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{{基礎情報 会社| |
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社名 = 株式会社札幌丸井三越| |
社名 = 株式会社札幌丸井三越| |
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主要株主 = 三越伊勢丹ホールディングス(100%)| |
主要株主 = 三越伊勢丹ホールディングス(100%)| |
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特記事項 = [[札幌丸井三越]]の項を参照| |
特記事項 = [[札幌丸井三越]]の項を参照| |
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外部リンク = http://www.marui-mitsukoshi.co.jp/| |
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{{基礎情報 会社| |
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本社郵便番号 = 040-0011| |
本社郵便番号 = 040-0011| |
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本社所在地 = 北海道函館市本町32-15| |
本社所在地 = 北海道函館市本町32-15| |
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設立=[[2009年]]( |
設立=[[2009年]](平成21年)5月29日| |
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業種 = 小売業| |
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事業内容 = 百貨店業| |
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主要株主 = [[三越伊勢丹ホールディングス]](100%)| |
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{{基礎情報 会社| |
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本社郵便番号 = 060-0061| |
本社郵便番号 = 060-0061| |
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本社所在地 = 北海道札幌市中央区南1条西2丁目| |
本社所在地 = 北海道札幌市中央区南1条西2丁目| |
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設立 = [[2009年]](平成21年 |
設立 = [[2009年]](平成21年)5月29日| |
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業種 = 小売業| |
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事業内容 = 百貨店業| |
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特記事項 = [[2011年]](平成23年 |
特記事項 = [[2011年]](平成23年)3月31日までの陣容。現在は株式会社[[札幌丸井三越]]を参照。 |
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{{基礎情報 会社| |
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|本社郵便番号= 060-8667 |
|本社郵便番号= 060-8667 |
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|本社所在地= [[北海道]][[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]南1条西2丁目11番地| |
|本社所在地= [[北海道]][[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]南1条西2丁目11番地| |
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|設立= [[1920年]]( |
|設立= [[1920年]](大正9年)2月<br />(株式会社今井商店)<br />(創業:[[1872年]](明治5年)) |
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|業種 = 小売業| |
|業種 = 小売業| |
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事業内容 = 主要事業なし| |
事業内容 = 主要事業なし| |
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|発行済株式総数= 普通株式:986万株<br />第一回種類株式:430万3,744株<br />第二回種類株式:25万株 |
|発行済株式総数= 普通株式:986万株<br />第一回種類株式:430万3,744株<br />第二回種類株式:25万株 |
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|売上高= 9億7,259万3千円([[2010年]][[1月]]期) |
|売上高= 9億7,259万3千円([[2010年]][[1月]]期) |
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|営業利益= 7,206万9千円 |
|営業利益= 7,206万9千円([[2010年]](平成22年)1月期) |
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|純利益= △4,999万6千円 |
|純利益= △4,999万6千円([[2010年]](平成22年)1月期) |
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|純資産= △18億6,529万4千円<br /> |
|純資産= △18億6,529万4千円<br />([[2010年]](平成22年)1月31日現在) |
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|総資産= 28億2,930万5千円<br /> |
|総資産= 28億2,930万5千円<br />([[2010年]](平成22年)1月31日現在) |
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|従業員数= 1名 |
|従業員数= 1名([[2010年]](平成22年)1月31日現在) |
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|決算期= [[1月31日]] |
|決算期= [[1月31日]] |
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|主要株主= [[みずほ信託銀行|みずほ信託銀行(株)]] 8.8%<br />(有)エヌ・エル・シー 7.3%<br />[[整理回収機構|(株)整理回収機構]] 5.2%<br /> |
|主要株主= [[みずほ信託銀行|みずほ信託銀行(株)]] 8.8%<br />(有)エヌ・エル・シー 7.3%<br />[[整理回収機構|(株)整理回収機構]] 5.2%<br />([[2011年]](平成23年)1月31日現在) |
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|主要子会社= |
|主要子会社= |
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|関係する人物= |
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|外部リンク = http://www.marui-imai.co.jp/| |
|外部リンク = http://www.marui-imai.co.jp/| |
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特記事項 = (旧)株式会社丸井今井。[[2010年]]( |
特記事項 = (旧)株式会社丸井今井。[[2010年]](平成22年)12月15日[[特別清算]]。 |
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{{基礎情報 会社| |
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国籍 = {{JPN}}| |
国籍 = {{JPN}}| |
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本社所在地=札幌市中央区南1条西2丁目| |
本社所在地=札幌市中央区南1条西2丁目| |
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設立=[[2005年]](平成17年 |
設立=[[2005年]](平成17年)11月1日| |
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代表者 =代表取締役(非常勤)畑中幸一<br />([[2009年]] |
代表者 =代表取締役(非常勤)畑中幸一<br />([[2009年]](平成21年)7月31日現在)| |
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発行済株式総数 =普通株式3814万0000株<br />優先株式500万株<br /> |
発行済株式総数 =普通株式3814万0000株<br />優先株式500万株<br />([[2009年]](平成21年)1月31日現在)| |
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資本金=20億1000万0千円<br /> |
資本金=20億1000万0千円<br />([[2009年]](平成21年)1月31日現在)| |
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売上高 =382億1289万4千円<br /> |
売上高 =382億1289万4千円<br />([[2009年]](平成21年)1月期)| |
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営業利益 =△6億4561万8千円<br /> |
営業利益 =△6億4561万8千円<br />([[2009年]](平成21年)1月期)| |
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純利益 =△11億4511万4千円<br /> |
純利益 =△11億4511万4千円<br />([[2009年]](平成21年)1月期)| |
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純資産 =△6億6026万6千円<br /> |
純資産 =△6億6026万6千円<br />([[2009年]](平成21年)1月31日現在)| |
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総資産 =489億0520万4千円<br /> |
総資産 =489億0520万4千円<br />([[2009年]](平成21年)1月31日現在)| |
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決算期 =[[1月31日]]| |
決算期 =[[1月31日]]| |
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主要株主= 有限会社エイチ・アール・エフ 65.5%<br />北海道丸井今井株式会社 21.3%<br />株式会社伊勢丹 13.1%<br />(2009年[[6月29日]]現在)| |
主要株主= 有限会社エイチ・アール・エフ 65.5%<br />北海道丸井今井株式会社 21.3%<br />株式会社伊勢丹 13.1%<br />(2009年[[6月29日]]現在)| |
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特記事項 = 旧株式会社丸井今井から会社分割で設立。民事再生手続き中。事業譲渡により、現在は運営店舗はなし。| |
特記事項 = 旧株式会社丸井今井から会社分割で設立。民事再生手続き中。事業譲渡により、現在は運営店舗はなし。| |
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'''丸井今井'''(まるいいまい、[[英語|英称]]:Marui-Imai)は、 |
'''丸井今井'''(まるいいまい、[[英語|英称]]:Marui-Imai)は、[[北海道]]内にある[[日本の百貨店]]である。 |
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現在は[[三越伊勢丹ホールディングス]]が2店舗を以下の完全子会社2社に分けて運営している。 |
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以下の2店舗がそれぞれ別会社の運営で存在し、両社とも三越伊勢丹HDの完全子会社となっている。 |
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*「'''丸井今井札幌本店'''」('''株式会社[[札幌丸井三越]]''') |
*「'''丸井今井札幌本店'''」('''株式会社[[札幌丸井三越]]''') |
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*「'''丸井今井函館店'''」('''株式会社函館丸井今井''') |
*「'''丸井今井函館店'''」('''株式会社函館丸井今井''') |
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== 概 |
== 歴史・概要 == |
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=== 創業から第2次世界大戦前まで === |
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[[新潟県]][[三条市]]出身の創業者・[[今井藤七]]が札幌に[[小間物商]]を開業した[[1872年]]([[明治]]5年)を創業年とする。正式な[[屋号]]は「'''(井)''' <ref>○囲みの中に【井】の字。「CICI」制定以前の[[丸井]]のロゴに似ている。</ref> '''今井'''」で、主要店舗入口の[[銘板]]に掲げられている。 |
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[[1872年]](明治5年)4月に[[新潟県]]三条町(現在の[[三条市]])出身の'''[[今井藤七]]'''が同郷の高井平吉と共同で札幌の創成橋(現在の札幌市中央区南1条西1丁目)の近くの<ref name="step-up-167-2003-2">{{Cite journal | title = 今井藤七 | journal = ステップアップ vol.167 | publisher = [[函館市文化・スポーツ振興財団]] | issue = 2003-2}}</ref>創成川河畔にあった<ref name="hokkaido-np-2009-2-12">{{Cite news | title = 百貨店を「解剖」「仁徳」創業者の信念 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-2-12 }}</ref>茅葺きの家屋の一角にむしろ敷きの屋台の様な店舗で<ref name="step-up-167-2003-2" />小間物店<ref name="hokkaido-np-2009-2-12" />'''今井商店'''を開業した<ref name="hakodate-history-3-1997-6-8">{{Cite book | 和書 | author =函館市史編さん室 | title = 函館市史 通説編 第3巻 | section = モダーンな街 | pages = 6-8 | publisher = 函館市 | year = 1997}}</ref>のが始まりである。 |
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低価格と誠実さ・勤勉さが評判となって開業前に仕入れた商品を2ヶ月で売り切るほど繁盛し<ref name="step-up-167-2003-2" />、2年後の[[1874年]](明治7年)には店舗を新築・移転して'''丸井今井呉服店'''を開店した<ref name="step-up-167-2003-2" />。 |
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当初は創業前まで今井藤七が在住していた函館<ref name="step-up-167-2003-2" />と頻繁に往復して仕入れていた<ref name="hokkaido-np-2009-2-12" />が、この形態では東京と函館の問屋を二重に経由して割高となるため[[1891年]](明治24年)に東京に仕入店を開設する<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009">{{Cite report |date=2009-4-27 |title= 北海道丸井今井株式会社 第90期有価証券報告書 |publisher= 北海道丸井今井 }}</ref>など東京の問屋から直接仕入れに早くから切り替え<ref name="step-up-167-2003-2" />、開拓途上の北海道にできるだけ豊富で低価格に物資を供給して移住者の生活安定に寄与しようとし<ref name="step-up-167-2003-2" />、[[1879年]](明治12年)からは正札販売を開始した<ref name="step-up-167-2003-2" />。 |
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こうした営業姿勢が評判を呼んでこの頃から尊敬と親しみを込めて'''まるいさん'''と敬称をつけて呼ばれるようになったといわれる<ref name="step-up-167-2003-2" />。 |
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[[1888年]](明治21年)には'''今井洋装店'''を開業して洋服などの販売に乗り出した<ref name="step-up-167-2003-2" />ほか、 |
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[[1890年]](明治23年)に滝川支店を開設した<ref name="pr-takikawa-2009-9">{{Cite journal | author = 茂野浩一 | title = 絵でみるたきかわ 第5回 | journal = 広報たきかわ 2009年9月号 | publisher = 滝川市 | issue = 2009-9}}</ref>のを皮切りに道内各地に支店展開を始め、[[1891年]](明治24年)<ref name="mainichi-np-2009-3-23">{{Cite news | title = 老舗破綻:旧丸井今井小樽店跡地、おたるサンモール・ネオきょう営業終了 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2009-3-23 }}</ref>10月に<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" />小樽の色内に'''丸井今井呉服店小樽支店'''<ref name="kinukawa-2009">{{Cite journal | author =衣川恵 | title = 小樽市のまちづくりと中心市街地活性化策 | journal = 地域総合研究第37巻第1号 | publisher = [[鹿児島国際大学]]地域総合研究所 | issue = 2009}}</ref>、同年11月に室蘭市中央町に'''丸井今井呉服店室蘭支店'''<ref name="asahi-np-2010-1-16" >{{Cite news | title = 丸井今井室蘭店 見えぬ売却先 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2010-1-16 }}</ref>、[[1892年]](明治25年)4月25日には当時の函館の繁華街末広町の南部坂下の一角にあった函館第一の呉服店山丸二菊池呉服店を買収し今井藤七の末弟今井良七に任せて'''函館丸井今井呉服店'''<ref name="step-up-167-2003-2" />、[[1897年]](明治30年)<ref name="hokkaido-np-2009-7-21">{{Cite news | title = 札幌西武、丸井室蘭閉店へ「雇用は」「思い出が…」肩落とす市民、関係者 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-7-21 }}</ref>10月<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" />には'''丸井今井呉服店旭川支店'''<ref name="hokkaido-np-2009-7-21" />など函館から旭川にいたる道南から道央まで広がる店舗網を構築した。 |
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そして[[1916年]](大正5年)には札幌大火からの復興の際にレンガおよび石造3階建の店舗を新築したのを機会に札幌本店を百貨店として営業を開始した<ref name="hakodate-history-3-1997-6-8">{{Cite book | 和書 | author =函館市史編さん室 | title = 函館市史 通説編 第3巻 | section = モダーンな街 | pages = 6-8 | publisher = 函館市 | year = 1997}}</ref>。 |
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[[1898年]](明治31年)1月に'''合名会社今井商店'''として法人化し<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" />、[[1919年]](大正8年)2月<ref name="tdb-big-bankrupty-news-2010-12-15">{{Cite report |date= 2010-12-15 |title=大型倒産速報 北海道丸井今井 |publisher=[[帝国データバンク]]}}</ref>には'''株式会社今井商店'''に改組して<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" />株式会社化し<ref name="hokkaido-np-2009-1-29-2">{{Cite news | title = 再生法 午後に申請 伊勢丹「支援は継続」 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-1-29 }}</ref>、[[1923年]](大正12年)には函館の末広町に3階建で玄関に大理石柱がある店舗を建設して函館支店の百貨店営業を開始した<ref name="hakodate-history-3-1997-701-704">{{Cite book | 和書 | author =函館市史編さん室 | title = 函館市史 通説編 第3巻 | section = 百貨店事情 | pages = 701-704 | publisher = 函館市 | year = 1997}}</ref>ほか、同年には小樽支店を色内から稲穂第一大通り(現在の[[小樽サンモール一番街]])に移転する<ref name="kinukawa-2009" />と同時に百貨店としての営業を開始する<ref name="hakodate-history-3-1997-312-316">{{Cite book | 和書 | author =函館市史編さん室 | title = 函館市史 通説編 第3巻 | section = 商業の変貌 | pages = 312-316 | publisher = 函館市 | year = 1997}}</ref>同年には旭川支店も百貨店としての営業を開始する<ref name="hakodate-history-3-1997-312-316" />など支店の百貨店化を開始し、室蘭支店も昭和に入ってから百貨店する<ref name="asahi-np-2010-1-16" />など各支店の百貨店化を進め、第2次世界大戦前から道内各地に店舗を展開する百貨店網を構築した。 |
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この間の[[1924年]](大正13年)に失火により札幌本店が全焼したため直ぐに再建に取り掛かり<ref name="step-up-167-2003-2" />、1926年(大正15年)に総4階一部5階建てので北海道では初の客用エレベータを備えた札幌本店を新築して復興し<ref name="step-up-167-2003-2" />、[[1930年]](昭和5年)11月2日に函館支店を5階建てに増築して開業した際には客用と貨物用のエレベーターや催事場や屋上サンルームなどの施設も導入し<ref name="hakodate-history-3-1997-701-704" />、[[1934年]](昭和9年)に[[函館大火]]により函館支店焼失がした際にも鉄筋コンクリート構造地下1階地上5階建で塔屋2階建として復興させる<ref name="hakodate-history-3-1997-6-8" />など早くから近代的な施設の整備を進めた。 |
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=== 第2次世界大戦後の増床や店舗網の再構築 === |
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第2次世界大戦後の[[1950年]](昭和25年)9月に'''株式会社丸井今井'''に商号変更を行って<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" />百貨店名と同一とし、その後各店舗の増改築などを行って[[1965年]](昭和40年)時点で札幌本店が15,491m²で道内最大の売場面積となっていたほか、旭川支店(4,411m²)、小樽支店(4,318m²)も各々の地区で最大の最大の売場面積となるなど積極的な営業戦略を採った。 |
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同年には札幌本店が売場面積15,491m²で売上高83.6億円を上げて同じ地場資本の五番館の47.9億円(売場面積9,864m²)や東京資本の三越札幌店の45.6億円(売場面積9,554m²)を大きく上回って北海道で最大の売上を上げる地域一番店となったほか、旭川支店も売場面積4,411m²で売上高16.0億円を上げて地場資本の丸勝松村百貨店の8.5億円(売場面積3,500m²)を大きく上回って地域一番店となるなど複数の地域一番店を持ち、その他にも函館支店が売場面積4,979m²で売上高15.0億円を上げて地場資本の棒二森屋の26.9億円(売場面積6,513m²)に次ぎ、小樽支店が売場面積4,318m²で売上高13.5億円を上げて地場資本のニューギンザ百貨店の14.1億円(売場面積2,823m²)を下回ったものの地場資本の[[大国屋]]の13.5億円(売場面積3,821m²)とほぼ並んで2番手に付け、室蘭支店が売場面積3,385m²で売上高10.4億円で5店合計で売上高128.5億円を上げるまでに成長した<ref name="depart-1967">{{Cite book | 和書 | author =デパート新聞社編 | title = 全国百貨店年鑑 昭和42年版 | publisher = [[デパート新聞社]] | year = 1967}}</ref>。 |
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[[1969年]](昭和44年)10月21日<ref name="hokkaido-np-2009-10-22">{{Cite news | title = 移転40年新聞広告で回顧 丸井今井函館店でパネル展 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-10-22 }}</ref>に函館支店を五稜郭地区の本町に移転し<ref name="hakodate-history-4-2002-3-428-431">{{Cite book | 和書 | author =函館市史編さん室 | title = 函館市史 通説編 第4巻 | section = 商店街の消長と小売業の変貌 | pages = 428-431 | publisher = 函館市 | date = 2002-3}}</ref>、[[1978年]](昭和53年)4月に旭川支店を1条通8丁目に移転させ<ref name="asahi-np-2009-7-19">{{Cite news | title = 雇用・後継店 課題残し | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2009-7-19 }}</ref>、[[1981年]](昭和56年)4月に室蘭支店を中島町1丁目に移転させる<ref name="asahi-np-2010-1-16" />など繁華街の移動に合せて店舗のスクラップアンドビルドを行ったほか、[[1974年]](昭和49年)9月29日には函館店の増床をし<ref name="hokkaido-np-2009-10-22" />、[[1975年]](昭和50年)<ref name="hokkaido-np-2011-3-5">{{Cite news | title = こいのぼり、雪に舞う 丸井今井屋上に今年も | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2011-3-5 }}</ref>9月には札幌本店大通館を開業<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" />して大幅な増床をはかり、[[1990年]](平成2年)9月には小樽駅前に進出した大型ショッピングセンターに対抗するため小樽支店を再開発ビル内に拡張移転させる<ref name="kinukawa-2009" /><ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13">{{Cite report |date= 2010-4-13 |title=倒産速報 小樽開発 |publisher=[[東京商工リサーチ]]}}</ref>など既存の店舗網の強化と再構築に取組み、店舗網の維持拡大を図った。 |
|||
また、[[1973年]](昭和48年)には子会社丸井マルサを設立して札幌で[[ファッションビル]]'''[[札幌マルサ]]'''の運営に乗り出し<ref name="hokkaido-np-2006-1-28">{{Cite news | title = 丸井今井関連3社が特別清算 負債総額78億円 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2006-1-28 }}</ref>、[[1991年]](平成3年)には小樽店の移転に関連して旧小樽支店跡にできた再開発ビル内にも小樽マルサを開業させる<ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13" />など既存店の周辺の商業集積を高める戦略も同時に展開していた。 |
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なお、[[1979年]](昭和54年)に北見市の老舗百貨店まるいいとうと業務提携して役員の派遣を行ったが、[[1986年]](昭和61年)にきたみ東急百貨店との競合に破れて閉店に追い込まれている<ref name="hokkaido-news-1986-3-2">{{Cite news | title = 北見の老舗百貨店「まるいいとう」7月廃業 東急に店舗売却合意 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 1986-3-2 }}</ref>。 |
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=== 4代目社長今井春雄の経営多角化 === |
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[[1988年]](昭和63年)に4代目社長に今井春雄が就任すると<ref name="mainichi-np-2009-1-30">{{Cite news | title = 丸井今井 民事再生法を申請 函館、旭川店は採算性検討へ | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2009-1-30 }}</ref>、1989年(平成元年)にクレジット会社を傘下に収めてクレオファイナンスとして顧客向けクレジットカード事業を中心としたノンバンク事業にも乗り出した<ref name="hokkaido-np-2005-11-1">{{Cite news | title = 丸井子会社・クレオファイナンス 特別清算を申請 負債83億円 グループ再建で | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2005-11-1 }}</ref>のを皮切りに[[1990年]](平成2年)に子会社丸井クレオコーポレーションを設立して外車輸入事業<ref name="hokkaido-np-2004-3-17" />、[[1994年]](平成6年)に子会社丸井ディオスを設立して小樽市でペテルブルグミュージアムの運営事業<ref name="hokkaido-np-2004-3-17" />、同年に子会社丸井店舗開発を設立してマルイストアとして[[スーパーマーケット]]事業<ref name="hokkaido-np-2005-2-18">{{Cite news | title = 丸井店舗開発が自己破産を申請 休眠状態、負債37億円 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2005-2-18 }}</ref>、更には札幌本店の駐車場ビル丸井パークタワー内でスポーツクラブ事業<ref name="hokkaido-np-2008-11-6">{{Cite news | title = ティップネスが来年道内撤退 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2008-11-6 }}</ref>や関連会社アイ・エム・アイを通じた米国不動産投資<ref name="hokkaido-np-2005-7-22">{{Cite news | title = 今井前社長関連2社が自己破産 負債総額、計111億円 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2005-7-22 }}</ref>と矢継ぎ早に新規事業を展開して急速に多角化を進めた。 |
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また、[[1994年]](平成6年)5月に今井春雄社長の資産管理会社だった千登世開発が取得した札幌市のビルにマルサ2を開業<ref name="hokkaido-np-2004-3-17">{{Cite news | title = パルコ、マルサ2を買収へ 今秋以降の開業目標 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2004-3-17 }}</ref>、[[1992年]](平成4年)10月に旭川店を増床<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" />、[[1993年]](平成5年)に設立した丸井都市開発に店舗ビルを建設させて<ref name="hokkaido-np-2007-1-23">{{Cite news | title = 丸井都市開発が特別清算を申請 負債総額48億円 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2007-1-23 }}</ref>[[1995年]](平成7年)9月には苫小牧支店を開店<ref name="tomakomai-minpo-2005-6-25">{{Cite news | title = 丸井今井苫小牧店10月閉店 地元に衝撃 | newspaper = [[苫小牧民報]] | publisher = 苫小牧民報社 | date = 2005-6-25 }}</ref>、さらには[[1996年]](平成8年)7月8日に<ref name="kushiro-history-list-2006">{{Cite book | 和書 | authors =釧路市地域史研究会 | title = 釧路市統合年表:釧路市・阿寒町・音別町合併1周年記念 | publisher = 釧路市 | year = 2006}}</ref>業績不振に陥っていた釧路市の地場資本の百貨店[[丸三鶴屋]]の株式の大半を取得して買収して<ref name="nissyoku-1996-7-12">{{Cite news | title = 丸井今井、丸三鶴屋(釧路)を買収 道東圏初進出、秋には釧路支店開設 | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 1996-7-12 }}</ref>10月4日に釧路支店を開設する<ref name="kushiro-history-list-2006" />などバブル崩壊後の景気低迷が始まって以降も多店化を進めるなど積極的な営業戦略を採り続け、[[1989年]]([[平成]]元年)1月期決算で北海道内小売業で初の売上高1000億円を突破した<ref name="hokkaido-np-2009-1-29-2">{{Cite news | title = 再生法 午後に申請 伊勢丹「支援は継続」 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-1-29 }}</ref>のを[[1997年]](平成9年)1月期決算で売上高1320億円にまで伸ばした<ref name="mainichi-np-2009-1-30" />。 |
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=== 今井春雄の解任と事業の再構築の始まり === |
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[[1997年]](平成9年)11月に当時のメインバンクだった[[北海道拓殖銀行]]が経営破たんすると<ref name="hokkaido-np-2007-7-27">{{Cite news | title = 検証・拓銀破たん10年 特別リポート<3下>北海道の名門は…「丸井今井」 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2007-7-27 }}</ref>、それまで今井春雄社長が推進してきた急激な経営多角化により債務が増大してグループの有利子負債が約940億円に膨らみ<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />、不透明な海外不動産投資の失敗で財務体質が悪化していた丸井今井は経営危機に陥り<ref name="mainichi-np-2009-1-30" />、後継のメインバンクを見つけるのが困難と考えられたため<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />、同年12月16日の緊急役員会で今井春雄を社長から解任して後任に創業家出身ではない専務取締役だった柴田哲治を社長に昇格させて路線転換を図った<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />。 |
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[[1998年]](平成10年)12月に歳末商戦用の決済が集中して資金がショートしかけた際には[[北海道銀行]]から30億円の新規融資を引き出して何とか乗り切り、同年10月には同行を含む道内3行によるなど金融機関の協調支援の方向性が固まり、[[1999年]](平成11年)7月には北海道拓殖銀行から債権約354億円を引継いでいた[[整理回収機構]]が「倒産すれば北海道経済に甚大な影響を与える」として178億円の債権放棄に同意するなどして金融支援が実現した<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />。 |
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こうした金融支援に加え、[[1999年]](平成11年)にはクレオファイナンスの個人向け優良債権をジャックス(函館)に売却して金融機関への債務弁済に充てたり<ref name="hokkaido-np-2005-11-1" />、[[2000年]](平成12年)の小樽マルサの閉店<ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13" />や[[2001年]](平成13年)2月16日に丸井店舗開発が所有して関連会社のマルイストアが核テナントになっているショッピングセンター2店<ref name="nissyoku-2001-2-23">{{Cite news | title = 丸井今井、食品スーパーから撤退、SC2店を札幌東急ストアに譲渡 | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2001-2-23 }}</ref>を含むマルイストア全3店(麻生、円山、真駒内)を札幌東急ストアに譲渡して<ref name="nissyoku-2001-4-25">{{Cite news | title = 札幌東急ストア、丸井店舗開発から継承の3店舗が相次ぎ開店 | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2001-4-25 }}</ref>3月末をまでに閉店してスーパーマーケット事業から撤退する<ref name="nissyoku-2001-2-23" />などといった事業再編も行われたため、[[2002年]](平成14年)11月に旧長崎屋札幌店の建物に札幌本店南館を開設する<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />と同時に本店を改装するなどして[[2003年]](平成15年)3月の[[大丸]]を核とする[[JRタワースクエア]]開業に対抗する前向きの投資を行いながら[[2003年]](平成15年)までに債務が約520億円まで圧縮されて再建がいったん軌道に乗りかけたように思われた<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />。 |
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その後も[[2004年]](平成16年)3月にマルサ2を同業の[[パルコ]]に売却してその運営から撤退し<ref name="hokkaido-np-2004-3-17" />、[[2005年]](平成17年)2月18日までに丸井店舗開発が[[札幌地方裁判所]]に自己破産を申請して破産手続きが開始される<ref name="hokkaido-np-2005-2-18">{{Cite news | title = 丸井店舗開発が自己破産を申請 休眠状態、負債37億円 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2005-2-18 }}</ref>など関連事業の再構築が進められた。 |
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また、本業の百貨店でも[[2004年]](平成16年)8月30日<ref name="kushiro-history-list-2006" />に効率化のために釧路店大通館を閉鎖して釧路店の売場を1館体制へ集約を図ったり<ref name="kushiro-np-2004-8-13">{{Cite news | title = 新館1館体制でリニューアルオープン | newspaper = [[釧路新聞]] | publisher = 釧路新聞社 | date = 2004-8-13 }}</ref>、人員削減を含むコストダウンを図るなど業績の改善策を講じた<ref name="hokkaido-np-2005-4-23">{{Cite news | title = 丸井今井、大手傘下に 伊勢丹有力か 不採算店舗閉鎖も | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2005-4-23 }}</ref>。 |
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しかし、大丸進出への対抗時に二十数億円の投資と資金を十分に注ぎ込めず<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />段階的な改装を続け老朽化が目立つ上複数の建物に売場が分散しているため利便性が低い札幌本店<ref name="mainichi-np-2009-4-18">{{Cite news | title = 老舗破綻:丸井今井 札幌本店、てこ入れ急務 目立つ老朽化 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2009-4-18 }}</ref>は[[2003年]](平成15年)の売上高約639億円をピークに<ref name="mainichi-np-2009-4-18" />、同年3月にJRタワースクエア内に開業した大丸札幌店がJR札幌駅に隣接した好立地で天井が高く<ref name="asahi-np-2010-7-30">{{Cite news | title = 百貨店は変わったか(上)大丸札幌店 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2010-7-30 }}</ref>真新しい店舗という優れたハード<ref name="mainichi-np-2009-4-18" />を武器に開業すると以降は毎年売上が減少する<ref name="mainichi-np-2009-4-18" />など大きな打撃を受けた<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />ことに加え、同年4月1日にスタートした<ref name="hokkaido-np-2005-4-23" />100億円規模の減損処理や今井春雄社長時代に発行した70億円の社債の償還が重なったため[[2005年]](平成17年)4月に発表した[[2005年]](平成17年)1月期決算で純損益が6億4300万円の赤字に転落する<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />と同時に256億円の実質債務超過に陥り<ref name="tsr-bankrupty-news-2009-1-29">{{Cite report |date= 2009-1-29 |title=倒産速報 丸井今井 |publisher=[[東京商工リサーチ]]}}</ref>、2度目の経営危機が表面化することになった<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />。 |
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=== 伊勢丹主導による2度目の再建 === |
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2度目の経営危機が浮上したため<ref name="hokkaido-np-2005-4-23" />、従来から[[全日本デパートメントストアーズ開発機構]]への参加や一部商品の仕入れ・配送を共通化そして人事交流などで友好関係にあった大手百貨店伊勢丹の傘下に入ってその資本とノウハウを取り込み<ref name="hokkaido-np-2005-4-23" />、売上高の約80%を占める札幌本店と函館店と旭川店の基幹3店舗に経営資源を集中させてファッション重視の都市型百貨店としての性格を強めて<ref name="hokkaido-np-2005-4-24">{{Cite news | title = 丸井今井再建案 札幌、函館、旭川店を存続 釧路など閉店も検討 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2005-4-24 }}</ref>経営基盤を強化する<ref name="hokkaido-np-2005-4-23" />と同時に札幌本店と函館店と旭川店の存続店を含む中核事業を新会社に引継いで<ref name="hokkaido-np-2005-4-24" />、閉鎖店<ref name="hokkaido-np-2005-4-24" />など地方不採算店や大半のグループ企業などを残して将来清算する旧会社<ref name="hokkaido-np-2005-4-23" />に分ける会社分割方式を採って金融機関にも支援を求めて財務体質を改善<ref name="hokkaido-np-2005-4-23" />、そして札幌本店と函館店と旭川店の基幹3店舗に[[2008年]](平成20年)1月期までの3年間で100億円を投資してそのうち60%を札幌本店に集中させて高級ブランドショップ、食品、紳士などの売り場改装を行って営業力を強化すること<ref name="hokkaido-np-2005-4-24-2">{{Cite news | title = 丸井今井が100億円投資 存続3店、3年間で食品とブランドを強化 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2005-4-24 }}</ref>などを盛り込んだ再建計画を[[2005年]](平成17年)4月に内々にまとめ<ref name="mothly-quality-2005-8">{{Cite journal | title = 丸井今井再建案漂流!! 死活をかける 今井家4代目・復権した春雄氏 「丸井今井133年の情念」を激白 | journal = [[月刊クオリティ|月刊クォリティ]]2005年8月号 | publisher = 太陽 | issue = 2001-12}}</ref>、同年6月末に柴田哲治社長が<ref name="mothly-quality-2005-8" />伊勢丹との業務提携合意<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />と共に正式に再建案を発表した<ref name="mothly-quality-2005-8" />。 |
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この再建案に前社長の今井春雄が「再建案にノーと言おう」と丸井今井株主らに書簡を送付した<ref name="mothly-quality-2005-8" />ため、同年9月27日に開かれた臨時株主総会で3分の2以上の賛成を得て承認されたものの議決権総数の2割弱が反対し<ref name="mainichi-np-2005-10-8">{{Cite news | title = 丸井今井の経営再建:株主100人、株買い取りを請求 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2005-10-8 }}</ref>、反対した株主のうち約100人が同年10月7日までに商法に基づく株式の買い取りを請求を行った<ref name="mainichi-np-2005-10-8" />が、同年11月に<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />札幌本店と函館店と旭川店の主要三店を新設会社「丸井今井」が継承した<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />。 |
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[[2006年]](平成18年)1月31日に北海道マザーランド・キャピタルを主軸として<ref name="tsr-bankrupty-news-2009-1-29" />北海道銀行と北洋銀行などの地元金融機関の支援を受けて35億円の[[第三者割当増資]]を行い<ref name="mainichi-np-2009-1-30" />、同年6月に伊勢丹に第三者割当増資を5億円<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />など再建を進め、残る4店などの不採算部門を分割会社「北海道丸井今井」が引き受けて資産売却を進める<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />会社分割に伴う新体制発足して<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />[[2010年]](平成22年)に売上高を5年間で約10%伸ばして900億円台に乗せるなど業績の改善を目指した<ref name="hokkaido-np-2009-1-29">{{Cite news | title = 丸井今井 再生法申請へ 負債総額470億円 消費低迷で業績悪化 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-1-29 }}</ref>2度目の再建がスタートした。 |
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この再建策の一環として[[2005年]](平成17年)10月23日に小樽店と苫小牧店を閉店し<ref name="hokkaido-np-2005-10-24">{{Cite news | title = 丸井今井小樽、苫小牧店が閉店 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2005-10-24 }}</ref>、[[2006年]](平成18年)8月20日に釧路店を閉店<ref name="kushiro-np-2006-8-21">{{Cite news | title = 丸井今井釧路店閉店-本社社長もお客を見送り | newspaper = [[釧路新聞]] | publisher = 釧路新聞社 | date = 2006-8-21 }}</ref>して百貨店の店舗を4店体制に縮小した。 |
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この際には閉店後の3店舗の個人得意客や企業向けの外商部門として小樽、苫小牧、釧路に営業所を開設してその事業の一部を引継いだ<ref name="hokkaido-np-2009-5-13">{{Cite news | title = 丸井今井旭川店、7月20日閉店 閉鎖後も営業所置かず | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-5-13 }}</ref>。 |
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また、[[2005年]](平成17年)7月21日までに千登世開発とアイ・エム・アイの2社が各々札幌地方裁判所に自己破産を申請して破産手続きの開始決定を受け<ref name="hokkaido-np-2005-7-22" />、同年10月31日までにクレオファイナンス<ref name="hokkaido-np-2005-11-1" />、[[2006年]](平成18年)1月27日までに丸井クレオコーポレーションと丸井マルサ、丸井ディオスの3社<ref name="hokkaido-np-2006-1-28" />、同年7月19日までに今井醸造<ref name="hokkaido-np-2006-7-20">{{Cite news | title = 今井醸造が特別清算申請 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2006-7-20 }}</ref>同年12月19日までに丸三鶴屋<ref name="hokkaido-np-2006-12-15">{{Cite news | title = 丸三鶴屋が特別清算へ | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2006-12-15 }}</ref>が各々札幌地方裁判所に特別清算を申請するなど不採算事業を手かげていた関連会社の解散手続きが進められ、[[2006年]](平成18年)に丸井パークタワー内に開設していたスポーツクラブを[[ティップネス]]に売却してその運営から撤退する<ref name="hokkaido-np-2008-11-6" />など関連事業の整理も進められた。 |
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[[2007年]](平成19年)2月に札幌本店の紳士フロアを伊勢丹のノウハウを導入して<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />14年ぶりに全面改装して<ref name="hokkaido-np-2007-11-9">{{Cite news | title = 丸井今井が赤字転落 売上高減、本店改装響く 7月中間単独決算 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2007-11-9 }}</ref>「マルイメンズ」とする大改装を行い<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />、同年3月には旧マルサの建物に札幌本店大通別館を開設する<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />と共に地下街の[[オーロラタウン]]<ref name="monthly-commerce-sapporo-2010-5">{{Cite journal | author =酒井雅広 | title = インタビュー 北海道の感動百貨店を目指す 関根純札幌丸井今井社長 | journal = [[財界さっぽろ]] 2010年5月号 | publisher = 財界さっぽろ社 | issue = 2010-5}}</ref>の札幌本店地下入り口向かいに道産品セレクトショップ「きたキッチン」を開店させる<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />など立て続けに大型改装を行ったが<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />、同年10月に札幌本店地下食品売り場を改装してマルイフーズとする<ref name="nissyoku-2008-1-31">{{Cite news | title = 北海道新春特集:道内スーパー業界08年出店計画 地方から札幌圏出店など競争激化 | newspaper = [[日本食糧新聞]] | publisher = 日本食糧新聞社 | date = 2008-1-31}}</ref>など改装を進めたが、当初計画より半年遅れた影響で売り上げが再建計画を下回り<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />、同年11月8日発表した[[2007年]](平成19年)7月中間単独決算で<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />札幌本店が前年同期比2.0%減の約263.37億円<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />、函館店が前年同期比3.4%減の約63.7億円<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />、旭川店が前年同期比4.1%減の約45億円<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />で全社の売上高が前年同期比9.4%減の約394億円<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />、経常利益が前年同期比62.6%減の約1.73億円の減収減益で純損益が約3.42億円の赤字に転落し<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />、その通期決算である[[2008年]](平成20年)1月期決算で売上高は約815.25億円で純損失約43.83億円<ref name="hokkaido-np-2009-1-29-2" />、その翌期となった6カ月の変則決算の[[2008年]](平成20年)7月期決算でも売上高は対前年比93.6%の約368.82億円で約9.55億円の純損失<ref name="tsr-bankrupty-news-2009-1-29" />となって自己資本は5億円未満まで減少し<ref name="hokkaido-np-2009-1-29" />、[[2009年]](平成21年)1月に長年維持してきた札幌での地域一番店の座を大丸札幌店に明け渡して2位に転落する<ref name="mainichi-np-2009-4-18" />など業績は回復しなかった<ref name="nikkei-mj-2009-5-6">{{Cite news | title = 丸井今井支援に三越伊勢丹、2大百貨店、メンツ激突、4月15日、再建案提出前 | newspaper = [[日経MJ]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2009-5-6 }}</ref>。 |
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更にリーマンショックの影響などで北海道内でも雇用環境が悪化するなか<ref name="hokkaido-np-2009-1-31">{{Cite news | title = <中>地方撤退 地元に危機感 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-1-31 }}</ref>[[2008年]](平成20年)年秋以降に急激な販売不振から資金繰りが悪化し<ref name="nikkei-mj-2009-5-6" />、同年12月末には約5.52億円の債務超過に陥り<ref name="mainichi-np-2009-1-30" />、「このまま事態を放置すれば資金繰りがショートする。」として<ref name="mainichi-np-2009-1-30" />[[2009年]](平成21年)1月29日に札幌地方裁判所に民事再生法の適用を申請し<ref name="nikkei-mj-2009-5-6" />同日中に民事再生手続開始決定を受け<ref name="hokkaido-np-2009-1-31" />経営破綻し<ref name="mainichi-np-2009-4-30">{{Cite news | title = 丸井今井:高島屋から一転、三越伊勢丹が再建支援企業へ | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2009-4-30 }}</ref>、2度目の経営再建も失敗に終わった。 |
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=== 3度目の再建 === |
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三越伊勢丹ホールディングスは法的整理に入った後も派遣している伊勢丹幹部を引き揚げず<ref name="hokkaido-np-2009-1-29-2" />、「システムやカードの導入も進めており、手を引くということにはならない」とし<ref name="hokkaido-np-2009-1-29-2" />、民事再生法適用申請と同時に丸井今井側からスポンサー就任要請を行った<ref name="nikkei-mj-2009-5-6" />際にも同社も「至急検討に入る」との回答していた<ref name="mainichi-np-2009-1-30" />が半月近く要請受諾を表明せずにいたため<ref name="nikkei-mj-2009-5-6" />、[[2009年]](平成21年)2月13日に高島屋が文書で当社にスポンサー就任の意向を表明したため<ref name="nikkei-mj-2009-5-6" />、両社の再建案を比較検討する方針へ転換し<ref name="nikkei-mj-2009-5-6" />、大手百貨店同士による争奪戦に発展し<ref name="mainichi-np-2009-4-30" />、4月15日までに両社が再建案を示して比較して決定することになった<ref name="hokkaido-np-2009-4-2">{{Cite news | title = 札幌の4館体制困難か 丸井今井再建、三越伊勢丹・高島屋案大詰め | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-4-2 }}</ref>。 |
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高島屋は4月2日に札幌市役所を訪問した際に札幌本店の大通館と一条館を一体化する増改築を行う構想を伝えたとされていた<ref name="mainichi-np-2009-4-18">{{Cite news | title = 老舗破綻:丸井今井 札幌本店、てこ入れ急務 目立つ老朽化 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2009-4-18 }}</ref>ほか、「店舗の存続を基本に再建策をまとめ」高島屋の出資で設立する新会社が<ref name="hokkaido-np-2009-4-17">{{Cite news | title = 丸井今井再建 高島屋・鈴木社長 全4店舗の再生可能 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-4-17 }}</ref>事業譲渡を受けて札幌本店に加え函館店と旭川店を存続させると共に別法人が運営する室蘭店も引き継ぐ<ref name="mainichi-np-2009-4-19">{{Cite news | title = 高島屋:北海道進出「破綻」丸井今井を支援へ | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2009-4-19 }}</ref>など全4店舗の再生を目指す<ref name="hokkaido-np-2009-4-17" />案を提出し<ref name="mainichi-np-2009-4-19" />、全4店舗が存続して雇用確保につながる点が評価され<ref name="mainichi-np-2009-4-19" />、再建支援企業に選ばれる方向で<ref name="mainichi-np-2009-4-19-2">{{Cite news | title = 高島屋:空白区に足場…「不採算」懸念も 丸井今井支援 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2009-4-19 }}</ref>最終調整に入ったと報じられた<ref name="mainichi-np-2009-4-19" />が、不動産や営業権の譲渡を受けて新会社を設立する際の資金提供額で高島屋の110億円に対して三越伊勢丹ホールディングスが135億円と上回っていたため<ref name="hokkaido-np-2009-4-25">{{Cite news | title = 丸井スポンサー 譲渡額で選定足踏み | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-4-25 }}</ref>その資金で返済を受ける主力銀行の北海道銀行など大口債権者の同意の取り付けなどの調整が難航し<ref name="mainichi-np-2009-4-30">{{Cite news | title = 丸井今井:高島屋から一転、三越伊勢丹が再建支援企業へ | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2009-4-30 }}</ref>、4月30日に開かれた臨時取締役会で事業譲渡額が高島屋を上回って債権者の理解も得られて再建が確実になるとして三越伊勢丹ホールディングスを経営再建の支援企業に選定したと発表し<ref name="hokkaido-np-2009-5-1">{{Cite news | title = 丸井旭川、今夏閉店 全従業員の4割失職 札幌は4館体制維持 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-5-1 }}</ref>、その発表をした記者会見で高島屋の提示額では一般債権に優先する退職金の支払いさえできず民事再生法の手続きを進められないとの見解を代理人の弁護士が説明し<ref name="hokkaido-np-2009-5-1" />、丸井今井が札幌本店と函館店を経営する体制での営業を7月30日で終了し<ref name="hokkaido-np-2009-7-31">{{Cite news | title = 「丸井今井」現体制に幕 三越伊勢丹HDにきょう事業譲渡 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-7-31 }}</ref>、翌日31日に丸井今井から札幌丸井今井に札幌本店<ref name="hokkaido-np-2009-7-31-2">{{Cite news | title = 丸井今井、新社に事業譲渡 三越伊勢丹傘下で再出発 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-7-31 }}</ref>、函館丸井今井に函館店の事業をそれぞれ譲渡し<ref name="hokkaido-np-2009-7-31-2" />、8月1日に<ref name="monthly-commerce-sapporo-2010-5">{{Cite journal | author =酒井雅広 | title = インタビュー 北海道の感動百貨店を目指す 関根純札幌丸井今井社長 | journal = [[財界さっぽろ]] 2010年5月号 | publisher = 財界さっぽろ社 | issue = 2010-5}}</ref>新会社が札幌本店と函館店を運営する新体制で営業を開始した<ref name="monthly-commerce-sapporo-2010-5" />。 |
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この新体制発足直後の[[2009年]](平成21年)9月中間決算(2カ月の変則)で2社合計の売上高が計画を約8%下回って営業黒字こそ僅かながら確保したものの、登録免許税などの開業経費を賄えず経常損益と純損益が2社共に赤字となり、三越伊勢丹ホールディングスの社長が店舗体制の縮小の可能性に言及するほど厳しい再出発となった<ref name="hokkaido-np-2009-11-10">{{Cite news | title = 丸井今井 札幌、函館とも赤字 店舗体制の縮小も視野 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-11-10 }}</ref>。 |
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北海道では高級百貨店と認識されている一方で「丸井さん」と呼ばれるほど親しまれていた。しかし、[[1990年代]]以降の日本全体の[[平成不況|長期的な不況]]が特に北海道経済に深刻な影響を与え、[[1997年]]([[平成]]9年)にメインバンクである[[北海道拓殖銀行]]が破綻すると、創業者一族の元社長による公私混同ぶりが露見するに至って、ついに深刻な経営危機に陥った。 |
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また、札幌本店は同年1月に大丸札幌店に地域一番店の座を奪われて<ref name="mainichi-np-2009-4-18" />以降そのまま2位に沈み続け、[[2009年]](平成21年)の年間でも札幌本店の売上高は前年比16.1%減の約436.22億円で大丸札幌店の約504.33億円を大きく下回って地域一番店の座を明け渡すことになった<ref name="mainichi-np-2010-1-28">{{Cite news | title = 丸井今井破綻から1年:営業強化へ 消費低迷の中、活路模索 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2010-1-28 }}</ref>。 |
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このため、経営再建のために[[1999年]](平成11年)から[[2006年]](平成18年)にかけて道内地方都市の不採算店舗の閉店を断行し、[[2005年]](平成17年)には道内主要都市である札幌・函館・旭川の基幹店は[[新旧分離]]方式で新設会社へ移管(新:丸井今井。従前の丸井今井は[[清算]]を前提とした会社北海道丸井今井へ改称)し、[[伊勢丹]]の経営支援を仰ぐ事となる。 |
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函館を中心とした道南地方の景気は道内でもとりわけ厳しいため函館店の経営の先行きについて厳しい見方がされていた<ref name="yomiuri-np-2009-6-10">{{Cite news | title = 丸井今井の再建、函館店と札幌店を分離して独立採算に | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2009-6-10 }}</ref>が、その後は黒字転換して[[2012年]](平成24年)3月期で売上高が前期比2.3%減の約100.15億円と決算減収は続いているものの最終損益は約2.29億円と前期比14.5%増で売上高営業利益率も3.47%で札幌丸井三越の0.91%を大きく上回るなど厳しい環境下で健闘している<ref name="hakodate-np-2012-5-11">{{Cite news | title = 売上高減収も100億円確保 | newspaper = [[函館新聞]] | publisher = 函館新聞社 | date = 2012-5-11 }}</ref>。 |
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しかし、[[2003年]](平成15年)に[[JRタワースクエア]]内に開店した[[大丸]]札幌店の攻勢に苦戦、さらに郊外型大手大型スーパーの出店による競争激化により売上低迷が長引く。[[2008年]](平成20年)[[5月]]に銀行団と伊勢丹による40億円の[[第三者割当増資|資本増強]]を得たものの、同年[[9月]]の[[世界金融危機]]による売上の急激な萎縮により力尽く形で、[[2009年]](平成21年)[[1月]]末に新:丸井今井(2代目)は5億円超の[[債務超過]]が見込まれる事を理由に、設立後わずか3年3ヶ月余りで[[民事再生法]]を申請するに至った。 |
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この再建策の一環として[[2009年]](平成21年)7月20日に旭川店<ref name="hokkaido-np-2009-7-21">{{Cite news | title = 札幌西武、丸井室蘭閉店へ「雇用は」「思い出が…」肩落とす市民、関係者 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-7-21 }}</ref>、[[2010年]](平成22年)1月20日に室蘭店が閉店<ref name="muroran-minpo-2010-1-21">{{Cite news | title = 118年静かに幕-老舗百貨店・丸井今井室蘭店が閉店 | newspaper = [[室蘭民報]] | publisher = 室蘭民報社 | date = 2010-1-21 }}</ref>して百貨店の店舗は現在の2店にまで減少した。 |
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再建スポンサーには日本の百貨店業最大手(当時<ref>現在は[[2010年]][[3月]]に合併により発足した[[大丸松坂屋]]が百貨店単体として最大手である。</ref>)の[[高島屋]]が、北海道進出を目論み最初に名乗りを上げたが、資金面等で慎重な判断を下して二番手に出た[[三越伊勢丹ホールディングス]](IMHDS)の方に軍配が上がり、同年[[4月]]に正式に選任された。札幌本店・函館店についてはIMHDSの新設子会社である「株式会社札幌丸井今井」・「株式会社函館丸井今井」に譲渡され現在に至っている。 |
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また旭川店の閉店と同日の[[2009年]](平成21年)7月20日に以前百貨店の店舗を閉鎖した後の営業を引継ぐ形で設置していた小樽、苫小牧、釧路の3営業所も廃止した<ref name="hokkaido-np-2009-6-12">{{Cite news | title = 小樽・苫小牧・釧路 丸井3営業所、7月で廃止 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-6-12 }}</ref>。 |
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[[2010年]](平成22年)[[1月]]に、(新)丸井今井が北海道丸井今井へ運営委託をする形で営業を続けた室蘭店が閉店された。同店は119年の歴史に幕を下ろし、創業以来139年間の歴史を築いてきた北海道丸井今井は2010年(平成22年)[[12月15日]]に[[特別清算]]となった。 |
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[[2010年]](平成22年)12月15日に不採算部門を継承した北海道丸井今井は札幌地方裁判所へ特別清算を申請して<ref name="hokkaido-np-2010-12-16">{{Cite news | title = 北海道丸井が特別清算申請 不採算部門を承継 負債41億円 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2010-12-16 }}</ref>破産処理に移行している。 |
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札幌本店の売上高は、長らく道内1位の座を誇ってきたが、2009年(平成21年)1月以降、[[大丸]]札幌店に次いで第2位である。札幌市の大規模商圏は「JR[[札幌駅]]周辺」「[[大通公園]]周辺」「[[すすきの]]周辺」があり、以前は大通公園周辺が中心であったが、札幌駅高架化・JRタワーの完成、大丸札幌店の開店などの集客効果で札幌駅周辺地区に中心が移ってきていることも首位陥落の一因である。ちなみに第3位は札幌本店に隣接する、同じ三越伊勢丹ホールディングス傘下の株式会社[[札幌三越]]([[三越]]から分社化)の札幌三越店である。 |
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[[2011年]](平成23年 |
[[2011年]](平成23年)4月1日に札幌丸井今井と札幌三越の両社が合併し(存続会社は札幌丸井今井)、'''株式会社[[札幌丸井三越]]'''となったため、現在札幌本店は同社が経営している<ref name="monthly-commerce-sapporo-2011-6">{{Cite journal | author =安藤由紀 | title = インタビュー 統合パワーで“感動百貨店”をつくりあげる 杉浦進札幌丸井三越 代表取締役社長執行役員 | journal = [[財界さっぽろ]] 2011年6月号 | publisher = 財界さっぽろ社 | issue = 2011-6}}</ref>。 |
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== 沿革 == |
== 沿革 == |
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=== (旧)丸井今井 → 北海道丸井今井 === |
=== (旧)丸井今井 → 北海道丸井今井 === |
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* [[1872年]]( |
* [[1872年]](明治5年)4月 - [[今井藤七]]が札幌で小間物店を創業<ref name="step-up-167-2003-2" /> |
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* [[1874年]](明治7年) - 丸井今井呉服店と称し店舗を新設 |
* [[1874年]](明治7年) - 丸井今井呉服店と称し店舗を新設<ref name="step-up-167-2003-2" /> |
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* [[1879年]](明治12年) - 正札販売を開始 |
* [[1879年]](明治12年) - 正札販売を開始 |
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* [[ |
* [[1890年]](明治23年) - 滝川支店を開設<ref name="pr-takikawa-2009-9" /> |
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* [[ |
* [[1891年]](明治24年) |
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** 10月<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" /> - 小樽支店を色内に開設<ref name="kinukawa-2009" /> |
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* [[1897年]](明治20年) - 旭川支店を開設 |
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** 11月 - 室蘭支店を開設<ref name="asahi-np-2010-1-16" /> |
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* [[1919年]]([[大正]]8年) - 株式会社に改組。「丸井商店」。 |
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** 東京に仕入店を開設する<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" /> |
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* [[1924年]](大正13年) - 札幌本店を失火により焼失 |
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* [[1892年]](明治25年)4月25日 - 函館支店を十字街近くの末広町に開設<ref name="step-up-167-2003-2" /> |
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* [[1925年]](大正14年) - 今井藤七死去 |
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* [[1897年]](明治30年)<ref name="hokkaido-np-2009-7-21" />10月<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" /> - 旭川支店を開設<ref name="hokkaido-np-2009-7-21" /> |
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* [[1926年]](大正15年) - 札幌本店を新築 |
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* [[1898年]](明治31年)1月 - 合名会社今井商店として法人化<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" /> |
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* [[1934年]]([[昭和]]9年) - [[函館大火]]により函館支店焼失。のちに修復される。 |
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* [[1916年]](大正5年) - レンガおよび石造3階建の店舗を新築したのを機会に札幌本店を百貨店として営業を開始<ref name="hakodate-history-3-1997-6-8" /> |
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* [[1944年]](昭和19年) - 2代目・[[今井藤七#二代目・雄七|今井雄七]]死去、[[今井道雄]]が3代目社長就任 |
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* [[1919年]](大正8年)2月<ref name="tdb-big-bankrupty-news-2010-12-15" /> - 株式会社に改組<ref name="hokkaido-np-2009-1-29-2" /> |
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* [[1950年]](昭和25年) - 会社名を「'''株式会社丸井今井'''」と改める |
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* [[1923年]](大正12年) - 函館支店の百貨店営業を開始<ref name="hakodate-history-3-1997-701-704" />。小樽支店を稲穂第一大通りに移転<ref name="kinukawa-2009" />して同時に百貨店営業を開始<ref name="hakodate-history-3-1997-312-316" />。旭川支店の百貨店営業を開始<ref name="hakodate-history-3-1997-312-316" />。 |
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* [[1969年]](昭和44年) - 函館支店、現在の本町へ移転 |
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* [[ |
* [[1924年]](大正13年) - 札幌本店を失火により焼失<ref name="step-up-167-2003-2" /> |
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* [[1925年]](大正14年)10月24日 - 今井藤七死去<ref name="step-up-167-2003-2" /> |
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* [[1979年]](昭和54年) - [[北見市]]の「[[まるいいとう]]」と業務提携を結ぶ |
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* 1926年(大正15年) - 総4階一部5階建ての札幌本店を新築<ref name="step-up-167-2003-2" /> |
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* [[1981年]](昭和56年) - 室蘭支店、現在の中島町へ移転 |
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* [[ |
* [[1934年]](昭和9年) - [[函館大火]]により函館支店焼失<ref name="hakodate-history-3-1997-6-8" />。 |
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* [[1944年]](昭和19年) - 2代目・[[今井藤七#二代目・雄七|今井雄七]]死去、今井道雄が3代目社長就任 |
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* [[1950年]](昭和25年)9月 - '''株式会社丸井今井'''に商号変更<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" /> |
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* [[1969年]](昭和44年)10月21日 - 函館支店、現在の本町へ移転<ref name="hokkaido-np-2009-10-22" /> |
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* [[1973年]](昭和48年) - 子会社丸井マルサを設立(ファッションビル札幌マルサ運営)<ref name="hokkaido-np-2006-1-28" /> |
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* [[1974年]](昭和49年)9月29日 - 函館店を増床<ref name="hokkaido-np-2009-10-22" /> |
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* [[1975年]](昭和50年)9月 - 札幌本店大通館を開業<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" /> |
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* [[1978年]](昭和53年)4月 - 旭川支店を1条通8丁目に移転<ref name="asahi-np-2009-7-19" /> |
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* [[1979年]](昭和54年) - [[北見市]]の「[[まるいいとう]]」と業務提携<ref name="hokkaido-news-1986-3-2" /> |
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* [[1981年]](昭和56年)4月 - 室蘭支店を中島町1丁目に移転<ref name="asahi-np-2010-1-16" /> |
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* [[1985年]](昭和60年)3月 - [[ロゴタイプ]]を変更 |
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** [[CINDY]]の「GARDEN OF LOVE」は長期に亘りイメージソングとして使用された。 |
** [[CINDY]]の「GARDEN OF LOVE」は長期に亘りイメージソングとして使用された。 |
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* [[1988年]](昭和63年) - 4代目社長に |
* [[1988年]](昭和63年) - 4代目社長に今井春雄就任<ref name="mainichi-np-2009-1-30" /> |
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* 1989年(平成元年) - クレオファイナンスを買収してノンバンク事業に進出<ref name="hokkaido-np-2005-11-1" /> |
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* [[1995年]]([[平成]]7年)[[9月]] - 苫小牧支店を開設 |
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* [[1990年]](平成2年) - 子会社丸井クレオコーポレーションを設立して外車輸入事業に進出<ref name="hokkaido-np-2004-3-17" /> |
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* [[1996年]](平成8年) - 各支店を「店」に呼称変更。旧[[丸三鶴屋]]の経営権を取得し、釧路店を開設 |
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* [[1992年]](平成4年)10月 - 旭川店を増床<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" /> |
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* [[1999年]](平成11年)[[8月]] - [[整理回収機構]]が178億円の[[債権]]放棄に合意、[[北海道銀行]]を中心とする金融団が支援を決定。再建スタート |
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* [[1994年]](平成6年) |
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* [[2002年]](平成14年) - [[長崎屋]]札幌店(閉店時には「BIG OFF」として営業していた)跡を本館南館としてオープン |
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** 5月 - 札幌市にマルサ2を開業<ref name="hokkaido-np-2004-3-17" /> |
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** 子会社丸井ディオスを設立して小樽市でペテルブルグミュージアムの運営事業に進出<ref name="hokkaido-np-2004-3-17" />。子会社丸井店舗開発を設立<ref name="hokkaido-np-2005-2-18" />。 |
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* [[1995年]](平成7年)9月 - 苫小牧支店を開設<ref name="tomakomai-minpo-2005-6-25" /> |
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* [[1996年]](平成8年) |
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** 7月8日 - 旧[[丸三鶴屋]]の経営権を取得<ref name="kushiro-history-list-2006" /> |
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** 10月4日 - 釧路店を開設<ref name="nissyoku-1996-7-12" /> |
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** 各支店を「店」に呼称変更。 |
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* [[1997年]](平成9年)12月16日 - 緊急役員会で今井春雄を社長から解任して柴田哲治が社長に就任<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" /> |
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* [[1999年]](平成11年) |
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** 7月 - [[整理回収機構]]が178億円の[[債権]]放棄に合意<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />、[[北海道銀行]]を中心とする金融団が支援を決定。再建スタート |
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** クレオファイナンスの個人向け優良債権をジャックスに売却<ref name="hokkaido-np-2005-11-1" /> |
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* [[2000年]](平成12年) - 小樽マルサを閉店<ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13" /> |
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* [[2001年]](平成13年)2月16日 - 丸井店舗開発所有のショッピングセンター2店<ref name="nissyoku-2001-2-23" />を含むマルイストア全3店(麻生、円山、真駒内)を札幌東急ストアに譲渡<ref name="nissyoku-2001-4-25" />(3月末をまでに閉店してスーパーマーケット事業から撤退)<ref name="nissyoku-2001-2-23" /> |
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* [[2002年]](平成14年)11月 - [[長崎屋]]札幌店(閉店時には「BIG OFF」として営業していた)跡に札幌本店南館を開設する<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" /> |
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* [[2004年]](平成16年) |
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** 3月 - マルサ2を同業の[[パルコ]]に売却して撤退<ref name="hokkaido-np-2004-3-17" /> |
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** 8月30日 - 釧路店大通館を閉鎖<ref name="kushiro-history-list-2006" /> |
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* [[2005年]](平成17年) |
* [[2005年]](平成17年) |
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** 6月24日 - [[#再建計画|再建計画]]を正式に決定。株式会社[[伊勢丹]]、北海道マザーランド・キャピタル株式会社の3社間で、経営支援の基本合意締結<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />。 |
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** 8月8日 - 丸井マルサより[[札幌マルサ]]の営業を譲受 |
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** 7月21日 - 千登世開発とアイ・エム・アイの2社が札幌地方裁判所に自己破産を申請<ref name="hokkaido-np-2005-7-22" /> |
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** [[10月23日]] - 小樽・苫小牧両店を閉店。 |
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** 10月23日 - 小樽・苫小牧両店を閉店<ref name="hokkaido-np-2005-10-24" /> |
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** [[10月31日]] - 株式会社丸井今井から「'''北海道丸井今井株式会社'''」と商号(社名)変更する。 |
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** 10月31日 - 株式会社丸井今井から「'''北海道丸井今井株式会社'''」と商号(社名)変更する。[[会社分割]]により新会社「'''株式会社丸井今井'''」を設立し、釧路店・室蘭店以外の全店舗を継承。 |
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** 11月1日 - 北海道丸井今井株式会社(旧・株式会社丸井今井)の会社分割により、新会社「株式会社丸井今井」を設立し、主要三店舗(札幌、函館、旭川)と外商営業所の経営を移管<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />。[[伊勢丹]]の経営支援を受ける |
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* [[2006年]](平成18年) |
* [[2006年]](平成18年) |
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** 1月31日 - 北海道企業再生ファンド、株式会社[[北海道銀行]]、株式会社[[北洋銀行]]を引受先とする35億円の[[第三者割当増資]]を実施<ref name="tsr-bankrupty-news-2009-1-29" />。 |
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** [[8月20日]] - 釧路店を閉店。 |
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** 6月30日 - 株式会社[[伊勢丹]]を引受先とする5億円の[[第三者割当増資]]を実施<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" /> |
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* [[2010年]](平成22年) |
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** |
** 8月20日 - 釧路店を閉店<ref name="kushiro-np-2006-8-21" /> |
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** |
** 12月19日 - 丸三鶴屋が[[釧路地方裁判所]]に特別清算の適用を申請<ref name="hokkaido-np-2006-12-15" /> |
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* [[2007年]](平成19年) |
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** 2月 - 札幌本店の紳士フロアを伊勢丹のノウハウを導入して「マルイメンズ」とする<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" /> |
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=== 株式会社丸井今井 === |
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** 3月 - 旧マルサに札幌本店大通別館を開設<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />。オーロラタウンに「きたキッチン」を開設<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />。 |
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* [[2005年]](平成17年) |
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** 10月 - 札幌本店地下食品売り場を改装してマルイフーズとする<ref name="nissyoku-2008-1-31" /> |
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** [[10月31日]] - (旧)株式会社丸井今井が、[[会社分割]]により新会社「'''株式会社丸井今井'''」を設立。釧路店・室蘭店以外の全店舗を継承。 |
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* [[2006年]](平成18年) |
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** [[1月31日]] - [[北海道企業再生ファンド]]、株式会社[[北海道銀行]]、株式会社[[北洋銀行]]を引受先とする、35億円の[[第三者割当増資]]を行う。 |
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** [[6月30日]] - 株式会社[[伊勢丹]]を引受先とする、5億円の[[第三者割当増資]]を行う。 |
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* [[2009年]](平成21年) |
* [[2009年]](平成21年) |
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** 1月 - 札幌本店が大丸札幌店に地域一番店の座を奪われて2位に転落<ref name="mainichi-np-2009-4-18" /> |
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** [[1月29日]] - [[札幌地方裁判所]]へ[[民事再生法]]の適用を申請して、[[倒産]]。 |
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** 1月29日 - [[札幌地方裁判所]]へ[[民事再生法]]の適用を申請して<ref name="nikkei-mj-2009-5-6" />民事再生手続開始決定を受け<ref name="hokkaido-np-2009-1-31" />経営破綻<ref name="mainichi-np-2009-4-30" />。 |
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** [[4月30日]] - 株式会社三越伊勢丹ホールディングスが、事業再生スポンサーに選任。 |
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** 4月30日 - 株式会社三越伊勢丹ホールディングスが、事業再生スポンサーに選任<ref name="hokkaido-np-2009-5-1" />。 |
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** 5月29日 - 株式会社三越伊勢丹ホールディングスが、[[子会社]]として、'''株式会社札幌丸井今井'''を資本金1円で設立<ref name="hokkaido-np-2009-6-10">{{Cite news | title = 丸井事業継承「札幌」「函館」2社設立 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-6-10 }}</ref>。 |
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** [[7月20日]] - 旭川店閉店。全外商営業所(小樽、苫小牧、釧路)営業終了。 |
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** 6月29日 - 株式会社三越伊勢丹ホールディングスと[[事業譲渡]]契約。 |
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** 7月20日 - 旭川店閉店<ref name="hokkaido-np-2009-7-21" />。全外商営業所(小樽、苫小牧、釧路)営業終了<ref name="hokkaido-np-2009-6-12" />。 |
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** [[7月31日]] - 札幌本店を株式会社札幌丸井今井(現・札幌丸井三越)に、函館店を株式会社函館丸井今井に事業譲渡。 |
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** 7月30日 - 同社による札幌本店・函館店の営業を終了<ref name="hokkaido-np-2009-7-31" />。 |
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** 7月31日 - 札幌本店を株式会社札幌丸井今井(現・札幌丸井三越)に、函館店を株式会社函館丸井今井に事業譲渡<ref name="hokkaido-np-2009-7-31-2" />。株式会社札幌丸井今井は、資本金を10億円<ref name="hokkaido-np-2009-7-31-2" />。 |
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=== 札幌丸井今井 → 札幌丸井三越 === |
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** 8月1日 - 新会社が札幌本店と函館店を運営する新体制で営業を開始<ref name="monthly-commerce-sapporo-2010-5" />。 |
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* [[2009年]](平成21年) |
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** [[5月29日]] - 株式会社三越伊勢丹ホールディングスが、[[子会社]]として、'''株式会社札幌丸井今井'''を資本金1円で設立。 |
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** [[6月29日]] - 株式会社丸井今井と株式会社三越伊勢丹ホールディングスが、札幌店の株式会社札幌丸井今井への事業譲渡契約を締結。 |
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** [[7月31日]] - 株式会社丸井今井から、株式会社札幌丸井今井が札幌本店を事業譲受。株式会社札幌丸井今井は、資本金を10億1万円に増資。 |
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** [[8月1日]] - 札幌店の事業開始。 |
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* [[2010年]](平成22年) |
* [[2010年]](平成22年) |
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** 1月20日 - 唯一、北海道丸井今井が運営を続けていた室蘭店を閉店<ref name="muroran-minpo-2010-1-21" />。 |
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** [[3月]] - 株式会社札幌丸井今井が資本金を1億円に減資。減資の理由は手許流動性を高めるためで、資本合計を減ずるものではないとされる。 |
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** 3月 - 株式会社札幌丸井今井が資本金を1億円に減資。減資の理由は手許流動性を高めるためで、資本合計を減ずるものではないとされる。 |
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** 12月15日 - 北海道丸井今井が[[札幌地方裁判所]]へ[[特別清算]]を申請<ref name="hokkaido-np-2010-12-16" />。 |
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* [[2011年]](平成23年) |
* [[2011年]](平成23年) |
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** |
** 4月1日 - 株式会社札幌丸井今井が、株式会社札幌三越を吸収合併して、'''株式会社[[札幌丸井三越]]'''に商号変更<ref name="monthly-commerce-sapporo-2011-6" />。 |
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** 7月15日 - 新千歳空港の新ターミナルビル開業にきたキッチン2号店を開設<ref name="hokkaido-np-2011-7-9" /> |
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== 店舗 == |
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* [[2009年]](平成21年) |
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** [[5月29日]] - 株式会社三越伊勢丹ホールディングスが、[[子会社]]として、'''株式会社函館丸井今井'''を資本金1円で設立。 |
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** [[6月29日]] - 株式会社丸井今井と株式会社三越伊勢丹ホールディングスが、札幌店・函館店の株式会社札幌丸井今井・株式会社函館丸井今井への事業譲渡契約を締結。 |
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** [[7月31日]] - 株式会社丸井今井から、株式会社函館丸井今井が函館店を事業譲受。株式会社函館丸井今井は、資本金を5001万円に増資。 |
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** [[8月1日]] - 函館店の事業開始。 |
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=== 札幌本店 === |
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[[ファイル:Marui Imai Sapporo .jpg|right|thumb|250px|百貨店売上道内第2位の、札幌丸井三越・札幌本店 長らく道内1位を誇ってきたが現在は大丸札幌店の後塵を拝する(2008年7月)]] |
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[[ファイル:Sapporo-Marui-Imai.Odori-Bekkan01.JPG|right|thumb|250px|札幌丸井三越・札幌本店大通別館 大通館とは道路を挟んで東側にある(2012年4月)]] |
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[[ファイル:Sapporo-Marui-Imai.Minami01.JPG|right|thumb|250px|札幌丸井三越・札幌本店南館(2008年12月)]] |
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[[ファイル:Marui Imai Hakodate 20060814-001.jpg|right|thumb|250px|函館丸井今井・函館店(2006年8月)]] |
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[[ファイル:MARUI IMAI Asahikawa.jpg|right|thumb|250px|2009年に閉店した旧旭川店(2008年5月)]] |
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[[ファイル:MARUI IMAI Muroran.jpg|right|thumb|250px|2010年に閉店した旧室蘭店(2007年5月)]] |
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=== 株式会社札幌丸井三越 === |
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* 丸井今井札幌本店 |
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** 所在地は札幌市中央区南1条西2丁目(〒060-8667)。最寄交通機関は[[札幌市営地下鉄]][[大通駅]]下車(出入口が直結している)。駐車場を完備している。以下の複数の店舗により構成される。 |
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*** 大通館 |
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*** 一条館 |
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*** 大通別館 |
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*** 南館 |
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*** 一条館 西ビル |
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*** 〈まるい〉リビングハウス |
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*** 〈まるい〉クイーンズ卑弥呼 |
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*** オーロラタウン |
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* 札幌三越 |
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* 丸井今井 新千歳空港店 フルール仮設店舗 - [[土産物]]売店。[[新千歳空港]]に仮設されている。 |
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* 三越 新千歳空港店 フルール仮設店舗 - [[土産物]]売店。[[新千歳空港]]に仮設されている。 |
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{{商業施設 |
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=== 株式会社函館丸井今井 === |
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|社色 = |
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* 丸井今井函館店 |
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|文字色 = |
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** 所在地は函館市本町32-15(〒040-0011)。最寄交通機関は[[函館市交通局|函館市電]][[五稜郭公園前駅|五稜郭公園前(野村證券前)駅]]下車。売場面積 16,441㎡。 |
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|名称 = 丸井今井札幌本店 |
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|画像 = Marui Imai Sapporo .jpg |
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|画像サイズ = 300px |
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|正式名称 = 丸井今井札幌本店 |
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|運営母体 = 札幌丸井三越 |
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|施設所有者 = 大通館・一条館:札幌丸井三越<br> |
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|前身 = |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= 約52,000<ref name="mainichi-np-2009-4-18" /> |
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|延床面積= |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1916年]](大正5年)(百貨店)<br>(丸井今井呉服店:[[1874年]](明治7年)) |
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|閉店日= |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[札幌市営地下鉄]][[大通駅]] |
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|最寄IC = |
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|所在地郵便番号= 060-8667 |
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|所在地 = [[北海道]][[札幌市]][[中央区 (札幌市)|中央区]]南1条西2丁目 |
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|位置 = {{ウィキ座標度分秒|43|3|36.6|N|141|21|17.5|E|region:JP|name=丸井今井札幌本店}} |
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|外部リンク = {{Official|http://www.marui-mitsukoshi.co.jp/}} |
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|グループ = |
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}}[[ファイル:Sapporo-Marui-Imai.Odori-Bekkan01.JPG|right|thumb|200px|札幌丸井三越・札幌本店大通別館 大通館とは道路を挟んで東側にある(2012年4月)]] |
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[[ファイル:Sapporo-Marui-Imai.Minami01.JPG|right|thumb|200px|札幌丸井三越・札幌本店南館(2008年12月)]] |
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[[1872年]](明治5年)4月に創成橋(現在の札幌市中央区南1条西1丁目)の近くの<ref name="step-up-167-2003-2" />創成川河畔に<ref name="hokkaido-np-2009-2-12" />小間物店<ref name="hokkaido-np-2009-2-12" />'''今井商店'''を開業した<ref name="hakodate-history-3-1997-6-8" />のが始まりである。 |
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[[1874年]](明治7年)には店舗を新築・移転して'''丸井今井呉服店'''を開店した<ref name="step-up-167-2003-2" />。 |
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=== 閉店した店舗 === |
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==== 旭川店 ==== |
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[[2009年]](平成21年)[[7月20日]]に閉店。跡地は[[投資ファンド]]である[[極東証券]]により開発され運営される大規模商業コンプレックス「[[フィール旭川]]」となり、[[2011年]](平成23年)[[6月24日]]に開業。 |
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[[1916年]](大正5年)には[[札幌大火]]からの復興の際にレンガおよび石造3階建の店舗を新築したのを機会に百貨店として営業を開始し<ref name="hakodate-history-3-1997-6-8" />、[[1906年]]([[明治]]39年)に北海道内で最初の百貨店を営業開始していた[[五番館]]<ref name="hokkaido-np-2009-9-15">{{Cite news | title = 現代かわら版 札幌西武30日閉店 「五番舘」の思い出 今も | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-9-15 }}</ref>に続いた。 |
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==== 旭川空港店 ==== |
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2009年(平成21年)7月20日に閉店。現在は西武百貨店旭川空港店が入居。 |
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[[1924年]](大正13年)に失火により店舗が全焼したため直ぐに再建に取り掛かり<ref name="step-up-167-2003-2" />、1926年(大正15年)に総4階一部5階建てので北海道では初の客用エレベータを備えた店舗を新築して復興した<ref name="step-up-167-2003-2" />。 |
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==== 小樽店 ==== |
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[[2005年]](平成17年)[[10月23日]]に閉店。[http://otaru-grand-hotel.tabite.jp/index.htm 小樽グランドホテル]などが入った複合施設となったが、2009年3月までに閉鎖。株式会社丸井今井は、当地に外商用の営業所を2005年(平成17年)[[10月21日]]開設したが、2009年(平成21年)7月20日に閉店。 |
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[[1932年]](昭和7年)に京屋呉服店の跡地に三越札幌店開店<ref name="pr-sapporo-2003-6">{{Cite journal | title = 思い出の市電写真帳 | journal = 広報さっぽろ 2003年6月号 | publisher = 札幌市 | issue = 2003-6}}</ref>して五番館と共に3つ巴の百貨店競争を繰り広げ、屋上にあった観覧車や北海道新聞社が経営していた道新ニュース劇場でのディズニー短編アニメ映画上映などが子供の人気を集める<ref name="2nd-street-news-2008-9-5-2">{{Cite journal | title = 二番街を語る | journal = 二番街瓦版 創刊号 | publisher = 二番街商店街振興組合 | date = 2008-9-5}}</ref>などして当地区を代表する百貨店となり、[[1965年]](昭和40年)には売場面積15,491m²で売上高83.6億円を上げて同じ地場資本の五番館の47.9億円(売場面積9,864m²)や東京資本の三越札幌店の45.6億円(売場面積9,554m²)を大きく上回って北海道で最大の売上を上げる地域一番店となった<ref name="depart-1967" />。 |
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==== 苫小牧店 ==== |
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2005年(平成17年)10月23日に閉店。不動産は[[みずほ信託銀行]]不動産[[カストディ]]部が[[信託]]によって買収後、札幌市の不動産会社[[ゼウス]]が運営する形で[[ショッピングモール|専門店テナントビル]]「[[ゼウスシティ]](ZEUS CITY)」として[[2006年]](平成18年)[[10月]]に開店した。 |
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[[1975年]](昭和50年)<ref name="hokkaido-np-2011-3-5" />9月には札幌本店大通館を開業<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" />して大幅な増床をはかって2館体制へ移行した。 |
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しかし、出店テナント数・年商ともに低調であり、[[2007年]](平成19年)[[8月]]に不動産が[[合同会社]]ビックランドプロパティ1(代表社員:[[有限責任中間法人]]マザービックランド 職務執行者 [[鄭武壽]])へ売却。[[2008年]](平成20年)[[3月]]にゼウスが運営から撤退することを所有者へ通告し、[[4月]]末で閉店した<ref>『[[北海道新聞]]』 [[2008年]][[3月13日]]付朝刊。</ref>。余談だが、当地に外商用の営業所を2005年(平成17年)[[10月21日]]開設したものの、2009年(平成21年)7月20日に閉店。 |
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[[2002年]](平成14年)11月に旧長崎屋札幌店の建物に南館を開設する<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />と同時に店舗を改装や[[2003年]](平成15年)3月1日に別棟のサザビーハウスを改装してまるいリビングハウスを開業する<ref name="hokkaido-np-2003-2-25">{{Cite news | title = 攻防!!JRタワー開業<1>デパート | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2003-2-25 }}</ref>などして同月の大丸を核とするJRタワースクエア開業に対抗し、[[2003年]](平成15年)の売上高約639億円を上げ<ref name="mainichi-np-2009-4-18" />、[[2007年]](平成19年)2月に紳士フロアを伊勢丹のノウハウを導入して<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />14年ぶりに全面改装して<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />「マルイメンズ」とする大改装を行い<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />、同年3月には旧マルサの建物に大通別館を開設する<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />と共に地下街のオーロラタウン<ref name="monthly-commerce-sapporo-2010-5" />の当店地下入り口向かいに道産品セレクトショップ「きたキッチン」を開店させ<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />、同年10月に札幌本店地下食品売り場を改装してマルイフーズとする<ref name="nissyoku-2008-1-31" />など再建計画を進めている最中にもかかわらず立て続けに大型改装を行い<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />、札幌本店地下食品売り場改装が同年秋となる<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />など改装が当初計画より半年遅れた影響で売り上げが再建計画を下回る<ref name="hokkaido-np-2007-11-9" />など苦戦しながらも[[2008年]](平成20年)12月まで地域一番店としての地位を保った<ref name="mainichi-np-2009-4-19-2" />。 |
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==== 釧路店 ==== |
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''[[丸三鶴屋#関連項目]]内の「kuteプロジェクト」項・「サンセイランディック」項・「今井春雄」項・「パステルパーク」項も参照の事。'' |
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しかし、投資額二十数億円と資金を十分に注ぎ込めず<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />段階的な改装を続け老朽化が目立つ上4館に売場が分散しているため利便性が低い店舗構造<ref name="mainichi-np-2009-4-18" />のため、JR札幌駅に隣接した好立地で天井が高く<ref name="asahi-np-2010-7-30" />真新しい店舗という優れたハード<ref name="mainichi-np-2009-4-18" />を武器に大丸札幌店が開業すると以降は毎年売上が減少する<ref name="mainichi-np-2009-4-18" />など大きな打撃を受け<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />、[[2009年]](平成21年)1月に地域一番店の座を奪われて<ref name="mainichi-np-2009-4-18" />以降そのまま2位に沈み続け、[[2009年]](平成21年)の年間でも札幌本店の売上高は前年比16.1%減の約436.22億円で大丸札幌店の約504.33億円を大きく下回って地域一番店の座を明け渡すことになった<ref name="mainichi-np-2010-1-28" />。 |
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2006年(平成18年)[[8月20日]]に閉店。閉店直後と2008年(平成20年)の2度に亘って、建物(店舗跡地)の再活用計画が上がったものの、テナント探しが難航し、事実上頓挫している。まず2006年(平成18年)の閉店直後、札幌市の不動産会社が土地建物を買収、当初は2006年(平成18年)末に開店する予定で店舗名も決まっていたが、先述のようにテナント探しが難航。その後、2006年度(平成18年度)末、2007年(平成19年)[[ゴールデンウィーク]]前と開店時期が2回延期されたものの、2007年(平成19年)[[6月]]に事実上断念することになる。その影響から税金が滞納という状態になり、同じ年に[[釧路支庁]](当時)と[[釧路市]]が税金滞納により[[差押]]を実施する事態になった。 |
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[[2009年]](平成21年)4月30日に三越伊勢丹ホールディングスを経営再建の支援企業に選定して再建に取り組むことになった<ref name="hokkaido-np-2009-5-1" />ことに伴い、丸井今井が札幌本店と函館店を経営する体制での営業を同年7月30日で終了し<ref name="hokkaido-np-2009-7-31" />翌日31日に丸井今井から新会社の札幌丸井今井に当店<ref name="hokkaido-np-2009-7-31-2" />の事業が譲渡されて<ref name="hokkaido-np-2009-7-31-2" />、8月1日に<ref name="monthly-commerce-sapporo-2010-5" />札幌丸井今井が運営する新体制で営業を開始した<ref name="monthly-commerce-sapporo-2010-5" />が、新体制発足直後の[[2009年]](平成21年)9月中間決算(2カ月の変則)で売上高66億1400万円で営業利益5800万円と登録免許税などの開業経費を賄えない水準に留まったため経常損失約5.01億円で純損失が5.02億円の赤字となって三越伊勢丹ホールディングスの社長が店舗体制の縮小の可能性に言及するほど厳しい再出発となった<ref name="hokkaido-np-2009-11-10" />。 |
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その後、2008年(平成20年)にコンサルティング会社へ当初決まっていた店舗名を使わない条件で転売されたものの、やはりテナント探しは難航。その影響から[[不動産取得税]]を滞納したため、2009年(平成21年)[[2月]]に[[釧路支庁]]が再度差押を実施している。ちなみに、そのコンサルティング会社は当初、ホームページも開設されていたが、その後閉鎖され、音信不通の状態になっているという<ref>[[釧路新聞]] [http://www.news-kushiro.jp/news/20090221/200902216.html 「釧路店建物差し押さえ、旧丸井今井」]</ref>。 |
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[[2011年]](平成23年)4月1日に、札幌丸井今井と札幌三越の両社が合併し(存続会社は札幌丸井今井)、'''株式会社札幌丸井三越'''となったため、現在は同社が経営している<ref name="monthly-commerce-sapporo-2011-6" />。 |
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余談だが、閉店直前の2006年(平成18年)8月16日に、外商用の営業所を開設したが2009年(平成21年)7月20日で撤退した。閉店した店舗では唯一、先述の影響もあって一貫して後継店舗での営業を再開したことがない。その影響により、2007年(平成19年)以降はライフラインが使用停止になったため、当然排水装置も動かせない状態にあり、地下からあふれた[[温泉水]]が周辺道路を冠水させる騒動を起こしたこともある。 |
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[[2011年]](平成23年)3月12日に札幌駅から大通公園を結ぶ全長520mの地下歩行空間が開通により札幌駅から地下を通って雨や雪を避けて当店に来店することが可能になった<ref name="asahi-np-2011-3-11">{{Cite news | title = 札幌駅と大通、集客競争し烈に 12日地下歩行空間開通 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2011-3-11 }}</ref>。 |
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==== 室蘭店 ==== |
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[[1891年]]([[明治]]24年)[[11月]]に現在の室蘭市中央町で開店し、[[1981年]](昭和56年)に室蘭市中島町に移転。2010年(平成22年)[[1月20日]]に閉店となり、118年の歴史に幕をおろした<ref>「唯一の百貨店も撤退。首相のお膝元・室蘭のがっかりとやっぱり」[[週刊文春]] 2010年04月15日号</ref>。従業員約300人は全員解雇。閉店後は取り壊されたが、跡地は2011年(平成23年)9月9日に[[ヤマダ電機]]テックランド室蘭店が開店。 |
|||
当店の店内で機械が音を立てながら自動的に焼き上げている白あんまんじゅうの[[とうまん]]も隠れた札幌名物の一つとして知られている<ref name="2nd-street-news-2008-9-5-2" />。 |
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== 丸井今井邸 == |
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かつて[[今井藤七]]の出身地である[[新潟県]][[三条市]]には「丸井今井三条店」が存在した。 |
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「三条店」の名称であったが小売の店舗ではなく、今井の生家があった付近に別宅として建てた邸宅を丸井今井で管理していたもの。新潟県内における採用活動や仕入の拠点として使われていた時期もあった。一連の経営難により地元に無償譲渡され現在は「丸井今井邸」として地元保存団体の管理の下、イベントスペースとして活用されている。 |
|||
[[2011年]](平成23年)7月15日に[[新千歳空港]]の新ターミナルビル開業に合わせて同空港内にあった従来のみやげ物店を閉鎖し、土産店などが集まる同ビル2階に北海道内各地の農水産加工品や菓子を扱うきたキッチン2号店を開店している<ref name="hokkaido-np-2011-7-9">{{Cite news | title = 「きたキッチン」新千歳にも 札幌丸井三越 道産品PRへ2号店 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2011-7-9 }}</ref>。 |
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[[2006年]](平成18年)[[6月22日]]に隣接する精肉店工場から出火、延焼し邸宅の一部が焼けたが、[[2007年]](平成19年)初頭までに改修を終え、活用を再開している。 |
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現在は大通館と一条館、南館、大通別館の4館<ref name="mainichi-np-2009-4-18" />を中心に、別棟のまるいリビングハウス<ref name="hokkaido-np-2003-2-25" />や地下街のオーロラタウン<ref name="monthly-commerce-sapporo-2010-5" />の当店地下入り口向かいの道産品セレクトショップ「きたキッチン」<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />など周辺店舗を展開し、服飾雑貨や道産食品の品ぞろえが豊富とされている<ref name="monthly-commerce-sapporo-2011-6" />。 |
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また、創業者出身地としての縁から[[2004年]](平成16年)[[7月13日]]に発生した[[平成16年7月新潟・福島豪雨|新潟・福島豪雨(7・13水害)]]では、丸井今井から三条市に対し義援金を寄付した。 |
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=== 函館店 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = |
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|文字色 = |
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|名称 = 丸井今井函館店 |
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|画像 = Marui Imai Hakodate 20060814-001.jpg |
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|画像説明 = [[2006年]](平成18年)8月 |
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|画像サイズ = 300px |
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|正式名称 = 丸井今井函館店 |
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|運営母体 = 函館丸井今井 |
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|施設所有者 = |
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|前身 = 函館丸井今井呉服店<ref name="step-up-167-2003-2" /><br>山丸二菊池呉服店<ref name="step-up-167-2003-2" /> |
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|敷地面積= |
|||
|商業施設面積= 16,187<ref name="natina-land-developping-base-2000-6-9">{{Cite report |year=2000 |mounth=6 |title=国土審議会調査改革部会 第4回国際連携・持続的発展基盤小委員会配付資料 人口減少下での活力ある地域社会と二層の広域圏形成に資する国土基盤の現状と課題(資料編) |publisher=[[国土審議会]]調査改革部会 }}</ref> |
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|延床面積= |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1916年]](大正5年)(百貨店)<br>(函館丸井今井呉服店:[[1892年]](明治25年)4月25日<ref name="step-up-167-2003-2" />) |
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|閉店日= |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[函館市交通局|函館市電]][[五稜郭公園前駅|五稜郭公園前(野村證券前)駅]] |
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|最寄IC = |
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|所在地郵便番号= 040-0011 |
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|所在地 = [[北海道]][[函館市]]本町32-15 |
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|位置 = {{ウィキ座標度分秒|41|47|19.7|N|140|45|7.5|E|region:JP|name=丸井今井函館店}} |
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|外部リンク = {{Official|http://www.marui-imai.jp/hakodate/h_top/index.html/}} |
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|グループ = |
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}} |
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[[1892年]](明治25年)4月25日に当時の函館の繁華街末広町の南部坂下の一角にあった函館第一の呉服店山丸二菊池呉服店を買収して今井藤七の末弟今井良七に任せて'''函館丸井今井呉服店'''を開業したのが始まりである<ref name="step-up-167-2003-2" />。 |
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[[1923年]](大正12年)には函館の末広町に3階建で玄関に大理石柱がある店舗を建設して百貨店として営業を開始し<ref name="hakodate-history-3-1997-701-704" />、[[1930年]](昭和5年)11月2日に5階建てに増築して開業した際には客用と貨物用のエレベーターや催事場や屋上サンルーム、美容室、電機部、写真部なども導入した<ref name="hakodate-history-3-1997-701-704" />。 |
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[[1925年]](大正14年)12月に「四階楼」に時計台を配置した<ref name="hakodate-history-3-1997-701-704" />鉄筋コンクリート造<ref name="hakodate-history-3-1997-6-8" />3階建の新店舗を建設して百貨店を開業した[[金森森屋百貨店]]<ref name="hakodate-history-3-1997-421-425">{{Cite book | 和書 | author =函館市史編さん室 | title = 函館市史 通説編 第3巻 | section = 営業形態の法人化 | pages = 421-425 | publisher = 函館市 | year = 1997}}</ref>や[[1931年]](昭和6年)10月2日にはシャンデリアのある催事場や食堂、エレベーターなどを装備した4階建500坪を超える大規模な新店舗に全面的な建て替えを行って本格的に百貨店化した[[棒二萩野呉服店]]<ref name="hakodate-history-3-1997-701-704" />と3つ巴の百貨店競争を繰り広げた。 |
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[[1931年]](昭和6年)に正月の「善光寺展」では18日間で20万人余の入場者を集めた<ref name="hakodate-history-3-1997-701-704" />ほか動く展覧会(電動模型展)、伯国(ブラジル)展覧会や洋画・日本画などの展覧会などを開催して催事でも金森森屋百貨店と激しい競争を繰り広げ<ref name="hakodate-history-3-1997-705-709">{{Cite book | 和書 | author =函館市史編さん室 | title = 函館市史 通説編 第3巻 | section = 百貨店のサービス競争 | pages = 705-709 | publisher = 函館市 | year = 1997}}</ref>、[[1934年]](昭和9年)に[[函館大火]]により函館支店焼失がした際にも鉄筋コンクリート構造地下1階地上5階建で塔屋2階建として復興させる<ref name="hakodate-history-3-1997-6-8" />など早くから近代的な施設の整備を進めて競争に挑んだ。 |
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[[1936年]](昭和11年)6月12日にライバルの2店金森森屋百貨店と棒二萩野呉服店が将来的な[[函館駅]]前発展を見込んで店舗の移転・拡張を目指して合併して[[棒二森屋]]を設立し<ref name="step-up-168-2003-3">{{Cite journal | title = 荻野清六 | journal = ステップアップ vol.168 | publisher = [[函館市文化・スポーツ振興財団]] | issue = 2003-3}}</ref>相馬合名会社の支援を受けて<ref name="hakodate-np-2005-10-13">{{Cite news | title = ダイエーが百貨店事業の統合を正式決定、棒二森屋を当面存続へ | newspaper = [[函館新聞]] | publisher = 函館新聞社 | date = 2005-10-13 }}</ref>、[[1937年]](昭和12年)10月1日に函館駅前の函館市高砂町(現・若松町=現在地)に5階建の新店舗を開業<ref name="step-up-168-2003-3" />してより強力なライバルとなったため、函館地区では2番手の地位に甘んじることとなった。 |
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第2次世界大戦後の[[1959年]](昭和34年)に函館初のエスカレーター新設し<ref name="hakodate-history-4-2002-3-428-431">{{Cite book | 和書 | author =函館市史編さん室 | title = 函館市史 通説編 第4巻 | section = 商店街の消長と小売業の変貌 | pages = 428-431 | publisher = 函館市 | date = 2002-3}}</ref>、[[1965年]](昭和40年)には売場面積4,979m²で売上高15.0億円を上げて地場資本の棒二森屋の26.9億円(売場面積6,513m²)に次ぐ売上を上げた<ref name="depart-1967" />。 |
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[[1969年]](昭和44年)10月21日<ref name="hokkaido-np-2009-10-22" />に店舗を東部地区の人口急増を背景に副都心を標榜する五稜郭地区の本町に移転し<ref name="hakodate-history-4-2002-3-428-431" />、[[1974年]](昭和49年)9月29日に増床をしたが<ref name="hokkaido-np-2009-10-22" />、[[昭和30年代]]から[[昭和40年代]]に進んだ人口の郊外移動と[[モータリゼーション]]の影響で<ref name="hakodate-history-4-2002-3-428-431" />当店のある中心市街地の商店街の地位は[[1973年]](昭和48年)に年間販売額が[[1968年]](昭和43年)の6倍になった旧亀田市赤川通地区など<ref name="hakodate-history-4-2002-3-885-889">{{Cite book | 和書 | author =函館市史編さん室 | title = 函館市史 通説編 第4巻 | section = 郊外型大手スーパーの登場 第4の商店街の形成へ | pages = 885-889 | publisher = 函館市 | date = 2002-3}}</ref>の郊外の商業施設との競争に巻き込まれて地盤沈下し、造船不況による函館ドックの低迷や北洋漁業の衰退など地域経済が伸び悩むなど外部環境が厳しさを増していき<ref name="hakodate-history-4-2002-3-885-889" />、それまで全国主要100都市で本州大手スーパー7社がひとつも出店をしていなかった函館<ref name="hakodate-history-4-2002-3-885-889" />に[[イトーヨーカ堂]]と[[長崎屋]]が旧亀田市赤川通地区への進出計画を発表し<ref name="hakodate-history-4-2002-3-885-889" />、地元経済が伸び悩む状況下での本州資本の進出に対して地元商業者と共に進出反対運動を繰り広げた<ref name="hakodate-history-4-2002-3-885-889" />ものの、イトーヨーカ堂進出に賛同する8万人もの消費者の署名が集まったり<ref name="hakodate-history-4-2002-3-885-889" />、「地区の今後の開発を見据えて核となる店舗が欲しい」と[[1975年]](昭和50年)6月に亀田商工会会長が発言するなど地元の旧亀田市側が進出を歓迎する傾向にあった<ref name="hakodate-history-4-2002-3-885-889" />ため、[[1980年]](昭和55年)8月に長崎屋<ref name="hakodate-history-4-2002-3-885-889" />、同年9月にイトーヨーカ堂が開店し<ref name="hakodate-history-4-2002-3-885-889" />、同月の函館の既存の大規模小売店が全店前年割れした際には当店も前年同月比-20.0%となる<ref name="hakodate-history-4-2002-3-885-889" />など郊外との競争が激化したため、[[1982年]](昭和57年)に立体駐車場を開設する<ref name="hokkaido-np-2009-10-22" />対抗策を採った。 |
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[[2005年]](平成17年)6月24日に発表された再建計画の中で当店は基幹3店舗の一つとして新設会社の2代目丸井今井に引継がれ<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />、有名ブランドを導入を含む改装や駐車場整備などの投資を行って<ref name="hokkaido-np-2005-4-24-2" />ファッション重視の都市型百貨店としての性格を強めた<ref name="hokkaido-np-2005-4-24" />。 |
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[[2009年]](平成21年)1月29日に札幌地方裁判所に民事再生法の適用を申請し<ref name="nikkei-mj-2009-5-6" />同日中に民事再生手続開始決定を受けて<ref name="hokkaido-np-2009-1-31" />三越伊勢丹ホールディングスを経営再建の支援企業に選定した<ref name="hokkaido-np-2009-5-1" />3度目の再建計画でも存続店となり、丸井今井が経営する体制での営業を同年7月30日で終了し<ref name="hokkaido-np-2009-7-31">{{Cite news | title = 「丸井今井」現体制に幕 三越伊勢丹HDにきょう事業譲渡 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-7-31 }}</ref>、翌日31日に丸井今井から函館丸井今井に函館店の事業を譲渡し<ref name="hokkaido-np-2009-7-31-2" />、8月1日に<ref name="monthly-commerce-sapporo-2010-5" />新会社が札幌本店と函館店を運営する新体制で営業を開始した<ref name="monthly-commerce-sapporo-2010-5" />。 |
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この新体制発足直後の[[2009年]](平成21年)9月中間決算(2カ月の変則)で売上高15億7300万円で営業利益7100万円で登録免許税などの開業経費を賄えず経常損益と純損益はともに3100万円の赤字となり<ref name="hokkaido-np-2009-11-10" />、三越伊勢丹ホールディングスの社長が店舗体制の縮小の可能性に言及するほど厳しい再出発となり<ref name="hokkaido-np-2009-11-10" />、函館を中心とした道南地方の景気は道内でもとりわけ厳しいため函館店の経営の先行きについて厳しい見方がされていた<ref name="yomiuri-np-2009-6-10" />が、その後は黒字転換して[[2012年]](平成24年)3月期で売上高が前期比2.3%減の約100.15億円と決算減収は続いているものの最終損益は約2.29億円と前期比14.5%増で売上高営業利益率も3.47%で札幌丸井三越の0.91%を大きく上回るなど厳しい環境下で健闘している<ref name="hakodate-np-2012-5-11" />。 |
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旧店舗跡は函館市が西部地区の斜陽化防止のために分庁舎として使用している<ref name="hakodate-history-4-2002-3-428-431" />。 |
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== 過去に存在した店舗 == |
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=== 小樽店 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = |
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|文字色 = |
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|名称 = 丸井今井小樽店 |
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|画像 = |
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|画像説明 = |
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|画像サイズ = 250px |
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|正式名称 = |
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|運営母体 = |
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|施設所有者 = 小樽開発<ref name="hokkaido-kensetsu-news-2012-01-11">{{Cite news | title = 小樽開発ビルが3回目の競売 買い付け可能価格10分の1に | newspaper = [[北海道建設新聞]] | publisher = 北海道建設新聞社 | date = 2012-01-11 }}</ref> |
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|前身 = |
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|後身 = 空きビル<ref name="hokkaido-kensetsu-news-2012-01-11" /><br>おたるサンモール・ネオ<ref name="kinukawa-2009" />([[2005年]](平成17年)11月<ref name="kinukawa-2009" />から[[2009年]](平成21年)3月24日<ref name="mainichi-np-2009-3-23">{{Cite news | title = 老舗破綻:旧丸井今井小樽店跡地、おたるサンモール・ネオきょう営業終了 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2009-3-23 }}</ref>) |
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|敷地面積= 6,885<ref name="hokkaido-kensetsu-news-2012-01-11" /> |
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|商業施設面積= 11,500<ref name="kinukawa-2009" /> |
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|延床面積= 43,556<ref name="hokkaido-kensetsu-news-2012-01-11" /> |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1990年]](平成2年)9月<ref name="kinukawa-2009" /><br>旧店舗:[[1891年]](明治24年)<ref name="mainichi-np-2009-3-23" />10月<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" /> |
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|閉店日= [[2005年]](平成17年)10月23日<ref name="hokkaido-np-2005-10-24" /> |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[小樽駅]] |
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|最寄IC = |
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|所在地郵便番号= |
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|所在地 = [[北海道]][[小樽市]]稲穂1-4-1<ref name="hokkaido-kensetsu-news-2012-01-11" /> |
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| 地図国コード = JP |
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|外部リンク = |
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|グループ = |
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}} |
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[[1891年]](明治24年)<ref name="mainichi-np-2009-3-23" />10月<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" />に小樽の色内'''丸井今井呉服店小樽支店'''として呉服店を開業したのが始まりである<ref name="kinukawa-2009" />。 |
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[[1923年]](大正12年)に小樽支店を色内から稲穂第一大通り(現在の[[小樽サンモール一番街]])に移転する<ref name="kinukawa-2009" />と同時に百貨店としての営業を開始した<ref name="hakodate-history-3-1997-312-316" />。 |
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当店が移転する前の[[1917年]](大正6年)に河野呉服店(後の[[ニューギンザ百貨店]])が同様に色内から店舗を移転していたほか、[[1918年]](大正7年)に[[大国屋]]も進出していた<ref name="hokkaido-news-1993-2-18">{{Cite news | title = 転機の大型店 不況と規制緩和の中で <中>地盤沈下?消費者が百貨店離れ。高コスト体質続く。進まぬ再開発事業 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 1993-2-18 }}</ref>ため、当店の移転で稲穂第一大通りは後に百貨店となる有力店3店が揃う小樽を代表する商店街としての地位を確立した<ref name="kinukawa-2009" />ため、当店は中核店舗の一つとして周辺の商店街と共に営業していくことになった。 |
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[[1934年]](昭和9年)に[[大国屋]]が百貨店としての営業を開始し<ref name="kinukawa-2009" />、[[1955年]](昭和30年)には河野呉服店も[[ニューギンザ百貨店]]として百貨店としての営業を開始した<ref name="kinukawa-2009" />ため、当店は同じ商店街内で3つ巴の百貨店競争を行うことになり、[[1965年]](昭和40年)には売場面積4,318m²で売上高13.5億円を上げて地場資本のニューギンザ百貨店の14.1億円(売場面積2,823m²)を下回ったものの地場資本の[[大国屋]]の13.5億円(売場面積3,821m²)とほぼ並んで2番手に付ける<ref name="depart-1967" />など激しい競争を繰り広げながら小樽を代表する百貨店の一つとして営業していた。 |
|||
しかし、[[1975年]](昭和50年)4月に[[小樽駅]]前に[[長崎屋]]を核店舗とする[[ショッピングセンター・サンポート]]が当店の2倍くらいの店舗面積<ref name="kinukawa-2009" />(売場面積12,066m²<ref name="mitsuhashi-2008-12" />)でオープンして開店1ヶ月で市内の人口の1.5倍となる30万人を集めて順調な売上を上げて当店を含む既存の商業集積から顧客を奪ったため売上は減少傾向に転じた<ref name="kinukawa-2009" />。 |
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そうした状況への対応策として当店は[[1982年]](昭和57年)に再開発準備組合が結成して<ref name="kinukawa-2009" />[[1988年]](昭和63年)にその開発を担う小樽開発が設立し<ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13" />、ニューギンザ百貨店と旧北海ホテルの跡地を中心として再開発が行って<ref name="kinukawa-2009" /><ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13" />[[1990年]](平成2年)9月に[[グランビスタ ホテル&リゾート|小樽グランドホテル]]も入居した再開発ビル<ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13" />(売場面積14,500m²)<ref name="kinukawa-2009" />の中核店舗として売場面積11,500m²の新店舗を開業させて移転・増床を図った<ref name="kinukawa-2009" />。 |
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また旧小樽店跡も小樽開発が第2期ビルを建設して系列のファッションビルマルサが[[1992年]](平成4年)に開業させる<ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13" />など整備したため、周辺の[[花園銀座商店街 (小樽市)|花園銀座商店街]]や[[都通り商店街 (小樽市)|都通り商店街]]を含む[[中心市街地]]の商店街全体の歩行者通行量も著しく増える<ref name="kinukawa-2009" />ほど新店舗を含む再開発は成功した。 |
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この新店舗建設に伴ってその敷地となることになったニューギンザ百貨店が[[1988年]](昭和63年)に閉店し<ref name="otaru-history10-2000">{{Cite book | 和書 | author =小樽市編 | title = 小樽市史 第10巻(経済編) | publisher = [[小樽市]] | year = 2000}}</ref><ref name="kinukawa-2009" /><ref name="mitsuhashi-2008-12">{{Cite journal | author =三橋重昭 | title = シリーズ 活き活き商店街とまちづくり 質の高い都市型観光のまちづくりを目指す 小樽市・「花銀通り・堺町本通り」 | journal = [[月刊専門店]]第44号-通巻697号 | publisher = [[日本専門店会連盟]] | issue = 2008-12}}</ref>、新店舗成功のあおりを受けて[[1993年]](平成5年)4月に[[大国屋]]が<ref name="hokkaido-news-1993-2-18" />に採算の悪化を理由に<ref name="kinukawa-2009" />86年の歴史に終止符を打ち閉店した<ref name="hokkaido-news-1993-2-18" />ため、当店は小樽で唯一つ残った百貨店として営業することになった。 |
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しかし、[[1999年]](平成11年)3月11日に[[小樽築港駅]]の近くに約5,000台の無料駐車場を持ち、約7倍の売場面積98,000m²を誇るマイカル小樽(現・[[ウイングベイ小樽]])がオープンする<ref name="kinukawa-2009" />など郊外型のショッピングセンターの開設が相次いで競争が激化して中心市街地の集客力を奪われた<ref name="kinukawa-2009" /><ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13" />ため新店舗の成功は長続きせず<ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13" />、[[2005年]](平成17年)10月23日に閉店して<ref name="hokkaido-np-2005-10-24" />115年の歴史<ref name="asahi-np-2005-6-26">{{Cite news | title = 「丸井さん」115年 寂しい/小樽店閉店へ | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2005-6-26 }}</ref>に終止符を打った。 |
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閉店後個人得意客や企業向けの外商部門として営業所が設置された<ref name="hokkaido-np-2009-5-13" />が、[[2009年]](平成21年)7月20日に廃止して撤退した<ref name="hokkaido-np-2009-6-12" />。 |
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店舗跡地は[[2005年]](平成17年)11月から専門店街「おたるサンモール・ネオ」<ref name="kinukawa-2009" />が1階と地下1階で営業していた<ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13" />が[[2009年]](平成21年)3月24日に閉店となり<ref name="mainichi-np-2009-3-23">{{Cite news | title = 老舗破綻:旧丸井今井小樽店跡地、おたるサンモール・ネオきょう営業終了 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2009-3-23 }}</ref>、同年2月15日に併設されていた小樽グランドホテルも営業終了して<ref name="hokkaido-np-2009-2-16">{{Cite news | title = 閉館の日 小樽グランドホテル バイキングに1000人 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-2-16 }}</ref>3月3日に札幌地方裁判所小樽支部に自己破産を申し立てて倒産した<ref name="hokkaido-np-2009-3-3">{{Cite news | title = 小樽グランドホテル、きょう自己破産申請 負債30億円 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-3-3 }}</ref>ため空きビルとなり<ref name="kinukawa-2009" />、[[2010年]](平成22年)4月12日に小樽開発が破産申請に追い込まれ<ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13" />、[[2010年]](平成22年)2月に債権者の申立で土地建物の競売開始が決定され<ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13" />、[[2010年]](平成22年)4月と[[2011年]](平成23年)9月に2回行われた競売にかけられたものの旧小樽開発以外に権利者・地権者が複数いて権利関係が複雑なことなども影響して不調に終わり<ref name="hokkaido-kensetsu-news-2012-01-11" />、[[2012年]](平成24年)1月6日に[[札幌地方裁判所]]は1回目の約10分の1の買い受け可能価額約6671万円で3回目の競売を行うと発表する状態に陥り<ref name="hokkaido-kensetsu-news-2012-01-11" />、空きビル状態が続いている<ref name="hokkaido-kensetsu-news-2012-01-11" />。 |
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旧店舗跡地は小樽開発が第2期ビルを建設して系列のファッションビルマルサが[[1992年]](平成4年)に開業したが[[2000年]](平成12年)に閉店している<ref name="tsr-bankrupty-news-2010-4-13" />。 |
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=== 室蘭店 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = |
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|文字色 = |
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|名称 = 丸井今井室蘭店 |
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|画像 = MARUI IMAI Muroran.jpg |
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|画像説明 = [[2007年]](平成19年)5月 |
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|画像サイズ = 300px |
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|正式名称 = |
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|運営母体 = |
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|施設所有者 = |
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|前身 = 丸井今井呉服店室蘭支店 |
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|後身 = ヤマダ電機テックランド室蘭店<ref name="muroran-minpo-2011-9-10">{{Cite news | title = “ヤマダ電機”室蘭に進出、中島に新しい息吹 | newspaper = [[室蘭民報]] | publisher = 室蘭民報社 | date = 2011-9-10 }}</ref> |
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|敷地面積= 約5,800<ref name="asahi-np-2010-1-16" /> |
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|商業施設面積= 9,350<ref name="shopping-building-np-2010-4-13">{{Cite news | title = 百貨店業界、景気後退に拍車で閉店増 | newspaper = [[商業施設新聞]] | publisher = 産業タイムズ社 | date = 2010-4-13 }}</ref> |
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|延床面積= 約18,500<ref name="asahi-np-2010-1-16" /> |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1981年]](昭和56年)4月<ref name="asahi-np-2010-1-16" /><br>旧店舗:[[1891年]](明治24年)11月<ref name="asahi-np-2010-1-16" /> |
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|閉店日= [[2010年]](平成22年)1月20日<ref name="muroran-minpo-2010-1-21" /> |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[東室蘭駅]]<ref name="muroran-minpo-2011-9-10" /> |
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|最寄IC = |
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|所在地郵便番号= |
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|所在地 = [[北海道]][[室蘭市]]中島町1丁目<ref name="asahi-np-2010-1-16" /> |
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| 地図国コード = JP |
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|外部リンク = |
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|グループ = |
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}} |
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[[1891年]](明治24年)11月室蘭市中央町に'''丸井今井呉服店室蘭支店'''を開設したのが始まりで昭和に入ってから百貨店した<ref name="asahi-np-2010-1-16" />。 |
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室蘭唯一の百貨店として買い物客の肩と肩が触れ合うぐらいにぎわい<ref name="muroran-minpo-2010-1-21" />、地元の基幹産業である鉄鋼大手企業などが「贈答関係は依存している」といわれるほどの法人客の厚みを持ち<ref name="muroran-minpo-2005-6-25">{{Cite news | title = 室蘭店、22年1月存廃決定 丸井今井経営再生計画案 | newspaper = [[室蘭民報]] | publisher = 室蘭民報社 | date = 2005-6-25 }}</ref>、[[1965年]](昭和40年)には売場面積3,385m²で売上高10.4億円を上げる<ref name="depart-1967" />など「丸井さん」の愛称で市民に親しまれる存在となっていた<ref name="muroran-minpo-2010-1-21" />。 |
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[[1981年]](昭和56年)4月には中島町1丁目の新店舗へ移転し<ref name="asahi-np-2010-1-16" />、近くにある長崎屋室蘭中島店<ref name="asahi-np-2010-1-16" />とともに中島商店街の中核店舗の一つとなった<ref name="mainichi-np-2010-1-21">{{Cite news | title = 丸井今井:室蘭店閉店 118年の歴史に幕 1万人の客、名残惜しむ | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2010-1-21 }}</ref>。 |
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[[2005年]](平成17年)6月24日に発表された再建計画の中で当店は閉店される店舗と同様に旧会社に残されて<ref name="muroran-minpo-2005-6-25" />新設会社の2代目丸井今井に引継がれず<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />、不採算店などを引継いだ北海道丸井今井に引継がれた<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />が、計画発表当時で鉄鋼大手企業など外商法人客600社強を抱えて年間数十億円とされる法人売上を中心に黒字店であったため5年後の[[2010年]](平成22年)1月をめどに存廃を決めるとしてこの時点での閉店を免れた<ref name="muroran-minpo-2005-6-25" />。 |
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しかし、[[2005年]](平成17年)9月に当時の社長が「基本は5年後に閉鎖」と述べる<ref name="hokkaido-np-2005-9-28">{{Cite news | title = 丸井今井室蘭店、5年後閉店 臨時株主総会、会社分割を正式決定 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2005-9-28 }}</ref>など原則閉店の方針が打ち出されていた上<ref name="hokkaido-np-2009-5-29">{{Cite news | title = 丸井室蘭店、閉店へ 2010年1月末で | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-5-29 }}</ref>、その後も売上減少にも歯止めがかからず従業員1人当たりの年間売上高が4,000万円台で札幌本店の約7,000万円や函館店の約6,000万円よりも大幅に低かった<ref name="hokkaido-np-2009-1-31" />ことから[[2009年]](平成21年)5月29日に閉店の方針が決まり<ref name="hokkaido-np-2009-5-30">{{Cite news | title = 札幌西武、丸井室蘭閉店へ「雇用は」「思い出が…」肩落とす市民、関係者 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-5-30 }}</ref>、[[2010年]](平成22年)1月20日に閉店して118年の歴史に終止符を打った<ref name="muroran-minpo-2010-1-21" />。 |
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閉店時には会社側として正式な式典を行わなかったが<ref name="muroran-minpo-2010-1-21" />、OBによる同窓会組織の丸井今井店友会室蘭支部から玄関付近で店長に花束が贈られてその返礼を兼ねて店長がOBや買い物客が残っていた前で挨拶を行ったほか<ref name="muroran-minpo-2010-1-21" />、丸井今井店友会による万歳のコールなども行われて事実上の閉店セレモニーーとなった<ref name="muroran-minpo-2010-1-21" />。 |
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店舗跡は旧店舗敷地と旧駐車場敷地の間にある市道を廃止して売却する方針を固めるなどした室蘭市の支援もあって閉店後の8月6日に家電量販店[[ヤマダ電機]]への売却が丸井今井から室蘭市に正式に伝えられて同月中に売却され<ref name="muroran-minpo-2010-8-6">{{Cite news | title = ヤマダ電機、旧丸井今井室蘭店跡地(北海道)に進出正式決定 | newspaper = [[室蘭民報]] | publisher = 室蘭民報社 | date = 2010-8-6 }}</ref>、[[2011年]](平成23年)9月9日にヤマダ電機テックランド室蘭店が開店した<ref name="muroran-minpo-2011-9-10" />。 |
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また、中央町の旧店舗跡地は室蘭プリンスホテルになっている<ref name="muroran-minpo-2010-1-21" />。 |
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=== 旭川店 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = |
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|文字色 = |
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|名称 = 丸井今井旭川店 |
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|画像 = MARUI IMAI Asahikawa.jpg |
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|画像説明 = [[2008年]](平成20年)5月 |
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|画像サイズ = 300px |
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|正式名称 = |
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|運営母体 = |
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|施設所有者 = |
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|前身 = |
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|後身 = [[フィール旭川]] |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= |
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|延床面積= 23,463<ref name="asahi-np-2010-2-1">{{Cite news | title = 旭川駅前「空白」長期化 | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2010-2-1 }}</ref> |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1897年]](明治30年)<ref name="hokkaido-np-2009-7-21" />10月<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" /> |
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|閉店日= [[2009年]](平成21年)7月20日<ref name="hokkaido-np-2009-7-21" /> |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[旭川駅]]<ref name="asahi-np-2010-2-1" /> |
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|最寄IC = |
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|所在地郵便番号= |
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|所在地 = [[北海道]][[旭川市]]1条通8 |
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| 地図国コード = JP |
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|外部リンク = |
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|グループ = |
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}} |
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[[1897年]](明治30年)<ref name="hokkaido-np-2009-7-21" />10月<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" />には'''丸井今井呉服店旭川支店'''<ref name="hokkaido-np-2009-7-21" />として呉服店を開業したのが始まりで、[[1923年]](大正12年)に百貨店としての営業を開始した<ref name="hakodate-history-3-1997-312-316" />。 |
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[[1965年]](昭和40年)には売場面積4,411m²で売上高16.0億円を上げて地場資本の丸勝松村百貨店(現在の[[マルカツデパート]])の8.5億円(売場面積3,500m²)を大きく上回って地域一番店となる<ref name="depart-1967" />など旭川でトップの百貨店として営業していたが、[[1975年]](昭和50年)に西武百貨店旭川店の開業後は地域一番店の座を奪われて2番手となった<ref name="hokkaido-np-2009-5-27">{{Cite news | title = 旭川西武、存続へ 丸井閉店で採算にめど | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-5-27 }}</ref>ため、[[1978年]](昭和53年)4月に店舗を1条通8丁目に移転させて<ref name="asahi-np-2009-7-19" />対抗したが、西武百貨店旭川店から地域一番店の座を奪い返すことは出来なかった<ref name="hokkaido-np-2009-5-27" />。 |
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[[1972年]](昭和47年)6月1日に誕生して<ref name="asahi-np-2012-2-20">{{Cite news | title = 旭川駅周辺 活気よ再び | newspaper = [[朝日新聞]] | publisher = 朝日新聞社 | date = 2012-2-20 }}</ref>[[1979年]](昭和54年)で約36万人、1989年(平成元年)に約21.8万人の1日当たりの平均延べ歩行者通行量を集めた<ref name="asahi-np-2012-2-20" />当店前を含む旭川駅から北に約1km続く旭川市平和通買物公園<ref name="asahi-np-2012-2-20" />の中核店舗の一つとして営業し<ref name="hokkaido-np-2009-1-31" />、[[1992年]](平成4年)10月に増床を行って<ref name="hokkaido-marui-imai-annual-report-90-2009" />[[1996年]](平成8年)に売上高約155億円を上げた<ref name="hokkaido-np-2009-7-21" />。 |
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しかし、[[1992年]](平成4年)11月1日に長崎屋旭川店が旭川駅前から郊外の旭川市春光の国道40号沿いの約1,000台収容駐車場を持つ店舗に移転して売上を伸ばした<ref name="hokkaido-np-1993-2-17">{{Cite news | title = 転機の大型店 不況と規制緩和の中で<上>郊外へ-商圏広げ売り上げ増。消費多様化に対応、大規模化の動きも | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 1993-2-17 }}</ref>のを皮切りに[[2004年]](平成16年)にイオン旭川西ショッピングセンター(現・[[イオンモール旭川西]])が開業するなど<ref name="mainichi-np-2009-4-5">{{Cite news | title = 世の中ナビ NEWS NAVIGATOR 経済最前線:人口減+郊外店競合+不況直撃=地方都市から消える百貨店 | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2009-4-5 }}</ref>大型商業施設の郊外進出が相次いだ影響で旭川市平和通買物公園の1日当たりの平均延べ歩行者通行量が[[2008年]](平成20年)に約13万人と大きく減少した<ref name="asahi-np-2010-2-1" />影響などを受けて売上高は下降の一途をたどり<ref name="hokkaido-np-2009-7-21" />、[[2005年]](平成17年)6月24日に発表された再建計画の中で当店は基幹3店舗の一つとして新設会社の2代目丸井今井に引継がれ<ref name="hokkaido-np-2007-7-27" />、約5億円を投資して婦人服、紳士服、化粧品・雑貨など各売り場の改装を行って<ref name="hokkaido-np-2005-4-24-2" />ファッション重視の都市型百貨店としての性格を強めた<ref name="hokkaido-np-2005-4-24" />がその傾向は変わらず、[[2009年]](平成21年)1月29日に札幌地方裁判所に民事再生法の適用を申請し<ref name="nikkei-mj-2009-5-6" />同日中に民事再生手続開始決定を受て<ref name="hokkaido-np-2009-1-31" />経営破綻した<ref name="mainichi-np-2009-4-30" />際には、店舗全体の[[2009年]](平成21年)1月期で年間売上高が約83.44億円で<ref name="asahi-np-2009-7-19" />従業員1人当たりの年間売上高が4,000万円台で札幌本店の約7,000万円や函館店の約6,000万円よりも大幅に低く、売り場面積1m²当たりの年間売上高が約40万円と札幌本店の約110万円や函館店の約80万円を大幅に下回るなど<ref name="hokkaido-np-2009-1-31" />収益性が低かったため「一般論からいっても存続は不可能」(大手百貨店幹部)とみられていた<ref name="mainichi-np-2009-4-19-3">{{Cite news | title = 丸井今井:高島屋支援 地方3店存続へ道 函館・旭川・室蘭、地域の打撃最小に | newspaper = [[毎日新聞]] | publisher = 毎日新聞社 | date = 2009-4-19 }}</ref>ほど低迷していた<ref name="hokkaido-np-2009-7-21" />。 |
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「店舗の存続を基本に再建策をまとめ」<ref name="hokkaido-np-2009-4-17" />当店の存続を盛り込んだ案を提出した高島屋が<ref name="mainichi-np-2009-4-19" />再建支援企業に選ばれる方向で<ref name="mainichi-np-2009-4-19-2" />最終調整に入ったと報じられた<ref name="mainichi-np-2009-4-19" />ため存続の期待がもたれていたが、不動産や営業権の譲渡を受けて新会社を設立する際の資金提供額で三越伊勢丹ホールディングスが上回っていたためその資金で返済を受ける主力銀行の北海道銀行など大口債権者の同意の取り付けなどの調整が難航して<ref name="mainichi-np-2009-4-30" />4月30日に開かれた臨時取締役会で事業譲渡額が高島屋を上回って債権者の理解も得られて再建が確実になるとして当店の存続をしない計画を提出していた三越伊勢丹ホールディングスを経営再建の支援企業に選定したと発表されたため閉店することが決まり<ref name="hokkaido-np-2009-5-1" />、[[2009年]](平成21年)7月20日に閉店し<ref name="hokkaido-np-2009-7-21" />、個人得意客や企業向けの外商部門として営業所の設置もされなかった<ref name="hokkaido-np-2009-5-13" />ため、112年の歴史<ref name="hokkaido-np-2009-7-21" />に完全に終止符を打つ形となった。 |
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当店の閉店と同日に付属の店舗だった旭川空港店も閉店し、西武百貨店旭川空港店が代わりに出店している。 |
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閉店後[[2010年]](平成22年)12月に土地と建物は極東証券に売却されて[[2011年]](平成23年)6月24日にフィール旭川として5フロアに合計約1,000坪の売場を構えるジュンク堂書店や2フロアに化粧品と医薬品の売場を構えるドラッグストアセイジョーを含む女性向け衣料品店を中心とするテナント58店舗を集めて地上9階地下1階のうち地下1階から地上5階までを先行して開業させ<ref name="asahikawa-np-2011-6-28">{{Cite news | title = フィール旭川オープン 開店前500人の列 | newspaper = [[あさひかわ新聞]] | publisher = 北のまち新聞 | date = 2011-6-28 }}</ref>、その後も丸善の文具店を含む約40店を追加で入居させて<ref name="hokkaido-np-2011-7-24">{{Cite news | title = フィール、開業から1カ月 旭川 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2011-7-24 }}</ref>同年9月に6-7階に<ref name="asahikawa-np-2011-6-28" />屋内遊戯場「もりもりパーク」<ref name="asahi-np-2012-2-20" />やシニア大学といった旭川市の施設<ref name="asahikawa-np-2011-6-28" />、8-9階にコールセンターが入居する<ref name="asahikawa-np-2011-6-28" />複合施設として開業した<ref name="asahi-np-2012-2-20" />。 |
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=== 苫小牧店 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = |
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|文字色 = |
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|名称 = 丸井今井苫小牧店 |
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|画像 = |
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|画像説明 = |
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|画像サイズ = 250px |
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|正式名称 = |
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|運営母体 = |
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|施設所有者 = |
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|前身 = |
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|後身 = [[ゼウスシティ]] |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= 13,695<ref name="tomakomai-minpo-2005-6-25" /><ref name="national-land-developping-base-2000-6-9">{{Cite report |year=2000 |mounth=6 |title=国土審議会調査改革部会 第4回国際連携・持続的発展基盤小委員会配付資料 人口減少下での活力ある地域社会と二層の広域圏形成に資する国土基盤の現状と課題(資料編) |publisher=[[国土審議会]]調査改革部会 }}</ref> |
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|延床面積= |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1995年]](平成7年)9月<ref name="tomakomai-minpo-2005-6-25" /> |
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|閉店日= [[2005年]](平成17年)10月23日<ref name="hokkaido-np-2005-10-24" /> |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[苫小牧駅]]<ref name="tomakomai-minpo-2005-6-25" /> |
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|最寄IC = |
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|所在地郵便番号= |
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|所在地 = [[北海道]][[苫小牧市]]柳町<ref name="tomakomai-minpo-2005-6-25" /> |
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| 地図国コード = JP |
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|外部リンク = |
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|グループ = |
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[[1993年]](平成5年)に設立した丸井都市開発に店舗ビルを建設させて<ref name="hokkaido-np-2007-1-23" />[[1995年]](平成7年)9月に開店<ref name="tomakomai-minpo-2005-6-25" />。 |
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苫小牧駅ビルと連絡通路で結んで直結させた5階建の店舗と立体駐車場が駅東側に並ぶ構造となっていた<ref name="tomakomai-minpo-2005-6-25" />。 |
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開店当時の苫小牧駅周辺は長崎屋やダイエー、イトーヨーカドー、サンプラザなどが集まる商業の集積地で<ref name="tomakomai-minpo-2005-6-25" />、[[2000年]](平成12年)4月に競合していた地場資本の百貨店[[鶴丸 (百貨店)|鶴丸]]が旧店舗を閉鎖して<ref name="tomakomai-minpo-2007-1-17">{{Cite news | title = 鶴丸百貨店跡地から温泉 | newspaper = [[苫小牧民報]] | publisher = 苫小牧民報社 | date = 2007-1-17 }}</ref>ショッピングセンタービッグジョイの核店舗として移転縮小した後[[2002年]](平成14年)10月31日にその店舗も閉店した<ref name="tomakomai-minpo-2002-12-30">{{Cite news | title = 2002 この1年 地域の岐路(15)鶴丸百貨店閉店 | newspaper = [[苫小牧民報]] | publisher = 苫小牧民報社 | date = 2002-12-30 }}</ref>後は市内唯一の百貨店して営業していた<ref name="tomakomai-minpo-2005-6-25" />が、[[2005年]](平成17年)4月のイオン苫小牧ショッピングセンター(現・[[イオンモール苫小牧]])開業による中心街空洞化<ref name="tomakomai-minpo-2005-6-25" />による店舗の立地環境悪化<ref name="hokkaido-np-2005-4-24" />もあり、再建計画の一環として[[2005年]](平成17年)10月23日に閉店して<ref name="hokkaido-np-2005-10-24" />わずか10年<ref name="tomakomai-minpo-2005-6-25" />ほどの歴史に終止符を打った。 |
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閉店後個人得意客や企業向けの外商部門として営業所が設置されたが、[[2009年]](平成21年)7月20日に廃止して撤退した<ref name="hokkaido-np-2009-6-12" />。 |
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店舗跡は閉店後に土地・建物は[[みずほ信託銀行]]不動産[[カストディ]]部の[[信託]]による[[合同会社]]ビックランドプロパティ1が取得して札幌市の不動産会社ゼウスの管理・運営するゼウス・シティ(ZEUS CITY)が[[2006年]](平成18年)11月23日に開店したが<ref name="hokkaido-np-2008-3-13">{{Cite news | title = 苫小牧ゼウス来月閉店 管理会社「後継決定済み」 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2008-3-13 }}</ref>、約150店を目指したテナントが開業当初でも63店に留まって<ref name="hokkaido-np-2008-3-13" />初年度に140万人以上の来客で売上75億円を目指した目標<ref name="yomiuri-np-2008-5-5">{{Cite news | title = 苫小牧「ゼウス」1年半で撤退 | newspaper = [[読売新聞]] | publisher = 読売新聞社 | date = 2008-5-5 }}</ref>は達成できず<ref name="hokkaido-np-2008-3-13" />、出店したテナントも業績不振で撤退が相次いで[[2008年]](平成20年)3月に約20店まで減少し<ref name="hokkaido-np-2008-3-13" />、[[2008年]](平成20年)4月末に開店からわずか1年5か月で閉店した<ref name="yomiuri-np-2008-5-5" />。 |
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その後空き店舗となっていて、[[2011年]](平成23年)12月に札幌市のジェイシーシーがデータセンターの開設計画を打ち出して合同会社ビックランドプロパティ1と売買契約を結んだが着手金や残金を[[2012年]](平成24年)2月になっても支払えなかったため、ビックランド側が契約を破棄し、同年3月30日付で苫小牧市内の道央佐藤病院グループの社会福祉法人ふれんどが底地と立体駐車場の所有権を取得している<ref name="tomakomai-minpo-2012-4-6">{{Cite news | title = 苫小牧の社会福祉法人ふれんどが旧ゼウス土地取得 | newspaper = [[苫小牧民報]] | publisher = 苫小牧民報社 | date = 2012-4-6 }}</ref>。 |
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=== 釧路店 === |
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{{商業施設 |
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|社色 = |
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|文字色 = |
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|名称 = 丸井今井釧路店 |
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|画像 = |
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|画像説明 = |
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|画像サイズ = 250px |
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|正式名称 = |
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|運営母体 = |
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|施設所有者 = 丸三鶴屋<ref name="hokkaido-np-2006-12-15" /> |
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|前身 = 丸三鶴屋<ref name="nissyoku-1996-7-12" /><br>丸三越後屋呉服店<ref name="kushiro-history-list-2006" /> |
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|後身 = |
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|敷地面積= |
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|商業施設面積= 16,429<ref name="national-land-developping-base-2000-6-9" /> |
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|延床面積= |
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|店舗数 = |
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|駐車場数 = |
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|商圏人口 = |
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|開業日 = [[1995年]](平成7年)10月4日<ref name="kushiro-history-list-2006" /> |
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|閉店日= [[2006年]](平成18年)8月20日<ref name="kushiro-np-2006-8-21" /> |
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|営業時間 = |
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|最寄駅 = [[釧路駅]]<ref name="nikkei-2006-1-30">{{Cite news | title = 釧路中心街、閉店・移転相次ぐ | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2006-1-30 }}</ref> |
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|最寄IC = |
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|所在地郵便番号= |
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|所在地 = [[北海道]][[釧路市]]末広町4丁目<ref name="kushiro-np-2006-5-15">{{Cite news | title = 釧路商工会議所、丸井今井撤退対策で資金要請 | newspaper = [[釧路新聞]] | publisher = 釧路新聞社 | date = 2006-5-15 }}</ref>2番地1 |
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| 地図国コード = JP |
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|外部リンク = |
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|グループ = |
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[[1996年]](平成8年)7月8日に<ref name="kushiro-history-list-2006" />業績不振に陥っていた釧路市の地場資本の百貨店[[丸三鶴屋]]の株式の大半を取得して買収して10月4日<ref name="kushiro-history-list-2006" />に当社初の道東地区の百貨店として開店した<ref name="nissyoku-1996-7-12" />。 |
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開店当初はJR釧路駅から延びる北大通<ref name="nikkei-2006-1-30" />に面した大通館と新館の2館体制で営業して<ref name="kushiro-np-2004-4-24">{{Cite news | title = 大通館は売却か賃貸 | newspaper = [[釧路新聞]] | publisher = 釧路新聞社 | date = 2004-4-24 }}</ref>そのかいわいの中核商業施設として<ref name="kushiro-np-2005-4-26">{{Cite news | title = 丸井今井釧路店の閉店説で波紋 | newspaper = [[釧路新聞]] | publisher = 釧路新聞社 | date = 2005-4-26 }}</ref>年間売上83億円前後を上げていたものの、その後[[2000年]](平成12年)9月23日に開業したイオン釧路昭和ショッピングセンター(現・[[イオンモール釧路昭和]])<ref name="kushiro-history-list-2006" />や同年11月30日に増床した釧路サティとその店内へのシネコンの開業<ref name="kushiro-history-list-2006" />などの郊外の大型店に顧客を奪われる<ref name="nikkei-2005-12-21">{{Cite news | title = 釧路中心市街地、閉店・移転相次ぐ | newspaper = [[日本経済新聞]] | publisher = 日本経済新聞社 | date = 2005-12-21 }}</ref>一方で、中心市街地では[[2000年]](平成12年)2月29日に地場資本の百貨店だった[[丸ト北村]]が閉店し<ref name="kushiro-history-list-2006" />、[[2001年]](平成13年)4月8日にスガイビル内の映画館3軒が閉館して映画館が消え<ref name="kushiro-history-list-2006" />、[[2002年]](平成14年)2月11日に長崎屋釧路店が閉店する<ref name="kushiro-history-list-2006" />など集客施設の閉鎖が相次ぎ、北大通の空き店舗数が[[2004年]](平成16年)に全店舗の14.7%の40に達する<ref name="nikkei-2006-1-30" />など周辺の集客力が落ちた影響も受けて売上が減少し、[[2004年]](平成16年)8月30日<ref name="kushiro-history-list-2006" />に効率化のために釧路店大通館を閉鎖して釧路店の売場を1館体制へ集約を図る<ref name="kushiro-np-2004-8-13" />など経営の合理化に取り組んだり、釧路市が当店に隣接する立体駐車場を建設する<ref name="hokkaido-np-2003-1-24">{{Cite news | title = 地中から謎の巨木 釧路市中心部の工事現場 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2003-1-24 }}</ref>などの対策が採られたが、50億円台に落ち込んで不採算店となっていたため<ref name="kushiro-np-2006-2-16">{{Cite news | title = 丸井今井釧路店8月20日に閉店決定 | newspaper = [[釧路新聞]] | publisher = 釧路新聞社 | date = 2006-2-16 }}</ref>、[[2006年]](平成18年)8月20日に閉店した<ref name="kushiro-np-2006-8-21" />。 |
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閉店後は釧路営業所を開設して外商営業活動は継続された<ref name="depart-news-2006-2-22">{{Cite news | title = 北海道丸井今井、釧路店8月20日閉店 | newspaper = [[週刊デパートニューズ]] | publisher = [[ストアーズ社]] | date = 2006-2-22 }}</ref>が、[[2009年]](平成21年)7月20日に廃止して撤退した<ref name="hokkaido-np-2009-6-12" />。 |
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[[2005年]](平成17年)5月に再建計画の一環として当店の閉店計画が浮上した際には釧路市が営業存続を条件に当店が面する市道パステルタウンのアーケード化を行う存続支援策を丸井今井本社に提示し<ref name="kushiro-np-2005-5-19">{{Cite news | title = 丸井今井支援でアーケード化着手へ | newspaper = [[釧路新聞]] | publisher = 釧路新聞社 | date = 2005-5-19 }}</ref>、釧路市職員や地元企業の社員・その家族への丸井今井クレオカード加入呼び掛けも開始する<ref name="kushiro-np-2005-5-19" />など、行政、地元企業ともに全面支援の方向性を打ち出し、釧路商工会議所も地元女性グループが立ち上げを準備している団体への支援協力を行うなど、オール釧路体制で存続支援に取り組むことを決定する<ref name="kushiro-np-2005-5-12">{{Cite news | title = 釧商、丸井今井存続支援に取り組む | newspaper = [[釧路新聞]] | publisher = 釧路新聞社 | date = 2005-5-12 }}</ref>などの存続に向けた支援体制がとられたが、売上はさらに減ってしまうなどして再建は実らなかった。 |
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そして当店の閉店が盛り込まれた再建計画の発表後からは、閉鎖に伴う人通りの減少を見込んで早めに店舗の縮小や移転、店自体の廃業を行う動きが広がって、中心部の衰退は一段と深刻化した<ref name="nikkei-2006-1-30" />。当店閉店と同時期の[[くしろデパート]]閉店により、釧路市周辺に百貨店がなくなったため、[[帯広市]]の百貨店[[藤丸]]まで買い物に出かける釧路市民が増加し<ref name="hokkaido-news-2008-3-2">{{Cite news | title = 帯広の百貨店・藤丸 釧路から無料送迎バス初運行 予想の3倍350人利用 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2008-3-2 }}</ref>、[[2008年]](平成20年)3月1日に初めて藤丸が釧路から店舗まで送迎する当時全国的にも珍しかった'''買い物ツアーバス'''という長距離の送迎バスを運行したところ<ref name="hokkaido-news-2008-3-2" />、100人の予定を大幅に上回るほど申込みが殺到して急遽バスを10台に増やして350人を送迎するほどの人気を集め<ref name="hokkaido-news-2008-3-2" />、その後も定期的に運行されるようになるなど、釧路から需要が流出する状況が生まれ、これに対する非難の声も多くなっている。 |
|||
なお、店舗跡は閉店後の[[2006年]](平成18年)10月24日に札幌市の不動産会社ノースキャピタルもに売却されて札幌市のコンサルタント会社アラが管理・運営する複合型商業施設「kute(キュート)」として開業する計画が進められた<ref name="kushiro-np-2006-10-25">{{Cite news | title = 丸井今井釧路店跡に複合型商業施設 | newspaper = [[釧路新聞]] | publisher = 釧路新聞社 | date = 2006-10-25 }}</ref>が、老朽化や狭隘化などによって核テナントが決まらないため、数度にわたって<ref name="hokkaido-np-2009-1-31" />開店が先送りされ<ref name="hokkaido-np-2009-2-21">{{Cite news | title = 旧丸井釧路店を差し押さえ 釧路支庁 | newspaper = [[北海道新聞]] | publisher = 北海道新聞社 | date = 2009-2-21 }}</ref>、[[2007年]](平成19年)8月に北海道[[釧路支庁]]と釧路市がそれぞれ税の滞納で差し押さえられた<ref name="kushiro-np-2009-2-21">{{Cite news | title = 釧路店建物差し押さえ、旧丸井今井 | newspaper = [[釧路新聞]] | publisher = 釧路新聞社 | date = 2009-2-21 }}</ref>。 |
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この影響から、[[2008年]](平成20年)2月に札幌市の建築コンサルティング会社リフレックスが取得して<ref name="kushiro-np-2009-2-21" />「kute」の名称を使わない形でのショッピングモールを計画して[[2009年]](平成21年)春の開業を目指した<ref name="hokkaido-np-2009-2-21" />が、やはり老朽化や狭隘化などによって核テナントが決まらず、[[2009年]](平成21年)2月13日にはリフレックスも不動産取得税数千万円を滞納して、北海道釧路支庁から土地と建物を差し押さえられた<ref name="hokkaido-np-2009-2-21" />。リフレックスはその後音信不通になるなど、混乱が続いたため、閉店から一度も再開されずに放置されている<ref name="zaikai-sapporo-2012-1">{{Cite journal | title = 旧丸井今井釧路店 4年放置の果て、地下フロア水没の噂 | journal = 財界さっぽろ 2012年1月号 | publisher = 財界さっぽろ | issue = 2012-1}}</ref>。 |
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また、大通館は閉館した[[2004年]](平成16年)に、東京に本社を置く不動産会社サンセイランディックに売却されたが、老朽化や狭隘化などもあって核テナントが決まらないなどの諸事情から、翌年[[2005年]](平成17年)1月に早くも札幌の企業に転売された<ref name="kushiro-np-2005-6-1">{{Cite news | title = 丸井今井釧路店の大通館(旧丸三鶴屋 旧本館)が転売に | newspaper = [[釧路新聞]] | publisher = 釧路新聞社 | date = 2005-6-1 }}</ref>。 |
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当店の土地・建物などを所有していた丸三鶴屋は店舗跡地の売却が終了した直後の[[2006年]](平成18年)12月19日に[[釧路地方裁判所]]へ特別清算の適用申請を行っている<ref name="hokkaido-np-2006-12-15" />。 |
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=== 滝川支店 === |
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[[1890年]](明治23年)に開設した<ref name="pr-takikawa-2009-9" />今井呉服店の初の地方支店で、[[1900年]](明治33年)に丸井今井滝川支店音楽隊を結成する<ref name="pr-takikawa-2012-2">{{Cite journal | title = 特集音楽のある風景 | journal = 広報たきかわ 2009年9月号 | publisher = 滝川市 | issue = 2012-2}}</ref>など営業活動以外にも展開していたが、[[1910年]](明治43年)に山田呉服・金物店に譲渡して撤退した<ref name="pr-takikawa-2009-9" />。 |
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その後[[1934年]](昭和9年)に山田呉服・金物店の金物部が合名会社中川金物店となり<ref name="pr-takikawa-2009-9" />、[[1957年]](昭和32年)に店舗全体を同店のオーナーの中川正が買収して店舗拡張を行い<ref name="pr-takikawa-2009-9" />、[[1967年]](昭和42年)に株式会社中川かなものに改組されて現在も同社が使用している<ref name="pr-takikawa-2009-9" />。 |
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=== 三条店 === |
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{{建築物 |
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|名称 = 丸井今井邸 |
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|旧名称 = |
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|画像= |
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|用途 = |
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|旧用途 = |
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|設計者 = |
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|構造設計者 = |
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|施工 = |
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|建築主 = |
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|事業主体 = 三条市<ref name="marui-imai-house">{{Cite web|url=http://www.dentoubunka-kodomo.jp/examples/016/koushinetu/niigat01_01.html |title=伝統文化こども教室-事例集 新潟県三条市 子ども百人一首教室「三条市丸井今井邸保存会 |publisher=公益財団法人[[伝統文化活性化国民協会]] |accessdate=2012-6-18 }}</ref> |
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|管理運営 = 丸井今井邸保存会<ref name="marui-imai-house" /> |
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|構造形式 = [[木造]]<ref name="marui-imai-house" /> |
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|敷地面積 = 585m²<ref name="marui-imai-house" /> |
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|建築面積 = |
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|延床面積 = 251m²<ref name="marui-imai-house" /> |
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|階数 = 地上2階<ref name="marui-imai-house" /> |
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|高さ = |
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|着工 = |
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|竣工 = |
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|開館開所 = |
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|改築 = |
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|所在地郵便番号 = |
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|所在地=[[新潟県]][[三条市]]<ref name="marui-imai-house" /> |
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|電話 = |
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|文化財指定 = |
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|指定日 = |
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|備考 = |
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明治の終わりごろに創業者今井藤七が出身地の新潟県三条(現在の三条市)に今井家の離れ座敷として建設し<ref name="marui-imai-house" />、後に三条店として地場物産の仕入れ拠点や地元新潟県採用の社員育成の教育機関として使用されていた<ref name="marui-imai-house" />。 |
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4代目社長今井春雄の時代の拡大路線の失敗を受けて、同氏を解任して始まった経営再建の一環として[[2000年]](平成12年)春に撤退して売却するとの報道が流れたため<ref name="marui-imai-house" />、三条市内の有志らが集まって「保存市民の集い」を設立して募金活動を展開してその募金の寄付を受けて三条市が当社より譲渡を受け、[[2002年]](平成14年)4月に三条市の保存条例により丸井今井邸保存会が市の委託を受けて管理運営する'''丸井今井邸'''として地域文化や教育活動に使われる市民のための公共文化施設となっている<ref name="marui-imai-house" />。 |
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[[2006年]](平成18年)6月22日に隣接する精肉店工場から出火、延焼し邸宅の一部が焼けたが、[[2007年]](平成19年)初頭までに改修を終え、活用を再開している。 |
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また、創業者出身地としての縁から[[2004年]](平成16年)7月13日に発生した[[平成16年7月新潟・福島豪雨|新潟・福島豪雨(7・13水害)]]では、丸井今井から三条市に対し義援金を寄付した。 |
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== 呉服店時代の丸井今井出身者が独立し創業した百貨店 == |
== 呉服店時代の丸井今井出身者が独立し創業した百貨店 == |
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* 旧[[丸三鶴屋]](後に丸井今井釧路店となったが廃業) |
* 旧[[丸三鶴屋]](後に丸井今井釧路店となったが廃業) |
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* 旧[[鶴丸 (百貨店) |
* 旧[[鶴丸 (百貨店)]] |
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* 旧[[丸丹おかむら]] |
* 旧[[丸丹おかむら]] |
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* [[丸い伊藤商店|まるいいとう]] |
* [[丸い伊藤商店|まるいいとう]] |
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* [[藤丸]] |
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百貨店としては、藤丸のみ現存。 |
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== 株式会社丸井との関係 == |
== 株式会社丸井との関係 == |
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== その他 == |
== その他 == |
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* [[クレジットカード]]は[[ジャックス (信販)|ジャックス]]と提携していた「クレオクラブカード」を発行していた(クレジットカードの他に現金専用の「クレオクラブ・Sカード」もあった)が、三越伊勢丹ホールディングスの傘下となってからは短期間であるが[[エムアイカード]]と提携した「クレオクラブ・アイカード」を発行し、[[2010年]](平成22年 |
* [[クレジットカード]]は[[ジャックス (信販)|ジャックス]]と提携していた「クレオクラブカード」を発行していた<ref name="hokkaido-np-2003-2-25" />(クレジットカードの他に現金専用の「クレオクラブ・Sカード」もあった)が、三越伊勢丹ホールディングスの傘下となってからは短期間であるが[[エムアイカード]]と提携した「クレオクラブ・アイカード」を発行し<ref name="monthly-commerce-sapporo-2011-6" />、[[2010年]](平成22年)10月より札幌三越共々「[[エムアイカード|MICARD]]」に一本化された<ref name="monthly-commerce-sapporo-2011-6" />。<ref>[http://www.marui-imai.co.jp/micard/mi_guide/information.html/ 新カード「MICARD(エムアイカード)」と「クレオクラブ・Sカード」終了のご案内]</ref>。 |
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* サッカーでは[[コンサドーレ札幌]]を応援しており、縦縞模様のユニフォームデザインをモチーフにしたクレオクラブカードを発行していた。また、プロ野球では、かつては[[読売ジャイアンツ]]を応援していたが、現在は[[北海道日本ハムファイターズ]]を応援している。 |
* サッカーでは[[コンサドーレ札幌]]を応援しており、縦縞模様のユニフォームデザインをモチーフにしたクレオクラブカードを発行していた。また、プロ野球では、かつては[[読売ジャイアンツ]]を応援していたが、現在は[[北海道日本ハムファイターズ]]を応援している。 |
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== 参考文献 == |
== 参考文献 == |
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* [[北海道新聞]]取材班 『実録・老舗百貨店凋落 - 流通業界再編の光と影』 講談社、[[2006年]]、ISBN 4062753308 |
* [[北海道新聞]]取材班 『実録・老舗百貨店凋落 - 流通業界再編の光と影』 講談社、[[2006年]](平成18年)、ISBN 4062753308 |
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* 丸井今井編 『丸井今井九十年史』 丸井今井、[[1962年]] |
* 丸井今井編 『丸井今井九十年史』 丸井今井、[[1962年]](昭和37年) |
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* 丸井今井編 『丸井今井百年のあゆみ』 丸井今井、[[1973年]] |
* 丸井今井編 『丸井今井百年のあゆみ』 丸井今井、[[1973年]](昭和48年) |
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* 丸井今井百二十年史編纂委員会編 『株式会社丸井今井創業百二十年史』 丸井今井、[[1992年]] |
* 丸井今井百二十年史編纂委員会編 『株式会社丸井今井創業百二十年史』 丸井今井、[[1992年]](平成4年) |
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== 脚注・出典 == |
== 脚注・出典 == |
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290行目: | 725行目: | ||
== 外部リンク == |
== 外部リンク == |
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* [http://www.marui-mitsukoshi.co.jp/ 札幌本店] |
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* [http://www.marui-imai.jp/hakodate/h_top/index.html/ 函館店] |
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* [http://www.ginzado.ne.jp/~imai/ 三条市丸井今井邸] |
* [http://www.ginzado.ne.jp/~imai/ 三条市丸井今井邸] |
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{{日本の大手百貨店}} |
{{日本の大手百貨店}} |
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{{company-stub}} |
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{{DEFAULTSORT:まるいいまい}} |
{{DEFAULTSORT:まるいいまい}} |
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{{company-stub}} |
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[[Category:日本の百貨店]] |
[[Category:日本の百貨店]] |
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[[Category:全日本デパートメントストアーズ開発機構]] |
[[Category:全日本デパートメントストアーズ開発機構]] |
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[[Category:北海道の商業施設]] |
[[Category:北海道の商業施設]] |
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[[Category:かつて存在した北海道の企業]] |
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[[Category:中央区 (札幌市)]] |
[[Category:中央区 (札幌市)]] |
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[[Category:函館市]] |
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[[Category:三条市|廃まるいいまい]] |
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[[Category:旭川市の歴史]] |
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[[Category:釧路市の歴史]] |
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[[Category:苫小牧市の歴史]] |
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[[Category:小樽市の歴史]] |
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[[Category:滝川市|廃まるいいまい]] |
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[[Category:三越伊勢丹ホールディングス]] |
[[Category:三越伊勢丹ホールディングス]] |
2012年11月9日 (金) 23:25時点における版
種類 | 株式会社 |
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業種 | 小売業 |
主要株主 | 三越伊勢丹ホールディングス(100%) |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
特記事項:札幌丸井三越の項を参照 |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
略称 | まるい |
本社所在地 |
日本 〒040-0011 北海道函館市本町32-15 |
設立 | 2009年(平成21年)5月29日 |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店業 |
代表者 | 代表取締役社長兼店長 岡崎福美(北海道銀行出身) |
資本金 | 5千万円 |
従業員数 | 170名 |
主要株主 | 三越伊勢丹ホールディングス(100%) |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
略称 | まるい |
本社所在地 |
日本 〒060-0061 北海道札幌市中央区南1条西2丁目 |
設立 | 2009年(平成21年)5月29日 |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店業 |
資本金 | 1億円 |
従業員数 | 711名(うち、有期雇用社員429名) |
主要株主 | 三越伊勢丹ホールディングス(100%) |
外部リンク | http://www.marui-imai.co.jp/ |
特記事項:2011年(平成23年)3月31日までの陣容。現在は株式会社札幌丸井三越を参照。 |
種類 | 株式会社 |
---|---|
略称 | まるい |
本社所在地 |
日本 〒060-8667 北海道札幌市中央区南1条西2丁目11番地 |
設立 |
1920年(大正9年)2月 (株式会社今井商店) (創業:1872年(明治5年)) |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 主要事業なし |
代表者 | 國方 克彦(代表取締役社長) |
資本金 | 50億4,674万4千円 |
発行済株式総数 |
普通株式:986万株 第一回種類株式:430万3,744株 第二回種類株式:25万株 |
売上高 | 9億7,259万3千円(2010年1月期) |
営業利益 | 7,206万9千円(2010年(平成22年)1月期) |
純利益 | △4,999万6千円(2010年(平成22年)1月期) |
純資産 |
△18億6,529万4千円 (2010年(平成22年)1月31日現在) |
総資産 |
28億2,930万5千円 (2010年(平成22年)1月31日現在) |
従業員数 | 1名(2010年(平成22年)1月31日現在) |
決算期 | 1月31日 |
主要株主 |
みずほ信託銀行(株) 8.8% (有)エヌ・エル・シー 7.3% (株)整理回収機構 5.2% (2011年(平成23年)1月31日現在) |
外部リンク | http://www.marui-imai.co.jp/ |
特記事項:(旧)株式会社丸井今井。2010年(平成22年)12月15日特別清算。 |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 | 非上場 |
略称 | まるい |
本社所在地 |
日本 札幌市中央区南1条西2丁目 |
設立 | 2005年(平成17年)11月1日 |
業種 | 小売業 |
事業内容 | 百貨店業 |
代表者 |
代表取締役(非常勤)畑中幸一 (2009年(平成21年)7月31日現在) |
資本金 |
20億1000万0千円 (2009年(平成21年)1月31日現在) |
発行済株式総数 |
普通株式3814万0000株 優先株式500万株 (2009年(平成21年)1月31日現在) |
売上高 |
382億1289万4千円 (2009年(平成21年)1月期) |
営業利益 |
△6億4561万8千円 (2009年(平成21年)1月期) |
純利益 |
△11億4511万4千円 (2009年(平成21年)1月期) |
純資産 |
△6億6026万6千円 (2009年(平成21年)1月31日現在) |
総資産 |
489億0520万4千円 (2009年(平成21年)1月31日現在) |
決算期 | 1月31日 |
主要株主 |
有限会社エイチ・アール・エフ 65.5% 北海道丸井今井株式会社 21.3% 株式会社伊勢丹 13.1% (2009年6月29日現在) |
外部リンク | http://www.marui-imai.co.jp/ |
特記事項:旧株式会社丸井今井から会社分割で設立。民事再生手続き中。事業譲渡により、現在は運営店舗はなし。 |
丸井今井(まるいいまい、英称:Marui-Imai)は、北海道内にある日本の百貨店である。
現在は三越伊勢丹ホールディングスが2店舗を以下の完全子会社2社に分けて運営している。
- 「丸井今井札幌本店」(株式会社札幌丸井三越)
- 「丸井今井函館店」(株式会社函館丸井今井)
歴史・概要
創業から第2次世界大戦前まで
1872年(明治5年)4月に新潟県三条町(現在の三条市)出身の今井藤七が同郷の高井平吉と共同で札幌の創成橋(現在の札幌市中央区南1条西1丁目)の近くの[1]創成川河畔にあった[2]茅葺きの家屋の一角にむしろ敷きの屋台の様な店舗で[1]小間物店[2]今井商店を開業した[3]のが始まりである。
低価格と誠実さ・勤勉さが評判となって開業前に仕入れた商品を2ヶ月で売り切るほど繁盛し[1]、2年後の1874年(明治7年)には店舗を新築・移転して丸井今井呉服店を開店した[1]。
当初は創業前まで今井藤七が在住していた函館[1]と頻繁に往復して仕入れていた[2]が、この形態では東京と函館の問屋を二重に経由して割高となるため1891年(明治24年)に東京に仕入店を開設する[4]など東京の問屋から直接仕入れに早くから切り替え[1]、開拓途上の北海道にできるだけ豊富で低価格に物資を供給して移住者の生活安定に寄与しようとし[1]、1879年(明治12年)からは正札販売を開始した[1]。
こうした営業姿勢が評判を呼んでこの頃から尊敬と親しみを込めてまるいさんと敬称をつけて呼ばれるようになったといわれる[1]。
1888年(明治21年)には今井洋装店を開業して洋服などの販売に乗り出した[1]ほか、
1890年(明治23年)に滝川支店を開設した[5]のを皮切りに道内各地に支店展開を始め、1891年(明治24年)[6]10月に[4]小樽の色内に丸井今井呉服店小樽支店[7]、同年11月に室蘭市中央町に丸井今井呉服店室蘭支店[8]、1892年(明治25年)4月25日には当時の函館の繁華街末広町の南部坂下の一角にあった函館第一の呉服店山丸二菊池呉服店を買収し今井藤七の末弟今井良七に任せて函館丸井今井呉服店[1]、1897年(明治30年)[9]10月[4]には丸井今井呉服店旭川支店[9]など函館から旭川にいたる道南から道央まで広がる店舗網を構築した。
そして1916年(大正5年)には札幌大火からの復興の際にレンガおよび石造3階建の店舗を新築したのを機会に札幌本店を百貨店として営業を開始した[3]。
1898年(明治31年)1月に合名会社今井商店として法人化し[4]、1919年(大正8年)2月[10]には株式会社今井商店に改組して[4]株式会社化し[11]、1923年(大正12年)には函館の末広町に3階建で玄関に大理石柱がある店舗を建設して函館支店の百貨店営業を開始した[12]ほか、同年には小樽支店を色内から稲穂第一大通り(現在の小樽サンモール一番街)に移転する[7]と同時に百貨店としての営業を開始する[13]同年には旭川支店も百貨店としての営業を開始する[13]など支店の百貨店化を開始し、室蘭支店も昭和に入ってから百貨店する[8]など各支店の百貨店化を進め、第2次世界大戦前から道内各地に店舗を展開する百貨店網を構築した。
この間の1924年(大正13年)に失火により札幌本店が全焼したため直ぐに再建に取り掛かり[1]、1926年(大正15年)に総4階一部5階建てので北海道では初の客用エレベータを備えた札幌本店を新築して復興し[1]、1930年(昭和5年)11月2日に函館支店を5階建てに増築して開業した際には客用と貨物用のエレベーターや催事場や屋上サンルームなどの施設も導入し[12]、1934年(昭和9年)に函館大火により函館支店焼失がした際にも鉄筋コンクリート構造地下1階地上5階建で塔屋2階建として復興させる[3]など早くから近代的な施設の整備を進めた。
第2次世界大戦後の増床や店舗網の再構築
第2次世界大戦後の1950年(昭和25年)9月に株式会社丸井今井に商号変更を行って[4]百貨店名と同一とし、その後各店舗の増改築などを行って1965年(昭和40年)時点で札幌本店が15,491m²で道内最大の売場面積となっていたほか、旭川支店(4,411m²)、小樽支店(4,318m²)も各々の地区で最大の最大の売場面積となるなど積極的な営業戦略を採った。
同年には札幌本店が売場面積15,491m²で売上高83.6億円を上げて同じ地場資本の五番館の47.9億円(売場面積9,864m²)や東京資本の三越札幌店の45.6億円(売場面積9,554m²)を大きく上回って北海道で最大の売上を上げる地域一番店となったほか、旭川支店も売場面積4,411m²で売上高16.0億円を上げて地場資本の丸勝松村百貨店の8.5億円(売場面積3,500m²)を大きく上回って地域一番店となるなど複数の地域一番店を持ち、その他にも函館支店が売場面積4,979m²で売上高15.0億円を上げて地場資本の棒二森屋の26.9億円(売場面積6,513m²)に次ぎ、小樽支店が売場面積4,318m²で売上高13.5億円を上げて地場資本のニューギンザ百貨店の14.1億円(売場面積2,823m²)を下回ったものの地場資本の大国屋の13.5億円(売場面積3,821m²)とほぼ並んで2番手に付け、室蘭支店が売場面積3,385m²で売上高10.4億円で5店合計で売上高128.5億円を上げるまでに成長した[14]。
1969年(昭和44年)10月21日[15]に函館支店を五稜郭地区の本町に移転し[16]、1978年(昭和53年)4月に旭川支店を1条通8丁目に移転させ[17]、1981年(昭和56年)4月に室蘭支店を中島町1丁目に移転させる[8]など繁華街の移動に合せて店舗のスクラップアンドビルドを行ったほか、1974年(昭和49年)9月29日には函館店の増床をし[15]、1975年(昭和50年)[18]9月には札幌本店大通館を開業[4]して大幅な増床をはかり、1990年(平成2年)9月には小樽駅前に進出した大型ショッピングセンターに対抗するため小樽支店を再開発ビル内に拡張移転させる[7][19]など既存の店舗網の強化と再構築に取組み、店舗網の維持拡大を図った。
また、1973年(昭和48年)には子会社丸井マルサを設立して札幌でファッションビル札幌マルサの運営に乗り出し[20]、1991年(平成3年)には小樽店の移転に関連して旧小樽支店跡にできた再開発ビル内にも小樽マルサを開業させる[19]など既存店の周辺の商業集積を高める戦略も同時に展開していた。
なお、1979年(昭和54年)に北見市の老舗百貨店まるいいとうと業務提携して役員の派遣を行ったが、1986年(昭和61年)にきたみ東急百貨店との競合に破れて閉店に追い込まれている[21]。
4代目社長今井春雄の経営多角化
1988年(昭和63年)に4代目社長に今井春雄が就任すると[22]、1989年(平成元年)にクレジット会社を傘下に収めてクレオファイナンスとして顧客向けクレジットカード事業を中心としたノンバンク事業にも乗り出した[23]のを皮切りに1990年(平成2年)に子会社丸井クレオコーポレーションを設立して外車輸入事業[24]、1994年(平成6年)に子会社丸井ディオスを設立して小樽市でペテルブルグミュージアムの運営事業[24]、同年に子会社丸井店舗開発を設立してマルイストアとしてスーパーマーケット事業[25]、更には札幌本店の駐車場ビル丸井パークタワー内でスポーツクラブ事業[26]や関連会社アイ・エム・アイを通じた米国不動産投資[27]と矢継ぎ早に新規事業を展開して急速に多角化を進めた。
また、1994年(平成6年)5月に今井春雄社長の資産管理会社だった千登世開発が取得した札幌市のビルにマルサ2を開業[24]、1992年(平成4年)10月に旭川店を増床[4]、1993年(平成5年)に設立した丸井都市開発に店舗ビルを建設させて[28]1995年(平成7年)9月には苫小牧支店を開店[29]、さらには1996年(平成8年)7月8日に[30]業績不振に陥っていた釧路市の地場資本の百貨店丸三鶴屋の株式の大半を取得して買収して[31]10月4日に釧路支店を開設する[30]などバブル崩壊後の景気低迷が始まって以降も多店化を進めるなど積極的な営業戦略を採り続け、1989年(平成元年)1月期決算で北海道内小売業で初の売上高1000億円を突破した[11]のを1997年(平成9年)1月期決算で売上高1320億円にまで伸ばした[22]。
今井春雄の解任と事業の再構築の始まり
1997年(平成9年)11月に当時のメインバンクだった北海道拓殖銀行が経営破たんすると[32]、それまで今井春雄社長が推進してきた急激な経営多角化により債務が増大してグループの有利子負債が約940億円に膨らみ[32]、不透明な海外不動産投資の失敗で財務体質が悪化していた丸井今井は経営危機に陥り[22]、後継のメインバンクを見つけるのが困難と考えられたため[32]、同年12月16日の緊急役員会で今井春雄を社長から解任して後任に創業家出身ではない専務取締役だった柴田哲治を社長に昇格させて路線転換を図った[32]。
1998年(平成10年)12月に歳末商戦用の決済が集中して資金がショートしかけた際には北海道銀行から30億円の新規融資を引き出して何とか乗り切り、同年10月には同行を含む道内3行によるなど金融機関の協調支援の方向性が固まり、1999年(平成11年)7月には北海道拓殖銀行から債権約354億円を引継いでいた整理回収機構が「倒産すれば北海道経済に甚大な影響を与える」として178億円の債権放棄に同意するなどして金融支援が実現した[32]。
こうした金融支援に加え、1999年(平成11年)にはクレオファイナンスの個人向け優良債権をジャックス(函館)に売却して金融機関への債務弁済に充てたり[23]、2000年(平成12年)の小樽マルサの閉店[19]や2001年(平成13年)2月16日に丸井店舗開発が所有して関連会社のマルイストアが核テナントになっているショッピングセンター2店[33]を含むマルイストア全3店(麻生、円山、真駒内)を札幌東急ストアに譲渡して[34]3月末をまでに閉店してスーパーマーケット事業から撤退する[33]などといった事業再編も行われたため、2002年(平成14年)11月に旧長崎屋札幌店の建物に札幌本店南館を開設する[32]と同時に本店を改装するなどして2003年(平成15年)3月の大丸を核とするJRタワースクエア開業に対抗する前向きの投資を行いながら2003年(平成15年)までに債務が約520億円まで圧縮されて再建がいったん軌道に乗りかけたように思われた[32]。
その後も2004年(平成16年)3月にマルサ2を同業のパルコに売却してその運営から撤退し[24]、2005年(平成17年)2月18日までに丸井店舗開発が札幌地方裁判所に自己破産を申請して破産手続きが開始される[25]など関連事業の再構築が進められた。
また、本業の百貨店でも2004年(平成16年)8月30日[30]に効率化のために釧路店大通館を閉鎖して釧路店の売場を1館体制へ集約を図ったり[35]、人員削減を含むコストダウンを図るなど業績の改善策を講じた[36]。
しかし、大丸進出への対抗時に二十数億円の投資と資金を十分に注ぎ込めず[32]段階的な改装を続け老朽化が目立つ上複数の建物に売場が分散しているため利便性が低い札幌本店[37]は2003年(平成15年)の売上高約639億円をピークに[37]、同年3月にJRタワースクエア内に開業した大丸札幌店がJR札幌駅に隣接した好立地で天井が高く[38]真新しい店舗という優れたハード[37]を武器に開業すると以降は毎年売上が減少する[37]など大きな打撃を受けた[32]ことに加え、同年4月1日にスタートした[36]100億円規模の減損処理や今井春雄社長時代に発行した70億円の社債の償還が重なったため2005年(平成17年)4月に発表した2005年(平成17年)1月期決算で純損益が6億4300万円の赤字に転落する[32]と同時に256億円の実質債務超過に陥り[39]、2度目の経営危機が表面化することになった[32]。
伊勢丹主導による2度目の再建
2度目の経営危機が浮上したため[36]、従来から全日本デパートメントストアーズ開発機構への参加や一部商品の仕入れ・配送を共通化そして人事交流などで友好関係にあった大手百貨店伊勢丹の傘下に入ってその資本とノウハウを取り込み[36]、売上高の約80%を占める札幌本店と函館店と旭川店の基幹3店舗に経営資源を集中させてファッション重視の都市型百貨店としての性格を強めて[40]経営基盤を強化する[36]と同時に札幌本店と函館店と旭川店の存続店を含む中核事業を新会社に引継いで[40]、閉鎖店[40]など地方不採算店や大半のグループ企業などを残して将来清算する旧会社[36]に分ける会社分割方式を採って金融機関にも支援を求めて財務体質を改善[36]、そして札幌本店と函館店と旭川店の基幹3店舗に2008年(平成20年)1月期までの3年間で100億円を投資してそのうち60%を札幌本店に集中させて高級ブランドショップ、食品、紳士などの売り場改装を行って営業力を強化すること[41]などを盛り込んだ再建計画を2005年(平成17年)4月に内々にまとめ[42]、同年6月末に柴田哲治社長が[42]伊勢丹との業務提携合意[32]と共に正式に再建案を発表した[42]。
この再建案に前社長の今井春雄が「再建案にノーと言おう」と丸井今井株主らに書簡を送付した[42]ため、同年9月27日に開かれた臨時株主総会で3分の2以上の賛成を得て承認されたものの議決権総数の2割弱が反対し[43]、反対した株主のうち約100人が同年10月7日までに商法に基づく株式の買い取りを請求を行った[43]が、同年11月に[32]札幌本店と函館店と旭川店の主要三店を新設会社「丸井今井」が継承した[32]。
2006年(平成18年)1月31日に北海道マザーランド・キャピタルを主軸として[39]北海道銀行と北洋銀行などの地元金融機関の支援を受けて35億円の第三者割当増資を行い[22]、同年6月に伊勢丹に第三者割当増資を5億円[32]など再建を進め、残る4店などの不採算部門を分割会社「北海道丸井今井」が引き受けて資産売却を進める[32]会社分割に伴う新体制発足して[32]2010年(平成22年)に売上高を5年間で約10%伸ばして900億円台に乗せるなど業績の改善を目指した[44]2度目の再建がスタートした。
この再建策の一環として2005年(平成17年)10月23日に小樽店と苫小牧店を閉店し[45]、2006年(平成18年)8月20日に釧路店を閉店[46]して百貨店の店舗を4店体制に縮小した。
この際には閉店後の3店舗の個人得意客や企業向けの外商部門として小樽、苫小牧、釧路に営業所を開設してその事業の一部を引継いだ[47]。
また、2005年(平成17年)7月21日までに千登世開発とアイ・エム・アイの2社が各々札幌地方裁判所に自己破産を申請して破産手続きの開始決定を受け[27]、同年10月31日までにクレオファイナンス[23]、2006年(平成18年)1月27日までに丸井クレオコーポレーションと丸井マルサ、丸井ディオスの3社[20]、同年7月19日までに今井醸造[48]同年12月19日までに丸三鶴屋[49]が各々札幌地方裁判所に特別清算を申請するなど不採算事業を手かげていた関連会社の解散手続きが進められ、2006年(平成18年)に丸井パークタワー内に開設していたスポーツクラブをティップネスに売却してその運営から撤退する[26]など関連事業の整理も進められた。
2007年(平成19年)2月に札幌本店の紳士フロアを伊勢丹のノウハウを導入して[32]14年ぶりに全面改装して[50]「マルイメンズ」とする大改装を行い[32]、同年3月には旧マルサの建物に札幌本店大通別館を開設する[50]と共に地下街のオーロラタウン[51]の札幌本店地下入り口向かいに道産品セレクトショップ「きたキッチン」を開店させる[32]など立て続けに大型改装を行ったが[50]、同年10月に札幌本店地下食品売り場を改装してマルイフーズとする[52]など改装を進めたが、当初計画より半年遅れた影響で売り上げが再建計画を下回り[50]、同年11月8日発表した2007年(平成19年)7月中間単独決算で[50]札幌本店が前年同期比2.0%減の約263.37億円[50]、函館店が前年同期比3.4%減の約63.7億円[50]、旭川店が前年同期比4.1%減の約45億円[50]で全社の売上高が前年同期比9.4%減の約394億円[50]、経常利益が前年同期比62.6%減の約1.73億円の減収減益で純損益が約3.42億円の赤字に転落し[50]、その通期決算である2008年(平成20年)1月期決算で売上高は約815.25億円で純損失約43.83億円[11]、その翌期となった6カ月の変則決算の2008年(平成20年)7月期決算でも売上高は対前年比93.6%の約368.82億円で約9.55億円の純損失[39]となって自己資本は5億円未満まで減少し[44]、2009年(平成21年)1月に長年維持してきた札幌での地域一番店の座を大丸札幌店に明け渡して2位に転落する[37]など業績は回復しなかった[53]。
更にリーマンショックの影響などで北海道内でも雇用環境が悪化するなか[54]2008年(平成20年)年秋以降に急激な販売不振から資金繰りが悪化し[53]、同年12月末には約5.52億円の債務超過に陥り[22]、「このまま事態を放置すれば資金繰りがショートする。」として[22]2009年(平成21年)1月29日に札幌地方裁判所に民事再生法の適用を申請し[53]同日中に民事再生手続開始決定を受け[54]経営破綻し[55]、2度目の経営再建も失敗に終わった。
3度目の再建
三越伊勢丹ホールディングスは法的整理に入った後も派遣している伊勢丹幹部を引き揚げず[11]、「システムやカードの導入も進めており、手を引くということにはならない」とし[11]、民事再生法適用申請と同時に丸井今井側からスポンサー就任要請を行った[53]際にも同社も「至急検討に入る」との回答していた[22]が半月近く要請受諾を表明せずにいたため[53]、2009年(平成21年)2月13日に高島屋が文書で当社にスポンサー就任の意向を表明したため[53]、両社の再建案を比較検討する方針へ転換し[53]、大手百貨店同士による争奪戦に発展し[55]、4月15日までに両社が再建案を示して比較して決定することになった[56]。
高島屋は4月2日に札幌市役所を訪問した際に札幌本店の大通館と一条館を一体化する増改築を行う構想を伝えたとされていた[37]ほか、「店舗の存続を基本に再建策をまとめ」高島屋の出資で設立する新会社が[57]事業譲渡を受けて札幌本店に加え函館店と旭川店を存続させると共に別法人が運営する室蘭店も引き継ぐ[58]など全4店舗の再生を目指す[57]案を提出し[58]、全4店舗が存続して雇用確保につながる点が評価され[58]、再建支援企業に選ばれる方向で[59]最終調整に入ったと報じられた[58]が、不動産や営業権の譲渡を受けて新会社を設立する際の資金提供額で高島屋の110億円に対して三越伊勢丹ホールディングスが135億円と上回っていたため[60]その資金で返済を受ける主力銀行の北海道銀行など大口債権者の同意の取り付けなどの調整が難航し[55]、4月30日に開かれた臨時取締役会で事業譲渡額が高島屋を上回って債権者の理解も得られて再建が確実になるとして三越伊勢丹ホールディングスを経営再建の支援企業に選定したと発表し[61]、その発表をした記者会見で高島屋の提示額では一般債権に優先する退職金の支払いさえできず民事再生法の手続きを進められないとの見解を代理人の弁護士が説明し[61]、丸井今井が札幌本店と函館店を経営する体制での営業を7月30日で終了し[62]、翌日31日に丸井今井から札幌丸井今井に札幌本店[63]、函館丸井今井に函館店の事業をそれぞれ譲渡し[63]、8月1日に[51]新会社が札幌本店と函館店を運営する新体制で営業を開始した[51]。
この新体制発足直後の2009年(平成21年)9月中間決算(2カ月の変則)で2社合計の売上高が計画を約8%下回って営業黒字こそ僅かながら確保したものの、登録免許税などの開業経費を賄えず経常損益と純損益が2社共に赤字となり、三越伊勢丹ホールディングスの社長が店舗体制の縮小の可能性に言及するほど厳しい再出発となった[64]。
また、札幌本店は同年1月に大丸札幌店に地域一番店の座を奪われて[37]以降そのまま2位に沈み続け、2009年(平成21年)の年間でも札幌本店の売上高は前年比16.1%減の約436.22億円で大丸札幌店の約504.33億円を大きく下回って地域一番店の座を明け渡すことになった[65]。
函館を中心とした道南地方の景気は道内でもとりわけ厳しいため函館店の経営の先行きについて厳しい見方がされていた[66]が、その後は黒字転換して2012年(平成24年)3月期で売上高が前期比2.3%減の約100.15億円と決算減収は続いているものの最終損益は約2.29億円と前期比14.5%増で売上高営業利益率も3.47%で札幌丸井三越の0.91%を大きく上回るなど厳しい環境下で健闘している[67]。
この再建策の一環として2009年(平成21年)7月20日に旭川店[9]、2010年(平成22年)1月20日に室蘭店が閉店[68]して百貨店の店舗は現在の2店にまで減少した。
また旭川店の閉店と同日の2009年(平成21年)7月20日に以前百貨店の店舗を閉鎖した後の営業を引継ぐ形で設置していた小樽、苫小牧、釧路の3営業所も廃止した[69]。
2010年(平成22年)12月15日に不採算部門を継承した北海道丸井今井は札幌地方裁判所へ特別清算を申請して[70]破産処理に移行している。
2011年(平成23年)4月1日に札幌丸井今井と札幌三越の両社が合併し(存続会社は札幌丸井今井)、株式会社札幌丸井三越となったため、現在札幌本店は同社が経営している[71]。
沿革
(旧)丸井今井 → 北海道丸井今井
- 1872年(明治5年)4月 - 今井藤七が札幌で小間物店を創業[1]
- 1874年(明治7年) - 丸井今井呉服店と称し店舗を新設[1]
- 1879年(明治12年) - 正札販売を開始
- 1890年(明治23年) - 滝川支店を開設[5]
- 1891年(明治24年)
- 1892年(明治25年)4月25日 - 函館支店を十字街近くの末広町に開設[1]
- 1897年(明治30年)[9]10月[4] - 旭川支店を開設[9]
- 1898年(明治31年)1月 - 合名会社今井商店として法人化[4]
- 1916年(大正5年) - レンガおよび石造3階建の店舗を新築したのを機会に札幌本店を百貨店として営業を開始[3]
- 1919年(大正8年)2月[10] - 株式会社に改組[11]
- 1923年(大正12年) - 函館支店の百貨店営業を開始[12]。小樽支店を稲穂第一大通りに移転[7]して同時に百貨店営業を開始[13]。旭川支店の百貨店営業を開始[13]。
- 1924年(大正13年) - 札幌本店を失火により焼失[1]
- 1925年(大正14年)10月24日 - 今井藤七死去[1]
- 1926年(大正15年) - 総4階一部5階建ての札幌本店を新築[1]
- 1934年(昭和9年) - 函館大火により函館支店焼失[3]。
- 1944年(昭和19年) - 2代目・今井雄七死去、今井道雄が3代目社長就任
- 1950年(昭和25年)9月 - 株式会社丸井今井に商号変更[4]
- 1969年(昭和44年)10月21日 - 函館支店、現在の本町へ移転[15]
- 1973年(昭和48年) - 子会社丸井マルサを設立(ファッションビル札幌マルサ運営)[20]
- 1974年(昭和49年)9月29日 - 函館店を増床[15]
- 1975年(昭和50年)9月 - 札幌本店大通館を開業[4]
- 1978年(昭和53年)4月 - 旭川支店を1条通8丁目に移転[17]
- 1979年(昭和54年) - 北見市の「まるいいとう」と業務提携[21]
- 1981年(昭和56年)4月 - 室蘭支店を中島町1丁目に移転[8]
- 1985年(昭和60年)3月 - ロゴタイプを変更
- CINDYの「GARDEN OF LOVE」は長期に亘りイメージソングとして使用された。
- 1988年(昭和63年) - 4代目社長に今井春雄就任[22]
- 1989年(平成元年) - クレオファイナンスを買収してノンバンク事業に進出[23]
- 1990年(平成2年) - 子会社丸井クレオコーポレーションを設立して外車輸入事業に進出[24]
- 1992年(平成4年)10月 - 旭川店を増床[4]
- 1994年(平成6年)
- 1995年(平成7年)9月 - 苫小牧支店を開設[29]
- 1996年(平成8年)
- 1997年(平成9年)12月16日 - 緊急役員会で今井春雄を社長から解任して柴田哲治が社長に就任[32]
- 1999年(平成11年)
- 2000年(平成12年) - 小樽マルサを閉店[19]
- 2001年(平成13年)2月16日 - 丸井店舗開発所有のショッピングセンター2店[33]を含むマルイストア全3店(麻生、円山、真駒内)を札幌東急ストアに譲渡[34](3月末をまでに閉店してスーパーマーケット事業から撤退)[33]
- 2002年(平成14年)11月 - 長崎屋札幌店(閉店時には「BIG OFF」として営業していた)跡に札幌本店南館を開設する[32]
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)
- 6月24日 - 再建計画を正式に決定。株式会社伊勢丹、北海道マザーランド・キャピタル株式会社の3社間で、経営支援の基本合意締結[32]。
- 8月8日 - 丸井マルサより札幌マルサの営業を譲受
- 7月21日 - 千登世開発とアイ・エム・アイの2社が札幌地方裁判所に自己破産を申請[27]
- 10月23日 - 小樽・苫小牧両店を閉店[45]
- 10月31日 - 株式会社丸井今井から「北海道丸井今井株式会社」と商号(社名)変更する。会社分割により新会社「株式会社丸井今井」を設立し、釧路店・室蘭店以外の全店舗を継承。
- 11月1日 - 北海道丸井今井株式会社(旧・株式会社丸井今井)の会社分割により、新会社「株式会社丸井今井」を設立し、主要三店舗(札幌、函館、旭川)と外商営業所の経営を移管[32]。伊勢丹の経営支援を受ける
- 2006年(平成18年)
- 2007年(平成19年)
- 2009年(平成21年)
- 1月 - 札幌本店が大丸札幌店に地域一番店の座を奪われて2位に転落[37]
- 1月29日 - 札幌地方裁判所へ民事再生法の適用を申請して[53]民事再生手続開始決定を受け[54]経営破綻[55]。
- 4月30日 - 株式会社三越伊勢丹ホールディングスが、事業再生スポンサーに選任[61]。
- 5月29日 - 株式会社三越伊勢丹ホールディングスが、子会社として、株式会社札幌丸井今井を資本金1円で設立[72]。
- 6月29日 - 株式会社三越伊勢丹ホールディングスと事業譲渡契約。
- 7月20日 - 旭川店閉店[9]。全外商営業所(小樽、苫小牧、釧路)営業終了[69]。
- 7月30日 - 同社による札幌本店・函館店の営業を終了[62]。
- 7月31日 - 札幌本店を株式会社札幌丸井今井(現・札幌丸井三越)に、函館店を株式会社函館丸井今井に事業譲渡[63]。株式会社札幌丸井今井は、資本金を10億円[63]。
- 8月1日 - 新会社が札幌本店と函館店を運営する新体制で営業を開始[51]。
- 2010年(平成22年)
- 2011年(平成23年)
店舗
札幌本店
丸井今井札幌本店 | |
---|---|
店舗概要 | |
所在地 |
〒060-8667 北海道札幌市中央区南1条西2丁目 |
座標 | 北緯43度3分36.6秒 東経141度21分17.5秒 / 北緯43.060167度 東経141.354861度 |
開業日 |
1916年(大正5年)(百貨店) (丸井今井呉服店:1874年(明治7年)) |
正式名称 | 丸井今井札幌本店 |
施設所有者 |
大通館・一条館:札幌丸井三越 |
商業施設面積 | 約52,000[37] m² |
最寄駅 | 札幌市営地下鉄大通駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
1872年(明治5年)4月に創成橋(現在の札幌市中央区南1条西1丁目)の近くの[1]創成川河畔に[2]小間物店[2]今井商店を開業した[3]のが始まりである。
1874年(明治7年)には店舗を新築・移転して丸井今井呉服店を開店した[1]。
1916年(大正5年)には札幌大火からの復興の際にレンガおよび石造3階建の店舗を新築したのを機会に百貨店として営業を開始し[3]、1906年(明治39年)に北海道内で最初の百貨店を営業開始していた五番館[74]に続いた。
1924年(大正13年)に失火により店舗が全焼したため直ぐに再建に取り掛かり[1]、1926年(大正15年)に総4階一部5階建てので北海道では初の客用エレベータを備えた店舗を新築して復興した[1]。
1932年(昭和7年)に京屋呉服店の跡地に三越札幌店開店[75]して五番館と共に3つ巴の百貨店競争を繰り広げ、屋上にあった観覧車や北海道新聞社が経営していた道新ニュース劇場でのディズニー短編アニメ映画上映などが子供の人気を集める[76]などして当地区を代表する百貨店となり、1965年(昭和40年)には売場面積15,491m²で売上高83.6億円を上げて同じ地場資本の五番館の47.9億円(売場面積9,864m²)や東京資本の三越札幌店の45.6億円(売場面積9,554m²)を大きく上回って北海道で最大の売上を上げる地域一番店となった[14]。
1975年(昭和50年)[18]9月には札幌本店大通館を開業[4]して大幅な増床をはかって2館体制へ移行した。
2002年(平成14年)11月に旧長崎屋札幌店の建物に南館を開設する[32]と同時に店舗を改装や2003年(平成15年)3月1日に別棟のサザビーハウスを改装してまるいリビングハウスを開業する[77]などして同月の大丸を核とするJRタワースクエア開業に対抗し、2003年(平成15年)の売上高約639億円を上げ[37]、2007年(平成19年)2月に紳士フロアを伊勢丹のノウハウを導入して[32]14年ぶりに全面改装して[50]「マルイメンズ」とする大改装を行い[32]、同年3月には旧マルサの建物に大通別館を開設する[50]と共に地下街のオーロラタウン[51]の当店地下入り口向かいに道産品セレクトショップ「きたキッチン」を開店させ[32]、同年10月に札幌本店地下食品売り場を改装してマルイフーズとする[52]など再建計画を進めている最中にもかかわらず立て続けに大型改装を行い[50]、札幌本店地下食品売り場改装が同年秋となる[32]など改装が当初計画より半年遅れた影響で売り上げが再建計画を下回る[50]など苦戦しながらも2008年(平成20年)12月まで地域一番店としての地位を保った[59]。
しかし、投資額二十数億円と資金を十分に注ぎ込めず[32]段階的な改装を続け老朽化が目立つ上4館に売場が分散しているため利便性が低い店舗構造[37]のため、JR札幌駅に隣接した好立地で天井が高く[38]真新しい店舗という優れたハード[37]を武器に大丸札幌店が開業すると以降は毎年売上が減少する[37]など大きな打撃を受け[32]、2009年(平成21年)1月に地域一番店の座を奪われて[37]以降そのまま2位に沈み続け、2009年(平成21年)の年間でも札幌本店の売上高は前年比16.1%減の約436.22億円で大丸札幌店の約504.33億円を大きく下回って地域一番店の座を明け渡すことになった[65]。
2009年(平成21年)4月30日に三越伊勢丹ホールディングスを経営再建の支援企業に選定して再建に取り組むことになった[61]ことに伴い、丸井今井が札幌本店と函館店を経営する体制での営業を同年7月30日で終了し[62]翌日31日に丸井今井から新会社の札幌丸井今井に当店[63]の事業が譲渡されて[63]、8月1日に[51]札幌丸井今井が運営する新体制で営業を開始した[51]が、新体制発足直後の2009年(平成21年)9月中間決算(2カ月の変則)で売上高66億1400万円で営業利益5800万円と登録免許税などの開業経費を賄えない水準に留まったため経常損失約5.01億円で純損失が5.02億円の赤字となって三越伊勢丹ホールディングスの社長が店舗体制の縮小の可能性に言及するほど厳しい再出発となった[64]。
2011年(平成23年)4月1日に、札幌丸井今井と札幌三越の両社が合併し(存続会社は札幌丸井今井)、株式会社札幌丸井三越となったため、現在は同社が経営している[71]。
2011年(平成23年)3月12日に札幌駅から大通公園を結ぶ全長520mの地下歩行空間が開通により札幌駅から地下を通って雨や雪を避けて当店に来店することが可能になった[78]。
当店の店内で機械が音を立てながら自動的に焼き上げている白あんまんじゅうのとうまんも隠れた札幌名物の一つとして知られている[76]。
2011年(平成23年)7月15日に新千歳空港の新ターミナルビル開業に合わせて同空港内にあった従来のみやげ物店を閉鎖し、土産店などが集まる同ビル2階に北海道内各地の農水産加工品や菓子を扱うきたキッチン2号店を開店している[73]。
現在は大通館と一条館、南館、大通別館の4館[37]を中心に、別棟のまるいリビングハウス[77]や地下街のオーロラタウン[51]の当店地下入り口向かいの道産品セレクトショップ「きたキッチン」[32]など周辺店舗を展開し、服飾雑貨や道産食品の品ぞろえが豊富とされている[71]。
函館店
丸井今井函館店 | |
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2006年(平成18年)8月 | |
店舗概要 | |
所在地 |
〒040-0011 北海道函館市本町32-15 |
座標 | 北緯41度47分19.7秒 東経140度45分7.5秒 / 北緯41.788806度 東経140.752083度 |
開業日 |
1916年(大正5年)(百貨店) (函館丸井今井呉服店:1892年(明治25年)4月25日[1]) |
正式名称 | 丸井今井函館店 |
商業施設面積 | 16,187[79] m² |
前身 |
函館丸井今井呉服店[1] 山丸二菊池呉服店[1] |
最寄駅 | 函館市電五稜郭公園前(野村證券前)駅 |
外部リンク | 公式ウェブサイト |
1892年(明治25年)4月25日に当時の函館の繁華街末広町の南部坂下の一角にあった函館第一の呉服店山丸二菊池呉服店を買収して今井藤七の末弟今井良七に任せて函館丸井今井呉服店を開業したのが始まりである[1]。
1923年(大正12年)には函館の末広町に3階建で玄関に大理石柱がある店舗を建設して百貨店として営業を開始し[12]、1930年(昭和5年)11月2日に5階建てに増築して開業した際には客用と貨物用のエレベーターや催事場や屋上サンルーム、美容室、電機部、写真部なども導入した[12]。
1925年(大正14年)12月に「四階楼」に時計台を配置した[12]鉄筋コンクリート造[3]3階建の新店舗を建設して百貨店を開業した金森森屋百貨店[80]や1931年(昭和6年)10月2日にはシャンデリアのある催事場や食堂、エレベーターなどを装備した4階建500坪を超える大規模な新店舗に全面的な建て替えを行って本格的に百貨店化した棒二萩野呉服店[12]と3つ巴の百貨店競争を繰り広げた。
1931年(昭和6年)に正月の「善光寺展」では18日間で20万人余の入場者を集めた[12]ほか動く展覧会(電動模型展)、伯国(ブラジル)展覧会や洋画・日本画などの展覧会などを開催して催事でも金森森屋百貨店と激しい競争を繰り広げ[81]、1934年(昭和9年)に函館大火により函館支店焼失がした際にも鉄筋コンクリート構造地下1階地上5階建で塔屋2階建として復興させる[3]など早くから近代的な施設の整備を進めて競争に挑んだ。
1936年(昭和11年)6月12日にライバルの2店金森森屋百貨店と棒二萩野呉服店が将来的な函館駅前発展を見込んで店舗の移転・拡張を目指して合併して棒二森屋を設立し[82]相馬合名会社の支援を受けて[83]、1937年(昭和12年)10月1日に函館駅前の函館市高砂町(現・若松町=現在地)に5階建の新店舗を開業[82]してより強力なライバルとなったため、函館地区では2番手の地位に甘んじることとなった。
第2次世界大戦後の1959年(昭和34年)に函館初のエスカレーター新設し[16]、1965年(昭和40年)には売場面積4,979m²で売上高15.0億円を上げて地場資本の棒二森屋の26.9億円(売場面積6,513m²)に次ぐ売上を上げた[14]。
1969年(昭和44年)10月21日[15]に店舗を東部地区の人口急増を背景に副都心を標榜する五稜郭地区の本町に移転し[16]、1974年(昭和49年)9月29日に増床をしたが[15]、昭和30年代から昭和40年代に進んだ人口の郊外移動とモータリゼーションの影響で[16]当店のある中心市街地の商店街の地位は1973年(昭和48年)に年間販売額が1968年(昭和43年)の6倍になった旧亀田市赤川通地区など[84]の郊外の商業施設との競争に巻き込まれて地盤沈下し、造船不況による函館ドックの低迷や北洋漁業の衰退など地域経済が伸び悩むなど外部環境が厳しさを増していき[84]、それまで全国主要100都市で本州大手スーパー7社がひとつも出店をしていなかった函館[84]にイトーヨーカ堂と長崎屋が旧亀田市赤川通地区への進出計画を発表し[84]、地元経済が伸び悩む状況下での本州資本の進出に対して地元商業者と共に進出反対運動を繰り広げた[84]ものの、イトーヨーカ堂進出に賛同する8万人もの消費者の署名が集まったり[84]、「地区の今後の開発を見据えて核となる店舗が欲しい」と1975年(昭和50年)6月に亀田商工会会長が発言するなど地元の旧亀田市側が進出を歓迎する傾向にあった[84]ため、1980年(昭和55年)8月に長崎屋[84]、同年9月にイトーヨーカ堂が開店し[84]、同月の函館の既存の大規模小売店が全店前年割れした際には当店も前年同月比-20.0%となる[84]など郊外との競争が激化したため、1982年(昭和57年)に立体駐車場を開設する[15]対抗策を採った。
2005年(平成17年)6月24日に発表された再建計画の中で当店は基幹3店舗の一つとして新設会社の2代目丸井今井に引継がれ[32]、有名ブランドを導入を含む改装や駐車場整備などの投資を行って[41]ファッション重視の都市型百貨店としての性格を強めた[40]。
2009年(平成21年)1月29日に札幌地方裁判所に民事再生法の適用を申請し[53]同日中に民事再生手続開始決定を受けて[54]三越伊勢丹ホールディングスを経営再建の支援企業に選定した[61]3度目の再建計画でも存続店となり、丸井今井が経営する体制での営業を同年7月30日で終了し[62]、翌日31日に丸井今井から函館丸井今井に函館店の事業を譲渡し[63]、8月1日に[51]新会社が札幌本店と函館店を運営する新体制で営業を開始した[51]。
この新体制発足直後の2009年(平成21年)9月中間決算(2カ月の変則)で売上高15億7300万円で営業利益7100万円で登録免許税などの開業経費を賄えず経常損益と純損益はともに3100万円の赤字となり[64]、三越伊勢丹ホールディングスの社長が店舗体制の縮小の可能性に言及するほど厳しい再出発となり[64]、函館を中心とした道南地方の景気は道内でもとりわけ厳しいため函館店の経営の先行きについて厳しい見方がされていた[66]が、その後は黒字転換して2012年(平成24年)3月期で売上高が前期比2.3%減の約100.15億円と決算減収は続いているものの最終損益は約2.29億円と前期比14.5%増で売上高営業利益率も3.47%で札幌丸井三越の0.91%を大きく上回るなど厳しい環境下で健闘している[67]。
旧店舗跡は函館市が西部地区の斜陽化防止のために分庁舎として使用している[16]。
過去に存在した店舗
小樽店
丸井今井小樽店 | |
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店舗概要 | |
所在地 | 北海道小樽市稲穂1-4-1[85] |
開業日 |
1990年(平成2年)9月[7] 旧店舗:1891年(明治24年)[6]10月[4] |
閉業日 | 2005年(平成17年)10月23日[45] |
施設所有者 | 小樽開発[85] |
敷地面積 | 6,885[85] m² |
延床面積 | 43,556[85] m² |
商業施設面積 | 11,500[7] m² |
後身 |
空きビル[85] おたるサンモール・ネオ[7](2005年(平成17年)11月[7]から2009年(平成21年)3月24日[6]) |
最寄駅 | 小樽駅 |
1891年(明治24年)[6]10月[4]に小樽の色内丸井今井呉服店小樽支店として呉服店を開業したのが始まりである[7]。
1923年(大正12年)に小樽支店を色内から稲穂第一大通り(現在の小樽サンモール一番街)に移転する[7]と同時に百貨店としての営業を開始した[13]。
当店が移転する前の1917年(大正6年)に河野呉服店(後のニューギンザ百貨店)が同様に色内から店舗を移転していたほか、1918年(大正7年)に大国屋も進出していた[86]ため、当店の移転で稲穂第一大通りは後に百貨店となる有力店3店が揃う小樽を代表する商店街としての地位を確立した[7]ため、当店は中核店舗の一つとして周辺の商店街と共に営業していくことになった。
1934年(昭和9年)に大国屋が百貨店としての営業を開始し[7]、1955年(昭和30年)には河野呉服店もニューギンザ百貨店として百貨店としての営業を開始した[7]ため、当店は同じ商店街内で3つ巴の百貨店競争を行うことになり、1965年(昭和40年)には売場面積4,318m²で売上高13.5億円を上げて地場資本のニューギンザ百貨店の14.1億円(売場面積2,823m²)を下回ったものの地場資本の大国屋の13.5億円(売場面積3,821m²)とほぼ並んで2番手に付ける[14]など激しい競争を繰り広げながら小樽を代表する百貨店の一つとして営業していた。
しかし、1975年(昭和50年)4月に小樽駅前に長崎屋を核店舗とするショッピングセンター・サンポートが当店の2倍くらいの店舗面積[7](売場面積12,066m²[87])でオープンして開店1ヶ月で市内の人口の1.5倍となる30万人を集めて順調な売上を上げて当店を含む既存の商業集積から顧客を奪ったため売上は減少傾向に転じた[7]。
そうした状況への対応策として当店は1982年(昭和57年)に再開発準備組合が結成して[7]1988年(昭和63年)にその開発を担う小樽開発が設立し[19]、ニューギンザ百貨店と旧北海ホテルの跡地を中心として再開発が行って[7][19]1990年(平成2年)9月に小樽グランドホテルも入居した再開発ビル[19](売場面積14,500m²)[7]の中核店舗として売場面積11,500m²の新店舗を開業させて移転・増床を図った[7]。
また旧小樽店跡も小樽開発が第2期ビルを建設して系列のファッションビルマルサが1992年(平成4年)に開業させる[19]など整備したため、周辺の花園銀座商店街や都通り商店街を含む中心市街地の商店街全体の歩行者通行量も著しく増える[7]ほど新店舗を含む再開発は成功した。
この新店舗建設に伴ってその敷地となることになったニューギンザ百貨店が1988年(昭和63年)に閉店し[88][7][87]、新店舗成功のあおりを受けて1993年(平成5年)4月に大国屋が[86]に採算の悪化を理由に[7]86年の歴史に終止符を打ち閉店した[86]ため、当店は小樽で唯一つ残った百貨店として営業することになった。
しかし、1999年(平成11年)3月11日に小樽築港駅の近くに約5,000台の無料駐車場を持ち、約7倍の売場面積98,000m²を誇るマイカル小樽(現・ウイングベイ小樽)がオープンする[7]など郊外型のショッピングセンターの開設が相次いで競争が激化して中心市街地の集客力を奪われた[7][19]ため新店舗の成功は長続きせず[19]、2005年(平成17年)10月23日に閉店して[45]115年の歴史[89]に終止符を打った。
閉店後個人得意客や企業向けの外商部門として営業所が設置された[47]が、2009年(平成21年)7月20日に廃止して撤退した[69]。
店舗跡地は2005年(平成17年)11月から専門店街「おたるサンモール・ネオ」[7]が1階と地下1階で営業していた[19]が2009年(平成21年)3月24日に閉店となり[6]、同年2月15日に併設されていた小樽グランドホテルも営業終了して[90]3月3日に札幌地方裁判所小樽支部に自己破産を申し立てて倒産した[91]ため空きビルとなり[7]、2010年(平成22年)4月12日に小樽開発が破産申請に追い込まれ[19]、2010年(平成22年)2月に債権者の申立で土地建物の競売開始が決定され[19]、2010年(平成22年)4月と2011年(平成23年)9月に2回行われた競売にかけられたものの旧小樽開発以外に権利者・地権者が複数いて権利関係が複雑なことなども影響して不調に終わり[85]、2012年(平成24年)1月6日に札幌地方裁判所は1回目の約10分の1の買い受け可能価額約6671万円で3回目の競売を行うと発表する状態に陥り[85]、空きビル状態が続いている[85]。
旧店舗跡地は小樽開発が第2期ビルを建設して系列のファッションビルマルサが1992年(平成4年)に開業したが2000年(平成12年)に閉店している[19]。
室蘭店
丸井今井室蘭店 | |
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2007年(平成19年)5月 | |
店舗概要 | |
所在地 | 北海道室蘭市中島町1丁目[8] |
開業日 |
1981年(昭和56年)4月[8] 旧店舗:1891年(明治24年)11月[8] |
閉業日 | 2010年(平成22年)1月20日[68] |
敷地面積 | 約5,800[8] m² |
延床面積 | 約18,500[8] m² |
商業施設面積 | 9,350[92] m² |
前身 | 丸井今井呉服店室蘭支店 |
後身 | ヤマダ電機テックランド室蘭店[93] |
最寄駅 | 東室蘭駅[93] |
1891年(明治24年)11月室蘭市中央町に丸井今井呉服店室蘭支店を開設したのが始まりで昭和に入ってから百貨店した[8]。
室蘭唯一の百貨店として買い物客の肩と肩が触れ合うぐらいにぎわい[68]、地元の基幹産業である鉄鋼大手企業などが「贈答関係は依存している」といわれるほどの法人客の厚みを持ち[94]、1965年(昭和40年)には売場面積3,385m²で売上高10.4億円を上げる[14]など「丸井さん」の愛称で市民に親しまれる存在となっていた[68]。
1981年(昭和56年)4月には中島町1丁目の新店舗へ移転し[8]、近くにある長崎屋室蘭中島店[8]とともに中島商店街の中核店舗の一つとなった[95]。
2005年(平成17年)6月24日に発表された再建計画の中で当店は閉店される店舗と同様に旧会社に残されて[94]新設会社の2代目丸井今井に引継がれず[32]、不採算店などを引継いだ北海道丸井今井に引継がれた[32]が、計画発表当時で鉄鋼大手企業など外商法人客600社強を抱えて年間数十億円とされる法人売上を中心に黒字店であったため5年後の2010年(平成22年)1月をめどに存廃を決めるとしてこの時点での閉店を免れた[94]。
しかし、2005年(平成17年)9月に当時の社長が「基本は5年後に閉鎖」と述べる[96]など原則閉店の方針が打ち出されていた上[97]、その後も売上減少にも歯止めがかからず従業員1人当たりの年間売上高が4,000万円台で札幌本店の約7,000万円や函館店の約6,000万円よりも大幅に低かった[54]ことから2009年(平成21年)5月29日に閉店の方針が決まり[98]、2010年(平成22年)1月20日に閉店して118年の歴史に終止符を打った[68]。
閉店時には会社側として正式な式典を行わなかったが[68]、OBによる同窓会組織の丸井今井店友会室蘭支部から玄関付近で店長に花束が贈られてその返礼を兼ねて店長がOBや買い物客が残っていた前で挨拶を行ったほか[68]、丸井今井店友会による万歳のコールなども行われて事実上の閉店セレモニーーとなった[68]。
店舗跡は旧店舗敷地と旧駐車場敷地の間にある市道を廃止して売却する方針を固めるなどした室蘭市の支援もあって閉店後の8月6日に家電量販店ヤマダ電機への売却が丸井今井から室蘭市に正式に伝えられて同月中に売却され[99]、2011年(平成23年)9月9日にヤマダ電機テックランド室蘭店が開店した[93]。
また、中央町の旧店舗跡地は室蘭プリンスホテルになっている[68]。
旭川店
丸井今井旭川店 | |
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2008年(平成20年)5月 | |
店舗概要 | |
所在地 | 北海道旭川市1条通8 |
開業日 | 1897年(明治30年)[9]10月[4] |
閉業日 | 2009年(平成21年)7月20日[9] |
延床面積 | 23,463[100] m² |
後身 | フィール旭川 |
最寄駅 | 旭川駅[100] |
1897年(明治30年)[9]10月[4]には丸井今井呉服店旭川支店[9]として呉服店を開業したのが始まりで、1923年(大正12年)に百貨店としての営業を開始した[13]。
1965年(昭和40年)には売場面積4,411m²で売上高16.0億円を上げて地場資本の丸勝松村百貨店(現在のマルカツデパート)の8.5億円(売場面積3,500m²)を大きく上回って地域一番店となる[14]など旭川でトップの百貨店として営業していたが、1975年(昭和50年)に西武百貨店旭川店の開業後は地域一番店の座を奪われて2番手となった[101]ため、1978年(昭和53年)4月に店舗を1条通8丁目に移転させて[17]対抗したが、西武百貨店旭川店から地域一番店の座を奪い返すことは出来なかった[101]。
1972年(昭和47年)6月1日に誕生して[102]1979年(昭和54年)で約36万人、1989年(平成元年)に約21.8万人の1日当たりの平均延べ歩行者通行量を集めた[102]当店前を含む旭川駅から北に約1km続く旭川市平和通買物公園[102]の中核店舗の一つとして営業し[54]、1992年(平成4年)10月に増床を行って[4]1996年(平成8年)に売上高約155億円を上げた[9]。
しかし、1992年(平成4年)11月1日に長崎屋旭川店が旭川駅前から郊外の旭川市春光の国道40号沿いの約1,000台収容駐車場を持つ店舗に移転して売上を伸ばした[103]のを皮切りに2004年(平成16年)にイオン旭川西ショッピングセンター(現・イオンモール旭川西)が開業するなど[104]大型商業施設の郊外進出が相次いだ影響で旭川市平和通買物公園の1日当たりの平均延べ歩行者通行量が2008年(平成20年)に約13万人と大きく減少した[100]影響などを受けて売上高は下降の一途をたどり[9]、2005年(平成17年)6月24日に発表された再建計画の中で当店は基幹3店舗の一つとして新設会社の2代目丸井今井に引継がれ[32]、約5億円を投資して婦人服、紳士服、化粧品・雑貨など各売り場の改装を行って[41]ファッション重視の都市型百貨店としての性格を強めた[40]がその傾向は変わらず、2009年(平成21年)1月29日に札幌地方裁判所に民事再生法の適用を申請し[53]同日中に民事再生手続開始決定を受て[54]経営破綻した[55]際には、店舗全体の2009年(平成21年)1月期で年間売上高が約83.44億円で[17]従業員1人当たりの年間売上高が4,000万円台で札幌本店の約7,000万円や函館店の約6,000万円よりも大幅に低く、売り場面積1m²当たりの年間売上高が約40万円と札幌本店の約110万円や函館店の約80万円を大幅に下回るなど[54]収益性が低かったため「一般論からいっても存続は不可能」(大手百貨店幹部)とみられていた[105]ほど低迷していた[9]。
「店舗の存続を基本に再建策をまとめ」[57]当店の存続を盛り込んだ案を提出した高島屋が[58]再建支援企業に選ばれる方向で[59]最終調整に入ったと報じられた[58]ため存続の期待がもたれていたが、不動産や営業権の譲渡を受けて新会社を設立する際の資金提供額で三越伊勢丹ホールディングスが上回っていたためその資金で返済を受ける主力銀行の北海道銀行など大口債権者の同意の取り付けなどの調整が難航して[55]4月30日に開かれた臨時取締役会で事業譲渡額が高島屋を上回って債権者の理解も得られて再建が確実になるとして当店の存続をしない計画を提出していた三越伊勢丹ホールディングスを経営再建の支援企業に選定したと発表されたため閉店することが決まり[61]、2009年(平成21年)7月20日に閉店し[9]、個人得意客や企業向けの外商部門として営業所の設置もされなかった[47]ため、112年の歴史[9]に完全に終止符を打つ形となった。
当店の閉店と同日に付属の店舗だった旭川空港店も閉店し、西武百貨店旭川空港店が代わりに出店している。
閉店後2010年(平成22年)12月に土地と建物は極東証券に売却されて2011年(平成23年)6月24日にフィール旭川として5フロアに合計約1,000坪の売場を構えるジュンク堂書店や2フロアに化粧品と医薬品の売場を構えるドラッグストアセイジョーを含む女性向け衣料品店を中心とするテナント58店舗を集めて地上9階地下1階のうち地下1階から地上5階までを先行して開業させ[106]、その後も丸善の文具店を含む約40店を追加で入居させて[107]同年9月に6-7階に[106]屋内遊戯場「もりもりパーク」[102]やシニア大学といった旭川市の施設[106]、8-9階にコールセンターが入居する[106]複合施設として開業した[102]。
苫小牧店
丸井今井苫小牧店 | |
---|---|
店舗概要 | |
所在地 | 北海道苫小牧市柳町[29] |
開業日 | 1995年(平成7年)9月[29] |
閉業日 | 2005年(平成17年)10月23日[45] |
商業施設面積 | 13,695[29][108] m² |
後身 | ゼウスシティ |
最寄駅 | 苫小牧駅[29] |
1993年(平成5年)に設立した丸井都市開発に店舗ビルを建設させて[28]1995年(平成7年)9月に開店[29]。
苫小牧駅ビルと連絡通路で結んで直結させた5階建の店舗と立体駐車場が駅東側に並ぶ構造となっていた[29]。
開店当時の苫小牧駅周辺は長崎屋やダイエー、イトーヨーカドー、サンプラザなどが集まる商業の集積地で[29]、2000年(平成12年)4月に競合していた地場資本の百貨店鶴丸が旧店舗を閉鎖して[109]ショッピングセンタービッグジョイの核店舗として移転縮小した後2002年(平成14年)10月31日にその店舗も閉店した[110]後は市内唯一の百貨店して営業していた[29]が、2005年(平成17年)4月のイオン苫小牧ショッピングセンター(現・イオンモール苫小牧)開業による中心街空洞化[29]による店舗の立地環境悪化[40]もあり、再建計画の一環として2005年(平成17年)10月23日に閉店して[45]わずか10年[29]ほどの歴史に終止符を打った。
閉店後個人得意客や企業向けの外商部門として営業所が設置されたが、2009年(平成21年)7月20日に廃止して撤退した[69]。
店舗跡は閉店後に土地・建物はみずほ信託銀行不動産カストディ部の信託による合同会社ビックランドプロパティ1が取得して札幌市の不動産会社ゼウスの管理・運営するゼウス・シティ(ZEUS CITY)が2006年(平成18年)11月23日に開店したが[111]、約150店を目指したテナントが開業当初でも63店に留まって[111]初年度に140万人以上の来客で売上75億円を目指した目標[112]は達成できず[111]、出店したテナントも業績不振で撤退が相次いで2008年(平成20年)3月に約20店まで減少し[111]、2008年(平成20年)4月末に開店からわずか1年5か月で閉店した[112]。
その後空き店舗となっていて、2011年(平成23年)12月に札幌市のジェイシーシーがデータセンターの開設計画を打ち出して合同会社ビックランドプロパティ1と売買契約を結んだが着手金や残金を2012年(平成24年)2月になっても支払えなかったため、ビックランド側が契約を破棄し、同年3月30日付で苫小牧市内の道央佐藤病院グループの社会福祉法人ふれんどが底地と立体駐車場の所有権を取得している[113]。
釧路店
丸井今井釧路店 | |
---|---|
店舗概要 | |
所在地 | 北海道釧路市末広町4丁目[114]2番地1 |
開業日 | 1995年(平成7年)10月4日[30] |
閉業日 | 2006年(平成18年)8月20日[46] |
施設所有者 | 丸三鶴屋[49] |
商業施設面積 | 16,429[108] m² |
前身 |
丸三鶴屋[31] 丸三越後屋呉服店[30] |
最寄駅 | 釧路駅[115] |
1996年(平成8年)7月8日に[30]業績不振に陥っていた釧路市の地場資本の百貨店丸三鶴屋の株式の大半を取得して買収して10月4日[30]に当社初の道東地区の百貨店として開店した[31]。
開店当初はJR釧路駅から延びる北大通[115]に面した大通館と新館の2館体制で営業して[116]そのかいわいの中核商業施設として[117]年間売上83億円前後を上げていたものの、その後2000年(平成12年)9月23日に開業したイオン釧路昭和ショッピングセンター(現・イオンモール釧路昭和)[30]や同年11月30日に増床した釧路サティとその店内へのシネコンの開業[30]などの郊外の大型店に顧客を奪われる[118]一方で、中心市街地では2000年(平成12年)2月29日に地場資本の百貨店だった丸ト北村が閉店し[30]、2001年(平成13年)4月8日にスガイビル内の映画館3軒が閉館して映画館が消え[30]、2002年(平成14年)2月11日に長崎屋釧路店が閉店する[30]など集客施設の閉鎖が相次ぎ、北大通の空き店舗数が2004年(平成16年)に全店舗の14.7%の40に達する[115]など周辺の集客力が落ちた影響も受けて売上が減少し、2004年(平成16年)8月30日[30]に効率化のために釧路店大通館を閉鎖して釧路店の売場を1館体制へ集約を図る[35]など経営の合理化に取り組んだり、釧路市が当店に隣接する立体駐車場を建設する[119]などの対策が採られたが、50億円台に落ち込んで不採算店となっていたため[120]、2006年(平成18年)8月20日に閉店した[46]。
閉店後は釧路営業所を開設して外商営業活動は継続された[121]が、2009年(平成21年)7月20日に廃止して撤退した[69]。
2005年(平成17年)5月に再建計画の一環として当店の閉店計画が浮上した際には釧路市が営業存続を条件に当店が面する市道パステルタウンのアーケード化を行う存続支援策を丸井今井本社に提示し[122]、釧路市職員や地元企業の社員・その家族への丸井今井クレオカード加入呼び掛けも開始する[122]など、行政、地元企業ともに全面支援の方向性を打ち出し、釧路商工会議所も地元女性グループが立ち上げを準備している団体への支援協力を行うなど、オール釧路体制で存続支援に取り組むことを決定する[123]などの存続に向けた支援体制がとられたが、売上はさらに減ってしまうなどして再建は実らなかった。
そして当店の閉店が盛り込まれた再建計画の発表後からは、閉鎖に伴う人通りの減少を見込んで早めに店舗の縮小や移転、店自体の廃業を行う動きが広がって、中心部の衰退は一段と深刻化した[115]。当店閉店と同時期のくしろデパート閉店により、釧路市周辺に百貨店がなくなったため、帯広市の百貨店藤丸まで買い物に出かける釧路市民が増加し[124]、2008年(平成20年)3月1日に初めて藤丸が釧路から店舗まで送迎する当時全国的にも珍しかった買い物ツアーバスという長距離の送迎バスを運行したところ[124]、100人の予定を大幅に上回るほど申込みが殺到して急遽バスを10台に増やして350人を送迎するほどの人気を集め[124]、その後も定期的に運行されるようになるなど、釧路から需要が流出する状況が生まれ、これに対する非難の声も多くなっている。
なお、店舗跡は閉店後の2006年(平成18年)10月24日に札幌市の不動産会社ノースキャピタルもに売却されて札幌市のコンサルタント会社アラが管理・運営する複合型商業施設「kute(キュート)」として開業する計画が進められた[125]が、老朽化や狭隘化などによって核テナントが決まらないため、数度にわたって[54]開店が先送りされ[126]、2007年(平成19年)8月に北海道釧路支庁と釧路市がそれぞれ税の滞納で差し押さえられた[127]。
この影響から、2008年(平成20年)2月に札幌市の建築コンサルティング会社リフレックスが取得して[127]「kute」の名称を使わない形でのショッピングモールを計画して2009年(平成21年)春の開業を目指した[126]が、やはり老朽化や狭隘化などによって核テナントが決まらず、2009年(平成21年)2月13日にはリフレックスも不動産取得税数千万円を滞納して、北海道釧路支庁から土地と建物を差し押さえられた[126]。リフレックスはその後音信不通になるなど、混乱が続いたため、閉店から一度も再開されずに放置されている[128]。
また、大通館は閉館した2004年(平成16年)に、東京に本社を置く不動産会社サンセイランディックに売却されたが、老朽化や狭隘化などもあって核テナントが決まらないなどの諸事情から、翌年2005年(平成17年)1月に早くも札幌の企業に転売された[129]。
当店の土地・建物などを所有していた丸三鶴屋は店舗跡地の売却が終了した直後の2006年(平成18年)12月19日に釧路地方裁判所へ特別清算の適用申請を行っている[49]。
滝川支店
1890年(明治23年)に開設した[5]今井呉服店の初の地方支店で、1900年(明治33年)に丸井今井滝川支店音楽隊を結成する[130]など営業活動以外にも展開していたが、1910年(明治43年)に山田呉服・金物店に譲渡して撤退した[5]。
その後1934年(昭和9年)に山田呉服・金物店の金物部が合名会社中川金物店となり[5]、1957年(昭和32年)に店舗全体を同店のオーナーの中川正が買収して店舗拡張を行い[5]、1967年(昭和42年)に株式会社中川かなものに改組されて現在も同社が使用している[5]。
三条店
丸井今井邸 | |
---|---|
情報 | |
事業主体 | 三条市[131] |
管理運営 | 丸井今井邸保存会[131] |
構造形式 | 木造[131] |
敷地面積 | 585m²[131] m² |
延床面積 | 251m²[131] m² |
階数 | 地上2階[131] |
所在地 | 新潟県三条市[131] |
明治の終わりごろに創業者今井藤七が出身地の新潟県三条(現在の三条市)に今井家の離れ座敷として建設し[131]、後に三条店として地場物産の仕入れ拠点や地元新潟県採用の社員育成の教育機関として使用されていた[131]。
4代目社長今井春雄の時代の拡大路線の失敗を受けて、同氏を解任して始まった経営再建の一環として2000年(平成12年)春に撤退して売却するとの報道が流れたため[131]、三条市内の有志らが集まって「保存市民の集い」を設立して募金活動を展開してその募金の寄付を受けて三条市が当社より譲渡を受け、2002年(平成14年)4月に三条市の保存条例により丸井今井邸保存会が市の委託を受けて管理運営する丸井今井邸として地域文化や教育活動に使われる市民のための公共文化施設となっている[131]。
2006年(平成18年)6月22日に隣接する精肉店工場から出火、延焼し邸宅の一部が焼けたが、2007年(平成19年)初頭までに改修を終え、活用を再開している。
また、創業者出身地としての縁から2004年(平成16年)7月13日に発生した新潟・福島豪雨(7・13水害)では、丸井今井から三条市に対し義援金を寄付した。
呉服店時代の丸井今井出身者が独立し創業した百貨店
株式会社丸井との関係
首都圏を中心にファッションビル店舗を擁する丸井グループの丸井(OIOI)(MARUI)とは全く関わりが無い。同社名の由来は、創業者青井忠治が1931年(昭和6年)に独立する際に暖簾分けを受けた勤務先の月賦小売店丸二商会と、自身の苗字(青井)から採ったものである。
その他
- クレジットカードはジャックスと提携していた「クレオクラブカード」を発行していた[77](クレジットカードの他に現金専用の「クレオクラブ・Sカード」もあった)が、三越伊勢丹ホールディングスの傘下となってからは短期間であるがエムアイカードと提携した「クレオクラブ・アイカード」を発行し[71]、2010年(平成22年)10月より札幌三越共々「MICARD」に一本化された[71]。[132]。
- サッカーではコンサドーレ札幌を応援しており、縦縞模様のユニフォームデザインをモチーフにしたクレオクラブカードを発行していた。また、プロ野球では、かつては読売ジャイアンツを応援していたが、現在は北海道日本ハムファイターズを応援している。
参考文献
- 北海道新聞取材班 『実録・老舗百貨店凋落 - 流通業界再編の光と影』 講談社、2006年(平成18年)、ISBN 4062753308
- 丸井今井編 『丸井今井九十年史』 丸井今井、1962年(昭和37年)
- 丸井今井編 『丸井今井百年のあゆみ』 丸井今井、1973年(昭和48年)
- 丸井今井百二十年史編纂委員会編 『株式会社丸井今井創業百二十年史』 丸井今井、1992年(平成4年)
脚注・出典
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- ^ 新カード「MICARD(エムアイカード)」と「クレオクラブ・Sカード」終了のご案内