ジョン・ボイル (第5代コーク伯爵)
第5代コーク伯爵および第5代オーラリー伯爵ジョン・ボイル(英語: John Boyle, 5th Earl of Cork and 5th Earl of Orrery、1707年1月13日 - 1762年11月23日)は、イギリスの貴族。トーリー党所属[1]。
生涯
[編集]第4代オーラリー伯爵チャールズ・ボイルとエリザベス・セシル(Elizabeth Cecil、1687年 - 1708年6月12日、第5代エクセター伯爵ジョン・セシルの娘)の息子として、1707年1月13日に生まれ、18日に洗礼を受けた[1]。1723年8月10日にオックスフォード大学クライスト・チャーチに入学、1743年8月25日にオックスフォード大学のからM.A.の学位を授与された[2]。
1731年8月28日に父が死去すると、オーラリー伯爵の爵位を継承、1735年11月7日にアイルランド貴族院議員に就任した[1]。また、父からグレートブリテン貴族であるマーストンのボイル男爵も継承したため、グレートブリテン貴族院にも議席を有した。議会ではロバート・ウォルポールに反対した[3]。
1746年10月23日、王立協会フェローに選出された[4]。
1753年12月3日に三従兄弟の第4代コーク伯爵および第3代バーリントン伯爵リチャード・ボイル[注釈 1]が死去すると、コーク伯爵の爵位を継承した(バーリントン伯爵の爵位は断絶した)[6]。
1762年11月23日にマーストン・ハウスで死去、同地で埋葬された[1]。息子ハミルトンが爵位を継承した[1]。
著作
[編集]- ジョナサン・スウィフトの一生と著作への所見(Remarks on the Life and Writings of Jonathan Swift、1751年)[3]
- 小プリニウス書簡集の翻訳(A Translation of the Letters of Pliny the Younger、2巻、1751年)[3]
- プリニウスの一生についてのエッセイ(An Essay on the Life of Pliny)[3]
- モンマス伯爵ロバート・ケアリーの回想録(Memoirs of Robert Carey, Earl of Monmouth)[3]
- 1754年と1755年のイタリアからの手紙(Letters from Italy in 1754 and 1755、ジョン・ダンコンブによる出版、1774年)[3]
人物
[編集]1731年頃より、ジョナサン・スウィフトの友人になった[3]。
家族
[編集]1728年5月9日、ヘンリエッタ・ハミルトン(Henrietta Hamilton、1732年8月22日没、初代オークニー伯爵ジョージ・ハミルトンの娘)と結婚[1]、2男1女をもうけた[6]。
- チャールズ(1729年1月27日 – 1759年9月16日) - アイルランド庶民院議員。1753年5月11日、スザンナ・ホーア(Susanna Hoare、1732年4月15日 – 1783年2月4日、ヘンリー・ホーアの娘)と結婚、1女をもうけた
- ハミルトン(1730年 – 1764年) - 第6代コーク伯爵、第6代オーラリー伯爵
- エリザベス(1731年5月7日 – 1800年1月16日) - 1749年3月4日、第6代準男爵サー・トマス・ウォーズリーと結婚、子供あり
1738年6月30日、ダブリンでマーガレット・ハミルトン(Margaret Hamilton、1710年7月24日 – 1758年5月24日、ジョン・ハミルトンの娘)と再婚[1]、1男2女をもうけた[6]。
- エドマンド(1742年 – 1798年) - 第7代コーク伯爵、第7代オーラリー伯爵
- ルーシー(1744年5月27日 – 1792年3月18日) - 1765年7月20日、第4代トリントン子爵ジョージ・ビングと結婚、子供あり
- キャサリン・アグネス - 生涯未婚
系譜図
[編集]オーラリー伯爵 (初代-第7代) ・ ダンガーヴァン子爵 (初代-第8代) 系譜図
リチャード・ボイル 初代コーク伯爵 初代ダンガーヴァン子爵 (1566-1643) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード・ボイル 初代バーリントン伯爵 第2代コーク伯爵 第2代ダンガーヴァン子爵 (1612-1698) | ロジャー・ボイル 初代オーラリー伯爵 (1621-1679) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チャールズ・ボイル 第3代ダンガーヴァン子爵 (1639-1694) | ロジャー・ボイル 第2代オーラリー伯爵 (1649-1682) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
チャールズ・ボイル 第2代バーリントン伯爵 第3代コーク伯爵 第4代ダンガーヴァン子爵 (1660-1704) | ライオネル・ボイル 第3代オーラリー伯爵 (1671-1703) | チャールズ・ボイル 第4代オーラリー伯爵 (1674-1731) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
リチャード・ボイル 第3代バーリントン伯爵 第4代コーク伯爵 第5代ダンガーヴァン子爵 (1694-1753) | ヘンリエッタ・ハミルトン (-1732) | ジョン・ボイル 第5代コーク伯爵 第5代オーラリー伯爵 第6代ダンガーヴァン子爵 (1707-1762) | マーガレット・ハミルトン (1710-1758) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
ハミルトン・ボイル 第6代コーク伯爵 第6代オーラリー伯爵 第7代ダンガーヴァン子爵 (1729-1764) | エドマンド・ボイル 第7代コーク伯爵 第7代オーラリー伯爵 第8代ダンガーヴァン子爵 (1742-1798) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
注釈
[編集]- ^ 三従兄弟とは、曾祖父の兄弟姉妹の曽孫。第5代オーラリー伯爵は初代コーク伯爵リチャード・ボイルの息子初代オーラリー伯爵ロジャー・ボイルの曽孫で[5]、第3代バーリントン伯爵は初代コーク伯爵の別の息子初代バーリントン伯爵リチャード・ボイルの曽孫だった[6]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g Cokayne, George Edward; Gibbs, Vicary; Doubleday, H. Arthur, eds. (1913). Complete peerage of England, Scotland, Ireland, Great Britain and the United Kingdom, extant, extinct or dormant (Canonteign to Cutts) (英語). Vol. 3 (2nd ed.). London: The St. Catherine Press, Ltd. pp. 422–423.
- ^ Foster, Joseph, ed. (1891). Alumni Oxonienses 1715-1886 (英語). Vol. 1. Oxford: University of Oxford. p. 147.
- ^ a b c d e f g Craik, Henry (1886). . In Stephen, Leslie (ed.). Dictionary of National Biography (英語). Vol. 6. London: Smith, Elder & Co. pp. 111–112.
- ^ "Boyle; John (1707 - 1762); 5th Earl of Cork, 5th Earl of Orrery and 2nd Baron Marston". Record (英語). The Royal Society. 2019年10月26日閲覧。
- ^ "Orrery, Earl of (I, 1660)". Cracroft's Peerage (英語). 11 June 2006. 2019年10月26日閲覧。
- ^ a b c d "Cork, Earl of (I, 1620)". Cracroft's Peerage (英語). 25 June 2019. 2019年10月26日閲覧。
アイルランドの爵位 | ||
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先代 リチャード・ボイル |
コーク伯爵 1753年 – 1762年 |
次代 ハミルトン・ボイル |
先代 チャールズ・ボイル |
オーラリー伯爵 1731年 – 1762年 |