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*上水営業所 - 立川駅北口 - [[成田空港]] <[[東京空港交通]]、[[成田空港交通]]> |
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*''夜行'' [[シャルム号]]([[玉川上水駅]] - 立川駅 - [[三宮駅|三宮]] - [[舞子駅]])<[[山陽電気鉄道]]> |
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;予約と運行支援* |
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2008年11月26日 (水) 13:12時点における版
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
190-0011 東京都立川市高松町2丁目27番27号 |
設立 | 1929年10月 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 4012801000850 |
事業内容 | 乗合バス事業、貸切バス事業、特定バス事業他 |
代表者 | 代表取締役社長 天野 泉 |
資本金 | 2億円 |
主要株主 | 小田急電鉄株式会社 38.3%(間接所有を含めると80%) |
主要子会社 | 株式会社シティバス立川 |
外部リンク | http://www.tachikawabus.co.jp/ |
立川バス株式会社(たちかわバス)は、主に東京都立川市、国立市、昭島市、武蔵村山市、瑞穂町を中心に路線バスを運行している会社である。小田急電鉄傘下。拠点駅は立川駅・国立駅・玉川上水駅・箱根ヶ崎駅など。
沿革
立川バスは、1929年に前身である立川自動車運輸として創立され、翌1930年には路線の運行を開始した。当時の運行区間は、立川(立川駅北口) - 宮沢 - 拝島(現・拝島大師付近)と立川 - 村山 - 箱根ヶ崎である。本社は立川町吾妻町(現・立川市曙町二丁目)におかれた。拝島線は現在とほぼ同じ経路であるが、村山線の方は当時の道路状況から、現在の高松町三丁目経由ではなく、今の高松町一丁目(停留所なら多摩都職員会館)から砂川四番に至っていた。(現在このオリジナルの経路は道路自体なくなっている。)
その後、立川自動車運輸は1937年に五日市鉄道の傘下に入ることになる。なおこの「五日市鉄道」とは、現在のJR五日市線(拝島駅 - 武蔵五日市駅、当時は武蔵五日市駅 - 武蔵岩井駅もあった)を経営していた会社であるが、1930年 - 1944年は立川 - 拝島間に青梅鉄道(現JR青梅線)と別の線を持っていた。この路線と立川自動車運輸の拝島線がほぼ並行していたことが、買収を行った理由である。
五日市鉄道傘下となった後、立川自動車運輸は五日市鉄道沿線とさらに奥へ、拝島 - 牛浜 - 平井 - 五日市、五日市 - 檜原本宿、五日市 - 養沢について免許申請を行っている。しかし、この区間は五王自動車(現・西東京バスの五日市エリア付近)の既存区間であり、戦時中で不要不急という判断から、却下された。
その後、1940年、南武鉄道(現在のJR南武線)が五日市鉄道を買収し、それと同時に立川自動車運輸も南武鉄道の傘下となった。その際、南武鉄道も川崎市溝口にバス路線を有していたため、同社の路線は立川自動車運輸に引き継がれた(溝口営業所)。
その後まもなく軍需輸送上の国策によって南武鉄道と青梅電気鉄道は国有化の矢面に立たされ、結局、1944年4月に両社は国鉄に買収され、南武線、青梅線となる。なお、被買収企業はしばらく会社の解散をせず、南武鉄道も立川自動車運輸など子会社の管理と関連事業を経営するために存続した(現在の太平洋不動産)。
1947年に立川自動車運輸は現在の立川バスに社名を変更し、再スタートをきった。開業以降、ほとんど路線の新設・改変もなかった立川自動車運輸だったが、この年に奥多摩振興(現在の西東京バス青梅営業所が相当)より路線を買収することで、路線の拡充が始まることとなる。そのときの区間は、国分寺 - 拝島、拝島 - 小荷田等の4区間であり、これにより砂川や国分寺なども営業エリアとすることとなった。
1951年には川崎市(神奈川県)が川崎市北部地区の路線を整備するために、溝口営業所の路線を買収したいとの要請があった。この交渉がまとまり、同営業所は川崎市交通局に引き継がれた(交通局溝口営業所。その後菅生に移転し、現在は鷲ヶ峰営業所に統合。)引き継がれた路線は以下の4線である。
そして、立川バスは1954年に小田急電鉄の傘下となった。小田急グループになったことを機に、立川バスはその営業域の拡充をさらに押し進めることとなった。しかし、昭和30年代には多摩地域でのエリア分けが一段落しつつあったので、新規開業路線は他社との相互乗り入れという形で進められた。その例として、五王バス(現・西東京バス)との相互乗り入れによる立川駅北口 - 福生 - 五日市線等が挙げられる。一時期は埼玉県所沢市北野地区へも路線を延ばしていた。
さて、昭和40年代から50年代にかけては路線の整理が行われるようになる。立川バスに限らず都内のバス路線は、それまでエリア拡大のために他事業者との相互乗り入れ路線を多数持っていたが、交通渋滞やそれに伴う乗客の減少などによりメリットよりデメリットが多くなってきた。このことから、各事業者とも長距離路線を短縮し、自社のエリア内のみを走る路線にまとめていくようになった。これと同時に、鉄道の速度が上がっていったこともあり、鉄道と完全に並行する路線は分割され、隣接する駅の間を補完する性格の路線に転化させるか、廃止させる方向に向かっていった。それと同時に多摩の各市には大規模な団地造成が行われ、立川バスも他社と同じく団地輸送路線を次々と新設した。
その中、1970年にサザエさんバス事件と呼ばれる事件が生じた。同社は1951年より観光バスの車体に「サザエさん」の登場人物を描き「サザエさん観光」として運行していたが、作者である長谷川町子の使用許諾を得ていなかった。このため、作者側から使用差し止め要求があったというものである。5年間の交渉の結果、立川バスは敗訴して、長谷川町子側へ1,824万4,099円という多額の損害賠償金を払う結果となった。
1976年に立川基地が返還され、立川駅北西部の跡地を新たに使用することができるようになった。そこで、この跡地に道路および施設が整備された。まず、高松町一丁目から基地跡沿いに北に進む道路(南北)が整備された。その後、曙町一丁目から泉町まで滑走路を転用した道路が新造され、その道路沿いに防災センターが新設された。これに伴い、立川バスも箱根ヶ崎線の一部が新道経由となり、砂川循環線(現在廃止)・防災循環線などが新設された。(現在では、立川消防署・立川警察署・国立病院の移転に伴い、立川消防署循環線なども新設され、さらにルートの一部も変更されている。)
これとは別に、基地跡ではTAMAらいふ21のイベントが長期間にわたって開催され、基地跡の北西部(窪方停留所付近)に簡単な遊園地が作られたり、昭和記念公園でもステージが行われたりした。立川バスも期間中に立川駅北口 - TAMAらいふ会場間に臨時バスを運行した。
この他、1991年より、空港連絡バス、夜行高速バス(神戸線シャルム号)の運行が開始された。1990年 - 1998年には深夜急行バス運行の実績がある。
1998年11月27日には多摩都市モノレールが立川北 - 上北台間に営業を開始した。これにより村山団地線・芋窪線・芝中団地線・南街線などが並行することになり、上水営業所担当路線を中心に大幅な路線改変が行われた。さらに、2000年1月10日のモノレール延長開業に合わせる形で全営業所の路線改変(一部路線は1999年11月に先行実施)が行われ、同年10月1日には営業所を一つ(国立営業所・現在の国立操車場敷地)減じ、3営業所体制で運行するようになった。また、同年4月1日には子会社シティバス立川を設立し、10月1日より福生団地線を、2008年11月には高速バス路線及び田中町団地線を移管した。
一般乗合路線および米軍基地内路線
営業所および担当路線
立川バスは一般乗合路線を上水、拝島、瑞穂、曙、横田の5つの営業所により運行している。ただし、曙営業所は指定期日運行の応現院線のみを担当。また、米軍基地の輸送のために、同基地内に横田営業所が設けられているが、どのように運行されているかは一般に公開されていない。以下に、各営業所の路線名を示す。
(注:路線名は立川バスホームページによる。)
- 上水営業所
- 拝島営業所
- 瑞穂営業所
- 東京都西多摩郡瑞穂町箱根ケ崎字池廻り
- 箱根本線、市民会館線、瑞穂営業所線、三ツ藤線、立川イオン線、立川消防署線、昭島・箱根ヶ崎線、昭島・IHI線、瑞穂線、団地東線、長岡線、長岡循環線、羽村高校線、武蔵村山市内循環(MMシャトル)
- 曙営業所
- 東京都立川市曙町
- 応現院線・・・立川便、上水便
- 横田営業所
- 東京都福生市米軍横田基地内
- 米軍基地内路線(運行概要非公開)
- 株式会社シティバス立川・拝島営業所(立川バスグループ)
- 東京都昭島市拝島町
- 福生団地線、田中町団地線、拝島本線(受委託)、昭島線(受委託)、立川・東中神線(受委託)、松中線(受委託)、堀向線(受委託)
高速バス路線
- 予約と運行支援*
夜行 拝島営業所 - 玉川上水 - 立川駅 - 京都駅 - 湊町BT - 堺駅- 堺東駅- 堺市駅 <南海バス単独運行> ※京都・大阪線申請時南海バスとの共同運行を申し出たが立川バス側の諸事情により 現在は南海バスの単独運行となっている。 将来的に立川バス・南海バスの共同運行が開始される予定である
車両
立川バスの車両はいすゞ自動車および三菱ふそうトラック・バスの路線バスに日野自動車の小型車・三菱ふそうの観光バスで構成されている。また、過去に日産ディーゼル工業(車体は富士重工)の車両が在籍していたほか、関西のバス事業者同様の前後扉配置(後扉は引戸)の車両が使われていた。
路線車はいすゞに関してはIKコーチがキュービックを架装していた時代は富士重工で架装されていたが、エルガにモデルチェンジされてからは純正車体での導入になっている。また、ノンステップバスが多く導入されており、この関係で三菱ふそうからはエアロスター-Sが納車されており、西日本車体工業架装車が登場している。また、大型ノンステップバスが多い中で中型路線バスも在籍しているが、この中には非常に珍しい、日野・レインボーのOEM供給車・いすゞ・エルガJが在籍していることで知られている。
車両は路線バスの場合、小田急電鉄の傘下入り以降、初期のノンステップバスなどを除き、小田急バスとほぼ同一のカラーになっている。その一方で、高速バスには小田急カラーが用いられる。なお、小田急グループであることから車両は小田急グループマテリアルズを介して購入され、小田急グループ各社で仕様の統一を図ることによるコスト削減を図っている。
-
いすゞ・エルガ
PJ-LV234L1 -
三菱ふそう・エアロスター(2代目)
KL-MP37JK -
三菱ふそう・エアロスター-S
PKG-AA274KAN -
いすゞ・エルガJ
PK-HR7JPAC
その他
外装のみならず、乗客用シートにもリラックマが描かれ、前面の行先表示にもリラックマやキイロイトリが表示されるようになっている。[1]
関連項目
外部リンク