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「ベッドフォード公爵」の版間の差分

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{{Infobox peerage title
[[ファイル:bedfordcoa.JPG|framed|right|ベッドフォード公の紋章(1485年制定)]]
|name=ベッドフォード公爵
'''ベッドフォード公爵'''(Duke of Bedford)は、[[イングランド]]において数度にわたり創設された[[イングランド貴族]]の[[公爵]]位。[[ベッドフォードシャー]]の[[ベッドフォード]]にその名を発している。1度目は14世紀に[[エドワード3世 (イングランド王)|エドワード3世]]の義理の息子であるアンゲラン7世・ド・クーシー([[:en:Enguerrand VII, Lord of Coucy|Enguerrand VII de Coucy]])が授爵、この家系が絶えた後に[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]の第3子である[[ジョン・オブ・ランカスター|ジョン]]に公爵位が与えられた。ジョンは後にフランス摂政となっているが死後爵位は消滅、[[1470年]]に[[ウォリック伯]][[リチャード・ネヴィル (第16代ウォリック伯)|リチャード・ネヴィル]]の従兄弟にあたる[[ジョージ・ネヴィル (ベッドフォード公)|ジョージ・ネヴィル]]に授爵され、[[1485年]]には[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]の叔父[[ジャスパー・テューダー (ベッドフォード公)|ジャスパー・テューダー]]へと与えられたが、いずれも1代で断絶した。
|image=[[File:Coronet of a British Duke.svg|90px|center]][[Image:Arms of the Duke of Bedford.svg|100px|Arms of the Duke of Bedford]]
|creation date=[[1694年]][[5月11日]]
|monarch=[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]/[[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー2世]]
|peerage=[[イングランド貴族]]
|first holder=5代ベッドフォード伯[[ウィリアム・ラッセル (初代ベッドフォード公)|ウィリアム・ラッセル]]
|present holder={{仮リンク|アンドリュー・ラッセル (第15代ベッドフォード公)|label=アンドリュー・ラッセル|en|Andrew Russell, 15th Duke of Bedford}}(15代公)
|remainder to=初代公爵の嫡流の男系男子
|subsidiary titles=タヴィストック侯爵、ベッドフォード伯爵、チェイニースのラッセル男爵、ソーンホーのラッセル男爵、ストリーサムのホウランド男爵
|heir apparent=タヴィストック侯爵ヘンリー・ラッセル
|}}
'''ベッドフォード公爵'''({{lang-en|Duke of Bedford}})は[[イングランド貴族]]の[[公爵]]位。


在はラッセル家がベッドフォード公爵および伯爵位を保持しており、[[1551年]]に[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]・[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]父子の側近であった[[ジョン・ラッセル (初代ベッドフォード伯)|ジョン・ラッセル]]にベッドフォード伯爵が与えられ、第5代の[[ウィリアム・ラッセル (初代ベッドフォード公)|ウィリアム・ラッセル]]によって[[名誉革命]]後に公爵家を創設した6代公爵[[ジョン・ラッセル (第6代ベッドフォード公)|ジョン・ラッセル]]の三男[[ジョン・ラセル (初代ラッセル伯)|ジョン・ラッセル]]は[[19世紀]]中期に二度に渡って[[イギリスの首相|首相]]を務め、1861年に[[ラッセル伯爵]]位を与えられている。三代目のラッセル伯爵が哲学者の[[バトラン・ラッセル]]である。
過去に5度創設されており、存するベッドフォード公爵位、[[1694年]]に第5代ベッドフォード伯[[ウィリアム・ラッセル (初代ベッドフォード公)|ウィリアム・ラッセル]]が叙されたの始まる。爵位名は[[ベッドフォードシャー]]の[[ドフォード]]に由来する。


== 歴史 ==
ベッドフォード公爵に付随する爵位は、タヴィストック侯爵、ベッドフォード伯爵、チェニーのラッセル男爵、ソーンホーのラッセル男爵、ストリートハムのホウランド男爵および1138年に公爵位と統合されたベッドフォード男爵である。後継者が使用する儀礼爵位はタヴィストック侯爵である。
=== ラッセル家前のベッドフォード公 ===
[[1414年]][[5月16日]]に[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]の第3子[[ジョン・オブ・ランカスター]]<small>(1389-1435)</small>が一代限りの爵位としてベットフォード公に叙されたのが最初の創設である<ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p10187.htm#i101867 |title=John of Lancaster, Duke of Bedford|accessdate= 2015-3-4 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。彼は[[1422年]]にフランス占領地の摂政となり、[[百年戦争]]のイングランド軍を指揮し、[[ジャンヌ・ダルク]]を火刑に処したことなどで知られる。彼の死後、爵位は消滅した<ref name="森(1994)210">[[#森(1994)|森(1994)]] p.210/348</ref>。


ついで[[1470年]][[1月5日]]に初代モンタギュー侯爵[[ジョン・ネヴィル (初代モンターギュ侯)|ジョン・ネヴィル]]の長男{{仮リンク|ジョージ・ネヴィル (初代ベッドフォード公)|label=ジョージ・ネヴィル|en|George Neville, 1st Duke of Bedford}}<small>(1461-1483)</small>がベッドフォード公に叙爵されたが、[[1478年]]3月に「栄誉ある地位を保つだけの財産がない」とされて剥奪されている<ref name="海保(1999)38">[[#海保(1999)|海保(1999)]] p.38</ref><ref>{{Cite web |url= http://thepeerage.com/p1451.htm#i14510 |title=George Neville, 1st and last Duke of Bedford|accessdate= 2015-3-4 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
[[バッキンガムシャー]]のミルトン・キーンズ付近に存在する[[ウォバーン・アビー]]を邸宅としている。


その直後に[[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]の三男{{仮リンク|ジョージ・プランタジネット (初代ベッドフォード公)|label=ジョージ・プランタジネット|en|George Plantagenet, 1st Duke of Bedford}}<small>(1477-1479)</small>に与えられるも、夭折したため消滅した<ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p10165.htm#i101649 |title=George Plantagenet, Duke of Bedford|accessdate= 2015-3-4 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
== ベッドフォード伯爵 (1138年) ==
* ヒュー・ド・ボーモント - [[スティーブン (イングランド王)|スティーブン]]王に伯爵領を与えられる([[1142年]]剥奪)


[[1485年]][[10月27日]]には[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]の叔父でヘンリー7世の擁立に貢献した[[ジャスパー・テューダー (ベッドフォード公)|ジャスパー・テューダー]]<small>(1431-1495)</small>に与えられたが、男子がなかったために1代で絶えた<ref name="森(1994)210">[[#森(1994)|森(1994)]] p.282/348</ref><ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p10200.htm#i101995 |title=Sir Jasper Tudor, 1st and last Duke of Bedford|accessdate= 2015-3-4 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。
== ベッドフォード伯爵 (1366年) ==
* Enguerrand de Coucy ([[1340年]]-[[1397年]]) ([[1377年]]に放棄)


== ベッドフォード公爵 (1414年) ==
=== ラッセル家がベッドフォード伯位を得る ===
[[File:Woburn Morris edited.jpg|250px|thumb|4代ベッドフォード伯{{仮リンク|フランシス・ラッセル (第4代ベッドフォード伯爵)|label=フランシス|en|Francis Russell, 4th Earl of Bedford}}<small>(1593-1641)</small>が建設した[[ウォバーン・アビー]]。]]
*[[ジョン・オブ・ランカスター]] ([[1389年]]-[[1435年]])
現在のベッドフォード公であるラッセル家の祖は初代ベッドフォード伯爵{{仮リンク|ジョン・ラッセル (初代ベッドフォード伯爵)|label=ジョン・ラッセル|en|John Russell, 1st Earl of Bedford}}<small>(1485-1555)</small>である。彼は貿易商をしていた[[1506年]]1月に[[ドーセット]]に難破した[[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)|マクシミリアン1世]]の長男[[フェリペ1世 (カスティーリャ王)|フィリプ]]とその妃[[フアナ (カスティーリャ女王)|フアナ]]の通訳を務め、その功績で[[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]の宮廷官に取り立てられた<ref name="森(1987)207-208">[[#森(1987)|森(1987)]] p.207-208</ref>。続く[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]]の時代にも外交官や[[枢密院 (イギリス)|枢密顧問官]]として活躍し、修道院解散で修道院所有の荘園を次々と獲得した。ロンドン中心部[[コヴェント・ガーデン]]もこの時に入手している<ref name="森(1987)208">[[#森(1987)|森(1987)]] p.208</ref>。ヘンリー8世の宮廷では粛清が相次いだが、彼は処刑されることなく、次の[[エドワード6世 (イングランド王)|エドワード6世]]の時代まで宮廷で重きをなし続けた。[[1539年]][[3月9日]]にはヘンリー8世より「'''チェイニースのラッセル男爵'''(Baron Russell, of Cheneys )」、[[1551年]][[1月19日]]にはエドワード6世より「'''ベッドフォード伯爵'''([[:en:Earl of Bedford|Earl of Bedford]])」に叙せられている<ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p2758.htm#i27575 |title=John Russell, 1st Earl of Bedford|accessdate= 2015-3-4 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。


その子である2代ベッドフォード伯{{仮リンク|フランシス・ラッセル (第2代ベッドフォード伯爵)|label=フランシス|en|Francis Russell, 2nd Earl of Bedford}}<small>(1527-1585)</small>は、[[エリザベス1世]]時代に外交官として活躍したことや[[フランシス・ドレイク]]の名付け親となったことなどで知られる<ref name="森(1987)208">[[#森(1987)|森(1987)]] p.208</ref>。
== ベッドフォード公爵 (1470年) ==
* [[ジョージ・ネヴィル (ベッドフォード公)|ジョージ・ネヴィル]] ([[1457年]]-[[1483年]]) ([[1478年]] 剥奪)


2代伯の跡は2代伯の三男ヘンリーの子である{{仮リンク|エドワード・ラッセル (第3代ベッドフォード伯爵)|label=エドワード|en|Edward Russell, 3rd Earl of Bedford}}<small>(1572-1627)</small>が継いだが、彼には男子がなかったため、その死後、2代伯の四男初代{{仮リンク|ソーンホーのラッセル男爵|en|Baron Russell of Thornhaugh}}{{仮リンク|ウィリアム・ラッセル (初代ソーンホーのラッセル男爵)|label=ウィリアム|en|William Russell, 1st Baron Russell of Thornhaugh}}<small>(1558–1613)</small>の子である第2代ソーンホーのラッセル男爵{{仮リンク|フランシス・ラッセル (第4代ベッドフォード伯爵)|label=フランシス|en|Francis Russell, 4th Earl of Bedford}}<small>(1593-1641)</small>が4代ベッドフォード伯を継承した。以来「'''カウンティ・オブ・ノーサンプトンにおけるソーンホーのラッセル男爵'''(Baron Russell of Thornhaugh, in the County of Northampton)」も従属爵位に加わる<ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p10538.htm#i105378 |title=Francis Russell, 4th Earl of Bedford|accessdate= 2015-3-4 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="森(1987)209">[[#森(1987)|森(1987)]] p.209</ref>。また4代伯は[[バッキンガムシャー]]のミルトン・キーンズ付近にある[[ウォバーン・アビー]]に邸宅を立てた人物であり、以降ここがラッセル家の本拠となる<ref name="森(1987)211">[[#森(1987)|森(1987)]] p.211</ref>。
== ベッドフォード公爵 (1485年) ==
* [[ジャスパー・テューダー (ベッドフォード公)|ジャスパー・テューダー]] ([[1431年]]-[[1495年]])


4代伯の長男が初代ベッドフォード公に叙されることになる第5代ベッドフォード伯[[ウィリアム・ラッセル (初代ベッドフォード公)|ウィリアム・ラッセル]]<small>(1613-1700)</small>である。
== ベッドフォード伯爵 (1551年) ==
{{-}}
*[[ジョン・ラッセル (初代ベッドフォード伯)]] ([[1485年]]-[[1555年]])
=== 冤罪のお詫びで公爵に叙される ===
*[[フランシス・ラッセル (第2代ベッドフォード伯)]] ([[1527年]]-[[1585年]])
[[File:LordWilliamRussell.jpg|180px|thumb|[[ライハウス陰謀事件]]において冤罪で処刑されたラッセル卿[[ウィリアム・ラッセル (1639-1683)|ウィリアム・ラッセル]]<small>(1639-1683)</small>]]
*[[エドワード・ラッセル (第3代ベッドフォード伯)]] ([[1572年]]-[[1627年]])
5代ベッドフォード伯の子ラッセル卿([[儀礼称号]])[[ウィリアム・ラッセル (1639-1683)|ウィリアム・ラッセル]]<small>(1639-1683)</small>は、[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]幹部、反カトリックの強硬プロテスタントとして[[庶民院]]で活躍した。そのため淫靡な風潮を好む[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]やカトリックの王弟[[ヨーク公]][[ジェームズ2世 (イングランド王)|ジェイムズ]]と対立を深めた<ref>[[#森(1987)|森(1987)]] p.215-216</ref>。
*[[フランシス・ラッセル (第4代ベッドフォード伯)]] ([[1593年]]-[[1641年]])
*[[ウィリアム・ラッセル (初代ベッドフォード公)|ウィリアム・ラッセル (第5代ベッドフォード伯)]] ([[1694年]]にベッドフォード公爵へ) ([[1616年]]-[[1700年]])


そんな中の[[1683年]]6月に[[ライハウス陰謀事件]](チャールズ2世やヨーク公を暗殺してプロテスタントのモンマス公[[ジェームズ・スコット (モンマス公)|ジェイムズ・スコット]]を擁立しようとしたとされる計画)が持ちあがった。官憲の捜査の手はホイッグ党幹部に伸び、事件と関係がなかったラッセル卿も冤罪で逮捕された。ラッセル卿は裁判で無罪を主張したものの、結局[[大逆罪 (イギリス)|大逆罪]]により死刑判決を受けた。父である5代ベッドフォード伯をはじめとする多くの人から助命嘆願が国王に寄せられたものの、受け入れられず、[[7月21日]]に処刑された(ただしヨーク公が[[首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑]]を求めたのに対してチャールズ2世はそれを退けて貴族の尊厳を認めた斬首刑で死刑を行わせている)<ref>[[#森(1987)|森(1987)]] p.215-217</ref>。
== ベッドフォード公爵 (1694年) ==
*[[ウィリアム・ラッセル (初代ベッドフォード公)]] ([[1616年]]-[[1700年]])
*[[ライアススリー・ラッセル (第2代ベッドフォード公)]] ([[1680年]]-[[1711年]])
*[[ライアススリー・ラッセル (第3代ベッドフォード公)]] ([[1708年]]-[[1732年]])
*[[ジョン・ラッセル (第4代ベッドフォード公)]] ([[1710年]]-[[1771年]])
*[[フランシス・ラッセル (第5代ベッドフォード公)]] ([[1765年]]-[[1802年]])
*[[ジョン・ラッセル (第6代ベッドフォード公)]] ([[1766年]]-[[1839年]])
*[[フランシス・ラッセル (第7代ベッドフォード公)]] ([[1788年]]-[[1861年]])
*[[ウィリアム・ラッセル (第8代ベッドフォード公)]] ([[1809年]]-[[1872年]])
*[[フランシス・ラッセル (第9代ベッドフォード公)|フランシス・チャールズ・ヘィスティング・ラッセル (第9代ベッドフォード公)]] ([[1819年]]-[[1891年]])
*[[ジョージ・ラッセル (第10代ベッドフォード公)|ジョージ・ウィリアム・フランシス・サックヴィル・ラッセル (第10代ベッドフォード公)]] ([[1852年]]-[[1893年]])
*[[ハーブランド・ラッセル (第11代ベッドフォード公)|ハーブランド・アーサー・ラッセル (第11代ベッドフォード公)]] ([[1858年]]-[[1940年]])
*[[ヘイスティングス・ラッセル (第12代ベッドフォード公)|ヘイスティングス・ウィリアム・サックヴィル・ラッセル (第12代ベッドフォード公)]] ([[1888年]]-[[1953年]])
*[[ジョン・ラッセル (第13代ベッドフォード公)|ジョン・ロバート・ラッセル (第13代ベッドフォード公)]] ([[1917年]]-[[2002年]])
*[[ロビン・ラッセル (第14代ベッドフォード公)|ヘンリー・ロビン・イアン・ラッセル (第14代ベッドフォード公)]] ([[1940年]]-[[2003年]])
*[[アンドリュー・ラッセル (第15代ベッドフォード公)|アンドリュー・イアン・ヘンリー・ラッセル (第15代ベッドフォード公)]] ([[1962年]]-)


[[1685年]]、カトリックのヨーク公がジェイムズ2世として即位したが、[[1688年]]には[[名誉革命]]が発生し、ジェームズ2世は王位を追われ、プロテスタントの[[ウィリアム3世 (イングランド王)|ウィリアム3世]]と[[メアリー2世 (イングランド女王)|メアリー2世]]夫妻が新国王に擁立された。この影響で[[1689年]]の議会はラッセル卿の大逆罪を否認する決議を出し、その名誉を回復した<ref name="森(1987)219">[[#森(1987)|森(1987)]] p.219</ref>。ついで[[1694年]][[5月11日]]には息子を冤罪にかけたお詫びとして81歳になっていた5代ベッドフォード伯が「'''ベッドフォード公爵'''(Duke of Bedford)」と「'''タヴィストック侯爵'''(Marquess of Tavistock)」に叙されたのだった<ref name="森(1987)219">[[#森(1987)|森(1987)]] p.219</ref>。
現在の後継者は[[2005年]]6月7日に誕生した当代の長男のタヴィストック侯爵ヘンリー・ラッセルである。


=== ベッドフォード公としてのラッセル家 ===
[[1700年]]の初代ベッドフォード公の死後、爵位は処刑されたラッセル卿の遺児{{仮リンク|ライオセスリー・ラッセル (第2代ベッドフォード公)|label=ライオセスリー|en|Wriothesley Russell, 2nd Duke of Bedford}}<small>(1680-1711)</small>が継承するが、彼は襲爵前の[[1695年]]5月に資産家ジョン・ホウランドの娘で女子相続人のエリザベス(Elizabeth Howland)と結婚した。これによりベッドフォード公ラッセル家は10万ポンドの遺産とロンドン・{{仮リンク|ストリーサム|en|Streatham}}をはじめとするホウランド家の所領を相続し、イングランド四大資産家の一家に数えられるようになった<ref name="森(1987)220-221">[[#森(1987)|森(1987)]] p.220-221</ref>。またこの結婚を機に祖父初代ベッドフォード公が[[1695年]][[6月13日]]に「'''カウンティ・オブ・サリーにおけるストリーサムのホウランド男爵'''(Baron Howland, of Streatham in the County of Surrey)」に叙されている<ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p1017.htm#i10169 |title=William Russell, 1st Duke of Bedford|accessdate= 2015-3-4 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref><ref name="森(1987)221">[[#森(1987)|森(1987)]] p.221</ref>。

2代公の子3代ベッドフォード公{{仮リンク|ライオセスリー・ラッセル (第3代ベッドフォード公)|label=ライオセスリー・ラッセル|en|Wriothesley Russell, 3rd Duke of Bedford}}<small>(1708-1732)</small>は、ギャンブル好きでプロのギャンブラーの餌食となり、25万ポンドも失ったが、[[マールバラ公爵]]夫人[[サラ・ジェニングス|サラ・チャーチル]]の助けや跡を継いだ弟の4代ベッドフォード公{{仮リンク|ジョン・ラッセル (第4代ベッドフォード公)|label=ジョン・ラッセル|en|John Russell, 4th Duke of Bedford}}<small>(1710-1771)</small>の努力で財産を回復させ、[[デヴォンシャー公爵]]、[[ノーサンバーランド公爵]]、{{仮リンク|ブリッジウォーター公爵|en|Duke of Bridgewater}}とならぶ4大資産家の地位を取り戻した<ref>[[#森(1987)|森(1987)]] p.222-224</ref>。また4代公は軍人として中将まで昇進している他、政界でも{{仮リンク|枢密院議長 (イギリス)|label=枢密院議長|en|Lord President of the Council}}や[[国璽尚書]]などの閣僚職を歴任した<ref name="森(1987)224">[[#森(1987)|森(1987)]] p.224</ref>。

4代公の子である5代公{{仮リンク|フランシス・ラッセル (第5代ベッドフォード公)|label=フランシス|en|Francis Russell, 5th Duke of Bedford}}<small>(1765-1802)</small>と6代公[[ジョン・ラッセル (第6代ベッドフォード公爵)|ジョン・ラッセル]]<small>(1766-1839)</small>は共に浪費家で散財したが、6代公は王立植物園[[キューガーデン]]創設に貢献している<ref name="森(1987)227">[[#森(1987)|森(1987)]] p.227</ref>。また6代公の妻ジョージアナ(第4代{{仮リンク|トリントン子爵|en|Viscount Torrington}}{{仮リンク|ジョージ・ビング (第4代トリントン子爵)|en|George Byng, 4th Viscount Torrington|label=ジョージ・ビング}}の娘)からの遺伝でベッドフォード公爵家に[[メランコリー]]が流れ込んだ。これ以降の当主は多かれ少なかれメランコリーに苦しむことになる<ref>[[#森(1987)|森(1987)]] p.227-228</ref>。

6代公の長男である7代公{{仮リンク|フランシス・ラッセル (第7代ベッドフォード公)|label=フランシス・ラッセル|en|Francis Russell, 7th Duke of Bedford}}<small>(1788-1861)</small>は徹底した緊縮により家計の立て直しに努めた。しかし使うべき時には決して出し惜しみせず、彼の妻アンナも客人をよくもてなし、イギリスの「5時のお茶(five o'clock tea)」の風習はアンナのもてなしを起源としている<ref>[[#森(1987)|森(1987)]] p.228-230</ref>。またホイッグ党([[自由党 (イギリス)|自由党]])の政治家である次弟(6代公の三男)[[ジョン・ラッセル (初代ラッセル伯爵)|ジョン・ラッセル卿]]への金銭支援も欠かさなかった。その結果ジョン・ラッセル卿は政界の中心として活躍し続けることができ、[[イギリスの首相|首相]](在職1846-1852、1865-1866)や[[外務大臣 (イギリス)|外務大臣]](在職1852-1853、1859-1865)を歴任し、1861年には[[ラッセル伯爵]]に叙されている<ref>[[#森(1987)|森(1987)]] p.229</ref>。

7代公の息子である8代公{{仮リンク|ウィリアム・ラッセル (第8代ベッドフォード公)|label=ウィリアム|en|William Russell, 8th Duke of Bedford}}<small>(1809-1872)</small>は重度のメランコリーに苦しみ、生涯結婚しなかった。彼の死後に爵位は7代公の長弟(6代公の次男)ウィリアムの子{{仮リンク|フランシス・ラッセル (第9代ベッドフォード公)|label=フランシス|en|Francis Russell, 9th Duke of Bedford}}<small>(1819-1891)</small>が継承したが、彼もメランコリーに苦しみ、拳銃自殺するという衝撃的な最期を遂げた<ref name="森(1987)230">[[#森(1987)|森(1987)]] p.230</ref>。

その子{{仮リンク|ジョージ・ラッセル (第10代ベッドフォード公)|label=ジョージ|en|George Russell, 10th Duke of Bedford}}<small>(1852-1893)</small>が10代公となったが、襲爵から2年後には急死したため、弟の{{仮リンク|ハーブランド・ラッセル (第11代ベッドフォード公)|label=ハーブランド|en|Herbrand Russell, 11th Duke of Bedford}}<small>(1858-1940)</small>が11代公を継承した<ref name="森(1987)230">[[#森(1987)|森(1987)]] p.230</ref>。11代公夫妻は動物を共通の趣味とし、犬、猫、鹿、鳥類などを収集した。これが後のサファリパーク開園につながる。妻メアリーは活動的な女性で晩年にはパイロットとして自家用飛行機で飛び回っていたが、1937年に航空事故死した。夫の11代公もその3年後に死去した。11代公は息子と仲が悪かったため、相続税対策が遅れ、財産税攻勢の直撃を被った。ロンドン・コヴェント・ガーデンの土地はこの際に手放している<ref>[[#森(1987)|森(1987)]] p.230-235/237</ref>。

11代公の息子である12代公{{仮リンク|ヘイスティングス・ラッセル (第12代ベッドフォード公)|label=ヘイスティングス|en|Hastings Russell, 12th Duke of Bedford}}<small>(1888-1953)</small>は、[[第二次世界大戦]]中に[[貴族院 (イギリス)|貴族院]]で戦争反対を訴え続けたため、「[[ファシスト]]」だの「[[共産主義者]]」だのと誹謗中傷された。迫害に晒される12代公は人間に嫌気がさし、「動物は自分を裏切らない」と語って父同様動物収集にはまるようになった。また狩猟好きでもあったが、1953年秋に領地での狩猟中に行方不明となった。捜索の結果、藪の中で散弾銃を受けた12代公の遺体が発見された。この不可解な死をめぐる真相は未だ不明である<ref>[[#森(1987)|森(1987)]] p.236-237</ref>。

貴族に対する過酷な相続税攻勢は1954年の改正で緩和されるが、12代公の不審死はそれにぎりぎり間に合わず、公爵家は再び相続税の直撃を被り、更なる土地の売却に迫られた。ベッドフォード公爵家の所有地はついに本拠の[[ウォバーン・アビー]]の屋敷と領地だけになってしまった<ref name="森(1987)237">[[#森(1987)|森(1987)]] p.237</ref>。

家計の立て直しのために13代公{{仮リンク|イアン・ラッセル (第13代ベッドフォード公)|label=イアン|en|Ian Russell, 13th Duke of Bedford}}<small>(1917-2002)</small>は先祖の収集した動物をサファリパークにして開園した<ref>[[#森(1987)|森(1987)]] p.237-238</ref>。

[[2015年]]現在の当主はその孫である15代公{{仮リンク|アンドリュー・ラッセル (第15代ベッドフォード公)|label=アンドリュー・ラッセル|en|Andrew Russell, 15th Duke of Bedford}}<small>(1962-)</small>である。

== 従属爵位 ==
上記の経緯から現在の当主15代ベッドフォード公爵{{仮リンク|アンドリュー・ラッセル (第15代ベッドフォード公)|label=アンドリュー・ラッセル|en|Andrew Russell, 15th Duke of Bedford}}は以下の爵位を従属爵位として有している<ref>{{Cite web |url= http://www.thepeerage.com/p5846.htm#i58460 |title=William Andrew Ian Henry Russell, 15th Duke of Bedford|accessdate= 2015-3-4 |last= Lundy |first= Darryl |work= [http://thepeerage.com/ thepeerage.com] |language= 英語 }}</ref>。

*第15代タヴィストック侯爵(1694年創設[[イングランド貴族]]爵位)
*第19代ベッドフォード伯爵(1550年創設イングランド貴族爵位)
*第19代ラッセル男爵(1539年創設イングランド貴族爵位)
*第17代ソーンホーのラッセル男爵(1603年創設イングランド貴族爵位)
*第15代ストリーサムのホウランド男爵(1695年創設イングランド貴族爵位)

ベッドフォード公爵家の法定推定相続人は父が有する爵位のうちタヴィストック侯爵を[[儀礼称号]]として使用する。またその次の法定推定相続人(嫡流の孫)はホウランド男爵を儀礼称号として使用する<ref>[[#森(1987)|森(1987)]] p.221-222</ref>。
== ラッセル家前の一覧 ==
=== 第1期 ベッドフォード公 (1414年) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! 爵位の代数<br/>名前<br/><small>(生没年)</small>
! 受爵期間
! 続柄
! 備考
|-
| [[File:John, Duke of Bedford - British Library Add MS 18850 f256v - detail.jpg|80px]]
| 初代ベッドフォード公爵<br/>[[ジョン・オブ・ランカスター]]<br/><small>(1389-1435)</small>
|[[1414年]][[5月16日]]<br/>- [[1435年]][[9月14日]]
|[[ヘンリー4世 (イングランド王)|ヘンリー4世]]の三男
|
|}

=== 第2期 ベッドフォード公 (1470年) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! 爵位の代数<br/>名前<br/><small>(生没年)</small>
! 受爵期間
! 続柄
! 備考
|-
|
| 初代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|ジョージ・ネヴィル (初代ベッドフォード公)|label=ジョージ・ネヴィル|en|George Neville, 1st Duke of Bedford}}<br/><small>(1461-1483)</small>
|[[1470年]][[1月5日]]<br/>- [[1478年]]3月
|[[ジョン・ネヴィル (初代モンターギュ侯)|初代モンターギュ侯]]の長男
| [[1478年]] 剥奪
|}

=== 第3期 ベッドフォード公 (1478年) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! 爵位の代数<br/>名前<br/><small>(生没年)</small>
! 受爵期間
! 続柄
! 備考
|-
|
| 初代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|ジョージ・プランタジネット (初代ベッドフォード公)|label=ジョージ・プランタジネット|en|George Plantagenet, 1st Duke of Bedford}}<br/><small>(1477-1479)</small>
|[[1478年]]<br/>- [[1479年]]3月
| [[エドワード4世 (イングランド王)|エドワード4世]]の三男
|
|}

=== 第4期 ベッドフォード公 (1485年) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! 爵位の代数<br/>名前<br/><small>(生没年)</small>
! 受爵期間
! 続柄
! 備考
|-
|
| 初代ベッドフォード公爵<br/>[[ジャスパー・テューダー (ベッドフォード公)|ジャスパー・テューダー]]<br/><small>(1431-1495)</small>
|[[1485年]][[10月27日]]<br/>- [[1495年]]12月
|[[ヘンリー6世 (イングランド王)|ヘンリー6世]]の異父弟
|
|}

== ラッセル家の一覧 ==
=== ラッセル男爵 (1539年) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! 爵位の代数<br/>名前<br/><small>(生没年)</small>
! 受爵期間
! 続柄
! 備考
|-
| [[File:John Russell, 1st Earl of Bedford by Hans Holbein the Younger.jpg|80px]]
| 初代ラッセル男爵<br/>{{仮リンク|ジョン・ラッセル (初代ベッドフォード伯爵)|label=ジョン・ラッセル|en|John Russell, 1st Earl of Bedford}}<br/><small>(1485-1555)</small>
|[[1539年]][[3月9日]]<br/>- [[1555年]][[3月14日]]
|
|[[1551年]]にベッドフォード伯
|}

=== ベッドフォード伯 (1551年) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! 爵位の代数<br/>名前<br/><small>(生没年)</small>
! 受爵期間
! 続柄
! 備考
|-
| [[File:John Russell, 1st Earl of Bedford by Hans Holbein the Younger.jpg|80px]]
| 初代ベッドフォード伯爵<br/>{{仮リンク|ジョン・ラッセル (初代ベッドフォード伯爵)|label=ジョン・ラッセル|en|John Russell, 1st Earl of Bedford}}<br/><small>(1485-1555)</small>
|[[1551年]][[1月19日]]<br/>- [[1555年]][[3月14日]]
|
|
|-
| [[File:2ndEarlOfBedford.jpg|80px]]
| 第2代ベッドフォード伯爵<br/>{{仮リンク|フランシス・ラッセル (第2代ベッドフォード伯爵)|label=フランシス・ラッセル|en|Francis Russell, 2nd Earl of Bedford}}<br/><small>(1527-1585)</small>
|[[1555年]][[3月14日]]<br/>- [[1585年]][[7月28日]]
| 先代の子
|
|-
|
| 第3代ベッドフォード伯爵<br/>{{仮リンク|エドワード・ラッセル (第3代ベッドフォード伯爵)|label=エドワード・ラッセル|en|Edward Russell, 3rd Earl of Bedford}}<br/><small>(1572-1627)</small>
|[[1585年]][[7月28日]]<br/>- [[1627年]][[3月3日]]
| 先代の孫
|
|-
| [[File:Francis, 4th Earl of Bedford by Henry Bone.jpg|80px]]
| 第4代ベッドフォード伯爵<br/>{{仮リンク|フランシス・ラッセル (第4代ベッドフォード伯爵)|label=フランシス・ラッセル|en|Francis Russell, 4th Earl of Bedford}}<br/><small>(1593-1641)</small>
|[[1627年]][[3月3日]]<br/>- [[1641年]][[5月9日]]
| 先代の従兄弟
|[[1613年]]にソーンホーのラッセル男爵
|-
| [[File:Robert Williams - William Russell, 1st Duke of Bedford.png|80px]]
| 第5代ベッドフォード伯爵<br/>[[ウィリアム・ラッセル (初代ベッドフォード公)|ウィリアム・ラッセル]]<br/><small>(1613-1700)</small>
|[[1641年]][[5月9日]]<br/>- [[1700年]][[9月7日]]
| 先代の子
|[[1694年]]にベッドフォード公・タヴィストック侯
|}

=== 第5期 ベッドフォード公 (1694年) ===
{| class="wikitable" style="text-align:center; font-size:smaller"
! 肖像
! 爵位の代数<br/>名前<br/><small>(生没年)</small>
! 受爵期間
! 続柄
! 備考
|-
| [[File:Robert Williams - William Russell, 1st Duke of Bedford.png|80px]]
| 初代ベッドフォード公爵<br/>[[ウィリアム・ラッセル (初代ベッドフォード公)|ウィリアム・ラッセル]]<br/><small>(1613-1700)</small>
|[[1694年]][[5月11日]]<br/>- [[1700年]][[9月7日]]
|
|[[1695年]]にホウランド男爵
|-
|
| 第2代ベッドフォード伯爵<br/>{{仮リンク|ライオセスリー・ラッセル (第2代ベッドフォード公)|label=ライオセスリー・ラッセル|en|Wriothesley Russell, 2nd Duke of Bedford}}<br/><small>(1680-1711)</small>
|[[1700年]][[9月7日]]<br/>- [[1711年]][[5月26日]]
| 先代の孫
|
|-
|
| 第3代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|ライオセスリー・ラッセル (第3代ベッドフォード公)|label=ライオセスリー・ラッセル|en|Wriothesley Russell, 3rd Duke of Bedford}}<br/><small>(1708-1732)</small>
|[[1711年]][[5月26日]]<br/>- [[1732年]][[10月23日]]
| 先代の子
|
|-
| [[ファイル:John Russell, 4th Duke of Bedford by Thomas Gainsborough.jpg|80px]]
| 第4代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|ジョン・ラッセル (第4代ベッドフォード公)|label=ジョン・ラッセル|en|John Russell, 4th Duke of Bedford}}<br/><small>(1710-1771)</small>
|[[1732年]][[10月23日]]<br/>- [[1771年]][[1月5日]]
| 先代の弟
|
|-
| [[File:5th Duke of Bedford.png|80px]]
| 第5代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|フランシス・ラッセル (第5代ベッドフォード公)|label=フランシス・ラッセル|en|Francis Russell, 5th Duke of Bedford}}<br/><small>(1765-1802)</small>
|[[1771年]][[1月5日]]<br/>- [[1802年]][[3月2日]]
| 先代の孫
|
|-
| [[File:John, 6th Duke of Bedford (1766-1839).jpg|80px]]
| 第6代ベッドフォード公爵<br/>[[ジョン・ラッセル (第6代ベッドフォード公爵)|ジョン・ラッセル]]<br/><small>(1766-1839)</small>
|[[1802年]][[3月2日]]<br/>- [[1839年]][[10月20日]]
| 先代の弟
|
|-
| [[File:7thDukeOfBedford.jpg|80px]]
| 第7代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|フランシス・ラッセル (第7代ベッドフォード公)|label=フランシス・ラッセル|en|Francis Russell, 7th Duke of Bedford}}<br/><small>(1788-1861)</small>
|[[1839年]][[10月20日]]<br/>- [[1861年]][[5月14日]]
| 先代の子
|
|-
|
| 第8代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|ウィリアム・ラッセル (第8代ベッドフォード公)|label=ウィリアム・ラッセル|en|William Russell, 8th Duke of Bedford}}<br/><small>(1809-1872)</small>
|[[1861年]][[5月14日]]<br/>- [[1872年]][[5月27日]]
| 先代の子
|
|-
| [[File:9th Duke of Bedford.png|80px]]
| 第9代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|フランシス・ラッセル (第9代ベッドフォード公)|label=フランシス・ラッセル|en|Francis Russell, 9th Duke of Bedford}}<br/><small>(1819-1891)</small>
|[[1872年]][[5月27日]]<br/>- [[1891年]][[1月14日]]
| 先代の又従兄弟
|
|-
|
| 第10代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|ジョージ・ラッセル (第10代ベッドフォード公)|label=ジョージ・ラッセル|en|George Russell, 10th Duke of Bedford}}<br/><small>(1852-1893)</small>
|[[1891年]][[1月14日]]<br/>- [[1893年]][[3月23日]]
| 先代の子
|
|-
| [[File:11thDukeOfBedford.jpg|80px]]
| 第11代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|ハーブランド・ラッセル (第11代ベッドフォード公)|label=ハーブランド・ラッセル|en|Herbrand Russell, 11th Duke of Bedford}}<br/><small>(1858-1940)</small>
|[[1893年]][[3月23日]]<br/>- [[1940年]][[8月27日]]
| 先代の弟
|
|-
|
| 第12代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|ヘイスティングス・ラッセル (第12代ベッドフォード公)|label=ヘイスティングス・ラッセル|en|Hastings Russell, 12th Duke of Bedford}}<br/><small>(1888-1953)</small>
|[[1940年]][[8月27日]]<br/>- [[1953年]][[10月9日]]
| 先代の子
|
|-
| [[File:13th Duke of Bedford 4 Allan Warren.jpg|80px]]
| 第13代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|イアン・ラッセル (第13代ベッドフォード公)|label=イアン・ラッセル|en|Ian Russell, 13th Duke of Bedford}}<br/><small>(1917-2002)</small>
|[[1953年]][[10月9日]]<br/>- [[2002年]][[10月25日]]
| 先代の子
|
|-
| [[File:Henry Robin Ian Russell, 14th Duke of Bedford.jpg|80px]]
| 第14代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|ロビン・ラッセル (第14代ベッドフォード公)|label=ロビン・ラッセル|en|Robin Russell, 14th Duke of Bedford}}<br/><small>(1940-2003)</small>
|[[2002年]][[10月25日]]<br/>- [[2003年]][[6月13日]]
| 先代の子
|
|-
|
| 第15代ベッドフォード公爵<br/>{{仮リンク|アンドリュー・ラッセル (第15代ベッドフォード公)|label=アンドリュー・ラッセル|en|Andrew Russell, 15th Duke of Bedford}}<br/><small>(1962-)</small>
|[[2003年]][[6月13日]]<br/>- 受爵中
| 先代の子
|
|}

[[法定推定相続人]]は[[2005年]]6月7日に誕生した当代の長男のタヴィストック侯爵ヘンリー・ラッセルである。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{reflist|group=注釈|1}}
=== 出典 ===
<div class="references-small"><!-- references/ -->{{reflist|1}}</div>

== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author=[[海保眞夫]]|date=1999年(平成11年)|title=イギリスの大貴族|series= [[平凡社新書]]020|publisher=[[平凡社]]|isbn=978-4582850208|ref=海保(1999)}}
*{{Cite book|和書|date=1987年(昭和62年)|title=英国の貴族 遅れてきた公爵||author=[[森護]]|publisher=[[大修館書店]]|isbn=978-4469240979|ref=森(1987)}}
* {{Cite book|和書|author=[[森護]]|date=1994年(平成6年)|title=英国王室史事典-Historical encyclopaedia of Royal Britain-|publisher=[[大修館書店]]|id=ISBN 978-4469012408|ref=森(1994)}}

== 関連項目 ==
*[[ラッセル伯爵]] : 6代公の三男[[ジョン・ラッセル (初代ラッセル伯爵)|ジョン]](首相)の家系。[[バートランド・ラッセル]](3代ラッセル伯)はこの家系の当主。
*{{仮リンク|アンプトヒル男爵|en|Baron Ampthill}} : 6代公の次男{{仮リンク|ジョージ・ラッセル (1790-1846)|label=ジョージ|en|Lord George Russell}}の三男{{仮リンク|オドー・ラッセル (初代アンプトヒル男爵)|label=オドー|en|Odo Russell, 1st Baron Ampthill}}の家系
[[Category:ベッドフォード公|*]]
[[Category:ベッドフォード公|*]]
[[Category:イギリスの公爵位|へつとふおと]]
[[Category:イギリスの公爵位|へつとふおと]]

2015年3月21日 (土) 12:24時点における版

ベッドフォード公爵
Arms of the Duke of Bedford
創設時期1694年5月11日
創設者ウィリアム3世/メアリー2世
貴族イングランド貴族
初代5代ベッドフォード伯ウィリアム・ラッセル
現所有者アンドリュー・ラッセル英語版(15代公)
相続人タヴィストック侯爵ヘンリー・ラッセル
相続資格初代公爵の嫡流の男系男子
付随称号タヴィストック侯爵、ベッドフォード伯爵、チェイニースのラッセル男爵、ソーンホーのラッセル男爵、ストリーサムのホウランド男爵

ベッドフォード公爵英語: Duke of Bedford)はイングランド貴族公爵位。

過去に5度創設されており、現存するベッドフォード公爵位は、1694年に第5代ベッドフォード伯ウィリアム・ラッセルが叙されたのに始まる。爵位名はベッドフォードシャーベッドフォードに由来する。

歴史

ラッセル家前のベッドフォード公

1414年5月16日ヘンリー4世の第3子ジョン・オブ・ランカスター(1389-1435)が一代限りの爵位としてベットフォード公に叙されたのが最初の創設である[1]。彼は1422年にフランス占領地の摂政となり、百年戦争のイングランド軍を指揮し、ジャンヌ・ダルクを火刑に処したことなどで知られる。彼の死後、爵位は消滅した[2]

ついで1470年1月5日に初代モンタギュー侯爵ジョン・ネヴィルの長男ジョージ・ネヴィル(1461-1483)がベッドフォード公に叙爵されたが、1478年3月に「栄誉ある地位を保つだけの財産がない」とされて剥奪されている[3][4]

その直後にエドワード4世の三男ジョージ・プランタジネット英語版(1477-1479)に与えられるも、夭折したため消滅した[5]

1485年10月27日にはヘンリー7世の叔父でヘンリー7世の擁立に貢献したジャスパー・テューダー(1431-1495)に与えられたが、男子がなかったために1代で絶えた[2][6]

ラッセル家がベッドフォード伯位を得る

4代ベッドフォード伯フランシス英語版(1593-1641)が建設したウォバーン・アビー

現在のベッドフォード公であるラッセル家の祖は初代ベッドフォード伯爵ジョン・ラッセル(1485-1555)である。彼は貿易商をしていた1506年1月にドーセットに難破したマクシミリアン1世の長男フィリプとその妃フアナの通訳を務め、その功績でヘンリー7世の宮廷官に取り立てられた[7]。続くヘンリー8世の時代にも外交官や枢密顧問官として活躍し、修道院解散で修道院所有の荘園を次々と獲得した。ロンドン中心部コヴェント・ガーデンもこの時に入手している[8]。ヘンリー8世の宮廷では粛清が相次いだが、彼は処刑されることなく、次のエドワード6世の時代まで宮廷で重きをなし続けた。1539年3月9日にはヘンリー8世より「チェイニースのラッセル男爵(Baron Russell, of Cheneys )」、1551年1月19日にはエドワード6世より「ベッドフォード伯爵(Earl of Bedford)」に叙せられている[9]

その子である2代ベッドフォード伯フランシス英語版(1527-1585)は、エリザベス1世時代に外交官として活躍したことやフランシス・ドレイクの名付け親となったことなどで知られる[8]

2代伯の跡は2代伯の三男ヘンリーの子であるエドワード英語版(1572-1627)が継いだが、彼には男子がなかったため、その死後、2代伯の四男初代ソーンホーのラッセル男爵英語版ウィリアム英語版(1558–1613)の子である第2代ソーンホーのラッセル男爵フランシス英語版(1593-1641)が4代ベッドフォード伯を継承した。以来「カウンティ・オブ・ノーサンプトンにおけるソーンホーのラッセル男爵(Baron Russell of Thornhaugh, in the County of Northampton)」も従属爵位に加わる[10][11]。また4代伯はバッキンガムシャーのミルトン・キーンズ付近にあるウォバーン・アビーに邸宅を立てた人物であり、以降ここがラッセル家の本拠となる[12]

4代伯の長男が初代ベッドフォード公に叙されることになる第5代ベッドフォード伯ウィリアム・ラッセル(1613-1700)である。

冤罪のお詫びで公爵に叙される

ライハウス陰謀事件において冤罪で処刑されたラッセル卿ウィリアム・ラッセル(1639-1683)

5代ベッドフォード伯の子ラッセル卿(儀礼称号)ウィリアム・ラッセル(1639-1683)は、ホイッグ党幹部、反カトリックの強硬プロテスタントとして庶民院で活躍した。そのため淫靡な風潮を好むチャールズ2世やカトリックの王弟ヨーク公ジェイムズと対立を深めた[13]

そんな中の1683年6月にライハウス陰謀事件(チャールズ2世やヨーク公を暗殺してプロテスタントのモンマス公ジェイムズ・スコットを擁立しようとしたとされる計画)が持ちあがった。官憲の捜査の手はホイッグ党幹部に伸び、事件と関係がなかったラッセル卿も冤罪で逮捕された。ラッセル卿は裁判で無罪を主張したものの、結局大逆罪により死刑判決を受けた。父である5代ベッドフォード伯をはじめとする多くの人から助命嘆願が国王に寄せられたものの、受け入れられず、7月21日に処刑された(ただしヨーク公が首吊り・内臓抉り・四つ裂きの刑を求めたのに対してチャールズ2世はそれを退けて貴族の尊厳を認めた斬首刑で死刑を行わせている)[14]

1685年、カトリックのヨーク公がジェイムズ2世として即位したが、1688年には名誉革命が発生し、ジェームズ2世は王位を追われ、プロテスタントのウィリアム3世メアリー2世夫妻が新国王に擁立された。この影響で1689年の議会はラッセル卿の大逆罪を否認する決議を出し、その名誉を回復した[15]。ついで1694年5月11日には息子を冤罪にかけたお詫びとして81歳になっていた5代ベッドフォード伯が「ベッドフォード公爵(Duke of Bedford)」と「タヴィストック侯爵(Marquess of Tavistock)」に叙されたのだった[15]

ベッドフォード公としてのラッセル家

1700年の初代ベッドフォード公の死後、爵位は処刑されたラッセル卿の遺児ライオセスリー(1680-1711)が継承するが、彼は襲爵前の1695年5月に資産家ジョン・ホウランドの娘で女子相続人のエリザベス(Elizabeth Howland)と結婚した。これによりベッドフォード公ラッセル家は10万ポンドの遺産とロンドン・ストリーサム英語版をはじめとするホウランド家の所領を相続し、イングランド四大資産家の一家に数えられるようになった[16]。またこの結婚を機に祖父初代ベッドフォード公が1695年6月13日に「カウンティ・オブ・サリーにおけるストリーサムのホウランド男爵(Baron Howland, of Streatham in the County of Surrey)」に叙されている[17][18]

2代公の子3代ベッドフォード公ライオセスリー・ラッセル(1708-1732)は、ギャンブル好きでプロのギャンブラーの餌食となり、25万ポンドも失ったが、マールバラ公爵夫人サラ・チャーチルの助けや跡を継いだ弟の4代ベッドフォード公ジョン・ラッセル(1710-1771)の努力で財産を回復させ、デヴォンシャー公爵ノーサンバーランド公爵ブリッジウォーター公爵とならぶ4大資産家の地位を取り戻した[19]。また4代公は軍人として中将まで昇進している他、政界でも枢密院議長国璽尚書などの閣僚職を歴任した[20]

4代公の子である5代公フランシス英語版(1765-1802)と6代公ジョン・ラッセル(1766-1839)は共に浪費家で散財したが、6代公は王立植物園キューガーデン創設に貢献している[21]。また6代公の妻ジョージアナ(第4代トリントン子爵ジョージ・ビングの娘)からの遺伝でベッドフォード公爵家にメランコリーが流れ込んだ。これ以降の当主は多かれ少なかれメランコリーに苦しむことになる[22]

6代公の長男である7代公フランシス・ラッセル(1788-1861)は徹底した緊縮により家計の立て直しに努めた。しかし使うべき時には決して出し惜しみせず、彼の妻アンナも客人をよくもてなし、イギリスの「5時のお茶(five o'clock tea)」の風習はアンナのもてなしを起源としている[23]。またホイッグ党(自由党)の政治家である次弟(6代公の三男)ジョン・ラッセル卿への金銭支援も欠かさなかった。その結果ジョン・ラッセル卿は政界の中心として活躍し続けることができ、首相(在職1846-1852、1865-1866)や外務大臣(在職1852-1853、1859-1865)を歴任し、1861年にはラッセル伯爵に叙されている[24]

7代公の息子である8代公ウィリアム(1809-1872)は重度のメランコリーに苦しみ、生涯結婚しなかった。彼の死後に爵位は7代公の長弟(6代公の次男)ウィリアムの子フランシス(1819-1891)が継承したが、彼もメランコリーに苦しみ、拳銃自殺するという衝撃的な最期を遂げた[25]

その子ジョージ(1852-1893)が10代公となったが、襲爵から2年後には急死したため、弟のハーブランド英語版(1858-1940)が11代公を継承した[25]。11代公夫妻は動物を共通の趣味とし、犬、猫、鹿、鳥類などを収集した。これが後のサファリパーク開園につながる。妻メアリーは活動的な女性で晩年にはパイロットとして自家用飛行機で飛び回っていたが、1937年に航空事故死した。夫の11代公もその3年後に死去した。11代公は息子と仲が悪かったため、相続税対策が遅れ、財産税攻勢の直撃を被った。ロンドン・コヴェント・ガーデンの土地はこの際に手放している[26]

11代公の息子である12代公ヘイスティングス英語版(1888-1953)は、第二次世界大戦中に貴族院で戦争反対を訴え続けたため、「ファシスト」だの「共産主義者」だのと誹謗中傷された。迫害に晒される12代公は人間に嫌気がさし、「動物は自分を裏切らない」と語って父同様動物収集にはまるようになった。また狩猟好きでもあったが、1953年秋に領地での狩猟中に行方不明となった。捜索の結果、藪の中で散弾銃を受けた12代公の遺体が発見された。この不可解な死をめぐる真相は未だ不明である[27]

貴族に対する過酷な相続税攻勢は1954年の改正で緩和されるが、12代公の不審死はそれにぎりぎり間に合わず、公爵家は再び相続税の直撃を被り、更なる土地の売却に迫られた。ベッドフォード公爵家の所有地はついに本拠のウォバーン・アビーの屋敷と領地だけになってしまった[28]

家計の立て直しのために13代公イアン英語版(1917-2002)は先祖の収集した動物をサファリパークにして開園した[29]

2015年現在の当主はその孫である15代公アンドリュー・ラッセル英語版(1962-)である。

従属爵位

上記の経緯から現在の当主15代ベッドフォード公爵アンドリュー・ラッセル英語版は以下の爵位を従属爵位として有している[30]

  • 第15代タヴィストック侯爵(1694年創設イングランド貴族爵位)
  • 第19代ベッドフォード伯爵(1550年創設イングランド貴族爵位)
  • 第19代ラッセル男爵(1539年創設イングランド貴族爵位)
  • 第17代ソーンホーのラッセル男爵(1603年創設イングランド貴族爵位)
  • 第15代ストリーサムのホウランド男爵(1695年創設イングランド貴族爵位)

ベッドフォード公爵家の法定推定相続人は父が有する爵位のうちタヴィストック侯爵を儀礼称号として使用する。またその次の法定推定相続人(嫡流の孫)はホウランド男爵を儀礼称号として使用する[31]

ラッセル家前の一覧

第1期 ベッドフォード公 (1414年)

肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄 備考
初代ベッドフォード公爵
ジョン・オブ・ランカスター
(1389-1435)
1414年5月16日
- 1435年9月14日
ヘンリー4世の三男

第2期 ベッドフォード公 (1470年)

肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄 備考
初代ベッドフォード公爵
ジョージ・ネヴィル
(1461-1483)
1470年1月5日
- 1478年3月
初代モンターギュ侯の長男 1478年 剥奪

第3期 ベッドフォード公 (1478年)

肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄 備考
初代ベッドフォード公爵
ジョージ・プランタジネット英語版
(1477-1479)
1478年
- 1479年3月
エドワード4世の三男

第4期 ベッドフォード公 (1485年)

肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄 備考
初代ベッドフォード公爵
ジャスパー・テューダー
(1431-1495)
1485年10月27日
- 1495年12月
ヘンリー6世の異父弟

ラッセル家の一覧

ラッセル男爵 (1539年)

肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄 備考
初代ラッセル男爵
ジョン・ラッセル
(1485-1555)
1539年3月9日
- 1555年3月14日
1551年にベッドフォード伯

ベッドフォード伯 (1551年)

肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄 備考
初代ベッドフォード伯爵
ジョン・ラッセル
(1485-1555)
1551年1月19日
- 1555年3月14日
第2代ベッドフォード伯爵
フランシス・ラッセル英語版
(1527-1585)
1555年3月14日
- 1585年7月28日
先代の子
第3代ベッドフォード伯爵
エドワード・ラッセル英語版
(1572-1627)
1585年7月28日
- 1627年3月3日
先代の孫
第4代ベッドフォード伯爵
フランシス・ラッセル英語版
(1593-1641)
1627年3月3日
- 1641年5月9日
先代の従兄弟 1613年にソーンホーのラッセル男爵
第5代ベッドフォード伯爵
ウィリアム・ラッセル
(1613-1700)
1641年5月9日
- 1700年9月7日
先代の子 1694年にベッドフォード公・タヴィストック侯

第5期 ベッドフォード公 (1694年)

肖像 爵位の代数
名前
(生没年)
受爵期間 続柄 備考
初代ベッドフォード公爵
ウィリアム・ラッセル
(1613-1700)
1694年5月11日
- 1700年9月7日
1695年にホウランド男爵
第2代ベッドフォード伯爵
ライオセスリー・ラッセル
(1680-1711)
1700年9月7日
- 1711年5月26日
先代の孫
第3代ベッドフォード公爵
ライオセスリー・ラッセル
(1708-1732)
1711年5月26日
- 1732年10月23日
先代の子
第4代ベッドフォード公爵
ジョン・ラッセル
(1710-1771)
1732年10月23日
- 1771年1月5日
先代の弟
第5代ベッドフォード公爵
フランシス・ラッセル英語版
(1765-1802)
1771年1月5日
- 1802年3月2日
先代の孫
第6代ベッドフォード公爵
ジョン・ラッセル
(1766-1839)
1802年3月2日
- 1839年10月20日
先代の弟
第7代ベッドフォード公爵
フランシス・ラッセル
(1788-1861)
1839年10月20日
- 1861年5月14日
先代の子
第8代ベッドフォード公爵
ウィリアム・ラッセル
(1809-1872)
1861年5月14日
- 1872年5月27日
先代の子
第9代ベッドフォード公爵
フランシス・ラッセル
(1819-1891)
1872年5月27日
- 1891年1月14日
先代の又従兄弟
第10代ベッドフォード公爵
ジョージ・ラッセル
(1852-1893)
1891年1月14日
- 1893年3月23日
先代の子
第11代ベッドフォード公爵
ハーブランド・ラッセル英語版
(1858-1940)
1893年3月23日
- 1940年8月27日
先代の弟
第12代ベッドフォード公爵
ヘイスティングス・ラッセル英語版
(1888-1953)
1940年8月27日
- 1953年10月9日
先代の子
第13代ベッドフォード公爵
イアン・ラッセル英語版
(1917-2002)
1953年10月9日
- 2002年10月25日
先代の子
第14代ベッドフォード公爵
ロビン・ラッセル英語版
(1940-2003)
2002年10月25日
- 2003年6月13日
先代の子
第15代ベッドフォード公爵
アンドリュー・ラッセル英語版
(1962-)
2003年6月13日
- 受爵中
先代の子

法定推定相続人2005年6月7日に誕生した当代の長男のタヴィストック侯爵ヘンリー・ラッセルである。

脚注

注釈

出典

  1. ^ Lundy, Darryl. “John of Lancaster, Duke of Bedford” (英語). thepeerage.com. 2015年3月4日閲覧。
  2. ^ a b 森(1994) p.210/348 引用エラー: 無効な <ref> タグ; name "森(1994)210"が異なる内容で複数回定義されています
  3. ^ 海保(1999) p.38
  4. ^ Lundy, Darryl. “George Neville, 1st and last Duke of Bedford” (英語). thepeerage.com. 2015年3月4日閲覧。
  5. ^ Lundy, Darryl. “George Plantagenet, Duke of Bedford” (英語). thepeerage.com. 2015年3月4日閲覧。
  6. ^ Lundy, Darryl. “Sir Jasper Tudor, 1st and last Duke of Bedford” (英語). thepeerage.com. 2015年3月4日閲覧。
  7. ^ 森(1987) p.207-208
  8. ^ a b 森(1987) p.208
  9. ^ Lundy, Darryl. “John Russell, 1st Earl of Bedford” (英語). thepeerage.com. 2015年3月4日閲覧。
  10. ^ Lundy, Darryl. “Francis Russell, 4th Earl of Bedford” (英語). thepeerage.com. 2015年3月4日閲覧。
  11. ^ 森(1987) p.209
  12. ^ 森(1987) p.211
  13. ^ 森(1987) p.215-216
  14. ^ 森(1987) p.215-217
  15. ^ a b 森(1987) p.219
  16. ^ 森(1987) p.220-221
  17. ^ Lundy, Darryl. “William Russell, 1st Duke of Bedford” (英語). thepeerage.com. 2015年3月4日閲覧。
  18. ^ 森(1987) p.221
  19. ^ 森(1987) p.222-224
  20. ^ 森(1987) p.224
  21. ^ 森(1987) p.227
  22. ^ 森(1987) p.227-228
  23. ^ 森(1987) p.228-230
  24. ^ 森(1987) p.229
  25. ^ a b 森(1987) p.230
  26. ^ 森(1987) p.230-235/237
  27. ^ 森(1987) p.236-237
  28. ^ 森(1987) p.237
  29. ^ 森(1987) p.237-238
  30. ^ Lundy, Darryl. “William Andrew Ian Henry Russell, 15th Duke of Bedford” (英語). thepeerage.com. 2015年3月4日閲覧。
  31. ^ 森(1987) p.221-222

参考文献

  • 海保眞夫『イギリスの大貴族』平凡社平凡社新書020〉、1999年(平成11年)。ISBN 978-4582850208 
  • 森護『英国の貴族 遅れてきた公爵』大修館書店、1987年(昭和62年)。ISBN 978-4469240979 
  • 森護『英国王室史事典-Historical encyclopaedia of Royal Britain-』大修館書店、1994年(平成6年)。ISBN 978-4469012408 

関連項目