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「浄土真宗親鸞会」の版間の差分

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空悟 (会話 | 投稿記録)
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智之 (会話 | 投稿記録)
教義内容が冗長すぎるのと親鸞会の宣伝ばかりになってしまったのでリバート。
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'''浄土真宗親鸞会'''(じょうどしんしゅうしんらんかい)は、[[1958年]]([[昭和]]33年)に発足した、[[浄土真宗]]系の[[新宗教]]の一つ。
'''浄土真宗親鸞会'''(じょうどしんしゅうしんらんかい)は、[[1958年]]([[昭和]]33年)に発足した、[[浄土真宗]]系の[[新宗教]]の一つ。


元[[浄土真宗本願寺派]]僧侶である[[高森顕徹]]が設立(高森は現代表)。本部を[[富山県]][[射水市]](旧[[射水郡]][[小杉町]])に置く。関連会社として[[1万年堂出版]]がある。同会の会員数は10万人<ref>「現在の会員数は約10万人で」小沢浩「新宗教の風土」</ref>(1997年)とされている。[[降誕会]]・[[報恩講]]に約1万が参詣する。([[2010年]]現在)
元[[浄土真宗本願寺派]]僧侶である[[高森顕徹]]が設立(高森は現代表)。本部を[[富山県]][[射水市]](旧[[射水郡]][[小杉町]])に置く。関連会社として[[1万年堂出版]]がある。同会の会員数は公称10万人小沢浩「新宗教の風土」)とされているが、実数7000程度という証言もある。

==目的==
「親鸞会が結成された目的は、人類の光である親鸞聖人のみ教えを、絶対正確に、最も迅速に、自他に徹底する、これ以外になかったのです。今後も親鸞会が存続する限り変わりません。また、絶対に変えてはなりません。」と会長の高森顕徹は述べている。(浄土真宗親鸞会 50年の歩み)

「宗祖親鸞聖人の教えを広めることを唯一の目的として、[[親鸞]]、[[覚如]]、[[蓮如]]の文を根拠にして、それを忠実に解説する」という趣旨の法話会を各地で行っている。浄土真宗親鸞会では他の真宗宗派、とりわけ浄土真宗本願寺派(西本願寺)との教義上の差異を主張しており、親鸞会によれば本願寺の教えは善の勧めがない教えだと批判している。


==教義==
==教義==
「宗祖親鸞聖人の教えを広めることを唯一の目的として、[[親鸞]]、[[覚如]]、[[蓮如]]の文を根拠にして、それを忠実に解説する」という趣旨の法話会を各地で行っている。浄土真宗親鸞会では他の真宗宗派、とりわけ浄土真宗本願寺派(西本願寺)との教義上の差異を主張しており、親鸞会によれば本願寺の教えは何もやらなくて良い教えだと批判している。
=== 弥陀の本願について ===
*[[阿弥陀仏の本願]]
:親鸞 「如来世に興出したもう所以は唯弥陀の本願海を説かんとなり」(正信偈)
:釈迦や親鸞が教えたのは「阿弥陀仏の本願」ただ一つであるとし、阿弥陀仏の本願を説く法話を聞くことを親鸞会では最重要視している。
:特に本願文を「すべての人を絶対の幸福に救い摂る」ことと現代語で説明していることが大きな特徴である。


*十劫安心は異義であることの指摘(何もしなくても誰でも極楽に往生できるという考えは間違いであると説く)
:蓮如 「『十劫正覚の初より、我等が往生を定めたまえる弥陀の御恩を、忘れぬが信心ぞ』といえり。これ大なるあやまりなり。」(御文章1帖目13通)
:蓮如 「この信心を獲得せずば、極楽には往生せず」(御文章2帖目2通)
:蓮如 「『弥陀如来は既に十劫正感覚の初より、我等が往生を定めたまえる事を今に忘れず疑わざるが即ち信心なり』とばかり心得て弥陀に帰して信心決定せしめたる分なくば、報土往生すべからず。されば、そばさまなる悪き心得なり。」(御文章3帖目8通)


*称名正因は異義であることの指摘(念仏さえ称えたら誰でも死んだら極楽という考えは間違いであると説く)
:蓮如 「ただ口にだにも南無阿弥陀仏と称うれば助かる様に皆人の思えり。それは覚束なきことなり。」(御文章3帖目2通)
:蓮如 「ただ声に出して念仏ばかりを称うる人は、おおようなり。それは極楽には往生せず。」(御文章3帖目3通)
:蓮如 「世間にいま流布して、むねと勧むるところの念仏と申すは、ただ何の分別もなく、南無阿弥陀仏とばかり称うれば、皆助かるべきように思えり。それはおおきに覚束なきことなり。」(御文章3帖目5通)


*信心正因・称名報恩(信心が往生極楽の正しい因であり、念仏はそのお礼であると説く)
:蓮如 「この信心を得たる人は、十人は十人ながら百人は百人ながら『今度の往生は一定なり』と心得べきものなり。(乃至)そのありがたさのあまり念仏を申して、弥陀如来のわれらを助けたまう御恩を報じたてまつるべきなり。」(御文章1帖目10通)
:蓮如 「往生浄土の為にはただ他力の信心ひとつばかりなり。」(御文章2帖目5通)
:蓮如 「信心ひとつにて極楽に往生すべし(乃至)此の如く心得る上には、昼夜朝暮に称うるところの名号は、大悲弘誓の御恩を報じ奉るべきばかりなり。」(御文章2帖目7通)
:蓮如 「一念の信心定まらん輩は、十人は十人ながら百人は百人ながら、みな浄土に往生すべき事更に疑なし。この上には、なおなお尊く思いたてまつらん心の起らん時は、南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏と、時をもいわず処をもきらわず念仏申すべし。これを即ち仏恩の念仏と申すなり。」(御文章5条目4通)
:広く知られる「誰でも念仏さえ称えれば救われる」という教えは誤っているとして、今生において「他力信心」を獲ることが重要であり、念仏は救われた御恩に報いるお礼として称えるものであると説く。
:他力信心を獲ることを信心決定(しんじんけつじょう)とも信心獲得(しんじんぎゃくとく)とも言う。


=== 信心決定したらどうなるか ===
*信心決定・信心獲得(浄土真宗の正しい信心が定まったこと・弥陀から正しい信心を頂いたこと)
:蓮如 「一向一心になりて信心決定の上に、仏恩報尽の為に念仏申すこころは、おおきに格別なり。かるがゆえに、身の置きどころもなく、おどり上がるほどに思うあいだ、よろこびは身にも嬉しさが余りぬると言えるこころなり。」(御文章1帖目1通)
:蓮如 「他力の信心ということをば、今既に獲たり。これしかしながら、弥陀如来の御方より、授けましましたる信心とは、やがてあらわに知られたり。かるがゆえに、行者のおこすところの信心に非ず。弥陀如来他力の大信心ということは、今こそ明かに知られたり。」(御文章2帖目13通)
:蓮如 「信心獲得すというは、第十八の願を心得るなり。(乃至)これ即ち弥陀如来の凡夫に廻向しまします心なり。」(御文章5帖目5通)
:蓮如の御文章では信心決定・信心獲得が多数出てくる。信心決定・信心獲得すれば、必ずその自覚がある。はっきりとした自覚がなければ、まだ信心決定・信心獲得していないと説明する。


*[[現生正定聚]](この世で正定聚不退転となること)
:蓮如 「ただ一念帰命の他力の信心を決定せしむる時は、さらに男女・老若をえらばざるものなり。されば、この信を獲たる位を『経』には『即ち往生を得て不退転に住す』と説き、『釈』には『一念に発起し正定之聚に入る』とも言えり。是れ即ち不来迎の談・平生業成の義なり。」(御文章1帖目2通)
:蓮如 「『不可称・不可説・不可思議の功徳』ということは、数限りもなき大功徳のことなり。この大功徳を、一念に弥陀をたのみ申す我等衆生に廻向しまします故に、過去・未来・現在の三世の業障一時に罪消えて、正定聚の位、また等正覚の位なんどに定まるものなり。」(御文章5帖目6通)
:信心決定・信心獲得すれば、正定聚になる。正定聚とは、いつ死んでも極楽に往生することが正しく定まった人々のことである。この身になったことを親鸞は「無碍の一道」・「摂取不捨の利益」(歎異抄)と述べており、「無碍の一道」・「摂取不捨の利益」を「絶対の幸福」と解説している。


*[[平生業成]](平生に往生の業事が成弁すること)
:蓮如 「親鸞聖人の一流においては、平生業成の儀にして」(御文章1帖目4通)
:蓮如 「平生に弥陀如来の本願の我等を助けたまう理を聞き開くことは、宿善の開発によるが故なり(乃至)されば平生業成というは、今の理を聞き開きて、往生治定と思い定むる位を、一念発起入正定聚とも、平生業成とも、即得往生住不退転ともいうなり。」(御文章1帖目4通)
:平生とは生きているこの世のこと。往生の業事とは後生の一大事を解決していつ死んでも極楽に往生することが正しく定まること。成弁とは完成することと説明する。生きている時、阿弥陀仏に助けられるということ。


*現当二益(弥陀の本願の救いは平生は正定聚となり、死後は極楽往生するということで、2度ある)
:親鸞 「等覚を成り大涅槃を証する」(正信偈)
:親鸞 「信心の定まると申すは、摂取に与る時にて候なり。その後は正定聚の位にて、まことに浄土へ生るるまでは候べし」(末灯鈔)
:蓮如 「一念発起のかたは正定聚なり、これは穢土の益なり。つぎに滅度は浄土にて得べき益にてあるなりと心得べきものなり。されば二益なりと思うべきものなり。」(御文章1帖目4通)
:阿弥陀仏の本願は現在世(この世)と未来世(死後)の2度の救いがあると説く。この世で正定聚となり無碍の一道・摂取不捨の利益に生かされ、死後は極楽に往って仏に生まれると教える。


*真実の自己
:親鸞 「一切の群生海、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染にして清浄の心なし、虚仮諂偽にして真実の心なし。」(教行信証)
:蓮如 「ただ『わが身は十悪五逆・五障三従のあさましき者ぞ』と思いて」(御文章1帖目7通)
:蓮如 「我が身は極悪深重の浅ましき者なれば、かたじけなくも弥陀如来ひとり助けんという誓願を発したまえり」(御文章2帖目9通)
:法律や倫理・道徳を基準にすれば、この世には善人と悪人がいるが、どんな小さな悪も見逃さない仏の眼から見れば、すべての人は罪悪深重の極悪人である。そのため後生(死後)は一大事だと説く。


*後生の一大事(必堕無間)
:親鸞 「呼吸の頃すなわちこれ来生なり。一たび人身を失いぬれば、万劫にもかえらず。この時悟らざれば、仏衆生を如何したまわん。願わくは深く無常を念じて いたずらに後悔をのこすことなかれ」(教行信証)
:親鸞 「この逆(五逆罪)を犯す者は、身やぶれ命終えて、必定して無間地獄に堕し」(教行信証)
:親鸞 「いずれの行も及び難き身なれば、地獄は一定すみかぞかし」(歎異抄)
:蓮如 「この信心を獲得せずば、極楽へは往生せずして無間地獄に堕在すべきものなり」(御文章2帖目2通)
:蓮如 「後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし」(帖外御文)
:仏教を求める目的は、後生の一大事(死ねば必ず無間地獄へ堕ちるという一大事)の解決一つと教えている。平生に信心決定した人は極楽に往生するが、信心決定していない人は無間地獄に堕ちると説く。<ref>「経典に釈尊は、「一切衆生、必堕無間」とこれを説かれています。これは、総ての人間は必ず無間地獄へ堕ちて苦しむということです。」高森『こんなことが知りたい1』1969年</ref>


*[[人生の目的]]
:親鸞 「生死の苦海ほとりなし 久しく沈めるわれらをば 弥陀弘誓の船のみぞ 乗せてかならずわたしける」(高僧和讃)
:蓮如 「それおもんみれば、人間はただ電光・朝露の夢・幻の間の楽ぞかし。たといまた栄華・栄耀にふけりて思うさまの事なりというとも、それはただ五十年乃至百年のうちの事なり。もしただ今も無常の風きたりて誘いなば、いかなる病苦にあいてか空しくなりなんや。(乃至)これによりて、ただ深く願うべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり。」(御文章1帖目11通)
:蓮如 「たといまた栄華にほこり栄耀にあまるというとも、盛者必衰・会者定離のならいなれば、久しくたもつべきにあらず、ただ五十年・百年の間のことなり。それも老少不定と聞く時は、まことにもって頼み少し。これによりて、今の時の衆生は、他力の信心を得て、浄土の往生を遂げんと思うべきなり。」(御文章2帖目7通)
:蓮如 「それ、つらつら、人間のあだなる体を案ずるに、生ある者は必ず死に帰し、盛なる者はついに衰うるならいなり。されば、ただいたずらに明し、いたずらに暮して、年月を送るばかりなり。これまことに歎きてもなお悲しむべし。(乃至)この故に、ただ願うべきは極楽浄土、ただたのむべきは弥陀如来、これによりて信心決定して念仏申すべきなり。」(御文章3帖目4通)
:全ての人にとって最も大事なことが人生の目的であり、人生の目的は後生の一大事を解決して無碍の一道・摂取不捨の利益・絶対の幸福に生かされることだと説く。


=== 信心決定するまで ===
*[[宿善]]
:蓮如 「まことに宿善開発の機は自ら信を決定すべし」(御文章3帖目12通)
:蓮如 「いずれの経釈に依るとも、既に宿善に限れりと見えたり」(御文章3帖目12通)
:蓮如 「されば、弥陀に帰命すというも、信心獲得すというも、宿善にあらずということなし」(御文章4帖目1通)
:信心決定・信心獲得するには[[宿善]]が大切であると説き、真剣な聴聞・朝夕の勤行・諸善の実践が宿善になると、大いに勧められている。また、信心決定・信心獲得のことを宿善開発(しゅくぜんかいほつ)とも言う。


*真剣な聴聞の勧め
:親鸞 「たとい大千世界に みてらん火をもすぎゆきて 仏の御名をきくひとは ながく不退にかなうなり」(浄土和讃)
:蓮如 「仏法は聴聞に極まる」(御一代記聞書)
:信心決定・信心獲得するには真剣な聴聞が最も大事だと説く。親鸞の正しい教えを聞くため、善知識から教えを聞くことが強く勧められる。
:高森顕徹の御法話には少なくとも数千人が参詣し、[[降誕会]]・[[報恩講]]には約1万人が参詣する。アメリカやブラジル、韓国、台湾から数百人が参詣することもある。([[2010年]]現在)
:座談会はインターネット回線により発信され、海外でもリアルタイムで聴聞し質問することが出来る。([[2011年]]現在)


*[[善知識]]
:仏教を正しく説く先生を善知識と仏教で言われる。
:浄土真宗の歴史上では親鸞・覚如・蓮如が善知識であるとし、現代では会長の[[高森顕徹]]を「唯一無二の善知識」と位置づけていたが、最近はそれが明文化されることはない。
:高森顕徹は自分を親鸞学徒だと述べている。<ref>「親鸞学徒の一人として、親鸞聖人の言葉を通して迫ってみたいと思う」(なぜ生きる)</ref>


*親鸞学徒
:親鸞会の会員は自称を「会員」とは呼ばず「親鸞学徒」と称する。
:親鸞の言葉「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法を、われも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」を元に、「我ら親鸞学徒は、更に珍らしき法をも弘めず。親鸞聖人のみ教えを、我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」を「親鸞学徒常訓」として、親鸞の教えに忠実であり、親鸞会独自の考えや思想は全くないという立場を主張している。


*善の勧め
:親鸞 「諸善万行ことごとく 至心発願せるゆえに 往生浄土の方便の 善とならぬはなかりけり」(浄土和讃)
:蓮如 「これにつけても、人間は老少不定と聞く時は、急ぎいかなる功徳・善根をも修し、いかなる菩提・涅槃をも願うべき事なり」(御文章4帖目3通)
:人間のする善は雑毒の善ではあるが、宿善になるため、大いに求めるべきだと説く。
:「弥陀に救い摂られるには、雑行を投げ捨てよ」とする親鸞、蓮如の言葉の解釈をめぐり、東西[[本願寺]]をはじめとする真宗諸派の教学解釈と異なる部分があり、異端と見なす人もある。
:親鸞会は「聴聞のできないときは、朝夕の勤行は勿論のこと、日常生活で善をすすめる」<ref>高森顕徹『本願寺なぜ答えぬ』親鸞会1984年</ref>と説くが、浄土真宗本願寺派の灘本愛慈は「当流では他力の信心を獲るために、まず自力諸善を積まねばならないなどという説示はない」<ref>現代の教学問題・派外からの論議について1982年</ref>と親鸞会の主張に反論している。


=== 阿弥陀仏について ===
*本師本仏(阿弥陀仏がすべての仏の師匠であり根本の仏であること)
:釈迦 「阿弥陀仏の光明は(乃至)諸仏の中の王なり、光明の中の極尊なり、光明の中の最明無極なり」(大阿弥陀経)
:蓮如 「ここに弥陀如来と申すは、三世十方の諸仏の本師本仏なれば、(乃至)この如来を一筋にたのみたてまつらずば、末代の凡夫、極楽に往生する道、二も三も、有るべからざるものなり。」(御文章2帖目8通)
:蓮如 「阿弥陀如来は三世諸仏の為には本師・師匠なれば、その師匠の仏をたのまんには、いかでか弟子の諸仏のこれを喜びたまわざるべきや。」(御文章2帖目9通)


*[[本尊]]
:釈迦 「其の名号を聞きて、信心歓喜せんこと乃至一念せん」(大無量寿経)
:蓮如 「他流には『名号よりは絵像、絵像よりは木像』というなり。当流には『木像よりは絵像、絵像よりは名号』というなり」(御一代記聞書)
:親鸞親筆の「南無阿弥陀仏」の名号本尊である。寺院で広く見られる木像本尊や絵像は一切用いていない。
:阿弥陀仏の本願成就文の「聞其名号」を根拠とし、特に親鸞が生涯名号を本尊としたこと、蓮如の「当流には木像よりは絵像、絵像よりは名号」の言葉に従うものと説明している。この件について本願寺派の山田行雄は「ただ明確にいえることは、宗祖が安置された礼拝の対象としての本尊は名号本尊であり、門弟に下附された本尊も現存の資料からでは、やはり名号本尊であったことは確かである」と述べている。<ref>「真宗の本尊について」伝道院紀要19号1977年</ref>
:また親鸞会では本尊は会から「貸与」されるもので、おろそかに扱われることを防ぐため会員が亡くなった時や退会の際は会に返却しなければならない。


*一向専念無量寿仏(無量寿仏(阿弥陀仏の別名)に一つに向き専ら念ずること)
:蓮如 「あながちに我が流を一向宗となのることは別して祖師も定められず。おおよそ阿弥陀仏を一向にたのむによりて、皆人の申しなす故なり。しかりと雖も、経文に『一向専念無量寿仏』と説きたまう故に、一向に無量寿仏を念ぜよといえる意なるときは、一向宗と申したるも子細なし。さりながら、開山はこの宗をば浄土真宗とこそ定めたまえり。」(御文章1帖目15通)
:蓮如 「一心一向というは、阿弥陀仏において、二仏をならべざる意なり。この故に、人間においても、まず主をば一人ならではたのまぬ道理なり。されば外典の語にいわく『忠臣は二君につかえず、貞女は二夫をならべず』といえり。」(御文章2帖目9通)

==浄土真宗の現状と親鸞会==

浄土真宗親鸞会は1952年に68名の会員で始まり、2010年報恩講には2日間でのべ2万人の参詣者に至っている。

[[浄土真宗本願寺派]]を始め真宗十派は門徒の減少、財政難、住職の後継者不足、降誕会・報恩講・大遠忌法要の参詣者減、若年層の寺離れなどの問題を抱えているのが現状である。


その違いの原因の1つは、親鸞の教えを自他に徹底しているか否かである。

親鸞・蓮如の教えが、信心正因称名報恩、信心決定、信心獲得、現生正定聚、平生業成、現当二益、後生の一大事、一向専念無量寿仏であることは真宗の学者にとって認めざるを得ないことである。

親鸞の教行信証や蓮如の御文章にはっきりと書かれているからである。<ref>教義の欄が根拠</ref>

親鸞会は信心正因称名報恩、信心決定、信心獲得、現生正定聚、平生業成、現当二益、後生の一大事、一向専念無量寿仏を50年以上説き続けてきた。

本願寺派の寺院に行くと「どんな人でも死んだら極楽」や「念仏さえ称えたら誰でも死んだら極楽、死んだら仏」という布教がされているのは長年寺参りしてきた人にとって常識である。


もう一つの原因は本願寺派による善の勧めの否定である。

信心決定すれば「他の善も要にあらず、悪をもおそるべからず」の無碍の一道に生かされる。

しかし、信心決定するまで廃悪修善は求道の大切な心がけである。


[[宿善]]が大切であると説き「信心決定(弥陀に救われること)」を目指すとする主張の一方で、「弥陀に救い摂られるには、雑行を投げ捨てよ」とする親鸞、蓮如の言葉の解釈をめぐり、東西[[本願寺]]をはじめとする真宗諸派の教学解釈と異なる部分があり、異端と見なす人もある。親鸞会は「現世に於て宿善は求められねばならない。でなければ、宿善開発の時節到来ということはあり得ない」<ref>高森顕徹『白道燃ゆ』親鸞会1974年</ref>と説くが、浄土真宗本願寺派の紅楳英顕は「当流では他力の信心を獲るために、まず自力諸善を積まねばならないなどという説示はない」と親鸞会の主張に反論している。
善の勧めを否定すれば、仏法を求める以前に、生活に支障をきたすのである。


; 本尊
例えば、積極的な布教という善を努力しなければ、門徒が減少するのは当たり前である。
:阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)。寺院で広く見られる木像本尊や絵像などは一切用いず、「南無阿弥陀仏」の六字名号のみを本尊としている。これについて親鸞会では、阿弥陀仏の本願成就文の「聞其名号」を根拠とし、特に蓮如の「当流には木像よりは絵像、絵像よりは名号」の言葉に従うものと説明している。また親鸞会では本尊は会から「貸与」されるもので、退会の際は会に返却しなければならない。


;阿弥陀仏の本願
計画的な金銭管理という善を心がけなければ、財政難になるのは当然である。
:釈迦や親鸞が教えたのは「阿弥陀仏の本願」ただ一つであるとし、阿弥陀仏の本願を説く法話を聞くことを親鸞会では最重要視している。特に本願文を「すべての人を絶対の幸福に救い摂る」ことと現代語で説明していることが大きな特徴。


;信心正因称名報恩
後継者の育成という善に励まなければ、住職の後継者が不足するのは自然の流れである。
:広く知られる「念仏を称えれば救われる」という教え方は誤っているとして、親鸞会においては現世において「他力信心」を獲ることが重要であり、念仏は救われた御恩に報いるお礼として称えるものであると説く。これは親鸞の「涅槃の真因は唯信心を以てす」(教行信証信巻)や、蓮如の「ただ声に出して念仏ばかりを称うる人は、おおようなり。それは極楽には往生せず」(御文章3帖目3通)などの証文を根拠としている。


;常訓
聞いた人が「聞いて良かった。また参詣したい」と思うような説法をするという善に努めなければ、行事の参詣者が減るのは必然である。
:親鸞会の会員は自称を「会員」とは呼ばず「親鸞学徒」と称し、「親鸞学徒常訓」にある「我ら親鸞学徒は、更に珍らしき法をも弘めず。親鸞聖人のみ教えを、我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」を親鸞の言葉「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法を、われも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」から借りて、親鸞の教えに忠実であり、親鸞会独自の考えや思想は全くないという立場を主張しているが、化土往生など自分達の教義解釈とは矛盾する聖教上の根拠については解釈をしない。


;善知識
今日の人に分かる言葉で筋の通った話をするという善に尽力しなければ、若年層の寺離れが進むのは論を待たない。
:仏教を正しく説く先生を善知識と仏教で言われる。親鸞会では善知識から教えを聞くことが強く言われる。会長の[[高森顕徹]]を「唯一無二の善知識」と位置づけており、会員にも頻繁にアピールされるが、明文化されることはあまりなくなった。


;一切衆生必堕無間
親鸞会はその逆をしているのである。
:親鸞会では、仏教を求める目的は、後生の一大事(死ねば必ず無間地獄へ堕ちるという一大事)の解決一つと教えている。親鸞は教行信証に「もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへってまた曠劫を逕歴せん」「呼吸の頃すなわち来生なり。一息つがざれば万劫にもかえらず。このときさとらざれば、仏衆生を如何したまわん。願わくば深く無常を念じて いたずらに後悔を残すことなかれ」や、歎異抄の「いずれの行も及び難き身なれば、地獄は一定すみかぞかし」と書かれている。蓮如はこれを「この信心を獲得せずば、極楽へは往生せずして無間地獄に堕在すべきものなり(御文章)」「後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし(帖外御文)」といったところを、全ての人は無間地獄に落ちる根拠としている。ただし、これらは伝統的な真宗教団の解釈とは異なる上、釈迦が経典に説いているといわれる「一切衆生、必堕無間」という言葉は経典には存在しない。<ref>「経典に釈尊は、「一切衆生、必堕無間」とこれを説かれています。これは、総ての人間は必ず無間地獄へ堕ちて苦しむということです。」高森『こんなことが知りたい1』1969年</ref>


==布教==
==布教==
日本全国や日本国外で積極的な布教活動を展開して、その員はあらゆる年齢層・地域・職業に広がっており、伝統教団の苦手とする若年層の会員の獲得にも成功している。しかし、大学での勧誘は、会名前を名乗らないため、本願寺派僧侶やマスコミ関係者やカルト宗教に批判的な人物等から非難されている。また、関連会社であるチューリップ企画が製作した親鸞のアニメビデオを訪問販売する活動があった。
日本全国や日本国外で積極的な布教活動を展開して、その構成員はあらゆる年齢層・地域・職業に及び、伝統教団の苦手とする若年層の信者の獲得にも成功している。しかし、大学での勧誘は「哲学サークル」「ゼミサークル」とった偽装サークルを作り宗教であることを隠して勧誘するため、摂理統一教会と並んで各地の大学で問題視されているほか、マスコミ関係者やカルト宗教に批判的な人物等から非難されている。
また、関連会社であるチューリップ企画が製作した親鸞のアニメビデオを訪問販売する活動があった。


==布施==
==献金==
親鸞会で会費は、本人の希望によって、12通りから選ぶことができる。いつでも変更は自由である。行事の際は名札を着け、会費を多く払っている者から順番に座る。財施は、新しい会館の建設、会館にかかげる絵画などの際に必要に応じて呼びかけられる。
親鸞会で会費は、本人の希望によって、12通りから選ぶことができる。いつでも変更は自由だとされている。行事の際は名札を着け、会費を多く払っている者から順番に座る。財施は、新しい会館の建設、会館にかかげる絵画などの際に必要に応じて呼びかけられる。また、会の職員に対して「時間外の作業は自主的なお布施であって時間外手当の対象ではない」といった不法な確認書を書かせたり、一部の信者に対しては関連団体である病院の債務返済が滞った場合「自分の全財産を贈与する」といった契約書を結ばせていることが明らかになった


==歴史==
==歴史==
*[[1952年]]([[昭和]]27年) - [[高森顕徹]]を会長とし、68名の会員を集めて「徹信会」を発足。
*[[1952年]]([[昭和]]27年) - [[高森顕徹]]を会長とし、68名の会員を集めて「徹信会」を発足。
*[[1957年]](昭和32年) - [[富山県]][[高岡市]]前田町に徹信会館(24畳)を建設。
*[[1957年]](昭和32年) - [[富山県]][[高岡市]]に徹信会館を建設。翌年に宗教法人格を取得し、'''浄土真宗親鸞会'''と改称
*[[1958年]](昭和33年) - 宗教法人格を取得し、'''浄土真宗親鸞会'''と改称。
*[[1974年]](昭和49年) - [[高岡市]]芳野へ本部を移転。(100畳)
*[[1979年]](昭和54年) - 浄土真宗本願寺派の紅楳英顕が論文「現代における異義の研究 ─高森親鸞会の主張とその問題点」を発表。親鸞会はこれに反発し、再三にわたり質問状を送り、本願寺派に対する批判キャンペーンが展開される。
*[[1979年]](昭和54年) - 浄土真宗本願寺派の紅楳英顕が論文「現代における異義の研究 ─高森親鸞会の主張とその問題点」を発表。親鸞会はこれに反発し、再三にわたり質問状を送り、本願寺派に対する批判キャンペーンが展開される。
*[[1984年]](昭和59年) - 上記に関し、紅楳側が誠意を持って答えていないとして、親鸞会会員約1500人が[[西本願寺]]の[[御影堂]]に座り込み抗議を行う。
*[[1984年]](昭和59年) - 上記に関し、紅楳側が誠意を持って答えていないとして、親鸞会会員約1500人が[[西本願寺]]の[[御影堂]]に座り込み抗議を行う。
*[[1988年]](昭和63年) - 富山市に隣接する射水郡小杉町に本部を移転。本部会館(520畳)となり、支部は全国及び南米・北米・台湾・韓国に及ぶ。
*[[1988年]](昭和63年) - 富山市に隣接する射水郡小杉町に本部を移転。支部は全国及び南米・北米・台湾・韓国に及ぶ。
*[[1992年]]([[平成]]4年) - 既存の本部会館の収容能力不足から、隣接地に真会を建設。
*[[2004年]]([[平成]]16年) - 既存の本部会館の収容能力不足から、隣接地に2,000畳の講堂を持つ[[正本堂 (浄土宗親鸞)|正本堂]]を建設。
*[[2004年]](平成16年) - 参詣者で溢れるため、本部会館の隣接地に2,000畳の講堂を持つ[[正本堂 (浄土真宗親鸞会)|正本堂]]を建設。


== 浄土真宗親鸞会を取り上げたメディア ==
== 浄土真宗親鸞会を取り上げたメディア ==
*[[北國新聞]]編集局『真宗王国と新宗教「蓮如さん今を歩む」』 [http://nagoya.cool.ne.jp/ls-sg7/shinshuokoku.htm ]
*[[北國新聞]]編集局『真宗王国と新宗教「蓮如さん今を歩む」』
*『岩波講座日本通史』第21巻、[[小沢浩]]のレポート
*『岩波講座日本通史』第21巻、[[小沢浩]]のレポート
*講談社「現代」平成11年11月号、[[米本和広]]のレポート。補強版として『教祖逮捕―「カルト」は人を救うか』(ISBN 4796617191)
*講談社「現代」平成11年11月号、[[米本和広]]のレポート。補強版として『[[教祖逮捕―「カルト」は人を救うか]]』(ISBN 4796617191)
*別冊宝島編集部編『[[「救い」の正体|「救い」の正体。]]』高橋繁行のレポートを掲載(ISBN 4796694617)
*別冊宝島編集部編『[[「救い」の正体|「救い」の正体。]]』高橋繁行のレポートを掲載(ISBN 4796694617)
*[[オーマイニュース]] [http://www.ohmynews.co.jp/news/20080503/24449 ]
*[[オーマイニュース]] [http://www.ohmynews.co.jp/news/20080503/24449 GW後に本性を現す「浄土真宗親鸞会」]
*週刊ダイヤモンド 2010年11月13日号 [http://dw.diamond.ne.jp/contents/2010/1113/index.html ]
*週刊ダイヤモンド 2010年11月13日号 [http://dw.diamond.ne.jp/contents/2010/1113/index.html 親鸞会"悪魔の3大契約書"]
*「蓮如」 マイナー・T・ロジャース アン・T・ロジャース 共著 [http://nagoya.cool.ne.jp/ls-sg7/rennyo.htm ]
*富山新聞 平成9年10月28日号 掲載記事 「神よ仏よ」 信仰厚き北陸路を行く [http://nagoya.cool.ne.jp/ls-sg7/shinkouatsuki.htm ]


== 参考文献 ==
<!-- 本項目を編集する際に出典として用いた文献 -->
*{{Cite book|和書
|author=柏原 祐義 編
|year=1935
|title=真宗聖典
|publisher=法蔵館
|isbn=4-8318-9001-4
}}
*{{Cite book|和書
|author=[[高森顕徹]]
|year=2008年発行
|title=歎異抄をひらく
|publisher=一万年堂出版
|isbn=978-4-925253-30-7
}}
*{{Cite book|和書
|author=明橋大二 伊藤健太郎 著 [[高森顕徹]] 監修
|year=2001年発行
|title=なぜ生きる
|publisher=一万年堂出版
|isbn=4-925253-01-8
}}
*{{Cite book|和書
|author=小沢浩 著
|year=1997年発行
|title=新宗教の風土
|publisher=岩波書店
|isbn=978-4004305064
}}
== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
*[[親鸞]]
*[[覚如]]
*[[蓮如]]
*[[法論]]
*[[宿善]]
*[[平生業成]]
*[[教行信証]]
*[[御文章]]
*[[浄土真宗本願寺派]]
*[[浄土真宗本願寺派]]
*[[真宗大谷派]]
*[[真宗大谷派]]
*[[浄土真宗一の会]]
*[[浄土真宗華光会]]
*[[1万年堂出版]]
*[[1万年堂出版]]


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==外部リンク==
==外部リンク==
*[http://www.shinrankai.or.jp/ 浄土真宗親鸞会公式ホームページ]
*[http://www.shinrankai.or.jp/ 浄土真宗親鸞会公式ホームページ]
*[http://xn--6oqq14l22m.com/ 親鸞会ブログポータル]
*[http://homepage2.nifty.com/shinran/ 親鸞会 親子ネット 心の絆]
*[http://homepage2.nifty.com/shinran/ 親鸞会 親子ネット 心の絆]
*[http://nagoya.cool.ne.jp/ls-sg7/index.htm メディアの見た親鸞会]
*[http://homepage2.nifty.com/nonsect/ 浄土真宗親鸞会被害家族の会]
*[http://homepage2.nifty.com/nonsect/ 浄土真宗親鸞会被害家族の会]
*[http://kazoku.sub.jp/ 浄土真宗親鸞会「家族の会」の正体]


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2011年3月1日 (火) 07:37時点における版

浄土真宗親鸞会(じょうどしんしゅうしんらんかい)は、1958年昭和33年)に発足した、浄土真宗系の新宗教の一つ。

浄土真宗本願寺派僧侶である高森顕徹が設立(高森は現代表)。本部を富山県射水市(旧射水郡小杉町)に置く。関連会社として1万年堂出版がある。同会の会員数は公称10万人(小沢浩「新宗教の風土」)とされているが、実数は7000人程度という証言もある。

教義

「宗祖親鸞聖人の教えを広めることを唯一の目的として、親鸞覚如蓮如の文を根拠にして、それを忠実に解説する」という趣旨の法話会を各地で行っている。浄土真宗親鸞会では他の真宗宗派、とりわけ浄土真宗本願寺派(西本願寺)との教義上の差異を主張しており、親鸞会によれば本願寺の教えは何もやらなくて良い教えだと批判している。

宿善が大切であると説き「信心決定(弥陀に救われること)」を目指すとする主張の一方で、「弥陀に救い摂られるには、雑行を投げ捨てよ」とする親鸞、蓮如の言葉の解釈をめぐり、東西本願寺をはじめとする真宗諸派の教学解釈と異なる部分があり、異端と見なす人もある。親鸞会は「現世に於て宿善は求められねばならない。でなければ、宿善開発の時節到来ということはあり得ない」[1]と説くが、浄土真宗本願寺派の紅楳英顕は「当流では他力の信心を獲るために、まず自力諸善を積まねばならないなどという説示はない」と親鸞会の主張に反論している。

本尊
阿弥陀如来(南無阿弥陀仏)。寺院で広く見られる木像本尊や絵像などは一切用いず、「南無阿弥陀仏」の六字名号のみを本尊としている。これについて親鸞会では、阿弥陀仏の本願成就文の「聞其名号」を根拠とし、特に蓮如の「当流には木像よりは絵像、絵像よりは名号」の言葉に従うものと説明している。また親鸞会では本尊は会から「貸与」されるもので、退会の際は会に返却しなければならない。
阿弥陀仏の本願
釈迦や親鸞が教えたのは「阿弥陀仏の本願」ただ一つであるとし、阿弥陀仏の本願を説く法話を聞くことを親鸞会では最重要視している。特に本願文を「すべての人を絶対の幸福に救い摂る」ことと現代語で説明していることが大きな特徴。
信心正因称名報恩
広く知られる「念仏を称えれば救われる」という教え方は誤っているとして、親鸞会においては現世において「他力信心」を獲ることが重要であり、念仏は救われた御恩に報いるお礼として称えるものであると説く。これは親鸞の「涅槃の真因は唯信心を以てす」(教行信証信巻)や、蓮如の「ただ声に出して念仏ばかりを称うる人は、おおようなり。それは極楽には往生せず」(御文章3帖目3通)などの証文を根拠としている。
常訓
親鸞会の会員は自称を「会員」とは呼ばず「親鸞学徒」と称し、「親鸞学徒常訓」にある「我ら親鸞学徒は、更に珍らしき法をも弘めず。親鸞聖人のみ教えを、我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」を親鸞の言葉「更に親鸞珍らしき法をも弘めず、如来の教法を、われも信じ人にも教え聞かしむるばかりなり」から借りて、親鸞の教えに忠実であり、親鸞会独自の考えや思想は全くないという立場を主張しているが、化土往生など自分達の教義解釈とは矛盾する聖教上の根拠については解釈をしない。
善知識
仏教を正しく説く先生を善知識と仏教で言われる。親鸞会では善知識から教えを聞くことが強く言われる。会長の高森顕徹を「唯一無二の善知識」と位置づけており、会員にも頻繁にアピールされるが、明文化されることはあまりなくなった。
一切衆生必堕無間
親鸞会では、仏教を求める目的は、後生の一大事(死ねば必ず無間地獄へ堕ちるという一大事)の解決一つと教えている。親鸞は教行信証に「もしまたこのたび疑網に覆蔽せられば、かへってまた曠劫を逕歴せん」「呼吸の頃すなわち来生なり。一息つがざれば万劫にもかえらず。このときさとらざれば、仏衆生を如何したまわん。願わくば深く無常を念じて いたずらに後悔を残すことなかれ」や、歎異抄の「いずれの行も及び難き身なれば、地獄は一定すみかぞかし」と書かれている。蓮如はこれを「この信心を獲得せずば、極楽へは往生せずして無間地獄に堕在すべきものなり(御文章)」「後生という事は、ながき世まで地獄におつることなれば、いかにもいそぎ後生の一大事を思いとりて、弥陀の本願をたのみ、他力の信心を決定すべし(帖外御文)」といったところを、全ての人は無間地獄に落ちる根拠としている。ただし、これらは伝統的な真宗教団の解釈とは異なる上、釈迦が経典に説いているといわれる「一切衆生、必堕無間」という言葉は経典には存在しない。[2]

布教

日本全国や日本国外で積極的な布教活動を展開して、その構成員はあらゆる年齢層・地域・職業に及び、伝統教団の苦手とする若年層の信者の獲得にも成功している。しかし、大学での勧誘は「哲学のサークル」「ゼミサークル」といった偽装サークルを作り宗教であることを隠して勧誘するため、摂理や統一教会と並んで各地の大学で問題視されているほか、マスコミ関係者やカルト宗教に批判的な人物等から非難されている。 また、関連会社であるチューリップ企画が製作した親鸞のアニメビデオを訪問販売する活動があった。

献金

親鸞会で会費は、本人の希望によって、12通りから選ぶことができる。いつでも変更は自由だとされている。行事の際は名札を着け、会費を多く払っている者から順番に座る。財施は、新しい会館の建設、会館にかかげる絵画などの際に必要に応じて呼びかけられる。また、会の職員に対して「時間外の作業は自主的なお布施であって時間外手当の対象ではない」といった不法な確認書を書かせたり、一部の信者に対しては関連団体である病院の債務返済が滞った場合「自分の全財産を贈与する」といった契約書を結ばせていることが明らかになった。

歴史

  • 1952年昭和27年) - 高森顕徹を会長とし、68名の会員を集めて「徹信会」を発足。
  • 1957年(昭和32年) - 富山県高岡市に徹信会館を建設。翌年に宗教法人格を取得し、浄土真宗親鸞会と改称。
  • 1979年(昭和54年) - 浄土真宗本願寺派の紅楳英顕が論文「現代における異義の研究 ─高森親鸞会の主張とその問題点」を発表。親鸞会はこれに反発し、再三にわたり質問状を送り、本願寺派に対する批判キャンペーンが展開される。
  • 1984年(昭和59年) - 上記に関し、紅楳側が誠意を持って答えていないとして、親鸞会会員約1500人が西本願寺御影堂に座り込み抗議を行う。
  • 1988年(昭和63年) - 富山市に隣接する射水郡小杉町に本部を移転。支部は全国及び南米・北米・台湾・韓国に及ぶ。
  • 2004年平成16年) - 既存の本部会館の収容能力不足から、隣接地に2,000畳の講堂を持つ正本堂を建設。

浄土真宗親鸞会を取り上げたメディア

関連項目

脚注

  1. ^ 高森顕徹『白道燃ゆ』親鸞会1974年
  2. ^ 「経典に釈尊は、「一切衆生、必堕無間」とこれを説かれています。これは、総ての人間は必ず無間地獄へ堕ちて苦しむということです。」高森『こんなことが知りたい1』1969年

外部リンク