「読売新聞」の版間の差分
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==発行部数1000万部の裏事情== |
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'''「[[押し紙]]」'''というものが存在する。これは新聞社が年間販売目標を強制的に決め、これを[[新聞販売店]]に押し付けることを言う。<br/> |
'''「[[押し紙]]」'''というものが存在する。これは新聞社が年間販売目標を強制的に決め、これを[[新聞販売店]]に押し付けることを言う。<br/> |
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実際の販売数を上回る新聞が販売店には押し付けられており、販売店は余分な新聞の代金まで新聞社に払う羽目になるが、「押し紙」を断れば店主はクビになるし、拡張費をつぎ込むよりは、本社から送られてくる部数に応じて支払われる折込広告費を残紙の分までもらった方が採算が取れるため、販売店側は断れないという。 <br/> |
実際の販売数を上回る新聞が販売店には押し付けられており、販売店は余分な新聞の代金まで新聞社に払う羽目になるが、「押し紙」を断れば店主はクビになるし(←これは嘘)、拡張費をつぎ込むよりは、本社から送られてくる部数に応じて支払われる折込広告費を残紙の分までもらった方が採算が取れるため、販売店側は断れないという。 <br/> |
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最近は押し紙代が折り込み広告費を上回る例もあり、押し紙を断った販売店が本社販売局から改廃(契約解除―閉店)させられる事態も起きているという。新聞の発行部数は本社から販売店に送られた分を指すが、「押し紙」が存在する以上、現実の購読部数はずっと少ないと見てよい。 |
最近は押し紙代が折り込み広告費を上回る例もあり、押し紙を断った販売店が本社販売局から改廃(契約解除―閉店)させられる事態も起きているという(←これはさらに嘘)。新聞の発行部数は本社から販売店に送られた分を指すが、「押し紙」が存在する以上、現実の購読部数はずっと少ないと見てよい。 |
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このような問題を抱えていない新聞社は絶無だが、発行部数1000万部死守を至上命令とする読売新聞においては特に深刻だと言われる。発行部数1000万部は単に収益をもたらすだけでなく、それを自分の代で達成した[[渡邉恒雄]]社長への求心力の源泉になり得るし、さらには各界に影響力を行使するための手段にもなり得ると言える。これは、新聞社の主要収益源である新聞広告の広告主の立場に立脚した場合、1000万部の購読者が目にする広告効果と |
このような問題を抱えていない新聞社は絶無だが、発行部数1000万部死守を至上命令とする読売新聞においては特に深刻だと言われる(←他紙の方が深刻 by 関係者)。発行部数1000万部は単に収益をもたらすだけでなく、それを自分の代で達成した[[渡邉恒雄]]社長への求心力の源泉になり得るし、さらには各界に影響力を行使するための手段にもなり得ると言える。これは、新聞社の主要収益源である新聞広告の広告主の立場に立脚した場合、1000万部の購読者が目にする広告効果と |
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実際には購読者の目に止まらないものがある場合の広告効果を考えると、広告主の立場では不当な対価を要求されたものであり[[詐欺]]行為である。 |
実際には購読者の目に止まらないものがある場合の広告効果を考えると、広告主の立場では不当な対価を要求されたものであり[[詐欺]]行為である。 |
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この問題が表面化したため、近日中に発行部数ではなく実売部数によって量る制度に変更される事になっている。 |
この問題が表面化したため、近日中に発行部数ではなく実売部数によって量る制度に変更される事になっている(←まったくの勉強不足。ABCによる調査を以前から受けている)。 |
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なお、余った[[新聞紙]]は[[製紙工場]]へ送られ、[[再生紙]]になる他、半面大に裁断され[[100円ショップ]]でガラス器・陶器など易損品を包むのにも使われているらしい。 |
なお、余った[[新聞紙]]は[[製紙工場]]へ送られ、[[再生紙]]になる他、半面大に裁断され[[100円ショップ]]でガラス器・陶器など易損品を包むのにも使われているらしい。 |
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2005年10月31日 (月) 03:53時点における版
読売新聞(題字は「讀賣新聞」、よみうりしんぶん)は、株式会社読売新聞東京本社、株式会社読売新聞大阪本社及び株式会社読売新聞西部本社の発行する新聞である。発行部数は公称1000万部で、世界で最も発行部数が多い。ギネスブックにはHighest Daily Newspaper Circulationで、朝刊と夕刊をあわせて2002年に14,323,781部を発行したと記されている。 英国タイムズ紙と特約契約を交わした。
歴史
- 1874年(明治7年)11月2日 合名会社「日就社」から「讀賣新聞」創刊
- 1917年12月1日 商号を「日就社」から「読売新聞社」に改称。
- 1924年2月25日 経営難から、前警視庁警務部長、後の衆院議員、政商正力松太郎が買収。
- 1925年11月15日 「よみうりラヂオ版」新設(テレビ・ラジオ欄=番組表の先駆け)。
- 1934年12月26日 大日本東京野球倶楽部(現:読売ジャイアンツ)創設。部数拡大に大きく貢献する。
- 1942年8月5日 報知新聞社を合併。「讀賣報知」に改題。
- 1945年(昭和20年)7月27日に論評なし公表されたポツダム宣言を、翌7月28日「笑止、対日降伏條件」と報道し、同日、鈴木貫太郎首相の記者会見上の「黙殺」発言を7月29日に報道。
- 1945年(昭和20年)正力松太郎社長がA級戦犯容疑で逮捕。巣鴨拘置所に収容される(1947年(昭和22年)不起訴で釈放後公職追放)。
- 1945年馬場恒吾、社長就任。
- 1946年5月1日 題号「讀賣新聞」に復帰。
- 1946年(昭和21年)11月12日、「漢字を廃止せよ」との社説を掲載し漢字廃止(国語国字問題参照)を推進。
- 1950年6月1日 読売新聞社が株式会社に改組。
- 1951年(昭和26年)正力松太郎の公職追放解除。
- 1952年11月25日 大阪市で「大阪讀賣新聞」創刊、関西に進出。
- 1959年5月1日 札幌市に北海道支社開設。現地印刷開始。
- 1961年5月25日 富山県高岡市に北陸支社開設。現地印刷開始。
- 1964年9月23日 北九州市に「読売新聞西部本社」設立。現地印刷開始。
- 1966年6月29日 この日から7月2日まで行われたビートルズ日本公演を主催。
- 1975年3月25日 名古屋市で「中部讀賣新聞」創刊。
- 1977年 発行部数で朝日新聞を抜き、日本一となる。世界でもソ連(現:ロシア)のプラウダなどを抜いて一位に。
- 1979年 渡邉恒雄(現読売新聞グループ本社会長)が論説委員長に就任。
- 1988年6月1日 中部読売新聞社が読売本体と合併し読売新聞中部本社となり、題号から「中部」外れる。
- 1994年11月3日 当時の社長である渡邉恒雄の下で、主要なマスコミで初めて「憲法改正試案」を発表して、憲法の改正を主張。憲法について再考する一つのきっかけになった。
- 1999年2月1日 経営難の中央公論社を買収し、中央公論新社を設立。
- 2000年12月1日 紙面の文字拡大。「第二次文字拡大ブーム」に火を付ける。
- 2002年7月1日 グループ再編。株式会社読売新聞社を株式会社読売新聞グループ本社(グループ持株会社)と株式会社読売新聞東京本社に、株式会社よみうりを株式会社読売新聞西部本社と株式会社読売巨人軍に会社分割。中部本社はよみうりから読売新聞東京本社に分割承継。大阪本社(株式会社読売新聞大阪本社)も株式交換により読売新聞グループ本社の完全子会社に移行。
- 2004年1月1日 読売新聞西部本社が北九州市から福岡市に移転。
- 2004年12月1日 朝刊連載の4コマ漫画「コボちゃん」が、日本の全国紙の4コマ漫画では初めてカラー化(中部支社発行版など一部地域を除く)。
紙面・論調
紙面の編集方針や論調は保守主義だが、かつては中道だった。基本的に自民党支持、改憲支持、原発支持であるが、首相の靖国参拝には反対している。
なお、政府の政策に関し、ただやみくもに批判をするという論調はない。政策分野によっては(改憲問題、防衛政策など)、社なりに数十年先を見据えて、正しいことは正しい、正しくないことは正しくないと、はっきり社の見解(社論)を打ち出すのが特徴である。他方、あまり得意でない政策分野については、基本的に官庁発表をベースに報道を行い、官庁発表に顕れていない問題意識を独自に掘り起こすような記事に紙面を割かないのも特徴である。
また、記者により論調にぶれがなく、記事が基本的な社論を逸脱することがないので、様々な意見を読み比べるという行為を好まない読者に読みやすい紙面となっているのも、大きな特徴である。
注目を集めた報道
一マスコミとしては初めての問題提起である「憲法改正草案発表」を発表し憲法改正論議のさきがけとなる。
読売争議
1945年11月から1946年10月にかけて、2度にわたって起こった争議。一時的とはいえ、労働組合側が新聞の発行権を握った。
第1次争議
太平洋戦争終結後、各マスコミでは経営陣の戦争協力について糾弾する動きが見られた。読売も例外ではなかったが、他社と違ったのは正力の力が極めて強かったことであった。この力を背景に、正力は開き直って糾弾していた記者のうち急先鋒格だった5名を解雇した。従業員側はこれに反発し争議が勃発した。ところが、程なくして正力がA級戦犯指名を受けて巣鴨プリズン収監が決定し、経営側は急遽「リベラル派の馬場恒吾(1875~1956。ジャーナリスト出身)を社長にする」ことを交換条件に5名の復職と民主化を従業員側に提案。従業員側も同意して12月に一応の争議終結を見た。
それから程なくして読売社内に労働組合が結成され、委員長には、徹底したリベラリストで知られていた鈴木東民(1895~1979。後の釜石市長)が据えられた。鈴木は「民主読売」をモットーに「人民の機関紙たること」を宣言。編集局長・主筆・社会部長の主要3職も兼ねた。また、印刷部門の支配も労組に委ねられた。この頃、北海道新聞や西日本新聞などでも経営陣追放などの動きが見られた。
第2次争議
「民主読売」の成立は他のマスコミに大きな影響を与え、さらには記者クラブ改革や新しい新聞の発刊にまで波及した。しかし、1946年に入るとチャーチルの「鉄のカーテン」発言から冷戦が事実上開始され、GHQの方針に微妙な変化が起こり、これが「民主読売」の前途に暗雲をもたらした。
1946年5月、馬場はいきなり鈴木の解雇を発表。これがきっかけで争議が再発した。民間情報教育局(CIE)は第1次争議では従業員側を影ながら応援していたが、この第2次争議では馬場ら経営側を応援した。従業員側はストライキで抵抗し、経営側の人間だった務台光雄はこれに対抗すべく警察担当となって、従業員排除のために警察やMPの出動を要請した。GHQの後ろ盾が急に無くなった従業員側は初めから不利であり、警察やMPともみ合いになって血まみれになりながら輪転機を守ったが、10月には鈴木ら労組の幹部だった37名が退社処分となって「民主読売」は崩壊した。
日本共産党などはこの争議を高く評価しているが、大勢的に見れば冷戦とそれによるGHQの方針転換に大きく振り回された争議と見ることもできる。また、馬場のイメージもあまり芳しくないが、馬場サイドから見ればGHQの方針転換に忠実に従ったまでのことであり、鈴木がそれを見抜けなかっただけだという見方もある。
この争議の混乱が尾を引いて読売は社の体力が大きく疲弊。読売の民間ラジオ局「読売放送」の構想が挫折した(後にラジオ東京の前身の一つとなった)。
疑義が持たれた報道、スキャンダル
2004年11月5日、渡邉恒雄の名義とされる日本テレビ株が讀賣新聞社の実質所有する株式である事を公表し有価証券報告書を訂正。これを受けて地方のテレビ局24社とラジオ局18社の株式を役員などの第三者の名義で実質保有している事も公表した。その結果、テレビ9社とラジオ3社に対する出資比率がマスメディアの集中排除の原則における制限を越えていた事実が明らかになる。その後、第三者名義にして制限を逃れる行為は他の全国紙や地方紙でも行われていた事が次々に発覚する。
2005年5月4日から5日早朝にかけてのJR福知山線脱線事故記者会見の席上、JR西日本の事故直後の対応やレクリエーションを中止しなかった事について、出席した記者が説明を求めて「あんたらはもういい、社長を呼んで」等と罵声を浴びせたり、感情的発言を繰り返していた事が判明。取材モラルに欠けていないかと読者や他のマスコミなどから批判された。後に、当の記者が報じられたことのうちの一部を否定している。
発行部数1000万部の裏事情
「押し紙」というものが存在する。これは新聞社が年間販売目標を強制的に決め、これを新聞販売店に押し付けることを言う。
実際の販売数を上回る新聞が販売店には押し付けられており、販売店は余分な新聞の代金まで新聞社に払う羽目になるが、「押し紙」を断れば店主はクビになるし(←これは嘘)、拡張費をつぎ込むよりは、本社から送られてくる部数に応じて支払われる折込広告費を残紙の分までもらった方が採算が取れるため、販売店側は断れないという。
最近は押し紙代が折り込み広告費を上回る例もあり、押し紙を断った販売店が本社販売局から改廃(契約解除―閉店)させられる事態も起きているという(←これはさらに嘘)。新聞の発行部数は本社から販売店に送られた分を指すが、「押し紙」が存在する以上、現実の購読部数はずっと少ないと見てよい。
このような問題を抱えていない新聞社は絶無だが、発行部数1000万部死守を至上命令とする読売新聞においては特に深刻だと言われる(←他紙の方が深刻 by 関係者)。発行部数1000万部は単に収益をもたらすだけでなく、それを自分の代で達成した渡邉恒雄社長への求心力の源泉になり得るし、さらには各界に影響力を行使するための手段にもなり得ると言える。これは、新聞社の主要収益源である新聞広告の広告主の立場に立脚した場合、1000万部の購読者が目にする広告効果と
実際には購読者の目に止まらないものがある場合の広告効果を考えると、広告主の立場では不当な対価を要求されたものであり詐欺行為である。
この問題が表面化したため、近日中に発行部数ではなく実売部数によって量る制度に変更される事になっている(←まったくの勉強不足。ABCによる調査を以前から受けている)。
なお、余った新聞紙は製紙工場へ送られ、再生紙になる他、半面大に裁断され100円ショップでガラス器・陶器など易損品を包むのにも使われているらしい。
「社会部王国」
読売新聞は、かつて本田靖春(東京本社)、黒田清、大谷昭宏(大阪本社)といった辣腕記者を社会部に擁し「社会面に強い」と言われた。とりわけ大阪社会部はコラム「記者の窓から」、長期連載「戦争」を拠点に、社会的弱者の視点に立つ特集記事を数多く発し、黒田が部長になってのち社会部は“黒田軍団”という異名で呼ばれた。しかし1980年代に社内で渡邉恒雄らによる保守的思潮が主流になると圧力が高まり、1987年に黒田は退社に追い込まれた。渡邉に放逐された記者は数多いが、渡邉が直接手を下すのではなく、渡邉の意を呈した周囲が該当する記者を左遷したり、仕事を取り上げたりして、退社に追い込むのが常であったと言われている。
この行動は読売新聞の論説体系の統一の観点からは仕方無いものではあるが、読売新聞本来の魅力である「保守的なリベラル」というニ律背反しつつも社論は社論という絶妙なバランスに立脚した論説体系を捨てたという事で残念に思う旧来の読者が多い。
医療情報部
読売新聞は、他の全国紙にはない医療専門の取材機関「医療情報部」を持つ。同部長である前野一雄は、自身が脳動脈瘤、次いで甲状腺がんを患った経験を生かして「脳動脈瘤がある人の不安と選択」(ISBN 4-88320-246-1)、「甲状腺がんなんて怖くない」(ISBN 4-385-36190-8)を著している(後者は杉谷巌との共著)。また、「『健康常識』ウソ・ホント55」(ISBN 4-06-257370-9)で世間に伝わる「健康常識」に疑問を呈している。
マスコットキャラクター
- 2004年1月、読売新聞の創刊130周年を記念して、アニメーション作家で映画監督の宮崎駿(スタジオジブリ)の作による、「目玉の中に忍び込む昆虫」を表した新マスコットキャラクターを発表。名前は、2004年7月、一般公募によって「どれどれ」という名前が付いた。
- 「どれどれ」の特長
- 「大きな眼」は、将来を見通し、先見性を持って報道にあたる読売新聞の基本方針を示している。新聞を読んでいるのは活字を大切にする姿勢を、緑色は環境を大切にする姿勢を象徴している。
- 「どれどれ」は、旺盛な探究心、好奇心を象徴する言葉である。
- 因みに、宮崎駿は読売系列の日本テレビのマスコットキャラクター「なんだろう」も手掛けた。
読売新聞と巨人軍
詳細については(読売巨人軍)を参照。
日本のプロ野球ファンの中でもっとも数が多いと言われている巨人ファンから見ると、読売新聞を巨人軍の「親会社」と考えてる者は多くても、巨人軍を読売新聞の「グループ企業」と見る向きは少ない。そのため、巨人軍に「読売」色が全面に出る事を嫌う人達も少なくない。逆に読売新聞側の経営姿勢が新聞の売上に影響したこともある。
- 1980年、ファンから絶大な人気を得ていた長嶋茂雄が巨人軍監督を解任されると、ファンによる「読売新聞」不買運動が繰り広げられた。
- 2005年、日本プロ野球選手会によるストライキが行われた際に、選手会を糾弾する社説を掲載したところ、余りにも事実からかけ離れた文面を展開したためファンの反発は却って高まり、選手会への同情を集める結果となった。
Jリーグのチーム表記問題
- 1992年のナビスコ杯から1993年にかけてのJリーグ草創期、自社が当時メインスポンサーとして運営していたヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)のチーム名を「読売ヴェルディ」とした。(日テレも同じ。スポーツ報知=読売系スポーツ紙は「読売ヴェルディ川崎」とした)
- これは同チームのチーム名表記の項にも詳述しているが、渡邉恒雄社長が「プロ野球と同じようにJリーグも企業重視が必要だ」、「川崎製鉄(現・JFEスチール)、川崎重工業の商標で商標権侵害の恐れがある」(実際川崎重工がチームの広告看板スポンサーに就いた事もあった。現在はヴィッセル神戸の広告看板スポンサーに就いている。)、「東京への移転問題」などの理由があった。
- Jリーグでは企業名は排除して自治体(市区町村名)+愛称で表記するように指導しており、1994年度以後のシーズンは企業名を排除して「ヴェルディ川崎」としてクレジットするようになった。
- その他、横浜マリノスは「横浜」、横浜フリューゲルスは「AS」とした。これはフリューゲルスが当時長崎県、熊本県、鹿児島県をホームタウンに準ずる権限のある「特別活動地域」とした実質上の広域ホームタウンであることを考慮したが、これも1994年から「横浜M」「横浜F」に統一された。
掲載四コマ漫画
発行所
- 東京本社 東京都千代田区大手町1-7-1
- 北海道支社 札幌市中央区北四条西4-1
- 北陸支社 富山県高岡市下関町4-5
- 中部支社 名古屋市中区栄1-17-6
- 大阪本社 大阪市北区野崎町5-9
- 西部本社 福岡市中央区赤坂1-16-5
- 北九州総本部 北九州市小倉北区米町2-1-1
- 札幌、高岡、名古屋は2002年7月に持株会社化で再編成された読売新聞東京本社傘下の支社。
- 印刷工場
対象地域
- 東京本社:東北、関東、甲信越、静岡県
- 北海道支社:北海道
- 北陸支社:北陸(福井県を除く)
- 中部支社:東海(静岡県、三重県の一部を除く)
- 大阪本社:近畿、中国(山口県、島根県石見地方を除く)、四国、福井県、三重県伊賀地方
- 西部本社:九州(沖縄県含む)、山口県、島根県石見地方
北海道(石狩支庁、上川支庁、空知支庁、後志支庁、胆振支庁、日高支庁)、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、山梨県、富山県、石川県、静岡県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、山口県、福岡県、佐賀県、大分県、沖縄県では、一部地域を除いて朝夕刊セット。その他の県は朝刊統合版だが、特に中部支社版のみは対象地域全域が朝刊単独(但し、静岡県向けの夕刊は中部支社で印刷しトラック輸送している)。
中部支社版の紙齢(創刊からの号数)は、2002年6月30日付までは「中部読売新聞」として創刊された時からの紙齢だったが、同年7月1日付から、東京本社の支社になったのに伴い、東京本社版と同じ紙齢になった。ちなみに、「中部読売新聞」が「読売新聞」になるまでの1988年5月31日付まで、東京本社が愛知県、岐阜県、三重県向けの地方版「中京版」を発行していた(中京版のテレビ・ラジオ欄は静岡県遠州版と共有だった)。
在籍していた著名人
- 芦辺拓(推理作家)
- 大岡信(詩人)
- 大谷昭宏(ジャーナリスト)
- 小倉貞男(ジャーナリスト)
- 佐野洋(推理作家)
- 塩田丸男(作家)
- 杉下恒夫(JICA客員国際協力専門員)
- 高井潔司(北海道大学教授)
- 本田靖春(ジャーナリスト、ノンフィクション作家)
- 山口正紀(ジャーナリスト)
関連企業
- 「読売新聞グループ本社」の項目を参照のこと。
読売グループの企業・団体
- 中央公論新社
- 読売ジャイアンツ
- 読売日本交響楽団
- 日本テレビ放送網(日本テレビ、日テレ、NTV)
- 讀賣テレビ放送(読売テレビ、よみうりテレビ、YTV)
- よみうりランド
- よみうり建設
- よみうりスポーツ
- よみうり開発
- プランタン銀座
- 読売ゴルフ
- 読売旅行
関連放送事業者
- 札幌テレビ放送(STV) - 三井観光開発の関連会社
- テレビ岩手(TVI) - 朝日新聞グループも出資
- 宮城テレビ放送(MMT) - カメイの関連会社
- 福島中央テレビ(FCT) - 朝日新聞グループも出資
- テレビ新潟放送網(TeNY)
- テレビ金沢(KTK) - 北国新聞系列
- テレビ信州(TSB) - テレビ朝日・松本電気鉄道も出資
- 静岡第一テレビ(SDT)
- 中京テレビ放送(CTV) - 日本テレビの関係会社
- 日本海テレビジョン放送(NKT) - フジテレビが第二位株主
- 広島テレビ放送(HTV)- 日本テレビが主要株主。中国新聞とも親密。
- 山口放送(KRY) - もともと朝日新聞・朝日放送に近かったが、近年読売グループに接近。中国新聞とも親密。
- 西日本放送(RNC) - 日本テレビが筆頭株主だが、読売新聞自体は上位10位以内の大株主に入っていない。四国新聞傘下
- 高知放送(RKC) - 日本テレビが筆頭株主だが、読売新聞自体は上位10位以内の大株主に入っていない。高知新聞の傘下
- 福岡放送(FBS) - 西日本新聞にも近い。
- 長崎国際テレビ(NIB)
- 熊本県民テレビ(KKT)
- テレビ大分(TOS) - 西日本新聞・フジサンケイグループらとの合弁
- テレビ宮崎(UMK) - 宮崎日日新聞の系列会社
- 鹿児島讀賣テレビ(KYT) - 本坊グループ
- 名古屋テレビ放送(メ~テレ、NBN) - トヨタ自動車・テレビ朝日系だが、読売新聞と日本テレビが大株主の中に入っている。また、読売新聞とともに日本テレビの大株主である。
- 秋田朝日放送(AAB) - 上位10位以内に入る大株主。筆頭株主は朝日新聞。
その他にもフジテレビジョンも出資。
- ※以上の5社は、フジテレビ系列だが、読売新聞が大株主の中に入っている。
- チューリップテレビ(TUT) - TBS系列だが、読売新聞が大株主の中に入っている。
- テレビ高知 - TBS系列だが、読売新聞が朝日新聞とともに大株主の中に入っている。
- CS日本 - 日本テレビの関係会社
- アール・エフ・ラジオ日本 - 日本テレビの関係会社
- FM802 - JFL加盟のFM放送局。産経新聞と親密で、ともに1割出資の筆頭株主
参考文献
- 「第一篇 労働争議 第二章 主要な争議 第一節 読売新聞社の争議」『日本労働年鑑 第22集/戦後特集』1949年 法政大学大原社会問題研究所/第一出版
- 御厨貴『馬場恒吾の面目―危機の時代のリベラリスト』1997年、中央公論社
- 魚住昭『渡邊恒雄 メディアと権力』2003年 講談社 (ISBN 4062738112)
- 佐野眞一『巨怪伝―正力松太郎と影武者たちの一世紀』2000年 文芸春秋(ISBN 4167340038―上)(ISBN 4167340046―下)