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{{基礎情報 会社 |
{{基礎情報 会社 |
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|社名 = 株式会社 |
| 社名 = ナガセヴィータ株式会社 |
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|英文社名 = |
| 英文社名 = Nagase Viita Co., Ltd. |
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|種類 = [[株式会社]] |
| 種類 = [[株式会社]] |
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| 国籍 = {{JPN}} |
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| 郵便番号 = 700-0907 |
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|国籍 = {{JPN}} |
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| 本社所在地 = 岡山県[[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]下石井1-1-3<br>日本生命岡山第二ビル新館 |
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|郵便番号 = 700-0907 |
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| 設立 = [[1932年]][[7月10日]](株式会社林原商店) |
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|本社所在地 = [[岡山市]][[北区 (岡山市)|北区]]下石井1-1-3 日本生命岡山第二ビル新館5・6階 |
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| 業種 = |
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|設立 = [[1932年]][[7月10日]] |
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| 事業内容 = 食品原料、医薬品原料、化粧品原料、健康食品原料、機能性色素の開発・製造・販売 |
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|業種 = |
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| 代表者 = [[代表取締役]][[社長]] 安場 直樹 |
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|事業内容 =食品原料と医薬品原材料と化学原料製品と試薬の研究・製造・販売他 |
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| 資本金 = 5億円 |
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|代表者 = [[代表取締役]][[社長]] 長瀬玲二 |
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|売上高 = 265億3700万円<br>(2022年03月31日時点)<ref name="fy">[https://catr.jp/settlements/9727a/267453 株式会社林原 第11期決算公告]</ref> |
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|資本金 = 75億円 |
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|営業利益 = 45億0300万円<br>(2022年03月31日時点)<ref name="fy" /> |
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|売上高 = 281億1,300万円(2010年10月期)<ref name="houdou">[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=331 本日の報道について(2)] 林原グループプレスリリース 2011年1月26日</ref> |
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|経常利益 = 44億7000万円<br>(2022年03月31日時点)<ref name="fy" /> |
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|純利益 = 29億0500万円<br>(2022年03月31日時点)<ref name="fy" /> |
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|純利益 = |
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|純資産 = |
|純資産 = |
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|総資産 = 328億6700万円<br>(2022年03月31日時点)<ref name="fy" /> |
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|総資産 = |
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|従業員数 = |
| 従業員数 = 684名 |
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|決算期 = |
| 決算期 = 3月期 |
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|主要株主 = [[長瀬産業]] 100% |
| 主要株主 = [[長瀬産業]] 100% |
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|外部リンク = |
| 外部リンク = https://group.nagase.com/viita/ |
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|特記事項 = 創業は[[1883年]]、2011年3月会社更生手続開始、[[2012年]][[3月26日]]に会社更生計画終結。 |
| 特記事項 = 創業は[[1883年]]、2011年3月会社更生手続開始、[[2012年]][[3月26日]]に会社更生計画終結<ref name="hayashibara120326">。[https://www.nagase.co.jp/assetfiles/tekijikaiji/20120326.pdf 株式会社林原の更生手続終結に関するお知らせ] 2012年3月26日、株式会社林原 [[適時開示]]</ref> |
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<ref>[http://www.nagase.co.jp/assetfiles/tekijikaiji/20120326.pdf 株式会社林原の更生手続終結に関するお知らせ] |
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株式会社林原の更生手続終結に関するお知らせ]</ref> |
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'''株式会社 |
'''ナガセヴィータ株式会社'''({{Lang-en-short|''Nagase Viita Co., Ltd.''}})は、[[岡山県]][[岡山市]]に本社を置く[[食品]]原料・[[医薬品]]原料・化学原料製品や[[試薬]]を研究・製造・販売する[[バイオ]]メーカーである。文化支援活動として美術館の運営支援を行う。 |
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[[2011年]]に[[会社更生法]]を申請したのち、大阪市に本社を置く化学専門商社である[[長瀬産業]]のスポンサーシップによる完全子会社となった。 |
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[[2012年]][[3月26日]]に会社更生計画は終結した。 |
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<ref>[http://www.nagase.co.jp/assetfiles/tekijikaiji/20120326.pdf 株式会社林原の更生手続終結に関するお知らせ] |
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株式会社林原の更生手続終結に関するお知らせ]</ref> |
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== 概要 == |
== 概要 == |
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1883年、林原克太郎が現在の岡山市[[北区 (岡山市)|北区]]天瀬に麦芽[[水飴]]製造業を営む'''林原商店'''(はやしばらしょうてん)として創業する。 |
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[[1883年]]([[明治]]16年)、林原克太郎が現在の岡山市[[北区 (岡山市)|北区]]天瀬に麦芽[[水飴]]製造業を営む'''林原商店'''として創業した。[[1932年]]([[昭和]]7年)、'''株式会社林原商店'''に改組し、林原一郎が3代目社長に就任すると、研究開発や経営の多角化に乗り出した。特に、本業の水飴製造は酸糖化法による製造技術を導入し、「太陽印水飴」として日本本土のみならず大陸方面に販路を拡大した。[[1943年]](昭和18年)に'''林原株式会社'''に社名変更。[[1945年]](昭和20年)には、[[岡山空襲]]で工場を焼失したが、終戦後すぐに復興を遂げ、水飴生産量日本一を誇った。この頃から不動産事業にも乗り出し、[[西日本旅客鉄道|JR]][[岡山駅]]南に約2万坪の土地を購入。[[1948年]](昭和23年)には同所に本社を移転した。[[デンプン]]からの各種[[糖質]]開発を事業として[[特許]]を多数取得し、そこから得られた莫大な収益でさらに新たな研究を行っている研究開発型の企業へと成長していった。 |
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1932年、'''株式会社林原商店'''へ改組し、林原一郎が3代目社長に就任して研究開発や経営多角化を推進する。水飴製造は酸糖化法を導入し「太陽印水飴」として日本本土や大陸方面へ販路を拡大する。1943年、'''林原株式会社'''へ社名変更する。1945年、[[岡山空襲]]で工場を焼失するも終戦直後に復興して水飴生産量が日本一になり、不動産事業では[[岡山駅]]南(現在の[[イオンモール岡山]]の場所)に約2万坪の土地を購入し、1948年、同所へ本社を移転する。以後[[デンプン]]から各種[[糖質]]開発を事業として[[特許]]を多数取得し、莫大な収益でさらに新規研究を行う研究開発型企業へ成長する。 |
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1961年、林原健の社長就任以降、自社で製造法を確立した[[ブドウ糖]]の生産をはじめ、[[マルトース]]、[[プルラン]]など各種糖質の量産化に成功し、林原生物化学研究所などグループ会社を次々と設立する。美術館開館、[[備中]]漆復興事業、古生物学([[恐竜]]発掘)調査、[[類人猿]]研究などメセナ事業も積極展開を始める。1990年代以降、甘味料などに用いられる糖質[[トレハロース]]、抗がん剤用途の[[インターフェロン]]を生産し世界市場で販売する。ただし林原健の弟で専務取締役を務めた林原靖によると、林原インターフェロン製造のために建設された吉備製薬工場は稼働実績で二割を上回ったことがなく、後の経営破綻の最大の原因の一つとあげている<ref name="#1">{{Harvnb|林原|2013|pp=66 - 69}}</ref>。これは林原の天然型インターフェロン製造法が後発の遺伝子組み換えインターフェロンの競合に効率で劣っていたことと、販売協力関係にあった[[大塚製薬]]の社長が新薬開発をめぐる汚職事件に関わり、製薬会社の社長を退任せざるを得なかったことによるという<ref name="#1"/>。2011年2月2日、林原、林原生物化学研究所、林原商事のグループ中核3社が[[会社更生法]]適用を[[東京地方裁判所]]に申請<ref>{{Cite press release|和書|title=会社更生手続開始の申立て及び当社グループの今後の事業の再建について|url=http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=335|publisher=林原グループ|date=2011-02-02|accessdate=2014-02-26}}</ref>、3月7日に更生手続開始が決定<ref>{{Cite press release|和書|url=http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=346|title=会社更生手続開始決定のお知らせ|publisher=林原グループ|date=2011-03-07}}</ref> する。 |
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2012年2月1日、林原生物化学研究所、林原商事の2社が株式会社林原に吸収合併され、2月3日に合併後の株式会社林原が100%[[減資]]して[[長瀬産業]](大阪市)の完全子会社<ref>{{Cite news|和書|url=https://www.47news.jp/CN/201112/CN2011123101001232.html|title=東京地裁が林原の更生計画案認可 再建本格化へ|newspaper=[[47NEWS]]|publisher=[[共同通信社]]|date=2011-12-31|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140818103307/http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011123101001232.html|archivedate=2014-08-18}}</ref> になる。長瀬産業が約700億円の巨額の出資を行い、加えてJR岡山駅南土地の売却、創業者からの寄付などにより、負債総額約1,400億円に対し弁済原資約1,300億円を確保して弁済率約93%と更生法下では異例の高水準<ref name="sanyo120326">{{Cite news|和書|url=http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2012032622440527/|title=林原、会社更生手続き終結 弁済率93%、異例の高水準|newspaper=[[山陽新聞]]|publisher=山陽新聞社|date=2012-03-26|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120421155658/http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2012032622440527/|archivedate=2012-04-21}}</ref> で、更生法適用から約1年2ヶ月後の3月26日、会社更生計画は終結<ref name="hayashibara120326"/> する。中核事業は株式会社林原が継続し、中核事業以外の資産や負債は太陽殖産が引き継いだ。 |
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長瀬産業は子会社となった林原に設備投資を行い、2015年には、藤崎地区に新「岡山第一工場」、今保地区に「岡山機能糖質工場S棟」を新設した<ref>{{Cite web|和書|title=新「岡山第一工場」と「岡山機能糖質工場(S棟)」の 本格稼働について|url=https://www.hayashibara.co.jp/data/952/press_tp/|website=株式会社 林原|accessdate=2019-08-28}}</ref>。さらに[[トレハロース]]の安定供給を目的に「岡山機能糖質工場T棟」の増築工事を行い、従来の製造能力の約3割増に規模を拡大した<ref>{{Cite web|和書|title=「岡山機能糖質工場・T棟」の増築竣工について|url=https://www.hayashibara.co.jp/data/964/press_tp/|website=株式会社 林原|accessdate=2019-08-28}}</ref>。2015年11月には水溶性食物繊維「ファイバリクサ」を発売、2016年9月にはナガセケムテックス株式会社との初の共同開発製品となる製パン用酵素「デナベイクEXTRA」を開発した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.hayashibara.co.jp/data/965/press_tp/|title=製パン用酵素『デナベイク®EXTRA』を長瀬産業から10月に発売 パンに「ボリュームアップ」と「柔らかさ」を付与 林原がNAGASEグループ入りして初の共同開発製品が誕生|publisher=ナガセケムテックス・林原・長瀬産業|accessdate=2019-08-28}}</ref>。また、プルランカプセルの海外での市場拡大に向け、[[ロンザ (企業)|ロンザ]]社(本社:[[スイス]] [[バーゼル]])と長期パートナーシップ契約を締結した<ref>{{Cite press release|和書|title=プルランカプセルの市場拡大に向けロンザ社と長期パートナーシップ契約を締結|url=https://www.hayashibara.co.jp/data/1675/press_tp/|publisher=林原|accessdate=2019-08-28}}</ref>。しかしながら2018年3月現在、トレハロースの売上げは日本国内が30,000トンなのに対し、海外売上は1,000トンに至っていないといい、上記の製造設備投資に見合う売上をそもそも確保しているのか、また果たして長瀬産業の海外施策が功を奏しているか疑問符が付く<ref name="WEDGE2018年4">『非科学的な批判に対峙する食品企業』WEDGE, 2018年4月号</ref>。 |
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[[1961年]](昭和36年)に林原健が社長に就任してからは、自社で製造法を確立したブドウ糖の生産をはじめ、マルトース、プルランなど生理活性物質の量産化に成功し、林原生物化学研究所などグループ会社を次々と設立していった。また、美術館の開館や備中漆の復興事業、古生物学調査([[恐竜]]の発掘調査)、[[類人猿]]の研究など[[メセナ]]事業を積極的に展開しはじめる。1990年代以降は、甘味料などに使われる糖質[[トレハロース]]、抗がん剤に使われる[[インターフェロン]]の生産・販売で世界市場に名乗りをあげた。 |
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2015年(平成27年)1月、長瀬産業創業家からの出向であった長瀬玲二が株式会社林原の代表取締役を辞任、同時に長瀬産業でも代表取締役専務を辞任し、代表権の無い副会長となった。なお、同時に長瀬産業の長瀬洋社長は代表取締役社長から会長職に退いた<ref name="#2">{{Harvnb|林原|2016|p=220}}</ref>。その後、2023年4月1日付の長瀬産業の人事で、長瀬洋は代表取締役会長から取締役相談役に退き、長瀬玲二は副会長から取締役に、さらに2023年6月25日に非取締役の特別顧問に退いた<ref name="日本経済新聞-20231105133307">[日本経済新聞「人事、長瀬産業」、2023年1月25日]</ref><ref>[人事異動No.1検索「長瀬玲二」、2023年1月26日]</ref>。 |
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[[2011年]](平成23年)[[2月2日]]、林原と林原生物化学研究所と林原商事のグループ中核3社が[[会社更生法]]適用を[[東京地方裁判所]]に申請<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=335 会社更生手続開始の申立て及び当社グループの今後の事業の再建について] 林原グループプレスリリース [[2011年]][[2月2日]]</ref>、[[3月7日]]に更生手続開始が決定した<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=346 会社更生手続開始決定のお知らせ] 林原グループプレスリリース 2011年[[3月7日]]</ref>。 |
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2024年(令和6年)4月1日、社名を'''ナガセヴィータ株式会社'''に変更し、同時に会社の存在意義と社会に与える価値の表明として「パーパス」を策定した<ref name="viita">{{Cite press release|和書|title=株式会社林原 社名変更のお知らせ(2024年4月1日より) |date=2023-08-10 |publisher=林原 |url=https://www.hayashibara.co.jp/data/6962/press_tp/ |accessdate=2023-08-10}}</ref>。 |
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[[2012年]](平成24年)[[2月1日]]、林原生物化学研究所、林原商事の2社が株式会社林原に吸収合併された。合併後の株式会社林原は、同年[[2月3日]]に、100%減資を行って[[長瀬産業]](大阪市)の完全子会社となった<ref>[http://www.47news.jp/CN/201112/CN2011123101001232.html 東京地裁が林原の更生計画案認可 再建本格化へ:2011/12/31 16:38 【共同通信】]</ref>。同年[[3月26日]]に会社更生計画は終結した。<ref>[http://www.nagase.co.jp/assetfiles/tekijikaiji/20120326.pdf 株式会社林原の更生手続終結に関するお知らせ] |
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株式会社林原の更生手続終結に関するお知らせ]</ref> |
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長瀬産業(大阪市)からの出融資や、JR岡山駅南土地の売却などにより、総額約1400億円の負債に対し、約1300億円の弁済原資を確保。弁済率は約93%と更生法下では異例の高水準、更生法適用から約1年2ヶ月でのスピード終結となった。<ref>[http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2012032622440527/ 林原、会社更生手続き終結 弁済率93%、異例の高水準] |
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林原、会社更生手続き終結 弁済率93%、異例の高水準]</ref> |
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中核事業は株式会社林原によって事業が継続され、中核事業以外の資産や負債は太陽殖産に引き継がれた。 |
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== 沿革 == |
== 沿革 == |
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[[ファイル:Former Hayashibara group head office.jpg|thumb|林原グループ旧本社]] |
[[ファイル:Former Hayashibara group head office.jpg|thumb|林原グループ旧本社]] |
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[[ファイル:Gate - Hayashibara Museum of Art - DSC01772.JPG|thumb|林原美術館]] |
[[ファイル:Gate - Hayashibara Museum of Art - DSC01772.JPG|thumb|林原美術館]] |
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* 1883年(明治16年)- 現在の岡山市北区天瀬に林原克太郎が林原商店を創業する。 |
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* 1932年(昭和7年)- '''株式会社林原商店'''へ改組し、林原一郎が3代目社長に就任する。 |
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* 1935年(昭和10年)- 酸麦2段糖化による水飴製造法を確立し特許申請する。 |
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* 1940年(昭和15年)- [[製菓]](乳菓)部門に進出する。 |
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* 1943年(昭和18年)- '''林原株式会社'''へ社名変更する。 |
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* 1945年(昭和20年)- 岡山空襲により工場を焼失し、翌年1月に水飴製造を再開する。 |
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* 1946年(昭和21年)- 旧[[日本電気]]所有の岡山駅南の土地を購入する。'''株式会社太陽殖産'''を設立して不動産事業を開始する。 |
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* 1952年(昭和27年)- [[社団法人]]林原共済会を設立する。 |
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* 1959年(昭和34年)- 酵素糖化法によるブドウ糖製造に成功する。 |
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* 1962年(昭和37年)- 水飴・ブドウ糖販路拡大のために'''林原商事株式会社'''を設立する。 |
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* 1964年(昭和39年)- 現在の岡山市北区丸の内[[岡山城]]対面所跡に[[林原美術館]]を設立する。 |
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* 1968年(昭和43年)- マルトースの新製造法と、[[マルチトール]]の開発に成功する。 |
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* 1970年(昭和45年)- '''株式会社林原生物化学研究所'''を設立する。 |
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* 1973年(昭和48年)- 増粘多糖類プルランの製造技術の開発に成功する<ref>{{Cite web|和書|title=プルラン|url=https://www.hayashibara.co.jp/data/70/rd_tp_four/|website=株式会社 林原|accessdate=2019-09-02}}</ref>。 |
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* [[1986年]](昭和61年) - マルトースの量産化に成功。 |
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* 1986年(昭和61年)- マルトースの量産化に成功する。 |
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* 1988年(昭和63年)- [[厚生省]]からインターフェロンの承認を受け、大塚製薬・[[持田製薬]]から発売開始する。 |
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* 1989年(平成元年)- 柑橘由来のポリフェノール「糖転移ヘスペリジン」の製造に成功する<ref name="rd_tp_four">{{Cite web|和書|url=https://www.hayashibara.co.jp/data/71/rd_tp_four/|title=糖転移ヘスペリジン|publisher=林原|accessdate=2019-09-02}}</ref>。 |
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* [[1990年]]([[平成]]2年) - '''株式会社林原'''、'''株式会社林原商事'''に社名変更。 |
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* 1990年(平成2年)- '''株式会社林原'''と'''株式会社林原商事'''へそれぞれ社名変更する。 |
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* [[1993年]](平成5年) - [[モンゴル]]・[[ゴビ砂漠]]における古生物学調査を開始。 |
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* 1993年(平成5年)- [[林原自然科学博物館]]が組織し、[[モンゴル]]・[[ゴビ砂漠]]で古生物学調査を開始する。 |
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* 1994年(平成6年)- デンプンからトレハロースを大量に生産する技術を開発し翌年に商品化する。 |
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* [[1997年]](平成9年) - 株式会社H+Bライフサイエンス、株式会社林原基礎合成研究所、株式会社林原美術ミントの3社を設立。 |
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* 1997年(平成9年)- 株式会社H+Bライフサイエンス、株式会社林原基礎合成研究所、株式会社林原美術ミントの3社を設立する。 |
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* 1998年(平成10年)- [[チンパンジー]]研究の「[[類人猿]]研究センター」を設立する。 |
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* 2002年(平成14年)- JR岡山駅南の自社所有地を再開発する「ザ ハヤシバラシティ」構想を発表し、ザ ハヤシバラシティ株式会社を設立する。 |
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* [[2011年]](平成23年)[[2月2日]] -東京地方裁判所に会社更生法の適用を申請。負債総額1300億円超。林原創業家が経営から退く。 |
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* 2007年(平成19年)- 水溶性食物繊維「イソマルトデキストリン」の製造に成功する<ref name="rd_tp_four" />。 |
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** [[12月26日]] - 本社をJR岡山駅南の自社所有地から現在地に移転。 |
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* 2011年(平成23年)- H+Bライフサイエンスを[[ハーバー研究所]]([[JASDAQ|ジャスダック]]/証券コード4925)に売却する<ref>{{Cite web|和書|title=ハーバー研究所、林原創業家の健康食品社を買収|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDD280B5_Y1A320C1TJ2000/|website=日本経済新聞 電子版|accessdate=2019-09-02|language=ja}}</ref>。 |
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** [[12月31日]] - 林原モータープールを閉鎖。 |
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** 2月2日 - [[東京地方裁判所]]へ会社更生法適用を申請する。負債総額1322億円で林原創業家が経営から退く。 |
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* [[2012年]](平成24年)[[1月27日]] - 更生計画認可決定が確定。 |
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** 12月26日 - 本社をJR岡山駅南の自社所有地から現在地へ移転する。 |
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** 12月31日 - 林原モータープールを閉鎖する。 |
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** [[2月1日]] - 株式会社林原生物化学研究所と株式会社林原商事の2社が株式会社林原に吸収合併。 |
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* 2012年(平成24年) |
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** [[2月3日]] - 長瀬産業の100%子会社となる。 |
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** 1月27日 - 更生計画認可決定が確定する。 |
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** [[3月26日]] - 会社更生計画が終結。総額約1400億円の負債に対し、約1300億円の弁済原資を確保。弁済率は約93%と更生法下では異例の高水準、更生法適用から約1年2ヶ月でのスピード終結となった。 |
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** 1月30日 - JR岡山駅南の自社所有地を[[イオンモール]]へ売却する。 |
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** 2月1日 - 株式会社林原が株式会社林原生物化学研究所と株式会社林原商事の2社を吸収合併する。 |
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** 2月3日 - 長瀬産業の100%子会社になる。 |
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** 3月26日 - 負債総額約1400億円に弁済原資約1300億円を確保して弁済率約93%の高水準で、更生法適用から約1年2ヶ月で更生計画が終結する。 |
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* 2013年(平成25年) |
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** 類人猿研究センターの研究機能を[[京都大学]]に寄付し、同センターは解散。[[京都大学霊長類研究所]]に研究は継承する<ref>{{Cite web|和書|title=チンパンジー(林原)寄附研究部門 {{!}} 京都大学霊長類研究所|url=https://langint.pri.kyoto-u.ac.jp/hayashibara/index.html|website=langint.pri.kyoto-u.ac.jp|accessdate=2019-09-02}}</ref>。 |
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** [[林原自然科学博物館]]が組織する古生物研究事業を[[岡山理科大学]]に移管する<ref>{{Cite web|和書|title=林原、恐竜研究を岡山理科大に移管 本業に経営資源を集中|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNZO61471860S3A021C1LC0000/|website=日本経済新聞 電子版|accessdate=2019-09-02|language=ja}}</ref>。 |
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* 2015年(平成27年) |
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**1月、長瀬産業創業家からの出向であった長瀬玲二が株式会社林原の代表取締役を辞任、同時に長瀬産業でも代表取締役専務を辞任し代表権の無い副会長となった。なお同時に長瀬産業本体の長瀬洋社長も、長瀬産業代表取締役社長を退き代表取締役会長職に就いた<ref name="#2"/>。 |
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** 8月20日 - 新工場「岡山機能糖質工場S棟」と「岡山第一工場」を竣工する。 |
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** 11月25日 - 水溶性食物繊維「ファイバリクサ」を発売する。 |
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* 2016年 - イソマルトデキストリンがFDAよりGRAS認証を取得する。 |
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** 9月27日 - ナガセケムテックス株式会社と共同開発した製パン用酵素『デナベイクEXTRA』を[[長瀬産業]]株式会社から発売する。 |
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* 2018年(平成27年)- [[ロンザ (企業)|ロンザ社]]とプルランカプセルの市場拡大に向け、長期パートナーシップ契約を締結する。 |
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* 2020年(令和2年)6月30日 - 岡山第二工場に新プルラン・酵素棟を増設する<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.hayashibara.co.jp/data/3421/press_tp/|title=「岡山第二工場 新プルラン・酵素棟(新P棟)」の竣工について|publisher=林原|accessdate=2024-03-27}}</ref>。 |
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* 2023年(令和5年)4月1日 - ナガセケムテックス株式会社の生化学品事業を統合した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.nagase.co.jp/assetfiles/news/20230116.pdf|title=グループ子会社の統合について|publisher=長瀬産業|accessdate=2024-04-14}}</ref>。 |
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* 2024年(令和6年)4月1日 - '''ナガセヴィータ株式会社'''に社名変更<ref name="viita" />。 |
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== 経営 == |
== 経営 == |
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[[ファイル:Hayashibara parking lot.jpg|thumb|JR岡山駅南の旧自社所有地<br /><small>岡山市北区下石井の2万坪の土地は、長年林原グループの本社および有料駐車場として利用された。</small>]] |
[[ファイル:Hayashibara parking lot.jpg|thumb|JR岡山駅南の旧自社所有地<br /><small>岡山市北区下石井の2万坪の土地は、長年林原グループの本社および有料駐車場として利用された。</small>]] |
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=== 創業家による |
=== 創業家による経営 === |
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JR岡山駅南の土地2万坪など大規模な自社所有地の含み益と特許利益により資金調達が容易で、長期間の独自研究開発のために未上場で創業者の林原一族が長年[[同族経営]]していた。[[縁故採用]]に肯定的で、社員公募せず多くを地元岡山の大学生から採用<ref>{{Cite news|和書|url=https://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/interview/In02053001.html|title=企業活動とメセナ 林原社長・林原健氏に聞く|newspaper=[[中国新聞]]|publisher=[[中国新聞社]]|date=2002-05-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120929051145/https://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/interview/In02053001.html|archivedate=2012-09-29}}</ref> している。メセナ活動にも積極的に投資し、2002年に林原グループ本社や林原自然科学博物館、有料駐車場(林原モータープール)として利用されていたJR岡山駅南の自社所有地を「ザ ハヤシバラシティ」として再開発する構想<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.the-hayashibara-city.jp/|title= ザ ハヤシバラ シティ ホームページ|accessdate=2010-12-02|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100305054641/http://www.the-hayashibara-city.jp/|archivedate=2010-03-05}}</ref> を発表している。 |
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{{出典の明記|date=2012年8月|section=1}} |
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創業者の林原一族による[[同族経営]]が続けられ、長年に渡り、[[西日本旅客鉄道|JR]][[岡山駅]]南の2万坪の土地など大規模な不動産を所有していた。この自社所有地の持つ含み益と特許が生み出す利益によって資金調達が容易なため上場する必要がないとされ、長期にわたる独自の研究開発を行うためにもあえて上場しないという経営方針がとられていた。また、[[縁故採用]]に肯定的な企業であり、社員の公募はせず社員の多くは地元岡山の大学生から採用していた<ref>{{Cite news|url=http://www.chugoku-np.co.jp/kikaku/interview/In02053001.html|title=企業活動とメセナ 林原社長・林原健氏に聞く|newspaper=中国新聞|date=2002-05-30|accessdate=2010-12-02}}</ref>。メセナ活動にも積極的に投資し、[[2002年]](平成14年)には、林原グループ本社や林原自然科学博物館、有料駐車場(林原モータープール)として利用されていたJR岡山駅南の自社所有地を、「'''ザ ハヤシバラシティ'''」として再開発する構想を発表した<ref>{{Cite web|url=http://www.the-hayashibara-city.jp/index.html|title= ザ ハヤシバラ シティ ホームページ|accessdate=2010-12-02|deadlinkdate=2011-12-03}}</ref>。 |
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<!--以下、出典を示してください。 |
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しかし一方では、豊富な不動産資産を背景に、1970年代からバブル期にかけて1700億円にものぼる多額の借入を金融機関から行った。借入金は研究投資に用いられ、ハムスター法によるインターフェロンの製造法開発に成功したが、競合品である遺伝子組み換えインターフェロンの登場により、投資額を回収する分だけの利益を挙げるには至らなかった。当時はトレハロース、AA-2G等の2000年代の主力製品の開発前であったことに加え、[[バブル崩壊]]によりJR岡山駅前に保有する土地の評価額が激減していたことで、林原グループはすでにこの時点で事実上の[[債務超過]]に陥っていたとみられる。 |
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しかし一方では、豊富な不動産資産を背景に、1970年代からバブル期にかけて1,700億円にものぼる多額の借入を金融機関から行った<ref name="#7">{{Harvnb|林原|2013|pp=26 - 27}}</ref>。借入金は研究投資に用いられ、ハムスター法によるインターフェロンの製造法開発に成功したが、競合品である遺伝子組み換えインターフェロンの登場により、投資額を回収する分だけの利益を挙げるには至らなかった<ref name="#8">{{Harvnb|林原|2016|p=35}}</ref><ref name="#9">{{Harvnb|林原|2013|pp=224 - 225}}</ref>。当時はトレハロース、AA-2G等の2000年代の主力製品の開発前であったことに加え、[[バブル崩壊]]により岡山駅前に保有する土地の評価額が激減していたことで、林原グループは既にこの時点で事実上の[[債務超過]]に陥っていたとみられる<ref name="#7"/>。 |
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この頃から、不正経理によって銀行から多額の融資を受ける行為が常態化していた。[[岡山製紙]]や[[三星食品]]などのグループ会社は上場し次々に売却したが、グループ本体は不正経理の発覚を恐れ上場できず、長年にわたって[[間接金融]]に依存する状態が続いていた。 |
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経営破綻の原因は直接的には、2010年末に金融機関から不正経理を指摘され融資の継続がされなくなったことだが、そもそもの不正経理を行う動機は凄まじい額の研究投資とインターフェロンのビジネスとしての失敗である。 |
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経営破綻時に一部報道で言われた「メセナ活動や不動産投資が経営を圧迫した」というのは誤りである。それらは多く見積もっても年間数億円の出費にしか満たず、借入金利息を毎年返済してもトレハロースやAA2Gの売り上げで年間20億円以上の利益を上げていた90年代以降の林原では大きな問題ではなかった。不動産を扱う太陽殖産はそもそも更生法申請時にも資産超過状態だった。--> |
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この頃から、不正経理によって銀行から多額の融資を受ける行為が常態化していた<ref name="#7"/>。[[岡山製紙]]や[[三星食品]]などのグループ会社は上場し次々に売却したが、グループ本体は不正経理の発覚を恐れ上場できず、長年にわたって[[間接金融]]に依存する状態が続いていた<ref name="#10">{{Harvnb|林原|2013|pp=21 - 34}}</ref>{{Sfn|林原|2013|pp=81 - 86}}。経営破綻の原因は直接的には、2010年末に金融機関から不正経理を指摘され融資の継続がされなくなったことだが、そもそもの不正経理を行う動機は凄まじい額の研究投資とインターフェロンのビジネスとしての失敗である。<ref name="名前なし-20240628121731">[林原靖『背信 銀行・弁護士の黒い画策』ワック株式会社, 2015年 pp35]</ref><ref name="名前なし_2-20240628121731">[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp224-225]</ref> 経営破綻時に一部報道で言われた「メセナ活動や不動産投資が経営を圧迫した」というのは誤りで、あくまで粉飾の根っこは「金食い虫」である林原生物科学研究所による過大な研究投資、特にインターフェロンの失敗である<ref name="名前なし-20240628121731"/>。メセナ活動や不動産事業は多く見積もっても年間数億円の出費にしか満たず、借入金利息を毎年返済してもトレハロースやAA2Gの売り上げで年間20億円以上の利益を上げていた90年代以降の林原にとっては大きな問題ではなく、不動産を扱う太陽殖産はそもそも更生法申請時にも資産超過状態だった<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp21-34]</ref><ref>[林原靖『背信 銀行・弁護士の黒い画策』ワック株式会社, 2015年 pp168-169]</ref>。 |
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=== 不正経理の発覚と会社更生法の申請 === |
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{{観点|section=1|date=2012年8月}} |
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[[2010年]]末に一部金融機関から不正経理を指摘され、融資を受けられなくなり経営が行き詰まった林原グループは、[[2011年]][[1月25日]]、[[私的整理]]の一つである[[裁判外紛争解決手続|事業再生ADR]](裁判外紛争解決)手続きを申請した<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=329 本日の報道について(1)] 林原グループプレスリリース 2011年[[1月25日]]</ref>。林原グループは雇用面やメセナ活動から、岡山の地域経済に大きな影響力を持っていたため、林原グループがADRの手続きをした事に対し、岡山市長と岡山県知事が会見を行なった<ref name="okayama">林原:私的整理申請 県政財界に衝撃 「再生」願う声、「不透明」指摘も/岡山 [[毎日新聞]]2011年[[1月17日]] 2011年[[2月2日]]閲覧</ref>。 |
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<!--以下、出典を示してください。--> |
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{{出典の明記|date=2012年8月|section=1}} |
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しかし、20年以上に渡り行われていた不正経理が表面化したことに加え、JR岡山駅南所有地に[[中国銀行 (日本)|中国銀行]]が、林原美術館に[[住友信託銀行]]が、それぞれ抵当権を設定していることが明らかになったことで、金融機関の同意が得られず、同年[[2月2日]]の債権者集会の場で事業再生ADR(裁判外紛争解決)手続きの断念を表明した。同日、林原・林原生物化学研究所・林原商事の3社は東京地方裁判所に[[会社更生法]]に基づく会社更生手続きの開始を申請した<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=335 会社更生手続開始の申立て及び当社グループの今後の事業の再建について] 林原プレスリリース 2011年2月2日</ref><ref>株式会社林原など3社 帝国データバンク大型倒産速報 2011年2月2日</ref>。負債額は1300億円超と見られ、岡山県内の経営破綻としては過去最大規模の事例となった。 |
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この責任をとって社長の林原健と実弟で専務の林原靖が取締役を辞任し、後任の社長には林原生物化学研究所の常務だった福田恵温が就任、創業以来一貫して林原一族が主導してきた同族経営は幕を閉じた。 |
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中核事業法人のうち、不動産運営の太陽殖産は資産が負債を上回っていたため当初は申請を見送ったものの、更生会社3社の再建計画検討の中で、同社についても3社との同時的・一体的な処理を進めるのが適切と判断され、同年[[5月25日]]に改めて東京地裁への会社更生法適用申請を行なった<ref>不動産賃貸 太陽殖産株式会社 会社更生法の適用を申請 負債417億5800万円 帝国データバンク大型倒産速報 2011年[[5月26日]]</ref>。 |
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=== 不正経理の発覚と事業再生ADR準備 === |
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2010年末に[[住友信託銀行]]と[[中国銀行 (日本)|中国銀行]]{{Refnest|group="注釈"|中国銀行は、[[大原孫三郎|大原家]]らにより[[岡山県|岡山]]で創業。2012年のTOBまで林原が筆頭株主であった<ref>{{Cite news|和書|url=http://jp.reuters.com/article/domesticEquities9/idJPnTK049228320110823|title=中国銀、林原グループ保有の自社株を1株867円でTOB=発行株の11.67%|publisher=[[ロイター]]|date=2011-08-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20220124044436/http://jp.reuters.com/article/domesticEquities9/idJPnTK049228320110823|archivedate=2022-01-24}}</ref>}}が秘密裏に行った内部資料の突き合わせから、林原グループは貸借対照表の借入金の差異を指摘された{{Sfn|林原|2013|pp=31 - 41}}。住友信託銀行および中国銀行は不渡り処分をちらつかせることで、年末までの時点で林原健および靖の個人保証、関係各社相互の債務保証への署名捺印を行わせ、不動産を担保に入れた<ref name="#11">{{Harvnb|林原|2013|pp=88 - 92}}</ref>。メイン2行の他の債権者を差し置いた行動は後に他の債権者の不信感を生み、ADR不合意の主な原因となった{{Sfn|林原|2013|pp=104 - 107}}。2010年12月時点で林原グループは資産を全て同じ2行の担保に入れ、翌年2月末の融資の継続書き換え時には、担保不足によって資金ショートになる公算となった<ref name="#11"/>。この時点でメインバンクの中国銀行から林原に対して裁判外紛争解決手続き (ADR) を進めるよう指示があり、同銀行から林原に対してADRの第一人者である西村あさひ法律事務所の紹介を行った{{Sfn|林原|2013|pp=92 - 95}}。 |
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{{出典の明記|date=2012年8月|section=1}} |
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再建スポンサーには[[大韓民国|韓国]]の[[CJグループ]]や[[日本たばこ産業]]など70~80社が名乗りを上げたが、入札を経て2011年[[8月3日]]に[[長瀬産業]]がスポンサーに決定し<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=356 スポンサー契約の締結について] 林原グループプレスリリース2011年8月3日</ref>、12月31日に[[東京地方裁判所]]より更生計画案が認可された<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=368 更生計画認可決定のお知らせ] 林原グループプレスリリース2011年12月31日</ref>。 |
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当初は林原は会社更生法ではなく、中国銀行および西村あさひ法律事務所に後押しされる形で事業再生ADRの成立を目指した<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp92-95]</ref>。ADRは不成立となり会社更生法の適用となるが、林原グループ前専務取締役の林原靖によると、債権者全会一致が原則でハードルが高いADRと、ADRが壊れた際の最終手段としての会社更生法の2択しか会社側には示されず、いわばその中間となる民事再生法が提示されなかったという<ref name="名前なし_3-20240628121731">[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp108-111]</ref>。理由として、ADRは西村あさひ法律事務所の[[松嶋英機]]が中心となって日本に紹介した制度であり、林原のADR〜会社更生法で実務の中心となった森倫洋弁護士をはじめとするチームにおいて、林原のケースをADRの成功事例としたい思惑があったと指摘している<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp100-103]</ref>。 |
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JR岡山駅南の自社所有地は、2011年[[9月21日]]に入札が行われ、[[イオンモール]]に売却されることが決定した<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=361 駅前不動産の売却について] 林原グループプレスリリース2011年9月21日</ref>。売買契約の決済とイオンモールへの所有地の引き渡しは、[[2012年]][[1月27日]]に東京地方裁判所の更生計画案の認可決定が確定したのを受け、同年1月30日付で行われた<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=369 更生計画認可決定確定のお知らせ] 林原グループプレスリリース2012年1月30日</ref>。これに先だって、株式会社林原・株式会社林原商事・株式会社林原生物化学研究所の3社は、2011年[[12月26日]]に本社を移転し<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/news.php?id=31 本社移転のお知らせ] 林原グループお知らせ2011年12月12日</ref> 、2011年[[12月31日]]には、有料駐車場(林原モータープール)も閉鎖された。 |
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林原のADR不成立の原因として債権者の銀行団のうち、メインの中国銀行およびサブの住友信託銀行の2行と、その他の銀行の利害が激しく対立したことがあげられるという<ref name="名前なし_4-20240628121731">[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104-107]</ref>。 |
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2012年[[2月1日]]付で林原商事・林原生物化学研究所の2社は株式会社林原に吸収合併されて消滅し、同年2月3日に林原は100%減資のうえ長瀬産業の完全子会社となった<ref>[http://www.nagase.co.jp/assetfiles/tekijikaiji/20120131-2.pdf 更生会社株式会社林原等の更生計画認可決定の確定、株式取得(完全子会社化)に関するお知らせ]長瀬産業プレスリリース2012年1月31日</ref>。同3月26日に会社更生計画は終結した。<ref>[http://www.nagase.co.jp/assetfiles/tekijikaiji/20120326.pdf 株式会社林原の更生手続終結に関するお知らせ] |
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株式会社林原の更生手続終結に関するお知らせ]</ref> |
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長瀬産業(大阪市)からの出融資や、JR岡山駅南土地の売却などにより、総額約1400億円の負債に対し、約1300億円の弁済原資を確保。弁済率は約93%と更生法下では異例の高水準、更生法適用から約1年2ヶ月でのスピード終結となった。<ref>[http://www.sanyo.oni.co.jp/news_s/news/d/2012032622440527/ 林原、会社更生手続き終結 弁済率93%、異例の高水準] |
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林原、会社更生手続き終結 弁済率93%、異例の高水準]</ref> |
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2011年1月11日のADR第1回会合では、席上、代表取締役 林原健が謝罪し、弁護士からは経営責任をとって社長の林原健、専務の林原靖、ほか経理担当役員2人が退任する旨の報告があった<ref name="名前なし_5-20240628121731">[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104]</ref>。P/L上は業績快調でありながら、弁護士団が全役員の退任を勝手に決めたのは、銀行のADR同意を取りつけるための有効な取引材料にするためだったという<ref name="名前なし_5-20240628121731"/>。 |
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太陽殖産は三社合併後の林原に引き継がれなかった資産を含む資産の換価処分を進める。 |
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中国銀行と住友信託銀行を除いた銀行団からは、林原への非難や罵声は全くなく、中国銀行と住友信託銀行への憤懣が激しく噴出したという<ref name="名前なし_4-20240628121731"/>。JR岡山駅南所有地に[[中国銀行 (日本)|中国銀行]]が、林原美術館に[[住友信託銀行]]がそれぞれ抵当権を設定していることが明らかになったこと、昨年末からADR申請まで中国銀行と住友信託銀行の2行のみで情報を独占したことに非難が集中した<ref name="名前なし_4-20240628121731"/>。さらに中国銀行と住友信託銀行の間のスタンスの違いも状況を難しくした<ref name="名前なし_4-20240628121731"/>。中国銀行がADR成立のためには担保登記の修正について柔軟な姿勢を示したのに対し、住友信託銀行は「ADR成立を前提」としない限り担保登記の修正に応じないとの姿勢を変えず、この住友信託銀行の態度に他のメガバンクからの非難が集中した<ref name="名前なし_4-20240628121731"/>。他の銀行団のうち、三菱東京UFJ銀行は以前から十分な有価証券担保をとっていたので穏健な態度、逆に三井住友銀行には十分な担保が提供されておらず、苛立ちを強めていた<ref name="名前なし_6-20240628121731">[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp104-105]</ref>。みずほ銀行は自身の債権額はそれほどでもなかったが、シンジケート・ローンの幹事銀行として中小銀行を束ねるという役割があったという<ref name="名前なし_6-20240628121731"/>。1回目の会合の最後に、進行役の西村あさひ法律事務所の森倫洋弁護士から銀行団に第2回目の会合の出席の釘を刺し、初会合は終了した<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp107]</ref>。 |
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事業再生ADRの特徴として、関係者の守秘義務を前提とし秘密裏に話し合いがもたれることで一般債権者の不安を煽らないという点があるにもかかわらず、2011年2月2日に第2回目のADR会合の前に新聞各紙に林原のADR申請が報道された<ref name="名前なし_3-20240628121731"/>。報道内容は債権者各行に配布したADR説明用の資料を基にしていたこと、現実的に合計300部ほどの製本を銀行団に配ったことから、ADRの秘密保持の実効性はお粗末なものであり、中国銀行と住友信託銀行の思惑に不満であったいずれかの銀行関係者が確信犯的にマスコミに流したのが報道の理由であったと推測されたという<ref name="名前なし_3-20240628121731"/>。 |
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この時点で秘密保持という事業再生ADRの利点は崩れており、2011年2月2日の第2回会議では東京・日本橋の会場まわりに多数の取材陣が駆けつけていた<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp111]</ref>。会議においては住友信託銀行は相変わらず「出口論」を変えるつもりはなく、さらに他の銀行を前にして「自行をかつてのメインバンクとかサブメインというふうに考えずに、他の一般メガバンクと同等に扱ってほしい」 などと発言し、他行から住友信託銀行のこの態度への不信が大きな焦点となった。しかし、住友信託銀行は自行の駆け込み保全処理についての正当性を述べるばかりで、最後まで「出口論」を変えようとはしなかった。当然議論は紛糾し、賛否の大激論が巻き起こった<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp112-113]</ref>。 |
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会合に参加した林原靖によると、そこに突然、出席者の一人が立ち上がり「皆さん、皆さん、お静かに願います。当行本部からたったいま、わたしの携帯に連絡が入りました。 西村あさひ法律事務所の弁護士が、東京地方裁判所に林原の会社更生法の申請をおこなったとのことです」との声が入り、会場からは一斉に「ウオーッ!」という悲鳴に近い叫び声と、銀行団から罵声と怒声の入り交じった会話で、会場は混乱の極みに陥ったという<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp114-117]</ref>。なお、この更正法申立は、平成23年(2011年)2月2日に林原の代表取締役に就任したとされる福田恵温からの委任によってなされたとされているが、これは「'''会社法319条1項に基づき、林原の全株主の同意によって'''行われた」と記録されている<ref name="名前なし_7-20240628121731">[林原靖『背信 銀行・弁護士の黒い画策』ワック株式会社, 2015年 pp121]</ref>。しかし、林原靖によると林原健、靖は同日東京での債権者集会に朝より出ており、福田による同申立は西村あさひ法律事務所による不実、私文書偽造の疑いが濃厚である旨を指摘している<ref name="名前なし_7-20240628121731"/>。林原靖は2016年2月現在、著書において西村あさひ法律事務所の「○○弁護士(更正法の申請代理人であった森倫洋弁護士であると思われる)」に対して、説明義務違反に基づく懲戒請求を行っている<ref name="名前なし_7-20240628121731"/><ref>[http://www.tsr-net.co.jp/news/flash/1208427_1588.html] 倒産速報(株)林原ほか2社</ref>。 |
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西村あさひ法律事務所の次席の柴原多弁護士および郡谷大輔弁護士が発言を引き継ぐも、銀行団はなおも「われわれは納得できない。なぜこんなことになってしまったのか。いずれハッキリさせてもらうからな。いや、そうしてもらわねば困る。席を改め時間をかけてでも徹底的に追及するぞ」と大声で叫びつづけた<ref name="名前なし_8-20240628121731">[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp115-117]</ref>。しかし、西村あさひ法律事務所が先走り的に行った会社更生法申請の事実は変えられず、二時間以上にわたる銀行団の大議論は、第一回にして「ADR不成立」の結論をもって終結することとなった<ref name="名前なし_8-20240628121731"/>。 |
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=== 会社更生法の申請 === |
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ADR不成立の実際は金融機関の同意が得られず、ということではなく上述のように西村あさひ法律事務所の駆け込み的行動によるものだった。同年2月2日の債権者集会の場で事業再生ADR(裁判外紛争解決)手続きの断念を表明した。同日、林原・林原生物化学研究所・林原商事の3社は東京地方裁判所に会社更生法に基づく会社更生手続きの開始を申請した<ref>|title=「(株)林原」|newspaper=東京商工リサーチ|date=2011-02</ref>。負債額は1,300億円超と見られ、岡山県内の経営破綻としては過去最大規模の事例となった。この責任をとってADR第1回会合での発表の通り、社長の林原健と実弟で専務の林原靖が取締役を辞任し、後任の社長には林原生物化学研究所の常務だった福田恵温が就任、創業以来一貫して林原一族が主導してきた同族経営は幕を閉じた。保全管理人、更生管財人にはADR時の顧問弁護士団を束ねていた松嶋英機弁護士が横滑りし、参加の西村あさひ法律事務所の弁護団もADR時のまま継続して会社に常駐した<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp103]</ref>。西村あさひ法律事務所も、管財人横滑りの批判には気を遣っており、林原の更正法申請の第一報の時点での会話として、弁護士団は東京地裁への申請のタイミングが早すぎたことについて、「次の更生法の段階では、われわれはこの案件から退かなければならなくなるかもしれんな」「いや、大丈夫ではないですか。裁判所は認めてくれますよ」等と雑談を交わしていたという<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp118-119]</ref>。 |
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西村あさひ法律事務所が自らの管財人就任にこだわった理由について、林原靖はおそらく四大法律事務所にはそれを頂点として、それぞれに親密な「破綻ビジネス」の果実を分け合う周辺業者があり、その意味で林原の破綻はこれらの周辺業者にとってはビッグで、しかも実り多いビジネスチャンスになると予想したからだろう、と著書で述べている<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp148-150]</ref>。 |
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一例として、林原健および靖の私財処分について、本来公正な資産処分をやろうとするならば専門業者を数社呼び、コンペをやって手数料が少なく売値が一番高い会社に決める、というのが筋であるが、複数の業者を比較検討したという形跡もなく、まず美術品処分の委託先としてはADRの会計担当業者での会計事務所プライスウォーターハウスクーパースが再登場し、破綻処理ビジネスの中で抜け目なく商売の幅を拡げている同社に一種の崇敬の念さえおぼえたという<ref name="名前なし_9-20240628121731">[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp149]</ref>。 |
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一方、不動産処分の委託先としては岡山とは縁が少ない東急リバブルが採用された。同社は後で西村あさひ法律事務所の若い弁護士がふと洩らしてわかったことだが、西村あさひ法律事務所とは「とても親密な会社」とのことだったという<ref name="名前なし_9-20240628121731"/>。 |
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西村あさひ法律事務所が管財人に就任することにより、ADR時は林原の弁護を受け持っていた同事務所が、一転会社側を糾弾する側に立ったことになった<ref name="名前なし_10-20240628121731">[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp123]</ref>。この手続きについては、林原靖によると、裁判所に提出した更正法の申請書に事前に目を通す機会は西村あさひ法律事務所から経営陣側に与えられず、手続を委任する時間的猶予もなかったという<ref name="名前なし_10-20240628121731"/>。その際に西村あさひ法律事務所には社長の林原健および専務の林原靖の実印を預けたままであったので、西村あさひ法律事務所と東京地裁との間でどのようなやりとりがあったのかは不明であったという<ref name="名前なし_10-20240628121731"/>。中核事業法人のうち、不動産運営の太陽殖産は資産が負債を上回っていたため当初は申請を見送ったものの、更生会社3社の再建計画検討の中で、同社についても3社との同時的・一体的な処理を進めるのが適切と判断され、同年5月25日に改めて東京地裁への会社更生法適用申請を行った<ref>|title=「林原グループの太陽殖産、更生法適用を申請」|newspaper=日本経済新聞|date=2011-05-26</ref>。 |
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=== スポンサー企業の選定 === |
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再建スポンサーには韓国のCJグループや日本たばこ産業など70~80社が名乗りを上げた。西村あさひ法律事務所とフィナンシャル・アドバイザーのGCAサヴィアンの音頭によって、スポンサー選定は3回の入札で分けて行われた<ref name="名前なし_11-20240628121731">[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp160-190]</ref>。スポンサー候補は、第一回の入札で概ね10社程度に絞られ、三菱商事グループにSBI、群栄化学、明治製菓、大塚製薬グループ、伊藤忠グループなどが含まれていた。入札の金額幅はこの時点で400億円超のレベルと推察されたという<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp164-165]</ref>。通常の進め方であれば第二回の入札は第一回に勝ち残った中から、さらに金額の高い順に絞られるはずであるが、本件では変則的な入札が行われたといい<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp165-166]</ref>、第一回の入札に勝ち残った会社を核にして連合を組めば、落ちてしまった会社でも勝ち上がることができる<ref name="名前なし_11-20240628121731"/>。逆に一回目で上位に残った会社でも、合従連衡に手抜かりやミスがあれば二回目で落ちてしまう<ref name="名前なし_11-20240628121731"/>。こうした進め方のため、一回戦で勝ち残った組の中からも「これは二回戦ではなく一・五回戦だ」という悲鳴も上がっていたという<ref name="名前なし_11-20240628121731"/>。 |
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2011年五月の連休前に行われた第二回の入札では、一回目のトップ当選と見られていた三菱商事と第2位のSBI、それと明治製菓、大塚製薬グループは他との連合を嫌ったのか、それともこれ以上の金額は出せないと諦めたのか落選した<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp166]</ref>。第3回目の入札前に残っていたのは、群栄化学と、韓国の元サムスン傘下のCJグループ、カーギル、長瀬産業であったとみられ、入札の金額はこの時点で600億円前後と報道されていた<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp166-167]</ref>。共同通信の事前予測報道では、「韓国の財閥CJグループと日本のJT(日本たばこ産業)が、700億円前後で競い合っている模様」との観測が出ていたが、JTはその後すぐ自社のホームページで「入札の事実はない」と報道内容を否定するコメントを発表した。<ref name="名前なし_12-20240628121731">[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp167]</ref> また、「韓国CJグループは850億円以上出すのでは」との話も伝わっていたという<ref name="名前なし_12-20240628121731"/>。最終的に入札を経て2011年8月3日に長瀬産業がスポンサーに決定した<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp187-189]</ref>。決定金額は約700億円であり、実はCJも同額を提示したが、これは皆の「総合判断」で落としたという。長瀬産業が、もう一社の額を上回る金額で落札したものと報道されたが、これは誤報である<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp187-188]</ref>。林原の前専務、林原靖は著書で長瀬産業にスポンサーが決定した理由として、スポンサー選定の一回戦、二回戦では長瀬産業の名前は出ておらず、債権者である三井住友銀行が同社のメインバンクで、最終的なスポンサー選定はフィナンシャル・アドバイザーであったGCAサヴィアンの公平な判断ではなく、裏に同銀行の強力な意向があったのではないかとしている<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp188-189]</ref>。なお、GCAサヴィアン株式会社マネージングディレクターの野々宮律子が、2020年より長瀬産業株式会社の社外取締役を務めている<ref>[役員・執行役員(長瀬産業株式会社,2022年)]</ref>。 |
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=== 会社更生計画の終了 === |
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JR岡山駅南の自社所有地は、2011年9月21日に入札が行われ、[[イオンモール]]に売却されることが決定した<ref>{{Cite press release |和書 |title=駅前不動産の売却について|url=http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=361|publisher=林原グループ|date=2011-09-21|accessdate=2014-02-26}}</ref>。売買契約の決済とイオンモールへの所有地の引き渡しは、2012年1月27日に東京地方裁判所の更生計画案の認可決定が確定したのを受け、同年1月30日付で行われた<ref>{{Cite press release |和書 |title=更生計画認可決定確定のお知らせ|url=http://www.hayashibara.co.jp/press.php?id=369|publisher=林原グループ|date=2012-01-30|accessdate=2014-02-26}}</ref>([[イオンモール岡山]]も参照)。これに先だって、株式会社林原・株式会社林原商事・株式会社林原生物化学研究所の3社は、2011年12月26日に本社を移転し<ref>[http://www.hayashibara.co.jp/news.php?id=31 本社移転のお知らせ] 林原グループお知らせ2011年12月12日</ref>、2011年12月31日には、有料駐車場(林原モータープール)も閉鎖された。 |
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2012年2月1日付で林原商事・林原生物化学研究所の2社は株式会社林原に吸収合併されて消滅し、同年2月3日に林原は100%減資のうえ、長瀬産業の完全子会社となった<ref>{{Cite press release |和書 |title=更生会社株式会社林原等の更生計画認可決定の確定、株式取得(完全子会社化)に関するお知らせ|url=https://www.nagase.co.jp/assetfiles/tekijikaiji/20120131-2.pdf|format=PDF|publisher=長瀬産業|date=2012-01-31|accessdate=2014-02-26}}</ref>。同3月26日に会社更生計画は終結した<ref name="hayashibara120326"/>。長瀬産業(大阪市)からの出融資700億円、売却可能の株式などが約300億円、岡山駅前の土地が約200億円強、その他の土地・建物などが約100億円、そして林原健と靖の私財提供分の数十億円を加えると、銀行借入のほぼ全てがこれらによって肩代わりできることになった{{Sfn|林原|2013|pp=167 - 168}}。結果として総額約1400億円の負債に対し、約1300億円の弁済原資を確保。弁済率は約93%と更生法下では異例の高水準、更生法適用から約1年2ヶ月でのスピード終結となった<ref name="sanyo120326"/>。 |
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=== 破綻の原因と破綻後の地域への影響 === |
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林原靖は破綻の原因について「林原生物科学研究所である。この研究所が恐るべき“金食い虫”だった」と述べている。<ref name="名前なし-20240628121731"/><ref name="名前なし_2-20240628121731"/> また、研究投資は「マスコミや世間が〝モデル・ストーリー〟としての基礎研究をいかに称賛したとしても、株式非公開・銀行借り入れ中心の経営下では、あまりにリスクの高い仕事であった」としている<ref name="名前なし_2-20240628121731"/>。その他の原因として、破綻を直接招いたキーとしてメインの中国銀行と、サブの住友信託銀行の一連の対応をあげている<ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp220-222]</ref>。メインバンクの中国銀行は住友信託銀行の岡山支店長に呼び出された時、あるいは西村あさひ法律事務所を巻き込んだ時から、実現性も少ないADRの掛け違いをし、民事再生の可能性を閉ざし、また債権者のとりまとめに関してもリーダーシップをほとんど発揮できず、結果的に破綻劇の幕を開けてしまったという<ref name="名前なし_2-20240628121731"/>。なお、西村あさひ法律事務所の森倫洋弁護士から林原靖に郵送されてきた質問への回答書には「はじめに中国銀行からは債務整理を依頼された」と書いてあったという<ref>[林原靖『背信 銀行・弁護士の黒い画策』ワック株式会社, 2015年 pp172]</ref>。つまり中国銀行はADRを行わせるために西村あさひ法律事務所とPWCを会社に入れたのではなく、最初から会社更生法の基本シナリオを共有していた西村あさひ法律事務所を「会社の中に引き込むために」ADRを口実として、債権者たる他の銀行をも騙していた疑いが強いという<ref>[林原靖『背信 銀行・弁護士の黒い画策』ワック株式会社, 2015年 pp171-172]</ref>。さらに中国銀行は金融庁の指示に反して、林原の持つ大量の自社株担保の事実を外部に知らせず隠蔽していた疑惑、林原創業家の持つ自社株TOBの前後に奇怪な業績発表を繰り返し、風説の流布により市場操作と価格操作をなした疑惑があげられている<ref>[林原靖『背信 銀行・弁護士の黒い画策』ワック株式会社, 2015年 pp191-211]</ref>。また、住友信託銀行の対応は、ADR会合で他行が口を揃えて糾弾したとおり、場当たり的かつ感情的とも思える強引なものであり、現状のサブ・バンクでありながら土壇場になると他行を尻目に詐害行為におよび、また他行から集中攻撃を受けても〝出口論〟を変えようせず、さらに中国銀行との間で一旦はADRでいくことを了解しながら、実際はそれを反故にするような行動を行い、結果的に私的整理の可能性を自ら閉ざしてしまったという<ref name="名前なし_2-20240628121731"/>。林原靖は同じく著書で、破綻後の影響として「岡山駅前の広大な土地も県外資本に安く売却されてしまい、海外から岡山をめざした多くの訪問者も消え、技能の伝承と、正社員採用にこだわった独自の創造的な雇用機会も失われた。地域の権益と発進力を守ってきたさまざまな防波堤が、あっという間に壊されてしまったのだ。結局、大山鳴動してネズミ一匹、大騒ぎをした割に得るものは何もなかった」と結んでいる<ref name="名前なし_2-20240628121731"/>。なお、2015年(平成27年)1月、長瀬産業創業家からの出向であった長瀬玲二が株式会社林原の代表取締役を辞任、同時に長瀬産業でも代表取締役専務を辞任し、代表権の無い副会長となった<ref name="名前なし_13-20240628121731">[林原靖『背信 銀行・弁護士の黒い画策』ワック株式会社, 2015年 pp220-224]</ref>。同時に長瀬産業本体の長瀬洋社長も、長瀬産業代表取締役社長を退き代表取締役会長職に就いた<ref name="名前なし_13-20240628121731"/>。その後、2023年4月1日付の長瀬産業の人事で、長瀬洋は代表取締役会長から取締役相談役に退き、長瀬玲二は副会長から取締役に、さらに、2023年6月25日に非取締役の特別顧問に退いた<ref name="日本経済新聞-20231105133307"/><ref>[人事異動No.1検索「長瀬玲二」、2023年1月26日</ref>。2018年1月に長瀬玲二の後任の林原の代表取締役社長であった森下治は2018年3月31日に退任し、後任に副社長の安場直樹が就くと発表された<ref name="名前なし_14-20240628121731">[代表取締役の異動(社長交代)に関するお知らせ(株式会社林原,2018年)]</ref>。長瀬産業の買収後は、長瀬玲二は3年、森下治は2年という短期政権が続いている<ref name="名前なし_13-20240628121731"/><ref name="名前なし_14-20240628121731"/><ref name="名前なし_14-20240628121731"/>。 |
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長瀬玲二は林原関係では林原美術館の代表理事のみ2016年2月現在就任している<ref name="名前なし_13-20240628121731"/>。 |
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=== 破綻前と破綻後の売上高・営業利益の推移 === |
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長瀬産業は、2012年5月に発表した、2015年3月期を最終年度とする中期経営計画で「完全子会社化したバイオ企業、林原(岡山市)を中核に、14年度の生活関連事業の売上高を11年度比8割増の900億円に引き上げる」としていたが、下表の通り、長瀬産業が林原買収後は、林原の'''会社更生法前の2009年の売上281億円に届いたことは一度もなく、また2013年3月期から2018年3月期までの売上は減少傾向'''にある<ref name="名前なし_15-20240628121731">[「長瀬産業、「林原」中核に生活関連の売上高8割増へ日経新聞, 2012年5月26日」</ref> 。2018年から代表取締役に就いた安場直樹は、日経新聞のインタビューで「長瀬産業のバックアップを受け、再生後、赤字は一切ない」と述べているが、そもそも同社は会社更生法適用前からトレハロース等の売り上げで黒字である。なお、同表で会社更生法申請前、2009年の営業利益と1億円と極端に少ないが、会社更生法申請前は2011年1月で借入金が1,228億円強あり、その金利の支払いを考慮に入れる必要がある<ref>[公認会計士 柴山正之『林原 負債200億円以上の会社が会計監査に必要な罰則強化』プレジデント・オンライン , 2011年6月24日]</ref><ref>[『バイオ企業林原、倒産の背景:グローバル・リサーチ・アソシエイツ 林原靖氏』企業TV, 2015年12月21日]</ref>。 |
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また、長瀬洋社長は同中期計画の新聞インタビューで、林原の海外事業について「これまで代理店に任せきりで戦略的ではなかった」と指摘し「長瀬産業の海外拠点活用や営業要員の拡充など、長瀬産業が主体となって展開する方針」「林原の海外売上高は現在30億円程度だが、3年後に60億円を目指す」としていた<ref name="名前なし_15-20240628121731"/>。しかし、その後2014年に当時の林原社長であり'''長瀬洋の義兄でもある長瀬玲二'''の指示の元、同社は、林原靖が自著で「失敗」とし契約変更した戦術であり、また義弟の長瀬洋が批判した方針である'''「代理店に任せきる」方法'''でもあるトレハロースの欧米での販売契約の独占的付与をカーギル社に対して行った<ref name="名前なし_15-20240628121731"/><ref>[TREHA TMの販売代理店契約をカーギル社と締結(株式会社林原,2016年)]</ref><ref>[林原靖『破綻 バイオ企業・林原の真実』ワック株式会社, 2013年 pp76-81]</ref>。結果、2018年3月現在、トレハロースの'''売上げは日本国内が30,000トンなのに対し、米国での売上は1,000トンに至っていない'''といい、果たして長瀬産業の海外施策が功を奏しているか疑問符が付く{{R|"WEDGE2018年4"}}。 |
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なお、2023年4月1日に林原はナガセケムテックスの生化学品事業を統合したため、2023年度以降の売り上げはその分の割り増しが含まれることになる<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.nagase.co.jp/assetfiles/news/20230116.pdf|title=グループ子会社の統合について|publisher=長瀬産業|accessdate=2024-04-14}}</ref>。 |
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{| class="wikitable" |
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|+ 株式会社林原 売上高・営業利益の推移(2009-2021)<ref>2020年3月期 決算説明会(長瀬産業株式会社,2021年)</ref><ref>2019年3月期 決算説明会(長瀬産業株式会社,2020年)</ref><ref>2018年3月期 決算説明会(長瀬産業株式会社,2019年)</ref><ref>2017年3月期 決算説明会(長瀬産業株式会社,2018年)</ref><ref>2016年3月期 決算説明会(長瀬産業株式会社,2017年)</ref><ref>2015年3月期 決算説明会(長瀬産業株式会社,2016年)</ref><ref>2014年3月期 決算説明会(長瀬産業株式会社,2015年)</ref><ref>[2013年3月期 決算説明会(長瀬産業株式会社,2014年)]</ref><ref>2012年3月期 決算説明会(長瀬産業株式会社,2013年)</ref><ref>{{Cite book|和書|chapter=林原という根拠なき熱狂|title=[[日経ビジネス]]|date=2011年2月25日}}{{full|date=2024年3月}}</ref><ref>株式会社林原第7期決算公告,官報, 2018年7月19日</ref> |
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! 年 !! 売上高(億円)!! 営業利益(億円) |
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! 2009 |
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| 281 || 1 |
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! 2010 |
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| データなし || データなし |
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! 2011<br/>{{efn|2月に林原が会社更生法申請}} |
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| データなし || データなし |
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! 2012 |
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| データなし || データなし |
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|- |
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! 2013 |
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| 252 || 26 |
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|- |
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! 2014 |
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| 243|| 49 |
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|- |
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! 2015 |
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| 237 || 47 |
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|- |
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! 2016 |
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| 241|| 45 |
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|- |
|||
! 2017 |
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| 238 || 46 |
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|- |
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! 2018 |
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| 244 || 50 |
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|- |
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! 2019 |
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| 254 || 51 |
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|- |
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! 2020 |
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| 250 || 49 |
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|- |
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! 2021 |
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| 236 || 43 |
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|} |
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=== 株主構成 === |
=== 株主構成 === |
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* [[長瀬産業]] 100% |
* [[長瀬産業]] 100% |
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*: 2012年2月3日減増資 |
*: 2012年2月3日減増資 |
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*: 2019年1月22日減資 |
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== 関連事業 == |
== 関連事業 == |
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林原は[[メセナ]]事業の一環として、林原共済会を通して福祉・文化活動を行っている。また[[林原美術館]]、林原自然科学博物館の運営を行っている。 |
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* 社団法人林原共済会(岡山市北区) |
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* 林原自然科学博物館(岡山市北区) |
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* 財団法人[[林原美術館]](岡山市北区) |
* 財団法人[[林原美術館]](岡山市北区) |
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* [[林原類人猿研究センター]](岡山県[[玉野市]]) - 平成25年 |
* [[林原類人猿研究センター]](岡山県[[玉野市]]) - 2013年(平成25年)3月末で閉鎖<ref>{{cite web|和書|url=http://www.gari.jp/news.html|title=林原類人猿研究センター閉鎖のお知らせ|publisher=林原類人猿研究センター|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130302113019/http://www.gari.jp/news.html|archivedate=2013-03-02|accessdate=2024-03-27}}</ref>。研究事業は[[京都大学霊長類研究所]]に引き継がれ、飼育されていたチンパンジー8個体は京大野生動物研究センターの熊本サンクチュアリへ移送された<ref>{{cite news|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNZO48876650X21C12A1LC0000/|title=林原、類人猿研究事業を京大に メセナ事業初の引き継ぎ|newspaper=日本経済新聞電子版|publisher=日本経済新聞社|date=2012-11-27}}</ref>。 |
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*林原共済会の活動として、2003年よりハンディキャップを持つアーティストの支援として、「モナリザを描くⅠ、Ⅱ」、「精神と心の距離」、「ドラえもんを描く」等を日本、アジア、アメリカ、ヨーロッパ等で林原国際芸術祭‘希望の星’アート展を開催していたが、2016年に順正学園に同アート展を譲渡した<ref>{{Cite press release ja|url=https://www.hayashibara.co.jp/data/958/press_tp/ |title=「林原国際芸術祭'希望の星'「モナリザを描く+ドキュメント」展と今後の展開について|date=2015-10-13 |publisher=株式会社林原 |accessdate=2024-03-23}}</ref>。 |
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== かつてのグループ会社 == |
== かつてのグループ会社 == |
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; 2012年の林原グループ合併時点のグループ会社 |
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* 中核事業法人 |
* 中核事業法人 |
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** 株式会社林原生物化学研究所(岡山市北区:食品・医薬品原料の研究開発及び感光色素の研究・合成)- 2012年2月1日付けで林原に吸収合併。 |
** 株式会社林原生物化学研究所(岡山市北区:食品・医薬品原料の研究開発及び感光色素の研究・合成)- 2012年2月1日付けで林原に吸収合併。 |
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** 株式会社林原商事(岡山市北区:各種食品原料の販売) - 2012年2月1日付けで林原に吸収合併。 |
** 株式会社林原商事(岡山市北区:各種食品原料の販売) - 2012年2月1日付けで林原に吸収合併。 |
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**太陽殖産株式会社(岡山市北区:グループの不動産管理) |
** 太陽殖産株式会社(岡山市北区:グループの不動産管理) |
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* 海外事業法人 |
* 海外事業法人 |
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** ハヤシバラ インターナショナル([[アメリカ合衆国]][[コロラド州]][[デンバー]]) |
** ハヤシバラ インターナショナル([[アメリカ合衆国]][[コロラド州]][[デンバー]]) |
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* メセナ事業法人 |
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** 社団法人林原共済会(岡山市北区) |
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** [[林原自然科学博物館]](岡山市北区) |
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; 林原グループ合併以前のグループ会社 |
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* [[カバヤ食品]](岡山市北区) - 1979年まで林原グループだった。 |
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* 株式会社昭和倉庫(岡山市北区) |
* 株式会社昭和倉庫(岡山市北区) |
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* 株式会社H+Bライフサイエンス(岡山市北区) |
* 株式会社H+Bライフサイエンス(岡山市北区) |
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*: 2011年6月21日に[[ハーバー研究所]]の完全子会社となった<ref>{{PDFlink|[ |
*: 2011年6月21日に[[ハーバー研究所]]の完全子会社となった<ref>{{PDFlink|[https://www.nikkei.com/markets/ir/irftp/data/tdnr2/tdnetg3/20110621/6xfuaf/140120110621063479.pdf 株式会社エイチプラスビイ・ライフサイエンスの株式の取得(子会社化)に関するお知らせ]}} 日経会社情報 2011年6月21日</ref>。 |
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* 株式会社京都センチュリーホテル([[京都市]][[下京区]]) |
* 株式会社京都センチュリーホテル([[京都市]][[下京区]]) |
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*: 2011年7月25日に同社株式の99.72%を[[京阪電気鉄道]]が取得し、同社の子会社となった<ref>{{ |
*: 2011年7月25日に同社株式の99.72%を[[京阪電気鉄道]]が取得し、同社の子会社となった<ref>{{Cite press release|和書|title=株式会社京都センチュリーホテルの株式取得(子会社化)に関するお知らせ|url=http://www.keihan.co.jp/corporate/release/orig_pdf/data_h23/2011-07-25.pdf|format=PDF|publisher=京阪電気鉄道|date=2011-07-25|accessdate=2014-02-26}}</ref>。その後、同年10月13日に株式交換により、完全子会社となった。2016年に京都タワー株式会社に合併され、[[京阪ホテルズ&リゾーツ]]株式会社となる。 |
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* 関連会社 |
* 関連会社 |
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** ザ ハヤシバラシティ株式会社(岡山市北区) |
** ザ ハヤシバラシティ株式会社(岡山市北区) |
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** 株式会社アメニティ ルネサンス(岡山市北区) - 林原グループの事業所の清掃・緑化業務、林原モータープールと林原自然科学博物館の管理運営を行っていた。2011年末で事業停止し、事業は売却された。 |
** 株式会社アメニティ ルネサンス(岡山市北区) - 林原グループの事業所の清掃・緑化業務、林原モータープールと林原自然科学博物館の管理運営を行っていた。2011年末で事業停止し、事業は売却された。 |
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* 株式を上場していたグループ会社 |
* 株式を上場していたグループ会社 |
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** [[岡山製紙]]株式会社(岡山市南区)- 加工紙メーカー中堅。林原グループの事業集約化の一環で[[王子製紙]]に売却、同社の関連会社として再出発。 |
** [[岡山製紙]]株式会社(岡山市南区)- 加工紙メーカー中堅。林原グループの事業集約化の一環で[[王子製紙]]に売却、同社の関連会社として再出発。なお同社の売却は会社更生法の適用以前であり、同法とは関係がない。 |
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** [[三星食品]]株式会社(兵庫県相生市)- [[キャンディ|飴菓子]]メーカー。同じく事業集約化の対象企業となったため、上記企業より先に[[キャドバリー|キャドバリー・シュウェップス]] |
** [[春日井製菓相生|三星食品]]株式会社(兵庫県相生市)- [[キャンディ|飴菓子]]メーカー。同じく事業集約化の対象企業となったため、上記企業より先に[[キャドバリー|キャドバリー・シュウェップス]](当時)に売却。なお、これに合わせ販売部門も菓子部門(キャドバリー)の日本法人であるキャドバリー・ジャパン(現・[[日本クラフトフーズ]])に事業移管している。なお同社の売却は会社更生法の適用以前であり、同法とは関係がない。 |
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== テレビ |
== テレビ番組 == |
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* [[日経スペシャル カンブリア宮殿]] 地方発!世界と闘う同族企業 ~オンリーワンのススメ~(2009年7月27日、テレビ東京)- 出演:林原グループ社長 林原健<ref>[https://www.tv-tokyo.co.jp/cambria/backnumber/2009/0727/ 地方発!世界と闘う同族企業 ~オンリーワンのススメ~] - テレビ東京 2009年7月27日</ref>。 |
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=== スポンサー番組 === |
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==== 過去 ==== |
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== 過去のスポンサー番組 == |
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* [[勉強してきましたクイズガリベン!]](テレビ朝日系) |
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* [[勉強してきましたクイズガリベン!]]([[テレビ朝日]]系全国ネット) |
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* [[イチハチ]]([[毎日放送]]制作・[[TBSテレビ|TBS]]系全国ネット) |
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* [[知っとこ!]](毎日放送制作・TBS系) |
* [[知っとこ!]](毎日放送制作・TBS系) |
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* [[チュー'sDAYコミックス 侍チュート!]](毎日放送制作・TBS系) |
* [[チュー'sDAYコミックス 侍チュート!]](毎日放送制作・TBS系) |
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* [[JNN報道特集]](TBS系全国ネット) |
* [[JNN報道特集]](TBS系全国ネット) |
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* [[ |
* [[ナニコレ珍百景]](テレビ朝日系全国ネット) |
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* [[ |
* [[TVチャンピオン]]([[テレビ東京]]系全国ネット) ほか |
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=== トレハ星人 === |
=== トレハ星人 === |
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2004年4月から、提供番組で[[トレハロース]]の知名度を上げるために、「'''トレハ星人'''」なる宇宙人(父の声優は[[岸野幸正]])のようなキャラクターを用いた個性的なCMが流されていた。ナレーションは声優の[[野田圭一]]。父は赤い一つ目に長い横ヒゲ。娘2人は銀髪の長い頭と横ヒゲが特徴である。トレハロースを紹介する自社Webサイトでは、トレハロースを使用した商品を撮影して送れば、トレハ星人(父)の[[ストラップ]]が当選するキャンペーンやトレハクイズ25を展開した。Webサイト内では、地球の男性と娘が結婚に至った経緯を紹介する紙芝居や宇宙人親子の写真集なども掲載されていた。 |
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== 参考文献 == |
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=== 書籍 === |
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* 『春雷のごとく 林原一郎風雲録』(著者:秋吉茂)(1983年10月1日、謙光社)ISBN 978-4905864462 |
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* 『林原生物化学研究所がバイオを制する日』(著者:舘沢貢次)(1988年10月15日、ぱる出版)ISBN 9784893860248 |
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* 『独創を貫く経営 私の履歴書』(著者:林原健)(2003年11月17日、日本経済新聞社)ISBN 978-4532311063 |
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* 『破綻 バイオ企業・林原の真実』(著者:林原靖)(2013年7月26日、ワック)ISBN 978-4898314098 |
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* 『林原家 同族経営への警鐘』(著者:林原健)(2014年5月17日、日経BP社)ISBN 978-4822263997 |
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* 『背信 銀行・弁護士の黒い画策』(著者:林原靖)(2016年1月22日、ワック)ISBN 978-4898314456 |
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* 『日本企業はなぜ世界で通用しなくなったのか』(著者:林原健)(2018年5月9日、ベストセラーズ)ISBN 9784584125786 |
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=== 雑誌 === |
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* 『Zaiten』- ZAITEN REPORT 企業 優良バイオ企業「林原」買収の陰で長瀬産業「創業家内紛」の予感 掲載ページ:p. 32-34(著者:幅 耕平)(2014年2月号、財界展望新社)ASIN B00H9JU0P0 |
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== 脚注 == |
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== 関連項目 == |
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* [[黒い雨 (映画)]] - 資金難で撮影中断していたところ、商業ベースに巻き込まれない映画制作理念に賛同した林原グループが制作を援助した。 |
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* [[長瀬産業]] - 2012年から林原の親会社。 |
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* [[イオンモール岡山]] - 岡山駅近くの旧社有地に建設された商業施設。 |
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* [[中国銀行 (日本)]] - [[大原孫三郎|大原家]]らにより[[岡山県|岡山]]で創業。2012年のTOBまで、林原が筆頭株主。<!--<ref>[http://jp.reuters.com/article/domesticEquities9/idJPnTK049228320110823 中国銀、林原グループ保有の自社株を1株867円でTOB=発行株の11.67%] |
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中国銀、林原グループ保有の自社株を1株867円でTOB=発行株の11.67%]</ref>--> |
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* [[カバヤ食品]] - [[1979年]]までは林原グループだった。 |
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* [[岡山製紙]] - 上場までは林原グループ。[[2009年]]までは林原が筆頭株主だった。現在は[[王子製紙]]の関連会社。 |
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* [[三星食品]] - 上場までは林原グループ。現在は[[クラフトフーヅ]]グループの製造子会社。 |
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* [[トレハロース]] |
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* [[マルトース]] |
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* [[インターフェロン]] |
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* [[黒い雨 (映画)]] - 資金難で撮影中断していた所、商業ベースに巻き込まれない映画制作理念に賛同した林原グループが制作を援助した。 |
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== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* {{Official website|https://group.nagase.com/viita/}} |
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* [http://www.hayashibara.co.jp/index.php 株式会社 林原] |
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* {{Facebook|nagase.viita}} |
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* [http://www.treha.jp/ TREHA Web - トレハウェブ] |
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* [https://treha.jp/ TREHA Web - トレハウェブ] |
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* [http://www.hayashibarafound.jp/index.html 林原共済会] |
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2024年12月22日 (日) 10:38時点における最新版
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒700-0907 岡山県岡山市北区下石井1-1-3 日本生命岡山第二ビル新館 |
設立 | 1932年7月10日(株式会社林原商店) |
法人番号 | 9260001005451 |
事業内容 | 食品原料、医薬品原料、化粧品原料、健康食品原料、機能性色素の開発・製造・販売 |
代表者 | 代表取締役社長 安場 直樹 |
資本金 | 5億円 |
売上高 |
265億3700万円 (2022年03月31日時点)[1] |
営業利益 |
45億0300万円 (2022年03月31日時点)[1] |
経常利益 |
44億7000万円 (2022年03月31日時点)[1] |
純利益 |
29億0500万円 (2022年03月31日時点)[1] |
総資産 |
328億6700万円 (2022年03月31日時点)[1] |
従業員数 | 684名 |
決算期 | 3月期 |
主要株主 | 長瀬産業 100% |
外部リンク | https://group.nagase.com/viita/ |
特記事項:創業は1883年、2011年3月会社更生手続開始、2012年3月26日に会社更生計画終結[2] |
ナガセヴィータ株式会社(英: Nagase Viita Co., Ltd.)は、岡山県岡山市に本社を置く食品原料・医薬品原料・化学原料製品や試薬を研究・製造・販売するバイオメーカーである。文化支援活動として美術館の運営支援を行う。
概要
[編集]1883年、林原克太郎が現在の岡山市北区天瀬に麦芽水飴製造業を営む林原商店(はやしばらしょうてん)として創業する。
1932年、株式会社林原商店へ改組し、林原一郎が3代目社長に就任して研究開発や経営多角化を推進する。水飴製造は酸糖化法を導入し「太陽印水飴」として日本本土や大陸方面へ販路を拡大する。1943年、林原株式会社へ社名変更する。1945年、岡山空襲で工場を焼失するも終戦直後に復興して水飴生産量が日本一になり、不動産事業では岡山駅南(現在のイオンモール岡山の場所)に約2万坪の土地を購入し、1948年、同所へ本社を移転する。以後デンプンから各種糖質開発を事業として特許を多数取得し、莫大な収益でさらに新規研究を行う研究開発型企業へ成長する。
1961年、林原健の社長就任以降、自社で製造法を確立したブドウ糖の生産をはじめ、マルトース、プルランなど各種糖質の量産化に成功し、林原生物化学研究所などグループ会社を次々と設立する。美術館開館、備中漆復興事業、古生物学(恐竜発掘)調査、類人猿研究などメセナ事業も積極展開を始める。1990年代以降、甘味料などに用いられる糖質トレハロース、抗がん剤用途のインターフェロンを生産し世界市場で販売する。ただし林原健の弟で専務取締役を務めた林原靖によると、林原インターフェロン製造のために建設された吉備製薬工場は稼働実績で二割を上回ったことがなく、後の経営破綻の最大の原因の一つとあげている[3]。これは林原の天然型インターフェロン製造法が後発の遺伝子組み換えインターフェロンの競合に効率で劣っていたことと、販売協力関係にあった大塚製薬の社長が新薬開発をめぐる汚職事件に関わり、製薬会社の社長を退任せざるを得なかったことによるという[3]。2011年2月2日、林原、林原生物化学研究所、林原商事のグループ中核3社が会社更生法適用を東京地方裁判所に申請[4]、3月7日に更生手続開始が決定[5] する。
2012年2月1日、林原生物化学研究所、林原商事の2社が株式会社林原に吸収合併され、2月3日に合併後の株式会社林原が100%減資して長瀬産業(大阪市)の完全子会社[6] になる。長瀬産業が約700億円の巨額の出資を行い、加えてJR岡山駅南土地の売却、創業者からの寄付などにより、負債総額約1,400億円に対し弁済原資約1,300億円を確保して弁済率約93%と更生法下では異例の高水準[7] で、更生法適用から約1年2ヶ月後の3月26日、会社更生計画は終結[2] する。中核事業は株式会社林原が継続し、中核事業以外の資産や負債は太陽殖産が引き継いだ。
長瀬産業は子会社となった林原に設備投資を行い、2015年には、藤崎地区に新「岡山第一工場」、今保地区に「岡山機能糖質工場S棟」を新設した[8]。さらにトレハロースの安定供給を目的に「岡山機能糖質工場T棟」の増築工事を行い、従来の製造能力の約3割増に規模を拡大した[9]。2015年11月には水溶性食物繊維「ファイバリクサ」を発売、2016年9月にはナガセケムテックス株式会社との初の共同開発製品となる製パン用酵素「デナベイクEXTRA」を開発した[10]。また、プルランカプセルの海外での市場拡大に向け、ロンザ社(本社:スイス バーゼル)と長期パートナーシップ契約を締結した[11]。しかしながら2018年3月現在、トレハロースの売上げは日本国内が30,000トンなのに対し、海外売上は1,000トンに至っていないといい、上記の製造設備投資に見合う売上をそもそも確保しているのか、また果たして長瀬産業の海外施策が功を奏しているか疑問符が付く[12]。
2015年(平成27年)1月、長瀬産業創業家からの出向であった長瀬玲二が株式会社林原の代表取締役を辞任、同時に長瀬産業でも代表取締役専務を辞任し、代表権の無い副会長となった。なお、同時に長瀬産業の長瀬洋社長は代表取締役社長から会長職に退いた[13]。その後、2023年4月1日付の長瀬産業の人事で、長瀬洋は代表取締役会長から取締役相談役に退き、長瀬玲二は副会長から取締役に、さらに2023年6月25日に非取締役の特別顧問に退いた[14][15]。
2024年(令和6年)4月1日、社名をナガセヴィータ株式会社に変更し、同時に会社の存在意義と社会に与える価値の表明として「パーパス」を策定した[16]。
沿革
[編集]- 1883年(明治16年)- 現在の岡山市北区天瀬に林原克太郎が林原商店を創業する。
- 1932年(昭和7年)- 株式会社林原商店へ改組し、林原一郎が3代目社長に就任する。
- 1935年(昭和10年)- 酸麦2段糖化による水飴製造法を確立し特許申請する。
- 1940年(昭和15年)- 製菓(乳菓)部門に進出する。
- 1943年(昭和18年)- 林原株式会社へ社名変更する。
- 1945年(昭和20年)- 岡山空襲により工場を焼失し、翌年1月に水飴製造を再開する。
- 1946年(昭和21年)- 旧日本電気所有の岡山駅南の土地を購入する。株式会社太陽殖産を設立して不動産事業を開始する。
- 1952年(昭和27年)- 社団法人林原共済会を設立する。
- 1959年(昭和34年)- 酵素糖化法によるブドウ糖製造に成功する。
- 1962年(昭和37年)- 水飴・ブドウ糖販路拡大のために林原商事株式会社を設立する。
- 1964年(昭和39年)- 現在の岡山市北区丸の内岡山城対面所跡に林原美術館を設立する。
- 1968年(昭和43年)- マルトースの新製造法と、マルチトールの開発に成功する。
- 1970年(昭和45年)- 株式会社林原生物化学研究所を設立する。
- 1973年(昭和48年)- 増粘多糖類プルランの製造技術の開発に成功する[17]。
- 1986年(昭和61年)- マルトースの量産化に成功する。
- 1988年(昭和63年)- 厚生省からインターフェロンの承認を受け、大塚製薬・持田製薬から発売開始する。
- 1989年(平成元年)- 柑橘由来のポリフェノール「糖転移ヘスペリジン」の製造に成功する[18]。
- 1990年(平成2年)- 株式会社林原と株式会社林原商事へそれぞれ社名変更する。
- 1993年(平成5年)- 林原自然科学博物館が組織し、モンゴル・ゴビ砂漠で古生物学調査を開始する。
- 1994年(平成6年)- デンプンからトレハロースを大量に生産する技術を開発し翌年に商品化する。
- 1997年(平成9年)- 株式会社H+Bライフサイエンス、株式会社林原基礎合成研究所、株式会社林原美術ミントの3社を設立する。
- 1998年(平成10年)- チンパンジー研究の「類人猿研究センター」を設立する。
- 2002年(平成14年)- JR岡山駅南の自社所有地を再開発する「ザ ハヤシバラシティ」構想を発表し、ザ ハヤシバラシティ株式会社を設立する。
- 2007年(平成19年)- 水溶性食物繊維「イソマルトデキストリン」の製造に成功する[18]。
- 2011年(平成23年)- H+Bライフサイエンスをハーバー研究所(ジャスダック/証券コード4925)に売却する[19]。
- 2月2日 - 東京地方裁判所へ会社更生法適用を申請する。負債総額1322億円で林原創業家が経営から退く。
- 12月26日 - 本社をJR岡山駅南の自社所有地から現在地へ移転する。
- 12月31日 - 林原モータープールを閉鎖する。
- 2012年(平成24年)
- 1月27日 - 更生計画認可決定が確定する。
- 1月30日 - JR岡山駅南の自社所有地をイオンモールへ売却する。
- 2月1日 - 株式会社林原が株式会社林原生物化学研究所と株式会社林原商事の2社を吸収合併する。
- 2月3日 - 長瀬産業の100%子会社になる。
- 3月26日 - 負債総額約1400億円に弁済原資約1300億円を確保して弁済率約93%の高水準で、更生法適用から約1年2ヶ月で更生計画が終結する。
- 2013年(平成25年)
- 2015年(平成27年)
- 1月、長瀬産業創業家からの出向であった長瀬玲二が株式会社林原の代表取締役を辞任、同時に長瀬産業でも代表取締役専務を辞任し代表権の無い副会長となった。なお同時に長瀬産業本体の長瀬洋社長も、長瀬産業代表取締役社長を退き代表取締役会長職に就いた[13]。
- 8月20日 - 新工場「岡山機能糖質工場S棟」と「岡山第一工場」を竣工する。
- 11月25日 - 水溶性食物繊維「ファイバリクサ」を発売する。
- 2016年 - イソマルトデキストリンがFDAよりGRAS認証を取得する。
- 9月27日 - ナガセケムテックス株式会社と共同開発した製パン用酵素『デナベイクEXTRA』を長瀬産業株式会社から発売する。
- 2018年(平成27年)- ロンザ社とプルランカプセルの市場拡大に向け、長期パートナーシップ契約を締結する。
- 2020年(令和2年)6月30日 - 岡山第二工場に新プルラン・酵素棟を増設する[22]。
- 2023年(令和5年)4月1日 - ナガセケムテックス株式会社の生化学品事業を統合した[23]。
- 2024年(令和6年)4月1日 - ナガセヴィータ株式会社に社名変更[16]。
経営
[編集]創業家による経営
[編集]JR岡山駅南の土地2万坪など大規模な自社所有地の含み益と特許利益により資金調達が容易で、長期間の独自研究開発のために未上場で創業者の林原一族が長年同族経営していた。縁故採用に肯定的で、社員公募せず多くを地元岡山の大学生から採用[24] している。メセナ活動にも積極的に投資し、2002年に林原グループ本社や林原自然科学博物館、有料駐車場(林原モータープール)として利用されていたJR岡山駅南の自社所有地を「ザ ハヤシバラシティ」として再開発する構想[25] を発表している。
しかし一方では、豊富な不動産資産を背景に、1970年代からバブル期にかけて1,700億円にものぼる多額の借入を金融機関から行った[26]。借入金は研究投資に用いられ、ハムスター法によるインターフェロンの製造法開発に成功したが、競合品である遺伝子組み換えインターフェロンの登場により、投資額を回収する分だけの利益を挙げるには至らなかった[27][28]。当時はトレハロース、AA-2G等の2000年代の主力製品の開発前であったことに加え、バブル崩壊により岡山駅前に保有する土地の評価額が激減していたことで、林原グループは既にこの時点で事実上の債務超過に陥っていたとみられる[26]。
この頃から、不正経理によって銀行から多額の融資を受ける行為が常態化していた[26]。岡山製紙や三星食品などのグループ会社は上場し次々に売却したが、グループ本体は不正経理の発覚を恐れ上場できず、長年にわたって間接金融に依存する状態が続いていた[29][30]。経営破綻の原因は直接的には、2010年末に金融機関から不正経理を指摘され融資の継続がされなくなったことだが、そもそもの不正経理を行う動機は凄まじい額の研究投資とインターフェロンのビジネスとしての失敗である。[31][32] 経営破綻時に一部報道で言われた「メセナ活動や不動産投資が経営を圧迫した」というのは誤りで、あくまで粉飾の根っこは「金食い虫」である林原生物科学研究所による過大な研究投資、特にインターフェロンの失敗である[31]。メセナ活動や不動産事業は多く見積もっても年間数億円の出費にしか満たず、借入金利息を毎年返済してもトレハロースやAA2Gの売り上げで年間20億円以上の利益を上げていた90年代以降の林原にとっては大きな問題ではなく、不動産を扱う太陽殖産はそもそも更生法申請時にも資産超過状態だった[33][34]。
不正経理の発覚と事業再生ADR準備
[編集]2010年末に住友信託銀行と中国銀行[注釈 1]が秘密裏に行った内部資料の突き合わせから、林原グループは貸借対照表の借入金の差異を指摘された[36]。住友信託銀行および中国銀行は不渡り処分をちらつかせることで、年末までの時点で林原健および靖の個人保証、関係各社相互の債務保証への署名捺印を行わせ、不動産を担保に入れた[37]。メイン2行の他の債権者を差し置いた行動は後に他の債権者の不信感を生み、ADR不合意の主な原因となった[38]。2010年12月時点で林原グループは資産を全て同じ2行の担保に入れ、翌年2月末の融資の継続書き換え時には、担保不足によって資金ショートになる公算となった[37]。この時点でメインバンクの中国銀行から林原に対して裁判外紛争解決手続き (ADR) を進めるよう指示があり、同銀行から林原に対してADRの第一人者である西村あさひ法律事務所の紹介を行った[39]。
当初は林原は会社更生法ではなく、中国銀行および西村あさひ法律事務所に後押しされる形で事業再生ADRの成立を目指した[40]。ADRは不成立となり会社更生法の適用となるが、林原グループ前専務取締役の林原靖によると、債権者全会一致が原則でハードルが高いADRと、ADRが壊れた際の最終手段としての会社更生法の2択しか会社側には示されず、いわばその中間となる民事再生法が提示されなかったという[41]。理由として、ADRは西村あさひ法律事務所の松嶋英機が中心となって日本に紹介した制度であり、林原のADR〜会社更生法で実務の中心となった森倫洋弁護士をはじめとするチームにおいて、林原のケースをADRの成功事例としたい思惑があったと指摘している[42]。
林原のADR不成立の原因として債権者の銀行団のうち、メインの中国銀行およびサブの住友信託銀行の2行と、その他の銀行の利害が激しく対立したことがあげられるという[43]。
2011年1月11日のADR第1回会合では、席上、代表取締役 林原健が謝罪し、弁護士からは経営責任をとって社長の林原健、専務の林原靖、ほか経理担当役員2人が退任する旨の報告があった[44]。P/L上は業績快調でありながら、弁護士団が全役員の退任を勝手に決めたのは、銀行のADR同意を取りつけるための有効な取引材料にするためだったという[44]。
中国銀行と住友信託銀行を除いた銀行団からは、林原への非難や罵声は全くなく、中国銀行と住友信託銀行への憤懣が激しく噴出したという[43]。JR岡山駅南所有地に中国銀行が、林原美術館に住友信託銀行がそれぞれ抵当権を設定していることが明らかになったこと、昨年末からADR申請まで中国銀行と住友信託銀行の2行のみで情報を独占したことに非難が集中した[43]。さらに中国銀行と住友信託銀行の間のスタンスの違いも状況を難しくした[43]。中国銀行がADR成立のためには担保登記の修正について柔軟な姿勢を示したのに対し、住友信託銀行は「ADR成立を前提」としない限り担保登記の修正に応じないとの姿勢を変えず、この住友信託銀行の態度に他のメガバンクからの非難が集中した[43]。他の銀行団のうち、三菱東京UFJ銀行は以前から十分な有価証券担保をとっていたので穏健な態度、逆に三井住友銀行には十分な担保が提供されておらず、苛立ちを強めていた[45]。みずほ銀行は自身の債権額はそれほどでもなかったが、シンジケート・ローンの幹事銀行として中小銀行を束ねるという役割があったという[45]。1回目の会合の最後に、進行役の西村あさひ法律事務所の森倫洋弁護士から銀行団に第2回目の会合の出席の釘を刺し、初会合は終了した[46]。
事業再生ADRの特徴として、関係者の守秘義務を前提とし秘密裏に話し合いがもたれることで一般債権者の不安を煽らないという点があるにもかかわらず、2011年2月2日に第2回目のADR会合の前に新聞各紙に林原のADR申請が報道された[41]。報道内容は債権者各行に配布したADR説明用の資料を基にしていたこと、現実的に合計300部ほどの製本を銀行団に配ったことから、ADRの秘密保持の実効性はお粗末なものであり、中国銀行と住友信託銀行の思惑に不満であったいずれかの銀行関係者が確信犯的にマスコミに流したのが報道の理由であったと推測されたという[41]。
この時点で秘密保持という事業再生ADRの利点は崩れており、2011年2月2日の第2回会議では東京・日本橋の会場まわりに多数の取材陣が駆けつけていた[47]。会議においては住友信託銀行は相変わらず「出口論」を変えるつもりはなく、さらに他の銀行を前にして「自行をかつてのメインバンクとかサブメインというふうに考えずに、他の一般メガバンクと同等に扱ってほしい」 などと発言し、他行から住友信託銀行のこの態度への不信が大きな焦点となった。しかし、住友信託銀行は自行の駆け込み保全処理についての正当性を述べるばかりで、最後まで「出口論」を変えようとはしなかった。当然議論は紛糾し、賛否の大激論が巻き起こった[48]。
会合に参加した林原靖によると、そこに突然、出席者の一人が立ち上がり「皆さん、皆さん、お静かに願います。当行本部からたったいま、わたしの携帯に連絡が入りました。 西村あさひ法律事務所の弁護士が、東京地方裁判所に林原の会社更生法の申請をおこなったとのことです」との声が入り、会場からは一斉に「ウオーッ!」という悲鳴に近い叫び声と、銀行団から罵声と怒声の入り交じった会話で、会場は混乱の極みに陥ったという[49]。なお、この更正法申立は、平成23年(2011年)2月2日に林原の代表取締役に就任したとされる福田恵温からの委任によってなされたとされているが、これは「会社法319条1項に基づき、林原の全株主の同意によって行われた」と記録されている[50]。しかし、林原靖によると林原健、靖は同日東京での債権者集会に朝より出ており、福田による同申立は西村あさひ法律事務所による不実、私文書偽造の疑いが濃厚である旨を指摘している[50]。林原靖は2016年2月現在、著書において西村あさひ法律事務所の「○○弁護士(更正法の申請代理人であった森倫洋弁護士であると思われる)」に対して、説明義務違反に基づく懲戒請求を行っている[50][51]。
西村あさひ法律事務所の次席の柴原多弁護士および郡谷大輔弁護士が発言を引き継ぐも、銀行団はなおも「われわれは納得できない。なぜこんなことになってしまったのか。いずれハッキリさせてもらうからな。いや、そうしてもらわねば困る。席を改め時間をかけてでも徹底的に追及するぞ」と大声で叫びつづけた[52]。しかし、西村あさひ法律事務所が先走り的に行った会社更生法申請の事実は変えられず、二時間以上にわたる銀行団の大議論は、第一回にして「ADR不成立」の結論をもって終結することとなった[52]。
会社更生法の申請
[編集]ADR不成立の実際は金融機関の同意が得られず、ということではなく上述のように西村あさひ法律事務所の駆け込み的行動によるものだった。同年2月2日の債権者集会の場で事業再生ADR(裁判外紛争解決)手続きの断念を表明した。同日、林原・林原生物化学研究所・林原商事の3社は東京地方裁判所に会社更生法に基づく会社更生手続きの開始を申請した[53]。負債額は1,300億円超と見られ、岡山県内の経営破綻としては過去最大規模の事例となった。この責任をとってADR第1回会合での発表の通り、社長の林原健と実弟で専務の林原靖が取締役を辞任し、後任の社長には林原生物化学研究所の常務だった福田恵温が就任、創業以来一貫して林原一族が主導してきた同族経営は幕を閉じた。保全管理人、更生管財人にはADR時の顧問弁護士団を束ねていた松嶋英機弁護士が横滑りし、参加の西村あさひ法律事務所の弁護団もADR時のまま継続して会社に常駐した[54]。西村あさひ法律事務所も、管財人横滑りの批判には気を遣っており、林原の更正法申請の第一報の時点での会話として、弁護士団は東京地裁への申請のタイミングが早すぎたことについて、「次の更生法の段階では、われわれはこの案件から退かなければならなくなるかもしれんな」「いや、大丈夫ではないですか。裁判所は認めてくれますよ」等と雑談を交わしていたという[55]。
西村あさひ法律事務所が自らの管財人就任にこだわった理由について、林原靖はおそらく四大法律事務所にはそれを頂点として、それぞれに親密な「破綻ビジネス」の果実を分け合う周辺業者があり、その意味で林原の破綻はこれらの周辺業者にとってはビッグで、しかも実り多いビジネスチャンスになると予想したからだろう、と著書で述べている[56]。
一例として、林原健および靖の私財処分について、本来公正な資産処分をやろうとするならば専門業者を数社呼び、コンペをやって手数料が少なく売値が一番高い会社に決める、というのが筋であるが、複数の業者を比較検討したという形跡もなく、まず美術品処分の委託先としてはADRの会計担当業者での会計事務所プライスウォーターハウスクーパースが再登場し、破綻処理ビジネスの中で抜け目なく商売の幅を拡げている同社に一種の崇敬の念さえおぼえたという[57]。
一方、不動産処分の委託先としては岡山とは縁が少ない東急リバブルが採用された。同社は後で西村あさひ法律事務所の若い弁護士がふと洩らしてわかったことだが、西村あさひ法律事務所とは「とても親密な会社」とのことだったという[57]。
西村あさひ法律事務所が管財人に就任することにより、ADR時は林原の弁護を受け持っていた同事務所が、一転会社側を糾弾する側に立ったことになった[58]。この手続きについては、林原靖によると、裁判所に提出した更正法の申請書に事前に目を通す機会は西村あさひ法律事務所から経営陣側に与えられず、手続を委任する時間的猶予もなかったという[58]。その際に西村あさひ法律事務所には社長の林原健および専務の林原靖の実印を預けたままであったので、西村あさひ法律事務所と東京地裁との間でどのようなやりとりがあったのかは不明であったという[58]。中核事業法人のうち、不動産運営の太陽殖産は資産が負債を上回っていたため当初は申請を見送ったものの、更生会社3社の再建計画検討の中で、同社についても3社との同時的・一体的な処理を進めるのが適切と判断され、同年5月25日に改めて東京地裁への会社更生法適用申請を行った[59]。
スポンサー企業の選定
[編集]再建スポンサーには韓国のCJグループや日本たばこ産業など70~80社が名乗りを上げた。西村あさひ法律事務所とフィナンシャル・アドバイザーのGCAサヴィアンの音頭によって、スポンサー選定は3回の入札で分けて行われた[60]。スポンサー候補は、第一回の入札で概ね10社程度に絞られ、三菱商事グループにSBI、群栄化学、明治製菓、大塚製薬グループ、伊藤忠グループなどが含まれていた。入札の金額幅はこの時点で400億円超のレベルと推察されたという[61]。通常の進め方であれば第二回の入札は第一回に勝ち残った中から、さらに金額の高い順に絞られるはずであるが、本件では変則的な入札が行われたといい[62]、第一回の入札に勝ち残った会社を核にして連合を組めば、落ちてしまった会社でも勝ち上がることができる[60]。逆に一回目で上位に残った会社でも、合従連衡に手抜かりやミスがあれば二回目で落ちてしまう[60]。こうした進め方のため、一回戦で勝ち残った組の中からも「これは二回戦ではなく一・五回戦だ」という悲鳴も上がっていたという[60]。
2011年五月の連休前に行われた第二回の入札では、一回目のトップ当選と見られていた三菱商事と第2位のSBI、それと明治製菓、大塚製薬グループは他との連合を嫌ったのか、それともこれ以上の金額は出せないと諦めたのか落選した[63]。第3回目の入札前に残っていたのは、群栄化学と、韓国の元サムスン傘下のCJグループ、カーギル、長瀬産業であったとみられ、入札の金額はこの時点で600億円前後と報道されていた[64]。共同通信の事前予測報道では、「韓国の財閥CJグループと日本のJT(日本たばこ産業)が、700億円前後で競い合っている模様」との観測が出ていたが、JTはその後すぐ自社のホームページで「入札の事実はない」と報道内容を否定するコメントを発表した。[65] また、「韓国CJグループは850億円以上出すのでは」との話も伝わっていたという[65]。最終的に入札を経て2011年8月3日に長瀬産業がスポンサーに決定した[66]。決定金額は約700億円であり、実はCJも同額を提示したが、これは皆の「総合判断」で落としたという。長瀬産業が、もう一社の額を上回る金額で落札したものと報道されたが、これは誤報である[67]。林原の前専務、林原靖は著書で長瀬産業にスポンサーが決定した理由として、スポンサー選定の一回戦、二回戦では長瀬産業の名前は出ておらず、債権者である三井住友銀行が同社のメインバンクで、最終的なスポンサー選定はフィナンシャル・アドバイザーであったGCAサヴィアンの公平な判断ではなく、裏に同銀行の強力な意向があったのではないかとしている[68]。なお、GCAサヴィアン株式会社マネージングディレクターの野々宮律子が、2020年より長瀬産業株式会社の社外取締役を務めている[69]。
会社更生計画の終了
[編集]JR岡山駅南の自社所有地は、2011年9月21日に入札が行われ、イオンモールに売却されることが決定した[70]。売買契約の決済とイオンモールへの所有地の引き渡しは、2012年1月27日に東京地方裁判所の更生計画案の認可決定が確定したのを受け、同年1月30日付で行われた[71](イオンモール岡山も参照)。これに先だって、株式会社林原・株式会社林原商事・株式会社林原生物化学研究所の3社は、2011年12月26日に本社を移転し[72]、2011年12月31日には、有料駐車場(林原モータープール)も閉鎖された。
2012年2月1日付で林原商事・林原生物化学研究所の2社は株式会社林原に吸収合併されて消滅し、同年2月3日に林原は100%減資のうえ、長瀬産業の完全子会社となった[73]。同3月26日に会社更生計画は終結した[2]。長瀬産業(大阪市)からの出融資700億円、売却可能の株式などが約300億円、岡山駅前の土地が約200億円強、その他の土地・建物などが約100億円、そして林原健と靖の私財提供分の数十億円を加えると、銀行借入のほぼ全てがこれらによって肩代わりできることになった[74]。結果として総額約1400億円の負債に対し、約1300億円の弁済原資を確保。弁済率は約93%と更生法下では異例の高水準、更生法適用から約1年2ヶ月でのスピード終結となった[7]。
破綻の原因と破綻後の地域への影響
[編集]林原靖は破綻の原因について「林原生物科学研究所である。この研究所が恐るべき“金食い虫”だった」と述べている。[31][32] また、研究投資は「マスコミや世間が〝モデル・ストーリー〟としての基礎研究をいかに称賛したとしても、株式非公開・銀行借り入れ中心の経営下では、あまりにリスクの高い仕事であった」としている[32]。その他の原因として、破綻を直接招いたキーとしてメインの中国銀行と、サブの住友信託銀行の一連の対応をあげている[75]。メインバンクの中国銀行は住友信託銀行の岡山支店長に呼び出された時、あるいは西村あさひ法律事務所を巻き込んだ時から、実現性も少ないADRの掛け違いをし、民事再生の可能性を閉ざし、また債権者のとりまとめに関してもリーダーシップをほとんど発揮できず、結果的に破綻劇の幕を開けてしまったという[32]。なお、西村あさひ法律事務所の森倫洋弁護士から林原靖に郵送されてきた質問への回答書には「はじめに中国銀行からは債務整理を依頼された」と書いてあったという[76]。つまり中国銀行はADRを行わせるために西村あさひ法律事務所とPWCを会社に入れたのではなく、最初から会社更生法の基本シナリオを共有していた西村あさひ法律事務所を「会社の中に引き込むために」ADRを口実として、債権者たる他の銀行をも騙していた疑いが強いという[77]。さらに中国銀行は金融庁の指示に反して、林原の持つ大量の自社株担保の事実を外部に知らせず隠蔽していた疑惑、林原創業家の持つ自社株TOBの前後に奇怪な業績発表を繰り返し、風説の流布により市場操作と価格操作をなした疑惑があげられている[78]。また、住友信託銀行の対応は、ADR会合で他行が口を揃えて糾弾したとおり、場当たり的かつ感情的とも思える強引なものであり、現状のサブ・バンクでありながら土壇場になると他行を尻目に詐害行為におよび、また他行から集中攻撃を受けても〝出口論〟を変えようせず、さらに中国銀行との間で一旦はADRでいくことを了解しながら、実際はそれを反故にするような行動を行い、結果的に私的整理の可能性を自ら閉ざしてしまったという[32]。林原靖は同じく著書で、破綻後の影響として「岡山駅前の広大な土地も県外資本に安く売却されてしまい、海外から岡山をめざした多くの訪問者も消え、技能の伝承と、正社員採用にこだわった独自の創造的な雇用機会も失われた。地域の権益と発進力を守ってきたさまざまな防波堤が、あっという間に壊されてしまったのだ。結局、大山鳴動してネズミ一匹、大騒ぎをした割に得るものは何もなかった」と結んでいる[32]。なお、2015年(平成27年)1月、長瀬産業創業家からの出向であった長瀬玲二が株式会社林原の代表取締役を辞任、同時に長瀬産業でも代表取締役専務を辞任し、代表権の無い副会長となった[79]。同時に長瀬産業本体の長瀬洋社長も、長瀬産業代表取締役社長を退き代表取締役会長職に就いた[79]。その後、2023年4月1日付の長瀬産業の人事で、長瀬洋は代表取締役会長から取締役相談役に退き、長瀬玲二は副会長から取締役に、さらに、2023年6月25日に非取締役の特別顧問に退いた[14][80]。2018年1月に長瀬玲二の後任の林原の代表取締役社長であった森下治は2018年3月31日に退任し、後任に副社長の安場直樹が就くと発表された[81]。長瀬産業の買収後は、長瀬玲二は3年、森下治は2年という短期政権が続いている[79][81][81]。
長瀬玲二は林原関係では林原美術館の代表理事のみ2016年2月現在就任している[79]。
破綻前と破綻後の売上高・営業利益の推移
[編集]長瀬産業は、2012年5月に発表した、2015年3月期を最終年度とする中期経営計画で「完全子会社化したバイオ企業、林原(岡山市)を中核に、14年度の生活関連事業の売上高を11年度比8割増の900億円に引き上げる」としていたが、下表の通り、長瀬産業が林原買収後は、林原の会社更生法前の2009年の売上281億円に届いたことは一度もなく、また2013年3月期から2018年3月期までの売上は減少傾向にある[82] 。2018年から代表取締役に就いた安場直樹は、日経新聞のインタビューで「長瀬産業のバックアップを受け、再生後、赤字は一切ない」と述べているが、そもそも同社は会社更生法適用前からトレハロース等の売り上げで黒字である。なお、同表で会社更生法申請前、2009年の営業利益と1億円と極端に少ないが、会社更生法申請前は2011年1月で借入金が1,228億円強あり、その金利の支払いを考慮に入れる必要がある[83][84]。
また、長瀬洋社長は同中期計画の新聞インタビューで、林原の海外事業について「これまで代理店に任せきりで戦略的ではなかった」と指摘し「長瀬産業の海外拠点活用や営業要員の拡充など、長瀬産業が主体となって展開する方針」「林原の海外売上高は現在30億円程度だが、3年後に60億円を目指す」としていた[82]。しかし、その後2014年に当時の林原社長であり長瀬洋の義兄でもある長瀬玲二の指示の元、同社は、林原靖が自著で「失敗」とし契約変更した戦術であり、また義弟の長瀬洋が批判した方針である「代理店に任せきる」方法でもあるトレハロースの欧米での販売契約の独占的付与をカーギル社に対して行った[82][85][86]。結果、2018年3月現在、トレハロースの売上げは日本国内が30,000トンなのに対し、米国での売上は1,000トンに至っていないといい、果たして長瀬産業の海外施策が功を奏しているか疑問符が付く[12]。
なお、2023年4月1日に林原はナガセケムテックスの生化学品事業を統合したため、2023年度以降の売り上げはその分の割り増しが含まれることになる[87]。
年 | 売上高(億円) | 営業利益(億円) |
---|---|---|
2009 | 281 | 1 |
2010 | データなし | データなし |
2011 [注釈 2] |
データなし | データなし |
2012 | データなし | データなし |
2013 | 252 | 26 |
2014 | 243 | 49 |
2015 | 237 | 47 |
2016 | 241 | 45 |
2017 | 238 | 46 |
2018 | 244 | 50 |
2019 | 254 | 51 |
2020 | 250 | 49 |
2021 | 236 | 43 |
株主構成
[編集]- 長瀬産業 100%
- 2012年2月3日減増資
- 2019年1月22日減資
関連事業
[編集]- 財団法人林原美術館(岡山市北区)
- 林原類人猿研究センター(岡山県玉野市) - 2013年(平成25年)3月末で閉鎖[99]。研究事業は京都大学霊長類研究所に引き継がれ、飼育されていたチンパンジー8個体は京大野生動物研究センターの熊本サンクチュアリへ移送された[100]。
- 林原共済会の活動として、2003年よりハンディキャップを持つアーティストの支援として、「モナリザを描くⅠ、Ⅱ」、「精神と心の距離」、「ドラえもんを描く」等を日本、アジア、アメリカ、ヨーロッパ等で林原国際芸術祭‘希望の星’アート展を開催していたが、2016年に順正学園に同アート展を譲渡した[101]。
かつてのグループ会社
[編集]- 2012年の林原グループ合併時点のグループ会社
- 中核事業法人
- 株式会社林原生物化学研究所(岡山市北区:食品・医薬品原料の研究開発及び感光色素の研究・合成)- 2012年2月1日付けで林原に吸収合併。
- 株式会社林原商事(岡山市北区:各種食品原料の販売) - 2012年2月1日付けで林原に吸収合併。
- 太陽殖産株式会社(岡山市北区:グループの不動産管理)
- 海外事業法人
- メセナ事業法人
- 社団法人林原共済会(岡山市北区)
- 林原自然科学博物館(岡山市北区)
- 林原グループ合併以前のグループ会社
- カバヤ食品(岡山市北区) - 1979年まで林原グループだった。
- 株式会社昭和倉庫(岡山市北区)
- 株式会社H+Bライフサイエンス(岡山市北区)
- 株式会社京都センチュリーホテル(京都市下京区)
- 2011年7月25日に同社株式の99.72%を京阪電気鉄道が取得し、同社の子会社となった[103]。その後、同年10月13日に株式交換により、完全子会社となった。2016年に京都タワー株式会社に合併され、京阪ホテルズ&リゾーツ株式会社となる。
- 関連会社
- ザ ハヤシバラシティ株式会社(岡山市北区)
- 株式会社アメニティ ルネサンス(岡山市北区) - 林原グループの事業所の清掃・緑化業務、林原モータープールと林原自然科学博物館の管理運営を行っていた。2011年末で事業停止し、事業は売却された。
- 株式を上場していたグループ会社
テレビ番組
[編集]- 日経スペシャル カンブリア宮殿 地方発!世界と闘う同族企業 ~オンリーワンのススメ~(2009年7月27日、テレビ東京)- 出演:林原グループ社長 林原健[104]。
過去のスポンサー番組
[編集]- 勉強してきましたクイズガリベン!(テレビ朝日系全国ネット)
- イチハチ(毎日放送制作・TBS系全国ネット)
- 知っとこ!(毎日放送制作・TBS系)
- チュー'sDAYコミックス 侍チュート!(毎日放送制作・TBS系)
- JNN報道特集(TBS系全国ネット)
- ナニコレ珍百景(テレビ朝日系全国ネット)
- TVチャンピオン(テレビ東京系全国ネット) ほか
トレハ星人
[編集]2004年4月から、提供番組でトレハロースの知名度を上げるために、「トレハ星人」なる宇宙人(父の声優は岸野幸正)のようなキャラクターを用いた個性的なCMが流されていた。ナレーションは声優の野田圭一。父は赤い一つ目に長い横ヒゲ。娘2人は銀髪の長い頭と横ヒゲが特徴である。トレハロースを紹介する自社Webサイトでは、トレハロースを使用した商品を撮影して送れば、トレハ星人(父)のストラップが当選するキャンペーンやトレハクイズ25を展開した。Webサイト内では、地球の男性と娘が結婚に至った経緯を紹介する紙芝居や宇宙人親子の写真集なども掲載されていた。
参考文献
[編集]書籍
[編集]- 『春雷のごとく 林原一郎風雲録』(著者:秋吉茂)(1983年10月1日、謙光社)ISBN 978-4905864462
- 『林原生物化学研究所がバイオを制する日』(著者:舘沢貢次)(1988年10月15日、ぱる出版)ISBN 9784893860248
- 『独創を貫く経営 私の履歴書』(著者:林原健)(2003年11月17日、日本経済新聞社)ISBN 978-4532311063
- 『破綻 バイオ企業・林原の真実』(著者:林原靖)(2013年7月26日、ワック)ISBN 978-4898314098
- 『林原家 同族経営への警鐘』(著者:林原健)(2014年5月17日、日経BP社)ISBN 978-4822263997
- 『背信 銀行・弁護士の黒い画策』(著者:林原靖)(2016年1月22日、ワック)ISBN 978-4898314456
- 『日本企業はなぜ世界で通用しなくなったのか』(著者:林原健)(2018年5月9日、ベストセラーズ)ISBN 9784584125786
雑誌
[編集]- 『Zaiten』- ZAITEN REPORT 企業 優良バイオ企業「林原」買収の陰で長瀬産業「創業家内紛」の予感 掲載ページ:p. 32-34(著者:幅 耕平)(2014年2月号、財界展望新社)ASIN B00H9JU0P0
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d e 株式会社林原 第11期決算公告
- ^ a b c 。株式会社林原の更生手続終結に関するお知らせ 2012年3月26日、株式会社林原 適時開示
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- ^ 『会社更生手続開始の申立て及び当社グループの今後の事業の再建について』(プレスリリース)林原グループ、2011年2月2日 。2014年2月26日閲覧。
- ^ 『会社更生手続開始決定のお知らせ』(プレスリリース)林原グループ、2011年3月7日 。
- ^ 「東京地裁が林原の更生計画案認可 再建本格化へ」『47NEWS』共同通信社、2011年12月31日。オリジナルの2014年8月18日時点におけるアーカイブ。
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- ^ 地方発!世界と闘う同族企業 ~オンリーワンのススメ~ - テレビ東京 2009年7月27日
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 公式ウェブサイト
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- TREHA Web - トレハウェブ