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「植食者誘導性植物揮発性物質」の版間の差分

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'''植食者誘導性植物揮発性物質'''(しょくしょくしゃゆうどうせいしょくぶつきはつせいぶっしつ、[[英語]]:Herbivore-Induced Plant Volatiles、'''HIPVs'''と略記)とは、[[植物]]が[[昆虫]]などに[[食害]]されたときに特異的に生成する、[[害虫|植食者]]の[[天敵]]([[寄生バチ]]など)を[[誘引]]する働きがある[[揮発性]]の[[化学物質]]である<ref name='I-bio-dic'>『岩波生物学辞典』p.671a「植食者誘導性植物揮発性物質」</ref>。本項目では、以下HIPVsと表記する。
'''植食者誘導性植物揮発性物質'''(しょくしょくしゃゆうどうせいしょくぶつきはつせいぶっしつ、{{lang-en|[[:en:Herbivore-induced plant volatile|Herbivore-Induced Plant Volatiles]]}}、'''{{lang|en|HIPVs}}'''と略記)とは、[[植物]]が[[昆虫]]などに[[食害]]されたときに特異的に生成する、[[害虫|植食者]]の[[天敵]]を[[誘引]]する働きがある[[揮発性]]の[[化学物質]]である{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=671a|ps=「植食者誘導性植物揮発性物質」}}。本項目では、以下HIPVsと表記する。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[File:Tobacco Hornworm Parasitized by Braconid Wasp.jpg|thumb|250px|植食性昆虫[[タバコスズメガ]] {{snamei||Manduca sexta}} の幼虫に寄生する[[コマユバチ科]]の幼虫。]]
HIPVsは、植物-天敵間[[相互作用]]だけでなく、他の植物[[個体]]への情報伝達物質としても働き、植物-植物間相互作用、植物-害虫間相互作用をも媒介し、生物間相互作用ネットワークに複雑な影響を与える<ref name='I-bio-dic'/>。
[[File:Spodoptera exigua.png|thumb|250px|植食性昆虫であるシロイチモジヨトウの幼虫]]
同一の植物であっても食害する植食者の種類によって揮発性成分の[[組成]]が異なり、この相違が天敵の誘引に深く関わる。植食者の[[唾液]]などにも含まれる成分([[エリシター]])と食害様式が植物に異なる反応を引き起こす<ref name='I-bio-dic'/>。
植物の生化学的な防御は物理的防御に次ぐ防御機構で、常に存在する[[恒常的防御機構]] ({{lang|en|constitutive defense}})および攻撃に応答して引き起こされる'''[[誘導的防御機構]]''' ({{lang|en|inducible defense}})がある{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=693}}{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。誘導的防御機構では、[[動物]]や[[昆虫]]、[[病原体]]などの存在を感知し、それに応じて[[遺伝子発現]]や[[代謝]]を変化させることができる特異的な認知機構と[[シグナル伝達]]経路を要する{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=693}}。また、防御機構には直接防御と間接防御があるが、間接防御は揮発性シグナルの放出により植食性昆虫の天敵を誘引することによって行われる{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}{{Sfn|森・吉永|2018|pp=676-677}}。


植食性昆虫による食害に応答して誘導・放出される物質は[[揮発性有機化合物]]({{lang|en|volatile organic compound}}, {{lang|en|VOC}}、単に揮発性物質とも)と呼ばれ、[[自然界]]で複雑な[[生態学]]的機能を担う[[二次代謝産物]]の一つである{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}。多くの植物は、植食性昆虫に襲われた際に、特定の組合せの揮発性有機化合物群を放出するが、これが {{lang|en|HIPVs}} である{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}。{{lang|en|HIPVs}} は[[みどりの香り]]と同様に、[[テルペノイド]]や[[アルカロイド]]、[[フェニルプロパノイド]]などの主要な二次代謝経路上の物質を含む{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}。捕食性生物や[[寄生]]性生物の中には自身の獲物や子孫の[[宿主]]を見つけるのに揮発性物質を使うものがおり、{{lang|en|HIPVs}} は攻撃してきた植食性昆虫の天敵となる[[寄生バチ]]などを誘引する機能を持つ{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=671a|ps=「植食者誘導性植物揮発性物質」}}{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}。例えば、[[シロイチモジヨトウ]] {{snamei||Spodoptera exigua}} の幼虫の唾液に含まれるエリシターである[[ボリシチン]]は、[[トウモロコシ]] {{snamei||Zea mays}} では捕食寄生性昆虫を誘引する揮発性物質の合成を誘導する{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=714}}。微量のボリシチンを処理したトウモロコシの芽生えでは、テルペノイドが比較的多く放出され、小さな寄生バチである[[オオタバコガコマユバチ]] {{snamei||Microplitis croceipes}} を誘引する{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=714}}。同様に、[[ハスモンヨトウ]] {{snamei||Spodoptera litura}} に寄生するハチである {{snamei||Cotesia marginiventris}} はトウモロコシが持つテルペン[[シンターゼ]] {{lang|en|TPS10}}<ref group="注釈">β-ファルネセンシンターゼとも</ref>を生産する[[シロイヌナズナ]] {{snamei||Arabidopsis thaliana}} に誘引されることが知られている{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。
== 生 ==
[[File:Jasmonic acid.svg|thumb|[[ジャスモン酸]]の[[構造式]]。]]
HIPVsの生産には、[[ジャスモン酸]]や[[エチレン]]、[[サリチル酸]]などが[[シグナル伝達]]物質として作用していると考えられている<ref name='I-bio-dic'/>


{{lang|en|HIPVs}} は植食性昆虫に襲われた植物の[[葉]]、[[花]]、[[果実]]から大気中に放出されるが、地下部でも[[根]]から[[土壌]]中に放出される{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。地下部で放出されたものも昆虫寄生性[[線虫]]を誘引することができる{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}。例えば、[[トウモロコシ]]の根に寄生する[[ネキリハムシ]]の一種 {{snamei||Diabrotica virgifera}} の幼虫による食害では、(E)-β-[[カリオフィレン]]が放出され、これが線虫 {{snamei||Heterorhabditis megidis}} を誘引し、{{snamei||D. virgifera}} の幼虫を捕食することが報告されている{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。
== 出典 ==
<references />


植物は植食者の種類を識別することができ、同一の植物であっても食害する植食者の種類によって揮発性成分の[[組成]]が異なり、この相違が天敵の誘引に深く関わる{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=671a|ps=「植食者誘導性植物揮発性物質」}}{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=714}}。植食者の[[唾液]]などにも含まれる成分([[エリシター]])と食害様式が植物に異なる反応を引き起こす{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=671a|ps=「植食者誘導性植物揮発性物質」}}{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=714}}。例えば、[[グレートベースン]]に自生する {{snamei||Nicotiana attenuata}}([[タバコ属]])は食害を受けると、昆虫の中枢神経系に毒性のある[[ニコチン]]の合成量を増やすことで植食者からの防御を行うが、ニコチンに耐性のある[[鱗翅目]]の[[幼虫]]に対してはその天敵を誘引する揮発性の[[テルペン]]を放出してこれに対抗する{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=714}}。
== 参考文献 ==
*{{Cite book|和書|author=巌佐庸 倉谷滋 [[斎藤成也]] [[塚谷裕一]] 監修|year=2013|title=岩波生物学辞典|edition= 第5版|publisher=[[岩波書店]]|pages=2171|isbn=978-4-00-080314-4}}


== 外部リンク ==
== 天敵以への相互作用 ==
{{lang|en|HIPVs}} は、捕食性節足動物や寄生性線虫、食虫性の鳥類といった天敵の誘引を行う植物-天敵間[[相互作用]]だけでなく、同種の近隣の植物や植物寄生性の草本植物の群集に行動上の変化を引き起こす植物-植物間相互作用、そして植物-害虫間相互作用や植物-微生物間相互作用をも媒介し、生物間相互作用ネットワークに複雑な影響を与える{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=671a|ps=「植食者誘導性植物揮発性物質」}}{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。例えば、植物同士では、[[維管束]]のつながりを遮断して高度に区画化された植物個体内や、少し離れた他の植物[[個体]]への全身性防御応答の情報伝達物質(シグナル)としても働く{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=671a|ps=「植食者誘導性植物揮発性物質」}}{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}。{{lang|en|HIPVs}} によるシグナルは、それを受信した植物に植食性昆虫に対する防御応答の準備を促進する{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}。それを受信した植物は植食性昆虫に攻撃された際、より迅速で強い応答ができるようになる{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}。また、害虫である雌の[[蛾]]の産卵の際に放出され、雌の蛾に対して[[忌避物質]]として働くものもあり、[[産卵]]・摂食を防ぐ{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=714}}。そうした物質では、揮発性物質にもかかわらず葉の表面にとどまり、その味のために摂食妨害物質として働く{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=714}}。
*[http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC3337190/ Herbivore induced plant volatiles](英語のページ)


== 関連項目 ==
== 物質 ==
{{multiple images
*[[植物ホルモン]]
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}}
{{lang|en|HIPVs}} は[[低分子]]化合物であり、主に[[テルペノイド]]、[[フェニルプロパノイド]]/[[ベンゼノイド]]、[[脂肪酸]]や[[アミノ酸]]の誘導体に属する{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。{{lang|en|HIPVs}} とされる物質には以下のようなものがある{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。天敵が介在する間接防御機構により発せられる香りは傷害を受けた植物から放出される青臭い匂いに加え、{{lang|en|HIPVs}} であるインドールやセスキテルペンにより、甘い花のような香りがする{{Sfn|森・吉永|2018|pp=676-677}}。
* [[テルペノイド]]{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}
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* [[アルカロイド]]{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}
** [[インドール]]{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}{{Sfn|森・吉永|2018|pp=676-677}}
* [[フェニルプロパノイド]]{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}
** [[サリチル酸メチル]]{{Sfn|テイツ|ザイガー|2017|p=713}}
* フェニルプロパノイド/ベンゼノイド{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}
* 揮発性の脂肪酸誘導体 - 虫害を受けた直後に放出され、刈り取られた牧草地の特徴的な匂いから「[[みどりの香り]]」と呼ばれる{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。
* 揮発性のアミノ酸誘導体{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}


=== 生合成 ===
{{Plant-stub}}{{Biosci-stub}}
[[File:Non-mevalonate pathway.svg|thumb|450px|ジテルペンなどの生合成に関わるMEP経路]]
{{lang|en|HIPVs}} の生産には、[[ジャスモン酸]]や[[エチレン]]、[[サリチル酸]]などの[[植物ホルモン]]が[[シグナル伝達]]物質として作用していると考えられている{{Sfn|巌佐ほか|2013|p=671a|ps=「植食者誘導性植物揮発性物質」}}

[[モノテルペン]]と[[ジテルペン]]は通常、[[プラスチド]]で行われる[[非メバロン酸経路|MEP経路]]で生合成される{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。モノテルペンは[[ゲラニル二リン酸]]から、ジテルペンは[[ゲラニルゲラニル二リン酸]]から生合成される{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。セスキテルペンは、[[細胞質]]で[[ファルネシル二リン酸]]から[[メバロン酸経路|MVA経路]]で生成される{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。ジャスモン酸とその前駆体は、{{lang|en|HIPVs}} を潜在的に誘導し、異なる遺伝子群を活性化し、テルペノイドの合成につながる{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。

フェニルプロパノイド/ベンゼノイドはL-[[フェニルアラニン]]がL-[[フェニルアラニンアンモニアリアーゼ]]によって[[トランス桂皮酸]]に変換され、それが[[メチル化]]や水酸化によって[[ヒドロキシ桂皮酸]]となりそこから生成される中間産物として放出される{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。

脂肪酸誘導体は[[リノレン酸]]や[[リノレン酸]](C<sub>18</sub>[[不飽和脂肪酸]])から、[[リポキシゲナーゼ]]による[[二酸素化]]によって生合成される{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。

アミノ酸誘導体は[[アラニン]]、[[バリン]]、[[ロイシン]]、[[イソロイシン]]、[[メチオニン]]などのアミノ酸に由来する{{Sfn|War ''et al.''|2011|pp=1973-1978}}。

== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}

== 参考文献 ==
* {{cite journal|first1=Abdul Rashid |last1=War |first2=Hari Chand |last2=Sharma |first3=Michael Gabriel |last3=Paulraj |first4=Mohd Yousf |last4=War |first5=Savarimuthu |last5=Ignacimuthu |title=Herbivore induced plant volatiles |subtitle=Their role in plant defense for pest management |journal=Plant Signal Behav. |date=2011 |volume=6 |issue=12 |pages=1973–1978 |pmid=22105032|doi=10.4161/psb.6.12.18053|ref={{SfnRef|War ''et al.''|2011}} }}
*{{Cite book|和書|author=巌佐庸倉谷滋[[斎藤成也]][[塚谷裕一]] 監修|date=2013-02-26|title=岩波生物学辞典|edition= 第5版|publisher=[[岩波書店]]|page=2171|isbn=978-4-00-080314-4|ref={{SfnRef|巌佐ほか|2013}} }}
* {{cite book|和書|author=リンカーン・テイツ (Lincoln Taiz)|author2=エドゥアルト・ザイガー (Eduardo Zeiger)|author3=イアン・M・モーラー (Ian Max Møller)|author4=アンガス・マーフィー (Angus Murphy)|translator=[[西谷和彦]]、[[島崎研一郎]]|title=テイツ/ザイガー 植物生理学・発生学 原著第6版 (原著:''Plant Physiology and Development, Sixth Edition'')|date=2017-02-24|origdate=2015|publisher=[[講談社]]|isbn=978-4-06-153896-2|pages=553-558|ref={{SfnRef|テイツ|ザイガー|2017}} }}
* {{Cite book|和書|author=公益社団法人 [[日本動物学会]]|title=動物学の百科事典|date=2018-09-28|publisher=[[丸善出版]]|isbn=978-4621303092}}
** {{cite book|和書|author=[[森直樹]]・[[吉永直子]] |chapter=昆虫・植物間に働く情報と植物保護|editor=公益社団法人 日本動物学会|title=動物学の百科事典|pages=676-677|date=2018-09-28|ref={{SfnRef|森・吉永|2018}} }}

== 関連項目 ==
* [[植物ホルモン]]
* [[エリシター]]
* [[緑の香り]]


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2021年9月18日 (土) 01:06時点における版

植食者誘導性植物揮発性物質(しょくしょくしゃゆうどうせいしょくぶつきはつせいぶっしつ、英語: Herbivore-Induced Plant VolatilesHIPVsと略記)とは、植物昆虫などに食害されたときに特異的に生成する、植食者天敵誘引する働きがある揮発性化学物質である[1]。本項目では、以下HIPVsと表記する。

概要

植食性昆虫タバコスズメガ Manduca sexta の幼虫に寄生するコマユバチ科の幼虫。
植食性昆虫であるシロイチモジヨトウの幼虫

植物の生化学的な防御は物理的防御に次ぐ防御機構で、常に存在する恒常的防御機構 (constitutive defense)および攻撃に応答して引き起こされる誘導的防御機構 (inducible defense)がある[2][3]。誘導的防御機構では、動物昆虫病原体などの存在を感知し、それに応じて遺伝子発現代謝を変化させることができる特異的な認知機構とシグナル伝達経路を要する[2]。また、防御機構には直接防御と間接防御があるが、間接防御は揮発性シグナルの放出により植食性昆虫の天敵を誘引することによって行われる[3][4]

植食性昆虫による食害に応答して誘導・放出される物質は揮発性有機化合物volatile organic compound, VOC、単に揮発性物質とも)と呼ばれ、自然界で複雑な生態学的機能を担う二次代謝産物の一つである[5]。多くの植物は、植食性昆虫に襲われた際に、特定の組合せの揮発性有機化合物群を放出するが、これが HIPVs である[5]HIPVsみどりの香りと同様に、テルペノイドアルカロイドフェニルプロパノイドなどの主要な二次代謝経路上の物質を含む[5]。捕食性生物や寄生性生物の中には自身の獲物や子孫の宿主を見つけるのに揮発性物質を使うものがおり、HIPVs は攻撃してきた植食性昆虫の天敵となる寄生バチなどを誘引する機能を持つ[1][5]。例えば、シロイチモジヨトウ Spodoptera exigua の幼虫の唾液に含まれるエリシターであるボリシチンは、トウモロコシ Zea mays では捕食寄生性昆虫を誘引する揮発性物質の合成を誘導する[6]。微量のボリシチンを処理したトウモロコシの芽生えでは、テルペノイドが比較的多く放出され、小さな寄生バチであるオオタバコガコマユバチ Microplitis croceipes を誘引する[6]。同様に、ハスモンヨトウ Spodoptera litura に寄生するハチである Cotesia marginiventris はトウモロコシが持つテルペンシンターゼ TPS10[注釈 1]を生産するシロイヌナズナ Arabidopsis thaliana に誘引されることが知られている[3]

HIPVs は植食性昆虫に襲われた植物の果実から大気中に放出されるが、地下部でもから土壌中に放出される[3]。地下部で放出されたものも昆虫寄生性線虫を誘引することができる[5]。例えば、トウモロコシの根に寄生するネキリハムシの一種 Diabrotica virgifera の幼虫による食害では、(E)-β-カリオフィレンが放出され、これが線虫 Heterorhabditis megidis を誘引し、D. virgifera の幼虫を捕食することが報告されている[3]

植物は植食者の種類を識別することができ、同一の植物であっても食害する植食者の種類によって揮発性成分の組成が異なり、この相違が天敵の誘引に深く関わる[1][6]。植食者の唾液などにも含まれる成分(エリシター)と食害様式が植物に異なる反応を引き起こす[1][6]。例えば、グレートベースンに自生する Nicotiana attenuataタバコ属)は食害を受けると、昆虫の中枢神経系に毒性のあるニコチンの合成量を増やすことで植食者からの防御を行うが、ニコチンに耐性のある鱗翅目幼虫に対してはその天敵を誘引する揮発性のテルペンを放出してこれに対抗する[6]

天敵以外への相互作用

HIPVs は、捕食性節足動物や寄生性線虫、食虫性の鳥類といった天敵の誘引を行う植物-天敵間相互作用だけでなく、同種の近隣の植物や植物寄生性の草本植物の群集に行動上の変化を引き起こす植物-植物間相互作用、そして植物-害虫間相互作用や植物-微生物間相互作用をも媒介し、生物間相互作用ネットワークに複雑な影響を与える[1][3]。例えば、植物同士では、維管束のつながりを遮断して高度に区画化された植物個体内や、少し離れた他の植物個体への全身性防御応答の情報伝達物質(シグナル)としても働く[1][5]HIPVs によるシグナルは、それを受信した植物に植食性昆虫に対する防御応答の準備を促進する[5]。それを受信した植物は植食性昆虫に攻撃された際、より迅速で強い応答ができるようになる[5]。また、害虫である雌のの産卵の際に放出され、雌の蛾に対して忌避物質として働くものもあり、産卵・摂食を防ぐ[5][6]。そうした物質では、揮発性物質にもかかわらず葉の表面にとどまり、その味のために摂食妨害物質として働く[6]

物質

セスキテルペンであるδ-カテニン構造式
アルカロイドであるインドール構造式

HIPVs低分子化合物であり、主にテルペノイドフェニルプロパノイド/ベンゼノイド脂肪酸アミノ酸の誘導体に属する[3]HIPVs とされる物質には以下のようなものがある[5][3]。天敵が介在する間接防御機構により発せられる香りは傷害を受けた植物から放出される青臭い匂いに加え、HIPVs であるインドールやセスキテルペンにより、甘い花のような香りがする[4]

生合成

ジテルペンなどの生合成に関わるMEP経路

HIPVs の生産には、ジャスモン酸エチレンサリチル酸などの植物ホルモンシグナル伝達物質として作用していると考えられている[1]

モノテルペンジテルペンは通常、プラスチドで行われるMEP経路で生合成される[3]。モノテルペンはゲラニル二リン酸から、ジテルペンはゲラニルゲラニル二リン酸から生合成される[3]。セスキテルペンは、細胞質ファルネシル二リン酸からMVA経路で生成される[3]。ジャスモン酸とその前駆体は、HIPVs を潜在的に誘導し、異なる遺伝子群を活性化し、テルペノイドの合成につながる[3]

フェニルプロパノイド/ベンゼノイドはL-フェニルアラニンがL-フェニルアラニンアンモニアリアーゼによってトランス桂皮酸に変換され、それがメチル化や水酸化によってヒドロキシ桂皮酸となりそこから生成される中間産物として放出される[3]

脂肪酸誘導体はリノレン酸リノレン酸(C18不飽和脂肪酸)から、リポキシゲナーゼによる二酸素化によって生合成される[3]

アミノ酸誘導体はアラニンバリンロイシンイソロイシンメチオニンなどのアミノ酸に由来する[3]

脚注

注釈

  1. ^ β-ファルネセンシンターゼとも

出典

  1. ^ a b c d e f g 巌佐ほか 2013, p. 671a「植食者誘導性植物揮発性物質」
  2. ^ a b テイツ & ザイガー 2017, p. 693.
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y War et al. 2011, pp. 1973–1978.
  4. ^ a b c d 森・吉永 2018, pp. 676–677.
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q テイツ & ザイガー 2017, p. 713.
  6. ^ a b c d e f g テイツ & ザイガー 2017, p. 714.

参考文献

  • War, Abdul Rashid; Sharma, Hari Chand; Paulraj, Michael Gabriel; War, Mohd Yousf; Ignacimuthu, Savarimuthu (2011). “Herbivore induced plant volatiles”. Plant Signal Behav. 6 (12): 1973–1978. doi:10.4161/psb.6.12.18053. PMID 22105032. 
  • 巌佐庸・倉谷滋・斎藤成也塚谷裕一 監修『岩波生物学辞典』(第5版)岩波書店、2013年2月26日、2171頁。ISBN 978-4-00-080314-4 
  • リンカーン・テイツ (Lincoln Taiz)、エドゥアルト・ザイガー (Eduardo Zeiger)、イアン・M・モーラー (Ian Max Møller)、アンガス・マーフィー (Angus Murphy) 著、西谷和彦島崎研一郎 訳『テイツ/ザイガー 植物生理学・発生学 原著第6版 (原著:Plant Physiology and Development, Sixth Edition)』講談社、2017年2月24日(原著2015年)、553-558頁。ISBN 978-4-06-153896-2 
  • 公益社団法人 日本動物学会『動物学の百科事典』丸善出版、2018年9月28日。ISBN 978-4621303092 
    • 森直樹吉永直子 著「昆虫・植物間に働く情報と植物保護」、公益社団法人 日本動物学会 編『動物学の百科事典』2018年9月28日、676-677頁。 

関連項目