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「京都電燈テキ6形電気機関車」の版間の差分

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{{鉄道車両
[[ファイル:EchizenML6.JPG|thumb|250px|right|ML6形]]
|車両名 = 京都電燈テキ6形電気機関車
'''京都電燈テキ6形電気機関車'''(きょうとでんとうテキ6形でんききかんしゃ)は、[[えちぜん鉄道]]が保有している[[電気機関車]]。車体内部は空室となっており、外見も電動[[貨車]]([[電車]])に見えるが、車籍は[[機関車]]として登録されていた。テキ6形は前身の[[京福電気鉄道]]時代までの形式で、えちぜん鉄道での正式な形式名は'''ML6形'''となっている。
|社色 = #738
|画像 = EchizenML6.JPG
|pxl =
|画像説明 = えちぜん鉄道ML6形ML6<br/>(旧京都電燈福井支社越前電気鉄道部テキ6形テキ6)
|営業最高速度= 30
|設計最高速度=
|全長= 7,271
|全幅= 2,430
|全高= 3,710
|車両質量= 9.06[[トン|t]]
|軸配置= B
|軌間= 1,067([[狭軌]])
|電気方式= [[直流電化|直流]]600[[ボルト (単位)|V]]([[架空電車線方式]])
|総出力= 104.0[[ワット (単位)|kW]]
|主電動機= [[直巻整流子電動機|直流直巻電動機]] [[ゼネラル・エレクトリック]]GE-281-B
|主電動機出力2= 52.0kW
|搭載数= 2
|端子電圧= 600V
|定格速度= 20.0
|定格引張力= 1,905[[キログラム|kg]]
|駆動装置= 1段歯車減速[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け式]]
|歯車比= 4.44
|台車 = [[ブリル|J.G.ブリル]] Brill 21E
|制御装置= [[電気車の速度制御#抵抗制御|抵抗制御]]、[[電気車の速度制御#直並列組合せ制御|直並列2段組合せ制御]]<br />ゼネラル・エレクトリックK-38直接制御器
|制動方式= [[直通ブレーキ|入替空気ブレーキ]]・手ブレーキ
|保安装置=
|製造メーカー= [[帝國車輛工業|梅鉢鉄工場]]
|備考= 諸元はテキ6の1965年以降のもの
}}
'''京都電燈テキ6形電気機関車'''(きょうとでんとうテキ6形でんききかんしゃ)は、[[京都電燈]]福井支社越前電気鉄道部([[えちぜん鉄道]]の前身)が保有していた、軸配置Bの箱形[[電気機関車]]。


本項目では同時期に設計製作された姉妹形式であるテキ7形、および増備車に当たるテキ10形、そして車庫火災で廃車となった車両の代替新造車であるテキ20形の各形式についても記述する。
箱型ボディーの7m車体に2軸単台車という小型機関車。[[集電装置]]にはY字型ビューゲルを用いているが、方向転換の際の反転作業を省くため、車両前後に1基ずつ装備されており、運転時には後方のみを使用する。


== 製造経緯 ==
えちぜん鉄道の前身である[[京都電燈]]福井支社越前電気鉄道部が、[[大阪府]][[堺市]]の[[帝國車輛工業|梅鉢鉄工場]]に[[1920年]]にテキ6 - テキ11の計6両を製造させ、投入した。木造車体に鉄板を貼り付けた半鋼製車である。
福井支社を[[1898年]]に設置し、[[1899年]]には[[九頭竜川]]水系の[[足羽川]]に宿布水力発電所を建設して福井県下での電灯事業を営む様になっていた京都電燈は、余剰電力の安定消費家としての電気鉄道事業に着目し、地元資本での建設が頓挫していた福井 - 勝山 - 大野間電気鉄道の建設に[[1912年]]9月<ref group="出典" name="tr17-49">[[#tr17-49_63|『THEレイル No.17』 p.49]]</ref>に着手した。


この路線は同社福井支社直営の越前電気鉄道線として[[1914年]]4月10日に福井 - 大野口間36kmを一挙に開業<ref group="出典" name="tr17-49"/>、同年6月には機関車の併用認可を取得<ref group="出典" name="rp461-67">[[#rp461-67_69|『鉄道ピクトリアル』No.461 p.67]]</ref>、更に翌[[1915年]]7月には[[鉄道省]]線との連帯貨物輸送を開始している<ref group="出典" name="rp461-67"/>。
[[1935年]]に[[新福井駅]]に隣接した車庫が火災にあい、テキ8・テキ10、テキ11の3両が焼失した。だが、機関車の不足を補うため、焼失したテキ8から台車や機器を再利用して[[加藤車両]]で車体のみを新造しテキ20として復旧された。


この貨物営業開始の頃に使用されていた電気機関車については、少なくともテキ4・テキ5の2両が在籍し<ref group="出典" name="rp461-67"/>、機関車併用認可が取得された段階で1両の機関車が在籍していた<ref group="出典" name="rp461-67"/>ことは確認されているが、その全貌は明らかになっていない。
[[客車]]・貨車の牽引に使用されていたが、電車化と貨物営業廃止、それに後継電気機関車の出現で用途を失い、末期には入れ換え用機関車として使用された。


いずれにせよ、開業後の越前電気鉄道線では順調に旅客・貨物の輸送需要が増大し、1920年には貨物列車牽引用の電気機関車として、以下の4両が竣工した<ref group="出典" name="rp461-67"/>。
[[1993年]]に車籍を喪失したが、テキ6のみ日本国内に現存する最古の電気機関車として[[1999年]]に車籍復活し、本線走行が可能なようにも再整備された。[[2002年]]には京福電気鉄道からえちぜん鉄道へ譲渡されたが、翌年再び除籍され、構内[[入換 (鉄道)|入換]]用の機械となっていた。[[2009年]]8月13日夜から14日にかけて[[勝山駅]]に移動された。現在は勝山駅前の広場に建設されたテキ6保存施設にて[[動態保存]]されている。ただし、運転は[[鉄道の日]]やえちぜん鉄道などでイベントがあったときなどに限られ、いつでもその動いている姿を見られるわけではない<ref>{{cite web

* テキ6形テキ6
* テキ7形テキ7 - テキ9
: 1920年12月、[[帝國車輛工業|梅鉢鉄工場]]製<ref group="出典" name="rp461-67"/>

これら4両はいずれも木造の箱形車体を備える軸配置Bの小型電気機関車であったが、テキ6とそれ以外では搭載機器が異なったことから、別形式が付与された<ref group="出典" name="rp461-67"/>ものである。

越前電気鉄道線での貨物輸送需要の増加はその後も順調に進み、1923年にはこれら4両の増備車として、以下の2両が新造された<ref group="出典" name="rp461-67"/>。

*テキ10形テキ10・テキ11
: 1923年10月、梅鉢鉄工場製<ref group="出典" name="rp461-67"/>

これらはテキ6と同一の機器を搭載して竣工した<ref group="出典" name="rp461-67"/>が、別形式とされている。

テキ6に始まる梅鉢鉄工場製小型電気機関車の増備はこの2両で終了となった。

もっとも、1935年3月16日に発生した福井口車庫の火災によりテキ8が全焼、翌4月11日付で除籍される<ref group="出典" name="rp461-67"/>など、同線在籍車両は甚大な被害を被った。その車両不足を補うために1936年に[[庄川水力電気庄水3号形電気機関車|テキ501形]]テキ501が導入された<ref group="出典" name="tr17-60">[[#tr17-49_63|『THEレイル No.17』 p.60]]</ref>が、廃車となったテキ8から回収、再整備された主要機器を再利用する形<ref group="出典" name="rp461-67"/>で、以下の車両が新造扱いの半鋼製車として竣工した。

*テキ20形テキ20
: 1936年3月、加藤車両製作所製<ref group="出典" name="rp461-67"/>

== 車体 ==
メーカーの異なるテキ20を含め、ほぼ同様の形状・寸法となっている。

側面中央に大きな両開き扉を設置<ref group="出典" name="rp461-68">[[#rp461-67_69|『鉄道ピクトリアル』No.461 p.68]]</ref>し、その両脇に楕円形の戸袋窓<ref group="出典" name="rp461-67"/>を含め4枚ずつ側窓を設けた<ref group="出典" name="rp461-68"/>、車体長6,398mm<ref group="出典" name="rp461-68"/>で荷物電車風の木造車体<ref group="出典" name="tr17-60"/>(テキ6形 - テキ10形)あるいは半鋼製車体(テキ20形)を備える。

妻面は丸妻で屋根板が突き出してひさし状になっており<ref group="出典" name="rp461-68"/>、妻窓は3枚構成となっている<ref group="出典" name="rp461-68"/>。前照灯は筒型の灯具を必要に応じて妻面中央窓下に引っかけ式で着脱して使用する構造<ref group="出典" name="rw75-81">[[#rw75-75_81|『世界の鉄道'75』p.81]]</ref>である。

両開き扉は窓が設けられておらず、車内は運転台部分とそれ以外に仕切りのない、1室のみとなっており<ref group="出典" name="rp461-68"/>、車内中央には主抵抗器やブレーキ用の電動空気圧縮器などの各種機器が搭載されている<ref group="出典" name="tr17-60"/>。

なお、テキ20形では戸袋窓は鎧戸状の通風口となっていたとされ、窓も隅部にRがつけられて曲線を描いていた他形式とは異なり、角の立った実用本位の構造に変更されている<ref group="出典" name="rp461-67_68">[[#rp461-67_69|『鉄道ピクトリアル』No.461 pp.67 - 68]]</ref>。

== 主要機器 ==
=== 制御器 ===
前述のとおり、テキ6形・テキ10形とテキ7形・テキ20形の2グループで異なった制御器が搭載されており、テキ6形のグループがアメリカの[[ゼネラル・エレクトリック]]製K-38<ref group="出典" name="rp461-67"/>、テキ7形のグループが[[東洋電機製造]]製DB-3<ref group="出典" name="rp461-67"/>をそれぞれ搭載する。

いずれも同時期の路面電車で多用されていた、直接制御器である。

=== 主電動機 ===
4形式ともゼネラル・エレクトリック製GE-281-B<ref group="出典" name="rp461-67"/>直流直巻整流子電動機{{refnest|group="注釈"|端子電圧600V時1時間定格出力52.0kW<ref group="出典" name="rw75-168_169">[[#rw75-158_169|『世界の鉄道'75』pp.168 - 169]]</ref>、定格回転数546rpm。}}を2基ずつ吊り掛け式<ref group="出典" name="rw75-168_169"/>で装架する。歯数比は4.44<ref group="出典" name="rw75-168_169"/>である。

=== 台車 ===
アメリカの[[ブリル|J.G.ブリル]]製Brill 21E 2軸単台車<ref group="出典" name="rp461-67"/>を装着する。

この台車は設計当時の路面電車で広く利用されていた形式であった。

=== 集電装置 ===
新造時にはトロリーポールを前後各1基ずつ搭載している<ref group="出典" name="rp461-68"/>。

=== ブレーキ ===
[[直通ブレーキ]]<ref group="出典" name="rp461-68"/>と[[手ブレーキ]]を併設する。これもまた路面電車並の装備である。

=== 連結器 ===
テキ6形からテキ10形までは連環螺旋連結器を装着して新造された<ref group="出典" name="rp461-67"/>が、鉄道省線での連結器の自動連結器への交換完了([[1926年]]7月17日)後の竣工のテキ20形は当初より並形自動連結器搭載で落成、他の5両も1926年の鉄道省での連結器交換に合わせて同年9月30日竣工として自動連結器への交換改造を実施している<ref group="出典" name="rp461-67"/>。

== 運用 ==
テキ6形・テキ7形の竣工以来、長期にわたって京都電燈福井支社越前電気鉄道線およびその後身である京福電気鉄道福井支社越前本線で主力機関車として運用された。

だが、1936年のテキ501、[[1941年]]の[[国鉄EC40形電気機関車|テキ511形]]テキ511・テキ512<ref group="出典" name="tr17-60"/>、とより本格的な電気機関車の導入がはじまり、さらに[[1945年]]7月19日の福井空襲の際にテキ10形2両が被災<ref group="出典" name="rp461-68"/>、これらは復旧されず放置された末、[[1948年]]12月23日付で2両とも除籍されてしまう<ref group="出典" name="rp461-68"/>。

これは戦後の物資不足に加え、1948年6月28日に起きた福井地震とそれに続く洪水<ref group="出典" name="rp461-68"/>で京福電気鉄道福井支社の全線が甚大な被害を受けたために、車両復旧どころではない状況に陥ったためと考えられている<ref group="出典" name="rp461-68"/>{{refnest|group="注釈"|そのため、これらの補充および輸送力増強を企図して<ref group="出典" name="rp461-68"/>[[京福電気鉄道テキ521形電気機関車|テキ521形]]テキ521・テキ522の2両が翌[[1949年]]5月に新造されている<ref group="出典" name="rp461-68"/>。}}。

[[1953年]]3月には越前本線の架線方式が変更され、集電装置もトロリーポールからパンタグラフに変更されることとなった<ref group="出典" name="rp461-68"/>が、これに対応すべく当時在籍していたテキ6・テキ7・テキ9・テキ20の4両についてはトロリーポールを途中で切断、これの切断部先端にトラス状の枠組みを取り付け、その一端にスライダーシューを取り付ける改造工事{{refnest|group="注釈"|この種の改造集電装置は南海電気鉄道大阪軌道線や阪神電気鉄道国道線など関西の路面電車各社を中心に普及しており、その特徴的な形状からビューゲルをもじって「Yゲル」<ref group="出典" name="rw75-81"/>と俗称された。なお、この改造コストは新品のパンタグラフやビューゲルを購入するよりも遙かに低廉であったとされる。}}を施工した。

以後も長らく越前本線で使用されたが、まずブレーキ装置の入替空気ブレーキ{{refnest|group="注釈"|直通ブレーキのブレーキ弁を改造し、ハンドルの回転角がある一定角度までは通常の直通ブレーキとして機能する<ref group="出典" name="rp461-68"/>が、それ以上の回転角ではブレーキ管減圧機能が作用し連結されている貨車などの自動空気ブレーキが作用する<ref group="出典" name="rp461-68"/>、という機能を持つ<ref group="出典" name="rp461-68"/>。なお、このブレーキ改造の時期は詳らかではない<ref group="出典" name="rp461-68"/>が、路線付け替え工事によって発坂 - 比島間が40パーミルの急勾配区間となった時期であった可能性が指摘されている<ref group="出典" name="rp461-68"/>。}}への改造を行われていなかったテキ9の走行距離が激減<ref group="出典" name="rp461-68"/>、1953年度から開始されていた[[真名川]]総合開発事業のための資材輸送がほぼ完了した[[1956年]]にはテキ6・テキ7・テキ9に追加されていた撒砂装置が撤去され<ref group="出典" name="rp461-68"/>、[[1958年]]にはこれら4両の越前本線での貨物牽引運用は終了したとされる<ref group="出典" name="rp461-68_69">[[#rp461-67_69|『鉄道ピクトリアル』No.461 pp.68 - 69]]</ref>。

以後、これら4両は越前本線や永平寺線の貨物拠点駅での入れ替え機<ref group="出典" name="rp461-69"/>、および永平寺線での貨物列車牽引用<ref group="出典" name="rp461-69">[[#rp461-67_69|『鉄道ピクトリアル』No.461 p.69]]</ref>として用いられることとなったが、[[1965年]]にはテキ6・テキ7・テキ9の木造車体の老朽化が深刻となり、自社福井口工場にて半鋼製車体化<ref group="出典" name="rp461-68"/>が実施された。

この際、テキ6は三面折れ妻構造の妻面となって側窓も四隅にRのついたHゴム支持の固定窓<ref group="出典" name="rp461-68"/>、テキ7・テキ9は丸妻で側窓がHゴム支持の楕円窓<ref group="出典" name="rp461-68"/>、と異なった形状となった。

[[1969年]]9月18日の永平寺線部分廃止で入れ替え用電気機関車は余剰となり<ref group="出典" name="rp461-69"/>、まずテキ7が同年9月27日付で除籍<ref group="出典" name="rp461-69"/>、続いて[[1974年]]8月13日の越前本線部分廃止でテキ9が同年11月15日に廃車<ref group="出典" name="rp461-69"/>となり{{refnest|group="注釈"|車体はその後も長らく福井口工場で工作機械用空気圧縮器の収納設備として残されていた<ref group="出典" name="rp461-69"/>。}}、さらに[[1975年]]10月1日には車体更新を受けていなかったテキ20が老朽化で廃車となった<ref group="出典" name="rp461-69"/>。

=== テキ6の廃車と保存 ===
最後まで残ったテキ6は時期不詳で側面扉が片引き戸に改造される<ref group="出典" name="rp461-69"/>など、細かく改造を施されつつも福井口車庫の入れ替え用機関車として越前本線の貨物営業廃止後も長らく使用されてきたが、本線運用の実態が皆無であったこともあり、[[1993年]]に除籍された。

しかし、その後も福井口車庫入れ替え機としての運用は継続しており、日本国内に現存する最古の電気機関車としてイベントでの本線走行を目的として[[1999年]]に車籍復活し、本線走行が可能なよう機器も再整備された。[[2002年]]には京福電気鉄道からえちぜん鉄道へ譲渡され、ML6形ML6へ改称されたが、翌年再び除籍され、その後は構内[[入換 (鉄道)|入換]]用機械という扱いで元通り福井口車庫の構内入れ替え機として使用されていた。

[[2009年]]8月13日夜から14日にかけて[[勝山駅]]に移動され、現在は勝山駅前の広場に建設されたテキ6保存施設にて[[動態保存]]されている。ただし、運転は[[鉄道の日]]やえちぜん鉄道などでイベントがあったときなどに限られ、いつでもその動いている姿を見られるわけではない<ref group="出典">{{cite web
| url =http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news0/index.php?page=article&storyid=9250&storytopic=22
| url =http://www.fukuishimbun.co.jp/modules/news0/index.php?page=article&storyid=9250&storytopic=22
| title =勝山駅前“電車博物館”に 機関車と貨車展示、市が整備概要発表
| title =勝山駅前“電車博物館”に 機関車と貨車展示、市が整備概要発表
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| date = 2010-02-03
| date = 2010-02-03
|accessdate=2010年5月20日
|accessdate=2010年5月20日
}}</ref>。
}}</ref>。構内入換はテキ6に代わって[[北陸重機工業|北陸重機]]製の[[モーターカー]]が使用されている。

なお、福井口車庫の構内入換はテキ6に代わって[[北陸重機工業|北陸重機]]製の[[モーターカー]]が使用されている。

== 注釈 ==
{{Reflist|group="注釈"}}


== 主要諸元 ==
== 出典 ==
{{脚注ヘルプ}}
*全長:7.271m
{{Reflist|2|group="出典"}}
*全幅:2.430m
*全高:3.710m
*運転整備重量:9.06t
*電気方式:直流600V(架空電車線方式)
*軸配置:B
*台車形式:Brill21-E
*電動機:GE281-B(52kW)×2基
**歯車比:16:71=1:4.44
**1時間定格出力:104kW
**1時間定格引張力:1905kg
*動力伝達方式:歯車1段減速、[[吊り掛け駆動方式|吊り掛け式]]
*制御方式:抵抗制御、2段組み合わせ制御
*制御装置:AMM直接制御
*ブレーキ方式:空気ブレーキ、手ブレーキ


== 脚注 ==
== 参考文献 ==
雑誌
<references/>
* {{Cite journal|和書|author=|title=私鉄専用鉄道の電気機関車|journal=世界の鉄道'69|volume=|year=1968|month=10|pages=59 - 105|publisher=[[朝日新聞社]]|ref = rw69-59_105}}
* {{Cite journal|和書|author=|title=日本の私鉄及び会社専用線電気機関車諸元表|journal=世界の鉄道'69|volume=|year=1968|month=10|pages=178 - 185|publisher= 朝日新聞社|ref = rw69-178_185}}
* {{Cite journal|和書|author=|title=特集・日本のローカル私鉄 京福電気鉄道|journal=世界の鉄道'75|volume=|year=1974|month=10|pages=75 - 81|publisher=朝日新聞社|ref = rw75-75_81}}
* {{Cite journal|和書|author=|title=日本の私鉄車両 諸元表|journal=世界の鉄道'75|volume=|year=1974|month=10|pages=158 - 169|publisher= 朝日新聞社|ref = rw75-158_169}}
* {{Cite journal|和書|author=中田安治|title=京福越前本線沿革と車輛|journal=THEレイル|volume=17|year=1986|month=2|pages=49 - 63|publisher=[[エリエイ]]出版部プレス・アイゼンバーン|ref = tr17-49_63}}
* {{Cite journal|和書|author=山口裕之|title=中京・北陸地方のローカル私鉄 9 京福電気鉄道テキ6とその同系車のあゆみ|journal=鉄道ピクトリアル1986年3月臨時増刊号|volume=461|year=1986|month=3|pages=67 - 69|publisher=電気車研究会|ref = rp461-67_69}}
* {{Cite journal|和書|author=西脇恵|title=中京・北陸地方のローカル私鉄 現況8 京福電気鉄道福井支社|journal=鉄道ピクトリアル1986年3月臨時増刊号|volume=461|year=1986|month=3|pages=129 - 134|publisher=電気車研究会|ref = rp461-129_134}}


{{京福電気鉄道の車両}}
{{京福電気鉄道の車両}}

2013年4月20日 (土) 12:28時点における版

京都電燈テキ6形電気機関車
えちぜん鉄道ML6形ML6
(旧京都電燈福井支社越前電気鉄道部テキ6形テキ6)
基本情報
製造所 梅鉢鉄工場
主要諸元
軸配置 B
軌間 1,067(狭軌
電気方式 直流600V架空電車線方式
最高運転速度 30
自重 9.06t
全長 7,271
全幅 2,430
全高 3,710
台車 J.G.ブリル Brill 21E
主電動機 直流直巻電動機 ゼネラル・エレクトリックGE-281-B
主電動機出力 52.0kW
搭載数 2
端子電圧 600V
駆動方式 1段歯車減速吊り掛け式
歯車比 4.44
定格速度 20.0
定格引張力 1,905kg
制御装置 抵抗制御直並列2段組合せ制御
ゼネラル・エレクトリックK-38直接制御器
制動装置 入替空気ブレーキ・手ブレーキ
備考 諸元はテキ6の1965年以降のもの
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京都電燈テキ6形電気機関車(きょうとでんとうテキ6形でんききかんしゃ)は、京都電燈福井支社越前電気鉄道部(えちぜん鉄道の前身)が保有していた、軸配置Bの箱形電気機関車

本項目では同時期に設計製作された姉妹形式であるテキ7形、および増備車に当たるテキ10形、そして車庫火災で廃車となった車両の代替新造車であるテキ20形の各形式についても記述する。

製造経緯

福井支社を1898年に設置し、1899年には九頭竜川水系の足羽川に宿布水力発電所を建設して福井県下での電灯事業を営む様になっていた京都電燈は、余剰電力の安定消費家としての電気鉄道事業に着目し、地元資本での建設が頓挫していた福井 - 勝山 - 大野間電気鉄道の建設に1912年9月[出典 1]に着手した。

この路線は同社福井支社直営の越前電気鉄道線として1914年4月10日に福井 - 大野口間36kmを一挙に開業[出典 1]、同年6月には機関車の併用認可を取得[出典 2]、更に翌1915年7月には鉄道省線との連帯貨物輸送を開始している[出典 2]

この貨物営業開始の頃に使用されていた電気機関車については、少なくともテキ4・テキ5の2両が在籍し[出典 2]、機関車併用認可が取得された段階で1両の機関車が在籍していた[出典 2]ことは確認されているが、その全貌は明らかになっていない。

いずれにせよ、開業後の越前電気鉄道線では順調に旅客・貨物の輸送需要が増大し、1920年には貨物列車牽引用の電気機関車として、以下の4両が竣工した[出典 2]

  • テキ6形テキ6
  • テキ7形テキ7 - テキ9
1920年12月、梅鉢鉄工場[出典 2]

これら4両はいずれも木造の箱形車体を備える軸配置Bの小型電気機関車であったが、テキ6とそれ以外では搭載機器が異なったことから、別形式が付与された[出典 2]ものである。

越前電気鉄道線での貨物輸送需要の増加はその後も順調に進み、1923年にはこれら4両の増備車として、以下の2両が新造された[出典 2]

  • テキ10形テキ10・テキ11
1923年10月、梅鉢鉄工場製[出典 2]

これらはテキ6と同一の機器を搭載して竣工した[出典 2]が、別形式とされている。

テキ6に始まる梅鉢鉄工場製小型電気機関車の増備はこの2両で終了となった。

もっとも、1935年3月16日に発生した福井口車庫の火災によりテキ8が全焼、翌4月11日付で除籍される[出典 2]など、同線在籍車両は甚大な被害を被った。その車両不足を補うために1936年にテキ501形テキ501が導入された[出典 3]が、廃車となったテキ8から回収、再整備された主要機器を再利用する形[出典 2]で、以下の車両が新造扱いの半鋼製車として竣工した。

  • テキ20形テキ20
1936年3月、加藤車両製作所製[出典 2]

車体

メーカーの異なるテキ20を含め、ほぼ同様の形状・寸法となっている。

側面中央に大きな両開き扉を設置[出典 4]し、その両脇に楕円形の戸袋窓[出典 2]を含め4枚ずつ側窓を設けた[出典 4]、車体長6,398mm[出典 4]で荷物電車風の木造車体[出典 3](テキ6形 - テキ10形)あるいは半鋼製車体(テキ20形)を備える。

妻面は丸妻で屋根板が突き出してひさし状になっており[出典 4]、妻窓は3枚構成となっている[出典 4]。前照灯は筒型の灯具を必要に応じて妻面中央窓下に引っかけ式で着脱して使用する構造[出典 5]である。

両開き扉は窓が設けられておらず、車内は運転台部分とそれ以外に仕切りのない、1室のみとなっており[出典 4]、車内中央には主抵抗器やブレーキ用の電動空気圧縮器などの各種機器が搭載されている[出典 3]

なお、テキ20形では戸袋窓は鎧戸状の通風口となっていたとされ、窓も隅部にRがつけられて曲線を描いていた他形式とは異なり、角の立った実用本位の構造に変更されている[出典 6]

主要機器

制御器

前述のとおり、テキ6形・テキ10形とテキ7形・テキ20形の2グループで異なった制御器が搭載されており、テキ6形のグループがアメリカのゼネラル・エレクトリック製K-38[出典 2]、テキ7形のグループが東洋電機製造製DB-3[出典 2]をそれぞれ搭載する。

いずれも同時期の路面電車で多用されていた、直接制御器である。

主電動機

4形式ともゼネラル・エレクトリック製GE-281-B[出典 2]直流直巻整流子電動機[注釈 1]を2基ずつ吊り掛け式[出典 7]で装架する。歯数比は4.44[出典 7]である。

台車

アメリカのJ.G.ブリル製Brill 21E 2軸単台車[出典 2]を装着する。

この台車は設計当時の路面電車で広く利用されていた形式であった。

集電装置

新造時にはトロリーポールを前後各1基ずつ搭載している[出典 4]

ブレーキ

直通ブレーキ[出典 4]手ブレーキを併設する。これもまた路面電車並の装備である。

連結器

テキ6形からテキ10形までは連環螺旋連結器を装着して新造された[出典 2]が、鉄道省線での連結器の自動連結器への交換完了(1926年7月17日)後の竣工のテキ20形は当初より並形自動連結器搭載で落成、他の5両も1926年の鉄道省での連結器交換に合わせて同年9月30日竣工として自動連結器への交換改造を実施している[出典 2]

運用

テキ6形・テキ7形の竣工以来、長期にわたって京都電燈福井支社越前電気鉄道線およびその後身である京福電気鉄道福井支社越前本線で主力機関車として運用された。

だが、1936年のテキ501、1941年テキ511形テキ511・テキ512[出典 3]、とより本格的な電気機関車の導入がはじまり、さらに1945年7月19日の福井空襲の際にテキ10形2両が被災[出典 4]、これらは復旧されず放置された末、1948年12月23日付で2両とも除籍されてしまう[出典 4]

これは戦後の物資不足に加え、1948年6月28日に起きた福井地震とそれに続く洪水[出典 4]で京福電気鉄道福井支社の全線が甚大な被害を受けたために、車両復旧どころではない状況に陥ったためと考えられている[出典 4][注釈 2]

1953年3月には越前本線の架線方式が変更され、集電装置もトロリーポールからパンタグラフに変更されることとなった[出典 4]が、これに対応すべく当時在籍していたテキ6・テキ7・テキ9・テキ20の4両についてはトロリーポールを途中で切断、これの切断部先端にトラス状の枠組みを取り付け、その一端にスライダーシューを取り付ける改造工事[注釈 3]を施工した。

以後も長らく越前本線で使用されたが、まずブレーキ装置の入替空気ブレーキ[注釈 4]への改造を行われていなかったテキ9の走行距離が激減[出典 4]、1953年度から開始されていた真名川総合開発事業のための資材輸送がほぼ完了した1956年にはテキ6・テキ7・テキ9に追加されていた撒砂装置が撤去され[出典 4]1958年にはこれら4両の越前本線での貨物牽引運用は終了したとされる[出典 8]

以後、これら4両は越前本線や永平寺線の貨物拠点駅での入れ替え機[出典 9]、および永平寺線での貨物列車牽引用[出典 9]として用いられることとなったが、1965年にはテキ6・テキ7・テキ9の木造車体の老朽化が深刻となり、自社福井口工場にて半鋼製車体化[出典 4]が実施された。

この際、テキ6は三面折れ妻構造の妻面となって側窓も四隅にRのついたHゴム支持の固定窓[出典 4]、テキ7・テキ9は丸妻で側窓がHゴム支持の楕円窓[出典 4]、と異なった形状となった。

1969年9月18日の永平寺線部分廃止で入れ替え用電気機関車は余剰となり[出典 9]、まずテキ7が同年9月27日付で除籍[出典 9]、続いて1974年8月13日の越前本線部分廃止でテキ9が同年11月15日に廃車[出典 9]となり[注釈 5]、さらに1975年10月1日には車体更新を受けていなかったテキ20が老朽化で廃車となった[出典 9]

テキ6の廃車と保存

最後まで残ったテキ6は時期不詳で側面扉が片引き戸に改造される[出典 9]など、細かく改造を施されつつも福井口車庫の入れ替え用機関車として越前本線の貨物営業廃止後も長らく使用されてきたが、本線運用の実態が皆無であったこともあり、1993年に除籍された。

しかし、その後も福井口車庫入れ替え機としての運用は継続しており、日本国内に現存する最古の電気機関車としてイベントでの本線走行を目的として1999年に車籍復活し、本線走行が可能なよう機器も再整備された。2002年には京福電気鉄道からえちぜん鉄道へ譲渡され、ML6形ML6へ改称されたが、翌年再び除籍され、その後は構内入換用機械という扱いで元通り福井口車庫の構内入れ替え機として使用されていた。

2009年8月13日夜から14日にかけて勝山駅に移動され、現在は勝山駅前の広場に建設されたテキ6保存施設にて動態保存されている。ただし、運転は鉄道の日やえちぜん鉄道などでイベントがあったときなどに限られ、いつでもその動いている姿を見られるわけではない[出典 10]

なお、福井口車庫の構内入換はテキ6に代わって北陸重機製のモーターカーが使用されている。

注釈

  1. ^ 端子電圧600V時1時間定格出力52.0kW[出典 7]、定格回転数546rpm。
  2. ^ そのため、これらの補充および輸送力増強を企図して[出典 4]テキ521形テキ521・テキ522の2両が翌1949年5月に新造されている[出典 4]
  3. ^ この種の改造集電装置は南海電気鉄道大阪軌道線や阪神電気鉄道国道線など関西の路面電車各社を中心に普及しており、その特徴的な形状からビューゲルをもじって「Yゲル」[出典 5]と俗称された。なお、この改造コストは新品のパンタグラフやビューゲルを購入するよりも遙かに低廉であったとされる。
  4. ^ 直通ブレーキのブレーキ弁を改造し、ハンドルの回転角がある一定角度までは通常の直通ブレーキとして機能する[出典 4]が、それ以上の回転角ではブレーキ管減圧機能が作用し連結されている貨車などの自動空気ブレーキが作用する[出典 4]、という機能を持つ[出典 4]。なお、このブレーキ改造の時期は詳らかではない[出典 4]が、路線付け替え工事によって発坂 - 比島間が40パーミルの急勾配区間となった時期であった可能性が指摘されている[出典 4]
  5. ^ 車体はその後も長らく福井口工場で工作機械用空気圧縮器の収納設備として残されていた[出典 9]

出典

参考文献

雑誌

  • 「私鉄専用鉄道の電気機関車」『世界の鉄道'69』、朝日新聞社、1968年10月、59 - 105頁。 
  • 「日本の私鉄及び会社専用線電気機関車諸元表」『世界の鉄道'69』、朝日新聞社、1968年10月、178 - 185頁。 
  • 「特集・日本のローカル私鉄 京福電気鉄道」『世界の鉄道'75』、朝日新聞社、1974年10月、75 - 81頁。 
  • 「日本の私鉄車両 諸元表」『世界の鉄道'75』、朝日新聞社、1974年10月、158 - 169頁。 
  • 中田安治「京福越前本線沿革と車輛」『THEレイル』第17巻、エリエイ出版部プレス・アイゼンバーン、1986年2月、49 - 63頁。 
  • 山口裕之「中京・北陸地方のローカル私鉄 9 京福電気鉄道テキ6とその同系車のあゆみ」『鉄道ピクトリアル1986年3月臨時増刊号』第461巻、電気車研究会、1986年3月、67 - 69頁。 
  • 西脇恵「中京・北陸地方のローカル私鉄 現況8 京福電気鉄道福井支社」『鉄道ピクトリアル1986年3月臨時増刊号』第461巻、電気車研究会、1986年3月、129 - 134頁。