注">甚大な戦災・天災被害を被った地方公共団体も競馬を施行することができるほか、[[特別区]]については例外措置として総務大臣の指定市同等として扱われる。</ref><ref name="keibaho0102"/>。 |
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{{要出典範囲|地方競馬など[[公営競技]]は長年にわたり地方自治体の貴重な収入源となってきたが、近年[[パチンコ]]産業との競合や一般大衆の「ギャンブル離れ」の影響を強く受けて不採算化が著しく競馬などの公営競技事業そのものを廃止する事例が出てきた。|date=2014年2月}} |
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2014年現在、日本での馬券発売を伴う競馬全体において在籍頭数のおよそ6割、競走数の約8割を占める<ref group="注">地方競馬側はばんえい競馬のものも含める。</ref><ref name="jratousuu"/><ref name="jrakaisuu"/><ref name="narh25"/>。[[勝馬投票券]]における払戻率は70〜80%であり<ref name="narkojo"/><ref name="keibahohusoku04"/>、その収益は主催自治体の畜産の振興、社会福祉の増進、医療の普及、教育文化の発展、スポーツの振興、災害の復興に充てられるほか<ref name="keibaho2309"/>、競馬を主催していない地方公共団体に対しても[[地方公共団体金融機構]]の貸付金利引き下げによって還元される<ref name="kokyokinyu"/>。また、地方競馬全国協会を通じても広く馬の改良増殖や畜産振興のために用いられている<ref name="nar"/>。しかしながら、1990年代以降は景気後退や娯楽の多様化などによって開催成績は低迷を続け、競馬事業を廃止する自治体も現れている<ref name="chihokeibashi05151"/>。 |
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== 地方競馬の歴史 == |
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=== 概要 === |
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前述のように戦前の地方競馬は畜産組合連合会や畜産組合などが主催して行われ[[太平洋戦争]]中は[[軍馬資源保護法#軍用保護馬鍛錬競走|軍用保護馬鍛錬競走]]として行われた。戦後は一時根拠法が存在しない状態が生じたが、[[1946年]][[11月20日]]に[[地方競馬法]]が制定され再び馬匹組合・馬匹組合連合会の主催で行われることとなった。その後それらを主催者とすることが独占禁止法に抵触するという指摘が[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]によってなされ、[[1948年]][[7月13日]]以降は[[競馬法]]に基いて地方自治体の主催で行われるようになった。 |
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戦前は草競馬と蔑まれた地方競馬も、戦後の一時期は平日開催が可能でかつ開催数が多いことが追い風となり好景気を迎えたこともあった。開催数が多いことで賞金総額は国営競馬の2倍近くとなり、1950年にはダービーの有力候補や天皇賞好走馬(エゾテッサン、二着入線後に失格)が続々と地方競馬入りするといったこともあった<ref>「国営を追い越す地方競馬 ファンの人気移る 有力馬も続々登録替え」『日本経済新聞』昭和25年11月17日</ref>が、中央競馬の巻き返しにより再び人気は逆転していった。激しい淘汰の時代を経て、2011年には主催団体が15にまで減少。売り上げは3314億円まで減少した。その後2013年に福山競馬が廃止されたものの、JRAのIPAT投票での発売開始や日本経済の好転に伴って売り上げが急激に回復し、中にはバブル期を上回る過去最高の売り上げを記録する競馬場も出てきている。2022年度の全国総売上は1兆703億5968万3860円に達し、史上初めて1兆円を超えた<ref>[https://www.nikkansports.com/keiba/news/202303310002114.html 22年度の地方競馬総売得金が初の1兆円超え、1日平均の8億円も過去最高記録を更新] - 日刊スポーツ、2023年3月31日、2023年4月1日閲覧</ref>。 |
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終戦直後の地方競馬は戦災復興の名目の下、地方自治体の財源を確保するために行われた。そのため売上が好調であったにもかかわらず終戦後一定期間が経過したことにより競馬開催を廃止した競馬場も存在する。開催を続行した競馬場は[[1990年代]]以降総じて売り上げの低下が問題化し、財政の悪化を理由として開催を廃止するものが相次いでいる。 |
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=== 競走馬の登録・格付け === |
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[[File:Senor best 20140101.JPG|thumb|right|平地最多出走回数記録を更新した[[セニョールベスト]]]] |
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かつての地方競馬では[[アングロアラブ]]による競走が盛んにおこなわれていた。中央競馬所属のアングロアラブはすべて[[抽せん馬]]であったのに対し地方競馬所属のアングロアラブにはそのような制約がなかったため、一般に中央競馬よりも質の高い競走馬が確保された。しかし[[1995年]]以降[[日本の競馬#中央競馬と地方競馬の交流|中央競馬と地方競馬の交流]]が進む中、サラブレッドの導入を積極的に行う競馬場が相次いで現れ、その影響を受けてアングロアラブによる競走は全国的に縮小されていき[[2009年]]にアングロアラブの単独での競走に終止符が打たれた。 |
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競走馬の登録は地方競馬全国協会が行い<ref name="nar" />、競走馬の格付け(クラス分け)は各主催者(地区)の区分によって行われる。格付けは各馬がレースで獲得した本賞金に各主催者(地区)が定める補正を行った'''番組賞金'''によって定められ、各主催者(地区)とも3段階(A・B・C)の大区分を基本としているが、各主催者(地区)ごとに年齢・収得賞金・着順のポイント換算など基準は異なる。主催者(地区)によっては前述の大区分に数字を組み合わせ、「A1・A2・B1…」のように細分化されることもある<ref name="kakuduke"/>。[[兵庫県競馬組合]]は競走馬の格付けに独自のポイント制を採用している<ref name="sonodakakuduke"/>。南関東地区でも2024年1月1日から番組賞金に代わってポイント積算方式を全面導入することが発表され、2歳馬については2023年4月1日から先行導入が開始されている<ref>[https://www.nankankeiba.com/news_kiji/13427.do 南関東4競馬場における番組編成のための新たな格付制度の導入(格付ポイント制)および2歳馬の先行導入に関わるお知らせ] - 南関東4競馬場、2023年2月20日配信・閲覧</ref>。 |
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{{See also|日本の競馬の競走体系#地方競馬}} |
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なお、中央競馬における初出走馬にはゲート試験が課せられているが<ref name="gatejra"/>、地方競馬ではそれに加えて基準タイム以上で模擬競走を走破する'''[[能力試験]]'''{{Refnest|group="注"|ばんえい・岩手では「能力検査<ref name="能力検査(ばんえい)" /><ref name="能力検査(岩手)" />」、ホッカイドウ競馬では「競走能力・発走調教検査<ref name=noken_hokkaido />」、大井では「能力・調教試験<ref name=noken_oi />」と呼称され、主催者により名称は異なる。}}が行われる<ref name="kayokonoushi"/>ほか、転入馬や長期休養明けの競走馬には同様の'''調教試験'''が実施される<ref name="kuribayashi"/>。 |
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== 地方競馬が抱える問題 == |
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=== 地方競馬の廃止・存続問題 === |
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==== 概要 ==== |
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{{要出典範囲|地方競馬を含む公営競技は長年にわたり地方自治体の貴重な収入源となってきた。しかし近年、[[バブル崩壊]]以後の不況の長期化、一般大衆のギャンブル離れ、公営競技施設・レース数の過剰、レジャーの多様化、射幸性が高まり事実上ギャンブル同然の存在である[[パチンコ]]・[[パチスロ]]との競合などさまざまな要素が原因となって収益が悪化していった。|date=2014年2月}} |
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=== 調教師・騎手・馬主 === |
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管轄する官庁・競技団体や選手会・主催者・関連業者等が基本的に一枚岩となって業界を守り既存の開催場を維持していこうとする他種競技(競輪、競艇、オートレース)と異なり地方競馬においては管轄である[[農林水産省]]の下に競馬主催者である「[[日本中央競馬会]](JRA)」と地方競馬のコミッショナー的役割のみを果たす「[[地方競馬全国協会]](NAR)」という2つの特殊法人がある構造('''競馬の二層化構造''')であり、なおかつ地方競馬の主催者同士の間でも一枚岩ではなく、それぞれの主催者が特定の地域のみに限定された興行を実施してきた<ref>例えば、十数年前まで地方競馬主催者はその所在する地域外に場外発売所を設置することは認められなかった。</ref>。 |
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[[File:Manabu-Tanaka20110815.jpg|thumb|right|父[[田中道夫]]と同じ勝負服を受け継いだ[[田中学]]騎手]] |
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[[調教師]]や[[騎手]]など競馬関係者の免許は地方競馬全国協会より付与され<ref name="nar" />、免許試験も地方競馬全国協会が行う<ref name="NAR_work" />。騎手や調教師の養成や研修を行う施設として、[[栃木県]]に[[地方競馬教養センター]]がある(ばんえいの養成は行っていない)<ref name="chihokeibashi05354"/>。 |
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[[厩務員]]は[[競馬学校|JRA競馬学校]]の卒業が義務づけられている中央競馬と異なり、地方競馬の場合は特別な試験を必要とせず、厩務員を希望する者は各地方競馬の[[厩舎]](調教師)と直接雇用契約を結ぶ<ref name="NAR_work" />。近年は日本人のなり手不足が深刻になり、2018年にホッカイドウ競馬が初めて外国人厩務員の採用を解禁して以来、ほかの地方競馬でも主にインド人を中心に外国人厩務員の採用が増えている<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/sports/etc/20241018-OYT1T50108/ 地方競馬で外国人厩務員急増、6年前から採用開始し現在340人超…その大半はインドから] - 読売新聞、2024年10月18日、2024年10月19日閲覧</ref>。 |
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[[大井競馬場]]の様に「トゥインクルレース」と銘打ったナイター競走の開催、施設の大幅な改築・改善、メディアを活用した若者層の取り込みなどを行った結果、収益が安定した例もあるがこうしたケースは非常に希有な例であり全国の一等地に競馬場・場外発売所を構え電話投票やメディア展開を全国的に行ったJRA(そのため地方競馬とも競合することになる)に対し大半の地方競馬は競馬場本場の売上げだけに依存する赤字体質から脱却できていない。 |
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開催執務を担う人材は、各主催者の職員が[[地方競馬教養センター]]で研修を受けるなどして業務に就いているほか、主催者の要請に応じて一部は地方競馬全国協会からも派遣されている<ref name="chihokeibashi05354"/>。 |
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本場依存体質を脱却できる可能性のあったその電話投票においても[[岩手県競馬組合|岩手]](「R-CALL」レーシングコール)・[[南関東公営競馬|南関東]](南関東4競馬場電話投票システム[[SPAT4]])・[[兵庫県競馬組合|兵庫]](テレジョッキー園田・姫路)などの主催者が自らで立ち上げた電話投票システムがあるにも関わらず主催者の売上げに応じた分担金(黒字・赤字に関わらず売上げの1.4%)で運営されているNARが地方競馬共同在宅投票システム、いわゆる「[[D-net]]」を後発で立ち上げ道営・岩手・兵庫のシステムを吸収した後に[[2005年]]12月にD-net参画主催者の承認もあいまいなままにソフトバンクグループ(オッズパーク)に身売り同然で全ての権利を売却してしまうなど足並みの乱れや方向性の不透明さが見られる。[[2007年]]度においてもD-netを中心とした主催者(オッズパーク系主催者)推薦による「オッズパークグランプリ」がJBCの直後に実施されNARのホームページや広告展開などにおいても「オッズパークグランプリ」や「SJS」「LJS」といった騎手招待競走がダート競馬の祭典といわれるJBCよりも大きく扱われるなど、NARの求心力・存在感の低下とそれに反比例したオッズパークの躍進ぶりが目立っている。 |
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騎手は原則として必ずいずれかの競馬場の厩舎に所属することとされている<ref name="NAR_work" />が、[[南関東公営競馬]](浦和・大井・船橋・川崎)と兵庫県競馬組合(園田・姫路)では、所定の要件を満たした騎手に限って特定の厩舎に所属しない「[[騎手会所属騎手]](中央競馬のフリー騎手に相当)」の制度を導入している<ref name="騎手会所属騎手" /><ref>[https://www.daily.co.jp/horse/local/2022/04/21/0015237715.shtml 【地方競馬】兵庫競馬でも騎手会所属制度 広瀬航がフリー第1号] - デイリースポーツ(神戸新聞社)、2022年4月21日配信、2022年4月26日閲覧</ref>。また、ミスターピンクの異名で知られる[[内田利雄]]騎手は、[[宇都宮競馬場]]の廃止後、厩舎どころか競馬場にすら所属しない完全フリーの騎手として活躍していた時期がある。 |
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既に廃止された[[上山競馬場]]や[[福山競馬場]]、[[高崎競馬場]]、現存する[[ばんえい競走|ばんえい競馬]]、[[名古屋競馬場]]、[[高知競馬場]]などでは「[[個人協賛競走]]」として個人・団体から小額の協賛金などで希望の名前の冠競走を開催するなどさまざまな方策も行ってはいるが決定的な一打にはなり得ていない。{{要出典範囲|[[2004年]]の高知競馬場では[[ハルウララ]]人気による収益増加が起きたが一過性のものに過ぎず、また特定の競走馬頼みのものであったことからその馬主の言動に振り回される有様であった。ハルウララ引退後の現在では具体的かつ可及的な見通しも立てられない状況であり、ナイター開催など収支改善を目指しての必死の模索を続けている。|date=2014年2月}} |
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騎手がレースの際に着用する[[勝負服 (競馬)|勝負服]]は、原則として騎手ごとに固有の服色('''[[勝負服 (競馬)#地方競馬|騎手服]]''')である<ref name="kawasakikishuhuku"/>が、ホッカイドウ競馬と南関東公営競馬では例外的に馬主固有の服色(馬主服)を着用しての騎乗を認めている場合もある<ref name="HR_umanushifuku" />。なお、中央競馬は馬主服が原則のため、地方競馬の騎手が中央競馬で騎乗する場合も馬主服を着用する。また、地方競馬の競走馬が中央競馬で行われる交流競走(後述)に出走する際、馬主が日本中央競馬会に登録されていない場合は「交流服」と呼ばれる専用の服が日本中央競馬会より貸与される<ref name="用語辞典_貸服" />。 |
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{{独自研究範囲|また、競馬主催者を指定できる[[総務省]]管轄の特殊法人である[[公営企業金融公庫]](現「[[地方公共団体金融機構]]」)へ売上の約1.2%(率は暫定税率であるがガソリン税同様、既に既定事実化。ただし、平成22年度以後は1.0%に引き下げられ、累積赤字のある主催者は納付を免除されている)を拠出しているのも見逃せない(当時は競馬を主催すれば必ず黒字になる時代であったので、他の「競馬を実施しない地方自治体に対しての均てん化」が必要との名目で始められたものである。なお、この納付金は公営企業債の返済金名目で公営競技を主催していない自治体に配分されている)。結果として2004年度には主催者すべてが赤字という状態になり、全国合計の赤字額も189億円に達している。さらには地方自治体への収入減になっているどころか逆に公営競技への赤字補填を行わざるを得ない状況で、このまま赤字が累積した状況が続くと自治体諸共に破綻しかねない状況だと言われる。このため自治体にもよるが地方競馬や競輪をはじめとする公営競技の存廃問題については、その公営競技の収支以前の部分で自治体そのものの財政難や、その財政難の原因となっている地域経済自体の斜陽化、さらにその原因である過疎化や地域を支えてきた主要産業の衰退という要素や、地域経済の低迷による馬主の減少などが少なからず存廃問題を発生させる実際の下地となっており、そもそものところでもはや地域経済が公営競技のような庶民の娯楽すらまともに維持できないレベルにまで落ち込んでいると言わざるを得ないケースも少なくない。|date=2014年2月}} |
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騎手は原則として所属する競馬場(地区)内のみでの騎乗となるが、2000年代以降は他地区の地方競馬で[[期間限定騎乗騎手|期間限定騎乗]]を行ったり、重賞競走でスポット騎乗を行うなど、活躍の場が広がりつつある<ref name="chihokeibashi05098"/>。[[吉原寛人]](金沢)は各地の地方競馬で重賞を勝つなど活躍し、2024年には史上初となるばんえいを除く地方競馬全14場での重賞制覇を達成した<ref>[https://www.nikkansports.com/keiba/news/202402220001132.html 吉原寛人騎手が地方競馬全14場重賞制覇の偉業達成!相棒はリケアサブル/兵庫ユースカップ] - 日刊スポーツ、2024年2月22日配信、同日閲覧</ref><ref>[https://tospo-keiba.jp/breaking_news/42267 吉原寛人が地方競馬全14場で重賞制覇 ラストは姫路で史上初の快挙達成! 門別・盛岡・水沢・浦和・船橋・大井・川崎・金沢・笠松・名古屋・園田・高知・佐賀を制圧] - 東京スポーツ、2024年2月22日、2024年2月23日閲覧</ref>。このほか、2007年に[[韓国の競馬|韓国競馬]]へ長期遠征を行った[[倉兼育康]]{{Refnest|group="注"|倉兼はその後も遠征を繰り返し、2014年には[[ソウル競馬場]]の最優秀騎手に選出されている<ref name="narkorea"/><ref name="kurakanekorea"/>。}}を先駆者として、海外競馬への遠征を行う騎手も現れるようになった。また、多くの女性騎手が各地の地方競馬で活躍していることも特徴となっている<ref name="NAR_work" />。 |
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他方では浦和競馬場が経営努力・合理化の徹底や同ブロック他場(大井・川崎・船橋)との連携強化などによって作り出した単年度黒字を地道に積み重ねピーク時は25億円を超えた累積赤字が2009年には全額解消に成功し、一時期は埼玉県議会でも取りざたされた廃止論議に事実上の終止符を打つことに成功している。 |
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[[馬主]]の審査・登録も地方競馬全国協会が日本中央競馬会とは別に行っており<ref name="nar" />、必要とされる所得額は個人馬主の場合で500万円以上となっている{{Refnest|group="注"|そのほか、所得が500万円以下の場合でも、資産の状況などによっては登録となる場合があるとされている<ref name="umanushi"/>。}}<ref name="umanushi"/>。 |
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<ref>約21億円の累積赤字を理由に廃止され、平成の公営競技廃止の端緒となった[[中津競馬場]]では、廃止早々に跡地利用として「水の杜」構想という公園設置などの公共事業が立案・実施され[http://www.city-nakatsu.jp/shihou/15-08-01/15-08-01mizunomori.html]、これには競馬の累積赤字の額を遥かに上回る40億円以上とも言われる金額が投じられた[http://www.kochinews.co.jp/rensai03/keiba38.htm]。</ref>。そのため、地方議会や首長の選挙などで赤字を名目として競馬場の廃止と跡地利用を公約に訴える者が現れるなど競馬場の存廃論議が政争の種や選挙の集票の材料として持ち出されることも珍しくない。 |
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=== 競走・競馬番組 === |
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[[ファイル:Kanesa-black 2013obihirokinen.jpg|thumb|right|ばんえい競走で第2障害を越えるばん馬(第35回[[帯広記念]]・[[カネサブラック]])]] |
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こうした厳しい状況の中、[[情報技術|IT]]企業の[[ライブドア]]が地方競馬経営に参入するという動きを見せた。2005年1月より[[競馬法]]が改正され馬券発売などの民間委託が可能になること、経営難の地方競馬を立て直すことができれば格好のビジネスになるという狙い、さらに当時の社長の[[堀江貴文]]が自ら競走馬を持つほどの競馬ファンでもあることがその要因であった。 |
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[[File:Love Michan 20091216W1.jpg|thumb|right|[[地方競馬スーパースプリントシリーズ]]の最終戦である[[習志野きらっとスプリント]]を三連覇した[[ラブミーチャン]]]] |
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地方競馬の平地競走は1周850メートル以上の走路でサラブレッド系の馬によって行われ、スタートからゴールまでのスピードを競う<ref name="NAR_race" />。ばんえい競走は日本で生まれた独自の競走形態で、体重1トン前後の重種馬が騎手とおもりを載せた鉄製のそりをひき、途中に2つの障害(台形状の小さな山)を設けた直線200mのセパレートコースでパワーとスピードを競う<ref name="NAR_race" />。 |
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地方競馬の競馬番組は「2歳」「3歳」「一般(3歳以上の古馬)」の年齢区分で番組編成が行われ、各馬の格付け(前述)に基いて出走可能なレースが決められる<ref name="kakuduke"/><ref group="注">ばんえい競走においては、「2歳」「3歳」「3歳以上」ではなく「2歳」「3・4歳」「3歳以上」の区分が用いられる。[[ばんえい競走#公営競技のクラス編成]]を参照。</ref>。 |
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高崎・笠松・高知などいくつかの主催者がライブドアと交渉を行い、一時は高知がライブドアとの提携を正式に発表した他、岩手など複数の主催者がこのプランに関心を示していた<ref>高崎競馬場はライブドア側が運営プランを期限までに出さないなど不信感を持った結果、最終的に断念した。笠松も交渉が遅々として進展しない間にライブドア事件が発覚し、交渉は打ち切りとなった。</ref>。ライブドアは馬券のネットによる全国販売、レース中継のストリーミング配信、競馬場や地方競馬自体のイメージ改善といった収益改善策を大々的に打ち出し、今後この成否が地方競馬の将来の鍵を握るとして期待されていた。 |
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重賞競走は各主催者(地区)が個別に定めた独自のグレード表記を行うところもある<ref name="南関東格付" />ほか、中央競馬と地方競馬の所属に関わらず出走できるダート交流重賞は[[日本グレード格付け管理委員会]]の承認を受けた格付表記(国際競走はG表記、日本調教馬限定競走はJpn表記)が用いられ、「[[ダートグレード競走]]」として総称される<ref name="NAR_GDR" />。このほか、中央競馬の下級条件馬が出走する「条件交流競走」や地方競馬のみの全国交流競走、さらには地域限定の交流競走や騎手のみの交流競走も幅広く行われている<ref name="NAR_koryu" />。大井競馬場では、[[韓国馬事会]](KRA)との国際交流競走を2013年より2016年までの4回実施した<ref name="日韓交流競走" />。 |
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だが後に改善策はライブドアの一方的な主張・パフォーマンス行為に過ぎず実現性に乏しいプランばかりであったこと、また交渉は手数料の歩合ばかりが最優先され具体的な販売振興策や収益改善策などの提案が全くなされていなかったことなど、ライブドアの掲げた競馬参入計画はそれ自体がパフォーマンスに過ぎない画餅であったことが露呈し、主催者側に時間とコストを徒に空費させるだけの結果になった。さらにライブドアに[[証券取引法]]違反容疑など一連の[[ライブドア事件]]が発覚し堀江が[[逮捕]]され、これと前後して高知も提携を解除している。 |
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また、複数の重賞競走をシリーズ化した競走も行われ、一部のシリーズ戦は着順に応じたポイント等で各馬の順位を決め、上位馬にボーナス賞金を与えている。全国規模でのシリーズ競走は以下の通り。 |
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一方、[[ソフトバンク]]も子会社のソフトバンク・プレイヤーズを通じてこれまで地方競馬の場外馬券販売を担当してきた[[日本レーシングサービス]](NRS、NARの子会社)からD-netを買い取り、レース中継のネット配信やネットでの馬券販売を両者の共同出資による[[オッズパーク]]株式会社で進めていくこととなった。しかしNARの解散問題も絡んだためかNRSの「まず売却ありき」の姿勢が目立ち、D-net参画主催者(12主催者)への説明・承認が後手後手に回ってしまっていた。2006年4月より4競馬場で、7月には11競馬場に拡大してオッズパークが馬券の販売を始めた。このオッズパークにはホッカイドウ競馬は参加していない。ただし、従来のD-netでの投票は可能である。 |
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* '''[[ダービーシリーズ]]'''<ref name="derbyweek2014"/> - 各地の8競馬場で行われる「ダービー(3歳馬のチャンピオン決定戦)」を短期集中施行(2006年から2023年まで)。 |
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* '''[[GRANDAME-JAPAN]]'''<ref name="grandam2014"/> - 世代別(2歳・3歳・古馬)の牝馬重賞シリーズ戦。ポイント上位馬にはボーナス賞金を授与。 |
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* '''[[未来優駿]]'''<ref name="mirai2014"/> - 秋に行われる各地の2歳馬による主要競走を短期集中施行。 |
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* '''[[地方競馬スーパースプリントシリーズ]]'''<ref name="sss2014"/> - 1000m以下の短距離競走で構成されるシリーズ戦。各地区ごとに予選となるトライアル競走を行い、それらの上位馬で行われるファイナル([[習志野きらっとスプリント]])でチャンピオンを決定する(2011年から2023年まで)。 |
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* '''[[3歳秋のチャンピオンシップ]]'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.keiba.go.jp/3saiaki2020/|title=3歳秋のチャンピオンシップ2020|publisher=地方競馬全国協会|accessdate=2021-01-28}}</ref> - 各地の3歳馬限定重賞競走を戦った有力馬が盛岡競馬場で実施される[[ダービーグランプリ]]へ集い、地方競馬の3歳チャンピオンを争う。ボーナス賞金のほか、JBC出走奨励金の制度もある<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.keiba.go.jp/topics/2020/10/0418250714963.html|title=3歳秋のチャンピオンシップ2020 フレッチャビアンカ(岩手)に地方競馬全国協会競走振興事業としてボーナス賞金支給|publisher=地方競馬全国協会|date=2020-10-04|accessdate=2021-01-28}}</ref>(2017年から2023年まで)。 |
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騎手交流競走には、以下のようなシリーズ戦がある。 |
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この様な状況下でやはりIT企業である[[楽天]]が2006年3月に南関東4競馬場と2006年5月には残りの地方競馬全場の馬券販売業務を受託し、他のIT企業に先駆け[[2007年]][[2月27日]]に初めて地方競馬全場の馬券の取り扱いを始めた。また、[[旭川市]]・[[岩見沢市]]・[[北見市]]の開催撤退により存廃の岐路に立たされていた[[ばんえい競走|ばんえい競馬]]でも、ソフトバンク・プレイヤーズの子会社「オッズパーク・ばんえい・マネジメント」が[[帯広市]]による単独開催を支援し、2011年度まで運営にかかる一部業務を受託していた。 |
|||
* '''[[地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップ]]'''<ref>[https://www.keiba.go.jp/sjt2015/gaiyou.html スーパージョッキーズトライアル2015特設サイト(シリーズ概要)] - 地方競馬全国協会、2015年6月14日閲覧</ref> - 中央競馬で行われる「[[ワールドオールスタージョッキーズ]](2014年までは[[ワールドスーパージョッキーズシリーズ]]<ref name="ssj2014"/>)」に出場する地方競馬代表騎手の選抜を目的とした競走シリーズ戦。 |
|||
* '''[[ゴールデンジョッキーカップ]]'''<ref name="ゴールデンジョッキーカップ" /> - 通算2000勝以上を記録した地方競馬・中央競馬の騎手のみで争われる競走シリーズ。 |
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* '''[[佐々木竹見カップ ジョッキーズグランプリ]]'''<ref name="takemicup" /> - 地方競馬の騎手として通算7151勝(ほか中央競馬で2勝)などの記録をもち、「'''鉄人'''」「'''地方競馬の至宝'''」の異名もつけられた[[佐々木竹見]]の功績を称え、地方競馬・中央競馬の代表騎手を招待して行われる競走シリーズ。 |
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* '''[[全日本新人王争覇戦]]'''<ref name="全日本新人王争覇戦" /> - 地方競馬・中央競馬からデビュー3年以内の若手騎手が集い、新人王の称号をかけて争う競走シリーズ。 |
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* '''[[レディースジョッキーズシリーズ]]''' - 地方競馬の女性騎手のみで争われる競走シリーズ(2006年 - 2011年、2021年 - )。 |
|||
* '''[[レディスヴィクトリーラウンド]]'''<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.keiba.go.jp/lvr2020/|title=LVRレディスヴィクトリーラウンド2020|publisher=地方競馬全国協会|accessdate=2021-01-28}}</ref> - 2016年から2020年まで開催された地方競馬の女性騎手のみで争われる競走シリーズ。 |
|||
[[ホッカイドウ競馬]]では馬産地に近い特性を生かし、1着馬の馬主または生産牧場へ副賞として特定[[種牡馬]]の種付権を与える「'''[[ホッカイドウ競馬#その他の競走|スタリオンシリーズ競走]]'''」を行っている<ref name="hokkaidosta2014"/>。その後、岩手や東海地区・兵庫でも「[[HITスタリオンシリーズ]]」の名称で行われるようになった<ref name="HIT2014"/>。また一部の競馬場では、数万円程度の協賛金と副賞を提供することで、競走の冠命名権などのサービスを含んだ'''[[個人協賛競走]]'''を行うことができる。 |
|||
しかし、これらについては、競馬ファンが高齢化していくなかネットやパソコンの経験もない者も多く、こうしたファン層をうまく維持し取り込めるかという問題があるほか、若者層の確保や膨大な累積赤字の解消、パチンコ・パチスロ産業との競合など課題は多く、すぐに収益になるというのは難しいのではないかという見方もある。一方、SPAT4は南関東4競馬場(大井・川崎・船橋・浦和)による連携がうまくいっていること、[[ネットバンク]](ジャパンネット銀行・楽天銀行など)を利用したシステムが好調なことなどから売上げが上向いており、2006年からは新たに提携したホッカイドウ競馬の馬券購入が可能になるなど独自の展開を続けている。 |
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=== 表彰制度 === |
|||
全国規模の表彰として地方競馬全国協会が'''[[NARグランプリ]]'''を1990年度より行っている<ref name="nar2014"/>ほか、[[日本プロスポーツ協会]]の加盟団体として'''[[日本プロスポーツ大賞]]'''での受賞資格を有する<ref name="prosports"/>。また、[[南関東公営競馬|南関東地区]]が優秀騎手・功労調教師らの表彰を行い<ref name="nankan2014"/>、[[兵庫県競馬組合]]が別途年度代表馬や各部門賞を選定している<ref name="hyogo2014"/>など、各主催者・地区単位でも独自の表彰制度を設けている。[[岩手県競馬組合]]では、馬事文化賞の表彰も行われている<ref name="iwate2014"/>。 |
|||
{{独自研究範囲|その一方で、政府の構造改革の一環として公営競技に関わる[[特殊法人]]の改革も進められている(ちなみに[[日本中央競馬会]]も特殊法人のひとつである)。2008年[[1月1日]]には競馬法の改正によりNARを解散し、地方競馬主催者の共通の利益となる事業などを実施する公的な地方共同法人として新「地方競馬全国協会」が設立された。NARがこれまで担ってきた馬主や競走馬の登録、調教師や騎手の免許交付だけでなく新法人では各競馬場の運営にも直接関われるようになり全国規模で騎手や競走馬の移動が容易になることから、レース内容の向上が見込める。また新法人からの集中投資によって、施設整備や宣伝活動も大規模に実施可能になる。 |
|||
しかしながら上記の「競馬の二層化構造」が解消されたわけではないため競輪などの他種競技は監督官庁自らが積極的に経営改善などに乗り出しているのにひきかえ農水省はJRAの売上確保が第一、地方競馬についてはJRAの邪魔をせずに現状通りの天下り先を確保できればあとはただ傍観しているのみという状況は変わらないと考えられる。新共同法人における人事も理事長を除けばNARに[[横滑り]]していると指摘されている。また以前は農林水産省下の特殊法人ということで押さえ込まれていた「自治体ごとの出資額の割合や運営権を巡った自治体間での対立」「自助努力が求められることによる不採算競馬場の廃止の増加」「それまで商圏を奪ってきたことに対しJRAが渋々出資させられていた地方競馬への補助の継続性(これはJRAから見た主観に過ぎず、地方競馬との競合は前述の通りである)<ref>競合の例として完全に商圏が競合する南関東では平日中心の開催をせざるを得ない、ホッカイドウ競馬もかつて土日開催を行っていたが中央競馬の場外発売の充実により撤退、土日開催中心のばんえい競馬は道都・札幌圏での場外施設が長らくなくやはり土日中心の東北地方は長らく中央競馬の場外施設がなかったが交流販売の結果上山が廃止・岩手が所有していたテレトラックつがるもJRAに売却、など。</ref>」といった問題点に対する懸念もあり、新法人になり新施策が取られることで以後地方競馬の経営が安定化できるかは未だ不透明な状況にある。|date=2014年2月}} |
|||
=== 記録に関する問題 === |
|||
前述のように、戦後の地方競馬は地方自治体の財源確保を目的として各自治体単位で開始され、初期は人材の流動も激しく、中には[[紀三井寺競馬場]]の様に、毎年人馬の大半を冬季休催となる地域の競馬場から募って冬季のみ開催されるという場もあった。そのため競走馬および[[ホースマン|競馬関係者]]の出走履歴・成績を全国規模で体系的に記録し保存する仕組みには不備があり、現存する競馬場でも一部の地域を除けば地方競馬全国協会が発足する以前の記録については確たる資料が存在しないものが多い。 |
|||
さらに[[昭和]]期に開催権を返上した主催者の大半では、競馬ブームをきっかけに競馬が[[カルチャー]]として飛躍的な発展を遂げた[[1990年代]]には既に競馬開催や競馬場そのものについての当時の記録や資料が保管期間を過ぎて散逸・消失してしまっており、資料が希少な1920年代以前の日本競馬の姿と同様に、もはや競馬開催当時の実像を掴むことは限りなく不可能に近い。 |
|||
== 競馬場 == |
== 競馬場 == |
||
=== 地方競馬場 |
=== 地方競馬を開催可能な競馬場 === |
||
地方競馬を開催できる競馬場は、以下の17ヶ所<ref name="NAR_about" /><ref name="narkkeibazyo"/>。ただし2024年時点で、中京競馬場、札幌競馬場は中央競馬の開催のみが行われているため実質15場である。中京は2003年以降、札幌は2010年以降は地方競馬の開催がなく、休止状態である。 |
|||
所在地は[[競馬場]]が置かれている[[自治体]]名をいう。所属は[[地方競馬全国協会]]<ref>各地方競馬主催者を統括する団体として、馬主・競走馬の登録、騎手・調教師の免許などを行っている。</ref>の定める区分による。 |
|||
{| class="wikitable" |
{| class="wikitable" |
||
!地 |
!地区!!都道府県!!所在地!!競馬場名!!主催者・通称!!所属 |
||
|- |
|- |
||
|rowspan="3"|[[北海道]]||rowspan="3"|[[北海道]]||[[帯広市]] |
|||
|rowspan=2|[[北海道]]||rowspan=2|[[北海道]]||[[日高町 (北海道)|日高町]]||[[門別競馬場]]<ref>2009年までは[[札幌競馬場]]で[[日本中央競馬会|JRA]]とホッカイドウ競馬を併催していたが、2010年度以降の札幌競馬場におけるホッカイドウ競馬開催は休止している。</ref>||[[北海道]](業務委託:北海道軽種馬振興公社)<br>通称:[[ホッカイドウ競馬]]||北海道 |
|||
![[帯広競馬場]] |
|||
|[[帯広市]](業務委託:株式会社コンピューター・ビジネスほか)<br>通称:[[ばんえい競走|ばんえい競馬(ばんえい十勝)]]||ばんえい |
|||
|- |
|- |
||
|[[沙流郡]][[日高町 (北海道)|日高町]] |
|||
|[[帯広市]]||[[帯広競馬場]]<ref>1997年までホッカイドウ競馬を併催していた。</ref>||rowspan=1|[[帯広市]](業務委託:株式会社コンピューター・ビジネス)<br>通称:[[ばんえい競走|ばんえい競馬(ばんえい十勝)]]||rowspan=1|ばんえい |
|||
![[門別競馬場]] |
|||
|rowspan="2"|[[北海道]](業務委託:北海道軽種馬振興公社)<br>通称:[[ホッカイドウ競馬]]||rowspan="2"|北海道 |
|||
|- |
|- |
||
|[[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]] |
|||
|rowspan=2|[[東北地方|東北]]||rowspan=2|[[岩手県]]||[[盛岡市]]||[[盛岡競馬場]]||rowspan=2|[[岩手県競馬組合]]<br>([[岩手県]]、[[盛岡市]]、[[奥州市]])||rowspan=2|岩手 |
|||
![[札幌競馬場]] |
|||
|- |
|- |
||
|rowspan="2"|[[東北地方|東北]]||rowspan="2"|[[岩手県]]||[[盛岡市]] |
|||
|[[奥州市]]||[[水沢競馬場]] |
|||
![[盛岡競馬場]] |
|||
|rowspan="2"|[[岩手県競馬組合]]<br>([[岩手県]]、[[盛岡市]]、[[奥州市]])||rowspan="2"|岩手 |
|||
|- |
|- |
||
|[[奥州市]] |
|||
|rowspan="4"|[[南関東]]||[[埼玉県]]||[[さいたま市]]||[[浦和競馬場]]||[[埼玉県浦和競馬組合]]<br>([[埼玉県]]、[[さいたま市]]) |
|||
![[水沢競馬場]] |
|||
|- |
|||
|rowspan="4"|[[南関東]]||[[埼玉県]]||[[さいたま市]][[南区 (さいたま市)|南区]] |
|||
![[浦和競馬場]] |
|||
|[[埼玉県浦和競馬組合]]<br>([[埼玉県]]、[[さいたま市]]) |
|||
||浦和 |
||浦和 |
||
|- |
|- |
||
|[[千葉県]]||[[船橋市]] |
|[[千葉県]]||[[船橋市]]・[[習志野市]] |
||
![[船橋競馬場]] |
|||
|[[千葉県競馬組合]]<br>([[千葉県]]、[[船橋市]]、[[習志野市]]) |
|||
||船橋 |
||船橋 |
||
|- |
|- |
||
|[[東京都]]||[[品川区]] |
|[[東京都]]||[[品川区]] |
||
![[大井競馬場]] |
|||
|[[特別区競馬組合]]<br>([[特別区|東京都特別区]])<br>通称:{{Lang|ja-Latn|TOKYO}} {{Lang|en|CITY}} {{Lang|ja-Latn|KEIBA}}(TCK) |
|||
||大井 |
||大井 |
||
|- |
|- |
||
|[[神奈川県]]||[[川崎市]] |
|[[神奈川県]]||[[川崎市]][[川崎区]] |
||
![[川崎競馬場]] |
|||
|[[神奈川県川崎競馬組合]]<br>([[神奈川県]]、[[川崎市]]) |
|||
||川崎 |
||川崎 |
||
|- |
|- |
||
|rowspan=2|[[北陸地方|北陸]]||rowspan=2|[[石川県]]||rowspan=2|[[金沢市]] |
|rowspan="2"|[[北陸地方|北陸]]||rowspan="2"|[[石川県]]||rowspan="2"|[[金沢市]] |
||
!rowspan="2"|[[金沢競馬場]] |
|||
|[[石川県]]([[石川県競馬事業局]])||rowspan="2"|金沢 |
|||
|- |
|- |
||
|[[金沢市]] |
|[[金沢市]] |
||
|- |
|- |
||
|rowspan= |
|rowspan="3"|[[東海地方|東海]]||[[岐阜県]]||[[羽島郡]][[笠松町]]・[[岐南町]] |
||
![[笠松競馬場]] |
|||
|[[岐阜県地方競馬組合]]<br>([[岐阜県]]、[[笠松町]]、[[岐南町]]) |
|||
||笠松 |
||笠松 |
||
|- |
|- |
||
|rowspan="2"|[[愛知県]]||[[弥富市]] |
|||
|rowspan=1|[[愛知県]]||[[名古屋市]]||[[名古屋競馬場]]||rowspan=1|[[愛知県競馬組合]]<br>([[愛知県]]、[[名古屋市]]、[[豊明市]]<ref>豊明市にある中京競馬場は[[日本中央競馬会|JRA]]と愛知県競馬組合の併催となっているが、地方競馬の開催は2002年以降休止している。</ref>)||rowspan=1|愛知 |
|||
![[名古屋競馬場]] |
|||
|rowspan="2"|[[愛知県競馬組合]]<br>([[愛知県]]、[[名古屋市]]、[[豊明市]])||rowspan="2"|愛知 |
|||
|- |
|- |
||
|[[豊明市]]・[[名古屋市]][[緑区 (名古屋市)|緑区]] |
|||
|rowspan=2|[[近畿]]||rowspan=2|[[兵庫県]]||[[尼崎市]]||[[園田競馬場]]||rowspan=2|[[兵庫県競馬組合]]<br>([[兵庫県]]、[[尼崎市]]、[[姫路市]])||rowspan=2|兵庫 |
|||
![[中京競馬場]] |
|||
|- |
|- |
||
|rowspan="2"|[[近畿]]||rowspan="2"|[[兵庫県]]||[[尼崎市]] |
|||
|[[姫路市]]||[[姫路競馬場]] |
|||
![[園田競馬場]] |
|||
|rowspan="2"|[[兵庫県競馬組合]]<br>([[兵庫県]]、[[尼崎市]]、[[姫路市]])||rowspan="2"|兵庫 |
|||
|- |
|- |
||
|[[姫路市]] |
|||
|[[四国]]||[[高知県]]||[[高知市]]||[[高知競馬場]]||[[高知県競馬組合]]<br>([[高知県]]、[[高知市]]) |
|||
![[姫路競馬場]] |
|||
|- |
|||
|[[四国]]||[[高知県]]||[[高知市]] |
|||
![[高知競馬場]] |
|||
|[[高知県競馬組合]]<br>([[高知県]]、[[高知市]]) |
|||
||高知 |
||高知 |
||
|- |
|- |
||
|[[九州]]||[[佐賀県]]||[[鳥栖市]] |
|[[九州]]||[[佐賀県]]||[[鳥栖市]] |
||
![[佐賀競馬場]] |
|||
|[[佐賀県競馬組合]]<br>([[佐賀県]]、[[鳥栖市]]) |
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||佐賀 |
||佐賀 |
||
|} |
|} |
||
{{See2|休止中または廃止された競馬場は[[日本の廃止・休止競馬場一覧]]を}} |
|||
<gallery> |
|||
Morioka Racecouse homestraight.JPG|地方競馬で唯一、ダートコースと芝コースを備える[[盛岡競馬場]] |
|||
Ohi Racecourse 001.jpg|ナイター開催が行われる大井競馬場 |
|||
</gallery> |
|||
=== 開催回数 === |
|||
休止中または廃止された競馬場については、[[日本の廃止・休止競馬場一覧]]を参照のこと。 |
|||
地方競馬は競馬法および競馬法施行規則により年間開催回数と1開催あたりの開催日数、1日あたりの競走回数が定められている。1回の開催における開催日数は6日を超えず、1日の競走回数は12を超えない。1回の開催における日取りは、連続する12日間の範囲内の日取りとする。年間開催回数については下表で定められた回数を超えない<ref name="keibahosekouhyou1"/>。ただし、施設改善もしくは公益性の高い事業に対する財源確保を目的に開催回数上限を超えて「特別競馬」を3開催(最大18日)を上限に開催することが認められている<ref name="keibahosekoufusoku4"/>。 |
|||
{| class="wikitable" style="text-align:center" |
|||
== 開催 == |
|||
地方競馬は競馬法および競馬法施行規則により年間開催回数と1開催あたりの開催日数、1日あたりの競走回数が定められている。年間開催回数については下表で定められた回数を超えない。 |
|||
{| class="wikitable" |
|||
!都道府県!!年間開催回数 |
!都道府県!!年間開催回数 |
||
|- |
|- |
||
|北海道< |
|北海道<br />(ホッカイドウ競馬・ばんえい競馬の合計)||43回 |
||
|- |
|- |
||
|兵庫||29回 |
|兵庫||29回 |
||
129行目: | 168行目: | ||
|- |
|- |
||
|埼玉、千葉||13回 |
|埼玉、千葉||13回 |
||
|- |
|||
|その他の府県||4回 |
|||
|} |
|} |
||
=== 各競馬場の開催実績 === |
|||
* 1回の開催における開催日数は、6日を超えない。 |
|||
2023年度実績(2023年4月 - 2024年3月<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.keiba.go.jp/pdf/association/year2304-2403.pdf |title=地方競馬開催成績 令和5年4月 〜 令和6年3月次 |accessdate=2024-07-11 |publisher=地方競馬全国協会(NAR)}}</ref>) |
|||
* 1日の競走回数は12回を超えない。 |
|||
* 1回の開催における日取りは、連続する12日間の範囲内の日取りとする。 |
|||
{| class="wikitable" style="text-align:right; |
|||
|- |
|||
|+2023年度の地方競馬開催実績 |
|||
|- |
|||
!rowspan="2" colspan="2"|競馬場!!rowspan="2"|日数!!rowspan="2"|増減!!colspan="2"|入場人員!!colspan="2"|総売得金 |
|||
|- |
|||
!入場人員!!前年比 |
|||
!総売得金!!前年比 |
|||
|- |
|||
|colspan="2"|帯広||149||1 |
|||
|336,289||120.2% |
|||
|55,919,951,900||100.9% |
|||
|- |
|||
|colspan="2"|門別||82||-3 |
|||
|56,005||117.3% |
|||
|51,081,276,330||96.9% |
|||
|- |
|||
|style="background-color:#dfd;" rowspan="2"| ||盛岡||66||0 |
|||
|101,990||95.0% |
|||
|34,225,286,200||82.4% |
|||
|- |
|||
|水沢||63||0 |
|||
|82,720||92.3% |
|||
|26,430,338,400||101.3% |
|||
|- style="background-color:#dfd;" |
|||
|colspan="2"|岩手県||129||0 |
|||
|184,710||93.8% |
|||
|60,655,624,600||89.7% |
|||
|- |
|||
|style="background-color:#ddf"; rowspan="4"| ||浦和||59||1 |
|||
|139,370||118.7% |
|||
|70,762,855,820||106.6% |
|||
|- |
|||
|船橋||60||0 |
|||
|133,563||124.9% |
|||
|96,208,141,670||101.6% |
|||
|- |
|||
|大井||99||2 |
|||
|449,021||153.1% |
|||
|207,078,964,150||105.9% |
|||
|- |
|||
|川崎||64||0 |
|||
|215,626||149.6% |
|||
|103,627,405,650||97.5% |
|||
|- style="background-color:#ddf;" |
|||
|colspan="2"|南関東||282||3 |
|||
|937,580||141.7% |
|||
|477,677,367,290||103.2% |
|||
|- |
|||
|colspan="2"|金沢||88||0 |
|||
|159,187||94.8% |
|||
|31,228,780,800||113.8% |
|||
|- |
|||
|colspan="2"|笠松||96||-3 |
|||
|76,640||92.4% |
|||
|44,981,520,500||105.5% |
|||
|- |
|||
|colspan="2"|名古屋||113||0 |
|||
|101,663||82.7% |
|||
|81,074,819,700||106.4% |
|||
|- |
|||
|style="background-color:#fdd;" rowspan="2"| ||園田||133||2 |
|||
|252,223||100.5% |
|||
|99,989,125,700||98.7% |
|||
|- |
|||
|姫路||26||-4 |
|||
|27,444||85.5% |
|||
|20,204,866,400||95.4% |
|||
|- style="background-color:#fdd;" |
|||
|colspan="2"|兵庫県||159||-2 |
|||
|279,667||98.8% |
|||
|120,193,992,100||98.2% |
|||
|- |
|||
|colspan="2"|高知||109||0 |
|||
|89,931||117.1% |
|||
|95,818,960,000||101.3% |
|||
|- |
|||
|colspan="2"|佐賀||115||-1 |
|||
|306,202||106.6% |
|||
|70,232,964,900||102.9% |
|||
|- style="background-color:#ffd;" |
|||
|colspan="2"|計||1,322||-5 |
|||
|2,527,874||114.5% |
|||
|1,088,865,258,120||101.7% |
|||
|} |
|||
地方競馬全体の売上は1991年の9862億3944万9300円<ref name=":0">{{Cite web|和書|title=見えてきた1兆円超え - 斎藤修 {{!}} 競馬コラム|url=https://news.netkeiba.com/?pid=column_view&cid=48643|website=netkeiba.com|accessdate=2021-04-28|language=ja}}</ref>をピークに、2011年度に3314億3768万2700円まで減少した。その後はインターネット投票の普及により売上は増加に転じ、2022年度は史上最高となる1兆703億5968万3860円となった<ref name=":1">{{Cite web|和書|title=地方競馬の売り上げが1兆円超え…史上最高記録を更新 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=226758 |website=netkeiba.com |access-date=2023-07-11 |language=ja}}</ref>。なお、インターネット投票を含む電話投票が全体の89.9%を占めている。 |
|||
== 勝馬投票券 == |
|||
=== 発売 === |
|||
[[File:Offtkourakuen.jpg|right|thumb|[[特別区競馬組合]]の場外施設・[[offt後楽園]]([[東京都]][[文京区]])]] |
|||
{{See also|1=場外勝馬投票券発売所#地方競馬の場外勝馬投票券発売所|2=電話投票#地方競馬の電話投票システム}} |
|||
2015年4月現在、後述の10方式が設定されている<ref name="narbaken"/>。[[南関東公営競馬|南関東]]や東海・北陸といった地区単位での相互発売や広域場間場外発売の設定によって、自場以外で施行されている勝馬投票券の購入も可能である。各主催者がそれぞれ[[場外勝馬投票券発売所|場外発売所]]を設けているほか、[[地方競馬全国協会]]と[[全国公営競馬主催者協議会]]が出資する[[日本レーシングサービス]]が'''BAOO'''の名称で各地に[[場外勝馬投票券発売所|場外発売所]]を展開している<ref name="baoo"/>。[[電話投票|電話・インターネット投票]]については、[[東京都競馬]]によって運営される[[SPAT4]]、旧来の各主催者ごとの電話投票網を統合した[[D-net]]を引き継いだ[[オッズパーク]]、インターネット投票専業で新規参入した[[楽天競馬]]が存在するほか、中央競馬の電話投票システム「IPAT」でも地方競馬の競走を一部購入可能となっている(地方競馬IPAT)<ref name="naripat"/>。 |
|||
かつては開催できる曜日も指定されていた(土・日・月または日・月・火と祝日)が、南関東・東海・兵庫については中央競馬と商圏が重複するため土日に開催しなくても良いように例外規定が設けられていた。現在では開催の日取りに関する規定は統一・簡略化されている。 |
|||
== |
=== 発売種類 === |
||
2014年8月19日現在、以下の10方式が設定されている(参考:[http://www2.keiba.go.jp/guide/index.html 地方競馬情報サイト 地方競馬の基礎知識])。詳細は各賭式・各主催者の項目も参照。 |
|||
* [[投票券 (公営競技)#単勝式|単勝式]] |
* [[投票券 (公営競技)#単勝式|単勝式]] |
||
* [[投票券 (公営競技)#複勝式|複勝式]] |
* [[投票券 (公営競技)#複勝式|複勝式]] |
||
* [[投票券 (公営競技)#枠|枠番号二連勝複式]](枠複) |
* [[投票券 (公営競技)#枠|枠番号二連勝複式]](枠複) |
||
* |
* 枠番号二連勝単式(枠単) - [[南関東公営競馬|南関東]]・[[金沢競馬場|金沢]]のみ設定 |
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* [[投票券 (公営競技)#普通二連勝複式|普通馬番号二連勝複式]](馬複、普通馬複) |
* [[投票券 (公営競技)#普通二連勝複式|普通馬番号二連勝複式]](馬複、普通馬複) |
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* [[投票券 (公営競技)#二連勝単式|馬番号二連勝単式]](馬単) |
* [[投票券 (公営競技)#二連勝単式|馬番号二連勝単式]](馬単) |
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* [[投票券 (公営競技)#拡大二連勝複式|拡大馬番号二連勝複式]](ワイド) |
* [[投票券 (公営競技)#拡大二連勝複式|拡大馬番号二連勝複式]](ワイド) |
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* [[投票券 (公営競技)#三連勝複式|馬番号三連勝複式]](3連複) |
* [[投票券 (公営競技)#三連勝複式|馬番号三連勝複式]](3連複) |
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* [[投票券 (公営競技)#三連勝単式|馬番号三連勝単式]](3連単) |
* [[投票券 (公営競技)#三連勝単式|馬番号三連勝単式]](3連単) |
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* [[投票券 (公営競技)#重勝式|重勝式]] - インターネット投票のみ |
* [[投票券 (公営競技)#重勝式|重勝式]] - インターネット投票のみ |
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** 5重勝単勝式 - ばんえい競馬・岩手・笠松・兵庫・佐賀で設定 |
** 5重勝単勝式 - [[ばんえい競走|ばんえい競馬]]・[[岩手県競馬組合|岩手]]・[[笠松競馬場|笠松]]・[[兵庫県競馬組合|兵庫]]・[[佐賀競馬場|佐賀]]で設定 |
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** 7重勝単勝式 - ばんえい競馬・佐賀で設定 |
** 7重勝単勝式 - ばんえい競馬・[[佐賀競馬場|佐賀]]で設定 |
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** 3重勝馬番号二連勝単式 - 北海道・南関東で設定 |
** 3重勝馬番号二連勝単式 - [[ホッカイドウ競馬|北海道]]・[[南関東公営競馬|南関東]]で設定 |
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== 歴史 == |
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交流競走の増加とそれに伴う場外発売の増加に伴い、[[2003年]]4月からは単勝式・馬複・馬単の3種類については交流競走を発売する全ての[[競馬場]]・[[場外勝馬投票券発売所|場外発売所]]で発売するというルールが導入された。同時に8頭立て以下の[[競馬の競走|競走]]については枠複・枠単を発売せず、馬複(およびワイド)・馬単での発売となった。 |
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=== 公営化以前 === |
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{{See2|戦前の歴史については[[競馬の歴史 (日本)#地方競馬へ繋がる流れ]]を}} |
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==== 祭典競馬と地方競馬 ==== |
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[[File:昭和9年4月30日気仙沼競馬河北新報記事.jpg|300px|right|thumb|昭和9年4月30日、気仙沼での花競馬の様子]] |
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日本においては中世以来、祭りの中で神社などに即席の直線馬場を設けて2頭の馬を競わせる形式の競馬が全国各地で広く行われていた<ref name="chihokeibashi0101"/>。こうした'''[[祭典競馬]]'''・'''花競馬'''と呼ばれる日本古来の競馬に対して、1860年代より[[横浜市|横浜]]や[[神戸市|神戸]]の[[外国人居留地]]において[[イギリスの競馬|イギリス]]を起源とする西洋式の競馬が行われるようになる<ref group="注">これを[[居留地競馬]]と総称する。当該項目も参照。</ref><ref name="tachikawa01"/>。これは1870年の[[大日本帝国陸軍|陸軍]]による[[招魂社競馬]]を皮切りに日本人によっても執り行われ<ref name="chihokeibashi0103"/>、[[不平等条約]]改正を目指す日本政府によって、日本が西洋諸国と同等の[[文明国]]となった象徴として喧伝された<ref name="tachikawa01"/>。そして祭典競馬がその様式を模するなどして、全国各地で次第に洋式競馬が行われるようになっていく<ref name="chihokeibashi0103"/>。 |
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そして1910年に[[競馬規程]]が改正された際に、祭典などの娯楽のために競馬を行うことが法的に認められるとともに<ref group="注">「第一条 競馬ハ民法第三十四条ニヨリ設立シタル競馬会ニアラザレバコレヲ行ウコトヲ得ズ但シ祭典等ニ際シモツパラ娯楽ノタメニスルモノハコノ限リニアラズ」。</ref><ref name="keibahoki01"/>、[[地方長官]]による許可と賞品・開催費の補助のもとで畜産組合らが競馬を施行することができるとされた<ref group="注">「畜産組合法ニヨル組合マタハ馬匹ノ改良増殖ヲ目的トスル団体ハ前各条ニヨラズ地方長官(東京ニアリテハ警視総監)ノ許可ヲ得テ競馬ヲ行ウコトヲ得前項ノ競馬ニシテ第五条、第九条、第十四条乃至第十六条ノ規定ヲ準用スルモノニアリテハ地方長官ノ請求ニヨリ必要ト認ムルトキハ馬政長官ハ開催補助金マタハ、賞金、賞品モシクハ賞状ヲ下付マタハ授与スルコトヲ得」。当時は馬券発売が禁止された「[[補助金競馬]]」の時代であるため。</ref><ref name="keibahoki23"/><ref name="chihokeibashi0112"/>。続く1923年の[[競馬法#旧競馬法|競馬法]]においては政府が公認した[[競馬倶楽部]]による[[公認競馬]]のみが競馬を施行し[[勝馬投票券|馬券発売]]を行うことができるとされたが、各地の畜産組合による競馬の中にも[[公認競馬]]に倣って入場券による[[景品競馬]]<ref group="注">入場券に付属する投票券の投票をもって馬券に替え、的中者に景品を贈呈するシステム。1競走につき1枚が原則とされ、客は2レース以上購入する場合いったん退場し再度入場券を購入し直す建前となっていた。</ref>のみならず、馬券の発売を実施するものが多く現れるようになる<ref name="chihokeibashi0114"/>。しかしながら、これは同時に山師的な主催者による競馬場の過剰なまでの増加や、入場券の制限が公然と破られるなどの問題を引き起こした。そしてこうした競馬を政府の統制下に置くために、ついに'''[[地方競馬規則]]'''([[1927年]][[8月27日]] [[農林省 (日本)|農林]]・[[内務省 (日本)|内務]][[省令]])が施行されるに至るのである<ref name="ogino115"/>。この中では[[地方長官]]の許可のもとで各地の畜産組合、畜産組合連合会、馬匹改良を目的とする団体が競馬を施行することができるとされ、またその統一的な規定が定められた<ref group="注">これはコースを1周1000m以上の円周形に限るなど、施設面で相応の高い水準を要求する物であった。そのため従来の祭典競馬の中には、「地方競馬」の範疇外でその後も継続して行われたものも多い(「地方競馬規則第30条」には、祭典のための競馬はこれを適用しないとの規定がある)。山陰地方においては、1960年代までその事例が確認されている。また、ばんえい競馬は未だ地方競馬の範疇には含まれることなく、草競馬の形態を余儀なくされた。なお、''[[宮城県における花競馬]]も参照''。</ref><ref name="chihokeibashi0121"/><ref name="masuda"/>。法令用語としての'''地方競馬'''の呼称はここに始まる<ref name="chihokeibashi0121"/>。 |
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また、日本中央競馬会(JRA)が運営する「地方競馬IPAT」での発売開始にあわせ、ばんえい競馬と南関東地区を除く多くの主催者で賭式の統一化が図られ、JRAと同様の8種類にほぼ統一された。 |
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1927年秋に52主催者59競馬場で始まった地方競馬は、[[公認競馬]]を含めた競馬熱の高まりの中で順調に開催成績を伸ばしていく。公式には禁じられていたが、実際には[[公認競馬]]との間で人馬の流動性も高かった<ref name="chihokeibashi0153"/>。また[[地方競馬規則]]の制定に先立つ1926年には大日本産馬会、日本乗馬協会、帝国運送協会の3団体とその関連組織が合同し、馬事関連の全国的な組織である[[帝国馬匹協会]]が創設されていた。これが地方競馬主催者の全国的な連絡組織として機能し、馬名の登録や騎手の講習も実施している<ref name="chihokeibashi0146"/>。 |
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ワイド導入に伴い、一部の競馬場では普通馬番号二連勝複式の略称を「普通馬複」と表記する場合もある。 |
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==== 軍部の統制 ==== |
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[[File:Kinko toga.jpg|300px|left|thumb|[[錦江作戦]]のため[[泗水]]を渡河する砲兵部隊と軍馬]]このようにして、地方競馬はその法的な地位を得た<ref group="注">ただしその根拠が法律でなく省令に留まったことから、馬券発売が不可能であるなどの不満は残った。そのため一部の有力地方競馬場の関係者はしばしば「地方競馬法」の制定を求める陳情を行うこととなる。</ref><ref name="chihokeibashi0125"/>。一方で、これは'''[[軍馬]]用途を目的とした馬匹の改良と馬事思想の普及'''という国策と関連したものであり、[[農林省 (日本)|農林省]]や[[陸軍省]]からそれ自体は軍馬には向かない[[サラブレッド]]による競馬は[[公認競馬]]に譲り、地方競馬ではより軍馬に適した[[アングロアラブ]]・[[アングロノルマン]]による競馬を、さらには[[平地競走]]ではなく[[障害競走]]や[[速歩競走]]を行うべきという意見が当初から出されている<ref name="ogino115"/><ref name="chihokeibashi0125"/>。1933年には[[地方競馬規則]]が大幅に改正され、一定以上の売上規模がある主催者はその売上の一部を馬匹改良・馬事に関わる施設のために支出すること、出走を[[内国産馬]]に限ること、速歩競走を重視することが定められた<ref name="ogino160"/>。また1936年に[[公認競馬]]側が[[日本競馬会]]に統合されると、相互の交流は一層厳しく統制された<ref name="chihokeibashi0169"/>。 |
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{{Main|能力試験}} |
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能力検定競走(「能力検査(能検)」「能力試験(能試)」とも呼ばれる)とは初出走時や他の競馬場・厩舎からの移籍時に行われる模擬競走で、地方競馬ではこれを受けなければ競走に出走できない。実際の競走と同様に数頭で800m程度(競馬場により多少異なる)の模擬競走を行い、基準タイム以内で走破(あわせて走法なども考慮される)した競走馬が出走資格を得る。不合格の場合は合格するまで再受検を行う。 |
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そして[[日中戦争]]の勃発とそれによる軍馬需要の急激な増大を背景に、[[1939年]][[7月3日]]より新たに[[軍馬資源保護法]]が施行される。これによってそれまで地方競馬とされてきた競馬は馬券発売を認められた'''軍用保護馬鍛錬競走'''へと移行し、「''国防上特ニ必要トスル馬ノ資質ノ向上ヲ図リ軍馬資源ノ充実ヲ期スルコト''」がその目的となった<ref name="gunba01"/>。これによって当時100を越えていた地方競馬場の多くが閉鎖され、[[都道府県]]ごとに存在した畜産組合連合会35団体のもとで37個へと集約される<ref name="chihokeibashi0169"/>。売上金の一部を国庫へ納入する機能を有していた[[軍用保護馬鍛錬中央会]]がこれを統括し<ref name="ogino160"/>、のちに[[太平洋戦争]]が勃発するとこれは[[国家総動員法]]体制下で[[帝国馬匹協会]]、大日本騎道会とともに[[日本馬事会]]へと統合された<ref name="chihokeibashi0196"/>。この鍛錬競走は、いよいよ戦局が悪化する1944年末まで続く<ref name="chihokeibashi0183"/>。 |
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ホッカイドウ競馬やばんえい競馬などでは一般のファンにも公開しているほか後日VTRで公開する主催者もあり、競馬新聞などにも走破タイムが記載されるため特に2歳新馬戦などでは有力な予想材料として利用されている。 |
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==== 闇競馬から馬連競馬へ ==== |
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中央競馬では行われていないが、海外でもこのような検定を行うところも存在する。 |
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[[第二次世界大戦]]終結後、[[軍馬資源保護法]]ならびに[[国家総動員法]]が廃止されたことで、地方競馬はその法的根拠をふたたび喪失した。しかしながら、早くも1945年秋には[[静岡県]]で法的根拠を持たない'''[[闇競馬]]'''が行われるや、地方競馬の開催を望む機運は全国へと波及していく<ref name="tachikawa02023"/>。また1946年春になると、[[農林省 (日本)|農林省]]ら中央政府の黙認下で[[地方長官]]の認可と条例をもとに競馬を施行し、その売上の5%前後を戦災復興や海外引揚者への支援金のため地方自治体へ寄付する事例も多く見られるようになった<ref group="注">後述する地方競馬法が議案を通過してから実際の施行までの2ヶ月余りの間に、こうした闇競馬はさらに急増した。</ref><ref name="tachikawa02023"/>。また北海道においては、進駐していたアメリカ軍第11空挺師団が[[アメリカ独立記念日]]を祝うために競馬の施行を北海道馬匹組合連合会に要請。1946年7月6日から'''[[進駐軍競馬]]'''として競馬が再開されることとなり、[[札幌市|札幌]]、[[函館市|函館]]、[[室蘭市|室蘭]]の3都市で施行されている<ref group="注">こうした進駐軍の関連した闇競馬開催は、[[岡山県]]におけるイギリス軍の事例、[[岩手県]]における[[一條友吉]]による競馬再開の動きなど、全国で複数例が確認できる。</ref><ref name="tachikawa02165"/><ref name="okayama"/><ref name="iwateichijo"/>。 |
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そして1946年11月20日、ようやくこの無法状態に終止符を打つべく'''[[地方競馬法]]'''が施行される<ref name="chihokeibashi01139"/>。これは戦前の[[地方競馬規則]]と同様に馬匹組合・馬匹組合連合会が競馬を施行することを認めるものであり<ref group="注">当初は北海道内3カ所、他の都府県で1カ所のみに制限されていたが、1947年の改正で倍増された。</ref><ref name="chihokeibashi01139"/>、その中央団体として[[中央馬事会]]が置かれた。鍛錬競走時代に引き続き馬券の発売も認められたほか、配当の上限も従来の10倍から100倍へと引き上げられている<ref name="chihokeibashi01139"/>。また戦前に引き続き[[サラブレッド]]・[[アングロアラブ]]ら軽種馬を中心としていた[[日本競馬会]]に対し、各地の農業生産と密着した実用馬を用いることが打ち出され<ref group="注">これに付随し、従来の駆歩、速歩、障害に加えて[[ばんえい競走|輓曳]]が法的にその地位を認められた。</ref><ref name="chihokeibashi01139"/>、[[民主化]]の世相を反映しその収益の使途も各馬匹組合連合会および[[中央馬事会]]の裁量に任されていた<ref name="tachikawa02209"/>。しかしながらこれらの'''馬連競馬'''は闇競馬時代からの連続性が強く、また敗戦直後の社会情勢もあって競馬場での騒擾事件が頻発する<ref name="chihokeibashi01139"/>。 |
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ばんえい競馬も現在は平地と同様に基準タイム制を[[2005年]]度より採用しているが、かつてはあらかじめ検査日ごとに合格頭数を設定し、模擬競走を完走しても上位に入らなければ合格できなかった(一般的な[[受験]]と同じく、ふるいにかけるほど多くの競走馬が受検するため)。 |
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== 競 |
==== GHQと競馬法成立 ==== |
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[[File:GHQ building circa 1950.JPG|right|thumb|[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]が使用していた[[第一生命館]]]] |
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[[2011年]][[7月19日]]から、これまでは各自の競馬場ごとに行われていた競走結果のテレホンサービスを統一するサービスを開設した。詳しくは[http://www.keiba.go.jp/telephone_info02.html 地方競馬テレホンサービス]を参照。 |
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1947年7月、[[連合国軍最高司令官総司令部]]より[[日本競馬会]]及び上記の[[中央馬事会]]、馬匹組合連合会が、「'''競馬事業を独占している独占機関である'''」との通告がもたらされる<ref group="注">日本馬事会らが戦前の軍馬養成のための国策機関であったことも影響したとされる。</ref><ref name="ogino160"/><ref name="tachikawa02317"/>。GHQが志向していたであろう完全な民営化、そしてそれがもたらすと考えられた[[暴力団|反社会的勢力]]の競馬へのさらなる蔓延を防ぐため、同年12月23日の閣議決定において、従来の[[公認競馬]]は[[国営競馬|国営化]]、馬連競馬は公営化し[[都道府県]]にこれを委ねることが決定された<ref name="tachikawa02317"/>。各地の馬連は1948年春の開催を強行するなどの抵抗を続けたが解散・資産の委譲を迫られ、[[中央馬事会]]も1948年7月に解散を余儀なくされる<ref name="chihokeibashi01160"/>。 |
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そして1948年7月、'''[[競馬法]]'''が成立。これによって馬連競馬の資産及び開催権は[[都道府県]]、競馬場が所在する[[市町村]]、そして[[地方財政委員会]]が別途指定した戦災復興の中で自主財源不足に苦しむ[[市町村]]へと移り、地方競馬は現在まで続く'''[[公営競技]]'''へと大きな転換を果たすこととなる<ref name="chihokeibashi02001"/>。 |
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== 関連書籍 == |
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* 地方競馬の黄金時代 - 廃競馬場に消えた伝説の名馬たち([[戎光祥出版]]) ISBN 4-9009-0197-0 |
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=== 公営化後 === |
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* 全国地方競馬ガイド([[ソフトバンククリエイティブ]]) ISBN 4-7973-3530-0 |
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==== 戦後派として ==== |
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[[File:Statue_of_Haiseiko_001ja.jpg|thumb|left|[[ハイセイコー]]像(北海道新冠町)]] |
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[[競馬法]]が施行された1948年、[[公営競技]]へ移行し[[競馬]]を施行した地方競馬場は全国で61箇所存在した<ref name="chihokeibashi02018"/>。だが当然ながら、公営化によって当時の地方競馬が抱えていた問題が一挙に解決するはずもない。馬資源の不足は深刻であった。[[ウマ#種類・分類、品種|中間種]]が競走に盛んに用いられ、馬籍登録を偽った競走馬が蔓延したほか、[[北海道]]では[[輓馬]]を[[平地競走]]で走らせるような奇策すら取られた<ref name="kitano72"/>。また[[競馬法]]が成立したのとほぼ時を同じくして、[[自転車競技法]]が国会を通過。11月には[[小倉競輪場]]で日本初となる[[競輪]]が開催されると、この戦後生まれの[[公営競技]]は大衆から爆発的な人気を獲得する。その後も1950年には[[小型自動車競走法]]によって[[オートレース]]が、1951年には[[モーターボート競走法]]に基づき[[競艇]]が開始され、それぞれ順調に売上を伸ばしていった<ref name="miyoshi48"/>。一方で戦前以来の旧態依然とした施設に頼る各地の地方競馬場は開催成績が低迷し、急速にその数を減らしていく<ref group="注">[[奈良競馬場]]のように、競輪場へ施設が転用された事例も存在する。</ref><ref name="chihokeibashi02032"/>。 |
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こうした中にあって、いち早く隆盛を見せたのは関東地方の競馬場だった。1947年の[[浦和競馬場]]を皮切りに、のちに[[南関東公営競馬]]を構成する4競馬場は交通の利便性が高い土地へと移転を進める。これによる順調な売上の増加を背景に[[発馬機|スターティングゲート]]の導入や[[大井競馬場|大井]]による[[豪サラ]]輸入のような先進的な施策を進め、[[国営]]・[[中央競馬]]へ移籍し大競走を制しうるような名馬が数多く現れるに至った。なによりも[[アングロアラブ]]競馬においては、質・量ともに[[国営競馬|国営]]・[[中央競馬]]を凌ぐ堂々たる繁栄をみせている<ref name="chihokeibashi02059"/>。また、[[北海道]]ではその地理的条件から、道内の各競馬場を人馬ともに関係者が渡り歩く'''ジプシー競馬'''とも呼ばれる興行形態が長く残った<ref group="注">競馬関係者とその家族にとってこうした根無し草のような生活は負担が重く、のちの[[門別競馬場|門別軽種馬トレーニングセンター]]開設へと繋がる。</ref><ref name="kitano147"/>。[[ばんえい競馬]]が公営競技として根付きはじめたほか<ref group="注">草輓馬時代の円形コースから、直線コースへの転換が代表。とはいえ、創成期のころのばんえいは専業者は馬・騎手共に1割ほどで、残りは農業・運搬従事者の副業や家畜商が主だった。完全なプロ化を達成するのは1970年代まで待たねばならない。</ref><ref name="kitano88"/>、戦前以来の[[十勝]]における[[アングロノルマン]]生産を背景に<ref group="注">戦後は[[スタンダードブレッド]]が用いられた。</ref>、[[速歩競走]]が1960年代初頭まで重要な地位を占めた<ref name="kitano98"/>。関西方面へ目を移すと、[[大井競馬場|大井]]と同じく[[豪サラ]]を導入した[[兵庫県競馬組合|兵庫競馬]]は、その扱いに慣れないところにコースの手狭さもあって故障馬が続出。頭数の少なさから競走が成り立たず、みすみす[[国営競馬]]への流出を許してしまった経験から<ref name="hyogobasyu222"/>、以後は[[アングロアラブ]]専業の競馬場として'''アラブのメッカ'''への道を歩む<ref name="hyogobasyu84"/><ref name="chihokeibashi02488"/>。[[大阪競馬場]]・[[春木競馬場]]では[[障害競走]]が人気を博し、[[紀三井寺競馬場|紀三井寺]]は北海道を始めとする冬期休催競馬場の出稼ぎ先として独自の存在価値を見出した<ref name="chihokeibashi02480"/>。そのほかの地区においても徐々に施設の近代化が図られ<ref name="chihokeibashi02087"/>、1970年には[[大井競馬場]]でのちに[[中央競馬]]へ移籍すると社会現象を巻き起こす'''[[ハイセイコー]]'''がデビューを迎える。このアイドルホースの登場による'''[[競馬ファン|第一次競馬ブーム]]'''によって、全国的に開催成績も上向いていった<ref name="chihokeibashi04001"/>。 |
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ただし、[[長沼弘毅]]を委員長として1961年2月に組織された'''公営競技調査会'''の答申は大筋として[[公営競技]]の現状維持を定めるものであったが、その中では馬・馬主の登録や地方競馬の騎手免許、専門職員の養成・派遣を全国一元的に統括するとともに、その利益を広く畜産振興のために還元する組織を設立することが求められていた<ref group="注">そのほか、競馬場の所在地でない市町村の戦災指定市が有していた開催権の廃止が答申され、数度の延長を経ながら1968年をもって廃止されている。</ref><ref name="chihokeibashi02094"/>。これを受けて1962年に[[特殊法人]]である'''[[地方競馬全国協会]]'''が設立され、[[競走馬]]の登録や[[騎手]]・[[調教師]]免許の管理は各主催者からこちらへと一元化されている<ref name="chihokeibashi02147"/>。1963年には新人騎手などの育成を行うために、[[栃木県]][[那須塩原市]]に[[地方競馬教養センター|地方競馬騎手教養所]]が完成した<ref name="chihokeibashi02147"/>。 |
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==== 黒い霧の時代から改革へ ==== |
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[[File:Ooi Racecourse Paddock and L-WING.jpg|thumb|left|トゥインクル開催の[[大井競馬場]]パドック]] |
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一方で、戦後直後の社会情勢下で公営の競馬を開催するにあたっては、必然的に地元の'''ボス'''たちとの接触が不可欠である<ref name="miyoshi44"/>。兵庫のように馬主らによって組織された振興会が競馬の開催業務に深く関わるなど、公営化されたといっても組織としての透明性が長らく不十分な地域も存在した<ref name="hyogobasyu74"/>。騎手や調教師、厩務員への[[暴力団|反社会的勢力]]の浸透も避けられず、1960年代から1980年代にかけて[[競馬法]]違反容疑で逮捕・追放された事例は全国的に数多い。競馬場内における[[ノミ屋]]・[[コーチ屋]]の跋扈も問題であった。また[[黒い霧事件 (日本プロ野球)|黒い霧事件]]を契機に一般社会においても注目を集めた[[公営競技]]を取り巻く黒い影の存在は、少しでも怪しい競走が行われた場合に、ファンが[[八百長]]を声高に叫び容易に暴徒化する環境を生み出していく<ref name="miyoshi128"/>。とりわけ、その被害規模の大きさに加えて著名馬が関係していたこともあって、'''[[園田事件]]'''は現在に至るまでも語り継がれ、[[兵庫県競馬組合]]の運営に影を落としている<ref name="kakuremeiba21"/><ref name="chihokeibashi04303"/>。[[革新自治体]]における[[公営競技]]に対する風当たりも激しく、1964年に[[大阪競馬場]]、1974年に[[春木競馬場]]が廃止されているほか<ref name="chihokeibashi02463"/>、[[大井競馬場]]においても1972年度をもって[[東京都]]が開催権を返上し、[[特別区競馬組合]]単独での主催となっている<ref name="chihokeibashi02177"/>。[[ホッカイドウ競馬|道営競馬]]にて、1人当たりの馬券購入額を5000円に制限するような奇策が採用されたことすらあった<ref group="注">ただし現場における実効性は薄く、数年で廃止となっている。</ref><ref name="kitano209"/>。 |
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そして[[オイルショック]]後の社会情勢も影響し、1970年後半に入ると地方競馬の開催成績はふたたび全国的に伸び悩む<ref name="chihokeibashi04036"/>。[[公営競技]]としての財政貢献もままならないとなれば、各地で競馬場の存廃までも含めた議論が進められることになった<ref name="chihokeibashi04077"/>。そして1980年代中ごろから、それぞれの主催者が智恵を絞り、様々な振興策を打ち出していく。ただでさえ減少した入場者を不快にすること甚だしかった[[ノミ屋]]・[[コーチ屋]]は、1985年からの全国的な清浄化作戦によって競馬場内から可能な限り閉め出された<ref name="chihokeibashi040100"/>。顧客の利便性を高めるために、電話投票の導入や昼休みのサラリーマンを狙った外向き発売口の設置、県内・地区単位での相互場外販売の試みが始まったのもこの時期である<ref name="chihokeibashi040780"/><ref name="chihokeibashi040111"/>。中でも[[岩手県競馬組合]]は最新鋭の映像伝送システムを駆使した'''テレトラック'''と呼ばれる場外網を構築し、急激に売上を伸ばしていった<ref name="chihokeibashi040106"/>。1986年には、[[大井競馬場]]において日本初となる[[ナイター競走|ナイター競馬]]'''トゥインクルレース'''が行われている<ref name="chihokeibashi040120"/>。それでも、大胆な振興策を実施するだけの体力を有していなかった主催者の開催成績は低迷し、なかでも1988年には[[紀三井寺競馬場]]が廃止へと追い込まれている<ref name="chihokeibashi04028"/>。 |
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また、古くから各地の競馬場間を移籍する馬は数多く存在したが、他地区との間で直接の交流はほとんどないに等しかった。それが、1972年に[[南関東公営競馬|南関東]]における[[アングロアラブ]]古馬最高の競走であった[[全日本アラブ大賞典|アラブ大賞典]]が'''[[全日本アラブ大賞典]]'''として、翌1973年には[[園田競馬場]]で3歳馬の[[楠賞全日本アラブ優駿|楠賞]]が'''[[楠賞全日本アラブ優駿]]'''として、それぞれ地方競馬全国交流競走化を果たす。これによって、各地区の代表馬がそれぞれのプライドを賭けて、鎬を削り合う舞台が産まれることになった<ref name="chihokeibashi04011"/>。[[中央競馬]]との間でも1973年より中央側で[[地方競馬招待競走]]が、[[大井競馬場]]で[[中央競馬招待競走]]が隔年で交互に施行されていたが、1986年からは[[帝王賞]]が距離を2000mに短縮された上で、中央競馬招待・地方競馬全国交流競走となった。[[中央競馬]]側でも[[オールカマー]]が開放されたほか<ref group="注">1986年には[[愛知県競馬組合]]所属の[[ジュサブロー]]が、1991年には[[大井競馬場]]所属の[[ジョージモナーク]]が制している。</ref>、[[ジャパンカップ]]にも地方競馬所属馬の招待枠が設けられていた時期があり、1985年には[[船橋競馬場|船橋]]所属の[[ロツキータイガー]]が2着と健闘している<ref name="chihokeibashi04011"/>。 |
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==== オグリキャップの登場と交流元年 ==== |
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[[File:Meisei Opera 20000220R1.jpg|thumb|right|2000年の[[フェブラリーステークス]]に出走した際の[[メイセイオペラ]]。鞍上は[[菅原勲]]騎手]] |
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1987年、[[笠松競馬場]]でのちに'''[[競馬ファン|第二次競馬ブーム]]'''を牽引する'''[[オグリキャップ]]'''がデビューを迎える。これ以前から続いていた[[バブル景気]]による経済状態の好転もあって、地方競馬の開催成績もようやく上向きをみせた<ref name="chihokeibashi05018"/>。1989年には生産者らの団体が主体となって、[[ホッカイドウ競馬]]にて'''[[ブリーダーズゴールドカップ]]'''が設立されている<ref name="chihokeibashi040189"/>。また[[騎手招待競走]]のような企画・交流競走も華々しく行われ、1988年には[[兵庫県競馬組合]]が通算2000勝以上の名手たちが高額賞金を賭けて戦う[[ゴールデンジョッキーカップ]]を創設<ref name="chihokeibashi040209"/>。1989年から1993年にかけては、国外からも招待騎手を招いた[[インターナショナルクイーンジョッキーシリーズ]]が開催されている<ref group="注">[[益田競馬場|益田]]の[[吉岡牧子]]騎手が1989〜1991年と3年連続で総合優勝を果たしている。</ref><ref name="chihokeibashi05027"/>。各主催者だけでなく、[[地方競馬全国協会]]も1990年からは地方競馬全体の表彰として'''[[NARグランプリ]]'''を開催し、従来の機関誌『地方競馬』が一般競馬ファンも対象とした『'''[[ハロン (雑誌)|Furlong]]'''』へと衣替えするなど、時代に合わせた広報活動へと転換していく<ref name="chihokeibashi05104"/><ref name="chihokeibashi05361"/>。 |
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一方で、[[オグリキャップ]]や[[オグリローマン]]、[[イナリワン]]のような傑出馬を輩出しながらも、活躍の場を求めて[[中央競馬]]への移籍を許してしまったことは、地方競馬関係者からすればその心境は複雑であった。また、[[中央競馬]]の側も国際化な日本競馬の地位向上において、地方競馬との協調を進める必要に迫られたことから<ref group="注">その一例として、[[中央競馬]]単体で競走数全体に占める重賞競走の割合の高さが問題となったこと、上限のある競走数に対して競走馬数の増加が限界に達していたことが挙げられる。</ref><ref name="chihokeibashi05023"/>、1995年より[[中央競馬]]と地方競馬の間で'''交流元年'''と呼称される、相互交流の大幅拡大が実施されることになった<ref group="注">ただし、これ以前にも1992年よりローカル競馬場で[[中央競馬のオープン特別競走#中央地方指定交流競走|オープン特別の地方競馬招待競走]]が新たに設けられ、1994年には新設されたダート重賞である[[平安ステークス]]が地方競馬招待競走に指定されるなど、[[中央競馬]]側の解放は断続的に続いていた。[[愛知県競馬組合]]所属の[[トミシノポルンガ]]がテレビ愛知オープンを勝ち、平安ステークスでも3着となっている。</ref><ref name="furlong199403"/><ref name="jbis0000218761"/>。多くの地方競馬場にて中央競馬所属馬が出走可能な'''[[指定交流競走]]'''と<ref group="注">交流競走補助金として、[[日本中央競馬会]]より本賞金総額の50%が交付される。</ref><ref name="chihokeibashi05100"/>、[[日本中央競馬会]]が賞金の90%を援助し、1着馬に[[中央競馬]]で施行される条件戦のうち'''[[競馬番組#現在の所属による制限|特別指定競走]]'''への出走権利を付与するとともに[[中央競馬]]への転入を優遇する'''[[JRA2歳認定競走|JRA3歳認定競走]]'''が設けられた<ref name="chihokeibashi05097"/>。また、各ブロックの代表選定競走を勝利するなどした馬には[[中央競馬]]の最高格付け競走たるGI競走に向けた前哨戦への出走権が与えられ<ref group="注">一部のブロックは、選定競走を経ずに直接出走が可能だったほか、[[東京優駿]]と[[優駿牝馬]]については、[[皐月賞]]・[[桜花賞]]4着以内で出走権を得ることができる。また、[[宝塚記念]]は地方競馬側から候補馬を推薦したうえで、[[日本中央競馬会]]側の推薦委員会に委ねるとしている。[[有馬記念]]については、GI競走3着以内の戦績が求められていた。</ref>、さらにはそこで好走することでGI競走本体へも出走する道が開かれた<ref name="furlong199404"/>。果たして、この交流元年初年度から[[笠松競馬場|笠松]]所属の'''[[ライデンリーダー]]'''が、[[桜花賞]]の[[トライアル競走]]である[[フィリーズレビュー|4歳牝馬特別]]で勝利。本番の[[桜花賞]]こそ4着だったものの、[[中央競馬]]の3歳牝馬クラシック3戦全てに出走を果たしている<ref name="chihokeibashi05097"/>。1996年には[[日本中央競馬会]]、[[地方競馬全国協会]]、全国公営競馬主催者協議会によって'''ダート競走格付け委員会'''が組織され、翌1997年より[[中央競馬]]・地方競馬を横断した重賞競走の格付けである'''[[ダートグレード競走]]'''制度が導入された<ref name="chihokeibashi05100"/>。2001年からは、全国の地方競馬場での持ち回り開催となる'''[[ジャパンブリーディングファームズカップ|JBC競走]]'''が創設されている<ref name="chihokeibashi05070"/>。 |
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そして1999年、[[中央競馬]]の[[東京競馬場]]で開催された[[フェブラリーステークス]]を[[岩手県競馬組合|岩手]]所属の[[メイセイオペラ]]が制し、地方競馬所属馬による中央競馬開催GI初制覇を達成した。同年には[[レジェンドハンター]]が[[デイリー杯2歳ステークス|デイリー杯3歳ステークス]]を逃げ切り、本番の[[朝日杯フューチュリティステークス|朝日杯3歳ステークス]]でも2着<ref name="jbis0000314816"/>。2004年には[[ホッカイドウ競馬]]で'''[[厩舎#外厩制|認定厩舎制度]]'''を利用した[[コスモバルク]]が、[[三冠 (競馬)|中央3歳牡馬クラシック戦線]]へ有力馬の1頭として参戦し人気を集めた。その後も果敢に芝路線への挑戦を続け、[[シンガポールの競馬|シンガポール]]の[[クランジ競馬場]]で開催された国際GIである[[シンガポール航空インターナショナルカップ]]を制する快挙を成し遂げている<ref name="chihokeibashi05137"/>。 |
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{{See2|中央競馬と地方競馬の交流については[[日本の競馬#中央競馬と地方競馬の交流]]を}} |
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==== 相次ぐ危機 ==== |
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[[File:Chihokeiba1980-2008bar.jpg|thumb|right|地方競馬の開催成績が最初のピークを迎えた1980年を100とした場合の、地方競馬全体・中央競馬・地方競馬各地区の1985年・1991年・2000年・2008年の開催成績。1980・1985年分の地方競馬開催成績については年度単位。2008年の地方競馬開催成績は、廃止された競馬場も含まれる]] |
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[[File:Katsumi-Ando20110410.jpg|thumb|right|中央移籍後、2011年の[[桜花賞]]を制した際の[[安藤勝己]]騎手]] |
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しかしながら、[[バブル崩壊]]後の経済情勢は、地方競馬の開催成績を直撃した<ref name="chihokeibashi05018"/>。1991年に9862億円でピークを迎えた地方競馬全体の売上は、2000年には5605億円まで激減する<ref name="chihokeibashi05470"/>。巨額の累積赤字を積み上げた各地の主催者は一転して賞典費を始めとする経営コスト削減に回るが、それが馬資源の流出や厩舎関係者の士気低下を招くことで競走自体の魅力が乏しくなり、ますます開催成績が悪化するという悪循環に陥っていった<ref name="umaya77"/>。また、中央・地方併せて2001年には46競走まで拡大した[[ダートグレード競走]]だが、その賞金水準の高さに比して売上額は芳しくなく、地方競馬にとってのカンフル剤とはならなかった<ref name="nomoken1115"/>。[[高崎競馬場]]や[[新潟県競馬組合|新潟公営]]などでは入場者数増加の振興策の一環として、[[日本中央競馬会]]の[[場外勝馬投票券発売所]]を場内で併設することが行われた。だがその結果として、目の前で行われている生の競走ではなく、僅かな手数料収入しか得られない[[中央競馬]]の中継映像へ多くの顧客が群がるという、悲劇的な光景も見られたという<ref name="chihokeibashi05156"/><ref name="pusan1519"/>。 |
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また、西日本を中心に専業の競馬場も存在するなど、長らく地方競馬の歴史を支えてきた[[アングロアラブ]]競馬だが、1995年の[[中央競馬]]における廃止に続いて、1980年代から在厩数の減少に悩んでいた[[南関東公営競馬|南関東]]の競馬場がその廃止を決定する<ref name="furlong199707"/>。交流元年後は[[サラブレッド]]による相互交流の機運が高まったこともあって、アラブのメッカを誇った[[兵庫県競馬組合]]も1999年に[[サラブレッド]]の導入を発表<ref name="umaya194"/>。最終的に、2009年9月27日に[[福山競馬場]]で施行された「開設60周年 アラブ特別レジェンド賞」をもって、日本国内におけるアングロアラブ系単独競走は姿を消している<ref name="nar090928"/>。 |
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そして2001年、大分県の[[中津競馬場]]が、21億円の累積赤字を理由に廃止されることが主催者の[[中津市]]より発表される<ref name="chihokeibashi05151"/>。その後、[[中津競馬場]]では廃止に伴う競馬場関係者の補償金を巡って労働争議が紛糾するが<ref name="nakatsuootsuki"/>、ともかくもこの[[中津競馬場|中津]]を皮切りとして、全国的に競馬主催者の撤退が相次いでいった<ref name="chihokeibashi05151"/>。翌2002年8月には日本一小さな競馬場として知られた[[島根県]][[益田市]]の[[益田競馬場]]が廃止となり<ref name="chihokeibashi051560"/>、2003年から2006年にかけて[[足利競馬場|足利]]・[[高崎競馬場|高崎]]・[[宇都宮競馬場|宇都宮]]の[[北関東公営競馬]]が壊滅<ref name="chihokeibashi051568"/>。東北地区では、2002年にすでに前年より[[三条競馬場]]での開催を中止していた[[新潟県競馬組合|新潟県競馬]]が完全に廃止され<ref name="chihokeibashi05156"/>、翌2003年には作家[[山口瞳]]が愛したことで知られた[[上山競馬場]]からも競走馬が姿を消した<ref name="chihokeibashi051563"/>。かつては'''地方競馬の優等生'''と謳われた[[岩手県競馬組合|岩手競馬]]すらも、開催成績の低迷に加えて、1996年に移転した新[[盛岡競馬場]]の建設費を巡る巨額の債務によって破綻的な経営状況へと陥り、2007年には一時廃止が確実視された<ref name="chihokeibashi05205"/>。1989年より4市による[[北海道市営競馬組合]]として主催されてきた[[ばんえい競馬]]についても、2006年に[[帯広市]]を除く構成[[地方公共団体]]が撤退し、単独の開催へ縮小することで辛くも存続している<ref name="chihokeibashi05194"/>。 |
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また、地方競馬から[[中央競馬]]の競走への遠征馬に騎乗する騎手は当日の他の競走にも騎乗できたことから、地方競馬の名手たちが中央競馬においてもその腕前を披露する機会を得ることになった。そして地方競馬の未来がかくも不安定な状況にあっては、一般的な注目度・金銭的な待遇ともに恵まれた[[中央競馬]]への移籍を望む騎手が現れることも自然な流れである。2001年、長らく[[笠松競馬場]]のリーディングジョッキーとして知られた'''[[安藤勝己]]'''が、[[中央競馬]]の騎手免許試験を受験することを発表した。この年こそ一次試験で不合格となったが、すでにその実力が[[中央競馬]]のファンにも知れ渡っていた[[安藤勝己]]が免許を取得できなかったことは各方面からの非難を呼んだ。そして翌2002年には通称'''アンカツルール'''と呼ばれた「'''過去5年間に中央競馬で年間20勝以上の成績を2回以上挙げた騎手'''」の一次試験を免除する規定が設けられたこともあって、見事に合格。[[地方競馬全国協会]]は騎手免許の中央・地方重複所有を監督官庁である[[農林水産省]]へ要請したが認められず、2003年3月より[[安藤勝己]]は[[中央競馬]]所属騎手として再出発を果たした。以後も各地区のリーディング級騎手による[[中央競馬]]騎手免許試験の受験が相次ぎ、また地方競馬内でも比較的余裕のある競馬場への移籍を望む事例がみられるようになった<ref name="chihokeibashi05098"/>。 |
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==== 生き残りに向けて ==== |
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[[File:Mombetsu Racecourse Polaris Dome 20090813.jpg|thumb|left|[[門別競馬場]]のポラリスドーム]] |
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2004年、疲弊する地方競馬を中心とした日本競馬の構造改革を目指して[[競馬法]]が改正され、勝馬投票券発売業務を始めとする競馬の実施にあたる業務の大半を民間業者へ委託可能となった<ref name="chihokeibashi05007"/>。そして早速、2004年限りでの廃止が決定していた[[高崎競馬場]]について、当時新進気鋭のIT系若手経営者として知られ、熱心な競馬ファンでもあった[[ライブドア]]社長[[堀江貴文]]が、[[インターネット]]を通じた馬券発売を中心とした再建策を持ち上げる<ref group="注">この再建計画それ自体は、競馬主催者である[[群馬県]]によってその見通しの甘さを指摘され採用には至らなかった</ref><ref name="nomoken1122"/>。2005年には、[[ソフトバンク]]の子会社であるソフトバンク・プレイヤーズが、[[日本レーシングサービス]]が所有していた[[南関東公営競馬|南関東]]を除く地方競馬の統合[[電話投票]]システムである[[D-net]]を買収し、翌2006年4月より'''[[オッズパーク]]'''としてリニューアル<ref name="chihokeibashi05084"/>。同社はまた、[[帯広市]]主催の[[ばんえい競走|ばんえい競馬]]の一部業務委託も2011年度まで担っている。一方で[[南関東公営競馬]]は[[東京都競馬]]がシステムを管理する自前の[[電話投票]]システム'''[[SPAT4]]'''を有していたが、別途2006年3月末に[[楽天グループ|楽天]]との間で[[インターネット]]を通じた勝馬投票券発売業務の提携を発表。他の主催者もこれに追随し、2007年2月より'''[[楽天競馬]]'''として業務を開始した<ref name="chihokeibashi05084"/>。 |
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こうした勝馬投票券発売業務の委託は10%以上の高額な手数料による収益性低下の問題を孕んでいたものの、その利便性の高さから総売上に占める電話投票の割合は着実に増加していった<ref name="chihokeibashi05084"/><ref name="chihokeibashi05020"/>。なかでも[[高知県競馬組合]]は'''[[ハルウララ]]'''の登場と関係者の必死の努力によってギリギリで廃止を免れる状況が続いていたが、インターネット投票の顧客を狙って2009年より冬期も含めた通年ナイター開催である'''夜さ恋(よさこい)ナイター'''を開始。後述する[[日本中央競馬会]]の[[電話投票]]システムでの発売もあって、大きく経営を安定化させることに成功している<ref name="kudo"/>。このようにナイター開催化の流れは全国的に顕著であり、同じく2009年から[[門別競馬場|門別]]もナイター化し<ref name="chihokeibashi05180"/>、2012年からは[[園田競馬場]]も限定的ながらナイター開催を行っている<ref name="sonokin"/>。こうした中で地方競馬の開催成績は2000年代半ばから微減で推移してきたが、それでも2011年には[[荒尾競馬場]]が<ref name="araowebfurlong"/>、2013年には[[福山競馬場]]が廃止となった<ref name="araoyomiuri"/>。 |
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2000年代の後半に入るとインターネット発売や広域場間場外発売の拡大もあって、従来から進められていた'''[[ダービーWeek]]'''を始めとする全国規模のシリーズ競走の企画運営や交流競走路線の整備が、一層の進展を見せてきた。また[[聖域なき構造改革|小泉構造改革]]に伴う[[特殊法人]]改革によって、[[地方競馬全国協会]]は2008年より[[地方共同法人]]へと移行する。この際にその業務に「'''競馬活性化事業及び競走馬生産振興事業に対する補助'''」が加えられ、[[農林水産大臣]]の認可を受けた'''認定競馬活性化計画'''に基づき、[[地方競馬全国協会]]が各主催者や業務受託業者を支援することが可能となった<ref name="chihokeibashi05375"/>。そして[[日本中央競馬会]]からの交付金も用いて整備が進められた'''地方競馬共同トータリゼータシステム'''によって<ref name="chihokeibashi05067"/>、2012年10月からは'''地方競馬IPAT'''として[[中央競馬]]の[[電話投票]]システムを通じた地方競馬の発売を開始<ref name="naripat"/>。また同じシステムを通じて地方競馬場やその[[場外勝馬投票券発売所]]で[[中央競馬]]の馬券を発売する'''J-PLACE'''も拡大し<ref group="注">同じ地方競馬の施設を使用する場合でも、中央競馬のシステムに直接接続する場合はWINSとして扱われている。</ref><ref name="jplace"/>、その手数料収入が一部の地方競馬主催者にとっては重要な収益の柱となっている<ref name="nagoyakuroji"/>。 |
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これらの施策が実を結び、地方競馬の売上は下げ止まりの傾向を示している<ref name="daily20150615" />。川崎競馬では平成25年(2013年)度の一般会計決算で累積赤字をすべて解消し黒字に転じた<ref name="sponichi20150109" />ほか、ばんえい競馬も平成25年(2013年)度・平成26年(2014年)度の2年連続で売得金(売上)が前年度比110%以上となっている<ref name="daily20150615" /><ref name=NAR_2013seiseki /><ref name=NAR_2014seiseki />。 |
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また、長年下落傾向にあった競走賞金も徐々に回復に転じ、各競馬場において重賞競走の新設や賞金増額などの施策が講じられるようにもなった。 |
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==== ダート体系整備 ==== |
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[[2022年]]、JRAと連携して大規模なダート競走の大規模な体系整備が[[2023年]]より実施されることが発表された。<ref name=":2">{{Cite web|和書|url=https://jra.jp/news/202211/112802.html |title=全日本的なダート競走の体系整備 |access-date=2023-10-08 |publisher=日本中央競馬会}}</ref>中央馬に対する地方馬の戦力の増強、ダートグレード競走の国際格付け取得が最終的な目標とされている。<ref name=":2" /> |
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'''整備内容'''<ref name=":2" /> |
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* 3歳ダート三冠として、[[羽田盃]]・[[東京ダービー (競馬)|東京ダービー]]・[[ジャパンダートダービー|ジャパンダートクラシック]](前身ジャパンダートダービー)の3競走をGI級レースとして整備、[[不来方賞]]の新設を含めるトライアルレースの設定をする。また、3歳(牝馬)三冠や春秋古馬三冠と同様特別賞が設定されており、8,000万円の賞金が贈られる。 |
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詳細は''[[3歳ダート三冠]]''を参照。 |
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* 3歳馬の春季短距離路線の頂点を決める競走として、[[兵庫チャンピオンシップ]]を1,400mに変更。 |
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* 兵庫チャンピオンシップに向けて、2歳秋を対象とした8地方競馬場での競走、3歳秋を対象とした4ブロックでの競走をダート短距離の重賞級認定競走[[ネクストスター (競馬の競走名)|ネクストスター]]として設定する。また、これらの競走は地方競馬所属のみが参戦が可能となる。{{Efn2|ダート適性馬の地方競馬への早期入厩を促進を目的としている。}} |
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詳細は''[[ネクストスター (競馬の競走名)]]''を参照。 |
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* 2・3歳短距離路線の充実を目的に、[[北海道スプリントカップ]]を8月中旬の3歳限定戦に、[[エーデルワイス賞]]を10月末 - 11月上旬に変更する。{{Efn2|前者は3歳馬の短距離路線賞金獲得の機会増加、後者は2歳馬短距離路線の充実を目的としている。}} |
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* 古馬短距離路線の整備を目的とした、[[さきたま杯]]の短距離の春頂点決定戦への位置づけ、同競走と[[かきつばた記念]]の整備。 |
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* 古馬中距離路線の重賞競走のローテーション調整と整備。[[ダイオライト記念]]、[[川崎記念]]、[[名古屋グランプリ]]、[[名古屋大賞典]]が対象。 |
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* 古馬牝馬路線の上半期頂点決定戦として[[エンプレス杯]]の時期変更と整備。各地区から同競走へ向かう体系作りを目的に、[[クイーン賞]]、[[兵庫女王盃]](前身[[TCK女王盃]])、[[ブリーダーズゴールドカップ]]の時期を変更する。 |
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* 3歳牝馬路線の上半期目標として[[マリーンカップ]]の時期変更、整備。優勝馬は[[JBCレディスクラシック]]の優先出走権が得られる。 |
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2歳馬競走に対する変更は2023年、3歳馬や古馬競走に対する変更は2024年から適応される。 |
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また、地方馬の戦力の増強を目的とした、上記以外にも本賞の増額や競走体系・負担重量の整備、優勝馬への報奨金などのダートグレード競走への奨励策、国際競走化やより上の格付け取得、レースレーティングの向上を目的とした、海外出走馬の受け入れ体制の整備などが施行される予定であり、2028年から段階的にダートグレード「Jpn」の廃止も行われる。 |
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こういった改革を受けて各地域の競馬運営組織でも競走の見直しが行われており、近辺地域における3歳秋の頂点決定戦だった岩手の[[ダービーグランプリ]]の終了や兵庫地域では[[三冠 (競馬)|兵庫三冠]]競走を再編して、[[西日本クラシック]]を新設することが発表されている。<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQODH306O30Q2A131C2000000/ |title=国際競走化目指した壮大な改革 ダート競走の体系整備 |access-date=2023-10-08 |publisher=日本経済新聞}}</ref> |
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== GI・JpnI競走 == |
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以下の表は2024年度それぞれの格付けの施行順となっている。 |
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<!-- データの整合性を常時保たせることが困難なため、詳細なデータについては各項目に譲る。 --> |
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=== GI === |
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{| class="wikitable" |
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!!!競走名!!備考!!出走可能性齢 |
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|- |
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|1||'''[[東京大賞典]]'''||1年を締め括る総決算||3歳以上 |
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|} |
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=== JpnI === |
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{| class="wikitable" |
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!!!競走名!!備考!!出走可能性齢 |
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|- |
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|1||'''[[川崎記念]]'''||春のダートチャンピオン決定戦||4歳以上 |
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|- |
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|2||'''[[羽田盃]]'''||3歳ダート三冠第1戦||3歳牡馬・牝馬 |
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|- |
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|3||'''[[かしわ記念]]'''||春のマイルチャンピオン決定戦||4歳以上 |
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|- |
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|4||'''[[東京ダービー (競馬)|東京ダービー]]'''||3歳ダート三冠第2戦||3歳牡馬・牝馬 |
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|- |
|||
|5||'''[[さきたま杯]]'''||春の短距離チャンピオン決定戦||3歳以上 |
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|- |
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|6||'''[[帝王賞]]'''||上半期総決算||4歳以上 |
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|- |
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|7||'''[[ジャパンダートクラシック]]'''||3歳ダート三冠最終戦||3歳牡馬・牝馬 |
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|- |
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|8||'''[[マイルチャンピオンシップ南部杯]]'''||秋のマイルチャンピオン決定戦||3歳以上 |
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|- |
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|9||'''[[全日本2歳優駿]]'''||2歳ダートチャンピオン決定戦||2歳 |
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|} |
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※川崎記念は2024年度より開催時期を4月上旬に移設<ref>[https://jra.jp/news/202211/112802.html 全日本的なダート競走の体系整備] - 日本中央競馬会、2022年11月28日配信・閲覧</ref>。 |
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※羽田盃・東京ダービーは2023年まで南関東重賞格付けにおいてSIであった。また、さきたま杯がJpnIに昇格するため南関東全ての競馬場にJpnIが定められる。 |
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※ジャパンダートクラシックは2023年まで「ジャパンダートダービー」の名称で7月に開催されていたが、ダート三冠路線整備に伴い現名称に変更の上、10月上旬に移設。 |
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==== JBC競走 ==== |
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{| class="wikitable" |
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!!!競走名!!備考!!出走可能性齢 |
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|- |
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|1||'''[[JBCレディスクラシック]]'''||JBC牝馬チャンピオン決定戦||3歳以上牝馬 |
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|- |
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|2||'''[[JBCスプリント]]'''||JBC短距離チャンピオン決定戦||3歳以上 |
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|- |
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|3||'''[[JBCクラシック]]'''||JBCダートチャンピオン決定戦||3歳以上 |
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|} |
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== 日本国外における地方競馬 == |
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上述の通り、地方競馬とは日本国内における法令用語である。だが、日本国外の競馬についても、その施行形態や開催規模などによって、地方競馬に近い形で呼ばれているか、翻訳・紹介にあたって地方競馬の語を充てる事例が存在する。これは必ずしも、日本における地方競馬と質的に同等というわけではない。 |
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=== フランス === |
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[[フランスの競馬]]においては、[[フランスギャロ]]と[[シュヴァルフランセ]]によって施行される[[パリ]]地区を除く、地方競馬協会(Société de courses de Province)が施行する競馬が地方地区(地方競馬)とされる。全国に200を越える地方競馬協会が存在し、その施設は多くの場合[[地方政府|地方自治体]]の所有である。全国で10個の地方連合会によって束ねられたこれらの地方競馬は、[[パリ]]地区も含めた全国組織であるフランス競馬全国連合を通じて、審判や発走などの開催執務を担う人員や放映機材の支援、[[フランス場外馬券発売公社]](PMU)の収益からの資金援助を受ける<ref group="注">フランスにおいては、パリ地区・地方地区の別なく場内と場外における馬券の発売をそれぞれフランス場内馬券発売公社(PMH)と[[フランス場外馬券発売公社|PMU]]が担っている。なお、地方地区への競馬生産協同基金には、パリ地区での収益が含まれる。</ref>。一方で、[[フランス場外馬券発売公社|PMU]]での発売を受けられない零細地方競馬協会については開催成績が低迷し、競馬を廃止する地方自治体も現れている<ref name="koyama"/><ref name="kaigaidokuhon80"/>。 |
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=== オーストラリア === |
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[[オーストラリアの競馬]]は[[オーストラリア|連邦]]を構成する[[オーストラリアの州と特別地域|各州及び特別地域]]ごとに根拠法が制定され、それに基づいて大小数百の競馬主催者が存在している。これはその賞金額などによって3つのカテゴリーに分類され、上からそれぞれ都市競馬(Metropolitan)、地方競馬(Provincial)、田舎競馬(Country)と呼ばれている。ただし、カテゴリーの間で相互の出走の制限などは存在せず、あくまで主催者の相対的な位置付けに過ぎない<ref name="marikoaustralia"/><ref name="kaigaidokuhon40"/>。 |
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=== 南米諸国 === |
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[[ウルグアイ]]には14の競馬場が存在するが、そのうち首都[[モンテビデオ]]郊外に存在するマローニャス競馬場([[:es:Hipódromo de Maroñas|Hipódromo de Maroñas]])以外の競馬場を地方(Interior)とする<ref name="kaigaidokuhon2151"/>。[[チリの競馬]]においては、各競馬主催者は法的には同等であるが、記録・統計上は首都[[サンティアゴ (チリ)|サンティアゴ]]の2団体と[[ビニャ・デル・マール]]に存在するバルパライーソ・スポーティングクラブの3主催者が中央、それ以外は地方とされる<ref name="kaigaidokuhon2157"/>。 |
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== テレビ番組 == |
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* [[日経スペシャル ガイアの夜明け]] 優駿の叫び 存続か廃止か 揺れる地方競馬(2005年1月18日、テレビ東京)<ref>[https://www.tv-tokyo.co.jp/gaia/backnumber/preview050118.html 優駿の叫び 存続か廃止か 揺れる地方競馬] - テレビ東京 2005年1月18日</ref>。 |
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== 脚注 == |
== 脚注 == |
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{{脚注ヘルプ}} |
{{脚注ヘルプ}} |
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=== 注釈 === |
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{{Reflist}} |
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{{Reflist|30em|group="注"}} |
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=== 出典 === |
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{{Reflist|23em|refs= |
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<ref name="keibaho0105">「競馬法」第1条第5項</ref> |
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<ref name="keibaho0102">「競馬法」第1条第2項</ref> |
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2024年11月13日 (水) 03:39時点における最新版
概要
[編集]1948年7月に制定された競馬法の下で地方公共団体によって主催される公営競技[1]であり、日本中央競馬会(JRA)の主催する「中央競馬」と対をなす法令用語となっている[2]。2013年4月現在は14の主催者により全国17か所の競馬場(開催が行われていないものも含む)[1]で平地競走とばんえい競走が施行され[3]、競馬法に基づく地方共同法人の地方競馬全国協会(NAR)がこれを統括する。
戦前の公認競馬から国営競馬を経て、政府によって出資される特殊法人である日本中央競馬会によって施行されている現在も国庫への納付金を課せられている中央競馬に対して、現在の地方競馬は都道府県ないしは競馬場が所在する総務大臣が指定した市町村、または左記の地方公共団体で構成される一部事務組合が施行する競馬である[注 1][4]。
2014年現在、日本での馬券発売を伴う競馬全体において在籍頭数のおよそ6割、競走数の約8割を占める[注 2][5][6][7]。勝馬投票券における払戻率は70〜80%であり[8][9]、その収益は主催自治体の畜産の振興、社会福祉の増進、医療の普及、教育文化の発展、スポーツの振興、災害の復興に充てられるほか[10]、競馬を主催していない地方公共団体に対しても地方公共団体金融機構の貸付金利引き下げによって還元される[11]。また、地方競馬全国協会を通じても広く馬の改良増殖や畜産振興のために用いられている[12]。しかしながら、1990年代以降は景気後退や娯楽の多様化などによって開催成績は低迷を続け、競馬事業を廃止する自治体も現れている[13]。
戦前は草競馬と蔑まれた地方競馬も、戦後の一時期は平日開催が可能でかつ開催数が多いことが追い風となり好景気を迎えたこともあった。開催数が多いことで賞金総額は国営競馬の2倍近くとなり、1950年にはダービーの有力候補や天皇賞好走馬(エゾテッサン、二着入線後に失格)が続々と地方競馬入りするといったこともあった[14]が、中央競馬の巻き返しにより再び人気は逆転していった。激しい淘汰の時代を経て、2011年には主催団体が15にまで減少。売り上げは3314億円まで減少した。その後2013年に福山競馬が廃止されたものの、JRAのIPAT投票での発売開始や日本経済の好転に伴って売り上げが急激に回復し、中にはバブル期を上回る過去最高の売り上げを記録する競馬場も出てきている。2022年度の全国総売上は1兆703億5968万3860円に達し、史上初めて1兆円を超えた[15]。
競走馬の登録・格付け
[編集]競走馬の登録は地方競馬全国協会が行い[12]、競走馬の格付け(クラス分け)は各主催者(地区)の区分によって行われる。格付けは各馬がレースで獲得した本賞金に各主催者(地区)が定める補正を行った番組賞金によって定められ、各主催者(地区)とも3段階(A・B・C)の大区分を基本としているが、各主催者(地区)ごとに年齢・収得賞金・着順のポイント換算など基準は異なる。主催者(地区)によっては前述の大区分に数字を組み合わせ、「A1・A2・B1…」のように細分化されることもある[16]。兵庫県競馬組合は競走馬の格付けに独自のポイント制を採用している[17]。南関東地区でも2024年1月1日から番組賞金に代わってポイント積算方式を全面導入することが発表され、2歳馬については2023年4月1日から先行導入が開始されている[18]。
なお、中央競馬における初出走馬にはゲート試験が課せられているが[19]、地方競馬ではそれに加えて基準タイム以上で模擬競走を走破する能力試験[注 3]が行われる[24]ほか、転入馬や長期休養明けの競走馬には同様の調教試験が実施される[25]。
調教師・騎手・馬主
[編集]調教師や騎手など競馬関係者の免許は地方競馬全国協会より付与され[12]、免許試験も地方競馬全国協会が行う[26]。騎手や調教師の養成や研修を行う施設として、栃木県に地方競馬教養センターがある(ばんえいの養成は行っていない)[27]。
厩務員はJRA競馬学校の卒業が義務づけられている中央競馬と異なり、地方競馬の場合は特別な試験を必要とせず、厩務員を希望する者は各地方競馬の厩舎(調教師)と直接雇用契約を結ぶ[26]。近年は日本人のなり手不足が深刻になり、2018年にホッカイドウ競馬が初めて外国人厩務員の採用を解禁して以来、ほかの地方競馬でも主にインド人を中心に外国人厩務員の採用が増えている[28]。
開催執務を担う人材は、各主催者の職員が地方競馬教養センターで研修を受けるなどして業務に就いているほか、主催者の要請に応じて一部は地方競馬全国協会からも派遣されている[27]。
騎手は原則として必ずいずれかの競馬場の厩舎に所属することとされている[26]が、南関東公営競馬(浦和・大井・船橋・川崎)と兵庫県競馬組合(園田・姫路)では、所定の要件を満たした騎手に限って特定の厩舎に所属しない「騎手会所属騎手(中央競馬のフリー騎手に相当)」の制度を導入している[29][30]。また、ミスターピンクの異名で知られる内田利雄騎手は、宇都宮競馬場の廃止後、厩舎どころか競馬場にすら所属しない完全フリーの騎手として活躍していた時期がある。
騎手がレースの際に着用する勝負服は、原則として騎手ごとに固有の服色(騎手服)である[31]が、ホッカイドウ競馬と南関東公営競馬では例外的に馬主固有の服色(馬主服)を着用しての騎乗を認めている場合もある[32]。なお、中央競馬は馬主服が原則のため、地方競馬の騎手が中央競馬で騎乗する場合も馬主服を着用する。また、地方競馬の競走馬が中央競馬で行われる交流競走(後述)に出走する際、馬主が日本中央競馬会に登録されていない場合は「交流服」と呼ばれる専用の服が日本中央競馬会より貸与される[33]。
騎手は原則として所属する競馬場(地区)内のみでの騎乗となるが、2000年代以降は他地区の地方競馬で期間限定騎乗を行ったり、重賞競走でスポット騎乗を行うなど、活躍の場が広がりつつある[34]。吉原寛人(金沢)は各地の地方競馬で重賞を勝つなど活躍し、2024年には史上初となるばんえいを除く地方競馬全14場での重賞制覇を達成した[35][36]。このほか、2007年に韓国競馬へ長期遠征を行った倉兼育康[注 4]を先駆者として、海外競馬への遠征を行う騎手も現れるようになった。また、多くの女性騎手が各地の地方競馬で活躍していることも特徴となっている[26]。
馬主の審査・登録も地方競馬全国協会が日本中央競馬会とは別に行っており[12]、必要とされる所得額は個人馬主の場合で500万円以上となっている[注 5][39]。
競走・競馬番組
[編集]地方競馬の平地競走は1周850メートル以上の走路でサラブレッド系の馬によって行われ、スタートからゴールまでのスピードを競う[3]。ばんえい競走は日本で生まれた独自の競走形態で、体重1トン前後の重種馬が騎手とおもりを載せた鉄製のそりをひき、途中に2つの障害(台形状の小さな山)を設けた直線200mのセパレートコースでパワーとスピードを競う[3]。
地方競馬の競馬番組は「2歳」「3歳」「一般(3歳以上の古馬)」の年齢区分で番組編成が行われ、各馬の格付け(前述)に基いて出走可能なレースが決められる[16][注 6]。
重賞競走は各主催者(地区)が個別に定めた独自のグレード表記を行うところもある[40]ほか、中央競馬と地方競馬の所属に関わらず出走できるダート交流重賞は日本グレード格付け管理委員会の承認を受けた格付表記(国際競走はG表記、日本調教馬限定競走はJpn表記)が用いられ、「ダートグレード競走」として総称される[41]。このほか、中央競馬の下級条件馬が出走する「条件交流競走」や地方競馬のみの全国交流競走、さらには地域限定の交流競走や騎手のみの交流競走も幅広く行われている[42]。大井競馬場では、韓国馬事会(KRA)との国際交流競走を2013年より2016年までの4回実施した[43]。
また、複数の重賞競走をシリーズ化した競走も行われ、一部のシリーズ戦は着順に応じたポイント等で各馬の順位を決め、上位馬にボーナス賞金を与えている。全国規模でのシリーズ競走は以下の通り。
- ダービーシリーズ[44] - 各地の8競馬場で行われる「ダービー(3歳馬のチャンピオン決定戦)」を短期集中施行(2006年から2023年まで)。
- GRANDAME-JAPAN[45] - 世代別(2歳・3歳・古馬)の牝馬重賞シリーズ戦。ポイント上位馬にはボーナス賞金を授与。
- 未来優駿[46] - 秋に行われる各地の2歳馬による主要競走を短期集中施行。
- 地方競馬スーパースプリントシリーズ[47] - 1000m以下の短距離競走で構成されるシリーズ戦。各地区ごとに予選となるトライアル競走を行い、それらの上位馬で行われるファイナル(習志野きらっとスプリント)でチャンピオンを決定する(2011年から2023年まで)。
- 3歳秋のチャンピオンシップ[48] - 各地の3歳馬限定重賞競走を戦った有力馬が盛岡競馬場で実施されるダービーグランプリへ集い、地方競馬の3歳チャンピオンを争う。ボーナス賞金のほか、JBC出走奨励金の制度もある[49](2017年から2023年まで)。
騎手交流競走には、以下のようなシリーズ戦がある。
- 地方競馬ジョッキーズチャンピオンシップ[50] - 中央競馬で行われる「ワールドオールスタージョッキーズ(2014年まではワールドスーパージョッキーズシリーズ[51])」に出場する地方競馬代表騎手の選抜を目的とした競走シリーズ戦。
- ゴールデンジョッキーカップ[52] - 通算2000勝以上を記録した地方競馬・中央競馬の騎手のみで争われる競走シリーズ。
- 佐々木竹見カップ ジョッキーズグランプリ[53] - 地方競馬の騎手として通算7151勝(ほか中央競馬で2勝)などの記録をもち、「鉄人」「地方競馬の至宝」の異名もつけられた佐々木竹見の功績を称え、地方競馬・中央競馬の代表騎手を招待して行われる競走シリーズ。
- 全日本新人王争覇戦[54] - 地方競馬・中央競馬からデビュー3年以内の若手騎手が集い、新人王の称号をかけて争う競走シリーズ。
- レディースジョッキーズシリーズ - 地方競馬の女性騎手のみで争われる競走シリーズ(2006年 - 2011年、2021年 - )。
- レディスヴィクトリーラウンド[55] - 2016年から2020年まで開催された地方競馬の女性騎手のみで争われる競走シリーズ。
ホッカイドウ競馬では馬産地に近い特性を生かし、1着馬の馬主または生産牧場へ副賞として特定種牡馬の種付権を与える「スタリオンシリーズ競走」を行っている[56]。その後、岩手や東海地区・兵庫でも「HITスタリオンシリーズ」の名称で行われるようになった[57]。また一部の競馬場では、数万円程度の協賛金と副賞を提供することで、競走の冠命名権などのサービスを含んだ個人協賛競走を行うことができる。
表彰制度
[編集]全国規模の表彰として地方競馬全国協会がNARグランプリを1990年度より行っている[58]ほか、日本プロスポーツ協会の加盟団体として日本プロスポーツ大賞での受賞資格を有する[59]。また、南関東地区が優秀騎手・功労調教師らの表彰を行い[60]、兵庫県競馬組合が別途年度代表馬や各部門賞を選定している[61]など、各主催者・地区単位でも独自の表彰制度を設けている。岩手県競馬組合では、馬事文化賞の表彰も行われている[62]。
競馬場
[編集]地方競馬を開催可能な競馬場
[編集]地方競馬を開催できる競馬場は、以下の17ヶ所[1][63]。ただし2024年時点で、中京競馬場、札幌競馬場は中央競馬の開催のみが行われているため実質15場である。中京は2003年以降、札幌は2010年以降は地方競馬の開催がなく、休止状態である。
地区 | 都道府県 | 所在地 | 競馬場名 | 主催者・通称 | 所属 |
---|---|---|---|---|---|
北海道 | 北海道 | 帯広市 | 帯広競馬場 | 帯広市(業務委託:株式会社コンピューター・ビジネスほか) 通称:ばんえい競馬(ばんえい十勝) |
ばんえい |
沙流郡日高町 | 門別競馬場 | 北海道(業務委託:北海道軽種馬振興公社) 通称:ホッカイドウ競馬 |
北海道 | ||
札幌市中央区 | 札幌競馬場 | ||||
東北 | 岩手県 | 盛岡市 | 盛岡競馬場 | 岩手県競馬組合 (岩手県、盛岡市、奥州市) |
岩手 |
奥州市 | 水沢競馬場 | ||||
南関東 | 埼玉県 | さいたま市南区 | 浦和競馬場 | 埼玉県浦和競馬組合 (埼玉県、さいたま市) |
浦和 |
千葉県 | 船橋市・習志野市 | 船橋競馬場 | 千葉県競馬組合 (千葉県、船橋市、習志野市) |
船橋 | |
東京都 | 品川区 | 大井競馬場 | 特別区競馬組合 (東京都特別区) 通称:TOKYO CITY KEIBA(TCK) |
大井 | |
神奈川県 | 川崎市川崎区 | 川崎競馬場 | 神奈川県川崎競馬組合 (神奈川県、川崎市) |
川崎 | |
北陸 | 石川県 | 金沢市 | 金沢競馬場 | 石川県(石川県競馬事業局) | 金沢 |
金沢市 | |||||
東海 | 岐阜県 | 羽島郡笠松町・岐南町 | 笠松競馬場 | 岐阜県地方競馬組合 (岐阜県、笠松町、岐南町) |
笠松 |
愛知県 | 弥富市 | 名古屋競馬場 | 愛知県競馬組合 (愛知県、名古屋市、豊明市) |
愛知 | |
豊明市・名古屋市緑区 | 中京競馬場 | ||||
近畿 | 兵庫県 | 尼崎市 | 園田競馬場 | 兵庫県競馬組合 (兵庫県、尼崎市、姫路市) |
兵庫 |
姫路市 | 姫路競馬場 | ||||
四国 | 高知県 | 高知市 | 高知競馬場 | 高知県競馬組合 (高知県、高知市) |
高知 |
九州 | 佐賀県 | 鳥栖市 | 佐賀競馬場 | 佐賀県競馬組合 (佐賀県、鳥栖市) |
佐賀 |
-
地方競馬で唯一、ダートコースと芝コースを備える盛岡競馬場
-
ナイター開催が行われる大井競馬場
開催回数
[編集]地方競馬は競馬法および競馬法施行規則により年間開催回数と1開催あたりの開催日数、1日あたりの競走回数が定められている。1回の開催における開催日数は6日を超えず、1日の競走回数は12を超えない。1回の開催における日取りは、連続する12日間の範囲内の日取りとする。年間開催回数については下表で定められた回数を超えない[64]。ただし、施設改善もしくは公益性の高い事業に対する財源確保を目的に開催回数上限を超えて「特別競馬」を3開催(最大18日)を上限に開催することが認められている[65]。
都道府県 | 年間開催回数 |
---|---|
北海道 (ホッカイドウ競馬・ばんえい競馬の合計) |
43回 |
兵庫 | 29回 |
愛知 | 28回 |
岩手、東京、石川、岐阜、佐賀 | 21回 |
高知 | 19回 |
神奈川 | 15回 |
埼玉、千葉 | 13回 |
その他の府県 | 4回 |
各競馬場の開催実績
[編集]2023年度実績(2023年4月 - 2024年3月[66])
競馬場 | 日数 | 増減 | 入場人員 | 総売得金 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|
入場人員 | 前年比 | 総売得金 | 前年比 | ||||
帯広 | 149 | 1 | 336,289 | 120.2% | 55,919,951,900 | 100.9% | |
門別 | 82 | -3 | 56,005 | 117.3% | 51,081,276,330 | 96.9% | |
盛岡 | 66 | 0 | 101,990 | 95.0% | 34,225,286,200 | 82.4% | |
水沢 | 63 | 0 | 82,720 | 92.3% | 26,430,338,400 | 101.3% | |
岩手県 | 129 | 0 | 184,710 | 93.8% | 60,655,624,600 | 89.7% | |
浦和 | 59 | 1 | 139,370 | 118.7% | 70,762,855,820 | 106.6% | |
船橋 | 60 | 0 | 133,563 | 124.9% | 96,208,141,670 | 101.6% | |
大井 | 99 | 2 | 449,021 | 153.1% | 207,078,964,150 | 105.9% | |
川崎 | 64 | 0 | 215,626 | 149.6% | 103,627,405,650 | 97.5% | |
南関東 | 282 | 3 | 937,580 | 141.7% | 477,677,367,290 | 103.2% | |
金沢 | 88 | 0 | 159,187 | 94.8% | 31,228,780,800 | 113.8% | |
笠松 | 96 | -3 | 76,640 | 92.4% | 44,981,520,500 | 105.5% | |
名古屋 | 113 | 0 | 101,663 | 82.7% | 81,074,819,700 | 106.4% | |
園田 | 133 | 2 | 252,223 | 100.5% | 99,989,125,700 | 98.7% | |
姫路 | 26 | -4 | 27,444 | 85.5% | 20,204,866,400 | 95.4% | |
兵庫県 | 159 | -2 | 279,667 | 98.8% | 120,193,992,100 | 98.2% | |
高知 | 109 | 0 | 89,931 | 117.1% | 95,818,960,000 | 101.3% | |
佐賀 | 115 | -1 | 306,202 | 106.6% | 70,232,964,900 | 102.9% | |
計 | 1,322 | -5 | 2,527,874 | 114.5% | 1,088,865,258,120 | 101.7% |
地方競馬全体の売上は1991年の9862億3944万9300円[67]をピークに、2011年度に3314億3768万2700円まで減少した。その後はインターネット投票の普及により売上は増加に転じ、2022年度は史上最高となる1兆703億5968万3860円となった[68]。なお、インターネット投票を含む電話投票が全体の89.9%を占めている。
勝馬投票券
[編集]発売
[編集]2015年4月現在、後述の10方式が設定されている[69]。南関東や東海・北陸といった地区単位での相互発売や広域場間場外発売の設定によって、自場以外で施行されている勝馬投票券の購入も可能である。各主催者がそれぞれ場外発売所を設けているほか、地方競馬全国協会と全国公営競馬主催者協議会が出資する日本レーシングサービスがBAOOの名称で各地に場外発売所を展開している[70]。電話・インターネット投票については、東京都競馬によって運営されるSPAT4、旧来の各主催者ごとの電話投票網を統合したD-netを引き継いだオッズパーク、インターネット投票専業で新規参入した楽天競馬が存在するほか、中央競馬の電話投票システム「IPAT」でも地方競馬の競走を一部購入可能となっている(地方競馬IPAT)[71]。
発売種類
[編集]- 単勝式
- 複勝式
- 枠番号二連勝複式(枠複)
- 枠番号二連勝単式(枠単) - 南関東・金沢のみ設定
- 普通馬番号二連勝複式(馬複、普通馬複)
- 馬番号二連勝単式(馬単)
- 拡大馬番号二連勝複式(ワイド)
- 馬番号三連勝複式(3連複)
- 馬番号三連勝単式(3連単)
- 重勝式 - インターネット投票のみ
歴史
[編集]公営化以前
[編集]祭典競馬と地方競馬
[編集]日本においては中世以来、祭りの中で神社などに即席の直線馬場を設けて2頭の馬を競わせる形式の競馬が全国各地で広く行われていた[72]。こうした祭典競馬・花競馬と呼ばれる日本古来の競馬に対して、1860年代より横浜や神戸の外国人居留地においてイギリスを起源とする西洋式の競馬が行われるようになる[注 7][73]。これは1870年の陸軍による招魂社競馬を皮切りに日本人によっても執り行われ[74]、不平等条約改正を目指す日本政府によって、日本が西洋諸国と同等の文明国となった象徴として喧伝された[73]。そして祭典競馬がその様式を模するなどして、全国各地で次第に洋式競馬が行われるようになっていく[74]。
そして1910年に競馬規程が改正された際に、祭典などの娯楽のために競馬を行うことが法的に認められるとともに[注 8][75]、地方長官による許可と賞品・開催費の補助のもとで畜産組合らが競馬を施行することができるとされた[注 9][76][77]。続く1923年の競馬法においては政府が公認した競馬倶楽部による公認競馬のみが競馬を施行し馬券発売を行うことができるとされたが、各地の畜産組合による競馬の中にも公認競馬に倣って入場券による景品競馬[注 10]のみならず、馬券の発売を実施するものが多く現れるようになる[78]。しかしながら、これは同時に山師的な主催者による競馬場の過剰なまでの増加や、入場券の制限が公然と破られるなどの問題を引き起こした。そしてこうした競馬を政府の統制下に置くために、ついに地方競馬規則(1927年8月27日 農林・内務省令)が施行されるに至るのである[79]。この中では地方長官の許可のもとで各地の畜産組合、畜産組合連合会、馬匹改良を目的とする団体が競馬を施行することができるとされ、またその統一的な規定が定められた[注 11][80][81]。法令用語としての地方競馬の呼称はここに始まる[80]。
1927年秋に52主催者59競馬場で始まった地方競馬は、公認競馬を含めた競馬熱の高まりの中で順調に開催成績を伸ばしていく。公式には禁じられていたが、実際には公認競馬との間で人馬の流動性も高かった[82]。また地方競馬規則の制定に先立つ1926年には大日本産馬会、日本乗馬協会、帝国運送協会の3団体とその関連組織が合同し、馬事関連の全国的な組織である帝国馬匹協会が創設されていた。これが地方競馬主催者の全国的な連絡組織として機能し、馬名の登録や騎手の講習も実施している[83]。
軍部の統制
[編集]このようにして、地方競馬はその法的な地位を得た[注 12][84]。一方で、これは軍馬用途を目的とした馬匹の改良と馬事思想の普及という国策と関連したものであり、農林省や陸軍省からそれ自体は軍馬には向かないサラブレッドによる競馬は公認競馬に譲り、地方競馬ではより軍馬に適したアングロアラブ・アングロノルマンによる競馬を、さらには平地競走ではなく障害競走や速歩競走を行うべきという意見が当初から出されている[79][84]。1933年には地方競馬規則が大幅に改正され、一定以上の売上規模がある主催者はその売上の一部を馬匹改良・馬事に関わる施設のために支出すること、出走を内国産馬に限ること、速歩競走を重視することが定められた[85]。また1936年に公認競馬側が日本競馬会に統合されると、相互の交流は一層厳しく統制された[86]。
そして日中戦争の勃発とそれによる軍馬需要の急激な増大を背景に、1939年7月3日より新たに軍馬資源保護法が施行される。これによってそれまで地方競馬とされてきた競馬は馬券発売を認められた軍用保護馬鍛錬競走へと移行し、「国防上特ニ必要トスル馬ノ資質ノ向上ヲ図リ軍馬資源ノ充実ヲ期スルコト」がその目的となった[87]。これによって当時100を越えていた地方競馬場の多くが閉鎖され、都道府県ごとに存在した畜産組合連合会35団体のもとで37個へと集約される[86]。売上金の一部を国庫へ納入する機能を有していた軍用保護馬鍛錬中央会がこれを統括し[85]、のちに太平洋戦争が勃発するとこれは国家総動員法体制下で帝国馬匹協会、大日本騎道会とともに日本馬事会へと統合された[88]。この鍛錬競走は、いよいよ戦局が悪化する1944年末まで続く[89]。
闇競馬から馬連競馬へ
[編集]第二次世界大戦終結後、軍馬資源保護法ならびに国家総動員法が廃止されたことで、地方競馬はその法的根拠をふたたび喪失した。しかしながら、早くも1945年秋には静岡県で法的根拠を持たない闇競馬が行われるや、地方競馬の開催を望む機運は全国へと波及していく[90]。また1946年春になると、農林省ら中央政府の黙認下で地方長官の認可と条例をもとに競馬を施行し、その売上の5%前後を戦災復興や海外引揚者への支援金のため地方自治体へ寄付する事例も多く見られるようになった[注 13][90]。また北海道においては、進駐していたアメリカ軍第11空挺師団がアメリカ独立記念日を祝うために競馬の施行を北海道馬匹組合連合会に要請。1946年7月6日から進駐軍競馬として競馬が再開されることとなり、札幌、函館、室蘭の3都市で施行されている[注 14][91][92][93]。
そして1946年11月20日、ようやくこの無法状態に終止符を打つべく地方競馬法が施行される[94]。これは戦前の地方競馬規則と同様に馬匹組合・馬匹組合連合会が競馬を施行することを認めるものであり[注 15][94]、その中央団体として中央馬事会が置かれた。鍛錬競走時代に引き続き馬券の発売も認められたほか、配当の上限も従来の10倍から100倍へと引き上げられている[94]。また戦前に引き続きサラブレッド・アングロアラブら軽種馬を中心としていた日本競馬会に対し、各地の農業生産と密着した実用馬を用いることが打ち出され[注 16][94]、民主化の世相を反映しその収益の使途も各馬匹組合連合会および中央馬事会の裁量に任されていた[95]。しかしながらこれらの馬連競馬は闇競馬時代からの連続性が強く、また敗戦直後の社会情勢もあって競馬場での騒擾事件が頻発する[94]。
GHQと競馬法成立
[編集]1947年7月、連合国軍最高司令官総司令部より日本競馬会及び上記の中央馬事会、馬匹組合連合会が、「競馬事業を独占している独占機関である」との通告がもたらされる[注 17][85][96]。GHQが志向していたであろう完全な民営化、そしてそれがもたらすと考えられた反社会的勢力の競馬へのさらなる蔓延を防ぐため、同年12月23日の閣議決定において、従来の公認競馬は国営化、馬連競馬は公営化し都道府県にこれを委ねることが決定された[96]。各地の馬連は1948年春の開催を強行するなどの抵抗を続けたが解散・資産の委譲を迫られ、中央馬事会も1948年7月に解散を余儀なくされる[97]。
そして1948年7月、競馬法が成立。これによって馬連競馬の資産及び開催権は都道府県、競馬場が所在する市町村、そして地方財政委員会が別途指定した戦災復興の中で自主財源不足に苦しむ市町村へと移り、地方競馬は現在まで続く公営競技へと大きな転換を果たすこととなる[98]。
公営化後
[編集]戦後派として
[編集]競馬法が施行された1948年、公営競技へ移行し競馬を施行した地方競馬場は全国で61箇所存在した[99]。だが当然ながら、公営化によって当時の地方競馬が抱えていた問題が一挙に解決するはずもない。馬資源の不足は深刻であった。中間種が競走に盛んに用いられ、馬籍登録を偽った競走馬が蔓延したほか、北海道では輓馬を平地競走で走らせるような奇策すら取られた[100]。また競馬法が成立したのとほぼ時を同じくして、自転車競技法が国会を通過。11月には小倉競輪場で日本初となる競輪が開催されると、この戦後生まれの公営競技は大衆から爆発的な人気を獲得する。その後も1950年には小型自動車競走法によってオートレースが、1951年にはモーターボート競走法に基づき競艇が開始され、それぞれ順調に売上を伸ばしていった[101]。一方で戦前以来の旧態依然とした施設に頼る各地の地方競馬場は開催成績が低迷し、急速にその数を減らしていく[注 18][102]。
こうした中にあって、いち早く隆盛を見せたのは関東地方の競馬場だった。1947年の浦和競馬場を皮切りに、のちに南関東公営競馬を構成する4競馬場は交通の利便性が高い土地へと移転を進める。これによる順調な売上の増加を背景にスターティングゲートの導入や大井による豪サラ輸入のような先進的な施策を進め、国営・中央競馬へ移籍し大競走を制しうるような名馬が数多く現れるに至った。なによりもアングロアラブ競馬においては、質・量ともに国営・中央競馬を凌ぐ堂々たる繁栄をみせている[103]。また、北海道ではその地理的条件から、道内の各競馬場を人馬ともに関係者が渡り歩くジプシー競馬とも呼ばれる興行形態が長く残った[注 19][104]。ばんえい競馬が公営競技として根付きはじめたほか[注 20][105]、戦前以来の十勝におけるアングロノルマン生産を背景に[注 21]、速歩競走が1960年代初頭まで重要な地位を占めた[106]。関西方面へ目を移すと、大井と同じく豪サラを導入した兵庫競馬は、その扱いに慣れないところにコースの手狭さもあって故障馬が続出。頭数の少なさから競走が成り立たず、みすみす国営競馬への流出を許してしまった経験から[107]、以後はアングロアラブ専業の競馬場としてアラブのメッカへの道を歩む[108][109]。大阪競馬場・春木競馬場では障害競走が人気を博し、紀三井寺は北海道を始めとする冬期休催競馬場の出稼ぎ先として独自の存在価値を見出した[110]。そのほかの地区においても徐々に施設の近代化が図られ[111]、1970年には大井競馬場でのちに中央競馬へ移籍すると社会現象を巻き起こすハイセイコーがデビューを迎える。このアイドルホースの登場による第一次競馬ブームによって、全国的に開催成績も上向いていった[112]。
ただし、長沼弘毅を委員長として1961年2月に組織された公営競技調査会の答申は大筋として公営競技の現状維持を定めるものであったが、その中では馬・馬主の登録や地方競馬の騎手免許、専門職員の養成・派遣を全国一元的に統括するとともに、その利益を広く畜産振興のために還元する組織を設立することが求められていた[注 22][113]。これを受けて1962年に特殊法人である地方競馬全国協会が設立され、競走馬の登録や騎手・調教師免許の管理は各主催者からこちらへと一元化されている[114]。1963年には新人騎手などの育成を行うために、栃木県那須塩原市に地方競馬騎手教養所が完成した[114]。
黒い霧の時代から改革へ
[編集]一方で、戦後直後の社会情勢下で公営の競馬を開催するにあたっては、必然的に地元のボスたちとの接触が不可欠である[115]。兵庫のように馬主らによって組織された振興会が競馬の開催業務に深く関わるなど、公営化されたといっても組織としての透明性が長らく不十分な地域も存在した[116]。騎手や調教師、厩務員への反社会的勢力の浸透も避けられず、1960年代から1980年代にかけて競馬法違反容疑で逮捕・追放された事例は全国的に数多い。競馬場内におけるノミ屋・コーチ屋の跋扈も問題であった。また黒い霧事件を契機に一般社会においても注目を集めた公営競技を取り巻く黒い影の存在は、少しでも怪しい競走が行われた場合に、ファンが八百長を声高に叫び容易に暴徒化する環境を生み出していく[117]。とりわけ、その被害規模の大きさに加えて著名馬が関係していたこともあって、園田事件は現在に至るまでも語り継がれ、兵庫県競馬組合の運営に影を落としている[118][119]。革新自治体における公営競技に対する風当たりも激しく、1964年に大阪競馬場、1974年に春木競馬場が廃止されているほか[120]、大井競馬場においても1972年度をもって東京都が開催権を返上し、特別区競馬組合単独での主催となっている[121]。道営競馬にて、1人当たりの馬券購入額を5000円に制限するような奇策が採用されたことすらあった[注 23][122]。
そしてオイルショック後の社会情勢も影響し、1970年後半に入ると地方競馬の開催成績はふたたび全国的に伸び悩む[123]。公営競技としての財政貢献もままならないとなれば、各地で競馬場の存廃までも含めた議論が進められることになった[124]。そして1980年代中ごろから、それぞれの主催者が智恵を絞り、様々な振興策を打ち出していく。ただでさえ減少した入場者を不快にすること甚だしかったノミ屋・コーチ屋は、1985年からの全国的な清浄化作戦によって競馬場内から可能な限り閉め出された[125]。顧客の利便性を高めるために、電話投票の導入や昼休みのサラリーマンを狙った外向き発売口の設置、県内・地区単位での相互場外販売の試みが始まったのもこの時期である[126][127]。中でも岩手県競馬組合は最新鋭の映像伝送システムを駆使したテレトラックと呼ばれる場外網を構築し、急激に売上を伸ばしていった[128]。1986年には、大井競馬場において日本初となるナイター競馬トゥインクルレースが行われている[129]。それでも、大胆な振興策を実施するだけの体力を有していなかった主催者の開催成績は低迷し、なかでも1988年には紀三井寺競馬場が廃止へと追い込まれている[130]。
また、古くから各地の競馬場間を移籍する馬は数多く存在したが、他地区との間で直接の交流はほとんどないに等しかった。それが、1972年に南関東におけるアングロアラブ古馬最高の競走であったアラブ大賞典が全日本アラブ大賞典として、翌1973年には園田競馬場で3歳馬の楠賞が楠賞全日本アラブ優駿として、それぞれ地方競馬全国交流競走化を果たす。これによって、各地区の代表馬がそれぞれのプライドを賭けて、鎬を削り合う舞台が産まれることになった[131]。中央競馬との間でも1973年より中央側で地方競馬招待競走が、大井競馬場で中央競馬招待競走が隔年で交互に施行されていたが、1986年からは帝王賞が距離を2000mに短縮された上で、中央競馬招待・地方競馬全国交流競走となった。中央競馬側でもオールカマーが開放されたほか[注 24]、ジャパンカップにも地方競馬所属馬の招待枠が設けられていた時期があり、1985年には船橋所属のロツキータイガーが2着と健闘している[131]。
オグリキャップの登場と交流元年
[編集]1987年、笠松競馬場でのちに第二次競馬ブームを牽引するオグリキャップがデビューを迎える。これ以前から続いていたバブル景気による経済状態の好転もあって、地方競馬の開催成績もようやく上向きをみせた[132]。1989年には生産者らの団体が主体となって、ホッカイドウ競馬にてブリーダーズゴールドカップが設立されている[133]。また騎手招待競走のような企画・交流競走も華々しく行われ、1988年には兵庫県競馬組合が通算2000勝以上の名手たちが高額賞金を賭けて戦うゴールデンジョッキーカップを創設[134]。1989年から1993年にかけては、国外からも招待騎手を招いたインターナショナルクイーンジョッキーシリーズが開催されている[注 25][135]。各主催者だけでなく、地方競馬全国協会も1990年からは地方競馬全体の表彰としてNARグランプリを開催し、従来の機関誌『地方競馬』が一般競馬ファンも対象とした『Furlong』へと衣替えするなど、時代に合わせた広報活動へと転換していく[136][137]。
一方で、オグリキャップやオグリローマン、イナリワンのような傑出馬を輩出しながらも、活躍の場を求めて中央競馬への移籍を許してしまったことは、地方競馬関係者からすればその心境は複雑であった。また、中央競馬の側も国際化な日本競馬の地位向上において、地方競馬との協調を進める必要に迫られたことから[注 26][138]、1995年より中央競馬と地方競馬の間で交流元年と呼称される、相互交流の大幅拡大が実施されることになった[注 27][139][140]。多くの地方競馬場にて中央競馬所属馬が出走可能な指定交流競走と[注 28][141]、日本中央競馬会が賞金の90%を援助し、1着馬に中央競馬で施行される条件戦のうち特別指定競走への出走権利を付与するとともに中央競馬への転入を優遇するJRA3歳認定競走が設けられた[142]。また、各ブロックの代表選定競走を勝利するなどした馬には中央競馬の最高格付け競走たるGI競走に向けた前哨戦への出走権が与えられ[注 29]、さらにはそこで好走することでGI競走本体へも出走する道が開かれた[143]。果たして、この交流元年初年度から笠松所属のライデンリーダーが、桜花賞のトライアル競走である4歳牝馬特別で勝利。本番の桜花賞こそ4着だったものの、中央競馬の3歳牝馬クラシック3戦全てに出走を果たしている[142]。1996年には日本中央競馬会、地方競馬全国協会、全国公営競馬主催者協議会によってダート競走格付け委員会が組織され、翌1997年より中央競馬・地方競馬を横断した重賞競走の格付けであるダートグレード競走制度が導入された[141]。2001年からは、全国の地方競馬場での持ち回り開催となるJBC競走が創設されている[144]。
そして1999年、中央競馬の東京競馬場で開催されたフェブラリーステークスを岩手所属のメイセイオペラが制し、地方競馬所属馬による中央競馬開催GI初制覇を達成した。同年にはレジェンドハンターがデイリー杯3歳ステークスを逃げ切り、本番の朝日杯3歳ステークスでも2着[145]。2004年にはホッカイドウ競馬で認定厩舎制度を利用したコスモバルクが、中央3歳牡馬クラシック戦線へ有力馬の1頭として参戦し人気を集めた。その後も果敢に芝路線への挑戦を続け、シンガポールのクランジ競馬場で開催された国際GIであるシンガポール航空インターナショナルカップを制する快挙を成し遂げている[146]。
相次ぐ危機
[編集]しかしながら、バブル崩壊後の経済情勢は、地方競馬の開催成績を直撃した[132]。1991年に9862億円でピークを迎えた地方競馬全体の売上は、2000年には5605億円まで激減する[147]。巨額の累積赤字を積み上げた各地の主催者は一転して賞典費を始めとする経営コスト削減に回るが、それが馬資源の流出や厩舎関係者の士気低下を招くことで競走自体の魅力が乏しくなり、ますます開催成績が悪化するという悪循環に陥っていった[148]。また、中央・地方併せて2001年には46競走まで拡大したダートグレード競走だが、その賞金水準の高さに比して売上額は芳しくなく、地方競馬にとってのカンフル剤とはならなかった[149]。高崎競馬場や新潟公営などでは入場者数増加の振興策の一環として、日本中央競馬会の場外勝馬投票券発売所を場内で併設することが行われた。だがその結果として、目の前で行われている生の競走ではなく、僅かな手数料収入しか得られない中央競馬の中継映像へ多くの顧客が群がるという、悲劇的な光景も見られたという[150][151]。
また、西日本を中心に専業の競馬場も存在するなど、長らく地方競馬の歴史を支えてきたアングロアラブ競馬だが、1995年の中央競馬における廃止に続いて、1980年代から在厩数の減少に悩んでいた南関東の競馬場がその廃止を決定する[152]。交流元年後はサラブレッドによる相互交流の機運が高まったこともあって、アラブのメッカを誇った兵庫県競馬組合も1999年にサラブレッドの導入を発表[153]。最終的に、2009年9月27日に福山競馬場で施行された「開設60周年 アラブ特別レジェンド賞」をもって、日本国内におけるアングロアラブ系単独競走は姿を消している[154]。
そして2001年、大分県の中津競馬場が、21億円の累積赤字を理由に廃止されることが主催者の中津市より発表される[13]。その後、中津競馬場では廃止に伴う競馬場関係者の補償金を巡って労働争議が紛糾するが[155]、ともかくもこの中津を皮切りとして、全国的に競馬主催者の撤退が相次いでいった[13]。翌2002年8月には日本一小さな競馬場として知られた島根県益田市の益田競馬場が廃止となり[156]、2003年から2006年にかけて足利・高崎・宇都宮の北関東公営競馬が壊滅[157]。東北地区では、2002年にすでに前年より三条競馬場での開催を中止していた新潟県競馬が完全に廃止され[150]、翌2003年には作家山口瞳が愛したことで知られた上山競馬場からも競走馬が姿を消した[158]。かつては地方競馬の優等生と謳われた岩手競馬すらも、開催成績の低迷に加えて、1996年に移転した新盛岡競馬場の建設費を巡る巨額の債務によって破綻的な経営状況へと陥り、2007年には一時廃止が確実視された[159]。1989年より4市による北海道市営競馬組合として主催されてきたばんえい競馬についても、2006年に帯広市を除く構成地方公共団体が撤退し、単独の開催へ縮小することで辛くも存続している[160]。
また、地方競馬から中央競馬の競走への遠征馬に騎乗する騎手は当日の他の競走にも騎乗できたことから、地方競馬の名手たちが中央競馬においてもその腕前を披露する機会を得ることになった。そして地方競馬の未来がかくも不安定な状況にあっては、一般的な注目度・金銭的な待遇ともに恵まれた中央競馬への移籍を望む騎手が現れることも自然な流れである。2001年、長らく笠松競馬場のリーディングジョッキーとして知られた安藤勝己が、中央競馬の騎手免許試験を受験することを発表した。この年こそ一次試験で不合格となったが、すでにその実力が中央競馬のファンにも知れ渡っていた安藤勝己が免許を取得できなかったことは各方面からの非難を呼んだ。そして翌2002年には通称アンカツルールと呼ばれた「過去5年間に中央競馬で年間20勝以上の成績を2回以上挙げた騎手」の一次試験を免除する規定が設けられたこともあって、見事に合格。地方競馬全国協会は騎手免許の中央・地方重複所有を監督官庁である農林水産省へ要請したが認められず、2003年3月より安藤勝己は中央競馬所属騎手として再出発を果たした。以後も各地区のリーディング級騎手による中央競馬騎手免許試験の受験が相次ぎ、また地方競馬内でも比較的余裕のある競馬場への移籍を望む事例がみられるようになった[34]。
生き残りに向けて
[編集]2004年、疲弊する地方競馬を中心とした日本競馬の構造改革を目指して競馬法が改正され、勝馬投票券発売業務を始めとする競馬の実施にあたる業務の大半を民間業者へ委託可能となった[161]。そして早速、2004年限りでの廃止が決定していた高崎競馬場について、当時新進気鋭のIT系若手経営者として知られ、熱心な競馬ファンでもあったライブドア社長堀江貴文が、インターネットを通じた馬券発売を中心とした再建策を持ち上げる[注 30][162]。2005年には、ソフトバンクの子会社であるソフトバンク・プレイヤーズが、日本レーシングサービスが所有していた南関東を除く地方競馬の統合電話投票システムであるD-netを買収し、翌2006年4月よりオッズパークとしてリニューアル[163]。同社はまた、帯広市主催のばんえい競馬の一部業務委託も2011年度まで担っている。一方で南関東公営競馬は東京都競馬がシステムを管理する自前の電話投票システムSPAT4を有していたが、別途2006年3月末に楽天との間でインターネットを通じた勝馬投票券発売業務の提携を発表。他の主催者もこれに追随し、2007年2月より楽天競馬として業務を開始した[163]。
こうした勝馬投票券発売業務の委託は10%以上の高額な手数料による収益性低下の問題を孕んでいたものの、その利便性の高さから総売上に占める電話投票の割合は着実に増加していった[163][164]。なかでも高知県競馬組合はハルウララの登場と関係者の必死の努力によってギリギリで廃止を免れる状況が続いていたが、インターネット投票の顧客を狙って2009年より冬期も含めた通年ナイター開催である夜さ恋(よさこい)ナイターを開始。後述する日本中央競馬会の電話投票システムでの発売もあって、大きく経営を安定化させることに成功している[165]。このようにナイター開催化の流れは全国的に顕著であり、同じく2009年から門別もナイター化し[166]、2012年からは園田競馬場も限定的ながらナイター開催を行っている[167]。こうした中で地方競馬の開催成績は2000年代半ばから微減で推移してきたが、それでも2011年には荒尾競馬場が[168]、2013年には福山競馬場が廃止となった[169]。
2000年代の後半に入るとインターネット発売や広域場間場外発売の拡大もあって、従来から進められていたダービーWeekを始めとする全国規模のシリーズ競走の企画運営や交流競走路線の整備が、一層の進展を見せてきた。また小泉構造改革に伴う特殊法人改革によって、地方競馬全国協会は2008年より地方共同法人へと移行する。この際にその業務に「競馬活性化事業及び競走馬生産振興事業に対する補助」が加えられ、農林水産大臣の認可を受けた認定競馬活性化計画に基づき、地方競馬全国協会が各主催者や業務受託業者を支援することが可能となった[170]。そして日本中央競馬会からの交付金も用いて整備が進められた地方競馬共同トータリゼータシステムによって[171]、2012年10月からは地方競馬IPATとして中央競馬の電話投票システムを通じた地方競馬の発売を開始[71]。また同じシステムを通じて地方競馬場やその場外勝馬投票券発売所で中央競馬の馬券を発売するJ-PLACEも拡大し[注 31][172]、その手数料収入が一部の地方競馬主催者にとっては重要な収益の柱となっている[173]。
これらの施策が実を結び、地方競馬の売上は下げ止まりの傾向を示している[174]。川崎競馬では平成25年(2013年)度の一般会計決算で累積赤字をすべて解消し黒字に転じた[175]ほか、ばんえい競馬も平成25年(2013年)度・平成26年(2014年)度の2年連続で売得金(売上)が前年度比110%以上となっている[174][176][177]。 また、長年下落傾向にあった競走賞金も徐々に回復に転じ、各競馬場において重賞競走の新設や賞金増額などの施策が講じられるようにもなった。
ダート体系整備
[編集]2022年、JRAと連携して大規模なダート競走の大規模な体系整備が2023年より実施されることが発表された。[178]中央馬に対する地方馬の戦力の増強、ダートグレード競走の国際格付け取得が最終的な目標とされている。[178]
整備内容[178]
- 3歳ダート三冠として、羽田盃・東京ダービー・ジャパンダートクラシック(前身ジャパンダートダービー)の3競走をGI級レースとして整備、不来方賞の新設を含めるトライアルレースの設定をする。また、3歳(牝馬)三冠や春秋古馬三冠と同様特別賞が設定されており、8,000万円の賞金が贈られる。
詳細は3歳ダート三冠を参照。
- 3歳馬の春季短距離路線の頂点を決める競走として、兵庫チャンピオンシップを1,400mに変更。
- 兵庫チャンピオンシップに向けて、2歳秋を対象とした8地方競馬場での競走、3歳秋を対象とした4ブロックでの競走をダート短距離の重賞級認定競走ネクストスターとして設定する。また、これらの競走は地方競馬所属のみが参戦が可能となる。[注 32]
詳細はネクストスター (競馬の競走名)を参照。
- 2・3歳短距離路線の充実を目的に、北海道スプリントカップを8月中旬の3歳限定戦に、エーデルワイス賞を10月末 - 11月上旬に変更する。[注 33]
- 古馬短距離路線の整備を目的とした、さきたま杯の短距離の春頂点決定戦への位置づけ、同競走とかきつばた記念の整備。
- 古馬中距離路線の重賞競走のローテーション調整と整備。ダイオライト記念、川崎記念、名古屋グランプリ、名古屋大賞典が対象。
- 古馬牝馬路線の上半期頂点決定戦としてエンプレス杯の時期変更と整備。各地区から同競走へ向かう体系作りを目的に、クイーン賞、兵庫女王盃(前身TCK女王盃)、ブリーダーズゴールドカップの時期を変更する。
- 3歳牝馬路線の上半期目標としてマリーンカップの時期変更、整備。優勝馬はJBCレディスクラシックの優先出走権が得られる。
2歳馬競走に対する変更は2023年、3歳馬や古馬競走に対する変更は2024年から適応される。
また、地方馬の戦力の増強を目的とした、上記以外にも本賞の増額や競走体系・負担重量の整備、優勝馬への報奨金などのダートグレード競走への奨励策、国際競走化やより上の格付け取得、レースレーティングの向上を目的とした、海外出走馬の受け入れ体制の整備などが施行される予定であり、2028年から段階的にダートグレード「Jpn」の廃止も行われる。
こういった改革を受けて各地域の競馬運営組織でも競走の見直しが行われており、近辺地域における3歳秋の頂点決定戦だった岩手のダービーグランプリの終了や兵庫地域では兵庫三冠競走を再編して、西日本クラシックを新設することが発表されている。[179]
GI・JpnI競走
[編集]以下の表は2024年度それぞれの格付けの施行順となっている。
GI
[編集]競走名 | 備考 | 出走可能性齢 | |
---|---|---|---|
1 | 東京大賞典 | 1年を締め括る総決算 | 3歳以上 |
JpnI
[編集]競走名 | 備考 | 出走可能性齢 | |
---|---|---|---|
1 | 川崎記念 | 春のダートチャンピオン決定戦 | 4歳以上 |
2 | 羽田盃 | 3歳ダート三冠第1戦 | 3歳牡馬・牝馬 |
3 | かしわ記念 | 春のマイルチャンピオン決定戦 | 4歳以上 |
4 | 東京ダービー | 3歳ダート三冠第2戦 | 3歳牡馬・牝馬 |
5 | さきたま杯 | 春の短距離チャンピオン決定戦 | 3歳以上 |
6 | 帝王賞 | 上半期総決算 | 4歳以上 |
7 | ジャパンダートクラシック | 3歳ダート三冠最終戦 | 3歳牡馬・牝馬 |
8 | マイルチャンピオンシップ南部杯 | 秋のマイルチャンピオン決定戦 | 3歳以上 |
9 | 全日本2歳優駿 | 2歳ダートチャンピオン決定戦 | 2歳 |
※川崎記念は2024年度より開催時期を4月上旬に移設[180]。
※羽田盃・東京ダービーは2023年まで南関東重賞格付けにおいてSIであった。また、さきたま杯がJpnIに昇格するため南関東全ての競馬場にJpnIが定められる。
※ジャパンダートクラシックは2023年まで「ジャパンダートダービー」の名称で7月に開催されていたが、ダート三冠路線整備に伴い現名称に変更の上、10月上旬に移設。
JBC競走
[編集]競走名 | 備考 | 出走可能性齢 | |
---|---|---|---|
1 | JBCレディスクラシック | JBC牝馬チャンピオン決定戦 | 3歳以上牝馬 |
2 | JBCスプリント | JBC短距離チャンピオン決定戦 | 3歳以上 |
3 | JBCクラシック | JBCダートチャンピオン決定戦 | 3歳以上 |
日本国外における地方競馬
[編集]上述の通り、地方競馬とは日本国内における法令用語である。だが、日本国外の競馬についても、その施行形態や開催規模などによって、地方競馬に近い形で呼ばれているか、翻訳・紹介にあたって地方競馬の語を充てる事例が存在する。これは必ずしも、日本における地方競馬と質的に同等というわけではない。
フランス
[編集]フランスの競馬においては、フランスギャロとシュヴァルフランセによって施行されるパリ地区を除く、地方競馬協会(Société de courses de Province)が施行する競馬が地方地区(地方競馬)とされる。全国に200を越える地方競馬協会が存在し、その施設は多くの場合地方自治体の所有である。全国で10個の地方連合会によって束ねられたこれらの地方競馬は、パリ地区も含めた全国組織であるフランス競馬全国連合を通じて、審判や発走などの開催執務を担う人員や放映機材の支援、フランス場外馬券発売公社(PMU)の収益からの資金援助を受ける[注 34]。一方で、PMUでの発売を受けられない零細地方競馬協会については開催成績が低迷し、競馬を廃止する地方自治体も現れている[181][182]。
オーストラリア
[編集]オーストラリアの競馬は連邦を構成する各州及び特別地域ごとに根拠法が制定され、それに基づいて大小数百の競馬主催者が存在している。これはその賞金額などによって3つのカテゴリーに分類され、上からそれぞれ都市競馬(Metropolitan)、地方競馬(Provincial)、田舎競馬(Country)と呼ばれている。ただし、カテゴリーの間で相互の出走の制限などは存在せず、あくまで主催者の相対的な位置付けに過ぎない[183][184]。
南米諸国
[編集]ウルグアイには14の競馬場が存在するが、そのうち首都モンテビデオ郊外に存在するマローニャス競馬場(Hipódromo de Maroñas)以外の競馬場を地方(Interior)とする[185]。チリの競馬においては、各競馬主催者は法的には同等であるが、記録・統計上は首都サンティアゴの2団体とビニャ・デル・マールに存在するバルパライーソ・スポーティングクラブの3主催者が中央、それ以外は地方とされる[186]。
テレビ番組
[編集]- 日経スペシャル ガイアの夜明け 優駿の叫び 存続か廃止か 揺れる地方競馬(2005年1月18日、テレビ東京)[187]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 甚大な戦災・天災被害を被った地方公共団体も競馬を施行することができるほか、特別区については例外措置として総務大臣の指定市同等として扱われる。
- ^ 地方競馬側はばんえい競馬のものも含める。
- ^ ばんえい・岩手では「能力検査[20][21]」、ホッカイドウ競馬では「競走能力・発走調教検査[22]」、大井では「能力・調教試験[23]」と呼称され、主催者により名称は異なる。
- ^ 倉兼はその後も遠征を繰り返し、2014年にはソウル競馬場の最優秀騎手に選出されている[37][38]。
- ^ そのほか、所得が500万円以下の場合でも、資産の状況などによっては登録となる場合があるとされている[39]。
- ^ ばんえい競走においては、「2歳」「3歳」「3歳以上」ではなく「2歳」「3・4歳」「3歳以上」の区分が用いられる。ばんえい競走#公営競技のクラス編成を参照。
- ^ これを居留地競馬と総称する。当該項目も参照。
- ^ 「第一条 競馬ハ民法第三十四条ニヨリ設立シタル競馬会ニアラザレバコレヲ行ウコトヲ得ズ但シ祭典等ニ際シモツパラ娯楽ノタメニスルモノハコノ限リニアラズ」。
- ^ 「畜産組合法ニヨル組合マタハ馬匹ノ改良増殖ヲ目的トスル団体ハ前各条ニヨラズ地方長官(東京ニアリテハ警視総監)ノ許可ヲ得テ競馬ヲ行ウコトヲ得前項ノ競馬ニシテ第五条、第九条、第十四条乃至第十六条ノ規定ヲ準用スルモノニアリテハ地方長官ノ請求ニヨリ必要ト認ムルトキハ馬政長官ハ開催補助金マタハ、賞金、賞品モシクハ賞状ヲ下付マタハ授与スルコトヲ得」。当時は馬券発売が禁止された「補助金競馬」の時代であるため。
- ^ 入場券に付属する投票券の投票をもって馬券に替え、的中者に景品を贈呈するシステム。1競走につき1枚が原則とされ、客は2レース以上購入する場合いったん退場し再度入場券を購入し直す建前となっていた。
- ^ これはコースを1周1000m以上の円周形に限るなど、施設面で相応の高い水準を要求する物であった。そのため従来の祭典競馬の中には、「地方競馬」の範疇外でその後も継続して行われたものも多い(「地方競馬規則第30条」には、祭典のための競馬はこれを適用しないとの規定がある)。山陰地方においては、1960年代までその事例が確認されている。また、ばんえい競馬は未だ地方競馬の範疇には含まれることなく、草競馬の形態を余儀なくされた。なお、宮城県における花競馬も参照。
- ^ ただしその根拠が法律でなく省令に留まったことから、馬券発売が不可能であるなどの不満は残った。そのため一部の有力地方競馬場の関係者はしばしば「地方競馬法」の制定を求める陳情を行うこととなる。
- ^ 後述する地方競馬法が議案を通過してから実際の施行までの2ヶ月余りの間に、こうした闇競馬はさらに急増した。
- ^ こうした進駐軍の関連した闇競馬開催は、岡山県におけるイギリス軍の事例、岩手県における一條友吉による競馬再開の動きなど、全国で複数例が確認できる。
- ^ 当初は北海道内3カ所、他の都府県で1カ所のみに制限されていたが、1947年の改正で倍増された。
- ^ これに付随し、従来の駆歩、速歩、障害に加えて輓曳が法的にその地位を認められた。
- ^ 日本馬事会らが戦前の軍馬養成のための国策機関であったことも影響したとされる。
- ^ 奈良競馬場のように、競輪場へ施設が転用された事例も存在する。
- ^ 競馬関係者とその家族にとってこうした根無し草のような生活は負担が重く、のちの門別軽種馬トレーニングセンター開設へと繋がる。
- ^ 草輓馬時代の円形コースから、直線コースへの転換が代表。とはいえ、創成期のころのばんえいは専業者は馬・騎手共に1割ほどで、残りは農業・運搬従事者の副業や家畜商が主だった。完全なプロ化を達成するのは1970年代まで待たねばならない。
- ^ 戦後はスタンダードブレッドが用いられた。
- ^ そのほか、競馬場の所在地でない市町村の戦災指定市が有していた開催権の廃止が答申され、数度の延長を経ながら1968年をもって廃止されている。
- ^ ただし現場における実効性は薄く、数年で廃止となっている。
- ^ 1986年には愛知県競馬組合所属のジュサブローが、1991年には大井競馬場所属のジョージモナークが制している。
- ^ 益田の吉岡牧子騎手が1989〜1991年と3年連続で総合優勝を果たしている。
- ^ その一例として、中央競馬単体で競走数全体に占める重賞競走の割合の高さが問題となったこと、上限のある競走数に対して競走馬数の増加が限界に達していたことが挙げられる。
- ^ ただし、これ以前にも1992年よりローカル競馬場でオープン特別の地方競馬招待競走が新たに設けられ、1994年には新設されたダート重賞である平安ステークスが地方競馬招待競走に指定されるなど、中央競馬側の解放は断続的に続いていた。愛知県競馬組合所属のトミシノポルンガがテレビ愛知オープンを勝ち、平安ステークスでも3着となっている。
- ^ 交流競走補助金として、日本中央競馬会より本賞金総額の50%が交付される。
- ^ 一部のブロックは、選定競走を経ずに直接出走が可能だったほか、東京優駿と優駿牝馬については、皐月賞・桜花賞4着以内で出走権を得ることができる。また、宝塚記念は地方競馬側から候補馬を推薦したうえで、日本中央競馬会側の推薦委員会に委ねるとしている。有馬記念については、GI競走3着以内の戦績が求められていた。
- ^ この再建計画それ自体は、競馬主催者である群馬県によってその見通しの甘さを指摘され採用には至らなかった
- ^ 同じ地方競馬の施設を使用する場合でも、中央競馬のシステムに直接接続する場合はWINSとして扱われている。
- ^ ダート適性馬の地方競馬への早期入厩を促進を目的としている。
- ^ 前者は3歳馬の短距離路線賞金獲得の機会増加、後者は2歳馬短距離路線の充実を目的としている。
- ^ フランスにおいては、パリ地区・地方地区の別なく場内と場外における馬券の発売をそれぞれフランス場内馬券発売公社(PMH)とPMUが担っている。なお、地方地区への競馬生産協同基金には、パリ地区での収益が含まれる。
出典
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参考文献
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- 小山良太「フランスにおける競馬制度と運営組織――フランス競馬・競走馬生産地の調査研究」『Hippophile No.38』、[日本ウマ学会、2009年。
- 立川健治『地方競馬の戦後史:始まりは闇・富山を中心に』世織書房、2012年。ISBN 978-4-902163-62-9。
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- 『協会20周年記念誌 協会のあゆみ』兵庫県馬主協会、1993年。非売品。
- 三好円『バクチと自治体』集英社、2009年。ISBN 978-4-08-720495-7。
- 『競馬〈隠れ名馬〉読本:ダート、地方、障害、アラブ…黙殺され続けた名馬500頭!』宝島社、1998年。ISBN 4-7966-9355-6。
- 『Furlong 1994年3月号』地方競馬全国協会、1994年。
- 『Furlong 1994年4月号』地方競馬全国協会、1994年。
- 『Furlong 1997年7月号』地方競馬全国協会、1997年。
- 『プーサン 第15号』大村書店、2000年。
- 大月隆寛『うまやもん:変わりゆくニッポン競馬の現場』現代書館、2004年。ISBN 4-7684-6880-2。
- ハイランド真理子『世界の競馬場2:オーストラリア・ニュージーランド、香港/マカオ』中央競馬ピー・アールセンター、1994年。ISBN 4924426431。
- 石川ワタル、奥野康介、合田直弘、サラブレッドインフォメーションズシステム『海外競馬完全読本』東邦出版、2004年。ISBN 4-8094-0261-4。
- 海外競馬編集部編『海外競馬完全読本2006-2007』東邦出版、2006年。ISBN 978-4-8094-0524-2。
- 蔵知毅「雑記帖(六)」『岡山畜産便り 1976年8月号』、岡山県畜産協会、1976年。
- 大月隆寛(監修)、中津競馬記録誌刊行会編『中津競馬物語』不知火書房、2002年。ISBN 4-88345-078-3。
関連項目
[編集]- 地方競馬全国協会
- 地方競馬教養センター(栃木県)
- 中央競馬
- 日本プロスポーツ協会
- 日本の競馬
- 競馬の開催
- 競馬番組
- 個人協賛競走
- 出馬投票
- 日本の競馬の競走体系
- 競馬の競走
- 競馬の競走一覧
- 薄暮競走
- 電話投票
- ハロン (雑誌)
- 予想屋
- 草競馬
- たいようのマキバオー(つの丸の作品)
外部リンク
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