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[[ファイル:Lire_100000_(Botticelli).JPG|250px|サムネイル|1978年から1982年まで発行されていた100,000リラ紙幣]]
『'''プリマヴェーラ'''』([[イタリア語|伊]]、[[英語|英]]: Primavera)は、[[ルネサンス]]期のイタリア人画家[[サンドロ・ボッティチェッリ]]が1482年頃に描いた、[[フィレンツェ]]の[[ウフィツィ美術館]]所蔵の絵画。日本ではイタリア語からの訳語である『春』や、『春(プリマヴェーラ)』、『プリマヴェーラ(春)』などとも呼ばれる。
『'''プリマヴェーラ'''』({{lang-it-short|Primavera}})は、[[ルネサンス]]期のイタリア人画家[[サンドロ・ボッティチェッリ]]が1482年頃に描いた絵画。日本ではイタリア語からの訳語である『春』や、『春(プリマヴェーラ)』、『プリマヴェーラ(春)』などとも呼ばれる。木板に[[テンペラ]]で描かれた[[板絵]]で「世界でもっとも有名な絵画作品の一つ」{{sfn|Cunningham & Reich|2009|p=282}}、「世界でもっとも言及され、議論の的となっている絵画作品の一つ」といわれている{{sfn|Fossi|1998|p=5}}。


この作品に描かれているのが神話の登場人物たちであり、春に急成長を遂げる世界の[[アレゴリー]]であるという説を多くの研究者が支持している。その他に、[[プラトニック・ラブ]](現代の日本で使用されている意味合いとは異なる)を主題としていると解釈する研究者も存在する。作者のボッティチェッリはこの絵画に名前を付けていなかったが、トスカーナ大公[[コジモ1世]]の宮殿ヴィッラ・カステッロに飾られていたこの作品を目にした[[ジョルジョ・ヴァザーリ]]が、最初に『ラ・プリマヴェーラ ({{lang|it|La Primavera}})』と呼称した{{sfn|Foster & Tudor-Craig|1986|p=42}}。
== 来歴 ==
長い間、この作品は[[ロレンツォ・デ・メディチ]]の又従兄弟であるロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・ディ・メディチ([[:en:Lorenzo de' Medici (1463-1503)|en:Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici]])のために描かれたとされていた。画家、建築家の[[ジョルジョ・ヴァザーリ]]が1551年に、「春の訪れ」(「春」はイタリア語で Primavera)と呼ばれる絵画が[[メディチ家]]のペトライア邸(''villa de Petraia'')の近くの、同じくメディチ家のカステッロ別邸に存在すると書いている。この別邸は1477年にロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコが購入した土地に建てられたもので、そのためこの絵画は、当時別邸を購入した14歳のロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコのために描かれたと考えられていたのである。


『プリマヴェーラ』の来歴ははっきりとしていないが、[[メディチ家]]の一員からの依頼で制作されたと考えられている。古代ローマの詩人[[オウィディウス]]と[[ルクレティウス]]の詩歌からの影響が見られるほか、ボッティチェッリと同時代人の[[人文主義者|ルネサンス人文主義者]]・詩人の[[アンジェロ・ポリツィアーノ]]の影響もあるのではないかとされている。1919年以来、[[フィレンツェ]]の[[ウフィツィ美術館]]が所蔵している作品である。
しかしながら、1975年に再発見された1499年当時の財産目録には、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコと彼の弟の[[ジョヴァンニ・デ・メディチ・イル・ポポラーノ]]の資産が記録されており、以前には『プリマヴェーラ』がフィレンツェの大邸宅に飾られていたことが明記されている。その後でこの作品はロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコの私室への待合室に飾られたのであり、ロレンツォ・ディ・ピエロフランチェスコが最初の所有者ではないことが判明した。


== 概要 ==
== 構成 ==
[[File:Primavera 03.jpg|thumb|背景の木々が作るアーチに立つ[[ウェヌス|女神ヴィーナス]]。]]
[[ファイル:Threegraces.jpg|thumb|180px|三美神]]
『プリマヴェーラ』には6人の女性と2人の男性が描かれ、画面最上部にはオレンジの木々を背景にして弓矢を番える[[クピードー|キューピッド]]が描かれている。画面右側には花模様の[[ドレス]]をまとって[[花冠]]を被った女性が、ガウンの襞に集めた[[花]]を振り撒いている。この女性を「[[フローラ]]」と呼び、フローラとは、英語の「フラワー」の由来となっているものである。さらにこのフローラの右側には、羽を持つ男性に背後から襲われている、透けるような白色のドレスを着用した女性が描かれている。この男性の頬は膨らんでおり、決然とした表情をしている。さらにこの男性のみ他の人物とは異なって、超自然的な容姿で描かれている。周りの木々は男性が巻き起こす風に煽られて左へと撓んでいる、男性に襲われている女性が身に着けるドレスも同じ方向に煽られているが、左隣で花を撒く女性がまとうドレスは逆の方向にたなびいている。
『プリマヴェーラ』は個人の家に飾るには大きな絵画であるが、富裕な一族の邸宅ではそれほど珍しいというわけではない。しかしながらこの作品は、ルネサンス期の肖像研究、表現形式の古典的様式の研究対象として非常に重要な絵画といえる。等身大でほぼ半裸の古代の神々が描かれ、それはルネサンス期の文学と[[習合|シンクレティズム]]に対する深い知識が求められる、複雑な哲学的象徴主義で描かれた作品である。描かれている神々は古代ギリシア・ローマ彫刻の影響を受けているが、直接模倣されたものではなくボッティチェッリ特有の表現に昇華されている。細身で高度に理想化されて描かれており、当時の肖像絵画としては繊弱な印象を与え、16世紀[[マニエリスム]]の到来を予感させる作品となっている。


画面左側には半透明のドレスをまとい、手を取り合って踊る3人の女性が描かれ、そのうちの2人は[[ネックレス]]で身を飾っている。最上部のキューピッドが番える弓矢は、この3人の女性を狙っているかのように描かれている。さらにその左には、[[剣]]と[[兜]]を身に着けて真紅の布を身体に巻きつけた青年が、霞のような灰色の雲に向かって木の枝を突き出している。
[[ファイル:Sandro Botticelli 041.jpg|thumb|left|180px|マーキュリー]]
中央のヴィーナスは他の神々のやや後ろに位置して描かれている。画面左で優雅に[[ロンド]]を踊っている[[三美神]]に向けて、ヴィーナスの頭上で「愛の矢」をつがえているのは彼女の息子の[[クピードー|キューピッド]]である。三美神のうち、一番右側の女神は[[カテリーナ・スフォルツァ]]がモデルとされる。


画面中央には、ほかの人物たちから孤立しているような印象を与える女性が描かれている。赤色のガウンと青色のドレスを身にまとったこの女性は、鑑賞者の視線をまっすぐに見つめ返している。女性の背後の木々は[[アーチ|アーチ状]]に表現され、鑑賞者の視線を中央に集める役割を果たしている。周囲の風景は極めて精緻に表現されており、500種類以上の植物と190種類ほどの様々な花が描かれている{{sfn|Capretti|2002|p=49}}。さらに描かれている190種類の花々のうち少なくとも130種類については、実在するどの花なのかを特定できると言われている{{sfn|Fossi|1998|p=5}}。
愛の女神であるヴィーナスのこの庭園は、画面左端に描かれた[[メルクリウス|マーキュリー]]によって守護されている。マーキュリーは燃えるような色彩の真紅の布を身にまとって甲と剣で武装しており、絵画中で明確にこの庭園の守護者としての役割を与えられている。神々の伝令役でもあるマーキュリーは、その象徴である羽のついた靴と杖([[ケーリュケイオン]])を身につけている。


『プリマヴェーラ』の全体的な画面構成は、当時人気があった[[フランドル]]の[[タペストリー]]によく似ている{{sfn|Stokstad|2008|p=520}}。
[[ファイル:Sandro Botticelli 042.jpg|thumb|180px|ゼピュロスとクローリス]]
{{clear}}
[[ファイル:Sandro Botticelli 040.jpg|thumb|180px|フローラ]]
画面右には春を呼ぶ西風の神の[[アネモイ#ゼピュロス|ゼピュロス]]が[[ニュムペー|ニンフ]]のクローリスを追いかけて、強引に抱きかかえるように描かれている。その左隣に花を撒く女神として描かれているのは春の女神の[[フローラ]]である。


== 主題 ==
現代に至るまで『プリマヴェーラ』について、さまざまな解釈がなされてきた。たとえばこの絵画には政治的な意味がこめられ、描かれている神々はイタリアの都市を擬人化しているという解釈が存在する。その解釈によれば、ヴィーナスは愛の女神であり「愛」({{lang-it-short|amor}})は[[アナグラム]]で[[ローマ]]({{lang-it-short|Roma}})を、三美神は[[ピサ]]、[[ナポリ]]、[[ジェノヴァ]]を、マーキュリーは[[ミラノ]]を、フローラは[[フィレンツェ]]を、描かれている春の季節である5月は[[マントヴァ]]を、クローリスとゼピュロスは[[ヴェネツィア]]、[[ボルツァーノ]]あるいは[[アレッツォ]]、[[フォルリ]]をそれぞれ意味しているとされている。
[[File:Pallasetlecentaure.jpg|thumb|230px|ボッティチェッリが1482年頃に制作した神話画『[[パラスとケンタウロス]]』。『プリマヴェーラ』と対になっていた作品だと言われている{{sfn|Deimling|2000|p=45}}。]]
描かれている人物像について様々な説が唱えられてきたが「精妙な神話世界に肥沃や多産の[[寓意]]が込められている」という解釈が主流となっている{{sfn|Cunningham & Reich|2009|p=282}}。エレーナ・カプレッティは2002年の著書「ボッティチェッリ」で、現在の主流となっている『プリマヴェーラ』の解釈を次のように要約している。


{{quotation|この作品を鑑賞する流れは向かって右から左である。(春を告げる西風の神)[[アネモイ#ゼピュロス|ゼピュロス]]が3月の冷気を吹き飛ばし、[[ニュムペー|ニンフ]]の[[クローリス]]を拉致して自分のものにしようとしている。後に彼(ゼピュロス)と結婚した彼女(クローリス)は神の地位へと引き上げられ、春の女神となってバラの花を大地へと撒き散らしているのである{{sfn|Capretti|2002|p=48}}。}}
しかしこのような画題の解釈論とは関係なく、この絵画はルネサンス期の[[人文主義者|人文主義]]的傾向を多分に持った作品で、当時の文化、書物の影響や表現が色濃く反映されている作品でもある。一例として古代ローマの詩人[[オウィディウス]]の、古代ローマの祝祭や伝承などについて書かれた詩歌形式の暦である『祭暦』があげられる。この書物の五月に関する記述では、花の女神フローラがかつてはニンフのクローリスであり、その後なぜ花の女神になったのかが語られている。それによると、クローリスの美しさに魅せられた西風の神ゼピュロスは彼女を追いかけ、無理やり自分の妻にしてしまう。自分の暴力行為を後悔したゼピュロスは、クローリスをニンフから花の女神フローラとし、彼女は常春の美しい庭園を手にしたとされている。


この場面は[[オウィディウス]]の『[[祭暦]]』を下敷きとしている。『祭暦』に記されている物語では、樹木のニンフであるクローリスが生来の魅力で春を告げる西風の神ゼピュロスを魅了した。ゼピュロスはクローリスにつきまとって力ずくで自分のものにしてしまう。このときクローリスの口から花々が溢れだし、クローリスは花の女神[[フローラ]]へと姿を変えたというものである。そして『祭暦』では「これ以来、世界は様々な色彩であふれるようになった」と続いている。
ボッティチェッリはこのオウィディウスの作品から、ゼピュロスによるクローリスの誘拐とクローリスからフローラへの変身という二つの題材をこの絵画に描いた。これがクローリスとフローラの衣服が別々の方向になびいている理由であり、互いに相手の存在に気づいていない理由である。フローラが微笑みながら愛の女神ヴィーナスの隣で愛の女神の花であるバラを撒いているのに対し、クローリスはゼピュロスに怯えているかのように描かれている。


[[File:Primavera 05.jpg|thumb|200px|left|クローリスとゼピュロス。]]
また、古代ローマの詩人で哲学者の[[ルクレティウス]]は、自然哲学を説いた作品『事物の本性について』(''De Rerum Natura'')で、クローリスとフローラを同時に春の季節に登場させて2人を賞賛しており、この絵画に描かれている他の神々の表現についても『事物の本性について』の一節からの影響をみることができる。
[[ギリシア語]]で「khloros」は緑色という意味で、[[クロロフィル]]の語源にもなっている。「[[クローリス]] ({{lang|en|Chloris}})」という名前も緑色を連想させ、このことがボッティチェッリがゼピュロスを青緑色で表現した理由ではないかとされている{{sfn|Foster & Tudor-Craig|1986|p=45}}。画面中央の[[ウェヌス|女神ヴィーナス]]が主宰するオレンジ園は、メディチ家の象徴である{{sfn|Stokstad|2008|p=521}}。ヴィーナスは暗色の[[ギンバイカ|ミルトス]]の前に立っている。古代ギリシアの詩人[[ヘーシオドス]]の『[[神統記]]』では、ヴィーナスと同一視される[[アプロディーテー|アプロディーテ]]は、切り落とされて海を漂流していた天空神[[ウーラノス|ウラノス]]の男性器に付着していた精液から誕生したとされている。貝殻に乗って島に漂着したときにヴィーナスの裸身を隠していたのがミルトスの葉であったことから、ミルトスはヴィーナスの象徴となっていた{{sfn|Foster & Tudor-Craig|1986|p=44}}。キューピッドに狙いを付けられながら踊る[[三美神]]はメディチ家を意味する色の宝石で身を飾り、真紅の布をまとい[[ケーリュケイオン|杖]]を持つ[[メルクリウス|マーキュリー]]は荒天をもたらす雲からオレンジ園を守っている{{sfn|Capretti|2002|p=48}}{{sfn|Stokstad|2008|p=521}}{{sfn|Foster & Tudor-Craig|1986|p=45}}。


『プリマヴェーラ』に描かれている神話の登場人物のうち、前述の人物像の特定については研究者の間でも見解がほぼ一致しているが{{sfn|Fossi|1998|p=12}}{{sfn|Phythian|1907|p=214}}{{sfn|Mattner|2005|p=23}}、花模様のドレスを着用しているのは春を擬人化したプリマヴェーラであり、ゼピュロスに襲われそうになっている女性像がフローラだとする説や{{sfn|Steinmann|1901|p=82-84}}、真紅の布をまとっているのはマーキュリーではなく[[マールス|マーズ]]だとする説などもある{{sfn|Harris & Zucker}}。

さらに『プリマヴェーラ』には、メディチ家が後援した人文主義者[[マルシリオ・フィチーノ]]の[[プラトン]]に関する著作で有名になったプラトニック・ラブの概念が主題になっているという説がある{{sfn|Deimling|2000|p=45}}{{sfn|Connolly|2004|p=25}}。[[ネオプラトニズム|新プラトン主義]]の哲学者たちは、ヴィーナスを天界と俗界両方における愛の絶対者だと見なしており、古代の[[聖母マリア]]にあたると考えていた{{sfn|Stokstad|2008|p=521}}。『プリマヴェーラ』でヴィーナスは祭壇を連想させるような背景に囲まれているが、このような構図はルネサンス期における聖母マリアのイメージとしてごく普遍的なものだった{{sfn|Harris & Zucker}}。

[[File:Sandro Botticelli 039.jpg|thumb|200px|手を取り合って踊る三美神。]]
この解釈では、画面右側のゼピュロスが象徴する世俗の愛と左側の三美神とは大きく隔絶していることになる。三美神のうち、背景に目を向けている中央の女神は、自身がキューピッドに狙いをつけられていることにも無関心である。中央の女神はマーキュリーの方を向いているが、マーキュリーは画面上部の擬人化されたプリマヴェーラに関係がある雲に視線を注いている。『プリマヴェーラ』と対になっていた作品だと言われているボッティチェッリの『[[パラスとケンタウロス]]』には、知恵の女神[[アテーナー|アテナ]]が好色な[[ケンタウロス|ケンタウルス]]を打倒している場面が描かれ「愛は学識を希求する」という寓意が表現されている{{sfn|Deimling|2000|p=45-46}}。
<!--【要出典】このような説の一方で、三美神のうちキューピッドが狙いを付けている中央の女神は、世俗の愛を否定しているわけではないという解釈も存在している。マーキュリーを見つめる中央の女神の表情には激しい感情が浮かんでおり、その視線は愛の始まりを意味しているのではないかとする。命中すると激しい恋に落ちるとされるキューピッドの矢を受ける予兆であり、その感情の動きに気付いた左側の女神は同情とも当惑とも危惧ともとれるような表情を浮かべている{{fact|date=March 2014}}。 -->

[[File:Detail of Flora's skirt.JPG|thumb|left|200px|フローラのドレスの拡大図。花柄模様に偽装された寓意があると考えられている。]]
近年になって、フローラのドレスの花柄模様に偽装されたメッセージが存在することが判明した。そのほかの証拠とともに『プリマヴェーラ』は、ルネサンス期フィレンツェの哲学者の中で第一人者だった[[マルシリオ・フィチーノ]]が主導していた、古代ギリシア・ローマの神々の復活も意図していたのではないかと考えられている。フィチーノは『プリマヴェーラ』の所有者だった若きメディチ家の一員の友人、助言者、指導者で、ヨーロッパ中にプラトン哲学を広めることに尽力していた人物だった。フィチーノが指導したプラトン哲学は、中世以来の罪悪や過失といった人間観とは対照的な、人間は神の領域に近づく神性のきらめきを持っているという思想だった{{sfn|Lane-Spollen|2014|p=159ff}}。
{{clear}}

== 来歴 ==
[[File:Sandro Botticelli 041.jpg|thumb|200px|真紅の布をまとうマーキュリーのモデルは、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・ディ・メディチ{{sfn|Fisher|2011|p=12}}、あるいはその従兄弟の[[ジュリアーノ・デ・メディチ]]だといわれている{{sfn|Heyl|1912|p=89-90}}。]]
『プリマヴェーラ』の制作動機は伝わっていない。1477年の[[ロレンツォ・デ・メディチ]]による依頼で描かれたという説や{{sfn|Mattner|2005|p=22}}、1477年よりも後になってからロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・ディ・メディチ([[:en:Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici]])の依頼で描かれたという説がある{{sfn|Brown|2010|p=103-104}}{{sfn|Deimling|2000|p=39}}。他にも、ロレンツォが甥ジュリオ・ジュリアーノ・デ・メディチ(のちのローマ教皇[[クレメンス7世 (ローマ教皇)|クレメンス7世]])の誕生を祝って、ボッティチェッリに肖像画制作を依頼したが、1478年の[[パッツィ家の陰謀]]によってジュリオ・ジュリアーノの父で自身の弟にあたるジュリアーノが暗殺されると肖像画制作依頼を取り消し、かわりに1482年に結婚したロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコの婚礼祝いに『プリマヴェーラ』の制作を依頼したという説もある。{{sfn|Capretti|2002|p=48}}。

『プリマヴェーラ』のマーキュリーはロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコを、フローラもしくはヴィーナスはその妻セミラミデを、それぞれモデルとしているとされることが多い{{sfn|Fisher|2011|p=12}}{{sfn|Bredekamp|1988|p={{Page needed|date=August 2012}}}}{{sfn|D'Ancona|1983|p={{Page needed|date=August 2012}}}}{{sfn|Michalski|2003|p={{Page needed|date=August 2012}}}}。その他の説として、ヴィーナスのモデルはマルコ・ヴェスプッチの妻でジュリアーノ・デ・メディチの愛人だったとされる[[シモネッタ・ヴェスプッチ]]であり、ジュリアーノはマーキュリーのモデルだといわれることもある{{sfn|Heyl|1912|p=89-90}}。

『プリマヴェーラ』は全体的に[[古代ローマ]]の詩人オウィディウスの詩歌形式の暦である『祭暦』の第5巻、5月2日の春の到来の記述をもとにしているが、細部はアンジェロ・ポリツィアーノの詩に由来しているのではないかといわれている{{sfn|Servadio|2005|p=7}}{{sfn|Steinmann|1901|p=80}}。ただし、ポリツィアーノの詩集『ラスティクス (Rusticus)』が出版されたのは1483年で、『プリマヴェーラ』の制作年度が1482年ごろと考えられていることから{{sfn|Fossi|1998|p=5}}{{sfn|Patterson|1987|p=65}}、逆に『プリマヴェーラ』が『ラスティクス』に影響を与えたと主張する研究者も存在している{{sfn|Cheney|1985|p=52}}。

古代ローマの詩人で哲学者の[[ルクレティウス]]の著書『事物の本性について』の一節も『プリマヴェーラ』に影響を与えたと考えられている{{sfn|Deimling|2000|p=43}}{{sfn|Lucretius}}。
{{quotation|<div><poem>Spring-time and Venus come,
{{quotation|<div><poem>Spring-time and Venus come,
And Venus' boy, the winged harbinger, steps on before,
And Venus' boy, the winged harbinger, steps on before,
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}}


『プリマヴェーラ』の制作動機や何が影響を与えたかといった考察はともかく、この作品が1499年時点でロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコの財産目録に記載されていることは間違いない{{sfn|Brown|2010|p=104}}。そして1919年以来フィレンツェの[[ウフィツィ美術館]]が所蔵している。第二次世界大戦での[[イタリア戦線 (第二次世界大戦)|イタリア戦線]]の間には、爆撃を避けるためにフィレンツェ南西部のモンテフュフォーニ城に移されていたが{{sfn|Healey|2011}}、戦火が収まったのちにウフィツィ美術館に戻された{{sfn|Connolly|2004|p=26, 28}}。1982年には本格的な修復を受けているが{{sfn|Connolly|2004|p=44}}、経年変化のためにその画面は著しく退色してしまっている{{sfn|Steinmann|1901|p=80}}。
美術史家[[エルンスト・ゴンブリッチ]]は、ルクレティウスの詩文の一節がこの絵画に決定的な影響を与えているという見解に対して異論を唱えた。この哲学的な作品のベースには、ルクレティウス以外にもボッティチェッリが参考とした題材があったのかも知れないと考えたのである。その題材とはローマ時代の作家[[アプレイウス]]の小説『変容』(『黄金のロバ』)であり、この小説はルネサンス期の芸術家たちにとって身近なもので、古典的な視覚表現や文章は当時の芸術家に大きな影響を与えているとした。


== 脚注 ==
『[[ナルニア国物語]]』の作者[[C・S・ルイス]]の研究者として知られるキャサリン・リンドスコーグ([[:en:Kathryn Lindskoog|en:Kathryn Lindskoog]])は、『プリマヴェーラ』が[[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]の『[[神曲]]』の[[エデンの園]]を視覚化したものだと解釈した。リンドスコーグの見解によれば、この絵画に描かれているのは左から、[[アダム]]、神学的徳 ([[:en:Theological virtues|en:Theological virtues]])、[[ダンテ・アリギエーリ#ベアトリーチェ|ベアトリーチェ]] (Beatrice Portinari)、マティルダ、[[アダムとイヴ|イヴ]]、[[サタン]]である<ref>Lindskoog, Kathryn, ''Dante's Divine Comedy &mdash; Purgatory &mdash; Journey to Joy, Part Two'' (retold with notes), Mercer University press, Macon, Georgia, 1997. ISBN 0-86554-573-1</ref>。
{{Reflist|3}}


== 参考文献 ==
== 出典 ==
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*{{cite news | last = Healey | first = Tim | title = Denis Healey: the artist within| work = The Guardian | date = 5 January 2011 | url = http://www.guardian.co.uk/artanddesign/2011/jan/05/denis-healey-the-artist-within | accessdate = |ref=harv}}
*{{Cite book|last=Heyl|first=Eugene|title=Under the Guise of Spring: The Message Hidden in Botticelli's Primavera |url=http://www.shepheard-walwyn.co.uk/product/under-the-guise-of-spring/|accessdate=2 March 2015|year=2014|publisher=Shepheard-Walwyn|ref=harv}}
*{{Cite book|last=Lane-Spollen|first=Charles Christian|title=The art of the Uffizi Palace and the Florence Academy|url=https://books.google.co.jp/books?id=0iIUAAAAYAAJ&pg=PA88&redir_esc=y&hl=ja|accessdate=16 July 2010|year=1912|publisher=L.C. Page|ref=harv}}
*{{Gutenberg|no=785|name=On the Nature of Things|author=Lucretius|others=William Ellery Leonard, trnsl.|ref=harv}}
*{{Cite book|last=Mattern|first=Joanne|title=Sandro Botticelli|url=https://books.google.co.jp/books?id=ZqHNryFL78kC&pg=PT23&redir_esc=y&hl=ja|accessdate=16 July 2010|date=January 2005|publisher=ABDO Group|isbn=978-1-59197-839-8|ref=harv}}
* {{cite journal | last = Michalski | first = S. | year = 2003 | title = Venus as Semiramis: A New Interpretation of the Central Figure of Botticelli's Primavera | journal = Artibus et Historiae | volume = 24 | pages = 213–222 |ref=harv}}
*{{Cite book|last=Patterson|first=Annabel M.|title=Pastoral and ideology: Virgil to Valéry|url=https://books.google.co.jp/books?id=6FqBzctwnJUC&pg=PA65&redir_esc=y&hl=ja|accessdate=16 July 2010|year=1987|publisher=University of California Press|isbn=978-0-520-05862-0|ref=harv}}
*{{Cite book|last=Phythian|first=John Ernest|title=Trees in nature, myth and art|url=https://books.google.co.jp/books?id=WS0bAAAAYAAJ&pg=PA214&redir_esc=y&hl=ja|accessdate=16 July 2010|year=1907|publisher=Methuen & co.|ref=harv}}
*{{Cite book|last=Servadio|first=Gaia|title=Renaissance Woman|url=https://books.google.co.jp/books?id=e-Ax__Uhdh8C&pg=PA7&redir_esc=y&hl=ja|accessdate=16 July 2010|year=2005|publisher=I.B.Tauris|isbn=978-1-85043-421-4|ref=harv}}
*{{Cite book|last=Snow-Smith|first=Joanne|title=The Primavera of Sandro Botticelli: A Neoplatonic Interpretation|year=1993|publisher=Peter Lang International Academic Publishers|isbn=082041736X|ref=harv}}
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*{{Cite book
| last = Stokstad
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『プリマヴェーラ』
イタリア語: Primavera
作者サンドロ・ボッティチェッリ
製作年1482年頃
種類テンペラ
寸法203 cm × 314 cm (80 in × 124 in)
所蔵ウフィツィ美術館フィレンツェ
1978年から1982年まで発行されていた100,000リラ紙幣

プリマヴェーラ』(: Primavera)は、ルネサンス期のイタリア人画家サンドロ・ボッティチェッリが1482年頃に描いた絵画。日本ではイタリア語からの訳語である『春』や、『春(プリマヴェーラ)』、『プリマヴェーラ(春)』などとも呼ばれる。木板にテンペラで描かれた板絵で「世界でもっとも有名な絵画作品の一つ」[1]、「世界でもっとも言及され、議論の的となっている絵画作品の一つ」といわれている[2]

この作品に描かれているのが神話の登場人物たちであり、春に急成長を遂げる世界のアレゴリーであるという説を多くの研究者が支持している。その他に、プラトニック・ラブ(現代の日本で使用されている意味合いとは異なる)を主題としていると解釈する研究者も存在する。作者のボッティチェッリはこの絵画に名前を付けていなかったが、トスカーナ大公コジモ1世の宮殿ヴィッラ・カステッロに飾られていたこの作品を目にしたジョルジョ・ヴァザーリが、最初に『ラ・プリマヴェーラ (La Primavera)』と呼称した[3]

『プリマヴェーラ』の来歴ははっきりとしていないが、メディチ家の一員からの依頼で制作されたと考えられている。古代ローマの詩人オウィディウスルクレティウスの詩歌からの影響が見られるほか、ボッティチェッリと同時代人のルネサンス人文主義者・詩人のアンジェロ・ポリツィアーノの影響もあるのではないかとされている。1919年以来、フィレンツェウフィツィ美術館が所蔵している作品である。

構成

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背景の木々が作るアーチに立つ女神ヴィーナス

『プリマヴェーラ』には6人の女性と2人の男性が描かれ、画面最上部にはオレンジの木々を背景にして弓矢を番えるキューピッドが描かれている。画面右側には花模様のドレスをまとって花冠を被った女性が、ガウンの襞に集めたを振り撒いている。この女性を「フローラ」と呼び、フローラとは、英語の「フラワー」の由来となっているものである。さらにこのフローラの右側には、羽を持つ男性に背後から襲われている、透けるような白色のドレスを着用した女性が描かれている。この男性の頬は膨らんでおり、決然とした表情をしている。さらにこの男性のみ他の人物とは異なって、超自然的な容姿で描かれている。周りの木々は男性が巻き起こす風に煽られて左へと撓んでいる、男性に襲われている女性が身に着けるドレスも同じ方向に煽られているが、左隣で花を撒く女性がまとうドレスは逆の方向にたなびいている。

画面左側には半透明のドレスをまとい、手を取り合って踊る3人の女性が描かれ、そのうちの2人はネックレスで身を飾っている。最上部のキューピッドが番える弓矢は、この3人の女性を狙っているかのように描かれている。さらにその左には、を身に着けて真紅の布を身体に巻きつけた青年が、霞のような灰色の雲に向かって木の枝を突き出している。

画面中央には、ほかの人物たちから孤立しているような印象を与える女性が描かれている。赤色のガウンと青色のドレスを身にまとったこの女性は、鑑賞者の視線をまっすぐに見つめ返している。女性の背後の木々はアーチ状に表現され、鑑賞者の視線を中央に集める役割を果たしている。周囲の風景は極めて精緻に表現されており、500種類以上の植物と190種類ほどの様々な花が描かれている[4]。さらに描かれている190種類の花々のうち少なくとも130種類については、実在するどの花なのかを特定できると言われている[2]

『プリマヴェーラ』の全体的な画面構成は、当時人気があったフランドルタペストリーによく似ている[5]

主題

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ボッティチェッリが1482年頃に制作した神話画『パラスとケンタウロス』。『プリマヴェーラ』と対になっていた作品だと言われている[6]

描かれている人物像について様々な説が唱えられてきたが「精妙な神話世界に肥沃や多産の寓意が込められている」という解釈が主流となっている[1]。エレーナ・カプレッティは2002年の著書「ボッティチェッリ」で、現在の主流となっている『プリマヴェーラ』の解釈を次のように要約している。

この作品を鑑賞する流れは向かって右から左である。(春を告げる西風の神)ゼピュロスが3月の冷気を吹き飛ばし、ニンフクローリスを拉致して自分のものにしようとしている。後に彼(ゼピュロス)と結婚した彼女(クローリス)は神の地位へと引き上げられ、春の女神となってバラの花を大地へと撒き散らしているのである[7]

この場面はオウィディウスの『祭暦』を下敷きとしている。『祭暦』に記されている物語では、樹木のニンフであるクローリスが生来の魅力で春を告げる西風の神ゼピュロスを魅了した。ゼピュロスはクローリスにつきまとって力ずくで自分のものにしてしまう。このときクローリスの口から花々が溢れだし、クローリスは花の女神フローラへと姿を変えたというものである。そして『祭暦』では「これ以来、世界は様々な色彩であふれるようになった」と続いている。

クローリスとゼピュロス。

ギリシア語で「khloros」は緑色という意味で、クロロフィルの語源にもなっている。「クローリス (Chloris)」という名前も緑色を連想させ、このことがボッティチェッリがゼピュロスを青緑色で表現した理由ではないかとされている[8]。画面中央の女神ヴィーナスが主宰するオレンジ園は、メディチ家の象徴である[9]。ヴィーナスは暗色のミルトスの前に立っている。古代ギリシアの詩人ヘーシオドスの『神統記』では、ヴィーナスと同一視されるアプロディーテは、切り落とされて海を漂流していた天空神ウラノスの男性器に付着していた精液から誕生したとされている。貝殻に乗って島に漂着したときにヴィーナスの裸身を隠していたのがミルトスの葉であったことから、ミルトスはヴィーナスの象徴となっていた[10]。キューピッドに狙いを付けられながら踊る三美神はメディチ家を意味する色の宝石で身を飾り、真紅の布をまといを持つマーキュリーは荒天をもたらす雲からオレンジ園を守っている[7][9][8]

『プリマヴェーラ』に描かれている神話の登場人物のうち、前述の人物像の特定については研究者の間でも見解がほぼ一致しているが[11][12][13]、花模様のドレスを着用しているのは春を擬人化したプリマヴェーラであり、ゼピュロスに襲われそうになっている女性像がフローラだとする説や[14]、真紅の布をまとっているのはマーキュリーではなくマーズだとする説などもある[15]

さらに『プリマヴェーラ』には、メディチ家が後援した人文主義者マルシリオ・フィチーノプラトンに関する著作で有名になったプラトニック・ラブの概念が主題になっているという説がある[6][16]新プラトン主義の哲学者たちは、ヴィーナスを天界と俗界両方における愛の絶対者だと見なしており、古代の聖母マリアにあたると考えていた[9]。『プリマヴェーラ』でヴィーナスは祭壇を連想させるような背景に囲まれているが、このような構図はルネサンス期における聖母マリアのイメージとしてごく普遍的なものだった[15]

手を取り合って踊る三美神。

この解釈では、画面右側のゼピュロスが象徴する世俗の愛と左側の三美神とは大きく隔絶していることになる。三美神のうち、背景に目を向けている中央の女神は、自身がキューピッドに狙いをつけられていることにも無関心である。中央の女神はマーキュリーの方を向いているが、マーキュリーは画面上部の擬人化されたプリマヴェーラに関係がある雲に視線を注いている。『プリマヴェーラ』と対になっていた作品だと言われているボッティチェッリの『パラスとケンタウロス』には、知恵の女神アテナが好色なケンタウルスを打倒している場面が描かれ「愛は学識を希求する」という寓意が表現されている[17]

フローラのドレスの拡大図。花柄模様に偽装された寓意があると考えられている。

近年になって、フローラのドレスの花柄模様に偽装されたメッセージが存在することが判明した。そのほかの証拠とともに『プリマヴェーラ』は、ルネサンス期フィレンツェの哲学者の中で第一人者だったマルシリオ・フィチーノが主導していた、古代ギリシア・ローマの神々の復活も意図していたのではないかと考えられている。フィチーノは『プリマヴェーラ』の所有者だった若きメディチ家の一員の友人、助言者、指導者で、ヨーロッパ中にプラトン哲学を広めることに尽力していた人物だった。フィチーノが指導したプラトン哲学は、中世以来の罪悪や過失といった人間観とは対照的な、人間は神の領域に近づく神性のきらめきを持っているという思想だった[18]

来歴

[編集]
真紅の布をまとうマーキュリーのモデルは、ロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・ディ・メディチ[19]、あるいはその従兄弟のジュリアーノ・デ・メディチだといわれている[20]

『プリマヴェーラ』の制作動機は伝わっていない。1477年のロレンツォ・デ・メディチによる依頼で描かれたという説や[21]、1477年よりも後になってからロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコ・ディ・メディチ(en:Lorenzo di Pierfrancesco de' Medici)の依頼で描かれたという説がある[22][23]。他にも、ロレンツォが甥ジュリオ・ジュリアーノ・デ・メディチ(のちのローマ教皇クレメンス7世)の誕生を祝って、ボッティチェッリに肖像画制作を依頼したが、1478年のパッツィ家の陰謀によってジュリオ・ジュリアーノの父で自身の弟にあたるジュリアーノが暗殺されると肖像画制作依頼を取り消し、かわりに1482年に結婚したロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコの婚礼祝いに『プリマヴェーラ』の制作を依頼したという説もある。[7]

『プリマヴェーラ』のマーキュリーはロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコを、フローラもしくはヴィーナスはその妻セミラミデを、それぞれモデルとしているとされることが多い[19][24][25][26]。その他の説として、ヴィーナスのモデルはマルコ・ヴェスプッチの妻でジュリアーノ・デ・メディチの愛人だったとされるシモネッタ・ヴェスプッチであり、ジュリアーノはマーキュリーのモデルだといわれることもある[20]

『プリマヴェーラ』は全体的に古代ローマの詩人オウィディウスの詩歌形式の暦である『祭暦』の第5巻、5月2日の春の到来の記述をもとにしているが、細部はアンジェロ・ポリツィアーノの詩に由来しているのではないかといわれている[27][28]。ただし、ポリツィアーノの詩集『ラスティクス (Rusticus)』が出版されたのは1483年で、『プリマヴェーラ』の制作年度が1482年ごろと考えられていることから[2][29]、逆に『プリマヴェーラ』が『ラスティクス』に影響を与えたと主張する研究者も存在している[30]

古代ローマの詩人で哲学者のルクレティウスの著書『事物の本性について』の一節も『プリマヴェーラ』に影響を与えたと考えられている[31][32]

Spring-time and Venus come,
And Venus' boy, the winged harbinger, steps on before,
And hard on Zephyr's foot-prints Mother Flora,
Sprinkling the ways before them, filleth all
With colours and with odours excellent.

(大意)春とともにヴィーナスとキューピッドが姿を現し、
ゼピュロスは春を呼ぶ強風を吹き立て、
フローラは色とりどりの花々と芳香を周囲に満ちあふれさせる

— 『事物の本性について』

『プリマヴェーラ』の制作動機や何が影響を与えたかといった考察はともかく、この作品が1499年時点でロレンツォ・ディ・ピエルフランチェスコの財産目録に記載されていることは間違いない[33]。そして1919年以来フィレンツェのウフィツィ美術館が所蔵している。第二次世界大戦でのイタリア戦線の間には、爆撃を避けるためにフィレンツェ南西部のモンテフュフォーニ城に移されていたが[34]、戦火が収まったのちにウフィツィ美術館に戻された[35]。1982年には本格的な修復を受けているが[36]、経年変化のためにその画面は著しく退色してしまっている[28]

脚注

[編集]
  1. ^ a b Cunningham & Reich 2009, p. 282.
  2. ^ a b c Fossi 1998, p. 5.
  3. ^ Foster & Tudor-Craig 1986, p. 42.
  4. ^ Capretti 2002, p. 49.
  5. ^ Stokstad 2008, p. 520.
  6. ^ a b Deimling 2000, p. 45.
  7. ^ a b c Capretti 2002, p. 48.
  8. ^ a b Foster & Tudor-Craig 1986, p. 45.
  9. ^ a b c Stokstad 2008, p. 521.
  10. ^ Foster & Tudor-Craig 1986, p. 44.
  11. ^ Fossi 1998, p. 12.
  12. ^ Phythian 1907, p. 214.
  13. ^ Mattner 2005, p. 23.
  14. ^ Steinmann 1901, p. 82-84.
  15. ^ a b Harris & Zucker.
  16. ^ Connolly 2004, p. 25.
  17. ^ Deimling 2000, p. 45-46.
  18. ^ Lane-Spollen 2014, p. 159ff.
  19. ^ a b Fisher 2011, p. 12.
  20. ^ a b Heyl 1912, p. 89-90.
  21. ^ Mattner 2005, p. 22.
  22. ^ Brown 2010, p. 103-104.
  23. ^ Deimling 2000, p. 39.
  24. ^ Bredekamp 1988, p. [要ページ番号].
  25. ^ D'Ancona 1983, p. [要ページ番号].
  26. ^ Michalski 2003, p. [要ページ番号].
  27. ^ Servadio 2005, p. 7.
  28. ^ a b Steinmann 1901, p. 80.
  29. ^ Patterson 1987, p. 65.
  30. ^ Cheney 1985, p. 52.
  31. ^ Deimling 2000, p. 43.
  32. ^ Lucretius.
  33. ^ Brown 2010, p. 104.
  34. ^ Healey 2011.
  35. ^ Connolly 2004, p. 26, 28.
  36. ^ Connolly 2004, p. 44.

出典

[編集]
映像外部リンク
Smarthistory - Botticelli's Primavera