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「ノート:藤倉善郎」の版間の差分

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削除された内容 追加された内容
ぽてから (会話 | 投稿記録)
ぽてから (会話 | 投稿記録)
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個人攻撃はお互い、辞めときましょう。ただぽてから氏の米本、内海氏という藤倉氏と少し敵対の方向にある人の言動のみを多く載せている状態は私もwikipediaの中立性を崩していると思いますし、私以外の人もフリージャナリスト等の争いの片方の意見を載せるべきとは思っていません。--[[利用者:Dormir30|Dormir30]]([[利用者‐会話:Dormir30|会話]]) 2013年6月4日 (火) 11:43 (UTC)
個人攻撃はお互い、辞めときましょう。ただぽてから氏の米本、内海氏という藤倉氏と少し敵対の方向にある人の言動のみを多く載せている状態は私もwikipediaの中立性を崩していると思いますし、私以外の人もフリージャナリスト等の争いの片方の意見を載せるべきとは思っていません。--[[利用者:Dormir30|Dormir30]]([[利用者‐会話:Dormir30|会話]]) 2013年6月4日 (火) 11:43 (UTC)
:そうですね。ぽてから氏へ直接呼びかけるのはやめます。無駄な労力に終わり議論の流れがわかりにくくなるので。他の人に対しての書き込みは続けようと思います。--[[特別:投稿記録/2001:3B0:10:1:0:0:0:5|2001:3B0:10:1:0:0:0:5]] 2013年6月5日 (水) 01:57 (UTC)
:そうですね。ぽてから氏へ直接呼びかけるのはやめます。無駄な労力に終わり議論の流れがわかりにくくなるので。他の人に対しての書き込みは続けようと思います。--[[特別:投稿記録/2001:3B0:10:1:0:0:0:5|2001:3B0:10:1:0:0:0:5]] 2013年6月5日 (水) 01:57 (UTC)
::[[:Wikipedia:個人攻撃はしない]]をお読みいただき、個人攻撃は速やかに停止をお願いします。また、上記の質問に対する誠実な回答もお待ちしています。--[[利用者:ぽてから|ぽてから]]([[利用者‐会話:ぽてから|会話]]) 2013年6月5日 (水) 06:17 (UTC)


== Googleニュースで「やや日刊カルト新聞(ブログ)」と表示されている件 ==
== Googleニュースで「やや日刊カルト新聞(ブログ)」と表示されている件 ==

2013年6月5日 (水) 06:17時点における版

このページは一度削除が検討されました。削除についての議論は「Wikipedia:削除依頼/藤倉善郎」をご覧ください。

誤解に基づいて削除されたと思われる記述を復帰しました

ぽてからさんによる、2013年5月7日 (火) 03:51時点における編集によって「本人ブログの宣伝削除」として、典拠が明示されている記述が大幅に削除されました。この「本人ブログ」というのは、「やや日刊カルト新聞」を指すものと思われますが、除去された部分の記述の典拠は、他の公的諸団体のウェブサイトや、ネット上のニュースサイト、新聞記事データベースで確認した新聞記事など多数に及んでおり、「本人ブログの宣伝」とは無関係なものが「やや日刊カルト新聞」を典拠とした記述よりも多いくらいです。少なくともこの要約欄の記述と、除去された内容には齟齬があります。

また、山田は藤倉善郎にフリーライターとして十分な特筆性があると考えておりますし、藤倉が主宰する「やや日刊カルト新聞」を単純に個人ブログと見るのは誤りであると考えています。そもそもこの記事は、別件の記事「一生懸命塾」の編集をめぐってYumenakabaさんと見解の相違が明らかになり、山田が、藤倉に特筆性があり「Wikipedia:検証可能性#自主公表された情報源」に例外として記されている「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合」にあたる、と考える立場から、新規に立項したものです。これを踏まえて、藤倉に特筆性がないと考える立場からYumenakabaさんが「Wikipedia:削除依頼/藤倉善郎」を提起されたという経緯があります。その審議の最中に、一方的にこのような除去をされるというのは望ましい編集姿勢ではないと思います。

また、ぽてからさんは、「Wikipedia:削除依頼/藤倉善郎」へ削除票を投じられた上で、このページの編集をされ、その上で、かつて「Wikipedia:削除依頼/やや日刊カルト新聞」で削除票を投じられた方がた個々の会話ページに、「Wikipedia:削除依頼/藤倉善郎」への参加を呼びかけられていますが、意図的に記事内容を変更した上で、呼びかけをされるというのは、公正な態度といえるのでしょうか。ぽてからさんが編集される前の状態が、削除されるべきものであるとしても、即時削除なり緊急削除の依頼が出せない状態であるなら、現に進んでいる削除依頼の審議に粛々と参加されるのが望ましい姿勢であったと山田は考えます。--山田晴通会話2013年5月7日 (火) 05:38 (UTC)[返信]

削除がされたようですが、ある程度合意が取れた後に削除をお願いします。少なくとも他団体との訴訟内容、抗議事実を消すべきではないと考えます。--Dormir30会話2013年5月11日 (土) 04:27 (UTC)[返信]

藤倉が主宰する「やや日刊カルト新聞」は、フリーライターといえるのは藤倉ただ一人であり、ほかの執筆者はたんなる宗教団体脱会者です。個人ブログの域を超えません。
藤倉が、複数の団体から訴訟提起されてるということに関して、まだ、結論も出ていないわけですし、特にWikipediaに書くべきであるとは思いません。Wikipediaは、裁判所ではありませんし、どの記事でもいちいち裁判記録を書いていません。しかも、ソースが、本人ブログを出典が主であるということには関心しません。藤倉主筆のネット記述以外には、ソースがないのならば、それは特筆性があるとはいえないと考えます。また、彼の発言は、カルト側から問題視されているわけではなく、複数のルポライターや有識者からも問題視されております。また、親鸞会の著作物を無断で貼り付けるなど、著作権侵害を犯したのは明らかであり、ただ、刑事事件として立件するほどではなかったということです。これに関しても、なんらかのニュース記事に基づいた記述にするべきであり、自分を擁護する記述を書いた本人ブログをソースとするべきではありません。藤倉のブログは、本人が書いたものであり、自分を擁護する記述に満ちてます。そのため、ブログを出典としたものは、全て、確かな第三者のソースにすべきだと考えます。そもそも、この藤倉という人物は、ほんの数個、週刊誌にたいしたことのない記事が掲載された程度です。本人がカルト的な人物だと評されているくらいの問題人物であり、カルト事情には詳しくないどころか学術的、社会科学的、常識的に誤ったことを述べてるのはご理解いただけるでしょう。それを、本人インタビューをソースとした出典により、いかにも、世間一般がそう見ているかのようなWikipedia記事に仕立てることは、関心しません。本人が自称している、とすべきでしょう。
少なくても、本人が書いたものをソースにしないことは、とくに、この人物の場合は気をつけるべきでしょう。--ぽてから会話2013年5月11日 (土) 04:57 (UTC)[返信]
以上のコメントは、「Wikipedia:削除依頼/藤倉善郎」に書き込まれたものと同文のようです。そちらについては、「Wikipedia‐ノート:削除依頼/藤倉善郎#ぽてからさんのコメントについて」で応答しております。--山田晴通会話2013年5月11日 (土) 06:18 (UTC)[返信]
また、たとえばカルト問題講演会 | 真宗大谷派 名古屋教区 教化委員会 カルト問題公開学習会 | 同朋大学 浅野学長ブログ に関して、たかが参加者60名程度のセミナーを2度行ったことが、個人ブログに書いてある程度では、特筆性を満たすとは言えません。ニュース性もありません。出典にふさわしくありませんし、記入する必要はないと考えます。--ぽてから会話2013年5月11日 (土) 05:10 (UTC)[返信]
「個人ブログ」と仰っている、2件の出典のうち、前者は真宗大谷派名古屋教区教化委員会、後者は同朋大学が設けているものです。それぞれ、ウィキペディアに記事があるような、特筆性がある組織です。これはなぜ「個人ブログ」なのでしょうか?
一方で、ぽてからさんご自身は、この編集で、「所詮、カルトはカルト」- やや日刊カルト新聞の危険な思想」を典拠とされていますが、ページ冒頭に「統一教会 拉致監禁 人権侵害 宗教の自由 英語記事の日本語訳 HUMAN RIGHTS VIOLATIONS - DEPROGRAMMING - IN JAPAN」と記されたこのサイトはページの一番下に、
Yoshi Fujiwara, Human Rights Violations in Japan
P.O.Box 2045 Caulfield Junction VIC 3161 AUSTRALIA
と明記されているように、個人ブログなのではないでしょうか?この「Yoshi Fujiwara」という人物の特筆性は、明確に示されていないのではありませんか?
一方で、しかるべき特筆性のある団体が、団体としての責任を明確にして公開しているサイトを「個人サイト」であり、出典とすべきではないと主張されながら、ご自身の編集においては「個人ブログ」同然のものを提示されるというのは、誠実に議論をする姿勢として好ましいことなのでしょうか?
少なくとも山田にはそうは思えません。--山田晴通会話2013年5月11日 (土) 06:18 (UTC)[返信]
こちらのコメントを書いている間に、ぽてからさんは新たに、多数のそれこそ「個人ブログ」を典拠とした乱暴な編集をなさっています。その中には、特筆性のある人物のものも含まれていると思いますので、少しずつ精査していきます。しかし、ご自身で「個人ブログ」を典拠とすることをこれだけ主張されながら、個人ブログを根拠に大幅な編集を行なわれるというのは理解に苦しみます。いずれにせよ、積極的に記事の拡充にご協力いただけることは大変結構だと思います。引き続き建設的な方向で編集にご参加ください。--山田晴通会話2013年5月11日 (土) 06:36 (UTC)[返信]

「藤倉が主宰する「やや日刊カルト新聞」は、フリーライターといえるのは藤倉ただ一人であり、ほかの執筆者はたんなる宗教団体脱会者」とおっしゃっていますが、見た限りルポライター村田らむ氏の記事大川きょう子氏の記者会見に行ってみた等もある以上そのような事はありません。--Dormir30会話2013年5月11日 (土) 06:42 (UTC)[返信]

後訴訟についてですが、現在進行形で藤倉氏が訴えられているのは幸福の科学ではなく幸福の科学学園です。12月7日、学校法人幸福の科学学園は、週刊新潮と藤倉氏を名誉毀損で提訴いたしました。また中立性のために、幸福の科学学園の主張もリンクするべきだと私は考えます。--Dormir30会話2013年5月11日 (土) 06:56 (UTC)[返信]

個人ブログをおもな典拠とするぽてからさんの編集を受けての山田の編集について

こちらの編集によって、新たな情報がいろいろ追記されましたが、一定の特筆性がある人物によるものを含め、個人ブログがおもな典拠となっており、そのままでは不適切と思われる箇所も多々ありましたので、以下のような編集を行ないました。

  1. 週刊誌等でカルト宗教の事情に詳しいとされることもあることへの言及の後で、「学者や有識者から認められたわけではない」と記述されていますが、セミナーを紹介する記事に言及している小規模セミナーについて記述している真宗大谷派同朋大学学長は「学者や有識者」にあたらないのでしょうか?この記述には要出典を貼付しました。
  2. 「むしろ、藤倉自身がカルト化しているとか、カルトに関する取材や調査もしないで又聞きのみで書いている等の批判もある。」については、これがそれぞれ2人の有識者によるものであり、広く批判されているわけではないことを踏まえ、「...批判も一部の有識人から提起されている。」と表現を改めました。
  3. 批判の内容を整理し、並べ直し、「批判」節に「有識者からの批判」「刑事事件」「民事事件」「「カルト」とされた側からの反論」の小節を設けました。編集前には、「Wikipedia:スタイルマニュアル (見出し)」に反するリンクの設定がありましたが、それはなくなるようにしました。
  4. もっぱら米本和広の個人ブログに依拠する記述をまとめて、「有識者からの批判」の下に置きました。米本のブログ以外では、特筆性のない個人による個人ブログに米本が書き込んだものについてもこちらで典拠のひとつとしました。
  5. 編集前の「米本和広による批判」の小節には「「藤倉氏は主筆としては失格であり、その心は腐っている」[17]と批判されている。」という記述がありましたが、このコメントは、米本のものではなく、特筆性のない個人による個人ブログの主によるものであり、削除しました。
  6. 編集前の「内海聡による批判」の小節には「不利な材料は、意図的に抹殺するし、不利な材料でカルト新聞が追求されると、「汚物攻撃」 「デマ・妄想攻撃」 と内容のない反撃をしてくる。あるいは「都合の悪いコメントは削除」 か、完全に黙ってしまう」という記述がありましたが、このコメントは、内海のものではなく、特筆性のない個人による個人ブログの主によるものであり、削除しました。
  7. エピソードにあった、米本による、藤倉が秘密会合に出席していたことは明らか、という主張は、米本の主張に過ぎず、「やや日刊カルト新聞」の記事も削除などはされていないので、中立的な書き方にした上で「米本和広による批判」の小節に移しました。
  8. エピソードにあった「自身の取材方法に関し、法的問題に接触している事を認識していることが、自身の記述によって明らかとなっている。」という記述は、典拠とされるリンク先の記事を見てもそのように読める内容がありませんでした。要出典範囲と、出典無効を貼付しました。

以上で、とりあえずおもな編集のポイントを説明いたしました。ご異論があれば、こちらで問題提起をいただければ幸いです。--山田晴通会話2013年5月11日 (土) 09:30 (UTC)[返信]

「学者や有識者から認められたわけではない」は、「専門家から認められたわけではない」としておきました。内海聡はサイエントロジーの専門家でありますが、真宗大谷派同朋大学学長は、藤倉が記事の対象とする分野の専門家ではありません。
「「カルト」とされた側からの反論」を、より適切な表現「「「カルト」とレッテルを貼られた側からの反論」」としました。藤倉の記載は、証拠やデータに基づくものではありません。単なる偏見、思い込み、主観に過ぎません。「カルト」は通常、反社会的な団体を指すことばであり、藤倉も自覚しているとおり、違法行為を行う団体です。「カルトとされる」ことは、反社会的な団体であり違法行為を行う団体であると決めつけられることであり、名誉を毀損する可能性さえ考えられます。そのような事情を鑑み、「レッテルを貼られた」等のニュアンスを用いる必要性を感じます。
オーストラリア在住のYoshi Fujiwaraさんが、特筆性のない個人であるということに同意します。
客観的にみて、藤倉がカルト宗教にさほど詳しくないことは、彼の記事を読めば誰にでも判断できることと考えます。本人が、ごく一部の新興宗教団体を体験したり取材したことがあることを根拠とし、カルト宗教に詳しいなどとウリにしてるだけです。しかし、彼の記事は、なんらデータや証拠に基づくものでもなく、単なる独自の主観を述べただけです。藤倉の記事を精査した米本和広によると、出典の間違い、誤訳(何らかの意図に基づく意訳)、出典元の記載から論理を飛躍させて無理矢理結論づける、という記載の嵐だったわけです。このあたりの事情を、正確に記載することが重要だと思います。また、藤倉は、自身が批判される理由を、「カルトとされた側だから」と宣伝していますが、そうではなく、藤倉自身の取材方法や記載内容に問題がある可能性も高いと考えています(個人的には、藤倉の記載に大きな論理の飛躍が散見され、理由の根拠が皆無であると考えております)。少なくても、藤倉を痛烈に批判する内海聡は、サイエントロジーの専門家であり、カルトには関心のない人物です。また、藤倉は、「自分がカルトだと感じたらカルト」であると決めつけているだけのことですが、一般的に、「反社会的な団体=カルト」とされています。このあたりのギャップを記すことなく、藤倉がカルトに詳しい、などと単なる週刊誌の記載のみを根拠として記載するのは、非常に問題ある記載であると考えます。藤倉を、きちんと取材に基づいて公正な記事を書くジャーナリストと同列に扱うことは、とうてい不可能であると考えます。このあたりのニュアンスを、記事に含めることが重要であると考え、編集に参加いたしました。つたない編集に関し、精査と編集をいただいた山田晴通会話)様には、深く感謝するとともに、厚く御礼申し上げます。--ぽてから会話2013年5月12日 (日) 06:18 (UTC)[返信]

えっと改めて提起します。やや日刊カルト新聞はGoogleニュース掲載メディアなのをご存知でしょうか。Googleニュースに掲載されるメディアは日本国内で600以上とのことで掲載するかどうかはGoogle側の判断です。--2001:3B0:10:1:0:0:0:4 2013年5月13日 (月) 02:09 (UTC)[返信]

http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:削除依頼/やや日刊カルト新聞のケースにおいても、寡少編集のユーザー・IPユーザーが突然沸いて出てきて、やや日刊カルト新聞を熱烈に擁護する等の、不思議な現象が見られました。正直、「またか」という気持ちでいっぱいです。やや日刊カルト新聞は、新聞と同列に扱えるはずもありませんし、明らかな偏向報道が判明しているし、批判も多い中、記事内容を信用出来ません。もし、議論に参加したいのでしたら、ハンドルネームを取得した上、堂々と名乗って議論に参加してください。--ぽてから会話2013年5月14日 (火) 12:27 (UTC)[返信]
はあ?「削除依頼/やや日刊カルト新聞」には一度もIPユーザーや寡少編集のユーザーはいませんよ、寡少編集のユーザーがいても、それは「幸福の科学を擁護する側=やや日刊カルト新聞を批判する側」であり「やや日刊カルト新聞を熱烈に擁護する」ユーザーではありません。いい加減な情報を書かないでください。--2001:3B0:10:1:0:0:0:4 2013年5月19日 (日) 14:19 (UTC)[返信]

少なくとも国際カルト学会(ICSA)でのやや日刊カルト新聞の紹介には、「on-line journal」とあり、またGoogleニュースに掲載されるメディアなのは見たところ 事実です。ハンドルネーム有無のような個人攻撃はここでは控えてください。--Dormir30会話2013年5月14日 (火) 12:37 (UTC)[返信]

私もエピソードにあった「自身の取材方法に関し、法的問題に接触している事を認識していることが、自身の記述によって明らかとなっている。」という記述は、典拠とされるリンク先の記事を見てもそのように読める内容がありませんでした。反論も無いようなので、削除します。--Dormir30会話2013年5月14日 (火) 14:07 (UTC)[返信]

本人から編集依頼です 秘密会合の出席について

はじめまして。藤倉善郎です。記事の対象者本人なので自ら編集することは控えますが、記事中の深刻な事実誤認を指摘します。 〈また、藤倉は、自身の行為について「やや日刊カルト新聞」に全く虚偽の記事を書いたことを隠蔽し、逆に虚偽であると指摘した人物を中傷するなどの事実が明らか、としている[21]。藤倉が全国弁連の秘密会合に出席していたことを米本が指摘したのに対し、藤倉はこれを否定して「やや日刊カルト新聞」に「本紙主筆をデマで中傷」と批判した[22]。しかし、その後、米本は証拠とする写真をブログに掲載し、藤倉が全国弁連の秘密会合に出席していたことは、証拠の写真からも明らかであり、藤倉が完全に嘘をついていと主張した[21][23]。〉 これは米本が、藤倉本人への直当て取材もせず物証も得ずに流したデマにすぎません。米本が証拠だと主張していた写真も、藤倉がその会合に出席したことを直接証明するものではありませんでした。そして、会合出席者からの「藤倉は会合に出席していない」との証言を受け、すでに米本自身が過ちを認め、主張を撤回し謝罪しています( http://yonemoto.blog63.fc2.com/blog-entry-255.html )。 よって、上記記述にあるような事実は存在しません。出典とされている米本ブログでの最終的な事実関係とも異なっています。 記事に含まれる評論上の誤解・曲解については、みなさんの良識とリテラシーによるゆるやかな解消を期待しますが、純然たるデマは、私にとって度を越して迷惑ですし、直接的な権利侵害ですらあります。Wikipediaのルールや理念と照らし合わせても、デマであることが本人の主張以外の情報によって確認できる記述を維持することに、何ら正当性はないだろうと思います。どなたか編集していただければ幸いです。 よろしくお願いします。 --藤倉善郎会話2013年5月14日 (火) 08:15 (UTC)[返信]

| カルト新聞と主筆様を評す(2)-レッテル のコメント欄を見ると確かに米本からの「写真に載っている正ちゃんが直々に登場され、会合に参加したことを明かされたうえで、藤倉さんは会合に参加していないと証言されるのだから、間違いないと思います。 」とあります。なので削除します。--Dormir30会話2013年5月14日 (火) 10:14 (UTC)[返信]

Dormir30さん、ありがとうございます。編集・議論で客観的記述を追求する皆さんの姿勢に敬意を評しつつ、後はひとまず静観させていただきます。 --藤倉善郎会話2013年5月14日 (火) 12:52 (UTC)[返信]

秘密会合に出席したのが、エイトこと●●さん(カルト新聞の記者)であり、藤倉善郎は、その直後に接触していただけということは理解しました。--ぽてから会話2013年5月17日 (金) 14:24 (UTC)[返信]
緊急版指定削除の準備のため、ぽてからさんのコメントの一部を編集し、個人名を「●●」に置き換えました。審議終了後、存続となった場合は記述を復帰します。--山田晴通会話2013年5月20日 (月) 03:46 (UTC)[返信]
「エイトこと●●さん(カルト新聞の記者)」と記述されています。あるいは山田が重大な見落としをしているのかもしれませんが、この人物の本名についての記述は、米本の個人ブログ、および、豪州の方の個人ブログに米本が書き込んだ記述にはありますし、「やや日刊カルト新聞」のサイトへ書き込まれた匿名のコメントなどには記述がありますが、「エイト」氏のTwitterにも、「やや日刊カルト新聞」の記事などにも、本名についての記述はないようです。まず、「Wikipedia:存命人物の伝記#当人はプライバシー尊重を望んでいると推定する」、「Wikipedia:削除の方針#ケース B-2:プライバシー問題に関して」をご覧下さい。もし、米本の記述以外の信頼できる第三者言及をお示しいただけないのであれば、たとえノートであっても、プライバシー侵害のおそれを理由に記述の除去と版指定削除が必要になると考えます。早急に、しかるべき典拠の提示をなさるか、ご自身での記述の除去と緊急版指定削除の依頼を行なうか、いずれの対応をおとりください。合理的な範囲を超えていずれの対応もとられない場合は、こちらから記述の除去と緊急版指定削除依頼の提起を行う場合があります。このコメントは、他の方が記述の除去と緊急版指定削除を提起されることを妨げるものではありません。--山田晴通会話2013年5月19日 (日) 05:43 (UTC)[返信]

失礼。秘密会合に出席したのは、やや日刊カルト新聞副主筆を名乗る鈴木エイトさんだったようです。ただし、「やや日刊カルト新聞」のコメント欄に、多数の間違いやすい記述があり、勘違いしても仕方の無いこととご理解いただけると思います。個人的には、今回は、プライバシー侵害のおそれはないケースだと考えます。なぜならば、「やや日刊カルト新聞」のコメント欄に、氏名と思われる記述が多数書き込まれていますが、一切の除去がされていないためです。自分らのブログで氏名と間違われやすい情報をさらしているわけですから、保護する情報とは思えません。記述の除去と緊急版指定削除の依頼をするつもりはありませんが、必要と思われるのでしたら提起されるのは結構だと思います。--ぽてから会話) 2013年5月19日 (日) 15:42 (UTC)ー誤記の訂正--ぽてから会話2013年5月20日 (月) 04:30 (UTC)[返信]

まず、ぽてからさんの仰る「「やや日刊カルト新聞」のコメント欄に、氏名と思われる記述が多数書き込まれていますが、一切の除去がされていないためです。自分らのブログで氏名と間違われやすい情報をさらしているわけですから、保護する情報とは思えません。」という見解には同意できません。われわれだけの判断ではなく、コミュニティのご意見を伺うべきと考えますので、この後、緊急版指定削除依頼の提起を行います。--山田晴通会話2013年5月20日 (月) 03:44 (UTC)[返信]

「やや日刊カルト新聞」の鈴木エイト記者の本名は、やや日刊カルト新聞社としてもエイト記者個人としても公表しておりません。ぽてからさんは「「やや日刊カルト新聞」のコメント欄に、氏名と思われる記述が多数書き込まれていますが、一切の除去がされていない」と書いていますが、これはデマです。記者が公表していないプライベート情報やそれを類推できる情報については、発見次第削除しています。掲載から時間が経った膨大な記事の全てのコメント欄をチェックすることは不可能であるため、削除漏れはあるかもしれませんが。米本も含め、記者が公表していないプライベートな情報を掲載するのは、ほとんど嫌がらせ以外の意味を持たないものです。カルト団体関係者や批判を受けた人物などからの嫌がらせは当初から予想されていたため、「やや日刊カルト新聞」では創刊当初より、記者に関する情報は本人が公開もしくは公開に同意しない限り全て非公開とし、その旨を、やはり創刊当初から掲載している「やや日刊カルト新聞について」に記載しています。ぽてからさんには、編集においてもノートの記述においても、最低限の事実関係を確認する努力と、不当かつ不要な権利侵害を避ける努力を求めます。--藤倉善郎会話2013年5月24日 (金) 12:12 (UTC)[返信]

藤倉善郎さん、鈴木エイト記者の本名に関して、「やや日刊カルト新聞」ブログの「2011/04/17記事–人権侵害・犯罪である拉致監禁強制改宗問題に加害的な関与をしている というエイトことTの愛用しているデオドラントは、やはりエイトフォーなのでしょうか?」「2012/05/17記事-その会見でTが鈴木◎◎という偽名で出てるのはどうなんだって話だよなw」「2012/05/26記事 – Tさんが偽名で会見した理由と目的は?」「2011/08/16記事 – Tっていう記者は不作為犯に当たるのかな。 」「2012/03/14記事-Tって本人に関する事柄について、他人のくせに「排除」できる立場なんだ。」というコメントがあります。除去がされていないようですので、ご確認ください。他人の批判をするのは、最低限の事実関係を確認してからにしてください。--ぽてから会話2013年5月26日 (日) 05:48 (UTC)[返信]
横から申し訳ありません。ぽてからさん、藤倉善郎さんは、「利用者の投稿記録」からも明らかなように、ウィキペディアの利用者としては初心者です。たとえ少々の非があったとしても「Wikipedia:善意にとる」、「Wikipedia:新規参加者を苛めないでください」などに照らして、もう少し丁寧な対応をしてください。藤倉さんが、「記者が公表していないプライベート情報やそれを類推できる情報については、発見次第削除しています」と述べた上で「掲載から時間が経った膨大な記事の全てのコメント欄をチェックすることは不可能であるため、削除漏れはあるかもしれません」と仰っているのですから、そのチェック漏れがあることを藤倉さんにお知らせになる方が建設的というものではありませんか?ご一考ください。--山田晴通会話2013年5月26日 (日) 14:48 (UTC)[返信]

ぽてからさん、ありがとうございます。ご指摘のコメンを削除しました。繰り返しますが、鈴木エイト記者の本名は、やや日刊カルト新聞社としてもエイト記者個人としても公表しておりません。--藤倉善郎会話2013年5月27日 (月) 02:25 (UTC)[返信]

本人ブログを出典としない

藤倉が書いたものを出典として編集するのは、極力避けるべきであると考えます。藤倉の記述は、少なくても、米本和広内海聡らによって、事実確認があやしいと指摘されています。(ちなみに、米本和広と内海聡が先に藤倉を批判したのか、その逆かわからないのに、藤倉に批判されたから逆に批判された等の、印象操作もやめましょう。藤倉よりも米本和広や内海聡のほうが、出版数もメディア登場数も格段に上です。)藤倉の記述をもとに、コミケへの出店やブログ記事の配布をした等の記載は、特筆性があるとも思われません。http://ja-two.iwiki.icu/wiki/Wikipedia:削除依頼/やや日刊カルト新聞のケースにおいても、寡少編集のユーザー・IPユーザーが突然沸いて出てきて、やや日刊カルト新聞の宣伝を増やす等の、不思議な現象が見られました。宣伝を記載しないように注目する必要があるでしょう。--ぽてから会話2013年5月14日 (火) 12:22 (UTC)[返信]

本人ブログ記事以外で、トークイベント・学会発表・している記事です。人数については一つ以外不明であるので削除しておきます。思ったよりあります。 http://www.loft-prj.co.jp/lofta/schedule/per.cgi?form=&year=2012&mon=10&day=16http://www.loft-prj.co.jp/lofta/schedule/per.cgi?form=&year=2012&mon=1&day=4http://icsahome.com/infoserv_respond/event_conferences_workshops_spks.asp?ID=711http://derainochi.jugem.jp/?eid=160、http://www.youtube.com/watch?v=-P0xirgxVp8 正直一つ一つあげていくのも藤倉氏の宣伝ですしカルトに関するテーマで時折講演を行うに変更しておきました。--Dormir30会話2013年5月14日 (火) 14:02 (UTC)[返信]

ここで提起された「本人ブログを出典としない」という論点については、「#ブログやTwitterを出典とすること」「#5月14日のぽてからさんの編集についての疑問点」の 5)、「#藤倉善郎が有名ジャーナリスト(記者)といえるのか 」、「#ブログ「やや日刊カルト新聞」の印刷物と創価」へと議論の場が移っています。その過程で、「#藤倉善郎が有名ジャーナリスト(記者)といえるのか」において「藤倉自身の記述について、藤倉作成のサイトを情報源として使用することについては、問題ない」という認識で合意が形成されています。議論を追われる方はご注意ください。--山田晴通会話2013年5月21日 (火) 02:24 (UTC)[返信]

米本和広、内海聡の中立性について

米本和広内海聡は、少なくともやや日刊カルト新聞において非難しています [| 米本和広氏への非難関連記事] [| 内海聡氏に関連する批判記事] したがってWikipediaの中立性のために両方載せるか、実際にやや日刊カルト新聞の記事は長いので争いのある主題についての長い記事 のルールにしたがって、手短に一文書き関連するリンクを張るべきではないでしょうか??--Dormir30会話2013年5月14日 (火) 14:02 (UTC)[返信]

Dormir30さんの提案から、既に1週間以上の時間が経過しており、本件についたは合意形成がなされているものと見なせます。ただし、内海については、自由報道協会の記者会見をめぐる経緯から見て、そもそも中立の有識者ではなく、「やや日刊カルト新聞」側から批判された立場と思われますので、既に記述の位置を移しました。したがって、ここでの合意対象にはあたらないと考えます。この後、Dormir30さんが指摘されている、藤倉側から米本への批判の記述へ、リンクを設けます。
なお、見出しからリンクを設けることは「見出しの中でリンクはしない」に反しますので、見出し中のリンクを除去しました。--山田晴通会話2013年5月26日 (日) 00:24 (UTC)[返信]

ブログやTwitterを出典とすること

この人物に関しては、正直、著名な人物によるブログやTwitterを除くと、本人が書いた記事が週刊誌でいくつか散見される程度しか露出がありません。正直、この人物と同程度のフリーライターならいくらでもいますが、この人物が特筆性があるのは、彼の記述が問題視されてるが故だとさえいえるでしょう。そのため、この人物に対する批判が、ブログやTwitterのみという理由でコメントアウトする必要はないと思います。--ぽてから会話2013年5月14日 (火) 13:52 (UTC)[返信]

フリージャーナリストと呼ばれる方々がお互い批判し合っているものをいちいちウィキペディアに書いていたらきりがありません。ブログやツィッターは書き放題なのですから。--miya会話2013年5月14日 (火) 13:59 (UTC)[返信]
miya氏の提案に賛成します。 --Dormir30会話2013年5月14日 (火) 14:01 (UTC)[返信]
上のセクションにあるように、藤倉氏の記事に米本和広氏・内海聡氏からの批判を加筆するなら、米本和広氏・内海聡氏の記事にも藤倉氏(または彼のメディア)からの批判を加筆しないと中立的とは言えなくなりますよね。でもそういう批判合戦のような言葉の応酬をいちいちウィキペディアに書いていては、本当にキリがありません。第三者の意見を求める為、コメント依頼に出しました。--miya会話2013年5月14日 (火) 14:16 (UTC)[返信]
藤倉のブログが、おそよジャーナリストとはほど遠い、出典の間違い、意図的な意訳、出典から論理を飛躍させた結論づけをしているということは、重要な事実であり、それを指摘してるのが米本和広氏です。また、藤倉がデータに基づかない記述をしてる(理由づけのない、主観的な記載にほかならない)としてるのが、内海聡氏です。この二点は、事実を指しており、しかも、ジャーナリストの資質を表す重要内容だと考えます。藤倉自身がジャーナリストとしての資質に問題があるという点は、多くの一般ユーザーが感じており、それを並記しなければ、藤倉のWikipediaを削除したほうがいいくらいです。藤倉自身に特筆性はありません。藤倉が主観的記載により、複数団体より訴訟提起や削除請求、謝罪請求を受けているということに特筆性があると考えます。ですから、藤倉のジャーナリストの資質に言及した本質的な批判は並記するべきです。逆に、藤倉は、米本氏や内海氏のジャーナリストや医者としての資質を否定するような批判は出来ていません。ですから、藤倉の批判を、両者のWikipediaの記述に掲載する必要はないと考えます。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 04:36 (UTC)[返信]
この点について関連することがらは、下記の「5月14日のぽてからさんの編集についての疑問点」5) でも言及しています。そちらで、方針である「Wikipedia:検証可能性」へのご認識もうかがっておりますので、ぽてからさんにおかれまして、そちらへご回答いただければ幸いです。--山田晴通会話2013年5月15日 (水) 17:33 (UTC)[返信]

5月14日のぽてからさんの編集についての疑問点

5月14日、ぽてからさんの新たな編集が行なわれました。山田は以下の諸点について疑問を感じます。編集合戦になるのは本意ではありませんので、以下で疑問点を列挙し、ぽてからさんのご意見を伺いたいと考えます。 1)「カルト問題についてセミナー、講演等を行っている」→「カルト問題について講演(出席者60名程度)等も、二度ほど行っている」

典拠のある記述ですが、「二度ほど」とする根拠は典拠にはないように思います。典拠で示されたもの以外にどれくらいの実績があるかは示されていませんし、逆に、典拠が示されたもの以外は皆無であると判断する根拠もありません。典拠がないのであれば、回数への言及は避けるべきではないでしょうか。
同意します。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 03:38 (UTC)[返信]

2) 典拠がある記述として藤倉を「カルト宗教の事情に詳しい」と見る見方がある事を示した文と、一部の専門家や有識者が藤倉を批判している事を述べた文が並べられたところで、前者の末尾に「...とされたこともあるが、事実関係の調査のないレッテル貼りであるという批判もある。」と加筆

加筆の根拠はここでは示されていませんが、後述の米本の見解が根拠かと思われます。そうであれば、一部の専門家や有識者が藤倉を批判している事を述べた文にそうした批判があることを記すべきです。「カルト宗教の事情に詳しい」という典拠として示してある週刊誌程度に匹敵する一般性のある第三者言及を典拠として提示して、詳しいとは言えないと記述するのであれば別でしょうが、米本しか典拠がないなら、後者の文に加筆部分を移すべきでしょう。

3) 節見出し「ブログ「やや日刊カルト新聞」」の除去

藤倉の活動において重要な位置を占めている主題であり、独立して言及する必要がある項目であると考えます。除去は性急に過ぎるのではないでしょうか。

4) 「やや日刊カルト新聞」について、「ブログ開設当初は、藤倉善郎ほか氏名不詳の8名による運営であったが、最近では、中島らもの寄稿もあった。」と加筆

記述に典拠は示されていません。また、「最近では」と時期をぼかした上で、故人の名を挙げるというというのは、理解に苦しみます。

5) 「やや日刊カルト新聞」の印刷物についての記述の除去

この部分は、特に重大な論点であると考えます。
この部分の記述は、「新聞」を名乗っているが新聞ではなくブログだと強調する米本の記述を補い、例外的に印刷物が流通しているケースがある事を示すものであり、米本の記述によって「やや日刊カルト新聞」の印刷物は存在しない、という誤解が生じないために、不可欠な記述です。
また、「Wikipedia:検証可能性」の「通常は信頼できないとされる情報源>自主公表された情報源」には、保留つきながら「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合」と記されていますし、同じく「通常は信頼できないとされる情報源>自主公表された情報源:公式サイト」には「自主公表物やその他の信頼性に乏しい情報源でも、それらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます。」と記されています。念のためにそれに続く記述をそのまま引けば、「例えばウィキペディアに、或る政治団体の記事があったとします。この記事について、その政治団体が開設しているウェブサイトは、その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、また第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り、ウィキペディアのその政治団体についての記事において、その政治団体自身に関する情報源として使用できます。」とあります。したがって、藤倉が主筆・代表である「やや日刊カルト新聞」の記事は、「第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り」、「やや日刊カルト新聞」に関する情報源として使用できます。
ぽてからさんは、この部分の除去に際して「宣伝の削除。一度新聞をコミケに出すとか配布した程度の情報は不要。出典が本人サイトのみで特筆性なし。」と記されていますが、こうした「Wikipedia:検証可能性」の記述は理解された上でこの編集をされたのでしょうか?
出典が本人サイトのみであり、宣伝となる可能性が極めて高い記述であるということは、一定のご理解が得られると思います。ブログを出版物や印刷物にすることは極めて簡単なことであり、印刷物の配布を一度したくらいのことで、「新聞ではなくブログ」の記載がゆるぐともおもいません。印刷物を流通している(販売店で販売されるなど)というケースではなく、たんに、自分らで印刷し、コミケで配布したり、大学で配布しただけというのは容易に想像できることです。販売店で販売されたのなら、「印刷物で流通したケース」と言えるでしょうが、たんに自分らで印刷したものを自分らで配布したからといって、「新聞ではなくブログ」の例外になるとは思えません。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 03:38 (UTC)[返信]
山田からの応答は、節の下にあります。--山田晴通会話2013年5月15日 (水) 13:14 (UTC)[返信]

6) 節見出し「「カルト」とされた側からの反論」→「「カルト」とレッテルを貼られた側からの反論」

「レッテルを貼る」「レッテル貼り」といった言い回しは、それが不当である事を含意します。藤倉が「カルト」であると主張する団体は、自らが「カルト」であると認めていないことが普通です。藤倉が「カルト」であると主張することを「レッテル貼り」と表現するのはそうした団体の視点からは当然でしょうが、藤倉側から見れば不当という事になります。中立的な表現(「「カルト」とされた」)を選ぶべきであると考えますが、いかがでしょうか。
「カルト」とされた、は中立的とは思いません。「カルト」とされたということは、反社会的団体であり違法行為を行う団体である、と決めつけられるようなものです。証拠もないのに、そのように決めつけられることは、カルトとレッテルを貼られた側の権利侵害をともなう可能性が極めて高く、現に、権利侵害であると訴訟提起もされています。「決めつけられた」「レッテルを貼られた」「根拠なく言われた」というニュアンスなしで、「カルトとされた」をWikipediaに記載することは不適切であると考えます。カルトとされたということは、イコール、犯罪者だとされた、という意味にもなることを念頭に置いていただければと思います。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 03:38 (UTC)[返信]
山田からの応答は、節の下にあります。--山田晴通会話2013年5月15日 (水) 13:14 (UTC)[返信]

7) 清水与志雄のTwitterの記述の追記

清水与志雄の特筆性は示されていません。また、文脈がわからなければ何を言っているのか分からない記述になっています。「Wikipedia:検証可能性」に照らして丸ごと除去されるべき記述であると考えます。
除去に同意します。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 03:38 (UTC)[返信]

8) 全体を通して気になることを最後に追加しておきます。

ぽてからさんは、藤倉のフリーライターとしての実績を評価されない一方で、藤倉について批判的記述を自身のブログで展開している米本を「有識者」として評価されているようです。確かに、米本は、ウィキペディアに記事があるくらいですから、ベテランのルポライター(今となっては少し古くさい言い方ですが)です。例えば、米本の文章をCiNiiで検索すると34件ヒットします。これに対し、藤倉の文章は2010年以降に5件があるのみです。しかしこれは、米本が1985年からキャリアがある事の反映であり、藤倉が活動してきた2010年以降に限れば、米本には婦人公論の4回連載しかヒットがありません。もちろんルポライターの本領は署名記事以外にあるという見方もできましょうし、これはひとつの尺度での比較に過ぎません。記事にもあるように、米本は、自身のブログで、藤倉について「「カルト新聞の主筆」の肩書を営業の武器に、雑誌社からの注文を待つ作戦を展開する人物」と評しているようですが、それは、米本自身にも当てはまることでしょう。フリーランスのライターが、取材者としての職業と関連するブログを作成する意図がそれ以外に考えられるでしょうか?
ぽてからさんが、山田にはバランスを失していると思えるほど、藤倉を貶め、米本に肩入れしようとされているのは、何か理由があるのでしょうか?

以上、山田からのとりあえずの疑問です(ほかにも細かい点がありますが、とりあえず後回しにします)。お答えいただきやすいものから順番にで結構ですので、ご見解をうかがえれば幸いです。こちらの立場から見て不適切と思われる所にも、まだ編集はしていません。とりあえず応答をお待ちしたいと考えます。ただし、5) と 7) については、明らかに方針の誤解、ないし、無理解に基づくものであり、速やかな応答をいただけない場合には、他の論点に先んじて除去された記述を復帰させる事があり得ることを予め申し上げておきます。--山田晴通会話2013年5月14日 (火) 16:00 (UTC)[返信]

最も重要なことは、「カルト」であると断定することが、名誉を毀損する可能性があるという観点を忘れないでほしいと思います。「カルト」とは反社会的団体や違法団体を表すという解釈が一般的である以上、「カルト」とされる、などと書くべきではありません。何らかの研究やデータに基づくものであるのならばまだわかりますが、藤倉は主観的に断定してる可能性が極めて高いということもご理解いただけると思います。藤倉が、複数団体から、訴訟提起されたり削除や謝罪の請求をされてることからも、複数団体との合意なく一方的な決めつけ、レッテル貼りなのです。藤倉が、勝手に、「カルト」と決めつけたり、「恐怖の学園」と決めつけるのは言論の自由がある以上、仕方の無いことです。しかし、Wikipediaが藤倉の勝手な決めつけをそのまま掲載することは、権利侵害となる可能性が極めて高いと考えます。藤倉に勝手に「カルト」と決めつけられた側のほうが、むしろ、多くの所属員やその家族がいるわけです。その人々の人権も尊重するべきでしょう。たとえば、藤倉ではなく、日本国とか裁判所が「カルト」と認定するとか、公の機関によるものならまだ合点がいきますが、日本ではそのような制度はありません。たんなるフリーライターが一方的に思っただけ、決めつけただけの記載であるのだから、決めつけられた側の権利を侵害しない配慮は必要だと考えます。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 03:38 (UTC)[返信]
応答いただき、ありがとうございます。現時点で、当方のコメントの1) 7) には同意をいただき、2) 3) 4) 8) にはまだ応答がなく、5) 6) には反論をいただいている、ということでよろしいかと思います。1) 7) については既にDormir30さんが編集対応されていますので、解決したものとします。2) 3) 4) 8) へのご回答を引き続きお待ちします。5) 6) については、最初の山田のコメントの途中に割り込みでそれぞれコメントをいただいておりますので、そのままそちらで続けてもよいのですが、見通しが損なわれる虞れがありますので、この下に山田からの応答を記します。コメント末尾にある記述は6) と関係するものと見えますので、6) と併せて下で応答します。重ねてのそちらからの応答も、節の最後の方へ、論点の番号を明記してご記入いただければ分かりやすいかと存じます。引き続きよろしくお願いいたします。
  • 5) について:大変恐縮ですが、山田の質問を取り違えていらっしゃるように思われます。まず、誤解しないでいただきたいのですが、山田は「新聞ではなくブログ」を否定しているわけではまったくありません。ブログではない、とも、新聞である、とも記述はしていません。「新聞ではなくブログ」であることを強調する米本のブログに基づくこの記事の記述について、たまたま印刷物の存在を知っているこの記事の読者が、<印刷物として流通するものもあるのだから「新聞」だ>と理解するような誤解をする可能性があることを懸念して、一連の記述をしています。
また、5) の質問の主眼は、<「Wikipedia:検証可能性」の記述は理解された上でこの編集をされたのでしょうか?>というところにあります。Wikipedia:検証可能性への言及がないのでは応答されたことになりません。山田は、この方針について、自分の解釈を既に述べています。もし、ぽてからさんがこれに同意されないということであれば、ぽてからさんがこの方針をどのように理解しているのかをご説明ください。そうしたいただけないと、山田としてはこの方針についての自分の解釈の誤りがどこにあるのか分からないままになってしまいます。ぽてからさんがこの方針を理解されないままに編集されたのであれば、それは単なる不適切な編集ですので差し戻せば済むことです。しかし、この方針を理解された上で、山田が提示した解釈が誤っているとお考えになり、編集されたのであれば、山田かぽてからさんのいずれか(あるいは、両方)が解釈を誤っていることになります。万が一にも、山田が方針への大きな誤解をしているとすれば、コミュニティから管理者権限を預かっている立場としては、非常に不適切なこととなります。そのような状態が長期化することは望ましくありません。この方針の解釈についての論点は非常に重要です。速やかにご回答いただければ幸いです。
  • 6) について:山田としては、<カルトとされた側からの反論>とせずに<「カルト」とされた側からの反論>としている段階で、ご懸念のような問題はないと考えています。しかし、それはあくまでも山田個人の語感でしょうから、ご異論があり得ることは理解します。しかし、ぽてからさんご自身が指摘されているように、何らかの団体が公的に「カルト」認定をしていない以上、もし、<公的カルト認定がされていない団体はカルトではない>という立場をとるなら、そもそもカルト団体は存在していないことになってしまいます。この世の中にある団体の中で、一定数の人々が「カルト」であると考え、他の一定数の人々が「カルト」ではないと考える団体が<「カルト」とされる団体>です。また、何らかの団体なり個人について「カルト」であると考えることは、そうではないと考える他の一定数の人々がいるかぎり、すべからく「レッテルを貼る」行為ということになります。藤倉が「レッテル貼り」をしていると記述するのであれば、米本も同様に「レッテル貼り」をしていると記述しなければ中立的ではありません。
また、記事中にも採用されている内海のブログにおける記述が、藤倉たちについて「すべての新興宗教やカルトと勝手に呼ばれている団体を踏襲してカルトと呼んでおり」と記述しているように、藤倉なり「やや日刊カルト新聞」が「カルト」としている団体は、彼ら以外に既にそれらの団体を「カルト」と勝手に呼んでいる人々がいるものです(もし、藤倉なり「やや日刊カルト新聞」が、世間の誰も「カルト」扱いしていない団体を真っ先に「カルト」だとしている例と思われるものがありましたら、具体的にご指摘ください。)。仮に、藤倉が個人として、あるいは、ブログ代表者として、中立的な立場から見ても不当な形で、特定の団体について「カルト」であると主張している、すなわち「レッテルを貼っている」と表現するのが適切な状況があったとしても(山田個人は現状がそのようなものであるとは考えていませんが)、藤倉は「レッテル貼り」をしているのではなく、既に存在する「レッテル貼り」に追従しているだけです。
さて、藤倉が「カルト」として取り上げている団体は、いずれも、何らかの形で被害を受けていると主張する人々が存在し、社会的に何らかの反対運動なり被害者救済運動などが生じている組織であると山田は理解しています。これに誤りがあるということでしたら、個別の事案について具体的にご説明ください。もちろん、反対運動などの側が不当な主張を掲げていると理解すべき事案もあるかもしれません。しかし、中立的な記述を心がけるならば、意見の対立が明らかな状況で、一方に肩入れする記述は避けるべきです。ぽてからさんが危惧されている名誉毀損のリスクを避けるという観点に立てば、そのリスクは、対立している双方の側から生じるということをお考えいただきたいと思います。
以上を踏まえ、より誤解されない節題の代替案として、<「カルト」であると藤倉に主張された側からの反論>を提案します。ご意見をいただければ幸いです。
6)について。<「カルト」であると藤倉に主張された側からの反論>に同意します。まず、藤倉は「すべての新興宗教やカルトと勝手に呼ばれている団体」を「カルト」と呼んでいるのであり、誰も「カルト」と呼んでいないのに、藤倉が単独で「カルト」と呼んでるケースもあるということです。「カルト」とは、本来の学術用語としての「カルト」の定義とは異なり、マスコミによってセンセーショナルなイメージを植え付けられた用語です。ですから、調査もせずに勝手に「カルト」と呼ばれた団体を、あたかも一般の人が呼んでると誤解されうる記載をWikipediaでするべきでないと考えております。とくに、藤倉の場合は、「カルト」と呼ばれた複数団体から、Wikipediaに記載しきれないほど多くの反論や訴訟提起が起こっているわけであり、藤倉側が多数の団体を勝手に「カルト」と呼んでいることは間違いありません。また、日本以外の国から「カルト団体」と認定されてるような団体は、「どこどこの国からカルトと認定されている」と記述するのは、かまわないと考えており、カルト団体が存在しないとは考えておりません。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
5)について。<印刷物として流通するものもあるのだから「新聞」だ>と理解するような誤解をする可能性が、ありうるかということですが、個人的には極めて可能性が薄いと考えております。個人的には、販売店で販売している段階で、「印刷物として流通している」と考えますが、いかがなものでしょうか。大学で印刷物を配布する行為は、単に、街中でビラを配るのと変わりません。また、コミケで印刷物を配るのは、ビラを配るか、同人誌を無料で配布するか程度と考えます。特筆性がないささいな行為であるわけですし、出典を本人ブログに頼らないといけないという点からも、記載の必要はないと考えます。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
2)について。個人的な見解として、藤倉はカルト宗教の事情に全く詳しくないのが事実であると考えております。内海聡氏の見解にまったく同意しています。ですから、単なる大衆週刊誌を出典として「カルト宗教の事情に詳しい」という誤った記載を書くのは、避けるべきだと考えています。誰も「カルト」と呼んでいない団体を、「カルト」と呼ぶ可能性の極めて高い人物に関して、「カルト宗教の事情に詳しい」としてしまうことにより、反社会的な団体でも違法団体でもないのに、権利侵害を受ける団体や人物が発生してしまう可能性は排除しなければなりません。<「カルト」に詳しいと自称している>と記述することは問題ないでしょう。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
3)「ブログ「やや日刊カルト新聞」」に関しては、他メディアの出典もほとんど見られず、特筆性が低いと考えております。「ブログ「やや日刊カルト新聞」」の宣伝となる書き方は避けなければなりません。ふつう、著名人は、誰でもブログを書いていますが、わざわざ、節を設けることはないはずです。藤倉の場合、ブログを記載しなければ、他に書くことがないほどの特筆性であるため、わざわざ節を設けたくなる気持ちには、一定の理解はあります。ただし、通常の著名人の場合を思い出して下さい。外部リンクに設ける程度で十分なはずです。ただし、藤倉の場合、ほかに記載すべき活動もないので、略歴などに1,2行程度記載するのはありだと思います。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
4)少々、些末な記載でしたので、削除に同意します。「藤倉善郎ほか氏名不詳の8名による運営」であったのは、以前、ブログのトップページに記載してあった内容です。藤倉ほか、宗教団体脱会者の無名な8名によるブログでした。
8)米本に肩入れしているつもりはありませんが、米本が指摘している藤倉のジャーナリズムにあるまじき論評態度には、関心を持っています。これは、米本ではなくても、誰でも気がつくものですが、はっきりと指摘したのが、たまたま、米本であったという話です。また、米本は、自身のブログをWikipediaで宣伝する姿勢は見られません。しかし、ブログ「やや日刊カルト新聞」は、以前、非常に藤倉と近いと思われる人物により、宣伝行為がありました。その点は、米本と藤倉の違いだと考えます。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
藤倉は、創価学会と公明党に関する言及をせずに、なぜか、幸福の科学の所属者による党派の選挙運動だけを執拗に妨害するなどの、不可思議な取材態度をとっています。そのため、創価学会のおかかえジャーナリストではないか、と荒らす人が出るのです。本当に、「カルト」に詳しい人物であり、公平な取材態度であるなら、ここまで危険視はしていません。しかし、藤倉は、明らかに偏った取材態度であり、データに基づくことなく主観的な論評をする人物であり、自分がカルトと思い込んだら「カルト」だと書く人物です。そうしたニュアンスをWikipediaから取り去ることは、藤倉に批判された側がWikipediaを通して人権侵害を受けるなどということにつながる恐れがあります。それを防ぐため、万に一つの可能性も排除するべきであると考えます。ただし、今後、藤倉が、「カルト」について学びを深め、データや実績に基づき、公平な取材態度を行うという方針転換をするのならば、その限りではありません。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 14:28 (UTC)[返信]
「藤倉は、創価学会と公明党に関する言及をせず」とありますが、公明党は、池田大作氏を告訴しなくていいんですか? と既に言及されていますよ?事実確認した上でぽてからさんは発言をお願いします。そしてもし「創価学会のおかかえジャーナリストではないか」と主張されるのならば、典拠をお願いします。是非ページに記載したいと私は思います。--Dormir30会話2013年5月15日 (水) 15:06 (UTC)[返信]
藤倉は、たいして創価学会と公明党に関する言及をしていない、という意味で書きました。やや日刊カルト新聞を創価大学の正門前で、無許可で配布をし、警察沙汰となったという記事も存じています。また、池田大作氏を皮肉ってるのか褒め称えてるのかよくわからないようなブログ記事を書いていたのも承知しています。しかし、公明党の選挙妨害ともいえるような記事は書いていません。個人的に、公平な取材態度であるとは思えません。また、「創価学会のお抱え」という批判は、一般ユーザーによるものです。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 17:03 (UTC)[返信]
ぽてからさんからの応答をいただきましたので、それへのお答えをいたします。ぽてからさんの言及に、まず6) 、次いで5) を先に扱い、以下、2) 以降を順次取り上げます。
6) 節題に同意いただけましたことを感謝します。その上で、以下の2点について、さらに捕捉補足していただければ幸いです。もちろん節題について合意が形成されましたので、応答されないということでも構いませんが、その場合は、応答の意志がないことを表明していただければ結構です(それでこの話題は、ひとまず区切ります)。
  • 6-1) 山田が「もし、藤倉なり「やや日刊カルト新聞」が、世間の誰も「カルト」扱いしていない団体を真っ先に「カルト」だとしている例と思われるものがありましたら、具体的にご指摘ください。」と述べているのに対し、具体例の提示をされないまま
    • 「まず、藤倉は「すべての新興宗教やカルトと勝手に呼ばれている団体」を「カルト」と呼んでいるのであり、誰も「カルト」と呼んでいないのに、藤倉が単独で「カルト」と呼んでるケースもあるということです。」
    • 「とくに、藤倉の場合は、「カルト」と呼ばれた複数団体から、Wikipediaに記載しきれないほど多くの反論や訴訟提起が起こっているわけであり、藤倉側が多数の団体を勝手に「カルト」と呼んでいることは間違いありません。」
などと記述されたのでしょうか? 具体的に「藤倉が単独で「カルト」と呼んでるケース」を「多数の団体」について典拠とともにお示しになることが必要ではありませんか? ノートでのやり取りですから、記事のように厳密に典拠を示さずとも一定の記述はできるでしょうか、このような姿勢は、記事編集においてはあってはならないことであると思います。とりあえずは「多数」でなくても結講ですから、「藤倉が単独で「カルト」と呼んでるケース」を具体的にお示しください。それができないのであれば、自主的に上記の発言の撤回を表明してください。(いずれもせずに、上述のように節題についての合意は成っていますので、この問いかけへの応答はしないということでしたら、その旨をお答えいただければそれだけでも結構です。)
  • 6-2)「日本以外の国から「カルト団体」と認定されてるような団体は、「どこどこの国からカルトと認定されている」と記述するのは、かまわないと考えており、カルト団体が存在しないとは考えておりません。」とのことですが、国際的な活動を行っておらず、日本国内のみで活動している団体であればカルト団体であることは定義上ありえない、とお考えなのでしょうか?
5) この問いかけの最も肝心な内容は、ぽてからさんの方針理解に関する問いかけです。このひとつ前の山田のコメントでも「5) の質問の主眼は、<「Wikipedia:検証可能性」の記述は理解された上でこの編集をされたのでしょうか?>というところにあります。」と強調しております。これについての言及がなく、さらに「出典を本人ブログに頼らないといけないという点からも、記載の必要はないと考えます。」と仰るというのはどういうことでしょうか。再度、問いかけますが、最初に提示している「Wikipedia:検証可能性」についての山田の理解にどのような誤りがあるとお考えなのでしょうか。具体的にご指摘ください。山田には、ぽてからさんが仰っていることは、方針の無視としか思えません。しっかりとした応答をお願いいたします。
2) この問いかけは、ぽてからさんご自身の藤倉への評価をうかがっているのではありません。一般の新聞などにくらべれば信頼性は見劣りするとはいえ、新聞社系の週刊誌などが出典として明記されている記述を、否定されながら、ご自身の個人的判断のみで一般的な評価であるように記述されてしまうことの当否をおうかがいしております。「事実関係の調査のないレッテル貼りであるという批判もある」にあたるのは、米本の個人ブログしか、今のところ典拠は示されていません。そうであれば一部の有識者の見解として記述すべきことがらです。再度、最初の問いかけを読み直してください。週刊朝日に匹敵する一般性のある第三者言及を典拠として提示して、「詳しいとは言えない」と記述するのでなければ、米本がこのように批判しているという趣旨の文に記述を移すべきです。当方の問いかけの趣旨をお汲み取りください。
3) 山田は、「やや日刊カルト新聞」が、藤倉について記述する上で重要な側面であると考えています。これは、藤倉を紹介する記事で、常に「やや日刊カルト新聞」への言及がある事のみならず、米本が「藤倉を「カルト新聞の主筆」の肩書を営業の武器に、雑誌社からの注文を待つ作戦を展開する人物であると評している」ことからも明らかであると思います(この部分は、ぽてからさんが加筆された部分でした)。ぽてからさんはまた、上の「#ブログやTwitterを出典とすること」の節で、「藤倉自身に特筆性はありません。藤倉が主観的記載により、複数団体より訴訟提起や削除請求、謝罪請求を受けているということに特筆性があると考えます。」とお書きですが、その「藤倉が主観的記載」の主だった表現の場が「やや日刊カルト新聞」なのではありませんか?「やや日刊カルト新聞」における藤倉の表現を批判するコメントをこれだけの分量記述しておきながら、1-2行の記述で十分であり、節として独立させるほどの重要性がない、などと主張されるというのは矛盾しているように思えますが、いかがでしょうか。
4) 削除で合意が成立したものと理解します。
8) 結論を先に申し上げれば、山田個人としては藤倉も米本も、ごく普通のフリーライターでしかないと思っています。彼らが書いてきたもの、発言してきた内容の中には、善意であっても生じてしまった不適切な記述もあれば、悪意をもって行なった書き飛ばしもあるでしょう。お互い叩けばいくらでもほこりは出てきます。そういう意味で、一方的にどちらかの肩をもつべきことではないと思いますし、ましてウィキペディアの記述においては中立性が尊重されるべきであると考えます。藤倉についての非とすべきことについて「はっきりと指摘したのが、たまたま、米本であったという話で」あるなら、なぜ、より信頼性の高い媒体に、同様の記述が広がっていないのでしょうか? また、「しかし、ブログ「やや日刊カルト新聞」は、以前、非常に藤倉と近いと思われる人物により、宣伝行為がありました。」というのが、かつて削除された記事「やや日刊カルト新聞」を指しているのであれば、それはウィキペディアのコミュニティによって排除されているわけです。この記事においてももしコミュニティが宣伝的であると判断する事態になれば、同様に削除されるでしょう。山田は、自分が行なっている編集が「やや日刊カルト新聞」にとって宣伝的であるならば、米本や内海にとっても宣伝的といってよい状態であると思いますし、特筆性のないということを合意していただいた豪州の方に問って最も宣伝的といってよい状態であると思います。何しろ、藤倉と「やや日刊カルト新聞」の関係のように、大きな比重をもっているとはいえ他の記者の発信もある場合ではなく、以上で言及した人々は、完全に個人ブログの内容がここで取り上げられているのです。しかし、これらの個人ブログへのリンクは、特筆性がある人物の発言を典拠をして提示するために用いられているわけですから、存在自体が過剰に宣伝的であるわけではありません。むしろ、十分にお答えいただけていない5) との関連で、ぽてからさんが方針を理解されていないのではないかと大いに危惧しているというのが、現時点での山田の率直な気持ちです。
以上、特に方針理解と関係する5) への応答をお待ちしております。引き続きよろしくお願いいたします。--山田晴通会話2013年5月15日 (水) 17:33 (UTC)[返信]
誤字の訂正を加えました。--山田晴通会話2013年5月17日 (金) 03:22 (UTC)[返信]

関係者の方は表明をお願いします

Dormir30会話)さんは、藤倉本人もしくは関係者ですか?5月10日にハンドルネームを作成してから、藤倉を擁護する編集のみしか見られず、関係者としか考えられません。ちなみに、やや日刊カルト新聞の場合、初稿を含め、複数の関係者としか思えない人物による編集が相次いでいました。今回も類似のケースが見られるようです。関係者の方は、必ず表明をすることと、編集はお控え下さい。--ぽてから会話2013年5月15日 (水) 17:03 (UTC)[返信]

この記事の初版を作成している山田です。立項した経緯は、既に「#誤解に基づいて削除されたと思われる記述を復帰しました」で明らかにしたように、別件の記事「一生懸命塾」の編集をめぐるやりとりがきっかけです。山田がどのような背景の人物であるかは、山田自身の観点からは公式サイト、第三者の観点からは「山田晴通」をご覧下さい。ぽてからさんは、「やや日刊カルト新聞の場合、初稿を含め、複数の関係者としか思えない人物による編集が相次いでいました。今回も類似のケースが見られるようです。」と暗に山田が「やや日刊カルト新聞」の「関係者としか思えない人物」であるかのように断じられていますが、何を根拠にそのようにお考えになったのでしょうか? 当人としては理解に苦しんでおります。少なくとも、この記事自体の内容に関する問いかけ(#5月14日のぽてからさんの編集についての疑問点)とは切り離した形で、山田個人を「やや日刊カルト新聞」の「関係者としか思えない人物」であるとお考えになった根拠をお示しください。無根拠にこのようなことを書かれたのであれば、まことに遺憾ですし、発言の撤回としかるべき弁明を求めます。--山田晴通会話2013年5月15日 (水) 17:33 (UTC)[返信]
関係者ではありません。向こうのノートでも書きましたが、wikipediaの中立性から米本和広氏・内海聡氏への批判のみしか書いていないのが私は問題だと考えています。典拠がありWikipediaのルールに乗っ取るものならば、もちろん藤倉への批判でも載せてください。寡少だからやIPアドレスだからといった個人攻撃は避けるようにお願いします。--Dormir30会話2013年5月16日 (木) 02:55 (UTC)[返信]

(横から失礼)大切なのはウィキペディアの大原則、Wikipedia:中立的な観点(NPOV)にのっとって編集することです。疑心暗鬼になっておられるようですが、考えだしたらきりがないですよ。たとえば・・・逆にぽてからさんの投稿履歴を拝見すると「やや日刊カルト新聞」で「カルト」として取り上げられた組織の関係者の方ではないかという印象を受ける・・・ということもできますし。--miya会話2013年5月16日 (木) 12:25 (UTC)[返信]

山田晴通さんに関しては、関係者であるとは考えていません。しかし、藤倉善郎を編集するためだけにハンドルネームを作成したDormir30会話)さんが加筆する情報は、藤倉を擁護する内容のみです。さらに、およそ誰も知り得ない内容もあり、本人または非常に近しい関係者であるとしか考えられません。2001:3b0:10:1::4さんの編集も同様です。ブログ「やや日刊カルト新聞」が宣伝された時も、類似のことが起こりました。つまり、ハンドルネームをもつ特定人物により宣伝がなされ、IPユーザーが補足して充実させていくという手法です。やや日刊カルト新聞のときは、初版作成者が関係者とおぼしき人物でしたが、山田晴通さんに関しては、そうは思っていません。ですから、「同様」ではなく「類似」と表現したのですが、誤解を与えてしまったようですので、お詫びします。
Dormir30会話)さんは、藤倉善郎を擁護する書き込みをするためだけに、Wikipediaを利用するのは、なぜでしょうか。関係者であることを否定しているようですが、それでは、どのような関係ですか?Dormir30さんの編集履歴を見る限り、関係者だと思われても仕方のないと思います。どうか、関係者であるなら表明していただき、関係者としての意見を記すようにしてください。編集はお控えください。--ぽてから会話2013年5月17日 (金) 14:01 (UTC)[返信]
一度書きましたが、もう一度書きます。関係者ではありません。この編集が終われば、他もやりたいと思います。Wikipediaは、他人から編集を強いられるのですか?どのような関係者とありますが、やや日刊カルト新聞及び藤倉氏が取材している団体にも所属していません。--Dormir30会話2013年5月19日 (日) 16:24 (UTC)[返信]
また、miya会話)さんの想定するような関係者でないことを表明します。以前、やや日刊カルト新聞のWikipediaでの宣伝行為があったことを覚えており、今後は、宣伝行為を容認するべきではないと考えている者です。--ぽてから会話2013年5月17日 (金) 14:34 (UTC)[返信]

2001:3b0:10:1::4さんは、関係者でしたら表明をお願いします。--ぽてから会話2013年5月19日 (日) 14:13 (UTC)[返信]

関係者じゃないですよ。(あらゆる宗教組織を含めても関係者ではありません)ぽてからさんへの批判は極力控えますが、もう少し慎重に書いてくれませんかね。--2001:3B0:10:1:0:0:0:4 2013年5月19日 (日) 14:38 (UTC)[返信]
言わずもがなですが、念のため記しておきます。「Wikipedia:個人攻撃はしない」には個人攻撃の例として、「個人の人種、宗教、性、国籍などに関わる非難を行う。」ことを挙げており、「××人じゃない人ですか?」「××人ですか?」などと問うことを個人攻撃にあたるとしています。議論への参加者について、「○○の信者じゃないですか?」などと問うことも、これに含まれるものと思われますので、十分にご配慮ください。--山田晴通会話2013年5月26日 (日) 14:48 (UTC)[返信]

藤倉善郎が有名ジャーナリスト(記者)といえるのか

山田さんからの質問5)についてです。見やすさを考慮し、テーマごとに回答をしていきます。 検証可能性を満たす条件には「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合」とあります。藤倉善郎は、有名ジャーナリスト(記者)に該当しないと考えます。ただし、米本はベテランであり、実績もありますから、「有名ジャーナリスト(記者)」に該当すると考えています。藤倉は、本来なら、実績も少なく、Wikipediaにページを作成するほどの特筆性を持たないフリージャーナリストだと考えています。しかし、書く記事の多くが削除請求や謝罪請求、または、訴訟提起、刑事事件など、多大のトラブルとなっているという点において、特筆性が認められると判断されたものと考えています。彼が書いた内容が評価されているわけではなく、彼の記述が、なんらデータに基づくこともなく彼の主観で書かれているものであり、被害が生じている側の人がいる、という点で特筆性が認められているということです。ですから、ジャーナリズムの実績において著名でもなければ、有名ともいえないと思います。つまり、ブログ「やや日刊カルト新聞」の記事そのものが、検証可能性を満たすとは思えません。米倉和広によると、文献の名前も間違っており、誤訳(意図的な意訳)も見られ、出典からは導き出せない飛躍した論理づけにより、結論が書かれてるといいます。これは、自分の目で見て確かめれば確かにその通りだと理解いただけることと思います。ふつうに読んでも、内容に信憑性もありません。このようなブログに書いてあることはなんの出典にもならないと思います。ただし、本人は「〜」と自称してる、主張してるなどと記すのはいいと思います。--ぽてから会話) 2013年5月17日 (金) 14:18 (UTC)誤字訂正しました。--ぽてから会話2013年5月17日 (金) 14:43 (UTC)[返信]

山田が一番肝心と考えている部分には、まだお答えいただいておりません。敢えて当該部分をくり返します。
Wikipedia:検証可能性」の「通常は信頼できないとされる情報源>自主公表された情報源」には、保留つきながら「例外となりうるのは、関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合」と記されていますし、...
この部分にはお答えいただいた形となっていますが、ぽてからさんが米本を「有名ジャーナリスト(記者)」に該当すると考え、藤倉はそうではないと判断される根拠は提示されていないものと考えます。山田は両者は似たようなものであり、いずれも日本語版に記事があるという水準において等しく特筆性があると考えています。少なくとも、ぽてからさんのご主張は、コミュニティにおいて合意形成されているものではありません。
問題はその続きです。この部分は、「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)」ではない誰についても当てはまることとして記述されています。(「Wikipedia:検証可能性」の上に続く部分にある)...同じく「通常は信頼できないとされる情報源>自主公表された情報源:公式サイト」には「自主公表物やその他の信頼性に乏しい情報源でも、それらの情報源自身に関する記事においては、情報源として使用することができます。」と記されています。念のためにそれに続く記述をそのまま引けば、「例えばウィキペディアに、或る政治団体の記事があったとします。この記事について、その政治団体が開設しているウェブサイトは、その情報が重要であり、過度に自己を美化するものでなく、また第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り、ウィキペディアのその政治団体についての記事において、その政治団体自身に関する情報源として使用できます。」とあります。したがって、藤倉が主筆・代表である「やや日刊カルト新聞」の記事は、「第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り」、「やや日刊カルト新聞」に関する情報源として使用できます。
さらに言葉を補うなら、藤倉が主筆・代表である「やや日刊カルト新聞」の記事は、「第三者によって公表された信頼できる情報源が存在する場合はその情報と矛盾していない限り」、「やや日刊カルト新聞」のみならず、藤倉自身に関する情報源として使用できるはずです。
ぽてからさんのご主張は、このような山田の理解を全否定されるものです。この方針の解釈をどのようになさっているのか、明確にご回答ください。--山田晴通会話2013年5月17日 (金) 15:44 (UTC)[返信]

もちろん藤倉自身の記述について、藤倉作成のサイトを情報源として使用することについては、問題ないと考えています。山田さんのおっしゃる通りです。ただし、紙媒体として配布したという記事に関しては、もう少し、書き方に工夫が必要であると考えています。たとえば、紙媒体で配布したのが何枚なのか(10枚なのか1万枚なのか)、単なるビラのような形態だったのかそれとも新聞のような形式だったのか、配布者は1人か10人かなどによって、著しく印象が異なってくるためです。単に、「紙媒体を配布」と記してしまうと、一般的な新聞が駅で号外を配布しているような大規模なものをイメージするのが通常の感覚であろうと思われます。なぜなら、最も一般的であるからです。しかし、おそらく、この場合は、手作り感溢れるブログのプリント版を、ほんの数人もしくは藤倉一人がビラ配りした程度なのではないでしょうか? お読みいただいてご理解いただけると思いますが、「紙媒体で配布」という藤倉自身の記述をもとにした記載に頼ると、実際の詳細が判明しません。私自身も、途中から推測するしかなく、結局、事実を表さない抽象的な記述となってしまいます。そのような経緯により、藤倉自身の記述だけをもとに、紙媒体で配布と記すのはかえって読者の混乱を招くだろうと考えます。もっとも、藤倉自身の記述に、どのサイズで何ページの紙媒体を何部用意して何人で何時間配布、などと客観的な記載がされてる場合は、藤倉のサイトを出典とすることも可能であると考えます。 繰り返しますが、藤倉自身の情報源として本人サイトを出典とすることは可能であると思っていますし、現にいまも出典とした記載がされています。しかし、紙媒体の件に関しては、藤倉の記述は客観性がともなう記述であるかが疑問で、実態と離れた記述になる可能性が大きいために出典としてふさわしくないと考えています。また、藤倉に関しては無名のジャーナリストであると考えており、主観性の高い記述ばかりであるため、実質、「やや日刊カルト新聞」は個人ブログと同様の価値であると考えております。これは、「やや日刊カルト新聞」が特筆性がないということで、コミュニティーから排除されていることからも、合意が形成されているものと考えます。紙媒体で配布、のような人によってイメージの振り幅が大きいような記載の仕方は、個人ブログ程度の出典で掲載するべきではないと考えます。--ぽてから会話2013年5月18日 (土) 02:36 (UTC)[返信]

まず、ぽてからさんが、「藤倉の記述は客観性がともなう記述であるかが疑問で、実態と離れた記述になる可能性が大きいために出典としてふさわしくないと考えています」という点には、少なくとも現時点で同意できないことをお知らせしておきます。ぽてからさんが、「藤倉の記述は客観性がともなう記述であるかが疑問」という判断は、何が根拠なのでしょうか? 説得力のある根拠の提示をお願いします。
さて、この際、関連する話題をうかがいます。ぽてからさんは「米本はベテランであり、実績もありますから、「有名ジャーナリスト(記者)」に該当すると考えています」と仰っていますが、その一方では、「藤倉に関しては無名のジャーナリストであると考えて」おいでです。山田は、前者も後者も同じようなものであると考えており、それぞれに特筆性があると考えますが、「有名」であるかは判断が分かれる水準であろうと思います。つまり、一方が「有名」と考えるのであれば他方もそうであろうし、一方が有名ではないなら、他方もそうであろうと思っています。さて、この節の標題は「藤倉善郎が有名ジャーナリスト(記者)といえるのか」ですが、内海聡は「有名ジャーナリスト(記者)」といえるのでしょうか? もし、内海がウィキペディアに記事があってよい程度に特筆性のある人物ではあっても「有名ジャーナリスト(記者)」に該当しないのなら、内海自身についての記述は典拠として有効ですが、他者について論評している部分については典拠とすべきではないと考えます。内海についてのぽてからさんの判断を明らかにしていただければ幸いです。--山田晴通会話2013年5月22日 (水) 03:11 (UTC)[返信]
とりあえず、内海については、有識者としての発言というより、自由報道協会における記者会見をめぐる批判の応酬の中で記者会見に参加し、ブログに批判を書き込んでいるものと思われますので、「「カルト」であると藤倉に主張された側からの反論 」の小節に記述を移しました。--山田晴通会話2013年5月24日 (金) 13:50 (UTC)[返信]

内海聡は、「カルト」であると藤倉に主張されたわけではありませんので、この説に記述を移すのは不適切であると考えます。内海が藤倉にカルトと主張された団体の擁護者という誤解を与えかねません。内海自身、カルトに興味のない人間であると自称しています。サイエントロジーに関しての話題になった際、藤倉のジャーナリストとしての取材態度に大きな疑問をもったということだと思いますので、「批判」の節のほうが、まだ適切だと考えます。とりあえず、批判の節に戻しますが、よりよい改善策などのご提案は歓迎します。--ぽてから会話) 2013年5月26日 (日) 05:27 (UTC) 新たな節を作成してみました。--ぽてから会話2013年5月26日 (日) 05:34 (UTC)[返信]

とりあえず、「最低限の事実関係を確認してから」考えてみましょう。万一、以下の山田の認識に誤りがありましたら、具体的にご指摘ください。
1) 藤倉はサイエントロジーをカルトとして批判しており、サイエントロジー傘下の団体である市民の人権擁護の会も同様にカルトとして批判しています。
2) 内海は市民の人権擁護の会を代表する人物とともに、2012年4月に自由報道協会主催の「精神医療被害の実態報告とその改善を求める記者会見」で会見者となりました。
3) 「やや日刊カルト新聞」に藤倉はこの記者会見を批判する記事を公表しています。そこでのカルトとされて批判の中心になっているのは内海ではなく、市民の人権擁護の会でした。しかし、この記事の標題からも明らかなように、批判されているのは特定の「カルト団体」ではなく、この記者会見の開催自体であり、主催した自由報道協会です。
4) 内海は自身の個人ブログで、「私は市民の人権擁護の会(CCHR)の人たちとは知り合いである。しかしCCHRの会員でもなければ世話人でもないし、サイエントロジーのかけらもない人間だ。というか単に無宗教なのだ」と述べています。したがって、ぽてからさんの仰るように「内海聡は、「カルト」であると藤倉に主張されたわけではありません」が、「私は無宗教でサイエントロジーにも他の宗教にも一切属していないし、金銭的な交友関係も存在しない」とも述べており、金銭的交渉を伴わない交友関係にある事を自ら認めています。
5) 内海は自身の個人ブログで、藤倉がサイエントロジーをカルトと呼んでいることを、「彼らは精神医学の被害に対して何一つ知りもしないし調査もしていない。もちろんサイエントロジーを含めてあらゆるカルトと呼ばれる団体に対して、ろくに取材も調査もしていない。」と断じて批判しています。
6) 上の3) で述べた通り、「やや日刊カルト新聞」における批判の矛先は「精神医療被害の実態報告とその改善を求める記者会見」自体に向けられており、内海も批判されていると了解されます。
以上の「最低限の事実関係」を踏まえれば、藤倉は内海個人を「カルト」と主張していませんし、内海は「「カルト」であると藤倉に主張された」サイエントロジー=市民の人権擁護の会そのものではありません。しかし、内海はサイエントロジー=市民の人権擁護の会と公然たる交友関係があり、問題の記者会見について市民の人権擁護の会とともに批判された立場にあり、市民の人権擁護の会「側からの反論」を行なっていると理解すべきであると考えます。山田の認識に誤りがあるようでしたら、具体的にご指摘をいただければ幸いです。
また、新たに設けられた節ですが、見出しは不適切であると考えます。「サイエントロジー記者会見」を主催しちゃった自由報道協会での批判」とありますが、この前後で「批判」というのは、藤倉への批判であるはずです。「サイエントロジー記者会見」を主催しちゃった自由報道協会」というのは、藤倉自身の「やや日刊カルト新聞」における記事の標題です。括弧書きが乱れているので、あるいはぽてからさんのご意向を誤読しているかもしれませんが、この標題が「「「サイエントロジー記者会見」を主催しちゃった自由報道協会」での批判」という意味であれば、藤倉が誰かを批判しているという意味になってしまいます。また、ここで書かれている内容で内海が批判しているのは、藤倉らが会見者となった2012年5月の「サイエントロジーに関する記者会見」における藤倉の言動が中心であり、内海の個人ブログからは4月の自らが会見者となった記者会見(藤倉が批判したもの)への言及はありません。とりあえず、仮の標題として「内海聡による批判」を提案します。ただしこれは、誤解を生じかねない現状の見出しに代わるあくまでの仮のものであり、最終的には内海の批判が、中立的な第三者的有識者としてのものか、「カルト団体」に寄り添う側からのものかの合意形成を行なってから再度検討すべきものかと思います。--山田晴通会話2013年5月26日 (日) 14:48 (UTC)[返信]
本件にはまだ応答はいただいていませんが、節題は誤解を与えるものと判断し、とりあえず「自由報道協会主催「サイエントロジーに関する記者会見」に関する批判」と改めました。ご異論があれば、こちらでご議論ください。
また、内海の個人ブログを典拠とする記述のうち、内海自身の言動に関わる記述とはいえない「内海によると、この会見の際に、主催した自由報道協会の責任者、上杉隆も、藤倉に対して「なかなか立腹」していたという」について、要検証範囲を貼付しました。この箇所は、内海自身について述べたものではなく上杉の態度についての記述ですが、例えば、上杉の公式サイトなどに藤倉への「立腹」を証明する記述があれば別でしょうが、そうでなければ「Wikipedia:検証可能性」の「通常は信頼できないとされる情報源」「自主公表された情報源」に明記された例外規定「関連分野において著名な専門研究者や有名ジャーナリスト(記者)が自主公表した場合」にも、「自主公表された情報源:公式サイト」に明記された例外規定「それらの情報源自身に関する記事」にも該当しないと考えられます。実際の記事作成においては、このような記述であっても、ある程度記事に反映されることが容認される場合もあり得ますが、単に事実関係を述べたものではなく、評価を伴うものである以上、上杉が実際に立腹していたことを示す適切な典拠が示されない限り、記述すべきではないと考えます。--山田晴通会話2013年5月28日 (火) 02:28 (UTC)[返信]
「内海聡による批判」でもいいと思います。ただし、そうすると、「米本和広による批判」としたほうが釣り合いが取れそうにも思います。--ぽてから会話2013年5月28日 (火) 09:08 (UTC)[返信]
「上杉の公式サイトなどに藤倉への「立腹」を証明する記述」が、見当たらないならば私は「内海によると、この会見の際に、主催した自由報道協会の責任者、上杉隆も、藤倉に対して「なかなか立腹」していたという」について削除しても良いと思います。--Dormir30会話2013年5月30日 (木) 14:47 (UTC)[返信]
上杉氏への批判のブログ「やや日刊カルト新聞」記事へのリンクがされている以上、「内海によると、この会見の際に、主催した自由報道協会の責任者、上杉隆も、藤倉に対して「なかなか立腹」していたという」箇所は残してかまわないと思います。とくに問題ともならないのでは。--ぽてから会話2013年6月1日 (土) 05:34 (UTC)[返信]
藤倉は上杉が代表である自由報道協会を批判していますが、上杉自身が感情的に「立腹」したという記述は内海しかしていないのではないでしょうか。上杉について、ジャーナリストとして冷静であるべきところで「立腹」したと記すのであれば、それは上杉のジャーナリストとしての資質の評価に関わることです。上杉自身が、藤倉には立腹した、とか、怒りを覚えた、と、自身のブログ等で表明しているのであれば別ですが、内海が「有名ジャーナリスト(記者)」といえないという前提を置く限り、内海のブログにおける内海以外の人物についての記述、特にその人物についてネガティブな評価を招来する可能性のある記述は除去されるべきであると考えます。--山田晴通会話2013年6月1日 (土) 19:12 (UTC)[返信]
言われてみれば、たしかに、上杉さんの立腹した理由が書いていないので、ネガティブな評価を想起される方もいるかもしれません。上杉隆も、藤倉に対して「なかなか立腹」していたという」について削除に同意します。--ぽてから会話2013年6月2日 (日) 08:14 (UTC)[返信]

ブログ「やや日刊カルト新聞」の印刷物と創価

山田さん、こちらに続きを記します。当初、ブログ「やや日刊カルト新聞」の印刷物を配布、という記載を本人ブログのみを出典として記載することには賛成出来ず、除去しました。山田さんが印刷物として流通するものもある証拠として記す必要があると考えたのに対し、その必要がないと考えたためです。つまり、「印刷物として流通する」の実態が、本人ブログのみを出典とすると極めてイメージの振り幅が大きい記載となると考えたため、客観的な出典が必要な範囲だと思ったからです。単に「印刷物が流通していた」証拠として本人サイトを出典とするのは、たとえば実態はビラ配りに過ぎない行為を新聞社が号外配布する規模だと錯覚させるなどして、宣伝につながる可能性が高いと考えました。詳しくは、前述の通りですのでご覧ください。ただし、ライトニングプラズマさんによると、藤倉が紙媒体を配布したということは、創価大学前で創価学会批判を行ったのにタダで済んだ希有な例であったといいます。これは、Wikipediaに掲載するに値する記述であると考えます。「創価ジャーナリスト疑惑」と記して良いものかは根拠の質によるでしょうが、創価大学前で創価学会批判を行っても暴力行為を受けない希有な媒体がブログ「やや日刊カルト新聞」であるということを記すのは有用であると考えます。こうした記載の出典として、ブログ「やや日刊カルト新聞」の紙媒体のビラまきや、ブログ「やや日刊カルト新聞」の節を作成することには賛成します。(宣伝行為ではないし、より実態を表した内容となるため)--ぽてから会話2013年5月18日 (土) 03:06 (UTC)[返信]

このライトニングプラズマというアカウントは、IP:124.208.201.182会話 / 投稿記録 / 記録 / Whoisによるブロック破りと判断します(124.208.201.182自体が利用者:ムーコロン会話 / 投稿記録 / 記録などのブロック破りですが)。幸福の科学の宣伝か、その逆を狙っているのか知りませんが、明確な目的外利用者です。LTAとして扱って良いでしょう。--JapaneseA会話2013年5月18日 (土) 06:51 (UTC)[返信]

まず、ぽてからさんが、山田の方針の認識に誤りがないことをお認めいただいたこと、すなわち「藤倉自身の情報源として本人サイトを出典とすることは可能であると思っていますし、現にいまも出典とした記載がされています。」とされたことに安堵しております。その上で、「#藤倉善郎が有名ジャーナリスト(記者)といえるのか」の節における議論を含め、山田から見てぽてからさんのお考えに誤りがあると思われる点を以下に申し上げます。

  • ぽてからさんは、「#藤倉善郎が有名ジャーナリスト(記者)といえるのか」の節に次のように書かれました。:「紙媒体として配布したという記事に関しては、もう少し、書き方に工夫が必要であると考えています。たとえば、紙媒体で配布したのが何枚なのか(10枚なのか1万枚なのか)、単なるビラのような形態だったのかそれとも新聞のような形式だったのか、配布者は1人か10人かなどによって、著しく印象が異なってくるためです。単に、「紙媒体を配布」と記してしまうと、一般的な新聞が駅で号外を配布しているような大規模なものをイメージするのが通常の感覚であろうと思われます。なぜなら、最も一般的であるからです。しかし、おそらく、この場合は、手作り感溢れるブログのプリント版を、ほんの数人もしくは藤倉一人がビラ配りした程度なのではないでしょうか?」ここで、ぽてからさんは、ご自身の主観的判断だけで、配布の規模を推測で語られ、その推測のみにもとづいて、記述は残すに値しないと主張されています。これに対し、山田は最初から、米本が「やや日刊カルト新聞」について「新聞」ではないと強調していることを踏まえた記述として、ブログではあるが例外的に印刷物を販売ないし配布することがあるという事実自体に(その規模とは関係なく)記述すべき意義があると考えており、方針である「Wikipedia:検証可能性」もふまえて典拠を示して記述をしています。そして、この典拠の有効性自体は、「#藤倉善郎が有名ジャーナリスト(記者)といえるのか」の節における議論において、ぽてからさんご自身もお認めになりました。少なくとも現時点において、印刷物を販売、配布した事実についての記述は、正当な典拠があり、その上で、この部分の除去について合意は形成されていません。合意の形成を待たずにこの記述を除去されたぽてからさんの編集は不適切であったと考えます。いかがでしょうか。
  • その上で、ライトニングプラズマさん(ブロックされました)のご主張を踏まえてぽてからさんがおっしゃている「創価ジャーナリスト疑惑に関しては、根拠が十分にあるということでしたら、掲載するべきであるという意見に賛成します」については、「根拠」を「ウィキペディの記述において典拠と擦ることが認められている信頼できる典拠」と読み替えるのであれば、異論はありません。ただし、現時点では、この「創価ジャーナリスト疑惑」について、明確な典拠は示されていないと考えています。ぽてからさんは、この「疑惑」を記述することが可能になるような典拠が存在するとお考えなのでしょうか?

なお、一般的に、議論が一定の終息を見ないうちに、議論の場を他の節に移すことは望ましくありません。後から議論を追う方々の見通しを悪くする虞れがあるからです。ぽてからさんにおかれましては、もう少し読み手の理解しやすさに配慮された形で、お考えを表現していただけますようお願いいたします。--山田晴通会話2013年5月19日 (日) 00:24 (UTC)[返信]

藤倉自身の記述に、紙媒体に関する具体的、客観的事実が記されているのでしたら、読み手に誤解を与えない表現で書くのはかまわないと思います。しかし、客観的な事実が書かれていない場合、主観的な印象が生じる抽象的な記述となりかねず、宣伝につながりかねないと思います。当初の記述の仕方だと、宣伝と変わらない可能性があったため、即時削除が適切と考えました。
なお、ライトニングプラズマさんが、別の議論をこの議論に連続して書かれたため、やむなくこのような形式となりましたが、もう参加されないようなので、しばらくこの議論に集中出来ればと思います。現状では、私自身「創価ジャーナリスト疑惑」の典拠は心当たりがありません。ですから、客観的に見て「創価ジャーナリスト疑惑」を否定出来ないと考えますが、本文に加筆もしていません。--ぽてから会話2013年5月19日 (日) 13:19 (UTC)[返信]
現時点では、「#藤倉善郎が有名ジャーナリスト(記者)といえるのか 」において、「もちろん藤倉自身の記述について、藤倉作成のサイトを情報源として使用することについては、問題ないと考えています。」とコメントされたように、「やや日刊カルト新聞」の記述のうち、藤原自身について述べた記述は、正当な典拠となることをぽてからさんご自身もお認めになっています。その上で、ぽてからさんは、宣伝的記述を避けるべきだというお立場で、「やや日刊カルト新聞」の印刷物についての記述を除去すべきとお考えです。しかし、山田は自らが行なった「やや日刊カルト新聞」の印刷物についての記述(ぽてからさんがおっしゃる「当初の記述」)が宣伝的であったとは考えておりません。すなわちこの部分については合意が形成されていませんので、典拠のある記述の除去は不適切な編集です。いったん記述の復帰を行ないます。具体的には、「やや日刊カルト新聞」の記述のうち、「やや日刊カルト新聞」および、藤原について述べられた記述を典拠とする記事の記述を、現時点での文脈に適合するよう改変した上で復帰します。また、3) として提起しております節見出しの件も、ぽてからさんは、宣伝的だという理由しか挙げておらず、同様にその理由が正当であるという合意は成立しておりません。記述の復帰とともに、節見出しも復帰します。
これらの記述の除去が必要であるとなおお考えでしたらは、こちらのノートページでの合意形成を経てから行なってください。すなわち、「Wikipedia:コメント依頼」などの方法により、このノートにおいてご自身のご意見を支持するコミュニティの声(この記述が宣伝的であると判断するコメント)を集める努力をなさってください。もし、コミュニティの多数の声が、山田が作成し、また復帰させた記述を宣伝的であると判断されるようでしたら、当然ながらこの記述が除去されることに同意します。「Wikipedia:腕ずくで解決しようとしない」に反するような編集を行なうつもりは、もとより毛頭ありません。よろしくご検討ください。--山田晴通会話2013年5月21日 (火) 02:56 (UTC)[返信]

「やや日刊カルト新聞」の節作成と印刷物についての記述に関しては、宣伝とならない書き方を心がけるということならば、加筆に同意します。本人ブログを出典とする内容に関しては、確定事項としてではなく、本人が主張しているという主旨で修正をしました。ご確認ください。--ぽてから会話2013年5月26日 (日) 05:52 (UTC)[返信]

「宣伝とならない書き方を心がける」というのは、言うまでもなく記事の執筆に際して常に考慮されるべきことがらです。そのように考慮してもなお、結果的に宣伝が疑われる場合には削除されるということです。山田の編集について、「宣伝とならない書き方を心がける」ことができていないとぽてからさんがお考えになったのだとすれば、それは申し訳ないところですが、具体的に山田が宣伝的な記述をしているとお考えの箇所をお示しになることもなく、あたかも「宣伝とならない書き方を心がけるということならば」などと釘を刺しておかないと、山田が宣伝的内容を書き込みそうだとお考えになっているのであれば、そう言われる当事者としては、少なからず残念に思うところです。削除依頼も提起されず、削除依頼には至らないがこういうところは宣伝的であるというご指摘もなく、このように書かれることは乱暴であると思いますが、いかがでしょうか。
その上で、ぽてからさんの 2013年5月26日 (日) 05時台(UTC)の2編集について、強く反対するものではないことを申し上げておきます。ただし、文体的にやや単調になる嫌いはあるように思いますので、別の機会に推敲していただければよろしいかと思います。--山田晴通会話2013年5月26日 (日) 14:48 (UTC)[返信]

山田さん、山田さんが宣伝を意図した記述をしていないことは承知しております。お気を悪くされないよう。現在の文脈で書かれていれば、「個人の意見を書いているブログではなく、公共性の高い新聞であるなどと誤解」される余地は少ないだろうと考えた結果、同意しました。当初の文脈では、誤解の余地が生まれ、結果的に宣伝につながる可能性が懸念されました。また、より実情に合うように修正をいたしました。--ぽてから会話2013年5月27日 (月) 16:07 (UTC)[返信]

山田が「宣伝を意図した記述をしていないことは承知」されているとのこと、ご理解をいただけていることに感謝いたします。
しかし、「当初の文脈では、誤解の余地が生まれ、結果的に宣伝につながる可能性が懸念されました。」とありますが、当初の記述をしたのは山田です。あるいは、山田の記述自体が「誤解」「宣伝」を生むものではないが、「文脈」がそのように解釈できるものであった,というご趣旨でしたら、「当初」の時点におけるどのような「文脈」が、そのような誤解を生じさせるとお考えになったのでしょうか?
今後、同様の誤りを繰り返さないためにも、「当初の文脈」において当該記述が「宣伝」と解された具体的な内容、問題点をご指摘いただけますようお願いいたします。--山田晴通会話2013年5月28日 (火) 02:31 (UTC)[返信]
当初は、「やや日刊カルト新聞」が、無料blogを利用しているという旨の記述を削除するなどの行為も見られ、新聞ではなく単なるblogの一種であることの説明が不十分であると考えていました。しかし、現状の記述では、無料blogを利用していると誤解の余地のないように書かれています。この違いが大きいと思い、同意いたしました。無料blogを利用しているということは、個人的な意見を書いたブログであり、会社組織でも新聞社でもない(自称新聞社と名乗ってるようですが)ということが、感覚的に受け入れやすいだろうと思います。
ちなみに、利用者‐会話:藤倉善郎に本人の発言が書いてありますが、藤倉善郎は、一般ユーザーに対し、「あなたのような人間は、紳士的に扱ってもらえなくて当然であるばかりか、そもそも会話をしてもらえることすら有難いと思うべきです。」などと、平気で書くような人物です。さらに、「やや日刊カルト新聞」にて、鈴木エイト氏の本名を複数掲載しっぱなしというプライバシー侵害行為を行っていることを棚に上げて、他人を誹謗中傷するばかり・・。Wikipediaにおいても、差別的・侮辱的な発言を、一般ユーザーに対して書くような人物だったとは・・・。このようなエキセントリックな人物の主観的見解を集めたBLOGを、「新聞」というくくりで表現しようとすることだけは、絶対に認めるべきではありません。
わが国のモラルにかかわってくる問題であり、あんなblogを「新聞」だなどと表現することは、日本のジャーナリズムの品位を貶める行為であると思います。--ぽてから会話2013年5月28日 (火) 09:03 (UTC)[返信]
確認をいくつかさせてください。
1) 「当初は、「やや日刊カルト新聞」が、無料blogを利用しているという旨の記述を削除するなどの行為も見られ、」というのは、どの編集を指しているのでしょうか?誤解しているといけないので、具体的にご指示をお願いいたします。
2)「藤倉善郎は、一般ユーザーに対し、...などと、平気で書くような人物です。」とありますが、「利用者‐会話:藤倉善郎」を見る限り、引用されている発言は、ぽてからさんのコメントへの応答であるようです。「一般ユーザー」という表現は、他の場所における他の方々への藤倉善郎さんの発言を含めて、多くのユーザーに対してそのような発言を繰り返されているという意味でしょうか? そうであれば、具体的に問題となる藤倉さんの発言箇所をお示しください。そうではないのだとしたら、ぽてからさんご自身へ向けられた発言を「一般ユーザー」と表現された趣旨をご説明ください。
3) 「「やや日刊カルト新聞」にて、鈴木エイト氏の本名を複数掲載しっぱなしというプライバシー侵害行為を行っていることを棚に上げて、他人を誹謗中傷するばかり」についてですが、ぽてからさんが指摘された問題の箇所の削除を、その後、藤倉氏は行なわれているのではありませんか?山田に事実誤認があり、既にぽてからさんが指摘した「本名を複数掲載しっぱなしというプライバシー侵害行為」を藤倉が放置しているという事実があるなら、具体的にご指摘ください。
4) 「このようなエキセントリックな人物の主観的見解を集めたBLOGを、「新聞」というくくりで表現しようとすることだけは、絶対に認めるべきではありません。」についてですが、ぽてからは、この表現は「Wikipedia:個人攻撃はしない」に照らして適切とお考えでしょうか?
5) また、「「新聞」というくくりで表現しようとすること」というのは、何を指しているのでしょうか?現時点で、「やや日刊カルト新聞」を「新聞」であるとする記述はありません。何を仰りたくて、山田には非常に強い言葉と感じられるような言い回しを動員されているのか、理解に苦しんでいます。この箇所で、仰りたい趣旨は何なのでしょうか?
以上を確認した上で、慎重にコメントをしたいと考えております。ご回答をお待ちします。--山田晴通会話2013年5月31日 (金) 13:07 (UTC)[返信]
1)に回答します。[1]では、「無料ブログ」の「無料」を削除しておられるようです。これは、山田晴通さんが「無料ブログであるのは、言わずもがな」だとお考えになって、一箇所だけ「無料」と記す必要はないという判断による編集であろうとは推測しています。しかし、「自前のブログではなく、無料ブログをレンタルしている」という事実等をしっかり書かないと、「新聞社」の一種であると勘違いする人が出て、宣伝の一種になってしまうことを危惧しました。
そして、実際、[2]では、「「新聞」という言葉には明確な定義がない。ブログでも発行者が「新聞」と名乗っていれば新聞扱いとしていいのでは?」と主張し、「ブログ」という単語と「本人も認めている〜ブログに過ぎない」という米本氏の発言を削除して、「イベント時等には紙媒体の臨時号を発行」と加筆編集するユーザーも出ました。
新聞によると、「企画・構想」「取材・撮影」「記事執筆」の後、「原稿チェック」「校閲 - レイアウト後の場合がある」「レイアウト - 見出し制作・価値判断も行われる」「編集・割付・組版」「校正」「フィルム・刷版制作」「印刷」「梱包・発送」を経て新聞はできあがるとあります。このブログは、「原稿チェック」「校閲」「校正」が複数の人物により、適切に行われている可能性は低く、個人の独自な意見を表明したブログに過ぎないと考えています。(米本氏も同様の主旨の発言をしています。)無料ブログを利用=会社ではない=個人のブログに近い、という実態に即した編集をする必要があると考えました。
その後、現在の版では、ブログ「やや日刊カルト新聞」とした上で、「名称に「新聞」とあるが、新聞ではなく、Google社が運営しているレンタルブログサービスBloggerを利用したブログである。」と記されており、新聞ではなく自前のブログでないことが、誤解の余地のない記述とし、米本和広は、「カルト新聞はオーマイニュースのようなネット新聞ではない。本人たちも認めているように、個人ブロガーが集まって作った、新聞の名を冠したたんなるブログに過ぎない。」と述べていることを記しており、「本人たちも認めている」ということがわかります。これで、勘違いする人が出るリスクはほぼ解消されたと考え、宣伝となることはないと判断いたしました。--ぽてから会話) 2013年6月1日 (土) 04:38 (UTC)--加筆--ぽてから会話2013年6月1日 (土) 05:22 (UTC)[返信]
2)に回答します。
私は、Wikipediaの一般ユーザーの一人であると自覚しています。警告等のペナルティをくらったこともありませんし、議論を放棄するなどの行為も行ったことはありません。
そのような、ごく一般のユーザーに対して、「あなたのような人間は、紳士的に扱ってもらえなくて当然であるばかりか、そもそも会話をしてもらえることすら有難いと思うべきです。」という侮辱的で好戦的な発言をするということに、正直言って、腹が立ちました。「そもそも会話をしてもらえることすら有難い」とは一体どういうことだと立腹してしまいました。つまりは、「俺様は一般人ではなく少なくてもジャーナリストの端くれなんだぞ。あんたのような匿名ユーザーと同等の立場で会話をしてやってることを、有難く思え」ということなのか、と当初は受け取りました。
「一般ユーザー」とは、深い意味を持たせたものではなく、「自分は、警告を受けたことも不正行為をしたこともない、一般ユーザーなのに、侮辱的な発言を受ける覚えはない」と思って、記したものです。現状、藤倉善郎は、他のユーザーとは、議論はしてないようなので、他者と議論する際の一般的態度はなんとも言えません。ネット上では、米本和広氏や内海聡氏、その他の人物に対して、傲慢ともとれる発言は散見されるようです。今日時点で、藤倉善郎から、「行きすぎた発言だった」とか、「表現が不適切だった」とかいう謝罪や反省の言葉もないようですし、未だに、「Wikipediaでペナルティも受けたことのない一般ユーザーに対して、そのような発言をするのは、いかがなものか」という疑問は消えません。
3)に回答します。Googleで少し検索してみただけでも、鈴木エイト氏の本名と思われる記述が、ブログ「やや日刊カルト新聞」のコメント欄上に散見されるみたいです。
  • 2012/05/17「やや日刊カルト 新聞社」は、FPAJに「“サイエントロジー記者会見”に関する記者会見」の開催を依頼。 .... なんだよ鈴木▲って。 ..... なんで▲はいちいち偽名を使うんだ?
  • 2012/05/26 ... で開催された「 サイエントロジーに関する記者会見」では、会見者として「やや日刊カルト新聞」の藤倉善郎主筆、鈴木エイト副主筆 ..... ▲さんが偽名で会見した理由と目的は?
  • 2012/05/30ところが、偽名使いの名手・鈴木▲こと▲氏や藤倉善郎氏、チンピラ反カルト2人組は、サイエントロジーが自分 …
4)に回答します。藤倉善郎自身が、Wikipedia:個人攻撃はしないに反する言動を行った実績があります。「やや日刊カルト新聞」ブログや、その他の動画でも類似の状況を閲覧できます。そうした部分に関しても、実情に即した記載とすることが望ましいと考えます。あくまで、事実以上に誇張するつもりはなく、事実をそのまま記すよう心がけることが重要だと考えています。
また、「主観的見解を集めたBLOGを、「新聞」というくくりで表現しようとすること」を阻止するべきであるという見解については、譲るつもりはありません。通常、新聞とは、「原稿チェック」「校閲」「校正」を複数の専門知識を持つ人物によって、査読を経たものであります。しかし、ブログ「やや日刊カルト新聞」はそうではありません。(会社でもないので、複数の専門知識を持つ人物を雇っていないことは当然のことでしょう。)しかも、主筆の人物が「エキセントリック」な発言のある人物である場合、特に、「原稿チェック」「校閲」「校正」等の査読を経た「新聞」との混同は避けなければならないと考えます。
これは、藤倉善郎に対して、実態以上の評価を書いたものでもなく、ありのままの現状と照らして、絶対気をつけるべき編集のポイントだと考えてのことです。
5)に回答します。たとえば、[3]で、「新聞」という言葉には明確な定義がない。ブログでも発行者が「新聞」と名乗っていれば新聞扱いとしていいのでは?」という考えが表明され、「ブログ」という記述等を削除した編集を指しています。--ぽてから会話2013年6月1日 (土) 05:22 (UTC)[返信]
まず、ぽてからさんが、山田の質問に真摯にお答えになろうとされていることに感謝します。引き続き、極力誤解が生じないよう努めながらコメントしていきますので、お付き合いください。
1) ぽてからさんのご趣旨がようやく呑み込めました。「無料ブログ」という表現は、「その閲覧者から料金をとらない=誰でも自由に閲覧できるブログ」という意味と、ぽてからさんが意図されたような、「ブログ開設者が無料でブログを開設できるブログ」のいずれでも解釈が可能であり、山田は前者で理解していたため、後者を意図していたぽてからさんの論点が見えていませんでした。もし、仰るような意味を記事に盛り込まれたいなら、「無料ブログ」といった誤解を生じやすい表現を避けて、「無料のブログレンタルサービスを利用している」といった記述にされるべきでしょう。
さて、2013年5月16日 (木) 17:10 (UTC)利用者:Umesakuramomoさんの編集で「ブログ」が除去されたことをご指摘ですが、5月16日の利用者:Umesakuramomoさんの編集は、ぽてからさんの編集で「ブログ」の語がすぐに復活しています。山田もこの編集は承知しておりました。この節で述べられたぽてからさんのご説明によると、山田が「宣伝を意図した記述をしていないことは承知」されておいでの上で、その後に生じた「文脈」によって「新聞ではなく単なるblogの一種であることの説明が不十分であると考え」て「当初の文脈では、誤解の余地が生まれ、結果的に宣伝につながる可能性が懸念」されると判断されたということになりますが、問題の「文脈」は直後にご自身が除去されているわけであり、印刷物に関する山田の記述を除去される必然性はなかったはずです。
実際、印刷物に関する山田の記述を[利用者:ぽてから|ぽてから]]さんが除去されたのは、5月16日の利用者:Umesakuramomoさんの編集が理由ではあり得ません。山田が、「やや日刊カルト新聞」の印刷物に関する記述をしたのは、13日のこの編集ですが、これをぽてからさんが「宣伝の削除。一度新聞をコミケに出すとか配布した程度の情報は不要。出典が本人サイトのみで特筆性なし。」というコメントともに削除された5月14日です。「当初は、「やや日刊カルト新聞」が、無料blogを利用しているという旨の記述を削除するなどの行為も見られ」と、ぽてからさんが仰っているような事態が起こるのは、実際にはぽてからさんが山田による印刷物に関する記述を削除された後のことです。事実関係をご確認ください。
山田は、ぽてからさんが何らかの悪意をもって事実関係を誤摩化そうとされているとは思いません(そうだとすれば余りに杜撰なごまかしだからです)。しかし、ぽてからさんは、ご自身の思い込みで、これまでの経緯を、もっぱらご自身に都合良く誤って了解されていないでしょうか? ぽてからさんが最初に山田の印刷物に関する記述を削除されたのは、その時点で素直に宣伝的なものと感じられたからではありませんか? その上で、その後のやり取りの中で、この記述を残すべきこと、少なくとも宣伝を理由に除去すべきではないことを了解された、ということではありませんか? 山田はそうあって欲しいと思いますし、ぽてからさんが過度にご自身を正当化しようとするあまり、事実関係を見失われているのではないかと危惧しております。
2) 「一般」という表現は、何か特殊な存在を前提として、それ以外、その他、普通、といった含意で使われる言葉です。ウィキペディアの文脈でいえば、例えば、「管理者」に対して「一般利用者」という言い方は可能であるかもしれませんし、また「荒らし」に対しても可能であるかもしれません。いずれにせよ、そん文脈で何が特殊な存在なのかが共有されていなければ「一般ユーザー」といっても何のことかは分かりません。山田は最初にコメントを拝見したとき、藤倉さんが複数の方々にそうした言葉使いをされているのかと思いましたが、それは誤解であったようです。実際には、ぽてからさんご自身への言葉が問題にされていることが確認されました。確かに藤倉さんの物言いはキツいですね。しかし、「利用者‐会話:藤倉善郎」を拝見する限り、これは、それに先立ってぽてからさんが挑発的な側面も含んだコメントを書かれ、お二人の間でやり取りがあった結果であるようにも見えます。客観的に見て、双方とも感情的な表現を極力避けていただく必要があると考えます。お二人には、方針である「Wikipedia:礼儀を忘れない」、ガイドラインである「Wikipedia:善意にとる」を思い出していただきたいと思います。
しかし、双方に非があるとはいえ、この場合については、率直に申し上げて、ぽてからさんの方に、少しばかり大きな非があるように思います。利用者:藤倉善郎さんは、この5月14日に編集に参加されたばかりの初心者であり、2010年以来の編集経験があるぽてからさんは、ガイドラインである「Wikipedia:新規参加者を苛めないでください」にしたがって、特に慎重に対処されるべき相手であるからです。経験の浅い藤倉さんを挑発されるようなことを、ぽてからさんは、なさるべきではありません。ウィキペディアにおいて「警告を受けたことも不正行為をしたこともない」善良な(「荒らし」ではない)「一般ユーザー」という意味では、藤倉さんもまた同じです。
3) 具体的に残された問題のある記述をご指摘いただいていることは有益であると思います。おそらく藤倉さんも、これについては感謝されていることと思います。既に「#本人から編集依頼です 秘密会合の出席について」においても述べましたが、この問題については、<藤倉さんが、「記者が公表していないプライベート情報やそれを類推できる情報については、発見次第削除しています」と述べた上で「掲載から時間が経った膨大な記事の全てのコメント欄をチェックすることは不可能であるため、削除漏れはあるかもしれません」と仰っているのですから、そのチェック漏れがあることを藤倉さんにお知らせになる方が建設的>です。
4) 「藤倉善郎自身が、Wikipedia:個人攻撃はしないに反する言動を行った実績があります」と書かれていますが、本当にウィキペディア内でそのような言動を藤倉さんが行なった実績があるなら具体的に指摘され、コメント依頼などの方法をとることも含め、問題提起をされるべきであると思います。さしあたり、実績があるとお考えなのであれば、具体例をお示しください。藤倉さんのコメントは、「特別:投稿記録/藤倉善郎」からたどれます。藤倉さんの個々の発言を取り出して読んで見ると、率直に言って「Wikipedia:礼儀を忘れない」に触れるものはあると思いますし、確かに「Wikipedia:個人攻撃はしない」に触れそうなものもあります。しかし、そのいずれもがぽてからさんのコメントに応答するものであり、例えば、無関係なところでぽてからさんなり、他の個人を攻撃していると解せるコメントは見当たらないように思います。藤倉さんの危ういコメントに先行するぽてからさんのコメントも、客観的に見て、挑発的と思われるところがあると考えます。もちろんだからといって藤倉さんのコメントが免責されるわけではありません。しかし、ご自身の発言を棚に上げて、藤倉さんを敬称なしで呼び捨て(これ自体が「Wikipedia:礼儀を忘れない」に触れる可能性があります)、個人攻撃をしていると根拠も示さずに断じられることは、ぽてからさんのコメントの説得力を減殺するものであると思います。
念のためですが、「「やや日刊カルト新聞」ブログや、その他の動画でも類似の状況を閲覧できます。」とありますが、ウィキペディアの外で藤倉さんが何を表現されようと、ウィキペディア内では(少なくとも直ちには)問題ではありません。
なお、山田が質問したのは、「「このようなエキセントリックな人物の主観的見解を集めたBLOGを、「新聞」というくくりで表現しようとすることだけは、絶対に認めるべきではありません。」についてですが、ぽてからは、この表現は「Wikipedia:個人攻撃はしない」に照らして適切とお考えでしょうか?」です。まだ当方の質問にはお答えをいただいていないと思います。藤倉さんがどんな発言をする方であるかは、本来この質問への答とは無関係です。もし、表現上問題はなく個人攻撃には当たらないとお考えなのであれば、そう仰ってください。あるいは、つい相手がひどいものだから、勇み足で個人攻撃ととられても仕方がないことまで書いてしまった、とお考えならそのことをお認めの上で、謝罪すべきかその必要がないかをお考えください。相手が個人攻撃をしたか否かに関わらず、個人攻撃はすべきではありません。もちろん、個人攻撃か否かにはグレーゾーンがありますが、お互いに建設的なコミュニケーションをとりながら、百科事典の作成を進めることがここで私たちが目指すべきことです。
5) ご指摘の編集は、上の1) で述べたように、直後にぽてからさんによって対処されていますし、その後、誰もそのような編集をしようとはしていません。なぜこの点が「...だけは、絶対に認めるべきではありません。」という強烈な表現になるのでしょうか。依然としてご真意を測りかねております。
以上、いろいろ述べましたが、現時点で山田は、ぽてからさんに、諸方針を改めて熟読されることを強くお願いいたします。ご自身の思い込みだけで、記事に記述を書き込んだり、出典のある記述を除去したり、ノートで不必要に喧嘩腰になったりすることは、ぜひぜひお止めください。誰しも完全ではありませんし、誤ることもあります。ある時点で正しかったはずの判断が、後で間違いであったとされることもあります。どうか、諸方針を踏まえ、意見が異なる方々とも(もちろん山田とも)協調的にコミュニケーションがとれるように心がけてください。
なお、この際、利用者:藤倉善郎さんにも呼びかけておきます。ウィキペディアにおけるやりとりは、時に不愉快な思いもするものですが、決して悪意をもったやり取りをエスカレートさせてはいけません。「Wikipedia:礼儀を忘れない」「Wikipedia:個人攻撃はしない」を、ご自身が攻撃的になっていないか、また、攻撃されて不適切に対処していないか、という観点からご一読ください。これは山田の個人的見解ですが、皮肉めいたことを書き込むことも、できれば避けてください。複数の解釈が可能なほのめかしなども同様です。相手を言い負かすことも大切かもしれませんが、最終的には、より多くのコミュニティの支持を得られるような方向を目指したコメントの書き方を心がけてください。--山田晴通会話2013年6月1日 (土) 19:05 (UTC)[返信]
諸方針を拝見しました。まず、これまでの意見表明の際、感情的になり、「Wikipedia:礼儀を忘れない」「Wikipedia:個人攻撃はしない」という観点から見て、望ましいとは言えない表現方法となったケースもあったことを認めます。山田晴通さんのご指摘に感謝するとともに、今後は、冷静で建設的なコミュニケーションを目指すよう、心がけたいと思います。
1) 「無料のブログレンタルサービスを利用している」と記述することは、重要だと考えています。なぜなら、無料のブログレンタルサービスは、配信記事にまつわる個人情報がレンタルサービスを提供してるプロバイダにも筒抜けになります。また、有名なプロバイダは常にハッキングの標的として狙われており、情報漏洩のリスクも通常より高くなります。通常、新聞社が無料レンタルサービスを利用してニュースサイトを開設するケースは、報道通信の秘密の遵守という点から、ほぼありえないと考えています。
「無料のブログレンタルサービスを利用している」ということは、つまりは、このブログ「やや日刊カルト新聞」が、独自のプライバシーポリシーを持たず、個人サイトの性格が強いということを証明づけるものだと考え、明記が必須だと考えています。また、「無料ブログ」という表現から、「その閲覧者から料金をとらない=誰でも自由に閲覧できるブログ」という意味を想起されるケースがあるということは、ご指摘によって、なるほどと気づいた次第です。そのような誤解を生じないためにも、 「無料のブログレンタルサービスを利用している」と記述するべきのようです。
また、自分の編集の意図は、宣伝とならない書き方とするためということが第一です。当初、山田さんが、無料ブログの「無料」を削除して紙媒体の記述をされた際、直感的に宣伝的と感じたことは否定しません。しかし、現在の版では、「無料のブログレンタルサービスを利用している」と記述した上で、紙媒体が4,000部程度であることも書いてあり、さらに米本和広氏が伝聞した見解もあります。現在の版の文脈においては、同じ紙媒体の記述をしても宣伝的にはなっていません。そうした結果により、山田さんの記述が宣伝的であったということではなく、前後の文脈に、より正確な情報を補い、記事を充実させることで解決出来る問題だったと、現在では解釈しております。それは、編集をすすめるなかで気づいたことであり、「文脈による」という発見は確かに当初の見解ではなく、現在の見解を表明したものでした。
2)「一般」という表現は適切ではなかったようです。冷静さを欠いたまま記述していたことを認めます。
3)[感情的な文章のため除去--ぽてから会話2013年6月4日 (火) 05:54 (UTC)]今後、発見したら教えて差し上げることとします。[返信]
4)やや感情的となっていたことを認めます。また、宣伝を意図していない山田さんに対して発言する必要は、とくにありませんでした。山田さんに不愉快な言動をとってしまったことをお詫びいたします。
5)山田さんには直接関係のないことですが、本日、「2001:3b0:10:1::8a」さんにより、「ブログ」の削除と「新聞」と表記しようとする試みがありましたので、意見を表明しておきます。「やや日刊カルト新聞」ブログは、現在の形態から検証して、「新聞」からはほど遠い媒体である可能性が高く、「新聞」の一種と表記することは宣伝的な記述にあたる可能性が高い」と考えています。
とくに、無料のブログレンタルサービスを利用していること、また通常の新聞で行われる「原稿チェック」「校閲」「校正」が複数の人物によりなされていない可能性が高いこと、寄付を受け付けており新聞を販売していないこと、Googleニュース以外のニュース配信媒体への登録がないことは大きいと考えます。
「無料のブログレンタルサービスを利用していること」と「通常の新聞で行われる「原稿チェック」「校閲」「校正」が複数の人物によりなされていない可能性が高いこと」についての詳細は前述しました。「寄付を受け付けており新聞を販売していないこと」により、寄付をする団体や個人の意向に沿った記事となる可能性が極めて高く、公共性が低い媒体となりうると考えています。新聞を販売しているのであれば、ある一定量の読者の支持を得られる内容となっていくものです。しかし、寄付をする団体や個人は極めて少数であり、「やや日刊カルト新聞」ブログ側に対して、強い態度で「このような記事を書いてはいかがですか」等の要望を言うことが可能な立場となることが想定されます。また、Googleニュースは、現在、アドバトリアル(記事広告)が混在するメディアが多数含まれていることが、公式に認められているのは[4]から明らかであり、「新聞」であることの証明にはならないと考えています。
たとえば、Yahoo!ニュースの配信さえも、ニュースメディアとは言えないメディアも多数リンクされていますが、「やや日刊カルト新聞」ブログは、Yahoo!ニュースで配信されることもありません。
実は、「やや日刊カルト新聞」のWikipediaのページが削除される前、「やや日刊カルト新聞」がブログであるという記述を削除し、「新聞である」という記述を試みるIPユーザーの方が、ちらほらいました。IPユーザーなので、話し合いをしようにも相手の応答もないまま一方通行となり、編集合戦になり、ついには削除となった経緯があります。
その時代からの宣伝行為を目にしていたため、「絶対」という強い表現をとってしまいましたが、本来、コミュニティーの合意に基づくべきであることを認めます。--ぽてから会話) 2013年6月2日 (日) 05:45 (UTC)修正--ぽてから会話) 2013年6月2日 (日) 05:57 (UTC)コメントアウト--ぽてから会話2013年6月4日 (火) 05:54 (UTC)[返信]


話の中に入らさせてもらいます。「無料のブログレンタルサービスは、配信記事にまつわる個人情報がレンタルサービスを提供してるプロバイダにも筒抜けになります。」についてですが、ぽてからさんがどういった意味で使われているのかが、私にはわかりませんが例えば、無料のブログレンタルサービスで、私がAさんについて記事を書くとします。これだけでは、プロバイダー側はAさんの記事の書かれた範囲の事しかわかりません。またハッキングにあったとしても、記事を書いた人が自分の記事資料が自分のPCがハッキングがあわない限り記事資料が漏れる事がありません。なので、新聞社が無料レンタルサービスを利用しない理由は「報道通信の秘密の遵守」からではありません。実際は、無料のレンタルWebサービスだと広告が入るからです(他にも理由がありますが・・)。通常のWeb配信の新聞社は、広告収入によるところが大きいためです。もしよろしければですが、ぽてからさんのイメージしている「個人情報がレンタルサービスを提供してるプロバイダにも筒抜け」という事実の典拠を示してもらえればと思います。--Dormir30会話2013年6月2日 (日) 16:17 (UTC)[返信]
山田様。お気遣いとご助言、ありがとうございます。ぼくは「藤倉善郎」のページに限らずWikipediaの編集に参加する気はありません。自分ややや日刊カルト新聞のメンバーに関する事実無根のデマや権利侵害が目に余ったために、その点を指摘するためだけにWikipediaにアカウントを作りました。その指摘を編集に反映させるかどうかはコミュニティのみなさんの判断に委ねます。記事をどう編集するのが好ましいのかという本来の議論には参加しません。実際にこのノートでその旨を発言しました。そういうスタンスを明示している人間に対してケンカを売ってくる行為は、そもそもがWikipediaのルールから逸脱したケンカのお誘いです。そういうものへの対応として、今回のぼくの言動は不適切だったとは思いません。ただ、それがノートではなく個人間の会話でのことであっても、コミュニティのみなさんの手間を増やしてしまうことが、よくわかりました。その点は、本当に申し訳なく思います。今後Wikipedia内でのケンカのお誘いは無視したいと思います。--藤倉善郎会話2013年6月3日 (月) 15:58 (UTC)[返信]

Googleニュースについて、アドバトリアル(記事広告)の指摘が当てはまるかどうかは、ぽてからさんの意見、推測、「未来の予想」に過ぎないので書く必要はありません。(ウィキペディアは何ではないかという基本方針にも明示されています)。とにかく不完全情報に基づく記述や潜在的中傷は即時除去なのは存命人物記事の基本原則ですから、ここでの合意云々よりも存命人物記事の基本原則が優先します。--2001:3B0:10:1:0:0:0:8A 2013年6月2日 (日) 08:07 (UTC) ぽてからさんの判断を尊重するなら、朝日新聞社の書評サイトも記事広告なのでアウトということになりますね。--2001:3B0:10:1:0:0:0:8A 2013年6月2日 (日) 09:08 (UTC)[返信]

Googleニュースについて、米Google、アドバトリアル(記事広告)が混在するメディアをニュース検索から排除すると表明をご確認ください。現在、Googleニュースは、「金銭の受け渡しによって書かれた記事や、記事中のリンクを販売することで利益を得ようとするといった特性を持つニュースメディア」を排除している最中のようです。
さらに、「名指しはしませんけれど、「某ポータルサイトにあなたの商品や会社の記事を掲載できます、文中に好きなキーワードでリンク張れます、SEOに効果的」といった趣旨のメールを某ディレクトリ登録利用社向けに送信している某社さんとか、プレスリリース配信サイトという体裁で実質的にリンク販売の場を提供している某社さんとか、ゴミみたいなニュースサイトがニュース検索日本語版には結構な数で含まれているのですよ。」により、Googleニュースに、ニュースサイトと呼ぶには不適切な配信も多く含まれていた事実をご確認ください。この記述より、そもそも、Googleニュースは、「ジャーナリズムの価値を損なうメディア」でも、登録出来てしまうという事実がわかります。意見、推測、「未来の予測」ではないので、ご確認ください。また、朝日新聞社の書評サイトはアウトであるということは、述べていません。あくまでも、Googleニュースは、様々混在しているために、Googleニュースに登録されたことがニュースサイトであるという証明にはならない、ということです。
また、Googleニュースでは「やや日刊カルト新聞(ブログ)」という登録名でしたので、それも明記しました。--ぽてから会話2013年6月2日 (日) 10:27 (UTC)[返信]
ちなみに、GIGAZINEは、http://gigazine.net(URL)からも明白ですが、独自ドメインを取得しています。これに対し、「やや日刊カルト新聞(ブログ)」は、無料のブログレンタルサービスからドメインも無料レンタルしており、大きな違いがあります。「無料のブログレンタルサービスを利用している」ニュースサイトを自分は見たことはなく、「個人ブログに近い」ことを表していると考えています。ですから、この記述は重要だと考えています。しかし、「無料で閲覧出来る」ニュースサイトや個人サイトは、数多くありますから、この意味で「無料」を強調する必要はないと考えます。--ぽてから会話2013年6月2日 (日) 12:27 (UTC)[返信]
記事の注記(現時点では21)の内容に、典拠がなかったので、要検証範囲を貼付しました。具体的には、次のような文言です。
「Googleニュースは、通常のニュースだけではなく、アドバトリアル(記事広告)が混在するメディアも多数配信されている。そのため、Googleニュースに登録されたことは、「ニュースサイト」であることを指さない。また、複数のニュースソースは、Googleニュースから対価を受け取ることで記事提供しているが、この媒体は無料で記事提供している。」
上で言及されている「米Google、アドバトリアル(記事広告)が混在するメディアをニュース検索から排除すると表明」が報じている、アドバトリアル云々は、米国の(英語版の?)Googleについての今年の3月にこれを排除すると表明されたことを伝えるものです。この記事の中で、日本のGoogleニュースについては最後に言及されており、そこでは問題を通報したら程なくして対応されたことが記されています。この報道から既に2か月ほど経過していますが,現状の日本のGoogleニュースにおいても「通常のニュースだけではなく、アドバトリアル(記事広告)が混在するメディアも多数配信されている」といえるのでしょうか?
この部分について、早急に適切な典拠が示されることを期待しますが、もし典拠が示されなければ、Googleが2か月以上前に公的に表明した方針に反した実態がある、と無根拠に主張することになってしまいますので、除去されるべき記述であるように思います。以降の記述も含めて、適切な典拠が提示されることを期待します。--山田晴通会話2013年6月2日 (日) 14:19 (UTC)[返信]
ブログ、風刺、プレス リリース サイト - Googleニュース ヘルプによると、Googleニュースでは、ニュースサイトではなくブログと判断したソースに「(ブログ)」というタグを付けるとあります。ですから、Googleニュースは、「やや日刊カルト新聞(ブログ)」をニュースサイトではなく、ブログであると判断していることになります。この旨を記述するのはいかがかと思います。
当初は、ニュースに登録する - Googleニュース ヘルプにあるように、「有料広告や販促などのニュース以外のコンテンツが混在している場合も、ニュースサイトとして認められる」という注釈が適切だと考えましたが、意見を修正します。
注釈として、「「(ブログ)」という表示は、Googleニュースにおいて、ニュースサイトではなくブログとして登録されていることを指す。Googleニュースの見解では、たいていブログには個人的な見解が含まれるとし、ブログと判断したソースには「(ブログ)」というタグを、名称に並記して表示している。」等に、修正することを提案します。--ぽてから会話2013年6月2日 (日) 15:19 (UTC)[返信]
ちなみに、GIGAZINEは、ブログ形式ですが、Googleニュースでは名称の横に「(ブログ)」と表示されていないため、ブログではなくニュースサイトとして認識されていることがわかります。ですから、「やや日刊カルト新聞(ブログ)」が、ブログ形式であるから「ブログ」と判断されたというわけでないことがわかります。--ぽてから会話2013年6月2日 (日) 16:06 (UTC)[返信]
補足です。プロバイダに情報が筒抜けという意味は、配信記事を書いた人の個人情報がプロバイダに知れるという意味です。
常識として、IP、メールアドレス、書いた人の個人情報(本名や生年月日等)がプロバイダのサーバに記録されることはご理解いただけるものと存じます。その他、アップした映像、音声、文章、写真、画像、ソフトウェアは、自動的にプロバイダのサーバに共有されることになります。
個人ブログであれば、自分が良ければそれでいい話です。しかし、複数の人物が書く場合、ログイン画面を複数の人がのぞくことにより、他人の書きかけの記事や、他人が著作権を有する媒体、他人の個人情報等を閲覧出来ることになります。つまり、第一に、記者間で、プロバイダのサーバを通じて、プライバシー情報が筒抜けとなってしまいます。また、第二として、悪意を持つプロバイダの人間がいるとしたら、容易に個人情報をのぞかれてしまいます。悪意を持つ人物がプロバイダにいれば、スクープもダダ漏れになる恐れさえあります。
また、もし、ネット上で情報漏洩した場合、ログインIDやパスワード、メールアドレス、書いた人の個人情報、アップした映像、音声、文章、写真、画像、ソフトウェア等が流出してしまいます。年ガラ年中、ハッキングの標的となっているようなプロバイダを選ぶニュースサイトなど、あるのでしょうか?(GoogleやYahoo!ブログを利用したニュースサイトは、GoogleニュースやYahoo!ニュース以外、見たことがありません。)
さらに、Googleの場合、同じメールアドレスで登録してるGoogleサービスやyoutube、Facebook、Twitterなどの情報が統合されやすく、想定外のプライバシー情報流出もありうることです。
仮に、無料のレンタルWebサービスで広告が入らないとしても、普通の新聞社が無料のレンタルブログサービスを利用するなど、ありえないとしか思えません。--ぽてから会話2013年6月2日 (日) 17:08 (UTC)[返信]
誤解のないように、いかなる人物にも、Wikipediaにて「ケンカを売る」という行為はしたつもりがないことを、ここに表明いたします。(具体的な記述もないので、いったい、なにを指すのかわかりませんが)--ぽてから会話2013年6月3日 (月) 16:50 (UTC)[返信]
ぽてからさんが「Googleニュースでは、ニュースサイトではなくブログと判断したソースに「(ブログ)」というタグを付けるとあります」と主張していますが、ぽてからさんが典拠としているブログ、風刺、プレス リリース サイト - Googleニュース ヘルプに、Googleニュースにおいて「ブログ」と表記されているものをGoogleニュースが「ニュースサイトではない」ものとして扱っているとする旨の記述は一切ありません。一方でGoogle ニュースに登録する - ニュース (ソース提供元) ヘルプには、「ニュースの一般的なガイドライン」として「ニュース コンテンツであること」「報道の基準を守っていること」等が記載されています。2つの記述を総合すると、Googleニュースは、登録されるサイトの記事を「報道の基準を守ったニュースコンテンツ」とする前提に立った上で、ニュース提供元の形態について「ブログ」というカテゴライズを行なっていると表明しているにすぎません。「Googleニュースが『ブログ』と表記しているものはニュースサイトではない」と表明している記述は存在しません。「やや日刊カルト新聞」が客観的に見てニュースサイトと呼べるのかどうかについてのみなさんの議論にぼくは立ち入りませんが、少なくとも、Googleニュースが「やや日刊カルト新聞」を「ニュースサイトではない」と評価しているかのような説明は、事実に反していることを指摘しておきます。--藤倉善郎会話2013年6月4日 (火) 15:50 (UTC)[返信]

「その他のニュース配信サイトで、記事が配信されることはない」について

この記述は、現時点で明確な典拠はありません。例えば、「やや日刊カルト新聞」において、<ニュース配信サイトとしてはGoogleニュースだけで配信しています>といった趣旨の記述があるなら、それを示してください。

典拠が示されないなら、これは不在証明(いわゆる「悪魔の証明」)であり、一事資料にもとづく独自研究であるように見えます。

特に、ここでは「ニュース配信サイト」の定義が明確ではないという大きな問題があります。すべての「ニュース配信サイト」を精査した結果、「やや日刊カルト新聞」がGoogleニュース以外には配信されていなかった,といったことを確認することはそもそも可能なのでしょうか? また、もしそれが可能であるとしても、それは、一事資料にもとづく独自研究ということになります。

適切な記述の仕方は、Googleニュースには取り上げられている、という事実だけを記載することであると考えますが、いかがでしょう。--山田晴通会話2013年6月2日 (日) 10:15 (UTC)[返信]

典拠を示すのは不可能のようです。当初は、「Googleニュースで配信している」と表記することにより、「やや日刊カルト新聞(ブログ)」を実態と離れたイメージで捉える人が出ることを懸念してこのような表現としました。しかし、Googleニュースにて、「やや日刊カルト新聞(ブログ)」という登録名であることを確認し、「ブログ」の一種と認識されていることが確認出来ました。よって、上記のような懸念も解消できました。
「 Googleニュースへは、「やや日刊カルト新聞(ブログ)」という名称で登録されている。」という表記であれば、他ニュースサイトへの言及を削除することに同意します。--ぽてから会話2013年6月2日 (日) 10:34 (UTC)[返信]
この部分については、ある程度編集合戦になっているようなので一度合意が取れた後に私も編集しようと思います。私自身、「Googleニュースには取り上げられている」という表記に賛成です。実際に、Google社のニュース コンテンツであること等が守られているようなので実際の(ブログ)という表記は不必要かと私は思います。--Dormir30会話2013年6月2日 (日) 16:25 (UTC)[返信]
一度合意がとれたあとに、合意なしで編集されると、編集合戦となる可能性がありますので、ノートページで意見を表明していただけると助かります。「Googleニュースへは、「やや日刊カルト新聞(ブログ)」という名称で登録されている。」というのは事実ですし、Googleニュースでは、ニュースサイトではなくブログであると認識されていることが明白であるため、誤解が生じません。 「Google社のニュース コンテンツであること等が守られている」ということは、具体的になにを指すのでしょうか?
Googleニュースには、ニュースサイトではなくブログとして登録されている、という客観的事実が重要であり、配信元がどのように振る舞っているか、ということはGoogleニュースの客観的評価とは関係ないことです。--ぽてから会話2013年6月2日 (日) 17:13 (UTC)[返信]
前にも要約欄で言いましたが、ブログというのは作成手段であり評価基準ではありません。それと、ここは存命人物のページであり、やや日刊カルト新聞のページではありません。藤倉氏の説明をするのに、やや日刊カルト新聞の記述が不可欠なのだから記述するのであって、やや日刊カルト新聞の記述は藤倉氏の説明をする「手段」であり「目的」や「主題」ではありません。やや日刊カルト新聞についての粗捜しや意見をかき集めるのであれば、記事の主題から外れているといわざるを得ません。どちらかというと、ぽてから氏の各種方針に対する不理解が原因なので、今後の議論はぽてから氏の会話ページに移行したほうがいいと思います。--2001:3B0:10:1:0:0:0:8A 2013年6月2日 (日) 21:52 (UTC)[返信]
2001:3B0:10:1:0:0:0:8Aさん提案ありがとうございます。ここ以外の箇所でも、ブログという表記等について、現在進行形で話されている以上は、一度その経過を見守ってからこの部分の編集をしようと思います。幸いな事に、ぽてから氏からも一度合意がとれた後の編集を提案されていますし、とりあえず戻しておきます。--Dormir30会話2013年6月3日 (月) 02:57 (UTC)[返信]
自分の意見が、勘違いされているかもしれないので、再度、述べます。
「一度合意がとれた後の編集」というのは、ノートページで合意した後に、合意した事項を編集するという意味で、書いたものです。
ノートページで合意した後に、ノートページで合意していない議論中の事項を編集したら編集合戦となってしまいかねないので、それはやめましょう。編集する前に、ノートページで合意をとりましょうね。という意味で書いたつもりでした。
Googleニュースで「やや日刊カルト新聞(ブログ)」と表記されていることに関し、出典があるので妥当な記述であると考えています。そうではない、と考えておられるのでしたら、ノートページで、なぜそうではないのかという出典をお示しいただきたいと思います。
また、ブログ「やや日刊カルト新聞」についての議論を、自分のノートページで行うと、その後、継承されずに、同様の議論を繰り返すなどの問題が発生する恐れがあります。ですから、ブログ「やや日刊カルト新聞」に関する議論は、藤倉善郎さんのノートページで行うのが妥当だと考えます。--ぽてから会話2013年6月3日 (月) 13:21 (UTC)[返信]
ひとつだけ具体例を挙げて、ぽてからさんに質問したいと思います。結局、ぽてからさんはGoogleニュースの見解では、たいていブログには個人的な見解が含まれるとしという編集でも「出典を根拠に書いているんだ」と言いたいんですよね。しかし、それは、出典先の記述ではなく、ぽてからさんの意見ですよね? 出典先にはどこにもそのようなことは書かれていないように思います。--2001:3B0:10:1:0:0:0:8A 2013年6月3日 (月) 15:17 (UTC)[返信]
ブログ、風刺、プレス リリース サイト - Google ニュース ヘルプをご覧ください。折りたたまれている「ブログ」を展開すると、「多くの場合、ブログの投稿には個人的な見解が含まれています。ブログと判断されたソースには「(ブログ)」というタグが提供元名の横に表示されます。」と書いてあります。これは、Googleニュースの運営の見解であり、いかなる個人の意見も関与するものではありません。--ぽてから会話2013年6月3日 (月) 17:23 (UTC)[返信]

「やや日刊カルト新聞(ブログ)」がブログであると表記するのが悪口に当たるのか?

2001:3B0:10:1:0:0:0:8A さんより、「一連の返信を見ると、ぽてからさんが各種方針について理解していないことがわかりました」等の批判がありました。しかし、大変申し訳ないのですが、批判の主旨が、一つも理解出来ませんでした。以下、2001:3B0:10:1:0:0:0:8Aさんのコメントに対する疑問点を記しますので、ご意見をお伺い出来ればと存じます。

1)「一連の返信を見ると、ぽてからさんが各種方針について理解していないことがわかりました。」への疑問。

「一連の返信」と「各種方針」について、具体的に何を指しているのでしょうか?

2)「しかし、その点については私が指摘しても理解してもらえない気がするので少し視点を変えます。」への疑問。

Wikipediaは、話し合いによって解決し合う場だと思います。指摘がないと、指摘している側の勘違いなのか、指摘された側の勘違いなのか、あるいは、双方が無理解なのか、さっぱりわかりません。2001:3B0:10:1:0:0:0:8Aさんは、話し合いのないままに好きに編集しているという自覚はありますか?指摘するべきは指摘するべきだと思いませんか?

3)「ぽてからさんの書いている文章では、「すでにわかっている」ことを前提にして記述しているので、事情のわからない読み手の側にとってはなにがなんだかわからないと思います。」「ぽてからは「書き手」の立場として、すでに「わかっている」ことを前提に記事を書いてしまっています。」への疑問

いったい、何をわかっていて、何を省略して書いているという意味でしょうか?

4)「やや日刊新聞について、「ニュースサイトである」という根拠の記述がどこにも書いていないまま、「ニュースサイトではない」という記述を、ぽてからさんの意見を交えて書いてしまっています。」への疑問

どこが、意見を交えた箇所でしょうか?

5)「「ニュースサイトではないんだぞ」という記述をだらだら書いて」への疑問。

「ニュースサイトではないんだぞ」とだらだら書いている、というのは何を指しているのでしょうか?「だらだら書いている」という言葉の裏には、「本来は必要ないのに、Wikipediaの方針に反して、個人的見解を好き放題に書いている」というニュアンスが潜んでいますが、これは執筆者に対し、非常に失礼な物言いであると思います。山田晴通さんも、自分も、より良い記事にしようと思い、典拠を探したり、よりぴったり来る表現を練って書いています。そして、疑問に思ったことも、議論を重ねてお互いの誤解が判明したり、理解を深めながら共同執筆しているものです。当初の記載が未熟で伝達しづらいということはあるかもしれませんが、それは「だらだら書いている」わけではなく、推敲が足りなくて表現が未熟であるだけということだと思いませんか?そして、現在の版では、山田さんのおかげで随分と読みやすくなっているし、充実してきていると思います。

6)「読み手の側から見れば、悪口ばかり書いてある印象だけ強くなり」への疑問

あるサイトについて、「ブログである」と書くことが悪口であるという理由がわかりません。たとえば、「きっこのブログはブログである」「池田信夫blogはブログである」「▲学校の生徒が▲新聞というブログを運営している」と書くのが、悪口にあたるというのでしょうか?多くのブログで、最近の出来事に関する見解や速報を書いたりしている人や団体が存在しますが、それは、なにか恥ずべきことなのでしょうか?それとも、団体がブログを運営すると書くことが悪口に当たるという意味でしょうか?
また、Googleニュースが、ブログ「やや日刊カルト新聞」は、ブログであると記載したほうが親切だという主旨で「ブログ」と表示していることが、そもそも、悪口だというのでしょうか?

7)「文脈としての意味がわかりません。」への疑問

いったいどこが意味がわからないのでしょうか?そして、それをどう修正すればわかるようになるというのでしょうか?そもそも、Wikipediaは誰でも編集出来るわけですから、いっそうわかりやすいように加筆すればいいのではないでしょうか?(わかりにくい文章を書いた人を個人攻撃する必要はありません。)

8)「ぽてからさんの文章の書き方はほとんどこのパターンに陥っています。(おそらく、ぽてからさんは意見ではなく出典だと言い張ると思いますが、まあ、そこは今回はいいです。)」への疑問

「このパターン」というのは、「「ニュースサイトではないんだぞ」という記述をだらだら書いてしまうパターン」という意味でしょうか?「ほとんどこのパターンに陥っている」というのは、具体的にはどの箇所が、「このパターンに陥っている」というのでしょうか?

9)「読み手側は事情通ばかりとは限りません。「わからない」から「知るために」記事を読むんです。それが百科事典です。それらの読み手の立場に立って記事を書いているのでしょうか。」への疑問

自分としては読み手の立場に立って誤解が生じないように注意を払って書いているつもりです。いったい、どこが読み手の立場に立っていないのでしょうか?具体的に読み手の箇所にたって書いていない箇所はどこでしょうか?

10)「もう少し冷静に記事を書いてください。」への疑問

いったい、現在の版のどこが冷静さを欠いた記述でしょうか?それをどのように修正するべきだというのでしょうか?--ぽてから会話2013年6月3日 (月) 17:18 (UTC)[返信]


>「一連の返信」と「各種方針」について、具体的に何を指しているのでしょうか? について各種方針についてはノートページで記載しても有益であると思うのでここで書きます。それ以外については個人の問題ですから記事のノートページに書くべきではないと考えます。

  • Wikipedia:五本の柱ウィキペディアは中立的な観点に基づきます。これは、どの観点に基づく主張もしないような項目を書くように努力することを意味します。時には、複数の観点を記述する必要もあるでしょう。その場合、各々の観点を正確に記述します。また、各々の観点の背景を説明することにより、その観点は誰の主張なのかを読者が理解できるようにします。そして、どの観点も「真実」や「最良の観点」と紹介しないようにします。中立的な観点に基づくということはまた、可能な限り検証可能で信頼できる出典を明記するということをも意味します。
  • Wikipedia:存命人物の伝記#批判・あら探し評論家の見解は、それが項目本人の著名性に釣り合う重要なものでなおかつ百科事典的で、記事に有益で、信頼できる情報源に基づくものならば、記事を損なったり評論家に肩入れするような書き方でない限り明言すべきです。少数派の意見が一般的であるかのように不釣合いな量の加筆はしないように注意してください。評価は確かな出典がなくてはなりませんし、項目についてのものでなければいけません。

Wikipedia:独自研究は載せない#特定の観点を推進するような、発表済みの情報の合成、やWikipedia:中立的な観点のリンク先もご覧ください。これを読んでも全く問題ないとお考えでしょうか。--2001:3B0:10:1:0:0:0:5 2013年6月4日 (火) 05:58 (UTC)追記、また私のIPが変わってしまいました、2001:3B0:10:1:0:0:0で続くのはすべて同一人物、私の書き込みです。--2001:3B0:10:1:0:0:0:5 2013年6月4日 (火) 06:09 (UTC)[返信]

大変申し訳ありませんが、どこの記述がどのように問題であるのか、具体的に教えていただけませんでしょうか?現状、どこを指しているのかが明確ではないために、修正のしようがありません。--ぽてから会話2013年6月4日 (火) 08:26 (UTC)[返信]
また、Wikipedia:五本の柱Wikipedia:存命人物の伝記#批判・あら探しの観点から問題のある記述を放置したままとすることは、「個人の問題」ではなく、コミュニティ全体の損害であると考えます。どこの箇所がどのように問題であり、どのように修正するべきか、ということを話し合う場が、このノートページのはずですので、是非、記載をお願いします。(そうでなければ、単に、抽象的に個人攻撃されているだけになってしまいます。)--ぽてから会話2013年6月4日 (火) 08:30 (UTC)[返信]
記事全体の話をしています。批判節「米本氏の批判」や「サイエントロジーに関する記者会見」の記述を見て、「記事を損なったり評論家に肩入れするような書き方」と思わないのでしょうか。まるで犯罪者であるかのような記事内容になっています。まずは、ぽてから氏が異常であると認識するのが先です。結果的に批判的になったというよりは、批判のための批判に徹した材料を集めまくって記述をしているといわざるを得ません。(実際に編集履歴を見れば、そう思われても仕方がありません)--2001:3B0:10:1:0:0:0:5 2013年6月4日 (火) 09:33 (UTC)[返信]
個人的には、「犯罪者であるかのような記事内容」を目指していませんし、そうなってるとは全く思いません。また、「異常」と個人攻撃を行うのは停止してください。私見ですが、藤倉善郎さんは、あれほどのことを「やや日刊カルト新聞(ブログ)」で書く人物ですから、この程度の記述などなんとも思わないのではないですか。「米本氏の批判」や「サイエントロジーに関する記者会見」に関しても、「やや日刊カルト新聞(ブログ)」他多数の紙面で、相当書いておられるようですし。個人的には、事実を出典に基づいてあるがまま書いたものであると認識していますが、今後も推敲を続けるぶんにはやぶさかではありません。改善案をお示し下さい。--ぽてから会話2013年6月4日 (火) 09:52 (UTC)[返信]
‎2001:3b0:10:1::5さんは、関係者であるなら表明してください。関係者でしたら、事実関係などがもっと詳細にわかるのでしょうから、もっと違ったアプローチで話し合いが出来るものと思います。また、以前、「やや日刊カルト新聞」というWikipediaのページを編集されていた方と非常に似ている主張の仕方をされるなあという印象を持ちました。もし、「やや日刊カルト新聞」の時代も編集をしていた方でしたら、それを表明していただけると、話が早いと存じます。--ぽてから会話2013年6月4日 (火) 10:17 (UTC)[返信]
もう根本的に駄目ですね。ぽてからさんは、藤倉氏に対して強い不満を持ち、また強い不満を持つような組織に所属し、確固たる意思で批判のための批判執着しているのは編集履歴やノートでの発言を見れば明らかです。私については追記の部分で「2001:3B0:10:1:0:0:0で続くのはすべて同一人物、私の書き込み」と表明済みですから、何度も言わさないでください。後は他の方にお任せします。ぽてからさんは藤倉氏がらみの編集に多量の時間の費やす情熱をお持ちのようですから、今後もご活躍をお祈りします。--2001:3B0:10:1:0:0:0:5 2013年6月4日 (火) 11:20 (UTC)[返信]

個人攻撃はお互い、辞めときましょう。ただぽてから氏の米本、内海氏という藤倉氏と少し敵対の方向にある人の言動のみを多く載せている状態は私もwikipediaの中立性を崩していると思いますし、私以外の人もフリージャナリスト等の争いの片方の意見を載せるべきとは思っていません。--Dormir30会話2013年6月4日 (火) 11:43 (UTC)[返信]

そうですね。ぽてから氏へ直接呼びかけるのはやめます。無駄な労力に終わり議論の流れがわかりにくくなるので。他の人に対しての書き込みは続けようと思います。--2001:3B0:10:1:0:0:0:5 2013年6月5日 (水) 01:57 (UTC)[返信]
Wikipedia:個人攻撃はしないをお読みいただき、個人攻撃は速やかに停止をお願いします。また、上記の質問に対する誠実な回答もお待ちしています。--ぽてから会話2013年6月5日 (水) 06:17 (UTC)[返信]

Googleニュースで「やや日刊カルト新聞(ブログ)」と表示されている件

現在の版は問題なさそうですが、「やや日刊カルト新聞(ブログ)」がブログであると記述することについて諸見解があるようです。今後の編集合戦を回避するために、下記、まとめてみました。

Googleニュースは「やや日刊カルト新聞(ブログ)」を「ニュースサイト」ではなくさまざまな視点で書かれた特定のコンテンツタイプと分類している

2013年6月5日現在、「やや日刊カルト新聞(ブログ)」の2記事が、Googleニュースで閲覧できます。 まず、ブログ形式のニュースサイトGIGAZINEは、Googleニュースに「GIGAZINE」と登録されており、(ブログ)表示はありません。つまり、Googleニュースは、ブログ形式のソースだからという形式論で(ブログ)表記をしているものではないと言えます。

以下、ブログ、風刺、プレス リリース サイトの要旨を記しておきます。 Google ニュースでは、ニュース サイトだけではなく、さまざまな視点で書かれた記事をできる限り多く、ユーザーに提供したいと考えており、特定のコンテンツ タイプについては、それをわかったうえでクリックしたいとのリクエストが多くのユーザーから寄せられているといいます。そのために、ブログ形式で公開された記事、風刺的なコンテンツが含まれる記事、プレス リリースには、提供元名の横に特別なタグ(ブログ、もしくは風刺、もしくはプレスリリース)を表示しているそうです

  • ブログ

「通常、ブログは見ればブログだとわかり、標準のブログ形式に従って、最新のエントリから順に表示されています。多くの場合、ブログの投稿には個人的な見解が含まれています。ブログと判断されたソースには「(ブログ)」というタグが提供元名の横に表示されます。」

  • 風刺

「さまざまな意見やコンテンツを提供するために、Google ニュースには、時事問題を風刺的に、多くの場合、大げさに面白おかしく表現して社会的主張を行っている記事が含まれます。このような記事には「(風刺)」というタグを付けて、風刺的な記事であることが読み手にわかるようにしています。」

つまり、ブログの投稿には、多くの場合に個人的な見解が含まれているものであるから、「ブログ」と表示されているソースは、ニュースサイトではなく、さまざまな視点で書かれた記事すなわち特定のコンテンツタイプであることを、Googleニュースが表明しています。 参考までに、(風刺)の表示のある媒体は、時事問題を風刺的に、多くの場合、大げさにおもしろおかしく表現して社会的主張を行っているケースに表示し、通常のニュースサイトではなく、特定のコンテンツであることが一目でわかるようになっているといいます。

また、Googleニュースは、ニュースサイトだけではなく、個人的な意見を含んでいる(ブログ)や、大げさにおもしろおかしく表現された社会的主張を含んでいる(風刺)も、公式に配信しているということです。ですから、Googleニュースで配信しているから、イコールニュースサイトであるとは言えません。

上記は、Googleニュースのヘルプに書かれていることであり、決して、個人の意見ではありません。

要するに、Googleニュースは、「やや日刊カルト新聞(ブログ)」を、さまざまな視点で書かれた多くの場合個人的な見解が含まれている「ブログ」だと判断しており、ニュースサイトではなくさまざまな視点で書かれた特別コンテンツであると分類しているということです。

また、個人的な見解を書くことにより、より面白い読みやすい記事を目指すということは、悪いことでもなんでもなく、悪口に当たらないものです。個人がニュースに関してコメント付きで書くことは、多くのブログで見られる現象であり、それは、概して、ニュース報道を読むよりも興味深いケースも多いものです。

「やや日刊カルト新聞(ブログ)」が「新聞」ではない

別の視点からいうと、多くの謝罪請求、削除請求、訴訟提起、著作権侵害の捜査等のトラブルが発生しているという理由も、「やや日刊カルト新聞(ブログ)」が新聞ではなく、独自な見解を含むものであるため、ということも言えます。通常、新聞は、事実だけを簡潔に報道するものです。新聞社の共通見解である社説や著名人物による意見などの発信もありますが、報道よりも少ない割合となっています。新聞の記事が名誉毀損や削除請求をされるケースは、雑誌記事のそれに比べて、少ないことは常識としてご理解いただけると思います。 紙媒体でたとえると、「やや日刊カルト(新聞)」は、簡潔に事実だけを報道した新聞ではなく、独自性をもたせて情報発信する雑誌等に近い媒体であることは、ご納得いただけると思います。藤倉善郎さんは、新聞記者ではなく雑誌などに寄稿するジャーナリストであるそうですから、自ずと、雑誌読者に喜ばれる内容や文体となるのは当然でしょう。

初見の人は、「やや日刊カルト新聞」という表示だけを目にすると、「カルトにまつわる情報が、新聞のように簡潔に書かれたもの?」と思ってしまうかもしれません。しかし、実態は、記者の個人的体験や個人見解も含んだ情報発信であるわけです。ですから、「やや日刊カルト新聞(ブログ)」とすると、「書いている人のさまざまな視点も入っているのだな」と容易に想像できて、親切だろうと思います。

また、繰り返しになりますが、新聞と雑誌を比べてどちらの媒体が劣っているとか、ブログが劣っているなどということはありませんし、「新聞ではない」と書くことは決して悪口に当たらないと考えます。むしろ、ユニークで鋭い個人的見解を読みたい読者も多いことでしょうし、「新聞」よりも「ブログ」を読みたい人も多数いることでしょう。--ぽてから会話2013年6月5日 (水) 06:13 (UTC)[返信]