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{{Infobox 組織
{{出典の明記|date=2011年4月}}
| 名称 = 正義者同盟<br /><small>'''''{{lang|de|Bund der Gerechten}}'''''</small>
'''正義者同盟'''(せいぎしゃどうめい、der Bund der Gerechten)とは、歴史上最初に生まれたドイツ人[[共産主義]]の[[秘密結社]]である。義人同盟とも訳される。
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| 画像説明 = {{small|最も著名な指導者だったヴィルヘルム・ヴァイトリング}}
| 標語 = すべての人は兄弟である<ref name="britannicaK">[https://kotobank.jp/word/%E5%85%B1%E7%94%A3%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E8%80%85%E5%90%8C%E7%9B%9F-52652#E3.83.96.E3.83.AA.E3.82.BF.E3.83.8B.E3.82.AB.E5.9B.BD.E9.9A.9B.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E5.B0.8F.E9.A0.85.E7.9B.AE.E4.BA.8B.E5.85.B8 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 共産主義者同盟]. [[コトバンク]]. 2019年4月25日閲覧。</ref>{{sfn|Vander Hook|2011|p=16}}<ref name="T">G.N. Volkov et al., The Basics of Marxist-Leninist Theory. Moscow: Progress Publishers, 1979. </ref>
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'''正義者同盟'''(せいぎしゃどうめい、{{lang-de|'''''Bund der Gerechten'''''}}<ref name="sekai"/>{{#tag:ref|ほとんどの文献では'''Bund der Gerechten'''と呼ばれているが、ドイツの歴史家・Waltraud Seidel-Höppnerは新しい記録資料に基づいて、グループ自体は'''Bund der Gerechtigkeit'''を名称に使っていたと主張している<ref>{{harv|Höppner|Seidel-Höppner|2002}}</ref>。|group="注"}})とは、[[1830年代]]半ばに[[パリ]]で結成されたドイツ人の[[共産主義]]結社<ref name="plus"/>・[[秘密結社]]である<ref name="plusGIJIN"/>。'''義人同盟'''とも<ref name="plus"/>。


== 思想 ==
== 正義者同盟結成の由来 ==
同盟の目的は「ドイツの再生と解放」<ref name="sekai"/>で、「すべての人は兄弟である」をモットーとした<ref name="britannicaK"/>{{sfn|Vander Hook|2011|p=16}}<ref name="T"/>。『人類、その現状と理想像』および『調和と自由の保障』を綱領文書とし(後述)<ref name="sekaiW">[https://kotobank.jp/word/%E3%83%AF%E3%82%A4%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0-153784#E4.B8.96.E7.95.8C.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E4.BA.8B.E5.85.B8.20.E7.AC.AC.EF.BC.92.E7.89.88 世界大百科事典 第2版 - ワイトリング【Wilhelm Christian Weitling】]. [[コトバンク]]. 2019年4月26日閲覧。</ref>、基本的な立場は財産共有制を旨とする「手工業者共産主義」である<ref name="sekai"/>。同盟はフランス社会主義や各派の[[共産主義]]に影響されていた<ref name="sekai"/>。
[[1834年]]、[[パリ]]において結成されたドイツ人亡命者や遍歴職人から成る[[秘密結社]]の[[追放者同盟]]([[:de:Bund der Geächteten]])(亡命者同盟とも訳す)から[[1837年]]に分離独立して結成された最初のドイツ人共産主義結社である。これが後の[[共産主義者同盟 (1847年)|共産主義者同盟]]になる。


ただ、1843年以降は[[フリードリヒ・エンゲルス]]や[[カール・マルクス]]の活動で、ヴィルヘルム・ヴァイトリングらによる陰謀的な共産主義から{{仮リンク|科学的共産主義|en|Scientific communism}}へ転換する<ref name="britannicaK"/>。
== 正義者同盟の展開 ==

== 歴史 ==
=== 前史 ===
1834年、{{仮リンク|テオドール・シュースター|en|Theodore Schuster}}が「{{仮リンク|追放者同盟|de|Bund der Geächteten}}」を[[パリ]]で組織する{{sfn|Davies|2014|p=31}}。これは[[フィリッポ・ブオナローティ]]の構想であった、平等主義者による国際的な革命的親睦組織「ユニバーサル・デモクラティック・カルボナリ」をモデル化したものである{{sfn|Davies|2014|p=31}}{{sfn|Lause|2011|p=11}}{{sfn|Billington|1980|p=176,183. Cf. 93}}。シュースターは小冊子『''Confession of faith of an outlaw''』の中で[[社会的排除|疎外]]された人々が来たるべき革命へ共に結合する構想を、初めて提案している{{sfn|Rothbard|2009|p=164}}。追放者同盟のメンバーはドイツからの移民で{{sfn|Rothbard|2009|p=164}} 政治的な亡命者や渡り職人が中心だった<ref name="plusGIJIN"/><ref name="sekai"/>。

最盛期になると、メンバーはパリで100人、[[フランクフルト]]で80人を数えた{{sfn|Lause|2011|p=11}}。この時、シュースターをはじめ他の主要メンバーも[[ドイツ統一]]や[[中産階級]]の共和主義者の「ドイツ同盟」への組織化に努力することに焦点を当てていたため{{sfn|Lause|2011|p=11}}{{sfn|Rothbard|2009|p=164}}、より大衆的な[[労働者階級]]メンバーは[[ヴィルヘルム・ヴァイトリング]]の指導力のもとに集まった{{sfn|Lause|2011|p=11}}。この共産主義的な思想を持つグループが追放者同盟の分派として1836年に結成したのが、「正義者同盟」である<ref name="plusGIJIN"/>{{sfn|Davies|2014|p=31}}{{sfn|Day|Gaido|2009|p=4}}{{sfn|Marik|2008|p=58}}。正確に言えば、追放者同盟が左右両派に分裂したもので<ref name="sekai"/>、急進的なインテリゲンチャや職人によって構成された左派によって作られた組織である<ref name="britannicaK"/>。一方で母体の追放者同盟はメンバーが他の協会を優先したため、1838年には消滅してしまった{{sfn|Davies|2014|p=31}}。

=== 結成後 ===
正義者同盟は[[フランソワ・ノエル・バブーフ]]の支持者とされ{{sfn|Day|Gaido|2009|p=4}}{{sfn|Marik|2008|p=58}}、主に[[仕立て屋]]や[[木工]]といったドイツの[[ジャーニーマン (徒弟制度)|ジャーニーマン]]をメンバーとし{{sfn|Hobsbawm|2012|p=3}}{{sfn|Hobsbawm|2011|p=101}}{{sfn|Wheen|2001|p=109}}、彼らが「[[新しいエルサレム]]」として言及する{{sfn|Toews|1999|p=8}}「平等と正義、隣人への愛の理想に基づく[[神の王国]]の確立」を主張していた<ref name="T"/>。ただ、[[フリードリヒ・エンゲルス]]は「それがドイツであることを除いて本質的に他のフランスの[[秘密結社]]に類似している」と軽蔑的に書いた{{sfn|Lause|2011|p=11}}。

当運動で最も著名な指導者だったのは[[ヴィルヘルム・ヴァイトリング]]である{{sfn|Birchall|1997|p=95}}{{sfn|Rothbard|2009|p=164f}}。ヴァイトリングは自身を「社会的[[マルティン・ルター|ルター]]」と宣言し、私有財産とお金を汚職・搾取の原因として非難しており{{sfn|Rothbard|2009|p=165}}{{sfn|Lattek|2006|p=23}}、彼が1838年に著した『人類、その現状と理想像』({{lang|de|''Die Menschheit, wie sie ist und wie sie sein sollte''}})と1842年に著した『調和と自由の保障』({{lang|de|''Garantien der Harmonie und Freiheit''}})は同盟の綱領文書となっていた<ref name="sekai"/><ref name="sekaiW"/>。ヴァイトリングの他に重要なリーダーに含まれていたのは[[カール・シャッパー]]、[[ブルーノ・バウアー]]、{{仮リンク|ヨーゼフ・モル|en|Joseph Moll}}{{sfn|Rothbard|2009|p=165}}{{sfn|Marik|2008|p=58}}、{{仮リンク|アウグスト・ヘルマン・エヴェーアベック|en|August Hermann Ewerbeck}}{{sfn|Wheen|2001|p=109}}{{sfn|Henderson|1976|p=41,91}}らである。

1839年5月12日、フランスの[[ルイ・オーギュスト・ブランキ]]らによる革命秘密結社・{{仮リンク|季節社|fr|Société des saisons}}が権力奪取を目指して武装蜂起を起こす<ref>桂圭男. [https://kotobank.jp/word/%E5%AD%A3%E7%AF%80%E7%A4%BE-1158077#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 日本大百科全書(ニッポニカ) - 季節社]. [[コトバンク]]. 2019年4月25日閲覧。</ref>。この[[極左冒険主義|ブランキ主義者]]の反乱に同盟メンバーも多く関与した{{sfn|Marik|2008|p=58}}<ref>Bernard Moss, [http://socialistregister.com/index.php/srv/article/view/5704 "Marx and the Permanent Revolution in France: Background to the Communist Manifesto,"] in ''The Communist Manifesto Today: The Socialist Register, 1998.'' New York: Monthly Review Press; pg.10.</ref> ことで同盟はフランス政府によって追放されてしまい、彼らはロンドンへ移り始めた{{sfn|Vander Hook|2011|p=16}}{{sfn|Rothbard|2009|p=165}}。1840年、彼らはロンドンに偽装組織「Educational Society of German Workingmen」を設置し、1000人の会員を持つまでに成長した{{sfn|Rothbard|2009|p=165}}{{sfn|Vander Hook|2011|p=17}}。

1845年、労働者による即刻の蜂起を提唱したヴァイトリングと、特に上述の1839年蜂起を経験した後にそれは時期尚早と見做したシャッパーとの間で重要な公開討論があった{{sfn|Henderson|1976|p=90}}。またシャッパーは民衆に革命の準備をさせるべくより長期な大衆教育のキャンペーンを主張する{{sfn|Henderson|1976|p=90}}。

[[カール・マルクス]]は政治的意見が合わなかったため同盟に入ることに躊躇いをみせていたものの、「組織内メンバーとしてより影響力のあるディベートになるかもしれない」というヨーゼフ・モールに納得した{{sfn|Marik|2008|p=58}}。そして1847年6月にロンドンで開かれた大会において<ref name="britannicaK"/>、同盟はエンゲルスが[[ブリュッセル]]で開設していた<ref>重田澄男. [https://kotobank.jp/word/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%82%B9-38104#E6.97.A5.E6.9C.AC.E5.A4.A7.E7.99.BE.E7.A7.91.E5.85.A8.E6.9B.B8.28.E3.83.8B.E3.83.83.E3.83.9D.E3.83.8B.E3.82.AB.29 日本大百科全書(ニッポニカ) - エンゲルス]. [[コトバンク]]. 2019年4月25日閲覧。</ref>「{{仮リンク|共産主義通信委員会|de|Kommunistisches Korrespondenz-Komitee}}」({{lang-en-short|Communist Correspondence Committee}})と合併し[[共産主義者同盟 (1847年)|共産主義者同盟]]となる{{sfn|Toews|1999|p=10}}。

<!-- 改めて出典を提示してコメントアウトを外してください
正義者同盟の中心的人物は[[カール・シャッパー]]、および[[ヴィルヘルム・ヴァイトリング]]であった。この同盟内には選挙による指導部の選出等、民主化された面も存在したが、基本的にこの組織は[[秘密結社]]であり、同盟内部の守秘義務を破った場合には「名誉剥奪と死を受け入れる」という[[追放者同盟]]の規約と同一の文言も残されている。
正義者同盟の中心的人物は[[カール・シャッパー]]、および[[ヴィルヘルム・ヴァイトリング]]であった。この同盟内には選挙による指導部の選出等、民主化された面も存在したが、基本的にこの組織は[[秘密結社]]であり、同盟内部の守秘義務を破った場合には「名誉剥奪と死を受け入れる」という[[追放者同盟]]の規約と同一の文言も残されている。


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新中央本部(シャッパー派)は反ヴァイトリング派の結集による同盟の再結成を目指し、11月にシャッパーの尽力で大会の開催を提案するが、ヴァイトリング派の抵抗と[[カール・グリューン]]派その他の黙殺に会い、カール・シャッパーの計画は困難な情勢になった。このためカール・シャッパーらの中央本部は[[1847年]]1月にマルクス派の同盟への加盟を要請する。
新中央本部(シャッパー派)は反ヴァイトリング派の結集による同盟の再結成を目指し、11月にシャッパーの尽力で大会の開催を提案するが、ヴァイトリング派の抵抗と[[カール・グリューン]]派その他の黙殺に会い、カール・シャッパーの計画は困難な情勢になった。このためカール・シャッパーらの中央本部は[[1847年]]1月にマルクス派の同盟への加盟を要請する。


[[1847年]]6月に、ロンドンで同盟の大会が開催。ここで初めて同盟は“[[共産主義者同盟 (1847年)|共産主義者同盟]]”に名称を変更。新たな規約と綱領草案「[[共産主義の信条表明]]」を採択する。ただもちろんこれは正義者同盟が解体改組されて、新たに出発をしたものであり、同盟の[[秘密結社]]としての性格は変わっていない。共産主義者同盟もまた正義者同盟と同様に政治的な政党ではなく、秘密結社である。
[[1847年]]6月に、ロンドンで同盟の大会が開催。ここで初めて同盟は“[[共産主義者同盟 (1847年)|共産主義者同盟]]”に名称を変更。新たな規約と綱領草案「[[共産主義の信条表明]]」を採択する。ただもちろんこれは正義者同盟が解体改組されて、新たに出発をしたものであり、同盟の[[秘密結社]]としての性格は変わっていない。共産主義者同盟もまた正義者同盟と同様に政治的な政党ではなく、秘密結社である。
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== 脚注 ==
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; 注
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; 出典
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== 参考文献 ==
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* {{cite book |last=Billington |first=J.H. |title=Fire in the minds of men: origins of the revolutionary faith |publisher=Basic Books |year=1980 |url=https://books.google.com/books?id=gBRmAAAAIAAJ |ref=harv}}
* {{cite book |last=Birchall |first=I.H. |title=The Spectre of Babeuf |publisher=Palgrave Macmillan UK |year=1997 |isbn=978-1-349-25599-3 |url=https://books.google.com/books?id=DT-wCwAAQBAJ&pg=PA95 |ref=harv}}
* {{cite book |last=Davies |first=T.R. |title=NGOs: A New History of Transnational Civil Society |publisher=Oxford University Press |year=2014 |isbn=978-0-19-938753-3 |url=https://books.google.com/books?id=I8KHCwAAQBAJ&pg=PA31 |ref=harv}}
* {{cite book |last=Day |first=R.B. |last2=Gaido |first2=D. |title=Witnesses to Permanent Revolution: The Documentary Record |publisher=Brill |series=Historical Materialism Book Series |year=2009 |isbn=978-90-04-16770-4 |url=https://books.google.com/books?id=pV5k-TvbSwQC&pg=PA4 |ref=harv}}
* {{cite book |last=Henderson |first=W.O. |title=The Life of Friedrich Engels |publisher=Cass |volume=Vol. 1 |year=1976 |isbn=978-0-7146-4002-0 |url=https://books.google.com/books?id=4eYXc1B1vPoC&pg=PA90 |ref=harv}}
* {{cite book |last=Hobsbawm |first=E. J. |chapter=Introduction |title=The Communist Manifesto: A Modern Edition |publisher=Verso Books |year=2012 |isbn=978-1-84467-903-4 |chapter-url=https://books.google.com/books?id=fHNHRXXn_04C&pg=PA3 |ref=harv}}
* {{cite book |last=Hobsbawm |first=E. J. |title=How to Change the World: Reflections on Marx and Marxism |publisher=Yale University Press |series=Ciencias sociales |year=2011 |isbn=978-0-300-17825-8 |url=https://books.google.com/books?id=0QIH2dOXuOcC&pg=PT79 |ref=harv}}
* {{cite book |last=Lattek |first=C. |title=Revolutionary Refugees: German Socialism in Britain, 1840–1860 |publisher=Routledge |series=British Politics and Society Series |year=2006 |isbn=978-0-7146-5100-2 |url=https://books.google.com/books?id=u7HSJ90M2isC&pg=PA23 |ref=harv}}
* {{cite book |last=Lause |first=M. A. |title=A Secret Society History of the Civil War |publisher=University of Illinois Press |year=2011 |isbn=978-0-252-09359-3 |url=https://books.google.com/books?id=lyKOVZcLLAkC&pg=PA11 |ref=harv}}<!-- More here for further reading -->
* {{cite book |last=Marik |first=S. |title=Reinterrogating the Classical Marxist Discourses of Revolutionary Democracy |publisher=Aakar Books |year=2008 |isbn=978-81-89833-34-3 |url=https://books.google.com/books?id=xYvIbwWnBxAC&pg=PA58 |ref=harv}}
* {{cite book |last=Rothbard |first=M. |title=Review of Austrian Economics, Volume 4 |publisher=Ludwig von Mises Institute |issue=v. 4 |year=2009 |isbn=978-1-61016-163-3 |url=https://books.google.com/books?id=803SdilsIqcC&pg=PA164 |ref=harv}}
* {{cite book |last=Toews |first=J. |title=The Communist Manifesto, with Related Documents |publisher=Bedford/St. Martin's |series=The Bedford Series in History and Culture |year=1999 |isbn=9780312157111 |url=https://books.google.com/books?id=pjLup4lrJCwC&dq |ref=harv}}
* {{cite book |last=Vander Hook |first=S. |title=Communism |publisher=ABDO Publishing Company |series=Exploring World Governments |year=2011 |isbn=978-1-61714-789-0 |url=https://books.google.com/books?id=Tt0rBYKNpMwC&pg=PA16 |ref=harv}}
* {{cite book |last=Wheen |first=F. |title=Karl Marx: A Life |publisher=Norton |year=2001 |isbn=978-0-393-32157-9 |url=https://books.google.com/books?id=3KOyuSakn80C&pg=PA109 |ref=harv}}
{{refend}}


== 関連項目 ==
* [[共産党宣言]]
{{共産主義}}
{{Normdaten}}
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[[Category:フランス復古王政]]
[[Category:フランス復古王政]]

2019年5月3日 (金) 05:05時点における版

正義者同盟
Bund der Gerechten
最も著名な指導者だったヴィルヘルム・ヴァイトリング
標語 すべての人は兄弟である[1][2][3]
前身 追放者同盟ドイツ語版[4][5]
後継 共産主義者同盟[4]
設立 1836年
種類 秘密結社[4][5]
共産主義結社[6]
目的 陰謀的共産主義[1]
科学的共産主義英語版[1]
手工業者共産主義[5]
ドイツの再生と解放[5]
本部 フランスの旗 フランス王国パリ[6]
イギリスの旗 イギリスロンドン[2][7]
主な指導者 カール・シャッパー[4]
ヴィルヘルム・ヴァイトリング[4][8][9]
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正義者同盟(せいぎしゃどうめい、ドイツ語: Bund der Gerechten[5][注 1])とは、1830年代半ばにパリで結成されたドイツ人の共産主義結社[6]秘密結社である[4]義人同盟とも[6]

思想

同盟の目的は「ドイツの再生と解放」[5]で、「すべての人は兄弟である」をモットーとした[1][2][3]。『人類、その現状と理想像』および『調和と自由の保障』を綱領文書とし(後述)[11]、基本的な立場は財産共有制を旨とする「手工業者共産主義」である[5]。同盟はフランス社会主義や各派の共産主義に影響されていた[5]

ただ、1843年以降はフリードリヒ・エンゲルスカール・マルクスの活動で、ヴィルヘルム・ヴァイトリングらによる陰謀的な共産主義から科学的共産主義英語版へ転換する[1]

歴史

前史

1834年、テオドール・シュースター英語版が「追放者同盟ドイツ語版」をパリで組織する[12]。これはフィリッポ・ブオナローティの構想であった、平等主義者による国際的な革命的親睦組織「ユニバーサル・デモクラティック・カルボナリ」をモデル化したものである[12][13][14]。シュースターは小冊子『Confession of faith of an outlaw』の中で疎外された人々が来たるべき革命へ共に結合する構想を、初めて提案している[15]。追放者同盟のメンバーはドイツからの移民で[15] 政治的な亡命者や渡り職人が中心だった[4][5]

最盛期になると、メンバーはパリで100人、フランクフルトで80人を数えた[13]。この時、シュースターをはじめ他の主要メンバーもドイツ統一中産階級の共和主義者の「ドイツ同盟」への組織化に努力することに焦点を当てていたため[13][15]、より大衆的な労働者階級メンバーはヴィルヘルム・ヴァイトリングの指導力のもとに集まった[13]。この共産主義的な思想を持つグループが追放者同盟の分派として1836年に結成したのが、「正義者同盟」である[4][12][16][17]。正確に言えば、追放者同盟が左右両派に分裂したもので[5]、急進的なインテリゲンチャや職人によって構成された左派によって作られた組織である[1]。一方で母体の追放者同盟はメンバーが他の協会を優先したため、1838年には消滅してしまった[12]

結成後

正義者同盟はフランソワ・ノエル・バブーフの支持者とされ[16][17]、主に仕立て屋木工といったドイツのジャーニーマンをメンバーとし[18][19][20]、彼らが「新しいエルサレム」として言及する[21]「平等と正義、隣人への愛の理想に基づく神の王国の確立」を主張していた[3]。ただ、フリードリヒ・エンゲルスは「それがドイツであることを除いて本質的に他のフランスの秘密結社に類似している」と軽蔑的に書いた[13]

当運動で最も著名な指導者だったのはヴィルヘルム・ヴァイトリングである[8][9]。ヴァイトリングは自身を「社会的ルター」と宣言し、私有財産とお金を汚職・搾取の原因として非難しており[7][22]、彼が1838年に著した『人類、その現状と理想像』(Die Menschheit, wie sie ist und wie sie sein sollte)と1842年に著した『調和と自由の保障』(Garantien der Harmonie und Freiheit)は同盟の綱領文書となっていた[5][11]。ヴァイトリングの他に重要なリーダーに含まれていたのはカール・シャッパーブルーノ・バウアーヨーゼフ・モル英語版[7][17]アウグスト・ヘルマン・エヴェーアベック英語版[20][23]らである。

1839年5月12日、フランスのルイ・オーギュスト・ブランキらによる革命秘密結社・季節社フランス語版が権力奪取を目指して武装蜂起を起こす[24]。このブランキ主義者の反乱に同盟メンバーも多く関与した[17][25] ことで同盟はフランス政府によって追放されてしまい、彼らはロンドンへ移り始めた[2][7]。1840年、彼らはロンドンに偽装組織「Educational Society of German Workingmen」を設置し、1000人の会員を持つまでに成長した[7][26]

1845年、労働者による即刻の蜂起を提唱したヴァイトリングと、特に上述の1839年蜂起を経験した後にそれは時期尚早と見做したシャッパーとの間で重要な公開討論があった[27]。またシャッパーは民衆に革命の準備をさせるべくより長期な大衆教育のキャンペーンを主張する[27]

カール・マルクスは政治的意見が合わなかったため同盟に入ることに躊躇いをみせていたものの、「組織内メンバーとしてより影響力のあるディベートになるかもしれない」というヨーゼフ・モールに納得した[17]。そして1847年6月にロンドンで開かれた大会において[1]、同盟はエンゲルスがブリュッセルで開設していた[28]共産主義通信委員会ドイツ語版」(: Communist Correspondence Committee)と合併し共産主義者同盟となる[29]


脚注

  1. ^ ほとんどの文献ではBund der Gerechtenと呼ばれているが、ドイツの歴史家・Waltraud Seidel-Höppnerは新しい記録資料に基づいて、グループ自体はBund der Gerechtigkeitを名称に使っていたと主張している[10]
出典
  1. ^ a b c d e f g ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 - 共産主義者同盟. コトバンク. 2019年4月25日閲覧。
  2. ^ a b c d Vander Hook 2011, p. 16.
  3. ^ a b c G.N. Volkov et al., The Basics of Marxist-Leninist Theory. Moscow: Progress Publishers, 1979.
  4. ^ a b c d e f g h デジタル大辞泉プラス - 義人同盟. コトバンク. 2019年4月25日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k 世界大百科事典 第2版 - ぎじんどうめい【義人同盟 Bund der Gerechten】. コトバンク. 2019年4月25日閲覧。
  6. ^ a b c d デジタル大辞泉プラス - 正義者同盟. コトバンク. 2019年4月25日閲覧。
  7. ^ a b c d e Rothbard 2009, p. 165.
  8. ^ a b Birchall 1997, p. 95.
  9. ^ a b Rothbard 2009, p. 164f.
  10. ^ (Höppner & Seidel-Höppner 2002)
  11. ^ a b 世界大百科事典 第2版 - ワイトリング【Wilhelm Christian Weitling】. コトバンク. 2019年4月26日閲覧。
  12. ^ a b c d Davies 2014, p. 31.
  13. ^ a b c d e Lause 2011, p. 11.
  14. ^ Billington 1980, p. 176,183. Cf. 93.
  15. ^ a b c Rothbard 2009, p. 164.
  16. ^ a b Day & Gaido 2009, p. 4.
  17. ^ a b c d e Marik 2008, p. 58.
  18. ^ Hobsbawm 2012, p. 3.
  19. ^ Hobsbawm 2011, p. 101.
  20. ^ a b Wheen 2001, p. 109.
  21. ^ Toews 1999, p. 8.
  22. ^ Lattek 2006, p. 23.
  23. ^ Henderson 1976, p. 41,91.
  24. ^ 桂圭男. 日本大百科全書(ニッポニカ) - 季節社. コトバンク. 2019年4月25日閲覧。
  25. ^ Bernard Moss, "Marx and the Permanent Revolution in France: Background to the Communist Manifesto," in The Communist Manifesto Today: The Socialist Register, 1998. New York: Monthly Review Press; pg.10.
  26. ^ Vander Hook 2011, p. 17.
  27. ^ a b Henderson 1976, p. 90.
  28. ^ 重田澄男. 日本大百科全書(ニッポニカ) - エンゲルス. コトバンク. 2019年4月25日閲覧。
  29. ^ Toews 1999, p. 10.

参考文献

関連項目