「国富論」の版間の差分
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2007年11月16日 (金) 06:26時点における版
諸国民の富の性質と原因の研究(しょこくみんのとみのせいしつとげんいんのけんきゅう、原題:An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)は、1776年に出版されたアダム・スミスの著作である。『国富論』、または『諸国民の富』の名でも知られる。特に前者が一般的であるため、以後本項でも前者を用いることとする。本書は産業革命以後における経済学について明確に記述されている。本書は全二巻、五編で構成されている。
本書の内容
産業革命
本書の第一編第一章から第三章は分業(division of labor)の発展が解説されている。第十章第二節では、 封建制の終焉に関する理解を促している。
経済学の入門書として
アダム・スミスの著作は重商主義の批評および彼の時代に考えられていた新興の経済学の総合体として記述されている。本書は通常、近代経済学の端緒であると考えられている。本書は他の経済学者に向けてというよりも、むしろ18世紀当時における平均的な教育を受けた人々に向けて書かれたものである。従って、本書は現代の読者にとって古典派経済学(classical economics)の比較的理解しやすい入門としての古典として読み継がれている。よく誤解されることであるが、「国富論」は全五篇すべてが経済学の理論書であり、その一部のみを経済学の理論として位置づけることは誤りである。この書は決して歴史書ではなく、普遍性を持った理論書であるので、その内容の一部の新旧をもって判断する書物ではない。その証拠として、後世、ケインズは「国富論」を唯一「四つ切り版」の経済学として、すなわち、唯一完成された経済学書とし、それ以降の経済学をすべてその解説にすぎないとして高く評価している。
「見えざる手」
「見えざる手」(invisible hand)は本書の概念としてしばしば言及されるものである。この「見えざる手」の背後にある思想は、人々がその欲求と窮乏の追求を通して無意識的に自らの国を発展させるであろうという主張である。
第四編第二章において以下のように述べられている。 "...he intends only his own security; and by directing that industry in such a manner as its produce may be of the greatest value, he intends only his own gain; and he is in this, as in many other cases, led by an invisible hand to promote an end which was no part of his intention."
(訳)人は自分自身の安全と利益だけを求めようとする。この利益は、例えば「莫大な利益を生み出し得る品物を生産する」といった形で事業を運営することにより、得られるものである。そして人がこのような行動を意図するのは、他の多くの事例同様、人が全く意図していなかった目的を達成させようとする見えざる手によって導かれた結果なのである。
業績主義
業績主義(Meritocracy)は本書において強調されるテーマである。
歴史との関連
国富論は啓蒙思想の時代に出版され、著者および経済学者のみならず政府および団体に影響を与えた。例えば、アレキサンダー・ハミルトンが国富論によって感銘と影響を受けている。本書がデイヴィッド・ヒュームやシャルル・ド・モンテスキュー、そして重農主義者チュルゴー(Anne Robert Jacques Turgot)といった思想家・経済学者たちによって確立済みであった理論の焼き直しであるといわれていることは、一部においては真実である。しかしながら、本書は経済学における躍進であり、物理学および現代数学、ならびに自然科学にとってのプリンキピアの位置づけと類似するものである。
後世、多くの著述家が国富論に影響され、自らの著作の出発点としてこれを用いた。ジャン=バティスト・セイやデヴィッド・リカード、および、さらに後の時代に属するカール・マルクスも国富論を出発点とした著述家に含まれる。
重商主義批判
スミスの重商主義政策への批判は、貨幣政策、関税政策、租税改革と国債の発行等について展開されている。重商主義は、絶対王政のもと、貿易によって財貨を得ることで一国の富を増大させようとしたが、その政策の結果として、逆に金貨幣が大量に国外に流出し、軍事支出の増大とともにイギリス経済を疲弊させる原因となっていた。スミスの批判は、グレシャムに対する批判としての貨幣の改鋳であり、自由主義の立場からの関税の撤廃、そして、租税改革と戦費の調達のための国債の発行の停止である。日本ではあまり知られていない当時の背景として、イギリスでは葡萄酒の消費量が急速に増加しており、葡萄酒を生産しないイギリスではフランスからの輸入にすべてを依存していた。そのため、フランスとの貿易赤字が急激に増大していたのである。重商主義による誤った政策では自然の法則をゆがめるだけであり、問題は解決しなかったのである。スミスは、従来の富の概念である貿易による財貨の獲得から労働の生産力の増大へ転回することで経済学を成功させたのである。
出版履歴
国富論は1776年に出版されて以降、アダム・スミスの存命中、彼自らの手によって4度の改訂が行われている。それは1778年、 1784年、1786年、そして1789年である。よって日本語への翻訳も1789年に出版された第五版を元に行われることが多い。しかし、1791年に出版された第七版がアダム・スミス自ら改訂作業を行った最後の版ではないかという説もあり、こちらを考慮ないし基礎においた翻訳もある。
5回の改定を経る間には多くの細かな違いが存在する。初版と第二版の差異は重要でないものであったが、脚注の追加が行われている。
1784年、アダム・スミスは重商主義批判をその主な内容とする別冊の追補および訂正を組み込み、目次を付した三巻からなる国富論の第三版を出版した。
1786年に出版された第四版は第三版へわずかに改訂が施された。アダム・スミスは本の初めの読者に対する告示において「(第四版では)私はいかなる種類の変更も加えなかった。」と言っている。続く1789年出版の第五版では誤植が取り払われている。
その後の版はアダム・スミスが死去した1790年以降に出版されている。エドウィン・キャナン(Edwin Cannan)指揮の下、初めの5つの版が併記されて比較されている校訂版が1904年に出版されている。
刊行書
関連項目
External Links
- An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations at MetaLibri Digital Library (PDF format)