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'''上杉 隆'''(うえすぎ たかし、[[1968年]][[53日]] - )は[[日本]]の[[ジャーナリスト]]。
'''上杉 隆'''(うえすぎ たかし、{{Jdate|1968|5|3}} - )[[日本]]の[[ジャーナリスト]]である


== 経歴 ==
== 経歴 ==

2011年1月10日 (月) 07:26時点における版

上杉 隆(うえすぎ たかし、1968年昭和43年)5月3日 - )とは、日本ジャーナリストである。

経歴

福岡県生まれ、東京都育ち。東京都立広尾高等学校都留文科大学文学部英文科卒業。大学在学中から富士屋ホテル(山中湖ホテル)で働き、卒業後NHK報道局勤務[1]経歴詐称問題についてを参照)。26歳から鳩山邦夫の公設第一秘書を5年間務め、退職。ニューヨーク・タイムズ東京支局取材記者になる。2000年、『石原慎太郎と五人の参謀』を執筆。その後、『文藝春秋』誌上で外務大臣就任前の田中真紀子批判キャンペーンを行う。

退職後の2002年、フリーランスジャーナリストとして活動を開始。雑誌や書籍などで主に政治記事を執筆。この分野に関しては議員秘書時代に築いた人脈が役に立っているという。また、日本のジャーナリズム・マスメディアのあり方に対しても批判をしている。「ジャーナリストはプレーヤーになってはいけない」という立場を貫いている。ジャーナリズムのあり方を『ニューヨーク・タイムズ』時代に学んだという。2003年には北朝鮮に入国し現地からのルポを送った。同年末、イラクへの取材入国前に交通事故に遭い、退院まで約半年の重傷を負う。その後は国内の政治取材を中心に活動。また、ゴルフが趣味であるため、ゴルフ専門誌にも寄稿している。

2009年8月、民主党代表の鳩山由紀夫は、政権交代後に上杉を報道担当の首相秘書官か補佐官に起用する意向と報じられたとき、上杉は「打診されても受けるか分からない」と述べた[2]

ツイッターヘビーユーザーとしても知られ、マスコミ上で発言をする際にもツイッターの“つぶやき”を多く引用し、既存のマスコミに代わるメディアとしての可能性を高く評価している。

やりすぎコージー』では「黒い池上彰」と言われており、NHK時代には実際に池上に師事していたと同番組で語っている。

経歴詐称問題について

NHK勤務時代について、『週刊現代』は上杉のNHK報道局での勤務実態を「アルバイト」と指摘し、上杉の経歴詐称問題が取りざたされた[3]。一方、上杉は、平沢勝栄議員との裁判(後述)の過程で、記者職に内定し、「NHK記者見習い/NHK報道局勤務」としてNHKでの勤務実態があったことを東京地方裁判所、東京高等裁判所が認定したと自身のブログで主張し、経歴詐称について反論している。ただ、NHKの記者職に内定はしたがその後正式に採用されていない(内定保留で働いた)こと、記者としての在籍ではなかったことは認めている[4][5]

活動および話題、問題となった記事

平沢勝栄との裁判

2003年11月、『週刊新潮』(2003年11月27日号)のなかで上杉が執筆を担当した「パチンコ業者から平沢勝栄代議士に渡った4000万円」で、元警察官僚の平沢が朝鮮系パチンコ業者数社からあわせて4000万円のウラ献金を受け取っていたと書いた。これに対し、平沢は新潮社に対し名誉毀損による損害賠償を求めて提訴した。2005年7月10日、最高裁が上告を棄却し、300万円の支払いを命じて新潮社の敗訴が確定した。

「麻生クーデター」説

2007年9月5日発売の『週刊朝日』で、安倍晋三首相(当時)が「麻生太郎自民党幹事長(当時)に騙された」と発言したという記事[6]を書いた。麻生と与謝野馨内閣官房長官(当時)が首相を退陣に追い込む「クーデター」を起こしたという説(クーデター説)について麻生、与謝野は公然と反論した[7] 。また、安倍も公式の記者会見で否定している[8]

麻生内閣に関する報道

2008年10月2日、自身のブログの中でマスメディアが報道していた麻生内閣成立直後の「冒頭解散説」を、麻生首相周囲に解散の気配が無い事を理由に否定した[9]。その後、麻生首相が臨時国会冒頭の衆院解散を決意した可能性[10]があったが、上杉は麻生本人に解散の意向がそこまで強かったかについて、否定的な見解を示している[11]。その後、上杉は10月16日の補正予算の成立を理由に、初めて解散の可能性が出てきたことを述べたが[12]、麻生が実際に10月中旬以降の衆院解散を望んでいたという情報[13][14]が、新聞報道などで11月になって明らかにされた。

2008年10月21日発売の『週刊朝日』(2008年10月31日号)「麻生『外交』敗れたり」において、上杉は、担当記者とのオフレコ懇談会で外務省齋木昭隆アジア大洋州局長が、「いい加減な記事を書くな」と激高したこと、外務省幹部が「中曽根外相ほど無能な大臣も珍しい」と述べたことを書いた。外務省は、10月22日、「(斎木局長の)発言内容も激高したという点も、いずれも事実と異なる」、外務省幹部の大臣に関する発言も、「幹部が上杉氏の取材を受けた事実は確認されず、信憑性は疑問だ」と、朝日新聞出版に対し、記事内容についての抗議を行い、訂正を求めた[15]。これに対し上杉は、『週刊朝日』(2008年11月7日号)において、懇談会の様子と斎木局長の発言内容[16]、外務省幹部の発言「『無能』じゃないよ、『低能』って言ったんだよ(笑)」[17]を記述し、反論している。その後、鈴木宗男衆議院議員より、「外務省についてのマスコミ報道に対する同省の対応ぶりに関する質問主意書」が提出され、政府は、斎木局長の発言事実はなかったとする答弁書を閣議決定している[18][19]。この記事に「A記者」として登場し、取材手法への批判や、誤報であると上杉から批判された産経新聞記者の阿比留瑠比は自身のブログで反論し、①上杉氏の取材を一度も受けていない②自分が「外務省報道課と一緒」になり、「ハシャいで攻撃」した事実はない③斎木氏も、上杉記事のような発言はしていなかった-などとし、伝聞に基づいて記事を書いていると上杉を批判した[20]。このブログに対して、週刊朝日の山口一臣編集長も自身のブログで再反論した[21]。それに対してさらに阿比留も再反論を加えている。


2008年11月20日、2008年11月14日からワシントンD.C.で開かれた、IMF(国際通貨基金)の機能低下やIMFの改革について議論が集中した「世界金融サミット」において、日本がIMFへ1000億ドル(約10兆円)の融資を約束したが、金融サミットの記者会見で自主的に日本の名前を出して評価を与えたのはIMF専務理事のストロスカーンただ一人であったと指摘した。金融サミットで存在感を示したのは「ドル基軸通貨の終焉」を突きつけたフランスのサルコジ大統領や、オバマ大統領の代理人であるオルブライト元国務長官・BRICsの首脳たちであり、日本の対IMF1000億ドル融資についての海外メディアでの報道内容は、評価とは程遠いものだったと述べている[22]

民主党主催ゴルフコンペ

2008年10月28日、ジャーナリストの山岡俊介により、同年5月5日から翌6日に民主党主催のゴルフコンペに参加していたと報じられる。上杉はゴルフに参加していた事実を認めた上で、「費用は自腹で払った」と釈明(領収書などの物的証拠は一般公開されていないが上杉は「山岡に見せた」としている。後述)し[23][24]、逆にゴルフをプレーするだけで癒着や接待とみなすことは、ゴルフ競技への無理解だと弁解した。山岡は、取材対象相手とは節度ある付き合いをするのが鉄則であり、マスコミ関係者が抵抗感もなく参加することは問題だと批判した[23]

上杉は2009年2月11-13日のtwitterにおいてこれに関する一連の書き込みを行った。たとえば「自民党秘書会ゴルフコンペにて現在トップスコア、と山岡俊介氏に強くアピールしてみる。ちゃんと正しい記事を書いてください、山岡さん(怒)。」との記述があり、twitterの字数制限のため簡略な記述だが「自民党関係者ともゴルフはしており、一党派に偏っているわけではない」との意味を込めたと見られる。

その後の記述ではウィキペディアのゴルフ問題の項目にもリンクを張った上で

  1. 二年前に抗議し、山岡は『ああ、直します』と約束しながら無視している
  2. コンペ参加費込み2万1千円(※の領収書という意味か)を当時山岡氏に提示した
  3. ジュニア時代含め自腹以外のゴルフは一切ないとも伝えた

と主張している。

安倍、福田……ひ弱な二世をつくる「後援会」と題する記事の捏造疑惑

2009年2月19日発売の『週刊文春』(2009年2月26日号)に「安倍、福田……ひ弱な二世をつくる「後援会」」と題する記事で、安倍元総理を批判した。これに対して安倍事務所は、「事実無根のでっち上げの捏造記事」として週刊文春編集部を通じて上杉に公開質問状を送付した[25]。 「週刊文春」名義で回答したが、『当回答は、未公表の著作物ですので、そのままHPで引用、公開されることはお控えください。』と記してあったと、安倍事務所は安倍のホームページで批判した。安倍事務所は、「週刊誌という媒体を使い大々的に安倍議員を誹謗中傷しておきながら抗議されると『それは密室でやりましょう』というのは虫が良すぎる」などと指摘し、HP上に上杉隆の主張を否定する証拠写真などを掲載し、上杉に再度公開質問状を3月5日付けで提出した。 しかし上杉は、安倍側が設定した回答期限に従わず、2度の「回答延期のお願い」をした上で[26]、3月22日に回答した。 さらに上杉が「二千人以上収容可能な事務所を設営」と書いた記事について、上杉は回答の中で「読売新聞」 [27] から引用したと説明したが、安倍事務所は、週刊文春の記事に引用元が示されておらず、元の読売新聞の記事自体が誤りであり、さらに上杉はその記事の内容を改竄して記事をデッチあげた、と批判した [28]。 なお、上杉は著書「ジャーナリズム崩壊」の中で「情報源を明示しない悪癖を許してきた結果が日本のジャーナリズムを貶めている」「他人のものを盗まないのは当然」など、引用元を示さないことに対し強い批判を加えている。 また安倍事務所は、「当初は週刊文春編集部の影に隠れ、今度は文春の顧問弁護士に任せるという卑劣な手段に出た」「上杉隆氏のデタラメさがはっきりし、これは大変と弁護士に依頼されたのだと思います」と批判している[29]。これらに対し上杉は、「安倍晋三氏のHPの質問についての当ブログでの対応は、これから誠実に行なう予定だ」と述べ、「安倍氏からの数回にわたる通知書については、「週刊文春」編集部を通じて、正式に回答を出している」、「「逃げている」という安倍氏の筆者に対する批判は当たらない」とし、「強く抗議する」と自身のブログで主張している[30]。 ただし、安倍と並べて抗議の対象となった阿比留は「彼から抗議や撤回要求の申し入れは来ていない」としている[31]

安倍事務所は2009年7月3日にホームページで、上杉氏のブログでの発言「責任ある回答は、必ず、届ける」を引用し、上杉氏から何の回答もなく嘘つきだと批判した。[32]

上杉は2010年1月7日のTwitterにおいて、自身に寄せられた「安倍に謝罪したのか」という趣旨のコメントに答える形で「多いんです。wikipediaを鵜呑みにする方。反論せずに逃げているのは安倍元首相の方ですよ。wikiの記述が逆に書かれているだけ。ずっと放置してますけど(笑)。」「過去10年間、安倍晋三氏には30回以上もの質問状やインタビュー依頼を送ったが、すべて拒否して逃げています。」と発言。この「2009年の週刊文春記事への安倍側の批判」と「自身の長年の、質問・取材要請への安倍の拒否」を対比させ、「逃げているのは安倍である」とする主張は、2009年3月27日付のブログ記事でもなされている。

たかじんのそこまでやって委員会の動画で上杉はこの問題に対して、最初に記事にしたのは産経新聞の阿比留記者。記者クラブ問題を追求していたことに対して、上杉憎しというのがありそれでブログにデタラメな内容を書いた。
安倍さんに対して現地で取材をしたときにこの件に対して直接反論したにもかかわらずホームページには反論を載せずに一回も反論をせずに逃げ回っていると嘘を書いている。
この記事で間違っていたのは壇上には上がっていたが真ん中ではなく端っこだった。それ以外の内容には間違いがないと話している。[33]

検察による週刊朝日編集長出頭要請発言問題

上杉が2010年2月3日のTwitterに、東京地検特捜部から週刊朝日編集部に出頭要請が来たことを記載した[34]。『週刊朝日』は公式サイト「週刊朝日 談」にて出頭要請の事実を否定した[35]。その後、ジャーナリストの岩上安身がTwitterに検察の出頭要請があったことは事実であることを記載し[36]、検察が記者クラブを通じて朝日新聞本社に「圧力」を掛け、それに屈した朝日新聞本社が、『週刊朝日』に対して、出頭要請は伏せ検察から抗議文が来たことだけにしろと指示したことも記載した[37]。 上杉も、2010年2月3日午前10:56に東京地検から編集長に面会の要請があったことをTwitter上で記載している[38]。  

これに対し、元NHK報道局ディレクターの池田信夫は、朝日新聞東京本社のTwitterの出頭要請を否定した記載[39]などを元に、『「検察が週刊朝日に出頭要請した」とかいうガセネタがツイッターをにぎわした』、『こういう噂があとを絶たないのは、検察取材をしたことのない上杉隆氏などの素人が「検察がマスコミを自由自在に操っている』と思っているからだろう」と自身のブログにて上杉を批判した[40]。しかし後日ネット上にて上杉と討論した際、上杉から当該記述について取消しを求められ、自らの非を認めて取り消すことを約束した(しかし、2010年3月1日現在、記述は取り消されていない模様)。


『週刊朝日』は、その後、公式サイト「週刊朝日 談」に山口が経緯説明を載せ、自身が「東京地検から(事情聴取のための)出頭要請を受けた」「事実はありません」と記したが、東京地検の谷川恒太次席検事から記事に対する抗議の電話があり、谷川より「こちら(検察庁)に来ていただけますか?」と伝えられたことは明かした。この説明の中で、出張中の山口が当日出向くことが出来ない旨を伝えると、抗議書を送るとしそれが編集部に送られ、後日、山口は谷川に対して直接連絡が取れず、検察庁の広報官を通じて、「現時点でご足労いただく必要はありません。また、改めての取材には応じかねます」との返事が来たことを明かした[41]。 岩上は、検察と朝日本社に逃げ道を用意した編集長の談話であり、実際に起きたことは「出頭要請」であると記し[42]、上杉も、検察官という一捜査機関である谷川から「こちらに来ていただけますか」と連絡を受けたことは、出頭=本人自ら、ある場所、特に、役所などに出向くこと(広辞苑)であるから、紛れもなく「出頭要請」であると記している[43]

「記者クラブ」批判

多くの著書や連載で、「記者クラブ」が省庁などの記者会見を主催し、参加者・質問者を限定している日本の制度を批判している。記者会見でも政治家、大臣に対してこの問題に関し、開放を求める立場から質問。2009年の民主党による政権獲得以降、複数の省庁が記者会見をオープンにしたり、フリー記者やネットメディアを対象とした懇談を行うきっかけとなった。

その中でも有名なものに、2009年3月24日、民主党小沢一郎代表の記者会見がある。同会見で上杉は「政権交代が実現したら記者クラブを開放し(続け)て首相官邸に入るのか」と質問。小沢は 「日本はもっとオープンな社会にならなくてはいけない。(略)どなたでも会見にはおいでくださいということを申し上げております。この考えは変わりません」と回答し、上杉は「政権交替時の、記者クラブ開放の言質を取った」とした[44]。同種の質問を、その後同党の代表になった鳩山由紀夫にもぶつけ、方針に変化が無いとの言葉を引き出した。

ウィキペディア批判

自らのブログやtwitterで、ウィキペディアの自身の項目内容に対する批判を行っている。

自身のブログでは、『日本版「ウィキペディア」なんか、酷いもんです(笑。 いつものように放置ですが、本物の英語版「wikipedia」とは大違い。 実は、書き込んでいる人を調べてもらいました。( -д-)ノ なんと、記者クラブ所属の○○記者と○○○記者などを発見。ヒマですね、記者クラブの人って(笑)。』と批判した[45]

2010年1月7日に記述された上杉の公式twitterでは、安倍晋三について書いた記事の話題から、上杉のウィキペディア批判となり、

  1. 「wikipediaを鵜呑み」にする人間が多い。
  2. 反論せずに逃げているのは安倍元首相だが、「wikiの記述が逆に書かれている」
  3. 講演会でウィキペディアが資料として配られるなど実害がある

など不満の例や経験を挙げ、「そろそろ、対応しようかな。時間のかからない効果的な方法があったら、誰か教えてください」と表明した。だが、その約12時間後、従来と同じく「放置する」ことを基本方針とすることを記している[46]

たかじんのそこまでやって委員会の動画で「安倍、福田……ひ弱な二世をつくる「後援会」」の記事について安倍晋三の抗議に反論したにもかかわらず、ホームページで反論したことを書かずに、一回の反論もなく逃げ回っていると嘘を書いている。それをWikipediaがそのまま書いてある。とWikipediaの間違っている箇所について詳細に話している。[47]

受賞歴

著書

  • 石原慎太郎五人の参謀(小学館)
  • 田中真紀子の恩讐(小学館)
  • 田中真紀子の正体(草思社)
  • 議員秘書という仮面 - 彼らは何でも知っている(小学館)
  • 小泉の勝利 メディアの敗北(草思社)
  • 官邸崩壊 安倍政権迷走の一年(新潮社) - 韓国語版も発売された。
  • ジャーナリズム崩壊(幻冬舎)
  • 宰相不在(ダイヤモンド社)
  • 記者クラブ崩壊 新聞・テレビとの200日戦争(小学館)

執筆・対談掲載雑誌

主な出演番組

テレビ

ニュースの深層」 (火曜日レギュラー司会)
太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中
「中居正広の、10文字で解説できたら格好いい、ニュースのギモン」
情報ライブ ミヤネ屋
ビートたけしのTVタックル
朝まで生テレビ!
情報プレゼンター とくダネ!
ニュースJAPAN
めざましどようび
サキヨミ
久米宏のテレビってヤツは!?
「新春討論・平成22年この国の行方」

 ・東京MXテレビ  「5時に夢中!」

ラジオ

高野孟のラジオ万華鏡
小島慶子キラ☆キラ(火曜日)
吉田照美 ソコダイジナトコ(水曜日)

脚注

  1. ^ 『官邸崩壊』、『ジャーナリズム崩壊』の経歴欄
  2. ^ “【09衆院選】鳩山氏、上杉、寺島両氏を首相秘書官などに”. 産経新聞. (2009年8月28日). http://sankei.jp.msn.com/politics/election/090828/elc0908280119000-n1.htm 2010年2月6日閲覧。 
  3. ^ 『週刊現代』2007年10月13日号「ペストセラー『官邸崩壊』著書・上杉隆氏の“経歴崩壊”」
  4. ^ 上杉隆 (2006年6月27日). “NHK広報局から苦情 集英社に”. 東京脱力SPORTS & RESORTS(試作版) 〜ゴルフとスパと、時々、永田町. 2010年2月6日閲覧。
  5. ^ 上杉隆 (2007年9月30日). “ペストセラー『官邸崩壊』著書・上杉隆氏の“経歴崩壊” 週刊現代”. 東京脱力SPORTS & RESORTS(試作版) 〜ゴルフとスパと、時々、永田町. 2010年2月6日閲覧。
  6. ^ 「筆者〔上杉〕は官邸周辺から、安倍が「麻生に騙された」と苦い言葉を漏らす場面を聞いている。そもそも、身内だけに漏らした不満の言葉だ」(『週刊文春』2007年9月27日)。
  7. ^ 読売新聞2007年9月24日
  8. ^ 読売新聞2007年9月24日
  9. ^ 麻生首相に解散の気配なし - 解散日程を勝手に捏造したマスコミの困惑」『ダイヤモンド・オンライン』2008年10月2日
  10. ^ 「『文藝春秋』2008年10月10日、「10月上旬解散」念頭にあった?=麻生首相が月刊誌に手記」『時事通信』2008年10月28日。
  11. ^ 『週刊新潮』2008年10月30日号。「文春「麻生論文」の筆者は朝日編集委員の噂」
  12. ^ 『東京脱力新聞2.0』2008年10月17日。「やっと正式な解散風が吹いてきた」
  13. ^ 麻生首相:先月13日解散明言 心変わりで公明と亀裂」『毎日新聞』2008年11月1日。
  14. ^ 解散「やろうやろう」=先月10日、首相が細田氏に」『時事通信』2008年11月1日。
  15. ^ 外務省が週刊朝日に異例の抗議、訂正求める」『産経ニュース』2008年10月22日。
  16. ^ 『「情報公開もしないくせに、われわれの紙面を批判する。到底容認できない-」 毎日新聞の記者がこう詰問した直後、斎木局長は顔を紅潮させて反論した。「だから、私は自分の非を認めたじゃないか。ミスリードしたって認めたじゃないか」』「「外務省が本誌に抗議」に反論する!」『週刊朝日』2008年11月7日号。
  17. ^ 上杉は反論記事で、その匿名の外務省幹部に再び確認、「『無能』じゃないよ、『低能』って言ったんだよ(笑)」と、中曽根大臣を批判したことは認めたと主張した。「「外務省が本誌に抗議」に反論する!」『週刊朝日』2008年11月7日号。
  18. ^ 政府答弁書で「週刊朝日」上杉記事を否定」『産経ニュース』2008年11月11日
  19. ^ 外務省についてのマスコミ報道に対する同省の対応ぶりに関する質問主意書」衆議院 質問答弁経過情報
  20. ^ 週刊朝日・上杉隆氏の記事に反論します。」2008年10月30日 。
  21. ^ 産経新聞から「訂正文掲載の申し入れ」(爆)!」2008年10月30日
  22. ^ 「10兆円拠出してもコケにされ続ける、日本外交のいつもの敗北」週刊上杉隆 第54回 2008年11月20日
  23. ^ a b 軽井沢1泊ゴルフコンペ付き 民主党のマスコミ接待リスト出回る」『ストレイ・ドッグ(山岡俊介取材メモ)』2008年10月28日。
  24. ^ 民主党のマスコミ接待リスト 上杉隆氏の釈明」『ストレイ・ドッグ(山岡俊介取材メモ)』2008年11月3日
  25. ^ <相次ぐ週刊誌の事実無根の中傷・捏造記事><週刊文春>上杉隆氏に抗議・通知書送付 (安倍晋三のホームページ)
  26. ^ 上杉隆氏 公開質問状に対する回答期限守らず(安倍晋三のホームページ)
  27. ^ 読売新聞1993年7月11日号「二千人以上を庭に集めることができる巨大事務所を設営、名簿の再チェック、ローラー作戦を展開」
  28. ^ 「実はこの記事(読売新聞)自体、誤りがあります。選挙戦の実態を理解していれば分かるはずです。庭があるような選挙事務所を設けることは考えられません。大勢の支持者が集まるためには、庭があれば邪魔になるからです。実際、事務所の前は駐車場とそれに続く歩道がありました。上杉氏は「庭」(前述したように事実とは違うが)を削り、あたかも二千人収容可能な巨大事務所を設営したというウソを読者に信じ込ませようとしているのです。その上「名簿」だけなのに「父の後援会」と書き加え、「安倍派秘書を山口に送り込んで、ローラー作戦」となっています。読売新聞を引用したと説明しながら、こうした手口で「ウソ」に「ウソ」を重ね、記事をデッチあげているのです。」『上杉隆さん!答えて下さい』<追記>
  29. ^ 《上杉隆氏の嘘 動かぬ証拠》 (安倍晋三のホームページ)
  30. ^ 東京脱力SPORTS & RESORTS(試作版) ~ゴルフとスパと、時々、永田町2009.3.27【謝罪要求】 自称「保守政治家」を嗤う 万国の「自称ジャーナリスト」(JJ)よ、分裂せよ! 【反撃開始】
  31. ^ 上杉隆氏の低次元なレッテル貼り癖について(コメント欄)
  32. ^ 変わらぬ上杉 隆氏の本性
  33. ^ 【無料動画】「官房機密費問題」上杉隆の反論(2010.07.18)
  34. ^ 上杉隆 (2010年2月3日). “旧き友を暢気にランチに誘っていたら、東京地検特捜部から編集部に出頭要請がきた昼下がり。”. uesugitakashi. 2010年2月6日閲覧。
  35. ^ 『週刊朝日 談』10/02/03「2月3日午前、山口一臣編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がインターネット上、ツイッター上で飛び交っておりますが、出頭要請はありません」とした。
  36. ^ 岩上安身 (2010年2月3日). “検察から、週刊朝日編集部に、出頭要請があったのは、事実だった!”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “検察から、週刊朝日編集部に、出頭要請があったのは、事実だった!(中略)以下が真相。今日の午前中、検察から週刊朝日に対して、文書が届き、すぐに来てくれ、捜査妨害だ、話を聞きたいと。明白な出頭要請が。”
  37. ^ 岩上安身 (2010年2月3日). “重要!2 この出頭要請情報は、たちまち外部にも流れたが、これに対して、検察は記者クラブを通じて、朝日新聞本社に圧力。”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “この出頭要請情報は、たちまち外部にも流れたが、これに対して、検察は記者クラブを通じて、朝日新聞本社に圧力。なんと朝日新聞本社は、この圧力に屈して、週刊朝日編集部トップに対し、抗議文が来たことだけにして、出頭要請は伏せろと指示。”
  38. ^ 上杉隆 (2010年2月3日). “10:56 東京地検「抗議書」を週刊朝日に送信。現場検事の名指しについて「捜査妨害」と厳重抗議。”. uesugitakashi. 2010年2月6日閲覧。 “10:56 東京地検「抗議書」を週刊朝日に送信。現場検事の名指しについて「捜査妨害」と厳重抗議。同時刻、電話にて同編集長との面会を要請。地方出張のため「明日以降」と地検側に回答。”
  39. ^ 朝日新聞東京本社編集局 (2010年2月3日). “2月12日号の週刊朝日の記事「子ども"人質"に女性秘書『恫喝』10時間」について、編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がツイッターで飛び交っておりますが、”. asahi_tokyo. 2010年2月6日閲覧。 “2月12日号の週刊朝日の記事「子ども"人質"に女性秘書『恫喝』10時間」について、編集長に東京地検から出頭要請があったとの情報がツイッターで飛び交っておりますが、出頭要請はありません。週刊朝日編集部に確認したところ、東京地検からこの記事への抗議書が届いたとのことです。”
  40. ^ 池田信夫 (2010年2月3日). “マスコミの「立件バイアス」”. 池田信夫blog part2. 2010年2月6日閲覧。
  41. ^ 山口一臣 (2010年2月6日). “お騒がせして申し訳ありません”. 週刊朝日 談. 朝日新聞出版. 2010年2月6日閲覧。 “『2月3日は、わたし=週刊朝日編集長・山口一臣=が「東京地検から(事情聴取のための)出頭要請を受けた」という情報がネット上を駆け巡り、読者をはじめ関係者のみなさんに大変なご心配をおかけしました。すでにコメントを出させていただいているとおり、そのような事実はありません。』
    『指定された電話番号に連絡すると、次席検事の谷川恒太氏につながりました。谷川氏は「さっそく電話いただいて、ありがとうございます」と丁寧な応対で、用件を聞くと、週刊朝日2月12日号(2月2日発売)に掲載した上杉隆さん執筆の「子ども〝人質〟に女性秘書『恫喝』10時間」という記事に、事実でないことが書かれているので抗議したいとのことでした。 こうしたトラブルはよくあることなので、「わかりました。で、どうすればいいですか」と聞くと、「こちらに来ていただけますか?」ということでした。わたしとしては検察庁に出向くのはいっこうに構わないので、「わかりました。ただ、きょうは出張で九州にいるので、戻ってからでもいいですか?」と聞くと、「九州ですか......」と予想外の返事にちょっと絶句したようでした。』”
  42. ^ 岩上安身 (2010年2月5日). “もちろん、実際に起きたことは「出頭要請」ですし、読めばそうとわかります。”. iwakamiyasumi. 2010年2月6日閲覧。 “もちろん、実際に起きたことは「出頭要請」ですし、読めばそうとわかります。おそらく、検察と朝日本社に「逃げ道」を用意してあげたのでしょう。山口さんとは面識がありませんが、大人ですね。”
  43. ^ 上杉隆 (2010年2月5日). “山口一臣さ~ん、「(編集長が)こちらに来てください」(谷川次席検事)は完璧に「出頭要請」ですよ、と認識の甘さに抗議してみる真夜中の風の中の私(寒)。”. uesugitakashi. 2010年2月7日閲覧。 “山口一臣さ~ん、「(編集長が)こちらに来てください」(谷川次席検事)は完璧に「出頭要請」ですよ、と認識の甘さに抗議してみる真夜中の風の中の私(寒)。 cf: しゅっ‐とう【出頭】 本人自ら、ある場所、特に役所などに出向くこと。(広辞苑)”
  44. ^ 小沢代表から記者クラブ開放の言質をとった記者会見での質問
  45. ^ 東京脱力SPORTS & RESORT(試作版)2009/11/3
  46. ^ 『上杉隆(uesugitakashi) on Twitter』 2010年1月7日午前3:32/3:34/3:36/午後2:59には、「wikipediaについて。基本方針が確定しました。放置。理由はめんどくさいし、どうでもいいから。じゃあ訊くなよ、と自分でつっこんでみる。みなさん、すみません(謝)。 」と記している。
  47. ^ 【無料動画】「官房機密費問題」上杉隆の反論[2010.07.18]

参考文献

  • 「上杉隆インタビュー」『ダカーポ』No618、マガジンハウス社。

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