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「日間賀島」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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タグ: サイズの大幅な増減
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| 緯度度 = 34|緯度分 = 42|緯度秒 = 18
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'''日間賀島'''(ひまかじま)は[[三河湾]]に浮かぶ島で、やや[[知多半島]]寄りに位置する島。[[愛知県]][[知多郡]][[南知多町]]に属る。<ref name="Shimazukan"/>
'''日間賀島'''(ひまかじま)は[[三河湾]]に浮かぶ[[島]]。行政上は[[愛知県]][[知多郡]][[南知多町]]に属し、全域が[[三河湾国定公園]]に含まれ<ref name="郷土百科事典">『郷土百科事典 23 愛知県』、132頁</ref>2010年(平成22年)の国勢調査における人口は630世帯2,051人だった。「タコとフグの島」という観光PRを行なっている<ref name="あいちの離島振興"/>。[[篠島]]や[[佐久島]]と合わせて三河湾三島などと呼ばれる。


== 概要 ==
== 地理 ==
[[知多半島]]・[[渥美半島]]まで10km以内と距離的に近く、また本土との生活交流が活発なため、国土交通省による離島分類では内海本土近接型離島にあたる<ref group="注">国土交通省が策定した離島振興計画では、離島を本土近接型と隔絶型に分け、さらに本土近接型を内海型と外海型に分けている。本土との距離が近く、航路の安定性が高く、通勤通学が可能な離島が内海本土近接型離島とされる。</ref>。日間賀島の周囲には西港の正面にある鼠島や角石(角石島)などの属島があり<ref name="角川1135頁">角川日本地名大辞典編纂委員会 (1989)、1135頁</ref>、下瀬(下瀬島)は干潮時のみ現れる<ref name="日本歴史地名大系">平凡社 (1988)、518-519頁</ref>。角石と下瀬は師崎からの航路付近にあるため、島上に灯台が設置されている。日間賀島の北東部にも無数の浅瀬があり、佐久島との中間付近にある大磯にはやはり灯台が設置されている。南岸は150m沖合で水深10m、東岸は350m沖合で水深10mなのに対して北岸は浅く、1,000m沖合で水深20mである<ref name="漁撈習俗">静岡県教育委員会・愛知県教育委員会 (2003)</ref>。篠島との中間付近には面積0.03km<sup>2</sup>の築見島があるが、築見島は一般に篠島の属島とされている。
島の周囲は海産物に富んでおり、ここで取れる[[トラフグ]]と[[タコ]]は島の名物になっている。


東岸の里中と西岸の西浜のふたつの集落があり<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>、里中は中と小戸地に、西浜は新居と寺下と浪太に分かれている<ref name="日本歴史地名大系"/>。日間賀島は全体がなだらかな丘陵地を形成しており、島のほぼ中央に30.2mの最高標高地点がある<ref name="篠島・日間賀島の概要"/><ref group="注">国土地理院発行の1:25,000地形図「佐久島」(昭和44年改測・平成17年更新・平成17年発行)には西浜と日間賀小中学校の間に32mの標高点が記載されており、1989年発行の『日本歴史地名大系』でも日間賀島の最高地点は32mとしているが、南知多町が2012年に発行した「篠島・日間賀島の概要」では最高地点は30.2mとなっている。</ref>。面積は0.77km<sup>2</sup>であり、[[皇居]]の約半分である。日間賀島の森林面積は4%に過ぎず、面積の31%が森林の佐久島、面積の24%が森林の篠島と比べて森林に乏しい<ref name="あいちの離島振興"/>。篠島とは違って比較的広い耕地があり、昭和40年代後半から昭和50年代にかけてオリーブ、フキ、梅などの栽培がなされたが、これらは定着していない<ref name="あいちの離島振興"/>。現在は三河湾三島に農業経営体は存在しない<ref name="あいちの離島振興"/>。
トラフグの漁期は10月から3月である。{{要出典範囲|日間賀島付近で捕れたフグは下関に運ばれているものもあるという|title=出荷状況について論じた出典を提示ください。|date=2013年6月}}。


=== 気候 ===
水道は[[愛知用水]]に接続した海底導水管によって送られている。
三河湾三島地域の気候は温暖であり、年平均気温は16度前後である<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。結氷や降霜は少なく、降雪はほとんどみられないが、冬季には強い季節風が吹く<ref name="あいちの離島振興"/>。1970年代の年平均降水量は1,310mmであり、2005年から2011年の平均が1,469mmだった南知多町の本土や愛知県の平均と比べてやや少ない<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。


{{Weather box
;要目
|location = (参考)佐久島
*周囲:6.6km<ref name="Shimazukan">[[#Shimazukan|加藤庸二 2013,p.50]]</ref>
|metric first = yes
*世帯:639世帯(2005年国勢調査速報値)
|single line = Yes
*人口:2,164人(2005年国勢調査速報値)
|Jan mean C = 7.0
*面積:0.77km<sup>2</sup><ref name="Shimazukan"/>
|Feb mean C = 7.2
|Mar mean C = 9.6
|Apr mean C = 14.7
|May mean C = 18.7
|Jun mean C = 22.6
|Jul mean C = 26.0
|Aug mean C = 27.4
|Sep mean C = 24.4
|Oct mean C = 19.6
|Nov mean C = 14.4
|Dec mean C = 9.1
|year mean C = 16.8
|Jan high C = 10.1
|Feb high C = 10.4
|Mar high C = 12.8
|Apr high C = 17.8
|May high C = 21.0
|Jun high C = 24.6
|Jul high C = 27.9
|Aug high C = 29.4
|Sep high C = 26.8
|Oct high C = 22.4
|Nov high C = 17.5
|Dec high C = 12.4
|year high C = 19.5
|Jan low C = 4.3
|Feb low C = 4.4
|Mar low C = 6.6
|Apr low C = 12.3
|May low C = 16.6
|Jun low C = 21.1
|Jul low C = 24.7
|Aug low C = 25.9
|Sep low C = 22.4
|Oct low C = 17.1
|Nov low C = 11.5
|Dec low C = 6.3
|year low C = 14.5
|Jan precipitation mm = 52
|Feb precipitation mm = 65
|Mar precipitation mm = 84
|Apr precipitation mm = 121
|May precipitation mm = 145
|Jun precipitation mm = 135
|Jul precipitation mm = 136
|Aug precipitation mm = 100
|Sep precipitation mm = 197
|Oct precipitation mm = 151
|Nov precipitation mm = 67
|Dec precipitation mm = 42
|year precipitation mm = 1310
|source 1 = 名古屋大学空電研究所資料
|date=1971年-1980年
}}


{{Weather box
== 歴史 ==
|location = (参考)南知多町
[[明治]]以前までは[[三河国]][[幡豆郡]]に所属した。
|metric first = yes
|single line = Yes
|Jan mean C = 4.1
|Feb mean C = 6.6
|Mar mean C = 7.4
|Apr mean C = 13.0
|May mean C = 18.3
|Jun mean C = 22.9
|Jul mean C = 26.6
|Aug mean C = 27.6
|Sep mean C = 24.7
|Oct mean C = 18.7
|Nov mean C = 14.4
|Dec mean C = 7.8
|year mean C = 16.0
|Jan precipitation mm = 38
|Feb precipitation mm = 81
|Mar precipitation mm = 103
|Apr precipitation mm = 124
|May precipitation mm = 184
|Jun precipitation mm = 179
|Jul precipitation mm = 191
|Aug precipitation mm = 84
|Sep precipitation mm = 177
|Oct precipitation mm = 169
|Nov precipitation mm = 70
|Dec precipitation mm = 70
|year precipitation mm = 1469
|source 1 = 名古屋地方気象台<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>
|date=
}}


=== 人口 ===
1881年(明治14年)、知多郡鴻崎村から[[日間賀島村]]が分立。1961年(昭和36年)に[[南知多町]]の一部となった。
江戸時代に描かれた『日間賀古図』には、西里に120戸余り、東里に150戸余りが描かれた<ref name="漁撈習俗"/>。江戸時代後期にまとめられた[[郡村徇行記|尾州徇行記]]による人口は938人だったが、1891年(明治24年)には1,311人、1930年(昭和5年)には1,951人と、1世紀余りの間に人口が2倍以上に増加した<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。その後も人口は増え続け、1955年(昭和30年)の国勢調査では過去最高値の2,788人を記録。しかしそこから減少に転じ、1960年(昭和35年)の調査では2,728人、1970年(昭和45年)の調査では2,622人、1980年(昭和55年)の調査では2,576人、1990年(平成2年)の調査では2,397人、2000年(平成12年)の調査では2,221人、2010年(平成22年)の調査では2,051人と、年々減少幅を拡大させている<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。世帯数は1975年(昭和50年)の調査で初めて600世帯を突破し、1990年調査の658世帯をピークとしながらも、2010年(平成22年)の調査でも630世帯を維持している<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。2010年調査での高齢者人口比率は29.4%である<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。


2000年(平成12年)の国勢調査による人口密度は2,882人/km<sup>2</sup>であり、2位の[[池島 (長崎県)|池島]](長崎県、2,641人/km<sup>2</sup>)、3位の[[篠島]](2,192人/km<sup>2</sup>)などを上回って日本の離島中最高だった<ref name="SHIMADAS857頁">日本離島センター (2004)、857頁「人口密度の高い島BEST20」</ref><ref name="日本の島100">『地図帳 日本の島100』山と渓谷社、2006年、34頁</ref>。明治・大正・昭和にかけて篠島より人口が少なかったが、戦後には篠島の人口減少が著しく、1990年の国勢調査では日間賀島2,397人、篠島2,352人となり、2世紀以上ぶりに篠島の人口を上回った。
== 交通 ==
=== 島外への交通 ===
島への交通手段は海路のみである。定期航路と[[海上タクシー]]の2通りの方法がある。


<!--
*定期航路([[名鉄海上観光船]])
人口の1/10の数字をグラフ化しています。
**高速船
-->
***[[師崎港]] - 日間賀島(東・西港):約10分
{|class="wikitable" style="font-size: smaller;"
***[[伊良湖港]] - 日間賀島(東・西港):約30分
|-
***[[河和港]] - 日間賀島(東・西港):約20分
| 1792年(寛政4年)-1822年(文政5年)頃
***[[篠島]]へは高速船で約10分。
| [[画像:m50.png]][[画像:m10.png]][[画像:m10.png]][[画像:m10.png]][[画像:m10.png]][[画像:m01.png]][[画像:m01.png]][[画像:m01.png]] || 938人 || [[郡村徇行記|尾州徇行記]]
**カーフェリー
|-
***師崎港 - 日間賀島(北港):約20分。
| 1891年(明治24年)
**:{{要出典範囲|島内の道路が狭隘なため、非居住者のフェリーによる自動車の持込は禁止されている|title=持ち込み禁止の事実およびその理由について、出典を提示ください。|date=2013年6月}}。
| [[画像:m100.png]][[画像:m10.png]][[画像:m10.png]][[画像:m10.png]][[画像:m01.png]] || 1,311人 || 角川日本地名大事典
*海上タクシー
|-
**いそなぎ(西港)
**スバル西港
| 1920年大正9年
| [[画像:m100.png]][[画像:m50.png]][[画像:m10.png]][[画像:m01.png]] || 1,617人 || rowspan=6| 国勢調査
<gallery>
|-
File:Meitetu simayuri 01.JPG|日間賀島に寄港する小型フェリー「しまゆり」
| 1930年(昭和5年)
File:Meitetu himakajima 01.JPG|[[日間賀島]]にある乗船券売り場(東港)
| [[画像:m100.png]][[画像:m50.png]][[画像:m10.png]][[画像:m10.png]][[画像:m10.png]][[画像:m10.png]][[画像:m05.png]] || 1,951人
File:Meitetu himakajima 02.JPG|[[日間賀島]]の乗船場(東港)
|-
</gallery>
| 1950年(昭和25年)
| [[画像:m100.png]][[画像:m100.png]][[画像:m50.png]][[画像:m10.png]] || 2,601人
|-
| 1970年(昭和45年)
| [[画像:m100.png]][[画像:m100.png]][[画像:m50.png]][[画像:m10.png]][[画像:m01.png]][[画像:m01.png]] || 2,622人
|-
| 1990年(平成2年)
| [[画像:m100.png]][[画像:m100.png]][[画像:m10.png]][[画像:m10.png]][[画像:m10.png]][[画像:m05.png]][[画像:m01.png]][[画像:m01.png]][[画像:m01.png]][[画像:m01.png]] || 2,397人
|-
| 2010年(平成22年)
| [[画像:m100.png]][[画像:m100.png]][[画像:m05.png]] || 2,051人
|}


=== 島内の交通 ===
== 歴史 ==
{{日本の町村 (廃止)
[[路線バス]]や[[タクシー]](乗合タクシーを含む)はなく、専ら自動車、バイクが島民の足である。平坦地が皆無な地形ゆえに[[自転車]]は少ないが、[[レンタサイクル]]も存在する。旅行者は民宿などが用意する送迎バスの利用も可能である。
| 廃止日 = 1961年6月1日
| 廃止理由 = 合併
| 廃止詳細 = [[内海町]]・[[豊浜町]]・[[師崎町]]・'''日間賀島村'''・篠島村・→[[南知多町]]
| 現在の自治体 = [[南知多町]]
| 自治体名 = 日間賀島村
| 区分 = 村
| 都道府県 = 愛知県
| 支庁 =
| 郡 = [[知多郡]]
| コード =
| 面積 =
| 境界未定 =
| 人口 = 2,728
| 人口の時点 = (国勢調査)1960年
| 隣接自治体 =
| 郵便番号 =
| 所在地 =
| 電話番号 =
}}


== 観光 ==
=== 古代から近世 ===
東港近くには7世紀から8世紀にかけての古墳が14基あり、宮の鼻古墳集積地と呼ばれている<ref name="SHIMADAS">日本離島センター (1998)</ref>。日間賀島全体では35基の古墳があり、石錘・釣針・直刀・[[須恵器]]などが出土している<ref name="角川1135頁"/>。古くから[[渥美半島]]の福江(現[[田原市]])との交流が活発で婚姻などが行なわれ、言語にも[[三河]]地方の文化の影響がみられる<ref name="角川1135頁"/><ref name="日本地理風俗大系">誠文堂新光社 (1959)、188頁</ref>。[[奈良時代]]の文献には三河国幡豆郡比莫島という文字がみえ、[[平城京]]にサメやクロダイが調進されていた<ref name="角川1135頁"/>。[[江戸時代]]は[[尾張国]][[知多郡]]に属する[[尾張藩]]領であり、篠島とともに千賀氏が支配した<ref name="角川1135頁"/><ref name="日本歴史地名大系"/>。「寛文郷帳」「天保郷帳」における村高は50石であり、「旧高旧領」「寛文覚書」では93石余だった<ref name="角川1135頁"/>。江戸時代もやはり漁業が中心であり、コノワタを名産とした<ref name="角川1135頁"/>。元禄4年(1691年)の『知多郡船勢』では日間賀島を121艘(2512石)としており、知多郡内でもっとも船数の多い地域だった<ref name="漁撈習俗"/>。
[[File:Himakajima tako01.JPG|180px|thumb|日間賀島西港に展示されているタコのオブジェ。島内の各所に同様のオブジェが展示されている]]
愛知県に3島ある有人島のうち面積は最小であるが、年間に訪れる観光客数は最も多い。夏には海水浴が楽しめるほか、潮干狩りやタコつかみどりなどもできる。また、1年を通してサイクリングやクルージング、底引網漁なども楽しめる。


=== 寺院・資料館 ===
=== 近代から現代 ===
1876年(明治9年)には本土の師崎村や篠島村と合併して鴻崎村となったが、1881年(明治14年)に再び三村に分離して単独で日間賀島村となった<ref name="篠島・日間賀島の概要"/><ref name="日本歴史地名大系">平凡社 (1988)、517-518頁</ref>。明治中期以後には漁業に加えて[[養蚕業]]が盛んとなった。1889年(明治22年)に[[町村制]]が施行されると、[[知多郡]]日間賀島村として村制を敷いた<ref name="角川1135頁"/>。江戸時代までの漁業は三河湾内に限られていたが、明治時代以降には外海に飛び出して延縄漁を行なうようになり、大正初期以降には漁船の動力船化が進んだ<ref name="漁撈習俗"/>。1951年(昭和26年)時点でも漁船の1/3は無動力船だったが、1965年(昭和40年)には無動力船の割合は5%程度まで減少した<ref name="漁撈習俗"/>。
*大光院 - [[知多四国八十八箇所]]の霊場のひとつ。<ref name="Shimazukan"/>
*安楽寺 - 蛸阿弥陀如来がご本尊。
*日間賀島資料館
*呑海院-[[赤穂浪士]]四十七士の一人である[[大高忠雄|大高源吾(大高忠雄)]]のへその緒碑がある。<ref name="Shimazukan"/>


1957年(昭和32年)には[[離島振興法]]の第7次指定地域となり、篠島・[[佐久島]]とともに「愛知三島」という指定地域名が付けられた<ref name="篠島・日間賀島の概要"/><ref group="注">なお、通俗的には「愛知三島」ではなく「三河湾三島」と呼ぶことのほうが多い。</ref>。1961年(昭和36年)6月1日、[[内海町]]・[[豊浜町]]・[[師崎町]]・篠島村・日間賀島村の本土3町と離島2村が合併して[[南知多町]]となった<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。1958年4月には[[三河湾国定公園]]に指定され、1991年(平成3年)には三河湾地域リゾート整備構想の重点整備地区に指定されている<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。[[平成の大合併]]の際には南知多町・[[美浜町]]の任意合併協議会が設置されたが、[[南セントレア市]]という新市名候補に両町の住民が拒否反応を示して合併自体が不成立となった。2011年(平成23年)9月から12月にかけて、「あいちの離島80日間チャレンジ」<ref group="注">三河湾三島それぞれに失業中の独身女性が80日間滞在し、それぞれの特技を生かして島の魅力を島外に発信するというキャンペーンである。</ref>という離島観光振興キャンペーンが行なわれた。日間賀島には27歳の女性アマチュア歌手が80日間滞在し、日間賀島のテーマソングを制作するなどの活動を行なった<ref>「紡ぐ3島物語 愛知のPR企画、開始1カ月」朝日新聞、2011年10月8日夕刊、1総合、1頁</ref><ref>「『島娘』充実の80日間 愛知の3島PR企画、まもなく終了」朝日新聞、2011年12月24日夕刊、1社会、9頁</ref>。2012年(平成24年)10月には佐久島に滞在したイラストレーターによって各島の[[ゆるキャラ]]がデザインされ、特産のタコをモチーフにした「たこみちゃん」がお披露目された<ref>「離島のゆるキャラお披露目 あさりん・たこみちゃん・しらっぴーな、3島PR」朝日新聞、2012年10月4日朝刊、名古屋・1地方、25頁</ref><ref group="注">篠島ではタコをモチーフにした「しらっぴーな」が、佐久島では大アサリをモチーフにした「あさりん」がお披露目されている。</ref>。
=== 海水浴 ===
*サンライズビーチ(東浜)
*サンセットビーチ(西浜)


=== 祭事・催事 ===
=== 寺社 ===
[[曹洞宗]]安楽寺は聖観音を本尊とする寺院であり、もともと[[天台宗]]の寺院だったが、慶安4年(1651年)に曹洞宗に改められた<ref name="日本歴史地名大系"/>。別堂には蛸阿弥陀と呼ばれる阿弥陀如来があり、大蛸に抱かれたまま海から引き揚げられた胎内仏が住民に信仰されている<ref name="日本歴史地名大系"/>。西里の曹洞宗長心寺は子安観音を本尊とする寺院であり、大永年間(1521年-1528年)に創建された<ref name="日本歴史地名大系"/>。同じく曹洞宗呑海院は元亀元年(1570年)の開創であり、本尊の弘法大師像は鯖を抱いている。[[真言宗]]大光院は天正15年(1587年)の開創であり、知多四国八十八か所のひとつである<ref name="SHIMADAS"/>。日間賀神社はかつての八王子社であり、応永19年(1412年)に篠島の神明社を勧請した際に八王子神明宮と改称し、1871年(明治4年)に現名称となった<ref name="日本歴史地名大系"/>。
*ぎおん祭り
*タコ祭り
*フグ祭り
*秋祭り


== 教育 ==
== 教育 ==
[[画像:日間賀中学校1.jpg|thumb|right|日間賀小学校]]
[[File:日間賀中学校1.jpg|thumb|right|日間賀小学校]]
=== 保育所 ===
*日間賀保育所


1873年(明治6年)には大光院に鳴鳳学校が創設され、1877年(明治10年)には日間賀学校と、1887年(明治20年)には簡易小学日間賀学校と、1891年(明治24年)には日間賀尋常小学校と改称された<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。1911年(明治44年)には現在地に移転し、1925年(大正14年)には日間賀尋常高等小学校と、1941年(昭和16年)には日間賀国民学校と改称された<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。1947年(昭和22年)には日間賀島村立日間賀中学校が創設され、小学校は日間賀島村立日間賀小学校と改称された<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。2012年(平成24年)には日間賀小学校に58人、日間賀中学校に67人の児童生徒が通っている<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。
=== 小・中学校 ===
*日間賀小学校
*日間賀中学校


1980年(昭和55年)には[[愛知県立内海高等学校|愛知県立内海高校]]日間賀島分校が開校し、1986年(昭和61年)には94人もの生徒が在籍していたが<ref name="角川1136頁">角川日本地名大辞典編纂委員会 (1989)、1136頁</ref>、生徒数の減少によって2001年(平成11年)に閉校となった<ref name="SHIMADAS"/>。最終年度となった2000年(平成10年)には2人の生徒が通っていた<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。篠島にあった内海高校日間賀島分校も2004年(平成16年)に閉校となり、三河湾三島から高校はなくなった。愛知県は高校の学区制を敷いており、南知多町に属する日間賀島から進学可能な高校は、本来ならば尾張学区の高校に限られるが、愛知県下全域の普通科高校に進学可能な特例が設けられている。
=== 高校進学 ===
学区制によらず、県下全域の普通科高校に進学可能な特例が設けられている。


== 交通 ==
[[1980年]]に[[愛知県立内海高等学校|内海高校]]の日間賀島分校が設置されたが、生徒減少により[[2001年]]に閉校した。
[[名鉄海上観光船]]が[[知多半島]]や[[渥美半島]]と篠島港の間に[[高速船]]と[[カーフェリー]]を運航している<ref name="名鉄海上観光船">[http://www.meikaijo.co.jp/timetable.html 航路図・時刻表]名鉄海上観光船</ref>。[[南知多町]]の[[師崎港]]と日間賀島東港・日間賀島西港・篠島港を結ぶ定期高速船は「師崎-篠島-日間賀島-師崎」の順に巡り、師崎港から日間賀島まで約15分である。同じ三河湾にある[[佐久島]]との間には定期航路が存在しないが<ref name="あいちの離島振興"/>、[[水上タクシー|海上タクシー]]などで行き来することができる。


道路舗装率は85.5%であり、愛知県下の市町村道の舗装率87.1%に遜色ない<ref name="あいちの離島振興"/>。2010年(平成22年)の人口2,051人に対して、2011年(平成23年)時点で1,427台の自動車が登録されており、内訳は原動機付自転車が814台、軽自動車が588台などである<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。東港近くには三河湾三島で初の信号がある<ref name="SHIMADAS"/>。定期バス路線はないが、夏季限定の無料島内巡回バスが運行されている<ref name="あいちの離島振興"/>。
== その他 ==
{{出典の明記|date=2013年6月}}
人口における原付保有率が全国一である。また、日本の離島における人口密度も全国一である。


== 経済 ==
郵便番号は470-3504である。島内に集配局は無く、南知多郵便局が担当している。
[[File:Himakajima tako01.JPG|150px|thumb|西港に設置されているタコのオブジェ]]


水産業と観光業が経済の中心であり、水産業はイカナゴやシラスなどの漁船漁業、ノリなどの養殖業、水産加工業などを行なっている<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。夏場のタコ、冬場のフグを観光の目玉にしており、海水浴客や釣り客も多い<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>。東西の港前にはタコのオブジェがあり、タコがデザインされたマンホールのふたなど、島内の至る所にタコをモチーフにした物がある<ref name="名物はタコ">落合 (2004)、46-47頁</ref>。
島内の信号機は東港付近にある1箇所のみ。

2011年(平成23年)の観光客数は約253,000人であり、内訳は海水浴客が約23,000人、釣り客が約90,000人、その他が約140,000人であるが<ref name="篠島・日間賀島の概要"/>、1991年(平成3年)の観光客数約430,000人から大きく減少している<ref name="あいちの離島振興"/>。

== その他 ==
[[赤穂浪士]]四十七士のひとりである[[大高忠雄]](大高源吾)は日間賀島で生まれ育ったとされ、呑海院にはへその緒塚がある。[[森博嗣]]の小説『すべてがFになる』(講談社、1996年)は日間賀島を舞台としている<ref name="SHIMADAS"/>。[[川上弘美]]の[[芥川賞]]受賞作品『センセイの鞄』(2001年、平凡社)のモデルは日間賀島ではないかとされている<ref name="SHIMADAS"/>。

== ギャラリー ==
<gallery>
File:Meitetu simayuri 01.JPG|カーフェリー「しまゆり」
File:Meitetu himakajima 01.JPG|東港にある乗船券売り場
File:Meitetu himakajima 02.JPG|西港の乗船場
</gallery>


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|2}}
<references group="注"/>

=== 出典 ===
{{Reflist}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
* 『日本地理風俗大系』誠文堂新光社、1959年
* 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年
* 『日本の島ガイド SHIMADAS』日本離島センター、1998年
* {{Cite book|和書|author=|chapter=日間賀島|editor=加藤庸二|date=2013-5-15|title=原色 日本島図鑑|publisher=[[新星出版社]]|series=|isbn=978-4-405-071667|ref=Shimazukan}}
* {{Cite book|和書|author=|chapter=日間賀島|editor=加藤庸二|date=2013-5-15|title=原色 日本島図鑑|publisher=[[新星出版社]]|series=|isbn=978-4-405-071667|ref=Shimazukan}}
* 落合克吉「日間賀島—名物はタコ」『地理』49巻10号、46-47頁、2004年

* 静岡県教育委員会・愛知県教育委員会『日本の漁村・漁撈習俗調査報告書集成 第6巻』東洋書林、2003年
== 関連項目 ==
*[[篠島]]
*[[佐久島]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Himakajima Island}}
{{Commonscat|Himakajima Island}}
*[http://www.himaka.com/ 日間賀島観光協会 くつろぎの味わいの島]
*[http://www.himaka.com/ 日間賀島観光協会 くつろぎの味わいの島]
*[http://www.town.minamichita.lg.jp/main/index.html 南知多町](公式サイト)
*[http://www.town.minamichita.lg.jp/main/index.html 南知多町]
*[http://www.pref.aichi.jp/0000029829.html あいちの離島振興] - 愛知県地域政策課
*[http://www.pref.aichi.jp/0000029829.html あいちの離島振興] - 愛知県地域政策課

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2013年11月4日 (月) 03:39時点における版

日間賀島

日間賀島の空中写真(1982年撮影)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
所在地 日本愛知県
所在海域 三河湾
所属諸島 愛知三島
座標 北緯34度42分18秒 東経137度0分18秒 / 北緯34.70500度 東経137.00500度 / 34.70500; 137.00500座標: 北緯34度42分18秒 東経137度0分18秒 / 北緯34.70500度 東経137.00500度 / 34.70500; 137.00500
面積 0.77[1][2] km²
海岸線長 6.6[1][2] km
最高標高 30.2[1][2] m
日間賀島の位置(愛知県内)
日間賀島
日間賀島 (愛知県)
プロジェクト 地形
テンプレートを表示

日間賀島(ひまかじま)は、三河湾に浮かぶ離島。行政上は愛知県知多郡南知多町に属し、全域が三河湾国定公園に含まれる[3]。2010年(平成22年)の国勢調査における人口は630世帯2,051人だった。「タコとフグの島」という観光PRを行なっている[2]篠島佐久島と合わせて三河湾三島などと呼ばれる。

地理

知多半島渥美半島まで10km以内と距離的に近く、また本土との生活交流が活発なため、国土交通省による離島分類では内海本土近接型離島にあたる[注 1]。日間賀島の周囲には西港の正面にある鼠島や角石(角石島)などの属島があり[4]、下瀬(下瀬島)は干潮時のみ現れる[5]。角石と下瀬は師崎からの航路付近にあるため、島上に灯台が設置されている。日間賀島の北東部にも無数の浅瀬があり、佐久島との中間付近にある大磯にはやはり灯台が設置されている。南岸は150m沖合で水深10m、東岸は350m沖合で水深10mなのに対して北岸は浅く、1,000m沖合で水深20mである[6]。篠島との中間付近には面積0.03km2の築見島があるが、築見島は一般に篠島の属島とされている。

東岸の里中と西岸の西浜のふたつの集落があり[1]、里中は中と小戸地に、西浜は新居と寺下と浪太に分かれている[5]。日間賀島は全体がなだらかな丘陵地を形成しており、島のほぼ中央に30.2mの最高標高地点がある[1][注 2]。面積は0.77km2であり、皇居の約半分である。日間賀島の森林面積は4%に過ぎず、面積の31%が森林の佐久島、面積の24%が森林の篠島と比べて森林に乏しい[2]。篠島とは違って比較的広い耕地があり、昭和40年代後半から昭和50年代にかけてオリーブ、フキ、梅などの栽培がなされたが、これらは定着していない[2]。現在は三河湾三島に農業経営体は存在しない[2]

気候

三河湾三島地域の気候は温暖であり、年平均気温は16度前後である[1]。結氷や降霜は少なく、降雪はほとんどみられないが、冬季には強い季節風が吹く[2]。1970年代の年平均降水量は1,310mmであり、2005年から2011年の平均が1,469mmだった南知多町の本土や愛知県の平均と比べてやや少ない[1]

(参考)佐久島の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C°F 10.1
(50.2)
10.4
(50.7)
12.8
(55)
17.8
(64)
21.0
(69.8)
24.6
(76.3)
27.9
(82.2)
29.4
(84.9)
26.8
(80.2)
22.4
(72.3)
17.5
(63.5)
12.4
(54.3)
19.5
(67.1)
日平均気温 °C°F 7.0
(44.6)
7.2
(45)
9.6
(49.3)
14.7
(58.5)
18.7
(65.7)
22.6
(72.7)
26.0
(78.8)
27.4
(81.3)
24.4
(75.9)
19.6
(67.3)
14.4
(57.9)
9.1
(48.4)
16.8
(62.2)
平均最低気温 °C°F 4.3
(39.7)
4.4
(39.9)
6.6
(43.9)
12.3
(54.1)
16.6
(61.9)
21.1
(70)
24.7
(76.5)
25.9
(78.6)
22.4
(72.3)
17.1
(62.8)
11.5
(52.7)
6.3
(43.3)
14.5
(58.1)
降水量 mm (inch) 52
(2.05)
65
(2.56)
84
(3.31)
121
(4.76)
145
(5.71)
135
(5.31)
136
(5.35)
100
(3.94)
197
(7.76)
151
(5.94)
67
(2.64)
42
(1.65)
1,310
(51.57)
出典:名古屋大学空電研究所資料
(参考)南知多町の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
日平均気温 °C°F 4.1
(39.4)
6.6
(43.9)
7.4
(45.3)
13.0
(55.4)
18.3
(64.9)
22.9
(73.2)
26.6
(79.9)
27.6
(81.7)
24.7
(76.5)
18.7
(65.7)
14.4
(57.9)
7.8
(46)
16.0
(60.8)
降水量 mm (inch) 38
(1.5)
81
(3.19)
103
(4.06)
124
(4.88)
184
(7.24)
179
(7.05)
191
(7.52)
84
(3.31)
177
(6.97)
169
(6.65)
70
(2.76)
70
(2.76)
1,469
(57.83)
出典:名古屋地方気象台[1]

人口

江戸時代に描かれた『日間賀古図』には、西里に120戸余り、東里に150戸余りが描かれた[6]。江戸時代後期にまとめられた尾州徇行記による人口は938人だったが、1891年(明治24年)には1,311人、1930年(昭和5年)には1,951人と、1世紀余りの間に人口が2倍以上に増加した[1]。その後も人口は増え続け、1955年(昭和30年)の国勢調査では過去最高値の2,788人を記録。しかしそこから減少に転じ、1960年(昭和35年)の調査では2,728人、1970年(昭和45年)の調査では2,622人、1980年(昭和55年)の調査では2,576人、1990年(平成2年)の調査では2,397人、2000年(平成12年)の調査では2,221人、2010年(平成22年)の調査では2,051人と、年々減少幅を拡大させている[1]。世帯数は1975年(昭和50年)の調査で初めて600世帯を突破し、1990年調査の658世帯をピークとしながらも、2010年(平成22年)の調査でも630世帯を維持している[1]。2010年調査での高齢者人口比率は29.4%である[1]

2000年(平成12年)の国勢調査による人口密度は2,882人/km2であり、2位の池島(長崎県、2,641人/km2)、3位の篠島(2,192人/km2)などを上回って日本の離島中最高だった[7][8]。明治・大正・昭和にかけて篠島より人口が少なかったが、戦後には篠島の人口減少が著しく、1990年の国勢調査では日間賀島2,397人、篠島2,352人となり、2世紀以上ぶりに篠島の人口を上回った。

1792年(寛政4年)-1822年(文政5年)頃 ファイル:M50.pngファイル:M10.pngファイル:M10.pngファイル:M10.pngファイル:M10.png 938人 尾州徇行記
1891年(明治24年) ファイル:M10.pngファイル:M10.pngファイル:M10.png 1,311人 角川日本地名大事典
1920年(大正9年) ファイル:M50.pngファイル:M10.png 1,617人 国勢調査
1930年(昭和5年) ファイル:M50.pngファイル:M10.pngファイル:M10.pngファイル:M10.pngファイル:M10.png 1,951人
1950年(昭和25年) ファイル:M50.pngファイル:M10.png 2,601人
1970年(昭和45年) ファイル:M50.pngファイル:M10.png 2,622人
1990年(平成2年) ファイル:M10.pngファイル:M10.pngファイル:M10.png 2,397人
2010年(平成22年) 2,051人

歴史

日間賀島村
廃止日 1961年6月1日
廃止理由 合併
内海町豊浜町師崎町日間賀島村・篠島村・→南知多町
現在の自治体 南知多町
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
知多郡
総人口 2,728
((国勢調査)1960年)
日間賀島村役場
所在地 愛知県
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古代から近世

東港近くには7世紀から8世紀にかけての古墳が14基あり、宮の鼻古墳集積地と呼ばれている[9]。日間賀島全体では35基の古墳があり、石錘・釣針・直刀・須恵器などが出土している[4]。古くから渥美半島の福江(現田原市)との交流が活発で婚姻などが行なわれ、言語にも三河地方の文化の影響がみられる[4][10]奈良時代の文献には三河国幡豆郡比莫島という文字がみえ、平城京にサメやクロダイが調進されていた[4]江戸時代尾張国知多郡に属する尾張藩領であり、篠島とともに千賀氏が支配した[4][5]。「寛文郷帳」「天保郷帳」における村高は50石であり、「旧高旧領」「寛文覚書」では93石余だった[4]。江戸時代もやはり漁業が中心であり、コノワタを名産とした[4]。元禄4年(1691年)の『知多郡船勢』では日間賀島を121艘(2512石)としており、知多郡内でもっとも船数の多い地域だった[6]

近代から現代

1876年(明治9年)には本土の師崎村や篠島村と合併して鴻崎村となったが、1881年(明治14年)に再び三村に分離して単独で日間賀島村となった[1][5]。明治中期以後には漁業に加えて養蚕業が盛んとなった。1889年(明治22年)に町村制が施行されると、知多郡日間賀島村として村制を敷いた[4]。江戸時代までの漁業は三河湾内に限られていたが、明治時代以降には外海に飛び出して延縄漁を行なうようになり、大正初期以降には漁船の動力船化が進んだ[6]。1951年(昭和26年)時点でも漁船の1/3は無動力船だったが、1965年(昭和40年)には無動力船の割合は5%程度まで減少した[6]

1957年(昭和32年)には離島振興法の第7次指定地域となり、篠島・佐久島とともに「愛知三島」という指定地域名が付けられた[1][注 3]。1961年(昭和36年)6月1日、内海町豊浜町師崎町・篠島村・日間賀島村の本土3町と離島2村が合併して南知多町となった[1]。1958年4月には三河湾国定公園に指定され、1991年(平成3年)には三河湾地域リゾート整備構想の重点整備地区に指定されている[1]平成の大合併の際には南知多町・美浜町の任意合併協議会が設置されたが、南セントレア市という新市名候補に両町の住民が拒否反応を示して合併自体が不成立となった。2011年(平成23年)9月から12月にかけて、「あいちの離島80日間チャレンジ」[注 4]という離島観光振興キャンペーンが行なわれた。日間賀島には27歳の女性アマチュア歌手が80日間滞在し、日間賀島のテーマソングを制作するなどの活動を行なった[11][12]。2012年(平成24年)10月には佐久島に滞在したイラストレーターによって各島のゆるキャラがデザインされ、特産のタコをモチーフにした「たこみちゃん」がお披露目された[13][注 5]

寺社

曹洞宗安楽寺は聖観音を本尊とする寺院であり、もともと天台宗の寺院だったが、慶安4年(1651年)に曹洞宗に改められた[5]。別堂には蛸阿弥陀と呼ばれる阿弥陀如来があり、大蛸に抱かれたまま海から引き揚げられた胎内仏が住民に信仰されている[5]。西里の曹洞宗長心寺は子安観音を本尊とする寺院であり、大永年間(1521年-1528年)に創建された[5]。同じく曹洞宗呑海院は元亀元年(1570年)の開創であり、本尊の弘法大師像は鯖を抱いている。真言宗大光院は天正15年(1587年)の開創であり、知多四国八十八か所のひとつである[9]。日間賀神社はかつての八王子社であり、応永19年(1412年)に篠島の神明社を勧請した際に八王子神明宮と改称し、1871年(明治4年)に現名称となった[5]

教育

日間賀小学校

1873年(明治6年)には大光院に鳴鳳学校が創設され、1877年(明治10年)には日間賀学校と、1887年(明治20年)には簡易小学日間賀学校と、1891年(明治24年)には日間賀尋常小学校と改称された[1]。1911年(明治44年)には現在地に移転し、1925年(大正14年)には日間賀尋常高等小学校と、1941年(昭和16年)には日間賀国民学校と改称された[1]。1947年(昭和22年)には日間賀島村立日間賀中学校が創設され、小学校は日間賀島村立日間賀小学校と改称された[1]。2012年(平成24年)には日間賀小学校に58人、日間賀中学校に67人の児童生徒が通っている[1]

1980年(昭和55年)には愛知県立内海高校日間賀島分校が開校し、1986年(昭和61年)には94人もの生徒が在籍していたが[14]、生徒数の減少によって2001年(平成11年)に閉校となった[9]。最終年度となった2000年(平成10年)には2人の生徒が通っていた[1]。篠島にあった内海高校日間賀島分校も2004年(平成16年)に閉校となり、三河湾三島から高校はなくなった。愛知県は高校の学区制を敷いており、南知多町に属する日間賀島から進学可能な高校は、本来ならば尾張学区の高校に限られるが、愛知県下全域の普通科高校に進学可能な特例が設けられている。

交通

名鉄海上観光船知多半島渥美半島と篠島港の間に高速船カーフェリーを運航している[15]南知多町師崎港と日間賀島東港・日間賀島西港・篠島港を結ぶ定期高速船は「師崎-篠島-日間賀島-師崎」の順に巡り、師崎港から日間賀島まで約15分である。同じ三河湾にある佐久島との間には定期航路が存在しないが[2]海上タクシーなどで行き来することができる。

道路舗装率は85.5%であり、愛知県下の市町村道の舗装率87.1%に遜色ない[2]。2010年(平成22年)の人口2,051人に対して、2011年(平成23年)時点で1,427台の自動車が登録されており、内訳は原動機付自転車が814台、軽自動車が588台などである[1]。東港近くには三河湾三島で初の信号がある[9]。定期バス路線はないが、夏季限定の無料島内巡回バスが運行されている[2]

経済

ファイル:Himakajima tako01.JPG
西港に設置されているタコのオブジェ

水産業と観光業が経済の中心であり、水産業はイカナゴやシラスなどの漁船漁業、ノリなどの養殖業、水産加工業などを行なっている[1]。夏場のタコ、冬場のフグを観光の目玉にしており、海水浴客や釣り客も多い[1]。東西の港前にはタコのオブジェがあり、タコがデザインされたマンホールのふたなど、島内の至る所にタコをモチーフにした物がある[16]

2011年(平成23年)の観光客数は約253,000人であり、内訳は海水浴客が約23,000人、釣り客が約90,000人、その他が約140,000人であるが[1]、1991年(平成3年)の観光客数約430,000人から大きく減少している[2]

その他

赤穂浪士四十七士のひとりである大高忠雄(大高源吾)は日間賀島で生まれ育ったとされ、呑海院にはへその緒塚がある。森博嗣の小説『すべてがFになる』(講談社、1996年)は日間賀島を舞台としている[9]川上弘美芥川賞受賞作品『センセイの鞄』(2001年、平凡社)のモデルは日間賀島ではないかとされている[9]

ギャラリー

脚注

注釈

  1. ^ 国土交通省が策定した離島振興計画では、離島を本土近接型と隔絶型に分け、さらに本土近接型を内海型と外海型に分けている。本土との距離が近く、航路の安定性が高く、通勤通学が可能な離島が内海本土近接型離島とされる。
  2. ^ 国土地理院発行の1:25,000地形図「佐久島」(昭和44年改測・平成17年更新・平成17年発行)には西浜と日間賀小中学校の間に32mの標高点が記載されており、1989年発行の『日本歴史地名大系』でも日間賀島の最高地点は32mとしているが、南知多町が2012年に発行した「篠島・日間賀島の概要」では最高地点は30.2mとなっている。
  3. ^ なお、通俗的には「愛知三島」ではなく「三河湾三島」と呼ぶことのほうが多い。
  4. ^ 三河湾三島それぞれに失業中の独身女性が80日間滞在し、それぞれの特技を生かして島の魅力を島外に発信するというキャンペーンである。
  5. ^ 篠島ではタコをモチーフにした「しらっぴーな」が、佐久島では大アサリをモチーフにした「あさりん」がお披露目されている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y 篠島・日間賀島の概要南知多町、2012年
  2. ^ a b c d e f g h i j k l あいちの離島振興愛知県地域振興課
  3. ^ 『郷土百科事典 23 愛知県』、132頁
  4. ^ a b c d e f g h 角川日本地名大辞典編纂委員会 (1989)、1135頁
  5. ^ a b c d e f g h 平凡社 (1988)、518-519頁 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "日本歴史地名大系"が異なる内容で複数回定義されています
  6. ^ a b c d e 静岡県教育委員会・愛知県教育委員会 (2003)
  7. ^ 日本離島センター (2004)、857頁「人口密度の高い島BEST20」
  8. ^ 『地図帳 日本の島100』山と渓谷社、2006年、34頁
  9. ^ a b c d e f 日本離島センター (1998)
  10. ^ 誠文堂新光社 (1959)、188頁
  11. ^ 「紡ぐ3島物語 愛知のPR企画、開始1カ月」朝日新聞、2011年10月8日夕刊、1総合、1頁
  12. ^ 「『島娘』充実の80日間 愛知の3島PR企画、まもなく終了」朝日新聞、2011年12月24日夕刊、1社会、9頁
  13. ^ 「離島のゆるキャラお披露目 あさりん・たこみちゃん・しらっぴーな、3島PR」朝日新聞、2012年10月4日朝刊、名古屋・1地方、25頁
  14. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会 (1989)、1136頁
  15. ^ 航路図・時刻表名鉄海上観光船
  16. ^ 落合 (2004)、46-47頁

参考文献

  • 『日本地理風俗大系』誠文堂新光社、1959年
  • 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 23 愛知県』角川書店、1989年
  • 『日本の島ガイド SHIMADAS』日本離島センター、1998年
  • 加藤庸二 編「日間賀島」『原色 日本島図鑑』新星出版社、2013年5月15日。ISBN 978-4-405-071667 
  • 落合克吉「日間賀島—名物はタコ」『地理』49巻10号、46-47頁、2004年
  • 静岡県教育委員会・愛知県教育委員会『日本の漁村・漁撈習俗調査報告書集成 第6巻』東洋書林、2003年

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