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「サウスウエスト航空」の版間の差分

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|設立日 = [[1971年]]
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|ウェブ = http://www.southwest.com/
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'''サウスウエスト航空'''(サウスウエストこうくう、{{lang-en|Southwest Airlines}}、[[ニューヨーク証券取引所|NYSE]]:[http://www.nyse.com/about/listed/lcddata.html?ticker=LUV LUV])は[[アメリカ合衆国]][[テキサス州]][[ダラス|ダラス市]]を本拠地としている[[航空会社]]である。[[格安航空会社]]として知られ、[[1973年]]以来、毎年利益を上げている。2007年現在、旅客キロ数で、アメリカ国内6位、世界8位の規模となっている<ref>[[IATA]]発表の旅客キロ数で、国内線だけでは世界第2位、国際線を含めても世界で第8位である。[http://www.iata.org/ps/publications/wats-passenger-km.htm]</ref>
'''サウスウエスト航空'''(サウスウエストこうくう、{{lang-en|Southwest Airlines}}、[[ニューヨーク証券取引所|NYSE]]:[http://www.nyse.com/about/listed/lcddata.html?ticker=LUV LUV])は[[アメリカ合衆国]][[テキサス州]][[ダラス|ダラス市]]を本拠地としている[[航空会社]]である。


1967年、エア・サウスウエストとしてテキサス州で設立され、1971年に3機のボーイング737を使用して運航開始した<ref name="2005-158">『航空旅行ハンドブック国際線版2005』p158</ref>。その後、航空自由化政策とともに自力で路線網を少しづつ拡大したことに加えて、モリスエアなど、いくつかの格安航空会社を買収することでも路線規模を拡張しており、現在では全米に路線網を持つ大手航空会社となった。2010年時点での年間輸送旅客数は約1億200万人で<ref name="JMAMR-56">『JMAマネジメントレビュー』p56</ref>、アメリカ航空業界では第1位である<ref name="JMAMR-56"/>。
== 概要 ==
1967年、エア・サウスウエストとしてテキサス州で設立された。
1971年6月18日、[[ダラス・ラブフィールド空港]]を拠点に3機の[[ボーイング737]]で運航開始した。当時、連邦規制の関係から、州をまたがる路線の許可を得る事が難しかった為、[[ダラス]]、[[ヒューストン]]、[[サン・アントニオ]]などのテキサス州内の主要都市間での営業となった。
その後、自力で路線網を少しづつ拡大したことに加えて、モーリス・エアなど、いくつかの格安航空会社を買収することでも路線規模を拡張しており、現在では全米に路線網を持つ大手航空会社となった。


[[格安航空会社]]として知られ、後述するように徹底した人件費以外のコスト削減等が図られ、収益率は他社より高い<ref name="hatenko-17">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p17</ref>。[[1973年]]以来、アメリカの景気の動向に関わらず[[黒字]]運営を続ける<ref name="airline331-94">『月刊エアライン』通巻331号 p94</ref>全米で数少ない航空会社の1つである。また、ポリシーの1つとして「社員第一、顧客第二」を掲げており<ref name="e1c2-13">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p13</ref>、アメリカの航空会社で唯一、[[アメリカ同時多発テロ事件]]以降も[[レイオフ]]を行っていない大手航空会社でもある<ref name="2005-159">『航空旅行ハンドブック2005国際線版』p159</ref><ref name="kieta250">『消えたエアライン』p250</ref>。
他のアメリカの大手航空会社が「ハブ・アンド・スポーク型」と呼ばれるネットワークを持つのに対して、主にアメリカの地方空港同士を結ぶ「ポイント・トゥ・ポイント型」の航空網を持っている。これは、[[ダラス・フォートワース国際空港]]の開港時に、同社の拠点であるラブフィールド空港からは、隣接する州以遠の路線を運航することができないという法律([[ライト修正法]], Wright Amendment )が制定されたことが発端<ref>谷川一巳「世界の『航空会社』物語」p61</ref>で、同社では隣接する州同士を結ぶ路線を展開した。以後、同社の乗り入れ空港は都市部に近い小さな空港が主となる。


日本での一般的な知名度はほとんどなく<ref name="sekai63">『世界の「航空会社」物語』p63</ref>、格安航空会社の代名詞であることや機内サービスのピーナッツ、ユニークな客室乗務員などの断片的なイメージが言及されているに過ぎない<ref name="2005-158"/>が、航空ファンや航空関連ライターからは「アメリカ最優良航空会社」<ref name="sekai66">『世界の「航空会社」物語』p66</ref>や「世界最強のLCC(ローコストキャリア)」<ref name="airline331-94"/>、「現時点における理想のエアライン像」<ref name="kieta250"/>とも評されている。
後述するように徹底したコスト削減等が図られ、収益率は他社より高い。アメリカの景気の動向に関わらず[[黒字]]運営を続ける<ref>「[[エアライン (雑誌)|月刊エアライン]]」2007年1月号 p94</ref>全米で数少ない航空会社の1つである。また、[[アメリカ同時多発テロ事件]]以降、アメリカの他の航空会社は軒並み、大量の[[レイオフ]]を行ったが、同社は唯一レイオフを行っていない大手航空会社でもある<ref name="2005-159">「航空旅行ハンドブック2005国際線版」p159</ref><ref name="kieta250">賀集章「消えたエアライン」p250</ref>。また、多くの新規参入の航空会社は事業規模を拡大する過程で国際線への進出なども行なったが、同社は創業以来国際線に進出したことはなく、2008年時点での計画もない。基本的に一度就航した地区からの撤退はしないが、[[コロラド州]][[デンバー]]では、[[デンバー国際空港]]の開港と同時に市街地に近い[[ステープルトン国際空港]]が廃港となった際に、空港利用料が高く同社のビジネス形態に合わず、低運賃が実現できないと判断されたため撤退している<ref name="2005-160">「航空旅行ハンドブック2005国際線版」p160</ref>。その後デンバー国際空港への乗り入れは再開されている。


== 歴史 ==
客席はすべて[[エコノミークラス]]で、定員制[[自由席]]で[[指定席]]ではない。[[電子航空券]]制度を採用しており、紙の[[航空券]]は発券されない。web上で簡単に予約ができ、搭乗便の変更も手数料なしで行える。他航空会社との乗り継ぎのための時間調整は行わず、荷物転送もしない。
=== 運航開始まで ===
==== 創業の経緯 ====
サウスウエスト航空の設立のきっかけとなったのは、テキサス州の銀行家であるジョン・パーカーが、ダラス、ヒューストン、サンアントニオの3都市を仕事で回る際に、この3都市間の移動が不便かつ費用が高いと感じていたことから<ref name="airline331-94"/>、サンアントニオで小規模な航空会社を経営するロリン・キングに、テキサス州内を移動するための航空会社の設立を持ちかけたのが発端である<ref name="hatenko-29">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p29</ref>。それを受けて、キングは[[カリフォルニア州]]にある[[パシフィック・サウスウエスト航空]](PSA)や[[エア・カリフォルニア]]を調査した<ref name="hatenko-29"/>。各都市の経済が活況であることや、都市間が適度な距離であること、またこの2社の業績が優れていることを確認した<ref name="hatenko-29"/>。この調査結果から、テキサス州の3都市に大型旅客機を運航する航空会社の設立構想を立案した上で、1966年にキングの経営する会社の法律顧問を務めていた弁護士である[[ハーバート・ケレハー]]にこの構想を持ちかけた<ref name="hatenko-29"/>。


当初、ケレハーは突飛な計画と感じた<ref name="hatenko-29"/>が、サンアントニオのバーで説明を受けるうちに興味をそそられ、キングと一緒にビジネスプランや運航パターンについて検討を行い<ref name="idai14">『世界で最も偉大な経営者』p14</ref>、店舗に備え付けの紙ナプキンに書きなぐった。このときの紙ナプキンは、ダラスの本社に額に入れて飾られている<ref name="idai14"/>。
格安航空会社全般にありがちなイメージとして「従業員の給料が安い」「整備に不安がある」などが挙げられるが、この会社には必ずしも当てはまらないと言われる。同社の総運航コストにおける人件費率は41%で他の格安航空会社より10%前後高く<ref name="2005-159"/>、[[デルタ航空]]の人件費率が44%であるのと比べても高い<ref name="2005-159"/>。給与水準は大手航空会社と比較しても遜色なく<ref name="2005-159"/>、操縦士は全米3番目、客室乗務員は全米5番目、地上作業員と整備士は全米最高の給与水準であるという<ref name="2005-159"/>。[[2005年]][[12月8日]]に[[シカゴ・ミッドウェー国際空港]]で、[[滑走路]]の積雪による[[オーバーラン]]事故により巻き込まれた自動車に乗っていた子供が死亡した事故が発生するまでは無事故であり、乗客が死亡する事故は会社創立以来発生していない。


1967年3月15日、ケレハーはエア・サウスウエスト(1971年3月29日にサウスウエスト航空に社名変更。以下「サウスウエスト航空」で統一する)の設立を申請した<ref name="hatenko-30">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p30</ref>。当初の資本金はキングとケレハーが出資し<ref name="hatenko-30"/>、政治的な支援を集める活動に着手するとともに、事業に必要となる資本金の募集を開始した<ref name="hatenko-30"/>。ケレハーは、法律上の闘争を招くことを予想し、募集する資本金の総額を、当初予想の25万ドルから倍以上の50万ドルとし、かつ出資者をテキサス州で影響力を有する政界や財界の人物から集めることとした<ref name="hatenko-30"/>。
2010年9月27日、[[エアトラン]]を買収することで合意した<ref>[http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2010092700895 米格安航空エアトラン買収へ=1200億円でサウスウエスト] 時事通信</ref>。


=== 独特社風 ===
==== 法廷で戦い ====
1967年11月27日、ケレハーはダラス、ヒューストン、サンアントニオの3都市を結ぶ航空会社の参入をテキサス州航空委員会(以下「TAC」と表記)に申請、1968年2月20日には認可された<ref name="hatenko-30"/>。ところが、認可の翌日に、[[ブラニフ航空]]、トランステキサス航空<ref group="注釈">後のテキサスインターナショナル航空。</ref>・[[コンチネンタル航空]]の3社(以下、本節では「ライバル3社」と記述する)が、サウスウエスト航空への飛行許可証を発行することを禁じる内容の一方的緊急差止命令を入手したのである<ref name="hatenko-31">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p31</ref>。ライバル3社の主張は「サウスウエスト航空が参入しようとしている市場はすでに飽和状態で、新たな航空会社が参入する余地はない」というものであった<ref name="hatenko-31"/>。
同社のポリシーとして「顧客第二主義」「従業員の満足(Employee Satisfaction)第一主義」を掲げる。これは、不確定要素の存在する顧客よりも、発展の原動力であり信頼できる人間関係を築き上げることが可能な社員を上位に位置づけているものである<ref name="2005-158">「航空旅行ハンドブック2005国際線版」p158</ref>。この「従業員を満足させることで、却って従業員自らが顧客に最高の満足を提供する」という経営哲学を追求することにより、実際に高い顧客満足度を得ている。


1968年夏に、テキサス州地方裁判所にこの案件が持ち込まれたことにより、両社は法廷で争うことになり<ref name="hatenko-31"/>、サウスウエスト航空の弁護士はケレハーが担当した。この間にライバル3社は裏側で政治的な根回しを行なっており<ref name="hatenko-31"/>、一度は認可を出したはずのTAC関係者が、審理が始まる前の新聞のインタビューで「テキサス州に新しい航空会社が必要な理由が分からない」という談話までしていた<ref name="hatenko-31"/>など、サウスウエスト航空には不利な状況であった。裁判では両社の弁護士が感情むき出しで主張をする激しいもので<ref name="hatenko-31"/>、テキサス州のある新聞は「娯楽費を節約して裁判を見るほうが面白い」と評するほどであった<ref name="hatenko-31"/>。地方裁判所ではライバル3社の主張を認める判決が下され、サウスウエスト航空ではテキサス州高等裁判所へ上告した<ref name="hatenko-32">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p32</ref>が、7ヶ月の審理の後に敗訴してしまった<ref name="hatenko-32"/>。この時点で、事業に必要となるはずの資本金がすべて裁判費用に消えてしまっていた<ref name="hatenko-32"/>ため、役員の中にはここで手を引くことを考えていたものもいたという<ref name="hatenko-33">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p33</ref>。しかし、ケレハーは裁判費用を自己負担することで役員たちを説き伏せ、テキサス州最高裁判所へ上告<ref name="hatenko-33"/>、その結果、高等裁判所での判決は覆され、サウスウエスト航空の勝訴となった<ref name="hatenko-33"/>。ライバル3社は合衆国最高裁判所へ上告したが棄却され<ref name="hatenko-33"/>、ようやく就航が認可されたのである。
「乗客に空の旅を楽しんでもらう」ことを従業員に推奨しており、出発前に[[客室乗務員]]によるパフォーマンスがあったりするなど、特異な経営方針を持つ。日本の航空会社では考えられないことであり、賛否両論あるようだが、おおむねジョークとして受け入れられている。そもそもアメリカの航空会社においては、乗務員の態度はおおむねフランクである土壌があるが、その中でも同社従業員は目立つ存在である。また、従業員の採用に際して、ユーモアのセンスがあることを重要視するという<ref>伊集院憲弘「社員第一、顧客第二主義」p31</ref>。


しかし、せっかく認可されたものの、運航開始するための費用はすべて訴訟に費やしてしまっていた<ref name="hatenko-34">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p34</ref>。また、運航に必要な人員を集めなければいけなかった。1971年1月、サウスウエスト航空は、ユニバーサル航空を退社したばかりのラマー・ミューズをCEOに招聘した<ref name="hatenko-36">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p36</ref>。ミューズは就任後直ちに友人や知人のつてをたどって、資金集めに奔走する<ref name="hatenko-36"/>一方、友人や知人で運航に携わった経験者を集めた<ref name="hatenko-35">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p35</ref>。また、資金集めの後に、過剰生産したため売れ残っていたボーイング737型機を3機購入した<ref name="hatenko-35"/>。
同社の経営方針に対しては必ずしも好意的な意見ばかりではなく、「サウスウエストの従業員はふざけすぎている」という投書もあるという<ref>伊集院憲弘「社員第一、顧客第二主義」p103</ref>。これに対して、同社は「ポリシーを変更する考えはない」と返信を送り、従業員を侮辱する顧客に対しては「今後乗らなくて結構です」と他航空会社の利用を勧めるという。


一方、ライバルの航空会社の妨害はまだ続いていた。テキサスインターナショナル航空とブラニフ航空(以下、本節では「ライバル2社」と記述する)はアメリカ民間航空委員会 (Civil Aeronautics Board, 以下「CAB」と表記)に対してサウスウエスト航空の就航に抗議を申し立てる<ref name="hatenko-37">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p37</ref>一方、ブラニフ航空はサウスウエスト航空の株式引受業者に手を引くように圧力をかけていた<ref name="hatenko-37"/>。しかし、CABはライバル2社の申し出を却下し<ref name="hatenko-37"/>、サウスウエスト航空は別の株式引受業者を見つけ出した<ref name="hatenko-37"/>。1971年6月8日には、ようやく最初の株式公募にこぎつけた<ref name="hatenko-37"/>が、一方でライバル2社は業務開始を阻止するための一方的緊急差止命令を入手した<ref name="hatenko-37"/>。これに対して、ケレハーは職務執行令状の発布を求めるため<ref name="hatenko-38">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p38</ref>、すぐに司法図書館で先例を調べた上<ref name="hatenko-38"/>、テキサス州最高裁判所に対して緊急差止命令の却下を申し出た<ref name="hatenko-38"/>。1971年6月17日、テキサス州最高裁判所はサウスウエスト航空の主張を認め、差止命令を執行しないように命じた<ref name="hatenko-38"/>。この時点で、ようやくサウスウエスト航空は運航が可能となったのである。
客室乗務員の服装が、夏服の場合ポロシャツ、キュロットパンツ、スニーカーという様にラフな格好なのも乗客に大きなインパクトを与えているが、機内での作業の際軽快に動ける事では乗務員にも好評の様である。


運航開始に先立ち、客室乗務員の募集が行なわれたが、その時の広告文面は「[[ラクエル・ウェルチ]]さん募集」というもので<ref name="hatenko-58">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p58</ref>、面接時にはホットパンツをはいてくるように要求した<ref name="hatenko-58"/>。選考にあたっては、[[ヒュー・ヘフナー]]の「プレイボーイ・ジェット」に乗務するバニーホステスを育てた人物も審査員に加わった<ref name="hatenko-59">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p59</ref>。こうして採用された女性客室乗務員は、80パーセント以上がバトンガールやチアリーダーの経験者で、かつ強い個性を持つ社交的な女性ばかりであった<ref name="hatenko-59"/>。サウスウエスト航空では、これらの客室乗務員にホットパンツとゴーゴー・ブーツを制服として支給した<ref name="hatenko-59"/>。
アメリカでは少数派の家族主義的経営ともいえ、離職率は5%を切っている。また、対外的にも「愛」を前面に出し、公式サイトでも「LUV(=Love) is ○○○」というキャッチコピーを用いているほか、NYSEの証券コード3文字は「LUV」である。


=== コスト削減 ===
=== 運航開始後 ===
==== 資金難時代 ====
同社ではコスト削減を人件費削減以外の方法で実行している。これは「会社にとってもっとも大事な社員に対しては高水準の賃金が支払われるのが当然」という考えによるもので、前述の社風にも大きく関わっている<ref name="2005-159"/>。
1971年6月18日、ダラス・ヒューストン・サンアントニオの3都市を1日18往復する航空会社として、サウスウエスト航空の運航が開始された。ミューズは引き続き資金集めに奔走し、700万ドルを蓄えた<ref name="hatenko-38"/>ものの、当初の利用者数は少なく、1日の合計の旅客数が150人という日もあった<ref name="hatenko-38"/>。1972年には赤字額の合計は500万ドルに達しており<ref name="hatenko-429">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p429</ref>、この時期にサウスウエスト航空では資金難のために3人の従業員を[[レイオフ]]している<ref name="hatenko-20">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p20</ref><ref group="注釈">このときレイオフされた3人は、ほどなく職場復帰している。</ref>。会社創業以来、2010年に至るまでにサウスウエスト航空が行なったレイオフはこのときの3人だけである<ref name="hatenko-20"/>。


==== 試行錯誤の繰り返し ====
同社では、航空機については「地上にいる時には経費を生み、飛行している時に利益を生む」としており、航空機が地上にいる時間をできるだけ少なくすることを目指した結果、同社の航空機は、1日平均11時間半稼動しているという。このため、航空機が到着すると、F1レースのピットインの時のようにいっせいに作業員が飛行機に近づき作業を行なうことで、航空機の地上滞在時間を短縮している。アメリカ同時多発テロ以前は、最低10分で折り返して出発していた<ref>伊集院憲弘「社員第一、顧客第二主義」p37</ref><ref name="2005-162">「航空旅行ハンドブック2005国際線版」p162。</ref>。2004年時点では[[連邦航空局]]の規則に従ったため、平均25分となっている<ref name="2005-162"/>。これは、創業期には保有している航空機を売却することで手元資金を確保する必要に迫られ、1機少ない機材での運航を余儀なくされた結果である<ref name="2005-162"/>が、以後同社の特徴ともなっている。多くの格安航空会社と同様、[[客室乗務員]]が清掃など複数の仕事をこなす。機内清掃については、目に付く大きなゴミを拾う程度でよいとされている<ref>伊集院憲弘「社員第一、顧客第二主義」p39</ref>、が、これも折り返し時間の短縮によるコスト低減を主眼としたものである。同社では、折り返し時間の短縮は定時出発率の向上にも寄与するため、結果的には顧客の利益にもなるとしている<ref name="2005-159"/>。
当初、サウスウエスト航空はヒューストンでは[[ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港|インターコンチネンタル空港]]に発着していたが、ヒューストンにはもう1つ、[[ヒューストン・ホビー空港|ホビー空港]]が存在した。すでにホビー空港はすべての旅客航空会社が撤退していた<ref name="hatenko-39">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p39</ref>が、市街地から近いことから、サウスウエスト航空が主なターゲットとするビジネス客には適した空港であった<ref name="hatenko-39"/>。1971年11月14日より試行的にホビー空港発着便を設定したところ、利用者数が急増した<ref name="hatenko-39"/>ため、サウスウエスト航空は直ちにヒューストンでのすべての発着便をホビー空港に移した<ref name="hatenko-39"/>。都市部に近い第二空港に発着する手法は、その後格安航空会社の成功の法則の1つになっている<ref name="airline331-95">『月刊エアライン』通巻331号 p95</ref>。


この頃、毎週金曜日には定期点検のためヒューストンからダラスまで航空機をフェリーフライトすることになっていた<ref name="hatenko-49">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p49</ref>が、同年11月末からはこれを営業運航することとし、運賃を片道10ドルに設定した<ref name="hatenko-49"/>ところ、特に宣伝をしなかったにも関わらず大きな評判となった<ref name="hatenko-49"/>。当時、この区間の通常運賃は20ドルだった<ref name="hatenko-49"/>が、利便性志向<ref group="注釈">運賃よりも運航スケジュールを重視し、ビジネスに便利な時間帯に高頻度運航を望むビジネス客を指す。</ref>と低価格志向<ref group="注釈">低運賃を重視し、運航スケジュールについては柔軟に考えるレジャー客を指す。</ref>の双方の市場をカバーするべく、平日朝から夕方までの運賃を26ドルとし<ref name="hatenko-50">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p50</ref>、逆に平日夜と土休日の運賃を13ドルに引き下げた<ref name="hatenko-50"/>ところ、乗客数が増加した。これがアメリカ航空業界において、ピーク時とオフピーク時で異なる運賃とする制度の始まりである<ref name="hatenko-49"/>。
機内サービスについては、飲み物(ソフトドリンクは無料・アルコール類は有料)やピーナッツは提供されるが、[[機内食]]のサービスはなかった。これは「その分運賃を安くしたほうが乗客は喜ぶ」というポリシーによる<ref>伊集院憲弘「社員第一、顧客第二主義」p15</ref>。近年は長距離路線でブレッドスティック・クッキーなどのスナック類が提供されている<ref>月刊エアライン 通巻254号 p18</ref>。


1971年9月にはボーイング737をさらに1機追加購入し、スピードアップや州外へのチャーター便に使用する計画を立てた<ref name="hatenko-52">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p52</ref>。ところが、連邦地方裁判所はサウスウエスト航空に対して、州外チャーター便の運航を禁じた<ref name="hatenko-53">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p53</ref>。収入は増えてきてはいるものの、まだ安定した経営状態ではなかったため、ボーイング737は1972年5月にフロンティア航空へ売却された<ref name="hatenko-53"/>。手元資金の不自由さは解消されたものの、すでに4機使用を前提で計画した運航計画を実行できるかが問題となった<ref name="hatenko-53"/>。航空機を10分で折り返せばダイヤが維持できることが判明<ref name="hatenko-53"/>、以後「折り返し時間10分」がサウスウエスト航空の特徴の1つとなった<ref name="hatenko-54">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p54</ref>。
また、同社は大都市の空港でも、発着便数が少ない小さな空港を選ぶことが多い。そもそもの理由は、創業期に他社からの政治的圧力で主要な空港を利用できない状況に置かれたためであるが、小さな空港の方が空港使用料が安いこと、また、空いている空港を使用することにより、空港での駐機時間を減らしてその分運航便を増やせることから、会社の利益を大きくできるためである。


==== ライバルとの戦い ====
機種は後述するように[[ボーイング737]]シリーズに統一されている。これは「乗員はボーイング737を理解すれば、会社の機材全てを理解したことになる」という観点からのもので、整備コスト・教育コストの低減を図っている。一時的にリース機で[[ボーイング727]]を運航したことはあるが、異なる機種の保有が非効率と判明したためすぐにリースバックされている。
しかし、ライバル航空会社との戦いが終わったわけではなかった。
しかし、2010年に同業のエアトラン(旧バリュージェット)を買収することを決定した際にこの方針ははじめて一部変更された。エアトランは[[ボーイング717]]シリーズの世界最大規模のカスタマーであるが、同シリーズもサウスウエスト航空の機材として組み込まれることが決定しており、今後はボーイング737シリーズとボーイング717シリーズの2種類を保有することになる。


サウスウエスト航空がホビー空港に移ると、ブラニフ航空とコンチネンタル航空は一部の路線をホビー空港発着とするとともに、サウスウエスト航空と同じ額の低運賃を派手に宣伝して対抗した<ref name="hatenko-39"/>。これに対して、サウスウエスト航空は「サウスウエスト航空がホビー空港でサービスを始めなければ、相手の2社はホビー空港には戻ってこなかったはずだ」と広告を出して訴えた<ref name="hatenko-40">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p40</ref>ため、ブラニフ航空の計画は裏目に出てしまい<ref name="hatenko-40"/>、利用者はサウスウエスト航空を選択した<ref name="hatenko-40"/>。サウスウエスト航空は低運賃なだけではなく、時刻どおりに運航し、便数が多く待たされることもなかったのである<ref name="hatenko-40"/>。その後、1970年代半ばにブラニフ航空はホビー空港から撤退している<ref name="hatenko-40"/>。
=== 外部の評価 ===
アメリカの航空雑誌「Air Transport World」が主催する賞である「Airline of the Year」を、1991年と2003年の2回受賞している<ref>[http://atwonline.com/atw-awards-airline-year-winners ATW Industry Achievement Awards Description &amp; History]</ref>。同賞を国際線を1路線も運航していない航空会社が受賞するのは、極めて異例であるという<ref>谷川一巳「世界の『航空会社』物語」p63</ref>。


[[ダラス・フォートワース国際空港]](以下「新空港」と表記)が開港する少し前の1972年、サウスウエスト航空は新空港当局に対して、新空港に移転せずにラブフィールド空港にとどまると通告した<ref name="hatenko-41">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p41</ref>。便利な市街地の近くの空港に発着することでビジネス客の要望にこたえていたので、市街地から離れた新空港に移転することは理屈に合わないと考えたためである<ref name="hatenko-40">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p40</ref>。しかし、これは新空港当局やライバル航空会社から反発を受け、合同訴訟を起こされる事態になった<ref name="hatenko-41"/>。テキサス州地方裁判所・高等裁判所・最高裁判所・合衆国最高裁判所へと審理が進められたが、最終的にはサウスウエスト航空の主張が認められることになった<ref name="hatenko-41"/>。
アメリカのビジネス誌「[[フォーチュン (雑誌)|フォーチュン]]」は、1997年に同社に対して「アメリカでもっとも働き甲斐のある会社」「アメリカで6番目に尊敬される会社」「世界で3番目に尊敬される会社」と評価している。

1973年になると、ようやく利益を計上するようになってきた<ref name="hatenko-51">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p51</ref>サウスウエスト航空は、1973年1月22日よりダラスとサンアントニオを結ぶ路線の運賃を、当時の通常運賃の半額である13ドルに設定することで、同路線の乗客増を狙った<ref name="hatenko-50">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p50</ref>。これに対し、ブラニフ航空は同年2月1日より、この区間の運賃を同額の13ドルにして対抗してきた<ref name="hatenko-50"/>。しかし、この路線はサウスウエスト航空にとっては収益性の高い路線であり、絶対に負けられない路線でもあった<ref name="hatenko-51"/>。サウスウエスト航空は「しみったれた13ドルごときに打ち落とされるサウスウエスト航空ではない」と広告を出した<ref name="hatenko-51"/>上、同年2月2日より、通常運賃の26ドルを支払った利用者に対して、「シーバスリーガル」([[スコッチ・ウイスキー]])・「クラウンローヤル」([[カナディアン・ウイスキー]])・「スミノフ」([[ウォッカ]])のいずれか1本のフルボトルを無料で提供するという奇策を打ち出した<ref name="hatenko-51"/>。この施策は、航空運賃を経費として会社に請求できるビジネス客からは大好評となり<ref name="hatenko-51"/>、ビジネス客はこぞって26ドルを支払った上でボトルを自宅に持ち帰った<ref name="hatenko-51"/>。この施策が行なわれた2ヶ月間で、サウスウエスト航空はテキサス州で最も多くの「シーバスリーガル」・「クラウンローヤル」・「スミノフ」をさばいたといわれている<ref name="hatenko-51"/>。

こうしたサウスウエスト航空の戦いを、地元のマスコミは「[[ダビデ]]と[[ゴリアテ]]」の戦いになぞらえて取り上げ<ref name="hatenko-51"/>、テキサス州の住民にサウスウエスト航空が印象付けられることになった<ref name="hatenko-51"/>。

==== 基本方針の確立 ====
1973年、事業拡大のためテキサス州[[リオ・グランデ市 (テキサス州)|リオグランデバレー]]への路線開設を行なうことになり、TACにリオグランデバレーにある[[ハーリンゲン国際空港]]への路線開設の申請を行なった<ref name="hatenko-47">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p47</ref>。1974年から開始された審議の際にも、ライバル航空会社のうちの1社であるテキサスインターナショナル航空は「リオグランデバレーへの路線は必要にして十分であり、他社の参入の余地はない」と主張した<ref name="hatenko-47"/>が、1年近い審議の後、サウスウエスト航空の参入が認められた<ref name="hatenko-47"/>。このとき、テキサスインターナショナル航空は暫定的差止命令を入手しようとした<ref name="hatenko-47"/>が、折りしもテキサスインターナショナル航空はストライキのため満足な運航が出来る状態ではなく<ref name="hatenko-47"/>、結局差止命令は発布されなかった<ref name="hatenko-47"/>。そして、1975年初頭から運航を開始したサウスウエスト航空は、ストライキの影響を受けて不便を蒙っていたリオグランデバレーの住民から歓迎されたのである<ref name="hatenko-47"/>。

さらに、この路線では他社との競争以上に重要な事実が判明した。サウスウエスト航空が就航する直前の1974年、リオグランデバレーとダラス・ヒューストン・サンアントニオの3都市間を移動する乗客は年間12万3000人程度であった<ref name="hatenko-48">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p48</ref>。ところが、サウスウエスト航空が就航した1975年の同区間の乗客は32万5000人にも及んだのだ<ref name="hatenko-48"/>。これまで飛行機を利用していなかった利用者層が、サウスウエスト航空の低運賃によって、飛行機を利用するようになったのである<ref name="hatenko-48"/>。サウスウエスト航空の基本戦略である「低運賃で頻繁に運航する」という方針が正しかったことが証明され<ref name="hatenko-48"/>、その後次々とテキサス州への各都市へ路線を開設することになる<ref name="hatenko-48"/>。数年後には州内10都市を結ぶ航空会社となっていた<ref name="airline254-33">『月刊エアライン』通巻254号 p33</ref>。

なお、合衆国政府は1975年2月14日に、ライバル航空会社のブラニフ航空とテキサスインターナショナル航空が共謀してサウスウエスト航空を廃業に追い込もうと、サウスウエスト航空の投資銀行や仕入先に対して圧力をかけていることなど、[[シャーマン法]]に違反した行為を行なっているとして起訴した<ref name="hatenko-41"/>。2社はともに反論しなかったため、罰金として10万ドルを課せられている<ref name="hatenko-42">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p42</ref>。

=== 規制緩和後 ===
==== ライト修正法 ====
{{main|ライト修正法}}
[[ジミー・カーター]]政権が[[1978年]]に航空自由化政策(ディレギュレーション)の導入を行なったことで、テキサス州内の航空会社として設立されたサウスウエスト航空も、テキサス州外への路線展開を行なうことが可能になった。ここで、それまでのサウスウエスト航空の基本戦略であった「短距離を低運賃・高頻度運航」という方針を今後も続けるべきかどうかが話し合われた<ref name="hatenko-70">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p43</ref>。その結果、基本戦略を変更せずに事業の拡大を進めていくということになった<ref name="hatenko-70"/>。

早速、同年にヒューストンと[[ニューオーリンズ]]を結ぶ路線を開設し、続いてダラスからニューオーリンズの路線の開設申請を行なったが、これに対して新空港当局、フォートワース市、ブラニフ航空は猛烈に反対した<ref name="hatenko-42"/>。反対者の中にフォートワース選出の下院議員であるジム・ライトがいたことから、ロビー活動合戦が繰り広げられた<ref name="hatenko-43">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p43</ref>。最終的に、ラブフィールド空港からはテキサス州と隣接する州より遠い地点への路線開設が出来ないことになった<ref name="hatenko-43"/>。

ここでサウスウエスト航空が打ち出した方針は、他社のように「ハブ・アンド・スポーク型」と呼ばれるネットワーク形態を構築せず、保有機材であるボーイング737の航続距離や収容力を最大限に活用し<ref name="airline254-33"/>、2地点間の輸送に重点を置く「ポイント・トゥ・ポイント型」の輸送に徹することであった<ref name="airline254-33"/>。つまり、ある程度の集客が見込める短距離・中距離の路線を開設し、それらの路線を相互につなげてゆくことでネットワークを拡大する手法をとったのである<ref name="airline254-33"/>。

この方針に従い、まずヒューストン、アルバカーキ、ラスベガス、フェニックスからの路線を開設<ref name="hatenko-43"/>、さらに隣接州を結ぶ路線を開設してつなげていくという展開を行なった<ref name="hatenko-44">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p44</ref>。この手法は、他の航空会社の採用している「ハブ・アンド・スポーク型」の路線構成によって、混雑した空港で不便な乗り継ぎを強いられることに不満を抱く利用者層から絶大な支持を得た<ref name="airline254-33"/>ことから、その後、多くの路線が集中する一部の空港で便宜的なハブ機能を有する事例はある<ref name="airline254-33"/>ものの、サウスウエスト航空の基本的な路線展開はこの方針に徹することになる<ref name="airline254-33"/>。

==== 最優良航空会社へ ====
これより少し遡る1978年3月28日、創業期より社長兼CEOを勤めていたミューズが辞任し<ref name="hatenko-428">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p428</ref>、後任には[[ユナイテッド航空]]でマーケティング担当副社長を務めていたハワード・パトナムが着任し<ref name="hatenko-428"/>、創業者のケレハーは会長に就いた<ref name="hatenko-428"/>。さらに、パトナムは1981年9月22日に退任し<ref name="hatenko-428"/>、1982年2月23日からは、ケレハーが社長兼会長兼CEOに就任した<ref name="hatenko-428"/>。経営に関する全権を掌握したケレハーは、その後のサウスウエスト航空の特徴となる3点の方針を打ち立てた<ref name="airline254-33"/>(「運営方針」の節で後述)。

他方、1980年代の他の航空会社では急激な路線拡大や他社の買収などで路線網を拡大する事例が多かったが、サウスウエスト航空は大きな買収などは行なわず、基本的には自力での路線展開を進めていった<ref name="sekai63"/>。また、他社では急激な路線展開の後ほどなく撤退を繰り返しているケースもあったが、サウスウエスト航空は基本的には一度就航した地区からの撤退はせず、着実に路線網を拡大していった<ref name="sekai63"/>。さらに、他の航空会社が市場シェアの拡大を重視する<ref name="2005-159">『航空旅行ハンドブック国際線版2005』p159</ref>中で、サウスウエスト航空は徹底的に利益を重視した経営を行なった<ref name="kieta250">『消えたエアライン』p250</ref>。

[[1988年]]5月、サウスウエスト航空は[[アメリカ合衆国運輸省]]が発表する定時運航率の高さ・手荷物の紛失件数の少なさ・利用者からの苦情の少なさの3部門について、アメリカ全航空会社中でトップとなった<ref name="hatenko-313">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p313</ref>。これは、サウスウエスト航空の顧客満足度がトップクラスであるということでもあった。1989年11月からは3ヶ月連続して3部門とも首位となったことから、サウスウエスト航空では1990年1月に「3ヶ月連続の三冠王」という広告展開を行なった<ref name="hatenko-313"/>。サウスウエスト航空は一躍アメリカ最優良航空会社として名前が知れ渡ることになる<ref name="sekai64">『世界の「航空会社」物語』p64</ref>。その後、1992年から4年連続で、年間を通じて「三冠王」となった<ref name="hatenko-425">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p425</ref>。

さらに、[[1991年]]には、アメリカの航空雑誌「Air Transport World」が主催する賞「エアライン・オブ・ザ・イヤー」を受賞した<ref group="注釈">この賞は、全世界の航空会社が評価の対象である。</ref>が、国際線を全く運航していない航空会社の受賞はきわめて異例のことであった<ref name="sekai63"/>。

==== ダラスの対決 ====
[[1992年]]に、サウスウエスト航空が"Just Plane Smart(ちょっと気の利いた飛行機)"という宣伝文句を使用し始めた直後、すでに"Plane Smart(気の利いた飛行機)"という宣伝文句を使用して、サウスカロライナ州で航空機販売を営んでいたスティーブンス・アビエーションは、商標侵害であるとして訴え出た<ref name="hatenko-302">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p302</ref>。しかし、サウスウエスト航空は、その宣伝文句の使用を直ちにやめることも、法廷で争うこともしなかった<ref name="hen-169">『みんな変わり者だった 奇抜ですごい起業家列伝』p169</ref>。両社のCEOが腕相撲の試合を行なうことで決着をつけることにしたのである。

この試合は、3回勝負で2回勝った方が宣伝文句の使用権を得て、1回負けるごとに5000ドルを相手が指定する慈善団体へ寄付するという内容で<ref name="hatenko-302"/>、1992年3月にダラスのスポーツ用施設で行なわれた。試合はケレハーの負けとなったが、試合終了後、スティーブンス・アビエーションのカート・ハワールド会長は、サウスウエスト航空が"Just Plane Smart(ちょっと気の利いた飛行機)"という宣伝文句をその後も使用することを認めた<ref name="hatenko-303">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p303</ref>。慈善事業には合計1万5000ドルが回され<ref name="hatenko-304">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p304</ref>、両社にとっても良い宣伝となった<ref name="hatenko-304"/>が、ケレハーは宣伝目的であったことを否定している<ref name="hatenko-303"/>。

この勝負はアメリカのマスコミにも話題として提供され<ref name="hatenko-304"/>、当時[[アメリカ合衆国大統領|合衆国大統領]]だった[[ジョージ・H・W・ブッシュ]]からも「微笑ましい」という内容の手紙が届く<ref name="hen-169"/>ほどの評判になった。また、サウスウエスト航空の社内では伝説として語り継がれている<ref name="hatenko-303"/>。

==== さらなる事業拡大へ ====
この頃からは、他の航空会社もサウスウエスト航空の実力を認めており<ref name="hatenko-313"/>、その運航形態を見習うようになる<ref name="sekai64"/>。

例えば、ユナイテッド航空はサウスウエスト航空の参入によって、ロサンゼルスとサンフランシスコを結ぶ区間で大きなシェアを奪われており、これに対抗するにはサウスウエスト航空並みの運航体系をとらなければならないと判断し<ref name="sekai64"/>、1994年10月1日より同区間において「シャトル・バイ・ユナイテッド」<ref group="注釈">のちに「ユナイテッド・シャトル」に名称を変更した。</ref>と呼ばれる別組織での運航<ref name="sekai64"/>を開始することを決めた<ref name="hatenko-313">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p313</ref>。サウスウエスト航空はユナイテッド航空の動きを予想しており<ref name="hatenko-313"/>、「シャトル・バイ・ユナイテッド」の計画が判明すると、直ちにかねてから合併を申し入れていた[[モリスエア]]との交渉に入り<ref name="hatenko-313"/>、1993年12月31日に合併を決定した<ref name="hatenko-313"/>。モリスエアとは路線網が重複しておらず<ref name="hatenko-313"/>、しかも保有機は両社ともボーイング737のみであった<ref name="hatenko-313"/>ため、サウスウエスト航空にとっては都合がよく<ref name="737-73">『旅客機型式シリーズ6 ベストセラー・ジェット Boeing737』p73</ref>、しかもユナイテッド航空との競合区間で増便を行なうための航空機も用意できたのである<ref name="hatenko-313"/>。サウスウエスト航空はそれまで目だった他社買収などを行なったことがなかったが、この後他社の買収などが行なわれるようになる。

[[1995年]][[1月31日]]、サウスウエスト航空では電子航空券制度を導入した<ref name="hatenko-173">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p173</ref>。これは、1994年にサウスウエスト航空の航空券がユナイテッド航空・コンチネンタル航空・[[デルタ航空]]のチケット予約システムから外されることになった<ref name="hatenko-173"/>ことがきっかけで、独自の新しい予約システムを導入することになり<ref name="hatenko-174">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p174</ref>、同時にチケットレスシステムの導入を行なったものである。

=== 2000年代 ===
[[2002年]]からは初めてアメリカ大陸横断路線などの長距離便にも参入することになり、同年9月よりロサンゼルスとワシントンを結ぶ路線の運航を開始した<ref name="sekai66">『世界の「航空会社」物語』p66</ref>。所要時間が5時間前後という路線であるが、使用機材は従来どおりボーイング737が使用され、ワシントンでは[[ボルチモア・ワシントン国際空港]]という比較的ローカルな空港に乗り入れる<ref name="sekai66"/>。2002年9月15日までは就航記念で往復198ドルという運賃が適用された<ref>{{cite web|url=http://phx.corporate-ir.net/phoenix.zhtml?c=92562&p=na02&ID=531533 |title=Southwest Airlines Initiates Its First Nonstop Transcontinental Flights |date=2002-05-07| accessdate=2011-04-02}}</ref>。

[[2005年]][[12月8日]]、[[シカゴ・ミッドウェー国際空港]]で、サウスウエスト航空1248便は[[滑走路]]の積雪により[[オーバーラン]]、空港敷地外に逸脱して自動車と衝突するという事故が発生した。巻き込まれた自動車に乗っていた子供が死亡したため、死亡事故ゼロの記録は途切れた。

== 企業概説 ==
=== 運営方針 ===
1978年にCEOに就任したケレハーが決めたもので、ノンフリルかつローコストでありながら品質感のある航空会社にするため<ref name="airline254-33"/>、以下の3点を徹底的に遵守する方針が立てられている<ref name="airline254-33"/>。
* 定時出発率を高いレベルで維持すること
* 利用者にとっては迷惑なトラブルを可能な限り減らすこと
* カジュアルでフレンドリーな会社のイメージを最大限に利用者にアピールすること

また、対外的にも「愛」を前面に出し、公式サイトでも「LUV(=Love) is ○○○」というキャッチコピーを用いているほか、NYSEの証券コード3文字は「LUV」である<ref name="e1c2-13"/>。

==== 家族的な社風 ====
開放的なコミュニケーションと強いチームコーディネートを促進することで、積極的な職場文化を作り上げている<ref name="UP">Bamber, GJ, Gittell, JH, Kochan, TA & von Nordenflytch, A 2009, Up in the air: How airlines can improve performance by engaging their employees, Cornell University Press, New York.</ref>。サウスウエスト航空の人材戦略は、個人の能力よりもチーム全体での成果に焦点を合わせ、チームの発展に向けたものである。サウスウエスト航空は、業務と私生活のバランスを維持した上で、従業員の共同体と家族的なつながりを維持するよう奨励している<ref name="UP"/>。

また、社内での地位に関わらずお互いを[[ファーストネーム]]で呼び合う習慣が形成されており<ref name="hatenko-104">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p104</ref><ref group="注釈">例えば、創業者の一人のハーバート・ケレハーに対しては、社員は「ハーブ」と呼ぶ。</ref>、従業員が3万人を超えても、一貫して家族的な社風が継承されている<ref name="2005-158">『航空旅行ハンドブック2005国際線版』p158</ref>。

社員の80パーセント以上が労働組合に加盟しているが、サウスウエスト航空では常に会社のシステムが柔軟に運用できるように就業条件を交渉しており<ref name="hatenko-80">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p80</ref>、定時出発率を維持するためには本来の担当業務以外の仕事にも対応できることとしている。定時出発するために、空港での荷物の積み込みを操縦士や客室乗務員が手伝うことは珍しくない<ref name="hatenko-81">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p81</ref>。

==== 独特の企業文化 ====
サウスウエスト航空は、企業ポリシーとして「顧客第二主義」「従業員の満足(Employee Satisfaction)第一主義」を掲げる<ref name="2005-158"/>。これは、不確定要素の存在する顧客よりも、発展の原動力であり信頼できる人間関係を築き上げることが可能な社員を上位に位置づけているもので<ref name="2005-158"/>、「従業員を満足させることで、却って従業員自らが顧客に最高の満足を提供する」という経営哲学を追求している<ref name="e1c2-14">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p14</ref>。

サウスウエスト航空は、従業員の採用に際してユーモアのセンスがあることを重要視する<ref name="e1c2-31">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p31</ref>。これは、「緊張を強いられることの多い仕事につく人にこそユーモアセンスが必要」というケレハーの持論によるもので<ref name="e1c2-34">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p34</ref>、操縦士や客室乗務員、空港カウンターの従業員のみならず、本社や駐機場で勤務する従業員にも等しく求められるものである<ref name="e1c2-29">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p29</ref>。また、客室乗務員の採用時には、サウスウエスト航空の顧客に「望ましい客室乗務員」の選定を依頼することがある<ref name="e1c2-30">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p30</ref>。

「乗客に空の旅を楽しんでもらう」ことを従業員に推奨しており、出発前に客室乗務員のパフォーマンスが行なわれることがある。サウスウエスト航空では従業員が顧客にへつらうことなく良識を優先することを推奨しており<ref name="hatenko-351">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p351</ref>、顧客が満足するための判断を従業員の裁量に任せる方針をとっている<ref name="sekai64"/>ため、顧客を楽しませるためであれば社内規則を曲げるようなことであっても容認されることがある<ref name="hatenko-188">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p188</ref>。ユナイテッド航空のシャトル便サービスが開始された際に空港職員が戦闘用の迷彩服を着用したり<ref name="hatenko-248">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p248</ref>、[[パトリキウス#聖パトリックの日|聖パトリックの日]]に客室乗務員が小妖精の衣装を着用して乗務したり<ref name="idai15"/>、運行中に乗客が連れていた[[マゼランペンギン]]の機内散歩を許可したりする<ref>{{Cite web
| title = Who said penguins couldn't fly? Bird causes a stir as he roams aisles on a passenger plane
| publisher = Dairy Mail Online
| date = 2011-03-21
| url = http://www.dailymail.co.uk/news/article-1368402/Who-said-penguins-fly-SeaWorld-penguin-causes-stir-roams-aisles-passenger-plane.html
| accessdate = 2011-04-04 }}、{{Cite web
| title = てくてく歩く“機内ペンギン”、旅客機の通路に現れた珍客に喜ぶ。
| publisher = Narinari.com
| date = 2011-03-26
| url = http://www.narinari.com/Nd/20110315271.html
| accessdate = 2011-04-04 }}</ref><ref group="注釈">[http://www.youtube.com/watch?v=DoHcO5GqsLk 当該動画「Penguins on a Plane (original) 」]</ref>事例は、すべて従業員の判断である。

サウスウエスト航空の経営方針に対しては必ずしも好意的な意見ばかりではなく、「サウスウエストの従業員はふざけすぎている」という投書もある<ref name="e1c2-103">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p103</ref>。これに対して、サウスウエスト航空は「ポリシーを変更する考えはない」と返信を送り、従業員を侮辱する顧客に対しては「今後乗らなくて結構です」と躊躇なく他航空会社の利用を勧める。ケレハーは、顧客がいつも正しいと考えることを「上司が従業員に対して犯しやすい最大の背信行為」と述べている<ref name="hatenko-326">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p326</ref>。

==== 制服 ====
早い時期から、全部門でカジュアルな服装への移行を行なっている<ref name="hatenko-247">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p247</ref>。

創業当初、客室乗務員に制服として支給されたのはをホットパンツとゴーゴー・ブーツであった<ref name="hatenko-59"/>。一時期、フォーマルな制服を導入していた時期もあった<ref name="hatenko-248"/>が、顧客から不満の声があったため<ref name="hatenko-248"/>、数年でカジュアルな制服に変更されている<ref name="hatenko-248"/>。客室乗務員の服装は、夏服の場合ポロシャツ、キュロットパンツ、スニーカーである<ref name="254-18">『月刊エアライン 通巻254号』 p18</ref>。

==== 広告戦略 ====
サウスウエスト航空は広告戦略でもユーモアを取り入れている。同社では利用者と直接接する従業員も、会社から顧客に対する情報伝達手段の一部と捉えており<ref name="hatenko-318">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p318</ref>、カジュアルでフレンドリーな会社のイメージを最大限に利用者にアピールすることを推奨している<ref name="airline254-33"/>のはそのためである。

また、競争に対しては真剣に取り組むが、競争相手を苦笑させるような広告戦略をとることがある<ref name="hatenko-316">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p316</ref>。一例としては、[[ノースウエスト航空]]が顧客満足度がトップであるという広告を出した際に、会社としての正式な声明として「うそ、うそ、真っ赤な嘘!」と書いた広告を出したことがある<ref name="hen-173">『みんな変わり者だった 奇抜ですごい起業家列伝』p173</ref>。

これまでに広告に使用されたキャッチフレーズとしては、「The Somebody Else Up There Who Loves You(あなたを愛する誰かがそこにいる)」<ref name="hatenko-58"/>、「Just Plane Smart(ちょっと気の利いた飛行機)」<ref name="hatenko-317">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p317</ref>、「THE Low Fare Airline(唯一の低運賃航空会社)」<ref name="hatenko-320">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p320</ref>というものが挙げられる。2011年1月1日現在のキャッチフレーズは「Grab your bag, It's On!」。これらの広告は、サウスウエスト航空公式サイトで参照可能である<ref>"[http://www.southwest.com/about_swa/netads.html Southwest Airlines Historical Advertising Gallery]." ''Southwest Airlines''. Retrieved on February 11, 2009.</ref>。

==== コスト削減 ====
サウスウエスト航空ではコスト削減を人件費削減以外の方法で実行している。

航空機については「地上にいる時には経費を生み、飛行している時に利益を生む」としており、航空機が地上にいる時間をできるだけ少なくすることを目指した結果、サウスウエスト航空の航空機は、1日平均11時間半稼動している<ref name="2005-162">『航空旅行ハンドブック2005国際線版』p162。</ref>。このため、航空機が到着すると、F1レースのピットインの時のようにいっせいに作業員が飛行機に近づき作業を行なうことで、航空機の地上滞在時間を短縮している。アメリカ同時多発テロ以前は、最低10分で折り返して出発していた<ref name="e1c2-37">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p37</ref><ref name="2005-162"/>。2004年時点では[[連邦航空局]]の規則に従ったため、平均25分となっている<ref name="2005-162"/>。これは、創業期には保有している航空機を売却することで手元資金を確保する必要に迫られ、1機少ない機材での運航を余儀なくされた結果である<ref name="2005-162"/>が、以後サウスウエスト航空の特徴ともなっている。

多くの格安航空会社と同様、[[客室乗務員]]が清掃など複数の仕事をこなす。機内清掃については、目に付く大きなゴミを拾う程度でよいとされている<ref name="e1c2-39">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p39</ref>、が、これも折り返し時間の短縮によるコスト低減を主眼としたものである。サウスウエスト航空では、折り返し時間の短縮は定時出発率の向上にも寄与するため、結果的には顧客の利益にもなるとしている<ref name="2005-159"/>。

大都市の空港でも、発着便数が少ない小さな空港を選ぶことが多い<ref name="hatenko-76">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p76</ref>。小さな空港の方が空港使用料が安いこと、また、空いている空港を使用することにより、空港での駐機時間を減らしてその分運航便を増やせることによる<ref name="hatenko-76"/>。[[フロリダ州]]と[[カリフォルニア州]]では燃料価格が他の州よりも高くなるため、給油のタイミングにも気を使っている<ref name="2005-162"/>。

機種は後述するように[[ボーイング737]]シリーズに統一されている。これは「乗員はボーイング737を理解すれば、会社の機材全てを理解したことになる」という観点からのもので<ref name="737-73"/>、整備コスト・教育コストの低減を図っている<ref name="hatenko-78">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p78</ref>。一時的にリース機で[[ボーイング727]]を運航したことはあるが、異なる機種の保有が非効率と判明したためすぐにリースバックされている<ref name="airline331-95"/>。保有機材の25パーセントはリース機材としている<ref name="JMAMR-57">『JMAマネジメントレビュー』p57</ref>ほか、整備のアウトソーシング先は部品のメーカーとすることで安全性を確保している<ref name="JMAMR-57"/>。

2008年、サウスウエスト航空は[[プラットアンドホイットニー]]社のエンジン高圧洗浄装置の使用を契約した。航空機を搭乗ゲートに駐機した状態で、エンジンのタービンブレードから汚れと不純物を清掃可能なもので、頻繁にジェットエンジンの洗浄を行なうことにより、燃費が約1.9%改善されると見積もられている<ref>Southwest Ecopower Press Release June 11, 2008</ref><ref>Lunsford, J. Lynn. “Airlines Dip Into Hot Water to Save Jet Fuel.” Wall Street Journal. 11 June 2008: B1.</ref>。

==== 人件費 ====
サウスウエスト航空は人件費をコスト削減対象とはしていない。「会社にとってもっとも大事な社員に対しては高水準の賃金が支払われるのが当然」という考えによるもので<ref name="2005-159"/>、「人員を削減した結果、出発準備に手間取り遅延が発生するのは本末転倒」としている<ref name="2005-159"/>。アメリカ航空業界全体が不振に陥った時も、レイオフも減給もしない方針を貫いている<ref name="JMAMR-57"/>。

サウスウエスト航空の総運航コストにおける人件費率は41%で他の格安航空会社より10%前後高く<ref name="2005-159"/>、[[デルタ航空]]の人件費率が44%であるのと比べても高い<ref name="2005-159"/>。給与水準は大手航空会社と比較しても遜色なく<ref name="2005-159"/>、操縦士は全米3番目、客室乗務員は全米5番目、地上作業員と整備士は全米最高の給与水準であるという<ref name="2005-159"/>。

運航乗務員や客室乗務員については乗務手当が支払われるが、この算出は時間単価ではなく会社が指定した「トリップ」という単位を利用し<ref group="注釈">1997年時点で、1トリップあたり234マイル。</ref>、その日の移動距離に応じて支払われる<ref name="e1c2-85">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p85</ref>。

訓練期間中は無給であり、交通費などの必要経費以外は支払われない<ref name="e1c2-86">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p86</ref>が、これは大手の[[ユナイテッド航空]]でも同様の方法をとっている<ref name="e1c2-87">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p87</ref>など、サウスウエスト航空特有の話ではない。

=== 危機管理 ===
サウスウエスト航空は、好調な時期にやりくりを行なうことで不況に備えるようにしている<ref name="hatenko-85">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p85</ref>。

サウスウエスト航空は燃料取引については、財政力を後押しとした積極的な情報収集をしている<ref>{{Cite news| url=http://www.usatoday.com/travel/flights/2007-04-19-southwest-posts-first-quarter-profit_N.htm | work=USA Today | title=Southwest Airlines' fuel hedging pushes profits | date=April 19, 2007 | accessdate=May 23, 2010}}</ref><ref>{{Cite news| url=http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2005/10/20/AR2005102001967.html | work=The Washington Post | title=Airlines That Hedged Against Fuel Costs Reap Benefits | first=David | last=Koenig | date=October 21, 2005 | accessdate=May 23, 2010}}</ref><ref>[http://www.iht.com/articles/2007/11/28/business/hedge.php Southwest Airlines gains advantage by hedging on long-term oil contracts - International Herald Tribune<!-- Bot generated title -->]</ref>。中には、1999年から2000年代前半にかけての燃料取引についての考えが、サウスウエスト航空とは正反対の意見を表明していたアナリストもいた。彼らはむしろ、サウスウエスト航空は根拠なしに燃料価格を予測していたとしている<ref name="Carlos Blanco 2005">{{Cite news
| author = Carlos Blanco
| coauthors = J. Lehman and N. Shimoda
| title = Airlines Hedging Strategies: The Shareholder Value Perspective
| year = 2005
| url = http://www.blackswanrisk.com/pdf/2005_EUROMONEY_hedging_airlines.pdf
| accessdate = 2011-03-29}}</ref>。

2008年の第3四半期では、燃油ヘッジの価格より燃料価格が下落したことにより、サウスウエスト航空は17年ぶりに損失を計上した<ref>{{Cite news|title=Southwest Airlines posts first loss in 17 years |publisher=MSNBC |date=October 16, 2008 |agency=Associated Press |url=http://www.msnbc.msn.com/id/27213286/ }}</ref>。

=== 他社の買収 ===
事業拡大の過程では、他の航空会社の買収も行なわれている。これまでに3社を買収しており、2011年現在で1社の買収手続き中である。

==== 買収歴 ====
===== ミューズエア =====
1985年6月25日、経営が悪化していた[[トランスター航空|ミューズエア]]を6050万ドルで買収した。買収後、社名をトランスター航空に変更し、サウスウエスト航空傘下の別会社として運航を行なった。買収された後は、サウスウエスト航空の就航していない地区への路線展開を行なったが、1987年8月9日に運行停止となった<ref name="kieta208">『消えたエアライン』p208</ref>。

===== モリスエア =====
1993年12月には、アメリカ北西部への事業拡大として、[[ユタ州]][[ソルトレイクシティー]]を拠点とするモリスエアを1株あたり134ドルで買収した<ref name="funduniv">{{cite web |url=http://www.fundinguniverse.com/company-histories/Morris-Travel-Services-LLC-Company-History.html |title=Morris Travel Services L.L.C. |year=2011 |work=fundinguniverse.com |publisher=Funding Universe LLC |archiveurl=http://www.webcitation.org/5vhA4ukDi |archivedate=2011-01-12 |accessdate=2011-01-12 |quote=In December 1993 Southwest Airlines, headed by Herb Kelleher, acquired Morris Air.}}</ref><ref name="seatimes">{{cite news |url=http://seattletimes.nwsource.com/html/nationworld/2009383963_apussouthwesttimeline.html |title=A Timeline of Southwest Airlines at a Glance |agency=Associated Press |authorlink=Associated Press |date=2009-06-25 |work=seattletimes.com |publisher=The Seattle Times Company |archiveurl=http://www.webcitation.org/5vhAqwABL |archivedate=2011-01-12 |accessdate=2011-01-12 |quote=Acquires Morris Air to expand into the Pacific Northwest.}}</ref>。買収後は完全にモリスエアはサウスウエスト航空に吸収合併された。モリスエアの創業者の一人である[[デビッド・ニールマン]]は、しばらくサウスウエスト航空に勤務していたが、ほどなく退社。後に[[ジェットブルー航空]]を設立した<ref name="Peterson">{{Cite book |first=Barbara S. |last=Peterson |title=Blue Streak: Inside jetBlue, the Upstart that Rocked an Industry |publisher=Portfolio Hardcover |year=2004 | isbn=1-59184-058-9 }}</ref>。

===== ATA航空 =====
2008年に連邦倒産法第11章の適用を受けた[[ATA航空]]の資産を750万ドルで購入した。これは、それまでATA航空が使用していたニューヨーク・ラガーディア空港の設備利用権利と発着枠を得るのが目的で、ATA航空保有の航空機や社員などは含まれていない<ref name="avationweek">{{cite web |url=http://www.aviationweek.com/aw/generic/story_channel.jsp?channel=comm&id=news/ATASW11198.xml |title=LaGuardia The Target In Southwest ATA Bid |first=Andrew |last=Compart |date=2008-11-08 |work=aviationweek.com |publisher=The McGraw-Hill Companies, Inc |archiveurl=http://www.webcitation.org/5vhBqyffO |archivedate=2011-01-12 |accessdate=2011-01-12 |quote=Southwest Airlines has made a $7.5 million bid for ATA Airlines solely to obtain the dormant carrier's 14 slots at New York LaGuardia Airport...}}</ref>。

===== エアトラン =====
{{Wikinews|:en:Southwest Airlines to purchase AirTran Airways for US$1.4 billion}}
2010年9月27日、サウスウエスト航空は、オーランドを拠点とする[[エアトラン航空|エアトラン]]の親会社であるエアトラン・ホールディングスを14億ドルで買収することを計画していると発表した<ref>{{cite web |url=http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_109129 |title=米サウスウエスト航空、エアトランを買収へ |date=2010-09-28 |accessdate=2011-04-04}}</ref>。この買収により、サウスウエスト航空は新たにメキシコ・カリブ海・アトランタを含む38都市への乗り入れや、エアトランの拠点空港やサウスウエスト航空が乗り入れていない最大の都市への乗り入れが実現する<ref name="lff_heres">{{cite web |url=http://www.lowfaresfarther.com/what-it-means/ |title=Here's What It Means |date=2010-12-17 |work=lowfaresfarther.com |publisher=Southwest Airlines Co |archiveurl=http://www.webcitation.org/5vhGCM79S |archivedate=2011-01-12 |accessdate=2011-01-12 |quote=AirTran serves 38 airports not served by Southwest }}</ref>。サウスウエスト航空はこれまでは[[ボーイング737]]シリーズの航空機のみを運航していたが、今回の買収によってエアトランの保有するボーイング717とボーイング737がサウスウエスト航空の機材に組み込まれる。2011年第2四半期までに買収を完了する予定で、その後合併まではサウスウエスト航空とエアトランは別々の航空会社として運航を続ける<ref name="bloomberg">{{cite web |url=http://www.bloomberg.com/news/2010-09-27/southwest-airlines-agrees-to-buy-airtran-for-1-4-billion-in-cash-shares.html |title=Southwest CEO Risks Keep-it-Simple Strategy to Reignite Growth |first1=Mary |last1=Schlangenstein |first2=John |last2=Hughes |date=2010-10-28 |work=bloomberg.com |publisher=Bloomberg L.P |archiveurl=http://www.webcitation.org/5vh7wuxod |archivedate=2011-01-12 |accessdate=2011-01-12 |quote=...Morris Air in 1993 for $134 million in stock and Muse Air in 1985 for $60.5 million in stock and cash....}}</ref><ref name="cnn_aitran">{{cite web |url=http://money.cnn.com/2010/09/27/news/companies/southwest_airtran/index.htm?cnn=yes |title=Southwest to acquire AirTran |first=Aaron |last=Smith |date=2010-09-28 |work=money.cnn.com |publisher=Cable News Network |archiveurl=http://www.webcitation.org/5vhEtNRHT |archivedate=2011-01-12 |accessdate=2011-01-12 |quote=Southwest Airlines plans to acquire AirTran Holdings for $1.4 billion, the airlines said on Monday.}}</ref><ref name="lff_news">{{cite web |url=http://www.lowfaresfarther.com/news-and-updates/ |title=Integration Update |date=2010-12-17 |work=lowfaresfarther.com |publisher=Southwest Airlines Co |archiveurl=http://www.webcitation.org/5vhFHayh9 |archivedate=2011-01-12 |accessdate=2011-01-12 |quote=...it appears likely that closing will occur in the second quarter of 2011...}}</ref>。

==== 失敗した買収 ====
買収による事業拡大は、うまく行ったケースばかりではない。

===== フロンティア航空 =====
2009年7月30日、サウスウエスト航空は経営破たんした[[フロンティア航空]]の買収価格を1億1360万ドルと発表した。当初、サウスウエスト航空ではフロンティア航空を別会社として傘下に組み込む予定であったが、最終的には合併の上でフロンティア航空の航空機をボーイング737に取り替える計画となった<ref name="avweek_frontier">{{cite web |url=http://www.aviationweek.com/aw/generic/story_channel.jsp?channel=comm&id=news/SWFR081009.xml |title=Southwest Offers $170 Million For Frontier |first=Andrew |last=Compart |date=2009-08-10 |work=aviationweek.com |publisher=The McGraw-Hill Companies, Inc |archiveurl=http://www.webcitation.org/5vhDR09SH |archivedate=2011-01-12 |accessdate=2011-01-12 |quote=Southwest said it submitted a bid of about $170 million for Frontier...}}</ref>。しかし、同年8月14日には、入札でリパブリックエアウェイズ・ホールディングスに敗れた。専門家は、デンバーへの事業拡大という点から、サウスウエスト航空が入札で勝利すると予想していた。サウスウエスト航空では、買収失敗の要因として、両者のパイロット組合と合意できなかったことを挙げている<ref name="reuters">{{cite web |url=http://www.reuters.com/article/innovationNews/idUSTRE57D03Z20090814?sp=true Republic wins Frontier auction over Southwest |title=Republic wins Frontier auction over Southwest |first=Deepa |last=Seetharaman |date=2009-08-14 |work=reuters.com |publisher=Thomson Reuters |archiveurl=http://www.webcitation.org/5vhDicJYE |archivedate=2011-01-12 |accessdate=2011-01-12 |quote=Republic Airways Holdings (RJET.O) won its bid to buy bankrupt Frontier Airlines Holdings Inc FRNTQ.PK for $108.75 million after a day-long auction in bankruptcy court late Thursday.}}</ref>。

=== 本拠地===<!--Headquarters-->
[[File:Southwest airlines hq from east 2009-06-22.jpg|thumb|250px|本社]]
サウスウエスト航空の本社は、テキサス州ダラスのラブフィールド空港敷地内にある<ref name="factsheet">{{cite web |url=http://www.southwest.com/html/about-southwest/history/fact-sheet.html |title=Fact Sheet |date=2011-03-13 |work=southwest.com |publisher=Southwest Airlines Co |accessdate=2011-03-19 |quote=Southwest currently operates 547 Boeing 737 jets {{as of|2010|09|30|lc=y|df=US}}.}}</ref><ref>"[http://www.southwest.com/images/photo_gallery/home.jpg Southwest Airlines Corporate Headquarters, Love Field, Dallas]." Southwest Airlines. Retrieved on February 18, 2010.</ref>。

創業当初はダラス市内のビルに本社を設置していた<ref>''World Airline Directory''. Flight International. March 20, 1975. "[http://www.flightglobal.com/pdfarchive/view/1975/1975%20-%200565.html 503].</ref>が、1990年に現在地に移転した。その時点で、2万3800平方メートルの敷地に約650人の従業員が勤務していた<ref name="ExpandHQTraining">"[http://findarticles.com/p/articles/mi_m0EIN/is_1996_March_13/ai_18083730/ Southwest Airlines to expand headquarters and training facilities near Love Field]." ''[[Business Wire]]''. March 13, 1996. Retrieved on March 4, 2010.</ref>。現在の建物は1500万ドルをかけて建設された<ref>"[http://nl.newsbank.com/nl-search/we/Archives?p_product=DM&p_theme=dm&p_action=search&p_maxdocs=200&p_topdoc=1&p_text_direct-0=0ED3D0FBF64DCA63&p_field_direct-0=document_id&p_perpage=10&p_sort=YMD_date:D&s_trackval=GooglePM Southwest will report slim profit]." ''[[The Dallas Morning News]]''. April 26, 1990. Retrieved on March 4, 2010. "Mr. Kelleher, who made his remarks at the opening of the airline's new $15 million headquarters facility at Dallas Love Field,"</ref>。1995年には本社を5600平方メートル拡張している。 2006年時点では、約1400人の従業員が、3階建ての社屋で勤務していた<ref name="ExpandHQTraining"/>。

1996年3月<ref>Lee, Christopher and Terry Maxon. "[http://nl.newsbank.com/nl-search/we/Archives?p_product=DM&p_theme=dm&p_action=search&p_maxdocs=200&p_topdoc=1&p_text_direct-0=0ED3D6864504B28B&p_field_direct-0=document_id&p_perpage=10&p_sort=YMD_date:D&s_trackval=GooglePM Southwest to announce expansion at Love Field $72 million project would add jobs, but no more flights]." ''[[The Dallas Morning News]]''. March 13, 1996. Retrieved on February 18, 2010.</ref>、3000万ドルを費やして、既存の本社敷地に追加する形で、2万8千平方メートルの拡張を行なうと発表した<ref>"[http://www.encyclopedia.com/doc/1G1-18934896.html Southwest Airlines expands its corporate headquarters to prepare for the next century;.]" ''[[Business Wire]]''. December 11, 1996. Retrieved on February 18, 2010.</ref>。1996年3月13日にはこの工事はダラス市議会で満場一致で可決された<ref>Maxon, Terry. "[http://nl.newsbank.com/nl-search/we/Archives?p_product=DM&p_theme=dm&p_action=search&p_maxdocs=200&p_topdoc=1&p_text_direct-0=0ED3D686A33E9246&p_field_direct-0=document_id&p_perpage=10&p_sort=YMD_date:D&s_trackval=GooglePM Council OKs Southwest land lease Headquarters addition, training center planned]." ''[[The Dallas Morning News]]''. March 14, 1996. Retrieved on February 18, 2010.</ref>。サウスウエスト航空では、合計4ヘクタールの土地をダラス市から借り受け、本社拡張と同時にパイロット訓練施設の建設と、駐車場の増設を行なった。これらは当初予定通り1997年3月に完成した。パイロット訓練施設が移転し、本社は北側に拡張された。

=== その他の活動 ===
毎年冬には、サウスウエスト航空の就航都市に在住する飛行機運賃を支払う資力のない高齢者を対象に「ホリデーにはホームへ」キャンペーンを行なっている。対象者が故郷に帰って身内と会うことを支援するもので、無料の航空券が提供される<ref name="hatenko-291">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p291</ref>。1986年と1987年には、当時の大統領だった[[ロナルド・レーガン]]から表彰されている<ref name="hatenko-291"/>。

1985年以降、難病の子供とその家族を支援するための宿泊施設「[[ドナルド・マクドナルド・ハウス|ロナルド・マクドナルド・ハウス]]」への支援活動を行っている<ref name="hatenko-292">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p292</ref>。単純に寄付するだけではなく、従業員有志が月例夕食会やクリスマスパーティーを開催するという内容で、1994年にはハウスに多大な貢献をした会社として表彰されている<ref name="hatenko-294">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p294</ref>。

サウスウエスト航空はテキサス州における高速鉄道の建設に反対している<ref>{{Cite news|title= Texas TGV Corp. wins funding reprieve|url=http://findarticles.com/p/articles/mi_m1215/is_/ai_13261300|author=[[Railway Age]]|accessdate=2008-10-24 | date=December 1, 1992 | work=Railway Age}}</ref><ref>{{Cite journal|title=| journal = Railway Age | publisher = Simmons-Boardman Publishing Corporation | date = Dec, 1992 | url = | accessdate = Oct 24, 2008 }}</ref>。

=== 歴代主要経営陣 ===
* ラマー・ミューズ(初代CEO)
*: トランステキサス航空、サザンエア、セントラル航空、ユニバーサル航空を経て<ref name="hatenko-33"/>、初代CEOとして着任。サウスウエスト航空の創業期に、航空業界で経験をつんだベテランを集めて、初期の企業幹部を形成した<ref name="hatenko-35"/>。1978年に辞任、その後1981年にミューズエアを設立<ref name="kieta206">『消えたエアライン』p206</ref>、1984年にミューズエアの経営を息子に委譲<ref name="kieta207">『消えたエアライン』p207</ref>。
* ロリン・キング(初代業務担当副社長)
*: 共同創立者のうちの一人。当初より社員と交流することが義務と考え<ref name="hatenko-62">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p62</ref>、1ヶ月に25時間から30時間は自社機に搭乗し、社員や乗客との対話を行なっていた<ref name="hatenko-62"/>。経営陣が現場を直接視察し、できる限り現場の従業員との交流を培うという、サウスウエスト航空の基準を決めた人物である<ref name="hatenko-62"/>。
* ハワード・パトナム(2代目CEO)
*: [[ユナイテッド航空]]のマーケティング・サービス担当の副社長を経て、1978年9月21日に正式に就任<ref name="hatenko-428"/>。サウスウエスト航空で果たした最大の貢献について何かを訊かれ、「ユナイテッド航空で学んだことを1つも実行しなかったことだ」と答えて、ケレハーを大笑いさせたことがある<ref name="hatenko-65">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p65</ref>。1981年9月22日に、ブラニフ航空の社長兼CEOとなるために退任<ref name="hatenko-428"/>。
* [[ハーバート・ケレハー]](3代目CEO→名誉会長)
*: 共同創立者のうちの一人。創立当初は法律顧問だったが、ミューズの退任からパトナムの着任まで暫定的にCEOを務めた。その後会長職にいたが、パトナムの退任後の1982年2月23日から正式にCEOとして着任。サウスウエスト航空の企業風土を形成した立役者<ref name="idai15">『世界で最も偉大な経営者』p15</ref>であり、サウスウエスト航空の歴史はケレハーを中心に成り立っているともみられている<ref name="hen-165">『みんな変わり者だった 奇抜ですごい起業家列伝』p165</ref>。2001年にCEOを退任、2007年7月に取締役会議長を辞任した。
* ジェームス・パーカー(4代目CEO)
*: 2001年中盤にCEOに着任した。サウスウエスト航空がアメリカ合衆国で最大の航空会社になったとき、空前の収益性で会社を成長させた立役者である。「個人的な理由」でCEOを退任した<ref>{{cite web| url = http://lubbockonline.com/stories/071604/bus_0716040014.shtml| title = Southwest Airlines CEO steps down, citing personal reasons| accessdate = 2011-04-04}}</ref>。
* ゲリー・C・ケリー(5代目CEO)
*: 2004年7月15日に[[ジム・パーカー]]の後任としてCEOに着任した。2008年7月15日には[[コリーン・バレット]]の後任として社長に着任している。
* コリーン・バレット
*: ケレハーが弁護士業を行っていた時の秘書で、総務・経営担当副社長を経て社長に就任。規則を顧客サービスに適用せず、柔軟な対処を行なう社風の維持に務めた<ref name="hatenko-350">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p350</ref>。理事会と事務部長を2008年5月に辞任、2007年7月には社長も辞任した。

== 路線展開 ==
2011年3月27日現在、サウスウエスト航空は1日3300便を運航し、37州72都市に乗り入れている。最新の乗り入れ空港は、2011年3月27日乗り入れを開始した[[ニューアーク・リバティー国際空港]]である。

他のアメリカの大手航空会社が「ハブ・アンド・スポーク型」と呼ばれるネットワークを持つのに対して、主にアメリカの地方空港同士を結ぶ「ポイント・トゥ・ポイント型」の航空網を持っている。これは、[[ダラス・フォートワース国際空港]]の開港時に、サウスウエスト航空の拠点であるラブフィールド空港からは、隣接する州以遠の路線を運航することができないという法律([[ライト修正法]], Wright Amendment )が制定されたことが発端<ref>『世界の「航空会社」物語』p61</ref>で、サウスウエスト航空では隣接する州同士を結ぶ路線を展開した。サウスウエスト航空の路線展開は、資金が潤沢にあり、利益が出ると見込めるときに限って行なわれた<ref name="hen-176">『みんな変わり者だった 奇抜ですごい起業家列伝』p176</ref>。決して会社の体力に対して背伸びをするようなビジネスは展開しなかった<ref name="airline331-95"/>。

サウスウエスト航空は、運航コスト削減の一環として、着陸料などが低く、都市部に近いために便利な二次的な空港に乗り入れることが多い<ref name="hatenko-76"/>。例えば、[[シカゴ]]では[[シカゴ・オヘア国際空港|オヘア国際空港]][[シカゴ・ミッドウェー国際空港|ミッドウェー空港]]に、[[ヒューストン]]では[[ジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港]]ではなくウィリアム・P・ホビー空港に、同社の拠点である[[ダラス]]でも[[ダラス・フォートワース国際空港]]ではなく[[ダラス・ラブフィールド空港|ラブフィールド空港]]に発着している<ref name="hatenko-76"/>。ただし、[[ロサンゼルス]]・[[ラスベガス]]などでは、それぞれ[[ロサンゼルス国際空港]]・[[マッカラン国際空港]]に発着するなど<ref name="hatenko-76"/>、最も効率よく航空機を活用できる空港であると判断された場合<ref name="hatenko-76"/>には、他社と同じ大空港に乗り入れることもある<ref name="hatenko-76"/>。

基本的に一度就航した地区からの撤退はしないが、[[コロラド州]][[デンバー]]では、不安定な天候と過度な混雑により遅れが多発したことや、[[デンバー国際空港]]の開港と同時に市街地に近い[[ステープルトン国際空港]]が廃港となった際に、空港利用料が高くサウスウエスト航空のビジネス形態に合わず、低運賃が実現できないと判断されたため、1986年に撤退している<ref name="2005-160">『航空旅行ハンドブック2005国際線版』p160</ref>。その後、2006年からはデンバー新空港に乗り入れを再開し、以前乗り入れていたときと同様に<ref>[http://www.dallasnews.com/sharedcontent/dws/bus/stories/011008dnbussouthwest.2822e1d.html Southwest Airlines growing rapidly in Denver | Dallas Morning News | News for Dallas, Texas | Dallas Business News<!-- Bot generated title -->]</ref>オーランド、カンザスシティー、ボルチモアへの運航を開始している<ref>{{cite news| url=http://www.bizjournals.com/orlando/stories/2008/01/14/daily7.html | title=Southwest Airlines cutting Orlando flights | date=January 14, 2008}}</ref>。

サウスウエスト航空の乗客の80パーセントは地元の利用者で、乗り継ぎなどを行なう利用者は全体の20パーセントに過ぎない。これは、他の航空会社と比較しても高い数値である<ref>{{cite web|url=http://www.erau.edu/research/BA590/chapters/ch7.htm |title=Chapter 7: Flight Arrival Flow: Southwest vs. Legacy Carriers |author=Jeremy Sickler |accessdate=2007-06-10 |archiveurl = http://web.archive.org/web/20070409192200/http://www.erau.edu/research/BA590/chapters/ch7.htm |archivedate = April 9, 2007}}</ref>。

=== 就航地 ===
1979年までに、サウスウエスト航空はテキサス州のエルパソ、アマリロ、コーパスクリスティ、ハーリンゲン、ラバック、ミッドランド/オデッサへの路線を開設していた。各州間を結ぶ路線は1979年のニューオーリンズ乗り入れ、1980年のアルバカーキ乗り入れが最初で、その後すぐに[[オクラホマシティ]]と[[タルサ (オクラホマ州)|タルサ]]への乗り入れが開始された。1982年にはフェニックス、ラスベガス、サンディエゴの3都市への乗り入れでアメリカ西海岸に進出、1985年3月にはシカゴ・ミッドウェイ空港とセントルイスへの乗り入れによりアメリカ中西部へも進出した<ref>{{cite web| title=We Weren’t Just Airborne Yesterday| publisher=Southwest Airlines| url=http://www.southwest.com/about_swa/airborne.html|accessdate=2011-03-31}}</ref>。

2008年11月に、サウスウエスト航空は、以前にATA航空によって使用されていたラガーディア空港での14の発着枠(毎日7往復分)の購入を申請し<ref>[http://www.blogsouthwest.com/blog/southwest-and-laguardia-start-spreadin%E2%80%99-the%E2%80%A6possibility Southwest And Laguardia: Start Spreadin’ The….Possibility???? | Nuts About Southwest<!-- Bot generated title -->]</ref>、約1カ月後に承認された。その後、2009年3月の下旬に計画が立案された。同年4月前半に、14の発着枠だけであるにもかかわらず、1日16回の発着便(シカゴ・ミッドウェイ空港への5往復とボルチモア・ワシントン国際空港への3往復)の戦略的な計画があると発表された<ref>[http://www.blogsouthwest.com/blog/southwests-now-in-a-new-york-state-of-mind SOUTHWEST'S NOW IN A NEW YORK STATE OF MIND | Nuts About Southwest<!-- Bot generated title -->]</ref>。2009年6月28日にサウスウエスト航空はラガーディア空港での業務を開始、さらに目的地を増加させることにより業務拡大を目指している<ref>{{Cite news| url=http://www.usatoday.com/travel/flights/item.aspx?type=blog&ak=59440642.blog | work=USA Today | title=Mileage calculator | accessdate=May 23, 2010}}</ref><ref>[http://phx.corporate-ir.net/phoenix.zhtml?c=92562&p=irol-newsArticle&ID=1228269&highlight= News Releases<!-- Bot generated title -->]</ref>。

2009年2月、サウスウエスト航空は[[ジェネラル・エドワード・ローレンス・ローガン国際空港|ボストン・ローガン国際空港]]への運航を同年秋に開始すると発表した<ref name="southwest.com">{{cite press release |title=Southwest Airlines Announces Intent to Begin Service to Boston Logan International Airport in Fall of 2009 |url=http://www.southwest.com/about_swa/press/prindex.html |publisher=Southwest Airlines |date=2009-02-19 |accessdate=2009-08-24}}</ref>、同年8月16日よりシカゴ・ミッドウェイ空港とボルチモア・ワシントン国際空港へ、それぞれ5往復ずつの運航が開始された<ref>{{Cite news| url=http://www.boston.com/business/articles/2009/04/14/southwest_will_start_logan_run_in_august/?p1=Well_MostPop_Emailed2 | work=The Boston Globe | title=Southwest will start Logan run in August | first=Paul | last=Makishima | date=April 14, 2009}}</ref>。サウスウエスト航空では、[[ニューハンプシャー州]][[マンチェスター (ニューハンプシャー州)|マンチェスター]]・[[ロードアイランド州]][[プロビデンス (ロードアイランド州)|プロビデンス]]への運航の補助的な意味合いもあると説明している。また、この都市の地元紙「ボストンヘラルド」は、今後ローガン空港での搭乗ゲートを2つ追加することも選択肢に上っていると報じた<ref>[http://www.bostonherald.com/business/general/view/2009_02_19_Southwest_to_begin_flights_to_Boston_in_fall/srvc=home&position=3 Southwest to begin flights to Boston in fall - BostonHerald.com<!-- Bot generated title -->]</ref>。
サウスウエスト航空では、ボストン在住のビジネス利用者に対して低運賃の航空券を提供できることを期待している<ref>{{Cite news| url=http://www.boston.com/business/articles/2009/02/19/southwest_to_serve_logan_by_fall/ | work=The Boston Globe | title=Southwest to serve Logan by fall | first=Nicole C. | last=Wong | date=February 19, 2009}}</ref>。

2009年10月、サウスウエスト航空は[[フロリダ州]][[パナマシティ (フロリダ州)|パナマシティ]]の近郊に存在するノースウエストフロリダビーチ国際空港から、ボルチモア・ワシントン国際空港、オーランド、ヒューストン・ホビー空港、ナッシュビルへの路線開設を発表し、2010年5月24日より運航開始した<ref>[http://phx.corporate-ir.net/phoenix.zhtml?c=92562&p=na048&ID=1430425&highlight= News Release<!-- Bot generated title -->]</ref>。

2010年5月11日には、[[サウスカロライナ州]]のグリーンビル・スパータンバーグ国際空港(GSP)と[[チャールストン (サウスカロライナ州)|チャールストン]]国際空港(CHS)への乗り入れを表明し、2011年3月13日より両空港からボルチモア・ワシントン国際空港、オーランド、ヒューストン・ホビー空港、ナッシュビル、シカゴ・ミッドウェイ空港への直行便の運航を開始する予定<ref>[http://www.blogsouthwest.com/blog/south-carolina-meet-southwest-airlines SOUTH CAROLINA, MEET SOUTHWEST AIRLINES! | Nuts About Southwest<!-- Bot generated title -->]</ref>。

2010年8月27日、サウスウエスト航空は、ニューアーク・リバティ国際空港において、コンチネンタル航空とユナイテッド航空の合併に伴い、合衆国司法省によって剥奪された36回分の発着枠を受けることになったと発表した<ref>[http://phx.corporate-ir.net/phoenix.zhtml?c=92562&p=na048&ID=1464396&highlight= News Release<!-- Bot generated title -->]</ref>。同年10月28日には、2011年3月27日よりリバティ空港からシカゴ・ミッドウェイ空港へ6往復、[[ランバート・セントルイス国際空港]]へ2往復の直行便を運航すると発表した。さらに、2011年6月5日にはボルチモア・ワシントン国際空港とデンバーに3往復ずつ、ヒューストン・ホビー空港とフェニックスに2往復ずつの運航を開始する予定である<ref>[http://www.blogsouthwest.com/news/southwest-airlines-offer-more-new-service-and-more-low-fares-from-newark-liberty-international- Southwest Airlines to Offer More New Service and More Low Fares From Newark Liberty International Airport | Nuts About Southwest<!-- Bot generated title -->]</ref>。

=== 国際線 ===
2011年1月現在、サウスウエスト航空はアメリカ国外が目的地となる直行便の運行は行なっていない。サウスウエスト航空の利用者がアメリカ国外へ向かう場合の手段としては、他の航空会社とのコードシェア便によってサービスを提供している。

なお、2011年前半に買収を完了する予定のエアトランは、メキシコとカリブ海などの目的地への国際線の運行が行なわれている。

=== コードシェアリング運航 ===
==== 運行中 ====
* {{flagicon|Mexico}} [[ボラリス]]
*: 2008年11月10日、サウスウエスト航空はサウスウエスト航空2番目の国際的なコードシェアリングとして、メキシコの低運賃航空会社である[[ボラリス]]とのコードシェアリング協定を発表した。この協定では、2009年夏からアメリカに乗り入れたボラリス路線を含めた航空券を、2010年から購入可能としている<ref>[http://www.blogsouthwest.com/news/swa-to-offer-online-link-to-volaris-service-on-southwestcom Swa To Offer Online Link To Volaris Service On Southwest.Com | Nuts About Southwest<!-- Bot generated title -->]</ref>。
*: ボラリスは[[グアダラハラ (メキシコ)|グアダラハラ]]から、シカゴ・ミッドウェイ空港、オークランド、ロサンゼルス国際空港、サンノゼへの運行を行なっている。また、ロサンゼルス国際空港から[[モレリア]]、[[トルーカ]]、[[サカテカス]]への運航も行なっている<ref>[http://www.volaris.com.mx/Destinos.aspx Volaris<!-- Bot generated title -->]</ref>。

==== 過去に実施されていたもの ====
* {{flagicon|Iceland}} [[アイスランド航空]]
*: 1997年、サウスウエスト航空とアイスランド航空は、[[ボルチモア・ワシントン国際空港]]において2社間で乗り継ぎ運賃、運航スケジュールの連携、旅客の手荷物の転送を含めた国際マーケティング協定を結んだ。アイスランド航空は、ボルチモア・ワシントン国際空港と[[アイスランド]]の[[ケプラヴィーク国際空港]]を結ぶ路線の運行を行なっていた。サウスウエスト航空の時刻表にも、アメリカの都市とヨーロッパの都市を結ぶ時刻が掲載されていた<ref>{{Cite news
| author = Rob Kaiser
| title = Southwest may add cities to Iceland deal
| publisher = Baltimore Business Journal
| date = 1997-02-21
| url = http://baltimore.bizjournals.com/baltimore/stories/1997/02/24/story6.html?page=1
| accessdate = 2007-06-10}}</ref>。マイレージプログラムは協定に含まれていなかった。この提携は数年間続いた後に終了し、アイスランド航空も2007年1月にボルチモア・ワシントン国際空港から撤退した<ref>{{cite web|url=http://baltimore.bizjournals.com/baltimore/stories/2007/12/10/daily11.html|title=Icelandair stopping flights out of BWI|publisher=bizjournals.com|accessdate=2007-12-10}}</ref>。
* {{flagicon|United States}} [[ATA航空]]
*: ATA航空(旧・アメリカントランスエア)は、歴史的にはシカゴにおいてサウスウエスト航空の主な競争相手のうちの1社で、シカゴ・ミッドウェイ空港に発着していた。2004年、ATA航空は[[連邦倒産法第11章]](チャプター11)の適用を申請したが、その際にサウスウエスト航空はATA航空の株を購入し、サウスウエスト航空では初となる国内線コードシェア運航を、ATA航空が就航していた路線で開始した<ref>{{Cite web
| title = Southwest Airlines' Statement Regarding Bankruptcy Court Approval of ATA Bid
| date = 2001-12-21
| url = http://phx.corporate-ir.net/phoenix.zhtml?c=92562&p=na0412&ID=656827&highlight=
| accessdate = 2011-04-03}}</ref>。
*: ATA航空が2008年4月3日に連邦破産法11条倒産を申請した際に、ATA航空とサウスウエスト航空のコードシェア運航は終了した<ref>[http://www.businesswire.com/news/home/20080403005406/en/ATA-Airlines-Files-Chapter-11-Discontinues-Operations ATA Airlines Files for Chapter 11 and Discontinues Operations Following Cancellation of Key Military Charter Agreement - Business Wire<!-- Bot generated title -->]</ref>。2008年11月末になって、サウスウエスト航空はニューヨーク・ラガーディア空港でATA航空が使用していた発着枠を使用した運航の認可を取得したと発表したが、その中にはATAの保有していた航空機、施設や従業員は含まれていなかった<ref>{{cite web|url=http://phx.corporate-ir.net/phoenix.zhtml?c=92562&p=na048&ID=1228269&highlight= |title=Southwest Airlines Seeks Rights to Operate at LaGuardia Airport|publisher=[[swamedia.com]] |date=2009-02-03 |accessdate=2009-02-03}}</ref>。
* {{flagicon|Canada}} [[ウエストジェット航空]]
*: 2008年7月8日、サウスウエスト航空は、カナダのウエストジェット航空との間で、相互に両社の航空券を販売可能とするコードシェア協定を開始する構想を公式発表した<ref>{{cite web|url=http://www.dallasnews.com/sharedcontent/dws/bus/stories/DN-westjet_09bus.ART0.State.Edition1.4dd5531.html |title=Southwest, WestJet sign code-sharing pact |publisher=[[The Dallas Morning News]] |date=2008-07-09| accessdate=2009-08-22}}</ref>。この提携は、本来は2009年後半までに開始する予定だったが、経済的な理由で延期された<ref name="WestJet_delay">{{Cite news|url=http://www.reuters.com/article/rbssAirlines/idUSBNG49051220090525 |title=Southwest, WestJet delay codeshare |publisher=Reuters |date=2009-05-25| accessdate=2009-08-22}}</ref>。2010年4月16日、両社はコードシェア協定の協議を友好的に終了すると発表した。

== 商品とサービス ==
客席はすべて[[エコノミークラス]]で、定員制[[自由席]]で[[指定席]]ではない。[[電子航空券]]制度を採用しており、紙の[[航空券]]は発券されない。web上で簡単に予約ができ、搭乗便の変更も手数料なしで行える。他航空会社との乗り継ぎのための時間調整は行わず、荷物転送もしない。

機内サービスについては、飲み物(ソフトドリンクは無料・アルコール類は有料)やピーナッツは提供されるが、[[機内食]]のサービスはなかった。これは「その分運賃を安くしたほうが乗客は喜ぶ」というポリシーによる<ref name="e1c2-15">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p15</ref>。近年は長距離路線でブレッドスティック・クッキーなどのスナック類が提供されている<ref name="254-18"/>。

機内エンターテイメント装備は全く導入していない。機内放送はとっぴなもので知られており、時には客室乗務員が歌を歌う。概ね好評であるが、何人かの旅行評論家は「不快で押しつけがましい」としている<ref>
{{Cite news | author = David Grossman | title = I don't hate Southwest anymore | publisher = USA Today | date = 2005-10-17 | url = http://www.usatoday.com/travel/columnist/grossman/2005-10-14-grossman_x.htm | accessdate = 2007-06-10}}</ref>。

2009年2月から行なわれたテスト運用の後、サウスウエスト航空は2009年8月21日に衛星通信による機内無線LANブロードバンド接続のサービスを開始すると発表した。2010年の第1四半期から、全保有機に対して装備していく計画である<ref>{{cite web|url=http://news.prnewswire.com/ViewContent.aspx?ACCT=109&STORY=/www/story/08-21-2009/0005081196&EDATE= |title=Southwest Airlines Takes Next Step Toward Wi-Fi |publisher=[[PR Newswire]] |date=2009-08-21 |accessdate=2009-08-22}}</ref>。

2010年7月に、サウスウエスト航空が運送契約に基づく補償対象外の事例に、神の行為として「機械的な不具合」を追加したことは広く話題になった<ref name="noliab2010">{{cite web| title= Southwest: Breakdown is now an act of God | publisher= [[Arizona Daily Star]] | date= July 24, 2010 | url= http://azstarnet.com/news/local/article_5bc41260-e1ee-57fb-8f68-fe716e9f5bad.html| accessdate= 2010-07-27}}</ref>。ただし、サウスウエスト航空の広報によると、今後も過去と同様に、機材不良などで影響を受ける乗客には補償を行なうとしている<ref name="noliab2010"/>。

== 波及効果 ==
=== 格安航空会社の雛形 ===
サウスウエスト航空は低運賃航空会社として印象付けられ、そのビジネスモデルは世界中に波及している<ref name="2005-158"/>。以後設立される多くの格安航空会社は、サウスウエスト航空を雛形としているという<ref name="e1c2-213">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p213</ref><ref name="kieta250"/>。

特に、事業戦略として搭乗ゲートでの折り返し時間を短縮する点は、従業員の高い生産性と航空機のユニットコスト低下と結びつけられている<ref name="UP"/>。ヨーロッパの[[イージージェット]]や[[ライアンエアー]]は、この事業戦略を実施していることで知られている。また、サウスウエスト航空のビジネスモデルが踏襲されている航空会社としては、カナダの[[ウエストジェット]]、マレーシアの[[エア・アジア]](アジア最大の低運賃航空会社)、[[リチャード・ブランソン]]が[[オーストラリア]]で運航する[[ヴァージン・ブルー]]、[[カンタス航空]]が運営する[[ジェットスター]]、フィリピンのセブ・パシフィック航空、タイの[[ノックエア]]、メキシコの[[ボラリス]]、トルコのペガサス航空などが挙げられる<ref>{{cite web|url=http://www.cornellpress.cornell.edu/cup_detail.taf?ti_id=5284 |author=Bamber, G.J., Gittell, J.H., Kochan, T.A. & von Nordenflytch, A. |year=2009 |title=Up in the Air: How Airlines Can Improve Performance by Engaging their Employees|publisher=Cornell University Press, Ithaca |chapter=chapter 5|accessdate=2011-03-29}}</ref>。ただし、ライアンエアー、エア・アジア、ジェットスターについてはサウスウエスト航空とはやや方向性は異なっている<ref>Strauss, Michael (2010): Value Creation in Travel Distribution, http://www.amazon.com/Creation-Travel-Distribution-Michael-Strauss/dp/0557612462/ref=sr_1_1?ie=UTF8&s=books&qid=1291050497&sr=8-1</ref>。

=== 外部の評価 ===
アメリカの航空雑誌「Air Transport World」が主催する賞である「Airline of the Year」を、1991年と2003年の2回受賞している<ref>[http://atwonline.com/atw-awards-airline-year-winners ATW Industry Achievement Awards Description &amp; History]</ref>。


アメリカのビジネス誌「[[フォーチュン (雑誌)|フォーチュン]]」は、1997年にサウスウエスト航空に対して「アメリカでもっとも働き甲斐のある会社」「アメリカで6番目に尊敬される会社」「世界で3番目に尊敬される会社」と評価している<ref name="e1c2-209">『社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡』p209</ref>。
以後設立される多くの格安航空会社は、同社を雛形としているという<ref>伊集院憲弘「社員第一、顧客第二主義」p213</ref><ref name="kieta250"/><ref name="2005-158"/>。


== 機材 ==
== 機材 ==
=== 現用機種 ===
{|class = "wikitable" style="float: right; margin: 0.2em ; text-align: center; font-size: 80%;"
{|class = "wikitable" style="float: right; margin: 0.2em ; text-align: center; font-size: 80%;"
|+ style="font-size: 120%;" |2010年12月31日時点での保有機材数<ref>[http://www.southwest.com/ サウスウエスト航空公式サイト]内{{cite web
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|[[ボーイング737#737NG(Next-Generation)737-600/-700/-800/-900(第3世代)|ボーイング737-700]]||352||137||全路線
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|}
|}
2010年12月31日現在、サウスウエスト航空は548機の航空機を保有し、そのすべてが[[ボーイング737]]シリーズである<ref name="factsheet"/><ref group="注釈">[[ボーイング]]社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は「H4」で、自社発注機材の型式名は737-3H4/5H4/7H4となる。</ref>。しかし、2010年に[[ボーイング717]]シリーズの世界最大規模のカスタマーであるエアトラン(旧・バリュージェット)を買収することが決定し、同シリーズもサウスウエスト航空の機材として組み込まれることが決定しているため、合併後はボーイング737シリーズとボーイング717シリーズの2種類を保有することになる。なお、1985年から1987年にかけてサウスウエスト航空の傘下だったトランスター航空(旧・ミューズエア)は、マクドネル・ダグラスのDC-9とMD-80を運用していた<ref name="kieta207"/>。
同社は[[ボーイング737]]型機を世界で最も多く保有する航空会社である。また、現在運航している3機種の[[ローンチカスタマー]]であり、737-500型機と737-700型機を世界で最初に就航させた航空会社でもある<ref>[http://www.boeing.com/commercial/737family/background.html Commercial Airplanes - 737](ボーイング公式サイト内)による。</ref>。同一機種を300機以上揃えている航空会社は同社以外には存在しない<ref>谷川一巳「世界の『航空会社』物語」p65</ref>。ボーイング737-700型機は、2機を除いて[[ウィングレット|ブレンデッド・ウィングレット]]を装着しており、飛行距離に関係なく3%から4%の燃料節約を可能にしている<ref name="2005-160"/>。


サウスウエスト航空は[[ボーイング737]]型機を世界で最も多く保有する航空会社である<ref name="2005-160"/>。また、現在運航している3機種の[[ローンチカスタマー]]であり、これらの3機種を<!--737-300も世界初。『旅客機型式シリーズ6 ベストセラー・ジェット Boeing737』p52による-->世界で最初に就航させた航空会社でもある<ref>[http://www.boeing.com/commercial/737family/background.html Commercial Airplanes - 737](ボーイング公式サイト内)による。</ref>。同一機種を300機以上揃えている航空会社は、世界中を探してもサウスウエスト航空以外には存在しない<ref>『世界の「航空会社」物語』p65</ref>。ボーイング737の生産5000機目の機体もサウスウエスト航空に就航している。
2007年12月現在、同社の機材の機齢は平均約9.7年であり、1日の飛行回数は1機あたり平均約7回である。[[ボーイング]]社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は「H4」で、自社発注機材の型式名は737-3H4/5H4/7H4となる。


すべての保有機材には[[ヘッドアップディスプレイ]]を装備している<ref name="2005-162"/>。また、ボーイング737-700型機は、2機を除いて[[ウィングレット|ブレンデッド・ウィングレット]]を装着しており、飛行距離に関係なく3%から4%の燃料節約を可能にしている<ref name="2005-160"/>。2007年12月以降、737-300型機は順次退役が行なわれることになったが、機齢の若い737-300型機はグラスコックピット改装により737-700型機との互換性を保ち、GPSを含む航法精度要件を満たすシステムとする<ref>[http://www.boeing.com/news/releases/2008/q4/081222a_nr.html Boeing Press Release December 22, 2008]</ref><ref>http://www.aviationpartnersboeing.com/news/pdf/pr/2006/SouthwestAir.pdf</ref>。
=== 特別塗装機 ===

同社は特別塗装機もいくつか保有している。サンディエゴの水族館「シーワールド」のPR用として、保有機の一部の機体全体に[[シャチ]]のペイントを施した特別塗装機(愛称「シャム」)を3機運航している。その他、地域密着運営の一環としてテキサス州・[[ネバダ州]]・[[カリフォルニア州]]・[[アリゾナ州]]・[[メリーランド州]]・[[ニューメキシコ州]]の州旗やイメージをペイントした機を登場させたほか、[[NBA]]スペシャルカラー(愛称「スラムダンク・ワン」)も登場した。また、同社の創立25周年を記念した「シルバー・ワン」、アメリカ運輸省から定時運航率・苦情の少なさ・手荷物扱いの正確さの3部門で1位となったことを記念した「トリプルクラウン・ワン」など、自社の祝い事での特別塗装機も登場させている。
2004年時点では、すべての機材を737-700型機に置き換える計画があった<ref name="2005-162"/>が、2010年12月15日、ボーイング737-800型機を70機導入する計画を公表した<ref>{{cite web|url=http://jp.wsj.com/Business-Companies/node_161480 |title=サウスウエスト、737-800型機を今後3年で70機購入へ |accessdate=2011-04-04}}</ref>。

2007年12月現在、サウスウエスト航空の機材の機齢は平均約9.7年であり、1日の飛行回数は1機あたり平均約7回である<ref>{{cite web|url=http://www.airfleets.net/ageflotte/Southwest%20Airlines.htm |title=Fleet Age of Southwest Airlines |accessdate=2009-08-07}}</ref>。1日平均の1機あたりの運用時間は、8時間30分から11時間30分程度である<ref name="2005-162"/>。

=== 退役機材 ===
* [[ボーイング737|ボーイング737-200]]
*: 運航開始当初から使用。路線拡充の際には、新造機だけではなく中古機材を[[エアリンガス]]、[[エア・フロリダ]]、[[ミッドウェー航空]]、[[コンチネンタル航空]]から購入した事もある<ref name="2005-162"/>。2005年1月15日のフライトを最後に全機退役。
* [[ボーイング727|ボーイング727-200]]
*: 1970年代後半にリース機として導入したが、非効率であることが判明したため短期間でリースバックされている<ref name="airline331-95"/>。

=== カラーリング ===
{{Double image aside|right|Southwest-Airlines-B737-N540SW.jpg|185|SWA 737 MDW.jpg|210|初期のカラースキム|2001年以降に採用された現行カラースキム}}
サウスウエスト航空の初期のカラースキムは、サンドゴールドにオレンジと赤のストライプが入り、白のピンストライプが各色の境界に入るもので、'SOUTHWEST'の文字が垂直尾翼のサンドゴールド部分に入っていた。このデザインは、「フライング・バナナ」と通称されていた<ref name="737-73"/>。なお、1971年6月に最初に運航していた3機の737-200では、ポートサイド側は'SOUTHWEST'の文字は胴体後部の窓の上にあり、尾翼には'AIRLINES'と入っており<ref>[http://www.airliners.net/open.file/0111301/M/ N21SW]</ref>、スターボード側では'SOUTHWEST'の文字が垂直尾翼に、胴体後部の窓の上に'AIRLINES'と書かれていた<ref>[http://www.airliners.net/open.file/0111315/M/ N20SW]</ref>。

2001年1月16日、会社創立後30年目にして初めてカラースキムが変更された。ベースカラーをサンドゴールドからキャニオンブルーに、'SOUTHWEST'の文字とピンストライプを金色に変更した。オレンジ色と赤色のストライプは継承されているが、各色の境界のピンストライプは旧カラースキムでは直線だったものが、緩い曲線を描くものに変更された。ブレンデッド・ウイングレット装備機では、ブレンデッド・ウイングレットのストライプの中に'SOUTHWEST.COM'と文字が入る。2007年末までに、すべての機材のカラースキム変更は完了した。

==== 特別塗装機 ====
{{Double image aside|right|Southwest 737-3H4 N334SW BWI Shamu.jpg|200|Southwest 737 Lonestar One.jpg|200|初の特別塗装機「シャム・ワン」|テキサス州旗をデザインした「ローンスター・ワン」}}
いくつかの飛行機では特別なカラースキムが施されている。

初の特別塗装機はテキサス州の水族館「[[シーワールド]]」の宣伝用として1988年5月に登場したもので、機体全体に[[シャチ]]のペイントを施した特別塗装機「シャム・ワン」を運航させたものである<ref name="hatenko-309">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p309</ref>。これは日本で[[マリンジャンボ]]が登場するより5年ほど早い。その後、当時シーワールドを買収した[[アンハイザー・ブッシュ]]の経営者がこの手法を高く評価したため、2機(「シャム・ツー」と「シャム・スリー」)が追加された<ref name="hatenko-310">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p310</ref>。愛称の「シャム」は、シーワールドで人気を博しているシャチの名前からとったものである。

創立20周年を迎えた1991年には、テキサス州の州旗をデザインした「ローンスター・ワン」<ref group="注釈">テキサス州の別称である「ローンスター・ステート」から命名。</ref>を登場させ<ref name="hatenko-218">『破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営』p218</ref>、以後[[ネバダ州]]・[[カリフォルニア州]]・[[アリゾナ州]]・[[メリーランド州]]・[[ニューメキシコ州]]・[[フロリダ州]]・[[イリノイ州]]の州旗やイメージをペイントした機を地域密着運営の一環として登場させている<ref name="hatenko-310"/>。2005年には[[NBA]]のオフィシャルエアラインとなったのに伴い、バスケットボールを機体に描いた「スラムダンク・ワン」も登場した<ref name="airline331-95"/>。また、サウスウエスト航空の創立25周年を記念した「シルバー・ワン」、アメリカ合衆国運輸省から定時運航率・苦情の少なさ・手荷物扱いの正確さの3部門で1位となったことを記念した「トリプルクラウン・ワン」など、自社の祝い事での特別塗装機も登場させている<ref name="hatenko-310"/>。なお、特別塗装機のブレンデッド・ウイングレットは、白色に塗装されている<ref name="factsheet"/>。
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File:Southwest-Airlines-B737-N540SW.jpg|旧デザイ
File:Arizona One at PDX.jpg|アリゾナ・ワ
File:Arizona One at PDX.jpg|アリゾナ州の州旗をイメジした「アリゾナ・ワン
File:Southwest-N781WN.jpg|ニュメキシコ・ワン
File:N629SWSouthwest733.JPG|シルバー・ワン
File:N629SWSouthwest733.JPG|シルバー・ワン
File:Southwest Triple Crown.jpg|トリプルクラウン・ワン
File:Southwest Triple Crown.jpg|トリプルクラウン・ワン
</gallery>
</gallery>


=== 退役機材 ===
== トラブル ==
乗客や乗員が死亡する事故は会社創立以来発生していない。
* [[ボーイング737|ボーイング737-200]]:2005年に退役。737-700型機に置き換え。


== アクシデント ==
=== アクシデント ===
* [[2005年]][[12月8日]]、[[シカゴ]]・[[ミッドウェー空港]]において[[滑走路]]の[[積雪]]による[[オーバーラン事故]]巻き込まれた[[自動車]]に乗車中の[[子供]]1名が[[死亡]]。同社にとっては初の、そして現時点では唯一の[[死亡]][[事故]]となってしまった。
[[File:Southwest Airlines Flight 1248 -1.jpg|thumb|250px|2005年12月8日のオーバーラン事故]]
* [[2005年]][[12月8日]]、[[シカゴ]]・[[ミッドウェー空港]]に着陸したWN1248便が、[[滑走路]]の[[積雪]]のため[[オーバーラン]]し空港敷地外へ逸脱、巻き込まれた[[自動車]]に乗車中の[[子供]]1名が[[死亡]]。サウスウエスト航空にとっては初の、そして現時点では唯一の[[死亡]][[事故]]となってしまった。
* [[2009年]][[7月13日]]、[[テネシー州]][[ナッシュビル]]から[[メリーランド州]][[ボルティモア]]へ向かっていたWN2294便([[ボーイング737-300]]、機体記号N387SW)が[[高度]]1万メートルを[[飛行]]中、突如、機体後部[[中央]][[上方]]に[[フットボール]]大の[[穴]]が開く[[アクシデント]]が[[発生]]。同機は[[ウェストバージニア州]][[チャールストン (ウェストバージニア州)|チャールストン]]の[[イェーガー空港]]に[[緊急着陸]]した。[[キャビン]]の[[気圧]]が低下し、[[酸素マスク]]が自動降下する[[騒動|騒ぎ]]となった。幸い、この[[アクシデント]]による[[死者]]は出なかった。
* [[2009年]][[7月13日]]、[[テネシー州]][[ナッシュビル]]から[[メリーランド州]][[ボルティモア]]へ向かっていたWN2294便([[ボーイング737-300]]、機体記号N387SW)が[[高度]]1万メートルを[[飛行]]中、突如、機体後部[[中央]][[上方]]に[[フットボール]]大の[[穴]]が開く[[アクシデント]]が[[発生]]。同機は[[ウェストバージニア州]][[チャールストン (ウェストバージニア州)|チャールストン]]の[[イェーガー空港]]に[[緊急着陸]]した。[[キャビン]]の[[気圧]]が低下し、[[酸素マスク]]が自動降下する[[騒動|騒ぎ]]となった。幸い、この[[アクシデント]]による[[死者]]は出なかった。なお、この事故の発生1時間後には、サウスウエスト航空ではツイッターにより事故の情報を発信している<ref>{{cite web|url=http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20100205/344250/|title=サイトからの予約が7割の格安航空会社、事故情報もツイッターでリアルタイムに発信|accessdate=2011-04-03}}</ref>

=== 安全基準違反 ===
* 2008年3月6日、FAAの検査官は、サウスウエスト航空が保有する航空機のうち、117機が検査期限を30ヶ月経過しており、航空安全検査による耐空安全性が確保されていなかったにもかかわらず、通常の運行に使用されていたと報告した<ref name="Drew Griffin and Scott Bronstein 2008">{{Cite news
| author = Drew Griffin and Scott Bronstein
| title = Records: Southwest Airlines flew 'unsafe' planes
| url = http://www.cnn.com/2008/US/03/06/southwest.planes/index.html
| accessdate = 2008-03-06
| work=CNN
| date=March 7, 2008}}</ref>。報告書では、何千人もの乗客がこれらの航空機を利用していたと示している。サウスウエスト航空では当初コメントを控えていたが、[[アメリカ合衆国下院]]議長がが保全命令を出した<ref name="Drew Griffin and Scott Bronstein 2008"/><ref>
{{cite web
|url=http://www.chron.com/disp/story.mpl/headline/biz/5672128.html
|title=Inspector: Southwest's FAA ties let planes fly with cracks
| work= Houston Chronicle
|accessdate=2008-04-03
|last=Ivanovich
|first=David
}}
</ref>。FAAは、サウスウエスト航空が機体点検なしでおよそ6万回の飛行を繰り返したとして、規則違反に対する1020万ドルの罰金をサウスウエスト航空に課した<ref>{{Cite news|title= Southwest grounds planes, places three on leave|url=http://edition.cnn.com/2008/US/03/12/southwest.airlines/index.html|author=[[CNN]]|accessdate=2008-03-12 | date=March 12, 2008}}</ref>。その後、1年にわたる交渉の結果、サウスウエスト航空が750万ドルの罰金を支払うことでFAAと合意した。FAAでは、罰金を支払う期間として2年間の猶予を与えている<ref>{{Cite news
| author = Jerry Chandler
| title = FAA Fines Southwest $7.5M for Safety Issues
| year = 2009
| url = http://news.cheapflights.com/2009/03/faa-fines-southwest-7-5m-for-safety-issues/
| accessdate = 2011-04-03}}</ref>。
* 2009年8月26日、FAAは、サウスウエスト航空の旅客機の約10%に不適切な部品を使用しているとして調査した。これはサウスウエスト航空が整備を外注している先の会社によって行なわれたもので、FAAでは直ちに危険というものではないとしたが、2009年12月24日までに部品をFAAによって承認されたものに取り替えるために交換するように指示した<ref>{{Cite news
| author = NY Times / The Associated Press
| title = Southwest faces Tuesday deadline from FAA
| year = 2009
| url = http://www.usatoday.com/travel/flights/2009-08-31-southwest-tuesday-deadline-faa_N.htm
| accessdate = 2011-03-29
| work=The New York Times}}</ref>。


== 関連する作品 ==
== 関連する作品 ==
108行目: 427行目:


== 脚注 ==
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist}}
{{Reflist|group="注釈"}}

=== 出典 ===
{{Reflist|3}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
115行目: 438行目:


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
=== 書籍 ===
* 「破天荒!―サウスウエスト航空 驚愕の経営」(日経BP社)ISBN 4822240835
* {{Cite book|和書|author = ケビン・フライバーグ|authorlink = |coauthors = ジャッキー・フライバーグ|year = 1997|title = 破天荒!サウスウエスト航空 驚愕の経営|publisher = [[日経BP]]|id = |isbn = 4822240835}}
* 「社員第一、顧客第二主義―サウスウエスト航空の奇跡」(1998年・毎日新聞社)ISBN 4620312592
* {{Cite book|和書|author = 伊集院憲弘|authorlink = |coauthors = |year = 1998|title = 社員第一、顧客第二主義 サウスウエスト航空の奇跡|publisher = [[毎日新聞社]]|id = |isbn = 4620312592}}
* 谷川一巳「世界の『航空会社』物語」(2002年・主婦の友社)ISBN 4072337676
* {{Cite book|和書|author = 谷川一巳|authorlink = |coauthors = |year = 2002|title = 世界の「航空会社」物語|publisher = 主婦の友社|id = |isbn = 4072337676}}
* 賀集章「消えたエアライン」(2003年・山海堂)ISBN 4381104870
* {{Cite book|和書|author = |authorlink = |coauthors = |year = 2003|title = 旅客機型式シリーズ6 ベストセラー・ジェット Boeing737|publisher = [[イカロス出版]]|id = |isbn = 487149392X}}
* 「航空旅行ハンドブック2005国際線版」(2005年1月・イカロス出版)
* {{Cite book|和書|author = 賀集章|authorlink = |coauthors = |year = 2003|title = 消えたエアライン|publisher = 山海堂|id = |isbn = 4381104870}}
* 「[[エアライン (雑誌)|月刊エアライン]]」(2007年1月号・[[イカロス出版]])
* {{Cite book|和書|author = |authorlink = |coauthors = |year = 2005|title = 世界で最も偉大な経営者|url = http://diamond.jp/articles/-/5059|publisher = [[ダイヤモンド社]]|id = |isbn = 4478200874}}
* {{Cite book|和書|author = バリー・J・ギボンズ|authorlink = |coauthors = |year = 2005|title = みんな変わり者だった 奇抜ですごい起業家列伝|publisher = ディスカバー21|id = |isbn = 4887594151}}

=== 雑誌記事 ===
* {{Cite journal|和書|title=サウスウエストのサクセス!オレたちのマネができるか?!|author=伊藤久巳|journal=[[エアライン (雑誌)|月刊エアライン]]|year=2000|month=8|volume=254|pages=pp.16 - 18|publisher=[[イカロス出版]]}}
* {{Cite journal|和書|title=737とスマイルで大手に痛打を!|author=|journal=月刊エアライン」|year=2000|month=8|volume=254|pages=pp.32 - 33|publisher=イカロス出版}}
* {{Cite journal|和書|title=ピーナッツだけでは語れないローコストの真実|author=Jin Nakashima|journal=エアステージ2005年1月号臨時増刊 航空旅行ハンドブック国際線版2005|year=2005|month=1|volume=|pages=pp.158 - 162|publisher=イカロス出版}}
* {{Cite journal|和書|title=世界のメジャーは日本のマイナー あなたの知らないメガキャリア #1 闘志あふれるユニークスピリット サウスウエスト航空|author=AKI|journal=月刊エアライン|year=2007|month=1|volume=331|pages=pp.94 - 95|publisher=イカロス出版}}
* {{Cite journal|和書|title=上陸するアメリカ しないアメリカ 12 サウスウエスト的経営|author=堀田佳男|journal=JMAマネジメントレビュー|year=2010|month=6|volume=|pages=pp.56 - 57|publisher=日本能率協会|url=http://www.digi-k.com/seisaku/jma-me/new/news/review/pdf/1006/10MR06_56-57.pdf}}


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==

2011年4月4日 (月) 13:15時点における版

サウスウエスト航空
Southwest Airlines
IATA
WN
ICAO
SWA
コールサイン
Southwest
設立 1967年3月15日
運航開始 1971年6月18日
焦点空港 ダラス・ラブフィールド空港
マッカラン国際空港
シカゴ・ミッドウェー国際空港
フェニックス・スカイハーバー国際空港
ボルチモア・ワシントン国際空港
ほか
マイレージサービス RapidRewards
親会社 Southwest Airlines Co.
保有機材数 548機
就航地 72都市
本拠地 テキサス州ダラス市
代表者 ゲリー・C・ケリー (CEO)
ハーバート・ケレハー (名誉会長)
ローラ・ライト (CFO)
外部リンク http://www.southwest.com/
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サウスウエスト航空(サウスウエストこうくう、英語: Southwest AirlinesNYSELUV)は、アメリカ合衆国テキサス州ダラス市を本拠地としている航空会社である。

1967年、エア・サウスウエストとしてテキサス州で設立され、1971年に3機のボーイング737を使用して運航開始した[1]。その後、航空自由化政策とともに自力で路線網を少しづつ拡大したことに加えて、モリスエアなど、いくつかの格安航空会社を買収することでも路線規模を拡張しており、現在では全米に路線網を持つ大手航空会社となった。2010年時点での年間輸送旅客数は約1億200万人で[2]、アメリカ航空業界では第1位である[2]

格安航空会社として知られ、後述するように徹底した人件費以外のコスト削減等が図られ、収益率は他社より高い[3]1973年以来、アメリカの景気の動向に関わらず黒字運営を続ける[4]全米で数少ない航空会社の1つである。また、ポリシーの1つとして「社員第一、顧客第二」を掲げており[5]、アメリカの航空会社で唯一、アメリカ同時多発テロ事件以降もレイオフを行っていない大手航空会社でもある[6][7]

日本での一般的な知名度はほとんどなく[8]、格安航空会社の代名詞であることや機内サービスのピーナッツ、ユニークな客室乗務員などの断片的なイメージが言及されているに過ぎない[1]が、航空ファンや航空関連ライターからは「アメリカ最優良航空会社」[9]や「世界最強のLCC(ローコストキャリア)」[4]、「現時点における理想のエアライン像」[7]とも評されている。

歴史

運航開始まで

創業の経緯

サウスウエスト航空の設立のきっかけとなったのは、テキサス州の銀行家であるジョン・パーカーが、ダラス、ヒューストン、サンアントニオの3都市を仕事で回る際に、この3都市間の移動が不便かつ費用が高いと感じていたことから[4]、サンアントニオで小規模な航空会社を経営するロリン・キングに、テキサス州内を移動するための航空会社の設立を持ちかけたのが発端である[10]。それを受けて、キングはカリフォルニア州にあるパシフィック・サウスウエスト航空(PSA)やエア・カリフォルニアを調査した[10]。各都市の経済が活況であることや、都市間が適度な距離であること、またこの2社の業績が優れていることを確認した[10]。この調査結果から、テキサス州の3都市に大型旅客機を運航する航空会社の設立構想を立案した上で、1966年にキングの経営する会社の法律顧問を務めていた弁護士であるハーバート・ケレハーにこの構想を持ちかけた[10]

当初、ケレハーは突飛な計画と感じた[10]が、サンアントニオのバーで説明を受けるうちに興味をそそられ、キングと一緒にビジネスプランや運航パターンについて検討を行い[11]、店舗に備え付けの紙ナプキンに書きなぐった。このときの紙ナプキンは、ダラスの本社に額に入れて飾られている[11]

1967年3月15日、ケレハーはエア・サウスウエスト(1971年3月29日にサウスウエスト航空に社名変更。以下「サウスウエスト航空」で統一する)の設立を申請した[12]。当初の資本金はキングとケレハーが出資し[12]、政治的な支援を集める活動に着手するとともに、事業に必要となる資本金の募集を開始した[12]。ケレハーは、法律上の闘争を招くことを予想し、募集する資本金の総額を、当初予想の25万ドルから倍以上の50万ドルとし、かつ出資者をテキサス州で影響力を有する政界や財界の人物から集めることとした[12]

法廷での戦い

1967年11月27日、ケレハーはダラス、ヒューストン、サンアントニオの3都市を結ぶ航空会社の参入をテキサス州航空委員会(以下「TAC」と表記)に申請、1968年2月20日には認可された[12]。ところが、認可の翌日に、ブラニフ航空、トランステキサス航空[注釈 1]コンチネンタル航空の3社(以下、本節では「ライバル3社」と記述する)が、サウスウエスト航空への飛行許可証を発行することを禁じる内容の一方的緊急差止命令を入手したのである[13]。ライバル3社の主張は「サウスウエスト航空が参入しようとしている市場はすでに飽和状態で、新たな航空会社が参入する余地はない」というものであった[13]

1968年夏に、テキサス州地方裁判所にこの案件が持ち込まれたことにより、両社は法廷で争うことになり[13]、サウスウエスト航空の弁護士はケレハーが担当した。この間にライバル3社は裏側で政治的な根回しを行なっており[13]、一度は認可を出したはずのTAC関係者が、審理が始まる前の新聞のインタビューで「テキサス州に新しい航空会社が必要な理由が分からない」という談話までしていた[13]など、サウスウエスト航空には不利な状況であった。裁判では両社の弁護士が感情むき出しで主張をする激しいもので[13]、テキサス州のある新聞は「娯楽費を節約して裁判を見るほうが面白い」と評するほどであった[13]。地方裁判所ではライバル3社の主張を認める判決が下され、サウスウエスト航空ではテキサス州高等裁判所へ上告した[14]が、7ヶ月の審理の後に敗訴してしまった[14]。この時点で、事業に必要となるはずの資本金がすべて裁判費用に消えてしまっていた[14]ため、役員の中にはここで手を引くことを考えていたものもいたという[15]。しかし、ケレハーは裁判費用を自己負担することで役員たちを説き伏せ、テキサス州最高裁判所へ上告[15]、その結果、高等裁判所での判決は覆され、サウスウエスト航空の勝訴となった[15]。ライバル3社は合衆国最高裁判所へ上告したが棄却され[15]、ようやく就航が認可されたのである。

しかし、せっかく認可されたものの、運航開始するための費用はすべて訴訟に費やしてしまっていた[16]。また、運航に必要な人員を集めなければいけなかった。1971年1月、サウスウエスト航空は、ユニバーサル航空を退社したばかりのラマー・ミューズをCEOに招聘した[17]。ミューズは就任後直ちに友人や知人のつてをたどって、資金集めに奔走する[17]一方、友人や知人で運航に携わった経験者を集めた[18]。また、資金集めの後に、過剰生産したため売れ残っていたボーイング737型機を3機購入した[18]

一方、ライバルの航空会社の妨害はまだ続いていた。テキサスインターナショナル航空とブラニフ航空(以下、本節では「ライバル2社」と記述する)はアメリカ民間航空委員会 (Civil Aeronautics Board, 以下「CAB」と表記)に対してサウスウエスト航空の就航に抗議を申し立てる[19]一方、ブラニフ航空はサウスウエスト航空の株式引受業者に手を引くように圧力をかけていた[19]。しかし、CABはライバル2社の申し出を却下し[19]、サウスウエスト航空は別の株式引受業者を見つけ出した[19]。1971年6月8日には、ようやく最初の株式公募にこぎつけた[19]が、一方でライバル2社は業務開始を阻止するための一方的緊急差止命令を入手した[19]。これに対して、ケレハーは職務執行令状の発布を求めるため[20]、すぐに司法図書館で先例を調べた上[20]、テキサス州最高裁判所に対して緊急差止命令の却下を申し出た[20]。1971年6月17日、テキサス州最高裁判所はサウスウエスト航空の主張を認め、差止命令を執行しないように命じた[20]。この時点で、ようやくサウスウエスト航空は運航が可能となったのである。

運航開始に先立ち、客室乗務員の募集が行なわれたが、その時の広告文面は「ラクエル・ウェルチさん募集」というもので[21]、面接時にはホットパンツをはいてくるように要求した[21]。選考にあたっては、ヒュー・ヘフナーの「プレイボーイ・ジェット」に乗務するバニーホステスを育てた人物も審査員に加わった[22]。こうして採用された女性客室乗務員は、80パーセント以上がバトンガールやチアリーダーの経験者で、かつ強い個性を持つ社交的な女性ばかりであった[22]。サウスウエスト航空では、これらの客室乗務員にホットパンツとゴーゴー・ブーツを制服として支給した[22]

運航開始後

資金難時代

1971年6月18日、ダラス・ヒューストン・サンアントニオの3都市を1日18往復する航空会社として、サウスウエスト航空の運航が開始された。ミューズは引き続き資金集めに奔走し、700万ドルを蓄えた[20]ものの、当初の利用者数は少なく、1日の合計の旅客数が150人という日もあった[20]。1972年には赤字額の合計は500万ドルに達しており[23]、この時期にサウスウエスト航空では資金難のために3人の従業員をレイオフしている[24][注釈 2]。会社創業以来、2010年に至るまでにサウスウエスト航空が行なったレイオフはこのときの3人だけである[24]

試行錯誤の繰り返し

当初、サウスウエスト航空はヒューストンではインターコンチネンタル空港に発着していたが、ヒューストンにはもう1つ、ホビー空港が存在した。すでにホビー空港はすべての旅客航空会社が撤退していた[25]が、市街地から近いことから、サウスウエスト航空が主なターゲットとするビジネス客には適した空港であった[25]。1971年11月14日より試行的にホビー空港発着便を設定したところ、利用者数が急増した[25]ため、サウスウエスト航空は直ちにヒューストンでのすべての発着便をホビー空港に移した[25]。都市部に近い第二空港に発着する手法は、その後格安航空会社の成功の法則の1つになっている[26]

この頃、毎週金曜日には定期点検のためヒューストンからダラスまで航空機をフェリーフライトすることになっていた[27]が、同年11月末からはこれを営業運航することとし、運賃を片道10ドルに設定した[27]ところ、特に宣伝をしなかったにも関わらず大きな評判となった[27]。当時、この区間の通常運賃は20ドルだった[27]が、利便性志向[注釈 3]と低価格志向[注釈 4]の双方の市場をカバーするべく、平日朝から夕方までの運賃を26ドルとし[28]、逆に平日夜と土休日の運賃を13ドルに引き下げた[28]ところ、乗客数が増加した。これがアメリカ航空業界において、ピーク時とオフピーク時で異なる運賃とする制度の始まりである[27]

1971年9月にはボーイング737をさらに1機追加購入し、スピードアップや州外へのチャーター便に使用する計画を立てた[29]。ところが、連邦地方裁判所はサウスウエスト航空に対して、州外チャーター便の運航を禁じた[30]。収入は増えてきてはいるものの、まだ安定した経営状態ではなかったため、ボーイング737は1972年5月にフロンティア航空へ売却された[30]。手元資金の不自由さは解消されたものの、すでに4機使用を前提で計画した運航計画を実行できるかが問題となった[30]。航空機を10分で折り返せばダイヤが維持できることが判明[30]、以後「折り返し時間10分」がサウスウエスト航空の特徴の1つとなった[31]

ライバルとの戦い

しかし、ライバル航空会社との戦いが終わったわけではなかった。

サウスウエスト航空がホビー空港に移ると、ブラニフ航空とコンチネンタル航空は一部の路線をホビー空港発着とするとともに、サウスウエスト航空と同じ額の低運賃を派手に宣伝して対抗した[25]。これに対して、サウスウエスト航空は「サウスウエスト航空がホビー空港でサービスを始めなければ、相手の2社はホビー空港には戻ってこなかったはずだ」と広告を出して訴えた[32]ため、ブラニフ航空の計画は裏目に出てしまい[32]、利用者はサウスウエスト航空を選択した[32]。サウスウエスト航空は低運賃なだけではなく、時刻どおりに運航し、便数が多く待たされることもなかったのである[32]。その後、1970年代半ばにブラニフ航空はホビー空港から撤退している[32]

ダラス・フォートワース国際空港(以下「新空港」と表記)が開港する少し前の1972年、サウスウエスト航空は新空港当局に対して、新空港に移転せずにラブフィールド空港にとどまると通告した[33]。便利な市街地の近くの空港に発着することでビジネス客の要望にこたえていたので、市街地から離れた新空港に移転することは理屈に合わないと考えたためである[32]。しかし、これは新空港当局やライバル航空会社から反発を受け、合同訴訟を起こされる事態になった[33]。テキサス州地方裁判所・高等裁判所・最高裁判所・合衆国最高裁判所へと審理が進められたが、最終的にはサウスウエスト航空の主張が認められることになった[33]

1973年になると、ようやく利益を計上するようになってきた[34]サウスウエスト航空は、1973年1月22日よりダラスとサンアントニオを結ぶ路線の運賃を、当時の通常運賃の半額である13ドルに設定することで、同路線の乗客増を狙った[28]。これに対し、ブラニフ航空は同年2月1日より、この区間の運賃を同額の13ドルにして対抗してきた[28]。しかし、この路線はサウスウエスト航空にとっては収益性の高い路線であり、絶対に負けられない路線でもあった[34]。サウスウエスト航空は「しみったれた13ドルごときに打ち落とされるサウスウエスト航空ではない」と広告を出した[34]上、同年2月2日より、通常運賃の26ドルを支払った利用者に対して、「シーバスリーガル」(スコッチ・ウイスキー)・「クラウンローヤル」(カナディアン・ウイスキー)・「スミノフ」(ウォッカ)のいずれか1本のフルボトルを無料で提供するという奇策を打ち出した[34]。この施策は、航空運賃を経費として会社に請求できるビジネス客からは大好評となり[34]、ビジネス客はこぞって26ドルを支払った上でボトルを自宅に持ち帰った[34]。この施策が行なわれた2ヶ月間で、サウスウエスト航空はテキサス州で最も多くの「シーバスリーガル」・「クラウンローヤル」・「スミノフ」をさばいたといわれている[34]

こうしたサウスウエスト航空の戦いを、地元のマスコミは「ダビデゴリアテ」の戦いになぞらえて取り上げ[34]、テキサス州の住民にサウスウエスト航空が印象付けられることになった[34]

基本方針の確立

1973年、事業拡大のためテキサス州リオグランデバレーへの路線開設を行なうことになり、TACにリオグランデバレーにあるハーリンゲン国際空港への路線開設の申請を行なった[35]。1974年から開始された審議の際にも、ライバル航空会社のうちの1社であるテキサスインターナショナル航空は「リオグランデバレーへの路線は必要にして十分であり、他社の参入の余地はない」と主張した[35]が、1年近い審議の後、サウスウエスト航空の参入が認められた[35]。このとき、テキサスインターナショナル航空は暫定的差止命令を入手しようとした[35]が、折りしもテキサスインターナショナル航空はストライキのため満足な運航が出来る状態ではなく[35]、結局差止命令は発布されなかった[35]。そして、1975年初頭から運航を開始したサウスウエスト航空は、ストライキの影響を受けて不便を蒙っていたリオグランデバレーの住民から歓迎されたのである[35]

さらに、この路線では他社との競争以上に重要な事実が判明した。サウスウエスト航空が就航する直前の1974年、リオグランデバレーとダラス・ヒューストン・サンアントニオの3都市間を移動する乗客は年間12万3000人程度であった[36]。ところが、サウスウエスト航空が就航した1975年の同区間の乗客は32万5000人にも及んだのだ[36]。これまで飛行機を利用していなかった利用者層が、サウスウエスト航空の低運賃によって、飛行機を利用するようになったのである[36]。サウスウエスト航空の基本戦略である「低運賃で頻繁に運航する」という方針が正しかったことが証明され[36]、その後次々とテキサス州への各都市へ路線を開設することになる[36]。数年後には州内10都市を結ぶ航空会社となっていた[37]

なお、合衆国政府は1975年2月14日に、ライバル航空会社のブラニフ航空とテキサスインターナショナル航空が共謀してサウスウエスト航空を廃業に追い込もうと、サウスウエスト航空の投資銀行や仕入先に対して圧力をかけていることなど、シャーマン法に違反した行為を行なっているとして起訴した[33]。2社はともに反論しなかったため、罰金として10万ドルを課せられている[38]

規制緩和後

ライト修正法

ジミー・カーター政権が1978年に航空自由化政策(ディレギュレーション)の導入を行なったことで、テキサス州内の航空会社として設立されたサウスウエスト航空も、テキサス州外への路線展開を行なうことが可能になった。ここで、それまでのサウスウエスト航空の基本戦略であった「短距離を低運賃・高頻度運航」という方針を今後も続けるべきかどうかが話し合われた[39]。その結果、基本戦略を変更せずに事業の拡大を進めていくということになった[39]

早速、同年にヒューストンとニューオーリンズを結ぶ路線を開設し、続いてダラスからニューオーリンズの路線の開設申請を行なったが、これに対して新空港当局、フォートワース市、ブラニフ航空は猛烈に反対した[38]。反対者の中にフォートワース選出の下院議員であるジム・ライトがいたことから、ロビー活動合戦が繰り広げられた[40]。最終的に、ラブフィールド空港からはテキサス州と隣接する州より遠い地点への路線開設が出来ないことになった[40]

ここでサウスウエスト航空が打ち出した方針は、他社のように「ハブ・アンド・スポーク型」と呼ばれるネットワーク形態を構築せず、保有機材であるボーイング737の航続距離や収容力を最大限に活用し[37]、2地点間の輸送に重点を置く「ポイント・トゥ・ポイント型」の輸送に徹することであった[37]。つまり、ある程度の集客が見込める短距離・中距離の路線を開設し、それらの路線を相互につなげてゆくことでネットワークを拡大する手法をとったのである[37]

この方針に従い、まずヒューストン、アルバカーキ、ラスベガス、フェニックスからの路線を開設[40]、さらに隣接州を結ぶ路線を開設してつなげていくという展開を行なった[41]。この手法は、他の航空会社の採用している「ハブ・アンド・スポーク型」の路線構成によって、混雑した空港で不便な乗り継ぎを強いられることに不満を抱く利用者層から絶大な支持を得た[37]ことから、その後、多くの路線が集中する一部の空港で便宜的なハブ機能を有する事例はある[37]ものの、サウスウエスト航空の基本的な路線展開はこの方針に徹することになる[37]

最優良航空会社へ

これより少し遡る1978年3月28日、創業期より社長兼CEOを勤めていたミューズが辞任し[42]、後任にはユナイテッド航空でマーケティング担当副社長を務めていたハワード・パトナムが着任し[42]、創業者のケレハーは会長に就いた[42]。さらに、パトナムは1981年9月22日に退任し[42]、1982年2月23日からは、ケレハーが社長兼会長兼CEOに就任した[42]。経営に関する全権を掌握したケレハーは、その後のサウスウエスト航空の特徴となる3点の方針を打ち立てた[37](「運営方針」の節で後述)。

他方、1980年代の他の航空会社では急激な路線拡大や他社の買収などで路線網を拡大する事例が多かったが、サウスウエスト航空は大きな買収などは行なわず、基本的には自力での路線展開を進めていった[8]。また、他社では急激な路線展開の後ほどなく撤退を繰り返しているケースもあったが、サウスウエスト航空は基本的には一度就航した地区からの撤退はせず、着実に路線網を拡大していった[8]。さらに、他の航空会社が市場シェアの拡大を重視する[6]中で、サウスウエスト航空は徹底的に利益を重視した経営を行なった[7]

1988年5月、サウスウエスト航空はアメリカ合衆国運輸省が発表する定時運航率の高さ・手荷物の紛失件数の少なさ・利用者からの苦情の少なさの3部門について、アメリカ全航空会社中でトップとなった[43]。これは、サウスウエスト航空の顧客満足度がトップクラスであるということでもあった。1989年11月からは3ヶ月連続して3部門とも首位となったことから、サウスウエスト航空では1990年1月に「3ヶ月連続の三冠王」という広告展開を行なった[43]。サウスウエスト航空は一躍アメリカ最優良航空会社として名前が知れ渡ることになる[44]。その後、1992年から4年連続で、年間を通じて「三冠王」となった[45]

さらに、1991年には、アメリカの航空雑誌「Air Transport World」が主催する賞「エアライン・オブ・ザ・イヤー」を受賞した[注釈 5]が、国際線を全く運航していない航空会社の受賞はきわめて異例のことであった[8]

ダラスの対決

1992年に、サウスウエスト航空が"Just Plane Smart(ちょっと気の利いた飛行機)"という宣伝文句を使用し始めた直後、すでに"Plane Smart(気の利いた飛行機)"という宣伝文句を使用して、サウスカロライナ州で航空機販売を営んでいたスティーブンス・アビエーションは、商標侵害であるとして訴え出た[46]。しかし、サウスウエスト航空は、その宣伝文句の使用を直ちにやめることも、法廷で争うこともしなかった[47]。両社のCEOが腕相撲の試合を行なうことで決着をつけることにしたのである。

この試合は、3回勝負で2回勝った方が宣伝文句の使用権を得て、1回負けるごとに5000ドルを相手が指定する慈善団体へ寄付するという内容で[46]、1992年3月にダラスのスポーツ用施設で行なわれた。試合はケレハーの負けとなったが、試合終了後、スティーブンス・アビエーションのカート・ハワールド会長は、サウスウエスト航空が"Just Plane Smart(ちょっと気の利いた飛行機)"という宣伝文句をその後も使用することを認めた[48]。慈善事業には合計1万5000ドルが回され[49]、両社にとっても良い宣伝となった[49]が、ケレハーは宣伝目的であったことを否定している[48]

この勝負はアメリカのマスコミにも話題として提供され[49]、当時合衆国大統領だったジョージ・H・W・ブッシュからも「微笑ましい」という内容の手紙が届く[47]ほどの評判になった。また、サウスウエスト航空の社内では伝説として語り継がれている[48]

さらなる事業拡大へ

この頃からは、他の航空会社もサウスウエスト航空の実力を認めており[43]、その運航形態を見習うようになる[44]

例えば、ユナイテッド航空はサウスウエスト航空の参入によって、ロサンゼルスとサンフランシスコを結ぶ区間で大きなシェアを奪われており、これに対抗するにはサウスウエスト航空並みの運航体系をとらなければならないと判断し[44]、1994年10月1日より同区間において「シャトル・バイ・ユナイテッド」[注釈 6]と呼ばれる別組織での運航[44]を開始することを決めた[43]。サウスウエスト航空はユナイテッド航空の動きを予想しており[43]、「シャトル・バイ・ユナイテッド」の計画が判明すると、直ちにかねてから合併を申し入れていたモリスエアとの交渉に入り[43]、1993年12月31日に合併を決定した[43]。モリスエアとは路線網が重複しておらず[43]、しかも保有機は両社ともボーイング737のみであった[43]ため、サウスウエスト航空にとっては都合がよく[50]、しかもユナイテッド航空との競合区間で増便を行なうための航空機も用意できたのである[43]。サウスウエスト航空はそれまで目だった他社買収などを行なったことがなかったが、この後他社の買収などが行なわれるようになる。

1995年1月31日、サウスウエスト航空では電子航空券制度を導入した[51]。これは、1994年にサウスウエスト航空の航空券がユナイテッド航空・コンチネンタル航空・デルタ航空のチケット予約システムから外されることになった[51]ことがきっかけで、独自の新しい予約システムを導入することになり[52]、同時にチケットレスシステムの導入を行なったものである。

2000年代

2002年からは初めてアメリカ大陸横断路線などの長距離便にも参入することになり、同年9月よりロサンゼルスとワシントンを結ぶ路線の運航を開始した[9]。所要時間が5時間前後という路線であるが、使用機材は従来どおりボーイング737が使用され、ワシントンではボルチモア・ワシントン国際空港という比較的ローカルな空港に乗り入れる[9]。2002年9月15日までは就航記念で往復198ドルという運賃が適用された[53]

2005年12月8日シカゴ・ミッドウェー国際空港で、サウスウエスト航空1248便は滑走路の積雪によりオーバーラン、空港敷地外に逸脱して自動車と衝突するという事故が発生した。巻き込まれた自動車に乗っていた子供が死亡したため、死亡事故ゼロの記録は途切れた。

企業概説

運営方針

1978年にCEOに就任したケレハーが決めたもので、ノンフリルかつローコストでありながら品質感のある航空会社にするため[37]、以下の3点を徹底的に遵守する方針が立てられている[37]

  • 定時出発率を高いレベルで維持すること
  • 利用者にとっては迷惑なトラブルを可能な限り減らすこと
  • カジュアルでフレンドリーな会社のイメージを最大限に利用者にアピールすること

また、対外的にも「愛」を前面に出し、公式サイトでも「LUV(=Love) is ○○○」というキャッチコピーを用いているほか、NYSEの証券コード3文字は「LUV」である[5]

家族的な社風

開放的なコミュニケーションと強いチームコーディネートを促進することで、積極的な職場文化を作り上げている[54]。サウスウエスト航空の人材戦略は、個人の能力よりもチーム全体での成果に焦点を合わせ、チームの発展に向けたものである。サウスウエスト航空は、業務と私生活のバランスを維持した上で、従業員の共同体と家族的なつながりを維持するよう奨励している[54]

また、社内での地位に関わらずお互いをファーストネームで呼び合う習慣が形成されており[55][注釈 7]、従業員が3万人を超えても、一貫して家族的な社風が継承されている[1]

社員の80パーセント以上が労働組合に加盟しているが、サウスウエスト航空では常に会社のシステムが柔軟に運用できるように就業条件を交渉しており[56]、定時出発率を維持するためには本来の担当業務以外の仕事にも対応できることとしている。定時出発するために、空港での荷物の積み込みを操縦士や客室乗務員が手伝うことは珍しくない[57]

独特の企業文化

サウスウエスト航空は、企業ポリシーとして「顧客第二主義」「従業員の満足(Employee Satisfaction)第一主義」を掲げる[1]。これは、不確定要素の存在する顧客よりも、発展の原動力であり信頼できる人間関係を築き上げることが可能な社員を上位に位置づけているもので[1]、「従業員を満足させることで、却って従業員自らが顧客に最高の満足を提供する」という経営哲学を追求している[58]

サウスウエスト航空は、従業員の採用に際してユーモアのセンスがあることを重要視する[59]。これは、「緊張を強いられることの多い仕事につく人にこそユーモアセンスが必要」というケレハーの持論によるもので[60]、操縦士や客室乗務員、空港カウンターの従業員のみならず、本社や駐機場で勤務する従業員にも等しく求められるものである[61]。また、客室乗務員の採用時には、サウスウエスト航空の顧客に「望ましい客室乗務員」の選定を依頼することがある[62]

「乗客に空の旅を楽しんでもらう」ことを従業員に推奨しており、出発前に客室乗務員のパフォーマンスが行なわれることがある。サウスウエスト航空では従業員が顧客にへつらうことなく良識を優先することを推奨しており[63]、顧客が満足するための判断を従業員の裁量に任せる方針をとっている[44]ため、顧客を楽しませるためであれば社内規則を曲げるようなことであっても容認されることがある[64]。ユナイテッド航空のシャトル便サービスが開始された際に空港職員が戦闘用の迷彩服を着用したり[65]聖パトリックの日に客室乗務員が小妖精の衣装を着用して乗務したり[66]、運行中に乗客が連れていたマゼランペンギンの機内散歩を許可したりする[67][注釈 8]事例は、すべて従業員の判断である。

サウスウエスト航空の経営方針に対しては必ずしも好意的な意見ばかりではなく、「サウスウエストの従業員はふざけすぎている」という投書もある[68]。これに対して、サウスウエスト航空は「ポリシーを変更する考えはない」と返信を送り、従業員を侮辱する顧客に対しては「今後乗らなくて結構です」と躊躇なく他航空会社の利用を勧める。ケレハーは、顧客がいつも正しいと考えることを「上司が従業員に対して犯しやすい最大の背信行為」と述べている[69]

制服

早い時期から、全部門でカジュアルな服装への移行を行なっている[70]

創業当初、客室乗務員に制服として支給されたのはをホットパンツとゴーゴー・ブーツであった[22]。一時期、フォーマルな制服を導入していた時期もあった[65]が、顧客から不満の声があったため[65]、数年でカジュアルな制服に変更されている[65]。客室乗務員の服装は、夏服の場合ポロシャツ、キュロットパンツ、スニーカーである[71]

広告戦略

サウスウエスト航空は広告戦略でもユーモアを取り入れている。同社では利用者と直接接する従業員も、会社から顧客に対する情報伝達手段の一部と捉えており[72]、カジュアルでフレンドリーな会社のイメージを最大限に利用者にアピールすることを推奨している[37]のはそのためである。

また、競争に対しては真剣に取り組むが、競争相手を苦笑させるような広告戦略をとることがある[73]。一例としては、ノースウエスト航空が顧客満足度がトップであるという広告を出した際に、会社としての正式な声明として「うそ、うそ、真っ赤な嘘!」と書いた広告を出したことがある[74]

これまでに広告に使用されたキャッチフレーズとしては、「The Somebody Else Up There Who Loves You(あなたを愛する誰かがそこにいる)」[21]、「Just Plane Smart(ちょっと気の利いた飛行機)」[75]、「THE Low Fare Airline(唯一の低運賃航空会社)」[76]というものが挙げられる。2011年1月1日現在のキャッチフレーズは「Grab your bag, It's On!」。これらの広告は、サウスウエスト航空公式サイトで参照可能である[77]

コスト削減

サウスウエスト航空ではコスト削減を人件費削減以外の方法で実行している。

航空機については「地上にいる時には経費を生み、飛行している時に利益を生む」としており、航空機が地上にいる時間をできるだけ少なくすることを目指した結果、サウスウエスト航空の航空機は、1日平均11時間半稼動している[78]。このため、航空機が到着すると、F1レースのピットインの時のようにいっせいに作業員が飛行機に近づき作業を行なうことで、航空機の地上滞在時間を短縮している。アメリカ同時多発テロ以前は、最低10分で折り返して出発していた[79][78]。2004年時点では連邦航空局の規則に従ったため、平均25分となっている[78]。これは、創業期には保有している航空機を売却することで手元資金を確保する必要に迫られ、1機少ない機材での運航を余儀なくされた結果である[78]が、以後サウスウエスト航空の特徴ともなっている。

多くの格安航空会社と同様、客室乗務員が清掃など複数の仕事をこなす。機内清掃については、目に付く大きなゴミを拾う程度でよいとされている[80]、が、これも折り返し時間の短縮によるコスト低減を主眼としたものである。サウスウエスト航空では、折り返し時間の短縮は定時出発率の向上にも寄与するため、結果的には顧客の利益にもなるとしている[6]

大都市の空港でも、発着便数が少ない小さな空港を選ぶことが多い[81]。小さな空港の方が空港使用料が安いこと、また、空いている空港を使用することにより、空港での駐機時間を減らしてその分運航便を増やせることによる[81]フロリダ州カリフォルニア州では燃料価格が他の州よりも高くなるため、給油のタイミングにも気を使っている[78]

機種は後述するようにボーイング737シリーズに統一されている。これは「乗員はボーイング737を理解すれば、会社の機材全てを理解したことになる」という観点からのもので[50]、整備コスト・教育コストの低減を図っている[82]。一時的にリース機でボーイング727を運航したことはあるが、異なる機種の保有が非効率と判明したためすぐにリースバックされている[26]。保有機材の25パーセントはリース機材としている[83]ほか、整備のアウトソーシング先は部品のメーカーとすることで安全性を確保している[83]

2008年、サウスウエスト航空はプラットアンドホイットニー社のエンジン高圧洗浄装置の使用を契約した。航空機を搭乗ゲートに駐機した状態で、エンジンのタービンブレードから汚れと不純物を清掃可能なもので、頻繁にジェットエンジンの洗浄を行なうことにより、燃費が約1.9%改善されると見積もられている[84][85]

人件費

サウスウエスト航空は人件費をコスト削減対象とはしていない。「会社にとってもっとも大事な社員に対しては高水準の賃金が支払われるのが当然」という考えによるもので[6]、「人員を削減した結果、出発準備に手間取り遅延が発生するのは本末転倒」としている[6]。アメリカ航空業界全体が不振に陥った時も、レイオフも減給もしない方針を貫いている[83]

サウスウエスト航空の総運航コストにおける人件費率は41%で他の格安航空会社より10%前後高く[6]デルタ航空の人件費率が44%であるのと比べても高い[6]。給与水準は大手航空会社と比較しても遜色なく[6]、操縦士は全米3番目、客室乗務員は全米5番目、地上作業員と整備士は全米最高の給与水準であるという[6]

運航乗務員や客室乗務員については乗務手当が支払われるが、この算出は時間単価ではなく会社が指定した「トリップ」という単位を利用し[注釈 9]、その日の移動距離に応じて支払われる[86]

訓練期間中は無給であり、交通費などの必要経費以外は支払われない[87]が、これは大手のユナイテッド航空でも同様の方法をとっている[88]など、サウスウエスト航空特有の話ではない。

危機管理

サウスウエスト航空は、好調な時期にやりくりを行なうことで不況に備えるようにしている[89]

サウスウエスト航空は燃料取引については、財政力を後押しとした積極的な情報収集をしている[90][91][92]。中には、1999年から2000年代前半にかけての燃料取引についての考えが、サウスウエスト航空とは正反対の意見を表明していたアナリストもいた。彼らはむしろ、サウスウエスト航空は根拠なしに燃料価格を予測していたとしている[93]

2008年の第3四半期では、燃油ヘッジの価格より燃料価格が下落したことにより、サウスウエスト航空は17年ぶりに損失を計上した[94]

他社の買収

事業拡大の過程では、他の航空会社の買収も行なわれている。これまでに3社を買収しており、2011年現在で1社の買収手続き中である。

買収歴

ミューズエア

1985年6月25日、経営が悪化していたミューズエアを6050万ドルで買収した。買収後、社名をトランスター航空に変更し、サウスウエスト航空傘下の別会社として運航を行なった。買収された後は、サウスウエスト航空の就航していない地区への路線展開を行なったが、1987年8月9日に運行停止となった[95]

モリスエア

1993年12月には、アメリカ北西部への事業拡大として、ユタ州ソルトレイクシティーを拠点とするモリスエアを1株あたり134ドルで買収した[96][97]。買収後は完全にモリスエアはサウスウエスト航空に吸収合併された。モリスエアの創業者の一人であるデビッド・ニールマンは、しばらくサウスウエスト航空に勤務していたが、ほどなく退社。後にジェットブルー航空を設立した[98]

ATA航空

2008年に連邦倒産法第11章の適用を受けたATA航空の資産を750万ドルで購入した。これは、それまでATA航空が使用していたニューヨーク・ラガーディア空港の設備利用権利と発着枠を得るのが目的で、ATA航空保有の航空機や社員などは含まれていない[99]

エアトラン

2010年9月27日、サウスウエスト航空は、オーランドを拠点とするエアトランの親会社であるエアトラン・ホールディングスを14億ドルで買収することを計画していると発表した[100]。この買収により、サウスウエスト航空は新たにメキシコ・カリブ海・アトランタを含む38都市への乗り入れや、エアトランの拠点空港やサウスウエスト航空が乗り入れていない最大の都市への乗り入れが実現する[101]。サウスウエスト航空はこれまではボーイング737シリーズの航空機のみを運航していたが、今回の買収によってエアトランの保有するボーイング717とボーイング737がサウスウエスト航空の機材に組み込まれる。2011年第2四半期までに買収を完了する予定で、その後合併まではサウスウエスト航空とエアトランは別々の航空会社として運航を続ける[102][103][104]

失敗した買収

買収による事業拡大は、うまく行ったケースばかりではない。

フロンティア航空

2009年7月30日、サウスウエスト航空は経営破たんしたフロンティア航空の買収価格を1億1360万ドルと発表した。当初、サウスウエスト航空ではフロンティア航空を別会社として傘下に組み込む予定であったが、最終的には合併の上でフロンティア航空の航空機をボーイング737に取り替える計画となった[105]。しかし、同年8月14日には、入札でリパブリックエアウェイズ・ホールディングスに敗れた。専門家は、デンバーへの事業拡大という点から、サウスウエスト航空が入札で勝利すると予想していた。サウスウエスト航空では、買収失敗の要因として、両者のパイロット組合と合意できなかったことを挙げている[106]

本拠地

本社

サウスウエスト航空の本社は、テキサス州ダラスのラブフィールド空港敷地内にある[107][108]

創業当初はダラス市内のビルに本社を設置していた[109]が、1990年に現在地に移転した。その時点で、2万3800平方メートルの敷地に約650人の従業員が勤務していた[110]。現在の建物は1500万ドルをかけて建設された[111]。1995年には本社を5600平方メートル拡張している。 2006年時点では、約1400人の従業員が、3階建ての社屋で勤務していた[110]

1996年3月[112]、3000万ドルを費やして、既存の本社敷地に追加する形で、2万8千平方メートルの拡張を行なうと発表した[113]。1996年3月13日にはこの工事はダラス市議会で満場一致で可決された[114]。サウスウエスト航空では、合計4ヘクタールの土地をダラス市から借り受け、本社拡張と同時にパイロット訓練施設の建設と、駐車場の増設を行なった。これらは当初予定通り1997年3月に完成した。パイロット訓練施設が移転し、本社は北側に拡張された。

その他の活動

毎年冬には、サウスウエスト航空の就航都市に在住する飛行機運賃を支払う資力のない高齢者を対象に「ホリデーにはホームへ」キャンペーンを行なっている。対象者が故郷に帰って身内と会うことを支援するもので、無料の航空券が提供される[115]。1986年と1987年には、当時の大統領だったロナルド・レーガンから表彰されている[115]

1985年以降、難病の子供とその家族を支援するための宿泊施設「ロナルド・マクドナルド・ハウス」への支援活動を行っている[116]。単純に寄付するだけではなく、従業員有志が月例夕食会やクリスマスパーティーを開催するという内容で、1994年にはハウスに多大な貢献をした会社として表彰されている[117]

サウスウエスト航空はテキサス州における高速鉄道の建設に反対している[118][119]

歴代主要経営陣

  • ラマー・ミューズ(初代CEO)
    トランステキサス航空、サザンエア、セントラル航空、ユニバーサル航空を経て[15]、初代CEOとして着任。サウスウエスト航空の創業期に、航空業界で経験をつんだベテランを集めて、初期の企業幹部を形成した[18]。1978年に辞任、その後1981年にミューズエアを設立[120]、1984年にミューズエアの経営を息子に委譲[121]
  • ロリン・キング(初代業務担当副社長)
    共同創立者のうちの一人。当初より社員と交流することが義務と考え[122]、1ヶ月に25時間から30時間は自社機に搭乗し、社員や乗客との対話を行なっていた[122]。経営陣が現場を直接視察し、できる限り現場の従業員との交流を培うという、サウスウエスト航空の基準を決めた人物である[122]
  • ハワード・パトナム(2代目CEO)
    ユナイテッド航空のマーケティング・サービス担当の副社長を経て、1978年9月21日に正式に就任[42]。サウスウエスト航空で果たした最大の貢献について何かを訊かれ、「ユナイテッド航空で学んだことを1つも実行しなかったことだ」と答えて、ケレハーを大笑いさせたことがある[123]。1981年9月22日に、ブラニフ航空の社長兼CEOとなるために退任[42]
  • ハーバート・ケレハー(3代目CEO→名誉会長)
    共同創立者のうちの一人。創立当初は法律顧問だったが、ミューズの退任からパトナムの着任まで暫定的にCEOを務めた。その後会長職にいたが、パトナムの退任後の1982年2月23日から正式にCEOとして着任。サウスウエスト航空の企業風土を形成した立役者[66]であり、サウスウエスト航空の歴史はケレハーを中心に成り立っているともみられている[124]。2001年にCEOを退任、2007年7月に取締役会議長を辞任した。
  • ジェームス・パーカー(4代目CEO)
    2001年中盤にCEOに着任した。サウスウエスト航空がアメリカ合衆国で最大の航空会社になったとき、空前の収益性で会社を成長させた立役者である。「個人的な理由」でCEOを退任した[125]
  • ゲリー・C・ケリー(5代目CEO)
    2004年7月15日にジム・パーカーの後任としてCEOに着任した。2008年7月15日にはコリーン・バレットの後任として社長に着任している。
  • コリーン・バレット
    ケレハーが弁護士業を行っていた時の秘書で、総務・経営担当副社長を経て社長に就任。規則を顧客サービスに適用せず、柔軟な対処を行なう社風の維持に務めた[126]。理事会と事務部長を2008年5月に辞任、2007年7月には社長も辞任した。

路線展開

2011年3月27日現在、サウスウエスト航空は1日3300便を運航し、37州72都市に乗り入れている。最新の乗り入れ空港は、2011年3月27日乗り入れを開始したニューアーク・リバティー国際空港である。

他のアメリカの大手航空会社が「ハブ・アンド・スポーク型」と呼ばれるネットワークを持つのに対して、主にアメリカの地方空港同士を結ぶ「ポイント・トゥ・ポイント型」の航空網を持っている。これは、ダラス・フォートワース国際空港の開港時に、サウスウエスト航空の拠点であるラブフィールド空港からは、隣接する州以遠の路線を運航することができないという法律(ライト修正法, Wright Amendment )が制定されたことが発端[127]で、サウスウエスト航空では隣接する州同士を結ぶ路線を展開した。サウスウエスト航空の路線展開は、資金が潤沢にあり、利益が出ると見込めるときに限って行なわれた[128]。決して会社の体力に対して背伸びをするようなビジネスは展開しなかった[26]

サウスウエスト航空は、運航コスト削減の一環として、着陸料などが低く、都市部に近いために便利な二次的な空港に乗り入れることが多い[81]。例えば、シカゴではオヘア国際空港ミッドウェー空港に、ヒューストンではジョージ・ブッシュ・インターコンチネンタル空港ではなくウィリアム・P・ホビー空港に、同社の拠点であるダラスでもダラス・フォートワース国際空港ではなくラブフィールド空港に発着している[81]。ただし、ロサンゼルスラスベガスなどでは、それぞれロサンゼルス国際空港マッカラン国際空港に発着するなど[81]、最も効率よく航空機を活用できる空港であると判断された場合[81]には、他社と同じ大空港に乗り入れることもある[81]

基本的に一度就航した地区からの撤退はしないが、コロラド州デンバーでは、不安定な天候と過度な混雑により遅れが多発したことや、デンバー国際空港の開港と同時に市街地に近いステープルトン国際空港が廃港となった際に、空港利用料が高くサウスウエスト航空のビジネス形態に合わず、低運賃が実現できないと判断されたため、1986年に撤退している[129]。その後、2006年からはデンバー新空港に乗り入れを再開し、以前乗り入れていたときと同様に[130]オーランド、カンザスシティー、ボルチモアへの運航を開始している[131]

サウスウエスト航空の乗客の80パーセントは地元の利用者で、乗り継ぎなどを行なう利用者は全体の20パーセントに過ぎない。これは、他の航空会社と比較しても高い数値である[132]

就航地

1979年までに、サウスウエスト航空はテキサス州のエルパソ、アマリロ、コーパスクリスティ、ハーリンゲン、ラバック、ミッドランド/オデッサへの路線を開設していた。各州間を結ぶ路線は1979年のニューオーリンズ乗り入れ、1980年のアルバカーキ乗り入れが最初で、その後すぐにオクラホマシティタルサへの乗り入れが開始された。1982年にはフェニックス、ラスベガス、サンディエゴの3都市への乗り入れでアメリカ西海岸に進出、1985年3月にはシカゴ・ミッドウェイ空港とセントルイスへの乗り入れによりアメリカ中西部へも進出した[133]

2008年11月に、サウスウエスト航空は、以前にATA航空によって使用されていたラガーディア空港での14の発着枠(毎日7往復分)の購入を申請し[134]、約1カ月後に承認された。その後、2009年3月の下旬に計画が立案された。同年4月前半に、14の発着枠だけであるにもかかわらず、1日16回の発着便(シカゴ・ミッドウェイ空港への5往復とボルチモア・ワシントン国際空港への3往復)の戦略的な計画があると発表された[135]。2009年6月28日にサウスウエスト航空はラガーディア空港での業務を開始、さらに目的地を増加させることにより業務拡大を目指している[136][137]

2009年2月、サウスウエスト航空はボストン・ローガン国際空港への運航を同年秋に開始すると発表した[138]、同年8月16日よりシカゴ・ミッドウェイ空港とボルチモア・ワシントン国際空港へ、それぞれ5往復ずつの運航が開始された[139]。サウスウエスト航空では、ニューハンプシャー州マンチェスターロードアイランド州プロビデンスへの運航の補助的な意味合いもあると説明している。また、この都市の地元紙「ボストンヘラルド」は、今後ローガン空港での搭乗ゲートを2つ追加することも選択肢に上っていると報じた[140]。 サウスウエスト航空では、ボストン在住のビジネス利用者に対して低運賃の航空券を提供できることを期待している[141]

2009年10月、サウスウエスト航空はフロリダ州パナマシティの近郊に存在するノースウエストフロリダビーチ国際空港から、ボルチモア・ワシントン国際空港、オーランド、ヒューストン・ホビー空港、ナッシュビルへの路線開設を発表し、2010年5月24日より運航開始した[142]

2010年5月11日には、サウスカロライナ州のグリーンビル・スパータンバーグ国際空港(GSP)とチャールストン国際空港(CHS)への乗り入れを表明し、2011年3月13日より両空港からボルチモア・ワシントン国際空港、オーランド、ヒューストン・ホビー空港、ナッシュビル、シカゴ・ミッドウェイ空港への直行便の運航を開始する予定[143]

2010年8月27日、サウスウエスト航空は、ニューアーク・リバティ国際空港において、コンチネンタル航空とユナイテッド航空の合併に伴い、合衆国司法省によって剥奪された36回分の発着枠を受けることになったと発表した[144]。同年10月28日には、2011年3月27日よりリバティ空港からシカゴ・ミッドウェイ空港へ6往復、ランバート・セントルイス国際空港へ2往復の直行便を運航すると発表した。さらに、2011年6月5日にはボルチモア・ワシントン国際空港とデンバーに3往復ずつ、ヒューストン・ホビー空港とフェニックスに2往復ずつの運航を開始する予定である[145]

国際線

2011年1月現在、サウスウエスト航空はアメリカ国外が目的地となる直行便の運行は行なっていない。サウスウエスト航空の利用者がアメリカ国外へ向かう場合の手段としては、他の航空会社とのコードシェア便によってサービスを提供している。

なお、2011年前半に買収を完了する予定のエアトランは、メキシコとカリブ海などの目的地への国際線の運行が行なわれている。

コードシェアリング運航

運行中

  • メキシコの旗 ボラリス
    2008年11月10日、サウスウエスト航空はサウスウエスト航空2番目の国際的なコードシェアリングとして、メキシコの低運賃航空会社であるボラリスとのコードシェアリング協定を発表した。この協定では、2009年夏からアメリカに乗り入れたボラリス路線を含めた航空券を、2010年から購入可能としている[146]
    ボラリスはグアダラハラから、シカゴ・ミッドウェイ空港、オークランド、ロサンゼルス国際空港、サンノゼへの運行を行なっている。また、ロサンゼルス国際空港からモレリアトルーカサカテカスへの運航も行なっている[147]

過去に実施されていたもの

  • アイスランドの旗 アイスランド航空
    1997年、サウスウエスト航空とアイスランド航空は、ボルチモア・ワシントン国際空港において2社間で乗り継ぎ運賃、運航スケジュールの連携、旅客の手荷物の転送を含めた国際マーケティング協定を結んだ。アイスランド航空は、ボルチモア・ワシントン国際空港とアイスランドケプラヴィーク国際空港を結ぶ路線の運行を行なっていた。サウスウエスト航空の時刻表にも、アメリカの都市とヨーロッパの都市を結ぶ時刻が掲載されていた[148]。マイレージプログラムは協定に含まれていなかった。この提携は数年間続いた後に終了し、アイスランド航空も2007年1月にボルチモア・ワシントン国際空港から撤退した[149]
  • アメリカ合衆国の旗 ATA航空
    ATA航空(旧・アメリカントランスエア)は、歴史的にはシカゴにおいてサウスウエスト航空の主な競争相手のうちの1社で、シカゴ・ミッドウェイ空港に発着していた。2004年、ATA航空は連邦倒産法第11章(チャプター11)の適用を申請したが、その際にサウスウエスト航空はATA航空の株を購入し、サウスウエスト航空では初となる国内線コードシェア運航を、ATA航空が就航していた路線で開始した[150]
    ATA航空が2008年4月3日に連邦破産法11条倒産を申請した際に、ATA航空とサウスウエスト航空のコードシェア運航は終了した[151]。2008年11月末になって、サウスウエスト航空はニューヨーク・ラガーディア空港でATA航空が使用していた発着枠を使用した運航の認可を取得したと発表したが、その中にはATAの保有していた航空機、施設や従業員は含まれていなかった[152]
  • カナダの旗 ウエストジェット航空
    2008年7月8日、サウスウエスト航空は、カナダのウエストジェット航空との間で、相互に両社の航空券を販売可能とするコードシェア協定を開始する構想を公式発表した[153]。この提携は、本来は2009年後半までに開始する予定だったが、経済的な理由で延期された[154]。2010年4月16日、両社はコードシェア協定の協議を友好的に終了すると発表した。

商品とサービス

客席はすべてエコノミークラスで、定員制自由席指定席ではない。電子航空券制度を採用しており、紙の航空券は発券されない。web上で簡単に予約ができ、搭乗便の変更も手数料なしで行える。他航空会社との乗り継ぎのための時間調整は行わず、荷物転送もしない。

機内サービスについては、飲み物(ソフトドリンクは無料・アルコール類は有料)やピーナッツは提供されるが、機内食のサービスはなかった。これは「その分運賃を安くしたほうが乗客は喜ぶ」というポリシーによる[155]。近年は長距離路線でブレッドスティック・クッキーなどのスナック類が提供されている[71]

機内エンターテイメント装備は全く導入していない。機内放送はとっぴなもので知られており、時には客室乗務員が歌を歌う。概ね好評であるが、何人かの旅行評論家は「不快で押しつけがましい」としている[156]

2009年2月から行なわれたテスト運用の後、サウスウエスト航空は2009年8月21日に衛星通信による機内無線LANブロードバンド接続のサービスを開始すると発表した。2010年の第1四半期から、全保有機に対して装備していく計画である[157]

2010年7月に、サウスウエスト航空が運送契約に基づく補償対象外の事例に、神の行為として「機械的な不具合」を追加したことは広く話題になった[158]。ただし、サウスウエスト航空の広報によると、今後も過去と同様に、機材不良などで影響を受ける乗客には補償を行なうとしている[158]

波及効果

格安航空会社の雛形

サウスウエスト航空は低運賃航空会社として印象付けられ、そのビジネスモデルは世界中に波及している[1]。以後設立される多くの格安航空会社は、サウスウエスト航空を雛形としているという[159][7]

特に、事業戦略として搭乗ゲートでの折り返し時間を短縮する点は、従業員の高い生産性と航空機のユニットコスト低下と結びつけられている[54]。ヨーロッパのイージージェットライアンエアーは、この事業戦略を実施していることで知られている。また、サウスウエスト航空のビジネスモデルが踏襲されている航空会社としては、カナダのウエストジェット、マレーシアのエア・アジア(アジア最大の低運賃航空会社)、リチャード・ブランソンオーストラリアで運航するヴァージン・ブルーカンタス航空が運営するジェットスター、フィリピンのセブ・パシフィック航空、タイのノックエア、メキシコのボラリス、トルコのペガサス航空などが挙げられる[160]。ただし、ライアンエアー、エア・アジア、ジェットスターについてはサウスウエスト航空とはやや方向性は異なっている[161]

外部の評価

アメリカの航空雑誌「Air Transport World」が主催する賞である「Airline of the Year」を、1991年と2003年の2回受賞している[162]

アメリカのビジネス誌「フォーチュン」は、1997年にサウスウエスト航空に対して「アメリカでもっとも働き甲斐のある会社」「アメリカで6番目に尊敬される会社」「世界で3番目に尊敬される会社」と評価している[163]

機材

現用機種

2010年12月31日時点での保有機材数[164]
型式 機数 座席数 運航路線
ボーイング737-300 171 137 近距離・中距離路線
ボーイング737-500 25 122 近距離路線
ボーイング737-700 352 137 全路線

2010年12月31日現在、サウスウエスト航空は548機の航空機を保有し、そのすべてがボーイング737シリーズである[107][注釈 10]。しかし、2010年にボーイング717シリーズの世界最大規模のカスタマーであるエアトラン(旧・バリュージェット)を買収することが決定し、同シリーズもサウスウエスト航空の機材として組み込まれることが決定しているため、合併後はボーイング737シリーズとボーイング717シリーズの2種類を保有することになる。なお、1985年から1987年にかけてサウスウエスト航空の傘下だったトランスター航空(旧・ミューズエア)は、マクドネル・ダグラスのDC-9とMD-80を運用していた[121]

サウスウエスト航空はボーイング737型機を世界で最も多く保有する航空会社である[129]。また、現在運航している3機種のローンチカスタマーであり、これらの3機種を世界で最初に就航させた航空会社でもある[165]。同一機種を300機以上揃えている航空会社は、世界中を探してもサウスウエスト航空以外には存在しない[166]。ボーイング737の生産5000機目の機体もサウスウエスト航空に就航している。

すべての保有機材にはヘッドアップディスプレイを装備している[78]。また、ボーイング737-700型機は、2機を除いてブレンデッド・ウィングレットを装着しており、飛行距離に関係なく3%から4%の燃料節約を可能にしている[129]。2007年12月以降、737-300型機は順次退役が行なわれることになったが、機齢の若い737-300型機はグラスコックピット改装により737-700型機との互換性を保ち、GPSを含む航法精度要件を満たすシステムとする[167][168]

2004年時点では、すべての機材を737-700型機に置き換える計画があった[78]が、2010年12月15日、ボーイング737-800型機を70機導入する計画を公表した[169]

2007年12月現在、サウスウエスト航空の機材の機齢は平均約9.7年であり、1日の飛行回数は1機あたり平均約7回である[170]。1日平均の1機あたりの運用時間は、8時間30分から11時間30分程度である[78]

退役機材

カラーリング

初期のカラースキム 2001年以降に採用された現行カラースキム
初期のカラースキム
2001年以降に採用された現行カラースキム

サウスウエスト航空の初期のカラースキムは、サンドゴールドにオレンジと赤のストライプが入り、白のピンストライプが各色の境界に入るもので、'SOUTHWEST'の文字が垂直尾翼のサンドゴールド部分に入っていた。このデザインは、「フライング・バナナ」と通称されていた[50]。なお、1971年6月に最初に運航していた3機の737-200では、ポートサイド側は'SOUTHWEST'の文字は胴体後部の窓の上にあり、尾翼には'AIRLINES'と入っており[171]、スターボード側では'SOUTHWEST'の文字が垂直尾翼に、胴体後部の窓の上に'AIRLINES'と書かれていた[172]

2001年1月16日、会社創立後30年目にして初めてカラースキムが変更された。ベースカラーをサンドゴールドからキャニオンブルーに、'SOUTHWEST'の文字とピンストライプを金色に変更した。オレンジ色と赤色のストライプは継承されているが、各色の境界のピンストライプは旧カラースキムでは直線だったものが、緩い曲線を描くものに変更された。ブレンデッド・ウイングレット装備機では、ブレンデッド・ウイングレットのストライプの中に'SOUTHWEST.COM'と文字が入る。2007年末までに、すべての機材のカラースキム変更は完了した。

特別塗装機

初の特別塗装機「シャム・ワン」 テキサス州旗をデザインした「ローンスター・ワン」
初の特別塗装機「シャム・ワン」
テキサス州旗をデザインした「ローンスター・ワン」

いくつかの飛行機では特別なカラースキムが施されている。

初の特別塗装機はテキサス州の水族館「シーワールド」の宣伝用として1988年5月に登場したもので、機体全体にシャチのペイントを施した特別塗装機「シャム・ワン」を運航させたものである[173]。これは日本でマリンジャンボが登場するより5年ほど早い。その後、当時シーワールドを買収したアンハイザー・ブッシュの経営者がこの手法を高く評価したため、2機(「シャム・ツー」と「シャム・スリー」)が追加された[174]。愛称の「シャム」は、シーワールドで人気を博しているシャチの名前からとったものである。

創立20周年を迎えた1991年には、テキサス州の州旗をデザインした「ローンスター・ワン」[注釈 11]を登場させ[175]、以後ネバダ州カリフォルニア州アリゾナ州メリーランド州ニューメキシコ州フロリダ州イリノイ州の州旗やイメージをペイントした機を地域密着運営の一環として登場させている[174]。2005年にはNBAのオフィシャルエアラインとなったのに伴い、バスケットボールを機体に描いた「スラムダンク・ワン」も登場した[26]。また、サウスウエスト航空の創立25周年を記念した「シルバー・ワン」、アメリカ合衆国運輸省から定時運航率・苦情の少なさ・手荷物扱いの正確さの3部門で1位となったことを記念した「トリプルクラウン・ワン」など、自社の祝い事での特別塗装機も登場させている[174]。なお、特別塗装機のブレンデッド・ウイングレットは、白色に塗装されている[107]

トラブル

乗客や乗員が死亡する事故は会社創立以来発生していない。

アクシデント

2005年12月8日のオーバーラン事故

安全基準違反

  • 2008年3月6日、FAAの検査官は、サウスウエスト航空が保有する航空機のうち、117機が検査期限を30ヶ月経過しており、航空安全検査による耐空安全性が確保されていなかったにもかかわらず、通常の運行に使用されていたと報告した[177]。報告書では、何千人もの乗客がこれらの航空機を利用していたと示している。サウスウエスト航空では当初コメントを控えていたが、アメリカ合衆国下院議長がが保全命令を出した[177][178]。FAAは、サウスウエスト航空が機体点検なしでおよそ6万回の飛行を繰り返したとして、規則違反に対する1020万ドルの罰金をサウスウエスト航空に課した[179]。その後、1年にわたる交渉の結果、サウスウエスト航空が750万ドルの罰金を支払うことでFAAと合意した。FAAでは、罰金を支払う期間として2年間の猶予を与えている[180]
  • 2009年8月26日、FAAは、サウスウエスト航空の旅客機の約10%に不適切な部品を使用しているとして調査した。これはサウスウエスト航空が整備を外注している先の会社によって行なわれたもので、FAAでは直ちに危険というものではないとしたが、2009年12月24日までに部品をFAAによって承認されたものに取り替えるために交換するように指示した[181]

関連する作品

脚注

注釈

  1. ^ 後のテキサスインターナショナル航空。
  2. ^ このときレイオフされた3人は、ほどなく職場復帰している。
  3. ^ 運賃よりも運航スケジュールを重視し、ビジネスに便利な時間帯に高頻度運航を望むビジネス客を指す。
  4. ^ 低運賃を重視し、運航スケジュールについては柔軟に考えるレジャー客を指す。
  5. ^ この賞は、全世界の航空会社が評価の対象である。
  6. ^ のちに「ユナイテッド・シャトル」に名称を変更した。
  7. ^ 例えば、創業者の一人のハーバート・ケレハーに対しては、社員は「ハーブ」と呼ぶ。
  8. ^ 当該動画「Penguins on a Plane (original) 」
  9. ^ 1997年時点で、1トリップあたり234マイル。
  10. ^ ボーイング社製航空機の顧客番号(カスタマーコード)は「H4」で、自社発注機材の型式名は737-3H4/5H4/7H4となる。
  11. ^ テキサス州の別称である「ローンスター・ステート」から命名。

出典

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関連項目

参考文献

書籍

雑誌記事

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  • Jin Nakashima「ピーナッツだけでは語れないローコストの真実」『エアステージ2005年1月号臨時増刊 航空旅行ハンドブック国際線版2005』、イカロス出版、2005年1月、pp.158 - 162。 
  • AKI「世界のメジャーは日本のマイナー あなたの知らないメガキャリア #1 闘志あふれるユニークスピリット サウスウエスト航空」『月刊エアライン』第331巻、イカロス出版、2007年1月、pp.94 - 95。 
  • 堀田佳男「上陸するアメリカ しないアメリカ 12 サウスウエスト的経営」『JMAマネジメントレビュー』、日本能率協会、2010年6月、pp.56 - 57。 

外部リンク