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共産主義国家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
共産主義国から転送)
現存の共産国たちを全称で表示すると、中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国ベトナム社会主義共和国キューバ共和国ラオス人民民主共和国の五カ国のみである。

共産主義国家(きょうさんしゅぎこっか、英語: Communist state/ Marxist–Leninist state)とは、マルクス・レーニン主義の理想に忠実に従っていると主張する国々のことを指す。

定訳が無く、日本語では共産国共産主義国共産国家共産党政権とも訳される。

現存している共産主義国家は中国北朝鮮ベトナムキューバラオスの5か国のみである[1][2][3]

概要

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共産独裁の体制はかつてソ連コミンテルン経相会ワルシャワ条約機構の参加国などに実行されていて、ソ連がもっとも国力を持っていた時期には地球上の多くの国がこの共産主義の路線を選んでいた[4]。20世紀の後半までには世界の約1/3の人口が共産主義国家に住んでいた[5]

1989年東欧民主化1991年ソ連崩壊により、大半の共産国家は自滅してしまい、現代までに生き残っているのは上述の5か国だけである。

国家の権力はすべて与党に集中しているのが特徴であり、一般的にこれらの国の与党は、共産党や、マルクス・レーニン主義から派生した毛沢東主義ティトー主義などを支持する政党となっている[6]。そしてベトナムのように、共産党の権力はそんなに強いわけでは無く、共産の体制を維持しながらも民主選挙を行い、工場委員会労働組合など労働者にとって有利な組織が許可されている場合もある[7]

そもそも「共産主義国家」という用語は、西側諸国の歴史学者や政治学者、メディアによって使用されている。一方、共産主義国家と呼ばれるこれらの国は、自らの事を共産国とは称しておらず、また、共産主義をすでに達成したことも主張しておらず、「共産主義社会に向かって進んでいる社会主義国家」を自称している[8][9][10][11]。共産主義国家が自称するその他の用語には、 ナショナル・デモクラシー(National democracy、国民民主主義/民族民主主義)、人民民主主義(People's democracy)、社会主義志向国、労働者と農民の国(Workers' and peasants' state)などがある[12]

政治学の研究者は、西側諸国において左翼寄りの民主制や混合経済を採用してきたフランススウェーデンイギリスなどの国々と、東側諸国を区別するために、前者を「民主社会主義国家 (Democratic socialist states)」、後者を「共産主義国家(Communist state)」と呼ぶのが一般的である[13][14][15][16]

歴史

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世界初の共産主義国家は20世紀の初頭、1917年ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国であった。1922年には、このソビエト・ロシアはほかの旧ロシア帝国領と合併させ、ともにソビエト連邦を結成した。第二次世界大戦後、ソ連軍東ヨーロッパを占領し、自分の体制を真似した共産党政権を次々と樹立させていた。東欧の共産主義国家は当初、ソ連と軍事同盟を組んでいたが、ユーゴスラビアは非同盟を宣言し、これに伴ってアルバニアも独自の道を進んでいた。中国では日中戦争国共内戦をへて1949年中国共産党が勝利し、ソ連と一定な距離を保つ中華人民共和国が成立した。ソ連と中国の支援により、カンボジアキューバラオス北朝鮮ベトナムも共産主義国家の一員となった。

1945年~1988年の間に、多くの共産党政権が東欧第三世界に存在していて、共産党の一党独裁の体制以外、官僚主義権威主義の作法も強く表現されていた[17][18]1989年、東ヨーロッパの共産主義国家は多くが平和的な運動によって崩壊し、「1989年の革命」と呼ばれる出来事の中で、1991年にはソ連も解体して滅んだ。中国は「中国特色社会主義」の路線、つまり国家資本主義へと転換していた。

現在、中国北朝鮮ベトナムキューバラオスの5か国は、生き残っている共産主義国家である。これらの国々は、共産主義の理論によって自分たちの事を「まだ社会主義共産主義を完全に実現していない、社会主義の建設途上の国」だと主張し続けている。

ベトナムの『憲法前文』には「1976年にベトナム共産党が国を統一して以来、ベトナムは資本主義から社会主義への移行段階にある」と明記されており[19]、キューバの『1992年憲法』にも「キューバ共産党は、社会主義建設の指導的役割を果たす」と明記されている[20]。また、『北朝鮮の憲法』には「朝鮮労働党は、社会主義経済の枠内で共産主義への忠誠を掲げつつ、経済を発展させる」と記されている。

特徴

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美学的な特徴としては、共産主義国家はいろんな場面でわざわざま真っ赤の旗を大量に使い、人民が流れた血を象徴する(ベトナムにおいて)。

共産主義国家にはいくつの特徴がある:

真実を隠すための言い回し

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共産主義国家は自分たちのことを共産主義と呼ばず、ただ社会主義と自称し、「国民は党に従って、社会主義的な事をすれば、いつかに共産主義社会に辿りつくことが出来る」と主張し続けている[11]。また、国内で独裁主義を基づいて政治を行っているものの、自国を独裁国家とも呼ばず、民主集中制と自称して「国民が自らの意思で、全ての権力を与党に委ねる」と本国の国民へ宣伝し続けている[21][22][23]

崩壊前のソ連や東欧諸国は「共産独裁」という言葉が西側諸国にとっては非常にネガティブなイメージを持つことも知っており、それを避けるために、外国に対して「我々は人民のための民主主義、国民のための資本主義、志を持つ社会主義、労働者と農民が所有する国家だ」などの言い回しを、何度も繰り返していた[24][16]

一党制と独裁制

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共産党がプロレタリアートの絶対的な指導者として、「全国民の長期的利益を代表する民主集中制を採用している」と自称している。この民主集中制はウラジーミル・レーニンによって考案され、共産党内での運営の原則としてだけでなく、共産国家全体にも広がっている[25]。民主集中制とは、民主国家のように官僚が国民より選ばれ、国の政策議題も公開的に討論される一方で、一度政府が決定を下すと、全ての国民がその決定に従わなければならないという制度である。この制度によれば、共産党内での派閥争い分裂をきっと防ぐことができるだろうと、レーニンが信じていた。

多くの共産国は自らの政治制度を「民主制の一形態」と見なし、「一党制の下に付属する民主制」という風に解釈している[25]。しかし、これらの共産国を精察すると、「我が国の主権は国民にある」が全部憲法に明記されているが、実際には権力の分立のような仕組みが存在せず、1つの立法機関(例えば、ソ連の場合はソビエト連邦最高会議)が立法司法行法のすべての権限を握っている[26]。共産国家の立法機関は自身の権限の一部をほかの機関に任せ、表向きで「共産国にもきちんとした三権分立が存在する」のような様子を振る舞い続けている[27]

共産主義国家の立法機関は、民主国家議会国会に似た構造を持っているが、2つの大きな違いがある。まず、共産国の議員官僚たちは特定の選挙区を担当しているではなく、共産党が統治する国民の長期的利益を代表するため、任期が無制限になっている。次に、マルクス主義の理論にすらも反して、共産国の立法機関が常設ではなく、年に数回・数日間だけ開催されていて、会期が終わると、共産党の幹部は「幹部会」で国家を運営する[28]。この幹部会は主に共産党の有力者が集まり、ときには集団的な行動を取り、ときには国家元首の指示に従い、いずれにしても党からの決定を「無条件に合理化する」役割を担っている[28]

もう1つの特徴は、国家が出資している団体が多いことである。ジャーナリスト教師作家などの職業団体、消費者の協同組合、スポーツクラブ労働組合青年団体女性団体などさまざまな団体が存在しており、これらの団体は「社会への貢献や実績」よりも、「民間と共産党の繋がりを強化させる」という役割のほうが大きく、政府が民間に挿し込んだ「監視カメラ」のような効果を果たしている[29]。また、新しい共産党員をリクルートする場としても期待されている。

民主国家側の視点で評価する場合:

  • いくら社会主義国家は表向きで自国を民主主義を称し続けていても、西側諸国からには「事実上の一党独裁制」としか見なさない。
  • 歴史的に見れば、中国チェコスロバキア東ドイツなどの共産国には複数の政党が存在しているものの、ほかの少数政党は与党の共産党を監督批判する権力を持たない[30]
  • また、共産国と民主国の決定的な違いは、共産国は「過去に実施した誤った政策」や「現在進行中の問題ある政策」への批判を一切許さないが、民主国はそれを全部許している。

理論を意図的に複雑化・矛盾化する

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マルクス・レーニン主義の理論に拠れば、国家とは支配階級を指導し、その権力を支配階級に任せて行使され、ほかの階級を抑圧する機関である[31]。これは階級でさえも国家より支配され、全ての階級を「共産党の意志をあらわすもの」にするのためである。共産国は支配階級寄りの法律を作り、ほかの階級を抑圧し、自らの階級内で独裁を維持しているが、共産国の最終目標は国家や階級そのものを廃止すること[31]

1918年の『ソビエト・ロシア憲法』には次のように書かれた:「ロシア社会主義連邦ソビエト共和国は、資本主義から社会主義への過渡期に位置している。我が国は都市のプロレタリアートと最も貧しい農民に強力的な権力を与え、かれらによる独裁体制を確立し、富裕層を完全に打倒そうと図ってる[32]。この過渡期には、国民はきちんと社会主義の理論に従え、いつか人による人の搾取が廃止され、階級の分裂や国家の存在が無くなるだろう。」

共産主義国家はプロレタリアート、つまり貧困層による独裁を通じて、自分のことを資本主義国よりも先進的な状態になると認識されている。マルクス・レーニン主義の理論では、「社会主義国家の創設はあくまで第一段階であり、そのあと、階級も国家も存在しない共産主義社会を築く」という考えがある[33]フリードリヒ・エンゲルスは「共産国は、社会正義や国民の幸福に助ける必要がなくなり、これらの不幸は自然に消滅してしまう。それよりもっと重要のは、政府が国のあらゆる資源を管理し、全ての生産過程を監督・運営する仕組みとなること。国家は人々に快楽を与える組織では無く、国民の欲望を消し去るものである」[34]と述べた。

ウラジーミル・レーニンは『食糧税に関する論文』の中で、「現在の社会主義ロシアの経済制度が過渡期にすぎないことを、否定する者はいないだろう。そもそもソビエト社会主義共和国という名称は『現行の制度が社会主義である』という意味ではなく、『我々の最終目標が社会主義にあること』を示すに過ぎない」[31]と主張し、つまりソ連の初代主席でさえも、ソ連は本物の社会主義国共産主義国ではないと明確に認めた。

ソ連で最初の「5か年計画」が始まったとき、多くの共産主義者は「国家や階級の完全消滅が近い」と信じていた。しかし、何十年がへても共産党が国民に約束した「万人平等楽園」は訪れず、ヨシフ・スターリンなどのソ連の政治家たちは「平等社会の実現は、社会主義国がすべての資本主義国に勝利したあとに起こるものだ」で言い回し続けていた[31]。ソ連の法学者アンドレイ・ヴィシンスキーも同様の立場であり、共産国は「少数の労働者にとって有利な制度を維持しつつ、発展させるべきだ。資本主義の中で存在している、労働者にとって有利な制度が不要だ」[35]と述べた。

種類

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政治体制による分類

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学者ピーター・タンは、「共産党国家が、初期には理想のある革命に忠実していたが、中期になると必ず官僚主義形式主義の渦巻きに堕ち込んでしまう[36]。その原因が、共産国は自らのイデオロギーにあまりにも固執し過ぎるからである」と述べた。共産国の政治宣伝や洗脳は社会全体に深く浸透していて、共産国の唯一の統治手段は「社会主義やマルクス・レーニン主義の理論をできる限り広めること」にあり、国民の幸福のために働くことはしない。

このため、共産主義国家の内部でも常に利益争いにより分裂され、主に2つの派閥が形成した:

ソ連モデル

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一つ目は、マルクス・レーニン主義の理論に基づき、共産党はこの理論を自らのにして、反対派を粛清する「ソビエトモデル」である[36][37][38][39][40]。これは最も一般的に採用されたモデルであり、主に東欧モンゴルベトナムで実行されている。

  • ソ連の憲法』には「マルクス・レーニン主義がこの国の主導的な思想」が明記されていた[41]
  • 1977年のソ連憲法』第6条には「マルクス・レーニン主義を基盤とする共産党が、社会の発展の全体像とソ連の内外政策の方向性を決定する」と規定された[41]
  • 1977年のソ連憲法』の序文でも、「社会主義と共産主義の建設、共産主義への道、共産主義の物質的・技術的基盤の構築、社会主義的な社会関係を発展させ、共産主義的関係へと移行する」といった表現が使われていた[41]

中国モデル

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二つ目は、憲法やマルクス・レーニン主義に明記された権限を無視し、共産党は本国の国民を意のままに搾取する「中国モデル」である[42][43][44][45][46]。これは「毛沢東モデル」や「アルバニアモデル」とも呼ばれ、主に中国やアルバニア北朝鮮が採用している[47]

国名による分類

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人民民主国(People's democratic state)

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第二次世界大戦後、東欧では正式な国名に「人民民主国家」を含む国がいくつか登場した[48]。これらの国がこのような名称を採用した理由は、欧州に残る封建的な遺物を一掃するという理想を掲げるためであった。また、人民民主国家は、自らの政体を「私有制が存在する一方で、工業交通金融といった分野では国有企業が最大の役割を果たす国」と定義していた[49]

  • ユージン・ヴァルガは、「国家と、国家が指揮する暴力機関(軍隊警察など)は、資本家階級に奉仕するのではなく、都市や農村の労働者階級に奉仕すべきであるという理想が、人民民主国家には強く表れている」[49]と述べた。
  • ソ連の哲学者ファベーロフは、「人民主義民主主義の両方の長所を取り入れた人民民主国家は、まさに労働者や勤勉な民衆のための真の民主制である。この政体は、最も広範な民主主義の信者を受け入れることができ、最も公平で透明な政府を実現できるだろう。つまり、あえて重複を避けず、「人民的」という言葉を明確に民主国に含めるべきだ」[49]と述べた。

人民共和国(People's republican state)

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人民共和国とは、共和制の憲法を厳格に採用する共産党政権を指す。この用語はもともと19世紀の人民主義運動、たとえば、ドイツ民衆運動ロシアナロードニキに関連していた。しかし、第一次世界大戦後には、専ら共産党政権を指すようになった。旧ロシア帝国の崩壊後、いくつかの短命な人民共和国が登場したが、その多くは十月革命後に共産主義理論を信じる者によって設立された国であったが、間もなくソ連という共産国の集合体に吸い込めたことは多かった[50][51][52][53][54]

第二次世界大戦連合国側が勝利した後、東アジアでは多くの人民共和国が登場した。ソ連の指導下で成立した国々は、ソ連よりも長い時間存続しており[55][56][57][58][59][60][61]、とくに中華人民共和国朝鮮民主主義人民共和国の2か国は軍力を非常に強化し、資本主義国に堂々と脅威を与える存在となっている[62]

一方、東欧では:

  • チェコスロバキア1948年に人民共和国の政体となったものの、公式名称にはこの語を使用していなかった[63]1960年代になると、正式な国名に「社会主義共和国」というより明確な語を加えた。
  • 同じ1960年代ルーマニアユーゴスラビアは公式名称から「人民共和国」の語を外し、「社会主義共和国」に置き換えた。これは「人民」よりも「社会主義」のほうが重視される象徴と考えられたためである。
  • アルバニア1976年から1991年の間、公式名称に「人民共和国」と「社会主義共和国」の両方を使用し、いずれも正しいとされていた。

経済体制による分類

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民族民主国家(National-democratic state)

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「民族民主国家」という概念は、もともとマルクスの理論には存在しておらず、国家は意図的に資本主義を回避しつつ、社会主義を発展させるために創造したものである[64]。具体的に誰がこの概念を創ったのかは、現在でも明らかでは無い。この概念を使用した記録が、最も明確に確認できるのはウラジーミル・レーニンである。彼は「民族民主国家」という用語を使い、これを「第三世界民族解放運動において、これらの地域の人民の思想を進歩させる手段」と位置づけた。何故というなら、「社会主義理論に近く、民族主義・国家主義の要素もあるこの理論は、ソ連の全地球を共産化にする目的にとって好都合である」と述べた[64]

レーニン死後、民族民主国家の概念は全共産圏に広く導入され、スターリンもこれを西欧帝国主義に対抗する理論と見なしていた。共産国の指導者たちは「貧しい国々は民族民主国家を通じて、最終的に社会主義国家になる」と信じていた[64]

マルクス・レーニン主義の支持者の定義によれば、民族民主国家は「民族解放運動を経て、反帝国主義的な外交を推進し、社会主義化を目指した国家」と見なされている[64]。その代表例として挙げられるのが:

社会主義志向国(Socialist-oriented state)

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「社会主義向国」は、日本語で「社会主義向国家」とも訳される。この経済体制を採用する国は「資本主義的な発展をできるだけ避けて、最速で社会主義国家へ移行すること」を目指している[66]。前述の「民族民主国家」という概念とは全く異なり、その最も顕著な違いとして、社会主義志向国家は「2つの段階」に分けられる点が挙げられる[67]。それは:

  • 「国の支配層が資本主義の弊害を目の当たりにし、主動的に社会主義的な方法を取り入れようとする」という場合と、「国民の大半が現政府に失望し、問題解決の手段として社会主義国を目指す」という場合がある[66]
  • 前者の例としては、民族解放戦線による統治下のアルジェリアバアス主義イラク、そして社会主義ビルマが挙げられる[66]
  • 一方、後者の例としては、アフリカ社会主義のような独自の路線を歩み、ほかの社会主義の路線を否定するものである[66]

また、社会主義志向国には7つの特徴がある:

  1. 革命的な民主主義を経験したこと。
  2. 現役の左翼政党を有すること。
  3. 階級独裁がまだ存在していること。
  4. ほかの社会主義志向国家を積極的に支援・防衛し、自国もこれらの国から支援・防衛を受けること。
  5. 社会主義化するための政府機関がすでに備えたこと。
  6. 社会主義の思想がすでに国内で浸透されたこと。
  7. 暴力的な革命にもう戻らないこと[68]

これらの特徴は、社会的、政治的、経済的に社会主義を実現する条件が整っていない独裁国にとって非常に魅力的である[69]。また、一度惨烈な革命戦争を経験したばかりの民主国も、この経済体制を採用する傾向が高い[70]。さらに、これらの国は共産主義理論に従って「民主集中制」が導入されたものの、実際にはほとんど遵守されず、やがて本物の民主制独裁制へと移行したことも多い[71]

  • 資本主義がブルジョワジー階級によって支配され、社会主義がプロレタリアートによって指導されるのに対し、社会主義志向国家は国の独立を確立しようとする広範で多様な階級のグループを代表している[71]
  • 農民は通常、国内最大の階級であるため、彼らの役割は強調された。これはほかの社会主義国家における労働者階級と似ている[72]
  • しかし、マルクス・レーニン主義者は、これらの国がしばしばエチオピアのように軍事などの特定の派閥の支配下に入ることを認めていた[72]。法制度と強制的な機関の設立も、社会主義志向国家の性格を守るために重要であるとされている[73]
  • メディアや教育制度を掌握し、大衆を動員するためのマス組織を確立する必要があるという点である[74]ソ連モデルとは異なり、社会主義志向国家の経済は混合経済であり、外国資本を引き寄せ、民間部門の維持と発展を目指している[75]
  • ソ連の指導者レオニード・ブレジネフによれば、これらの国家は経済の重要な部分を掌握し、計画経済を導入しつつある過程にある[65]
  • ソ連の定義によれば、ラオスは唯一、社会主義志向国家から社会主義国家へと発展した国である[76]

社会主義国(Socialist state)

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共産圏の定義によれば、社会主義国とは「単なる政体を指すものではなく、社会主義経済だけで自国の存続ができ、資本主義経済を使用しない国」を意味する。

  • 共産圏の国々は、社会主義を実現する前に、まずその国に適切な社会主義的な政府形態を導入すべきであると考えた。この際、その国が独裁制であろうと、民主制であろうとはまったく関係ない。
  • 東欧諸国の多くは、もともと民主制だったため、まずは人民民主主義の形態をとり、その後、全国民の投票を通じて社会主義国家へと移行すると考えた。
  • 一方、アフリカ中東は、まず前述の社会主義指向国の政体を採用し、共産圏の指導を受けた上で、最終的に本格的な社会主義国家になると考えた。

したがって、共産圏民主圏が「社会主義国」に対して用いる定義は、全く異なるものである。同じ単語を使用していても、その意味や支持・反対・批判・分析の理由は大きく異なる[77]。また、共産圏の定義を満たした社会主義国は、必ず自国の憲法に「我が国は社会主義を採用する」と明記しているが、民主圏では必ずしもそうとは限らない[8][78][79]

関連項目

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引用と出典

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脚注

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  1. ^ Cooke, Chris, ed (1998). Dictionary of Historical Terms (2nd ed.). pp. 221–222, 305 
  2. ^ Lee, Grace (Spring 2003)) "The Political Philosophy of Juche". v.3, n.1. Stanford Journal of East Asian Affairs. Quote: "The DPRK claims that juche is Kim Il Sung's creative application of Marxist-Leninist principle to the modern political realities in North Korea."
  3. ^ Atsuhito, Isozaki (21 June 2021). “A Revival of North Korean Communism?: The rhetoric is there. But what does it mean?”. The Diplomat. 2 December 2022閲覧。 “In his closing address at the Conference of Cell Secretaries of the Workers' Party of Korea in late April, Kim mentioned the word “communism” six times. His recent claim that North Korea aims to become a “communist utopia” is a notable change in rhetoric.”
  4. ^ Bottomore, T. B. (1991). A Dictionary of Marxist Thought. Wiley-Blackwell. p. 54 
  5. ^ Ball, Terence; Dagger, Richard, eds. (2019) [1999]. "Communism". Encyclopædia Britannica (revised ed.). 2020年6月10日閲覧
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  8. ^ a b Wilczynski 2008, p. 21: "Contrary to Western usage, these countries describe themselves as 'Socialist' (not 'Communist'). The second stage (Marx's 'higher phase'), or 'Communism' is to be marked by an age of plenty, distribution according to needs (not work), the absence of money and the market mechanism, the disappearance of the last vestiges of capitalism and the ultimate 'whithering away' of the State."
  9. ^ Steele 1999, p. 45: "Among Western journalists the term 'Communist' came to refer exclusively to regimes and movements associated with the Communist International and its offspring: regimes which insisted that they were not communist but socialist, and movements which were barely communist in any sense at all."
  10. ^ Rosser & Rosser 2003, p. 14 "Ironically, the ideological father of communism, Karl Marx, claimed that communism entailed the withering away of the state. The dictatorship of the proletariat was to be a strictly temporary phenomenon. Well aware of this, the Soviet Communists never claimed to have achieved communism, always labeling their own system socialist rather than communist and viewing their system as in transition to communism".
  11. ^ a b Williams, Raymond (1983). “Socialism”. Keywords: A vocabulary of culture and society, revised edition. Oxford University Press. p. 289. ISBN 978-0-19-520469-8. https://archive.org/details/keywordsvocabula00willrich/page/289. "The decisive distinction between socialist and communist, as in one sense these terms are now ordinarily used, came with the renaming, in 1918, of the Russian Social-Democratic Labour Party (Bolsheviks) as the All-Russian Communist Party (Bolsheviks). From that time on, a distinction of socialist from communist, often with supporting definitions such as social democrat or democratic socialist, became widely current, although it is significant that all communist parties, in line with earlier usage, continued to describe themselves as socialist and dedicated to socialism." 
  12. ^ Nation, R. Craig (1992). Black Earth, Red Star: A History of Soviet Security Policy, 1917-1991. Cornell University Press. pp. 85–6. ISBN 978-0801480072. オリジナルの1 August 2019時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20190801050439/https://books.google.ie/books?id=WK18-OoR0pIC&pg=PA85 19 December 2014閲覧。 
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  79. ^ Rosser & Rosser 2003, p. 14 "Ironically, the ideological father of communism, Karl Marx, claimed that communism entailed the withering away of the state. The dictatorship of the proletariat was to be a strictly temporary phenomenon. Well aware of this, the Soviet Communists never claimed to have achieved communism, always labelling their own system socialist rather than communist and viewing their system as in transition to communism".

注釈

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参考書物

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以下は中国共産党支配層における就任時間、職名、職の創設時間、および廃止時間にかかわる情報: