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「利用者‐会話:Maddestmagician」の版間の差分

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Toshi999 (会話 | 投稿記録)
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:::::::::そうでしょうか。そうかも知れません。ですがその為には「単にその時説得力を持った説明が出来なかった」というだけの理由で淘汰されていく者が充分に(無視出来る程に)少ないことが前提です。或いは逆に[[Wikipedia:井戸端/subj/「特定の観点を推進するような」、発表済みの情報の合成 について|周囲の者が誰も「他の観点の持ち主に対して」説得力を持った説明が出来なかったことで淘汰されていく者]]も居るのです。私は過去、そうやって「淘汰される側」の人間であったことがあり、この世から「淘汰」されない為に生き残る為に、「理解」する努力をしてきました。幸いにしてその努力は実を結び、少なくとも即淘汰されるような事態になることが無さそうな環境に居られるようになりました。まだまだ安泰とまでは言えませんが。
:::::::::そうでしょうか。そうかも知れません。ですがその為には「単にその時説得力を持った説明が出来なかった」というだけの理由で淘汰されていく者が充分に(無視出来る程に)少ないことが前提です。或いは逆に[[Wikipedia:井戸端/subj/「特定の観点を推進するような」、発表済みの情報の合成 について|周囲の者が誰も「他の観点の持ち主に対して」説得力を持った説明が出来なかったことで淘汰されていく者]]も居るのです。私は過去、そうやって「淘汰される側」の人間であったことがあり、この世から「淘汰」されない為に生き残る為に、「理解」する努力をしてきました。幸いにしてその努力は実を結び、少なくとも即淘汰されるような事態になることが無さそうな環境に居られるようになりました。まだまだ安泰とまでは言えませんが。
:::::::::[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]] 2012年1月16日 (月) 05:55 (UTC)
:::::::::[[利用者:Maddestmagician|世界最狂の魔法使いCray-G]] 2012年1月16日 (月) 05:55 (UTC)
::::::::::全体を通して、「あぁ、俺もそう言う所有るから分かるわぁ」と思える部分や「あぁ、俺も昔はそんな感じだった部分も有るなぁ」と感じる点も多々有ります。しかし一方で、「深く考える」→「実践」→「結果検証」を繰り返しつつ学習し、経験則としてパターン化されると大抵の場合は深く考えなくても行動できる様になって(まぁ、頭の中のクラスライブラリが充実して来ますから)、久しぶりにディテールに踏み込んだ話になると頭が付いて行かない部分が有ります(苦笑)
::::::::::だいぶ論点が脹らんで来た様に思え、色々と反応したい所では有りますが収拾が付かなくなりそうな気配も有りますので、Cray-Gさんが仰ってる事を理解出来る、又は同意出来る、又は余り重要では無いと思える論点などは、踏まえつつも割愛させて頂いた返信にしたいと思いますが、それに先立って2点ほど確認させて下さい。
::::::::::*例えば身内が他人とトラブルになっている時、まず身内の落ち度から検証・追及するタイプですか?
::::::::::*相手に言いたい事を分かりやすく伝える為に、自覚的に極論を多用してますか?
::::::::::極力、YES/NO だけに近い形で教えて頂ければと思います。
::::::::::--[[利用者:Toshi999|Toshi999]] 2012年1月16日 (月) 15:05 (UTC)


::理解してもらうのは揶揄されていることではなく、揶揄されている理由ではありませんか。理由が伝われば、揶揄されていることを理解できるか理解する必要がなくなるかになります。どう揶揄すればいいかはそのための方法ではないし、Wikipediaのやり方でもありません。ぜひ他の方法を探してください。「理解してもらえる方法を私は探さなければなりません。それも、なるべく短く読み易い方法を。」と本当に思っているのか、以前コメントした身としては疑わしくも感じます。井戸端のコメントは、その内容は理解できるのに不快で残念なものでした。
::理解してもらうのは揶揄されていることではなく、揶揄されている理由ではありませんか。理由が伝われば、揶揄されていることを理解できるか理解する必要がなくなるかになります。どう揶揄すればいいかはそのための方法ではないし、Wikipediaのやり方でもありません。ぜひ他の方法を探してください。「理解してもらえる方法を私は探さなければなりません。それも、なるべく短く読み易い方法を。」と本当に思っているのか、以前コメントした身としては疑わしくも感じます。井戸端のコメントは、その内容は理解できるのに不快で残念なものでした。

2012年1月16日 (月) 15:05時点における版

ウィキペディアにようこそ!

こんにちは、Maddestmagicianさん、はじめまして!Suisuiと申します。ウィキペディアへようこそ!

  • ウィキペディアで活動する際にはガイドブックを是非ご一読ください。きっとご参考になるものと思います。
  • よろしければ自己紹介してみてください。
  • お隣の利用者ページは、ご自身の自己紹介の他、作業用のスペースなどとして利用することができます。
  • 執筆の際には中立的な観点および著作権にご留意ください。
  • 何か疑問点がありましたらWikipedia:井戸端で質問することができます。

あなたが実り多き活動をされることを楽しみにしております。--Suisui 2007年1月8日 (月) 10:06 (UTC)[返信]

初めまして。わざわざ自己紹介をする必要性を特に感じなかったために自己紹介頁には書き込みませんでしたが、当方のことを調べようとする他の利用者の為に利用者頁は作ってみました。一応ガイドブック等は一通り読みましたが、不慣れなために感覚的につかめていないところが多々あると思います。法と良心と管理者に従って活動したいと考えていますので、以後どうぞ宜しく。世界最狂の魔法使いCray-G 2007年1月9日 (火) 06:37 (UTC)[返信]

ご連絡

あなた、何かすごく勘違いしていますよ。もう少しロムってほしいですね。せめて、ノートWikipedia:コメント依頼/Plisoner,Kogane,提督,水田位はきちんと読んでください。一応あなたの書き込みは削除させていただきます。--提督 2007年1月14日 (日) 11:50 (UTC)[返信]

ここはWikipediaですので、Wikipediaの常識で考えていただきたいですね。場所が変われば常識も変わるのです。あと出来るなら、一般常識も身に付けた方が良いだろうと思いますよ。Wikipediaでの常識と一般常識には似通った点が多々あるようですから。
貴方(提督氏)がWikipediaの常識において非常識な行為を行なっていると指摘されているのに、貴方はそれを無視して自説の正しさを主張し始めたのが要因だと私は認識しています。そしてそのやり取りを見たことで私は、貴方がWikipediaの常識を知らない上に一般常識も知らないのだろうと判断しました。
確かに現実社会の中には、一般常識の通用しない場所は沢山あります。特に専門分野に関わる場所など。そういう場所の住人は、Wikipediaに有益な情報をもたらしてくれるにも関わらず、Wikipediaの常識を知らない(そして一般常識も知らない)ために問題が起こる場合があり(←私の主観では非常に多く)、貴方の直面している問題もそれなのだろうと考えてあの長文を書き込んだのです。
Wikipediaでは、正しい内容を正しい理由に従って書き込んでもなお、それが適切では無い(Wikipedia的に正しくない)場合があります。それはWikipediaの常識の一つです。そしてその場合、内容の正しさや理由の正しさをいくら論じても意味がありません。ましてや相手の非を論ずるのは果てしなく意味がありません。
貴方はその「意味の無いこと」を一所懸命繰り返しているのです。未だに。
あ、そうそう、返信は要りませんよ。というかしないで欲しいです。「俺は正しいだろ?だからお前ら従え!」という考え方や「俺の行動は間違っているとは思えない!だからお前ら従え!」という考え方を持っている人とはWikipediaに限らず関わり合いたくありませんから。ましてや、それを実行に移そうとする人とは。
Wikipediaは、そういう人による一方的で独り善がりな内容を排除しているからこそ支持を得ているのです。ちなみに、悪名高き2ちゃんねるですらそういう人が削除人(掲示板や投稿内容の削除をする権限を持つ人)にならないように、削除人がそういう人にならないようにとガイドラインを設置しているぐらいに、そういう人が権限を持つことは受け入れられていません。でも、貴方にはその理由が理解出来ないのでしょうね。
悲しいことです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2007年1月14日 (日) 13:11 (UTC)[返信]
本当にお疲れ様でした。--co.kyoto 2007年1月14日 (日) 13:35 (UTC)[返信]
おぉ! わざわざ戻してくれたのですか! それも二度も。有難う御座居ます。私の名誉を守るために手を割いて下さったco.kyoto氏に深く感謝します。
続きは該頁に書かせていただきます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2007年1月14日 (日) 13:53 (UTC)[返信]
ノート:死刑存廃問題#井戸端から来ました!記念パピコでの私の発言を消した咎で提督氏が一ヶ月間の投稿ブロック(書込禁止)になったそうです。Wikipediaでの常識を理解していなかったために、Wikipediaでの善悪やWikipediaの法に触れる目前に立っていたことに気付けなかったのでしょう。
悲しいことです。
書き込むことでしか存在意義を示せないWikipediaにおいて、投稿ブロックは社会生活における禁固刑に相当することでしょう。ですが、問題とされていた死刑存廃問題における死刑に相当する程では無いと思います。何故なら提督氏は一ヵ月後、再びWikipediaにおいて唯一の存在主張手段である投稿を行なうことが出来るからです。死刑なら生き返ったことになりますから、投稿ブロックはやはり禁固刑でしょう。
もしも提督氏がこの「禁固刑」によって「理論的に正しいはずの自分が何故に禁固刑を受けねばならなかったのか」に気付いてくれれば、禁固刑には意味がありまた、死刑存置論者である私の「死刑は存在するべき」という考えを僅かながらも和らげる根拠になるかも知れません。
無論提督氏が「禁固」どころかIPユーザーとして、あるいは他のアカウントを取る等の手段で以って「脱獄」する可能性も無いわけではありません。それはとても容易なことですし、無いと断言できるほど私は提督氏のことを知っていません。
脱獄にせよ刑期満了にせよ、復帰後すぐに提督氏が再び「暴れる」ようなことがあれば、それは私の「細かいことはともかく死刑は存在するべき」という乱暴な考えをより強固に正当化する根拠となってしまうでしょう。
私は相互理解こそが世界平和をもたらす最善の道だと信じています。だからこそ今回も相互理解の為に努力をしました。しかし相互理解というものは非常な努力を要し、容易ではなく、時間がかかるものです。そして中には相互理解を拒絶する者も居ます。
正邪と善悪には違いがあります。そして人類は数千年の努力の末でありながら、未だにその一方ですら答えを見出せていません。もしかしたら永遠に見出すことは出来ないのかも知れません。
その世界(コミュニティー)の多くの住人に迷惑な行為をする相手との相互理解が出来なかったなら、相手が相互理解を拒絶したなら、相互理解した結果もその行為を繰り返すのなら、その世界の責任者なり代理人なりが全ての罪を負って殺人者となる(=死刑に処す)べきだと考えているのです。例え相互理解が出来ないという判断が誤りである可能性があっても。例えそれが冤罪である可能性があっても。
何故なら私は、「たかだか禁固刑」程度では到底拭えない「相互理解を妨げる要因」があると思っているからです。そしてその正体が何であるかを知らないから、それが除去不可能である疑いを捨てられません。除去不可能なものを除去するために努力をするのは無駄です。
私が死刑存廃問題の論争に関わりたがらない理由は、私が持つこの恐ろしく極端で非常識な意見を撤回させる方法を三つしか知らないからです。
  1. 死刑撤廃論者達が寄付のみによって死刑囚となるはずであった人物を無期懲役なり無期禁固なりにするためにかかる経費を(脱獄を防ぐためにかかる経費も含めて)賄う。
  2. 全ての「相互理解を妨げる要因」が何であるかが判明し且つ、その全てが除去可能であることを私に知らしめる。
  3. 「禁固刑」では拭えない「相互理解を妨げる要因」が存在する可能性が経験則や統計から極めて低いであろうことを私に推測させる。
今回の件で提督氏が復帰後すぐに再び「暴れる」ようなことがあれば、(3)における経験則において私に「可能性は低くない」と推測させる助けとなり、私の死刑存置の根拠を強化することになるでしょう。他ならぬ死刑撤廃論者である提督氏によって。
始末報告にしては長々と書きましたが、もしも万一提督氏がこれを読み、「理論的に正しいはずの自分が何故に投稿ブロック処分を受けねばならなかったのか」に関して考え、それが「Wikipediaでの常識を理解しようとせずに自分の正義を通そうとした」ことだということに気付き、そして「自分の正義を通すためにWikipediaでの常識を理解しよう」と考え実行してくれたなら、とても嬉しいことだからです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2007年1月14日 (日) 16:44 (UTC)[返信]
こんにちは。死刑存置の根拠を強化させてしまうような話で申し訳ありませんが、現在でもこんな認識をお持ちのようです。とりあえずご連絡まで。--kira727 2007年3月10日 (土) 14:26 (UTC)[返信]
わざわざ有難う御座居ます。
>現在でもこんな認識をお持ちのようです
それも仕方の無いことでしょうね。私はそういう人が絶えることは無いと思っているからこそ死刑存置論者なわけですし。(苦笑)
本質的原因に気付けない人は、不幸な人です。それを気付かせてあげられない自分の力不足を嘆くばかりです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2007年3月15日 (木) 11:11 (UTC)[返信]

投稿ブロック依頼が提出されております

こんばんは。はじめまして。Mee-sanと申します。

あなたに対する投稿ブロック依頼Hatukanezumiさんによって提出されております。あなたは被依頼者の立場ですので賛否権はありませんが、コメントは記載可能です。但し、長文のコメントを記載することはおやめ下さいませ。連絡のみではありますがこれで失礼いたします。--Mee-san 2010年3月30日 (火) 10:25 (UTC)[返信]

ご通知頂き有難う御座居ます。被依頼者からコメントを差し挟むのは判断の邪魔になるのではないかと控えていましたが、書いても良いことになっているのですね。
現在のところは問題のノート:がいしを各位御覧の上で判断している様子であり、特に私から弁明する必要も無く適正に進んでいると見受けられますのであえてコメントする必要は無いと判断していますが、どうあっても必要と判断した際には私からのコメントも書かせて頂くことに致します。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月31日 (水) 03:33 (UTC)[返信]
早速該投稿ブロック依頼のノートにコメントすることに………OTL
いやあまりにも酷いと思ったもので。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月31日 (水) 06:47 (UTC)[返信]

こちらでは、はじめましてになりますね。Vigorous action (会話/履歴)と言います。この案件と関連して、依頼者のコメント依頼を出しております。よろしければコメント下さい。--Vigorous action (会話/履歴) 2010年3月31日 (水) 05:48 (UTC)[返信]

こちらでは初めまして。
現在私は氏から投稿ブロック依頼を出されている被依頼者である上に、同依頼に於いて多くの方から「記述が長い」旨を指摘されています。そんな私が今コメント依頼に応えると必然的に内容が長くなってしまいます(件の投稿ブロック依頼のノートでも長くなってしまいました)ので、しばし落ち着いて考えてからコメントしたいと思います。
該コメント依頼に於いて氏の私への侮辱行為を指摘戴いて誠に有難う御座居ます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年3月31日 (水) 06:47 (UTC)[返信]

井戸端における【投稿?それとも編集?】の意見について

一本とられました。仰るとおりで、感動しました。ありがとうございます! --基 建吉(MOTOI Kenkichi) 2010年6月1日 (火) 16:39 (UTC)[返信]

この投稿の件ですね。
一般に、人に何らかの行動を指示する際には当然の前提とされている行動が伴う場合が多いです。例えば「宿題をやれ」とか「ご記入下さい」とか言う場合には「提出すること」がそれに当たり、日本語の表現では「直接の行動」を指示しない傾向があります。例で言えば「提出」、本件の場合だと「投稿」が指示されないわけです。なので編集者が行なっている行動は「編集」と表現するのが一般的であり、本件疑問提示者の疑問は自然にして妥当な疑問です。そして議論の場では「投稿」よりも「編集」の方が多く使われるというのもまた自然なことなわけです。こういった当然に一連となっている行動の「直接の行動」の表現に対して、不慣れな人が違和感を覚えるケースは少なくありません。つまりボタンという機械への指示は「直接の行動」とならざるを得ない(機械が編集するわけでも宿題をするわけでもない)ので、表記に違和感を覚え「こちらの方が良い/自然なのでは」という意見が出ることになります。そういった場合は、係る複数の行動それぞれが独立した個別のフェーズそれぞれでの行動である場合があり、表現に関して考える際にはその事に留意し「一見すると自然だが行動と合致しない表現」にならないように注意する必要があるのです。
本件がまさにそのケースであることがお解かりいただけるものと思います。基 建吉氏に於かれましても、今後こういったケースに関してご留意いただければ、何かwikipediaにとって良いことがあるのではないかと存じます。
余談ながら、編集内容の要約が (→投稿ブロック依頼が提出されております: 同意) となっていたので、ビクビクしながら開きましたよ。(笑)
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年6月2日 (水) 04:43 (UTC)[返信]

お詫び申し上げます

Maddestmagician様、IonianWindです。

以前、ノートにおけるMaddestmagician様の署名を書き換えてしまったことをお詫び申し上げます。

私の不注意で、てっきり"Wikipediaでは署名と履歴ページに表示されるアカウントとは一致していなければならないのだろう"、などと勘違いしてつい書き換えてしまい、署名書き換えがルール違反だったということは、指摘されて始めて気づいた次第ですが、そういうことは言い訳できなことだと感じており反省いたしております。誠に申し訳ございませんでした。Maddestmagician様にご迷惑をおかけし、ご気分を害してしまったことを、ここに深くお詫び申し上げます。m(_ _)m

何かと至らない点があるかと思いますが、今後ともご指導いただければ幸いです。それでは、今後とも宜しくお願い申し上げます。 --IonianWind 2010年7月30日 (金) 02:05 (UTC)[返信]

お久しぶりです。何でしょう、喧嘩を売りにいらしたのでしょうか。だとしたらもう少し喧嘩を売る実力を付けた方が宜しいかと存じます。確かに私に恥をかかせ苛立たせ不快にし、反応する衝動を抑えられなくすることには成功しました。ですが、喧嘩を買うべきではないという冷静な判断を失わせるまでには至らなかったからです。
もしも万が一そんな喧嘩だの宣戦布告だのではないつもりなのであれば、貴君が「正しい」と思って行なっている行動のほとんどは、高い確率で他の人が「正しくない」と考えることであることを認識すると幸福になれるかも知れません。性急に結果を求めず、謙虚な気持ちを常に覚え、様子を伺い観察しながら少しづつ、相手が何をどう感じたのかを想像しながら、慎重にことを進めるようにすれば、もう少し希望する結果に近づけるようになると考えます。
貴君が「正しい」と思っていることを「正しい」と思っていることが問題なのではありません。それはきっと「正しい」です。問題は、それがあらゆる面から見て正しい唯一の「正しい」ことではないという現実です。「正しい」ことを行なう為には、その他の様々な面から見た「正しい」ことの全てを考慮に入れて行動しなければ、それは「正しくない」行動になってしまうのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年7月30日 (金) 05:50 (UTC)[返信]

自分に反対する者は全員ソックパペットだと決め付ける利用者がいる

わずか16回の投稿で三回もブロックされた人っていうのが見当たらないんだけど、Maddestmagician氏は誰の事か知ってるみたいだから教えて欲しい。--ミルクチー 2010年8月1日 (日) 17:29 (UTC)[返信]

知りませんよ。それが誰かに興味はありませんし、それが誰でも関係ありませんし、そんなことは問題になっていませんからね。
それから、何を必死になってるのか知りませんがマルチポストは辞めて頂きたいです。応える方は面倒が増えますし、気付かなかったら恥をかかされることになるのですよ。もう少し礼儀とか常識とか人間関係とか人付き合いに於ける気遣いとか相手のことを考えるとか、そういった類のことを考慮して行動して頂きたいと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2010年8月3日 (火) 10:20 (UTC)[返信]

記事「電子マネー」について

記事「電子マネー」に関して、ただ差し戻しするだけでは他者がノートでの議論に気付かないことも多く、編集合戦が継続される危険性が高まります。今回のような場合は、Template:告知などを用いてノートへ誘導するようお願いします。--ラッキースター・キッド ◆Luck.w.AEQ 2010年9月8日 (水) 22:26 (UTC)[返信]

今回のような事情での差し戻しは初めてだったので不手際が多く色々とお手数ご迷惑をおかけ致しました。今後は充分な注意を払いたいと思います。--世界最狂の魔法使いCray-G 2010年9月8日 (水) 22:40 (UTC)[返信]

IonianWind氏関連

おーたと申します。IonianWind氏関連のソックパペット問題に関わった方々にお知らせしますが、現在多重アカウントの不正使用の再発が疑われています。よろしければWikipedia:コメント依頼/IonianWind 他#2010年8月以降のアカウントについてのCU提案でご意見、ご指摘いただければと思います。--おーた 2010年11月15日 (月) 15:32 (UTC)[返信]

上記の件でたびたびお騒がせします。議論の結果、いったん「多重アカウントの不正使用」疑惑から離れた上で、今一度IonianWind氏の問題点をまとめ直してコミュニティの意思を確認しておくことになりました。僭越ながらIonianWind氏の長期投稿ブロックも視野に入れて、独立したコメント依頼を提出しました。度々申し訳ありませんが、Wikipedia:コメント依頼/利用者:IonianWind20101201で御意見の表明をお願いできないでしょうか。よろしくお願いします。--おーた 2010年12月1日 (水) 13:42 (UTC)[返信]

結局は無期限ブロックという形で決着が着いたようですね。私は何もしませんでしたし、今更ではありますが、お疲れ様でした。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年6月14日 (火) 11:21 (UTC)[返信]

井戸端での論題について

こんにちは。記事:哲学での編集検討の際にはお世話になりました。記事:科学における不正行為の編集方針について検討をお願いしております井戸端[1]での記述について、さまざまな失礼な編集をおこなったのちに撤回(削除)にいたった経緯を告白し[2][3]、謝罪もうしあげます。どうも論点が込み入っており取り扱いが難しくて難渋しております。ポイントは①「信頼できる情報源」から②「適切に引用」している場合③その引用を除去できるか、という点になります。失礼をご容赦頂きたくお詫び申し上げます。--大和屋敷 2011年6月21日 (火) 10:37 (UTC)[返信]

こんにちは。ちょうど返信を書いている最中に消されたものでどうしたものかと思っていましたよ。
端的に言って「条件付で出来る」が私の見解です。そして伝わり難いようなので強い言い方になるのをご容赦いただきたいのですが、私は大和屋敷氏は現状で論点のすり替えに相当する行為を行っていると指摘しているのです。その所為で論点が込み入ってしまっているのかも知れません。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年6月21日 (火) 10:43 (UTC)[返信]
Dwyさんが「大和屋敷の引用は範囲として不適切である」と主張しているのに対して、大和屋敷は「信頼できる情報源から<適切に>引用しているのにそれを削除するのは不当だ」と論じている気配があるのは感じておりまして、その点は不徳の致すところであります。適切に引用できていないとの批判は非常に重大であります。さて「そもそも」のきっかけはGestgestさんという方が独自研究を投稿された[4]のを大和屋敷が要出典を塗布などし[5]参議院事務局のPDFを元に修正した[6]ところ「参考文献の著者は明らかに法律がわかっていないので文献は参考にならない」等のコメント[7]でgestgestさんとリバート合戦になったのが発端でして、Dwyさんはgestgestさんにやや同情的な立場で仲介に入られたというのが経緯であります。Dwyさんにはこの経緯はご説明しておりますが[8]、Dwyさんの論点としてはgestgestさんとは独立した観点であるとの提示を頂いており、このあたりで議論が非常に複雑になっておる次第です。大和屋敷は「参議院事務局」は情報源のステイタスとしては信頼できるものであると確信しております。この引用を《適切に引用する》方向性で修正すべきだとする批判には全面的に賛同します。一方で「参議院事務局ごときは法律の素人であり、【ちょっとまじめに勉強した人なら誰でも知っているくらいのレベルの知識】さえ持ち合わせていない可能性がある」との批判[9]は、にわかには信用しかねると考えた経緯がありました。--大和屋敷 2011年6月21日 (火) 11:31 (UTC)[返信]
返信の関連を区別出来るようにインデントをしていただきたいです。我々は無秩序な雑談をしているのではなく、相互理解の為の議論を行なっているのですから。無論、議論混乱を狙っているのであれば、インデントを戻して応答の関連付けを把握し難くし参加者に苦労を強いることはとても有効な手段です。インデントを付けることは、それを避ける為に、わざわざヘルプページにまで書かれている一般的風習ですので宜しくお願い致します。
さて、何を確信していようが信用しかねようが自由ですが、それをWikipediaに押し付けないで下さい。押し付ける為に保護依頼や論点のすり替えによる議論拡散等と色々と努力しているようですが、その努力の方向性はWikipediaの基本理念に反しており、Wikipediaが素晴らしい百科事典になることを阻害しています。
私には、件の頁の正確性に関する意見は特にありません。言い換えると、本来なら井戸端の議論にも参加する意義は無かったのです。
にもかかわらず参加したのは、大和屋敷氏の行動があまりにも理念を無視した態度だったからであり、そのことを理解してもらいたかったからです。
件の問題に対する大和屋敷氏の行動は、確信しているウィキペディアンの行動ではありません。誤っている可能性を認識しながらも自分の主張を通したいウィキペディアンの行動です。
そしてより以上に深刻なのは、もしも無意識に(正しい意味での確信犯として)件の行動を起こしたのであれば、大和屋敷氏はこれからも自分の主張を通す為に理念を無視して、Wikipediaと数多くのウィキペディアンに迷惑を掛ける存在=無自覚な荒らしであり続ける可能性があるという事実です。もう少し「以前あなたへのブロック解除に賛成票を投じたことを後悔しはじめています」と言われたことを重く受け止めてもらいたいものです。
Wikipediaの基本理念を理解し、共にWikipediaが素晴らしい百科事典になる為の行動を取れるようになることを願っています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年6月22日 (水) 03:46 (UTC)[返信]
どうも個人攻撃と取れるような対話方法しか行えない編集者の方とお見受けしましたので今後は親しく議論させていただくことはないと思います。Cray-Gさんが素晴らしい百科事典になる為の行動を取れるようになることを願っています--大和屋敷 2011年6月22日 (水) 05:54 (UTC)[返信]
個人攻撃というものを誤解(乃至は悪用)なさっているようですね。私は大和屋敷氏の行動を批難しているだけであり、そのことは井戸端での議論とは別の問題です。井戸端での議論自体は井戸端で続けるつもりですよ。
此処で議論があるとするならば、それは大和屋敷氏の行動の何を如何様に私が問題視しているかであり、それは現時点で(私が一方的に議論を吹っかけているだけで大和屋敷氏が無視しているので)全く行なわれていません。なので、私が大和屋敷氏を誹謗中傷しているという主張ならともかくも、個人攻撃自体が成立していないのですよ。
私としては議論に親しいも何も無いと思うのですが、少なくとも馴れ合って議論を有耶無耶にする気も無ければ、議論に於いて甘えさせる気もありません。議論以外の点では甘えさせるよう随分と井戸端でも主張して居ますがね。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年6月22日 (水) 06:20 (UTC)[返信]

コメント依頼での発言について

こんにちは。Wikipedia:コメント依頼/Sweeper tamontenでの発言で思うところがあり参りました。

  1. 「対話などせずにWikipediaからBANするとかこの世からBANするとか。現実のいじめっ子達はそうしていますから、「いじめ問題」の記録を見れば参考になると思いますよ。」 この発言、特に「この世からBANするとか」は度がすぎています。
  2. ks aka 98さんはWikipedia‐ノート:合意形成の議論では案内しかしておらず、実質的に第3者と言えます。直接的に関わっていない人がより多くの人のコメントを求めてコメント依頼を出すことは一つの妥当な手段たと考えます。コメント依頼はあくまでコメントを求める場であり、「何度言っても理解出来ない輩だからとっとと『いつまでも「納得」しない利用者』のレッテルを貼って意見封殺しちまおう」と依頼者の意見を決め付けて責めるのは不適切でしょう。それどころか過去の議論の当事者で「いじめっ子」であった世界最狂の魔法使いCray-Gさんが、あのような一方的な物言いをしていいものでしょうか。もし今後の流れでブロック依頼に至ったら、そのときにしかるべき対象にしかるべき批判を行ことにし、今はもっと柔らかい指摘にしてはどうでしょうか。
    • と、このあたり個人の見解の差があるとは思いますが、理由があるにせよあの文面は煽り・決め付けが行き過ぎていると思います。1.で挙げた文も含め、批判をするにしてもよりよい文面にできるはずです。
  3. 他者の意見を決め付けないでください。「1.我々は誰一人として~持ち合わせていないこと」「我々の側からは文案は一切出ません」などが目立った例です。後者について、反対でない私やかげろんさんも、反対のDwyさんやTokyodesertさんも、むしろ過去の議論を反映した文章案を出すのが適切だという意見です。このあたり、適切に直していただければと思います。(あのコメント依頼で、Wikipedia‐ノート:合意形成の議論をするのは場違いかとも思いますが……)
  4. 文章を短くわかりやすいものにするよう留意してはどうでしょうか。特にあの場では、Sweeper tamontenさんに理解できるよう説明すべきというのが世界最狂の魔法使いCray-Gさんの意見です。しかしながら、Sweeper tamontenさんへの説明である後半部分はわかりにくいものになっていると感じます。
    • おどけたような言い回し・強調・例えを減らし、シンプルな言い回しを。「思い込んで」「信じ込んで」「肌で感じて」や「Wkipediaを守るための戦とか呼ばれている妄想」、いじめの例えなど。世界最狂の魔法使いCray-Gさんの中でははっきりしているものも、他人はそれを解釈しなければならず、わかりづらいことも。
    • 論理性を重視するあまり長くなっています。それ自体は悪いことではありませんが、重要な点に絞って端的に説明するなどケースバイケースで。
    • こんなご自身の言葉もあります。「単に発言し合っただけでは対話とは言いません。相手に理解出来る言葉で発言し、相手から理解出来る言葉で発言してもらい相互理解に努めることが対話です。分量が多いだけで話が通じていない単なる発言集なんぞがどれだけあろうと意味はありません。」

特に4.などは個人のスタイルがあると思いますが、よろしければご検討ください。--NNMM 2011年8月19日 (金) 11:14 (UTC)[返信]

具体詳細な御鞭撻を賜り有難う御座居ます。本頁#投稿ブロック依頼が提出されておりますに記載の通り私は過去にブロック依頼を出され、其処に於いて同様の指摘を受けたことがあります。
未だ全き改善は出来ていませんが、NNMM氏の具体詳細な指摘を改善の助けにし、さらなる改善を目指して努めていきたいと思います。--世界最狂の魔法使いCray-G 2011年8月20日 (土) 05:38 (UTC)[返信]
井戸端での直近のコメントや#もしご興味がありましたら を見て、このときと同様の危うさを感じています。どうかその文章や言葉の選択が必要かどうか検討してください。行き過ぎて揶揄になっています。あまり人のことは言えませんが……。--NNMM 2012年1月12日 (木) 15:05 (UTC)[返信]
度重なる御指摘を戴き有難いことと存じます。井戸端での直近のコメントとはこの投稿のことですね。同件に関しては一人ならぬ他者からも#井戸端に於けると特筆性議論についてに於いて意見を賜っておりますので、分散するのも如何なものかと思い失礼ではありますがそちらの方に合わせて書くこととさせて戴きます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月13日 (金) 03:35 (UTC)[返信]

必要条件・十分条件

突然すみません。「合意形成」のノートでのコメントを読んだのですが、「必要条件」と「十分条件」の用語があべこべになっていると思います。でも、私が間違っていたらすみません。--へのいち 2011年10月9日 (日) 16:50 (UTC)[返信]

命題Aが成り立つならば必ず命題Bが成り立つ(=AならばBである)場合、
命題Aは命題Bの十分条件である
命題Bが成り立っていることを証明するには、命題Aが成り立っていることを証明すれば充分である。
命題Bは命題Aの必要条件である
命題Aが成り立っていることが証明されたならば、必ず(=必要がある)命題Bが成り立っていることが証明される。
命題A「三角形である」命題B「線分によって囲まれている」とした時、「三角形である」ならば必ず「線分によって囲まれている」ので、
  • 「線分によって囲まれている」ことを証明するには、「三角形である」ことを証明すれば充分である=十分条件
  • 「三角形である」ことが証明されたならば、必ず「線分で囲まれている」ことが証明される=必要条件
命題A「纏め作成済みである」命題B「多数決に移行可能である」とした時、Sweeper tamonten氏は「纏め作成済みである」ならば「多数決に移行可能である」と推測している(試験的に「纏め作成済みである」ことを条件に「多数決に移行可能である」と推定して多数決導入に賛成している)ので、
  • 「多数決に移行可能である」ことを証明するには、「纏め作成済みである」ことを証明すれば充分である=十分条件
  • 「纏め作成済みである」ことが証明されたならば、必ず「多数決に移行可能である」ことが証明される=必要条件
上記により、Wikipedia‐ノート:合意形成での二番目の必要条件の方である、
  • 纏めが作られていることは多数決に移行する為の(恐らく)必要条件である(纏めが作られているならば多数決に移行する条件は(恐らく)充分に揃っている)
となります。また十分条件に関しては、ABを逆にして、
命題A「多数決に移行可能である」命題B「纏め作成済みである」とした時、
  • 「纏め作成済みである」ことを証明するには、「多数決に移行可能である」ことを証明すれば充分である=十分条件
  • 「多数決に移行可能である」ことが証明されたならば、必ず「纏め作成済みである」ことが証明される=必要条件
の十分条件の方である、
  • 「纏め作成済みである」ことを証明するには、「多数決に移行可能である」ことを証明すれば充分である=「多数決に移行可能である」ならば必ず「纏め作成済みである」多数決に移行する場合には必ず纏めが作られている必要がある
となります。
必要条件十分条件は主語目的語が日常用語と反対の方向で用いるのでややこしくなりがちですね。ご指摘により改めて確認することが出来たことを慶ばしく思います。有難う御座いました。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年10月11日 (火) 02:48 (UTC)[返信]
へのいちです。えーと、まず、Wikipedia‐ノート:合意形成でSweeper tamontenさんが仰っていることは、「多数決に移行するなら、その前にまとめを作っておく必要がある」ということだとへのいちは理解しています。これはおそらく、Cray-Gさんの理解と同じだろうと思います。その上で、Cray-Gさんが「必要条件」、「十分条件」の用語をうまく使えていないとご指摘しました。私がそう思ったのは、件のノートでCray-Gさんが
「纏めが作られていることは多数決に移行する為の十分条件である(多数決に移行する場合には必ず纏めが作られている必要がある)」
と書かれていたのを読んだからです。ウィキペディアの将来を決める大事な議論でがんばっていただいているのに、つまらない間違いで足をすくわれでもしたらナニなので、ちょっと見直してもらって訂正していただこうと思ったのですが、意外な返答が返ってきて困惑しています。
論理関係を把握しやすくするために、「AならばBである」を「A⇒B」と略記しましょう。
「A⇒B」であるとき、Aが成り立つことはBが成り立つための十分条件であり、Bが成り立つことはAが成り立つための必要条件であるというのは、Cray-Gさんが上で書かれた定義の通りです。
さて、上記の「纏めが作られていることは多数決に移行する為の十分条件である」ということは、「纏め作成済み⇒多数決に移行する」ということになりますよね。ところが、それを言い換えているはずの括弧内に書かれている「多数決に移行する場合には必ず纏めが作られている必要がある」というのは、倒置表現を直せば「纏めが作られていることは、多数決に移行するための必要条件である」ということになりますから、「多数決に移行する⇒纏め作成済み」のはずですよね。すると括弧の前の文章と括弧内の文章とで言っていることが逆になってしまっています。もちろん、Sweeper tamontenさんの考えは後者のほうの「多数決に移行する⇒纏め作成済み」であるというのが我々の理解ですから、括弧前の文章で「十分条件」というところは「必要条件」であるべきでしょう。いかがでしょうか。
(以下、蛇足です)
必要・十分条件という用語を誤って使ってしまう学生さんによく見られるのは、「***は、***のための(必要/十分)条件である」というべきところで主語や副詞を落としてしまって、単に「(必要/十分)条件である」とだけ言ってしまうという傾向です。これと同じ傾向が上記Cray-Gさんのご返答にも見受けられますね。それは、
「多数決に移行可能である」ことを証明するには、「纏め作成済みである」ことを証明すれば充分である=十分条件
と書かれている辺りですが、主語を明示せずに単に「=十分条件」と書かれています。ここでの等号“=”の左辺は「BであるためにはAであれば十分」という完結した文章で、“=”の右辺にある「十分条件」というのは左辺の文章を構成するうちの一部に過ぎないAのことだと思いますが、それは上の用語定義のところから続く文脈によらないと読み取れないことで、ここだけ見たときには、Cray-Gさんが十分条件だといっているのがAのことなのかBのことなのかがわかりませんよね。
また、「必要条件十分条件は主語目的語が日常用語と反対の方向で用いるのでややこしくなりがち」というのは、倒置表現になりがちなことをいっているのだと思いますが、そうであるなら、混乱に陥らないためにはなおさら主語を省略せずに置く工夫が必要でしょう。倒置表現のややこしさについては、主語を明示することで読み誤りをある程度防げます。この、必要・十分条件の理解しにくさの主因は、倒置表現よりもむしろ、日常慣れ親しんでいる因果関係というのは時系列通り(原因が起こってから結果が起こる)なのが多いのに対して、論理的な意味での因果関係は時系列に囚われない、という点にあるように思っています。--へのいち 2011年10月11日 (火) 12:07 (UTC)[返信]
意外な返答が返ってきて困惑しています
困惑にも関わらず、理解の足らぬ痴れ者よと見放すことなく返信して戴けたことを有り難く思います。
~~上で書かれた定義の通りです。
ふむ。此処までは問題無いということですね。
もちろん、Sweeper tamontenさんの考えは後者のほうの~~
うーん?
Sweeper tamonten氏の考えを私は『纏めが作られていないならば、多数決に移行する為に必要な条件は必ず満たされていない』だと考えています。これは否定文でしかも二重否定なのでややこしいですが、要するに《纏め》⊇《多数決要件》です。ということは、あれ? ならば、の向きが逆だな。
えーと、で、裏は必ずしも真ならず。『纏めが作られているならば、多数決に移行する為に必要な条件は満たされている』か否かははっきりしていません。なのでSweeper tamonten氏は条件付賛成として、「纏めが作られているならば、多数決に移行する為に必要な条件は満たされている」と仮説を立てて実験を行なうことで反証可能性を明確にし、明確に反論が可能な状態(=議論が容易な状態)にしようとしたものと思います。でなければ永遠に水掛け論になってしまい何一つ前に進みませんからね。
この「纏めが作られているならば、多数決に移行する為に必要な条件は満たされている」とはつまり《纏め》⊆《多数決要件》であって、つまり《纏め》は十分条件です。うん。矛盾は無い。
確かに御指摘の通り誤っていたようです。とすると前回の私の返信にも誤りがあったことになるのですが……そう思って読み直してみると、仮説の方で云々言ってました。当方としても資料を確認して書いたものなので誤っているはずが無いと思い込んでいた所為か、恥ずかしながら結論から論を組み立てて説明をしてしまったのかも知れません。括弧の中には(流石に)誤りは無いので、単純に私が必要条件と十分条件とを取り違えてしまっていたようです。反対になることに気を付け過ぎてさらに反対になってしまったのかも知れません。お恥ずかしい限りです。
誤って使ってしまう学生さんによく見られるのは~~
誤用の指摘に加えて主因要因(←仏教で言うところの因縁両方ですね)のみならず誤用を予防する工夫まで助言を戴けたことに感謝します。該発言を修正すると共に、今後も留意しておきたいと思います。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年10月12日 (水) 02:08 (UTC)[返信]

井戸端の件

こんにちは。現在、Wikipedia:井戸端/subj/政権側が起こした戦役・事象の改名についての投票提案に対する意向(投票に移るべきかどうか、その他条件も)を募っています。議論にご協力おねがいいたします。--秋田城之介 2011年10月11日 (火) 03:09 (UTC)[返信]

もしご興味がありましたら

議論好きの利用者さんに SNS とwiki とTwitterと匿名掲示板を統合する提案があります。 Tikiwikiを改造したいと思っていますので、「SNS wiki Twitter 統合」で検索して8番目にヒットするブログを読んでいただけませんか? 連絡待ってます。--Koyakei 2011年12月26日 (月) 14:20 (UTC)[返信]

先ず第一に「議論好き」なわけではありません。議論しなくて済むならその方が良いと思っています。
第二に、ぶっちゃけ興味はありません。改造したいならすれば良いと思います。賛同者が多ければ利用者が増え、いづれは市民権を得ることになるでしょうし、もしかしたら係る既存の四種を駆逐することになるかも知れません。
宣伝と受け取られることに配慮したのかも知れませんが、「検索して8番目にヒットする」とか曖昧な指定はして欲しくなかったですね。検索結果の順序は時期や人によって異なるものです。ちなみに私が検索した時の八番目は、【livedoor】のトップページか【SNS等を監視・分析する米政府のプロジェクト « WIRED.jp 世界最強の ...】かでしたね。
普段なら ( ´_ゝ`)フーン とか言って放置しておくのですが、礼節を以って真摯に来られたものをそう突き放すのも格好が悪いので一応は読ませて戴きました。
演説をしたいのなら、もう少し演説の仕方や演説への勧誘の仕方を学んだ方が良いと思います。論文を書きたいのなら、もう少し論文の書き方を学んだ方が良いと思います。プレゼンをしたいのなら、もう少しプレゼンの仕方を学んだ方が良いと思います。
それから、仮にもウィキペディアンに読ませるものの中でwikipediaに触れるのであればWP:(ryを読んでおいて戴きたいと思います。wikiとwikipediaの違いを知り、それに合わせた表現を用いないと、それだけで「表面づらをなぞっただけの素人騙し」だと誤認され、真面目に読んでもらえなくなります。
そして「誰に読ませる為の文章なのか」を考えて書く必要があるでしょう。世の中の仕組みより、その仕組みの中で暮らす沢山の人達のことを学ぶ方が先なのではないかと思います。
ツイッターがバカ発見器と言われるゆえんは
ツイッターは馬鹿を隠し忘れ易いだけであり、馬鹿はブログでも馬鹿を晒すものです。ですが、この場合の「馬鹿」というのは「未熟者」と同義ですね。未熟であることを隠そうとすることは成長の機会を失なうことです。未熟であることは罪ではありませんが、未熟である者を排斥することや、未熟であることを罪だと思わせることは罪です。
私はツイッター未経験であり興味も無く、一般に普及しているSNSに強い偏見を持っており=嫌いです。匿名掲示板2ちゃんねるの利用者であり、今此処でこうしているようにwikipediaを利用していて、議論を忌避しない種類の人間です。そして私は、議論とは相互理解の為に行われるものであり、相手をやっつける為に行うものではないと考えています。
件のブログに書かれている内容は読む前から、そして読んでもなお、興味が持てません。それによってどんな「素晴らしいこと」があるのかが伝わりません。それは恐らく「案」の良し悪し以前に書き方が不適切だからです。係る四種に対しKoyakei氏と私とはそれぞれ異なるイメージを持っています。文章の中の「何か」が私のイメージに合っておらず、そして私のイメージを「その後を読むのに適切な状態にする」為の工夫さえなされていません。なので私にはKoyakei氏が言いたい「素晴らしいこと」が伝わっていないのです。「誰に」向けた文章なのかさえ伝わっていません。「検閲」がなされた文章だとはとても思えないのです。
なお蛇足ではありますが、それらが伝わっても結局は興味を持てないだろうと予想しています。「重要なところに気付いた」のだろうとは思いますが、その結果として「仕組みによって解決する」ことに至ったのであれば、それは見当違いな方向だと思うからです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2011年12月27日 (火) 02:30 (UTC)[返信]

井戸端に於けると特筆性議論について

突然、失礼致します、Toshi999です。
井戸端での特筆性に関する議論に於いて、世界最狂の魔法使いCray-Gさんが投稿された[10]のコメントですが、私から見ますと、とても時間と労力を費やして真摯にコメントしてるなと思うと共に、相手に素直に理解して貰える文面になっていないのが少々残念に思えました。世界最狂の魔法使いCray-Gさんのこのコメントは、Truesight氏に対してとても有意な物になる可能性も大きく、悪意に取られては非常に勿体無いと思えましたので、事後承認で真に申し訳有りませんが、利用者‐会話:Truesight#特筆性に関する井戸端議論についてにて、「私の視点から見た勝手な翻訳」でコメントを引用させて頂きました。もし著作権上問題が有るようでしたら、コメントアウトから特定版削除まで全ての対処に異議は有りませんので、お申し付け下さい。出来ましたら、快くご了承頂けると嬉しく思います。
--Toshi999 2012年1月12日 (木) 17:15 (UTC)[返信]
◆どうも。関連するのでここに書かせてください。世界最狂の魔法使いCray-Gさんに関して、以前投稿ブロック依頼で私は「被依頼者の投稿は長く読みにくいことは確かですが、基本的に極めて論理的で、誤解を招かないように言葉を尽くすために長くなる傾向にあると受けとめています」と書きました。以後、ほぼその感想は変わっておりません。ただ、世界最狂の魔法使いCray-Gさんの発言は「慇懃無礼に思われかねない語句」と「気付く人は気付く条件節等による限定」等がちりばめられておりますので、流して読むと腹を立てる利用者の方も多いのではないかと危惧しております。逃げ道を塞ぐ論理展開で議論相手の不備を指摘するよりも、却って直接・端的かつ無機質に不備を指摘するとともに相手に分かる明瞭な改善策を付加する方が、上でToshi999さんが仰っているような「有意な物」を「素直に理解して貰える」のではないかと愚考します。Wikipedia:礼儀を忘れないも参考に、ご一考ください。私自身も守れているか不安な方針ではありますが。--ろう(Law soma) D C 2012年1月13日 (金) 00:20 (UTC)[返信]

先ずはToshi999氏ろう氏、そして#コメント依頼での発言についてにて書き込んで下さったNNMM氏に、私のさらなる向上の為の貴重なる意見を頂戴したことに感謝申し上げたいと思います。またToshi999氏に対しては、引用されたことを喜ばしく思っていることと共に、Truesight氏に対し解説する労を折って下さったことに御礼申し上げます。

さて、私はこれまでも幾度と無く本件の如き「口癖の悪さ」を指摘されており、改善に努めている最中です。現在のところは件の発言における「2.問題の分析」の段階であり、同一事件に関し複数の観点から意見を頂戴出来たことは分析の重要な助けとなっています。
NNMM氏>行き過ぎて揶揄になっています
このあたりは難しいところだとは思いますが、私の観点からすると「みんな言葉面を綺麗に取り繕っているだけで心の底で《揶揄》している」ように見えるのです。そして悲しいことに「言葉面が綺麗な所為で」Truesight氏には《揶揄》されていること自体が理解出来ていない、と認識しています。それが理解出来ない限りTruesight氏は異なる観点を持つ者が全て理不尽で我侭で議論を混乱させようとしているだけにしか見えず、自身にも非があり改善の余地があることに気付くことが出来ず、当然に改善は見込めず、残念ながらこれからも不本意なWikipedia生活を送ることになると思います。悲しいことにTruesight氏は、件の発言における「3.問題の仮定」の段階で「相手が理不尽で我侭だから」と仮定しており、その誤りは「2.問題の分析」の際に「言葉面が綺麗な所為で」自身が《揶揄》されているだけなのだという、子供扱いされているだけなのだという分析結果が出なかったことに起因していると私は考えています。
実際に揶揄する以外に《揶揄》されていることを理解してもらえる方法を私は探さなければなりません。それも、なるべく短く読み易い方法を。心底揶揄するのが最も短く読み易く確実に伝わるのですが、そういうわけにもいきませんからね。
ろう氏>慇懃無礼に思われかねない語句
言葉を選ばせてしまったことを申し訳無く思います。無礼なことを無礼にならないように伝えようとしたら慇懃無礼になってしまったものです。己が話術の未熟さを恥じ入るばかりです。
ろう氏>気付く人は気付く条件節等による限定
私は話術が得手ではないので、高度に隠された条件を用いることで論敵に誤解を与え辱める印象操作が使えません。なので、これは意図したものではないのではないかと危惧しています。具体的な箇所の指摘を戴ければ、意図したものでなかったならば私は早急なる改善を必要としています。
ですが、もしもこの「気付く人は気付く」というのが「自身に非があり改善の余地があることに気付いた後」にならば気付く、という意味であれば、それは意図されたものです。既に「気付いた後」であるろう氏が「気付く前」の観点を考慮して読んだ故にその両方の意味を読み取ることが出来、以って危惧を示したものと思います。
ろう氏>直接・端的かつ無機質に不備を指摘するとともに相手に分かる明瞭な改善策を付加する方が
その不備を不備だと認識出来ていない相手に不備を指摘しても意味はありませんし、改善策を付加する意味はもっと無いわけです。相手は「その不備」があることを「当然の前提」だと思っていて且つ、その「当然の前提」を前提とした上で話を進めようとしているのですから。その「当然の前提」を指摘されたところでそれは「当然」の話であり、詭弁を弄して議論を混乱させようとしているようにしか見えないものです。
Toshi999氏>相手に素直に理解して貰える文面になっていない
Truesight氏は愚者ではありません。他の観点を持つ相手に対して自身の考えの根拠を(論理的に/相手に理解出来るように)説明するのが不得手なだけです。それでも対話の努力を続けるわけですが、やがて理解されない状況に癇癪を起こし、井戸端で騒ぎ始め他の参加者から「礼儀正しく無視される」ことになります。本人は「礼儀正しく扱われている」所為で気分が良くなり、その実「無視されている」ことに気付いていません。口の悪い言い方をしますと「井戸端で騒ぎを起こして集まってきたみんなに慰めてもらっている」わけです。
それはそれで構いません。ちやほや相手にされて気分も落ち着いた後にでも読み直した時(Truesight氏はムカついたから二度と読まない、などと考えるような愚者ではありません)に理解して貰えれば充分です。鉄は熱い内に打てと言いますが、熱い時に打つのと冷めてから打つのとでは打ち方も意味も異なるものです。
とにあれ、本件に関する複数の意見を頂戴出来たことで、色々と見えてきたものがありました。誤解があるようなら改めてご指摘を戴きたいのですが、
  • 私の文章の「口癖の悪さ」は、私が「《揶揄》されている事実」を伝えようとしていることに起因している
  • 私の文章の「難解さ」は、私が上記と共に「《揶揄》されている理由」、及び「その改善策」を「同時に」伝えようとしていることに一因がある
  • 私の文章が「素直に理解して貰えない」と危惧されるのは、私が文章を書いた意図が「その改善策」のみを伝えようとしていると解釈されているからのようである
と看受けました。
後退的解決としては、素直に揶揄するか、《揶揄》されている事実を伝えるのを諦めるというのが即効性が高い解決となります。しかしこれ等は、いづれも私の望むところではありません。余程の場合には素直に揶揄する場合もありますが、普段からそんなことばかりしていては単なる嫌味な輩です。
また「同時に」伝えることを諦めれば、長さも難解さも大幅に減ることになるでしょう。今まで以上に誤解され「指摘」を受けることが増えることになるかとは思いますが、そうやって活動しあちこちで火の手を揚げているウィキペディアンを見掛けたこともありますし、将来の身の振り方の選択肢の一つかも知れません。
書いた意図を誤解されている件に関しては、読む人に依って観点が異なるので解決が難しい問題です。誰しも文章から受け取る内容は「他人がそう受け取って欲しいと思っている内容」だからです。それを避ける為に何度も読み直したり誤解が無いか冷静に検討したりしながら読み進めるわけですが、短ければ短い程その検討は難しくなり「他人がそう受け取って欲しいと思っている内容」を受け取る傾向が強まってくるわけですからね。短くても誤解無く伝わる、というのは同じ観点の持ち主が読んだ場合に限るのです。
世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月13日 (金) 03:35 (UTC)[返信]
私のお見受けしたとおり意図が伝わる方で安心しております。世界最狂の魔法使いCray-Gさんの分析・まとめは正しいと思います。しかしながら、例え揶揄されているとの受け止めが正しかったとしても、それは発言者の意図とは異なるかもしれません。ですので、要は「あんたの書き方じゃ、こう受け止められると思うよ」「だから、こうした方がいいと思うよ」と書くべきと思うのです。そのアドバイスが不必要に親切だと思うのであれば黙っていた方がよいです。--ろう(Law soma) D C 2012年1月13日 (金) 05:51 (UTC)[返信]
~~と思うのであれば黙っていた方がよいです
恐らくこのあたりが「齟齬」の発生要因であると私は見ています。私はその「黙っていた方がよい」という言葉が、「あいつらがBANされるまで放っておけば俺もお前も全員が楽になるんだから、要らん刺激してんじゃねーよ」に見える観点に立脚しているからです。そして同時に、その「黙っていた方がよい」という言葉が極めて全うで深く含蓄ある最適な言葉に見える観点に関しても理解をしています。
だからこそ、それらの両立を目指しています。そして未だ道は遠い模様です。
世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月13日 (金) 08:58 (UTC)[返信]
下にあるToshi999さんへのコメントも拝見したうえで申し上げますと、Wikipediaのコミュニティは同目的のために共闘するには多少効率の悪い緩やかな対等関係から成り立っている組織(?)です。そこにはヒエラルキーもリーダーもありません。更にいえば、繰り返しになるようですが念のため言及すると、「両立」は心の中でして頂くものであり、このコミュニティは善意にとるを基本的な原理としているということをご理解ください。まあ、言わずもがななのだとは思いますが。--ろう(Law soma) D C 2012年1月13日 (金) 14:17 (UTC)[返信]
ふうむ。他の観点に立脚している方に理解して戴くことは難しいですね、今回も失敗した模様です。他の観点を理解する上で弊害になるのが「他の観点に立脚した行動は悪意に満ちて見える」という現実であり、それを防ぐ最初の一歩がWikipedia:善意にとるです。ですがWikipedia:中立的な観点を実現する為には「善意にとる」だけでは足りません。
Wikipediaは、既存一般の組織とも烏合の衆とも異なるものです。ではそれが何かということに関しては世界中で研究者達が研究し講義を行っているようですね。どうもろう氏は「ヒエラルキーもリーダーも無い緩やかな対等関係」と「効率」が相反しているとお考えのようですが、私はそれ等の「両立」が可能どころか「最も効率が良い方法」となるに相違無いとさえ考えています。ですが同時に、それは「心の中でして」いるだけでは決して出来ないとも思っています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月14日 (土) 04:07 (UTC)[返信]
Toshi999です。まずはコメント引用に関して、快くご了承頂いたと受け止め、お礼申し上げます。
対人に対する姿勢に関しましては、私は基本、当人同士の問題でそれぞれの経験に基づいた様々な価値観で対峙し、更に経験を積めば良いと思っており、コメント依頼以外の場で余り口出しするのはちょっと上から目線な態度になってしまい勝ちかなと言う部分で言及は避けたい所なのですが、世界最狂の魔法使いCray-Gさんが指摘に対して真摯に受け取る方であり、また指摘を望んでいる様にもお見受け致しましたので、「お前が人の事言うな」と受け取られる心配は無いのかなと判断し、少しだけ言及させて頂きます。
簡潔に言ってしまえば、やはり「上から目線」を感じます。利用者ページを拝見させて頂きましたが、経営者との事ですので、部下に対する普段の姿勢などから自然に身に付いてしまった面なのかも知れませんが、「子供扱いされている事に気付かんのか?」系の所感表明は、部下には言えたとしても、顧客に向かって言える事柄でしょうか。私も会社経営経験が有りますが、少なくとも私には顧客に向かってその様な事を言う勇気は有りません。また、私なら、恐らく部下で有っても直接的に反感を持たれそうな言い方はしないと思います。世界最狂の魔法使いCray-GさんがTruesight氏へ真摯に向き合っているのは伝わって来ますので、もし私ならば「今のまま議論を進めていては、周りが体裁だけ真摯を取り繕い、その実相手にしていない・・みたいな流れになってしまう懸念さえ有りますので、こうした方が良いと私には思えます」みたいな言い方になるんだろうと思います。恐らく、世界最狂の魔法使いCray-Gからみると何かしらじれったいと感じる部分が有って、相手の為にしているアドバイスなのだろうと私には見えましたが、その反面、そのじれったさのイライラが文章に表れてしまっているのかな?と思えました。Wikipediaでの対人関係は、部下と顧客のどちらに近いかと言えば、遥かに顧客に近い礼節を持って(と言うか、対等の立場で)、対話したり時には喧嘩(討論の事ですよ)すべき場所だと私は思います。ですので言い換えれば上のろうさんに同意です。
尚、話は変わりまして全くの余談なのですが、2つ上の世界最狂の魔法使いCray-Gさんの返信コメント中に「とにあれ」と言う何気無い誤記が有りまして、「とにかく」と「ともあれ」の合成語だとツボにハマってしまい笑わせて頂きました。大変気に入りましたのでパクらせて頂き、私も今後、使わさせて頂きたいと思います(笑)
--Toshi999 2012年1月13日 (金) 09:42 (UTC)[返信]
とりあえずは余談から。
合成語だとツボにハマって
誤用なのでしょうか。私の知る限りですと、と、に/も、あれ/かくの組み合わせがそれぞれあるようですが。
これまでの話の内容を意味する。~~と、
かく
斯々然々の「かく」であり、「と」は重要ではないの意
「と」がどうであろうと関係無く
あれ
「ある」の変形「あれども(あろうとも)」
感覚的には、ともかく>ともあれ>とにかく>とにあれの順で「そんな話はどうでもよくて感」が高いように思っています。また「あれ」の方が「これまでの話を纏めます感」が、そして「かく」の方には「話を変えます感」がありますね。まぁ、出典があるわけでも改めて調べたわけでもないので、私の単なる思い込みかも知れません。
そんな余談はともかく、 (←ほら! やっぱり「ともかく」ですよ!)
やはり「上から目線」を感じます
それは留意するべきところですね。上から目線には反射的に反発してしまうのは若人の常ですし。もしかしたら、この話法を私が採用しているのも「反射的に反発」する為に「相手が考える」効果があることを有効と判断していたのかも知れません。
顧客に向かって言える事柄でしょうか
言いたい方向性は伝わるのですが「顧客」に例えられると意図を測りかねます。我々ウィキペディアンは「共通の利益(この途方も無い気狂い染みたプロジェクトの成功)の為に(既存の概念等の見えない敵と)共闘している」のだと考えています。貴方の利益は私の利益です。そしてそうではない部分で(本件のような)問題が起きています。
対して顧客は「相反する利益を融通し互いに最大限の利益を得られるように、時には騙し合うことさえある間柄」です。顧客満足度を上げる為には、顧客にとって大きな利益となり且つ自社にとって小さいコストで済むことを行うことです。それにより「小さなコスト」を超える「対価(現金)」を受け取りながら、顧客には「大きな利益」に対して相対的に低い「対価」で済ませることで満足を与えるのです。無論、偶然に両者の利益が一致することもあるでしょうが、それは単なる偶然です。
どちらかと言うと部下の方が、少なくとも会社の利益を上げるという「共通の利益」がある分だけ「通じるもの」がありますが、顧客との共通の利益は基本的に存在しないので「通じるもの」がありません。言いたいことは「誰にでも適切な表現であるのではない=不適切である=控えるべきである」なのでしょうが、「通じるもの」が無い為に、無根拠にそう言われているのと同様に説得力が無いのです。
その説得力の無さを示す為に「翻訳」しますと、Toshi999氏の例えは、「部下には言えたとしても、家に押し入って来た強盗に向かって言える事柄でしょうか?」/「もし私ならば家に押し入った強盗に「強盗すると逮捕されてしまう懸念さえ有りますので、強盗はやめた方が良いと私には思えます」みたいな言い方になるんだろうと思います」と翻訳しても、説得力の無さが私にとって変わらないのです。無論、これを見てToshi999氏は「誰でもって言っても家に押し入って来た強盗まで含めるとかおかしいだろ」と思うことでしょう。同じように私も「誰でもって言いたいんだろうけど顧客まで含めるとかおかしいだろ」と思っているのです。
共闘している仲間、云わば戦友を「お客様」扱いしてお茶を濁すことがWikipediaの将来の為になるとは思えないわけです。それ故に例えが説得力を持たず、以って伝えたいことが伝わらず私は混乱しています。Toshi999氏が言いたいであろうことと、例えの内容とが(私にとって)矛盾しているのです。
私の認識では、自分本人>他のウィキペディアン(戦友)>部下>顧客(お客様)>強盗の順で立場が近しいと考えています。もしもToshi999氏の認識では自分本人>他のウィキペディアン(戦友)>顧客(お客様)>部下>強盗の順で立場が近しいと考えているのであれば、先の例えはToshi999氏の言いたいことを正確に表現していて且つ、私はそれを正確に理解することが出来ない観点に立脚しているということです。私がToshi999氏の言いたいことを理解する為には、相互理解の為の対話が必要だと考えます。
もしもToshi999氏が「偉そうに振舞う=部下/丁寧に振舞う=お客様」と考えて先の例を挙げたのであれば、それは無根拠な単なる言い換えでしかなく、例えになっていないので説得力を持ち得ません。それが説得力を持つ場合があるのは相手が偶然にも、自分本人>ウィキペディアン>顧客>部下の順か、自分本人>顧客>ウィキペディアン>部下の順かで立場が近しいと考えていた場合だけです。
此処まで書いてふと思ったのですが、先に偶然と書きましたが一般人は高い頻度で消費者=顧客であり且つまた部下を持たない立場である人の方が多いわけですから、もしかしたら大半の人は「自分本人>顧客>ウィキペディアン>存在しないしする見込みも無い自分の部下の順で立場が近しい」と考えているのかも知れません。だとすればToshi999氏の例えは高い確率で説得力を持つ、一般常識に適った良い例えなのかも知れませんね。
とにあれ、 (←うーん、やっぱり「とにあれ」ですよ此処は……)
私の観点では「顧客」はどちらかと言うと利益を奪い合う「敵」に近い概念であると共に、「顧客」を喜ばせるも悲しませるも「胸先三寸」である=喜ばせ未来の利益を得るか直近の利益を奪い悲しませるかの選択肢が「会社側」にある、と認識しています。胸先三寸を実現出来るだけの実力が必要だとか、どちらを選択するかは会社や経営者の方針であるとか、後者を選ぶとか詐欺師や強盗のことだよな、とか思ってはいますが、選択肢自体は存在すると思っています。ぶっちゃけ部下よりも下位に位置する存在であり、慇懃な態度を取ったり顧客の都合の為に誠心誠意頑張ったりするのは全て「未来に得られると目される利益を(奪う労すら掛けずに)自ら進んで差し出させる為」です。なので「敵」でないなら「奴隷」か「家畜」が近くなってしまうような低い立場です。私自身消費者としてそう思っています。「俺は客だぞ金払ってるんだぞ」と叫ぶなど、何か勘違いしているとしか思えません。余談ながら「客」の対義語は「主」です。「主」が「客」の従者のように振舞うのは、それが巡り巡って自身の利益となって返って来ると見込まれるからでしかないのです。私にとって、私以外のウィキペディアンが「客」で有り得る要素は何一つありません。もしも「客」に例え得る存在がWikipediaにあるのであれば、それは恐らく「編集を行う気の無い、調べ者をしに来た閲覧者」だけだと思います。
対して「部下」は、例え建前上名目上であっても、同じ「会社の利益」の為に共闘している存在です。実はそれは建前で給料さえもらえれば何でもいいのかも知れないとか、権限の一部が与えられておらず私とは対等ではないとかの相違はありますが、この点に関しては私にとってのウィキペディアンと同じです。「部下」による利益とは労働マイナス給料ですが、それは直近の利益の話です。未来の利益とは部下が優秀になることです。部下が優秀になり、より失敗が減り適切に効率良く労働を行い会社の利益を増すことです。より高い給料を払いたいのです、優秀になったことをねぎらい、もっともっと優秀になってもらいたいのです。余談ついでで、「部下」の対義語は「上司」です。「部下」の仕事とは「上司」の仕事を奪うことです。「上司」は「部下」に仕事を奪われた分、さらなる「上司」の「部下」として「上司」の仕事を奪うのです。そうやって「部下」はやがて「上司」となっていくのです。そして「上司」はより大きな仕事が出来るようになり、より大きな利益を会社にもたらします。私にとって、私以外のウィキペディアンを「部下」に例え得る要素ならば見付けられます。私であれ私でなかれ、一人のウィキペディアンがより優秀になること、より失敗が減り適切に効率良く編集を行いWikipediaをより素晴らしい百科事典にしていくことはイコール私の利益であり、全てのウィキペディアンの利益です。会社の利益が私と私以外の全ての社員の利益となるのと似ています、対等ではないが故に利益の配分が異なるという現実がWikipediaとは異なりますがね。
以上、私が混乱した要因と目される「顧客」と「部下」とに関する私の見解を述べました。これを読んでToshi999氏がどのように判断するかはわかりません。「自ら名乗るその名の通り、常識知らずの痴れ者よ」と見放すでしょうか。或いは「長くて読む気にもならないよ、付き合ってられないから以後放置ね」と無視を決め込んでしまうのでしょうか。それとも「其処まで深く考えてたんじゃないから顧客とか部下とかは忘れて、別の話で理解を求めることにしよう」と考えるでしょうか。もしかしたら「顧客とか部下とかはそういうもんじゃない、私の考えは斯々然々でありこれに基づいて先の例えをしたものである」と相互理解の為の対話(=議論)に踏み込むのでしょうか。
いづれを選んで戴いても構いません。遠慮も容赦も不要だと私は考えています。
世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月13日 (金) 13:39 (UTC)[返信]
あ~、なんか私の低レベルなコメントに、こんなに真摯に返信して頂いて逆に悪い事をしてるなぁ・・と痛み入ります。「とにあれ」に関しましては、恥ずかしながら今までの長い人生で一度も目にした事が無かったので、単なる誤記だと思い込んで一人で勝手にツボってしまいましたが、なるほど、意図されて使用された語句だったのですね。私も辞書で調べて見ました所、「とにかく」と「ともかく」「ともあれ」が項目としては存在しており、中の「ともかく」の説明中で「とにあれ」が例示されていました。おおおおおと感心中です(笑)
上司、部下の説明は、なるほどと概ね納得出来ます。世界最狂の魔法使いCray-Gさんがこの項で一環して気に掛けてる部分は、似た様な話で言えば「時には厳しい指摘をしてあげるのが真の友情だ」的な話なのかなと言う印象を抱いてますし、それもまた詰めて考えれば、自分が気持ちよく相手と付き合いたいと言う相互メリットを求めている心理が働く所以も有るのだろうと思います。
そう言った思考は、私も時と場合でする事も有りますが、大抵は軽く考えていますし、軽く考えている今の私から見れば、「それは深く考えすぎだよぉ~」とは率直に思ってしまう面が有ります。
顧客に関してもそうでして、突き詰めて考えれば確かに戦略、戦術に基づくお付き合いでしかなく、「大切にしなければ」と言う観点では低く位置する対象であるとも言えます。しかし、私は比較的、その辺はファジーに考えますので、例えば心からお客様を大切に考えよう・・と言う姿勢でいれば、それは結果的に相互利益を生む事が多い・・と考える事が多いかな・・って気はしてます。ただまぁ、私が先に示した例ではそこまで考えた物では無く、(例えそれが表面的であろうとも)一般常識として接する際の礼儀レベルの例えとして出したものであり、その話と「対峙する際の真意」は別のつもりでいました。「対峙する上での真意」は、もはや私からは何も言う事はない程、世界最狂の魔法使いCray-Gさんは真摯な方だと思っていますので、後は些細な表面的問題でしか無いだろうと思っています。本当は何かもっと、世界最狂の魔法使いCray-Gさんがしっくり来る様な例示が出来れば良いのだろうと思いますが、今の所生憎と、また突っ込み返しが来そうな物しか思い浮かばず(もともとボキャブラリーが弱いですので)、また、世界最狂の魔法使いCray-Gさんも私の示した例示を色々と考察なさる中でご自分なりに受け入れやすい解釈を求めて下さっている様にも見受けられますので、今回は直球的な返信は逃げさせて頂きたいと思います。(^^;
--Toshi999 2012年1月13日 (金) 14:45 (UTC)[返信]
「真の友情」が何かについてはともかく、その例えは適切だと思います。相互メリットに関しては、心理云々よりもWikipediaの存在原理がそれなのではないでしょうかね。つまり一般の組織(「部下」とかの例えもありましたが)に於ける「ヒエラルキーやリーダー」が持つ「権力」や「武力」に代わるものだと思っています。
今の私から見れば、「それは深く考えすぎだよぉ~」と
この点に関しては、私が「深く考えなかった」ならば恐らく私はTruesight氏の「目的」に全面同意する観点に立脚してしまっていたことでしょう。そして井戸端でToshi999氏他多くの方々からは悪意に満ちているようにしか見えない長文を誠心誠意投下し続けたことでしょう。いやもしかしたら、私が「深く考えなかった」ならば長文作成に耐え得るだけの思考法が育成されず故に普通の長さとなっていたの知れませんが。
例えば心からお客様を大切に考えよう・・と言う姿勢でいれば
それは大半の「お客様」がその立場に甘んじているからです。全員が「俺は客だぞ金払ってんだぞ」と考えれば、その「ファジー」の範疇を超えることはご理解戴けるものと思います。
その「ファジーの範疇の中」とは即ち、Toshi999氏が立脚している観点です。その観点とは、全員が「俺は客だぞ金払ってんだぞ」と言う可能性に関して考えることは不要である、という観点です。だから前述のような反論のされ方をすると「んな極端な……」と感じるわけです。
で、問題はそれが「全員が『俺は客だぞ金払ってんだぞ』と言って暴れる所為で大損害を被り莫大な借金を背負ってしまって明日にでも破産して一家離散しそうな経営者」にとっては、それは極端でも何でもない「今其処に有る危機」なわけです。その経営者の観点とは即ち、全員が「俺は客だぞ金払ってんだぞ」と言う可能性に関して考えることは最重要項目である、という観点です。
いや当然のことながら、常識的に考えてこの経営者が馬鹿なんだろうと思うでしょうが、実際にこの経営者の「観点」を持った人が多数を占める国があるわけです。その国の人達が初めての海外旅行として日本を選び、日本のとある企業のそこそこ偉い人が接待として案内することとなりました。そして秋葉原で土産に大型テレビを買った時に「この展示品を寄越せ箱を持って来い俺が自分で入れるそしてそれを持って歩いて買い物を続けるホテルまでのハイヤーにも持って乗る」と主張して案内役をとても困らせたことがあります。話を聞けばその国ではその「極端」が極端どころか普通で常識であり、故に「お客様」も「客」の立場に甘んじることなく対抗をしていたというわけです。
こういった、互いに相違なる観点に立脚した人達が集まり、中立的な観点の構築を目指して対話し議論し相互理解することでWikipediaは「素晴らしい百科事典」となっているのであり、そしてこれからもより「素晴らしい百科事典」に成り続けていくのです。
そしてこの「中立的な観点の構築を目指して対話し議論し相互理解し合意すること」というのは、何も記事に記述の内容だけに限りません。各議論や意見交換の場でも重要なことです。何故ならば、Wikipedia(を含むウィキメディア・プロジェクト)に於いて実際に記述を行う前にあらかじめ特定観点を追い出しておくことが許されるのであれば、Wikipedia(を含むウィキメディア・プロジェクト)の提唱する方法論では中立的な観点を構築することが出来ないからです。例えば白人至上主義以外の観点をあらかじめ追い出しておいてから白人至上主義の人だけで対話し議論し相互理解し合意した内容が、Wikipedia(を含むウィキメディア・プロジェクト)の目指す中立的な観点に少しでも近い観点に立脚しているはずが無いからです。
今こうして対話していることもまた、中立的な観点の構築を目指して対話し議論し相互理解し合意するという「meta:基本的原則」の重要な一部なのです。そうすることでToshi999氏と私はそれぞれわずかながら、中立的な観点を構築する為に必要な他の観点を理解することの経験と、その結果を他の人に伝えられる知識を得ることになるからです。
そして余談二件
余談1)私が普段使っている辞書には「とにあれ」は説明文にすら一切ありませんでした。OTL
余談2)「逆に悪い事をしてるなぁ・・と」私にとって一番悪いこととは「悪いことしたからもうしないようにしよう」と考えることであり、それは私の利益を奪う行為です。次に悪いのは「少しでも高レベルなコメントを出来るように努力しよう」と思って戴けないことであり、それは私に利益を与えまいとする行為です。私は利益を得られるように奪われないように今以上の工夫を求められているのです、他の「私」から。
世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月14日 (土) 04:07 (UTC)[返信]
えーと、最後の部分で「遠慮は無用」と強く言われたと解釈致しましたので、お言葉に甘えてもうしばらくコメントさせて頂きます。
冒頭の話は、相互理解による努力(と発展)がヒエラルキーに於ける権力などに成り代わるものだと言う話だと思いますが、理想論で言えばそうだと思いますし、間違っていないとも思います。ただ現実は「淘汰」と言う面も有るかなと思います。これは良くも悪くも・・と言う意味で、迷惑な輩の排除から、議論に於ける自分の欲求の妥協(欲求の一部を諦める)など、理解はし合っていないのだけれども、それでも全体としてはそれなりにまとまる・・的な部分と言いますか。まぁ、相互理解もある種の淘汰では有りますが・・。
「私がもし深く考えなかったら・・」に関しまして、まぁ方法論の個人差なのだろうなぁ・・と思いました。C++を知ってる様なのでこれに例えて言えば、きっとCray-Gさんは、最初からきっちりと仕様を詰めて、必要なクラスライブラリを全て揃えないとメインが書けないタイプなのかな・・と感じましたし、私は時と場合によりけりで、同じ手法を取る場合も有りますが、基本的には後々の仕様変更やメンテ性、例外処理の発生などを考慮して拡張性を備えさせ、仮想クラスをそこそこ配備した汎用的な設計を進めて、後に何か事が起こったら、出来れば運用でカバー。最悪でも新しいクラスを追加すればいいや・・と考えたりもします。こう言う点でもきっと私の方がCray-Gさんよりはファジーでいい加減な奴なんだろうなと思ったりもしますが、私自身がそれでいいと思ってしまってるので仕方有りません。ただ言える事は「ファジー=例外を考慮しない」と言う事では無いです。
ただ、Cray-Gさんは相手に自分の設計技法を強く求めてしまう面が有るのかなぁ・・と、なんとなく感じています。ハイコンテクストなやりとりも有ればローコンテクストなやり取りも有るし、論理性も含めてその辺のレベルは人それぞれなので、個々が出来る範疇で対話を試行するしか無いんじゃないかなぁ・・と私は思います。まぁ、相手のレベルが余りにアレな時で、特に確信犯的な時は私もつい「おまえいい加減にしろよ」と言ってしまう事も有るのですが・・。
また、経営ポリシーの話はちょっと横道で余談になりそうですが、例えばお客様至上主義と言うのは、比較的日本独特の考え方なのかなと思っています。ですので、米国や中国の人からは日本の企業姿勢に賛辞が送られる事も多々有る様です。そんな米国人や中国人のスタンダードに付き合うとCray-Gさんが仰る様な大変な目に有ったりもするのだろうけれども、それでもポリシーを貫けば、逆に言えば、欧米や中国のネイティヴ企業よりも良質なサービスを提供出来ている訳ですから信用は得られると思いますし、また、そんな企業姿勢を見習おうと言う民度運動なども実際起こっているみたいですから、刹那的に損害を被ったとしても長い目で見れば損ばかりとも言い切れないと言える面は有るんじゃないかなと私は思っておりますし、ここも個々の経営者が個々のポリシーで進めるべき話ですから、どの考え方が正しいかを論じるのは不毛に感じます。ただお互いに何か参考になる様な意見交換ならば、それは非常に有意義だとは思います。いずれにせよ、何が正しいかを論じるべき話では無い以上、Wikipediaとはベクトルの違う話かなと思ってますので、あくまで私に取っては余談です。
相互理解と中立的観点の立脚に関しましては、やはり私は深く考える必要無いんじゃないかなぁ?と思ってしまいます。参加人数が少ないならば、その辺は神経質に考えなければならない問題だと思いますが、一定数以上の人数がいるならば、上でも述べた通り、淘汰の結果の平均化が期待出来ますし、また多くの参加者は自分なりに中立で有ろうと努力もしているとも思いますから、時間経過と共に中立に向かうのだろうと思いますし、どうしても中立化に向えていない部分が目に付いたならば、その時にそれなりに動けば良いのでは無いかと。それがきっと特筆性の話なんだろうと思います。
--Toshi999 2012年1月14日 (土) 06:11 (UTC)[返信]
大変重要な内容だと看受け、充分な読解の後に返信したいと思います。その前に今日中に返信を書き上げられそうなNNMM氏に返信を行なうつもりでありますが、放置しているわけではないことをご理解下さい。--世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月14日 (土) 13:21 (UTC)[返信]
ごゆっくりどうぞ(笑) --Toshi999 2012年1月14日 (土) 22:42 (UTC)[返信]
ただ現実は「淘汰」と言う面も有るかなと思います
はい、「権力」の効率の良さはその「淘汰」を即時に行えるところだと思っています。結局のところ、相互理解が完全に果たされてもなお「袂を分かつ」ことはあるわけですしね。また「権力」には淘汰以外にも効率を良くする様々な効能があると考えています。そのあたりはまだまだWikipediaは「気狂い染みた」プロジェクトです。
そして相互理解による努力(と発展)だけでは「ヒエラルキー」に代わることが出来ないと思っています。つまりヒエラルキーそのものは何らかの形で必要であるし実際Wikipediaに於いても存在している、と。
理解はし合っていないのだけれども、それでも全体としてはそれなりにまとまる・・的な部分
これは恐らく、日本人/日本文化により圧倒的大多数が「全体をそれなりにまとめる」べきであるという意識を持っているからではないかと思います。NNMM氏に言った内容に於ける「支配」を受けているのだと思います。私自身もこの「支配」を受けている(=何故そうするべきなのかを、そうするべきだとは思わない人達が理解納得出来るように説明出来ない)ことは間違いありません。
本件問題は私から見ると、この「全体をそれなりにまとめる=中途半端な波風を立てない」こととその他の何か(toshi999氏やNNMM氏からは私の思い込みだか悪意だか周囲への配慮の足りなさだかに見えているのであろう何か)が相反し、私が後者を選択したことで前者に反したことで「前者に反している」と指摘を戴いたものなのではないかと思っています。
「私がもし深く考えなかったら・・」に関しまして
この段落と次の段落は、良くわかるだけに良くわからない状況です。
  • 基本的には~~などを考慮して拡張性を備えさせ~~汎用的な設計を~~
私はこの拡張性汎用的なの為に深く考えます。まさに「考慮する」為に。趣味で書く等の深く考えたくない場合には、それこそ必要なクラスライブラリを全て先に書き終えてからメインを書き始めます。私にとっては、後者の方が「考える必要が無くて楽」なのです。ボトムアップ指向の性格なのでしょうかね。
それを深く考えない例として出したToshi999氏は素晴らしい天才的才能を持っているんじゃないか、とか自慢かよ、とか思うぐらいです。まぁ、それが天才とかではなく単にトップダウン指向の性格なのだということを「今では」理解しては居ますがね。
特に仮想クラスを作る際にはものすごい考えます。大抵は納期が迫るので中途半端に拡張性を持った状態で書き上げることになるのですが、先ず間違いなく仕様変更とか機能拡張とかがあるので少しでも考慮してあれば後がものすごく楽になりますからね。
  • 「ファジー=例外を考慮しない」と言う事では無い
そうではなく、「ファジー=例外は飽くまで例外である」ということを言いたかったのです。「例外処理は邪道だ一つ一つ全てにエラー処理を記述するべきだ」という言葉を聞いたことがあると思います。私は元来この言葉を吐く側の人間です。ですが例外処理はやはり例外処理なのであり、それを適切に扱える「センス」が「ファジー」だと思っています。
もしも「必要なクラスライブラリを全て~~」が示したかったことが「完璧な仕様書が出来上がってから~~」だったのであれば、多分近いと思います。昔はともかく最近はデスマ避けに、先ず「日本語で書いてアルゴリズムの検証をする」クセがついています。
  • 自分の設計技法を強く求めてしまう面が有るのかなぁ・・と
むぅ……自覚はゼロです。少なくともプログラミングの場に於いては、出会ったことのある粗方の人の設計技法を受け入れてきましたし、未知の言語のデバッグさえさせられたことがあるぐらいなので、受け入れる「能力」自体はあると考えています。が、「能力」があることと実際に行うこととは別の話なので、その他の件(例えばWikipediaでの活動等)でもそうであるか否かまではわかりません。
指摘を受けたにも関わらず理解出来ていないのですから、その可能性があることに私は留意しなければなりません。ですが、そもそもそれが「設計技法」に例えるのが適切なものなのか否か(それ以前に設計技法とは何を指しているのか)もわかっていないことにも留意しなければなりません。具体的に詳しい分野であるだけに、具体的な細かなところが影響して理解を妨げている可能性があります。
  • 個々が出来る範疇で対話を試行するしか
私が「試行」の範囲を誤解しているのかも知れませんが、チャットのような即応性が高いことが期待出来る状況であればもう少し「試行」が楽になると思っています。一つの議題等に対して「試行」する回数が少ないことは、私の文章を長く難解にすることに一役買っているはずです。
それでも私は「試行」しているつもりです。よほどのことでなければいきなり《揶揄》から始めることは無かったつもりです、少なくともここ最近は。
経営ポリシーの話はちょっと横道で~~
まぁ、例え話ですからね。例えの範疇を超えて細かく突き詰めて「何が正しいかを論じる」のは余談になります。が、ちょっと書かせて戴きます。
基本私は日本の「お客様至上主義」は素晴らしいと思っていますし、私はそれに基づいて行動しています。同じ日本人にであれば、私はその素晴らしさを(部下を含めて)幾度と無く説明してきて、理解を得られており、実際部下はその精神に従い会社に利益をもたらしました。
問題はその素晴らしさを他の観点に立脚する(客=敵と考える)人達に説明することが出来ないことです。利点を説明する前に欠点をあげつらわれてしまう。利点を(素晴らしさを)どんなに力説しても無意味なのです。彼等が何をどのように欠点だと考えていて、その欠点を避けるどんな(彼等には未知の)概念が必要なのか(そしてそれが可能であることや解決方法を)を理解させた後でなければ。
長い目で見るのは結構だが、その前に倒産するのならば、その前に解雇されるのならば、長い目は無意味なわけですから。
実際、海外の書籍に日本のビジネス概念を解説しているビジネス書は幾多とあります。毎回亜米利加が不況になる毎に色々と出版されるようですしね。
アップル然りGE然り。特にGEのジャック・ウェルチのリストラ理念は、話に聞く限りだと日本式をそのまま取り入れたのと何処が違うのか私にはわからないほどです。まぁ、恐らくは「亜米利加では言わずもがなの常識」は書いてないのでしょうから、書いてあることは日本式のみってことになっているのだろうとは思うのですが。このことは逆に、「亜米利加人は理解した」かも知れないが「我々日本人は理解していない」ことになります。
かつて漢字を取り入れ大和言葉を表現するのに用い改良し平仮名片仮名を発明したように、亜米利加のやり方を「取り入れ」「改良」するべきなのではないかな、とか思っています。亜米利加のやり方を肯定するあまりに「真似」をして日本の文化に基づいた「やり方」を否定するのではなく。そして逆に日本の文化に基づいた「やり方」を肯定するあまりに「取り入れ」まいとするのでもなく。
この為に必要な手法とは、Wikipediaに於いて「中立的な観点」を構築する手法と同じなんじゃないかと私は思っています。
淘汰の結果の平均化が期待出来ますし
そうでしょうか。そうかも知れません。ですがその為には「単にその時説得力を持った説明が出来なかった」というだけの理由で淘汰されていく者が充分に(無視出来る程に)少ないことが前提です。或いは逆に周囲の者が誰も「他の観点の持ち主に対して」説得力を持った説明が出来なかったことで淘汰されていく者も居るのです。私は過去、そうやって「淘汰される側」の人間であったことがあり、この世から「淘汰」されない為に生き残る為に、「理解」する努力をしてきました。幸いにしてその努力は実を結び、少なくとも即淘汰されるような事態になることが無さそうな環境に居られるようになりました。まだまだ安泰とまでは言えませんが。
世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月16日 (月) 05:55 (UTC)[返信]
全体を通して、「あぁ、俺もそう言う所有るから分かるわぁ」と思える部分や「あぁ、俺も昔はそんな感じだった部分も有るなぁ」と感じる点も多々有ります。しかし一方で、「深く考える」→「実践」→「結果検証」を繰り返しつつ学習し、経験則としてパターン化されると大抵の場合は深く考えなくても行動できる様になって(まぁ、頭の中のクラスライブラリが充実して来ますから)、久しぶりにディテールに踏み込んだ話になると頭が付いて行かない部分が有ります(苦笑)
だいぶ論点が脹らんで来た様に思え、色々と反応したい所では有りますが収拾が付かなくなりそうな気配も有りますので、Cray-Gさんが仰ってる事を理解出来る、又は同意出来る、又は余り重要では無いと思える論点などは、踏まえつつも割愛させて頂いた返信にしたいと思いますが、それに先立って2点ほど確認させて下さい。
  • 例えば身内が他人とトラブルになっている時、まず身内の落ち度から検証・追及するタイプですか?
  • 相手に言いたい事を分かりやすく伝える為に、自覚的に極論を多用してますか?
極力、YES/NO だけに近い形で教えて頂ければと思います。
--Toshi999 2012年1月16日 (月) 15:05 (UTC)[返信]
理解してもらうのは揶揄されていることではなく、揶揄されている理由ではありませんか。理由が伝われば、揶揄されていることを理解できるか理解する必要がなくなるかになります。どう揶揄すればいいかはそのための方法ではないし、Wikipediaのやり方でもありません。ぜひ他の方法を探してください。「理解してもらえる方法を私は探さなければなりません。それも、なるべく短く読み易い方法を。」と本当に思っているのか、以前コメントした身としては疑わしくも感じます。井戸端のコメントは、その内容は理解できるのに不快で残念なものでした。
なんにせよ「(キリッ」「だっておwww」は完全に不要な、あんまりなものです。以前私が書き込んだときもまず最初に行き過ぎた言葉について忠告しました。どうか冷静に。揶揄に関しても絶対にしてはいけないものではありませんが、相手や第三者がCray-Gさんの観点に立って理解しなければならないものではなく、むしろ悪く捉えられかねないことに注意してください。
Cray-Gさんがろうさんへ「私はその「黙っていた方がよい」という言葉が、「あいつらがBANされるまで放っておけば俺もお前も全員が楽になるんだから、要らん刺激してんじゃねーよ」に見える観点に立脚している」と言っていますが、私には「TruesightさんとCray-Gさん、あるいは他の方々とのやり取りを滞らせるんだから要らん刺激してんじゃねーよ」に見えます。BANされるあいつらって誰のことでしょう。Truesightさんのことでしたらコメント依頼がよりふさわしい忠告の場です。--NNMM 2012年1月14日 (土) 06:46 (UTC)[返信]
理由が伝われば~~
そうなのでしょうか。如何に「貴方が暑い理由」を説明されそれが伝わり理解出来たところで「実際には少しも暑くない」と思っている限りセーターを脱いだりしないだろうし水着で海に飛び込んだりもしないと思います。そりゃ、その説明が最後に「今すぐ水着に着替えて海に飛び込まないとあんた死ぬよ」のような脅迫で終わるのであれば飛び込むかも知れませんが、それは暑い理由が伝わったから、ではないですよね。
もしも「よぉ、金貸してくれよぉ。今度返すからよぉ」とタカられて「人の役に立てて嬉しい」と思っている人が居たとして、どんなに懇切丁寧に「何故にタカられてしまうのか」の理由をいくら説明しそれが伝わり理解して貰えたとしても、それが「タカられているだけ」であることを認識してもらえないのならば、彼は説明されたことにより理解した「理由」に基づいて、より効率良くタカられる努力をしたり、或いはその説明は無意味なので単に無視するなど、説明した意図と異なる方へ進んでしまうと思います。
ですが「それが単にタカられているだけ」であることを理解してもらえたならば、「タカった人の役に立てているわけだから嬉しいよ」となるかも知れませんが、「タカられたところで人の役に立てているわけではないのだから、タカられることなく人の役に立てるようになろう」と考えられるようになると思います。そしてそうなってようやく「何故にタカられてしまうのか」の理由を説明しそれが伝わり理解して貰えたならば、説明した意図通りの方へ進んでもらえるようになるわけです。
無論これは極端な例であり、一般的常識的には「理由」の説明は「タカられたところで人の役に立てているわけではない」ことを根拠にすると思うので上記のような事態は起こらないでしょう。ですがそれは「人の役に立つ」ことと「タカること」に関して「NNMM氏と私とを含む圧倒的大多数」が同じ観点に立脚しているからに他なりません。だからこそこの話が例え話としての意味を持つわけです。
ですが「タカられたら人の役に立てて嬉しいと思ってしまう人」は異なる観点に立っているわけです。いやもしかしたら同じ観点に立っていて「今までどんなに頑張っても、タカってくる人以外には誰も僕を相手にしてくれなかったのだから、タカられることはむしろ好ましいこと」だと思っている(取捨選択の結果である)のかも知れません。そうなると必要になるのは「タカられている事実」でもなければ「タカられている理由」でもありません。「タカってくる人以外にも相手にしてもらえる方法がある」ことや「その為には、今までとは異なる如何なる努力が必要なのか」を、「それが何故に今までとは異なり有効な方法であるのか」を根拠として説明する必要があるでしょう。
相手や第三者がCray-Gさんの観点に立って理解しなければならないものではなく、むしろ~~
申し訳ありません。この発言の意味が読み切れません。私の理解を書きますので、誤解を指摘して下さい。
  • 揶揄に関しても絶対にしてはいけないものではありませんが、揶揄というものは相手や第三者がCray-Gさんの観点に立って理解しなければならないものではありません。
  • 揶揄というものはむしろ悪く捉えられかねないものであるので、揶揄というものを用いることは危険なことです。決して用いない、ぐらいの心構えで充分に注意してください。
前半は私にも理解が可能です。何故なら私の認識では、揶揄と言う物は揶揄された側が揶揄した側の観点を理解する必要が無いものであり、NNMM氏の言う「理由を説明」する方は説明された側が説明する側の観点を理解しなければならないものである、と考えているからです。
後半は私にも理解が可能です。これまでNNMM氏が言ってきたことであり、私に要求している内容です。そしてそういう問題があることを私は知っていて、以って「控え目に」しています。NNMM氏は「控え目では足らんゼロにするぐらいのつもりで居れ」と言っています。
それぞれ、私には理解が可能です。ですが、両者が結びつきません。
前半が正しいならば後半は誤っています。何となれば、私が《揶揄》しているのは前半が正しい故です。
後半を是とするならば前半は否定されるべきです。何となれば、前半が否定されれば私が《揶揄》する根拠が失われるからです。いや無論私にも私なりの根拠があっての行動なのですから、単に否定しただけでNNMM氏の希望通りの行動をするというわけではありません。ですが少なくともNNMM氏が主張する中に於いて後半を是とする以上、前半は否定されるはずです。
現在のところ、
私ことCray-G
前半が正しい故に、私は《揶揄》を行っている
NNMM氏
前半が正しい故に、貴方は《揶揄》を行なってはならない
となっています。前半に関する見解の相違が存在し、以って矛盾が発生しています。或いは後半に関する見解の相違が存在し、以って私には矛盾に見えています。どうもこれは観点の問題ではないような気もしますが、このまま永遠の平行線に突入する愚行を冒す気もありません。見解の相違を糺した方が良いと思います。
~~と本当に思っているのか
そう思うのは、NNMM氏は「私ことCray-Gが本当にそう思っているのであれば《揶揄》する行動を行わないはずである」と考えているからです。言い換えますと、NNMM氏は「自分と同じ観点に立脚する=自分が取るであろう行動を取る、ではない限り理解したとは認めない(←少なくとも本件に関しては、です)」と考えているからです。このことは、先の「貴方が暑い理由」の例えで私が反論した「理解してもらうのは揶揄されていることではなく、揶揄されている理由ではありませんか。理由が伝われば、揶揄されていることを理解できるか理解する必要がなくなるかになります」にも現れています。
この考え方は、同一観点に立脚する未熟者に対する「上から目線」であり、他の観点を想定していない場合の評価だと思います。左記条件下に限っては、その考え方は極めて正しいと私も思います。もしも私がNNMM氏と同一の観点に立脚している「つもり」であったなら、私も全く以って正当な評価であると考えますし、実際《揶揄》などまず余程のことが無い限り一切しなくなることでしょう。つまり「何かの拍子にBANされるまで刺激しない程度に助言めいた返信をするだけでお茶を濁しておく」わけです。
そして私が自身と同一観点に立脚していると判断した者に対して「上から目線」に立った後、私が取るであろう行動を取らなかった/私なら取らないであろう行動を取ったならば、やはりNNMM氏と同様に「分かっていない」と判断します。ただ、自身と同一観点に立脚していると判断することは極めて難しいので、むしろ逆に「私が取るであろう行動を取らなかった/私なら取らないであろう行動を取った」のを見たことで私は「もしかしたら異なる観点に立脚しているのではないか」と疑い、確認しようと考えるのですがね。
同じ知識を持ち同じ言葉で表現していても、異なる観点に立脚していれば取るべき行動が変わってきます。或いは観点の違いとは、発言や行動等の「結果の差」としてしか認識出来ないものなのかも知れません。
私には「TruesightさんとCray-Gさん、あるいは他の方々とのやり取りを滞らせるんだから要らん刺激してんじゃねーよ」に見えます
はい、私はそう見える観点を理解しています。少なくとも社会生活の中では理解出来ていないと思える出来事に遭遇していませんので、それほど大きく理解が外れては居ないつもりです。
そして同時に、私は「その観点に基づく支配」を受けていません。私が立脚しているのは「そう見える観点」とは異なる観点です。
「支配」に関して説明をする為に、Toshi999氏が顧客に例えた件を例に挙げます。Toshi999氏は、私が当然に「顧客には慇懃に振舞わなければならない」という観点からの「支配」を受けている、と仮定して例を挙げました。ですが残念ながら私は「支配」を受けていませんでした。私とて確かに「顧客には慇懃に振舞わなければならない」と考えている人と同じく「顧客には慇懃に振舞う」わけですが、それは「振舞わなければならない」からではなく「振舞えば様々な利益が得られる」ことを理解しているからです。それは「支配」に基づく行動ではなく「理解」に基づく行動なのです。同様に、私は「やり取りを滞らせるのは良くない」という観点からの「支配」を受けているから「滞らせない」のではなく「やり取りを滞らせると不利益になる」と理解しているから(普段は)「滞らせない」のです。なので逆に「やり取りを滞らせた方が利益になる」と判断したならば「滞らせる」ことになります。そしてそう「判断」する場面の評価(乃至は「利益」の評価)に関してNNMM氏と私との間で差異があり、以って本件に至っています。
BANされるあいつらって誰のことでしょう
NNMM氏が私に苦言を呈するに至った私の発言が対象としている人達です。私自身を含んだ「そう見える観点」とは異なる観点に立脚している人達です。
私の書く文章は、直接の人のみならず事後しばらく経ってから読む人達のことを考えて書くクセがあるので、誰が「対象」なのかは分かり難いかも知れません。特に顕著なものとして#コメント依頼での発言についての件での対象を述べますと、それはSweeper tamonten氏と、Sweeper tamonten氏の行動はブロックに相当するのではないかと疑念を抱いていた全員です。その意味でKs aka 98氏は全くの巻き添え(出る杭は打たれる)なわけですが、実際そのSweeper tamonten氏の行動はブロックに相当するのではないかと疑念を抱いていた人が疑念を強化する(感情的になる)流れになって来たからこその管理者権限を預かる者としての責務を(議論参加者が感情的になる前に、代わりに巻き添えを喰う覚悟で)果たした立派な行為だと思いますし思いましたので、遠慮無く巻き添えにさせて戴きました。それにより感情的に成り易い直接名指ししての指摘などを避けての説明(Ks aka 98氏への指摘とすることでの間接的な説明)が出来たので、Ks aka 98氏の英断には敬意を表すると共に管理者としての資質を高く評価しています。
此処まで書いてきてふと思ったのですが、NNMM氏はこれまで「行き過ぎて」「冷静に」といった類の表現を用いてきています。もしかしたら私が、最初に普通に話し掛けた後の対話によって少しづつ分かってきた相手の状況に合わせた表現を用いるようにしていく方策を採っている(そして最初はともかく最後には《揶揄》を始める)所為で、対話しているうちに段々と感情的になっていったものと認識しているのかも知れません。私のこれまでのNNMM氏に対する文章は、NNMM氏がそのような認識をしている可能性があることを全く失念していた状態で書かれていますので、もし万一そうなのだとしたらご容赦をお願い申し上げます。
世界最狂の魔法使いCray-G 2012年1月14日 (土) 13:21 (UTC)[返信]