ジョージ・ビング (第4代トリントン子爵)
第4代トリントン子爵ジョージ・ビング(英語: George Byng, 4th Viscount Torrington、1740年10月11日 – 1812年12月14日)は、イギリスの貴族、外交官。1783年から1792年まで在オーストリア領ネーデルラントイギリス公使を務めた。
生涯
[編集]第3代トリントン子爵ジョージ・ビングと妻エリザベス(Elizabeth、旧姓ダニエル(Daniel)、1759年3月17日没、ライオネル・ダニエルの娘)の長男として、1740年10月11日に生まれた[1]。1750年4月7日に父が死去すると、トリントン子爵位を継承した[1]。1749年5月よりウェストミンスター・スクールで教育を受けた後[1]、1757年10月28日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、1759年にM.A.の学位を修得した[2]。
1782年7月31日/8月1日に在オーストリア領ネーデルラント公使アレイン・フィッツハーバートがブリュッセルを発つと、代理公使に就任、1783年4月に正式な公使に任命された[3]。1783年4月14日に信任状を受けた[3]。1789年7月初に休暇をとってブリュッセルを離れ、そのまま退任した[4]。休暇にあたり、妻がブリュッセルに残って監督を務めたが、11月14日ごろに妻もブリュッセルを離れた[3]。ブリュッセルでは本国召還の報せを届けず、後任の第7代エルギン伯爵トマス・ブルースが1792年9月に届けた[4]。
1795年、自領のサウスヒル・パークをサミュエル・ウィットブレッドに売却した[5]。
1812年12月14日にハム・コモンで死去した[1]。息子全員に先立たれたため、弟ジョンが爵位を継承した[1]。
家族
[編集]1765年7月10日、ルーシー・ボイル(Lucy Boyle、1744年5月27日 – 1792年3月18日、第5代コーク伯爵ジョン・ボイルの娘)と結婚[1]、3男4女をもうけた。
- ルーシー・エリザベス(1766年10月17日 – 1844年9月20日) - 1788年5月29日、初代ブラッドフォード伯爵オーランド・ブリッジマンと結婚、子供あり[6]
- ジョージアナ・エリザベス(1768年2月24日[7] – 1801年10月11日) - 1786年3月21日、第6代ベッドフォード公爵ジョン・ラッセルと結婚、子供あり[8]
- ウィリアム・ヘンリー(1770年11月23日没) - 夭折[1]
- イザベラ・エリザベス(1773年9月21日 – 1830年5月1日) - 1794年4月24日、第2代バース侯爵トマス・シンと結婚、子供あり[9]
- エミリー(1773年以降 – 1824年9月3日) - 1800年7月1日、ヘンリー・シーモア(Henry Seymour、1843年2月13日没、ロバート・シーモア卿の息子)と結婚[10]
- ウィリアム・ヘンリー(1775年5月7日 – 1792年以前) - 生涯未婚[1]
- ジョージ(1777年2月24日 – 1792年10月13日) - 海軍軍人、生涯未婚[1]
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i Cokayne, George Edward; White, Geoffrey H., eds. (1953). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Skelmersdale to Towton). Vol. 12 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press. pp. 792–793.
- ^ "Byng, George, Viscount Torrington. (BN757G)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
- ^ a b c Horn, D. B., ed. (1932). British Diplomatic Representatives 1689-1789 (英語). Vol. XLVI. City of Westminster: Offices of The Royal Historical Society. p. 11.
- ^ a b Bindoff, S. T.; Malcolm Smith, E. F.; Webster, C. K., eds. (1934). British Diplomatic Representatives 1789–1852 (英語). London: Offices of The Royal Historical Society. p. 135.
- ^ Page, William, ed. (1912). "Parishes: Southill with Rowney". A History of the County of Bedford (英語). Vol. 3. London: Victoria County History. pp. 256–261. British History Onlineより。
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 276.
- ^ Collen, Henry, ed. (1847). Debrett's Genealogical Peerage of Great Britain and Ireland (英語). London: William Pickering. p. 749.
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. p. 85.
- ^ Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary, eds. (1912). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Bass to Canning) (英語). Vol. 2 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 25–26.
- ^ Lodge, Edmund (1858). The Peerage of the British Empire as at Present Existing (英語) (27th ed.). London: Hurst and Blackett. p. 299.
外部リンク
[編集]- "ジョージ・ビングの関連資料一覧" (英語). イギリス国立公文書館.
外交職 | ||
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在オーストリア領ネーデルラントイギリス公使 1783年 – 1792年 |
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